中央アジアの政治・経済概況 ·...
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27 石油・天然ガスレビュー
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アナリシス
中央アジアの政治・経済概況
2004年8月、日本は従来の「シルクロード地域外交」に代わる新しい対中央アジア外交方針として、「中央アジア+日本」を打ち出した。従来の2国間関係を基本としたアプローチに加え、マルチの枠組み、すなわち同地域を一つのエリアとしてとらえ、協力体制の構築に日本が積極的に関与しようというものである。この方針に沿って、これまで関係国による2回の外相会談が開かれ、2006年8月には小泉首相
(当時)が、現職の首相としては初めてカザフスタン、ウズベキスタンを訪問した。続いて2007年4月には、甘利経済産業大臣の中央アジア訪問が実施された。端的に言えば、昨今、日本は中央アジアへの関与を積極化しているのである。 一方、現地中央アジア側では、近年、大きな動きが相次いでいる。2005年3月、CIS内でグルジア、ウクライナと続いたいわゆる「カラー革命」の連鎖のなかで、キルギスのアカエフ政権が民衆蜂起により倒れ、続く5月にはウズベキスタンのアンディジャンでも現状に不満を持つ民衆の騒乱が勃発した。2006年12月には、終身大統領としてトルクメニスタンに君臨したニヤゾフ氏が急死、域内随一の天然ガス生産国だけに内外に激震が走った。こうしたなか、油価高騰の追い風を受けるカザフスタンでは、政治的安定においても経済発展の面からも言わば“独り勝ち”の状況が続いている。 変化の激しい中央アジアの現状に対処するにあたっては、エリアとしての視点とともに、拡大する“差異”の理解が非常に重要となる。こうした視点に立ち、本稿では、まず中央アジアの現状をエリアとして概括・整理し、次いで重要国であるカザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン各国に固有の問題について解説を試みる。
(1) 経済における二つの格差
エリアとしての中央アジア理解に不可欠と考えられるのが、経済において拡大する二つの格差の認識である。第1に制度的格差、すなわち市場化における差異であり、第2には経済発展における格差である。 旧ソ連における原燃料供給地として、相対的に低開発の状態に甘んじてきた中央アジア諸国は、独立時の状態で三つの共通課題を擁していたと考えられる。 第1には旧ソ連諸国であること、すなわち移行国であることから生じる「市場経済化」という課題。 第2には、低開発地域であったこと(ソ連時代の中央アジアにおける国民1人あたり所得・生産あるいはインフラ整備等の指標は、おしなべてソ連平均の半分程度であった)により生じる「経済発展と国民生活向上」という課題。 第3には、いずれも産業構造が原燃料依存型であることから、長期的発展を図るための「産業構造多角化」という課題である。
要すれば、上記二つの格差とは、これら三つの課題のうち第1、第2の課題への対処の仕方・条件により生じたものだと言える。 第1の課題、すなわち市場経済化において、移行国としては非常に珍しいことに、中央アジアにはこれに対して否定的な、少なくとも「IMF流の急進的な市場経済化」に明確に否定的な国が二つ存在した。ウズベキスタンとトルクメニスタンである。独立後十余年を経て、同2国とその他諸国の間の格差は、現在、ほぼ別世界と言ってよいほどに広がってしまった。 表1に示すのは、移行国の市場化の進
しん
捗ちょく
度の評価基準として広く用いられているEBRD(欧州復興開発銀行)のTransition Reportから抜粋した、俗にいう「EBRDの通信簿」である。 項目ごとに最も市場経済化が進んだ状態を4、最低を1として評価するが、同表が示すとおり、カザフスタン・キルギスといった急進的市場化を選択した諸国と、漸進改革派のウズベキスタン・トルクメニスタンの間には歴
1. エリアとしての中央アジア
中居 孝文社団法人 ロシアNIS貿易会ロシアNIS経済研究所調査役
はじめに
輪島 実樹社団法人 ロシアNIS貿易会ロシアNIS経済研究所調査役
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然とした差がある。しかも、後者の2国では近年は前年度からあまり向上が見られない。つまり、元来緩やかである市場経済化ヘの動きが、昨今はほぼ止まったとすら見なされる状況にある。 最も極端なトルクメニスタンにおいては、石油・ガス採掘をはじめ基幹産業はいまだに国家が独占、その収益により国民に対するガス・水道等の公共サービスの無料供給、一部食糧の配給制を維持している。つまり、私有財産、自由化、競争といった市場経済の原則からは全くかけ離れた経済システムが機能し続ける世界なのだ。 市場化の進展は、その国の長期的発展基盤の構築と、国際経済への統合に貢献すると考えられている。しかし、表2に明らかなとおり、経済発展の点でも、国際経済への統合を示す一つの指標である外国直接投資においても、現時点においてむしろ“利いている”ファクターは資源の有無である。 中央アジアの第2の共通課題である経済発展において、特に2000年以降の国際油価の高騰以降、石油・ガス産出国とそれ以外の国々との間には大きな格差が生じ、かつ現在もそれは拡大している。最も分かりやすいのは、国民1人当たりGNI(Gross National Income;国民総所得)であろう。1995年時点で約4倍であった域内最大の産油国カザフスタンと、最貧国のタジキスタンの同指標の格差は、2005年にはカザフスタン2,930ドル、タジキスタン330ドルと10倍近くに達した。これが第2の格差、経済格差である。 この拡大する経済における二つの格差は、各国の政治面に直接的影響を与えてい
る。経済発展における格差が特に影響するのが、内政の安定である。端的に言えば、絶対的、相対的いずれにせよ国民が貧困を認識することにより、政情は不安定化する。 西側から、中央アジアにおける“民主派”と高く評価されてきたキルギスのアカエフ政権の崩壊、ウズベキスタンにおけるアンディジャン事件の勃発、いずれも最大の要因と見なされているのは、国民の生活に対する不満である。逆に、2005年末の選挙でカザフスタンのナザルバエフ大統領が(少なくとも公式発表では)90%以上の
大規模民営化 小規模民営化 企業再編 価格自由化 貿易・為替 競争政策 銀行・利子 証券・ノンバンク インフラ 平均 最高点 最低点 前年との比較
(2006)*1前年との比較(2005)*1
カザフスタン 3 4 2 4 3.6 2 3 2.6 2.6 2.98 4 2 3 0キルギス 3.6 4 2 4.4 4.4 2 2.4 2 1.6 2.93 4+ 2- 0 0ウズベキスタン 2.6 3.4 1.6 2.6 2 1.6 1.6 2 1.6 2.11 3+ 2- 1 1トルクメニスタン 1 2 1 2.6 1 1 1 1 1 1.29 3- 1 0 0タジキスタン 2.4 4 1.6 3.6 3.4 1.6 2.4 1 1.4 2.38 4 1 1 1アゼルバイジャン 2 3.6 2.4 4 4 2 2.4 1.6 2 2.67 4 2- 0 1グルジア 3.6 4 2.4 4.4 4.4 2 2.6 1.6 2.4 3.04 4+ 2- 0 2アルメニア 3.6 4 2.4 4.4 4.4 2.4 2.6 2 2.4 3.13 4+ 2 0 3参考:ロシア 3 4 2.4 4 3.4 2.4 2.6 3 2.6 3.04 4 2+ 2 0*2
(注)各評点の+は0.4を加算、-は0.4を減算して表示。例:2-→1.6,2+→2.4。*1:前年版に比較して、評価の上昇した項目数。*2:低下した項目と上昇した項目が各一つずつで±ゼロとなった。
表1 制度的格差:2006年版Transition Reportに見る中央アジア諸国の市場化の進捗状況
出所:EBRD(2006),Transition Repot、同2005年版を基に筆者作成
カザフスタン キルギス ウズベキスタン トルクメニスタン*1 タジキスタン
2006年実績(前年比増減率 %)
GDP 10.6 2.7 7.3 … 7.0
工業生産 7.0 -10.2 10.8 22.4 4.9
農業生産 7.0 1.5 6.2 21.1 …
消費者物価指数 8.6 5.6 6.8*2 … 11.9
過去5年間平均変化率(%)
GDP 9.7 3.2 6.1 22.2*3 9.2
工業生産 8.3 -2.3 8.4 21.9*3 9.4
農業生産 3.6 1.5 6.9 18.5*3 …
消費者物価指数 7 4 … … 11
国民1人当たり外国投資(ドル)
2005年 114 20 8 49 6
1989-2005年累積 1,568 131 51 353 82
国民1人当たりGNI(ドル)
1995年 1,330 700 970 920 340
2005年 2,930 440 510 1,340*4 330
(注)…はNo data*1:2006年実績は上半期。*2:2006年12月の前年12月比。*3: トルクメニスタン独自発表値による。GDPは2002〜2004年値、工業生産、農業生産は
2002〜2005年値の平均。*4:2004年。
表2 経済格差:中央アジア諸国の経済発展動向
出所: CIS統計委員会、トルクメニスタン国家統計・情報国家研究所、世銀 World Bank Atlas、EBRD Transitiion Report等、一部報道・独自発表を含む
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得票で悠々と再選を果たした背景には、過去5年以上にわたる年率10%近い経済成長がある。 他方、制度的格差は政権に対する西側からの評価に影響を与え、またそれを通じて各国の国際関係の構築、外交姿勢に少なからぬ影響を与える。というのは、その国の市場経済化に対する方針と政治運営とは本来、別個に論じられるべきものであるにもかかわらず、往々にしてこれら諸国の政治体制・政策に対する西側からの評価に大きな影響を与えてきたからである。 やや乱暴な言い方をすれば、市場化を促す西側の提言に従順である方が、政治面でも“民主的”と評価されやすかった。市場経済化において、漸進主義あるいは独自路線をとったウズベキスタン・トルクメニスタンは、政治面においてもその権威主義的傾向を、他の3カ国以上に批判されたと言って過言ではあるまい。 無論、カザフスタンやキルギスに比べ、ウズベキスタン・トルクメニスタンの方が、政権の権威主義的傾向、あるいは人権抑圧の傾向が“相対的に”高いことは事実であろう。後述するように、トルクメニスタンにおいて前大統領は言わば神格化されており、ウズベキスタンのカリモフ政権はアンディジャン事件の鎮圧において、倒れたキルギスのアカエフ政権のように武力行使に躊
ちゅう
躇ちょ
しなかった。 しかし、他の3カ国の民主性も、あくまで他方との比較において評価される程度のものだということは指摘されてしかるべきである。5カ国すべてにおいて、10年を超える長期政権が続いていた(いる)ことが示すとおり、中央アジアにおいて国民投票、憲法改正等、何らかの手段により自己の任期延長を図らなかった大統領は1人もいない。“民主派”であるところのカザフスタンには、現大統領ナザルバエフ氏に終身特権を認めた「初代大統領法」すらある*1。また、直近の同国大統領選直前の2005年11月と直後の2006年2月、反対派が変死体で見つかる事件があったことも記憶に新しい。 つまるところ、民主化の度合い、政治的透明性という点において、中央アジア5カ国のレベルは五十歩百歩であり、大きな差があるわけではない。差はむしろ、西側からの評価のなかで強調される傾向にあり、それが批判される側、特にウズベキスタンの西側に対する不信感の主因の一つとなっていると考えられる。 奇妙なことに、ウズベキスタンは、大統領個人崇拝のトルクメニスタン以上に、政経両面で西側からの批判の対象となることが多い。これは「積極中立外交」を標
ひょう
榜ぼう
するトルクメニスタンが、ほぼあらゆる多国間交渉の場を避け、国際社会とのかかわりを自ら断ってきたこと、また天然ガス輸出があるため経済的に国際支援を必要とせず、したがって西側から民主化・市場化にかかわるコンディショナリティーを提示される立場になかった。換言すれば、西側にとって全く取りつく島のない国であったことに一因がある。また1998年4月、トルクメニスタンを起点とするカスピ海横断天然ガスパイプライン(トランスカスピ・パイプライン)敷
ふ
設せつ
をもくろむ米国がニヤゾフ大統領をワシントンへ招き、同ルート建設のためのF/S資金の供与を表明したことが示すとおり、資源外交の際に西側の民主化要求はしばしばな
ヽ
りヽ
を潜める。 一方、市場化については独自路線を堅持していたにせよ、旧ソ連圏からの自立を目指して西側との関係構築にも積極的であったウズベキスタンは、自国の政策を批判される機会も多く、2003年5月、首都タシケントで開催されたEBRD総会では、主催国であるにもかかわらず人権抑圧、改革の遅れに対する厳しい批判に晒
さら
される憂き目に遭う。こうして醸成されてきた西側への不信感が、最終的にアンディジャン事件の武力鎮圧に対する批判を経て、現在のウズベキスタンの欧米に対する強硬な対立姿勢と、そのコインの裏側である親露・中路線へとつながっていく。 このように、中央アジアにおいて拡大する市場化と経済発展における格差は、各国の政治・外交にもまた大きな影響を及ぼしており、その点でエリアとしての中央アジアの現状を読み解くキーワードとなっていると言えよう。
(2)現状分析のためのマトリクス
さて、前節で述べた二つの格差、すなわち制度的格差を生む市場化政策の相違と、経済格差を生む資源(特に石油・ガス資源)の有無を2軸に取って、マトリクスとしたものが表3である。これによって、5カ国がA、B、C、Dの4象限に分類される。 卑近な表現を用いれば、これらのなかで現状において、また少なくとも短・中期的見通しにおいて、1番の“勝ち組”と言えるのはカテゴリーA、すなわち「急進改革派かつ持てる国」に分類されるカザフスタンということになるだろう。市場化における急進改革派であり、政治面でも中央アジアにおける相対的民主派として評価されてきたカザフスタンは、独立当初から国際支援を潤沢に得てきた。石油・天然ガスと言う強力な誘因を持つため、
*1:2000年7月に「憲法と同等の効力を持つ法律」として採択。同法により初代大統領ナザルバエフ氏は、退任後も国庫負担により独自の官房を持つ権利、国家安全保障会議構成員となる権利等、各種の特権を終身にわたり維持できる。
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表2が示すとおり外国投資にも恵まれている*2。現在、高度経済成長をほしいままにしているのみならず、西側との関係が良好であることから今後とも豊富な外資流入が見込める。また、ナザルバエフ政権は外交的に非常にバランス感覚に富んでおり、欧米諸国や中国、ロシア等、いずれの重要国とも比較的等距離の友好関係を築いている。上海協力機構に加盟していることから中国やロシアとの関係がクローズアップされがちだが、基幹の石油・ガス部門への投資に鑑
かんが
みるに、欧米とのパイプも太い。 ただし、先に指摘したとおり、カザフスタンも実は権威主義的傾向、反対派の抑圧と無縁ではない。また経済面でも石油・ガス分野においては、従来の路線に逆行して国家管理を強化する方向にあり(後述)、外資との軋
あつ
轢れき
を招いている。こうした市場経済化や民主化、人権といった問題に関し、国際機関や西側諸国は従来に比べカザフスタンに“もの申す”ことがしにくい状況になっていることは事実であろう。経済成長を遂げた同国は既にほとんど経済支援を必要とせず、西側がコンディショナリティーをつける余地がないからである。また支援への関心の低さに応じて、カザフスタンの日本への関心も、他の中央アジア諸国に比して低いように思われる。 カテゴリーBの「漸進改革派だが資源国」にはトルクメニスタンがあてはまる。民主化・市場化を迫る西側の提言に一顧だにせず、豊かな天然ガスを背景に、政治・経済ともにまさに独自路線を堅持してきた。換言すれば、同国の漸進改革あるいは独自路線を可能ならしめた
のが、天然ガスなのである。政府公表値によれば、経済は年率20%ものペースで成長を遂げているとのことだが、これを検証する術
すべ
はない。ただし、堅調なロシア・ウクライナ向け天然ガス輸出と、高止まりしている国際油価を背景に、トルクメニスタン経済が緩やかながら発展していることは、外部観測者も認めている*3。 トルクメニスタンの政治・経済の安定は、天然ガス輸出という1本の綱に頼っており、その輸出は現在、唯一の輸出ルートであるロシア経由のパイプラインに支えられている。つまり、事実上の孤立外交路線にあるトルクメニスタンにとって、ロシアの存在は極めて大きい。さらに現在、中国も同国の資源分野へ接近してきており、民主化基準において欧米よりはるかにおおらかな両国との関係強化が、ポスト・ニヤゾフのトルクメニスタンにどのように影響するか、大いに注目すべきところである。 カテゴリーA、Bに共通するのは、資源輸出に支えられ、経済状態がよいということであり、その逆の状態がカテゴリーCおよびDである。 「急進改革派かつ非資源国」のカテゴリーCに含まれるキルギスとタジキスタンは、市場化政策面での評価は高いが、それが経済成長に結び付いていっていない。成長基盤となる産業を欠き、外資誘因に乏しく、いまだ経済は停滞している。したがって、経済支援に対するニーズが非常に高く、欧米、中・露と、言わば全方向と良好な関係にある。これは、カテゴリーAのカザフスタンのバランス外交とは若干ニュアンスが異なり、必要に迫られての全方位外交という側面がなくもない。支援を求める観点から、世界のトップドナーである日本への関心も非常に高い。 カテゴリーDは、カテゴリーAと対極をなす存在であり、ウズベキスタンが属する。容易に経済成長をもたらす炭化水素資源を持たず*4、市場化の遅れから西側との関係構築が難しい。昨今、中国やロシアといった特定の国からの投資が増大しているが、後述するように、欧米との関係は逆に非常に冷え込んでいる。当面は、欧米諸国からの大規模な投資・支援は資金・技術ともに想定し難い。人権抑圧において批判を受けていることから、ドナーからの支援獲得も困難である。しかも、アンディジャン事件が示すとおり、政治的に不安定要素が強く、域内の安定という観点から、将来的に問題となる可能性
*2:EBRDによればカザフスタンの1989〜2005年累積の外国直接投資受け入れ総額は約237億ドルで、旧ソ連諸国中最大である(EBRD, Transition Report 2006 (2006), p.38.)。
*3:EBRD、IMF、EIU(Economist Intelligence Unit)等はいずれもトルクメニスタンの2006〜2007年のGDP成長率を前年比6〜9%増の範囲と予測している。
*4:ウズベキスタンに炭化水素資源が賦存していないわけではない。ここでは、輸出による外貨獲得源となり得ないという意味で非資源国にカテゴライズした。
市場化の方針
急進改革派 漸進改革派
炭化水素資源
持てる国 A:カザフスタン B:トルクメニスタン
持たぬ国 C:キルギス、タジキスタン D:ウズベキスタン
カテゴリーA: 高度経済成長、豊富な外資流入、欧米・露・中と良好な関係、経済支援の必要低、日本への関心低
カテゴリーB: 経済成長中、外資流入C・D<だが<A、国際的に孤立するも露・中と比較的良好な関係、経済支援の必要低、日本への関心低
カテゴリーC: 停滞する経済成長、外資流入低、欧米・露・中と良好な関係、経済支援の必要高、日本への関心高
カテゴリーD: 経済成長C<だが<A・B、外資流入低だが露・中より増大、欧米と対立、露・中と良好、経済支援の必要高、日本への関心高
表3 二つの格差によるマトリクス
出所:筆者作成
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が高い国である。 こうしたなか、ウズベキスタンの日本に対する関心は非常に高い。単に経済支援の必要性が高いというカテゴリーCに比べ、欧米と政治的に対立する状況にあるウズベキスタンは、政治的な意味でも日本に対する期待が非常に高いからだ。これは、日本が西側への懸け橋となることへの期待、とも言い換えられよう。そしてその背景には、日本が欧米に比して非民主的政権運営に寛容であるという彼らの誤認がある。 さて、エリアとしての分析の最後に、では日本はこうした現状にある中央アジア諸国に対し、「中央アジア+日本」の枠組みのなかでどのように対処していくのであろうか。冒頭に述べたとおり、「中央アジア+日本」の従来方針との違いは、2国間関係を基本としたアプローチに加え、同地域を一つのエリアとしてとらえる方針を打ち出していることにある。2006年6月、東京で開催された「中央アジア+日本」第2回外相会談で採択された
「行動計画」のなかにも、「協力の5本柱」の一つとして「域内協力」が謳
うた
われている。域内協力は5本柱のなかでも特に重要課題であり、日本が協力構築のための触媒となるという方針が強調された。 しかし既述のとおり、現在、中央アジア内ではむしろ差異が広がる傾向にある。元来、国の大きさを含め、初期条件の全く異なる国々であり、水資源管理・電力需給など、多くの対立項を抱え、相互関係は必ずしも友好的ではない。にもかかわらず、これらの国々をあえて日本が「エリア」として扱うにはいかなる意味があるのか。 そもそも、なにゆえ日本は中央アジアと関係を強化すべきであるのか。例えば、日本がなぜロシアと付き合うべきか、という問いへの回答は自明である。ロシアには資源があり、地理的に隣接しており、国際政治の上でも重要な存在なのだ。しかし、こと中央アジアに関しては、合理的解答を見つけることは難しい。 2006年6月に麻生外務大臣が行った演説のなかでは、この点に関していくつかの理由が述べられている。第1に、「弱い環
わ
の強化」である。国際テロ対策、世界の安定強化の観点から、「弱い環」の一部である中央アジア地域と関係を構築し、そこを強化していく必要があるということだ。これをさらに明確に示したのが、2006年11
月に日本国際問題研究所主催のセミナーで行われた、やはり麻生外相による「『自由と繁栄の弧』をつくる」と題された演説である。主旨は、民主主義や市場経済、法の支配といった普遍的価値を普及させ、これが通じる地域をベルトのようにつないで「自由と繁栄の弧」を構築する、そのために日本が尽力する、ということである。中央アジアはまさにそのベルトの一部であり、ベルトとしてつなぐには、やはり同地域をエリアとしてとらえ、固まりとしてアプローチする必要があるという理論展開となるのだろう。 第2に、地下資源である。6月の演説のなかで、将来的に中央アジアの石油輸出能力が200万バレル/日に達するとの指摘があったが、これは必ずしも日本に直接的に持ってくるというロジックで述べられたわけではないだろう。しかし、いずれにせよ、資源がある地域であるから付き合う価値があるということで、換言すれば、これは経済的な価値ということになる。 これら二つを比較した場合、中央アジアに対するエリアとしてのアプローチにおいては、国際テロ対策や安定という観点からの重要性こそが、日本が主張したい最大のポイントであろう。各国バラバラのままでは北のロシア、東の中国等の影響に取り込まれてしまう。それに抗するため、この地域を一つのブロックにまとめて日本が支援するのである。つまり、エリアとすることによりロシアや中国、南方のイスラム勢力に対する抵抗力をつけ、かつ西側がコミットする基盤とするという発想であろう。 しかし、本説に述べたとおり、各国の格差が広がる現状において、これは相当に困難な課題であると言わざるを得まい。また、先の“経済的に付き合う価値”という観点からすれば、資源国重視の発想が生じて当然である。 ところが先に述べたとおり、カテゴリーA・Bの資源国は相対的に日本に対する関心が低い。逆に、日本に熱心にアプローチするのは、人権問題において批判を受けがちなウズベキスタンであり、言わば経済弱者のキルギス・タジキスタンである。つまり、日本側のニーズ・期待と現地側のそれとに明らかにギャップが生じており、これを埋める方策を検討することが現状打開の第1歩となるものと考えられる。
2. 主要国の現状
(1)カザフスタン:脱石油への模索
カザフスタンが全体として安定した状況にあることは論を俟
ま
たない。カザフスタンの経済トレンドは産油動向と完全に一致しており、石油の生産・輸出が急増した
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表4 カザフスタンGDP・工業生産と石油生産・輸出
1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005
GDP対前年比増減率(%)▲ 11.0 ▲ 5.3 ▲ 9.2 ▲ 12.6 ▲ 8.2 0.5 1.7 ▲ 1.9 2.7 9.8 13.5 9.8 9.3 9.4 9.2
鉱工業生産対前年比増減率(%) ▲ 0.9 ▲ 13.8 ▲ 14.8 ▲ 28.1 ▲ 8.2 0.3 4.0 ▲ 2.4 2.7 15.5 13.8 10.5 9.1 10.1 4.6
固定資本投資対前年増減率(%) … ▲ 47 ▲ 39 ▲ 15 ▲ 43 ▲ 40 12 42 33 48.5 44.7 10.6 16.6 61.2 22.0
輸出対前年比増減率(%) … … … … 62.5 12.6 9.9 ▲ 16.3 10.1 50.1 ▲ 2.0 11.9 33.7 54.6 38.6
石油生産(100万トン) 26.6 25.8 23.0 20.3 20.5 23.0 25.8 25.9 30.1 35.3 40.1 47.3 51.5 59.4 61.9
対前年比増減率(%) … ▲ 3.0 ▲ 10.9 ▲ 11.7 1.0 12.2 12.2 0.4 16.2 17.3 13.6 18.0 8.9 15.3 4.2
石油輸出(100万トン) … 18.0 12.6 9.6 11.3 14.5 16.4 20.4 25.2 27.7 32.4 39.1 44.3 52.4 52.4
対前年比増減率(%) … … ▲ 30.0 ▲ 23.8 17.7 28.3 13.1 24.4 23.5 9.9 17.0 20.7 13.3 18.3 0.0
石油輸出(100万ドル) … … … … 793 1,257 1,671 1,650 2,309 4,249 4,255 5,028 7,013 11,417 17,395
対前年比増減率(%) … … … … … 58.5 32.9 ▲ 1.2 39.9 84.0 0.1 18.2 39.5 62.8 52.4
(注) …はNo data石油はガスコンデンセートを含む。 重量ベース石油輸出の1994年以前のデータは(社)ロシア東欧貿易会ロシア東欧経済研究所『ロシアおよび中央アジア諸国のエネルギー対外政策の現状と展望』(2000)より引用。
低下期 安定化期 高度成長期
石油増産開始 生産・輸出の急増
出所: カザフスタン共和国統計庁『統計年鑑』(2001年版、2004年版)、同『カザフスタン共和国の外国貿易と合弁企業活動』(2001、2003)、同『カザフスタン共和国の社会・経済情勢』(2005.1、2006.1)、CIS統計委員会『CIS統計年鑑』(2001)、同『CIS簡易統計年鑑』(2005)
0
10
20
30
40
50
60
70
1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005年
(100万トン)
02,0004,0006,0008,00010,00012,00014,00016,00018,00020,000
(100万ドル)
油価高騰始まるCPC稼働開始
「カスピ海プログラム」「イノベーション戦略」
地下資源法・石油法改正
石油生産(100万トン)石油輸出(100万トン)石油輸出(100万ドル)
2000年以降、経済は前年比10%を超える高度成長を続けている(表4参照)。そしてこのことが、カザフスタンの経済政策におけるプライオリティーを変える原動力となった。経済政策上の最優先課題が、成長から経済構造の多角化へ移行したのである。 現在のカザフスタンの経済政策の根幹をなす文書は、2003年10月発表の「2003年〜2015年のカザフスタン共和国産業・イノベーション発展戦略(通称イノベーション・プログラム)」である。一方、同文書の発表以前、経済改革のフィロソフィーを示すものとされていたのが、1997年10月の大統領教書演説「カザフスタン2030年」であった。 「カザフスタン2030年」には七つの優先項目が示されており、うち5番目の「エネルギー資源の開発・輸出を通じた経済発展、国民の生活水準の向上」が、石油の増
産が本格化する以前のカザフスタンにおける最も重要な経済政策課題と見なされていた。その意味するところは、要すれば“石油を輸出して豊かになろう”ということである。しかし、石油輸出が本格化し、経済成長率が10%を超えるに及び、換言すれば上記の課題が達成されたことにより、この第5の優先項目は「高度技術導入による製造業の育成を通じた経済多角化による資源依存からの脱却」に修正された。そしてこれを具体的政策として表したのが、2003年のイノベーション・プログラムなのである。 経済優先課題の変化は、石油・ガス政策にも変化をもたらした。カザフスタンは経済の多角化を国家主導で行う方針である。そのために、国は確かな財源を持たねばならない。財源確保のために、何をなすべきか。ここに、石油・ガス分野に対する国家の管理を強化するという現
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行の方針が現れる。 その方策としてまず、それまでバラバラに解体されていた関連省庁を、ソ連時代の石油・ガス省を彷
ほう
彿ふつ
させる単一省に再統合し、エネルギー鉱物資源省を創設した。さらに、石油とガス、また開発と輸送で分けられていた石油・ガス関係の国営企業を統合し、単一の国営石油会社「カズムナイガス」とした。組織を一本化し、国の管理がいき届きやすいようにとの配慮である。 さらに2003年、「2015年までのカザフスタン・カスピ海セクター開発プログラム(以下、カスピ海プログラム)」が策定された。そのなかでは、今後のカスピ海開発においては、国の出資比率が50%を超えるべきこと、外資からカザフスタンは国益を守るべきであること等、国家管理強化の方針が明確に謳われている。そしてこの方針に沿って、一連の法制度の改革が進められた。地下資源法や石油法の改定、2005年7月の「海洋生産物分与契約法」の制定等がこれにあたる。 さらに、一般外資の受け入れに関しても、2003年1月に新しく「投資法」が採択された。それまでカザフスタンでは、「外国投資法」と「直接投資国家支援法」の二つの法律によって、特定のプロジェクトに外国投資優遇策を設定し得る形になっていた。しかし、新投資法では、内資も外資も直接投資をすべて平等に扱うことが明文化されている。外国投資、特に石油・ガス部門の外国投資については、一切の優遇策が撤廃される。このように、石油開発プロジェクトを国家の管理下に置くという方向性が順次明確化されてきているのが現状であり、この流れは今後も変わることはないであろう。 つまり、カザフスタンの経済基本方針は、国家主導で経済の多角化を行う、そのために石油収入を確保する、という2点が、当面維持されると見て間違いない。 一方、政治面では2000年7月の「初代大統領法」によってナザルバエフ大統領への権限集中が完成した。またこれと平行し、それまで頻繁に繰り返されてきた政府の機構改革が、2002年8月を最後に収束した。 2000年以降の政府機構改革には、二つの主要な方向性が見出せよう。まず、エネルギー鉱物資源省の創設が示す、エネルギー関係の部分の統合強化の方向性。もう一つは、経済政策の主体として、従来、大統領直轄機関が持っていた権限を、政府へ戻す方向性である。この結果、2002年8月の改革で、現在経済面で最も大きな権限を持つ経済予算計画省が成立した。経済政策を政府主導で実施する体制が整い、このころからカザフスタン政府のなかでは、経済関係のテクノクラートの力が強まってきたように思われる。
そうしたなかでの2007年1月の首相交代は、大きな政治的な方針変更を意味するものではなく、近年の経済政策重視の方向性に沿ったものと考えられる。 今回の人事で注目すべきはアフメトフ首相の退任、マシモフ新首相ならびにムシン新副首相の就任である。マシモフ新首相は、2006年10月まで経済・予算計画相と副首相を兼任しており、今回副首相となったムシン氏に経済・予算計画相を譲り渡し(つまり、ムシン氏は以前のマシモフ氏のように副首相兼経済・予算計画相となった)、首相に就任した。 アフメトフ前首相からマシモフ新首相への移行は、以下の三つの点において注目される。第1に、アフメトフ首相はカザフスタンでは異例の3年半の長きにわたり首相の地位にあったが、近年はその経済的手腕の不足が批判されていた。それに対し、マシモフ氏は経済学博士であり、現行の産業政策重視の方針を体現する人物だと言える。 第2に、アフメトフ前首相は大統領の娘のダリガ氏と、その夫アリエフ氏に近いとの説があるが、マシモフ新首相はもう1人の娘ディナーラ氏とその夫クリバエフ氏のラインに近いとされている。同首相はかつて国民貯蓄銀行(ズベルバンク)頭取であったが、現在ハルィクバンクと名称を変えたこの銀行の現在の筆頭株主が、クリバエフ=ディナーラ夫妻が所有するアルメックスという投資ファンドである。つまりズベルバンク元頭取と、現在の持ち主という形で明確なつながりが見受けられる。 クリバエフ氏は国営石油会社カズムナイガスの元副社長として、カザフスタンの石油・ガスセクターに隠然たる支配力をもつと見られている。要すれば、今回の首相交代は、石油・ガス部門の要人をバックとする経済テクノクラートの首相就任、ということになる。石油・ガス関係とのつながりがある首相にとっては当然、政権の安定感が増す。 第3に、マシモフ新首相は中国語に堪能であるという。現在のカザフスタンの外交的立場からして、中国と関係が深い首相の登場は非常に興味深い。2代前のトカエフ元首相も、実は中国スクールであり、同元首相は今回の人事異動に際し、上院議長に就任した。上院議長は大統領が健康問題等で一時的にその任を離れる際、代行を務める重要ポストである。 経済テクノクラートである首相誕生により、産業多角化へ向けた具体的取り組みの加速が期待されるが、その関連で今後注目すべきは、2006年に国家資産の効率的かつ透明な運用を目的に相次いで設立された国営持ち株会社「サムラク」、国営基金「カズィナ」等の新機構の活
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動である。前者にはカズムナイガス、カザフ鉄道等を含む大国営企業5社が参加、副社長に前出のクリバエフ氏が名を連ねている。主要産業を統括する国営機関の創設は、これまで述べてきた国家主導による産業構造改革の方向性に合致するものであるが、他方、巨大な利権とかかわる機構はともすれば腐敗の温床となる危険性を孕
はら
む。新首相の下で、実際の活動が注目されるところである。
(2) ウズベキスタン:欧米との対立と露・中への接近
ウズベキスタン政府公式発表によれば、同国経済は依然として安定した成長基調にあり、特に過去3年間のGDP成長率は7%を超える高水準にある。2006年の成長率は前年比7.3%増、鉱工業生産は独立来最大の10.8%増であった。IMF型の急進的市場化を否定し、独自の漸進改革路線を堅持してきたウズベキスタン経済は、もともとその安定性においては定評がある。90年代前半、他のCIS諸国が軒並み生産を半減させるなか、GDP低下を独立前の20%以内にとどめたことは、政権がしばしば経済政策の正しさの証左として引き合いに出すところである。しかし低下は最小限にとどめたとはいえ、自由化の遅れた経済体制は成長力に乏しく、近年はカザフスタンら資源国の急成長ぶりに大きく水をあけられていることは先に述べたとおりである。 経済運営の成功を声高に主張する政府見解をよそに、実は国民の間で不満が渦巻いていることを露呈したのが、2005年5月、フェルガナ盆地に位置するアンディジャン市で起こった反政府暴動(アンディジャン事件)であった。約30人の武装集団による州行政府占拠に端を発した事件は、やがて数千とも伝えられる群衆による大規模な政府抗議行動に発展した。一連の経緯は直前の3月にキルギスで起きた政権交代劇を想起させるものであったが、カリモフ政権は武力行使を伴う強硬策により比較的短期間で治安回復に成功する。しかし、欧米諸国は非民主的であるとしてその手法を強く非難、一連のCIS諸国における「民主化革命」への対応を背景に西側への不信を募らせていた同国との間に決定的亀裂を生じた。 ウズベキスタンは米国の9.11以降、国内に駐留を許可していた米軍の撤退を要求する一方、地域の安定を重視する立場から支持を表明したロシア・中国両国との政経両面における関係強化に乗り出した。経済面においては両国資本を国内の石油・ガス鉱床開発に召致するとともに、2006年1月にはユーラシア経済共同体に加盟、ロシアを中心とする地域経済圏を重視する方向性を明確にし
た。さらに6月には、旧ソ連集団安全保障条約への復帰を果たす一方、米国との合弁ザラフシャン・ニューモントを含む外資合弁に対する税的優遇策の撤廃、英オクサス・ゴールドの開発ライセンス取り消し(8月)等、あからさまな欧米資本の追い出しと取れる政策を連発している。 このように、やや外交的にバランスを欠く傾向にあるカリモフ政権が、親露中=反欧米路線となりがちであるのは懸念すべきことである。今後ロシア・中国からの石油開発投資の急増が見込まれること、また現在、ロシア・カザフスタンへの出稼ぎ者からの送金が経済を支える主軸の一つとなっていることに鑑みれば、ウズベキスタンと露・中との関係は当面、強まることはあっても弱まることは考え難い。一方、2007年末に予定される大統領選挙において、カリモフ氏が本来憲法では禁じられている3選を果たすことになれば、民主化を標榜する欧米との溝はさらに深くなる可能性があるだろう。政府の強権的手法のもと、当面の安定を確保したかに見える内政状況を含め、何かと目が離せないウズベキスタンの昨今である。
(3) トルクメニスタン:ポスト・ニヤゾフの行方
1)ニヤゾフ政権下のトルクメニスタン 2006年12月21日、トルクメニスタンで独裁的支配を続けてきたニヤゾフ大統領が、急性心不全のため急逝した。1985年末にトルクメン共産党第一書記に就任以降、21年間にわたって、文字通りトルクメニスタンに君臨した独裁者の突然の死であった。ニヤゾフ政権下のトルクメニスタンは、権威主義的傾向が強いと言われる中央アジア諸国のなかでも、とりわけ異彩を放っていた。 故ニヤゾフ大統領は、1990年10月に行われた大統領選挙でトルクメニスタンの初代大統領として選出され、また独立後の1992年に改めて実施された選挙で再選された
(いずれも得票率99.5%、対抗馬なし)。しかしその後は、1994年に国民投票で任期が2002年まで延長され、また1999年末には国民評議会(ハルク・マスラハティ)がニヤゾフを「終身大統領」に推挙するなどして、結局その死まで大統領選挙が行われることはなかった。 事実上、ニヤゾフ政権下では、野党は登録を認められず、議会(メジリス)の議席は、故ニヤゾフ大統領が党首だったトルクメニスタン民主党により独占されてきた。反対派の弾圧は苛
か
烈れつ
をきわめ、多くの反対派が国外亡命を余儀なくされるか、徹底的に摘発され、地下深くに潜行したごく少数者を除けば、トルクメニスタン国内
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の反対派はほぼ根絶されたと言われている。また、国中にニヤゾフ大統領の銅像が立ち並ぶなど、個人崇拝の傾向も顕著であった。 外交的には、「積極的中立政策」を掲げ、他の中央アジア諸国とは一線を画した独自外交を展開した。トルクメニスタンは、CIS安全保障条約や上海協力機構といった安全保障や軍事的性格が強い多国間機構は当然のこと、ユーラシア経済共同体のような中央アジアの経済統合を目的とした地域機構にも参加していない。2005年8月のCIS首脳会議では、ついにCISからの脱退も宣言した(現在は準加盟国扱い)。
米・露・中などの大国の影響下に入るリスクを避けるためか、ニヤゾフ政権はこのように、概してマルチの枠組みへの参加には消極的で、バイの関係に基づく外交を基軸としてきた。しかし、広く2国間関係を築こうという意欲も必ずしも強くはなく、どちらかと言えば、国際社会から孤立している印象が強かった。 こうしたニヤゾフ政権を支えてきたのが、埋蔵量世界第4位といわれる天然ガスの存在である(ただし、BP統計では2005年末時点で世界第12位)。歳入の8割以上が天然ガスの輸出収入によるとされており、トルクメニスタン経済は全面的に天然ガスに依存している。2005年のトルクメニスタンの天然ガス生産量は約600億m3、うち国内消費分(約100億m3)を除いた500億m3が輸出(ロシア、イラン)に向けられた。 トルクメニスタンはせいぜい人口670万人(2006年初、公称)の国であり、天然ガス輸出が安定している限り、同国の経済は安泰である。電気・ガス・水道・塩などの国民への無料供給といった人気取り政策も、安定した天然ガス輸出があってこそ可能となっている。
2)ベルディムハメドフ新政権の成立 ニヤゾフ大統領の死去によって、注目はその後継者に誰がなるかに集まった。憲法では、大統領が職務不能な状態に陥った場合、大統領選挙までの大統領代行には議会(メジリス)議長が就任する旨の規定があった。しかし、ニヤゾフ死去の同日、議会のアタエフ議長は当局により刑事事件で告発されたため、指名されず、代わってベルディムハメドフ副首相(保健・教育・文化・科学担
ありし日のニヤゾフ大統領写1
出所:(社)ロシアNIS貿易会
ルフナマ記念碑(アシガバード)写2
出所:(社)ロシアNIS貿易会
ニヤゾフ大統領の黄金像(アシガバード)写3
出所:(社)ロシアNIS貿易会
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当)が大統領代行に国家安全保障会議によって任命された。 だが、同副首相の代行就任は明らかに憲法違反であり、トルクメニスタンでは、ニヤゾフ大統領の死去を機に、事実上国家安全保障会議を中心とする「宮延革命」が起こったと考えるべきである。 さらに、やはり憲法では「大統領代行は大統領選挙に立候補することができない」という規定があったが、12月26日に開催された国民評議会(ハルク・マスラハティ)において、その規定を削除する憲法改正案が採択され、同評議会で、来るべき大統領選挙へのベルディムハメドフ大統領代行の出馬が承認された。これにより、ベルディムハメドフ氏が故ニヤゾフ大統領の後継者との見方が固まった。 2007年2月11日に実施された大統領選挙では、予想どおり、ベルディムハメドフ大統領代行が89%の得票率で当選した。同選挙は、トルクメニスタン史上初めて複数候補が出馬して行われた。とはいえ、ベルディムハメドフ氏以外の5人は、すべて無名で、官位や役職も低い候補者であり、しかも候補者はすべて上述の国民評議会によって出馬を承認されなければならなかった(つまり、当局によって認められなければ立候補できない)。したがって、今回の大統領選挙は、複数候補を出したという意味では1歩前進と評価できるが、実質的には複数の対抗馬を出して民主的選挙を装った「官製選挙」と言わざるを得ないだろう。 ベルディムハメドフ新大統領は、1957年生まれの49歳。1979年に医科大学を卒業後、1997年に保健・医療工業大臣として登用されるまで、政治・行政分野でのキャリアはほとんどない。もっぱら医者・学者として職歴を積んだ。1997年12月に保健・医療工業大臣に抜
ばっ
擢てき
され、2001年4月には副首相に昇格(保健・医療工業大臣兼任)した。ニヤゾフ大統領の側近の1人であり、度重なる粛清をかいくぐり、副首相の座を5年半にわたって守り通した。最近では、最古参の副首相として、故ニヤゾフ大統領に次ぐナンバー2の序列にあった模様である。
3)ベルディムハメドフ政権の新路線 2月14日、大統領就任式における演説でベルディムハメドフ新大統領は、故ニヤゾフ前大統領の内外政策を継承するとともに、選挙戦で掲げた自らの公約を遂行することを宣言した。新大統領の掲げた公約としては、大きく分けて①生活必需品の無料化・物価統制、②社会保障の強化、③教育改革――を挙げることができる。 第1の公約に関しては、ベルディムハメドフ大統領は、
国民に対するガス、電力、水道、塩の無料供給、同様にガソリン、ディーゼル燃料、パン、公共運賃、住居費等の必需物資・サービスの低価格維持を継続することを確約している。トルクメニスタンにおいては、政治や言論の自由は極めて制限されているが、その代わりに、いま述べたように必需品を無料あるいは低価格で供給し、国家が国民の生活をある程度保障することによって、国民の不満を吸収している。発足間もないベルディムハメドフ新政権にとっては、人心掌握のために、この政策は不可欠なものである。 第2の社会保障については、年金問題を挙げることができる。年金制度に関しては、2006年初にニヤゾフ大統領が支給停止を含む大幅な年金減額策を打ち出し、社会に大きな衝撃を与えたが、新政権ではこれを修正する動きが出ている。具体的には、2007年3月18日に議会で新社会保障法が採択され、同年7月から、ニヤゾフ時代の既述の措置により停止されていた農業従事者に対する年金支給が再開されるほか、一般の年金生活者等の最低受給額が引き上げられることが決まった。 第3に、ベルディムハメドフ大統領は、就任後、①ニヤゾフ政権下で短縮された中等教育期間の延長、②やはり同政権下で削られた数学、科学、体育の履修時間の拡大、③大学入学までの2年間における労働義務(軍務を含む)の廃止――などの措置を次々に打ち出しており、今後も外国の大学への留学生派遣の増強などに取り組む姿勢を見せている。 このように、ベルディムハメドフ政権下では、ドラスティックとは言えないまでも、部分的なニヤゾフ路線の修正が始まっている。 また、より注目されるところとしては、ニヤゾフ政権下で逮捕された一部の政治犯に対する恩赦・減刑の動きが見られることである。例えば、未確認ではあるが、2005〜2006年にかけて収賄の罪で逮捕され、20年の禁固刑の判決を受けたグルバンムラドフ元副首相とアイドグディエフ元副首相が、刑務所から自宅軟禁へと減刑になったとの情報もある。これを“雪解け”の始まりと見るか否かは、今後の動静を見守っていく必要があるが、トルクメニスタンの新政権下で、緩やかな変化の兆しが見られるのは確かである。
4)新政権の対外政策 2月14日の就任演説でベルディムハメドフ新大統領は、対外政策について、故ニヤゾフ大統領の掲げた「中立政策」を堅持するとともに、天然ガスの輸出を含む国際的約束(契約)を厳格に履行すると断言した。
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執筆者紹介
輪島 実樹(わじま みき)生まれ:1966年 北海道学 歴: 1989年早稲田大学第一文学部史学科考古学専修卒。1992年3月まで米ワシントン大学大学院国際関係学部ソ連研究科留学。
2006年3月、岡山大学大学院文化科学研究科にて博士号取得(経済学)。職 歴: 1992年4月より(社)ソ連東欧貿易会ソ連東欧経済研究所(現〈社〉ロシアNIS貿易会ロシアNIS経済研究所)研究員、2003
年6月同調査役。一貫して中央アジア・コーカサス地域にかかわる経済調査・協力案件を担当。
中居 孝文(なかい たかふみ)生まれ:1965年 北海道学 歴:1992年3月新潟大学人文学部人文科学研究科修了職 歴: 1992年4月よりソ連東欧貿易会ソ連東欧経済研究所(現・ロシアNIS貿易会ロシアNIS経済研究所)研究員。2002年4月〜
2005年9月外務省中央アジア・コーカサス室に出向。2005年10月に復職後、ロシアNIS貿易会ロシアNIS経済研究所調査役として現在に至る。
特に重要なのは、ロシアGazpromとの天然ガスの取引であり、トルクメニスタンは2003年にGazpromとの間で20年間の長期契約を結び、トルクメニスタンの輸出天然ガスの約9割がGazprom経由でロシア、ウクライナその他へ供給されている。 2月15日、就任式出席のため、トルクメニスタンを訪問したロシアのフラトコフ首相とベルディムハメドフ大統領が会談した際には、Gazpromのミレル社長も同席した。Gazpromによれば、その際にトルクメニスタン
側は、契約遵じゅん
守しゅ
を確約したという。 2007年3月24日、トルクメニスタン閣議において、タグィエフ副首相(石油ガス部門担当)は、2007年には天然ガスの生産量を800億m3(前年比20%増)、うち輸出量を580億m3(同25%増)に増強する計画であると報告した。実現可能かどうかは別として、2009年からは中国への供給(300億m3/年)も予定されている。そのためには、相当な規模の投資が必要と考えられ、トルクメニスタン側がそれに応え得るか、今後注視していく必要がある。
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