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東レリサーチセンター The TRC News No.116(Mar.2013) 23 ●高分解能LC/MS/MSによる精密質量測定 1.はじめに LC/MS法では複数の有機化合物が混在した試料で も、分取等の煩雑な操作無しに、各化合物の分子量を把 握することができるため、研究開発の高速化に大きく寄 与してきた。近年、質量分析計の質量精度、分解能の著 しい向上に伴い、分子量関連イオンのみならず、MS/ MSフラグメントイオンにおいても、精密質量値が得ら れるようになってきた。精密質量値を組成演算すること で、組成式が得られるため、これを元に構造解析が行え る。精密質量値を得ることで、信頼性の高い組成式を得 るに至り、新たな質量分析法による構造解析の道が開か れてきた。ここでは、高分解能質量分析計を用いた構造 解析の例を紹介する。 2.高分解能質量分析計 電場型フーリエ変換質量分析計(FTMS)を用いた高 分解能LC/MS/MS法では、高精度・高分解能で質量分 析を行うことができる。以下に、本装置による染料の解 析例を示す。 2.1 質量精度と組成式 図₁に高分解能LC/MS/MSによる染料測定時のプロト ン化分子イオン( [M+H] )及びアイソトープイオンの 部分拡大図を示す。質量分析の結果得られたプロトン化 分子イオン( [M+H] )の「測定値」と、組成式から算 出された「理論値」の誤差は-0.0009 Daであり、高い測 定精度が実証された。精密質量値から組成演算を行うと き、精密質量値の精度は、組成式候補の絞込みに重要で あり、測定誤差が小さい程、演算の結果得られる組成式 候補数も少なくなる。一例として、表 1m/z 653.1263 の組成演算結果を示す。0.001 Da以内の測定誤差を保証 できるなら、2つの組成候補に絞り込めるが、保証でき る測定誤差が0.005 Daになると、組成式候補は5個、更 に保証できる測定誤差が0.010 Daまで大きくなると9の組成式候補が算出され、保証できる誤差の増大と共に 組成式候補数は増加する。高い測定精度は、その後の組 成式推定を容易なものにする。 [M+H+2] + 655.1221 12 C32H25O6N6 32 S 34 S [M+H+1] + 654.1288 12 C31 13 CH25O6N6 32 S2 図1 染料のプロトン化分子イオン及びアイソトープイオン (部分拡大図) 表1 m/z 653.1263の組成演算結果 2.2 質量分解能とピーク分離 質量精度の高い質量分析計であれば、低分解能質量分 析計であっても、ピークトップの質量を把握すること で、精度の高い精密質量値が得られるはずである。我々 が測定する試料は、標準物質のように高度に精製された 化合物ばかりではなく、むしろ、多種多様な化合物が混 合したものの中から、興味ある成分の構造解析をしてい るのが常である。LCで分離したとしても、LCクロマト グラムの1ピーク中に複数成分が重なっていることは珍 しくない。 2は、染料測定時のプロトン化分子イオンのアイソ トープイオン( [M+H+2] )を、分解能を変えて測定し たときの、ピーク分離状態を示した例である。 [M+H+2] イオンには 34 S13 Cアイソトープ由来のピークが検出さ れる領域であるが、低分解能(分解能 35,000:図₂下 段)測定では質量ピークは1本しか検出されないが、高 分解能(分解能 140,000:図₂上段測定を行うと、 34 S 13 C2由来の、2本のピークに分離する。異なる組成のイ オンが重なってしまうと、ピークトップでの質量値は誤 差を含むため正しい精密質量値を得ることができず、測 定精度の低下を招く。精度の高い精密質量値を得るため には、質量ピークが他の組成のピークと、質量的に分離 している必要があり、精密質量測定においては高分解能 測定が必要となってくる。 高分解能LC/MS/MSによる 精密質量測定 有機分析化学研究部 井口 詔雄

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東レリサーチセンター The TRC News No.116(Mar.2013)・23

●高分解能LC/MS/MSによる精密質量測定

1.はじめに

 LC/MS法では複数の有機化合物が混在した試料でも、分取等の煩雑な操作無しに、各化合物の分子量を把握することができるため、研究開発の高速化に大きく寄与してきた。近年、質量分析計の質量精度、分解能の著しい向上に伴い、分子量関連イオンのみならず、MS/MSフラグメントイオンにおいても、精密質量値が得られるようになってきた。精密質量値を組成演算することで、組成式が得られるため、これを元に構造解析が行える。精密質量値を得ることで、信頼性の高い組成式を得るに至り、新たな質量分析法による構造解析の道が開かれてきた。ここでは、高分解能質量分析計を用いた構造解析の例を紹介する。

2.高分解能質量分析計

 電場型フーリエ変換質量分析計(FTMS)を用いた高分解能LC/MS/MS法では、高精度・高分解能で質量分析を行うことができる。以下に、本装置による染料の解析例を示す。

2.1 質量精度と組成式 図₁に高分解能LC/MS/MSによる染料測定時のプロトン化分子イオン([M+H]+)及びアイソトープイオンの部分拡大図を示す。質量分析の結果得られたプロトン化分子イオン([M+H]+)の「測定値」と、組成式から算出された「理論値」の誤差は-0.0009 Daであり、高い測定精度が実証された。精密質量値から組成演算を行うとき、精密質量値の精度は、組成式候補の絞込みに重要であり、測定誤差が小さい程、演算の結果得られる組成式候補数も少なくなる。一例として、表 1にm/z 653.1263の組成演算結果を示す。0.001 Da以内の測定誤差を保証できるなら、2つの組成候補に絞り込めるが、保証できる測定誤差が0.005 Daになると、組成式候補は5個、更に保証できる測定誤差が0.010 Daまで大きくなると9個の組成式候補が算出され、保証できる誤差の増大と共に組成式候補数は増加する。高い測定精度は、その後の組成式推定を容易なものにする。

[M+H+2]+ 655.1221

12C32H25O6N632S34S

[M+H+1]+ 654.1288

12C3113CH25O6N632S2

図1  染料のプロトン化分子イオン及びアイソトープイオン(部分拡大図)

表1 m/z 653.1263の組成演算結果

2.2 質量分解能とピーク分離 質量精度の高い質量分析計であれば、低分解能質量分析計であっても、ピークトップの質量を把握することで、精度の高い精密質量値が得られるはずである。我々が測定する試料は、標準物質のように高度に精製された化合物ばかりではなく、むしろ、多種多様な化合物が混合したものの中から、興味ある成分の構造解析をしているのが常である。LCで分離したとしても、LCクロマトグラムの1ピーク中に複数成分が重なっていることは珍しくない。 図2は、染料測定時のプロトン化分子イオンのアイソトープイオン([M+H+2]+)を、分解能を変えて測定したときの、ピーク分離状態を示した例である。[M+H+2]+

イオンには34S、13Cアイソトープ由来のピークが検出される領域であるが、低分解能(分解能 35,000:図₂下段)測定では質量ピークは1本しか検出されないが、高分解能(分解能 140,000:図₂上段)測定を行うと、34Sと13C2由来の、2本のピークに分離する。異なる組成のイオンが重なってしまうと、ピークトップでの質量値は誤差を含むため正しい精密質量値を得ることができず、測定精度の低下を招く。精度の高い精密質量値を得るためには、質量ピークが他の組成のピークと、質量的に分離している必要があり、精密質量測定においては高分解能測定が必要となってくる。

高分解能LC/MS/MSによる精密質量測定

有機分析化学研究部 井口 詔雄

24・東レリサーチセンター The TRC News No.116(Mar.2013)

●高分解能LC/MS/MSによる精密質量測定

図2 分解能の違いとピーク分離状態

2.3 構造解析補助手段 イオンの組成演算を行うにあたり、そのイオンが持っている元素の種類、数の範囲を絞り込めれば、組成式の候補数も絞り込みが可能となる。元素及びその数を絞り込む補助手段として、幾つかの元素についてはアイソトープの質量、イオン強度から元素種、数を、ある程度絞込むことができる。図1の、[M+H+1]+イオンには13Cアイソトープ(同位体存在度 1.15%)ピークが、 [M+H+2]+イオンでは分解能が高ければ、34Sアイソトープ(同位体存在度 4.25%)ピークが検出され(図₂)、[M+H]+ピークとの強度比から分子内のC(炭素)、S(硫黄)数を推定できる。アイソトープのイオン強度比から分子内の存在数を推定できる元素種類は、現在の分解能ではまだ限りがあるが、更に高分解能化が進むことで、質量分離できるアイソトープが増えることが期待される。

3.色素のMS/MS解析例

 色素のLC/MS測定において検出されたプロトン化イオン([M+H]+)をプリカーサーイオンとし、衝突誘起解離により生じたフラグメントイオンを解析し構造解析を行った例を図3に示す。

3.1 フラグメントイオンの解析 染料の測定例では、低質量域にC12H10N、C10H8NO3Sの組成式を示すイオンが検出され、それよりも低質量域にはフラグメントイオンが検出されていないことから、これら二つのイオンは、結合エネルギーの高い骨格部位を持った構造と推定された。C12、C10という炭素数に対して、それぞれH10、H8と、H(水素)数が少ないことから、不飽和部位を複数持つ構造が考えられ、ビフェニル骨格、スルホン化ナフタレン骨格の存在が推定された。また、これら骨格にはN(窒素)が結合しており、骨格間結合の部分構造と考えられた。

図3 染料のMS/MS法による構造解析

3.2 ニュートラルロスからの構造解析 高質量域でのS(硫黄)を含む中性の脱離イオン(ニュートラルロス;SO2、SO2H、SO3)の存在からスルホン酸基の存在が、HN2ニュートラルロスからアゾ結合隣接アミンの存在が推定された。また、C10H5ニュートラルロスから、ここでもナフタレン骨格の存在が推定された。

 以上の検出された部分構造化から、この染料はビフェニル骨格、スルホン化ナフタレン骨格がアゾ結合していると推定された。また、結合位置は特定できないが、アゾ結合の隣接部位にアミンがある構造と推定された。

4.おわりに

 高分解能LC/MS/MS法により、分子量関連イオンの組成式を把握することができた。また、衝突誘起解離により生じたフラグメントイオン、パターンを解析することで部分構造を推定することができた。本測定手法を用いることで、(1︶添加剤、色素等の構造解析(2︶オリゴマーの解析(3︶分解生成物の構造解析(4︶不純物の構造解析等に有益と考える。

■ 井口 詔雄(いぐち のりお) 有機分析化学研究部 第₁研究室 主席研究員

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