被虐待児へのエンパワーメント・アブローチharp.lib.hiroshima-u.ac.jp/hirokoku-u/file/11114...主主j...

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主主J 被虐待児へのエンパワーメント・アブローチ 一子どもとリジリアンスの視点から 下西さや子 要旨:児童虐待の影響が論じられるとき,子どもは傷つきやすく無力な存在であるから,虐 待を受けると,長じて,犯罪を犯したり虐待する親になるという言説は, 19 世紀末から 20 紀初頭の児童虐待防止運動発生以降,常に語られる「警告」となっている.近年の北米を中 心とした調査研究では,こうした直線的な因果関係はすでに否定されているが,日本におい ては,子どもに対する弱者救済型の援助を自明とする児童福祉観は根強く,バターナリズム からエンパワーメントへと援助理念のパラダイム転換が進行している現在も,子どもへのエ ンパワーメントは,等閑視されているように思われる.本稿では,児童福祉分野における伝 統的子ども観と病理モデルをリジリアンスの視点から再検証し, CAP プログラムを援用し た緊急介入場面における被虐待児へのエンパワーメントの実践を紹介している. KeyWords: 児童虐待,子ども観,リジリアンス,エンパワーメント, CAP プログラム 1.はじめに 全国の児童相談所における 2004 年度の虐待相談 処理件数は, 32 779 件となっており虐待への迅速 な対応が緊急の課題として求められるようになっ ている. 子どもの虐待というと,親への対応をどうする かが対応策の中心となることが多い.もちろん, 虐待が親によってもたらされていることを考えれ ば,当然のことであろう.しかし,介入に際し て,医療福祉関係者や親というおとなたちの狭間 でおいてきぼりになりがちなのが,被害当事者と しての子どもである. 1994 年に日本が批准した 「児童の権利に関する条約J (子どもの権利条約) は,子どもを保護の対象としての「客体J ではな く,権利行使の「主体」として位置づけた.また, 社会福祉分野では,近年, r 保護救済的援助から 2005 9 5 日受付/2006 2 17 日受理 SHIMONISHI Sayako 安田女子大学文学部 E-mail: s-shimo@u0 1. gat 0 1. com 18 権利としての福祉へ」と援助理念の転換が進行し ており, r エンパワ}メント J がキーワードとし て使われている.しかし,虐待やドメスティッ ク・バイオレンスなど家庭内で起こる暴力の被害 当事者でありながら,子どもが権利主体として対 等に位置づけられ,扱われることは少ないように 思われる.それは, r おとなによって守られるべ き存在」としての近代的子ども観が自明のことと して援助者に内面化されているからではあるまい か.もちろん,子どもがおとなとすべての面にお いて同じだけの力をもっているわけではない.し かし,だからといって,子どもはおとながついて いなければなにもできない無力なだけの存在でも ない.子どもが必要とする情報が提供されること で,困難な出来事であっても子ども自身の力で対 処できた例は多い1)子どもという存在をどうみ るか,子どもの対処力をどう評価するかは,援助 の内容や方向性を規定するであろう. 本稿では,虐待における病理モデルを批判的に 検討するとともに,子どもの問題解決力を引き出 しうる援助モデルとして CAP(Child Assault Pre-

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主主J

被虐待児へのエンパワーメント・アブローチ一子どもとリジリアンスの視点から

下西さや子

要旨:児童虐待の影響が論じられるとき,子どもは傷つきやすく無力な存在であるから,虐

待を受けると,長じて,犯罪を犯したり虐待する親になるという言説は, 19世紀末から20世

紀初頭の児童虐待防止運動発生以降,常に語られる「警告」となっている.近年の北米を中

心とした調査研究では,こうした直線的な因果関係はすでに否定されているが,日本におい

ては,子どもに対する弱者救済型の援助を自明とする児童福祉観は根強く,バターナリズム

からエンパワーメントへと援助理念のパラダイム転換が進行している現在も,子どもへのエ

ンパワーメントは,等閑視されているように思われる.本稿では,児童福祉分野における伝

統的子ども観と病理モデルをリジリアンスの視点から再検証し, CAPプログラムを援用し

た緊急介入場面における被虐待児へのエンパワーメントの実践を紹介している.

KeyWords:児童虐待,子ども観,リジリアンス,エンパワーメント, CAPプログラム

1.はじめに

全国の児童相談所における2004年度の虐待相談

処理件数は, 32,779件となっており虐待への迅速

な対応が緊急の課題として求められるようになっ

ている.

子どもの虐待というと,親への対応をどうする

かが対応策の中心となることが多い.もちろん,

虐待が親によってもたらされていることを考えれ

ば,当然のことであろう.しかし,介入に際し

て,医療福祉関係者や親というおとなたちの狭間

でおいてきぼりになりがちなのが,被害当事者と

しての子どもである. 1994年に日本が批准した

「児童の権利に関する条約J(子どもの権利条約)

は,子どもを保護の対象としての「客体Jではな

く,権利行使の「主体」として位置づけた.また,

社会福祉分野では,近年, r保護救済的援助から

2005年9月5日受付/2006年2月17日受理

SHIMONISHI Sayako 安田女子大学文学部

E-mail: [email protected]巴01.com

18

権利としての福祉へ」と援助理念の転換が進行し

ており, rエンパワ}メントJがキーワードとし

て使われている.しかし,虐待やドメスティッ

ク・バイオレンスなど家庭内で起こる暴力の被害

当事者でありながら,子どもが権利主体として対

等に位置づけられ,扱われることは少ないように

思われる.それは, rおとなによって守られるべ

き存在」としての近代的子ども観が自明のことと

して援助者に内面化されているからではあるまい

か.もちろん,子どもがおとなとすべての面にお

いて同じだけの力をもっているわけではない.し

かし,だからといって,子どもはおとながついて

いなければなにもできない無力なだけの存在でも

ない.子どもが必要とする情報が提供されること

で,困難な出来事であっても子ども自身の力で対

処できた例は多い1)子どもという存在をどうみ

るか,子どもの対処力をどう評価するかは,援助

の内容や方向性を規定するであろう.

本稿では,虐待における病理モデルを批判的に

検討するとともに,子どもの問題解決力を引き出

しうる援助モデルとして CAP(Child Assault Pre-

vention :子どもへの暴力防止)プログラムを取

り上げ,性的虐待事例におけるエンパワーメント

の実践例を提示してみたい.

II.虐待の世代間伝播説

PTSDの研究で知られる精神科医の Herman

は, r成人がその生活において外傷をくり返しこ

うむれば,すでに形成されている人格構造が腐蝕

されるけれども,児童期に外傷をくり返しこうむ

れば,この外傷が人格を形成し変形するJ(Her-

man = 1996 : 147) と述べ, DSM-illの診断基準

で境界性人格障害と診断された人々の71%に身体

的虐待, 68%に性的虐待, 62%に父親の母親虐待

の目撃が認められると指摘している.日本で先駆

的に子ども虐待研究を行ってきた精神科医の斎藤

も,虐待が子どもの人生に与える影響について次

のように指摘する.

児童虐待によって主たる養育者への愛着を

断たれた人間の子どもは内的,外的刺激に極

端に敏感になり,ちょっとしたことに過剰反

応し,不安に耐えられなくなる.絶え間なく

動き回る過活動性を示すこともあるが,静止

中は抑うつ的で,引きこもっている.大人に

はまとわりついたりもするが,極端に受動的

なこともある.彼らは集団での遊びに参加で

きず,他人との交わりを避け,怖がる.虐待

する親には凍てついたような緊張のまなざし

を向けるか,親の欲求に対して異常な敏感さ

を示すかのどちらかである.他人への攻撃性

をうまく調節できず,自己破壊的になって自

傷行為に及ぶ場合もある.彼らは成人後も抑

うつ的になりやすく,安定した人間関係や職

業を継続しにくい. (斎藤 2001: 23)

そして,臨床経験から「子どもたちに身体的攻

撃を加える親たちのほとんどは,自身が親の暴力

にさらされて育った子どもであった」と述べ, r親に虐待された子どもたちは,自身が親になったと

19

社会福祉学第47巻第 1号 2006

き,子どもを虐待する傾向をもっJ(斎藤 1996:

38) と結論づけている.虐待と並行して,少年に

よる「凶悪犯罪」事件の「急増Jが社会問題化し

ているなかで2) 虐待された子どもが長じて「非

行」や「犯罪」を犯したり,虐待する親になると

いう言説は,さまざまなメディアで語られてお

り,いまや疑う余地のない「真実」として受け入

れられているように思われる.しかし,虐待の世

代間伝播に関して,研究者の意見が一致している

わけではない.たとえば, Hermanは,被虐待児

の加害性については,次のように指摘する.

児童期虐待を経験した人は,他人を虐待す

るよりも虐待されるほうにまわること,ある

いは自分を傷つけるようになる確率のほうが

ず、っと高い.被害経験者がもっと加害者側に

まわらないのか,本当にふしぎである.おそ

らく自己嫌悪が心に深く刻まれているため

に,被害経験者はその攻撃性を自分に向ける

ような素質をいちばんもつ人になってしまう

のであろう.自殺企図と自己身体致損とは児

童期虐待の既往歴ときわめて高率に相関して

いるが,児童期虐待と成人の反社会的行動と

の関係は,それに比べて弱い. (Herman=

1996 : 177)

虐待の被害者が加害者になるのはむしろ少数

で,大多数は加害者になるよりも,被害を「再

演」する確率のほうが高いと述べる.さらに,こ

うした被害者の加害者への転化は,ジェンダーに

よる違いがみられ,男性は,他者への攻撃性を発

動しやすく,女性は,他者の犠牲にされやすくな

るか自分を傷つける傾向が強まると指摘してい

る3) また,斎藤が述べているような「虐待の世

代間伝播」説に関して Hermanは, r児童期虐待

の生存者が自分の子を攻撃するとか,放棄するこ

とは,非常に極端なケースであるjとして,次の

ように反論する.

一般に思い込まれている「虐待の世代間伝

播」に反して,圧倒的大多数の生存者は自分

の子を虐待せず放置もしない.多くの生存者

は自分の子どもが自分に似た悲しい運命に遭

いはしないかと真底からおそれており,その

予防に心を砕いている.経験者たちはしばし

ば子どもたちのために自分には振えなかった

ケアと保護の能力を動員することができるよ

うになっている. (Herman = 1996 : 178)

つまり,虐待は子どもに深刻な影響を与えるけ

れども,だからといって,虐待の被害者が加害者

になるよう運命づけられているわけではないと述

べているのである.北米で子ども虐待防止に取り

組んできた森田 (1999)は,虐待をしたおとなた

ちに,子ども時代に被虐待体験のある割合が高い

ことは,臨床現場の調査報告,児童保護局や警察

など介入機関の統計,受刑者の調査報告などから

明らかにされているが, Iその逆は事実とはいえ

ないJとし, I虐待の世代間伝播説Jは, I実践現

場での共通認識としては80年代のなかごろから,

(北米では:筆者注)この考えは否定されていた」

と述べ,その根拠として, I被虐待児のうち,子

どもを虐待する親になった人は33%,ならなかっ

た人は67%であった」という心理学者カヴフマン

とジグラー (Kaufmanand Zigler)の調査研究,

および, I被虐待児の65--75%は子どもを虐待す

る親にはならなかった」という北米での調査研究

を紹介している.

日本でも,法務省が少年院在院中の少年を対象

に行った調査で,約60%の少年に虐待の既往歴が

あることが明らかになっているが,藤岡は,被虐

待経験のある子どもが長じて非行や犯罪行為を行

った例は, 10人中おおむね1.5--2. 3人に留まって

いると指摘している(藤岡 2003: 167ー71)心.こ

れらの報告からいえることは,被虐待児が攻撃性

を自分の子どもを含め,他者に向ける確率は,一

般に恩われているよりもはるかに低いということ

である.しかし,これらの数値には,先に Her-

manが指摘したように,攻撃の矛先を自分に向

ける多くの虐待被害者(とりわけ女性)が含まれ

20

ていないことを考えると,これらのデータを基

に,虐待の影響を軽視するわけにいかないことは

当然であろう.しかし,世代間伝播説に関して否

定的なデータが提出きれながらも,なおそれらが

説得力をもって語られているのはなぜだろうか.

ill. r乙ころの傷jを乗り越える力

斎藤らの述べる「虐待の世代間伝播説Jの根拠

となっているのは,子どもが「トラウマに対して

特に脆弱性を持つ存在Jであるという認識であろ

う.この点に関しては, Hermanもまったく否定

しているわけではない.しかし, Hermanは,多

数の子どもを誕生から成人になるまで追跡した研

究で, 10人に 1人の子どもが幼年時代の逆境に耐

える形で抜群の能力を示したことを挙げ,外傷的

な事件によって「こころの傷jがどうなるかは,

受けた者の「復元力」によって変わりうるとして

いる.その子どもたちに共通してみられた特徴

は, I自分以外の人たちとコミュニケートする手

腕がすぐれ,自分の運命は自分で決められるとい

う強力な感覚を持っていた」ことであったとい

う.こうした研究から, Hermanは, I極限状態

においても社会的なつながりを維持し,積極的な

対処戦略を放棄しないでいること」によって, I後

の外傷後症候群の発症をある程度予防する」こと

ができると結論づけている (Herman= 1996 : 86

ー7).

Skolnickは,同様の指摘が, A.フロイト

(Anna Freud) とダンによる約半世紀前の研究に

おいてなされていることを紹介している.A.フ

ロイトとダンは,親たちをナチスのガス室で殺さ

れ,ナチスの収容所から解放されたのち,英国の

全日制保育園に移された男児女児 3人ずつの 3歳

児の行動を, 1945年から 1年間観察・記述した.

これら 6人の子どもたちは,予想されたとおり,

粗暴で落ち着きがなく,与えられたオモチャをす

べて壊し,多くの家具を破損した.おとなに対し

ては,冷たい無関心と激しい敵意を示していた.

ところが,子ども同士は,もっているものを分け

合い,交通の危険のあるところでは他の子どもの

安全を気づかい,オモチャをとってやり,遊びで

つくったものを褒め,自分の食べ物を自分が食べ

る前に他の子どもに差し出したり,プレゼントを

もらったある子が,他の子どもにも与えるように

要求するなど,どの子も他の子どもの感情に対し

て敏感で,著しい愛他行動を示し合ったという.

その後,この子どもたちは,この闘のスタッフに

も親しみをみせるようになり,仕事を手伝おうと

する行動さえみられるようになった.やがて,子

どもたちはおとなと個人的な関係が形成できるよ

うになったが,その愛着は普通の子どもが親に対

して抱く情緒的結合のようには強くなく,子ども

たち同士の結びつきのほうが,もっと強かったと

いう.子どもたちのこうした行動に関する印象を

集約して, A.フロイトとダンは次のように指摘

している.子どもたちは,環境上はなはだしいダ

メージを経験したにも関わらず,何ら大きな精神

的障害を被っていなかった.このような混乱のな

かにあっても,子どもたちが新しい言語を獲得で

きたということは,環境との接触が基本的に損な

われていないことを雄弁に物語っている (Skol-

nick 1986). ダンは,その後も観察を続け,この

35年後 6人の子どもたちが成人してつつがなく

平穏に生活を営んでいることを報告している

(Skolnick 1986 : 202-3 ).

この 6人の子どもたちは,既存の発達理論では

不可欠とされている親との愛着体験を残酷な方法

で奪われただけでなく,ナチスの収容所という想

像を絶する環境において心的外傷体験にさらされ

た子どもたちである.こうしたトラウマティック

な出来事を,彼らはお互いの子どもと情緒的関係

を結ぶこと, I積極的な対処戦略を放棄しないで

いることJ(Herman = 1996 : 87)によって乗り

越えたのである.この物語がわれわれに示唆して

いるのは,子どもは,傷つきやすく,環境に対し

て無力なだけの存在ではなく,むしろ,あらゆる

困難を乗り越え回復しようとする力強きもまたも

っているということである.

21

社会福祉学第47巻第 1号 2006

IV. rダメージ・モデル」の問題点

歴史上,初めて,子どもへの虐待が問題にさ

れ,対応が開始されたのは19世紀後半から20世紀

初頭であった.児童虐待が社会的な関心を呼んだ

背景には,子どもに関わる心理学・教育学・遺伝

学などの学説が次々と発表されたことが大きく関

わっている.子どもがおとなと違って,固有の発

達段階をもっていること,純粋無垢で無力な存在

であること,それゆえに,子どもが成長する家庭

環境の善し悪しが子どもの一生に影響を及ぼすと

いう学説は,子どもとおとなの境界が未分化であ

った時代にあって,子どもと子育てに対する認識

を大きく転換させることとなった5) また,被虐

待児が犯罪者になるという言説は虐待への社会的

関心を惹起させることに効果があったと考えられ

る6) 以降,このような子ども観と因果論的な直

線思考は自明のこととしてわれわれに内面化され

てきた.

W olin and W olinは,これまでの精神医学と心

理学の領域において子どもは, I傷つきやすく,

無力で,家族にがんじがらめになっている」存在

ととらえられ,リジリアンシーよりも,有害な影

響によって引き起こされる「生涯続くダメ}ジ」

のほうに関心が払われてきたと述べる.リジリア

ンシーとは, W olin and W olinによれば, I苦難

に耐えて自分自身を修復する力」であるぺ Wolin

and Wolinは, Iダメージについてのニュースは

そこらじゅうで聞け」るが, Iリジリアンスにつ

いて十分な情報」は見当たらず, Iネグレクトさ

れて被害を受けた子どもたちは,虐待的,ないし

は,ネグレクトする大人になって過去を再現する

運命にあるなどという恐ろしい予言によって爆撃

されているJ(Wolin and Wolin 1993)と述べる.

過去に虐待経験をもっ人たちが虐待の世代間伝播

説にみられるような「予言」にどれだけおびえ,

不安に,思っているかは,インターネット上で告白

される次のような語りからもうかがえよう.

. I虐待された子どもは子どもを持つ

な」という意見.結婚前に知っていたらもっ

と考えることもできたでしょうが,もしもな

どと言っても仕方ないことです.

…・・親に愛された経験のない私が,子ども

を愛することができるのかと言われるとまっ

たく自信がもてないのですω.

W olin and W olinは,子ども時代のトラウマが

一生を台なしにするというような言説を「ダメー

ジ・モデル」とよぴ,その問題点を次のように指

摘する.

(1)現在においてよりよく生きるよりも,過

去に受けた傷に焦点が当てられるため,現

在,どのようにすればいいかという情報をほ

とんど提供できないこと.

(2) (虐待体験を持つ当事者の)リジリアン

スがないがしろにされることで,当事者たち

は,無力感を抱きつづけ,犠牲者の民に引き

寄せられていく.犠牲者としての子どもとい

うイメージは,当事者が変化するというつら

い作業を邪魔することになる.

(3)このモデルはリジリアンスを想定しない

上に,家族の問題は避けがたく世代を越えて

繰り返されることを前提とするため,当事者

を不安にさせる. (Wolin and Wolin 1993 :

24-5 )

W olin and W olinは, r問題のある両親の子ど

もは,自ら用心するようになり,その過程におい

て力強く育つ」としており, r若いサパイパ}は,

家族の外でどのようにして同盟を組むか,空想の

なかにどのようにして自己評価を上げるかを知っ

て」いること.そのような技術を修得することに

よって逆境を乗り越えて成長する能力が展開され

る」という.

V.リジリアンスと工ンパワーメント

しかし,どのような状;況においてもリジリアン

22

スが機能するわけではない.残念ながら,虐待が

世代を越えて伝播される例や,攻撃性が自分や他

者に向かったりする事例が多数存在していること

は, Hermanをはじめこれまでの研究によって明

らかにされているからである.では,リジリアン

スはどのような条件の下で機能するのであろう

か.精神科医で行動心理学者の Cyrulnikは,リ

ジリアンスを社会との関係でとらえ,次のように

指摘する.

人は傷ついても,その傷を基に自分の人格

をいっそう発達させる「心のしなやかさ=リ

ジリアンシー」を育むことができる.しか

し,この作業ができるかどうかは,社会がそ

の人に与える支援によっても大きく変わって

くる.社会が当人の痛みに対して冷淡だった

りすると,人格はいっそう国く縮こまってし

まう.心の弾性=リジリアンシーは,ちょう

どニットのようなものにたとえるとわかりや

すい.たとえば,ガラスの箱のように壊れや

すいものであっても,やわらかく弾力性のあ

るニットに包まれていると,そのガラスの箱

めがけてボールが飛んできても,箱は壊れに

くくなる.そのニットが破れてしまうと,そ

こがトラウマになるわけだ.

このニットは最初から人間に備わっている

というより,ぞれぞれが,自分のもっている

ガラスの箱に合わせてそのニットを編んでい

くものである.激しい衝撃を受ければ修繕す

る必要も出てくるし,同じ方向からばかり

ボールが飛んでくるようだと,そのボールを

よく受ける部分は,よりふんわりとしたショ

ックを吸収しやすい編み目になる.どこかほ

つれていないか,定期的な点検も必要だ.ま

た,ボールが飛んでこなくても,ニットは風

化して弱ってしまう.ニットがしなやかさを

保つためには,ニットを傷つけないよう穏や

かなボールが,適宜投げられ,受け止められ

る必要がある. (Cyrulnik = 2002 : 18)

Cyrulnikは,リジリアンスを個人のなかにあ

るだけでなく,個人を取り巻く人々との共同作業

によって,作り出されていくものであるとし,リ

ジリアンスが機能するかどうかは,社会的な支援

に関わっているという.また, Flanneryand

Harveyは, トラウマ後の個々人の反応は, I人

物」に関わる要因, I出来事Jに関わる要因,お

よび「環境Jに関わる要因といった要因間の複雑

な相互作用によって異なるとし,それぞれの内容

を次のように指摘する.

「人物」要因…被害者の年齢,発達段階,

トラウマ以前にその人がもっていた対処のレ

パートリ価値観,被害者と加害者との関

係(親密な関係かそうでないか)

「出来事」要因…出来事の性質,苛酷き,

頻度,期間,被害者の数(被害にあったのが

1人だったか,それとも他の人もいっしょだ

ったか)

「環境」要因…トラウマ後に被害者が得ら

れるサポートの有無と程度,利用可能な社会

施策とその質,被害者の属する社会 (com-

munity)において被害者に向けられる態度

と評価. (Flannery and Harvey 1991 : 374-

8)

Harveyは, Iレイプがどのようなものである

か十分に情報を与えられており,被害者に対して

サポーテイプなサ}ピスがある社会で生活してい

る少女と,被害者を非難するような価値観を本人

も信じており,サポートもまったく得られない社

会で生きている少女とでは,性被害にあった場合

に異なる反応を示す可能性があるJ(Harvey

1989) と述べ, トラウマ後の被害者の反応を考え

るうえで, I環境」要因がとりわけ重要であると

指摘する.つまり, トラウマ後の反応と回復が異

なるのは,被害者とその人が被った暴力が違うと

いうだけでなく,社会の価値体系やサポートの形

態,および,より広い意味での社会がもっ資源の

違いによるものであるというのである9)

23

社会福祉学第47巻第 1号 2006

今日,子ども時代に受けたトラウマは,一生影

響力を持ち続けるという言説は,虐待問題を論じ

る際の大前提となっている感がある.しかし,虐

待の世代間伝播という現象を Herveyの研究やリ

ジリアンスの視点から考えると,親や子どもに内

在する病理の問題ではなく, I人物JI出来事JI環境」に関わる条件によってリジリアンスを機能さ

せることができなかったと考えることができょ

う10) これらの指摘は,虐待されている子どもに

遭ったときの援助の重要性を浮かび上がらせる.

援助者の役割は,困難な出来事に立ち向かうこと

ができるよう子どもをエンパワーメントし,虐待

のダメージを最小限にすることであろう.そのた

めには,子どもの力を信頼し,リジリアンシーを

育めるよう支援することが必要になる.

暴力に対処してきた女性運動の教訓から,子ど

も自身が主体的に虐待や暴力に対処できるよう考

案されたプログラムとして知られているのが

CAP (Chi1d Assault Prevention)である. 1978

年オハイオ州コロンパスの小学校で起きた女児に

対するレイプ事件をきっかけに CAPプログラム

を開発した Cooperらレイプ救援センターを運営

する W.A. R. (Woman Against Rape)のスタッ

フたちは,暴力の対象となるのは, I数え切れな

いほどの被害を受けてきただけでなく, r劣って

いるJと決めつけられ,その差別に苦しんできた

こ級市民」とされた人々であり,暴力に立ち向か

うためには,社会的に「弱者」の地位におかれた

人々のエンパワーメントこそが必要であると主張

した.'CAPの特徴のひとつは,子どもを「アメ

リカインデイアン,身体や視覚・聴覚や認識に障

がいのある人々,ゲイやレズピアン,高齢者」

(Cooper= 1995 :30)同様,社会的マイメリテイ

と位置づけたことにある.Cooperは,パワ}と

は「変化を生み出す力量」という意味であり, Iエンパワーメント」を, I人がみな生まれながらに

もっている生命力・個性・感性」など,パワ}と

いう内的資源にアクセスすることによって,抑圧

を跳ね返すことであると定義する (Cooper=

1995 : 30).以下, CAPの概要を紹介しながら,

子どもに対するエンパワーメントの現象と方法に

ついて考えてみたい.

羽.CAPプログラムの概要

CAPとは,子どもへの暴力防止プログラム

(Child Assault Prevention)の略語で,性暴力防

止プログラムから出発し,その後,いじめや誘拐

など,子どもが遭いやすい暴力を含めて包括的な

暴力防止プログラムとして作成された.このプロ

グラムでは,就学前から高校生までの子どもたち

を対象に,暴力に遭うとどんな気持ちになるか,

なにができるかをロールプレイとデイスカッショ

ンを中心とするワ}クショップを通して対処法を

みつけていくものである.日本では, 1995年に

CAPを実践する正式なトレーニングが始まり,

現在では,全国に130以上のグループが活動して

いる.2000年の児童虐待防止法改正において,

「虐待防止教育の普及」が努力義務として明記さ

れて以降,行政の支援を受けて学校・地域で

CAPを導入する自治体がさらに増えており,す

でに, 10年間で約20万人の子ども, 25万人のおと

ながCAPを受講しているω.CAPは,エンパ

ワーメントを次のように定義している.

子どもへの暴力は,おとなと子どもの圧倒

的な力の差のもとに「子どもは無力である」

という偏見と抑圧を容認する社会状況のなか

で継続,放置されてきました.同様に,これ

までの暴力防止対策は「子どもは無力であ

る」からおとなに守られなければならないと

考え, ,-してはいけません」式の子どもの

行動規制が中心でした.この方法では実際に

暴力にあい,被害を受けそうになったときに

どうしたらいいかわからないばかりか,強く

自分を責めてしまうことになるなど,むしろ

子どもの無力感・不安感を助長します.

CAPプログラムは,子どもを「おとなが守

るべき無力でなにもできない存在jとみるの

ではなく,行動の選択肢とそれを使って自分

24

を守ろうという力があれば,暴力から自分を

守ることができると考えます.困難な状況に

も,子どもの解決する力を信じ,内なる力に

働きかけ,その力を引き出すのがエンパワー

メントです. (CAPセンター.JAPAN

2000: 4)

CooperらCAPの創設者たちは,子どもたち

が暴力の被害者になりやすいのは, ,情報J,孤

立J,従属」という 3つの点において,社会的に

パワーを奪われているためである,と分析し,こ

の3つの状況に変化を起こすことによって,エン

パワ}することができると考えた. ,情報」の提

供において重要なことは,どのような状況が危険

なのかを,従来の支配的な情報ではなく,被害者

たちの証言によって確認されてきたオルターナテ

イプな情報に基づいて提供することである.子ど

もが性暴力に遭う状況として一般に信じられてい

る筋書きは, ,愛らしい少女が,ひと気のない道

で,見知らぬ人物に突然襲われる」というもので

ある.しかし,そのようなイメージは必ずしも現

実を反映していないことが,被害者の証言や調査

を通して明らかにされるようになった.まず,子

どもへの性暴力は,その80-85%が知り合いによ

って引き起こされている.加害者の大半は被害児

が知っている人物なのであり,子どもが寄せる信

頼や好意を悪用して行われているのである.ま

た,多くの子どもが,ひと気の多い公共の場所

や,被害者ないしは加害者の家のなかで被害に遭

っている.さらに,女の子だけでなく,男の子も

また被害に遭っている.子どもの虐待の調査分析

において世界的権威のひとりである Finkelhorの

調査では, 18歳までに, 4人に 1人の女の子 6

-7人に 1人の男の子が被害に遭っていると報告

されている.加害者に対する調査から,ターゲツ

トになりやすいのは,男女を問わず,抵抗しそう

にない(と判断された)子どもであることも明ら

かにされている (Finkelhor1984).

しかし,性暴力をめぐる「神話」の働きによっ

て,子どもへの性暴力はめったに起こらないこと

とされ,子どもに対する性暴力の防止教育は等閑

視されてきた.インターナショナル・ CAPのデ

ィレクターである Stanislaskiは,こう述べてい

る. Iプログラムを創造した女性たちは,社会に

いまだに根強く残っているのと同じ神話と格闘し

なければなりませんでした.その神話の最たるも

のは,こういう話をすると子どもたちを怯えさせ

てしまう,というものですJ(Stanislaski 2001 :

10).

Cooperは,むしろ,暴力に対しての正しい情

報や対処の仕方を知らされていないまま,おとな

のいうことはきくべきだとしつけられているこ

と,おとなからの暴力は,子どもに非があると思

わされていることなどが,子どもを不安にさせ,

被害に遭いやすくしていると分析し,虐待を防止

するうえで必要な情報を提供するとともに,人は

だれでも,虐待されることなく; I安心して生き

る権利,自分に自信をもっ権利,人から強制され

ず自分の望むことを自由に選択する権利」がある

ことを,子どもにワークショップを通して伝える

ことで,エンパワーすることを考えたのである

(下西・浅野 2002: 109).

CAPプログラムの特徴の 1つは,こうした

ワークショップを実施した後で,子どもの質問・

相談を個別に受けるトークタイムとよばれる時聞

が設けられているところにある. Iトークタイ

ム」は,以下の目的のもとに実施される.

①子どもワークショップの内容をより確かにす

るための補強.

②暴力・虐待に子ども自身が対処できるように

エンパワーメントする.

③虐待が疑われる場合に必要な援助が受けられ

るよう,専門機関に橋渡しをする.

学校のクラスで行われるワークショップが,集

団へのエンパワーメントであるとしたら,ここ

は,個人を対象にしたエンパワーメントが行われ

る場といえる.多くの子どもは,スタッフにワー

クショップの感想や,学校であった出来事を話に

来るだけであるが,なかには,虐待被害について

相談に来る子どもも少なからずいる12) そういう

25

社会福祉学第47巻第 1号 2006

場合,次のような手順で「緊急介入」が行われる.

①子どもの話を傾聴し問題を明らかにする.

②それまでに子どもがとった行動をたずね,ほ

かに考えられる方法はないか,選択肢をいっ

しょに考える.

①選択肢の効果を検討し,実行できそうな行動

を子どもに選択してもらう.

④どのように行動に移すか計画を立てる.

「緊急介入Jとは, I子どもが緊急事態である

ことを確認し,助けを求めたり虐待を止めるため

になにができるかを話し合うJ(Cooper=1995:

182)予防的危機介入と考えることができる.一

度限りの話し合いにすぎないにもかかわらず,多

くの効果が得られていることは,成功事例報告か

らもうかがうことができる 13) 以下は,筆者が,

スタッフとして関与した事例である(ただし,こ

こで示す事例は,当事者が特定できないよう複数

の事例を融合させていることをお断りしてお

く).

vn.虐待を受けた子どもへの緊急介入と工ン

パワーメン卜

<祖父から性的虐待を受けている Aさんの事

例>

Aさんは,小学3年生の女の子で,クラスで

のCAPのワークショップが終わったあと,スタ

ップに, Iおじいちゃんが時々,いやなことす

る」と切り出し,同居している祖父が 2年生の

夏くらいから,両親不在の時間帯や深夜に Aさ

んのところに行き,性的接触を繰り返しているこ

と,そのたびに祖父は人差し指を口にあてて「秘

密」のニュアンスを伝え, Aさんにおこづかい

を渡していあこと, Aさんは,このことについ

て話すのは今日が初めてであり,ほかの人には絶

対にいわないで、ほしいことなどを話した.スタッ

フは, Aさんの話を共感的に聴いた後, Iいわな

いでほしい」と感じているおそれについて話し合

い,その結果を, Aさんと次のように整理し共

有した.

第1に, I (担任の)先生から宿題忘れや,授業

中の居眠りで注意をされているので,このことを

先生に話したら,うそをつくなとしかられるかも

しれないjというおそれ.第2に, I祖父からも

らったこづかいで内緒の買い物をしたことが分か

ったら,母親にしかられるのではないかJという

おそれ.第3に, Iこのことが分かつたら,いや

らしい子とか,変な目でみられるかもしれないJというおそれ.第4に, I秘密にするという約束

を破ったことを祖父が知ったら怒るかもしれない

し,口をきいてくれなくなるかもしれない. (こ

のことで)家のなかでけんかが始まるかもしれな

い」というおそれである.

スタッフは話してくれた Aさんの勇気を讃

え,たとえおこづかいをもらったとしても,悪い

のはおこづかいを渡していやな触り方をするおじ

いさんのやり方であり,どんなにおじいさんが怒

ろうともあなたはちっとも悪くないこと,こうい

ういやな触られ方をして困っている子どもはあな

ただけじゃなくてたくさんいること,このことを

そのままにしていると,元気に生きられなくなる

ことを話し,家のなかで,安心して暮らせるため

に,どんなことができるかをいっしょに考えよう

と促した.ワークショップのロールプレイの内容

に触れ,次に同じことが起きそうになったとき

「いや」ということはできそう?とたずねると,

「いえるかもしれないし,いえないかもしれな

い.分からないJと答えたため, Iすぐにその場

を離れることはどうだろう」とたずねると, Iそ

れならできると思う」というので,いやなことが

起こりそうなときは,できるだけ早く部屋から出

るという計画を確認した.そして, I安心できな

い秘密は守ってはいけない」というワークショッ

プのなかのことばを引用しながら,このことは,

秘密にしていては解決しない問題で,だれかの助

けが必要であることを話し,両親や親戚,学校の

先生,地域の人,子ども電話相談などの選択肢か

ら, Aさんが継続的に相談できそうなおとなを

選んでもらった.その結果,同小学校の養護教諭

であれば話すことができると思うが, I他の先生

26

に話すんじゃないかJと不安そうであったので,

Aさんの希望でト}クタイム終了後,スタッフ

が付き添い,養護教諭に相談に行くことになっ

た.

ここでのスタッフの役割は, Aさんが自分の

ことばで説明できるよう,ことばを補うことであ

る.養護教諭は,子どもワークショップが実施さ

れる前に CAPの目的・方法などについて研修を

受けており, Aさんの訴えを共感的に聞いてく

れた.担任と両親に話したいとの要望が出された

ため,スタッフから, Aさんが抱いているおそ

れについて補足説明し,両親にどのような言い方

で伝えるかを養護教諭から Aさんに示してもら

った.Aさんによるいくつかの修正の後,担任

と母親に話すことの了解と,今後,だれかにこの

ことについて話すときには, Aさんに事前の了

解を得ることも確認した.おとなからつらい体験

をたずねられるうちに不安になり,話したことを

撤回する子どもが多いことが指摘されているから

であるべ児童相談所が介入する可能性を考え,

最後に, Iあなたのような心配を抱えている子ど

もが元気に暮らせるようにいろいろ相談にのって

くれる児童相談所というところがあるから,自分

で電話して相談してもいいし,学校の先生から連

絡してもらったらいいよ」と学校以外に相談でき

るところを紹介しておいた.児童相談所という公

的な援助機関の存在を情報として伝えることで安

心させたかったからである.養護教諭に話した

後, Aさんには安堵の表情がみてとれた.

養護教諭は,その日のうちに Aさん宅を訪

問.母親に経緯を説明すると,到底信じられない

との拒否的な対応であったが, Iこのようなこと

がずっと続いてもいいのか」と話すうちに,最終

的には認めてもらえたということであった.スタ

ッフがその後養護教諭にたずねたところ,祖父と

は別居することになり,表情の乏しかった Aさ

んに,少しずつ変化がみられるようになった,と

いうことである.

四.考察

見知らぬ人や暴漢による性暴力は「犯罪jと認

識されやすく,周囲の理解を得やすい.しかし,

加害者が被害者の知人であったり,親族である場

合, I被害者に対して暴力性,深刻性,犯罪性が

低く, トラウマにもなりにくいという間違った見

方をされJるばかりか「非難され,信用されないJ(Parad and Parad = 2003 : 109). ましてや,被害

者が子どもであり,加害者が祖父であれば,その

可能性はさらに大きくなるであろう.Aさんが

だれにもいわないでほしいとまず訴えたのは,秘

密にすること自体が第一義的な要求としてあるの

ではなく,そういう周囲の反応を漠然と予想した

こと,それらに加えて学校での否定的評価ωか

ら,訴えても共感的に受け止めてもらえるとは思

えなかったからであろう 16)

Aさんが沈黙してきたのは,それだけでな

く, IいやらしいJという表現からうかがえるよ

うな恥辱の念と自己卑下,家族のバランスがくず

れるのではないかという不安,そして,なにより

も,親密な関係にあり信頼していた祖父がなぜそ

のような行為をするのか理解できないことの混乱

から,自分の経験を「語り得る物語」として言語

化することができなかったのである.

Aさんが被害を訴えることができたのは,

ト}クタイムに先立つ CAPのワークショップに

おいて,親戚の男性から性被害を受ける小学生の

ロールプレイをみており,その行為がファシリ

テーターによって「いじめ」ゃ「連れ去り」と同

じように「暴力」と定義されたことで,自分を混

乱させている「名前のない悩み」に「暴力」とい

う名前をつけられたこと,また, ト}クタイムに

おいて Aさんのおそれはいずれも正当な感情で

あり,同じような被害に遭った人はだれでも同じ

ようなおそれを抱くという情報がスタッフから伝

えられたことで,不安やおそれが軽減できたから

ではないだろうか.

今後どれだけの年月続いたか分からない性的虐

待を,自分の力でストップさせたことで, Aさ

27

社会福祉学第47巻第1号 2006

んは心的外傷を最小限に留めることができたので

はないかと思われる.

医.おわりに

子どもへの虐待は,おとなと子どもとの圧倒的

な権力関係を背景に起こる.そして,虐待行為

は, Iしつけ」ゃ「愛情の表現JI教育」という大

義名分の下で,社会的・文化的に許容されてき

た.それゆえに,子どもはそれらの不当な扱いを

「不当」と抗議することも,暴力を暴力として語

ることも奪われてきたのである.したがって,子

どもが虐待についてのオルターナティヴな視点を

獲得し,自己帰責化することなく 17)体験を「語り

うる物語Jとして語れるように援助することは,

子どもをエンパワーするうえで不可欠であろう.

暴力は,それを行使する立場からみるのと,行

使される立場からみるのとでは,まるで違ったス

トーリーとして構成される.性暴力がこれまで

「いたずらJといい慣わされてきたように,多く

の場合,行使する側にとって暴力'とは,とるに足

らない出来事にすぎない.

しかし,被害者である子どもにとって虐待は,

恐怖の体験であり,無力感に苛まれる体験であ

り,自分が自分であっていいという自己肯定感や

世界に対する基本的信頼感を根底から剥奪される

体験である18) こういう状況におかれた子ども

は,ごく限られた情報をてがかりに生き延びる戦

略を考えるしかない.しかし,それらの戦略が多

くの場合,より深く虐待者に従属する構造に入り

込んでしまったり,自己概念を変形させてしまう

ことが多いことは,虐待の影響に関する数々の研

究が明らかにしているところである19)

子どもに限らず暴力の被害者は,無力感や,自

己否定感から「自分にできることはなにもないと

いう気持ち」を抱かされがちである.したがっ

て,虐待の現実に対処するために可能性のあるす

べての解決方法をいっしょに考え,その選択肢の

なかで,子ども自身が実際にできそうなことを選

ぶこと,そして,どのように実行するかという戦

略を共に立てることは,次の虐待を防止するため

だけでなく,子どもがパワーとコントロールの感

覚を取り戻すうえでも必要である20) 虐待されて

いる子どもの選択肢は実際にそう多いわけではな

いが,たとえすぐには選択肢が見えないような場

合でも,それまで,個人的で,家族の問題として

苦しんできた事柄を社会的な文脈のなかに置き換

えることで,納得のいくスト}リ- (White and

Epston = 1992 : 33-8 )に行き着くことができ

れば,その後の心的外傷の回復にとって重要な意

味をもっに違いない.

このような援助を可能にするためには, rおと

なが守るべき無力でなにもできない存在Jという

近代的子ども観からひとまず自由になり,子ども

を問題解決力をもった主体として捉え返すことで

あろう.これまでみてきたように,子どもは,適

切なサポートがあれば,困難な事態を乗り越える

ことができるリジリアントな存在だからである.

子どもの生存権,親の私有物ではなく独立した

権利をもっ存在という子どもの権利思想の登場を

背景として,子どもの虐待が日本において,歴史

的に初めて公共の問題として認識されたのは,明

治末期であった21)それから 1世紀の「忘却期J22)

を経て,現在,子どもの権利への関心の高まりを

背景に,再び,子どもへの虐待が「深刻な社会問

題J(厚生白書)と認識され,さまざまな対応策

が検討されている.r子どもの権利条約」で調わ

れている「子どもの権利」と,明治期のそれとの

顕著な違いは,子どもが「保護されるべき客体」

ではなく, r権利の行使主体」と認識されている

ことであろう.しかし,無力で脆弱な存在として

の子どもをおとなが保護するという,明治期に形

成された近代的子ども観に基づく保護救済思想

は,現在もなお児童福祉のベースとなっているよ

うに思われる.

McNamee and Gergenが, r今世紀の精神医療

の専門家の多くは,ひとつの理解の方法に依拠し

てきた.それは, 18世紀ヨーロツノすの啓蒙思想に

端を発し, 20世紀の科学主義に典型的なものであ

るJr実際,われわれが, w本当Jとか『良い』と

28

か思うことの大部分は,く歴史というテクスト>

の産物なのだJ(McNamee and Gergen = 1997 :

13-20) と指摘しているように,今日,われわれ

が自明としている子ども観や,虐待の影響に関す

る認識には,よくも悪くもこの時代に台頭してき

た学説がそこここに埋め込まれているのである.

「エンパワーメント」という用語と概念を,ソー

シャルワーク領域で広めることに貢献した S010-

monが,エンパワーメントを「ステイグマ化さ

れた人々の否定的評価によるパワーレス状態を減

らすことができるように援助する過程である」

(S010mon 1976 : 29) と定義しているように,エ

ンパワーメントとは,弱者を弱者という前提のま

ま援助するのではなく,社会的関係のなかで剥奪

されてきた「弱者Jのパワーを引き出す働きかけ

のことをいうのである.r子どもの権利条約」が

批准され,子どもの意見表明権が公式に認められ

たにも関わらず,子どもが,援助を受ける主体と

して扱われることが少ないのは,子どものもつリ

ジリアンスよりもヴァルネラピリティーのほう

に,援助者の関心が向かうからではないだろう

か.

r20世紀こそ,子どもたちが保護される時代

に」とよびかけたエレン・ケイのひそみに倣うな

らば, r21世紀こそ,子どもたちがエンパワーさ

れる時代にJというべきかもしれない.

1) CAPセンター・ JAPAN編集/発行『サクセス

ストーリー一一大切な自分を守ることができた

たくさんの子どもたちの物語j,CAP広島連絡

会編集/発行の rlO周年記念誌』には, r親から

虐待を受けている女子が,子どもワークショッ

プを受けて(スタッフに)打ち明けることがで

きた.先生も含め 3人で話し合い,学校の理解

を得て,翌日には児童相談所に保護されたJ(CAPセンター.JAPAN 2004: 18)など,虐待

から自分を守った例が多数掲載されている.

2)少年犯罪の「急増Jr凶悪化」がマスコミなどで

指摘されているが,実際は,戦後,少年犯罪の

最も多かった時代は, 1958-1966年であり,強

盗・殺人などの「凶悪犯罪」も,むしろ激減し

ている.詳細は, r犯罪白書.11997年版, r罪状

別凶悪犯検挙数Jr警察白書.12000年度版を参照

のこと.

3)同様の指摘は, Russel (1986) もしている.Rus-

selが,子ども時代に近親姦的な被害を受けた経

験のある女性を対象に行った調査によれば,そ

の後レイプされた女性は 3分の 2にも上ると報

告されている.

4)少年院在院者の被害と加害に関しては,下西

(2004)参照.

5) 19~20世紀に展開された児童虐待の取り組みに

ついては,下西 (2005)参照.

6) r児童虐待防止協会」を設立した原 (1909:4-

7 )の「子供の頭は空虚なものである.そこへ

虐待の経験が刻みつけられると,其の子供の発

達が非常に阻害さるるのみならず,悪しき傾向

に向かつて走るは,蓋しやむを得ないのであ

る.斯かる子供が遂に犯罪人となるに至るの

は,寧ろ自然の結果Jという発言には,当時の

虐待防止の発想と子どもに対する新たな認識が

端的に表現されている.

7)リジリアンスという概念を日本に紹介した小森

は,リジリアンスに「回復Jという訳語を使っ

ている(小森 2002)が,ロングマン辞書による

と, r回復力」のほかに「弾力性」とある.森田

(1999: 225)は,北米ではリジリアンスとは,

リカバリー(回復)をもたらす内的な原動力,

自然治癒力を指す用語として使われていると述

べ, rゴムまり」のような弾性にたとえている.

8) http://acparents訓 neblojp/entry-f7 da26f 7 da

26

9) Hermanは, r全く同じ事件に遭遇しでもJ,r二

人として全く同じ反応を呈する人はいない」と

している (Herman1992 : 86).

10)森田は,子どものリジリアンシ}が機能しにく

い状況として,以下の例を挙げている.①強か

んなど外からのストレッサーがあまりに強烈だ

った場合.②外からの圧力が繰り返し起こる場

合.①乳幼児期に親または,親にかわる養育者

との愛着体験を持ち得なかった場合(森田

1999 : 225-6 ) .

11) CAPセンター・ JAPAN編集/発行『日本の

CAP.I 2000参照.

12) この時間を使ってこれまで全体の 2~4%の子

どもが自分は安全でないということをスタップ

29

社会福祉学第47巻第 1号 2006

に打ち明けている (CAPセンター・ JAPAN

2000 : 26).

13)注 1参照.また, 1998年に大阪府下の小学校で

実施されたアンケート調査では, rCAPでなら

ったことがなにか lつでも使えることがありま

すか ?Jとの質問に 3年生の69%,6年生の

85%が「はい」と答えている.詳細は『日本の

CAP.I 2000参照.

14)精神科医の Summit(1983)は,性的虐待を受け

た子どもは,自分も悪かったという罪悪感や加

害者や家族が困った立場に立たされることへの

不安から,被害を認めたあとでその事実を取り

消すことが多いと指摘し,それらの行動を「子

どもの性的虐待順応症候群」と命名している.

15) Aさんが居眠りをしたり,授業に集中できず宿

題を忘れることが多かったのは,祖父からの性

的虐待が深夜起こることが多かったことと無関

係ではないと考えられる.

Cooperは,虐待されている子どもは,不安定

な心理状態を態度で表わすことが多いため,教

師からしばしば「問題児」とみなされることが

あると指摘している (Cooper1991).

16) Finkelhor (1984: 34) によれば,性的被害を受

けた子どもたちの63%は成人になるまでそのこ

とをだれにもいわなかったという.

17) White and Denborugh は, r私たちの文化におい

て人々はつらい体験をすると,自分たち自身が

問題であるとみなしたり,何らかの欠損がある

のだと見なしたりして,自分たち自身を「失敗Jないし, r非難すべき」存在だとするドミナント

なストーリーを信じ込むように誘導されること

が多い」と述べ, r問題が個人の内面にあるとい

う見方を拒否することJrその人が問題なのでは

なく,その問題が問題なのであるJという「会

話の外在化jの実践を奨励している (Whiteand

Denborugh 1998 : 13).

18) Hermanは, r心的外傷とは権力を持たない者が

苦しむものである.外傷を受ける時点において

は,被害者は圧倒的な外力によって無力化,孤

立無援化されているJ(Herman = 1996 : 46) と

指摘する.

19)池田由子 (1987),西津哲(1994),斎藤学

(2001)参照.

20)相E作用的モデルにおいて, Harveyは, トラウ

マ後の回復の第一段階として, r被害者が自己コ

ントロ}ル感を取り戻すJ(Harvey: 1989) こと

を挙げている.

21)下西 (2005)参照.

22) Hermanは, r心的外傷と回復』の官頭で,心的

外傷の研究の歴史は活発に研究が行われる時期

と忘却期とが交替して今日に至っていると指摘

している (Herman= 1996: 3).

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社会福祉学第47巻第 1号 2006

Empowerment Approach to Abused Children -Based on the Viewpoint of the Child and Its Resilience-

Sayako SHIMONISHI

Although it is often “warned" that since a child is powerless and easily hurt, and that, if abused, is likely to grow to be a criminal or an abusive parent, recent

studies in North America have resulted in rejecting this kind of causality. In Ja-

pan, however, the thinking is still strongly maintained that assistance to children should be considered as for the weak. While a change in the paradigm of aid phi-

losophy from one based on paternalism to that of empowerment is taking place, it

seems to this writer that empowerment of children is ignored.

This paper reexamines the traditional view of the child in the child welfare

field, and a pathological model in the field of child abuse intervention from the

viewpoint of“RESILIENCE" , while it introduces an assistance program to the

abused children, quoting the Child Abuse Prevention program that has come to be

known as a model program to empower the children.

Key Words: Child abuse, View of the child, Resilience, Empowerment, Child

abuse prevention program

31