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国際ビジネス研究学会年報 2006 151 研究論文 変革期における日本の対外直接投資 -日本企業の競争力強化への道- 手島 茂樹(二松学舎大学) 先進国向けを主体としてきた日本企業の直接投資は、輸送機械を中心としたアジア向けにウエイトを変えつつある。 海外における研究開発も徐々に盛んになりつつある。そうした変化の根底には変革期に来た日本企業の国際競争力の 問題がある。日本企業の競争力について、近年、アーキテクチャー論から分析されることが多いが、本稿では、近年 の日本企業の国際競争力に深刻な影響を及ぼしたのは、 ICT 革命とモジュール化が推進する世界規模での「特殊品」 から「汎用品」化への動きであると考え、この汎用品化への潮流を念頭に、産業毎の競争力の相違を、需給両面から 検討し、海外事業展開の意義を明らかにする。 供給サイドで「特殊品」としての特性を強固に保持し、しかも、需要サイドで「特殊品」に対する大規模な世界需 要を確保できる産業では、日本企業は十分な国際競争力を保持している(自動車よび高級部品・素材等)。その供給 面での競争力の源は、規模の経済を達成している成熟産業において、「企業内取引費用プラス市場取引費用」を最小 化するシステムである。それを可能にするのは、「短期的機会主義的利益」よりも「長期的取引関係の継続」を志向 する日本の部品企業や組立企業の従業員の特性(「日本型選好」)であり、この特性を有効に活用するために、様々な 経営手法と年金制度、社会保険制度等の制度がある。同時に、世界的な需要確保のため、海外事業展開を積極的に進 める戦略がとられている。 一方、世界的潮流として、供給サイドでは、 ICT 革命とモジュール化の中で部品、製品、設計の標準化・汎用品化 が急速にすすんでおり、需要サイドでも、新製品の陳腐化・汎用品化と製品差別化競争から汎用品の価格競争への移 行が加速していることが、日本企業の競争力に影響を及ぼしている。特に、劇的なイノベーションを頻繁に行わねば ならず、業界標準の確立が重要な意味を持つ先端ICT産業分野では「日本型選好」および日本企業の経営手法は必ず しも有利でない面があり、これをブレークスルーする工夫が必要である。海外における研究開発活動はこれに対する 一つの答えであるが、海外人材と「日本型選好」及び日本企業の経営手法の融合には留意を要する。 はじめに 日本経済は10 年来の変革期にあり、日本企業の競 争力も大きく変貌しつつある。こうした日本企業の 競争力を、直接投資を通じた国際的事業活動を通じ て増強・再活性化できるか否かという意味で、直接 投資の役割はより重要になっている。日本企業がこ れまでグローバルに、また特にアジアで展開してき た生産ネットワークによる国際的な部品産業の集積 は、日本企業のグローバルな国際競争力の維持・強 化に非常に有効であったが、財・サービスの「汎用品 化」(“commoditization”)を背景に、「破壊的技術革新」 (クリステンセン)的な低コスト・大量生産をすすめる アジア企業の台頭により、こうしたネットワークのあ り方も大きな影響を受けつつある。 長期にわたり先進国向け直接投資を主体としてきた 日本企業は、近年、アジア向けの比重を高め、特に製 造業投資においてその傾向が著しい。製造業投資の中 では、輸送機械(自動車産業)のアジアにおける直接 投資増加が顕著である。同時に、海外における研究開 発も盛んになりつつある。日本の研究開発投資は、こ れまで、先進国向けが主体であったが、中国等アジア における研究開発投資も今後増える兆しがある。そう した変化の根底には、日本企業の国際競争力が大きな

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国際ビジネス研究学会年報 2006年

─ 151─

研究論文

変革期における日本の対外直接投資

-日本企業の競争力強化への道-

手島 茂樹(二松学舎大学)

要  旨

先進国向けを主体としてきた日本企業の直接投資は、輸送機械を中心としたアジア向けにウエイトを変えつつある。

海外における研究開発も徐々に盛んになりつつある。そうした変化の根底には変革期に来た日本企業の国際競争力の

問題がある。日本企業の競争力について、近年、アーキテクチャー論から分析されることが多いが、本稿では、近年

の日本企業の国際競争力に深刻な影響を及ぼしたのは、ICT革命とモジュール化が推進する世界規模での「特殊品」

から「汎用品」化への動きであると考え、この汎用品化への潮流を念頭に、産業毎の競争力の相違を、需給両面から

検討し、海外事業展開の意義を明らかにする。

供給サイドで「特殊品」としての特性を強固に保持し、しかも、需要サイドで「特殊品」に対する大規模な世界需

要を確保できる産業では、日本企業は十分な国際競争力を保持している(自動車よび高級部品・素材等)。その供給

面での競争力の源は、規模の経済を達成している成熟産業において、「企業内取引費用プラス市場取引費用」を最小

化するシステムである。それを可能にするのは、「短期的機会主義的利益」よりも「長期的取引関係の継続」を志向

する日本の部品企業や組立企業の従業員の特性(「日本型選好」)であり、この特性を有効に活用するために、様々な

経営手法と年金制度、社会保険制度等の制度がある。同時に、世界的な需要確保のため、海外事業展開を積極的に進

める戦略がとられている。

一方、世界的潮流として、供給サイドでは、ICT革命とモジュール化の中で部品、製品、設計の標準化・汎用品化

が急速にすすんでおり、需要サイドでも、新製品の陳腐化・汎用品化と製品差別化競争から汎用品の価格競争への移

行が加速していることが、日本企業の競争力に影響を及ぼしている。特に、劇的なイノベーションを頻繁に行わねば

ならず、業界標準の確立が重要な意味を持つ先端ICT産業分野では「日本型選好」および日本企業の経営手法は必ず

しも有利でない面があり、これをブレークスルーする工夫が必要である。海外における研究開発活動はこれに対する

一つの答えであるが、海外人材と「日本型選好」及び日本企業の経営手法の融合には留意を要する。

はじめに

日本経済は10年来の変革期にあり、日本企業の競

争力も大きく変貌しつつある。こうした日本企業の

競争力を、直接投資を通じた国際的事業活動を通じ

て増強・再活性化できるか否かという意味で、直接

投資の役割はより重要になっている。日本企業がこ

れまでグローバルに、また特にアジアで展開してき

た生産ネットワークによる国際的な部品産業の集積

は、日本企業のグローバルな国際競争力の維持・強

化に非常に有効であったが、財・サービスの「汎用品

化」(“commoditization”)を背景に、「破壊的技術革新」

(クリステンセン)的な低コスト・大量生産をすすめる

アジア企業の台頭により、こうしたネットワークのあ

り方も大きな影響を受けつつある。

長期にわたり先進国向け直接投資を主体としてきた

日本企業は、近年、アジア向けの比重を高め、特に製

造業投資においてその傾向が著しい。製造業投資の中

では、輸送機械(自動車産業)のアジアにおける直接

投資増加が顕著である。同時に、海外における研究開

発も盛んになりつつある。日本の研究開発投資は、こ

れまで、先進国向けが主体であったが、中国等アジア

における研究開発投資も今後増える兆しがある。そう

した変化の根底には、日本企業の国際競争力が大きな

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変革期における日本の対外直接投資(手島)

─ 152─

変革期にあることがある。

本稿では、変革期にある日本企業の競争力を再考し、

対外直接投資が日本の競争力の強化につながる道を検

討する。国際競争力の変容を生じた重要な要因は、世

界規模での「汎用品化」への滔々たる流れである。こ

うした汎用品化への流れは、伝統的な日本企業の国際

競争力に大きな影響を与え、対外直接投資にも大きな

影響を及ぼしている。  

Gary Hamel(2006)によれば、財・サービスの「汎

用品化」(“commoditization”)ばかりでなく、低コスト

での生産、顧客サービス、製品デザイン、人的資源管

理といったさまざまな分野で「汎用品化」

(“commoditization”)が進んでおり、こうした世界的潮

流の中で生き延びるためには経営革新(management

innovation)が必要であるとされる(1)。第II節で論ずる

ように、日本企業の中にはこうした潮流の中で、特殊

品の供給・需要両面で、国際競争力を保持・強化して

いるものもあるが、競争力を低下させているものもあ

る。こうした日本企業にとってはとりわけ経営革新

(management innovation)は不可欠であろう。

本稿の第I節では、変革期にある日本企業の対外直接

投資の現況を概観する。第 II節では、日本企業の競争

力の現状を、これまで筆者の研究の中で展開してきた

「取引費用最小化」の視角から分析、需要サイドからの

検討も加え、日本企業にとっての課題を提示する。第

III節では、筆者が日本企業の競争力の淵源と考える取

引費用最小化の過程を分析する。第IV節では、直接投

資を通じて日本企業の競争力を再活性化する際の留意

点について検討する。第V節は本稿の結論である。

I.変革期にある日本の対外直接投資

1990年代から21世紀初頭にかけて、日本企業の製

造業対外直接投資フロー動向には大きな変化が見られ

た。日本の直接投資は長らく北米及び欧州向けが主力

であったが、近年はアジア向けが増加している。特に、

2004年度は、北米向けおよび欧州向けが落ち込む中

で、アジア向けだけが増加し、この両地域を凌いだ

(図 1)。

図1 日本の製造業直接投資の地域別内訳(財務省届出ベース,単位:1億円)

(財務省届出統計から筆者作成)

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1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004

AsiaOceania

North Ameri aWest Europe

Central/ South AmericaMiddle East

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国際ビジネス研究学会年報 2006年

─ 153─

製造業のうち、輸送機械産業(自動車)をみると(図

2)、1990年代前半までは北米向けが、1990年代後半に

は欧州向けが中心であったが、近年は、中国、タイを

中心としたアジア諸国向けの直接投資が盛んである。

多国籍企業間のグローバルな競争の高まりの中で、日

本の自動車企業は急成長する新興市場と効率的な生産

及び研究・開発拠点の確保を目指して、アジアへの投

資を増強している。これに対し、電気機械(I C T

(Information Communication Technology)及びエレク

トロニクス)ではアジアへの傾斜は、輸送機械産業(自

動車)ほど強くは見られない(図3)。これは、欧米で

はICT企業の経営資源を獲得するための投資等が多く

図2 日本の輸送機械産業による直接投資の地域別内訳(財務省届出ベース,単位:1億円)

 (財務省届出統計から筆者作成)

(財務省届出統計から筆者作成)

図3 日本の電気機械産業による直接投資の地域別内訳(財務省届出ベース,単位:1億円)

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Asia North America Centra l/ South America Oceania West Europ e Middle East

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Asia North America Central/ South America Oceania West Europe Middle East

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変革期における日本の対外直接投資(手島)

─ 154─

行われているためと考えられる。

また経済産業省によると、日本企業の海外における

研究・開発費率は、1997年度の2.2%から、2003年度

には2.7%へと漸増しており、こうした研究開発型の直

接投資も電気機械(ICT及びエレクトロニクス)産業

では欧米を中心に増加しつつある(2)。同時に、アジア地

域、特に中国で、研究開発型の直接投資が急増してい

るとの報告もある(3)。

こうしたトレンドは、国際競争力強化を図るため、生

産拠点や研究開発拠点の世界最適立地とグローバルな

市場確保を目指す日本企業の直接投資行動が新しい段

階に入ってきていること及びその根底に、日本企業の

国際競争力が大きな転換期に来ていることを示すもの

である。第 II節以下ではこの点を論ずる。

II.日本企業の競争力の多様性をどう分析するか。

(2.1) 競争力を保持する産業と競争力を喪失しつつ

ある産業

日本企業の競争力の淵源について、筆者は、これま

で、一貫して、取引費用の概念を用いて論じてきた(4)。

この議論を一歩進めるため、本稿では、日本企業の競

争力を産業別に識別することに努める。現在の日本の

産業には、自動車産業のように依然として、強力な競

争力を保持しているものと ICT・エレクトロニクス産

業のようにかなり競争力が変容しているものとが並存

している。表1より、輸送機械の場合、日本における

日本法人の売上高経常利益率が、日本における外資系

企業のそれよりも高いことがわかる。これは他の機械

産業には見られない特徴であり、自動車を中心とする

輸送機械産業の国際競争力を表している。

産業ごとの競争力の相違につき、アーキテクチャー

論の視点から、東京大学の藤本隆宏教授等により、統

合型(擦りあわせ型)のアーキテクチャーを持つ日本

企業は競争力を保持するが、独立型のアーキテク

チャーを持つ企業は競争力を喪失したとの説明がなさ

れている(5)。

また、統合型(擦りあわせ型)に限らず素材の強さ

にも注目して、日本企業は、擦りあわせ型開発技術、製

品要素深堀型開発技術、フレキシビリテイ追求型生産

技術、生産要素深堀型生産技術に長じているとの見方

もある(6)。

筆者は、企業の競争力を総合的に捉えるには、供給

サイドでは取引費用も含めた広義の費用概念、需要サ

イドでは、製品特性に適合した需要の確保といった視

点が有効であると考える。そこで、これまでの筆者が

行ってきた研究をベースに、こうした産業ごとの競争

力の相違を需給両面から分析し、日本企業は、ある産

業分野では国際競争力を維持・強化する一方、他の分

野では国際競争力が急速に変化しつつあることを説明

する。本稿では、簡明化のために、企業の競争力を産

業の競争力としてとらえる。例えば、日本自動車産業

の中にも困難に直面した企業はあるがそうした事情は

表1 日本法人、日本所在の外資系企業の売上高経常利益率

(経済産業省、外資系企業事業活動報告、財務省、法人企業統計)

2000 2001 2002 2003 2004

輸送機械(外資) 0.9 3.7 5.2 3.8 3.9

輸送機械(日本法人) 3.3 4.2 4.6 4.8 4.6

一般機械(外資) 3.2 3.7 3.9 7.8 8.6

一般機械(日本法人) 4.0 2.7 2.3 3.6 4.9

電気機械・情報通信(外資) 8.2   6.1 4.8 6.2   6.2

電気機械・情報通信(日本法人) 4 0.1 1.7 3.1 3.6

全地域

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国際ビジネス研究学会年報 2006年

─ 155─

捨象して考える。特に、国際競争力を失った産業分野

は、今後、直接投資を通じた国際展開によって、国際

競争力を回復することが出来るであろうか、という点

を考究することが本稿の狙いである。

(2.2)「プロダクトサイクルの加速化」対「特殊品

特性の維持」

本稿の冒頭で述べた汎用品化への流れについて、以

下の3点が重要である。

(イ)「特殊品」から「汎用品」への転換の加速

第1に、ICT革命及びモジュール化は、供給サイド

で、部品・製品の設計・生産情報の開放・拡散を通じ、

これら部品・製品の汎用品化・共通化を促し、「特殊品」

から「汎用品」への動きを加速させた。冒頭引用した

Gary Hamel(2006)によれば、「汎用品化」は、財・

サービスだけでなく、低コストでの生産、顧客サービ

ス、製品デザイン、人的資源管理といったビジネスモ

デルから経営革新に至る、さまざまな分野に及ぶ。

特に、台湾、韓国、中国等のアジア企業による、日

本企業をターゲットとした、「破壊的技術革新」(クリ

ステンセン)的な模倣品・類似品の低コスト・大量

生産はこうした供給サイドでの汎用品化のひとつの典

型である。

この現象をより明確にするために、Williamson(7) の

定義した「特殊品」の概念を用いれば、これまで「特

殊品」としての高付加価値製品・部品等に封じ込めら

れていた企業固有のノウハウや機密情報が、ICT(情報

通信)革命及びモジュール化の急速な進展の結果、劇

的に世界中に伝播する結果、「特殊品」が汎用品化する

までの期間が短縮される傾向がある。こうした現象は

これまで様々な高付加価値品を開発・生産していた先

進国企業の国際競争力を様々な分野で減じる。一方、技

術移転・模倣等を通じて、「汎用品」化された高付加価

値品の低コスト生産能力を獲得した発展途上国企業の

国際競争力を強化する。

ここで、Williamsonの定義によれば、「特殊品

(Specialty products)」 とは、第一に、売り手と買い手

との間の情報の非対象性が大きく、第二に、両当事者

による機会主義が顕著であり、第三に、特殊品生産に

かかる巨額のサンク・コストの発生が見込まれるもの

である。特殊品としての特性が強ければ強いほど、市

場取引にかかる取引費用が大きくなると考えられる。

本稿でもこの「特殊品(Specialty products)」の定義を

用いる。

上記3条件の中で、第一の情報の非対象性について

は、ICT革命及びモジュール化によって、情報の開放・

拡散が生じ、売り手と買い手との間の情報の非対称性

が削減され、Williamson の定義する特殊品の範囲が狭

められる一方、Vernon の「製品のプロダクト・サイク

ル」で説かれた、新製品の汎用品化・陳腐化のプロセ

スは、現代でも有効であり、むしろ世界規模で加速化

する効果があるものと考えられる。

(ロ)日本企業の国際競争力の核心

論点の第 2 は、日本企業の国際競争力の核心は、

(Williamson の特殊品としての特性を持つ)高品質な新

製品を持続的に、しかも十分なコスト・価格競争力を

持って、市場に供給する力である点である。こうした

日本企業の国際競争力の背景には、すぐれた生産シス

テムがある。日本企業の国際競争力の淵源を、上記

Williamson の「特殊品」概念ならびにそれと密接に結

びついた市場取引費用と企業内取引費用の概念を用い

て定式化すれば、筆者がこれまで論じてきたように、日

本企業は、欧米企業には達成困難な、「生産費用プラス

取引費用(市場取引費用プラス企業内取引費用)の最

小化」を達成できることであると考えられる(8)。このプ

ロセスについては第 III節で詳述する。

留意すべきは、こうした「特殊品」生産についての

優れた競争力、すなわち、「生産費用プラス取引費用の

最小化」は、第一の論点である世界規模での「特殊品」

の汎用品化への潮流の中で、その有効範囲を狭めるこ

とである。すなわち、多くの財・サービスで汎用品化

がすすめばこれらの調達に要する取引費用は減少する。

一方、部品・製品レベルで「特殊品」としての性格を

保つ産業もある。日本の産業は、供給サイドでの「特

殊品」生産を保持しつつ、((ハ)で論ずるように,)こ

うした「特殊品」に対する大規模需要を開拓し続けて、

競争力を保つ産業(自動車産業,特殊部品・素材産業

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変革期における日本の対外直接投資(手島)

─ 156─

等)と急速に汎用品化に向かう産業とに二分化される

こととなる。

(ハ)需要サイド

第3の論点は、需要サイドである。高価格・高付加

価値の「特殊品」に対する大規模市場が世界にどの程

度存在し、そうした市場が将来的にどの程度、成長す

るか、さらに、この高付加価値品市場が、どの程度の

スピードで、低価格の汎用品市場に転化していくか、が

日本企業の国際競争力に大きな影響を及ぼす。中国に

おける二輪車市場に見られたように、たとえ日本企業

が、高付加価値・高価格な特殊品すなわち「高級品」と

してのオートバイ製造に長けていたとしても、現地市

場で、低価格な汎用品への需要が大半であれば、需給

のミスマッチにより競争力を保ち得ない。その一方で、

中国における高級家電産業のように、現地市場の需要

が常に、より新しい、高付加価値・高価格の特殊品に

向かう場合には、日系企業は新製品を次々に市場に送

り出すことによって自社の新製品への市場を創出し、

生き延びることができる。

以上の分析に基づき、次項(2.3)では、供給サイド、

需要サイド両面から日本企業の競争力を検討する。

  

(2.3) 日本企業の競争力の現状;競争力のある産業

と競争力を喪失した産業についての識別。

(イ)特殊性と高付加価値性の維持と喪失

日本企業の国際競争力は、その属する産業の産業特

性が、供給サイドから見たとき、「特殊品」としての特

性を保持し続け得るか、あるいは、速やかに「汎用品」

化するか、によって大きく異なる。同時に、需要サイ

ドからみたときに、市場が高付加価値・高価格な「特

殊品」を選好するか、または、低価格の「汎用品」を

選好するかで、やはり、各々の産業特性は異なり、し

たがって、各々の企業戦略も大きく異なる。こうした

供給サイドの要素、需要サイドの要素、合計6つのケー

スに分類すると、日本企業の国際競争力は、カテゴリー

ごとに大きく異なることが分かる。表2は、そうした

供給特性及び需要特性に着目して日本産業の国際競争

力を分類したものである。

表2で留意すべきは、供給面でも需要面でも「汎用

品」化がすすめば、当然のことながら、価格・費用の

引き下げ圧力が強力に生ずることである。一方、需要

面で「特殊品」であり続ければ、高価格品も市場で受

容され、価格・費用の引き下げ圧力は弱い。

(ロ)(A)産業のケース

まず、(A)産業では、供給サイドで、ICT革命及び

モジュール化のもとにおいてすら、最終製品レベルお

よび部品レベルの双方で、連続的・持続的な研究開発

や現場での品質改善を行いつつ、「特殊品」としての特

性を保持することができる。この場合、「生産費用プラ

ス取引費用(取引費用は市場取引費用プラス企業内取

引費用)の最小化」を図りつつ、高品質の「特殊品」を

生産するという日本企業の強みを最大限発揮すること

ができる。需要サイドでも、高価格・高付加価値の新

製品を吸収する大規模市場が世界的に存在するので、

需給がマッチしている。こうしたケースでは日本企業

の競争力は最も保持されやすい。その典型が自動車産

業である。

(A)産業における供給サイドの事情を、特殊度の強

化と高付加価値化との関係をあらわす図4によってみ

ると、A点からB点を経てC点に向かうのが、(A)産

業の特性である。部品・製品とも「特殊品」としての

特性を強めつつ、より高い付加価値を実現している。こ

れは、ICT革命及びモジュール化のもとでの「汎用品

化」へのプロセスが、(A)産業、特に、非常に複雑な

特殊品としての性格を持つ主要部品および完成品の分

野では、働きにくいためである。すなわち模倣者が「破

壊的技術革新」を仕掛けにくい。例えば、自動車組立

企業は最先端エンジン開発・製造事業に関する最も重

要なノウハウを基本的に社内に保持しようとする。こ

れは製品としての新車の差別化につながる。部品企業

との緊密な連携の下に、生産現場及び市場の顧客から

の情報のフイードバックとそれに基づく連続的な改善

の結果、製造される、優れた特殊品としての部品・製

品は容易には模倣できず、「汎用品化」しない。

次に、図5によって、需要面を検討する。図5は、高

価格化(=高付加価値化)がすすむときの当該製品に

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国際ビジネス研究学会年報 2006年

─ 157─

表2 競争力の現状;IT化・モジュール化のもとで「特殊品」としての特性を保持す

る産業と保持し得ない産業の分類(マトリックス)

(筆者作成)

供給特性

需要特性 ① 高価格・高付加価値な「特殊品」を選好する大規模需要

② 低価格の「汎用品」を選好する大規模需要。

(A)日本企業は、十分な国際競争力を保持(自動車)。

(D)日本企業は需給のミスマッチにより急速に競争力を失う。

(1)製品としても部品としても、「特殊品」としての特性を保持

(2)製品としては、速やかに「汎用品」に移行するが、部品・設計等は「特殊品」としての特性を保持しつづける。

(B)日本企業は、十分な国際競争力を保持(高付加価値部品・高付加価値素材)。

(E)日本企業は需給のミスマッチにより急速に競争力を失う。

(3)特殊品から速やかに「汎用品」に移行する製品・部品・設計等

(C)差別化・ブランド化に成功しない日本企業は国際競争力を持たない。

(F)日本企業は需給両面から国際競争力を持たない。

図4 部品・製品の特殊度と付加価値

図5 部品・製品の価格と需要規模(筆者作成)

(筆者作成)

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変革期における日本の対外直接投資(手島)

─ 158─

対する需要を表している。 (A)産業に対する需要は、

A点からB点を経てC点に向かう。いわば(A)産業は、

最終製品等の価格が上昇しても、需要が拡大するとい

う「高級財」の性格を持つ。

いいかえれば、自動車の高付加価値化・差別化生産

に成功し、特殊度を高めることが出来る自動車組立企

業では、そうした差別化された高付加価値品市場の需

要創出に注力することが重要な戦略であり、このため

国内市場の開拓と同時に一層の海外展開を図っている。

それに成功すれば、(A)産業は国際競争力を保持する

ばかりか、強化することが出来る。

(ハ)(B)産業のケース

開発の成果である新製品は、容易に陳腐化・「汎用品」

化しても、新製品のコンセプトそのもの創出(すなわち、

研究開発に基づく革新的なイノベーションによる新製品

のおよび創出設計)、更に、新製品を生産する上で必要

不可欠な高付加価値部品および高付加価値素材の開発・

生産については、模倣が困難であり、ユニークな「特殊

品」生産が可能である。特に、高付加価値部品および高

付加価値素材については、(A)産業同様に、「生産費用

プラス取引費用の最小化」を図りつつ、高品質の「特殊

品」を生産するという日本企業の強みを最大限発揮する

ことができる。こうした産業を(B)産業とする。供給

サイドの状況は図4において(A)産業と同様に、A→

B→Cの経路を辿る。需要サイドを考えれば、ICT・エ

レクトロニクス産業の高付加価値部品および高付加価値

素材は、たとえ製品そのものが加速度的に汎用品に転じ

ても、特殊品として組立メーカーに長期にわたって重用

され、価値を保ち続けることが多い。すなわち、需要サ

イドの状況も(A)産業と同様に、A→B→Cの経路を

辿る。

視点をかえれば、ICT半導体分野で、インテル、

AMD、TI、IBMといった欧米企業も、高密度、高速性、

信頼性といった品質を維持するために、高度な技術に

基づく半導体製品は、自社製造する(JETRO)(9)。高

付加価値部品の重要性を十分に認識しているためであ

る。

(ニ)(C)産業のケース

ICT機器・高級エレクトロニクス製品のように、市

場が常に新しいコンセプトの高付加価値品を需要し、

しかもそうした高付加価値品の供給に当たっては、汎

用品化・低コスト供給が可能であるのが、(C)産業の

場合である。供給サイドから見ると、部品点数が(A)

産業よりも少なく、工程もより簡単な(C)産業では、

ICT革命及びモジュール化のもとで、部品・設計及び

製品レベルでの情報の開放・拡散を通じ、部品、生産

プロセス等は速やかに標準化され、汎用品に転化して

いく。汎用品化が容易な(C)産業では、日本企業が競

争力を維持するのは容易でなく、模倣が巧みな中国・韓

国等のアジア製造企業を下請企業として巧みに利用し

つつ、業界標準の獲得やブランド力によって差別化能

力・市場支配力を持つ企業が競争力を持つ。生産コス

トは汎用品化・アジア企業の利用によって大幅に低下

しているので、(C)産業企業はかなり大きな収益を上

げることが出来る。ノキア等の欧米 ICT大手企業はこ

うした範疇に属する。

(C)産業の供給サイドの状況を図4で見ると、先の

(A)産業とは異なり、A点からB点を経てまたA点に

戻る経路をとると考えられる。すなわち、(C)産業で

も、当初は、(A)産業同様に高付加価値化と特殊化が

同時に進行するが、ICT革命及びモジュール化の進展

の中で情報の開放・拡散が加速するために、汎用品化

が進行し、途中、B点から反転し、製品としての特殊性

は薄まる傾向を辿る。汎用品化がすすめば、新規に競

合する供給企業が参入し、汎用品化は一層進行する。

これに対し、需要サイドの図5では、(A)産業と同

じく、A点からB点を経てC点に至る。供給面から見

て部品・製品・生産プロセスの汎用品化がすすみ、し

たがって生産コストを引き下げることが出来る一方、

ブランドの確立等によって、高付加価値品(=高価格

品)に対する大規模市場を確保できるのであれば、こ

の企業は、大規模な需要を生み出すことが出来る。

Ernstによれば、近年の貿易・投資の自由化、特に投

資自由化の加速の中で、米国多国籍企業は、モジュー

ル化と世界最適調達との結合・連携、製造プロセスの

標準化、ファブレスファンドリーモデルの確立等を通

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国際ビジネス研究学会年報 2006年

─ 159─

じて、米国における半導体設計・アジアでの製造とい

う分業を行い、更には、半導体設計でも、モジュール

化がすすんだものは米国からアジアに移転する等の設

計部分の国際分業も行っている(10)。これによって(C)

産業の競争力を保っている。

(ホ)(D)産業のケース

(D)産業では、供給サイドでは、(A)産業および

(B)産業同様に、A点からB点を経てC点に向かう

経路を辿る。

しかしながら、既に同種のコンセプトの財が、市場

において汎用品化されたうえで、受け入れられていれ

ば、特殊品を生産・販売する日本企業は、価格競争に

おいて、汎用品の販売企業に対抗できない。需要サイ

ドでは、図5においてA点からB点を経て、汎用品化

が進むにつれて、D点に向かうという低価格志向・汎

用品志向が生じているにもかかわらず、日本企業は、こ

うした低価格の汎用品需要にマッチしない高付加価値

品・特殊品を提供することになるからである。(D)産

業では、日本企業は、差別化されたブランド品の市場

を確立することが出来ず、需給のミスッチの罠にか

かっている。

(D)産業の典型例は、中国のオートバイ市場におい

てかって日本企業が直面したケースである。日本企業

は高品質のオートバイを、比較的安い価格で提供した

が、模倣による汎用品を極端な廉価で提供する中国企

業には対抗できなかった。日本企業が(D)産業のポジ

ションにいる限り生き残りは困難である。需要サイド

の②の条件の中で生きるためには、(F)産業へのシフ

トが必要になる。但し、これに成功したとしても、「取

引費用を巧みに削減した、特殊品の効率的な生産」と

いう日本企業の競争優位の特性を生かすのは困難であ

る。

(へ)(E)産業

(E)産業においても(D)産業同様に、需要が②の

特性を保つ限り、日本企業はその競争優位を生かすこ

とはできない。

(ト)(F)産業のケース

先の(C)産業においてブランド力等による差別化が

困難になれば、需要サイドでもまた汎用品・普及品化

が進行する。その場合には、需要を拡大するためには

価格低下が必要であり、市場で既に汎用品と認識され

ている当該製品(またはその類似品)を可能な限り低

コストで供給することが、競争力を保つためには重要

である。これが(F)産業の状況である。

(F)産業の需要サイドの状況を考えると、図5で、A

→B→Dの経路を辿る。供給サイドの状況は(C)産

業と同じく、図4で、A→B→A の経路を辿る。汎用

品化した製品について熾烈な価格競争が行われる状況

であり、価格・コスト競争力のある中国企業は(F)産

業では国際競争力を持つが、日本企業がその固有の優

位性を発揮して競争力を持つのは難しい。

(チ)日本企業にとっての二つの課題

以上の産業特性の検討から、日本企業はその国際競争

力保持の上で二つの課題に直面していると考えられる。

一つの課題は、上記(A)産業および(B)産業にお

いて、日本企業は高付加価値製品、部品および高付加

価値素材の開発・生産について強力な国際競争力(企

業固有の優位性)をもつが、ICT産業においては、「オー

プンな企業間の提携やネットワークを利用した研究開

発に基づく革新的な新製品のイノベーションおよび設

計」の競争力は欧米企業に比して必ずしも強くないこ

とである。したがって、この面で欧米の ICT企業と比

肩する国際競争力を涵養する必要がある。

ここで留意すべきは、「研究開発に基づく革新的な新

製品のイノベーションおよび業界標準の獲得」におけ

る競争力の強化は、第III節で論ずる、日本企業の競争

優位の淵源である「生産費用プラス取引費用の最小化」

を図る生産システムを成り立たせている諸条件と適合

しない面がある点である。研究開発の中でも全体調整

を要する(A)産業の場合には、ハイブリッド車の開発

のように、研究開発にも依然として競争力を有するが、

ICT産業のうち、オープンネットワークを利用した研

究開発の場合には、日本企業の特性は、必ずしも有利

でない面がある。海外展開・海外資源の利用によって

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変革期における日本の対外直接投資(手島)

─ 160─

どの程度こうした困難を克服できるかが重要なポイン

トになる。

もう一つの課題は、(D)産業、(E)産業、(F)産業

において、加速度的に国際競争力をつけてくる中国企

業等の発展途上国企業に対してどのように対応するか

である。加速度的に汎用品化する財の生産コストは、国

際分業の加速により、急激に低下すると考えられる。国

連UNCTAD(国連貿易開発会議)の世界投資報告

(World Investment Report)によれば、世界の多国籍

企業間の競争激化により、世界で最も効率的な生産拠

点、販売拠点、研究開発拠点を求める活動が促進され

た結果、発展途上国のうちで、特に良好な条件を備え

た特定国への直接投資が増大している。これらの途上

国等は、(1)規模の経済を生かした低コスト生産拠点

であり、また、(2)今後の成長の可能性の大きい国内

市場を持ち、更に、(3)良質で豊富な人材等のNIS

(National Innovation System)を備える国である(11)。

こうした投資の加速の結果、新製品の開発・生産にか

かるコストは、益々低下する。

1980年代後半以降の日本企業はこうした視点から東

南アジア、中国等に、効率的な生産ネットワークを形

成し、国際的な部品産業の集積を行ってきたのであり、

こうした戦略により、日本の ICT・エレクトロニクス

産業は国際競争力を維持・強化してきたといえる。し

かしながら、近年、台湾、韓国、中国等、多くのアジ

ア企業が、日本企業をターゲットに模倣品・類似品に

よる「破壊的技術革新」を進めており、低コスト生産

能力と結びついたこれら企業の競争力は日本企業に

とって脅威である。こうした現状から、日本企業のア

ジアにおける生産ネットワークは見直しが必要であり、

アジア企業との適切な協力・提携、棲み分けも必要に

なろう。

III. 特殊品製造にかかる日本企業の競争優位

(3.1) Williamsonの「特殊品」の概念および取引費

用と製造費用

第 II節では、ICT革命、モジュール化が進展する中

で、多くの産業で「特殊品」の「汎用品」化がすすみ、

従来、日本企業が持っていた特殊品製造にかかる「生

産費用プラス取引費用の最小化」という競争優位が成

立する産業の範囲が狭められてきたことを論じた。本

節では、こうした日本企業の競争優位の淵源を改めて

見直し、その優位性と限界を改めて確認する。それに

よって、日本企業が一層の海外展開をすることを通じ

て競争力を回復する可能性を検討する(手島,1998,

2001, 2002:Tejima 1996, 1998, 2000, 2003)。

「生産費用プラス取引費用の最小化」について筆者

は、既にいくつかの論文で論じているが、本稿では、こ

れまでの議論を整理し、さらに、新しいポイントを付

け加える。

まず本項では、 Williamsonの「特殊品」の概念およ

び取引費用と生産費用の概念を再検討する ( 1 2 )。

Williamsonの提示した図6は、ある特定の中間財(部

品)を企業内で内製するか、市場で調達するかを決定

するに当たっての、選択の過程を論じている。利潤極

大化企業は当然、よりコストの低いほうを選択する。コ

ストとして生産費用だけでなく、市場調達及び企業内

内製に伴う取引費用も考慮しなければならない。この

関係を表すために、図6では、当該部品の特殊度(水

平軸)と当該部品の「市場調達」にかかる生産費用と

取引費用(垂直軸)、同じく当該部品の「企業内調達」

にかかる生産費用と取引費用(垂直軸)の関係を図示

している。

Williamsonの「特殊品」の定義については、(2.2)で

論じたとおりである。 Williamsonによれば、当該部品

の「特殊度」が高まれば、情報の非対称性の増大、機

会主義の強化、サンクコストの著増等の要因により取

引費用は増大する。

しかし、企業内での取引においては企業全体として

の利潤極大化のために、こうした三つの要因共に、市

場での取引に較べて相対的にコントロールされるので、

企業内取引費用C1のほうが市場取引費用C2よりも増

加の程度は小さくなる。

すなわち、図6でC = C1-C2 は、特殊度が高まれ

ば、次第に小さくなり、S0を超えるとマイナスになる。

一方、生産費用については、当該部品の特殊度が低

ければ、(市場では規模の経済を生かした生産・供給が

期待できるので)明らかに市場における生産費用G2の

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国際ビジネス研究学会年報 2006年

─ 161─

ほうが企業内の生産費用G1よりも小さい。しかし、特

殊度が高まれば、これを生産する企業は市場において

も限定されてくるので、最終的に、市場での生産費用

G2と企業内の生産費用G1とは同等のレベルに近づく。

図6で、特殊度が十分に高くなり、例えばS**を超え

れば、G1 = G2 が成り立つ。

こうした関係を踏まえて、図6において、特殊度が

十分高ければ(すなわち,図6において特殊度がS*よ

り大きくなれば)、市場取引費用が企業内取引費用に較

べて十分大きくなるので、「C + G」 線すなわち、

C + G = C1 - C2 + G1 - G2 = (C1 + G1) - (C2 +

G2) を表す線は、S*で横軸と交差してマイナスの値を

取る。言い換えると、S*を越えれば「企業内取引費用

C1+企業内生産費用G1」は、「市場取引費用C2+市

場生産費用G2」よりも小さくなる。この結果、特殊度

がS*より高ければ、より低コストでの生産が可能な、

企業内での特殊品内製による調達が選好される。逆に、

特殊度がS*より低ければ、企業内生産費用は市場生産

費用よりも十分大きくなるので、「企業内取引費用C1

+企業内生産費用G1」は、「市場取引費用C2+市場生

産費用G2 」よりも大きくなり、より低コストでの生産

が可能な、市場での調達が選好される。

このように、Williamsonによれば、当該部品を市場

で調達するか企業内で内製するかを決めるのは当該部

品の特殊度であり、ある一定の特殊度S*を超えた特殊

度の高い部品については、企業内で調達するほうが、総

費用(=生産費用+取引費用)を低く抑えることがで

きるので、企業内調達を選択すべきである。逆に、特

殊度の低い部品については、市場で調達したほうが、総

費用を低くすることができる。調達方法の決め手とな

るのは、対象となる部品の特殊度である。以上が(特

殊)部品調達に関するWilliamsonの考え方である。し

かしこれはより一般化して論ずることが可能である。

(3.2)日本企業の競争優位:長期継続取引を短期の

機会主義的利益より選好することによる取引費

用の最小化

前項のWilliamsonの議論は、両極端の議論、すなわ

ち、当該部品調達を100%市場で調達するか、または、

100%企業内で内製するかを検討し、総費用(=製造費

用+取引費用)をより低くするいずれかが選択される

と論じている。しかしながら、この両極端のケースを

より一般化するために、「部品の部分的内製」の概念を

加えると、日本企業の特性および競争優位を明らかに

できる。先の図 6で十分に特殊度の高い部品(例えば

特殊度S**を有する部品)を想定する。 Williamsonに

よればこの場合、明らかに、企業内での内製が選択さ

れることになるが、図6では、100%内製の場合と、100

図6 Williamsonの定義した特殊品(Specialty products)についての取引費用と生産費用

(特殊度が高ければ、取引費用が大きくなる。)

(Williamson, 1998)

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変革期における日本の対外直接投資(手島)

─ 162─

%外注(市場での購入)の場合を比較しているだけで、

部分的に内製し、部分的に外注するときに、市場取引

費用と企業内取引費用がどのように変わるかについて

は検討していない。

これに対し、図7および図8では、そうした部分的内

製のケースの検討が可能である。まず、図7で水平軸

に当該部品の内製率をとり、垂直軸に、市場取引費用

と企業内取引費用をとる。なおここで留意すべき点は、

十分に特殊度の高い部品については、図6のS**のケー

スで見たように、市場生産費用G2=企業内生産費用GI

が成り立つと考えられる。したがって、「部品の部分的

内製」の程度が変化するときの、総費用(=生産費用

+取引費用)の最小化を検討するに当たっては、取引

費用、すなわち、市場取引費用C2と企業内取引費用C1

の合計を見れば十分である。

図7において、明らかに部品内製率100%のときのW

点における企業内取引費用は、市場調達100%のW*点

の市場取引費用よりも小さい。これが、Williamsonの

指摘したポイントである。

しかし、当該企業がこの特殊度の高い部品について、

部分的な内製と部分的な外注を行う場合、企業内取引

費用と市場取引費用の双方が発生する。その合計を表

しているのが図7の戦略(ST)曲線である。部分的な

内製と外注を組み合わせることによって、W点よりも

低い、ST曲線上の最小費用点J点に到達できる。明ら

かにJ点における企業内取引費用と市場取引費用の和

は、W点における企業内取引費用よりも小さい。これ

は、J点において、日本企業は、企業内での部品内製と

部品の市場調達を併用して、より低コストの部品調達

を行っていることを示している(手島,1998,2001,

2002:Tejima 1996,1998,2000,2003)。

上記(2.3)で論じた日本の(A)産業の供給サイド

の競争優位はこうした特殊品調達に際しての取引費用

の最小化達成によって実現されたと考えられる。この

背景には、水平軸に凸の形状をした市場取引費用曲線

と企業内取引費用曲線がある。日本の(A)産業がこの

特性を持つ理由は次のとおりである。

まず市場取引費用曲線については、次の状況がある。

高度な特殊部品の調達に際して組立企業が自己の交渉

上の立場を強化するために当該部品の内製を始めれば、

日本の部品供給企業(パーツサプライヤー)は、直ち

にこれまで享受してきた自己の機会主義的利益(組立

企業にとっての市場取引費用)を大きく削減して、一

層の部品内製の拡大を思いとどまらせようとするであ

ろう。部品供給企業にとって、これまで当該部品の内

製を一切行ってこなかった組立企業からは十分な機会

主義的利益を得てきたがゆえに、組立企業との関係継

続は重要である。こうした組立企業との長期取引継続

は短期の機会主義的利益獲得よりも重要であるため、

当該部品供給企業は、短期の機会主義的利益を犠牲に

しても、組立企業の部品内製の拡大を阻止しようとす

る。但し、こうした機会主義的利益の削減幅は組立企

業の内製が進むほど急速に減少する。何故なら、上記

の部品供給企業の努力にもかかわらず、組立企業が部

品内製率を敢えて上昇させれば、組立企業の部品供給

企業に対する交渉力は増強され、部品供給企業は、従

来ほど多くの利益を獲得できなくなる。それ故、部品

供給企業にとっての組立企業との長期継続取引の重要

性は、組立企業の部品内製が進めば進むほど、逓減す

るためである。

このため、(組立企業にとっての)市場取引費用は

100%市場調達のときに最大であり、しだに減少して、

100%企業内調達に至ってゼロになるが、市場取引費用

の減少幅は、最初は特に大きく、組立企業の部品内製

化が進むほど逓減することとなる。

次に企業内取引費用であるが、日本の被雇用者(従

業員)は、長期にわたる安定的な雇用関係の中で(チー

ムワークを重視しつつも)自己の達成した業績を高く

評価されることを望むために、短期的に機会主義的に

行動することは、通常はない。むしろ同僚との共同作

業の中で仕事に貢献しつつ、自己の能力を増強し、同

僚・上司に中長期的に高く評価されることを目指して

いる。但し、企業組織が拡大し、同僚や直接的上司に

よる評価が全社的な人事評価の中で重要性を減ずると

機会主義的に行動するインセンテイブも次第に強まる

であろう。

このため、企業内取引費用は、100%市場調達のとき

にゼロであり、次第に増加して 100%企業内調達の時

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国際ビジネス研究学会年報 2006年

─ 163─

図7 日本企業の競争優位:長期継続取引を短期の機会主義的利益より選好すること

によって、取引費用を最小化する。 (筆者作成)

には最大となるが、企業内取引費用の増加幅は、最初

は小さく、組立企業の部品内製化が進むほど逓増する。

上記のように、市場取引費用と企業内取引費用とが、

共に横軸に対して凸の形状をとる場合、図7で、「市場

取引費用プラス企業内取引費用」を表す戦略(ST)曲

線も横軸に対して凸となり、「市場取引費用プラス企業

内取引費用」はJ点で最小値となる。

こうしたJ点の達成は、Williamsonの図6で特殊度

S*を越える全ての部品、すなわち、市場取引でなく企

業内取引のほうが選択されるとされる特殊度の高い部

品全てについて想定することが出来る。特殊度がS*よ

り低い部品については、市場取引が選択されることは、

Williamsonのモデル、筆者のモデル共通であるが、特

殊度がS*より高い部品については、Williamsonの欧米

企業では 100%企業内取引を選択するのに対し、筆者

の日本企業は部分的な内製及び部分的な市場取引を選

ぶことを意味する(手島,2002)。このため様々な特殊

度を持つ部品調達全体で見ると日本企業のほうが欧米

企業よりも部品内製率は低くなる。

すなわち、特殊度が S*以上の、部品 iについて、

α=J(0<J<100)のとき、

C1(α)+C2(α)<C1(100)<C2(0) (1)

が成り立つ。但し、C1は企業内取引費用、C2は市場

取引費用をあらわす。カッコ内は部品内製率を表し、α

(%)は0以上、100以下の値をとる。この(1)で表さ

れる関係は、特殊度がS*以上の全ての部品について成

り立つ。すなわち、

ΣCi1(α)+ΣCi2(α)<ΣCi1(100)<ΣCi2(0) (2)

特殊度がS*以上の全ての部品について日本企業は内

製率αを選び、欧米企業は内製率100%を選ぶ。S*未

満の特殊度の部品については、共に市場での調達を選

ぶので、日本企業の部品内製率は一般的に欧米企業

よりも低くなる。

以上のような日本企業によるJ点の達成は、日本の

部品供給業者および被雇用者(従業員)の中間財市場

および労働市場における特性によって可能になる。す

なわち、日本の部品供給企業(パーツサプライヤー)は、

短期の機会主義的利益を追求するよりも組立企業と長

期安定的な取引を継続することを選好する。これを本

稿では「日本型選好I」と名づける。また、日本の被雇

用者(従業員)は、短期の機会主義的利益を追求する

よりも雇用主と長期安定的な取引を継続することを選

好する。これを「日本型選好 II」と名づける。こうし

た日本に特有の、日本の「国の競争優位(立地の優位

性)」というべき選好特性があって初めて、取引費用最

小化を達成することのできる、効率的な特殊品生産点J

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変革期における日本の対外直接投資(手島)

─ 164─

点が実現できる。

更にこうした「日本型選好IおよびII」を制度的に補

完したものとして、同じく日本の「国の競争優位(立

地の優位性)」を構成する様々な諸制度がある。すなわ

ち、企業システムとしては、シェアホルダーよりもス

テーク・ホルダー重視のコーポレートガバナンス、終

身雇用制度、退職金制度、ジョブ・ローテーション・シ

ステム、職能給、企業内教育・訓練システム等があり、

社会システムとしては、終身雇用重視の年金制度、新

卒者重視の労働市場等がある。これらは近年急速に変

わりつつあるものの、競争力を保持している(A)産業に

おいては依然健在である。

このような諸条件が組み合わさって、図7の費用最

小化点Jに到達することができる。

(3.3)欧米企業のケース:長期継続取引よりも短期

の機会主義的利益を選好

上記(3.2)の日本のケースと対比するために、欧米

企業(あるいは一般的に非日本企業)のケースを検討

する必要がある。このケースは、様々な意味で日本企

業と対照的をなす。

欧米の部品供給企業は、日本の部品供給企業とは逆

に、組立企業と長期継続的な取引を志向するよりも短

期の機会主義的利益を選好する(欧米型選好 I)。企業

は常に短期の利潤極大化を目指す。

同様に、欧米の被雇用者(従業員)は、雇用主と長

期安定的な取引を継続することよりも短期の機会主義

的利益を選好する(欧米型選好 II)。個々のブルーカ

ラー、ホワイトカラー、エンジニア等は、「就社」より

も「就職」を目指し、現在の職場に長くとどまること

を目指すよりも、キャリアアップを目指す。

次に、欧米の国の企業制度・社会制度は、上記の「欧

米型選好IおよびII」と整合的である。企業システムと

しては、株主重視のコーポレートガバナンス、期間契

約、明確な職務・職務給が存在し、社会システムとし

ては、個人年金、企業外の教育・訓練システム、あら

ゆる職種・階層において完備した労働市場等が考えら

れる。

こうした欧米の国の競争優位(立地の優位性)と欧

米型の企業制度・社会制度の組合せによれば、図 8の

費用最小化点Wに到達することができる。すなわち、

ちょうど先の(3.2)のケースとは逆に、部品供給企業

は、たとえ組立企業が部品内製を開始することによっ

て交渉力を高めても、可能な限り短期の機会主義を求

めて行動するために、市場取引費用は容易には減少し

ない。図8にみられるように、当初の市場取引費用の

図8 欧米企業のケース:長期継続取引よりも短期の機会主義的利益を選好

               (筆者作成)

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国際ビジネス研究学会年報 2006年

─ 165─

削減幅はわずかであり、組立企業の内製が増え交渉力

が強まるにつれて削減幅は逓増する。被雇用者(従業

員)も長期雇用を確保するよりは短期の機会主義的利

益を求めて行動するために、部品内製のための業務が

始まり、企業組織が拡大すれば、直ちに大きな企業内

取引費用が発生する。しかし厳格な人事管理が行われ

れば企業内取引費用の増加幅は逓減する。この結果、市

場取引費用曲線(C2 curve)も企業内取引費用曲線(C1

curve)も横軸に対して凹となり、戦略曲線(ST curve)

も横軸に対して凹となって、取引費用を最小化する最

適点は、部品を全て内製化するW点となる。但し、こ

れは図7の J点よりは高い取引費用を払わねばならな

いことを意味する。一点注目すべきは、「欧米型選好 I

およびII」と欧米型の企業制度・社会制度に基づく「欧

米の国の競争優位(立地の優位性)」を前提とすれば、

(3.1)で論じたWilliamsonの結論には何の変更もない

ことである。

このように、高付加価値な特殊品生産に当たっては、

日本企業は「日本型選好IとII」および日本の国の企業・

社会制度、すなわち日本の競争優位(立地の優位性)に

基づいて、取引費用の最小化を行い、外国企業、特に

欧米企業に対する競争力を保持している。しかし、第

II節で論じたように ICT革命・モジュール化の流れの

中で、多くの産業で「特殊品」から「汎用品」への変

質が加速されていることも事実であり、そのことは、取

引費用の大きな「特殊品」が減少することを意味する

ので、日本企業の競争優位の範囲は限定されつつある。

そこで次の第IV節では日本企業の競争優位の再生・強

化について論ずる。

IV.日本企業の競争優位の再生・強化

(4.1)再生・強化の課題

第2節で、(A)産業は部品・製品共、供給サイド・需

要サイド両面から、国際競争力を保持する一方、(B)お

よび(C)産業では、高付加価値部品および高付加価値

素材については日本企業も需給両面で競争力を有する

が、研究開発に基づく革新的な新製品のイノベーショ

ンおよび業界標準の確立等の分野では不利な面もある

と論じた。したがって、(A)産業については、供給サ

イドでは、日本企業の海外展開を通じてその競争優位

を世界規模で確立すること、そして、需要サイドでは、

高付加価値・高価格の製品(「特殊品」)に対する需要

を世界の各地で発展させることが枢要である。(B)お

よび(C)産業については、如何にして、世界の人材を

活用して研究開発に基づく革新的な新製品のイノベー

ション能力を高め、また、業界標準の確立によって、世

界規模での差別化された特殊品需要を確保するかが重

要である。最初に(A)産業の海外展開における課題

について論ずる。

(4.2)日本企業の競争優位と投資受入国の「立地の

優位性」のミスマッチ

先に(3.2)で論じたように、特殊品の調達にかかる

取引費用を最小化するという日本企業の競争優位は、

日本の「立地の優位性」すなわち、部品市場および労

働市場における日本の選好(「日本型選好 Iおよび II」)

およびこうした選好と適合的な企業制度・社会制度に

負うところが多かった。しかしながら日本企業が海外

事業展開をする際には、投資受入国の選好は、日本型

選好よりも欧米型選好に近く、投資受入国の諸制度は、

同じく、欧米のそれに近いことが多い。こうした状況

は欧米諸国だけでなく、東南アジア、中国においても

見られる(林,2004ほか)。選好や制度等、立地の競争

優位の異なる投資受入国では、日本企業の競争優位に

基づいた取引費用の最小化を行うことは容易ではない。

もちろん日本企業の競争優位と投資受入国の「立地

の優位性」との間にミスマッチがあっても、日本企業

は、為替リスクの回避・貿易摩擦の回避・低労働コス

トといった面で投資受入国の立地の優位性を享受する。

しかし、日本企業固有の競争優位である特殊品の低コ

スト調達という点では、不利である。これが海外にお

ける日本企業経営の「適用」と「適応」の問題の核心

であると考える。現地の選好・制度を無視して日本の

競争優位をそのまま適用しても成功は困難である。し

かし現地の選好・制度をそのまま受け入れてもうまく

いかない。

現実には、適用できるところは適用し、そうでない

ところは現地に適合するというハイブリッド型の対応

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変革期における日本の対外直接投資(手島)

─ 166─

が行われることが多いと思われるが、(A)産業の特性

を考えれば、現地の選好・制度をできるだけ日本型に

近づける一方、日本型システムの適用をできるだけ推

進することが必要であろう。

現実に、北米、東南アジア、英国等における日本自

動車産業は、これまで現地企業が進出していない新規

立地を開拓し、日系部品供給企業の現地での集積を図

り、現地での雇用慣行・部品調達方式の変革を求める

等、海外拠点の競争力改善に注力しており、その成果

を挙げつつある。

現地生産化への努力の最大の目的は、現地市場を中

心とした世界市場の開拓・確保である。世界の主要市

場で、日本企業固有の競争優位を生かしつつ(あるい

は余り損なうことなく)、現地ニーズにあった現地生産

を行い、併せて、高付加価値品・高価格品の大規模市

場を開拓すること、これこそが(A)産業が発展し続け

るための当面の課題である。

(4.3)(B)(C)産業における革新的なイノベーション

能力強化

1990年代の日本では、1980年代に比して、国内にお

ける研究・開発活動の成果の減退が生じたことが報告

されている。こうした事情を反映してか、日本企業は

研究開発の海外展開により積極的になってきている。

日本企業の海外における研究開発比率は最近10年間

で日本の研究開発費全体の2%から4%に増加したが、

同比率が10%を超える米国企業に比べると未だはるか

に小規模である(UNCTAD 2005)。

UNCTAD 2005によれば、世界の趨勢として、多国

籍企業による海外での研究開発投資が一般的に増加の

傾向にある。最近の特徴として、特に発展途上国にお

ける研究開発投資の増加の傾向が顕著である。 従来は、

研究開発については、人材の集積、技術知識の集積、研

究開発インフラの集積、機密情報の漏洩回避といった

諸要因から、投資母国で行われることが多かった。し

かしながら、多国籍企業間のグローバルな競争の激化、

特に、研究開発競争の激化に伴い、他の先進国ばかり

でなく発展途上国にも研究・開発拠点を移転するケー

スが多くなってきた。発展途上国の中では、インド、韓

国、台湾、中国、シンガポール及び、ヨーロッパの体

制移行国(EUに新規加盟した国を含む)並びに一部の

中南米の国に集中している。発展途上国等の良質・低

コスト・大量の人材をフルに利用するためである。

こうした動きを捉え、企業は本社の企業固有の優位

性、本国の立地の優位性を離れて、世界最適立地を研

究開発においても求めるようになり「メタナショナル

企業」に転じた、とも論じられている(13)。

こうした世界の趨勢の中で、日本企業は、北米・欧

州は、基礎研究・高度の応用研究についての日本拠点

の補完及び市場確保のための新製品の開発、アジアは、

市場確保のための新製品の開発と位置づけている。図9

に見るように、アジアにおける日系子会社の電気機械

産業(ITエレクトロニクス)の売上げは急激に増加し

て米国に迫る勢いを示していることから、同産業では、

アジアにおいても現地および輸出市場開発型の研究開

発が増加するものと思われる。

ただ日本の場合、(3.2)で論じた日本企業の競争優位

の前提となっている日本の「立地の優位性」は、関連

企業間の連携による研究開発による新製品の創出、す

なわち、「統合型のイノベーション」に適している。す

なわち、日本型選好とこれを支える企業制度の下では、

必然的に、長期継続取引を望む被雇用者としての専門

家・研究者と同じく長期取引志向を志向する関連部品

企業の専門家・研究者とが共同して研究開発に当たる。

こうした制度は、組織的調整・段階的な研究開発であ

る「統合型のイノベーション」には適している。但し、

海外の高度人材の吸収・利用には限界があるかもしれ

ない。

IT・エレクトロニクス産業で多く見られる「独立型

のイノベーション」による革新的な新製品の創出にお

いては、むしろ、こうしたイノベーションを担う人材

は、日本型と対極にある「欧米型選好」とこれを支え

る諸制度とに親和性が高いと考えられる。特定の開発

目的に応じて一時的な企業間提携が行われるオープン

ネットワークのもとでは、シナジー効果も生じやすい

と考えられる。

これは日本企業が、「日本型選好」とこれに適合的な

企業システムを海外に持ち込んで研究開発事業を行う

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国際ビジネス研究学会年報 2006年

─ 167─

ときに、優れた現地人材を集められるかどうかという

問題でもある。 

ここでの難しさは、日本企業の「日本型選好」を「欧

米型選好」に変えれば、こうした問題を解決できるわ

けではないことである。日本国内において、日本の「立

地の優位」を構成してきた終身雇用制度、年金等諸制

度を「欧米型」に変えることなしには、選好の変更は、

有効性をもち得ない。逆に、終身雇用制度、年金等の

制度を変えても、「日本型選好」が変わらなければ、や

はり有効性はもち得ない。いずれにせよこの両者を変

えるには時間がかかるし、最大の問題は、(A)産業お

よび一部の(B)産業の国際競争力は、「日本型選好」お

よび日本の企業・社会システムに依拠しており、こう

した基盤が急激に失われれば国際競争力も失うことで

ある。このため日本国内の変革には、困難さが伴う。

先にも述べたように、欧米型選好とそれを補完する

諸制度は欧米に限らずアジアでも一般的であるため、

研究開発を行う海外現地法人にのみ、「欧米型選好」と

それを補完する諸制度を持ち込むことも考えられよう。

しかし、こうした非日本型の特性を持つ海外現地法人

の重要性が日本多国籍企業内で大きくなれば、日本本

社との選好・制度の相違による矛盾が顕在化しよう。そ

の際には、日本企業のコーポレートガバナンスのあり

方にも見直しが迫られよう。

IV.結論

ICT(情報通信)革命及びモジュール化の中にあって

も、「特殊品」の効率的調達という供給面での競争優位

を生かすことができ、それに対する高度な需要が確保

されている産業においては、日本企業の競争力は維持

され得る。しかし競争力維持のためには高度な需要確

保が必要であり、需要確保のためには当該産業が海外

展開することが必要である。すなわち、海外において

供給面での競争優位確保のために最大限の努力をしつ

つ、高付加価値・高価格製品に対する需要を継続的に

開発していく必要がある。

特殊品の効率的調達を生み出す「日本型選好Iおよび

II」および企業システム・社会システムよりなる日本の

国の「立地の優位性」は、組織的・段階的な研究開発

に基づく「統合型イノベーション」には適していても、

オープンネットワークを利用しつつ、全く新しいコン

セプトの革新的な新製品を創出するという「独立型イ

ノベーション」、及び、それに基づき新たな業界標準を

確立するという戦略には適さない面もある。こうした

図9 電気機械産業における日系現地法人の地域・準地域・国別売上高             (経済産業省データより作成)

0

1000000

2000000

3000000

4000000

5000000

6000000

7000000

1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000FY

JA in China(exHK) electronicsJA in ASEAN electronicsJA in China electronicsJA in NIEs 4 electronicsJA in NIEs 3 electronicsJA in USA electronicsJA in Central and South America electronics

milli

on J

Y

Japanese Affiliates elctronics sales by region

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変革期における日本の対外直接投資(手島)

─ 168─

点を補うためにも研究・開発の海外展開を行って海外

人材を活用することを、様々な困難があっても推進す

る必要があろう。海外展開にあたっては、日本企業固

有の優位性を保ちつつ、外国企業との目的別の提携に

【注】(1)  Gary Hamel(2006)“The Why, What and How of

Management Innovation,” Harvard Business Review,

March, pp.72-84。特に、80ページの”the steadily

strengthening forces of commoditization”ほか。(2) 経済産業省、海外事業基本調査2004年版。(3) 野村総合研究所調査レポート(2005)「日本の研

究開発の国際分業」。(4) 参考文献の手島1998, 2001,2002 : Tejima 1996,

1998, 2000, 2003.

(5) 藤本隆宏・新宅純次郎編著(2005)「中国製造業

のアーキテクチャー分析」東洋経済新報社ほか(6) 河村哲二編(2005)「グローバル経済化のアメリ

カ日系工場」東洋経済新報社中の板垣論文。(7) Williamson, Oliver E.(1985):”The Economic

Institutions of Capitalism,” New York, The Free

Press.

(8) 参考文献の手島1998,2001,2002 : Tejima 1996,

よって独創的な研究開発の実を挙げ、業界標準として

の地位を獲得するという相反する課題を抱えている。

こうした課題を、海外のリソースを最適利用しつつ、ブ

レークスルーにより達成することが必要となる。

1998, 2000, 2003.

(9) 日本貿易振興機構(2005)「米国・アジア新国際

分業―先駆する米国企業に何を学ぶか」。(10) Dieter Ernst,“Why is Chip Design Moving to

Asia-Drivers and Policy Implications? ” A paper

for Nishogakusha/DIG Seminar,“Pathways to

Innovation: Policies, Products and Processes for

Competitive Advantage in a Global Economy” May

2005.

(11) World Investment Report 2005.

(12) Williamson, Oliver E. (1985): ”The Economic

Institutions of Capitalism,” New York, The Free

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(13) Yves Doz,“Optimizing Metanational Innovation

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【2006年8月7日受理】

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