金融コングロマリットにおける範囲の経済 ―費用関...

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154 金融コングロマリットにおける範囲の経済 ―費用関数アプローチ― Economy of Scope in Financial Conglomerate ― Cost function approach ― Takahiro NAGATA 【あらまし】 本研究は,金融コングロマリットにおける範囲の経 済に関する実証分析である.欧米においては,情報通 信技術の発達もあり,業態を超える金融コングロマリ ットの動きが目覚しい.このような背景のもとに,情 報通信技術を高度に利用する金融機関としての金融コ ングロマリットにおいて,兼営する銀行業と保険業の 間に「範囲の経済(economy of scope)」が存在する かについて2つのモデルを用いて実証的な考察を行っ た.欧州の代表的な金融コングロマリットについて, ①子会社データを用いたコブ・ダグラス型費用関数, ②銀行・保険の各部門別データを用いたトランス・ ログ型費用関数の2つを推計した.結論としては,範 囲の経済は観察されず,金融コングロマリットの活動 においては兼営による費用面の効率化は認められなか った.日本においても情報化の度合いを強めている金 融部門において,金融コングロマリットの萌芽がみら れており,「範囲の経済」の分析の重要性が増してい る. はじめに 1.1 研究の目的 金融コングロマリットは,「銀行,証券,保険の各 金融業態のうち少なくとも2つが組み合わされた金融 機関グループ」と定義される. (注1) 金融コングロマリ ットは,1990年代後半より欧米において盛んに形成 される傾向にある. この傾向を分析するために Group of Ten は大規模 な調査を実施している. (注2) その中で行われたアンケ ート調査 (注3) によれば,金融コングロマリットを形成 しようとする経営者は「商品の多様化による収入の増 大とコストの削減を追求する」という動機を持ってい ることが指摘されている.欧米においては,情報通信 技術の発達もあり,業態を超える金融コングロマリッ トの動きが目覚しいが,このような統合を推進した要 因として,情報通信技術(ITC)の発達が最も大きい ことが同アンケート調査でも明らかにされている. 金融コングロマリットの組成が ICT によって促さ れた要因は3点が指摘できる . (注4) 1.リスク管理手法の高度化 (注5) 情報技術の革新は,ファイナンス理論の発展成果を インプリメントする手立てを銀行や投資銀行,保険会 社などの金融市場参加者に与えることになった.ファ イナンス理論のうちでも資産価格決定にかかわる理論 については,1980年代の前半には,ほぼ原理面では 完成の域に達したと見られる.そうした理論が示した 概念や考え方を実際の商品やサービスに具現化するこ とを,情報技術は可能にした. その典型はデリバティブ取引の発展である.デリバ ティブ商品は,伝統的な金融商品が併せ持つ資金配分 手段としての側面とリスク配分手段としての側面を分 離し,後者の側面を独立化した商品である.リスクの 概念が洗練していき,リスク評価(プライシング)の 方式にコンセンサスが醸成される中,銀行業と保険業 の間においてそれぞれが扱う金融商品についての理解 がリスクという共通概念を通じて深まった. 情報技術の高度化によって互いの商品がリスクとい う共通概念で計算,認識されるようになり,さらに それを同時に扱うことの効用(ポートフォリオメリッ ト,分散効果,financial synergy)が理論だけではな く具現化されたのである.これが金融機関経営者や株 主に認識されるに伴い,金融コングロマリットの組成 が促されたと考えられる. 2. 収益・顧客管理手法の高度化 銀行商品と保険商品のクロスセルのメリットについ † 大学院国際情報通信研究科博士後期課程単位取得退学 (注1) Joint Forum (1999) (注2) Group of Ten (2001) (注3) アンケート結果について,前多・永田(2003),永田 (2004)は,当アンケートの分析を詳しく行っている.統 合を推進した ITC 以外の要因としては,規制緩和,グロー バリゼーション(国外の資本市場の拡大)があげられる. (注4)なお,ICT と金融コングロマリット組成の関係につい ては,別途準備中の拙稿「金融コングロマリットにおける 情報の利用」で詳細に議論している. (注5)以下の整理は池尾・永田(1999)に基づく.

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金融コングロマリットにおける範囲の経済―費用関数アプローチ―

Economy of Scope in Financial Conglomerate― Cost function approach ―

永 田 貴 洋†

Takahiro NAGATA

【あらまし】本研究は,金融コングロマリットにおける範囲の経

済に関する実証分析である.欧米においては,情報通信技術の発達もあり,業態を超える金融コングロマリットの動きが目覚しい.このような背景のもとに,情報通信技術を高度に利用する金融機関としての金融コングロマリットにおいて,兼営する銀行業と保険業の間に「範囲の経済(economy of scope)」が存在するかについて2つのモデルを用いて実証的な考察を行った.欧州の代表的な金融コングロマリットについて,①子会社データを用いたコブ・ダグラス型費用関数,②銀行・保険の各部門別データを用いたトランス・ログ型費用関数の2つを推計した.結論としては,範囲の経済は観察されず,金融コングロマリットの活動においては兼営による費用面の効率化は認められなかった.日本においても情報化の度合いを強めている金融部門において,金融コングロマリットの萌芽がみられており,「範囲の経済」の分析の重要性が増している.

1 はじめに

1.1 研究の目的金融コングロマリットは,「銀行,証券,保険の各

金融業態のうち少なくとも2つが組み合わされた金融機関グループ」と定義される.(注1) 金融コングロマリットは,1990年代後半より欧米において盛んに形成される傾向にある.

この傾向を分析するために Group of Ten は大規模な調査を実施している.(注2)その中で行われたアンケート調査(注3)によれば,金融コングロマリットを形成しようとする経営者は「商品の多様化による収入の増大とコストの削減を追求する」という動機を持っていることが指摘されている.欧米においては,情報通信

技術の発達もあり,業態を超える金融コングロマリットの動きが目覚しいが,このような統合を推進した要因として,情報通信技術(ITC)の発達が最も大きいことが同アンケート調査でも明らかにされている.

金融コングロマリットの組成が ICT によって促された要因は3点が指摘できる .(注4)

1.リスク管理手法の高度化(注5)

情報技術の革新は,ファイナンス理論の発展成果をインプリメントする手立てを銀行や投資銀行,保険会社などの金融市場参加者に与えることになった.ファイナンス理論のうちでも資産価格決定にかかわる理論については,1980年代の前半には,ほぼ原理面では完成の域に達したと見られる.そうした理論が示した概念や考え方を実際の商品やサービスに具現化することを,情報技術は可能にした.

その典型はデリバティブ取引の発展である.デリバティブ商品は,伝統的な金融商品が併せ持つ資金配分手段としての側面とリスク配分手段としての側面を分離し,後者の側面を独立化した商品である.リスクの概念が洗練していき,リスク評価(プライシング)の方式にコンセンサスが醸成される中,銀行業と保険業の間においてそれぞれが扱う金融商品についての理解がリスクという共通概念を通じて深まった.

情報技術の高度化によって互いの商品がリスクという共通概念で計算,認識されるようになり,さらにそれを同時に扱うことの効用(ポートフォリオメリット,分散効果,financial synergy)が理論だけではなく具現化されたのである.これが金融機関経営者や株主に認識されるに伴い,金融コングロマリットの組成が促されたと考えられる.

2. 収益・顧客管理手法の高度化銀行商品と保険商品のクロスセルのメリットについ

† 大学院国際情報通信研究科博士後期課程単位取得退学(注1) Joint Forum (1999)(注2) Group of Ten (2001)(注3) アンケート結果について,前多・永田(2003),永田

(2004)は,当アンケートの分析を詳しく行っている.統合を推進した ITC 以外の要因としては,規制緩和,グロー

バリゼーション(国外の資本市場の拡大)があげられる.(注4) なお,ICT と金融コングロマリット組成の関係につい

ては,別途準備中の拙稿「金融コングロマリットにおける情報の利用」で詳細に議論している.

(注5) 以下の整理は池尾・永田(1999)に基づく.

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ては,概念的には古くから存在した.しかし実際には,顧客との取引に関する大量のデータを分析し,そこから顧客のニーズを抽出することは計算能力の上でも非現実的なものとなっていた.加えて,異なる種類の取引については,名寄せの困難性という大きな問題があった.すなわち,銀行商品と保険商品の特性および顧客管理の相違から,顧客データを統合して管理することが難しかったのである.

情報技術の革新により,大量のデータを扱うことが可能となり,顧客に適切なサービスを提供するための顧客関係情報の管理(いわゆる CRM,customer relationship management)が実際のビジネスに利用できるようになった.さらに,銀行業務と保険業務といった別々の業務システムから上がってくる取引データを,統合して扱うデータの受け皿(データウエアハウス)を備えることが可能となった.さらには,リスク概念の洗練とあわせて,部門(ビジネスユニット)毎の収益管理が可能となり,これにより異なるビジネスモデルをひとつのコーポレートの下に組成することも現実となった.

このように,顧客情報のクロスセルへの活用と部門別収益の管理が可能となったことから,複数の業務を同時に営む金融コングロマリットがビジネスモデルとして注目されるようになったのである.

3.金融機関 ICTシステムのオープン化金融システムベンダーは金融機関システムにおい

て,銀行と保険など異なる業態の連携を容易にすることを目的としたソリューションを開発,提供し始めている.銀行と保険,証券,投信といった他業態からの商品の仕入れや業務オペレーションが伴う場合,従来型のシステムであれば,その都度新たな接続システムを開発しなくてはならなかった.また,システムの追加や修正でプログラムが肥大化,複雑化し,機能拡張のためのコストやリスク,対応時間が増大していた.オープンシステムの信頼性が高まり,基幹システムのオープン化の動きが進んできたことを背景に,既存システム資産をハブとして有効活用しつつ,他業種との連携を容易にする金融業務システムソリューションが一般化してきている.

このようなシステム面での技術革新が,銀行と保険というこれまで完全に相容れなかったシステムの統合を可能としたことが,他業種金融機関の買収や新規設立によるコングロマリットの成立を促したと考えられる.

一方で,金融コングロマリットを形成することの効果に関する実証分析は,研究の絶対数自体が少ない.とりわけ銀行と保険の業態を跨いだ分析についてはその数は極めて限られる.その理由としては,金融コングロマリットの複数の業態にまたがる金融グループに

ついての公表データが不足している(あるいは計測が著しく困難である)ことに加え,業態を跨った統一的なデータベースが存在しないことが考えられる.

本稿の貢献のひとつは,金融コングロマリットのうち,特に銀行業と保険業を兼営するものについて,個別のディスクロージャー資料を収集する等により構築したパネルデータを用い,欧州の代表的な金融コングロマリットにおける範囲の経済効果を実証したことにある.本稿は金融コングロマリットにおける情報通信技術の効果を直接的に実証するものではないが,コングロマリット化に視点をおいた金融部門の費用に関する実証分析が情報通信技術の役割を評価する上で新たな分析の切り口を提供する一助になると考えられる.

具体的には,前多・永田(2003)で示された範囲の経済の理論的枠組みを踏まえ,2つの計測モデルを用いて金融コングロマリットの範囲の経済に関する実証を行う.計測モデルは,金融コングロマリットを組成する子会社データを用いたコブ・ダグラス型費用関数,および金融コングロマリットの連結ベースの部門別データを用いたトランス・ログ型費用関数である.

1.2 本稿の構成本稿の構成は以下の通りである.第1章では,本研

究の目的と構成を示した後,金融機関における範囲の経済について,実証分析に関する先行研究を紹介する.

第2章では2つの実証分析を行う.まず1節では,欧州の主要な3つの金融コングロマリットについて,銀行および保険(さらに一部のグループについては証券も)の子会社財務データを収集したうえでコブ・ダグラス型の費用関数を設定し,コングロマリット化による費用の削減効果について計測を行う.2節では,欧州の金融コングロマリット16グループについて,銀行と保険の各部門別データを収集したうえでトランス・ログ型の費用関数を設定し,範囲の経済の存在を計測する.なお,コブ・ダグラス型の費用関数は既に定着した分析手法なのでその説明は簡略化するが,トランス・ログ型費用関数については,費用の補完性の考え方を付加して議論を進める必要があるために,やや立ち入って説明を行う.第3章はまとめとする.

1.3 先行研究金融機関における範囲の経済(economy of scope)

の測定に関しては,銀行や保険といった業態内における多様な生産物の間で経済的な相乗効果(シナジー)を検証する研究が大多数を占める.(注6)同一業態内における異なる金融サービス(生産物)の結合的な提供を行うことに伴う費用削減効果について測定されることにとどまっている.すなわち,銀行部門において

(注6) OECD (1993) pp. 87-114に詳細なサーベイリストが掲載されている

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は,生産物を預金,貸出金,信託残高などとし,また保険部門においては,生産物を年金と保険,個人保険と団体保険と設定したうえ,それぞれの業態内における生産物の間に測定されるものである.

銀行と保険を兼営する欧州のユニバーサルバンクのデータを用いた研究についてはAllen and Rai(1996),Lang and Welzel(1998)が存在する.いずれの研究についても銀行・保険業間の範囲の経済の存在については,有意な結果が得られていない.また米国に関しては,銀行と持株会社を通じた証券子会社との関係を見た研究として Rosen, et al.(1989)があるが,ここでも範囲の経済は検証されていない.

わが国においては伝統的に銀行と保険の兼業は認められていないため,日本の金融機関を対象とした(銀行・保険間の)範囲の経済の実証研究は存在しない.ただし,1980年代後半以降の業際規制緩和の議論の中で(業態を越える)範囲の経済の議論は行われてきており,特に実際に兼営が行われておりデータの豊富に存在する銀行業と信託業の間のシナジーについては複数の実証研究が存在する.(注7)

なお,金融機関に関する範囲の経済の計測については,製造業をはじめとする他の産業に比べ,データのアベイラビリティの問題があるために一般的に生産投入要素価格を用いた費用関数の設定が難しくなる傾向がある.今回のトランス・ログ型費用関数に基づく分析では基本的に播磨谷(2003)で用いられた手法に沿い,完全競争下での生産投入要素価格を前提としている.

2 実証分析

2.1 子会社データを用いたコブ・ダグラス型費用関数の推定(推定1)

銀行,証券,保険といった業態横断的な金融グループについての部門別データについては開示が十分でないことから,入手が著しく困難である.そのような中,本稿では限られたデータではあるが欧州の主要なコングロマリットについて,銀行,保険の各子会社データを収集し,それを元にコングロマリット化による費用の節約効果について計測を行う.

・データオランダの ING,ドイツのアリアンツ,スイスの

クレディスイスの各金融コングロマリットについて,グループの銀行子会社,保険子会社の単体(非連結)財務データを収集する.データベースは,Bureau van Dijk 社の提供する2つのデータベース,すなわちBankscope(銀行データベース(注8))と ISIS(保険会社データベース(注9))を使用する.

各グループの子会社であることの認定は,グループ全体で50%超の所有権を有していることによって行うこととし,具体的には,データベースにおいて総合所有率(注10)が50%超となる関連会社を採用する.またこれらの子会社の種類(銀行,保険,その他)については,データベースに記載の属性に従って分類した上,年次報告書等によって確認している.なお,INGとアリアンツについては銀行,保険とその他の3種類に分類したが,クレディスイスについては証券子会社であるクレディスイス・ファーストボストン証券などの関連証券子会社を独立して分類することが可能となるため,証券子会社を別途収集した.

・推定式以上の基準で収集した1998年から2001年の財務デ

ータを用いてグループごとにコブ・ダグラス型費用関数を推定し,範囲の経済の存在についての計量的な考察を行う.データはグループ内で4年分をプーリング・データとして用い,以下の回帰モデルについて,各グループの業種ごとに最小自乗法によって推計を行う.ここで Ci,t は子会社 i の t 期の費用,TAi,j を同じく t 期の総資産額,TAother i,t をグループ内の子会社 i から見て他業種の子会社の総資産合計とする.(変数の作成の仕方により,TAother i,j は,各期で一定値となる.)

ln ln ln, , , ,C a a TA a TA ui t i t other i t i t= + + +0 1 2 …(1)

ここで,TAother i, j の項の係数 a2 は,範囲の経済性(もしくは範囲の不経済性)の存在可能性を示す指標である.すなわち,a2 がゼロであれば,グループ内他業種金融ビジネスの多寡は当該子会社金融機関の費用に対して影響を持たないことを意味する.a2 が負の値をとれば,グループ内他業種金融ビジネスが活発であれば(他業種総資産が増加すれば),当該子会社金融機関 i の費用が減少している.また a2 が正の値をとれば,グループ内他業種金融ビジネスが活発であれば(他業種総資産が増加すれば),当該子会社金融機関i の費用が増加している.

(注7) 片桐(1993),播磨谷(2000).共にトランス = ログ型費用関数による計測であり,銀行・信託業間の範囲の経済の存在を示唆する結果となっている.なお,日本の信託銀行において範囲の経済性が見られるという点に関し,ICTの果たした役割についての先行研究は存在しない.情報通信の観点からは今後の重要な分析課題である.

(注8) http://www.bankscope.com/(注9) http://isis.bvdep.com/(注10) 金融コングロマリットにおけるグループ内の株式保

有構造は複雑で,所有経路を公開情報のみに基づいて辿る

ことは困難である.そこで本稿では所有関係の認定にあたって,Bureau van Dijk 社の所有構造データベース・システム(Bureau van Dijk Ownership Database)によって提供される「総合保有(total ownership)比率」を使用した. 総合保有比率とは,グループ中核企業が当該子会社を直接所有する比率と間接的に所有する比率の和である.なお,間接的に保有する比率は,各社年次報告書,直接取材情報,米国証券取引委員会データベース,証券取引所報告データ,各種報道等に基づいて Bureau van Dijk 社が計算する.

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(1)式の推計のほか,次式の推計も行う.なお, EAi,j を同じく t 期の運用資産額, EAother i,j をグループ内の子会社 i から見て他業種の子会社の運用資産合計とする.

ln ln ln, , , ,C a a EA a EA ui t i t other i t i t= + + +0 1 2 …(2)

・推定結果コブ・ダグラス型費用関数の推計結果を表1に示

す. ING グループにおいて,銀行部門,保険部門とも

範囲の経済の存在を示す係数 TAother i,j , EAohter i,j については,ゼロでない,すなわち,(金融サービスとしての生産物を総資産,運用資産としたいずれの場合においても)範囲の経済性は存在しないという帰無仮説を棄却できないという結果になった.生産物を総資産とした場合,銀行部門の t 値は0.33,保険部門の t 値は

0.25となった.また生産物を運用資産とした場合,銀行部門の t 値は0.28,保険部門の t 値は0.29となった.いずれも範囲の経済が存在しないという仮説を10%水準で棄却できない.

アリアンツについても ING と同様,銀行部門,保険部門とも範囲の経済の存在を示す係数 TAother i,j , EAohter i,j にについては有意ではないという結果になった.生産物を総資産とした場合,銀行部門の t 値は0.90,保険部門の t 値は0.88,また生産物を運用資産とした場合,銀行部門の t 値は0.87,保険部門の t 値は1.20となった.いずれも範囲の経済が存在しないという仮説を10%水準で棄却できない.

またクレディスイスについては,銀行,保険,証券に三分して回帰を行ったが,こちらも同様の結果となった.生産物を総資産とした場合,銀行部門の t値は0.60,保険部門の t 値は0.96,証券部門の t 値は0.68,また生産物を運用資産とした場合,銀行部門のt 値は0.64,保険部門の t 値は0.14,証券部門の t 値は0.89となった.いずれも範囲の経済が存在しないという仮説を10%水準で棄却できない.以上の結果からも,範囲の経済性は確認できなかった.

2.2 部門別データを用いたトランス・ログ型費用関数の推定(推定2)

次に,個別の金融機関ディスクロージャー誌を元に別途収集したデータセットを用い,トランス・ログ型の費用関数を検討する.

・データサンプルは,ユーロ導入国の金融機関について,

「BankScope」データベースからは総資産残高が700億ドル以上の金融機関(74金融機関),「ISIS」データベースからは総資産残高が300億ドル以上の金融機関(32金融機関)のうち,アニュアル・レポートにおいて資金純収益,保険料収入,預金(及び短期調達),保険契約準備金のデータが確認でき,かつ,グループの親会社にあたる金融機関(16金融機関)の2000年から2002年の連結データを採用した. (注11)

なお,採用した金融グループは以下のとおりである.ドイツ Allianz, Deutsche Bankオランダ ING, ABN AMRO, SNS Reaal,

Eurekoフランス Credit Agricole S.A., BNP Paribas,

Caisse d'Epargne, Societe Generale, Credit Mutual, Banque Populaire

ベルギー Fortis, Dexia, Almanijフィンランド Nordea

1) 生産物を総資産額とした場合銀行 ING Allianz Credit Swiss

Sample 40 48 28推計値 α2 .3120 1.1153 .1600

t 値 .3311 .8964 .0603Adj.R2 .8620 .7166 .7528

保険 ING Allianz Credit SwissSample 40 48 28

推計値 α2 .2754 .2885 .0649t 値 .2570 8803 .0958

Adj.R2 .7349 .8576 .8728

証券 ING Allianz Credit SwissSample 28

推計値 α2 1.3876t 値 .6775

Adj.R2 .8474

2) 生産物を運用資産額とした場合銀行 ING Allianz Credit Swiss

Sample 40 48 28推計値 α2 .3432 1.1486 .1575

t 値 .2888 .8725 .0636Adj.R2 .8568 .7076 .7411

保険 ING Allianz Credit SwissSample 40 48 28

推計値 α2 .3346 .4248 .1018t 値 .2926 1.2044 .1434

Adj.R2 .7171 .8474 .8391

証券 ING Allianz Credit SwissSample 28

推計値 α2 3.2547t 値 .8926

Adj.R2 .5230

(注11) 片桐(1993),播磨谷(2000).共にトランス = ログ型費用総資産残高の基準額に相違(銀行については700億ドル,保険については300億ドル)が生じているが,これはそれぞれの業態における規模でみた順位でほぼ同等の金融

機関数を選択できる水準として設定したためである.なお,ユーロ導入国を対象としたため,スイスの金融機関ははずれることになる.

表1 推計結果(コブ・ダグラス型)

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ここで,銀行業務,保険業務の生産物については,データ制約上の問題(注12)から大きく2つのパターンを採用した.まず,ストックの計数を生産物とするパターンとして,銀行業務については預金(及び短期調達),保険業務の生産物として,保険契約準備金の各ストック計数を用いる.また,フロー計数を生産物とするパターンとして,銀行業務については,資金純収益(net interest income)と手数料収入(commission and fee income),保険業務の生産物として,保険料収入(insurance premiums)の各フロー収益を用いる.銀行業務については,資金純収益のみ,手数料収入のみ,および運用分収益と手数料収入の和の3種類を用いる.

また,費用については業務費用(administrative expenses)を用いる.

・記述統計記述統計を以下に示す.規模のばらつきは今回のサ

ンプルを欧州の大手金融コングロマリットとすることで回避している.(注13)

・費用関数の定式化今回の推定においては,ユーロ導入国の金融コング

ロマリットにサンプルを限定した.EU という完全競争的な生産要素市場においてはすべてのグループが同一の生産要素価格に直面するとの仮定(注14)を置き,金融コングロマリットの費用関数を生産物だけの関数で

表すものとする.(注15)これは,先行研究の多くで生産要素価格として定義される賃金率や資本レンタル価格を導出する際に必要な人件費や物件費の細かなデータが入手することが困難なことによる.具体的には2生産物の関数形を仮定し,以下のような関数形となる.

ln ln ln lnC Q Q Qi ii

ij l jji

= + +

= ==∑ ∑∑α α β01

2

1

2

1

212

ここで,C は費用を,Q は生産物を表している.なお,実際の推定において,生産物(Q),費用(C)

のデータについては,規模の影響を排除する等のため,平均値を各々1とするように標準化して使用した.

また,このトランス・ログ型費用関数が適切な性質をもつ費用関数であるためには,そのパラメータに次のような制約が満たされることが必要である.

(1) β12

= β21         

(交差項の対称性)

(2) ∂∂

>∂∂

>CQ

CQ1 2

0 0,

(1)については,推定式のパラメータに制約を課し,(2)については,推定結果がこの条件を満足するかどうかを見ることにする.

特に(2)については,

    ∂∂

= ⋅∂∂

>CQ

CQ

CQ1 1 1

0lnln

,

    ∂∂

= ⋅∂∂

>CQ

CQ

CQ2 2 2

0lnln

であり,さらに, CQ

CQ1 2

0 0> >, であるから,

(注12) アニュアル・レポートにおける財務データの開示の内容は,コングロマリットによってまちまちである.銀行,保険,資産運用などの業務のそれぞれについて部門別の貸借対照表,損益計算書を公表している開示度の高いグループも存在する(Allianz, ING, Fortis など)が,多くはグループ全体の連結財務諸表を公表するにとどまっている.このため,連結財務諸表においても銀行業務,保険業務について特有の項目として観察することのできる計数をそれぞれの生産物とした.

(注13) なお,金融コングロマリットは,そもそもビジネスモデルが多様であり,各指標のある程度のばらつきが存在することは避けられない.具体的には,銀行を本業としている場合においては,保険業は小さな事業規模にとどまるケースが多いものの,ほぼ同規模で保険業も行っている金融機関(例えば ING グループ)も存在する.本来であれば,そのような属性も考慮したうえで分析を進めるべきであるが,サンプル数が少ないため,現状ではそれを踏まえた分析を行うことは難しい.今後,金融コングロマリットに関するパネルデータ(特に年次方向でのデータの蓄積)を整

備が進めば,そのような研究も可能となるものと考えられる.

(注14) この仮定については,今回は分析対象を原則としてEU の大陸諸国に絞り込むことでその妥当性を確保している.これらの国においては,国によって呼称は異なるものの,いわゆるユニバーサルバンクの伝統の下で銀行・保険の兼営を行っている.またこれらの国には,通貨としてユーロを導入しているという共通点もある.なお今回傍証として,生産要素のひとつとして労働をとりあげ,その価格として一人当たり人件費を別途収集し,分析を行った.その結果,米国における分布に比べて EU においては比較的狭い範囲に分布していた(今回分析の対象とした総資産額700億ドル以上の大手銀行について).また,今回採用したEU 各国においては,ある特定の国において一人当たり人件費の多寡が存在するという特徴は見出せなかった.以上から,生産投入要素に関し,EU 内においてある程度の平準化はなされているものと考えられる.

(注15) 播磨谷(2002)において,日本の信託銀行における費用関数を計測する際,同様の仮定が設定されている.

(単位:百万ユーロ)

平均 最大 最小 標準偏差費用 6,484 19,365 735 5,194預金 236,587 506,738 6,248 145,457

貸出金 147,068 345,330 12,704 87,182運用純収益 3,699 10,090 151 2,565

手数料 3,107 11,693 38 2,829保険準備金 56,813 331,450 317 83,105収入保険料 10,377 55,133 90 15,233

(産出量に関する限界費用の単調性)

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 ∂∂

= + + >lnln

ln ln ,CQ

Q Q1

1 11 1 12 2 0α β β

 ∂∂

= + + >lnln

ln lnCQ

Q Q2

2 12 1 22 2 0α β β

となる.ここで,範囲の経済性等の計測においては,Q1 =1,Q2 =1 としたので,少なくともその近傍において上の不等式が成立する必要がある.したがって,

α α1 20 0> >,

というパラメータの条件が必要となる.

・範囲の経済性の定式化(費用面の)範囲の経済性とは,ある金融コングロ

マリットが2つ以上の金融サービスを生産することにより,別々の金融機関が単一の金融サービスを生産する場合より投入資源が節約されることをいう.

例えば,単純な例をとると,生産物が Q1 と Q2 の二種類がある場合,

C Q C Q C Q Q1 2 1 20 0, , ,)( + ( ) > ( ) が成り立つとき,Q1 と Q2 の間には費用面の範囲の

経済性が存在するといえる.ここで,この不等式から明らかなように,費用面の

範囲の経済性を直接検証するには,ある生産物の生産量が0であるときのデータが必要となる.そこで,この困難性(注16)を回避するため,費用の補完性(Cost Complementarities)という概念を導入することとする.費用の補完性とは,2回微分可能な費用関数 Cにおいて次のように定義される.

∂∂ ∂

<2

1 2

0CQ Q

すなわち,ある生産物の生産量の増加によって,他の生産物の限界的な生産コストが減少するとき,費用の補完性が存在するという.

この費用の補完性が存在するときには,Q1 と Q2 の間には費用面の範囲の経済性が存在することが知られている.つまり,費用の補完性は範囲の経済性の十分条件となっている(この証明については,粕谷(1986)参照).従って,費用面の範囲の経済性の検証には,十分条件としての費用の補完性を使用する.

このような費用の補完性の考え方を使えば,次の形に集約できる.

∂∂ ⋅∂

<2

1 2

0CQ Q

そこで,

∂∂ ⋅∂

=∂

∂ ∂+∂∂

⋅∂∂

<

2

1 2

1 2

2

1 2 1 2

CQ Q

CQQ

CQ Q

CQ

CQ

lnln ln

lnln

lnln

00

であり,さらに, CQQ1 2

0< であるから,

∂ ∂+∂∂

⋅∂∂

= + + +

2

1 2 1 2

12 1 11 1 12

lnln ln

lnln

lnln

( ln ln

CQ Q

CQ

CQ

Q Qβ α β β 22 2 12 1 22 2

1 2 0

) ( ln ln )

,

⋅ + +

≡ ( )<

α β βQ Q

Scope

という形で,費用の補完性を示す指標を具体的に定義することができる.

実際の検証においては,各データ群の平均値における範囲の経済性を求めることとするので,Q1 =1,Q2 =1であるから,

Scope 1 2 012 1 2,( ) = + ⋅ <β α α

である場合には,費用面の範囲の経済性が存在することとなる.(注17)具体的には,α と β の各係数を推計した上で,上で示した「範囲の経済性」に関する指標(Scope(1,2))について,有意に0以下であるかを χ二乗統計量に基づいて検定する.

(注16) この困難性については,方法論としては新たな展開が見られる.生産量がゼロであるときのデータ(いわゆるゼロ・アウトプット)について,単一の生産物しか扱わない企業(今回の分析で言えば,銀行業のみ行っている銀行,保険業のみ行っている保険会社)のデータを加えて範囲の経済を計測する研究が存在する(北坂(2002)など). また,従来のトランス・ログ型よりも費用関数としての理論的な諸条件を充足しやすい McFadden 関数 によって計測する取り組みも,本邦電力業界を対象とする研究などで見受けられるようになっている(北村・根元(1999)など). この手法に基づく金融コングロマリットの分析については別稿にて議論を行う予定である.

 (注17)本稿では直接の分析対象とするものではないが,今回のトランス・ログ型費用関数においては,規模の経済を次の通り計測することができる.(表2におけるscaleの項)一般的に,収入面の規模の経済性については,すべての生

産物を一定倍したときに,その収入の増え方が生産物の増え方より大きいか小さいかで判断することになる.これを数式で考えると,∂∂

+∂∂

lnln

lnln

RY

RYB I

が1よりも大きいときに収入面の規模の経済性が存在する.具体的には,

∂∂

+∂∂

= + + + + +

lnln

lnln

ln ln ln ln

RY

RY

a a Y a Y a a Y a Y

B I

B BB B BI I I BI B II

1

II

Scale

≡ >

1

0

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・推定結果トランス・ログ型費用関数の推計結果を表2に示

す.費用関数については,生産物をストック(銀行:預

金,保険:保険準備金)とした場合においても,またフロー(銀行:資金純収益また/および手数料収入,保険:収入保険料)とした場合においても,α と β の各係数は有意な推計値となったものの,「範囲の経済性」に関する指標(Scope(1,2))については有意にゼロであるという仮説は棄却できず,(費用面の)範囲の経済性は確認できなかった. (注18)

2.3 推定結果の評価推計1,推計2の結果は,いずれも金融コングロマ

リットにおいての範囲の経済は認められないというものであった.

この結果自体は,金融コングロマリットにおける範囲の経済を検証した先行研究における結論と同方向のものである.このように,金融コングロマリットにおける範囲の経済が検証されないことについて,これまで次のような見方が示されている.

まず,Van den Berghe (1995)は,金融コングロマリットにおける以上のシナジー効果については「潜在的」なものであるとしており,実際にはこの効果は顕在化していないと指摘している.また,Herring and Santomero(1990) は「金融サービスの供給における範囲の経済に関しては,それを生み出す妥当な要因が多くあげられているにも拘らず,重要な範囲の経済が存在するという実証結果は限られたものである」と述べている.OECD においても,同時に発表した研究サーベイに基づいて「(規模の経済性や)範囲の経済に関する多くの研究が存在するが,そのような効果があるという仮説を証明するものはほとんどない」としている.その後の実証研究においても範囲の経済の存在を明確に示すものは少なく,この点についてBerger, Cummins, Weiss and Zi (2000)は,金融ビジネスを行う上で,コングロマリット化が有利かあるいは専業化が有利化という論争について,米国の保険業界に関して実証研究を行い,「コングロマリット化に適する業務と専業化に適する業務は峻別されるべきで,業界全体で計測するためにこれまでコングロマリット化の効果,および専業化の効果は認められなかった」という結論を導いている.

以上を踏まえた上で,金融コングロマリットにおける範囲の経済が認められなかった要因に関して,今回の研究においては2つの点を指摘する.ひとつはデータ制約の問題,もうひとつは範囲の不経済の存在可能性である.

表2  推計結果(トランス・ログ型)

費用(C) C C1:銀行生産物 預金 貸出金2:保険生産物 保険準備金 保険準備金

Sample 48 48Adj.R2 .6642 .6355

α0 -.1970** -.2421**α1 .9919*** 1.0289***α2 .0959 .1610*β11 .4849*** .6742***β12 -.1663*** -.2096**β22 .0223 .0828**

SCALE .0877 .1899SCOPE(1,2) -.0713 -.0440

費用 (C) C C C1:銀行生産物 資金純収益(A) 手数料(B) (A)+(B)2:保険生産物 収入保険料 収入保険料 収入保険料

Sample 48 48 48Adj.R2 .6532 .6499 .7698

α0 -.1667 -.1658 -.1933**α1 .8031*** .8045*** .9781***

α2 .1332* .1166 .1817***β11 .3413*** .3456*** .4163***β12 -.1951*** -.1838*** -.1159**β22 .0457 .0367 .0936**

SCALE -.0637 -.0789 .1598SCOPE(1,2) -.0881 -.0900 .0618

*** 1%有意水準 ** 5%有意水準 * 10%有意水準いずれも自由度1の χ 二乗検定統計量に基づく

となることが必要である. ここでは範囲の経済性と同様に,実際の検証では各データ群の平均値における規模の経済性を求めることとするので,YB =1,YI =1であるから,

  Scale a aB I= + −1> 0

である場合に収入面の規模の経済性が存在することとなる.なお,今回の計測においては,範囲の経済と同様に規模の経済も観測されなかった.

(注18)ここではχ二乗統計量に基づいて検定を行ったが,このほかワルド統計量に基づいても検定した.この場合も有意な結果は認められなかった.

   今回の分析においては,3年分のプーリングデータを使用している.この場合,原則的には価格変動の影響を考慮する必要がある.デフレータを用いて修正する際,今回の生産物はストックデータ(銀行の場合は預金および貸出金,

保険の場合は保険準備金)を用いているものもあること,またフローデータ(銀行の場合は資金純収益および手数料,保険の場合は収入保険料)に関しても,サービス価格統計が存在しないことから最適なデフレータを特定できないという問題がある.この時期の欧州経済は世界的な低インフレの状況下にあり,今回の分析でも物価の調整は必要ないと判断し,プーリングデータでの推計結果を示すことにする.

   なお,欧州地域 GDP デフレータを用いて価格調整を行ったデータを用いて推計を行ったが,本文と同様の結論,すなわち銀行業務と保険業務の間の費用の補完性は観測できなかった.また,モデルに各年ダミー変数を追加した推計,年度ごとにクロスセクションで行った推計も行ったが,本文と同様の結論となった.

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・データの制約今回の推計に用いたデータについて,強い制限があ

った点があげられる.まず,①データの項目の問題である.費用関数を推

計する際に用いる生産物を適切なものに設定することよって,また要素価格の前提を一般化することによって,範囲の経済を計測できる可能性がある.

費用関数を推計するに当たっての生産物の適切性について改善の余地が大きい.金融コングロマリットに関しては,そのビジネスモデルが複雑であることから開示項目が多様である.このため,すべてのコングロマリットに共通した項目をそろえようとする場合,選択できる指標は基本的なものに限られる.今回,銀行の場合は預金や貸出金(以上,ストック指標),資金運用収益や手数料収入(フロー指標),保険の場合は保険準備金(ストック指標)収入保険料(フロー指標)を用いたが,銀行ビジネスや保険ビジネスが複雑化している現状では,オフバランス項目等も含めた指標や,手数料収入の中身についても吟味する必要がある.また,費用関数を推定する際に今回は要素価格一定の前提を置いたが,これを考慮した分析が望まれる.

また,②データの期間の問題である.収集できた機関には特殊要因が含まれている可能性もあり,長期的なデータ収集によって改善の可能性がある.

今回は推計1に関しては直近4年,推計2に関しては直近3年の期間のデータを収集した.収集した期間はコングロマリット化が急速に進行していた時期である.またこの時期は,世界的に金融機関が情報通信投資を活発化していたことも指摘できる.このため,統合後の調整期間が終了しておらず,実際の収益にはまだ結びついていなかった可能性がある.

今回の分析においてデータの制約が強いという点に関しては,今後,この種の分析に必要なデータを金融機関のディスクローズという形で充実させていくことが必要である.一般に複雑な企業組織に関しては,グループの運営(オペレーション)が不透明,非効率となる傾向があるといわれる. (注19)企業の非効率性に関しては,投資家などのステークホルダーがディスクローズ情報に基づいて(市場を通じて)規律付けすることが望まれており,中でも業務が複雑化する金融機関においてはその要請が強い.新しいバーゼル規制において市場規律の重要性が大きな要素として付け加えられた.(注20)

業務が多様化する金融コングロマリットにおいては,市場規律の観点からは部門別のディスクローズが

不可欠である.経営資源の効率的な活用が行われるためには,充実した開示情報に基づいて範囲の経済に関するより厳密な分析を行なわなければならないであろう.(注21)

・範囲の不経済の存在範囲の経済の効果を打ち消すような統合の効果,す

なわち範囲の不経済の存在を考慮する必要がある.Herring and Santomero は金融コングロマリットにおいて,3つの範囲の不経済が存在するという.第1に,コングロマリット化に伴う組織の硬直化である.硬直化は先取的な行動を妨げるため,変化する市場の動向に対して革新的な対応を取れなくなっている可能性がある.第2に,異業種ビジネスの統合は部門間における文化的相違や対立を先鋭化させる点である.例えば,取引指向の投資銀行部門と関係指向の商業銀行部門が一緒に仕事をするのは容易ならざることだという.第3に,利益相反が生じる可能性である.ワンストップ・ショッピングに魅力を感じる顧客も存在するが,一方で金融商品をまとめて提供されることによって被る不利益に気づく顧客も存在する.また,自分がコングロマリットの一部門と共有する情報が,他の部門によって自分が損をする取引に使われる可能性を懸念する顧客も存在する.このように部門間に発生しうる利益相反の可能性を顧客は意識しており,この可能性を排除するコスト(利益相反が存在しないことを証明するコスト)は,範囲の経済効果を打ち消すほど大きくなることもありうる.

Herring and Santomero(1995) が2つめの原因として指摘した文化的相違の問題は,銀行業と保険業の間にも顕著に存在する.銀行業と保険業の文化的相違をまとめると次の通りとなる.

このように,銀行業と保険業の間には同じ金融機関といえども文化的な相違が存在している.商品特性や

(注19) Leibenstein(1966)によるx効率性,Scharfstein(1998)による内部資本市場の非効率性の議論を参照.

(注20) 市場規律は新しいバーゼル合意において,最低自己資本比率,監督当局によるレヴューと並んで3番目の柱と位置づけられている.Basel Committee on Banking Supervision(2004.)を参照.

(注21) この点については,金融機関における ICT 投資に関する情報開示においても同様のことが望まれる.巨大なものになりつつある金融機関の ICT 投資について,その効率性に関する外部からの分析はデータの制約から進んでいない.

表3 銀行業と保険業における文化的相違銀行 保険

販売体制 組織中心 個人中心管理スタイル 職員別管理 商品別管理顧客ニーズの

捉え方リアクティブ

(顧客反応待ち)プロアクティブ

(こちらから働きかけ)商品の特性 短期 長期顧客情報 豊富 貧弱労働時間 固定的 裁量的

給与 サラリー制 手数料ベース販売スタイル 問題解決型 商品セールス型出所:Lafferty Repor(1999)等を基本として筆者作成

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仕事の手順,報酬体系まで大きく異なる2つのビジネスを(短期間に)結びつけることは容易なことではないと推察される.実際,わが国においても保険会社の外交員による投資信託商品の販売が1998年より可能となったが,その販売成果は各社の見込みを大きく下回っているという.銀行業と保険業の間の範囲の経済は,単純に業務範囲を拡げるだけでは実現できるものではない.業種間の文化的な差異は範囲の経済(シナジー)を産み出す根源ではあるが,その差異による部門間対立や現場の混乱が顕現化すれば,コングロマリットは結果的に不経済と存在となってしまう可能性は否定できない.

また,金融コングロマリットにおける範囲の不経済については,その組織の複雑性に起因するという指摘は数多く見受けられる.OECD(1993)では,規模や範囲の経済が検証されないことについて,「金融産業においては,費用効果という観点からはコスト管理の失敗や経営管理レベルでの効率性の失敗といった組織的な非効率性の方がより重要と思われる」としている.複雑化した組織では,技術的な非効率性や資源配分の非効率性が大きくなり,規模や範囲の経済が損なわれるとの指摘もある.(注22)最近では,範囲の不経済については内部資本市場の不完全性の問題(注23)として議論されることが多い.Boot and Schmeits(注24)では金融コングロマリット内の部門間で相互補助が行われる可能性がある場合,組織内の投資決定にゆがみが生じる可能性を指摘している.

さらに,推定結果の評価については,短期・長期の議論に関係するが,金融の商品・サービス,ビジネスモデル等の改革の時期において,顧客確保,市場シェアの確保という経営戦略の目的がコスト削減に専攻している局面であることも指摘できよう.

3 まとめ

本稿では,銀行と保険を兼営する金融コングロマリットにおける範囲の経済の検証を行った.結果は,範囲の経済は確認できないというものであった.この結果は,これまでの先行研究と同方向のものである.

金融コングロマリットの形成を決断した経営者の多くが,「情報通信技術(ICT)の発達によって統合が促された」 (注25)と考えていた.それにもかかわらず,今回,金融コングロマリットを形成した効果としての範囲の経済が確認されなかった.今回の結果は,金融コングロマリットにおける情報通信技術の役割を考える際,その役割の過大評価を諌めるものとなろう.

ICT の役割を評価する場合,金融においても ICTの展開が短期的には直接的な効果をもたらしていな

い,すなわち,その潜在的な便益を十分に享受する段階に立っていないという一般論に属する可能性も指摘しておく必要があろう.

今後の研究においては,推計に用いるデータの項目と期間の改善を行うことが必要である.その際,金融コングロマリットにおいて,情報通信技術(および情報通信投資)が経営の効率化に資しているかに焦点を当てたデータ項目を組み入れることが望ましい.

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(注22) Berger, Hunter and Timme (1993)(注23) 内部資本市場の非効率性については,Scharfstein and

Stein (1997) での議論を参照.また Shearfstein (1998) は,

金融機関のケースに絞り込んで議論を行っている.(注24) Boot and Schmeits (2000)(注25) 前掲 Group of Ten (2000)

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