東京周辺の国フェスにおける言語政策的営為の エスノグラ...

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© Aoyama Gakuin University, Society of International Politics, Economics and Communication, 2020 青山国際政経論集 104 号,2020 5 東京周辺の国フェスにおける言語政策的営為の エスノグラフィー 1猿 橋 順 子* 1. はじめに 週末になると,代々木公園(東京都渋谷区)や日比谷公園(東京都千代田区) では,ベトナムフェスティバルやブラジルフェスティバルのように,国名を冠 した催し物(国フェス)が開催される。名称や内容,開催に至った経緯,実行委 員会の構成員など,どれを取ってもそれぞれの独自性が見られる。一方で,全 体として類似の催しという印象も受ける。同一の場で開催されていることに加 え,運営者や参加者の相互参照や相互参加が手伝ってか,その類似性は年を追 うごとに増しているようにも見える。 規模もさまざまな国フェスの数を統計的に把握することは困難だが,グロー バル化に伴い,増加および拡張化傾向にあると見える。その背景には社会や文 化のイベント化(茶谷 2003; 永井 2016)や文化消費の高まりに伴う文化の商品 化(Bennet et al. 2014)なども密接に関係していると考えられる。社会言語学的 にも,言語文化圏の交錯や接触場面の凝集的な実践場と言え,興味深い。 国フェスには様々な社会言語学上の研究課題が見出しうる。不特定多数の人々 が時限的に集まる国フェスにおいて,効果的な情報伝達という意味においても, * 青山学院大学国際政治経済学部教授 1本論は 2017 8 月にカナダ,トロント大学で開催された Multidisciplinary Ap- proaches in Language Policy & Planning Conference LPP2017)における口頭発表を 基調に加筆修正したものである。また,本研究は JSPS 科研基盤研究(C)「多言語 公共空間の形成とコミュニケーション秩序」(16K02698)の助成を受けた研究成果 の一部である。 CCCCCCCCC 論 説 CCCCCCCCC

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© Aoyama Gakuin University, Society of International Politics, Economics and Communication, 2020

青山国際政経論集 104号,2020年 5月

東京周辺の国フェスにおける言語政策的営為のエスノグラフィー1)

猿 橋 順 子*

1. はじめに

週末になると,代々木公園(東京都渋谷区)や日比谷公園(東京都千代田区)

では,ベトナムフェスティバルやブラジルフェスティバルのように,国名を冠

した催し物(国フェス)が開催される。名称や内容,開催に至った経緯,実行委

員会の構成員など,どれを取ってもそれぞれの独自性が見られる。一方で,全

体として類似の催しという印象も受ける。同一の場で開催されていることに加

え,運営者や参加者の相互参照や相互参加が手伝ってか,その類似性は年を追

うごとに増しているようにも見える。

規模もさまざまな国フェスの数を統計的に把握することは困難だが,グロー

バル化に伴い,増加および拡張化傾向にあると見える。その背景には社会や文

化のイベント化(茶谷 2003; 永井 2016)や文化消費の高まりに伴う文化の商品

化(Bennet et al. 2014)なども密接に関係していると考えられる。社会言語学的

にも,言語文化圏の交錯や接触場面の凝集的な実践場と言え,興味深い。

国フェスには様々な社会言語学上の研究課題が見出しうる。不特定多数の人々

が時限的に集まる国フェスにおいて,効果的な情報伝達という意味においても,

* 青山学院大学国際政治経済学部教授 1) 本論は 2017年 8月にカナダ,トロント大学で開催されたMultidisciplinary Ap-

proaches in Language Policy & Planning Conference (LPP2017)における口頭発表を基調に加筆修正したものである。また,本研究は JSPS科研基盤研究(C)「多言語公共空間の形成とコミュニケーション秩序」(16K02698)の助成を受けた研究成果の一部である。

CCCCCCCCC論 説

CCCCCCCCC

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青山国際政経論集

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外国や外来の文化を演出するという意味においても,言語や文字,媒体,表現

の選択をめぐる事前の計画・準備,当日の即興的な調整・対応とあらゆる言語

政策的な営為が関係していると類推される。他方で,経験的なデータ収集に基

づく調査研究は,管見の限り蓄積があまりない。そこで本論では,国フェスの

場で展開される言語政策的営為を見ていくこととする。

2. 国フェスとは何か

本論では,公園や広場などの公共空間で開催される,外国やその国を代表す

る地域・文化を主題としたお祭りやイベントを国フェスとし2),分析の対象と

する。外国や外来の文化を祝祭する営みは古くから,移民の歴史と共にあった

と言って良いだろう。

移民の祭りと国フェスの相違点について猿橋(2016)は,土着の祭りと移民

の祭りの比較研究である飯田(2002)を参照して検討した。集住地域で開催さ

れる移民の祭りと,大型公園といった公共場で行われる国フェスでは「地域性」

の面で大きな違いが認められ,それは誰にとっての催しなのかという「公開性」

の違いにもつながる。そして,これらの新しい営みを可能にしているのがデジ

タルメディアである(猿橋 2016, 2018)。

従来からある移民の祭りは,移民の暮らしから生まれる。一方で,集住地域

と切り離された所で開催される国フェスは,枠組みが作られ,出演者,出店者,

ボランティア,参加者等を広く募ることで成立する。また,日本で様々な国の

フェスティバルが開催されるのと同様に,世界各地でもジャパン・フェスティ

バルが開催されている。すなわち,国フェスはトランスナショナルな広がりを

見せている(e.g. Goldstein-Gidoni 2005)。翻ると,枠組みの共有や模倣が類似

のイベントを拡張させているとも考えられる。これらの点から国フェスは,移

2) ロックフェスを事例とした社会学の研究で永井(2016)は,対象とする営みの顕著な多様性に触れ,「厳格な定義を急ぐこと」は定義を巡る「議論の泥沼化」に陥りかねず,「対象のおもしろさを減じてしまう」危険性があると指摘している(永井 2016,

p. 7)。この指摘に沿い,本稿でも国フェスを「公共空間で開催される外国をテーマとした催し」と大枠を設定するに留めることとする。

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東京周辺の国フェスにおける言語政策的営為のエスノグラフィー

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民の祭りからの発展過程といった通時的な視座だけではなく,フェス文化やグ

ローバル化といった観点から共時的・横断的な調査研究の意義が認められよう。

本稿は,後者の視点に立って,国フェス研究に共時的・横断的に取り組むもの

である。以下に,国フェスに共通する特徴を挙げ,国フェスを研究対象とする

ことの意義と併せて論じていきたい。

第一に,国フェスは文化移動の実践と言え,文化移動を促進させたり,制限

させたりする要素は何なのかを探求することができる。人と物の移動が活発な

グローバル化社会では,文化の移動そのものが主要な研究課題となっている

(Blommeart 2010; Scollon & Scollon 2003; Inda & Rosald 2008; Goldstein-Gi-

doni 2005)。国フェスでは,伝統文化の継承や異なる文化の混淆,新しい文化

の創造などが,実践と説明を伴って披露される。各々の土地で培われた文化資

本3)が持ち込まれ,文化的価値として提示され,変容の可能性を発見する場と

もなる。つまり,文化の変容や本質化,それに対する人々の思い入れや葛藤な

どのディスコースが確認される(Bhaba 1994; Rubdy & Alsagoff 2014)。国フェ

スは,文化の移動をめぐる実践とディスコースを凝集的に観察できる場のひと

つといえよう。

第二に,国フェスには,草の根から興る活動と,政策からの関与の双方が確

認されることに加え,幅広い参与者が確認される。国フェスは,発信国のソフ

トパワー戦略(Nye 2004)や国家ブランド化戦略(Anholt 2007; Aronczyk 2008)

とも無縁ではない。ただし,日本政府のクールジャパン戦略(内閣府知的財産

戦略推進事務局 2018)において,世界各地にすでにある民間主導の催しに政府

が参画していこうとする流れがあることからも,国フェスの全てを国家のソフ

トパワーや,国家ブランド化の文脈で見ることは妥当ではない。

多くの国フェスは,個人の思いや,小さな組織,民間レベルの取り組みから

3) Bourdieu(1986)は文化資本について,人が家庭や社会の中で無自覚のうちに継承し,育む文化実践と捉えた。文化資本は高等文化から生活文化までを広く含むが,社会階層を生み出したり固定化させたりする一面もある。別の国に文化実践を移転させようとする国フェスでは,高等文化が注目されやすいが,他にも文化価値になり得るものがあることを発見する場としての可能性も秘めていると言えよう。

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青山国際政経論集

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始まり,継続されている。個々の国フェスは立場や分野を超えた人々の関与で

成り立っている。特に,移民や定住外国人は国フェスの重要な担い手である。

McDermott(2012)は,都心の公共空間で催される文化祭事が,移民にとって

活躍の場を広げ,特に年少者にとっては自身の民族文化的なルーツを確認する

貴重な機会となることを指摘している。一方で,こうした文化イベントが移民

の外来性を膠着させるとして批判的な指摘もある(Park 2011)。国フェスが移

民のエンパワメントに寄与するのか,それとも周縁化に加担するものとなるか,

はたまた周縁性を是正する契機となるかは,その内容次第であると考えられ,

丁寧な観察や聞き取りに基づいた調査が求められる。

国フェスの参加者には,さらなる多様性が認められる。国フェスには,大臣

や大使など政府の要職に就く人から,一般の人まで来場する。統計資料がある

わけではないが,国フェスの場は,その国の出身者と日本人だけではなく,様々

な国の人々が集まっているという印象を受ける。それは,定住外国人や留学生

は同国人とだけではなく,「外国人」としての国際的な交友関係を持っているこ

とと関連している。彼らの間で国フェスの情報が共有されたり,互いの国フェ

スに行き来することが慣例となっていたりするのである。舞台で演目を披露す

るのは,国を代表するプロの演者から,趣味としてその分野に参加し始めた初

心者までが含まれる。ブースには,人が暮らしていく上で基本となる医療や保

健衛生,教育などを支援するNGOから,高級リゾート地に観光客を誘致する

企業までが軒を連ねる。毎年,国フェスを一大行事としている人から,その日

偶然に通りかかった人までが場を共にする。このように,社会的地位,国籍,

文化的営為の熟達度,業種,思い入れのいずれの面においても,幅のある人々

が一堂に会する。多様な参与者という特徴が国フェスに共通して見られるので

ある。

第三に,国フェスは一見,多様性が顕著で,混沌とした場という印象を抱く

こともあるが,秩序を生み出す力動や指標が認められる。たとえば,政府関係

者の多くは祭りの場には似つかわしくないスーツ姿で来場する。要人を中心に,

スーツ姿の数人の集団がまとまって移動する様子は,祭りそのものを楽しんで

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東京周辺の国フェスにおける言語政策的営為のエスノグラフィー

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いる人々とは明らかに識別可能である。服装に加え,目的地に向かって真っ直

ぐに歩く様子からも,何が陳列されているのかを散策しながら歩いている参加

者とは区別される。このように,あらゆる言語・非言語の手がかりが記号的な

指標となって,国フェス場に一定の共通了解や秩序を作り出していると見るこ

とができる。そこで,このような公共空間で何が,どのような指標となって,

国フェスというひとつのイベントをまとまりのあるものにしているのかといっ

たことは,加速するグローバル化社会(Vertovec 2007)における秩序形成を探

求する上で示唆を与えるところとなるであろう。

第四に,本節の冒頭でも述べたが,こうした国フェスを実現可能にさせてい

る背景に,デジタルメディアの存在がある。デジタルメディアの存在により,

様々な背景の人々と,様々なジャンルのモノ・コトを一時に一堂に凝集させる

ことが可能になっている。国フェスを横断的に見ていく上で,デジタルメディ

アの活用のされ方も,重要かつ捨象してはならない側面であると言える。

3. 国フェスと言語

前節では,国フェスを緩やかに定義付けた上で,国フェスを横断的に見る意

義について,文化移動,参与者の多様性,秩序形成,デジタルメディアの四点

から論じた。本節では,これら四つの特徴と関連付け,社会言語学的な研究課

題を論じる。

第一点の文化移動については,国フェスが,開催地とは異なる言語で実践が

蓄積されているモノやコトを持ち込む場であることから,言語や文字・表記の

選択,翻訳・通訳の活用,その他の表現上の工夫が注目される。楽器演奏や舞

踊などでは,演技そのものに言語が介在しない場合もあるが,歌や劇などは言

語がその一部となる。コンサートホールなら字幕をつける選択もあるが,野外

の特設ステージではそのような設備を確保できるとは限らない。元々の言語を

選択すれば,その国の出身者にとっては文化そのものを楽しんだり,望郷の想

いに耽る機会となる。しかし,その言語を解さない人にとっては,内容や物語

の筋が伝わらなくなってしまう。とは言え,他の言語に翻訳すると,意味は伝

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青山国際政経論集

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達されるが,その国らしさは削がれる。何語に置き換えるのかという言語選択

に加え,翻訳という新たな文化実践が加えられることにもなる。このように,

演目内においても,演目についての紹介や説明の場面においても,言語選択や

翻訳・通訳,表現の検討が必要になる。こうした文化移動・接触・混淆の諸場

面に,言語がどのように介在しているのか,それを決定するのは誰で,何を重

視したからなのか,そうした一連の行為によって達成されるものは何なのかを

探究していくことは,社会言語学的な関心課題となる。

第二点の参与者の多様性は,上記の問題をさらに複雑にする。言語選択は,

その祭りや演目が誰に向けられているのかを露呈する。国フェスが日本語で溢

れていたり,その国の言語が装飾や象徴のためにしか用いられていなければ,

そこは日本人のために作られた場という印象を生み出すだろう。その国の言葉

ばかりが行き交っていれば,日本語話者は疎外感を感じたり,場合によっては

脅威と映るかもしれない。加えて,前節で述べたように,国フェスの場は,そ

の国の出身者と日本人だけではなく,様々な国籍と文化背景を持つ人々が集う

場になっている。そこでは,フェス対象となっている国の言語と日本語の間の

選択だけではなく,対象国の近隣の言語や共通言語(たとえば英語)なども行き

交う。誰に伝えるために,どの言語を用いるのか,何を演出するために,どの

表現を用いるのか,などの選択は,国フェスの方針を露呈する大事な要素とな

る。言語の伝達機能と象徴機能といった社会言語学の視点を用いたアプローチ

により,将来的な国フェスへのヒントが提供可能である。

第三点の国フェス場に見られる秩序の形成において,言語がどのように介在

するかを探究することは,多言語化する公共空間の特性を把握し,将来的な言

語政策のありようを考える上で示唆を得ることが期待される。個々の国フェス

は,年に一度の週末に,誰もが出入りできる公共空間で行われる。主催者は,

その場にまとまりや一体感を生み出そうと様々な工夫を凝らす。そのような工

夫によるものとは別に,国フェスでは参加者どうしが互いに参照しあうことで

生まれる秩序が認められる。計画的なものであれ,即興的なものであれ,直接

的なものであれ,間接的なものであれ,場の秩序形成には言語および非言語の

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東京周辺の国フェスにおける言語政策的営為のエスノグラフィー

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記号が無数に関与する。一例を挙げれば,舞台上の人が「みなさん,こんにち

は,シンチャオ!(ベトナム語でこんにちは)」と呼びかければ,観客席からは

(「こんにちは」ではなく)「シンチャオ!」という呼応が生まれる。言葉は発し

なくても,演目後の演者の深々としたお辞儀は観客席からの拍手を促す。前者

は催しの始まり,後者は終わりの合図となり,席の入れ替えが円滑に行われる。

言語化されなくても相互了解につながる行動と,言語化なしでは誤解や想定外

の反応が生じる行動,言語と非言語が相互補完する場面の観察に基づく抽出は,

多言語・多文化化する社会の秩序形成を探究する上で重要な示唆を与える。そ

こから得られた知見は言語政策の立案や実施に役立つことも期待される。

上記三点のいずれとも関連して,第四点のデジタルメディアの存在がある。

週末限定で作り出される国フェス場に認められる秩序は,その場に居合わせた

人々で即興的に作り上げられているように見えたとしても,前年の国フェスで

の経験や,デジタルメディアを介して作り上げられたものであることもある。

特に,イベントの公式ホームページや,SNS上で共有,拡散される情報は,一

度も経験を共有したことがない人々の間に,共通の前提や認識を広める上で有

効である。公共空間に「外国・異文化」を凝集させる国フェスは,翻るとデジ

タルメディアが可能にさせていると言っても過言ではないだろう。国フェスの

場での言語選択や,通訳・翻訳などの言語間の橋渡しは,インターネット上の

デジタルフェス場ですでに定着している可能性もある(猿橋 2018)。国フェス

の言語使用や言語選択は,物理的な国フェスの会場だけではなく,デジタルメ

ディア上での言語使用や相互作用も併せて見ていく必要がある。

このように,国フェスにおける言語使用や言語選択の様相を探索することは,

加速するグローバル化社会における文化移動や接触,混淆のありよう,人々の

参画,秩序形成において言語がどのように介在するかを探究することにつなが

る。付随して,国家(表象)と言語の関係や,参与者のアイデンティティ構築な

どにも迫ることが可能と考えられる。

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青山国際政経論集

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4. 言語政策的営為

これまで,国フェスの営みを共時的・横断的に探究することと,その社会言

語学的な意義を論じてきた。社会言語学と言っても幅広く,様々なアプローチ

が考えられる。国フェスには,言語や表記の事前の選択,実践を通しての修正

や調整といったプロセスが認められること,他者の言語イメージや言語学習動

機に働きかけるような実践が広く認められることから,言語政策研究の概念,

枠組みの援用可能性が認められる。言語政策と言うと国家や行政府が主導する

トップダウンの政策が想起されがちである。しかし,近年の言語政策研究では,

個人や組織の言語使用や言語をめぐるイメージや価値観(言語イデオロギー)に

影響を与えようとする意図的な行為を総称することが提唱されている。本節で

は,その経緯を概観し,国フェスの営みを探究する上で,言語政策研究の枠組

みを援用することの親和性を確認していく。

人々が組織的に行う,言語に関する意思決定や調整を表す術語はいくつかあ

る。主なものとして,言語政策(language policy)と言語計画(language plan-

ning)があるが,前者は全体的な方向性や目的を示す用語として,後者は前者

を実現するための具体的かつ領域毎の方策として区別されることもある。専門

家として言語の整備に関与してきた言語学者の間では,言語計画の用語がより

一般的に用いられてきた(Spolsky 2012)。一方で,言語に関する意思決定や調

整は,本来,言語のために行われるのではない。関係性構築や相互理解,知の

保存・継承,共同体意識の形成など,言語以外の社会的な目的のために求めら

れる。こうした目的を達成するために言語的な下位目標,すなわち表記法や標

準化,辞書編纂,教授法などが検討される。つまり,言語目標はその基となる

社会的な目標を見失ってはいけないし,そもそも両者は密接に結びついている。

実際に多くの言語をめぐる社会実践が,両者を区別せずに取り組まれている。

これらの点から,両者は区別されるべきでないとの主張もある(Johnson 2013)。

また,言語政策は,17世紀以降,国民国家イデオロギー滋養のために国家主

導で取り組まれた一連の地位計画,コーパス計画,普及計画を議論する際に用

いられてきたことから,デフォルトで国家による政策や計画を表す用語として

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東京周辺の国フェスにおける言語政策的営為のエスノグラフィー

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用いられる傾向がある(Wright 2016)。それに対し,Cooper(1989)は言語計画

を国家に限らず,組織から個人レベルまでの取り組みを含め「他者の言語コー

ドの獲得,構造,機能的配置に関わる態度に影響を与える意図的な努力」(p. 45)

と定義付けた。このように言語政策の範疇を修正することで,Cooper(1989)

は社会変容を説明し,社会変容によって説明される言語計画研究の道を開いた。

いわば,言語政策研究を社会科学の一部に位置づけたのである。

この,言語計画の主体を国家に限定しないとする提案以降,言語政策研究の

裾野は大きく広がった。意識や程度の差はあれ,いかなる組織も言語政策的な

営為を行っているとする考え方は,国家による言語政策がうまくいかない状況

において,その理由の探究に新しい分析の視点を与える(Spolsky 2009)。経験

的にはいかなる組織も持っている言語政策的発想や営為を顕在化させたり,意

識化させる作用も生み出す。組織や個人は,国家の言語政策に翻弄されるだけ

の存在ではなく,自らも主体的に合目的的に言語政策的判断や努力を考え,実

践することができるという発想の転換を促す。

こうした言語政策の捉え方の転換は,言語政策研究の方法論にも影響を与え

ている。これまで公文書のアーカイブ研究や政策立案者を対象とした専門家イ

ンタビューなどが中心であったが,様々な組織における言語および言語使用に

対する態度や調整行動の相互作用,構成員にとっての意味づけなどに接近しよ

うとするエスノグラフィックなアプローチが提案されている(Hult & Johnson

2015)。

国フェスにおける言語選択や表記選択も,それ自体の社会的な意味に加え,

それによって何を達成しているのか/しうるのか,といった言語政策的営為の

社会実践としての意味に迫る意義がある。また,国フェスは新しい営みであり,

伝統や前例,慣例に縛られていない。デジタルメディアなど新しい媒体に支え

られて実現している営みであるという点においても,国フェスの実践における

言語政策的営為を探究していくことが,グローバル化する多言語公共空間にお

ける言語政策・言語管理を探求することにつながると考える。なお本稿では,

本節で見てきた言語政策研究の流れを汲み,他者あるいは組織の言語使用,言

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青山国際政経論集

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語獲得,言語に対する価値観への働きかけと,それに関連するあらゆるディス

コースを含めて言語政策的営為と総称し,議論を進めることとする。

5. 本論の問題意識と研究設問

本論では,国フェスにおいてエスノグラフィックなフィールド調査を通して,

言語がどのように選択され,管理され,演出され,表象とされているかについ

て接近しようと試みる。すなわち,東京周辺で開催される国フェスにおいて言

語政策的営みがどのように認められるかを探究することを目的とする。

国フェスにおける言語政策上の研究課題は様々に設定できる。第一に,言語

の地位への影響がある。移民の言語は,送り出し国と受け入れ国の関係にもよ

るが,一般的に受入れ国では言語の地位が低いままに据え置かれる傾向にある。

その言語が送り出し国の国語や公用語でない場合にはなおさらである。国フェ

スには,移民の言語の使用域を顕在化させ,結果的に移民の言語へホスト社会

の気付きを高める可能性が期待される(McDermott 2012)。たとえば,国フェ

スでは移民の文脈とは逆転した主客関係が見られる。当該国出身者が日本人を

招待したり,接遇する場面などである。そこに,日本語と当該国の言語の地位

関係の逆転が期待される。あるいは,実際には関係性における主客関係の逆転

が見られるにもかかわらず,言語に関しては引き続き日本語が主導的な地位を

占めることが観察されうるかもしれない。とするならば,国名を掲げながら,

その国の言語が活動域を持つことを妨げるものは何かということを明らかにし

ていくことが可能になる。いずれにしても,移民の言語が弱い立場に置かれる

背景や,その力関係を修正する手がかりが探究できる。

第二に,国フェスは異なる言語どうし,話者どうしが出会う接触場面の宝庫

となる。開催地の人々にとって馴染みのない概念や物品を紹介するとき,言語

表現の工夫や調整,創造を確認することができる。即興的な言語コミュニケー

ション上の調整や管理が,参加者個々の相互作用においてだけでなく,舞台上

などの,いわば公的な場でも展開される。そこでは異なる言語や言語文化につ

いての認識や気付き,すなわちメタコミュニケーションが言語化されて表現さ

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東京周辺の国フェスにおける言語政策的営為のエスノグラフィー

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れることもある。ここで得られる知見は国フェスという特定の社会領域におけ

る言語政策的営為の諸事例であるが,様々な言語の話者が行き来するグローバ

ル社会における言語コミュニケーション秩序形成を探究する手がかりとなろう。

言語は,コミュニケーションの媒体としてだけではなく,象徴的な働きも担

う(Wright 2016)。特に国フェスでは,言語の情報伝達機能だけではなく,そ

の国を象徴する働きも重視されていることが予見される。そうした実践を通し

て,言語間に相対的な関係性が生まれ,言語の地位に影響を及ぼすと考えられ

る。言語の位置づけや言語選択を管理する態度や方針は,言語政策の多くがそ

うであるように,明文化されないままに人々の相互了解を模索しながら経験的

に蓄積されている段階にあると考えられる。本論は,こうした言語に関連する

相互行為プロセスを言語政策的営為と位置づけ,その描出を目的とする。

6. 調査方法

調査は,まず,インターネットや在日外国人コミュニティ,留学生からのヒ

アリングを通して首都圏で開催される国フェスの情報を収集した。多くの国フェ

スは公式サイトや公式 SNSを運営しており,そこでフェスティバルの主催者,

趣旨,内容などについて情報収集と整理を行った。特徴や日程を鑑みて,参加

する国フェスを選定した(表 1)。参加にあたっては,実行委員会に調査の意図

と趣旨を伝え,一般参加者に認められている範囲で聞き取りや撮影,録画を行

うことを伝えた。

事前に国フェス公式HPで得た情報に基づきつつ、それらに縛られすぎない

ように一般参加者の流れや盛り上がりに沿って、興味深いと感じた現象は立ち

止まって観察した。観察や聞き取りで得られた情報は、佐藤(2006)を参照し

てフィールドノーツにまとめた。

調査を通して,つながりが生まれたり,研究課題の着想を得た国フェスには

翌年も調査を継続させている。国フェスの全容から言っても,個々の国フェス

内での調査においても,多くのことが同時に起こっており,その関連性は極め

て複雑である。調査者は一時にひとつの場所にいることしか出来ないため,観

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青山国際政経論集

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表 1 調査地一覧

ID フェスティバル名 開催日 場所

1 第 7回日韓交流おまつり 2015年 9月 26日 27日 日比谷公園

2 第 3回ミャンマー祭り第 4回ミャンマー祭り

2015年 11月 28日 29日2016年 11月 26日 27日

増上寺

3 第 2回カンボジアフェスティバル第 3回カンボジアフェスティバル

2016年 5月 7日 8日2017年 5月 3日 4日

代々木公園

4 第 8回ベトナムフェスティバル第 9回ベトナムフェスティバル第 10回ベトナムフェスティバル

2016年 6月 11日 12日2017年 6月 10日 11日2018年 5月 19日 20日

代々木公園

5 第 3回コートジボワール日本友好Day

アフリカンフェスティバル2016年 6月 25日 26日 代々木公園

6 第 11回ブラジルフェスティバル 2016年 7月 16日 17日 代々木公園

7 (第 1回)台湾フェスティバル第 2回台湾フェスティバル

2016年 7月 30日 31日2017年 7月 29日 30日

代々木公園

8 One Love Jamaica Festival (2004~) 2016年 8月 6日 7日 日比谷公園

9 (第 1回)アラビアンフェスティバル 2016年 9月 10日 11日 代々木公園

10 第 24回ナマステインディア 2016年 9月 24日 25日 代々木公園

11 第 14回ディワリインヨコハマ 2016年 10月 15日 16日 山下公園

12 第 2回ベトナムフェスタ in神奈川 2016年 10月 29日 30日 神奈川県庁

13 アイラブアイルランドフェスティバル(2014~)

2017年 3月 18日 19日2018年 3月 17日 18日

代々木公園

14 第 7回ラオスフェスティバル 2017年 5月 27日 28日 代々木公園

15 美味しいペルー 2017年 7月 29日 30日 代々木公園

察した事象の選定は,たとえば「一般参加者の流れに沿うように心がける」と

いった指針を設けたとしても,恣意性を完全に排除することはできない。こう

した限界もエスノグラフィックな調査には付随していることを付記しておく。

7. 国フェスの言語政策的営為

国フェスの場,あるいは運営会議等の公用語や作業言語などについて,言語

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東京周辺の国フェスにおける言語政策的営為のエスノグラフィー

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規定を明文化している国フェスは確認できなかった。しかし,このことをして

国フェスに組織的な言語政策がないとは言えない。たとえば,公式ホームペー

ジに何語をどのように用意しているかは,その国フェスが言語をどのように位

置づけているかを表している。

調査を通して,見出し得た言語政策的営為を領域に分けて整理したところ,

① 公式ホームページの言語選択・言語設定,② 企画・運営段階で重視・尊重さ

れる言語能力,③ 舞台上での言語選択,通訳の配置などの言語管理(猿橋

2017),④ 出店ブースでの言語関連活動,⑤ 国フェス全体の言語景観に見る言

語地位,となった。本論では紙幅の関係から,デジタルメディアに関連が深

い ① と,実際のフェス場での調査に基づく ④ を紹介し,比較考察する。

7.1 公式ホームページの言語選択・言語設定

今回の調査事例で,言語別にホームページを用意している国フェスは 15件の

うち 8件であった(表 2「言語別頁」)。

三言語が 1件(カンボジアフェスティバル)で,二言語が 7件であった。複数

言語が用意されているものは全て日本語を含んでいる。日本語以外の言語につ

いては英語が 4件,英語以外が 5件(クメール語,韓国語,ベトナム語,ポル

トガル語(ブラジル),スペイン語(ペルー))である。言語選択の表示方法は 3

種認められた。国旗が 4件,当該言語で記載が 3件,英語記載が 1件であった。

国旗表示については,ベトナム,ブラジル,ペルー,アイルランドの国旗をク

リックすることで,それぞれベトナム語,ポルトガル語,スペイン語,英語の

ページに切り替わる。そして,複数の言語が用意されている場合,開催地の言

語である日本語に加え,その国や地域を代表する言語がひとつ選ばれる傾向に

あり,英語は選択されやすい。インド,アイルランドは複数の公用語の中から

英語のみが選択されている。

ただし,言語別にページが用意されていることと,言語別の情報量は必ずし

も連動していない。言語別のページが用意されていても,当該国の言語のペー

ジには情報がほとんど掲載・更新されていない場合もある。タイトルだけが当

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青山国際政経論集

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該国の言語で,記事は日本語のものがそのまま掲載されている事例もあり,日

本語に情報が偏る傾向が認められる。それでも,ホームページの上部に言語選

択ができるようになっていることは,それらの言語を等しく位置づけようとし

表 2 公式HPの言語設定

ID フェス名 言語別頁 言語の種類 表示方法 メモ

3 カンボジア 有 1.ク 2.英 3.日 当該言語

1 日韓 有 日・韓 英語

4 ベトナム(東京) 有 日・ベ 国旗

6 ブラジル 有 日・ポ 国旗

15 ペルー 有 日・西 国旗 画像が主,情報量少

10 インド(東京) 有 日・英 当該言語

13 アイルランド 有 日・英 国旗

14 ラオス 有 日・英 当該言語 英語はトップページのみ

5 コートジボワール→アフリカ

無 日・英 情報量少,SNSを活用 2017まで言語別

8 ジャマイカ 無 1.日 2.英 画像が主,情報量少

7 台湾 無 日・(中・英) 限定的に中国語(装飾),英語(バナーのみ)

12 ベトナム(神奈川) 無 日・(ベ) 限定的にベトナム語(代表者挨拶)

11 インド(横浜) 無 日 公式 SNSは英語が主

2 ミャンマー 無 日

9 アラビア 無 日

*設定言語数の多い順序に並べた。フェス名は略してある。個々のフェス概要についてはIDで識別し表 1も参照のこと。**言語の種類は固定した掲載順序が認められる場合のみ,番号を付している。括弧内は限定的な記載のみ認められる言語。

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東京周辺の国フェスにおける言語政策的営為のエスノグラフィー

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た態度の表れであろうから,そこには言語政策上の理想と実践の乖離の問題が

潜んでいることが窺える。

また,言語別にページが切り分けられていなくとも,複数言語で掲載されて

いる国フェスが 4件あったが,その中には,ほぼ日本語読者を想定しており,

対象となっている国の言語は装飾的に用いられているものから(7.台湾フェス

タ),常に日英語が併記され,両方の読み手を想定してるもの(8.ジャマイカ),

複数の言語がページ内で併用され,混在しているもの(5.アフリカ)と特徴に

差が認められた。このことからも,言語別のページを用意することと,それぞ

れの言語での情報の量や質が確保されることとは連動していないことが確認さ

れる。言語別にページを切り分けていないことは,必ずしも単一言語というわ

けではない。ページを言語ごとに切り分けてしまうことで,一方の言語のペー

ジに情報がほとんど掲載されなくなるならば,言語でページを切り分けずに必

要と思われる言語を必要な言語で掲載していった方が,情報の共有と複数言語

の顕在化において効率的な可能性もある。

言語毎にページを切り分ける二(多)言語使用のホームページに対し,ページ

内で複数の言語を併記,混用しながら情報発信をする国フェスのホームページ

の存在は,トランスランゲ-ジング(Translanguaging; Garcia & Li 2014)の概

念に近い実践例に見える。また,公式ホームページは日本語で,SNSは英語と

いうように,媒体によって言語を使い分けている国フェスもある(11.インド)。

さらに,そもそも言語化をせず画像,動画のみを掲載し,イメージの共有だけ

を試みているホームページも見られた(8.ジャマイカ, 15.ペルー)。イメージ

に頼り,あえて言語化を避けるホームページの存在は視覚記号論(Visual semi-

otics; Scollon & Scollon 2003)の実践例に通じる。また短期間で方針の変更も認

められる。これらの言語使用・不使用傾向はグローバル化時代のコミュニケー

ションの有り様として,そのプロセスや情報の量と質の傾向を継続的に,かつ

詳しく見ていく余地がある。

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青山国際政経論集

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7.2 出店ブースにおける言語関連活動

事前の募集に応じて決まる出店ブースの顔ぶれも,出店経験,活動領域,当

該国との関連度等において様々である。表面的には何のつながりも見出し得な

い出店団体が,様々な人的・出来事的なつながりをきっかけに参加しており,

その経緯を聞いて回ることも国フェス調査の面白みのひとつである。

いかなる活動も言語と無縁ではなく、多かれ少なかれ言語への態度表明や他

者への促しを含んでいる。ここでは、言語を中心に据えている活動(以下、言

語関連活動)について、どのような団体が展開しているかをまとめた(表 3)。

言語関連活動を展開するブースが認められた国フェスは,15件中 8件であっ

表 3 出店ブースの言語関連活動

ID フェス名 HP 言語関連活動 活動主体

1 日韓 多 韓国語教材の割引販売 出版社

3 カンボジア 多 日本語教材販売・日本語教育実績の紹介教育普及・識字率向上のための寄付・バザー・活動報告

人材育成NPO

カンボジアで活動する財団

クメール文字体験 カンボジアで活動する NGO

(衛生)

4 ベトナム(東京)

多 ベトナム語放送公開収録ベトナム語講座留学生受入れプログラム紹介

ラジオ局日越友好協会日本の教育機関・語学学校

ベトナム語講座 在日ベトナム人向け生活相談

13 アイルランド 多 語学留学(英語)パンフレット配布

アイルランドの教育機関

14 ラオス (多)教育普及のための寄付・バザー識字率向上のためのバザー・活動報告

神奈川県内の大学ラオスで活動するNGO

ラオス語会話一覧掲示 東京都内の高校

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東京周辺の国フェスにおける言語政策的営為のエスノグラフィー

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2 ミャンマー 単 ビルマ語体験レッスン日本語→ビルマ語翻訳本販売識字率向上・教育普及のための寄付・バザー・活動報告・交流ビルマ語教室入会特典配布

ビルマ語教室ミャンマーの教育機関ミャンマーで活動するNGO

ビルマ語教室

ビルマ語会話集配布ビルマ語使用(挨拶)で割り引き

実行委員会日本のレストラン

7 台湾 単 花文字実演販売中国語会話教室受付語学留学(中国語)パンフレット配布

占い店東京都内の民族学校台湾の大学・教育機関

中国語講座Tシャツ・雑貨記載の台湾語解説中国語でゲーム

同郷人コミュニティ雑貨店東京都内の大学・台湾人留学生

12 ベトナム(神奈川)

単 ―

ベトナム語講座日本語スピーチ大会

実行委員会実行委員会

* HP欄には表 2にまとめた多言語ページの有無を記載。14ラオスフェスティバルは日英のため括弧で区別した。**言語関連活動の上段は日常業務をそのまま持ち込んでいる言語活動,下段はフェス限定の言語活動。***語学講座とレッスンは前者を文字や文法など言語の説明を含むもの,後者は表現を練習する活動として区別した。

た。前節で見たホームページの多言語設定と,ブースにおける言関連語活動の

間に関連する傾向は見出されなかった。言語関連活動ブースが確認されなかっ

た国フェスを見てみると,テーマに特化したフェスティバル(たとえば,音楽:

ジャマイカ,食べ物:ペルー,貿易:ブラジル)や,地域を広範に設定してい

る国フェス(アフリカ,アラビア)の場合,英語が国フェスの言語となっている

ものの英語国と認識されているわけではない国の場合(インド)といった特徴が

見出される。

表 3(右 2列)は言語関連活動の主体が,日頃からその言語関連活動事業に従

事しているか否かで上下段に分けて整理した。日常的に言語関連活動を展開し

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青山国際政経論集

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ている組織(たとえば日本国内の民族学校や語学学校,エスニックメディア,外

国語書籍出版・販売店など)が国フェスに参加し,日頃の活動紹介をすること

は自然なことに見える。一方で,国フェスでは,日頃は別の活動をしている組

織や団体が,国フェスの時だけ言語関連活動を展開する様子が少なからず確認

された。代表的な例として,実行委員会が設置するインフォメーションブース

で,当該国言語のワンポイントレッスンが行われている事例(ミャンマー祭り)

などである。

件数だけで見ると,日頃から言語関連活動に従事する団体が 16件,そうでは

ない団体の活動が 10件と,後者の方が少ない。しかし,前者には日頃の事業を

紹介するのにとどまっているものも含まれている。特に,当該国での教育普及

や識字支援に携わっているNGOは,国フェスを活動報告の場としている団体

が少なくない。そのため,フェス場で体験できる言語活動という意味では,両

者が等しく貢献していると言ってよいだろう。

ここで,日常的には言語関連事業を展開していない団体が,言語関連の活動

を国フェスで展開することの意味について,さらに深く考えていきたい。日常

的には言語関連活動に従事していない組織や団体が,国フェスに限って語学講

座やレッスンを実施するというブースがいくつか見られた。レッスン形式は取

らなくても,会話のやりとり例を配布したり,掲示したりして,買い物の際な

どに使ってみることを促すといった活動も見られた。これらの例は,国フェス

において,当該国の言語が文化資本となっていることを示している。その実践

では,日頃は補佐的な業務に就いていたり,若手の在日外国人が,先生の役割

を担っているという姿も認められた。その場限りとは言え,日頃の上司と部下

の関係性が逆転している様子も見られた。

一方で,語学講座やレッスンを展開するブースでも,30分から 1時間程度で

完結させなくてはならないといった制約も手伝ってか,国フェス内ですぐに使

える単語や文章の紹介,解説,練習などが盛り込まれる傾向が認められた。語

学学習の場面で,入門と言えば発音や挨拶,自己紹介などが中心になるであろ

う。国フェスという場で語学体験を展開する場合,教室と祭りという異なる社

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東京周辺の国フェスにおける言語政策的営為のエスノグラフィー

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会領域が混じり合ったところでの実践となる。そこでの内容が,国フェスの場

ですぐに使える表現として,料理名や物品の語彙,買い物時のやりとりとなる

ことは,当然の成り行きにも見える。教育機関の国フェスでの実践例は,全体

から見ると規模の小さい実践とはいえ,文化イメージを産出するMediascape

と,教育を支える Ideoscapeが交渉したり,接合したりする場(Appadurai 1990)

となっている様相も確認される。あるいは,教育の娯楽化(Urry 1990)という

観点からも接近できよう。

ここまで,当該国で言語支援活動を展開する団体は言語関連活動と言っても,

日頃の活動報告に終始する傾向にあること,日頃は言語関連活動に従事しない

団体であっても国フェスでは言語関連活動に取り組み,参加者がその国の言語

を体験する場を提供することができること,言語関連活動の実践では日本に暮

らす当該国出身者が先導するため,日常のホスト-ゲスト関係が逆転する場を

創出する余地があること,国フェス内での語学体験は時間的な制約や,その場

で使えることを重視するために買い物時のやりとりが取り上げられる傾向にあ

ることを指摘した。第二点目と第三点目は国フェスの言語関連活動の可能性と

言え,第一点目と第四点目は課題と言える。可能性の面を駆使しながら,課題

面を克服することにつながる事例が見出されたので紹介したい。以下は,カン

ボジアフェスティバルで,開発途上地域で衛生面の支援を行っているNGOの

ブースについてのフィールドノーツである。

ブース内にはNGO活動の様子が写真と文章で解説が貼られている。そのテント内で取り組まれているのは,活動紹介ではなく,クメール文字の手ほどきである。先生役の人が,クメール語のアルファベットを,ボードを用いて説明し,参加者は自分の名前をクメール文字に置き換えてみる。先生が確認をして,良ければ練習に入る。先生はひとりひとり,文字の形などについて修正し,参加者は各自,練習を重ねる。最後に 2枚のカードに好きな色のマーカーで清書をする。1枚は記念として持ち帰ることができ,もう 1枚はNGOが活動している地域の子ども達に届けるという。現地の子ども達への応援メッセージ,友好のメッセージとなるとのことであった。終了後に先生役の人に話を聞くと,彼はカンボジア人留学生だという。普

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段は工学系の学生で,このNGOの活動にも,NGOが活動している地域とも接点はないと言う。ただ,日本人がカンボジア人のために支援活動をしているということを知り,日本に暮らすカンボジア人として何か役に立てることはないかと申し出て,お祭りの時だけ,ボランティアとして先生役を引き受けているとのことだ。(2017年 5月 3日)

このNGOでは一見すると,活動内容とは関係のないクメール文字教室が実

施されている。最終的には現地の子ども達への友好・応援のメッセージになる

ということだから,まるきり無関係ではないが,直接的と言うよりは迂回した

関係性がデザインされている。

この取り組み事例で注目すべき点は,参加者の関心の惹き付け方が他の多く

の支援団体とは異なる点である。国フェスには国際協力や支援活動に携わる

NGOの出店は少なくない。彼らの国フェスでの活動は,日頃の支援活動内容

を紹介し,現状について理解を促しつつ,募金やボランティア募集をするとい

うのが一般的である。彼らの日ごとの活動は当該国にあるので,国フェス場に

持ち込むのは写真や報告書という形にならざるを得ないのは頷ける。ただし,

彼らが紹介するのは,その国が抱える貧困や社会問題,すなわち負の部分とな

らざるを得ない。一方で,美味しいものを食べ,ほろ酔いで陽気に騒ぐ集団が

いたり,民族衣装を身にまとった人々が華麗に踊るといった国フェスで前景化

されがちな場面とは乖離も認められる(猿橋・岡部 2017)。チャリティイベン

トと考えれば不自然ではないのだが,祭りが盛り上がるにつれ,その国の負の

実態や課題の面を知る,学ぶという空間に戸惑いのような感覚を覚える参加者

も少なくないだろう。

ところが,この取り組みでは,国フェスという場において,その国が抱えて

いる問題を直接的に伝えるのではなく,まずその国に関連するモノ・コトに触

れてもらい,そのきっかけを通して,NGOが展開する活動に興味を持っても

らう,というように来場者に選択する道を開いている。こうした迂回路の設定

が,祭りという華やかな場で,社会問題や支援活動実績を伝える緩衝となって

いることが窺える。

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東京周辺の国フェスにおける言語政策的営為のエスノグラフィー

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さらに注目したいことは,こうした迂回路あるいは緩衝点の設定において,

文字や言語関連活動が展開されている点である。文化資本としての当該国言語

の存在と可能性が確認できる。国フェスにおける言語関連活動は,今のところ

経験的・直観的に採用されている段階であり,まとまりや全体的な方針は見え

ない。今後,国フェスの場において,より計画的・積極的に活用する余地があ

ると言えよう。

8. 考察

本論では,国フェスに見られる言語政策的営為を横断的に見ることを試みた。

フィールドワークを通して言語政策的営為の 5領域,すなわち ① 公式ホーム

ページの言語選択・言語設定,② 企画・運営段階で重視・尊重される言語能力,

③ 舞台上での言語選択,通訳の配置などの言語管理,④ 出店ブースでの言語関

連活動,⑤ 国フェス全体の言語景観を導出した。本論では,① と ④ に注目し

てデータ整理と事例の紹介および分析を行った。以下,得られた知見をもとに

考察を深める。

公式ホームページの言語選択・言語設定を見ると,言語別にページを設定し

ている国フェスが過半を占めていた。内容を見ると情報量に差があるサイトも

少なくないが,ホームページの設計時には少なくとも複数の言語を対等に位置

づけていた姿勢が窺える。言語別の設定をしていない国フェスのホームページ

でも複数の言語の併記や,対象とする国の言語の装飾的な使用などが認められ

た。ひとつのページに複数言語を併存させているような場合,常に記載順序を

守って併記するバイリンガル型もあれば,複数の言語がひしめきあうようなデ

ザインとなっているものも見出された。後者はトランスランゲージング実践に

近い言語使用と言えよう。また,言語情報をほとんど掲載せず画像をふんだん

に使用するホームページや,ホームページと SNSで異なる言語が使用されて

いる事例なども見られた。デジタルフェス場の多言語使用については,言語設

定に加え,情報量,言語併用のあり方,非言語情報への依存度,デジタルメディ

アの種類などの観点も踏まえて見ていく余地があることが確認された。

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青山国際政経論集

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出店ブースの言語関連活動からは,日常的に言語関連の活動をしていない団

体であっても,当該国の言語が文化資本として活用されていることが確認され

た。当該国の言語は,それぞれの言語話者間のコミュニケーションを成り立た

せるということだけではなく,その国らしさを演出したり,一見,祭りとは調

和しそうにない活動内容を緩衝する役割を担うこともあった。

これらの二領域の分析を通して,言語政策的展開の可能性と課題を論じる。

ホームページの最上部に設けられた言語切り替えのアイコンは,国フェスの主

催者が当該国の言語と開催国の言語の 2つの言語空間を想定していることの現

れと言えよう。しかし,実際には多言語のページが等しく稼働している国フェ

スは限られていた。また多言語ホームページの設定と,言語関連活動を展開す

るブースの有無の間にも関連が見出されなかった。ホームページ上の言語設定

を理念の表れとみるならば,理想と実践のズレが存在すると考えられよう。

Fettes(1997)は理想や合理性に基づいて計画された言語計画が,実践を通し

て見出だされる不具合を振り返り,見直していく循環を作り出すことで言語政

策としての存在意義を高めると指摘する。国フェスはどのような言語空間を作

り出したいのか,あるいはイメージする国フェスを演出する上で,いかに言語

を活用するのか,しないのかを検討する余地がそれぞれの国フェスにある。

全体に浸透させるような言語政策は不在であり,個々の参加者の工夫に基づ

いた多彩な言語関連活動が見出されたが,その一方で,国家を象徴するひとつ

の言語に収斂される傾向も認められる。これは,ホームページで複数の言語が

準備される場合であっても,日本語と当該国を代表するひとつの言語が選択さ

れること,その言語が国旗で示されること,その言語が英語であり,なおかつ

英語国とは言えない国の国フェスには言語関連活動が取り組まれにくいことと

も関連していよう。国家と言語が対になって提示され,その言語はその国を独

自に象徴する役割が付与されているのである。この点は,その他の言語につい

ての取り組みや関心が皆無であるということを意味してはいない。国フェスの

会場を丹念に見ていくと,少数民族文化グループの参加,手話学校,アイルラ

ンド語がプリントされたTシャツの販売などが確認された。しかし,彼らは彼

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東京周辺の国フェスにおける言語政策的営為のエスノグラフィー

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らの言語を資源として活用してはいなかった。

この点から,国フェスの言語政策的展開には可能性に加え,以下の課題も見

出される。国フェスには理念に基づいた言語政策的展開の可能性を検討する余

地があるが,それが硬直的なものになってしまうと個々の工夫に基づいた活動

が抑制される危険性も考えられる。祭りの場は日常の規範からの逸脱や,試行

的な実践も許される場であり,それが国フェスの面白さや活力でもある。個々

の言語関連活動を支援したり,つなぐような発想で国フェスの言語政策を展開

する余地があろう。さらに,その国を代表するひとつの言語に収束する流れに

対しては,自覚的に見直す余地がある。当該国を代表する言語はもとより,少

数言語や近隣国の言語,手話も国フェスを彩り豊かな場にする文化資本として

の可能性を秘めている。国フェスの言語政策研究上の展開としては,規模が小

さくても,言語間の力関係を是正するような取り組みを見出し,光をあててい

く可能性も備えている。

9. おわりに

本論では,15種類の国フェスで 21回にわたるエスノグラフィックなフィー

ルドワーク調査を通して,言語政策的営為を描出することを試みた。

明文化された言語政策を持っている国フェスは今のところない。ここに記述

した言語政策的営為のほとんどは実践者の中で経験的に蓄積,調整されており,

包括的に把握されるには至っていない。それが,その場に応じた自由な言語の

選択や調整を可能にしている面もある。一方で,当初描いていた当該国言語を

活用する場を縮小させてしまったり,暗黙のうちに少数言語に関連する活動に

制約をかけてしまっている可能性もあろう。多言語化する公共空間で,どのよ

うな言語政策的な課題が内包されており,課題を乗り越えるきっかけがどこに

あるかを見出す上でも,国フェスのような空間で,どのような言語政策的営為

が展開されているかを見ていく意義があると言えよう。

国フェスはまだ蓄積も浅く,その存在基盤も必ずしも堅固とは言えないもの

もある。運営主体が入れ替わり,目的や手続きが大きく変更になったり,継続

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青山国際政経論集

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すら危ぶまれている国フェスもある。そのため,その場で得られた知見を一般

化することは難しい。しかし,そのような環境下であるがゆえに,その場で生

み出される人々の相互協力や即興的な課題対処も確認される。そこから,グロー

バル公共空間の秩序形成について,示唆が得られることが予見される。方法論

上の課題も残されているが,国内外で開催される国フェス実践場において参与

観察者として関わり続けることで,ひとつひとつの課題に丁寧に向き合い,ひ

とつずつ乗り越えていきたい。

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