大気腐食について* ·...

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551. 551. 8∫ 551. 574. 7. 上層における金属(アルミニウム)の 大気腐食について* 市村市太郎**神山恵三榊 要旨 雲中で形成されている降水粒子のスペクトラムを測定するために飛行機観測を行った.この一連の観測 は,1968年9月30日,10月3,4日にわたり,そのときの関東地方上空の雲はいづれも層状雲であったが, 10月4日の記録だけが,セソサとして使っているアルミ箔の一部に著しい腐食現象が現われた.そして, この記録からは降水粒子の読取りが逐に不可能になったということを経験した、後日この部分を抽出して, X線回折と電子顕微鏡で観察したところ,水酸化アルミニウム(バイアライト)が生成されていることが分 った.常温大気中ではアルミニウムからはバィアラィトは生成されにくいことを考えると,上空の大気中に 化学的に強力な腐食物質が存在していたものと想像される.螢光X線回折によって,これらの腐食面に多量 の硫黄,塩素分のあることが分った. 1.まえがき 雲中の降水粒子を連続的に観測するための測定器の開 発とその実験中(1968年9月10日),アルミ箔リボンが 腐食するという現象を経験した.測定器感部に使用し たアルミ箔の厚さはO.012mm(日本アルミ箔製,純度 99.65%),幅30mmのリボンで長さは300mある.実験 に使った飛行機はダグラスDC-3型機で,感部は飛行機 の機体およびペラ後流や排気ガスの影響をうけない位置 で実験している.雲中で形成されている雨滴および雲粒 子は,雲中を貫通する飛行機の相対速度(約70m/sec) と同じ速度にて20×25mmのスリットを通してアルミ 箔に衝突する.ただしこの測定器は直径100μ以上の降 水粒子を記録するように設計されているので雲粒子の衝 突痕跡は記録されない. 一般に大気中の水蒸気が凝結して雲を形成し,雲粒子 から降水粒子に成長して地上に落ちるまでには,大気中 に含まれている各種工一・ゾルやダストの影響をうけ る.特に最近間題になっている大気汚染は,その原因を コンビナート,重工業地帯,自動車排気など産業の発展 にともなって排出されるガスの大気への放出とされてい でり コヨの 1 一よ汰講 邸一 垂謎。 髄ゆ \1ツ。 添9一 蟹\ぼ 響㌻一・・ 160 170 40 30 20 15 *On the Atmospheric Corrosion of Aluminum in Upper Air. **1.Ichimura気象研究所 ***K.Kamiyama気象研究所 一1973年12月25日受理一 第1図1968年10月4日の850mb天気図 るが,これら大気中に含まれているエー・ゾル物質に関 する知見は必らずしも十分とはいえない.1968年10月4 日の観測におけるアルミ箔の腐食現象もまったく予想し ていなかったことであった.事後分析の結果,アルミ箔 を腐食させたと考えられる化学成分とその発生源につい て考えた. 1974年5月 2.1968年10月4日の観測 飛行機を利用する観測では,測定器類から出る電気的 雑音が,飛行機の計器類に対する障害となっては危険で すから,飛行前の整備点検を十分に行い機長による地上 21

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Page 1: 大気腐食について* · 定時間は2分~5分間の範囲で,水平飛行距離にして約 8,400~21,000mまでの降水粒子を観測している. 第2図で飛行コース上に斜線で示したところが降水粒

551. 551. 8∫ 551. 574. 7.

上層における金属(アルミニウム)の

大気腐食について*

市村市太郎**神山恵三榊

 要旨

 雲中で形成されている降水粒子のスペクトラムを測定するために飛行機観測を行った.この一連の観測

は,1968年9月30日,10月3,4日にわたり,そのときの関東地方上空の雲はいづれも層状雲であったが,

10月4日の記録だけが,セソサとして使っているアルミ箔の一部に著しい腐食現象が現われた.そして,

この記録からは降水粒子の読取りが逐に不可能になったということを経験した、後日この部分を抽出して,

X線回折と電子顕微鏡で観察したところ,水酸化アルミニウム(バイアライト)が生成されていることが分

った.常温大気中ではアルミニウムからはバィアラィトは生成されにくいことを考えると,上空の大気中に

化学的に強力な腐食物質が存在していたものと想像される.螢光X線回折によって,これらの腐食面に多量

の硫黄,塩素分のあることが分った.

 1.まえがき

 雲中の降水粒子を連続的に観測するための測定器の開

発とその実験中(1968年9月10日),アルミ箔リボンが

腐食するという現象を経験した.測定器感部に使用し

たアルミ箔の厚さはO.012mm(日本アルミ箔製,純度

99.65%),幅30mmのリボンで長さは300mある.実験

に使った飛行機はダグラスDC-3型機で,感部は飛行機

の機体およびペラ後流や排気ガスの影響をうけない位置

で実験している.雲中で形成されている雨滴および雲粒

子は,雲中を貫通する飛行機の相対速度(約70m/sec)

と同じ速度にて20×25mmのスリットを通してアルミ

箔に衝突する.ただしこの測定器は直径100μ以上の降

水粒子を記録するように設計されているので雲粒子の衝

突痕跡は記録されない.

 一般に大気中の水蒸気が凝結して雲を形成し,雲粒子

から降水粒子に成長して地上に落ちるまでには,大気中

に含まれている各種工一・ゾルやダストの影響をうけ

る.特に最近間題になっている大気汚染は,その原因を

コンビナート,重工業地帯,自動車排気など産業の発展

にともなって排出されるガスの大気への放出とされてい

  でり     ま む    コヨの   コ の    ヌ ン

1 一よ汰講 ,  仏  邸一 垂謎。   髄ゆ 野  \1ツ。  脚      嫡  ノ 添9一     蟹\ぼ

響㌻一・・

160    170

40

30

20

15

 *On the Atmospheric Corrosion of Aluminum

  in Upper Air.

**1.Ichimura気象研究所

***K.Kamiyama気象研究所

  一1973年12月25日受理一

第1図1968年10月4日の850mb天気図

るが,これら大気中に含まれているエー・ゾル物質に関

する知見は必らずしも十分とはいえない.1968年10月4

日の観測におけるアルミ箔の腐食現象もまったく予想し

ていなかったことであった.事後分析の結果,アルミ箔

を腐食させたと考えられる化学成分とその発生源につい

て考えた.

1974年5月

 2.1968年10月4日の観測

 飛行機を利用する観測では,測定器類から出る電気的

雑音が,飛行機の計器類に対する障害となっては危険で

すから,飛行前の整備点検を十分に行い機長による地上

21

Page 2: 大気腐食について* · 定時間は2分~5分間の範囲で,水平飛行距離にして約 8,400~21,000mまでの降水粒子を観測している. 第2図で飛行コース上に斜線で示したところが降水粒

252 上層における金属(アルミニウム)の大気腐食について

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3

第2図 観測飛行経路と観測点(1968年10月4日)

テストをうけてから離陸するので,実際の飛行は午後に

なる場合が多い.10月4日の場合も羽田空港を13時30

分に離陸した.空港上空は雲でおおわれまもなく雨が降

りそうな気象状況であった.第1図の高層天気図(850

mb)からもわかるように,この日は,東支那海から九

州,本州南岸を通り東西方向に数千キロものびた前線が

停滞しており,その北側にあたる日本列島は北海道,東

北地方の一部をのぞいてほとんど層状雲でおおわれてい

た.離陸してから観測飛行コースにあたる羽田一福島県

第3図 全観測点におけるアルミ箔記録の一部の写

大子上空までの領域は数層に分かれた層状雲で構成さ

れ,各層状雲とも数百キロにわたる帯状構造をしてい

た.ところにより各層の雲と雲との間はより上層の雲か

ら尾流によって埋められ,そこでは直径1mm以上の

雨滴を観測されることが多かった.観測飛行領域の飛行

高度(6,000ft)付近の風は南東風で, これは館野の高

層風観測とも一致している.

 観測飛行コース上測定器を露出した位置を第2図に示

す.白丸印の地名は航空無線標識の施設点で都市名と一

致した位置でないものもある.黒色印は地図上の都市名

である.離陸してから館山上空で高度を6,000丘にとり,

大島に向って飛行中,前線の南側では晴れてきて,海上

と大島上空にて雲頂高度7,000丘位の積雲を二つ選んで

最初の観測を行った.大島上空で旋回して横須賀上空に

接近するにつれて再び層状雲の雲中飛行に移ったが,視

第4図 観測点No.1とNo.6におけるアルミ箔表面の電子顕微鏡写真

22 、天気”215.

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上層における金属(アルミニウム)の大気腐食について 255

1

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0

2 e。

第5図 観測点No.1とNo.6試料のX線回折像

程よくかすかに地形を確認できる程度のうすい雲であっ

たため,大宮上空までの間では観測を行わなかった.

大宮より先のコースで4回観測を実施したが,一回の測

定時間は2分~5分間の範囲で,水平飛行距離にして約

8,400~21,000mまでの降水粒子を観測している.

 第2図で飛行コース上に斜線で示したところが降水粒

子測定器を露出して観測したところに相当し,そのうち

でアルミ箔を腐食させたのはObs.No.6と7で,他の

場所においてはそれを経験しなかった.第3図にそのと

きに得られた記録片を示したが,Obs・No・6と7は強

い腐食をうけた記録である.

 5.電子顕微鏡およびX線回折による考察

 これらのアルミ箔についてそれぞれ電子顕微鏡写真を

撮ってみた.第4図は腐食の進んでいないObs・No・1

におけるアルミ箔と腐食のはげしかったObs.No.6に

おけるアルミ箔についての電子顕微鏡写真である.

 Obs.No.1におけるものは,アルミニウム金属素面

がでているが,Obs。No.6におけるものは腐食面が表

われている.後述するバイアライト特有のHexagonal

な結晶が表われていた.

 第5図は,同じ試料についてのX線回折像である.こ

のX線回折のデータは次の通りである.

   X線ターゲット   Cu(Ni)

1974年5月

X線強度

デテクター

スキャニソグスピード

スリット

チャートスピート

時定数

40KVP.20ma

GM-1200V1。/min

第1  1。

第2 0.2min第3  1。

10mm/minl sec

 第5図一1は,Obs.No.1における腐食のなかったア

ルミ箔についてのX線回折,第5図一2は,Obs・No・6

における腐食のはげしかったアルミ箔についてのX線回

折像である.

S 一 pattern

のユ

Ob~,NO,2 Obs,NO3 Ob5,NO.4 Ob5-NO、5 Ob5.Nσ6 Ob㍉NO、7

O ↑ーーー

帰ど 4

と 4ピ

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6冒 冒

切 切 の φ ㎝

   i    1洲   1 四 洲110 113 11 113 1ユO 113 110 113 110 ,13 110 113

           20:

第6図 各観測点の螢光X線(Kα準位)によるS

    の回折像

23

Page 4: 大気腐食について* · 定時間は2分~5分間の範囲で,水平飛行距離にして約 8,400~21,000mまでの降水粒子を観測している. 第2図で飛行コース上に斜線で示したところが降水粒

254

α

o

上層における金属(アルミニウム)の大気腐食について

Cl-pattem

Obs No,2  ,Obs,No.3 Obs,No・4 Obs.No.5 ObsNo.6  ウ

Obs,No.7

送 冠 と 渚返1

鷲呈

y ¥ y y

一〇

一〇

一u

一じ

一u

『o

砥_^、_湘 }》一す6一 露 §る一

第7図

       の              の              の         イ    の

         2θ。。

各観測点の螢光X線(Kα準位)によるC1の回折像

の  :O

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    i       i    i    i  iS-patter・](。ver。1)s、6P〔)mt)

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  璽7_1巫9_里_聾          _1且

     2.9●           2α。

第8回観測点No.1とNo。6の螢光X線による    Sの回折像の比較

腐食のないアルミ箔については,回折角

    d=2.344

    d=2.027

    d=1.437

    dニ1.222

24

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Cl-Patte「「r〔。ver。bs、1p。mt)

   i

   l

    へ

ん血一90   92   94

  2θ’            2θ。

第9図観測点No.1とNo.6の螢光X線による    Clの回折像の比較

にあらわれているようなアルミニウムの特徴的な回折像

が得られているが,腐食のはげしいアルミ箔について

は,これらの回折角の他に,

                  、天気”21.5.

Page 5: 大気腐食について* · 定時間は2分~5分間の範囲で,水平飛行距離にして約 8,400~21,000mまでの降水粒子を観測している. 第2図で飛行コース上に斜線で示したところが降水粒

上層における金属(アルミニウム)の大気腐食について

     d=4.745

     d=4.396

     d=3.220

     d=2.227

に強い回折像があり,これらは水酸化アルミニウムのバ

イアライト(Byerite)β一A1(OH)3の特有なものであ

る.

 バイアライトは,アルマイトやベイライトのような水

酸化アルマイトの生成条件よりも,もっとはげしい腐食

条件で生成されるものである.

 アルミニウムは亜硫酸にはほとんどおかされず,薄い

硫酸や塩酸におかされることを考えれば,Obs・No・6

ではそれらの腐食酸類が存在していることが考えられ

る.

 そこでObs.No.2よりObs.No.7までの観測点

における各アルミ箔の螢光X線回折像をとってみた.第

6図は,それぞれの各観測点におけるアルミ箔の上に付

着していた硫黄,第7図は塩素の螢光X線像である.

Obs.No.6とObs.No.7の観測点においては,他の

観測点における硫黄や塩素よりはるかに多いことが明ら

かである.とくに比較のために第6,7図の螢光X線回

折よりも低い1/2感度の回折像を第8図と第9図に示し

たが,Obs.No.6におけるアルミ箔の腐食とバイアラ

イトの生成がはるかにObs.No.1より進んでいたこと

が,これらの腐食物質の多いことによって証明されよう.

 Obs.No.6,7におけるアルミ箔の腐食がはげしく,

硫黄,塩素の量が他の観測点より多いこと,とくに,海

洋上における塩素の量より多いことは注目すべきことで

あろう.

 第1図から風系を判断すると,Obs,No・6,7の観測

点へは,南東寄りの風が吹き込んできていることが考え

られ,鹿島地区からの風が流入していると思われる.

255

 多量の硫黄酸化物や塩酸のような塩素化合物のこの地

域への流入も考えられる.

 塩化ビニールの焼却や,掃鉛剤(アンチノック剤,四

エチル鉛が燃焼した際,エソジンにたまる鉛を排出させ

るために作る)としての塩化エチレン,臭化エチレンか

ら多量の塩化水素がでていることを考えれば関東上空に

海洋上よりも多量の塩素分が存在して不思議ではないこ

とになる.

 4.むすび

 関東上空の短時間の飛行によって得られた雨滴観測用

センサのアルミ箔が,場所により腐食のいちじるしく進

行する地域のあることが明らかになり,腐食物質とし

て,多量の硫黄化合物,塩素化合物が存在していること

が明らかになった.

 わずか一回観測の一例報告ではあるが,これらの腐食

物質は少なくとも海洋上より多い塩素化合物を含んでい

ること,多量の硫黄化合物と共存していること,ならび

に,風系より考えて鹿島工業地域と無縁ではないという

ことから,工業生成物であろうということが明らかであ

る.

 しかも,かなリブ・ック状となって,必ずしも広範に

拡散しているものとは考えられない.最近,各種の航空

機の事故防止のためにも,上空における金属の大気腐食

について注意を払う必要のあることを,この一例は物語

っているといえよう.

 最後に,調査の過程で討論してくれた根本修研究官お

よび,X線回折でお世話になった村田守義氏に謝意を表

します.

市村市太郎,

 記録方法,

文 献

藤原美幸,1963:衝撃法による雨滴の天気.10,361-363.

1974年5月 25