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Hokkaido University of Education Title Author(s) �, Citation �, 17: 167-171 Issue Date 2020-03 URL http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/11241 Rights

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Hokkaido University of Education

Title 多音字と辞書指導 ―「塞翁馬」を事例として―

Author(s) 吉田, 勉

Citation 国語論集, 17: 167-171

Issue Date 2020-03

URL http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/11241

Rights

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(29)

ゆれていたひとつの小さな火が、ながいことかかって・

・・・

・・・・・

やっとふたつになりました。

たばこをにぎっているお客のゆびも、こまかくふるえてい

ます。

ふるえる手で、松井さんがたばこに火

をつけたとき、うしろからお客の声がしました。

「わたしにも、火をください。」

月のひかりで、水色にそまったとうもろこしの葉が、さわ

さわさわさわ音をたててゆれています。

松井さんは、ふらふらするあたまを、かた手でおさえて、

車のそとにでました。

音も、声も、だんだんだんだん小さくなりました。そして、

しまいに、なにもかも、きこえなくなってしまったのです。

きたよき

たよ・・

・・・・

・・・・

・・

ゆれていたひとつの小さな火が、ながいことかかって・

・・・

・・

やっとふたつになりました。

たばこをにぎっているお客のゆびも、こまかくふるえてい

ます。

ふるえる手で、松井さんがたばこに火をつけたとき、うし

ろからお客の声がしました。

「わたしにも、火をください。」

月のひかりで、水いろにそまったとうもろこしの葉が、さ

わさわさわさわ音をたててゆれています。

松井さんは、ふらふらするあたまを、かた手でおさえて、

車のそとにでました。

音も、声も、だんだんだんだん小さくなりました。そして、

しまいに、なにもかも、きこえなくなってしまったのです。

(しゃぶ

しゃぶ

しゃぶ)

きたよき

たよき

たよ・・

・・・・

・・・・・・

多音字と辞書指導

――「塞翁馬」を事例として――

はじめに

『淮南子』人間篇を出典とする故事成語「塞翁馬」は、従来、多く

の高校生用国語教科書に取り上げられており、漢文入門期の定番

教材の一つに数えられる(

一)

。本稿は、入門教材として扱われること

の多い、この「塞翁馬」を例として、やはり入門期になされるべき、漢

和辞典の使い方の指導――辞書指導について、具体例を示しつつ、

その効果的なあり方を摸索するものである。漢和辞典を正確に用

いることは、言語活動を営む上で必要不可欠とも言えるほどに重

要な技術であると考える。本稿では、特に多音字と呼ばれる現象

に注目して、これを論ずることとしたい。

多音字について

ここにいう多音字とは、複数の字音を持つ漢字のことである(

二)

多音字は、一般に、字音の相違が字義の相違とも対応していて、特

定の字音で読むことにより、それに対応する字義を表すことになる。

よく知られる例としては「楽」の字を挙げることができる。

実際に「楽」の字を用いた熟語を考えてみよう。「音楽」というと

きと「歓楽」というときとでは、それぞれ「ガク」と「ラク」という具合

に「楽」字の字音が読み分けられる。そして、それぞれの意味は、「ガ

ク」がまさしく「音楽」を指し、「ラク」が「たのしむ」ことを指す、とい

うように、字音の相違が意味の相違にも対応している(

三)

。このよう

な文字を通称して多音字と呼んでいる。

かかる現象が見られるのは、元来、一字一義であった漢字が、字

義の分化に伴って、原義と派生義とを区別するために字音の一部

を変化させたためだと考えられている(

四)

なお、ここに注意すべきは、いわゆる漢音・呉音などとの別である。

右の現象は、これらの日本漢字音とは全く別の、その漢字が元来有

する読み分けである。再び「楽」字に例を取れば、「音楽」の意味を

表す場合、それに対応する字音は、漢音・呉音ともに「ガク」であり、

「たのしむ」の場合も、やはり漢音・呉音ともに「ラク」である。つまり、

漢音なら漢音の中で、呉音なら呉音の中で、このような読み分けが

存在しているのである。漢音と呉音とは、それぞれが一つの体系を

成し、相互の字音の相違は、時代や地域の差による相違であるのに

対して、ここにいう多音字の字音の相違は、一つの字音の体系中での、

意味を区別するための相違であることに注意しておきたい。

多音字が漢音・呉音等と全く別のものであることについては、現

代中国語の共通語、いわゆる普通話の場合を考えることによっても、

理解することができるだろう。普通話においても、やはり多音字の

読み分けは存在する。三たび「楽」字を例とするならば、「音楽」の

意味を表す際には"yuè"(yue

の四声)

と発音され、「たのしむ」の場

合には"lè"(leの四声)

と発音されて、確かに発音の相違と意味の相

違とが対応しているのである。字音の別と言えば、我々日本人はま

−167−

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ず、漢音・呉音・唐音などを想起するのであるが、ここに取り上げる

多音字は、それらとは異なる性質のものであることに気をつけたい。

しかしながら、国語としての漢文を考える際に留意したいのは、

現代中国語で多音字とされる字と、日本語における字音の読み分

けとが、必ずしも一対一で対応していないことである。例えば「伝」

の字は、現代中国語では「伝える」の意味を表す場合には"chuán"

(chuan

の二声)

と発音し、「列伝」などの伝記・著作の意味を表す場

合には"zhuàn"(zhuanの四声)

と発音して読み分けるが、日本漢字

音では、いずれの意味を表す場合でも漢音は「テン」、呉音は「デン」

であり、両者を区別していない。これとは逆の場合もあり、「易」の字

は、「容易」と「改易」という熟語中に用いられたとき、日本漢字音

ではそれぞれ漢音で「イ」(

=たやすい)と「エキ」(

=変化する)

と読み

分けるが、現代中国語ではこれらはいずれも"yì"(yi

の四声)

と発音

され、発音上の区別がない。国語の問題として考える場合には、日

本の漢字音で読み分けがなされるものを取り上げるべきであろう。

次節以降では、専らそのような例に限って、多音字を考えてゆくこ

ととする。

「塞翁馬」と多音字

それでは、実際に「塞翁馬」を例として、その中に含まれる多音字

を見てゆこう。以下に、参考として「塞翁馬」の出典部分を掲げる(

五)

なお、返り点・送り仮名は、本稿の内容とは直接関わらないことか

ら省略した。

夫禍福之転而相生、其変難見也。近塞上之人、有善術者。馬

無故亡而入胡。人皆弔之。其父曰、「此何遽不為福乎。」居数

月、其馬将胡駿馬而帰。人皆賀之。其父曰、「此何遽不能為

禍乎。」家富良馬。其子好騎、堕而折其髀。人皆弔之。其父曰、

「此何遽不為福乎。」居一年、胡人大入塞。丁壮者引弦而戦、

近塞之人、死者十九。此独以跛之故、父子相保。故福之為禍、

禍之為福、化不可極、深不可測也。

このうち、日本漢字音において読み分けがなされる多音字を列

挙し、それぞれの字音とそれに対応する字義とを示せば、以下の通

りである。字音は漢音による(

六)

①而(

一)

なんじ、(

接続詞としての)

しかして、など

(

二)

ドウ

あたう(

能に同じ)

②難(

一)

ダン

むずかしい、わざわい、なじる、など

(

二)

植物が茂るさま、おにやらい(

儺に同じ)

③塞(

一)

ソク

ふさぐ、みちる、など

(

二)

サイ

とりで、さいころ、など

④亡(

一)

ボウ

にげる、うしなう、ほろびる、わすれる、など

(

二)

ない(

無に同じ)

、なかれ(

毋に同じ)

、など

⑤弔(

一)

チョウ

とむらう、あわれむ、など

(

二)

テキ

到来する、善良なさま、など

⑥不(

一)

(

打ち消しの)

ず・ない、花の萼

(

二)

大いに(

丕に同じ)

(

三)

フウ

(

文末に置いて)

~やいなや(

否に同じ)

⑦居(

一)

キョ

住む、(

時間が)

過ぎる、住まい、など

(

二)

(

疑問や感嘆の語気を表して)

~か(

乎に同じ)

⑧数(

一)

ス・スウ

かず、規律、罪状をかぞえ挙げて責める、など

(

二)

サク

しばしば、はやい、せわしい

(

三)

ショク

細密なさま

⑨能(

一)

ドウ

あたう、~できる、能力のあるさま、など

(二)

ダイ

耐えられる(

耐に同じ)

(三)タイ

かたち(

態に同じ)

⑩家(

一)カ

いえ、居住する、など

(

二)

女性に対する尊称、しゅうとめ

−168−

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ず、漢音・呉音・唐音などを想起するのであるが、ここに取り上げる

多音字は、それらとは異なる性質のものであることに気をつけたい。

しかしながら、国語としての漢文を考える際に留意したいのは、

現代中国語で多音字とされる字と、日本語における字音の読み分

けとが、必ずしも一対一で対応していないことである。例えば「伝」

の字は、現代中国語では「伝える」の意味を表す場合には"chuán"

(chuan

の二声)

と発音し、「列伝」などの伝記・著作の意味を表す場

合には"zhuàn"(zhuan

の四声)

と発音して読み分けるが、日本漢字

音では、いずれの意味を表す場合でも漢音は「テン」、呉音は「デン」

であり、両者を区別していない。これとは逆の場合もあり、「易」の字

は、「容易」と「改易」という熟語中に用いられたとき、日本漢字音

ではそれぞれ漢音で「イ」(

=たやすい)

と「エキ」(

=変化する)

と読み

分けるが、現代中国語ではこれらはいずれも"yì"(yi

の四声)

と発音

され、発音上の区別がない。国語の問題として考える場合には、日

本の漢字音で読み分けがなされるものを取り上げるべきであろう。

次節以降では、専らそのような例に限って、多音字を考えてゆくこ

ととする。

「塞翁馬」と多音字

それでは、実際に「塞翁馬」を例として、その中に含まれる多音字

を見てゆこう。以下に、参考として「塞翁馬」の出典部分を掲げる(

五)

なお、返り点・送り仮名は、本稿の内容とは直接関わらないことか

ら省略した。

夫禍福之転而相生、其変難見也。近塞上之人、有善術者。馬

無故亡而入胡。人皆弔之。其父曰、「此何遽不為福乎。」居数

月、其馬将胡駿馬而帰。人皆賀之。其父曰、「此何遽不能為

禍乎。」家富良馬。其子好騎、堕而折其髀。人皆弔之。其父曰、

「此何遽不為福乎。」居一年、胡人大入塞。丁壮者引弦而戦、

近塞之人、死者十九。此独以跛之故、父子相保。故福之為禍、

禍之為福、化不可極、深不可測也。

このうち、日本漢字音において読み分けがなされる多音字を列

挙し、それぞれの字音とそれに対応する字義とを示せば、以下の通

りである。字音は漢音による(

六)

①而(

一)

なんじ、(

接続詞としての)

しかして、など

(

二)

ドウ

あたう(

能に同じ)

②難(

一)

ダン

むずかしい、わざわい、なじる、など

(

二)

植物が茂るさま、おにやらい(

儺に同じ)

③塞(

一)

ソク

ふさぐ、みちる、など

(

二)

サイ

とりで、さいころ、など

④亡(

一)

ボウ

にげる、うしなう、ほろびる、わすれる、など

(

二)

ない(

無に同じ)

、なかれ(

毋に同じ)

、など

⑤弔(

一)

チョウ

とむらう、あわれむ、など

(

二)

テキ

到来する、善良なさま、など

⑥不(

一)

(

打ち消しの)

ず・ない、花の萼

(

二)

大いに(

丕に同じ)

(

三)

フウ

(

文末に置いて)

~やいなや(

否に同じ)

⑦居(

一)

キョ

住む、(

時間が)

過ぎる、住まい、など

(

二)

(

疑問や感嘆の語気を表して)

~か(

乎に同じ)

⑧数(

一)

ス・スウ

かず、規律、罪状をかぞえ挙げて責める、など

(

二)

サク

しばしば、はやい、せわしい

(

三)

ショク

細密なさま

⑨能(

一)

ドウ

あたう、~できる、能力のあるさま、など

(

二)

ダイ

耐えられる(

耐に同じ)

(

三)

タイ

かたち(

態に同じ)

⑩家(

一)

いえ、居住する、など

(

二)

女性に対する尊称、しゅうとめ

⑪堕(

一)

おちる、廃する、おこたる

(

二)

こぼつ、こわす

⑫折(一)

セツ

折りまげる、屈服する、早死にする、など

(二)ゼツ

値を割り引く、損をする

⑬大(

一)

タイ

おおきい、おおいに、最上の、など

(

二)

巨大なさま

⑭丁(

一)

テイ

十干の第四位、わかもの、遭遇する、など

(

二)

トウ

(丁丁と重ねて)

おので木を切る音、など

⑮跛(

一)

一方の足が不自由なこと

(

二)

片足で立つ

先に引用した「塞翁馬」の本文は僅か百四十七字であるが、その

中からでも、右に示したように合計十五もの多音字を挙げること

ができる。この他に、日本漢字音では読み分けがなされないものの、

多音字と認められるものがさらにもう十五あり(

七)

、意外にも多音

字が多いことに気づかされる。

しかしながら、右に列挙した字音と字義とを一瞥しても分かる

ように、日常生活において、我々がこれらの読み分けの全てを意識

しているとは限らない。むしろ、そのほとんどが、普段の言語生活の

意識にも上らないものであろう。そこで、次節では実際の辞書指導

の例を考えながら、多音字について授業で取り上げる方法について

考えてみたい。

辞書指導の実際

前節では「塞翁馬」の中の多音字を網羅的に掲げたが、すでに述べ

たように、その全てが日常生活に緊密に結びついているとは考えら

れない。ここでは、教材の表題ともなっている「塞」字を例として取り

上げ、実際に辞書指導を行う手順を考えてみたい。

漢和辞典の使い方は、漢文の授業全てに関わることであるから、

なるべく早い段階でその用法を共有しておくことが望ましい。本教

材を扱うに当たって、まずはじめに「塞翁馬」あるいは「塞翁が馬」と

板書することになるだろう。その際に「塞」字を取り出して、「この字

の音読みは何ですか」と発問する。当然、「サイ」という字音は、本

教材を指示する時点ですでに用いているから、すぐに挙がるだろう。

重ねて「別の音読みを知っていますか」と発問する。「ソク」という字

音が自然に挙がればよいが、そうでない場合には、黒板に「閉塞」と

いう熟語を書き記して、回答を促すことが効果的だろう。

このように、まずは発問によって「塞」字には「サイ」と「ソク」とい

う二つの字音があることを確認する。

次に、漢和辞典を用いて、教室全体で「塞」字を検索するように

指示する。その際、漢和辞典が一般的に部首ごとの配列になってい

ること、したがって、部首索引を用いることが正統的な使用法とも

言えるが、字音や字訓がすでに判明している際には、音訓索引を用

いると検索が速いことなどを助言するとよいだろう。普段、高校生

にとって、漢和辞典を引く機会は滅多にないだろうから、基礎的な

ことではあるが、この点は丁寧に確認しておきたい。なお、電子辞書

の場合には、手書きの文字を自動的に認識し、検索してくれる機能

が付いたものも多い。便利な機能ではあるが、最初はやはり部首引

き・音訓引きの使い方を確認するようにしたい。「塞」は土部の十画

である。

こうして目的の「塞」字にたどり着いた後は、「サイ」「ソク」という

字音ごとに、どのような字訓・意味があるかを、漢和辞典の記述を

もとに確認し、板書してまとめる。その際には、本稿ですでに述べた

ように、この字音の相違は、漢音・呉音などとは別ものであることを

説明し、注意を促すとよいだろう。また、板書の内容には、以上のこ

とに加えて、それぞれの字音を含む熟語をも記すことで、効果的に

学習内容の定着を図ることができるだろう。

−169−

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以下に板書の案を示す。

【板書案】

㊀〔音〕サイ

〔訓〕とりで

〔意味〕辺境のけわしい要害の地・国境地帯

〔熟語〕要塞・城塞・塞外・出塞・険塞……

㊁〔音〕ソク

〔訓〕ふさ-

ぐ・せ-

く・ふさ-

がる

〔意味〕ふさぎとめる・みちる

〔熟語〕閉塞・充塞・脳梗塞・塞栓症・抜本塞源……

※↑漢音・呉音とは別の読み分け

このように、「塞」一字を例として多音字を考察するだけでも、漢

字の性質や、それが日本語の語彙の構造・特色といかに深く関聯し

ているかを自覚し、再考するきっかけになるだろう。

また、『論語』の冒頭、

子、曰はく、学びて時に之を習ふ、亦た説ばしからずや。朋、

遠方より来たる有り、亦た楽しからずや。人、知らずして慍ら

ず、亦た君子ならずや。

は、多くの生徒が中学校等で学習し、すでに知っているところであろ

う。これを機会として「説ばし」や「楽し」と読む「説」「楽」についても、

同様に漢和辞典を用いて、字音と字訓、意味等の関係について考え、

板書にまとめたい(

八)

。そうすることで、字音と字訓・意味との関係に

ついて、より一層、知識の定着を図ることができるだろう。

加えて、右のような一連の作業を通して、多音字という現象が意

外にも多く見られるものであることに注意を促したい。その際、前

節で示したように、手元にある「塞翁馬」の短文の中にも、実は多く

の多音字が含まれることを話題とするならば、学習者の興味を引

き起こすこともできるだろう。

このように、多音字の学習を通じて、漢語の特性を考えるきっか

けを作ると同時に、漢和辞典の使い方を改めて学習し直すことは、

これ以降の漢文の学習を進めるに当たって、有意義な導入となると

考えられるのである。

おわりに

筆者は高校時代、友人と「易化」の読み方を話題にしたことがあ

った。恥ずかしながら、当時は漢字についての知識が不足していたた

め、結局、結論は出ずじまいだったように記憶している。しかしその

後、大学で中国思想を専攻してすぐに、漢和辞典を引きさえすれ

ば、否、むしろそうするまでもなく、「難易」という熟語を考えさえ

すれば、このような語の読み方は簡単に知ることができることを悟

った。

本稿で論じた内容は、あるいは周知のことに属するかも知れない。

しかしながら、高校時代の筆者がそうであったように、漢和辞典の

引き方を改めて学ぶ機会は、実のところ稀であるように思われる。

多音字を手がかりとして漢和辞典の使い方を再確認することは、

漢和辞典の有用性を再確認するとともに、生徒一人一人の生涯に

わたる言語活動を豊かにするためにも、有効なことであろう。一時

期、ニュースで頻繁に取り上げられた「忖度(

タク)

」などの語を見るに

つけ、その思いを新たにする。ここに、あえて多音字と辞書指導とい

うテーマ取り上げた次第である。

(

一)二〇一八年度の教科書をもとに調査を行った「教科書に取り

上げられている故事成語一覧」(『漢文教室』第二〇四号、大修館

書店、二〇一八年)

によれば、「塞翁馬」は七社十種の教科書に採

録されている。これは「四面楚歌」(

十社十四種)

、「朝三暮四」(

社十三種)

、「胡蝶之夢(

夢為胡蝶)

」(

九社十一種)

、「先従隗始」

−170−

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以下に板書の案を示す。

【板書案】

㊀〔音〕サイ

〔訓〕とりで

〔意味〕辺境のけわしい要害の地・国境地帯

〔熟語〕要塞・城塞・塞外・出塞・険塞……

㊁〔音〕ソク

〔訓〕ふさ-

ぐ・せ-

く・ふさ-

がる

〔意味〕ふさぎとめる・みちる

〔熟語〕閉塞・充塞・脳梗塞・塞栓症・抜本塞源……

※↑漢音・呉音とは別の読み分け

このように、「塞」一字を例として多音字を考察するだけでも、漢

字の性質や、それが日本語の語彙の構造・特色といかに深く関聯し

ているかを自覚し、再考するきっかけになるだろう。

また、『論語』の冒頭、

子、曰はく、学びて時に之を習ふ、亦た説ばしからずや。朋、

遠方より来たる有り、亦た楽しからずや。人、知らずして慍ら

ず、亦た君子ならずや。

は、多くの生徒が中学校等で学習し、すでに知っているところであろ

う。これを機会として「説ばし」や「楽し」と読む「説」「楽」についても、

同様に漢和辞典を用いて、字音と字訓、意味等の関係について考え、

板書にまとめたい(

八)

。そうすることで、字音と字訓・意味との関係に

ついて、より一層、知識の定着を図ることができるだろう。

加えて、右のような一連の作業を通して、多音字という現象が意

外にも多く見られるものであることに注意を促したい。その際、前

節で示したように、手元にある「塞翁馬」の短文の中にも、実は多く

の多音字が含まれることを話題とするならば、学習者の興味を引

き起こすこともできるだろう。

このように、多音字の学習を通じて、漢語の特性を考えるきっか

けを作ると同時に、漢和辞典の使い方を改めて学習し直すことは、

これ以降の漢文の学習を進めるに当たって、有意義な導入となると

考えられるのである。

おわりに

筆者は高校時代、友人と「易化」の読み方を話題にしたことがあ

った。恥ずかしながら、当時は漢字についての知識が不足していたた

め、結局、結論は出ずじまいだったように記憶している。しかしその

後、大学で中国思想を専攻してすぐに、漢和辞典を引きさえすれ

ば、否、むしろそうするまでもなく、「難易」という熟語を考えさえ

すれば、このような語の読み方は簡単に知ることができることを悟

った。

本稿で論じた内容は、あるいは周知のことに属するかも知れない。

しかしながら、高校時代の筆者がそうであったように、漢和辞典の

引き方を改めて学ぶ機会は、実のところ稀であるように思われる。

多音字を手がかりとして漢和辞典の使い方を再確認することは、

漢和辞典の有用性を再確認するとともに、生徒一人一人の生涯に

わたる言語活動を豊かにするためにも、有効なことであろう。一時

期、ニュースで頻繁に取り上げられた「忖度(

タク)

」などの語を見るに

つけ、その思いを新たにする。ここに、あえて多音字と辞書指導とい

うテーマ取り上げた次第である。

(

一)

二〇一八年度の教科書をもとに調査を行った「教科書に取り

上げられている故事成語一覧」(『漢文教室』第二〇四号、大修館

書店、二〇一八年)

によれば、「塞翁馬」は七社十種の教科書に採

録されている。これは「四面楚歌」(

十社十四種)

、「朝三暮四」(

社十三種)

、「胡蝶之夢(

夢為胡蝶)

」(

九社十一種)

、「先従隗始」

(八社十一種)

に続いて、五番目に多い。

(

二)多音字は、当該漢字それ自体を指して呼ぶ名称であるが、この

現象を指す場合には「破読」「破音」また「一字両読」などとも呼

ぶ。

(

三)

「楽」にはこの他に「ゴウ」という字音もあり、この場合は「欲す

る」「愛好する」という意味に対応する。

(

四)

詳しくは、中国語学研究会『中国語学新辞典』(

光生館、一九七

〇年)

の「破音」の項(執筆は戸川芳郎)

、及び洪誠『訓詁学講義―

―中国古語の読み方』(森賀一惠・橋本秀美訳、アルヒーフ、二〇

〇三年)

第二章第四節を参照。

(

五)

引用本文は『漢文大系』第二十巻(

富山房、一九七七年増補版)

所収の『淮南鴻烈解』により、字体は通行のものに改めた。

(

六)

字音の認定には、漢和辞典ごとに多少の相違がある。本稿での

多音字の調査に当たっては、佐藤進・濱口富士雄編『全訳漢辞

海』第四版(

三省堂、二〇一七年)

を用いた。

(

七)

夫・転・相・其・見・上・有・父・何・為・将・帰・好・騎・九の十五字。

例えば「好」は、現代中国語で「よい」の場合には"hǎo"(hao

の三

声)

、「好む」の場合には"hào"(hao

の四声)

と発音するが、日本漢

字音(

漢音)

ではどちらの場合も「コウ」という字音で読む。なお、

右に掲げた十五字のうち「父」字は「漁父辞」「梁父吟」等の場合

に、伝統的に「ホ」と読んで男子の美称や老人の意に解すること

があり、これについて「フ」と区別して読み分けることの意義を主

張する専論もあるが(

松浦友久「「漁父」の読音について――訓読

学・音読学における破音の機能――」(『中国文学研究』第二十五

期、早稲田大学中国文学会、一九九九年))

、本稿では注(

六)

に示

した方針に従い、多音字としては掲出しなかった。松浦論文は字

音を読み分けることの意義を考える上で示唆に富む。参照され

たい。

(

八)

ここに『論語』を取り上げたが、中国においては、古くから多音

字を弁別して経典の読み方を規正する意識があったと考えられ

る。南北朝から唐代にかけての学者、陸徳明が著した『経典釈

文』も、そうした著作の一つで、儒家の経典と『老子』『荘子』につ

いて、多音字を中心にその発音を注記している。『論語』冒頭の

「説」「楽」については、それぞれ「音悦」「音洛」と注記して、「エツ」

「ラク」と読む、つまり「説く」や「音楽」といった意味ではなくして

「よろこぶ」という意味であることを示している。なお「音洛」に続

いて譙周という学者の説を引き「悦は深く、楽は浅い」と、

よろこびの程度の相違を説明していることは興味深い。この

他に「内側からのよろこびを悦といい、外側からのよろこび

を楽という」という一説をも記している。

(よしだつとむ/北海道大学文学院博士後期課程)

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