山新、荘内日報掲載、ybcテレビニュース( )特集放送され...

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球根の掘起し、分別、貯蔵作業に雨天の中、老若男女、学生、県職員、市職員、市民、NPO 等 の方々延べ 170 人に協力して頂きました。大変お疲れ様でした!!! 山新、荘内日報掲載、YBC テレビニュース(6/8)特集放送されました はい!チュ-リップ! 僕も頑張ってるよ No2 号 2017.5.28 製作・発行 実行委員長 佐藤 昭一 〒997-1124 山形県鶴岡市大山 2 丁目 19-19 Tel (Fax)0235-33-2772 E-mail [email protected]

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Page 1: 山新、荘内日報掲載、YBCテレビニュース( )特集放送され …...七窪メロン研究会を設立 その後、西郷、湯野浜、浜中の農家を集めて、昭和6年に七窪メロン研

球根の掘起し、分別、貯蔵作業に雨天の中、老若男女、学生、県職員、市職員、市民、NPO 等

の方々延べ 170 人に協力して頂きました。大変お疲れ様でした!!!

山新、荘内日報掲載、YBC テレビニュース(6/8)特集放送されました

はい!チュ-リップ! 僕も頑張ってるよ

No2 号 2017.5.28 製作・発行 実行委員長 佐藤 昭一

〒997-1124 山形県鶴岡市大山 2 丁目 19-19 Tel (Fax)0235-33-2772

E-mail [email protected]

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球根掘起し 種類別に慎重に分別

裏面に続く⇒

チューリップ球援隊 中村恵二

遺産ブームに便乗するわけではないが、庄内砂丘でのチューリップの歴史を調べてみるとまさに

地域の

遺産であることがよくわかる。現在の産地研究室砂丘分場の前身である山形県園芸試験場砂丘分場

のあゆみを読んでみると、庄内砂丘でのチューリップの栽培が始まったのは昭和14年と記されて

いる。まもなく80周年を迎えることになる。

カリフォルニア砂丘メロンの種子を庄内へ 同じ庄内砂丘の特産品に庄内砂丘メロンがあるが、こち

らの歴史も古く大正年間にさかのぼることが出来るが、本格的な普及は昭和6年以降で、日本育児

院七窪分院(現在の七窪思恩園)の院長、五十嵐喜広の指導でメロンづくりが進められた。五十嵐

は昭和2年に渡米した際、カリフォルニアの砂丘で露地メロンを大規模に栽培しているのを目にし、

何とか郷里の庄内砂丘でもメロン栽培を実現したいと考え、帰国の際に何種類かのメロンの種子を

持ち帰ったといわれます。

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七窪メロン研究会を設立 その後、西郷、湯野浜、浜中の農家を集めて、昭和6年に七窪メロン研

究会を設立。研究会では多くの品種を思恩園の農場で試作しました。そして年々生産量が増加。「産

業界の一大驚異」とまで言われるようになった。ちなみに昭和 10~11 年には、栽培農家数 250 戸、

作付け面積 24 ヘクタールと生産のピークを迎えたという。

チューリップは干ばつ対策 ところが、現在のように畑の灌漑設備が完備されていない時代では、

夏の干ばつ被害が大変で、メロンと同時に、干ばつの被害から農家経営が逃れられるようにと、ム

ギやナタネなど、9月に播種して、越冬し、翌年の干ばつ前に収穫できる農作物に取り組み、チュ

ーリップも実は干ばつ対策用に選ばれた作物だった。

オランダから輸入、本格的に栽培 しかし、戦争が激しくなると国策で食糧増産のために、一度は

チューリップの栽培をあきらめたが、戦後再び、砂丘地農業として、また水田の裏作作物としてチ

ューリップが選ばれ、昭和 26 年からは、オランダから種球を輸入し、本格的に栽培が始まった。

全国で一番の評価 昭和37年頃までは順調に生産が進み、庄内砂丘産チューリップは全国で一番

の評価を得るようになったが、その直後、原因不明の球根腐敗病が大発生し、対策も無いまま、チ

ュウーリップ農家はメロン、スイカ、大根にシフトし、現在に至っている。

「米生産 60 万トン運動」に押され 昭和33年には輸出も行われ、昭和44年には球根栽培から

切り花栽培にシフトしたものの、わずか一年で、庄内平野全体が「米生産 60 万トン運動」に押さ

れ、急激にチューリップ農家は生産意欲を失っている。昭和 50 年頃からはハウス栽培による切り

花の販売で、息を吹き返しているが、チューリップ農家は次第に姿を消して、主産地を新潟や富山

県に奪われている。このように、庄内砂丘のチューリップには、在来品種の野菜にも似た、ヒスト

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リーがある。いこいの村が出来る昭和52年以前の幼稚園、小学校の遠足は砂丘分場で行われた記

憶もある。

庄内砂丘のチューリップ復活を今、私たちはいこいの村庄内のチューリップ園の再生に取り組んで

いるが、単なるノスタルジーからではなく、庄内砂丘のチューリップ復活を夢見ている部分もある。

農業の六次産業化や観光と農業の連携という視点で、チューリップ農家の復活にも期待したい。そ

して、近隣の湯野浜温泉との連携が深まれば、それもまた新しい展開へとつながる。今しばらく、

庄内砂丘チューリップのブランド復活について研究してみたい。 Facebook はこちらです。

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