感情と思考(知能)の発達(1)...3 憾情と思考(知能)の発達(1)...

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感情と思考(知能)の発達(1) 一ヒトと動物と機械のシミュレ」ション的考察一 AStudy幽6f the Developmentar Proce Feelings’and Thinking(1) -Simulations of Humans, Animals, and Machi Hiromu KISHIMOTO

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   感情と思考(知能)の発達(1)

一ヒトと動物と機械のシミュレ」ション的考察一

岸 本 弘

AStudy幽6f the Developmentar Processes of

     Feelings’and Thinking(1)

-Simulations of Humans, Animals, and Machines

Hiromu KISHIMOTO

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         情        …

         感       …

コ  よ 

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りむ 

  

じリ  ロ    

りム 

リむ 

  

にり 

  

 

I  H      皿        注

目 次

心のはたらきと脳のはたらき………・………・・………、……・…・………………

 人間の特徴は学習すること・…一…………・………∵・・……;・…’i・…………・

 心のはたらきと脳のはたらき・……・…………・………………一・……………

思考(知能)の発達…………・…………・……………・……………………………

はじめに………………・………・…・……・………・…・……・・……・……………

ピアジェの保存性の研究・…・……………・…・・……………・・………・………・

ヴォヤットの実験……………・・…・……………・・…・……………………………

ブルーナーの実験………………・…・…………・…・一…………・…・・…………

ミンスキーの説明:パパートの原理、……………・…・・……………・・…・…

       N

赤ちゃんの感情表現・………………・…・……・………・・……………一・……・…

ミツバチとシロアリの分業生活…・…・…………・……………………………

人と昆虫と動物…・・……………・…………・……・・…・…・…………・……………

日常生活(その1)………………・…・…・…………・…・・……………・・……・

日常生活(その2)………………・……・…………・・…………・……………・

喜び(にあきる)と痛み(になれる)の機能……・…・………・…………

欲求の感情的処理と論理的処理(次の研究課題)………………・…・・……

英文要旨………・………・……・・…………・……・…………・・………・……………………

      1111122223344

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  憾情と思考(知能)の発達(1)

一ヒトと動物と機械のシミュジーション的考察「一

岸 本 弘

1.心のはたらきと脳のはたらき

 1. 人間の特徴は学習すること

 人間の最も大きな特徴の一つは,まちがいなく学習する動物だということである。これと最も対

照的な動物の代表は,昆虫といわれている。昆虫の行動は,生後ほとんど変わらず,ほとんど完成

された形で生まれてくる。人間の赤ちゃんの行動はそれからみるとひどく未熟で無力にみえる。し

かしわれわれの赤ちゃんもかなり複雑な生まれつきの反射機能や,活動準備の整った神経細胞を持

って生まれてくる。産ぶ声を発し,乳首を探し,乳を吸って飲み下し,体内で一連の複雑な消化作

用を始めるのは,すべてこの生まれつきの反射活動のなせるわざである。そして彼らは生後一か月

もたたないうちに自分の興味をひくことに注意を向け,その他のこと,たとえぽ前述の乳を飲みた

いとか,おむつが濡れて不快だとかいう気持ちさえ無視するのに気がつく。彼らが既に注意を集中

し,好奇心や興味の欲求がしばしコントロールを握り,数はまだ少ないが無意識に働く自動的な行

動の中から必要な行動を選択して作動させ始め,周囲の世界の探求を開始していることに気がつき

驚嘆させられる。こうしてはじめほ意識的な注意め集中の中で身につけられた技能はすぐに自動的

なものとなり,フロイトがいったように意識によって注意するよう指図されるよりも上手に行われ

るようにさえなる。こうし七人間め脳はペンフィールドがいったように新たに獲得された自動的仕

組みが次から次に埋めこまれた一種のコンピュータ装置のようになる。このような半ぽ自動装置化

する仕組みには,髄ことばをしゃぺり始める前に身につけられるバラソスをとったり,見たり,思い

出したりすることも入る。そして後ではそのことぽをしゃべることもむろん,読んだり,細かい手

先きの仕事をしたりすることも加ってくる。そしてむろんこれは後述することになるがフロイトが

強調したように欲求や感情のコントロールの仕方も,早い時期に学習し始め,誰でもほとんどおと

ななみの感情表現が無意識のうちになされるようになる。

 このようにわれわれの子どもは,最終的にはこれらの複雑な行動をみな同じように身につけでし

まう。しかしもちろん子ども一人ひとりは,これらの行動を学習する過程では,それぞれ別々に独

自の経験を積んでいる。それにもかかわらず,子どもたちの行動は最終的にはこのようにみな似た

ような結果になる。最終結果が同じものになるなら,どうして昆虫のように遺伝的に決定せず)J長

々とした果でしない学習の過程を経させるような脳を進化させてきたのだろうか?

1

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 最近の分子生物学の発達はめざましく,脳の研究もずいぶんミクロになってきている。その結

果,遺伝子の分子の中に,次の人間を作るための情報が全部書き込んであることが解ってきてい                        炉る。人間の脳の作り方ももちろん遺伝子に書きこまれているが,昆虫とはちがってその通りに作れ

ぽ脳が完全にできあがるというわけではない。「人間の遺伝子には情報量にして約10の10乗個の情

報が書きこんであるが,神経細胞は10の11乗個ぐらいはあって,1個いっこの神経が他の神経とつ

ながっているのを全部書きだすと,遺伝子が全然たりなくなってしまう(1)。」つまり遺伝子には,

このへんの神経細胞はあのへんまで行ってつながりなさいといった程度までの大まかな設計図が書

きこんであるだけである。特定の神経細胞がどの神経細胞とつながるかなどを指定するような,詳

しい精度では書きこまれていないのである。いいかげんにつながっていて,その後外部と内部から

の教育によって自分で学習しながら自分の構造をどんどん修正して,よりよい脳に作りあげていく

ようになっていることが解った。生まれたぼかりの赤ん坊の脳は,ことぽをしゃべることはむろん

手を伸ばして物をとるよう命ずることもできなければ,体を動かして向きを変えるよう命ずること

もできない。それが泣いて暴れて助けてもらったりしながら目的を果たし喜んだり笑ったりしてい

るうちに,この細胞はこうつないだ方が好いことが解り,つなぎを修正したりして脳はどんどん生

まれた直後から構造が変えられていく。手足を運動させると,この筋肉はこういうふうに動くとい

うことが脳に解り,それをもっとうまくやるにはこうつないだ方がいい,このつながりは余分だか

ら要らないというふうにして自分の構造をどんどん作りかえていく。この能力が実は人間は非常に

発達しているのである。この点が昆虫と対照的な点なのである。人間の脳の遺伝子の中にはそうい

う学習の仕組み,外部と内部の刺激によって自分で自分の構造を作りかえていく,いわゆる学習の

仕組みまでが書かれている。

 昆虫の行動は生まれた時既に完壁で,おとなの形で生まれてくる。ところが人間の赤ちゃんはこ

れにくらべれば遙かに無力で,長い長い学習期間を経てやっとおとなの段階まで達するが,結果的

にはその行動は前述のようにみなそれ程違わないおとなの行動になる。結果が同じになるのに,わ

れわれはなぜ昆虫のように完成されたおとなの行動を身につけて(遺伝的に)生まれてこない方を

選んだのだろうか?

 その一つの理由は,昆虫とは違って人間のように好奇心を働かして注意を集中し,いろいろ新し

いことを考え出し,ことぽをしゃべり,高度な文化を創造していくような複雑な行動をさせるよう

に脳を働かせるには,はじめからすべてを遺伝子に書きこんでおくよりは,必要なものだけを最少

限(?)に書きこんでおいて後は必要に応じて学習させるような仕組みにした方が効率がよかった

からと考えられる。人間のおとながやっているような行動をすべて可能にするのに必要な情報を,

昆虫のように遺伝によってあらかじめ結合させておこうとすれぽ,余りに膨大な量の遺伝情報を脳

に蓄積させておく必要がある。むろん設計の仕方に制約を少なくすればそれだけ不規則な結果が生

じやすくなるが,そうした不規則な結果でもすぐに解読できるように学習機械自体の構造を決める

には,ずっと少ない情報で済んでしまうことが解った(2)。つまり簡単にいえば,自分で自分の構造

を作りかえていくように学習する仕組みにしておいた方が,あまりに複雑すぎる構造に脳をせず

一 2一

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感情と思考(知能)の発達(1) 5

に,しかもずっと可能性を広げることができたからである。

 2. 心のはたらきと脳のはたらき                   x

 この脳の神経系の学習機構については,二つの説がある。一つは学習によって新たに神経線維が

つながるという説と,もう一つはもともとつながっている神経回路の中から最適のものが選ぼれて

いくという説である。むろん前者が有力であるが,アメリカのガザニカ,M. S.らが,日本の利根

川博士が解明した免疫システムをもとにして一つの仮説として発表してから注目されている(3)。

 高等動物のみが持つ免疫反応というのは,病原菌である分子が外から侵入してくると,その都度

遺伝子によってちょうどそれとカギとカギ穴のようにぴったりとあった抗体分子が作られて反応す

る。しかし病原菌の種類は極め℃多種多様であるぼかりではなく,次から次に新しい病原菌が発生

し,場合によっては人間は生涯に1億個もの病原菌の侵入に直面する。ところが人間でもマウスで

も同じだが,われわれの細胞は数万の遺伝子しか作れない。どうして数万個の遺伝子が億単位の抗

体を作って反応することができるのか,その謎がマウスの遺伝子を解析することによって解かれた

のである。

 われわれの身体は,親から抗体遺伝子を完成された形で受け継ぐのではなく,せいぜい1,000個

ぐらいのエレメント(素子)のような部品を受け継ぐ。この僅かな部品が抗体を作るリンパ球が成

熟する過程で,病原菌に合うようにいろいろに組み合わされ並べかえられ寄せ集められ,多種多様

な,場合によっては1億個ぐらいの抗体遺伝子を個々の個体の一生の間に作りあげる。しかしこの

抗体遺伝子は一代かぎりで,子どもに伝わるのは,僅かなエレメントのような部品で,彼らは始め

からやり直さなければならない。だから逆にいえぽ無限に新しい病原菌の発生に対応できる。

 この研究の持つ意味は,従来は生殖細胞,筋肉細胞, リソパ球でも,遺伝子(DNA)の配列は

全く同じ,不変,不動であると信じられていた。ところが免疫系では全く逆に個体発生の過程で遺

伝子がいろいろな組み合わせで並びかえられよせ集められて再構成されて,新しい遺伝子が作られ

るということを発見した点にある。つまり子どもは生殖細胞の中め抗体遺伝子を,並び方の決って

いない部品がばらばらの状態のままで受けつぐのだから,逆にいえぽ一代ごとに子どもはリンパ球

を作る過程で抗体遺伝子を無限に作り直していくことができることになる。

 このように免疫システムは,体内にもともと有数の抗体しかないが,抗原が入ってくると,それ

に合う抗体が選ぼれて,無数に作られるようになっている。脳における学習も似たプロセスではな

いかというのである。学習に費やされる時間は,従来考えられていたように神経回路の配線を変え

るのに必要なめではなく,無数の回路の中から最適のものを選ぶのに必要なのではないかといって

いるわけである。いずれにしてもミクロの世界の解明への努力は,急進展してきている。

 それぞれの脳の設計図が,このように柔軟な仕組みになっていることは,更に遺伝子の働き方の

面でも貫かれているのがみられる。体や脳の細胞は,どれもその人のすべての遣伝子と同じコピー

を含んでいるが,遺伝子全部が一度に同時に働きだすわけではない。早く働きだすものと,遅くな

ってから働きだすものがある。しかし早い遅いの違いはあるが,むろんその働きだす順序は決って

一 3一

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いる。そして一“maに早めに働きだす遺伝子は私たちの体や脳の基礎的で全体的な構造に最も影響を

与え,後で起こることに大きな効果を及ぼす。一方たとえぽ脳の中にあるいろいろな機能間の結合

の大きさに影響を与える遺伝子等は,後で働き出すようになっている。

 脳の研究は以上のようにずいぶんミクロになってきたが,その脳の働きもマクロにみればわれわ

れの心の働きである。逆にいえぽわれわれの感じたり,思い出したり考えたりする心の働きも,つ

きつめていくと脳の興奮である。ここでちょっと脳のミクロな細胞段階の構造と,われわれの心の

働きがどのように密接につながっているか,前述の利根川博士と同じマウスを使った最近の研究の

一つについてふれておくのがよいかもしれないω。最近限りなくふえている老人性痴保(アルツハ

イマー病)に特有の記憶力の低下がベータアミロイドと呼ぽれるある種の蛋白質の蓄積と関係して

いることが,マウスの研究で解ってきた。作業を学習させた後,24時間以内にマウスの脳にベータ

アミロイドの断片(ペプタイド)を注入し,1週間後にテストしたところベータアミロイドが増加

し,学習結果を忘れてしまった。このことは別の分子生物学者らの研究でも,このペプタイドが脳

細胞の活動を低下させることが解っており,このベータアミロイドの脳細胞への蓄積がアルツハイ

マー病の第1原因ではないかともいわれている。記憶の問題についてはまた後でふれるが,実際た

とえぽ遣伝子の小さな集まりでさえ,自分たちが細胞の中で作り出す蛋白質の量をこのように調節

する方法を持っている。同じことが細胞組織や器官,あるいはもっと大きなシステムといった生体

系のあらゆるレベルで繰り返えしなりたっている。そしていろいろなレベルのこのような生体機能

の調節を行なうさまざまな種類のコントロールメカニズムがあり,そのどれが壊れてもこのように

病気になるのである。このことについては,欲求や感情のコントロールの問題について考える次の

章で直ぐに関係してくる。

 このように脳の仕組みと,それが生み出す心の働きがストレートにつながれぽよいのだがまだそ

こまではいっていない。その関係をつながらせようとしていろいろな学問が集中して研究を始めて

いるのが,20世紀後半の一つの特徴といえる。たとえぽ脳の仕組みを分子レベルで研究した結果を

物質で組みたててみる。そしてそれを作動させてみてマクロな心の働きをするかなどがいろいろ試

されている。こうしていずれは両方がつながり,人間の心と同じように働くコソピュータ装置やい

わゆるPポットが作られるだろうと期待されている。むろん心理学の方からもVクロな心の働き

と,このような脳のミクロな働きの仕組みをつなげていくことのできるような実効性のある理論が

次第に積みあげられてきている。中でもピアジェ(Piaget, J.)の子どもの思考の発達過程につい

ての理論や,フロイト(Freud, S.)の欲求や感情についての理論は,この面で特に注目されるべ

きものと考えられるようになってきている。この両老の実効性のある理論を中心にして,特に子ど

もの思考と感情の発達過程について脳の働きとも関連させながら吟味してみよう。

4

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感情と思考(知能)の発達(1) 7

II.思考(知能)の発達

 1.はじめに まず思考の発達についてであるが,むろんおとなのようないわゆる抽象的な思考ができるまでに

は既に述べたように子どもは長い長い学習経験を必要とする。人間は前述のように長年の学習によ

って神経細胞の結びつきの強さが自動的に変わり決っていくが,人間に近い動物でも,むろんかな

りの程度の学習をする。それどころかパブロフ(Pavlov,1. P.)やソーンダイク(Thorndike, E.

L.)が犬や猫やネズミやハトを使って種々の学習理論を作り出してから,1時期の心理学はその発

展としての派手な動物主体の学習理論をめぐって専ら展開されていたといってよい。そしてケーラ

ー(K6hler, W.)などが,人間に近いチンパンジーは,上記の下等な動物などとは違って,闇題

解決場面で正解を見通し,その解決のために道具さえ作ることを学習できるといってからはその両

者の主張をめぐって派手な論争が展開されていた。ともあれそのような動物実験を中心とする研究

の過程で,たとえぽサルが○や×などの記号を上手に見分けることができることが解ってきた。そ

れによるとはじめは○や×等の幾何学的図形に彼らはむろん反応を示さない。しかしそれは彼らの

生活にとってその区別が重要ではないからだということが解ってきた。その証拠は重要であること

を教えてやれば,つまり○に反応すれば餌が与えられ,×に反応すれば電気ショックに見舞われる

ことによって訓練すれぽ,サルはまもなく○と×を見分けることができるようになるからである。

その時にはサルの脳の中に○と×に対応する変化が起こっているはずである。われわれの先祖の原

始人の場合も恐らくは○や×はサル同様余り重要ではなかったはずである。だから彼らもそのよう

な幾何学的図形に反応を示さなかったであろう。われわれ現代人が○と×という概念を知っている

のは,サルと同じように遺伝的に○を見ると興奮する細胞がはじめから作られているとは思われな

い。つまり○の概念を知6ているのは,以上のような学習によるものである。その場合脳の中には

何らかの情報表現があるはずで,いろいろな概念を学習で獲得すると,概念は脳の中に記憶として

しまわれ,考える時には見たものに対応する脳の興奮状態を元にして使う。この時人間やサルの脳

の情報表現はどうなっているのだろうか? これにについても,まだ現在のところ二つの説があ

る(5)。

 一つの説は,生理学者がサルの脳に針を刺しこんで実験し,サルや人の顔をみると彼らの脳のあ

る領域に興奮する細胞が多数あることが解って有名になった,そのことに基づいている。もっとも

サルにとってはわれわれとは違って人間の顔もサルの顔も同じに見えているのかもしれないが,と

にかくわれわれが○や×を見ることができるのは,脳の中に○を見た時には必ず興奮する神経細胞

があるからというもので,同じように×や△を見ると必ず興奮する×細胞,△細胞もあり,犬を見

たら興奮すると犬細胞もあるという考え方である。

 もう一つの説は○や×が見えるのは,学習によって脳の中に○や×に対応する興奮パターンがで

きるからという考え方である。たとえぽ○で学習すると○の一部分でも,かすれた○でも(つまり

5

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あいまいで似たファー一ジな刺激でも)○のパターンが興奮する。そして脳のある部分で○パター

ソ,別のところに×パターン,ムパターンどいうよ,うに別の領域で分化されるのではなく,△,×

パターンも同じような形を認識する共通の場所で違ったパターンで興奮し,いろいろなパターンを

作る。つまり顔に対する興奮状態では,Aというボスザル, Bという子ザルなどに個別に対応する

細胞があるのではなく,顔一般に対応する興奮パターソがあるという考え方である。

 現在のところどちらの説にも根拠があり,脳は個別の概念に興奮する細胞を学習によって作る能

力もあれば,それを組み合わせてパターン化する能力もある。つまり初めに物を見て要素に分析す

る時には,前者のような仕組みを作っておき,逆にそれを総合した概念を作る時には組み合わせて

パターン化する。脳はこの両方のメカニズムを使って情報処理をしている。つまり素速い情報処理

の経路を作るためには一つの概念に対して対応する細胞群を作り,それを元にして組み合わせた思

考をする時には,パターソ化しておいて相互作用をさせる。

 人間の脳はこのような知覚によるパターソ型の情報処理から出発し,生物進化の中でこのような

知覚的処理にのみ頼っていたのでは知的な処理ができないことが解って,パターン化を主体としな

がら論理的な推理推論のできる仕組みを脳の中に作りあげ,最後にはそれを言語で表現できる仕組

みにまで発達させた(6)。それが前頭葉で,パターンで並列に処理しながらも,最後は意識にのぼら

せて直列に処理できる仕組みになっている。人間は脳のその部分だけを最初に発展させてコンピュ

ータを作った。脳の進化の最終版だけを逆に先に作りあげたということになる。発達的にみても,、

われわれはことぽを覚えて直列に処理する能力を身につける前に,このような○や×や人間の顔を

認識する能力を身につけてしまう。人間は顔を他の対象と区別する能力にたいへん秀れているカ㍉

それに近い視覚的能力を持つ機械はおろか,人間の能力に近いレベルでイヌとネコを区別できるよ

うな機械もまだ作られてはいない(7)。それなのにわれわれは既にかなり高度なおとなの思考で推理

推論し,それをことばで表現する機械の方はどんどん作り始めている。しかしそのことぽを習い始

める前に既に子どもが身につけてしまう,このような概念の認識の方の仕組みの方も次第にこのよ

うに解明されてきているQ    へ

’2. ピアジェの保存性の研究

 子どもがそのように早い時期に身につけてしまう視覚的能力から出発して,それを論理的に処理

する知的な能力を発達させていく過程を科学的にとらえようとしたピアジェの研究は,この点から

みても出色である。中でも保存性についての研究はすっかり有名になった。

 保存性とは,対象の形はいろいろな方法で変えられても,対象に何も加えず,対象から何も取り

去らなければ,その数分量,重さ,体積などは変わらず一定であるという,物の性質のことであ

る。ピアジェがとのことを見つけ出してから,多くの国で,またいろいろな方法で盛んに追試が繰

り返えされたが結果はいつも同じで,心理学ではすっ’かり定着し,確立された。第1図と第1表は,、

ピアジェが種々の保存性の実験例とその概念が子どもたちに身につけられていく年齢を示したもの

で,個々の子どもによって身につける年齢は多少違うが,普通の子どもなら誰でもほぼ同じ年頃で

一6一

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数の保存

感情と思考(知能)の発達(1)

おはじきは多くなったか,

少なくなったか,同じか?     ・ ’N

9

物質量の保存 ②→ tt・t・z,L 粘土玉を右のようにのばす

と,量は多くなったか,

少なくなったか,同じか?

重さの保存 乳 今 A,Bの重さは同じ, Bを

B’のように形を変えると,

どちらの重さが重いか?

またはどちらも同じか?

                       形の変わった粘土片は,ビ 体積の保存                       一カーの水をどの高さまで                       ひきあげるか?     最初の     水の高さ

      第1図 保存性を獲得しているか否かを見る実験例

(J.ピアジェ他,坂元 昂・滝沢武久他訳r現代心理学W』「知的操作とその発

達」白水社)

第1表物質量,重さ,体積の保存についての結果

X~.一_一篭~・一Q」・歳・歳・歳・歳・歳・・歳・・歳

物質量:保存性なし

    どちらともいえない

    保存性あり

重 さ:保存性なし

’    どちらともいえない

    保存性あり

  体 積:保存性なし   「

      どちらともいえない

{     保存性あり’

84   68   64

0   16   4

16   16   32

24   12

4   4

72   84

100   84   76

 0   4   ‘0

 0   12   24

40   16   16   0

8   12   8   4

52     72     76     96

100  100   88

 0   0   0

 0   0  12

44    56    24    16

28   12   20   4

28     32     56     80

数値は,被験者全体に対する割合(%)

(J.ピアジェ他,坂元昂・滝沢武久他訳r現代心理学田』「知的操作とその発達」白水

社)

身につけてしまう。しかし数の保存性を身につけることから始まるが,重さや体積の保存性まで完

全に身にっけるには第1表のようにかなりの期間を要する。ピアジェの実験を中心にみてみよう。

 第2図のように同数の卵と卵立てを対応するように並べて,5歳から11歳までの子どもたちに

「卵と卵立てどどちらが多いか?」と聞くと,一たいていの子どもはむろん「同.じ」・と答える。次に

その子どもたちの目の前で第2図の下図のように卵の方のみ間隔を広げて,同じよう.に尋ねると,

小さい子ど勇と大きい子どもでは答えが違ってくるのである。この差は大きい子どもの方が数の数

え方を既によ.く知っているから差ができたのだというかも知れない・多少そういう点も関係はして

一 7

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10

gs2ggv

たいていの子どもたちは,小さ

い子でも大きい子でも「同じ」

と答える。

○ O Q O O

   w7W

   5歳児の典型的な答:「卵が多

   いo」   7歳児の典型的な答:「同じだ

   よ,だって同じ卵だもの。」

       第2図(ミンスキー,M.,安西祐一郎訳「心の社

会」産業図書)

5歳児の典型的な答:「細いび んの方が多いq」

7歳児の典型的な答:「同じだ

 よ,だって同じ水だものdl

    第3図(ミンスキー,M.,安西祐一

郎訳「心の社会」産業図書)

いるかもしれないが,この説明では,次のもう一つの有名な実験の方の説明をすることはできない。

 第3図のように三つのびんのうち短く(低く)て広口の二つの同じびんだけに同量の水を入れ

て,同じように子どもにみせて尋ねると,どの子どもも同量の水が入っていると答える。そこで同

じように子どもの見ている前で,一つのびんの水だけ全部隣りの長く(高く)て細口のびんに注

ぎ,どちらのびんに水がたくさん入っているかと尋ねると,年齢によってまた答えが変ってくるの

である。小さい子どもたちは同時に多くの次元を考慮に入れて比較することができず,ただ一つの

目立つ次元,外側に広がつた卵や,高さのある水柱が占める広がりに影響されすぎるからだという

かもしれない。確かにそういう面があると思うが,その答えはおとなでももし水が目の前で注がれ

るのを見せられずに両方を見せられたら,多くのおとなもやはり背の高い方のびんに水がたくさん

入っていると思いがちである。ただおとなに近くなるにつれて,何度もそれまでの日常生活でだま

されているので,そう思っても却って修正しようとする機能が働くようになっている。

 ブルーナー(Bruner, J. S.)のこの実験の追試によると(8),アフリカのセネガルの田舎(ブッシ

ュ)に住むウォーロフ族の不就学児は,我流のやり方で等価性(ちがう器に入ったものが同じであ

る)の概念をつくるが,それに満足し,mOre(もっと多い)とか, less(もっと少ない)というよ

うなある次元だけではなく,普遍的な量に適用しうるような比較の観念は用いようとはしないとい

う。つまりティーソエージャーになっても,「背が高くて細い筒の方がたくさん水が飲める」とい

ったりするが,自分の生活内では液の量を極めて適切に扱うことができるど結論している。つまり

一一W

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感情と思考(知能)の発達(1) 11

00

@  80   60   40

1  保存反応を示す子どもの比率

20

。。シ。の就学児e/

bli

      /   ノ     /° /

    /  !   /   /

  ゜/“zLダカールの就学児

 0  年齢→6-7  8-9    11-13

  学年→I   m     w 第4図文化的背景と年齢の異なる子ど   もたちが連続量の保存を示す比率

(ブルーナー,岡木夏木他訳「認識能力の成

長」明治図書)

実際の行動と口に出していうこととの間に混乱があ

り,仲々一致しないという。

 第4図は田舎に住む就学児と不就学児及び都会ダ

カールに住む就学児,いずれもウォーロフ族の子ど

もが示す,上記の液体の保存実験で示された興味深

い年齢別の比較である。はじめは田舎の子の方が早

いこと,そして教育により差が出てくることが示さ

れていて興味深い。このような実験結果は,世界中

が義務教育体制を作りあげていくにつれて,二度と

は得られなくなる貴重な資料といえよう。

         曇A   Bぞジ

第5図 時間を扱った実験(Lovell)

(波多野完治編「ピアジェの発達心

理学」国土社)

 もう一つ,ピアジェのよく知られた実験を紹介し

よう。第5図のように,子どもたちに管についてい

るとめ金を操作すれぽ,その下で分かれている二つ

の管に同時に水を流したり,取めたりすることので

きる装置をみせる。そして二つの管から流される水を受け

るびんを,前記の実験のように同じびんである場合と,低

くて広口と,高くて細口のびんにしてみた。受けるびんの

形が同じ場合には,二つの管から同量の水が同時間流れる

から水位は変わらないが,形が違えぽ上記の例のように水

位が違ってしまう。ピアジェはこの装置を使って子どもた

ちの目前で全く同じ形の二つのびんに水を注ぎ,とめ金で

とめ,すべての子どもの水が注がれている時間は全く同じ

との答えを確認した後に,一方を高くて細口,一方を低く

て広口のびんにして,同じように水を注いでとめ金でとめ

てみた。そうすると5,6歳の子どもは,水の流れが同時

に止ったとはどうしても信じない。つまり高くて細口のび

んの方に長い時間水が流れていたと主張する。しかしそれ

よりも少し年長の中間段階の子どもになると,同時に流れ

始めて止まったのも同時であることは認めるのだが,流れ

ていた時間はやはり違うと思っている。そこで用意した一

方のびんと同じ形のびんに水を移して量が同じであること

を知らせると,1時的には時間が等しいことは認めるが,直ぐにまた元通りの答えに戻ってしま

う。この段階の後半になって始めて年齢はまちまちだが子どもたちは,流れ始めと終りが同じだか

ら,流れていた時間も等しいのだということを確認できるようになる。このように時間の概念(同

一 9

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12

じと長いと短い時間の比較)も,始めは長い(高い)と短い(低い)というびんの形,つまり知覚

に左右されていることがよく解る。 ’       ,

                                  、 3・ヴォヤットの実験           ,    1

 ここでこのような小さな子どもと年長の子どものできるとできない思考のちがいを説明してきた

従来の考え方について,ちょっと考えてみよう。われわれは幼い子どもたちは,何が変化したかと

いう結果に関心を持つが,年長の子どもは変化せず同じままだと思うものに,より注意を払うよう

になる。つまり年長の子どもは注いだ水を元のままの状態に返えしてみるという,いわゆる可逆性

の原理にしたがって推理できるようになる。したがって何も加えたり,取り除いたり,なくしたり

こぼしたりしなければ,水の量は変化しないということを知っているが,幼い子どもたちは,この

ような量の概念を理解するのに必要な推論方法を適用することを,まだ学んでいない等々と説明さ

れてきた。確かにこのように年長の子どもたちが幼い子どもたちにはできない複雑な推理ができる

ようになることはまちがいないが,それは結果,つまり前述の数の数え方を知っているとか,多く

の次元を考慮に入れることができるとかいうような説明のように,おとなができるようになってい

る考え方からの推論である。したがってそれにはどのような過程を通って達するのかについては何

も答えていない。この点についてもう少し詳しくみてみよう。

 マーヴィン・ミソスキー(Minski, M.)が年下の友人のギルバート・ヴォヤット(Voyat, G.)

が彼の家に訪ねてきて,彼の子どもにこの実験の追試をした時の興味あるエピソードについて述べ

ている(9)。

 ヴォヤットはまずミソスキーの双子の兄妹の妹のジュリーの一般的な発達段階を掴もうとして,

手始めに上記のピアジェの広さと高さの違う水の入ったびんの実験から始めた。彼は例の如く「水

が多く入っているのは,こっちのびんかな,それともあっちのびんかな」と型通りに尋ねてみた。

それに対するジュリーの答えは,意外にも次のようなものだった。

 「あっちの方が多いみたいね。でもA・ンリ’r「お兄ちゃんに聞いた方がいいわ。お兄ちゃんはも

う,びんが違ったって水の量は同じだらてことを知っているもの」

 この答を聞いて青くなって驚いて,この実験を中途でやめてしまい,考えこんだヴォヤットが後

に有名な児童心理学者になったのは偶然ではなかったかもしれない。がこのエピソードを聞いて,

この実験をその時ヘンリーにもして,その答がどうだったかを知りたく思うのも私だけではないだ

ろう。

 いずれにしてもこのエピソードは,この段階の子どもが次の段階に進むのに必要な知覚や知識や

能力め要素を既にどんなに多く持っているかを示すとともに,逆にそれらの競合する要素をまだう

まく組織できないでいる,いわゆる次の段階に進むべき最近接領域でしばしたたずんでいることを

示しているよい例だといえよう・。これらの例を参考にしながら子どもたちにそのような情報処理能

力がどのようにして次段階へと積み上げられていくのかについて見てみよう。

一10一

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感情と思考(知能)の発達(1) 13

こっちの方が「もっと」

多い。背が高いから。

こっちの方が「もっと」少ない。細いから。

   扁

第6図

       もっと

 高い     細い     制約

「もっと多い」→「もっと少ない」→  「同じ」

   もし高いが活性化されれば,

   高いに決めさせよう。そう   でなくて,細いが活性化さ   れていれば,細いに決めさ   せよう。そのどちらともい   えなければ,制約に決めさ   せよう。

      第7図

(ミソスキー,安西祐一郎訳「心の

 社会」産業図書)

 既にみてきた通り,第6図のようにこの年齢のすべての

子どもの心の中に高低を扱う情報処理能力と,広細を扱う

情報処理能力という二つの情報処理能力が既に育っている

ことが解る。まず高低情報処理能力が「高さが高い程その

中にあるものはもっと多い」と主張するとしよう(前述の

ようにわれわれは生まれつき大部分横よりも縦の属性に左

右され易いようだから)。次いで広細情報処理能力が「細

けれぽ細い程その中にあるものは,もっと少ない」と主張

する。しかし前述のことからも理解できるように,小さな

子どもたちでも多くの子が液体を注いだり戻したりしても

何かが同じままになっているといえるのも確かで,いわば

「制約情報処理能力」(ミンスキーのことぽ)ともいうべ

きもう一つの能力があって,「同じさ。何も加えられたり

取り除かれたりしていないのだから」と主張する。

 いずれにしてもこの二つの情報処理能力の間に争いが起

こる(つまり主張し合って競合する)。これがジュリーの

段階つまり次の発達への最近接領域。というのは左図のよ

うに「もっと多い」「もっと少ない」「同じ」という二つの

対立する答を,三つの別々の情報処理能力が主張し合う

が,それをどう折り合わせて正答に導くかはまだ解ってい

ないから。われわれの子どもたちはこのような対立が起こった時に,ジュリーがヘンリーは知って

いるといった答をどのようにして出せるようになるのだろうか? 一番簡単な考え方は,やはり第

7図のように子どもたちが既に何らかの優先順位をつけているという考え方である。これは既に述

べたように,われわれはおとなになってからも,水の入ったびんの実験の場合,実際に水が注がれ

ている過程をみていなければ,高さにだまされ易い。われわれは長い日常生活の間にだまされ続け

てきたので,そのような場合「待てよ,見えの錯覚を修正して考えるべきだ」と,いわぽまちがい

を起こさないような検閲情報処理能力を作りあげている。

 水の入ったびんや水をびんに注ぐ実験では,このように優先順位がまず検閲情報処理能力ともい

うべき制約情報処理能力に与えられ,活性化されるべきなのだ。が,小さな子どもでは優先順位が

まだそうなっていないので,そこまでいかないで,誤った判断を下し,中間の子どもではあやふや

な迷った判断がなされ始めるのがみられる。

 それでは前述のジュリーにみられた,既にいろいろな知識を持っていながら,それがうまく折り

合わない時には,どうしたらもう一つ上の年長の子ども,つまり彼女が助けを求めたヘンリーの思

考の段階へ進めるのだろうか?

一11一

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14

 4. ブルーナーの実験

 ここで,ちょっとブルーナーの実施したもう一つの興味ある実験をみてみよう(1°)。彼は第8図の

                                     sような1対の容器(工,1,皿,IVの四つのタイプに分けられている)の中の水のどちらがいっぽ

       コ⊥」一一一LJ一インチ       いであり,どちらがよりあいているかという問

       0123456                       題を8歳と10歳を除く5歳から11歳までの子ど

                       もに提示した。第9図はよりいっぽいとよりあ1

                       いているの両方についての年齢別正答率であ

    タイプrv              る。また第10図はこの判断で三つの要因がどう

                       働くかを,子どもたちがあげている理由から示

                       て順調に発達しているのに,豆と皿のタイプで    タイプ皿                       6歳と特に9歳段階で後退がみられるのが目立

3

4

5

タイプIR

タイプ1

 ♂アi};}.・    婁這

・蹴、タイプ皿

難1 畿・

タイプH

@ 「♂h

6‘ 7〔  8‘ 9    10‘  11

.輯’ 堰f

タイプIH

@耀 ・●v

10 鐵照

タイプIH

@,’,9@”韓麗

蛛D, ■「.

タイプ1

@…撮

   タイプIV           タイプ1

 第8図対比の実験に用いられたビーカー

(ブルーナー,岡木夏木他訳「認識能力の成長」

明治図書)

   提示された提示番号   コツプの対

・1-1

・1一團

・1<図

・1一國

・1>1

・1一㊧

・翻一㊥

      上までいっぱ水の高さ 水の量 いにはいって

      いる度合

十  十 0

一  一  十

  100いもつ正

ぱし80

踊純・・

ε享

るど40のも

両の

方比20と率

 

一一

{コ

一中中プ鋳

ろ/

一  一  十

0

十  十

タイプH

,灘へ’一ヴ      ー一一一一’ot    J)一タイプ1/o-■一くジ

5  6  7 9 11

第9図いっぱいとあいているの両方とも正しく判断した子どもの比率(同上)

一12→一

・1<團一

・翻く園一

ml-§-11 ?齧レ一

0

0

十  十

十  十

0

0

第10図 2個のビーカーのどちらが相対

 。的にみてよりいっぱいであるかの’

  判断において,各提示で3つの要                  t  因がどのようにはたらくか。 ’

   正しい反応に導く属性(+)

   正しい反応を妨げる属性(一)

   中性的な属性(0)(同上)

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 100

2

つ80のタ

ブ60の誤

り40の比

率20

感情と思考(知能)の発達(1)

.。’

   矛盾した誤り p o、              ノ’ !  、、        ’

!    N      ノ!       、oノ

単純漏\.

t O   5  6  7     9     11

 第11図 単純な誤りと矛盾した誤りの比率

    (同前)

15

つ。さて第11図はその誤りを単純な誤りと矛盾した

誤りで区別したものである。単純な誤りとは1つの

容器がよりいっぼいであり,他がよりあいていると

述べるが,その両方ともが正しくない場合である。

一方矛盾した誤りとは,いっぱいの判断では2つの

容器が同じだと箸えながら,あいているの判断では

等しくないと答える場合や,同じ容器が他よりいっ

ぱいであるといいながらまた同時によりあいている

と述べるような場合である。

 驚いたことに(ブルーナーのことぽ)矛盾した誤

りの比率は,われわれがはじめに予想していたよう

に,年齢とともに減るのではなく,むしろ年齢とともに上昇していることである。そレて単純な誤

りは当然年齢とともに急減していくが,矛盾の誤答もこの単純な誤答も9歳段階で自然な線がいっ

たん逆転していることである。この結果についてブルーナーは年長児が1つのコップが他のコップ

よりいっぱいであるという誤った判断をする時,彼らは水の量だけでなく,水位も,コップの高さ

も,時にはコップの直径についてさえ述べ,それらのものが競合するが,まだコシトロールできな

いことを示している。他方年少児たちは判断の理由を述べる時,これらのうちのただ一つの属性の

                       みを規準としてあげることがずっと多いと述べ        保存テスト

                       ている。因みにこの点について全タイプの全問      L⊥山⊥LIインチ      02468                       について,1問あたりの平均をみると,2つ以

                       上の属性をあげたものは5歳児7%,6歳児16

                       %,7歳児22%,9歳児37%,11歳児では20%

                       であった。この比率は「あいている」について

      .一           の判断でも,全く同じ傾向がみられた。なお11

           、          歳で少なくなっているのは,彼らは正答を既に

1露・幽1自目翻目購麗奪急膿業ご鰍灘  同じ    入れかえる   やはり同じか?  進む子どもはより多くの手がかりに注意を向け

翻騒・ 同じ 、.

     ⑬

_翻  入れかえる 離やはり同じか?

第12図 古典的な保存実験において使用される2            L  つのテスト(同前)

all

b冨  1

 Co‘

ld

戟|、

第13図 スクリーyを使用しYc実験において用い

   られたビーカーの各対(同前)

るようになり,そのコントロールに苦労する矛

盾がもとで誤りがいったん多くなり(成長によ              冗るエラー……ブルーナーのことば),それをのヘ                                  -   A }

りこえて次のレベルへと前進する。つまりこの

判断に必要な幾つかの異なったものを一度に           xt   コ       ’ ヨ同時ゆの中に鰯郊斌(・)わゆる短期記

憶)にはどうしたらよいかをマスターする過渡

一13一

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16

㍉もし私が,からのビン

に水を入れかえたら,

冒1.

水はどの辺までくるで

オょう?

?フくる高さを指で示

眼前に見せる スクリーンをおく 水を入れる 同じだけ飲めますか? しなさい。

最初の提示

@冒

スクリーン上に水位

�`かせる

@ 一

からのビンに水を入

黷ゥえる」   一

新しく水を入れた方

フビンの水位を描か

ケる

@   一@  一

スクリーンをとりは

轤チて,水位につい

ト説明させる

第14図 スクリーン使用の実験の3つの手続き,左上が第1部で,スクリーンをつかうが水位をかか

   せない場合,右上が第H部で,水の操作をしてみせないで水位を推定させる場合,下段の図が

   第皿部で,スクリーン上に水位をしるしづけさせる手続きである。(同前)

期を9歳は示しているといってよい。

 ブルーナーは次に第12図に示されたピアジェの古典的保存実験(事前テスト)をヴォヤットのよ

うに型通りに行った後,第14図に示された興味ある実験を行っている。まず一対のビーカーがスク

リーソの前におかれ,標準ビーカーの水位に対応する直線をスクリーン上に描くよう子どもたちは

要求された。それから対のビーカーはスクリーンの背後にかくされ,標準ビーカーから水が比較ビ

ーカーへ移されて,子どもは水の量が前と同じかどうか尋ねられた。また先に引いた直線を手がか

りに,第2のビーカーの水位を予想して第2の直線をスクリーン上に描くようにいわれた。それか

100

鐸・・

票匙6・

書あ4・

 20

        /●一一一●事後テストー・z-.・/

      !7

吃一事前テスト

0

    4    5    6   7

        年   齢

第15図 スクリーン使用前および使用後のテ

   ストにおいて保存を示した子どもの比   率(同前)

保存を示した子どもの比率

100

80

60

40

20

0

      ●、 /   /      !×、  ノ

う㌫究/〆y

!b一囎 vゐ   ’

たとき  ”    ’”   スクリーンを   ノ ln.t除去したとき   6’ ノ    ___◎

        le’Z・…事前テスト

   ノ

 //4

5年

6齢

7

第16図 スクリーン使用した実験の異なる時

   点において保存を示した子どもの比率   (同前)

一14一

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感情と思考(知能)の発達(1) 17

らスクリーンが取り去られ,子どもははじめて比較ビーカーの水位を見ることになる。そして子ど

もはこの時点で水を移しかえる前と同じ量の水があるかどうか判断するよう求められた。子どもの

答えに文寸してはいつもその理由が尋ねられた。最後に事後テストとして第12図に示されている事前

テストが再び実施された。第12,13図から解るようにスクリーンを用いた手続きでは標準ビーカー

と直径の等しいか,あるいはそれより幅の広いビーカーが比較ビーカーになっており,事前テスト

と事後テストは,標準ビーカーより幅の狭いビーカーか,あるいはより多い数のビーカーが比較ビ

ーカーになっているから事後テストのための特殊な訓練をしたことにはならない。第14図はこの実

験の三つの部分を,各々1対のビーカーを例にして示したものである。

 さて第15,16図はその結果を図示したものである。この実験では,前述の実験では9歳段階で示

された次の段階へ進むための混乱がやはり6歳段階で起こっており,成長によるエラーが違った年

齢で体験されるということも示されているとみることができよう。

 5. ミンスキーの説明:パパートの原理

 ところで前述のように年長の子どもが年少の子どもよりも,より複雑な推理ができるようになる

のは確かだが,それは結果からの説明である。その説明ではこの過程で子どもの心の中で育ち始め

る最も重要な変化(成長)の一つを見落すことになる。ピアジェやブルーナーが実験で示しえたこ

との意味は,彼の共同研究者シーモア・パパート(Papert, S.)によって初めて効果的に説明され

たとして,ミンスキーは,「パパートの原理」と名ずけて次のように説明している(11)。小さな子ど

もが前述の制約のような情報処理能力を既に持っているかどうかを知るのは,高いや細いの情報処

理能力の有無を知るよりもむずかしい。しかしジュリーがヘソリーの助けを求めたように,いろい

ろな知識がうまく折り合わないで争っている時には,これを管理する新しい中間の情報処理能力を

加えてやる必要がある。その生みの悩みが,ブルーナーの指摘する成長のエラーとして体験されて

いるわけで,たとえぽ量の比較をするには,前述の長々とした保存性処理能力の中に新しい管理能

力たちを加えてやる必要がある。

 既に述べたようにこの保存性処理能力は量や体積等ぽかりではない。この過程で子どもたちが学

ぶものは量の概念(同じか,多いか,少ないか),時間の概念(同じか,長いか,短いか)から更

に色(同じか,どちらが赤いか),音(同じか,高いか,低いか),距離(同じか,遠いか,近いか)

ぼかりではなく味や嗅(どちらがうまいか,どちらが心地よいか,または同じか)等々快,不快等

々にも通ずる五感に関する広大な比較の概念(くらべる能力)を認識する学習の過程と考えられる。

そればかりではなくそれは更に思いやりの心理(どちらが思いやりがあるか,冷酷か,同じか),

達成動機(どちらがやる気があるか,怠け者か,同じか)等の心理的領域にまで広がる広大な比較

能力の長々とした学習過程に通じていることを,ここで確認しておくのがよいかもしれない。

 明らかにわれわれの小さな子どもたちも,くらべるのに必要な考え自体は既に持っていた。ただ

ジュリーの言が示すように,小さな子どもたちには,その考えをいつ使えぽいいのかがまだ解らな

いのである。この状態の子どもたちは,自分の持っている知識についての適切な処理方法を知らな

一15一

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い。具体的にいえば自分の既に持つ膨大な(?)知識をいろいろな見方や優先順位をつけることに

よって選んだり,拾ったり,無視したり並べかえたりするのに必要な,バランスをとって使うため

のチェック機構を働かせる(つまり管理能力)をまだ十分に身につけていないのだといった方がよ

いだろう。私たちはたくさんの種類の複雑な推論方法を使えるだけでは十分ではなく,どの推論方

法をどの違った状況で使うべきかも学習しなけれぽならない。このように私たちが学習するという

ことは,単に知識や技能を積み重ね,ためこんでいくことだけではない。つまりためこみ積み重ね

た知識や技能をいつどこでどう使うかについての学習も同時に必要である。これは従来応用能力と

か一般化とか,転移とか,更には古くは形式陶冶の問題として論じられたものに通ずる。浅く広く

知識や技能をやたらに身につける人と,余り知識や技能は多くなくともそれを適切に使える能力を

具えている人とが昔からよく比較されてきた。すなわちやたらにたくさんの知識をためこんでそれ

をひけらかしている人と,それ程多くはないがそれを適材適所に用いることにたけている人,たと

えぽ歴史的つながりや社会的広がりを持つ文脈の中で使えることのできる能力といってもよい。後

者の人々は早い時期から,限られた自分の興味を持った領域(あるいは専門的領域,更には生き方

といってもよいそういったものに通ずるかもしれない)に沿った知識を求め,それを探し,それに

よって考えを組みたてようとする。こうしたタイプの子は,時に学校教育(多少ともきまった知識

をそのまま覚えるよう押しつけられる学習期)では,努力がたりない,怠けていると誤解されやす

いことが少なくない。つまりそうした能力は多くの場合ヴォヤットが驚いたように,教師の目には

見えないところで徐々に徐々に育ち始めているように見える。そしてこのような能力は非常に早い

時期から育ち始め,しかもこのように長く長く続いて育っていくものであるから,到達した発達結

果だけから見ると生まれつきの能力のように見えがちである。しかし既にみてきたようにそして最

近よりはっきりしてきているように,恐らくは主として生きる意欲やその方向や価値観の方向,よ

り細かくいえば興味を持つものは生まれつきというよりも父親を含めた母親との愛情関係によって

非常に早くから(つまり臨界期)に方向づけられる場合が多いのではないかと考えられる。しかし

また以上のように長く長く続く学習過程であるから,むろん途中でたわめられたり,逆に刺激され

たりすることもあるはずである。

 このように考えてくると,自然に私たちは本当の教育とは何か,という問題について考えている

ことにもなる。今までもこの問題をめぐって,たとえぽ転移とか前述の形式陶冶か実質陶冶かの問

                               題として教育の本質は何か

    もつと  9  新、、、・論じられてき… ・t°アジ

                見え    履歴               th高い   細い   制約     高い   細い  制約

「もっと  「もっと  「同じ」   「もっと  「もっと  「同じ」

多いJ    少ない」        多い」  少ない」

  管理工一ジェントたちを’     管理工一…ジェントたちを

  加える前の社会         加えた後の社会

             第17図

 (ミソスキー,安西祐一L・郎訳「心の社会」産業図書)

一16一

内側の層

土やブルーナーやミンスキ

ーの指摘は,その線に沿っ

て一層将来の教育のあり方

の論議に明るい光をあてて

いくことになるだろう。

 説明を元に戻そう。第17

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感情と思考(知能)の発達(1) 19

図のように,新しく加えた管理能力のうち見えの情報処理能力は,高いが活性化している時にはもっ

と多いといい,細いが活性化している時にはもっと少ないというように,そして高くても細く見える

時には何も言わないように作られている。このように管理見え能力が働いた後で新しく加えたもう

一つの中間管理能力履歴(ミンスキーのことば)が,制約情報処理能力のいうことに基づいて判断す

るのである。つまり心は単に知識を貯めこむだけでは大きく成長できない。心は既に知っていること

を使うための,よりよい方法を発展させなけれぽならない。心の成長における最も重要なステップと

して,単に新しい技能を身につけるステップだけではなく,既に知っていることを使うための,ここ

では二つの新しい中間管理能力見えと履歴のような新しい管理方法を身につけるステップがある。

 つまりこの見えと履歴の中間管理能力は,下位レベルの技能を集めてグループを作り,比較能力

の新しい中間層を形成する。したがってこうした管理層にとって最も重要なことはグループのメン

バーの選択という仕事になる。たとえば高いと細いを一緒にグループ化して見えの中間管理能力を

作れぽ,それら二つの争いを制約がコントロールしてくれるので,全体がシステムとしてうまく働

く。ところが高いと制約がグループをくむとうまく働かなくなる。グループの選択というこの仕事

は誰がやるのだろうか? この場合高いと細いは制約よりも性質がお互いによく似ているので,こ

うした管理システムを含んだ階層の中ではまとまる意味を持っていることになる。もう一一つこうい

う比較情報処理能力の中では,たとえぽ卵と卵立ての比較の場合と,水の入ったびんの問題を解く

には,第18,19図のように管理能力が種類の違う下位レベルのメンバーを必要とするということで

ある。これは既にあげた色や時間や音や距離更には動機や他の心理的概念の比較能力でも必要と

なってくる。このようにいわば山のような複雑な中間管理システムが作られるとしたら複雑すぎて

効率的でないようにみえるが,このようなたくさんの層になった管理システムがないと,下位レベ

ルの情報処理能力の知識同士が混線し合って使えなくなってしまう。その代りに上位レベルの処理

                                能力は,それぞれ高次の知

              もっと                                識をある形に具体的に表わ

高い   細い  尺度 推定値   注ぐ  スプーン 漏れる こぼす         ですくう

  第18図(同前)

もっと

広がり  密度   数 間隔     照合   圧縮  加える 取り除く

 第19図(同前)

すことによって,私たちが

いうどうやって自分の知っ

ていることを使うのかを教

え,私たちが自分自身を組

織化するのを助けることが

できるからである。

 以上のように既に学習し

て知っていることを使うた

めの新しい管理方法を身に

つけるのに,その過程では

たいへん違った別々の経験

を積みながら,われわれの

一17一

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20

心の領域には結果的には極めて似た能力が育つ。もっとも余りに環境が違えば,ブルーナーのセネ

ガルの子どものように多少目立った差が生ずる場合もあるが。このような人間が共通に学習するよ

う仕組まれた管理システムの学習の特徴は,エリクソン(Erikson, E.)が象徴的に述べている,

青年期の自我同一性においてもみられる。これについては,もう一つの管理能力の発達,感情のコ

ントロール能力の発達も関係すると思われるので,後述することにしよう。

III.感情の発達

 1. 赤ちゃんの感情表現

 われわれは普通論理的な思考にくらべて,感情は不合理なもので,説明しにくいものと考えがち

である。だから論理を特意とするコンピュータにたとえ推理や計算はさせることができても,コン

ピュータにまさか非論理的な感情を持たせることなどはできない。どだい機械が感じたりすること

などありうるはずはないと考えがちである。

 人間は現在この地球上では万物の霊長といわれるように,最高の知能と豊かな感情を内容とする

心を進化させてきた。しかしむろんまだ完全とはいえず,なお進化し続けている。そしてわれわれ

は数十億年もかけて進化させてきたこの人間のみが持つご自慢の能力,知能のはたらき,つまり推

理や思考の方は,部分的ではあれ,既にコンピュータにプログラム化させることに成功している。

だが人間に可能などんなことでもできるようなコンピュータやニューロモデルが作られているわけ

ではない。その点で特にわれわれにとってむつかしいのは,おとなのそのような高等な思考や推理

をさせることよりも,むしろ子どもが「しゃべり方を学び始める前に身につけてしまうバランスを

とったり,見たり,思い出したりする(12)」はたらきをプログラム化することであった。既にみて

きたように人間の顔を対象と区別する能力を機械に持たせることにはまだ成功していない。そして

人間の感情表現もブリッジュス(Bridges)がいっているように,その主要な部分は2歳頃に既に

出揃い,生後5年ではおとななみの情動表現の大部分を身につけてしまう。むろんそれまでには個

々の子どもはそれぞれに皆独自の経験をしている。それにも拘らずこの面でも,われわれの子ども

は結果的には非常に似た結果に達する。この点は前述の認識能力の発達から始まって保存の概念が

獲得されていく過程と並行している部分が多いと思われる。

 われわれの子どももこのような欲求の感情的処理から出発して,生物進化の中でこのような感情

的処理,すなわち動物的処理にのみ頼っていたのでは知的な処理ができないことが解って欲求の感

情的処理を主体としながら,論理的な処理のできる仕組みを脳の中に作りあげ,最後にはそれを言

語で表現できる仕組みにまで発達させた。それが前頭葉で,欲求を感情で並列に処理しながらも,

最後は意識にのぼらせて直列に論理で処理できる仕組みになっていると考えられる。そしてこの欲

求→感情的(非論理的動物的)処理→論理的処理によって,動物的社会から,人間的な社会生活を

実現させてきたということができよう。そしてこの論理的処理は,試行錯誤の後に科学的処理(社

会科学的)の有効性を見つけ出し,19世紀以後やっと科学的な思考に基づく人間社会の実現への試

一18一

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感情と思考(知能)の発達(1) 21

行が試み始められ,その生みの悩みに直面しているというのが現在の状況といえよう。この点はま

た認識能力の論理的処理(自然科学的)の方が,一歩も二歩も先んじているといえるかもしれな

い。それについては終りの項になって考察することになるが,前述のように発達的にみても1[章で

みた論理的思考に先んじて始まる欲求の感情的処理の発達について考察しよう。

 満足そうに微笑んでいる赤ちゃんを抱いていると,笑然おなかがすいてきたのか泣き叫び始め

る。喜んでいる赤ちゃんは極めて満足げでいつまでもその喜びを続けさせてやりたいと誰しも思う

が,しかしその喜びも所詮は長くは続かず,時間がたてぽたとえば腹がへってきてこのように赤ち

ゃんも喜びから目標を変えなくてはならなくなる。空腹を放置していると,赤ちゃんに今度は逆に

苦痛を与えることになり,苦痛はまた赤ちゃんから他の目標や関心から注意をそらせ,今度は泣き

叫ばせることになる。このように小さい子どもの感情表現は,昔から「今鳴いている烏が,もう笑

っている」といわれてきたようにそれぞれの欲求の活性化のままに素直にその欲求が感情で表現さ

れて,全く理解され易い。これはまた赤ちゃんの心を構成している基本的な欲求のシステムが,も

ともとは切り離され,独立したものであることを示す一つの証拠だと考えられてきた。つまり赤ち

ゃんの頃には,これらの心の下位システムがコントロールしているそれぞれの感情表現は,脳の別

々の部分に対応しており,特定の心の領域だけが働き,お互いの間にはほとんど関係がなく,連絡

はまだつけられていない。もっとも赤ちゃんの泣き笑いというように,極めて早い時期からその間

には連絡がつけられ始めるようだが。

 おとなはいろいろな感情表現を組み合わせて複雑な形で自分の欲求を表現できるが,小さな子ど

もの場合,このような満足,空腹,そして後述する防衛,眠気,遊び,情熱,その他なんらかのは

っきりと定義できるような欲求機構に従って一一つの感情表現がなされる単純な状態にある。おとな

のように感情表現が複雑で直ぐにそれが現わす欲求が判断できないと,赤ちゃんはおとなと違って

欲求を自分で充たす方法をまだ身につけていないので,欲求をストレートに知らせることができ

ず,その結果ひどい時には死んでしまうようなことになるかもしれない。いずれにしても効率的と

はいえない。

 しかしもう少し年長の子どもになると,特に自分で欲求を充たす方法をある程度身につけ,また

ことぽで欲求を知らせることができるような段階になるにつれて,叱られたり笑われたりした過去

の経験から後述するようなフロイトのいう検閲機構等も発達してきて,単純には欲求は表現されな

くなる。つまり私たちは過去の自分の状態をはずかしく思うようになる。そして気分が突然変化す

るようにはみえなくなり,そうした子どもの表情からは,一度にいろいろ違ったことが起こってい

るらしいことが察しられるようになる。「泣き笑い」というのはこの途中でみられ始める現象で・

周囲の反応から子どもたちは欲求を余りにストレートに表現することを次第にきまり悪がるように

なり,そして余りストレートにすなわち感情的に欲求を表現しなくなる。

 つまり私たちの心ははじめはある程度単純で互いに切り離された,ぽらばらの欲求機構の集まり

として出発する。そして少したつと,そういう欲求機構たちの間に争いが起こり,連絡がつけられ

始め,成長する心の網の目全体と絡り合って,その表現も次第に複雑になっていく。別々に独立し

一19一

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ていた欲求機構たちは,たとえぽおせじをいわれた時本当は嬉しいのだが,余りストレートに喜ん

ではお人よしにみられるのでわざと怒ってみせたりするように,互いに利用し合うことを学習して

いきその表現は複雑になっていく。このように利用し合うことを覚えていくにっれて,これらの下

位システムがコントロールしているいろいろな感情の違いは,自分自身にさえはっきりしなくなっ

ていくものと考えられる。特にこのような感情の発達の過程はことばを使う論理的思考が発達する

以前に身につけられ,殆んど無意識に自動的に働くようになってしまうからである。しかも結果的

には,誰でも似たような感情表現を身につけてしまう。長い学習期を使って学習しなければならな

い論理的処理にくらべれば,当然簡単に誰にでもできるはずのことと考え,思考の教育とはくらべ

られない程軽視されがちになる。しかし欲求,したがって感情の論理的なコントロールの仕方はそ

んなに簡単に放っておけぽ,誰にでも身につけられることなのだろうか。たとえばフロイトは既に

今世紀のはじめに乳幼児期に親子の愛情関係がうまくいかないと欲求のコントロールがうまくでき

なくなり,場合によっては青年期になってヒステリー等のノイローゼ的感情表現となって現われ

る。そしてひどい時には結婚もできなくなることさえあると指摘していた。第2次大戦後になると

ボウルビー(Bowlby, J. M.)等が更に乳幼児期に正常な愚親との愛情関係が剥奪されると,子ど

もたちは何事にも関心を示そうとはしなくなり,喜びも苦痛も感じなくなり,やがて無表情,無動

作が特徴となり,つまり生きる意欲を失って,そのままで放置していると,まもなく死に向って蕎

進し始めることすらあると警告している。このようなフロイトやボウルビー等の指摘は,われわれ

の生活が動物的な欲求の感情的処理から出発しており,それを主体としながら,それをもっと知的

に処理しようとして論理的処理が始まることを示している何よりの証拠だといえよう。そして最近

これらの欲求の感情的処理について見つけ出されてきたフロイトやボウルビー等の知見が,冒頭で

述べたように,脳のミクロの世界とも次第に結びつけられて考察され始めているのが今日の特徴と

いえよう。それについて次に見ていこう。

 2. ミツバチとシロアリの分業生活                      F

 以上のように極めて早い時期に人間は欲求の感情的コソトロールの仕方も学習する。何事によら

ず学習することが人間の特徴であるが,その反対の代表は冒頭でのべたように昆虫といわれてい

る。昆虫の行動の中には確かにミツバチが8の字ダンスで蜜のある場所を仲間に知らせるような複

雑に進化したものもあるが,そのダンスは人間がダンスのステップを習うように学習したものでは

ない。誰からも教わらず習らわず生得的にできる本能的行動である。彼らは生得的なこの本能的反

応によって環境に対処しており,生まれこんだ環境の中の特定の事象の生起が,彼らに生得的に埋

めこまれた特定の反応をひき起こすようになっている。このように特定の事象の生起に対して生得

的に埋めこまれた特定の反応で対処する仕方はむろん柔軟性には欠けるが,面倒な学習をする必要

もないし,その結果として思考や推理をしたうえで,すなわち悩んだ末に決断する必要はないか

ら,時間的にも資源的にもコストがかからない。しかし彼らも赤ちゃんの所でみたように満足,空

腹,防衛,眠気,といったこの世で生存していくために必要な基本的な欲求機構を持って生まれて

一20一

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感情と思考(知能)の発達(1) 23

くることには変わりない。ただ赤ちゃんのように初めはそれらの欲求機構が独立していて,生まれ

た直後から徐々にその間に連絡がつけられ,したがってその感情的表現やその処理も次第に複雑に

なっ七いくのとは違って,初めから生得的にその間に既に基本的な連絡がつけられている点が,人

間の赤ちゃんと昆虫との最も対照的な点だといえよう。

 その昆虫の中には,蛾や蝶のようにわれわれと同じように,脳の中に各欲求機構を一極集中型に

みな納めて生きているものもある。一方ミツバチやシロアリのように欲求機構のうちのただ一つだ

けを遂行し続ける個体が幾つか集って,全体の欲求機構を遂行するという形で生活をしているもの

もある。昆虫にはこの二種類があって,私達の興味をそそる。

 よく知られているようにミツバチの中の花に飛んでくるはたらきバチは,花の蜜や花粉を集めて

巣に運び自分の仲間や子どもたちのえさにする。羽化したぼかりの時は,このはたらきバチは巣部

屋の掃除係,次に育児バチとなり,巣づくり,ハチ蜜づくり,ハチぱんの貯蔵係,巣の温度の調節

係,門番等と忙しく働く。この内勤がすむといよいよ外に出て花を訪つれ,蜜を集めるようにな

る。おバチは不思議な生き物で,春先きから秋までの繁殖期に現われ,女王バチとの交尾がただ一

つの仕事だが,女王バチの数が少ないので大部分は何もしないで,繁殖期がすむとはたらきバチに

追い出されて短い生涯を終る。一群には産卵がただ一つの仕事である一匹の女王バチがおり,彼女

は群が大きくなりすぎると,はたらきバチが用意した王台にはたらきパチと同じ幼虫を生む。この

幼虫はいわゆる特別食のローヤルゼリをたっぷり与えられ,生後16日で新女王の誕生となる。旧女

王はその直前に群の半分をひき連れて巣分かれする。このようにミツバチの社会では,食物係,掃

除係,育児係,生殖係,産卵係と役割のはっきり定った,そしてそれ以外はできない(一つの欲求

機構だけを遂行し続ける)ハチたちが集って生活している。あたかも発達したわれわれの近代的な

分業社会のように,しかもわれわれの社会とは違って他人の領分は冒すような気配は全くみせず,

ただ遺伝的に埋めこまれた機能を忠実に遂行するだけである。しかもはたらきバチのように遺伝子

の働き出す順序までもが,全く生得的に決められているものもみられる。この点は人間の遺伝子の

働き出す順序が決められているのと対応しているともいえる。

 シロアリの社会構造は,もっと複雑で異様ですらある㈹。彼らの正体は種類もたいへん多く,ま

た後で述べるような研究上の困難もあってまだよく解っていない点が多い。普通非常に複雑な巣を

地下に作り,上部構造のアリ塚の下にある地下数メートルに埋没している最後の巣には仲々到達で

きない。同じ外観の卵から11から15種のちがったシPアリが生まれてくるが,大きく分けると労

働,軍人,繁殖の三つのカースト(特定の仕事をする集団)に分けられる。ハタラキシロアリには

メスもオスもいるが,セックスは完全に萎縮し,大シロアリと小シロアリの二つのカーストに分か

れている。前者は強力な下アゴを持ち,剣をハサミのように交差させ,食糧補給のために抗道を遠

くまでいき,木や他のかたい物質をかみくだく。数の多い後者は家に残り,タマゴ,幼虫,サナギ

の世話をし,成虫,王,女王に食べ物を与え,また食糧の貯蔵など家庭内のあらゆる仕事に専念す

一『Q1一

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る。彼らは目が全く見えず,武器も羽もなく,彼らだけがセルローズ収獲と同化と消化の仕事をひ

きうけ,他のすべての住民を養う。つまり王も女王も,兵隊も,成虫のハネアリも,自分の手のと

どくところにある食糧すら利用することができず,空腹になるとすべて通りがかりのこのハタラキ

アリに合図して,彼らの胃の中にあるものをゆずってもらう。兵隊アリも盲目で,同じようにセッ

クスのできないオスまたはメスで,彼らだけが殆んど無防備な他のシロアリたちのために,当て推

測勤.

虫ー

翅(

            ~

9     携s          1/

      ))))))碧鑛とした

     メスまたは女王

第20図 ヤマトシロアリ属のカスト分化

   (Kofoid,1934により松本,1983

  が描く)。

(メーテル・リンク,尾崎和郎訳「白蟻

 の生活」工作舎)

量で2センチメートル先の敵に向ってねぽねぽした液を

噴射して,最悪の敵である他の蟻(白アリ以外のアリ)

をまひさせ,敵から守ってやることができる。

 王アリと女王アリは細長い部屋に永遠に閉じこめら

れ,専ら生殖の仕事だけにたずさわる。王はいわぽムコ

入りで,みすぼらしく小柄で虚弱,臆病でいつも女王の

うしろに隠れている。女王ははりさけそうな卵でふくら

んだ奇快なタイコ腹をしていて全く動くことができず,

ただ1日3万個の卵を4,5年間昼夜を分かたず生み続

ける。数百の小さなハタラキアリが女王アリの貧欲な口

のまおりにおしよせ,口の中に特別料理を流しこむ。む

こうの端では,別の一群が輸卵管の口をとりまき,次々

に流れ出てくる卵を洗い,運んでいく。忙しそうに働く

この群集の間を小さな兵士が往来し,秩序を維持し,大

lm 5-10m     30-40m 50rn

巣●

第21図 ミハエルオオキノコシ

   ロアリの採餌地下道。地

  下(Darlington,1982)。

  道は深さ10-15cmのと   ころに作られる。ケニア

  のカジアドで調べられた   もの。(同前)

  

レ :[

 11’曝

  巣  1    倒木       ツル 露出根

・(舜鯵・一一一:饗㍊リぐを1

・(郵騰凱轍゜アリ鱗熟.鐡嚢

・(i頭欄瀞騰癖鞭免 ㍗湖

 第22図 コウグンシロアリの行進の延ぽし方(松

   本,1980)。(同前)

一22一

re一 瀞一♂ニ    1

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感情と思考(知能)の発達(1) 25

きな兵士たちは敵に備えて整列し,女王に背を向け,不動の姿勢で威嚇するようにかまえている。

女王アリは繁殖力が減退すると直ぐに食物を断たれ,餓死した脂肪の多いその死骸はハタラキアリ

にむさぼり食われ,補欠の産卵アリの中の一匹が彼女に代る。またこの共同生活体は多大の犠牲を

払って,彼らだけが性器をもった完全なオスとメスである,透明な長いバネと複眼を持った若い男

女を育てる。しかし彼らはよく知られているようにまもなく結婚飛行に大空に向って舞いあがる

が,待ちうけている鳥,爬虫類からネコ,イヌ,そしてほとんどすべての昆虫,とりわけ蟻とトン

ボ等に至るありとあらゆる生物によって食べられる死の飛行となってしまう運命が待っている。そ

の味はアーモソドに似ているといわれ,ジャワ島等では油であげられたりして高価な値がつき,市

場でも売られ,人間の珍味ともなっている。なぜこんな余分にみえる羽アリを,大きな犠牲を払っ

て自然は進化させ,未だに存在させ続けているのか未だに謎,謎の世界である。

 また前述のようにシロアリは,たとえぽ固いコンクリートの下などに複雑な巣を作るが,この巣

を掘りおこすのは容易でないばかりか,危険ですらあるといわれている。実際現在でも,コンゴ等

の原住民は恐怖や迷信から研究家への協力を拒むことがある。一瞬のうちにかみついてはなさない

兵隊シロアリ群の攻撃をさけるために,革の服をつけて研究者たちは顔もかくさなければならない

こともあるといわれている。あるいは「日本人はアリのように働く」と繰り返えしていたフランス

の首相クレッソソ女史には,失われた植民地で忙しく働くこのシロアリの連想から,日本人の社会

は自動車生産にひたすら専心する黒い頭をしたこの異様なシロアリの分業社会のように見え続けて

いたのかもしれない。確かにその整然たる分業生活は,奇妙で,異様ですらある。

 3.人と昆虫と動物

 このようなシロアリやミツバチの存在は,われわれとは違った方向への進化の仕方も,あるいは

あり得たのだということについて考えさせてくれる。というのはわれわれは長い長い期間をかけて

このような方向への非常に高度化した分業システムとしての現代社会を作りあげてきたようにみえ

るからである。特にこの点では日本人との対比は,クレッソン女史の指摘のようにためになるかも

1;1;:〕熈鼎〔熱(羅(勲

(イ)各欲求機構(筆者)

センサー一  一一一一一r-一ヨ) 触覚,聴覚,視覚,……

渇き 空腹 暖かみ 防衛 その他

クター一→腕,脚,頭;胴体,……

    (ロ)シロアリやミッバチの場合(筆者〉

          第23図

(ミンスキー,安西祐一郎訳「心の社会」産業図書)

一23一

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しれない。ミツバチやシロアリは既に一億年も前にそのような小型社会,一つのひな型を作りあげ

ていたということもできる。しかしむろん両者の間には決定的なちがいも明らかである。

 ミツバチやシロアリたちは実際にはわれわれの捕食,防衛,労働,生殖,育児等の欲求機構たち

が一つひとつそれぞれに分離し,それぞれが頭や手や足や胴体を具えた一つの個体になって自由に

動き回っている。そしてその一つだけの欲求遂行を忠実に果たし,他の欲求遂行は他の個体群にま

かせ,一切冒かさずといった極めて合理的な分業社会を成立させている(第23図参照)。彼らは他

の欲求遂行をになっている仲間が何をしているかは恐らくは全く知らない。しかしたとえばハタラ

キシロアリも兵隊シロアリも,またハタラキバチもオバチもみな自分の独自の目的を果たすために

必要なたとえば手足を動かしたり,食物をそしゃくしたり,歩いたり,飛んだりする共通の技能は

具えている。これはわれわれの高度化した分業システムの場合も,各機関がそれぞれに独自の目的

を遂行し果たすために必要な情報を集めたり,集めた情報を処理するために思考し判断する能力や

知識,つまり心のはたらきを共通に具えているのと似ているであろう。ただわれわれの場合にはか

なり高度化した学習の結果であるが。そしてわれわれは自分の属する機関の中で他の人がいろいろ

やっていることについてはある程度知ってはいるが,他の機関がやっていることについては余り詳

しく知らず,殆んどまかせている点も似ている。

 しかし両者には大きなちがいがある。一方はその分業システムのどれをやるかは生まれつききま

っており,各担当者はそれ以外のことはできない。一方われわれにはそのどれを選ぶかを選択しよ

うとする自由があることであろう。封建社会では確かに選ぶ自由のない世襲性だったが,自分が世

襲する職業を嫌い,はかなみ,ひいてはそのような制度を変えようとすることもできた。その結果

実際に私たちは,分業社会のあり方を彼らとは違って資本主義社会や社会主義の制度に変えてき

た。その間私たちの脳の生理学的解剖学的構造は殆んど変っていないのに,学習することが可能な

脳を持つ集団であることがこのような違いのただ一つの原因であろう。つまり一方の分業システム

は,固定しており争いを起こすことは決してなく,生まれつききまったシステムがただ作動し続け

るだけである。一方は逆にたえず流動し,争いを起こし,変っていくことを前提としたし,それに

よって変えていく,つまり新しい目的をたえず学習する社会ということである。

 それはともかく他の多くの普通の昂虫嶋たとえぽ蛾や蝶にしても,い牙『ばこれらのハチやアリ

の分業欲求遂行機構をわれわれと同じように一極集中型に脳の中にすべて納めこんで生きている。

つまり一匹の蛾は,労働アリ,軍人アリ,生殖アリ,羽アリ等何匹かのシロアリが分業でやってい

ることを一匹でやっていることになる。ということは一匹の蛾も,シロアリたちが束になってやっ

ていることを,その必要度に応じて順序よくさばいているということである。つまり一匹の蛾は一

時に一つの欲求を充たす方向にしかからだを動かすことができないからである。たとえば捕食する

欲求と危険から身を守る欲求と,敵に対して攻撃したい欲求を同時に充たすことはできなくなる。

器に掴ってその中の水を飲むことによって渇きをいやしている蛾も,人間が近づいてきたことを察

知すると,まだ十分に渇きがいやされていなくとも,飛び去って危険を避けなければならない。し

かし彼らも常に成功しているわけではなく渇きに集中し過ぎたり,またそっと近づくなど人間の知

一24一

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感情と思考(知能)の発達(1) 27

慧も加って,手で掴まれて殺されることも少なくない。そのような時,彼らは掴まれてバタバタ逃

げようとしているのは,われわれの赤ち専んと同じような感情表現をしているとみることができ

よう。生存競争はきびしく,蛾もこの程度の,つまり人間のそっと近づく等の知慧には対抗して,

危険を察知する能力をみがく(学習する)のがみられる。いずれにしても彼らにもこのような渇き

を充たすことと危険を避ける二つの欲求が競合する場合には,恐らくは緊急度を察知することによ

って,いずれかを選択する管理システムが進化しているのがみられる。その管理機構はどうなって

いるのであろうか? 昆虫よりは複雑なわれわれに近い動物でこのことをみてみよう。

 たとえぽアフリカの広大なサバソナに住んでいる動物を想像してみよう。彼らが緊急に水が欲し

くなると,〈渇き〉をいやすためのいわぽ渇き欲求機構がコントP一ルを握る。一方腹が空いて大

至急食欲を充たさなけれぽならなくなると,〈飢え〉を充たす欲求機構がコントロールを握る(優

先される)。しかしもしもこの二つの欲求を充たすべき緊急事態が同時に起こったとすると,そのい

ずれかを選択する方法が必要になってくる。つまり同時に緊急な目的が競合した時には,われわれ

は一番緊急度の高い目標を遂行するための欲求機構がある期間コントロールを握り,順番に要領よ

く果たしていけばよいと考えがちである。確かにわれわれの食事の場合を考えれば食べ物も飲み物

も,簡単に手の届く位置にあらかじめ準備され,置かれている。そのような食卓の文化を発達させ

てしまっているから問題は起こらない(14)。しかし地球上に生存している人間以外の動物はその日

の飲食欲求を充たすための餌と水を探すことで,毎日の殆んどの時間とエネルギーを使っているの

がみられる。彼らはまだ人間のように食卓の文化を作りあげていないからである。もっともキツネ

やその他いろいろな動物でも,緊急の場合に具えて,余った食物を地下に貯える(足で掘って埋め

る)方法をとるものがあり,この方向への進化のきざしがみられる。

 猫をかっていると,飢えと渇きを充たすべく帰ってきた猫が,台所にいる妻の足にからだをすり

よせてキャットフードを催促する。キャットフードを入れてやるとカリカリ音をたてて食べ始め,

次第に食べ方は静かになる。食べ終ると今度はまたからだをすりよせてきて牛乳をせがむ。泣いて

飲食を催促している赤ちゃんと同じで,彼らは泣き声を発して欲求を知らせるかわりにからだをす

りよせてくる。飢えかと思ってまたキャヅトフードを入れてやってまちがえると,不満そうに今度

は渇きであることを知らそうとする。猫は家畜となって人間を使って,この程度の擬似食卓文化は

作りあげる能力を進化させてきたといえるだろう。

 アフリカのサバンナに住むハイエナが渇き欲求と飢え欲求を同時に緊急に充たさなけれぽならな

くなった時,私は前述のように簡単にその時点で一番緊急度の高い方の目標を遂行するための欲求

機構がある期間コソトロールを握り,順番に緊急度によってこの二つの欲求を要領よく充たしてい

けぽよいといった。しかしこのような緊急度によって要領よくといった考え方は,われわれや猫の

ような食卓や擬似食卓を持つ文化生活ならともかく,広大なサバンナでは余りうまくいかない。た

とえば渇きが飢えよりちょっと緊急度が高かったら,当然渇きがコントロールを握る。一方飢え欲

一25一

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求の緊急度はすぐに渇きを凌駕し,今度はコントロール権を握る。何度もいうが私たちの食卓の文

化の中では飢えと渇きは手の届く範囲で充たせるから文句はないが,広大なサバンナでは常に湖の

ほとりに餌が用意されているとは限らない。渇きを少し充たしたら直ぐに飢えが凌駕する。そした

ら今度は食を求めて狩りをしなけれぽならなくなる。運よく狩りに成功して少し食べれば,今度は

渇きを充たすために湖に直行しなければならなくなりはしないか。緊急度によってこのようにイタ

チゴッコをしていたら,そのことだけで疲れ果てて今度は眠りがコントロールを握り,ぶったおれ

るように眠るだろう。眠っていると今度はまた渇きや飢えが凌駕する。……こんなことをしていた

らエネルギーも時間もそのことだけで使い果たして直ぐに死んでしまうに違いない。もちろん現実

にはこれよりうまくいくような機構が進化しているわけだが,そのためには緊急度に応じてある期

間その時点で緊急度が高い方の欲求にコントP一ルをまかせ,しかも,それが余りに長くコントロ

ール権を握り過ぎないで,ある程度充たされると,次のものに譲る。つまり競合する欲求をいたち

ごっこにならず,また一つの欲求のみにかかりすぎにしないように,バランスよく欲求をコントP

一ルするチェック機能が働くようになっていなけれぽならないことが解る。実際だから食卓の文化

を発達させていない彼らは,広大なサバンナのきびしい生存条件の中でこの個体保存欲求と種族保

存欲求及び育児を充たすために,彼らの殆んどの生存時間とエネルギーを使っているようにみえる。

中には種族保存欲求機構を始動させる段階まで発達するために個体保存欲求機構のみを作動させ続

け,種族保存欲求機構を作動し終えると,その短い生涯を終ってしまう生物もある。一局集中型に

なっている殆んど学習しない昆虫の中に,そのような種が多いのは理由のないことではないだろ

う。この点でも,人間とは逆の方向への進化の仕方もありえたことを示してくれているともいえる。

 われわれの生涯もフロイトがいっているようにこの個体保存と種族保存の欲求に専ら操られてい

るのかもしれない。他の生物ともとは同じ一つのものから進化してきたのだから。しかしわれわれ

には以上のように確かに他の生物とは違った特徴が進化させられている。個体保存欲求も種族保存

欲求も,ある制限内ではあるがコントロールできる。あくまでも同じ生物である限りその欲求から

解放されることはないという制限内ではあるが,われわれはそれを論理的に処理しようとする仕組

みを進化させてきた。前述のサバソナのハイエナのように,飢えと渇きをいたちごっこのように処

理していたのではコストも時間もかかり過ぎる。知的に処理をするためには論理的思考が必要とい

うことで赤ちゃんや猫のように欲求の感情的処理から出発して論理的処理を働かせ食卓の文化を発

達させることによって,エネルギーと時間を他の面にふりむけることができるようになった。しか

しこの知的に処理できる能力を進化させたおかげで,それ相応の幣害も生じてきた。すなわち生命

をのぼすための論理つまり欲求の感情的処理からその争いを論理的に処理する方法を見つけ出した

われわれはまた,逆に自分でその欲求そのもの,すなわち自分の生命を自分で断つ(自殺)論理的

な処理の方法をも発見させることになった。更にじゃまものは殺せという大量虐殺という論理的処

理の方法も。この知的処理は当然また種族保存の方にも働くようになり,さまざまな合理的なコン

トロールの仕方ができるようになり,波紋を呼んでいる。論理的処理を誤ったら,種の絶滅の方向

へ向って幕進し始めるかもしれない。科学は諸刃の剣といわれる所以であろう。

一26一

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感情と思考(知能)の発達(1) 29

              一一                〇

 ともあれここでもわれわれはルソー(Rousseau, J. J.)が警告し続けたように,そして既に保

存性の獲得過程で説明したように,発達し終えたおとなの状態から発達しつつある子どもの心を類

推することによって犯し続けてきたように,進化の預点にある発達し終えた人間のおとなの心から

類推することによって感情の発達の過程を類推する誤りを繰り返えさないことが必要である。

 アダムスミスがいったように,まさに眼に見えない神の手が働いて各欲求機構の遂行分業システ

ムが厳格に守られているようにみえるシロアリの世界。その中から,たとえぽ兵隊シロアリだけを

とり出してみたら,彼らはたとえ食物が手の届く傍にあってもそれを利用する方法を知らないか

ら,彼らのできる仕事だけをくり返えしながらまもなく死んでしまうだろう。実際にそれに似た例

が,サバンナに住む鹿科のエランドが見せる不思議な現象として報告されている。エランドはある

種のハエが鼻の中に入り,たまたま運悪く鼻の中で彼らが卵を生みつけると,決って脳のある部分

が冒されるらしく,その場で回転木場のように円を描いてどこまでも回り続ける。まだよく解って

いないが,円を描いてその場で廻るという一つの欲求機構が,コントロール権を握り続けてしまう

のではないかと考えられている(15)。

 これに似た人間の例もある。その一つは,ペンフィールド(Pen丘eld, W.)によって指摘された

てんかん患者の自動症である(16)。てんかん患者の自動症というのは,既に自動的になっている習

慣的行動を無意識に繰り返えすことである。したがって発作が30分から1時間続く時にはほとんど

完全に適切な情報の処理と適格な行動の選択を行い,まるで見聞きするものすべてを意識している

かのように,人込みを通り抜けて無事に家路をたどることがある。つまりその行動はコンピュータ

のように正確で,コンピュータのように何も意識しておらず,したがって警官が途中彼に話しかけ

ても夢遊病者のような印象を与えるだけで,その間の記憶は彼には全く欠落している。一般に患者

は,自動症の発作が起きると急に意識を失うが脳の他の仕組み(つまり無意識にできる行動)は働

き続けるので,このように当てもなくさまよい歩くこともあり,普通型にはまった習慣行動にした

がうことが多い。したがってその間はユーモアの感覚はむろん日没の美しさに感動したり,満足や

哀れみといった感情を抱くことも全くみられない。しかし,てんかん患者の場合には発作が解けれ

ぽ普通の生活に返られるわけだが,最近増えている前述のアルツハイマー性痴保症の場合は,いわ

ばこの自動症がずっと続く。その点は前述のエランドやシロアリの行動により似ているといえるか

もしれない。

 ペンフィールドはこうしたてんかん患者の自動症の治療経験から,人間はウィリアム・ジェイム

ズ(James, W.)がたとえたように眼が覚めると意識にスイッチが入れられ,その意識は目ざめて

いる間は途切れることなく一本の川の流れのように流れ続けると考えた。ただ私達の身内に深く隠

されたこの生ある流れは,岸辺の観察者によって流れを変えられることのない実在の川の流れとは

違って,岸辺の観察者すなわち最高位の領域,心の命令(思考や理性や好奇心等)に従って方向を

変えたり,内容がすっかり変わってしまったりする川の流れだという注釈を加えるべきだといって

いる。そしてこの観察者によって方向が変えられたり,内容が変えられたりする時に,さまざまな

一27一

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感情的表現が生まれるということで,自動症はこの観察者が失われた時の状態と考えた。

 ともあれもしペソフィールドのいうように目覚めると意識にスイッチが入れられ目覚めている間

意識が途切れることなく川の流れのように流れ続けるとしたら,恐らくわれわれは直ぐ様疲れ切っ

てしまわないか心配になってくる。われわれが疲れると最高位の脳機構,心がスイッチオフして眠

むりにつかせると彼はいっているが。しかしわれわれの意識はフロイトのいっているように,実在

の川とは違ってたえず断続し小休止をとりながら流れ続けているようにみえる。その証拠に誰ひと

りとして,今意識している意識を流れ続けさせることはできないことを知る。意識は明らかに眼が

覚めていても,断続しながら流れ続けているようにみえる。むしろ川の流れのようにたえず流れ続

けているものがあるとすれば,それは無意識の世界で,フロイトのいうようにそれがわれわれの意

識生活を支えて断続させながら流れ続けさせているようにみえる。それでもなお意識は疲れ,スイ

ッチオフされて眠むりに落ちいって再生を期すが,その間も無意識の世界が働いていることを,夢

などによってわたしたちは知らされて,むしろ驚かされる。それどころかわれわれの心臓は生まれ

た(いや個体として発生した)時から既に無意識な活動を始め,心臓が止まったら意識生活も終っ

てしまう。いや脳(意識)は死んでも(脳死),まだ心臓は活動し続けている場合もあって,問題に

なっている。確かにわれわれの中には疲れると,直ちに意識の流れをスイッチオフしてぶったおれ

るように寝てしまう人がある。私たちはそのような人を,たとえぽ便利で,子どものように単純な

人といったりする。つまり普通のおとなには余りできにくいことと考えられている。もっとも赤ち

ゃんでも既に他の欲求(体の痛みや神経の疲れ等)が競合するとむつかってなかなか寝むりにつか

れないのがみられる。多くのおとなはむしろ目覚める時も,寝むりにつく時も,仲々思うように意

識の管理(意志)がきかない。すなわちペンフィールドの最高位の心に従って直ちにスイッチオン

とスイッチオフできず,目覚ましのような外部の力を借りてスイッチオンしたり,仲々スイッチオ

フできず寝ぐるしい夜を送ることが少なくない。そのために「寝むられぬ夜のために」という長編

の名作もあるくらいである。

 4. 日常生活(その1)

 ペソフィールドのいうように,われわれの日常生活は,目覚めると意識にスイッチが入れられ,

心は直ちに自分の仕事にとりかかり,目覚めている間は意識の流れが流れ続け,疲れて眠ると意識

のスイッチが切られるのであろうか? これについて考えてみよう。われわれの日常生活は目覚め

ると,朝の習慣的行動,つまり服を着かえ,歯を磨き,朝食をそそくさと食べ,靴をはいて勤務先

きへと急ぐことから始まる。殆んど半無意識的にこれらの行動はなされる。われわれはこれらの習

慣的行動を半ば無意識的に(恐らくはてんかん患者の自動症に近い形で)こなすが,われわれの意

識生活の方は,さあこれこれのことを考え始めましようというように自分の仕事にとりかかるのだ

ろうか。そのような面も確かにないことはないが,むしろわれわれは以上のような習慣的行動をこ

なしながら,昨日,いやそれ以前からずっど続いている職場での嫌な記憶,むしろ忘れたい記憶

(の方が多い)の流れに従ってわれわれの心の生活が自分の意志,意図とは違って既に始まってい

一28一

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感情と思考(知能)の発達(1) 31

るのに気がつき憂うつになったりすることの方が多い。そしてこれから始まるであろう,1日の余

り愉快でない日常生活にうんざりしながら,気分を一新してできるだけ愉快にやろうと決めようと

したりする。しかしなかなかうまくいかない。もっとも逆に職場に淡い恋心を抱かせる可愛いい新

人の女の子が入ってきた若い独身のサラリーマンの場合には,1日はもっと違った始まり方をする

だろう。心は楽しい思いにおおわれ,うきうきしながら職場に急ぐことだろう。そのような時職場

について目前の仕事をまず片づけようと,うきうきした気持ちを締めだして,仕事に熱中しようと

しても,後から後から楽しい気持ちが追っかけてきて,心ここにあらずという状態になったりす

る。しかし逆に楽しい気分はなれた仕事を思ったよりはかどらせることが多いかもしれない。だか

らバートランド・ラッセル(Russel1, B.)は,「幸福論」の中で楽しい思考が流れ始めるような習

慣をつけておくことが生活を楽しくさせる。それが疲れの少ない楽しい人生が送れる最も大切な方

法だと忠告している。かといってペンフィールドのいうように目が覚めると楽しい思考の流れから

始って,それが流れ続けるようにスイッチオンして,私たちの意識生活を流れ続けさせることがで

きれるだろうか?

 5. 日常生活(その2)

 憂うつな気分から始まったにしろ,楽しい気分から意識生活がスタートしたにしろ,ともかく私

たちのような研究者が職場(学校)での仕事をどうにかこなして,いつものように無事家路をたど

り,夕飯を終えて,日課となっている研究生活にとりかかったとしよう。そのような場合の一例を

マービン・ミソスキーがアーサ・コナンドイルの著書に登場するチャレンジャー教授を使って次の

ように巧妙に説明しているので,それにそって考えてみよう(17)。

 r私は,ある問題に集中しようとしたが,あきて眠くなってしまった。そこで私は,ライバルの

一人であるチャレンジャー教授が同じ問題をあわや解きかかっていると思うことにした。そしてチ

ャレンジャー教授の努力を水の泡にしてやろうというライバル意識で,私はまたしばらくの間,問

題を解こうとし続けた。ところが奇妙なことに,この問題にチャレンジャー氏が関心を持ったこと

など,いまだかってなかったのである。』

 われわれ研究者にとっては,この「私」のしたことは共感できることであり,少なくとも理解は

できる。しかレ私たちなぜはこのように間接でまわりくどい,つまりありもしない幻想や,まった

くのうそまででっちあげて自分の行動をコントロールしようとしたりするのであろうか? いやし

なけれぽならないのだろうか? つまりどうして自分のしたいこと(欲求)をもっと素直に,つま

り「もっとはたらけ」とストレートに告げようとしないのだろうか?

 むろんそのように告げ自らに命令し続けてもきたのだが,それではもううまくいかなくなった。

寝む気の方が勝ちそうになった。コントP一ル権を握ってしまいそうになったのである。したがっ

てやむをえずラィパルのチャレンジャー教授のイメージをよびさますことによってラィパル意識

(勝あたい)をかきたて,競合する「眠りたい」欲求にうちかって,働き続けることにある程度成

一29一

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功させることができた。しかしもっと働きたい欲求は,どうしてそんなおかしなやり方を使ってま

でして目的を貫徹しようとしたりするのだろうか。私たちはこのような他人に対して抱くライバル

意識を不合理なものと思ってしまいがちである。むしろ感情のコントロールのできないおとなげな

い人として非難しがちである。というのは私たちの子どもたちには激しい進学競争の中で恐らく

は,これによく似た葛藤の中で青春を毎日使い果たしているものが多い,と多くの人が指摘してい

るからである。

 しかしおとなになったらそうしたライバル意識から自らを解放し,理性的に日常生活を送るべき

だと,私たちは考えている。つまりおとなならこのような感情を論理的に処理しろ! それでこそ

おとなと考えているのである。

 この話ではもっと働きたい欲求がライバルに負けたくないという情動をよび覚ますことによっ

て,眠りたい生理的欲求をしばし締め出すことに成功した。このことは感情的側面を切り捨てる

と,例のケラーのりこうな一匹のチンパンジーが手の届かないところにおかれたバナナを取ろうと

して,二本の棒をつきさして長くし,それを使ってバナナを手に入れたことに劣らず合理的な行動

といえる。この場合負けたくないというライバル意識は,同じように一つの有効な道具としての役

割を果たしている。腹のすいたチンパンジーたちも他の動物のように餌をとろうとして試行錯誤の

行動を繰り返えしたが,仲々バナナを取ることができなかった。しかし手の使えるチンパンジーの

中の一匹のりこうものが,偶然傍にあった棒をつきさすことによって,手を使えない動物には作る

ことのできない道具を作ることによって,餌を取るという課題を知的に解決することができた。既

に1章でちょっとふれた心理学上の決定的瞬間といわれて騒がれた発見である。はじめはこの一匹

のチソバソジーはチンパンジーの中の天才と考えられていたが,パブロフ等の指摘によって,その

前に棒でだ同じように遊ぽせておくと,殆んどのチンパンジーにはこのような場面に遭遇すると,

この程度の知的な処理ができるように脳が進化していることが解って,学習によるものだというこ

とになった。これはll章で述べた○と×の認識が学習によってサルに可能になったのと同じことで

ある。彼らはそのような場面に遭遇すると棒をつきさして道具を作ることが重大だということが解

ってからは,その後はもはやちゅうちょなくできるようになった。このようなことのできるチンパ

ンジーを見た時われわれは,チンパンジーにはこの程度の合理的な処理ができる知能が進化してい

ることに注目して,元が餌をとるという欲求から出発して試行錯誤の果てにそれができるようにな

ったことをともすれぽ忘れがちになる。われわれは既に述べたように食卓の文化を発達させてい

る。しかしもとはサバンナのハイエナと同じように飢えと渇きの欲求を充たすいたちごっこから出

発して,前述のキツネやタヌキの試行錯誤の段階を経てより合理的な処理方式としてあみだしたも

のである。つまり知的で合理的な抽象的思考もこのようにもともとはよくある日常の目的を達成す

るための具体的な手段を探す試行錯誤の具体的思考過程から出発したものである。しかし,この知

的な処理においても人間と他の動物とではやはり決定的なちがいがあことも事実である。

 たとえぽこのチンパンジーの子グアが,ほぼ同年齢の研究者の子どもドナルドと一緒に育てられ

て比較されている㈹。それによると彼らにその事が重要であることを知らせてやると.「跳躍,握

一30一

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感情と思考(知能)の発達(1) 33

手,コップで飲むこと,スプーソを使って食べること,ドアを開けること,お手つだい,人の要求

に従うこと,排便の予告,若干の語の意味を理解すること」などは,グアの方がドナルドより早く

できるようになった。がグアはその段階で早くも成熟的限界に達した。しかしドナルドはゆっくり

とこれに後から追いつき,生後1年2~3か月で殆んどすべての行動面で追い抜き,言語行動が軌

道にのり始めるとともにそれを使った抽象的思考の発達で日増しに知的処理の差異は大きくなって

いった。このことぽを使用する抽象的思考こそは人間の特徴の一つであり,おとなの思考の特徴で

あるが,その抽象的思考ももとはといえぽこのように日常の生活,もっとたどれぽ欲求の処理のた

めの試行錯誤の具体的思考から始まっていること,それを少しでももっと知的に処理しようとして

発達してきたものであることを,われわれはともすれぽ忘れがちである。元はそのような日常生活

の欲求を感情的に処理しようとする試行錯誤の行動の中から,欲求にしたがってただ感情的に処理

していたのではダメだということが解った。それを知的に処理しようとして発達してきた具体的思

考処理の段階から言語を使った抽象的思考処理のできる段階へと進むにつれて,次第に元の具体的

な日常生活の場面からその活動は次第に離れてゆき,抽象的な思考だけがひとり歩きしだしている

のが現在の特徴といえるかもしれない。この点についての考察は後になってもう一度返って詳しく

考察することにしよう。

 話を元に戻そう。前述のわれわれのライバル意識を使って眠りを追放しようとした時のわれわれ

の道具の使用の仕方に,チンパソジーの道具の使用の仕方にくらべて複雑な点があるとすれぽ,そ

れはただ一つ。彼らが目に見える具体的な棒を使ったのに対して,はたらきたい欲求が負けたくな

いライバル意識を直接には呼び起こすことができないで,チャレンジャー教授に対するありもしな

い個人的な空想,幻想を呼び起こすことによって間接的に起こしえたという点であろう。どちらも

道具を使用する論理的処理をしているのには違いないのだが,なぜわれわれはこのようなまわりく

どい方法を一層多く使うのだろうか? いや使わねばならないのだろうか?

 このような場合,ミンスキーがいっているようにわれわれに別のやり方,つまりもし私が間接的

にではなく,逆に直接的に命令する方法がとれたらどうなるかを考えてみるのがよいだろう㈹。

すなわちもっと働きたいなら,眠りたい欲求のスイッチを直接に切れるとすると,私たちはどうな

るだろうか? 恐らく前述のエランドのように働き続け,私たちは直ぐに疲れきってしまうだろ

う。それこそぶったあれるまで働き続けることになるだろう。確かにそれに近いところまでいっ

て,バタンキューでぶったおれるように寝てしまう便利な人もあることについては既に述べた。

 もしペンフィールドのいうように私たちの心の中にオールマイティの最高位の欲求管理機構があ

り,他の欲求機構全部のコントロールを一手に握っており,それに直接命令することができるとし

たら,逆に私たちは一日たりとも生き延びていくことはできなくなるのではないか? というの

は,前述のようにもっと働きたい時には,直接にもっと働くようにスイッチオンできるとすれぽ,

ぶったおれるまではおろか,エランドのように死ぬるまでそれをやり続けるかもしれないからであ

る。どうしてもパラソスよく,欲求をコソトロールできる,チェックする機構の存在が進化してい

なけれぽ,ここまで生き続けることはできなかったと考えなけれぽならない。この点では生物はみ

一311一

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な同じであろう。昆虫だってこのようなチェックによってバランスをとっていく機i構が備っている

はずである。ただその機構がどれだけ遺伝的に決められて動かし難いものになっているかの違いで

あって,複数の目的に向って働く欲求が共存する限り,例外はありえない。

 6. 喜び(にあきる)と痛み(になれる)の機能

 痛みは,われわれの神経系に何か故障が起こっていることを緊急に知らせ,それに応じて適切な

処置をとらせることによって私たちを助けていると考えられる。ところがもしわれわれが喜びに直

接スイッチを入れることができるとすれば,このような時直ちに喜びにスイッチを入れ,それによ

ってせっかくの痛みの警告を無視することによって適切な処置を劣り,死に至ることもありうるの

ではないか? 実際私たちは麻薬を使ってそれに近い行動をとる。麻薬の使用は,そのような直接

にスイッチオンできない私たちの心のはたらきに対する,もどかしさを象徴しているようにもみえ

るのだが。いやそれどころかもしそんなことができるなら,物心ついた途端に喜びにスイッチオン

したまま喜び続け,エランドのようにそのままひたすら喜び続け,そのあげく他のことは何もしな

いで死んでしまうかもしれないではないか? 冒頭で述べた私たちが喜んで満足そうな赤ちゃんを

抱いていて,いつまでも彼らを喜ばせ続けさせてやりたいと思うのは,この世が余り喜びにみちて

いないという思いがふと生み出すおとなの思考,それからの逃避としての麻薬への誘いともいうべ

きである。つまり現実ではどんな状態も所詮は長くは続かず,たとえぽ腹が空いてくると今度は苦

痛を感じ,放置すると泣き始める。

 私たちおとなは,少なくともこのような自分の中にある欲求機構を赤ちゃんとは違ってうまくコ

ントロールし,必要に応じて直接に適当にスィッチオンとスイッチオフしながら生き続けているよ

うにみえる。しかし果たしてそうであろうか。われわれも赤ちゃんと同じようにいつも楽しく喜び

続けている方が好いに決っている。ところがわれわれも喜び続けることはできなくて,むしろ苦し

みの方が多く,いやなことを忘れるために,帰路時折より道をして酒でうさをはらしているのが実

状である。

 それどころか私たちには初めは楽しくても同じことを何度も何度もしていると,飽きてしまうよ

うなチェック機構が具っていることを知る。このことは喜ぶという機能を担ういろいろなシステム

が持つ,一つの性質であるように思える。つまりこうしたいろいろなシステムは,変化が起こらな

いと飽きてしまう傾向がある。自分で学習するようなどんな存在でも,自分を防衛するための飽き

るというメカニズムを持つ必要がある。なぜならそういうメカニズムがないと学習可能な存在であ

っても,たとえば機械のように同じ行動をいつまでもいつまでも繰り返えしてしまう可能性がある

からである。

 このようなチェック機構が働かなくなった一つの例として文献上H.M.の頭文字で知られている

有名な例が報告されている(2°)。H.M.はてんかん治療のため脳の両側のある部分を切除手術され

たが,手術後会った人の顔を自分の主治医すら覚えることができなくなってしまった。そして彼は

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感情と思考(知能)の発達(1) 35

飽きることなく同じ雑誌を繰り返えし読み,毎回同じ箇所で笑い,その記事が前と同じものである

ことに全く気がつかなかったと報告されている。ところが彼の他の知能,たとえぽ言語機能は,す

べてその間も正常に働き続けていたのである。

 幸なことに私たちには,このように一つの欲求機構に余りに多くの時間を浪費しないですむよう

なメカニズムが,チェック機構として備えられている。また幸にもこうしたメカニズムのはたらき

は,抑制しにくくなっている。私たちが喜びのシステムをうまくコントロールできるとしたら,実

際に何も成し遂げなくても成功の喜びを味わい続けることができることになる。こんなことがもし

できるとしたら,すべてはおしまいになってしまうだろう。なぜなら私たちの心は直ぐさまコント

ロールを喜び続けることにあけわたしてしまい,それで私たちの一生は他のことは何もしないで終

ってしまうことになるだろうからである。たとえぽ何事も学習しないで一つのことをやり続けるミ

ツバチのオバチや女王シロアリのように。もっとも彼らは,クレッソン女史がいうように彼らなり

に貴重な仕事をしているのだが。

 おそららくなれるということも,あきるということと同じような,すなわち心の中でチェック機

能を働かせそれによって全部をダメにしないようにバランスをとって,私たちが進めるようにする

機能をもっているのではないかと考えられる。痛みも喜びの場合と同じように私たちを他の目標か

らそらせ,それに集中させる働きをする。私たちがどこかがたいへん痛いと感じる時,いま大事な

のはこの痛みをとめる方法を見つけることだけで,他のことなどは何も考えられなくなってしま

う。痛みは明らかに神経系に何か故障が起こっていることをこのようにして上位の中枢へ知らせる

働きをしている。そしてものの見方を単純にさせ,私たちの心を他の目標からそらせるほどの力を

持ち,そうやって痛みは私たちの生きるのを助けている。私たちの関心が長期的な目標に向かわな

いようにし,おそらくはコントロールを一番下位のシステムに移すことによって,目前の問題に注

意を集中させる。むろんそれが常によいとは限らず,むしろ悪く作用することもありうる。特に痛

みの原因を取り除くために複雑な計画を立てなければならない時は,残念ながら痛みは今目の前に

ないものに関心を向けないようにするので,そうした複i雑な計画を立てることと干渉し合う。しか

し危険度が増し続けていく時には痛みは増すが,それ以外の場合は普通,痛みにもわれわれは次第

に慣れて,いつまでもいつまでも盲目的緊急的にそれにとらおれて,適切な処置をとらせないこと

から解放してくれる場合が多い。これについてはまた後でふれよう。これは心の痛みの場合も同じ

である。同じ痛みにいつまでもいつまでもとらわれ続けなけれぽならないとしたら,やはり疲れ果

てて死んでしまうかもしれない。実際私たちの中には,身心いずれの痛みの場合も,それになれる

ことができず,それにとらわれて続けて,自分をダメにしてしまう人もある。そして適切な処置を

おこたると,痛みが増し,警告し続ける機能を持っていて適切な処置をとるよう助けている。われ

われは痛みによる警告を生かして,知的処理をするための科学的な処理を積みあげ,めざましい程

発達した医療機関を作りあげている。

 しかしそのような知的処理はまた逆の方向への弊害も生じさせている。すなわち痛みを治すため

一33一

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の妙薬の追求は,自分の痛みになれたり,治したりするのではなく,痛みをまひさせるさまざまな

麻薬の発見と使用にも道を開いている。しかしその麻薬もきいている期間は限られていて,私たち

を助けている。既に述べたようにここでも科学(論理的処理)が双刃の剣となりうるといわれる所

以である。ともあれ馴れるという機能も,抑制しにくくなっている。したがってわれわれはともす

ればマソネリズムに落ち入りがちである。しかし幸にもこれにも余りに多くの時間を浪費しないで

すむようなメカニズムが備えられている。つまりあきてしまう。たえずおれわれは変化を求めて,

マンネリの打破を試みる。しかしそれもまた余りうまく働くとは限らない。後述するように,赤

ちゃんのように余りに手軽に方向が変り過ぎるのを抑制する機能が働くようになる。バランスよく

進めるように,二重にも三重にもチェック機構が働くようになっていること,それがわれわれがき

びしい自然陶汰のふるいにふるい落されないでここまでこれた大きな原因なのではないかというこ

とを知る。

 ともかく私たちの心の生活では,喜ぶという機能を担う心のシステムと,痛みという機能を担う

心のシステムがあって,飽きるということと馴れるというチェック機構を働かせている。それによ

って私たちの心の働きが片寄りすぎないようにバランスをとって進み,新しいことを学習しながら

自分をよくしていく仕組みの中心を占めているのではないかと思われる。

 私たちの心は自分で自分をこのように拘束するような抑制できない制約によって縛られている。

たとえば私たちは心の中では何が起こっているか判断するのがむつかしいことを知っている。この

ような無意識に自分をコントロールする方法はフロイトのいうように非常に早くから作られ始める

からである。人間の赤ちゃんは他の生物にくらべてもたいへん無力に見える。しかしわれわれの赤

ん坊もかなり複雑な生まれつきの反射機能や,活動準備の整った神経系を持って生まれてくること

については既に述べた。産声を上げ,乳首を探し,乳を吸って飲み下し,体内で一一meの複雑な消化

作用を始めるのは,すべてこの生まれつきの反射のなせるわざである。そして彼らは生後一か月も

たたないうちに自分の興味をひくことに注意を向け,その他のことたとえぽ乳が飲みたいとか,お

むつが濡れて不快だとかいう気持ちさえ無視するのに気がつく。彼らが既に注意を集中し,好奇心

や興味の欲求がしぽしコントロールを握り,数はまだ少ないが無意識に働く自動装置の中から自分

の意志ではっきりと必要なものを選択して作動させ始め,周囲の世界の探求を開始していることに

気がつき驚嘆させられる。こうしてはじめは意識的な注意の集中のなかで身につけられた技能や知

識は次々に無意識的な自動装置として埋めこまれていくことについても既に述べた。とにかく彼ら

の欲求コントロールの長い学習の過程はこのように生まれた直後から開始されている。

 もう少し年長になった積み木遊びに熱中(注意を集中)している子どもについて考えてみよ

う(2’)。遊びがうまくいっている間は,遊ぶ欲求がコソトロール権を握っている。しかし時間がたつ

につれて当然腹がへったり,疲れて眠くなったりすることが考えられる。このように私たちの場合

には,前述のシロアリや一つのことをやり続けてあきないコンピュータのような機械とは違って,

さまざまの欲求機構を一局集中的にそなえているために,一・うのことをやり続ける,つまり一つの

一34一

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感情と思考(知能)の発達(1) 37

欲求機構「遊ぶ」がコントP一ルをいつまでも握り続けられないようになっている。食欲とか眠む

気とかのような他の目立つ欲求が活性化して来なくとも,前述のようにいわゆる飽きるとか,疲れ

るという,これをセーブする機能が働くようになっている。しかしまだ他のそのような欲求やセー

ブ機能が十分に強くなっていない問は,遊ぶ欲求は食欲や睡魔等々をよせつけないですむ。しかし

積み木遊びが何らかの事情でうまくいかなくなると,いわゆるいらいらしてきて遊ぶ欲求が弱めら

れてくる。そうすると食欲や睡魔が遊ぶ欲求からコソトロール権を簡単に奪えるような状態にな

る。しかも食欲や睡魔は時間がたてばたつ程強くなってくる。逆に遊びの方は時がたつ程飽きてく

るから,最後には遊ぶ欲求より強くなって,勝ってしまう。ただそのような場合でも心の中の欲求

の場合は,他の欲求たちがコントロールを握り,自分がコントロールの地位からはずされても,自

分の内部で働き続け,また後で機会を掴めるよう準備していることについて注目したのもまたフロ

イトであった。そうした心の奥底の無意識の世界に追いやられている欲求機構の働きには私たちは

普通は気がつかないが,たとえぽ眠っている時に夢の中で変形された形で姿を現わしてくることに

彼は目を向けさせた。夢の機能についても最近いろいろなことが解ってきて注目されている。これ

についても後でふれることにしよう。

 だがこのようにコントロール権が次から次により強くなった他の競合する欲求に譲り渡され移動

していくというのは,余りに無政府状態といえないか? つまり自分の欲求をコントロールする,

ペソフィールドがいったような最高位の心の領域,すなわち自分の意志といったものはないのか?

前述の赤ちゃんのようにわれわれには非常に早くから,この欲求をコントロールする領域が現われ

始めて驚かされるではないか。私も睡魔に対してチャレソジャー教授を思い出して強引にコントロ

ールしようとしたではないか?

 確かにわれわれの社会であったら,実際そのようなちゃんとした管理老が普通は存在し,各分業

下位システム(欲求遂行機構)間に争いが起こらないように前もってまず計画をたてるし,もし争

いが起こってしまったら,上位の管理老に調停を頼む前に自分のところで争いを片づけようとす

る。個人間の争いの場合でも,議論したり,争ったり,妥協したり,あるいは第三者の仲介を求め

たりする。また国は法律を作り,争いを調停するためには一審,二審,三審までも行き届いた機関

を作り,また各企業も経営のポリシーを定め,確かに下位レベルの働きは,上位レベルの働きによ

って常にコントロールされるのがみられる。それが社会レベルでも生存し続ける,すなわち自然陶

汰(社会陶汰)されない個体保存と種族保存(社会体制の発展)と維持の鉄則のようにみえる。

 しかし積み木遊びをしている子どもの心の中の遊び遂行担当システムは,ふつうの上記の人間社

会の分業システムのコントロールの仕方とどのくらい一致点を持っているのであろうか? たとえ

ば心の中の遊び担当システムはどの仕事をどの担当者に割り当てるかの自由を,人間社会の管理老

のようには持ってはいない。なぜならそれは既にいつも決っているからである。つまりやり方がま

ずいからといって,担当者をかえる自由も持ち合わせていないことは,食べるや眠るを担当してい

るシステムと全く同じである。また遊び担当システムの方も遊び終ったことを告げられるまで自分

一35一

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に割り当てられた仕事だけを単に忠実に決った手順でするだけで,遊び終った時には,さて次には

何をなすべきかの計画をたてることもないし,また突然のできごとに対処する方法をいろいろ使え

るわけではない。5時前男と5時から男の話は,外の世界の話である。この点はむしろシロアリの

世界やミツバチの世界の方により一致点を持っているというべきであろう。もとは同じものから進

化してきたのだから。このように私たちの心の中の各欲求遂行システムたちの能力は極めて限られ

ている。したがって合理的に作られた人工的な人間のコミュニティにおける社会的な個人の能力と

私たちの内部世界の能力とを直接に比べて類推してしまうことは避けるべきである。つまり心の中

の小さな各仕事担当システムは,われわれが社会生活でおとなの思考を働かせて合理的に作りあげ

ている,争いを避けるためにお互いに交渉したり,お互いに邪魔になることを調整する方法を見つ

けたりできるほど,いろいろなことを知っているわけではないのである。

 しかしむろんシロアリやミツバチの社会とも大きな違いがある。われわれの心の世界でも上位の

コントロール機構に頼んで争いを止めようとすることもある。しかしわれわれの心の場合,上位に

頼んでも決しておさまらず,私たちを悩ませ続ける争いもある。つまり争いを起こしている欲求た

ちの上位にいる欲求の働きも,競合の圧力にさらされることが絶えず起こり,下位の欲求の働き

が,争いによるものであれ,その能力によるものであれ,とにかく目標を達しにくくなると,フロ

イトのいうように上位の働きも弱まってくる。フロイトは管理機構である自我がリビドー(個体及

び種族保存欲求)と超自我(親の教え,したがって社会的良心)と現実の要求の争いにたえずおび

やかされ,それがうまくさばききれないのではないかという不安におそわれ病気と死への逃避の誘

惑にさらされているといっている。つまり内部の争いが続けば続く程,それをコントロールする欲

求の働きも弱められて,他の欲求がコソトロールを握ってしまい,元の欲求の働きを止めてしまう。

 しかしこのことは国や企業の場合も,最上位の権力管理機構は普通の状態の時には常に安泰で磐

石で,それ自身は競合の圧力にさらされることはないようにみえる。しかし下位の分業担当者たち

の働きが,争いによるものであれ,その能力によるものであれ,とにかく目標を達しにくくなる

と,競合の争いにさらされ,コントロールできなくなり,無政府状態になり,ひいては他の権力機

構がコントロールを握ってしまい,元の欲求の働きをとめてしまう。われわれの歴史はそのような

権力管理機構の交替の歴史でもあり,近くはフランス革命や帝政ロシアの崩壊(社会主義革命)で

も経験してきたし,日本の明治維新もその一例であろう。しかしそのような権力管理機構の交替に

際しては,人間の理性に反して無用の大量殺りくが繰り返えされてきた。こうして欲求や感情に基

づくままに処理していては,コストもエネルギーもかかりすぎる。知的な処理ができないものかと

いろいろ試行錯誤しながら,歴史の流れを科学的にとらえようとする動きが拾頭してきた。その一

つのめだった流れとして,革命的な大変化を,量(下位同士の争い)から質(上位と下位との争

い)への転化としてとらえようとする科学的弁証法という理論も開発された。こうして欲求の感情

(自然)的処理にともすれば支配されそうな人間を教育によって,論理的処理のできる理性的な人

間に作りかえ,欲求や感情と調和させて達成させる人工的社会主義国家を作ろうとする実験にのり

出した国々もあった。それは基本的には正しい方向かもしれないが,論理だけが先走ってそもそも

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感情と思考(知能)の発達(1) 39

そのもとである欲求やその感情的処理の方をおろそかにしてきたきらいがないでもない。それはち

ょうどわれわれはおとなの思考をコソピュータにのせることには,ある程度成功したが,そのもと

になっている子どもでもできる,誰でもやっている欲求や感情や認識の処理の仕方をコンピュータ

にのせることにいまだに苦慮しているのとよく似ているかも知れない。コンピュータに人間の心の

はたらきをシミュレートさせようとして,そのことにはじめてわれわれは気づかされたといっては

いいすぎであろうか?

 もう一度言おう。それは基本的には正しい方向かも知れない。なぜならわれわれは,欲求の処理

の仕方を欲求のままに遂行(赤ん坊)→感情的処理(乳幼児)→思考による論理的処理(学童期)→科学

的処理(文明人)へと進化させ,万物の霊長となりえたのだから。

 しかしその論理のみを重視し,そのもとになっている欲求や感情から出発して論理的処理が行わ

れていることを忘れて(忘れてというのが悪けれぽ軽視して)感情を持たないコンピュータのよう

にその論理のみがひとり歩きしだしていたということも考えられる。論理的処理のもとになってい

る,欲求の感情的処理は,論理が始まるまでに子どもたちに身につけられ,いわば深層心理の中に

かくされてしまうために簡単に考え,未処理のままに放置されていた。その欲求と感情が論理に反

抗を試みたのが,ポーランドから始まり,ベルリンの壁の崩壊に象徴される東欧,ソヴィエト圏の

危機的状況,更には資本主義と社会主義に利用され食いものにされてきた中東宗教世界の抵抗とみ

ることもできるかもしれない。われわれは冷たい戦争を資本主義(欲求の自由な開放)と社会主義

(科学的思考の重視)の競合とも考えてきたが,科学的思考が起こってきたのは,宗教(神への陶

酔としての感情のみ重視)支配から脱して欲求を自由に開放した資本主義が発展していく過程であ

った。それを科学的思考によって合理的に処理しようと意図しだしたのは,まだ僅か200年ぐらい

前からのことである。余りにせっかちに欲求の自然な開放さえしないで人間を論理のみ重視の教育

によって変えようとした悲劇だったともいえるのではないか?

 いずれにしてもフロイトがいうように頭でっかちなおとなの思考重視の考え方に対して,欲求

(自由)重視,感情(宗教)重視の無意識的過程が反抗を試みたとみることもできよう。もっとも

われわれの狭い脳のシステムの中で展開されている一人ひとりの心の分業システムと,その心が集

合して作り出している広大な外の分業世界との直接的な類推は避けるべきである。しかし硬直化し

たシロアリの分業システムと,人間が作り出した生きた分業社会。その両者を両側に置き,われわ

れの心の働きとの一致点と相違点を探ぐりながらわれわれの心の働きについて理解を深めていくこ

とは極めて魅力的な方向といえる。シロアリもミツバチも人間も先祖は同じ,元は一つのものから

進化してきたものであり,われわれの社会は他ならぬその進化の頂点としての人間のおとなの脳の

働きが作り出したものなのだから。つまりわれわれの心の中の働きは,人間のおとなにみられる合

理性を中心に働かせて作った人間社会とは違って,先祖である動物の欲求の不合理的な感情的コソ

トロールから出発し,生物進化の過程の中で論理ができないと知的な処理ができないことが解り,

欲求を感情によって並列に処理しながらも,最後には意識にのぼらせて直列に処理できる仕組みを

脳の中に作りあげたと考えられるのだから。

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 7.欲求の感情的処理と論理的処理(次の研究課題)

 子どもたちの遊び欲求を中心に欲求のコントロール権をめぐる,感情的争いとその論理的処理に

ついて考えてきたが,おとなの日常生活でも同じである。ペソフィールドやフロイトがいうように

われわれは夕方になると半ば自動的に働くようになっている心の働きのおかげで,ぼんやりととり

とめのないことを考えたり,人の顔を眺めておやと思ったりしながら電車を乗りつぎ家路をたど

る。電車を降りて途中でたとえぽなじみの赤提灯を見るとte急に酒が飲みたくなる。そうすると急

に他のことについての思考は止って,真直ぐ家に帰るべきか,飲んで帰ってもいいものか考え始め

る。早く帰って子どもと遊んでやり,女房と子どもに積年の借りを少しでも返えすべきか,それと

も疲れた一日の職場での不快な気持ちを好きな酒で一気に吹きとぽすべきか,急に二つの欲求がひ

きあい,競合し始める。どちらも感情的な力でひき合い,飲みたいという欲求が強く働くと,まま

よとぽかり家に帰るべきだという感情的欲求が一時中断されることになる。しかし飲み続けている

間もフロイトがいうようにその欲求から派生された感情は深層(?)の中で働き続け感情的反抗を

試み続ける。飲むと決めたのならすっきり飲もう,とそのしつように追いかけてくる感情的欲求を

ふり払おうとしたりする。しかし急に自分にもよく解らない里心が働き始めて,今度はもう少し飲

みたい欲求を中断させて家路をたどらされることになる。いずれにしてもこの場合感情にいうどら

れた状況というのが現われるのである。まさしく人間は感情の動物である。

 私たちは自分の心(欲求)をどうやってコソトロールしているのであろうか。「理想的にいえぽ」

やりたいことを選び,それから自分にそれをさせる。前述のように積み木遊びをしたい時には積み

木遊びをし家に帰りたくなれぽ帰り,飲みたくなれば飲めぽよい。食べたくなれぽ食べ,眠むたく

なれば寝ればよい。そしてのりをこえず,自他ともに迷惑をかけずに(つまり感情的にひき合う場

面を作らず)毎日が送れれぽ,孔子さまがいったように悟りの境地である。しかしこのようなやり

方は思ったよりむつかしい。飲み過ぎたり,残り少ない小使いをつい使い果たしたりして後悔し,

また子どもと女房にうしろめたい行動をまたしたと自分自身に腹をたてる。そして会社で面白くな

いことがあってね……とかいっていいわけをする。時には女房にだけではなく,チャレソジャー教

授等を使って自分自身にさえうそをつき,おどしたりする。自分の人生がうそとでっちあげとおど

しでなりたっているのではないか,と時に心配になったりする。つまり欲することをしてのりをこ

えずという境地には,仲々到達せず,私たち凡人は生涯,自分をコントロールするやり方を探し求

めている。そしてうまくいけぽ自分で自分を祝福し,失敗した時にはしまったと腹をたてるが後の

祭り。そして自分を叱ったり,恥じたり,ごまかしたりすることによって方法を変えようとする。

時には自分で自分をコントロールするのに疲れると自分を自分から解放してままよとぼかり下位の

欲求のままにまかせようとしたりもする。しかし世捨て人にでもならない限り,そうばかりはして

おれないのが私たちの人生である。いや世捨て人になっても,私たちの心が自分の意志に反して時

々刻々と変っていく(たとえぽからだの一部分が痛くなったりする)ことには,やはり対処してい

かなけれぽならない。いや世捨て人だって,西行法師のように,あきないように人生を旅して歩

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感情と思考(知能)の発達(1) 41

き,書かねぽならなかった。人間は一つのことになれきってしまうことはできないのだ。人間はま

さしく欲求と感情の動物である。すべての動物は先祖は同じなのだから。

 われわれが自分をコントロールすることは,このようにそんなに単純な技法ではない(22’。ペソ

フィールドがいうようにはじめから最高位のコソトロール機関があって目が覚めると意識にスイッ

チを入れる。そして必要に応じて適格に喜ぶや怒るや働く担当システムに自由自在にスイッチを入

れ,疲れると眠って意識にスイッチオフをする。このように自分で自分に簡単にスイッチを入れた

り,切ったりできるようなものではない。

 前述のチャレンジャー教授の話についてもう一度目を向けてみよう。それにによるとまず働きた

いという私の望みが初めにきて,それから次に眠りたい欲求が起ってきて競合しだし,働くが眠る

欲求と戦いきれなくなったので,チャレンジャー教授に対するライバル意識を呼び覚まし,負けた

くない感情を利用しようと考え,それがある程度成功したようにみえる。しかし実際の生活ではた

いていの場合,欲求と感情と思考の問の因果関係はそんなに単純ではない。働きたいという願望と

チャレンジャー教授に対するライバル意識は,研究者の場合には,あらゆる面で絡み合っているか

ら,働きたいとライバル意識とどちらかがこの場合原因になったかを問うても余り意味がないだろ

う。たとえば私は働き続けたかったので,ライバル意識を使って眠りに打ち勝とうとした。私はラ

イバル意識が起こってきたので,眠りに打ち勝って働き続けようとした。また私は急に眠りたくな

ったが,ライバル意識を呼び起こして働き続けようとした。

 この場合われわれは最初の原因はどれだったか,どちらが先きで,どちらが後だったか等とよく

自問自答したりする。しかしどちらが先きであるかを決めることなどできない程,われわれ研究者

の間ではこれらは絡み合っているのではないか。進学競争の中で青春を使い果たしている,われわ

れの子どもたちの心の働きも,全くわれわれ研究者と同じようになっていることが思いやられ人ご

とではなくなってくる。いずれにしても既に何度も述べたようにわれわれおとなの心の中の欲求と

感情と思考の因果関係は,たいていの場合いろいろ絡り合って何段階もの発達段階を経て蓄積され

ている。自分自身でもこれを解きほぐして,どれが始めで,どこから始って現在のような感情と思

考の仕方になっているかを理解することなどは誰でもそう簡単にはできる相談ではないと思う。わ

れわれはそのようなライバル意識を抱くことを不合理なものと思い,感情的に生きていてはダメだ

とうしろめたく思い,研究者ならそんな不純な気持ちから出発してはダメだ。もっと理性的に研究

を続けるべきだ,このように考え始める。その因果関係について考え始めるのは,このように論理

的に処理して理性的な生き方をしようとするからである。しかしどだい毎日目が覚めた時,今日何

から考え始めるべきかを自らが決めることなどできるはずはない。目が覚めると既にボンヤリ何か

を考え始めている。むしろチャレンジャー教授へのライバル意識のなごりから考え始めている自分

(?)に気がついて自分(?)が嫌になってくる。今日は大学から緊急に考え解答を出すよう命ぜ

られている緊急課題が与えられているから,それについて集中的にまず考えなければならないと,

ともすれぽわれわれの心をとらえそうになるそのような不快な記憶(邪心)をふり払おうとする。

当面の問題を今度はチャレンジャー教授から転じて怒りっぽい上役のイメージ等を思い出したりす

一39一

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ることによってやり遂げようとするのが,われわれの日常ではないか。日々新たにというけれど

も,そして確かに日々新たに過去から続いているこの欲求と感情と思考のコントロール争いのジャ

ングルの中を流れ続けているというのが実状ではないか? そのような時にはどこから始ってどこ

へ行くか,スイッチオンしたりオフしたりしているのは自分なのか,自分を裏切っている無意識の

世界の働きなのか自分にも解らなくなってしまう。作家の大江健三郎氏がテレビの日曜イソタヴュ

ーの中で次のような意味のことをいっていたが,全くうなづけるところである(23)。

 「人生には意識的,無意識的に重なって,その人間の人間らしさをつくっている習慣っていうも

の」があって,「しかもそれが全体でこみになってその人間に力を与えていると思う。もしかした

ら僕が非常に行き詰まってどうにもしようがないと思って困っている時に,その僕を押し出してく

れるものは,もしかしたら僕の積み上げてきた悪い習慣かも知れない。」

 だからバートランド・ラッセルが幸福論の中で,楽しい人生を送ろうと思うなら,楽しいことを考

える習慣を積み上げておきなさい。そうしたらそれが僕を押して出してくれるかもしれないといっ

ているのであろう。しかし私たちの人生は,仲々そうはいかず,チャレンジャー教授のイメージにむ

しろに悩まされ続け,それによって疲れる人生を送っている。なんとか理性によってこれを論理的に

処理できないものかと悩んでいる。論理的処理をしているコソピュータは悩みもしないし,第一感じ

たりしない。しかし果たしてコンピュータは悩まないでおれるのだろうか。コンピュータが白アリの

段階から先に進もうとすれば,つまり遂行する目的(欲求)が競合するようにすれば,感情を持たない

で進めるだろうか。それとも論理的処理だけをしている今のコンピュータは悩んでもいないし,疲

れもしらない,ちょうどシロアリ社会のハタラキシロアリのように。そのようになりたいだろうか?

 ともあれ人間のおとなの意識生活にスイッチオンしたり,オフしたりしているのは誰なのか?

ペンフィードのいうように生まれつき具った最高位の心の領域なのか? それともフロイトがいっ

ている,非常に早い時期から育ち始める弱い自我(自分)なのだろうか? それとも過去が積みあ

げてきた記憶,習慣なのか? それとも……。一体自我とか,この自分といっているものは何なの

か? いよいよこの自分という心の領域について考えていかなければならない。これが次の研究課

題となる。                                   (未完)

   総

、難灘

   藤繍織鹸・

騨購灘・

  私はブルーナー教授と一度お会い

 した。彼の紹介してくれたホテルで

灘三日過ごしたが,その時の3枚の写

 真のうち2枚を紛失した。最後の1

 枚をここにのせさせていただくこと

 にした。たいへんお世話になった彼

 の秘書ケーガン女史が写っていない

 のがたいへん残念である。

写真 オックスフォード大学教職員

カフェテリアの前でブルーナー教授

(右)と著者 (1977年10月5日)

一40一

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感情と思考(知能)の発達(1) 43

  注

(1)(2)(5)(6) 甘利俊一「脳とコンピュータ」日本学際会議編「ニューロコンピータへの発想」共立出

  版

(3) 「神経系の学習機構」朝日新聞1991年7月6日

(4) 「ぼけの原因物質を確認」赤旗1991年4月17日

(7)(9)(11)(12)(14)(17)(19)(21)(22) ミンスキー,M.「心の社会」(安西祐一郎訳)産業図書

(8)(10) ブルーナーJ.S,「認識能力の成長」(下巻)(岡本夏木他訳)明治図書

(13) モーリス・メーテルリンク「白蟻の生活」(尾崎和郎訳)工作舎

(15) 「地球ファミリー」NHK放映

(16)ペソフィールド,W.「脳と心の正体」(塚田裕三,山河宏訳)文化放送

(18)Kellogg, W. N.&Kellogg, L. A.「The Ape and the Child」McGrow村田孝次「教養の心理学」

  培風館

(20) 宮下保司「記憶のメカニズム」伊藤正男・佐伯脾編「認識し行動する脳」東京大学出版会

(23) 「ビデオテープ」朝日新聞1991年7月18日

(きしもと ひろむ)

一41一

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   ノ       ノ

《Resume》

A Study of the Developmental Processes of

      Feelings and Thinking(1)

Simulations of Humans, Animals, and Machines

Hiromu KISHIMOTO

   Three of the most rational ways for understanding human beings’complex

behaviors and personalit1es are by tracing(1)the ontogenic development of human

beings after their birth,(2) the phylogenic evolution process of behavioral adaptation

of animals, humans’ancestors, and(3)the ethnologic psychological development of

culture since the genesis of humans.

   Human behavior as well as that of animals is comprised of a natura1,0r innate

factor, and an acquired factor on the basis of experiences. The former factor is

more dominant in the lower animals, whils, the latter is stronger in the higher

animals. Behavior of hulnan adults is more di缶cult to understand because they have

more factors acquired through their experiences. Psychologically, efForts to understand

the conditions have been made in three ways:(1)adynamic psychological approach

focussing on the most instinctive desire to preserve species;(2) a behavioristic

approach stressing the relation between human and animal behavior;(3)an anthro-

pocentric and extentialistic approach placing emphasis on human nature. Although

these views have been sharply divided and studied through thlough much debate,

they will have to be integrated in the future.

   In recent years, computers have markedly developed. For example, large・scale

integrated circuits with 5760peration elements patterned after the human brain’s

functions have already been developed in Japan. Each element, which has relatively

simple operational functions, computes at ultrahigh speed, exhibiting a human-like

power of intuition by interchanging complicatedly linked signals with each other.

This means that computers reenact electronically the mechqnism of the brain which

learns many things and makes intuitive decisions. By the united efforts of psycholo-

gists and elect ronics researchers, it might be possible to untangle the mystery of

humans’mental faculties, intellects, and original ability to deal with information. In

the world of molecular biology, which has been making rapid progress in recent

years, the origill of a life is an incident in the process of changes in materials, and

the evolution of life is the result brought about by accumlated accidents in the

reproduction process of the genes DNA. The appearance of mental faculties of human

beings, the lord of all creation, is also the total product of incalculable accidents.

In other words, studies on“Human Beings”, one of the oldest themes which humans

742一

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have so far pursued, are now rapidly becoming a task in the.丘eld of life science.

The psychological issues of heredity and environment in the evolution of humans

have begun to have light thrown on them from the viewpoint of hereditary mechanism

and development.

   Thus, the mystery of human psychological nature  human behavior, feelings,

and mental faculties, their original forms of mind  is being rapidly elucidated by

comparison studies of hman and animal behavior, and advancing cognitive psychology,

particulaly energetic studies in the non-psychological丘elds such as molecular biology,

evolutional ecology, neurology, and electronics. The purpose of this study is to

consider the trend of the abovementioned studies from the viewpoint of developmental

process of human m三nds, developmental psychology, to clarify the量r relations, and to

introduce issues to be investigated.(To be continued.)

一43一