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- 243 - 宇都宮大学教育学部教育実践紀要 第2号 2016年8月1日 学びの質を高めるカリキュラムと授業づくり ―和光小学校のカリキュラムづくりを通して― 麦倉 智美 ・青柳  宏 ** 宇都宮市立宝木小学校 宇都宮大学教育学部 ** † Tomomi Mugikura*, Hiroshi Aoyagi**: The curriculum which improves the quality of the learning Keywords: quality of the learning, learned ability,curriculum, lesson ,experience * Takaragi Elementary school, Utsunomiya ** Faculty of Education,Utsunomiya University (連絡先 :[email protected] 著者 2) 概要 学力を育むとは,社会が必要とする学力や知識の量ではなく,五感や感性など人間本来がもつ力を大 切にしながら,物事への興味・関心を高め,学び続ける力を育てることである。目の前の子どもの姿や思い などから出発してつくるカリキュラムや授業は,学びが生活に根ざし,子どもからはじまり,子ども主体で 進むため,学びを実感したり,自分をより豊かにしていると感じたりすることができるようになる。この主 体的な学びは学びの質を高めるのに有効である。そのためには,体験を通して学ぶこと,実感をともなうこ と,学びのつながりを意識すること,真実を見抜く目をもつことなども大切である。学びを支えるのは教師 であり,教師の質を高めることも学びの質を高めることにつながる。 キーワード:学びの質,学力,カリキュラム,授業,体験 1.はじめに ゆとり教育から学力向上へ進んでいると報道さ れ,現場では,学力テストの数値をいかに上げるか を学力とみなす傾向が強く,学力向上を目指した授 業の質的改善として,どういう指導法がよいのかを 模索している。改善点を探りに,全国学力テスト上 位県の学校へ視察に行った。参観した授業は学ぶべ き点が多かったが,何のために,また誰のために学 ぶのか,学ぶ意味や目的を子ども達は感じているの かという疑問が生まれた。学力向上策は学びの質を 高めることにつながるのだろうか。 教師の仕事は,未来を担う子ども達に学びの楽し さと学びの質を保障できる授業をしていくことであ る。学びの質的転換が叫ばれる中,学力とは何か, また学びの質を高めるために大切なことは何かを, 明らかにしたいと考え,本研究テーマを設定した。 研究に際しては,子ども中心主義で生活や総合学 習を早くから実践し,学力についても研究を重ねて いる和光小学校を取り上げる。この学園は,和光小 学校と和光鶴川小学校の二校あるが,理念はほぼ同 じため,両校の取り組みを発表要項並びに和光小学 校は12月10日,和光鶴川小は1月30日に1回ずつ参 観し分析する。 2.和光小学校の概要 和光小学校は,和光学園に所属する私立小学校で, 東京都世田谷区にある。町田市には和光鶴川小学校 があり,どちらも幼稚園が併設されている。 行田稔彦氏 1) によると和光小学校は,1933年に成 城小学校を母胎として創立された。児童中心の個性 を尊重する「大正自由教育」が強く息づく学校だ。 戦後,一時は閉鎖に追い込まれたが「コア・カリ キュラム連盟(現 日本生活教育連盟)の実験校と して再生した。1970年代,「詰めこみ主義ではなく, わかる授業づくり」を進めるために「手づくりの教 育」(テキストの自主編成)で臨み,小中高校で「教 師による手づくり教材による授業」や「総合学習の 授業」「選択授業」が開始された。80年代に「詰め こみ教育」の破綻により,文部省は「ゆとり教育」 を打ち出し,「生活科」や「総合学習」を始めたが, 和光はそれ以前から,文部科学省のものとは違うが 「生活べんきょう・総合学習」に取り組み「学ぶこ とが楽しい」学校をつくろうとしていたのである。

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宇都宮大学教育学部教育実践紀要 第2号 2016年8月1日

学びの質を高めるカリキュラムと授業づくり †―和光小学校のカリキュラムづくりを通して―

麦倉 智美 *・青柳  宏 **

宇都宮市立宝木小学校 *

宇都宮大学教育学部 **

 † Tomomi Mugikura*, Hiroshi Aoyagi**: The curriculum which improves the quality of the learning

Keywords: quality of the learning, learned ability,curriculum, lesson ,experience

 * Takaragi Elementary school, Utsunomiya ** Faculty of Education,Utsunomiya University (連絡先 :[email protected] 著者 2)

概要 学力を育むとは,社会が必要とする学力や知識の量ではなく,五感や感性など人間本来がもつ力を大切にしながら,物事への興味・関心を高め,学び続ける力を育てることである。目の前の子どもの姿や思いなどから出発してつくるカリキュラムや授業は,学びが生活に根ざし,子どもからはじまり,子ども主体で進むため,学びを実感したり,自分をより豊かにしていると感じたりすることができるようになる。この主体的な学びは学びの質を高めるのに有効である。そのためには,体験を通して学ぶこと,実感をともなうこと,学びのつながりを意識すること,真実を見抜く目をもつことなども大切である。学びを支えるのは教師であり,教師の質を高めることも学びの質を高めることにつながる。

 キーワード:学びの質,学力,カリキュラム,授業,体験

1.はじめに ゆとり教育から学力向上へ進んでいると報道され,現場では,学力テストの数値をいかに上げるかを学力とみなす傾向が強く,学力向上を目指した授業の質的改善として,どういう指導法がよいのかを模索している。改善点を探りに,全国学力テスト上位県の学校へ視察に行った。参観した授業は学ぶべき点が多かったが,何のために,また誰のために学ぶのか,学ぶ意味や目的を子ども達は感じているのかという疑問が生まれた。学力向上策は学びの質を高めることにつながるのだろうか。 教師の仕事は,未来を担う子ども達に学びの楽しさと学びの質を保障できる授業をしていくことである。学びの質的転換が叫ばれる中,学力とは何か,また学びの質を高めるために大切なことは何かを,明らかにしたいと考え,本研究テーマを設定した。 研究に際しては,子ども中心主義で生活や総合学習を早くから実践し,学力についても研究を重ねて

いる和光小学校を取り上げる。この学園は,和光小学校と和光鶴川小学校の二校あるが,理念はほぼ同じため,両校の取り組みを発表要項並びに和光小学校は12月10日,和光鶴川小は1月30日に1回ずつ参観し分析する。

2.和光小学校の概要 和光小学校は,和光学園に所属する私立小学校で,東京都世田谷区にある。町田市には和光鶴川小学校があり,どちらも幼稚園が併設されている。 行田稔彦氏 1)によると和光小学校は,1933年に成城小学校を母胎として創立された。児童中心の個性を尊重する「大正自由教育」が強く息づく学校だ。 戦後,一時は閉鎖に追い込まれたが「コア・カリキュラム連盟(現 日本生活教育連盟)の実験校として再生した。1970年代,「詰めこみ主義ではなく,わかる授業づくり」を進めるために「手づくりの教育」(テキストの自主編成)で臨み,小中高校で「教師による手づくり教材による授業」や「総合学習の授業」「選択授業」が開始された。80年代に「詰めこみ教育」の破綻により,文部省は「ゆとり教育」を打ち出し,「生活科」や「総合学習」を始めたが,和光はそれ以前から,文部科学省のものとは違うが「生活べんきょう・総合学習」に取り組み「学ぶことが楽しい」学校をつくろうとしていたのである。

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3.学力観と学力向上策(1)学習指導要領 平成10年の改訂では「生きる力」の育成として,「確かな学力」「豊かな心」「健やかな体」が掲げられ,教育内容の厳選や総合的な学習の新設が実施された。平成20年の改訂では,外国語活動の導入,授業時間の増,指導内容は厳選から充実へと大きく変化した。学力の三要素として「個別の知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体的に学習に取り組む態度と具体化」を挙げ,「ゆとり」か「つめこみ」かではなく,これからの社会において必要となる知・徳・体のバランスのとれた「生きる力」をより効果的に育成するとしている。教育課程企画特別部会「論点整理」2015年8月2)では,育成すべき資質・能力の要素を「何を知っているか・何ができるか(個別の知識・技能)」,「知っていること・できることをどう使うか(思考力・判断力・表現力等)」,「どのように社会・世界と関わり,よりよい人生を送るか(学びに向かう力,人間性等)」の「三つの柱」で考え,カリキュラム作成では,知識の内容だけではなく「それを使ってどのように社会・世界と関わり,よりよい人生を送るか」まで視野に入れ議論している。他にも,キー・コンピテンシー,人間力,基礎的・汎用的能力など多くの考え方がある。(2)全国学力テストの学力 学力と言えば,全国学力テストの結果を学力とする傾向が強い。奈須正裕氏 3)は「従来型の知識の習得を問うA問題に加え,知識の活用を問うB問題が開発・実施されたが,A問題の堅調さに比べB問題の不振」をあげ,学力が今までのコンテンツ(知識)重視の学力観とあまり変わっていないことを嘆いている。さらに「B問題は,所詮はペーパーテストであり,短時間の個人作業としての問題解決に過ぎない。現実の問題解決は,時に長期にわたり,多様な他者との協働や対立のただ中で取り組むのが常道であろう。A問題同様,B問題も教育の最終ゴールではないのである。」としている。つまり,知識ややり方だけ覚えておけばよい一部の学力であり,「それを使ってどのように社会・世界と関わり,よりよい人生を送るか」は含まれていないのである。(3)和光からみた日本の学力 和光鶴川小は日本の学力について次のように述べている。「日本型学力の特徴は,第一に「できる」けれど「なぜできるのかわからない」ということで

ある。これは,公式などの暗記とそれによる操作能力の形成が中心で,物事の本質的な「理解」がないがしろにされているからである。学力は「高い」にも関わらず,勉強は「嫌い」だという子どもが多数を占めている。これは学んだことが自らの生活や自分自身にどのくらい関係があるかが明示的に教えられていないからである。自己肯定感の低さは,学歴主義,受験競争至上主義的な学習観から私たちが自由になれていないことの反映であり,意味も分からない学習をひたすら我慢して続けさせられることの結果である。子どもの学力が個人的な考えや思考に閉じたものになっていて,異質な他者の思考やコミュニケーションに開かれたものになっていない。」また,「「個に応じた教育」の名のもとに「教育の平等性」が否定され,子ども達は,小さいうちから他者と比べられ,自信を持てず人間関係をうまく持てずに孤立している。」(和光鶴川,2006:6-10) 和光小は,「「世界トップレベルの学力」を目標とする国の「学力向上策」が最優先され,「過去問学習」や「ドリル学習」により,学校行事が削られるなど,子どもたちから「学ぶ喜び」や「学ぶ楽しさ」が奪われている。」と「学力向上策」による学ぶ意欲の低下や子ども達の学びのゆがみを危惧している。また,「格差社会の中で「生き残る」ための「学力」をつけることが子どもの未来を保障することだという考えから,果てしない学力競争へ子どもを追い込む親も少なくない。」とし親への影響も心配している。その上で子ども達の学びが「子ども自身が「学びたいこと」から出発するのではなく,国家や財界の必要性から出発する学び,「全国学力テスト」体制に顕著に表れるような,ペーパーテストでのみ測られるような一面的な「学力」の押し付け,自己実現のためではなく,競争の手段としての学び,知的好奇心から生まれる学びではなく,外的要因から出発する学び,自分の成長を確かめるのではなく,自分の「地位」を確かめさせられる学び,自己の将来を決定させられるための学び,家庭の経済状況に左右される学び,戦争に違和感を持たなくなるための学びになっているのではないか。こういった状況を変えていくためには,本来の人間発達に沿った形での学びの追求とそれを保障する学校づくりが必要である。」と述べている。(和光,2015:47-50) 和光の指摘は,学力や教育の本質を再考せざるを得ないものである。まさに今,本来の人間発達に沿っ

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た形での学びの追求が必要である。(4)主体性と思考力を奪う学力向上策 全国学力テストの目的 4)には,「義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点」や「検証改善サイクルの確立」をあげているが,実際は,「均等」が県や学校間の競争をうみ,「水準の維持」が一部の学力のための学力向上改善策につながり,「検証改善サイクル」も質よりも量や速さを求められ,子ども達の学びにゆがみを生じさせている。結果のみを求めた過剰な支援によって困難をできるだけ排除し,試行錯誤する機会を失い,学べるはずのものが学べない。やり方や結果だけを教えることで思考が止まり,自ら社会に立ち向かう力を剥ぎ取り,主体性も自信もない子ども達にしてしまっているのだ。 教師も学力に振り回され,目の前の子どもを見ることなく学力向上のやり方だけを取り入れたり,指示された通りに指導するだけになったりすることで,教師としての主体性と思考力も奪われている。(5)学力と教育の現状 PISAなど様々な学力調査において高順位を得たいという動向は,世界の中での日本の位置を高めたいという経済や政治の力が大きく影響し,働いて国のために役立つ有益な人材を育てたいという動きが見える。一人一人の幸福よりも,社会や経済に役立つ人を育てるということを前提にしている。経済が豊かになることも必要だとは思うが,果たしてそれが人間の幸せにつながるのだろうか。人間の幸せがあっての豊かさではないかと考える。 学びは「役立つ」か「有効か」の価値判断で決めるのではなく,本人が「知りたい」「やってみたい」ことを学ぶのが本来の学びであり,主体的な学びだ。国の求める人間になるために必要な能力を身に付けることではない。子ども達の学力を社会に合わせ,テストの結果のみで数値化することは,学力の偏りや競争,そして教員の焦りを生み,主体性や思考力を奪い取り,教育の本質や目的を見失うことにもつながるため早急な見直しが必要だ。

4.和光の学力観 和光小の教育のめあては,特定の分野ではなく,子ども達が「全体的に発達していく」ことを目指している。全体的とは,「子ども達を(発達の)基礎から着実に育てること」でもある。また,和光は「民主的な社会の担い手にふさわしい確かな知恵と自治

的な力を育てる」とあるが,相手に合わせるだけでなく,まず自分の考えを持ちはっきり言うことを前提に考えている。さらに「平和を愛すること」や「すぐれたものに感動する豊かな感性とみずみずしい感覚を育む」とある。「みずみずしい感覚」というのは,和光ならではの言葉である。これらのめあてを達成するために,和光は学力を狭い定義でとらえず,「生きる力につながる学力」として育てることを大事にし,確かな学力3つを挙げている。 ①人間の能力発達にかかわる学びの総体としての学力として,「事実に即してものごとをとらえる力」「事実の裏にある論理をとらえる力」「ものごとを探究しようとする態度」 ②学び手自身の目標と結びつく学力として,「知を関連させ,生かし,発展させる力」「自分自身の目標と結びつく学び」 ③社会の主人公として生きる学力として「自分を理解し,自己肯定感につながる力」「他者を理解し,異質な思考やコミュニケーションにひらかれた力」「自分と世界とのつながりが見え,自分の生き方を考える力」(和光,2015: 60-61,65-66) 和光は,「学ぶとは獲得した知識を「生きる力」に転化することである」としている。知識だけではなく,それを生きる力として転化するところまでを学びとしているのだ。だからこそ事実に即して物事をとらえ,社会の主人公として主体的に生きていく人を育てることを目指している。それに対して,“学習指導要領が明らかにしている学力は,「国家が求める人間,国家がコントロールしやすい人になってほしいのか?」” とし,“文部科学省が使う「学力」は,「学力テストの学力」という方がわかりやすい” と和光の考える学力とは違うとしている。(和光,2015: 52,78) 和光は,国家が求める人間ではなく,社会の中で自分らしく生きていける人間を育てたいという願いが感じられる。国のためではなく,まず一人一人が幸せに生きるためにどのような力を育てていくかを考えることが学力につながるのではないだろうか。

5.和光のカリキュラム・授業づくり(1) カリキュラムの自主編成 和光は,カリキュラムを自主編成している。編成の原則は「目の前の子どもから出発するカリキュラム」だ。なぜなら「それぞれの学校における子ども

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の発達の実態は多様であり,一律ではないことを踏まえ,子ども達の具体的な発達の課題を明確にし,どういう教育活動によって発達を保障していくのかを考えればカリキュラムは個性的になる。そして本当に子ども達にとって意味のあるものになるには,学校独自のものにならざるを得ないものである。」と和光は考えているからだ。(和光,2015:51) カリキュラムは教員が議論を重ねて作成している。教科書ありきではなく,子どもたちに合うよう教材を選択し,配列も検討している。また,計画通り実施することは求めておらず,子どもや社会の実態に合わせ,よりよいものに変更することが,教師の裁量として認められている。目の前の子どもたちにカリキュラムを合わせることを日常的に行っている。(2)目の前の子どもから出発するカリキュラム 現在の学びは子どもからではなく社会や競争から出発している。しかし目の前の子どもから出発してつくるカリキュラムは,子ども達の疑問や課題など「学びたいこと」からうまれる学びである。それは生活に根づいたものであり,人間の発達に沿って人間の基礎を育てるものになる。だから子ども達は学ぶ目的や意味を感じることができるし,発達には無理や偏りがない。主体性もいかされ,自然に解決へ向けて子ども達は思考し続けることができるのだ。目の前の子ども達から出発するカリキュラムづくりは,本来の人間発達に沿った学びになる。それは学校が本来あるべき姿を取り戻し,子ども達に手段としてではない「学び本来の楽しさ」を保障し,「生きる楽しさ」につながる。「生きる楽しさ」を育むことは,日本の若者の低い自己肯定感を底上げする原動力にもなるのではないだろうか。(3)教育の本質 2016年度,和光小はカリキュラム改訂をする。しかし,学習指導要領や教育状況が大きく変わる中,和光のカリキュラムはあまり変わらない。見直した結果,変更は子ども達の体の成長の早さに合わせて性教育の分野を組み込むことぐらいだ。道徳の特別教科化は,今までの教育できちんと行えている,外国語活動でも英語に偏ることなく,様々な国とコミュニケーション活動をしているので変更はない。それは,カリキュラムを目の前の子どもから出発する子ども中心主義で作成し,子ども達の変化に合わせ,日常的に教材研究し,よりよいものに変更しながら実施してきたため大きく変える必要がない。ま

た,時代や社会が求めるものが変わっても変わらない,人間本来の発達を大切にすることを,教育の本質としてはじめからきちんと見抜いて取り組んできたからこそ, 変える必要がないのである。今は,目の前の子どもを見ずに,メディアの情報に振り回されることで,教育が迷走しているのかもしれない。(4)子どもの実態から学びをつくること 和光のカリキュラムは,子どものペースや実感を大切につくられている。国語では,漢字の時間として子どもの生活の中に根差した言葉などを精選し677字学習する。1006字は多いと考えているからだ。数は少ないが,漢字の成り立ちや意味をしっかり学ぶ。ひらがなは1年,カタカナは2年で学び,子どもが文字に出合い使う喜びを実感できることを保障している。算数では,小3から細切れで出てくる分数を,1を分ける操作は難しいと考え,5年で導入している。小数は3年で小数第4位まで扱う。子ども達が興味を持ち,知りたいと思う気持ちを後回しにはしない。スパイラルに教え込むのではなく,子どもの発達や生活に合わせて進められるカリキュラムであり,授業も字や計算などの持つ意味や内容,構造,仕組みを理解することを大切にしている。 社会6年歴史は「おじいちゃんおばあちゃんが生きた時代,お母さんお父さんが生きた時代」からはじめる。子どもが自分で聞き取りをしたり,情報を集めたりすることで歴史と自分とのつながりが実感しやすい時代から学習をスタートさせる。実感をともなうことを大事にしているのだ。テストのためではなく,「知りたい」から学ぶ構造になる。東日本大震災や原発事故についても,すでにある単元の中で意識していくことや,トピック的学習として取り入れることを検討し,社会の変化に柔軟に対応しているカリキュラムである。 「郷土に愛着を持たせる」とか「国を愛する心情を育てる」など,個人の心情まで踏みこむ内容には懸念を示している。こういうことは感じてほしいという願いは持ちながら授業はしているが,強要しない。それは,心情をもつ自由を子どもにも認めているからである。 理科や美術,音楽,工作・技術科は専科の教師がいるので,本格的な実験や体験を軸にしたカリキュラムが組まれている。体育は,他教科とのつながりを考え,アイヌ舞踏,荒馬,地域の踊り,エイサーなど民舞に取り組んでいる。和光では,教師の指揮

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のもと一糸乱れぬ行動をすることを子ども達に求めていない。結果や形式ではなく仲間と教え合い励まし合いながら,苦手なことに挑戦し,技を身に付けていく過程を集団で体験することを大切にしている。3年生の工作・技術科では,子どもの生活に根ざした本当に使える,遊べる,本物をつくる。ものをつくることで,生産と労働を学ぶこともできる。(5)生活べんきょう・総合学習の授業づくり 生活べんきょう・総合学習がカリキュラムの核となり,特に生活べんきょうは時数も多くとられている。これに合わせて他教科や行事も組み合わされている。子ども達は意図的に配置されたカリキュラムにより,教科間の学びが自然につながり,学びがいろいろな場面でいかされる経験を積むことで,学びの質も高めている。 「生活べんきょう」1年は梅干しづくり,針仕事,鉛筆削り,磁石で遊ぼう,2年は,パン作り,ヨモギ団子づくりなど,生活に根差した本物の内容を取り上げる。総合的な学習ではなく「総合学習」という。3年「カイコ」「大蔵大根」「韓国・朝鮮の文化」「体・病気・けが」4年「多摩川」「中国」「私たちのからだと成長」5年「食」「障がい・共生」「思春期の心とからだ」「異文化理解」6年「沖縄を学ぶ」「憲法とわたしたちの暮らし」である。テーマは試行錯誤して創り上げてきており,教材として魅力もあり,適しているから大きく変わらない。生活べんきょうや総合学習の授業をつくる観点は7つある。 「①体験と学習がつながっている」とは,「やってみる」という共通の体験から学習を出発させる。とりわけ学習の入り口に多様な豊かな体験が準備されている。パン作り,ナイフを使う。体験を通して子ども達の内側にある学びへの原動力が高まり,学習は進む。五感を通した学びは本を読んだだけではわからないものに気付かせてくれる。 「②子どもにとって魅力的な学習」とは,和光では,「知らせたいこと・わからせたいこと」から学習を組み立てるのではなく,この学習を通して子ども達に「何ができるか」「何がしたいか」を大切にした組み方をしている。「子ども達が疑問を持つとしたら,どんなことか」「子ども達はわかりたがっているか」という視点で単元内容を組んでいる。「机に向かってやる勉強」から「何かができる学習」「自分たちの好きなことができる学習」「自分たちが学んでくことが選択できる学習」へと作り変えてきた。

麦から育てるパン作りなど「魅力的な学習」の用意は,子どもの欲求を満たし,学ぶ楽しさにつながる。 「③「ほんもの」を求めることで深まる学習」和光の本物はすごい。本物のナイフを使って1年生が鉛筆を削る。教師は基本的な安全指導はきちんと行うが,本物だからこそ子ども達の緊張感と安全への自覚が高まる。6年での本物の包丁づくりは鉄を打つことから始める。情報化社会,バーチャルな世界に生きる子ども達にとって,写真や偽物でなく「ほんもの」だから,わかること感じることもあり,自分の生活にいかすこともできる。時間や手間はかかるが,「ほんもの」は,学習の質を高める。 「④「その道のプロ」や「素敵な人」との出会い」パン屋さん,包丁職人,ゲストティチャーなど学習から広がる人との出会いで,自分の生活や学習体験を越え,新しい文化や世界が見える。4年「多摩川」の学習では,ダムのために沈んだ村の住人に子ども達がアポイントを取り,取材していた。「食」を調べるためカンボジアに行き,現地の人に話を聞く。出会いを求めて,子ども達が動き出すエネルギーはものすごい。出会いによって閉ざされた知識が開かれた知識にもなる。 「⑤「消費者の立場」だけではなく「生産者の立場」で考えていく」和光は,労働現場に行くことが多い。農家や職人さんたちを訪ねて技を教えてもらうのだ。あめづくりを見る,養蚕農家の仕事を見せてもらうことで,消費社会の中ではわからない労働の大変さや技の素晴らしさに気付く。 「⑥問いが生まれる学習」わかりきったことを順序立てて,ていねいに教えることが必ずしも喜びとなっていくとは限らない。「子どものわかり方は多様」と和光は考えている。わかりきったことではなく,「これってどういうこと?」と謎がうまれ、解き明かす喜びを実感できれば,子ども達は確かに学ぶ意欲が本物になっていく。入学式になぞの種をもらって育て始める。1年生は、他の種にも興味を持ち,種を拾っては教室へ持ち込む。拾ってきたもの,食べ物の中から出てきたものなどを見つけては,教室で発表し,紙コップの中で育てるが,芽が出ないものもある。種の正体を突き止めることが学びにつながる。教師は,「拾ってきてはダメ。学習に関係ない。」とはいわない。子どもが持ち込んだものを教材にすることが,日常的に行われている。拾ってきた種からかんぴょうができて,干してあった。また芽が出

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なかった紙コップもたくさん並んでいる。問いが生まれるしかけが,巧みに用意されている。 「⑦失敗が許される学習」「失敗してもいいよ」と言われても,子ども達は失敗を恐れる。自分の評価を気にするからだ。そのため,子ども達はチャレンジしなくなり,意欲もなくなる。しかし,和光は,失敗が当たり前である。1年の鉛筆削りでは,第一回目は,うまくいかない。ここが学習のスタート。うまくできないから次はどうすればいいか,互いにつぶやきあいながら削り始めていた。「けずりかすがカールするといいんだよね」「○○さん持ち方危ないよ」つぶやきでみんなにつながる。追体験することで学びが生かされ成長する自分が実感できる。 和光小学校では,「本質的なこと」をできるだけみんなでじっくり話し合いながら学び取っていくことが大切だと考えている。時間をかけて身に付けたものはなかなか剥がれ落ちない。確かに,テストのために暗記した知識はすぐ忘れる。また,子どもは道草が好きだとも述べている。物事に引っかかり,自分が強く関心を持ったことに,こだわることを大切にし,それをしっかり時間をかけてみんなのものにしているのである。(和光,2015:104) 題材は,公立校と変わらないものも多いが,学習が子どもから離れない。それは,教師が子どもの実感につながるよう授業をよく考えてつくっており,時間や場所も保障されている。和光の教師はよく教材を探す。人,もの,場所など探してきた教材はしまっておく。子どもが学ぶ中で必要になったら,「こんなのどう」とさりげなく出す。教師は,子ども達が実感できるような教材を作ったり探したりすることを楽しむ。子どもの学びを一緒に楽しめる教師がいるからこそできることだ。(6)学習することの意味を実感させる 現在の授業では,獲得した知識が生活に根ざしていなかったり,本質的な意味が理解されていなかったりしている。算数の割合も公式や数直線で,機械的に授業の中では正答をだすことはできても,場面や数値が変わると,わからなくなる。和光の算数では,タイルを使って計算することで,計算の意味を理解させている。5年の「食」では,食べられるものをつくる。食べ物は身近であるが意外に作り方は知らない。豆腐,納豆,ソーセージ,米などをつくって食べることを通して,味だけでなく,生産と消費を実感できる。なぜそうなるのかを,きちんと理解

した上で学習を進める。実感をともなうには時間がかかる。しかし,和光は量ではなく質を大切にしているからこそできる学習である。(7)大人社会や現実の生活に結びついていることを自覚する学習 ISによるテロが頻繁に行われていた時期に,青年海外協力隊としてバングラディシュにいる教師の友人が,テロのため外出できず,今まで教えていた学校も離れなければならない状況が書かれていたメールを紹介する授業をしていた。子ども達は知るだけでなくその原文を読み,気になるところに線を引き,意見を交流させていた。子どもだって,テロや震災のことが心配で不安である。子どもだから難しいではなく,これからの社会を生きるからこそ,大人と一緒に考える。そして解決していかなければならないことを実感できるようにしている。 公立学校で,原発問題,テロ,環境問題,政治問題は取り上げにくい。しかし,「生きる」こと「命」に直結していることである。和光では,「生きることや命の大切さについて」真剣に考えることを願い,生きることにつながる本質的な「命」「体」「食べ物」「平和」「環境」などのテーマを多く取り上げている。これらの「生きること」に関わる本質的なテーマを取り上げているから,教育情勢や社会が変化しても大きく変える必要のない学習が和光にはあるのだと考える。また和光は,テーマだけでなく本質にせまれるような学習過程が保障されている。これが,学習を支えているからこそ,きちんと学びが成立し深まるのである。(8)自己肯定感を育てる学習 豊かな本物の学びでは「こんなことがわかった自分」「こんなことが考えられるようになった自分」を発見する。すると「自分に自信が持てる」ようになる。また,学ぶことによって「役に立つことが実感できる」こともある。○○が作れるようになったり,釣りができるようになったりすることで,家庭でも認められるようになる。現在は,自分の自信を失う学びが多い。それは,競争を強いられているからだ。評価を気にし,自分の本音を言わないようになる。和光の子ども達は,ずけずけものをいう。大人に対しても友達に対しても,本音で話す。初めて学校へ行くと,その話し方に驚き,受け止め方によっては道徳性のない自分勝手な子ども達と思うかもしれない。しかしそれは違うのだ。

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 自己肯定感は,話し方の例を示し,ルールを守り人にやさしくする行為を学べば育つと考えていた。そうすれば,その子の外見はいい子になり,周囲から認められ,自己肯定感が育まれる。しかし,意味がわからないことを押し付けられるだけでは,どうしてだろうと自分の中に葛藤が生まれ,自己否定や自己存在感を失うことにもつながる。 和光では,「できない自分」もきちんと出せる。本音で話す。それを受け入れてくれる仲間や先生がいる。本音で生きられるのである。最近の「学び合い」では同調を求める傾向が強い。互いが少しずつおれて合意していくことが多いが,適当にわかったふりをするよりも,自分と違う考え方があることを知り,相手を理解し納得することの方が,自分と相手を大切にできているのではないだろうか。同調できないからその人が嫌いというわけではない。和光は,自由だからこそ一人ひとりが自覚を持って生活している。自分でまず考え「違うと思ったことは違う」「わからないことはわからない」と言う。大人も友達も関係ない。簡単そうだが,自分も傷つくことがあるから難しい。民主的な社会の担い手は,適当に同調することではなく物事の本質を見極め,自分で判断し,違うと思うことは違うと言えることだ。そうしなければ,本質にせまることもできないし,戦争を繰り返すことにもつながる。 外国語活動の教科化に向けて,和光は英語ではなく国際理解を中心に進める。コミュニケーションは英語だけではないからだ。経済成長や将来役に立つからではなく,違いはまず身近なアイヌ,韓国,中国,インターナショナルスクールへと広がる。形だけ仲良くしようではない。差別や迫害の事実や,加害者である自分たちの歴史も知るのだ。それは,本質的に自他を理解することにつながる。 上辺や嘘ではなく,真実を知り本音で語り合うことを求めているカリキュラムや授業だからこそ,自分や相手を本当に大切する心が育ち,自己肯定感が育つのだ。そして本物の自己肯定感は真実を見る目とやる気を育て,実践力にもつながり,学びを支える土台となる。(9)伝えること,発信することを大事にしてきた 低学年は「発表」を大事に,中高学年も自分が学習してきたことを保護者や下級生に伝える活動をしている。保護者も協力的で,多摩川上流のダムへの引率,食を探して外国へ行くなど,大人も学習に参

加する。そういう保護者に発表するのだから,保護者の質問も的確だし,子どもの追究のすごさを実感できる。子ども達は,相手が真剣に聞いてくれる意識があるから,発表の質も高まる。和光では,「伝える活動を,自分が学んできたことを整理し軽重をつける作業で,これまで学んできたことの何が大切だったのかを選択し,価値づけ,意味づけをし,発信することに意味がある」と述べている。(和光,2015:102)一般的な「総合」の発表は,内容より見栄えの指導が多く,調べたことがうまく整理されないことが多い。そのため,子ども達は学んだことがつかめないまま終わってしまうこともあるのだ。

6.和光が大切にしていることから学ぶこと(1)体験を通して学ぶ 多摩川での生き物採取やパン作りなどの体験を通した学びは,学びへのきっかけになるだけではなく,学びを実感することができる。体験は準備に時間や手間がかかる。しかし生活に根づいた体験や五感を使った体験は,子どもの発達に即した学びになり,学習の基礎を育てる上で大切である。また深く子どもの心に残るものである。(2)人との出会い,その人の姿や表情,話の内容やもっている技に学ぶ 人との出会いが少なく,メールやSNSで用事が済んでしまう社会でも,人と会って直接話さないとわからないこともある。沖縄で戦争を体験した人の話は,表情や声の感じなど五感で感じることが多い。自分で感じたことは心に残り,生涯自分の中で対話し続ける材料にもなる。学校として人を呼ぶのは大変だが,学校を開き,人と出会うチャンスをどんどんつくることが大切である。(3)子どもから子どもへ伝え合うこと 総合の発表会などは子どもが伝え合いの主体者になる。子ども同士の伝え合いは,伝える側は学び直しの時間,伝えられる側は,学びの見通しだけでなく,表現や内容に共感できる。下級生は上級生の姿を見ることで憧れや見通しを持ち,上級生の学びが身近に感じられる。伝え合う意味づけと機会をもち,伝える方も聞く方もどちらにとっても学びになるような目的意識が必要だ。(4)集団の学びと個別の子どもの学びをつなぐ 鶴川小の生活べんきょう「世界の○○」5)では,世界のお金,世界の道具など自分が見つけたものを

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クイズにして発表する。授業では,道具を見せ,何の道具か,どこの国のものかを当てる。保護者のインドネシアの方もゲストでやってくる。インドネシアのスパイスをする道具なのだが,そこから授業が展開する。子どもが持ち込んだものが,みんなの学びになるのだ。それを使って作った食事をみんなで味見し,感想や質問を話し合う。食べ物から発展し,国の風土,風習,共通点まで発見していた。個別の子どもの学びが集団に広がる。この学習は,味覚,嗅覚,視覚,聴覚,触覚の五感を使う体験,インドネシアの方との出会い,子どもから子どもへの伝え合い,魅力ある題材設定,問いが生まれる授業など様々な要素が含まれた授業だった。 個と集団の還流を大切に学習が進められている。子どもが興味をもったことは教科書にないことでも大切にしたい。朝のサークル対話などで取り入れて,個の追究を集団へ広げたり,集団から個へ戻したりうまく結び付けていきたい。(5)和光小学校の抱える子ども達の課題から 和光は,「自然体験や遊びの体験がやせ細り,バーチャルの世界に生きる子ども達が多いことを踏まえ,バーチャルな世界を学びに取り入れることも視野へ入れながら,やはり実感できる体験を仕組みたいとしている。また,親世代も一緒に体験することの必要性」を述べている。(和光,2015:78-89)ICT機器の発達で,学校の学びですらバーチャルになりかねない。しかし,体験や遊びは,学びを実感,広げるきっかけになり,学びの質を高める手立てである。家庭での体験も少なくなっているからこそ,学校から学力のために体験を追い出すのではなく,五感を使う体験を取り入れることが大切だ。集団で学ぶことが難しい子どもに学ぶ楽しさをどう味わわせるかという点もあげている。和光は,「座っていられない子に「きちんとする」形だけ求めても,あまり意味がない,なぜその子がそうなのかを教師が寄り添いながら理解しようとする。その子がのめりこめるような教材を準備すること。つまり,方法だけでなく授業の内容づくりがポイントになるのではないか」と述べている。(和光,2015:78-80)ニイルとデューイの教育を実践する「きのくにこどもの村学園」の学園長の堀真一郎氏 6)の話によると,「ニイルの自由学校は,授業に出るのも生徒の自由だ。しかし,子どもが出たくない授業をつくること自体がおかしい。「きのくに」では,子どもが学びたくな

るような授業をつくることが教師の仕事だ。そのために教師は,この子が喜ぶかもしれないという姿を想像しながら,教材を用意する。その時間は教師として楽しい時間である」と言っていた。和光の教師も,教材を手作りしている。それでも,学びに入り込めない子どもを理解し,それに合う教材を用意しようという姿勢に頭が下がる。和光は,共同教育といって支援が必要な子どもも一定数受け入れている。教室を見て回ると,座れない子もいる。入り込めないからといって排除したり,その子を無理やり変えたりするのではなく,その子に合うよう教材を変えていこうという姿勢は学ぶ点が多い。日常的に成果と課題を洗い出し,変わり続けているから,和光のカリキュラムは,大きく変わることがないのかもしれない。(6)和光小学校の自治活動 和光の児童会の要望活動は,すごい。学校へ子ども達から要望する。「ランドセルは重いし荷物を入れにくいから廃止してほしい」「遮光カーテンをつけてほしい」「遊具を増やしてほしい」などだ。この要望と理由を子ども達が,教師へ説明する。公立なら,「無理です」と言われて終わりだ。実際に見た要望活動は,校長が要望の回答をする日だった。校長自ら回答する。職員会議で議論し,予算とも照らし合わせて検討している。「ランドセルの自由化」は3年生から認めることになった。1,2年生は,和光の子とわかる方がいいのでこのまま,上学年は,ランドセルの不都合さが最もという理由で認められた。ただし,和光の子とわかるようマークはつけたいと話す。一方的ではなく,校長はきちんと子ども達に「いいですか」と聞く。子ども達も大きくうなずく。マークにするバッチの見本を校長が見せると,「もう少し大きい方がいい」「暗いときに光る方がいい」などの意見が出た。校長と子どもが対等に話し合う。平等なのだ。多数決ではない民主主義が学校に実在している。子ども達がよりよい学校にするために考えたことが形になる。形にするには,要望だけでなく,相手がわかるよう理由をつけて話さなければならない。教師もきちんと子どもの人権を認め,ていねいに対応する。 今の学校の自治活動は形式的である。日本は,高校生の社会参画に関する意識調査の結果,「私の参加により,変えてほしい社会現象が少し変えられるかもしれない」が中国や韓国,米国に比べ低くなっ

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ている。<(財)日本青少年研究所調べ>自分で学校が変えられる,対等な話し合いができる学校なら,変えられると思うかもしれない。学校は社会参画を学ぶ大切な場所である。こういった自治活動は子どもをわがままにすると危惧する人もいるが,それは,やったことがないからだ。「きのくに子どもの村学園」6)では,ミーティングがあり学校や自分たちの事はみんなの話合いで決める。多数決の時は,大人も子どもも同じ一票である。子ども達は自分たちのことだから真剣に話し合うし,建設的だ。実際に目にしたミーティングでの子ども達の活躍はすごい。やっていないだけで,できる力を持っている。このような自治活動は,今後はぜひ取り入れていきたい。(7)教育環境 和光は,朝から遊べる。放課後も下校時刻まで遊べる。子どもにとっては楽しい。やりたいことが十分できる学校だから,また学校へ行きたくなる。今の学校は,安全管理という大人の都合で遊ぶことすらできない。和光の授業時間は1コマ40分。子どもの集中力が続かないと考えているからだ。公立校は45分。決まっているからだ。音楽や理科,美術などは専科の教員が教えており充実している。公立は,そんなに人の余裕はない。同一性障害に配慮したトイレ,幼小施設一体型,多摩川でとってきた魚たちがあちこちに暮らし,リビングのようにくつろげる空間も用意されている。教師は研究熱心だ。民間の教育団体に所属し,研究を重ねている。まず既存のものを疑うところから始める。私は,既存のものを疑うことはなかった。思い込みがあり,前提が崩せないからだ。しかし,子どものためにどうかという点で,まずこの教科書,この教材でいいか疑ってみたい。和光は教員もみな対等に話し合える学校である。校長のトップダウンはあり得ない。教員間が互いの意見を話し合い聴き合えるからこそ,子ども達にもそれができるのだと思う。教員間の議論が深まるような職員室にしていくことは大切である。 和光は,三位一体の教育として子どもを真ん中において教師と保護者が語り合って教育を創る。保護者に学校の様子を学級通信や月一回の親和会で,ありのまま伝える。学習状況や子ども同士のトラブルも実名を出して伝える。それは,保護者に指導してほしいのではなく,みんなで一緒に考えていきましょうという姿勢の表れである。保護者も自分の子だけでなく,クラスのことを考え,本音で話し合う。

学校の姿勢が,保護者にも伝わっている。学校だけでなく,子どもも保護者も互いに理解し合って教育を進めることは,重要なことだ。今の学校は,この連携が形式的になっているため,うまくいかないのではないだろうか。

7.教育課程企画特別部会論点整理と和光の比較 論点整理 2)には,和光が既に行っている学習過程が多く挙げられている。「学ぶ本質的な意義を大切にする。教科等の相互の関連を図る。子ども達の具体的な学びの姿を考えながら構成していく必要がある。」など,和光のカリキュラムや授業づくりは,まさにこの考えに当てはまる。さらに,「実社会や実生活に関連した課題などを通じて動機づけを行い,子ども達の学びへの興味を喚起する必要がある。」も,和光の「環境」「食」「命」などは,まさに実社会や実生活に関連した課題設定そのものである。そして,「試行錯誤しながら問題解決に向けた学習活動」「対話を通じて他者の考え方も吟味し取り込み,自分の考え方の適用範囲を広げる」さらに「指導方法の不断の見直し」も和光のやり方である。「次期改定が学習・指導方法について目指すのは,特定の型を普及させることではなく,」とあるが,和光の教育に型はなく,子どもに合わせてよりよいものへと柔軟に学習スタイルを変えている。 しかし,論点整理の内容と和光の教育には大きな違いがある。国は世界をリードする立場としての日本の教育の在り方や,将来にわたり我が国が存在感を発揮するなど,世界の中での日本の位置を保ち,高めようしている。和光は,我が国ではなく人類の発展を目指している。国ではなく人類の発展ととらえているところが大きく違う。我が国のための人材を育成しているわけではないのだ。「子ども一人一人の可能性を伸ばし,新しい時代に求められる資質・能力を確実に育成していくこと」とあるが,和光は時代に子ども達を合わせていくのではなく,目の前の子どもの実態から考える学びである。子ども達が人間として全体的に発達できることを大切にしている。社会に合わせて,情報機器の使い方や必要な資質・能力を伸ばすのではなく,まず自分で感じたり考えたりできる人間発達の基礎から育てているのである。発達の基礎を育て,日頃から他者の意見を聴きながら熟慮することをしていれば,社会が変化しても,自分で何が大切か判断し主体的に行動できる。

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だから,社会が変わっても大きく変わらない。取り組む内容が同じでも,この子どもから出発するか社会から出発するかは,子どもの内面と主体性を育てる上で重要だ。主体性や思考力を育てるのであれば,外的要因より内的要因となる子どもから出発することが自然である。 論点整理での学習過程のとらえ方は,和光のやり方に近いが,最初の出発点と最終的に目指すゴールと方向が大きく違う。

8.まとめ(1)学びと学力 現在は社会的要因により,教科の基礎よりも発達の基礎までさかのぼって育てる必要がある。特に五感は,体験不足により大きく欠けている。そのため学びを感じることができず,学びへの意欲を失う傾向がある。本来の学びは,社会に適応させるのではなく「学びたいこと」から出発するものである。また,学びの基礎は生活の実践であり,生活の中に根づくものである。人間の発達に即した学びになるよう発達の基礎として人間本来がもつ力(五感や欲求などを)を生活の中で育てることが大切だ。五感を使って感じることは,学びたい気持ちを育てる出発点でもある。また,生活の中の学びは自分とのつながりがわかりやすく実感をともないやすい。さらに,感じたことは心に残るので剥がれにくい力となる。道具や知識が発展しても,それを使う人間本来の力がなければ宝の持ち腐れである。 以上のことからも,学力とは,テストで測れるような一部の学力ではなく,獲得した知識を「生きる力」にまで転化できる力である。学力として狭い定義でとらえず,生活の中での実践を含めて幅広い力としてとらえたい。また,個により身に付く力は異なるものであり,学力は数値化が難しいため,量ではなく質としてとらえる方がふさわしい力である。(2)学びの質を高める 学びの質が高まるとは,学んだことが「生きる力」に転化し,生活の中でいかされることである。それは役立つだけでなく,わかる,広がる,豊かになる,満たされる,もっとやりたくなるなど,学びが自分から始まり自分に返ってくることが質につながると考える。社会に合わせるのではなく,学びが生活に根づき,自分にとっての学びになることが学びの質を高めるのである。

(3)学びの質を高めるカリキュラムと授業づくり 学びの質を高めるには,自分の学びにすることが大切だ。そのためにはカリキュラムや授業は,社会の必要性からつくるのではなく,目の前の子どもと子どもの生活からつくることが大切だ。子どもが学びたいことからスタートできるよう生活に根ざした課題と人間の発達に即した課題,現在の社会問題などの課題などをうまく関連させたカリキュラムにしていく。また,学習過程では,五感を使った体験や人との出会い,個と集団の還流を取り入れることで実感のともなう授業になる。 子どもから出発するカリキュラムと実感をともなう授業をつくるには,目の前の子どもの生活と感性を理解できる教師の感性が必要である。また,教師が主体性をもち,学びを楽しむことは,子どもの主体性や学ぶ楽しさにつながる。授業中は,子どもの学ぶ機会を奪わないことだ。何もしないのではない。準備はしておくが,教えずに「待つ」「選択させる」「環境を整える」ことができれば,子どもの学びの質が高まる。これら教師としての質が,学びの質に大きく影響する。 本音が言える。やりたいことができる。これがないと,物事の本質に近づけず,上辺だけの知識になる。子どもも教師も,傷つき失敗することを恐れることなく,真実を知り本音で生きられる社会や学級にすることが,学びの質にとって大切だ。(4)カリキュラムと授業づくりの実際 和光のカリキュラムをそのまま持ってきてもうまくはいかない。やり方にとらわれることなく,目の前の子どもを知り,試行錯誤しながらつくり上げることが大切である。全国学力テストで上位県の秋田県東成瀬村立東成瀬小学校 7)の取組も素晴らしい。数値化される学力もトップクラスだが,生きる力も伸ばされている。それは,その子どもたちの実態を踏まえ目の前の子ども達に合うよう変更し,積み重ねられてつくられたものだ。学力・体力ともに優れる福井県の取組 8)も,福井だからこそ積み重ねてできた「当たり前の教育」なのだ。優れた教育の型は,目の前の子どもからスタートし,試行錯誤しながらできた,その学校その学級その子ならではのものだ。しかし今は,教師も指導法という型にとらわれ,指導のやり方だけを真似する傾向がある。秋田の「めあて」「振り返り」を授業に取り入れるのも,点数を挙げることや方法だけに目がいき,何のため必要

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なのか,誰のために学ぶのかという目的を子どもも教師も見失っているため効果も上がらない。子どもが学ぶためにどうして必要なのか,目の前の子どもの生活や発達課題に適しているか,子どものためになっているかを考えることが質の高い学びにつながる第一歩である。 カリキュラム編成は大掛かりで難しいが,子ども達に合う教材の選択や指導計画の見直しは,すぐにできる。教材を見直し,どんな学びになるか,生活に結びつくかを考え単元計画を練り直す。このように少しずつ積み重ねて実施することはできる。 生活科や総合的な学習を軸にしたクラスごとのカリキュラム作成も有効である。カリキュラムは視覚的にわかりやすいほうがよい。新潟県上越市立大手町小学校のカリキュラム 9)が参考になる。年度初めに教科や行事等のつながりを意識し計画することで,体験も授業も無理なく進められ,子ども達も学びがいかせる部分が増える。

 巻き込む。初めは教材などを自分で用意して「こんなのやってみませんか」と学年を巻き込む。次に,学習や生活の様子を保護者に知らせ,子どもの学びに保護者も巻き込むと学びの質が高まる。そして地域まで巻き込めたら,さらに効果は上がる。 重要なのは,教師が授業を楽しむことだ。何のためにやっているのかが見えなくなると,つらくなる。忙しいだけで,目的が見えないからだ。「きのくに子どもの村学園」学園長の堀氏 6)は,「教師が笑っていません。教師が笑えるように,先生を元気にしてください」と次の3つのことを挙げた。「一つ目は,時間をあげてください。二つ目は,少しでもいいから研究費をあげてください。三つ目は,何をどのように教えるのか最低限のことは教えてあげてください。」と話していた。忙しくても楽しいことが大切で,子どもと向き合うことで忙しくしたい。和光やきの

くにの教師は,教材作りを楽しんでいる。この教材を使えば,子どもの笑顔が見られるからだ。ぜひ教師も学びを楽しみたい。そのためには,授業,子どもと向き合うことを大切にする心構えを教師が持ち続けることだ。忙しくても1日1つくらいは準備をし,子どもが楽しめる学びをつくる。子どもと話す。子どもが何をしているのかを知る。これを忘れないことが,学びの質を高めるうえでも重要だと考える。 最後に,教師の学びについてだ。私立学校は,教師にも研究費があり,研究への道が開かれやすい。本研究でたくさんの県や学校を巡り,「百聞は一見にしかず」の通り,新しい発見や考えるきっかけとなった。研修の機会を与えていただいたことに感謝している。このような機会が増えることは大切である。他県では県外への長期研修や出張が行われている。栃木も多くの教員が自分のやりたい研究や主体的に学べる機会が増えればと願う。学び続ける教師がいることは教師の質と学びの質を高める。(5)公立としての課題 私立は教師の異動が少なく,同じ考えの教師が集まり,研究も引き継がれ積み重なる。和光のカリキュラムが充実しているのは,過去の研究の成果が積み重ねられているからだ。公立は異動もあり,教師の考えも様々だ。研究もうまく引き継げなかったり割り当てられた研究を強いられたりすることもある。全職員で目の前の子どもの課題を明らかにし,チームとして継続的に取り組むことが必要だ。研究についても,教師の見栄でなく子どものためになるような研究にしたい。 和光は,支援が必要な児童を一定数受け入れているが,公立はすべて受け入れる。そのため,学級によっては支援が必要な子が半数を占めることもある。カリキュラムの工夫の他にも,個や集団の学びをどうつなぐかさらなる工夫が必要だ。和光の取組だけではなく,大阪市立大空小学校 10)などインクルーシブ教育で成功した例などを参考にし,みんな同じを強いるのではなく,何度でもやり直す機会を与え,個性豊かな子ども達を生かせる学校,子ども達が行きたくなる学校,お金を出さなくても行ける楽しい学校づくりが必要である。 カリキュラムづくりには時間が必要だが,現在は時間がない。公立は大きい組織の中にあり,一定の書類調査は出し,規定の授業時間は確保しなければならない。私立は,それが学校の意思によって選択

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できる。公立も子どものために必要なものは何かを判断し,切り捨てる勇気が必要だ。また公立は経済的に余裕がなく,教材,材料費,体験の機会が十分確保できないことがある。十分な活動ができるよう,予算の確保やお金を生み出す工夫が必要だ。 これらの課題はあるものの,それでも「現状を変えたい」,「やりとげる」という信念を持てば,可能になることも多い。また,私立より公立の方が,いろいろな子ども達や教師,地域との出会いが豊富だ。社会の縮図としての公立を悪くとらえず,逆にプラスととらえることで学びへの扉が開き,質が高まるのではないだろうか。課題をチャンスととらえられるか,教師や学校が主体的に取り組むかどうかが一番大きな課題である。(6)今後の課題 和光の教育が万能なわけではない。考えられた教育でも子ども達は一人一人違い,わかり方も多様だからだ。主体性が育っても他を思いやる気持ちが十分でない子もいるだろう。家庭環境や子どもの個性も影響する。「目の前の子ども」と「生きること」を近づけながらカリキュラムについて今後も試行錯誤を続けていく必要がある。 大人の考えをかえることは難しい。今まで当たり前だと信じてきた学力や学び方を素直に否定できないだろう。教育の質を大きく転換するためには,大人が真実を見抜く目をもち,学びの質的転換を受け入れることが必要だ。今までも「ゆとり教育」や「総合的な学習」が受け入れられなかったのは,大人が「ゆとり」の意味を正しく認識せずやり方だけを取り入れた結果だ。これを繰り返さないためにも,大人が主体性を持ち,真実と物事の本質を見極める力を育てたい。大人が間に合わなければ,子どもに真実を見抜く目を育て,子どもの声に耳を傾けられる大人になりたい。その子どもを育てる教師が学びの質的転換の真意を理解することは急務である。そのためにも教師が真実を明らかにし,教育の本質を再確認し,学びの専門家へ変容しなければならない。

9.おわりに 視察先ではどこでも温かく受け入れ,熱心に話をしてくれる。学ぼうとするものは,子どもでも大人でも受け入れる温かさと熱意があり,これが教育を支えている根底になっている。和光のように,工夫した取組をしている学校は,全国各地にあり,公

立校でも研究を積み重ね,子どもの学びを支えようとする人たちがいることをたくさん知ることができた。私も熱意をもち続け,教育者として互いに手を取り合い,情報を共有し研究を深め続けていきたい。 主体的な教師であれば,真実を知り,自ら考え判断できる。そして不断の授業改善が行え,忙しさが楽しさに変わる。主体性と感性を持ち,教師としての質を高め続けていきたい。

注1)大瀧三雄,行田稔彦,両角憲二(2009) 『育て

たいね,こんな学力 和光学園の一貫教育』大月書店,pp.7-10

2)文部科学省(2015):教育課程企画特別部会 論点整理について(報告),

http://www.mext.go. jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/053/sonota/1361117.htm

pp.10-11 ,pp.14-19 3) 奈須正裕(2014)『知識基盤社会を生き抜く子

どもを育てる』ぎょうせいpp.56-574) 文部科学省(2015): 全国学力・学習状況調査

に関する実施要領,http://www.mext.go.jp,/a_ menu/shotou/ gakuryoku-chousa/

5)和光鶴川小学校公開研究会参加(2016.1.30)6)南アルプスきのくに子どもの村学園に学校参観(2016.1.26)(山梨県)

7)秋田県東成瀬村立東成瀬小学校2015.12.7参観8)福井教育フォーラム2015.11.20-21参加9)新潟県上越市大手町小学校(2015)平成26年度

公開研究会要項pp.7710)木村泰子(2015)『「みんなの学校」が教えて

くれたこと』小学館,「みんなの学校」として2015年映画化,合同会社 東風 

参考文献和光小学校(2015)『和光幼稚園・和光小学校合同公開研究会発表要項』和光小学校和光鶴川小学校(2006)『和光鶴川小学校公開研究会発表要項』和光鶴川小学校

平成28年 3月30日 受理