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1 掃気弁付き 2 サイクル単流掃気機関について On the Two - Stroke Cycle Uniflow Scavenging Engines with Scavenging Valve 大阪市立大学大学院経済学研究科 Discussion Paper No.100, 2017 7 6 坂上茂樹 Shigeki SAKAGAMI はじめに 1.中・低速機関における展開 1)蒸気機関における単流方式のアイデアとその具体化 2)大形ガス機関において先行した実用化 3)低速ディーゼル機関における実施形態 2.高速内燃機関、とりわけガソリン機関における展開 1Clerk に依る 2 サイクル・ガス機関の創成とフランス、アメリカにおける展開 2)掃気弁付き単流掃気式ガソリン機関のイギリスにおける展開:Ricardo Dolphin 機関 3.掃気弁付き単流掃気法式を巡る 2 サイクルと 4 サイクルとの関連性 むすびにかえて はじめに 歴史的に観れば、弁付き 2 サイクル単流掃気式内燃機関は掃気弁を有するモノ(下方排気) と排気弁を有するモノ(上方排気)とに大別される。しかし、現今、前者は死滅し、高速機関 であれ中・低速機関であれ、 2 サイクル界においては排気弁付き単流掃気が覇を唱えている。 とりわけ、舶用大形低速ディーゼル界が例外無くこの型式に帰一して既に久しい。 弁付き単流掃気を掃気弁付きとするか排気弁付きとするかについて富塚 清は: 而して空氣の流し方は,上向きにも下向にもする事が出來,その優劣については議 論がある。上向きの場合は氣筩筒部の孔から冷氣が流入する故 piston は非常に樂であ るが,頭部の弇が苦しくなる。流れが反対ならば苦樂も又反對となる 1 とも、 掃気作用の高効率をねらうと,どうしても一方流れ方式にとりつく要があり,ここ では,(a)頭上弁付一方流れ,(b)2 ピストン型一方流れと,(c)U 型気筒型等が共に試み られた。 (a)の例としてカレル式がある。 ……中略…… 頭上 4 弁型で,排気孔は気筒の下端全周 にある。気流方向は上方より下方にであり,これは現在普通である方式と正反対であ 1 富塚 清『航空原動機』工業圖書、1936 年、190~191 頁、より。

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掃気弁付き 2 サイクル単流掃気機関について

On the Two - Stroke Cycle Uniflow Scavenging Engines with Scavenging Valve

大阪市立大学大学院経済学研究科 Discussion Paper No.100, 2017 年 7 月 6 日

坂上茂樹

Shigeki SAKAGAMI

目 次

はじめに

1.中・低速機関における展開

1)蒸気機関における単流方式のアイデアとその具体化

2)大形ガス機関において先行した実用化

3)低速ディーゼル機関における実施形態

2.高速内燃機関、とりわけガソリン機関における展開

1)Clerk に依る 2 サイクル・ガス機関の創成とフランス、アメリカにおける展開

2)掃気弁付き単流掃気式ガソリン機関のイギリスにおける展開:Ricardo の Dolphin 機関

3.掃気弁付き単流掃気法式を巡る 2 サイクルと 4 サイクルとの関連性

むすびにかえて

はじめに

歴史的に観れば、弁付き 2 サイクル単流掃気式内燃機関は掃気弁を有するモノ(下方排気)

と排気弁を有するモノ(上方排気)とに大別される。しかし、現今、前者は死滅し、高速機関

であれ中・低速機関であれ、2 サイクル界においては排気弁付き単流掃気が覇を唱えている。

とりわけ、舶用大形低速ディーゼル界が例外無くこの型式に帰一して既に久しい。

弁付き単流掃気を掃気弁付きとするか排気弁付きとするかについて富塚 清は:

而して空氣の流し方は,上向きにも下向にもする事が出來,その優劣については議

論がある。上向きの場合は氣筩筒部の孔から冷氣が流入する故 piston は非常に樂であ

るが,頭部の弇が苦しくなる。流れが反対ならば苦樂も又反對となる1。

とも、

掃気作用の高効率をねらうと,どうしても一方流れ方式にとりつく要があり,ここ

では,(a)頭上弁付一方流れ,(b)2 ピストン型一方流れと,(c)U 型気筒型等が共に試み

られた。

(a)の例としてカレル式がある。……中略…… 頭上 4 弁型で,排気孔は気筒の下端全周

にある。気流方向は上方より下方にであり,これは現在普通である方式と正反対であ

1 富塚 清『航空原動機』工業圖書、1936 年、190~191 頁、より。

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るが,掃気の効率の点では申しぶんないものであることは,後年われわれが実験によ

りたしかめ得た。しかし,1920 年当時はそういうことの自覚があったわけではなく,

クラークの原型に単に追随したものだったろう。なおこれだと弁の焼ける恐れがなく,

排気孔の開きが十分とれるから,最も妥当と考えられたであろう2。

とも述べている。

本稿は弁付き単流掃気方式が掃気弁付きを以て創始されたことに係わる問題状況につい

て、これを中・大形低速機関と小形高速機関に弁別しつつ、若干の歴史的検証を試みようと

するものである。

1.中・低速機関における展開

1)蒸気機関における単流方式のアイデアとその具体化

飽和蒸気機関においては蒸気自体が気筒摺動面の潤滑剤としての役割を演ずるが、高温

高圧の乾燥蒸気を膨張させる過熱蒸気機関においては水の状態変化に絡む問題が複雑な様

相を帯びることになる。先ず、特別な気筒潤滑(内部潤滑)が必要となる。次に、膨張過程で

蒸気温度が降下すれば蒸気から気筒壁面へと移動した熱が逆流し、一旦凝結した水が再蒸

発する。再蒸発が起きれば膨張行程終端にある作動室において機関回転力に活かせぬ蒸気

圧が徒に引上げられ、反対側作動室における圧縮による慣性力クッション作用は減殺され、

主軸受への負荷が増すのみならず、当該作動室の排気行程における背圧が昂進し、負の仕

事を増加させてしまう3。

また、再蒸発によって一旦引上げられた壁面温度は再び下げられてしまうから、次の進

入蒸気の初復水が助長される。背圧云々は復水器で引けば解消されるが、壁温降下の問題

はやはり残る。

機関側における初復水→再蒸発対策の柱として複式ないし 2 段膨張化が有効であったの

は複式、更には多段膨張化すれば各段の気筒に供給される蒸気と当該気筒壁面との温度差

が縮小する分、初復水の発生そのものが抑制されるからである。無論、膨張段数が増すほ

どに初復水対策としての有効性は増す。この場合、少なくとも最上位段落には独立した気

筒潤滑系が必要となる。

しかし、仮令た と い

、2~多段膨張化して各段が処理させられるべき熱落差が等分されたとして

も、温度差自体は残る上、機構的に複雑化させる分、機械的摩擦の増大による機械効率の

低下、機関の高コスト化は免れない。

単流機関とはこのような制約下に置かれている多段膨張機関へのアンチテーゼであり、

構造的には給汽入口と排汽出口をピストン行程の両端に分離し、蒸気がその間を一方向に

流れるようにした気筒を持つレシプロ機関であり、複動であれば気筒中央部に排汽孔が並

2 富塚 清『新改訂版 内燃機関の歴史』三栄書房、1993 年、177 頁、より。 3 蒸気原動機全般に関して簡単には拙稿「蒸気動力技術略史―潤滑と気密の問題に留意しつつ―」

(大阪市立大学学術機関リポジトリ登載)、参照。

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ぶことになる。かくすれば出入りする蒸気とその出入り口付近との温度差は常に小さく保

たれるため初復水が発生し難くなり、十分断熱的な単一気筒に近いシンプルな膨張装置が

得られることになる。

Dickinson に拠れば、単流機関の濫觴は 1825 年、Jacques de Montgolfier によって描か

れたスケッチにあり、’27 年には Jacob Perkins がその原理を体現した特許を取得している。

同様のアイデアに関心を抱く発明家は後を絶たず、Leonard Jennett Todd は 1885 年に初

復水抑制策としての主張を謳う Mid-Cylinder Exhaust Engine の特許を取得した。もっと

も、技術的困難さゆえにその実用化は妨げられた。その困難の一端は熱変形を考慮して気

筒縦断面プロフィールを冷間時、若干、樽型に成形しておく必要や細長い気筒の潤滑にあ

った。後者について付言すれば、初復水の少なさは人為的潤滑の必要性の大きさと同義で

あったからである4。

図 1 Stumpf 式単流機関の気筒

Dickinson, ibid., p.156 Fig.44.

Robey and Co.[英]の製品らしい。給汽弁の真下に丸く描かれているのは補助排汽弁5。

4 H.,W., Dickinson, A Short History of the Steam Engine. Cambridge, 1938,

pp.153~156. 5 単流機関は膨張行程終端排汽であるため、元来、戻り工程での圧縮率が高くなりがちであ

り、復水器に支障が起きた時には過圧縮となって機関に損傷を来す。これを防ぐため、復

水器の真空度が悪くなった場合、自動的に作動するのがこの補助排汽弁である。山田嘉久

『蒸汽機關』岩波全書、1935 年、110~112 頁、参照。

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1908 年、ベルリンの Johann Stumpf 博士はこのタイプの機関に相応しい急速開閉型の

弁装置を開発し、これを備えた機関に“uniflow”の名を与えた(図 1)。この技術はチェコの

Erste Brünner Maschinenfabrik の取上げるところとなった他、幾つかのイギリスおよび

欧州メーカーがその特許を取得し、第一次大戦までに工場動力、送風動力、発電機関、鉱

山巻上機関、舶用機関、機関車の形で数百基が製造され、アメリカでは Skinner Engine

Company が凝結・不凝結を自在に切替えられる“universal ”単流機関が独り気を吐いた。

2)大形ガス機関において先行した実用化

もっとも、内燃機関の方では Berlin-Anhalt. Maschinenbau A.G.を率いる Wilhelm von

Oechelhäuser とその協力者で後に航空界で名を成す Hugo Junkers の特許によるエッヒェ

ルホイザー2サイクル横型対向ピストン式(弁無し)単流ガス機関が1893年に製造されており、

前掲図 1 そのものと言える掃気弁付き横型単気筒複動単流ガス機関もハノーヴァーの

Gebrüder Körting A.G.(ケルチング兄弟社:当時は Ernst Körting)によって 1900 年に投入されて

いる(図 2, 3)。

図 2 Ernst Körting の掃気弁付き単流掃気式複動ガス機関(1900 年)

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Rodolphe Edgard Mathot, translated byW.,A., Tookey, The Construction and Working of Internai

Combustion Engines. London, 1910(original ed., Paris, 1909), p.117 Figs.Ⅷ.-3, -46.

図 3 Körting 掃気弁付き単流掃気式複動ガス機関の掃気デバイス

6 本機関のボアは 620mm、ストロークは 1100mm であった。cf., also Hugo Güldner, Das

Entwerfen und Berechnen der Verbrennungskraftmaschinen und Kraftgas-Anlagen.

Berlin, 1913, SS.514~517, Fig.1053~1056, Harry R., Ricardo, The Internal-Combustion Engine Volume I Slow-Speed Engines. London, 1922, pp.235~240, Friedrich Sass,

Geschichte des Deutschen Verbrennungsmotorenbaues von 1860 bis 1918. Berlin, 1962, SS.312~313 Bild 161~162.

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A.,M., Levin, The Modern Gas-Engine and The Gas-Producer. N.Y., 1909, p.340 Fig.1307.

翻って言えば、大形単流式蒸気機関の実用化は実態的には内燃機関の後追いでしかなか

った。アイデアにおいて遥かに先行する単流蒸気機関の実用化をこれほどまでに遅らせた

大きな原因は潤滑技術、とりわけ閉鎖的サイクルにおいて循環する水から油分を除去する

技術の錬成に時日を要したことにある。内燃機関においてかような問題が端から存在しな

かった点は自明の理である。

なお、蒸気機関においては上(または内)死点付近で高圧蒸気を給汽し、これを気筒内で膨

張させるため、気筒蓋に給汽弁を設ける弁付き単流方式しか成立し得ない。掃気弁付き単

流掃気式内燃機関はディーゼルではなくガス機関を以て創始されたが、勿論、このガス機

関においては排気弁付き単流掃気とすることも可能ではあった。

然しながら、燃料のガスと空気とを充分混合し気筒内へと安全に...

供給する方法としては

大容量の掃気ボックスに気筒胴を取り巻かせねばならなくなる排気弁付きよりも混合弁を....

兼ねる掃気弁......

を気筒蓋に設ける........

ケルチング流の処方が利口であった。また、かくすれば蒸

気機関の場合と同様の弁配置となることも安心感を醸し出す背景としては在ったであろう。

また、初期の大形ガス機関界に 2 サイクルや複動が幅を利かせたのは蒸気機関からの外

挿という点に加え、蒸気機関よりも相対的に Pmaxが高く、高級な材料と重厚な構造と高い

加工精度を要求する内燃機関はコストが嵩むため、これを可及的に小造りにまとめたいと

7 cf., also Mathot, ibid., p.120 Fig.Ⅷ.-6.

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いう基本的欲求があったからであると考えられる8。

3)低速ディーゼル機関における実施形態

ⅰ)Gebrüder Sulzer A.G.

続いて、時代はディーゼル機関へと推転する。ズルツァ兄弟社(スイス)において 2 サイク

ル単動・単流掃気式ディーゼル機関の嚆矢たる 3 気筒 750 馬力陸用機関が製作されたのは

1905 年から翌年にかけてのことであったが、その完成は 1907 年まで持ち越された。図 4

がそれで、A 型フレームを持つ単筒機関を 3 連にしたような躯体構造を特徴とする。一際、

目立つ急傾斜した 3 本の太い管は気筒頭へと立上る掃気管である。掃気ポンプは機関本体

とはかなり離れた位置に在ったらしい。恐らくそれは電動ブロアのようなモノであったろ

う。排気管は掃気管の反対側に位置していた。

図 4 Sulzer の掃気弁付き単流掃気 2 サイクル 3 気筒 750PS ディーゼル機関(1907 年)

吉永 寧訳『ズルツァー兄弟會社發展史』三菱合資會社資料課資料彙報 第二百十四號 戊、企業之部 第

四十三冊、1925 年、119 頁、第五十一圖。

本機はディーゼルであるから掃気弁は最早、混合弁の機能を受持っておらず、また複動

でもなかったが、やはり蒸気機関やケルチング・ガス機関のそれと同様、気筒頭に掃気弁を、

それも 4 個戴く弁配置となっていた。この方式は次に観るベルギーの Société Anonyme

Ateliers Carels Frères 等においても採用されているが、本家はズルツァであり、富塚のカ

レル式なる表記には疑問が残る。また、このタイプのズルツァ機関の創成は’20 年代などで

8 最も強力なガス機関の出力が 5200HP であった 20 世紀初頭、5000HP のガス機関は

15000HP の蒸気機関よりも遥かに大きく重く高コストであった。cf., Machinery’s

Encyclopedia With 1929 Supplement. N.Y., 1929, pp.294~295. この対比は’29 年のそれではな

く、20 世紀初頭の数字である。また、ガス発生炉(高炉やコークス炉なら只に等しい)やボイラの

コストは自ずと別である。

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はなく’07 年であった。更に、その採用に当って掃気効率に対する斟酌が全く為されていな

かったとは到底考え難い。

その後、単機出力の向上が志向された。その結果、図 5 に示す同タイプのズルツァ 2000

馬力型陸用機関が 1910 年までにはラインナップされている。恰も 750PS 型の掃気管と同

様に、但しやや低い位置から出て急角度で下降している 4 本の管が排気管である。熱ガス

を一旦とは言え敢えて下方に導くというのも間抜けな話であるが、蒸気機関なら地下に設

置された復水器に排汽を進入させるのは常識であったから、この排気管の取り回しは、恐

らく 750PS 型でも同じであったろうが、蒸気機関が据え付けられていた場所にそのまま収

まることを大前提とするディーゼル機関設計の典型であったように想われる。また、同じ

掃気方式の舶用機関は自己逆転式の形で提供されている9。

図 5 Sulzer の掃気弁付き単流掃気 2 サイクル・ディーゼル機関(2000PS/140~170rpm.)

9 cf., A.,P., Chalkley, Diesel Engines for Land and Marine Work. N.Y., 1912, pp.84~87,

『ズルツァー兄弟會社發展史』119~121 頁, Gebrüder Sulzer A.G., 100 Jahre Gebrüder

Sulzer 1834-1934. 1934, S.62.

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Güldner, ibid., S.571, Figs.1010, 1012~101310.

然しながら、ズルツァにおいては早くも 1910 年に新たな掃気法、即ち 2 段掃気ポートを

有する横断掃気法とピストン冷却法とが開発され、’11 年にはボア 1000mm で 2000PS を

発揮する単筒試験機関が製作された。これを活用した研究開発に依り、ズルツァ・ディーゼ

ル機関の大幅な高出力化が可能となり、第一次世界大戦前には単機 1000~7500PS の横断掃

気型 4~6 気筒陸舶用機関が系列化されるに至った11。

ⅱ)Société Anonyme Ateliers Carels Frères

ベルギーの Carels は 1838 年創業の造船・造機会社で、1920 年頃にはズルツァ旧型に類

似の A 型フレーム、掃気弁付き単流掃気の陸舶用機関を製造していた。図 6 はその陸用 4

気筒 1000 馬力機関の部分縦断面図である12。

10 内丸最一郎『改訂 瓦斯及石油機關』後編、丸善、1916 年、433 頁、第三百七十圖、371

圖も同じであるが、「千馬力」と標記されている。また、リカードは同じよな写真を掲げ、

2400BHP/150rpm.と述べている。cf., Harry R., Ricardo, The Internal-Combustion

Engine Volume I Slow-Speed Engines. London, 1923, pp.461~464. 11 cf., Gebrüder Sulzer A.G., a.a.o., Ricardo, ibid., pp.464~466, 482~486. リカードの挙

げた一例は 6-760×1000mm, 4000BHP/132rpm.。 12 cf., Ricardo, ibid., 466~468, 486~488. Chalkley, ibid., p.174 Fig.61 はこれの舶用版の側

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図 6 Carels の掃気弁付き単流掃気 1000 馬力陸用ディーゼル機関

H.,R., Ricardo, The Internal-Combustion Engine Volume I Slow-Speed Engines. p.467 Fig.204.

なお、Richardsons Westgarth & Co.(英)においても類似の作品が手掛けられている。し

かし、同社が何処かのライセンシーであったのか否かについては不明である。

ⅲ)MAN の Nürnberg 工場

続いて Maschinenfabrik Augsburg Nürnberg A.G.ニュルンベルク工場製の横型単気筒

および 2 気筒ディーゼルについても触れておこう(図 7)。これは旧世代の横型ガス機関のデ

ィーゼル転換物然とした作品ではあったが、れっきとした掃気弁付き 2 サイクル単流掃気

式機関である。その対向 2 弁式なる弁配置が醸し出す古生物的印象にも拘わらず、開発着

手年代は見かけほどに旧くはなく 1907 年、実際の製品投入は’09 年以降であった。

図 7 MAN Nürnberg 工場製 2 サイクル掃気弁付き単流掃気式横型ディーゼルの一例

面写真である。

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Güldner, ibid., S.549 Fig.97613.

図 7 には主要寸法が記入されているものの、出力等に関するデータは出典文献の何処に

も掲げられていない。燃費は同一出力の 4 サイクル・ディーゼルより 10%ほど劣っており、

サイズが小さく低価格であることがそのウリであった。1912 年、複動に殊更御執心であっ

た MAN はこれを複動化した製品を開発している(図 8)。もっとも、この種の横型機関の新

規開発は’14 年を以て終りを告げた14。

図 8 MAN Nürnberg 工場製の掃気弁付き単流掃気式横型複動機関

13 内丸『改訂 瓦斯及石油機關』後編、425 頁、第三百五十八圖もほぼ同じ。但し、そこでは

基礎の描き方が妙で、これでは下方掃気弁の整備が不如意となること必至である。 14 cf., Sass, ibid., SS.543~546.

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Sass, ibid., S545. Bild 286.

ボア 760φ、出力 1000PS。b が掃気弁、f が排気管、c が掃気ポンプ。

他方、ニュルンベルク工場では舶用機関の開発が並行して続けられており、1910 年には

掃気弁付き単流掃気式、竪型単動 6気筒 600PS/275rpm.の舶用機関が建造されている(図 9)。

これは段付きピストン(310φ、490φ:図 10)を有し、その太い下段部に掃気ポンプを構成させ

たゲテモノで、気筒頭に掃気弁(図には見えていない)、気筒胴下部に排気ポートが設けられて

いた。

図 9 MAN Nürnberg 工場製の掃気弁付き単流掃気式 600PS 舶用機関

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ditto., S.542 Bild 283.

図 10 MAN Nürnberg 工場製掃気弁付き単流掃気式舶用機関の掃気機構

Chalkley, ibid., p.185 Fig.67.

段付きピストンは速やかに棄却されたが、1911 年には研究開発用に 850φのボアを有す

る複動・単筒出力 2000PS の掃気弁付き単流掃気式機関が製作され、各種の開発が展開せし

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められた。’13 年に開発された MAN 初の航洋船主機用 2 サイクル機関もこの掃気弁付き単

流掃気式の複動であった(図 11:6-560×900mm, 1600P/130rpm.)。MAN がこれほどまでに複動

に固執したのは比出力を最重要視する軍事的要請を受けていたからである。

図 11 MAN 初の航洋船主機用掃気弁付き単流掃気式 2 サイクル複動機関

ditto., S547. Bild 287.

d が下部掃気弁。上部のそれは描かれていない。m は往復動掃気ポンプ。

1914 年には当時の MAN にあってはフルサイズとでも形容されるべき掃気弁付き単流掃

気式 2 サイクル複動 6 気筒機関の建造が開始され、第一次世界大戦中の’16 年に完成した。

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同機は’17 年、12 時間連続負荷試験運転にて 12200PS/135rpm.を記録している15。

しかし、戦後程無く MAN は構造の複雑な掃気弁付き単流掃気式に見切りをつけ、ポート・

スカベンジングへの転換を企てる。同方式の実験機関を以てする研究開発は 1921 年から’23

年に亘って進められ、独自の反転掃気法が確立された。’25 年にはこのタイプの 9 気筒機関

(15000PS/92rpm.)が竣工し、爾後、反転掃気は永きに亘り MAN の定番技術となる16。

中・低速機関において掃気弁付きの下方排気単流掃気方式はそれ自体として必ずしも不

合理な技術ではなかった。然しながら、ニュルンベルクの古色蒼然たる横型機関の燃焼室

は論外として、ズルツァのように気筒蓋に 4 つも弁を組込む位なら 4 サイクルで行った方

が余程楽であり、特大サイズの機関を誂えるとあらばポペットバルブや動弁系など持たぬ

横断掃気や反転掃気の方が有利である。かくて、掃気弁を気筒蓋に備える大形ディーゼル

は短命に終り、中形までは 4 サイクル、大形なら 2 サイクル複流掃気方式という棲み分け

が主流となったワケである。

4 サイクル・メーカーとしてスタートした Burmeister & Wain(デンマーク)と自動車メーカ

ーGM は中速域で相互に重なりを有する各々の得意分野において大勢に抗しつつ排気弁付

き単流掃気の孤塁を永らく護った。この間、それらは散発的に追随者を見出すことにもな

ったが、一貫して数的劣勢を余儀無くされ続けた。

然るに、こと大形低速ディーゼルの分野においては 2 度に亘る石油危機の後、機関単体

熱効率と総合推進効率との向上を図るべく舶用主機の低速化が一層推進され、4 といった大

きなストローク/ボア比が導入される。こと此処に及び、強い掃気スワールを生成し、かつ、

これを上死点付近まで保存するのに有利な技術である B & W タイプの排気弁付き単流掃気

方式が排気ガスタービン過給機に依る静圧過給システムを従える格好で 1980 年代以降、世

界標準となっており、掃気弁付き単流掃気式の如きが付け入るべき余地は既に根絶されて

いる17。

なお、大形ガス機関で成功を収めたような複動方式は中・大形ディーゼル機関界において

も如上の通り 2 サイクル、4 サイクルを問わず試みられて来た。盤根錯節たる 4 サイクル複

動方式は夭逝を余儀無くされたが、2 サイクル複動の中には B & W のような排気弁付き単

流掃気方式を複動に組む例も登場した。しかし、総じて複動ディーゼルはピストン棒や下

方気筒蓋スタッフィング・ボックス関係の慢性的トラブルに苛まれており、第二次世界大戦

15 cf., Sass, ibid., SS.539~543, 546~559. 16 鴨打正一『増訂版 舶用ヂーゼル機關』山海堂、1955 年、内丸最一郎『内燃機關』後編、

丸善、1930 年、445 頁、664 頁、参照。なお、蛇足ながら、以上のストーリーは空気噴射

時代のものである。空気噴射や無気噴射への転換については R., Diesel/拙訳『ディーゼルエ

ンジンはいかにして生み出されたか』山海堂、1993 年、拙著『ディーゼル技術史の曲り角』

信山社、1993 年、4 章、参照。 17 簡単には前掲拙著『ディーゼル技術史の曲り角』4 章、7 章、『鉄道車輌工業と自動車工

業』日本経済評論社、2005 年、第 7 章、拙稿「戦時日本の中速・大形高速ディーゼル」、

「東芝 DD12 1 とその時代― 復興期の試製的汎用ディーゼル電気機関車―」(大阪市立大学学術

機関リポジトリ登載)、参照。

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16

後、C 重油への対応力欠如が命取りとなって絶滅した。それは掃気弁付き単流掃気式ほどで

はなかったにせよ、ディーゼル技術史の中にあっては一過性の存在として終った18。

2.高速内燃機関、とりわけガソリン機関における展開

1)Clerk に依る 2 サイクル・ガス機関の創成とフランス、アメリカにおける展開

掃気弁付き単流掃気式 2サイクル機関の実用化は中・大形機関界におけるより小形内燃機

関界の方が遥かに早かった。その先達は Dugald Clerk(英:1854~1932)であったが、彼の第 1

号機関、即ち 1878 年の英国特許 No.3045 を取得したものは滑り掃気弁とポペット排気弁

とを気筒頭に持つものであり、単流掃気式ではなかった。そのポンプ気筒および作動気筒

のサイズは共に 6in.φ×12in.であり、出力は 3HP/300rpm.(最大 4HP)をマークした。もっ

とも、このテのクラーク機関は商品化には至らず仕舞いであった19。

クラークの第 2 号機関は 1881 年の英国特許 No.1089 に謳われた技術である。これはポ

ペット掃気弁と気筒胴排気孔を持つれっきとした単流掃気型機関である。この掃気弁付き

単流掃気方式というアイデアは点火コックの発明者、William Barnett(1802~1865)の 3 号機

関(1838 年特許)にも体現されていたが、こちらは単なる考案のみで実動品は製作されなかっ

た。

これに対して、クラークの第 2 号機関の仲間たちはイギリス、大陸にて数馬力から数十

馬力程度まで、各種総計数千台が造られ実用に供された。図 12 はフランスで刊行された書

籍から引いたクラークの第 2 号機関の説明図である。倒立機関のように描かれているが、

元々の姿は横型である。また、オリジナルにおける弁は回転弁ではなくポペット弁であっ

たが、実物はやや解り辛いモノとなっているため、本説明図では回転弁に置換えて表示さ

れている。勿論、添付のインジケータ線図は上が作動気筒、下はポンプ気筒のそれである。

なお、作動気筒の円錐部は掃気の流速を落し、整流して謂わば「完全層状掃気」を実現し

ようとする意図の現れであった。

図 12 Clerk 第 2 号機関(1881 年)の説明図

18 拙稿「戦時日本の中速・大形高速ディーゼル」、参照。なお、大形複動ガス機関の主流は 4

サイクルであった。これについては拙稿「三井鉱山 三池ならびに田川瓦斯発電所について

(訂正補足版)」、「戦後の MAN ニュルンベルク工場製大形ガス機関」(大阪市立大学学術機関リポ

ジトリ登載)、参照。 19 クラークの業績絡みの諸問題については富塚 清「内燃機關史」内燃機關工學講座、第 1

巻、『内燃機關史・電氣點火』共立社、1936 年、所収、7~9、38~45 頁、同『新改訂版 内燃機

関の歴史』三栄書房、1993 年、19~21、37~44 頁、C., Lyle Cummins Jr., Internal Fire.

Oregon, 1976, pp.81~88, 198~206, 参照。

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17

L., Marchis, Les Moteurs A Essence Pour Automobiles. Paris, 1904, p.98 Fig.35.

その無視し得ぬ普及実績のためか、やや時代が下ってもフランスの書物の中には若干、

その作動が些か胡散臭げな Joseph Day(英:1855~1946)のクランク室与圧型 3 孔式20ではな

く、作動要領明晰なクラーク 2 号的機関を 2 サイクル機関の代表例として解説に持出す例

が観られた。作動気筒の円錐部こそ失われてはいるが、図 13 はその一例である。

図 13 フランスの一書籍に見る 2 サイクルの説明

20 British Patents Nos.6410, and 9247 of 1891. cf., Cummins Jr., ibid., pp.218, 228.

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18

L., Baudry de Saunier, L'automobile Theorique & Pratique. Tome I. Paris, 1913. p.189 Fig.111, p.190

Fig.112.

然しながら、改めて右図を眺めると、そこには 2 サイクルなる機構が持つ本質的な馬鹿

馬鹿しさが真正面から提起されているかのような印象を受ける。この間抜けさを救済して

くれる技術は 2 つしか無い。その一つは左図をボトム・スカベンジに戻したような古色蒼然

たるクランク室与圧型 3 孔式に他ならず、今一つは第二次世界大戦後、急激に発達した排

気ガスタービン過給機に掃気ポンプを兼ねさせる方式である21。

それはともかく、図 13 の 2 様式の内、並列 2 気筒的なプロポーションを有するクラーク

第 2 号機関に準拠した製品は据付機関として実用されたのみならず、フランスでは自動車

機関にも転生を遂げている。図 14 は 1901 年夏の自動車展覧会に出品された H., Lepape

氏の作品、X 型機関である。

図 14 Lepape の X 型 12 馬力機関

21 ターボチャージャーに関する議論を除けば、シー・エフ・テーラー講述『航空用發動機の

設計に就て』海軍航空本部、1931 年 8 月、181~181 頁に類似の論述が見られる。

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19

ditto., p.99 Fig.36.

更に、この Lepape 機関を 70°V ツイン的に組んだモノは 1903 年の自動車展覧会に出品

され、かつ、Bichrone バイクの機関として商品化されている(図 15)22。

図 15 Bichrone バイクに載せられた Lepape 機関

22 cf.,

http://zhumoristenouveau.eklablog.com/bichrone-le-deux-temps-a-soupapes-de-m-lepap

e-a126573308.

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20

http://zhumoristenouveau.eklablog.com/bichrone-le-deux-temps-a-soupapes-de-m-lepape-a126573308.

右下図、クランクは並列型と同様、180°位相で回転は左回りのようである。

他方、図 13 左に観るクランク室与圧型の掃気弁付き単流掃気式機関もまた実用化されて

いる。図 16 はフランスではなくアメリカ、ミシガン州 Bay City、Smalley Brothers Co.

の製品である。無論、フランスでもアメリカでも単純極まる 3 孔式 2 サイクル機関は汎用

されていたが、かように凝った掃気弁付き単流掃気ガソリン機関などというモノも確かに

実用されていたということである。

図 16 Smalley Brothers Co.の掃気弁付き単流掃気ガソリン機関

Levin, ibid., pp.336~337 Figs.127, 128.

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21

2)掃気弁付き単流掃気式ガソリン機関のイギリスにおける展開:Ricardo の Dolphin 機関

内燃機関における燃焼解析の大家、Harry R., Ricardo(1885~1974)は 1902 年、ケンブリッ

ジの恩師、Bertram Hopkinson 教授や友人の Harry Hetherington、Michael Sassoon の協

力を得てラークのアイデアを活かした、そして後年、Dolphin 機関として知られることとな

るク 2サイクル機関を開発した(1906年英国特許取得)。これは作動気筒とポンプ気筒とを 75°

V ツイン風に組み、副連桿に依って後者を駆動する機関で、上述の Bichrone バイクに載せ

られた Lepape 機関と同工のアイデアであった。両気筒共、ボア 4in.と共通であった点もこ

れと相似ていたが、熱効率を犠牲にしてまで掃気を完全層状に近付けようとした点におい

て Dolphin 機関はクラーク 2 号にヨリ忠実な作品であった23。

1905 年、起業家精神旺盛で鉄道界から自動車界に転身していたいとこ...

の Ralph Ricardo

と再会したハリーは同機関の事業化、自動車製造事業参入を提案される。かくて’08年 3月、

Two Stroke Engine Company Ltd.が設立登記され、Dolphin ブランドが誕生、サセックス

の Shoreham by Sea の工場が製造拠点として購入された。

ハリーはこの会社の設立以前にロンドンの Hurst & Lloyd 社に 4 気筒 30HP 機関とこれ

を搭載した自動車の試作を依頼しており、’06 年 7 月に完成した試作車の出来栄えに満足を

感じていたが、会社設立の後は設備不足のため、改めてサイクルカーに搭載されるべき新

たな 2 気筒機関の試作がロイドに要請されることとなった24。

完成試作機関の出力は 15~16HP/1000~1500rpm.で、そのアイドル運転の安定性は特筆

されるべき水準にあった。また、事業構想の視野にはこの新機関の単体販売も収められて

いた。図 17 は初期の Dolphin 機関である。

図 17 オリジナルの Dolphin 機関

23 この項については cf., Harry R., Ricardo, The Internal-Combustion Engine Volume I

Slow-Speed Engines. London, 1923, pp.268~285, John Reynolds, Engines & Enterprise The

Life and Work of Sir Harry Ricardo. Somerset, 1999, Ch.7 The Dolphin Affair (pp.63~75). 24 このロイドとドイツ、Borgward グループの Lloyd とは無関係である。

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22

淺川權八『陸用舶用 石油エンジン』丸善、1918 年、165 頁、第百五十六圖。

図 18 は Dolphin 機関の作動要領である。“Z”型に追えば良い。上左が燃焼始め、上右

が膨張行程、下左が排気→掃気、下右が圧縮始めである。

図 18 Dolphin 機関の作動要領

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23

同上書、166 頁、第百五十七圖。

ハリーは 16HP 機関を搭載する 2 人乗り、重量 600kg 以下のシンプルで造り易いサイク

ルカーを設計したが、設備不足、資金不足のためその量産や市場開拓はなお困難であった。

このため、強い潮流に因って出漁の好機を奪われがちであった地元漁港の小形帆走漁船の

動力化が当面の事業目標として浮上した。4.5HP 機関と 2kW 発電機を結合した発電ユニッ

トも家庭用や大形ヨット向けに構想されたが、これは試作のみに終った。

減速装置を備えた Dolphin 10HP 漁船機関は地元漁港の潮流を良く克服し、120rpm.での

連続運転が可能というその低速性能は流し網漁法に好適であった。このため、地元市場は

忽ち Dolphin 機関に依って制圧されたが、広域的展開には手が届かなかった。これは既に

大手メーカーに依って市場が押さえられていたこと、手造り一品生産的な Dolphin 機関は

部品に互換性を欠いていたため、広域的なサービス部品の提供が不可能であったことに因

る。

’08 年には再び自動車製造事業への挑戦が始まり、2 気筒 16HP 機関、4 気筒 30HP 機関

が開発された。これらは従前、バネ作動のポペット自動弁であった掃気弁を厚さ 1.27mm

程度のバネ鋼製・熱処理・研削仕上品のリードバルブに置換えることでメカノイズが低減さ

れ出力も向上した改良型機関となっていた。主軸受にも従前、玉軸受が採用されていたが、

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24

騒音低減のため新型ではホワイトメタルへと改められ、潤滑は強制循環式となった(図 19:

作動気筒は 84φ×95mm)。なお、本機関の出力については不明であるが、71.12φ×95.25mm

のサイズを有する 2 気筒小形車用機関の最大出力は 14HP/2100rpm.程度、最大熱効率

19.7%であった。

図 19 改良型 Dolphin 機関

arry R., Ricardo, The Internal-Combustion Engine Volume I Slow-Speed Engines. London, 1923, p.269

Fig.99, p.270 Fig.100.

問題のリードバルブは図 20 のように切れ目の有る円環をなしていた。薄く真っ平らなス

プリング・ワッシャの如きモノを一端で拘束して弁としたワケである。開弁時の圧力差は

44g/cm2程度で、従前のバネ作動ポペットバルブの約 350g/cm2と比べれば大幅に軽減され、

流動損失の低減と高回転への適性に著効を発揮した。因みに、旧型ポペットバルブ付き機

関の最高回転数は 1200rpm.程度に抑えられていたが、リードバルブを有する新型ではこれ

が優に 3000rpm.を超えるほどとなった。

なお、掃気ポンプの吸入弁には青銅製のリードバルブが採用された。その弁座は円錐面

で気筒頭のボスに圧し付けられたが、押さえる方のプラグは熱伝導性に優れた砲金製とな

っていた。

図 20 改良型 Dolphin 機関の掃気弁(リードバルブ)

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25

ditto., p.271 Fig.101.

ポンプ気筒と作動気筒とにおけるピストン押しのけ量の比は小型機種で 1.5:1、大型機

種で 1.21:1 程度であったが、渡り部の隙間容積を勘案すればその比はそれぞれ 1.14:1

と 0.90:1 となっていた。圧縮比は機関のサイズに係わりなく、ガソリンを焚く場合には

約 4、都市ガスを焚く場合には約 5.5 に設定された。

排気ポートは全周に亘り等間隔配置されていたが、スラスト側は潤滑不良の会費を目的

として 1 個飛ばしとなっていた。排気ポート総面積はガスの流れを穏やかにするため、敢

えて控え目に設定されていた。

リカードに拠れば、Dolphin 機関がマークした最高の全負荷正味熱効率は 20.5%であった。

これは同時代の 4 サイクル機関と互角であったが、1/2 負荷における正味熱効率の点では部

分負荷効率の余り落ちない Dolphin 機関に歩があったという。

然しながら、当時のイギリス自動車市場においては 4 サイクル機関の進化を承け、2 サイ

クルは安物との観念が拡大しており、Dolphin 車の販売は不振を極めた。その総生産台数は

僅かに 9 台、内、8 台が 4 気筒車で 7 台が販売され、1 台は会社に保有された。2 気筒車は

1 台のみ造られ、会社に保有され、ハリーが永らく私用した。総生産台数については 12 台

以上という説もあり、正確な処は不明であるが、何れにせよその程度であった。工場は 1909

年 11 月に閉鎖され、会社は’11 年 8 月に解散した。

他方、Hurst & Lloyd 改め Lloyd & Plaister Ltd.のロイドは 2 サイクル 2 気筒 Dolphin

機関を載せた重量 400kg 以下のサイクルカーの市場性に確信を抱いていた。彼は 4 サイク

ル機関を載せた自動車の方面で成功を収め、Two Stroke Engine Company Ltd.の解散に際

し、ハリーら残党たちに 700cc 2気筒 12HPDolphin機関の設計を依頼した。彼らは機関車、

車体の設計に協力し、試作車は’11 年中に完成、翌年、Vox の名でテスト販売された。この

サイクルカーは’14 年までに 100 台以上、販売された。

また、コルチェスターの Britania Engineering Co.は’12 年以降、Dolphin 機関を出力

2.5kW および 5kW の発電ユニットに組んで家庭向けやヨット向けに製造販売した。図 21

の個体は後者で、機関のサイズは 114.3φ×139.7mm、その出力は 7.5HP/700rpm.であっ

たが、過負荷出力は 9.5HP に達した。また、定格時、本機関は正味熱効率 19%をマークし

た。

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26

然しながら、サイクルカー、発電ユニット何れの事業も第一次世界大戦の勃発によって

打切られ、かつ、戦後も再開されることはなかった。4 サイクル機関の発達がそれを阻んだ

最大の技術的背景であった25。

図 21 5kW 発電ユニットと 7.5HPDolphin 機関

ditto., p.277 Figs.103, 104.

25 リカードの Dolphin 機関は淺川に依る紹介を通じて我国でも比較的良く知られるように

なっていた。それにも拘わらず、意外なことに、「但し Ricardo が sleeve valve 式であつて,

……」などと述べているところから観るに、前掲『航空原動機』執筆時点での富塚はドル

フィン機関について知らなかったか失念していたかと結論付けざるを得ない。『航空原動機』

191 頁、参照。因みに、管見に拠れば富塚の著書でこれに触れているのは『二サイクル機関』

のみである。『二サイクル機関』養賢堂、1985 年、76 頁、第 D-1 表、332 頁、参照。

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27

3.掃気弁付き単流掃気法式を巡る 2 サイクルと 4 サイクルとの関連性

図 22 は Societe d’Automobilisme の補助排気弁付き 4 サイクル・ガソリン機関である。主

図左上には熱管式着火装置 a がある。そこには吸気取入口が設けられており、空気は b か

ら竪管 m~m を経て最下段の霧吹き式気化器 c に降りる。添図がそれである。混合気は d を

昇って自動吸気弁 s から気筒内へと吸入される。膨張する燃焼ガスはピストンが下降して補

助排気孔が啓開されれば補助排気弁 l から一部が補助排気管へと排出されて気筒ガス圧を

低下させ、主排気弁 e の開弁力を軽減し排出ガスに因る背圧を切下げつつ、残留ガスは主

排気管から排出される。

出典文献の刊行年から、この機関が 1900 年以前に実在したことは確実である。この補助

排気孔および弁は歴史的には 2 サイクル側が 4 サイクル側に及ぼした影響の一形態と観ら

れるべきであろうか?

図 22 Societe d’Automobilisme の補助排気弁付き 4 サイクル・ガソリン機関

The Automobile Its Construcion and Management, London, et.al., 1902(Translated and Revised from Gérard

Lavergne, Manuel Théoretique et Pratique de L’automobile sur Route.[Paris,1900] by P.,N., Hasluck), p.174

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28

Figs.147, 148.

因みに、補助排気孔は決して単発的に出現した技術ではなかった。その採用例は初期の

航空発動機の中に数多く見出される。動力飛行のパイオニア、Wright 兄弟の 1908 年の発

動機や 1911 年に Alexander Prize を獲得した Green Engine Co.(英)の発動機、E.N.V.(英仏)

や Antoinette(仏)の発動機にもそれは採用されていた26。

Alexandre Darracq(仏:1855~1931)に依って 1897 年に創立された高級車メーカー、ダラ

ックは 1909 年頃、小形航空発動機を道楽程度に製作した。その水平対向 2 気筒航空発動機

(2-130φ×120mm, 24PS/1500rpm.:図 23)は補助排気孔を備えていた。こちらは開放されていた

から部分排気に与ると共に瞬間的にではあるが、ピストン頭冷却に役立つ空気を吸い込む

機能を期待されていた。同型の水平対向 4 気筒発動機(48PS/1500rpm.)も造られている。同社

においては直立 4 気筒航空発動機 2 機種(4-120φ×140mm, 43PS/1500rpm., 4-170φ×140mm,

84PS/1200rpm.)も製作されているが、補助排気孔の有無については不明である。

図 23 補助排気孔“L”を有する Darracq 航空発動機

26 cf., J.,L., Nayler and E., Ower, Aviation of To-Day. London, 1930, pp.369~370, Bill

Gunston/川村忠雄訳『航空ピストンエンジン―そのメカニズムと進化』グランプリ出版、1998

年、144 頁(Original : 1993, p.109). 簡単には拙稿「『試製的』航空発動機の技術 : ライト,

アントワネット,アンザニ」(大阪市立大学学術機関リポジトリ登載)、参照。

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29

L., Baudry de Saunier, ibid., Tome I. p.430 Figs.251, 252.

ダラックは’12年にHenriod & Cie製のロータリーバルブ付き機関を採用したことが仇と

なり、結局、’19 年にイギリスの Sunbeam Motor Car Company Ltd.に吸収されてしまっ

た。蛇足ながら、その躓きのモトとなった作品について図 24 として紹介しておく。外観写

真のバルブカバー上のロゴは SANS SOUPAPES=弁無し、と読めるが、ポペット弁が無い

だけで中には吸排気兼用の回転弁が入っている。この回転弁を最高温時の燃焼ガスから護

るため、低い位置をこれに与えている点に機構的工夫が認められるものの、かくすればガ

ス交換効率は劣悪とならざるを得ず、出力不足となることは不可避である。しかも、そこ

までしても回転弁回りの故障は絶えなかったようである27。

図 24 Darracq のロータリーバルブ付き機関

27 この会社については日本メールオーダー『Encyclopedia of Motor Car 世界自動車大百

科』第 3 巻、448∼449 頁、その航空発動機については cf., Glenn D., Angle, Airplane Engine

Encylopedia. Dayton, 1921, pp.163~164.

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30

吸気行程 排気行程

American Technical Society, Cyclopedia of Automobile Engineering. Vol.1, Chicago, 1913, p.122

Fig.39, p.123 Fig.40.

1911~’13 年頃に製作された Alessandro Anzani(伊→仏:1877~1956)の航空発動機もまたダ

ラック発動機と同様、補助排気(+補助給気)孔付き 4 サイクル機関の好例をなしている。図

25 右は星型 3 気筒を 2 重化した 2 重星型 6 気筒発動機で、1910 年には製品化されていた。

その気筒寸法は 105φ×125mm、出力 60PS であり、気筒下部に多数穿たれた孔が補助排

気(+補助吸気)孔である28。

28 この 2 重星型 6 気筒発動機の製造年については cf., Robert Schlaifer, Development of

Aircraft Engines. in R., Schlaifer and S.,D., Heron, Development of Aircraft Engines and Fuels. N.Y. 1950, p.125. 本発動機は複列星型の嚆矢であった。アンザニの発動機全般

についても拙稿「『試製的』航空発動機の技術 : ライト,アントワネット,アンザニ」、参照。な

お、手当たり次第の開発に邁進したアンザニは試験的にロータリーバルブの導入にも手を

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31

図 25 補助排気孔を有する Anzani の航空発動機 2 機種

左:Cyclopedia of Automobile Engineering. Vol.4, p.212 Fig.40.

右:L., Baudry de Saunier, L'automobile Theorique & Pratique. Tome II. p.328.

ここで一連の図 22、23、25 を眺め、英仏、とりわけフランスの 4 サイクル・ガソリン機

関における補助排気孔の伝統とも形容され得るほどの存在感を確認した上、改めて図 13 に

立ち還ってみて頂きたい。この時、こと、クラーク 2 号の気筒頭円錐部を欠くフランス的

な掃気弁付き単流掃気式 2 サイクル機関の生成に限って想いを巡らすならば、掃気弁付き

単流掃気方式にはクラーク 2 号とは別に 4 サイクルからの接近というアプローチもあった

かの如くには見えぬであろうか?

つまり、補助排気孔の開口断面積を大き目に取って排気弁を撤去し、何らかの掃気ポン

プを吸気弁に繋いでこれを掃気弁と名称変更してやれば、クラーク 2 号云々とは無関係に

染めているが、こちらはダラックのそれようには製品化に至っておらず、実験に供された

回転弁の仕様は横軸型であったとは言え、その詳細構造については不明である。cf.,

Cyclopedia of Automobile Engineering. Vol.1, p.121 Fig.38, p.46.

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掃気弁付き単流掃気式 2 サイクル機関が立派に出来上がる……かような妄想に囚われてし

まうのである。

とまれ、4 サイクルの発達の中で、T1-T2 の最大化という公準に真っ向から逆らうのみ

ならず潤滑油消費を昂進させること必定の補助排気孔などというケレンは駆逐されてしま

った。そして、高速機関の分野においても 4 サイクルの発達を前にして掃気弁付き単流掃

気式を筆頭として 2 サイクルは劣勢に陥り、ほぼ単なる間に合わせ的技術の地位に収まっ

た。

その後、事態を激変させたのがシニューレ掃気法の登場である。これに依ってガソリン、

ディーゼルを問わず 2 サイクル小形高速機関は一挙に復活を遂げることになる。しかし、

やがてはこれも排出ガス規制問題に遭遇し、2 サイクル高速機関の返り咲きにも終止符が打

たれてしまった29。

なお、2 サイクル掃気弁付き単流掃気式機関としては以上の他にも 1930 年代中葉、

Lambert Engine & Machine Co.(米)にて試みられたDesire Joseph Deschamps の 2弁式倒

立 V 型 12 気筒航空ディーゼル(図 26)が出色である。もっとも、本機が倒立であった以上、

弁を掃気弁とすることは野放図な潤滑油の排出を防ぐために採り得る不可避的な方途であ

った。なお、デシャンプ の前歴は Knight ダブル・スリーブバルブ機関メーカーの一つとし

て知られていたベルギーの自動車会社 Minerva の技術者であった30。

図 26 Deschamps V-3050 型倒立 V 型 12 気筒航空ディーゼル機関(1200HP)

29 拙稿「戦前戦時∼復興期における本邦 2 サイクル・ガソリン機関技術史断章―トーハツの歩

み、富塚 清の可搬式消防ポンプとの係わりを通じて―」(大阪市立大学学術機関リポジトリ登載)、参照。 30 cf., Paul H., Wilkinson, Diesel Aircraft Engines. N.Y., 1936, pp.36~37, 73~81,

100~101, 大井上 博『航空ヂーゼル機關』増補改訂版、共立出版、1941 年、169~173 頁,

Wilkinson/宮本晃男訳『航空ヂーゼル機關』墨水書房、1945 年(原著 1939 年)、188~199 頁。

ナイト・ダブル・スリーブバルブ機関やミネルヴァとこれとの係わりについては拙稿

「Knight ダブル・スリーブバルブ機関について」(大阪市立大学学術機関リポジトリ登載)、参照。

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P.,H., Wilkinson, Diesel Aircraft Engines. pp.78~79 Fig.36.

また、リカードが戦後にかけて綿々と続けたシングル・スリーブバルブ機関の実験に引張

り出された 2 サイクル掃気弁付き単流掃気機関(ディーゼルとガソリン)も同様に著名である。

しかし、それらは何れも高等道楽の範疇に属する開発努力として終っている31。

むすびにかえて

C.,F., Taylor はかつてその高い機械的・熱的負荷故に 2 サイクルにポペット弁は不向きで

あり、弁を掃気弁とすれば後者は回避可能とはなるが、それでも機械的負荷の高さは 2 サ

イクル高速機関におけるポペット弁の採用にとって決定的な障碍となる、と述べた32。

それにも拘らず、排気弁付き単流掃気方式は低速から高速まで、幅広いレンジにおいて

実用化されている。そして、対する掃気弁付き単流掃気方式は一向にウダツの上らぬ存在

として在った。それでも、戦時下、この国においては同方式のパフォーマンスを見定め、

高めるために基礎的な研究が行なわれていた。図 27 は東京帝國大學航空研究所における模

型実験において各種の掃気弁付き単流掃気式がマークした給気効率ηtrの値:%である。給

気効率とは気筒内に留まった給気体積/全給気体積であり、100 に近いに超したことはない。横軸は給気

比(全給気体積/行程容積)である。給気比が 1 より大きくなれば掃気ポンプ駆動損失と給気の吹抜

けが増し、実物機関ならその正味熱効率は低下する。上の“乁”状の破線は完全層状掃

気における給気効率、その下、右斜め下りの破線は完全混合掃気における給気効率であり、

31 cf., H.,R., Ricardo, The High-Speed Internal-Combustion Engine. 4th., ed., London,

1953, p.365 Fig.18.4, p.377 Fig.18.16(diesel), p.375 Fig.18.13(gasoline). 32 シー・エフ・テーラー講述『航空用發動機の設計に就て』183~184 頁、参照。

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現実は常にその中間に位置する。模型気筒のサイズは 60φ×81mm であった。揚程は勿論、

弁のリフト(mm)である。

図 27 模型実験における掃気弁付き単流掃気式各種の給気効率ηtr

日本機械學會『小型二サイクルジーゼル機關』1948 年、74 頁、第 31 圖33。

小さな給気比の下では MAN の旧型のような対向 2 弁式の給気効率も決して悪く出ては

いない。総じて最も優れているのは 4 弁式であるが、2 弁式に対するゲインは左程、大きく

現れてはいなかった。もっとも、実際に運転している機関における現象は 1 発吸気の単純

矮小模型のそれとは大いに異なっていた筈である。

とは言え、その差がどの程度であれ、またその様式や中・低速⇄高速の別を問わず、各種

の掃気弁付き 2 サイクル単流掃気方式は 4 サイクルや排気弁付き 2 サイクル単流掃気方式

の進化を前にして衰退を余儀無くされ、速やかに歴史的記憶の底へと沈潜して行った。

そもそも、2 サイクル内燃機関における掃気弁付き単流掃気方式は“あれかこれか”を巡

る自由な選択の賜物ではなく、歴史的には蒸気機関の一進化形態である単流機関に根差す

手口であった。それ故、混合弁を不可欠とするガス機関からこれを必要としないディーゼ

ル機関へという内燃機関進化の趨勢と共に、それは排気弁付き単流掃気方式へと推転して

行った。

掃気弁付き単流掃気式とすれば掃気弁は確かに熱的に楽となった。然しながら、A 型フレ

ームを連ねるのではなく一体架構を持つ本来の列型機関を構成させようとすれば、高温の

排気ボックスで気筒下部を取り巻き、それらを相互に連結せざるを得ぬ躯体構造を採るこ

33 横堀武夫提供資料。富塚『二サイクル機関』230 頁、第 I-47 図もほぼ同じ。

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とには機関の前後方向にも上下方向にも熱的に相当大きな面倒が随伴すると考えられる。

勿論、熱膨張を逃す位の対策自体は容易であるにせよ、面倒な部位は中程に置くより端に

追いやるに若くはなかろう。

排気弁付き単流掃気方式とすれば排気弁の熱負荷が大きくなるにせよ、この点はヨリ高

速の 4 サイクル機関の排気弁におけると同断である。無論、機械的負荷の点においてもこ

れに変る処はない。換言すれば、ある範囲までなら似たような対応技術で事足りる。仮令、

大形低速機関の該部に独特の手管が駆使されているとしても、その一半はサイズの大きさ

に由来する事象として理解されるべきであって、2 サイクルであるが故に必ずかくならねば

ならぬという理屈に縛られての所作ではない。

畢竟、2 サイクル弁付き単流掃気方式の弁を殊更、掃気弁とする選択に特別な利点は附帯

しない。蒸気機関からの惰性に端を発する技術は左様なモノとして技術進化の脇道に終始

せざるを得なかった34。

34 高速機関メーカー、マイバッハ(独:Maybach Motorenbau GmbH)は 1954 年に掃気弁付き単

流掃気高速ディーゼル試作機 MZD I(1-185×220mm)を試作している。特殊な動弁機構を有す

る個体であったが、その性能の詳細については不明である。なお、同社は排気弁付きの MZD

II、MZD III を験した後、2 サイクルそのものを放棄している。Stefan Zima, Entwicklung

Schnellaufender Hochleistungsmotoren in Friedrichshafen. Dussseldorf, 1987, SS.613

Bild 128, S.728 Bild 282, Wilhelm Treue, Stefan Zima, Hochleistungsmotoren Karl

Maybach und sein Werk. ditto., 1992, SS.344, 345, Bild 2, Bild 3.