難難治症例を作らない歯内療法①治症例を作らない歯内療法①...

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研究講座 木ノ本 喜史 木ノ本 喜史 難治症例を作らない歯内療法① 難治症例を作らない歯内療法① vol.1 臨床根管解剖 vol.1 臨床根管解剖吹田市開業、大阪大学歯学部招へい教員 吹田市開業、大阪大学歯学部招へい教員 窄部の形態(図2)も、タイプAは青年期の根管であ り、それ以外はさらに根管の狭窄が進んだ状態と解釈 すると根尖部の狭窄が理解しやすい。またこのように 根尖の狭窄部には様々な形式があるので、作業長の設 定は手指の感覚だけでなく、複数の方法を併用すべき である。 図3 :根尖付近での急な湾曲(英語ではAnatomicaltraps: 解剖学的な罠と表現されている) •J字やY字などの根尖付近の湾曲・分岐(図3):根 尖付近での根の湾曲や分岐は根管のトランスポーテ ーションや器具破折に関係するため、始めに根管に 挿入する細いファイル(パイロットファイル)やエ ックス線写真上でよく確認する。 •歯根断面の形態を参考にして根管口を探す:根管周 囲の象牙質は歯髄組織が根管壁に石灰化物を沈着し て形成する。したがって、歯根断面のほぼ中央に根管 は存在するはずである。たとえば、扁平な形態の根 においては、根管も扁平な形かあるいは2本の根管 が存在すると考えて拡大・形成を行う必要がある。 •対象の歯に考えられる最大の根管数を常に考慮して 根管探索を行う:たとえば、上下顎小臼歯であれば 2根管、上下顎大臼歯であれば4根管を探す気持ち で根管探索を行う。 図4:歯内療法に関連の深い主根管に付随する解剖学 的形態 •多くの根管にはイスムスやフィンが存在する():通常歯内療法で用いる器具は根管を円形にし か拡大・形成できない。したがって、イスムスやフ ィンを意識した拡大・形成を行わなければ、感染源 や感染の経路が残存することになる。 •根管にはしばしば凹みがある(図4):歯頚部あたり の狭窄により根管中央部付近には根管口より根管が 広がり凹み(アンダーカット)となる部位が存在す ることが多い。まっすぐな器具で根管壁を形成して も凹んだ部分には器具が触れず、軟組織や感染源が 残存しやすい。超音波器具を用いた洗浄などが必要 になる。 •エックス線写真上で根管のラインの濃淡が急に変化 している場合は、根管に分岐や合流、湾曲などの変 化がある:エックス線写真上で患歯の歯内療法の難 易度を事前に予測できれば、根管の見逃しや偶発症 の生じる確率が小さくなる。 (個々の歯種については次回解説の予定です) 2.トランスポーテーション (transportation) 根管解剖において示したように、ほとんどの根管は 湾曲している。その湾曲した根管に器具を入れて不用 意に拡大・形成を行うとオリジナルの根管を逸脱した 根管形成となる。形成後の根管がオリジナルの根管形 態から逸脱してしまうことをトランスポーテーション と言う(図5)。歯内療法の教科書に記載されている、 レッジやジップなどもトランスポーテーションが生じ た結果の形態であり、生じた部位の違いで名称が異な っていると考えられる。根管の象牙質は軟らかいた め、剛性が強い器具で湾曲部を形成するとすぐに根管 の直線化(=トランスポーテーション)が生じている のが現実である。 図5:トランスポーテーション.下向き矢印の部分が 形成されずに残されたオリジナルの根管である.過剰 に切削された根管はガッタパーチャポイントで充填さ れている トランスポーテーションが生じると、健全な根管壁 を削ってしまうだけでなく、根管内の感染源の除去が 望めない。さらに、一度トランスポーテーションが生 じると再治療においてオリジナルの根管を拡大・形成 することは非常に困難となる。したがって抜髄処置の 時など、始めて根管に器具を挿入する歯科医師の責任 は非常に重い。 図6:トランスポーテーションにより人工根管が生じ ていた下顎小臼歯の症例.実線がオリジナルの根管 で,破線が人工的に形成された根管.人工根管にはガ ッタパーチャポイントが緊密に充填されている 研究による報告では、ステンレススチール製ファイ ルを用いた場合の根尖付近におけるトランスポーテー ションは、45度の湾曲根管の場合、0.6㎜程度と報告 されている。臨床においては、根管を逸脱して人工根 管を作っている症例に遭遇することもある(図6)。こ のような症例では、処置を行った歯科医師は健全と考 えられる白い象牙質が出てきたので根管拡大を完了し て、根管充填を行ったと想像される。しかし、感染源 が除去されなければやはり臨床症状は消失しない。 歯内療法において原因菌とされる細菌の大きさが約 1~3(0.001~0.003㎜)であることを考えると、0.6 ㎜のトランスポーテーションは感染が持続するために 十分すぎる空間となる。たとえば、作業長は適切に設 定されて根管充填がなされているにもかかわらず根尖 病変が存在する症例では、根尖付近のトランスポーテ ーションが生じた部分に感染源が残存している可能性 がある。しかし、通常歯内療法を評価しているデンタル エックス線写真では、トランスポーテーションの確認 は困難である。なぜなら、エックス線写真ではトラン スポーテーションの変位量程度では明瞭な確認は不可 能なことや、エックス線写真上に現れない方向にトラ ンスポーテーションが生じることも多いからである。 以上のように、トランスポーテーションは根尖付近 に感染源を残存させ、歯内療法の予後を不良にする原 因となるので、根管の拡大・形成においては最も避け なければならない問題である。これまでの歯内療法に おける様々な根管形成法の開発の歴史は、このトラン スポーテーションを避けるために行われて来たと言っ ても過言ではない。 (つづく) 「緒言」 平成20年に大阪府歯科保険医協会の研修会におい て、“歯内療法成功の鍵-特に抜髄を成功させるため に-”のタイトルで講演する機会を頂いた。今回はそ の時の講演内容を中心に、歯内療法において是非とも 理解しておかねばならないことであるが案外忘れがち な項目である、“臨床根管解剖”と“トランスポーテ ーション”および“感染の機会”の3つのテーマにつ いて3回の予定で連載します。会員の先生方の明日か らの臨床にすぐ役立つ内容にと心がけて執筆しました ので、ぜひご一読の程よろしくお願い致します。 1.臨床根管解剖 歯の解剖は歯科医師なら誰でも、学生時代に学ぶ科 目ですが、対象を歯内療法に絞って解説した解剖に関 するまとめは案外見かけません。また、歯学部学生の 歯内療法の講義においても、根管解剖が特別に説明さ れることはほとんどありません。しかし、多様な形態 を示す根管のバリエーションを知らずに確実な歯内療 法を行うことは不可能です。そこで、今回は歯内療法 において考慮すべき根管解剖について以下に列記して 解説します。 [すべての歯種において考慮すべき項目] •平均的な歯根長は12㎜である:根管口の拡大はその 上部1/3の約4㎜を目標とする。 •ほとんどの根管は湾曲している:97%の根管は湾曲 していると報告されている。エックス線写真上では 見えない湾曲が存在することも常に考慮して器具を 挿入する。 図1: 根尖付近の病理組織像(CohenS, HargreavesKM: Pathwaysofthepulp,9thed.MosbyInc.2006.より改変) •根尖部付近の解剖の理解(図1):生理的根尖孔と解 剖学的根尖孔の違いを理解する。解剖学的根尖孔は 70~80%の割合で、エックス線上での根尖端と一致 しない。抜髄治療においては生理的根尖孔まで操作 を行うと生理的な根尖部の閉鎖が期待できる。ただ し、根尖のセメント質が根管の最狭窄部となるとは 必ずしも限らず、根管壁の象牙質が狭窄して生理的 根尖孔よりも歯冠側に最狭窄部が生じることもあ る。この狭窄は歯髄への刺激や加齢などの影響を受 けるため、個々の歯により状態が異なる。 図2:根尖の狭窄部のさまざまな形態と割合 Dummerらにより報告されているさまざまな根尖狭 (第三種郵便物認可) 2009年2月15日 大阪歯科保険医新聞 (5、15、 25日発行) (10)

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研究講座

木ノ本 喜史木ノ本 喜史

難治症例を作らない歯内療法①難治症例を作らない歯内療法①--vol.1 臨床根管解剖vol.1 臨床根管解剖--

吹田市開業、大阪大学歯学部招へい教員吹田市開業、大阪大学歯学部招へい教員

窄部の形態(図2)も、タイプAは青年期の根管であり、それ以外はさらに根管の狭窄が進んだ状態と解釈すると根尖部の狭窄が理解しやすい。またこのように根尖の狭窄部には様々な形式があるので、作業長の設定は手指の感覚だけでなく、複数の方法を併用すべきである。

図3:根尖付近での急な湾曲(英語ではAnatomicaltraps:解剖学的な罠と表現されている)

•J字やY字などの根尖付近の湾曲・分岐(図3):根尖付近での根の湾曲や分岐は根管のトランスポーテーションや器具破折に関係するため、始めに根管に挿入する細いファイル(パイロットファイル)やエックス線写真上でよく確認する。•歯根断面の形態を参考にして根管口を探す:根管周囲の象牙質は歯髄組織が根管壁に石灰化物を沈着して形成する。したがって、歯根断面のほぼ中央に根管は存在するはずである。たとえば、扁平な形態の根においては、根管も扁平な形かあるいは2本の根管が存在すると考えて拡大・形成を行う必要がある。•対象の歯に考えられる最大の根管数を常に考慮して根管探索を行う:たとえば、上下顎小臼歯であれば2根管、上下顎大臼歯であれば4根管を探す気持ちで根管探索を行う。

図4:歯内療法に関連の深い主根管に付随する解剖学的形態

•多くの根管にはイスムスやフィンが存在する(図4):通常歯内療法で用いる器具は根管を円形にしか拡大・形成できない。したがって、イスムスやフィンを意識した拡大・形成を行わなければ、感染源や感染の経路が残存することになる。•根管にはしばしば凹みがある(図4):歯頚部あたりの狭窄により根管中央部付近には根管口より根管が広がり凹み(アンダーカット)となる部位が存在することが多い。まっすぐな器具で根管壁を形成しても凹んだ部分には器具が触れず、軟組織や感染源が残存しやすい。超音波器具を用いた洗浄などが必要になる。•エックス線写真上で根管のラインの濃淡が急に変化している場合は、根管に分岐や合流、湾曲などの変化がある:エックス線写真上で患歯の歯内療法の難易度を事前に予測できれば、根管の見逃しや偶発症の生じる確率が小さくなる。(個々の歯種については次回解説の予定です)

2.トランスポーテーション(transportation) 根管解剖において示したように、ほとんどの根管は湾曲している。その湾曲した根管に器具を入れて不用意に拡大・形成を行うとオリジナルの根管を逸脱した根管形成となる。形成後の根管がオリジナルの根管形態から逸脱してしまうことをトランスポーテーションと言う(図5)。歯内療法の教科書に記載されている、

レッジやジップなどもトランスポーテーションが生じた結果の形態であり、生じた部位の違いで名称が異なっていると考えられる。根管の象牙質は軟らかいため、剛性が強い器具で湾曲部を形成するとすぐに根管の直線化(=トランスポーテーション)が生じているのが現実である。

図5:トランスポーテーション.下向き矢印の部分が形成されずに残されたオリジナルの根管である.過剰に切削された根管はガッタパーチャポイントで充填されている

 トランスポーテーションが生じると、健全な根管壁を削ってしまうだけでなく、根管内の感染源の除去が望めない。さらに、一度トランスポーテーションが生じると再治療においてオリジナルの根管を拡大・形成することは非常に困難となる。したがって抜髄処置の時など、始めて根管に器具を挿入する歯科医師の責任は非常に重い。

図6:トランスポーテーションにより人工根管が生じていた下顎小臼歯の症例.実線がオリジナルの根管で,破線が人工的に形成された根管.人工根管にはガッタパーチャポイントが緊密に充填されている

 研究による報告では、ステンレススチール製ファイルを用いた場合の根尖付近におけるトランスポーテーションは、45度の湾曲根管の場合、0.6㎜程度と報告されている。臨床においては、根管を逸脱して人工根管を作っている症例に遭遇することもある(図6)。このような症例では、処置を行った歯科医師は健全と考えられる白い象牙質が出てきたので根管拡大を完了して、根管充填を行ったと想像される。しかし、感染源が除去されなければやはり臨床症状は消失しない。 歯内療法において原因菌とされる細菌の大きさが約1~3▊(0.001~0.003㎜)であることを考えると、0.6㎜のトランスポーテーションは感染が持続するために十分すぎる空間となる。たとえば、作業長は適切に設定されて根管充填がなされているにもかかわらず根尖病変が存在する症例では、根尖付近のトランスポーテーションが生じた部分に感染源が残存している可能性がある。しかし、通常歯内療法を評価しているデンタルエックス線写真では、トランスポーテーションの確認は困難である。なぜなら、エックス線写真ではトランスポーテーションの変位量程度では明瞭な確認は不可能なことや、エックス線写真上に現れない方向にトランスポーテーションが生じることも多いからである。 以上のように、トランスポーテーションは根尖付近に感染源を残存させ、歯内療法の予後を不良にする原因となるので、根管の拡大・形成においては最も避けなければならない問題である。これまでの歯内療法における様々な根管形成法の開発の歴史は、このトランスポーテーションを避けるために行われて来たと言っても過言ではない。 (つづく)

「緒言」 平成20年に大阪府歯科保険医協会の研修会において、“歯内療法成功の鍵-特に抜髄を成功させるために-”のタイトルで講演する機会を頂いた。今回はその時の講演内容を中心に、歯内療法において是非とも理解しておかねばならないことであるが案外忘れがちな項目である、“臨床根管解剖”と“トランスポーテーション”および“感染の機会”の3つのテーマについて3回の予定で連載します。会員の先生方の明日からの臨床にすぐ役立つ内容にと心がけて執筆しましたので、ぜひご一読の程よろしくお願い致します。

1.臨床根管解剖 歯の解剖は歯科医師なら誰でも、学生時代に学ぶ科目ですが、対象を歯内療法に絞って解説した解剖に関するまとめは案外見かけません。また、歯学部学生の歯内療法の講義においても、根管解剖が特別に説明されることはほとんどありません。しかし、多様な形態を示す根管のバリエーションを知らずに確実な歯内療法を行うことは不可能です。そこで、今回は歯内療法において考慮すべき根管解剖について以下に列記して解説します。[すべての歯種において考慮すべき項目]•平均的な歯根長は12㎜である:根管口の拡大はその上部1/3の約4㎜を目標とする。

•ほとんどの根管は湾曲している:97%の根管は湾曲していると報告されている。エックス線写真上では見えない湾曲が存在することも常に考慮して器具を挿入する。

図1:根尖付近の病理組織像(CohenS,HargreavesKM:Pathwaysofthepulp,9thed.MosbyInc.2006.より改変)

•根尖部付近の解剖の理解(図1):生理的根尖孔と解剖学的根尖孔の違いを理解する。解剖学的根尖孔は70~80%の割合で、エックス線上での根尖端と一致しない。抜髄治療においては生理的根尖孔まで操作を行うと生理的な根尖部の閉鎖が期待できる。ただし、根尖のセメント質が根管の最狭窄部となるとは必ずしも限らず、根管壁の象牙質が狭窄して生理的根尖孔よりも歯冠側に最狭窄部が生じることもある。この狭窄は歯髄への刺激や加齢などの影響を受けるため、個々の歯により状態が異なる。

図2:根尖の狭窄部のさまざまな形態と割合

 Dummerらにより報告されているさまざまな根尖狭

(第三種郵便物認可) 2009年2月15日大阪歯科保険医新聞 (5、15、25日発行)(10)