シベリアのタイガでは下層植生が森林の炭素循環を左右する詳しくは、osawa...

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森林総合研究所 平成 22 年版 研究成果選集 6 中央シベリアの永久凍土地帯には、落葉針葉樹のグメリニカラマツが優占するタイガ * が 広がっています。ここでは、約 100 年に一度起こる山火事の跡地にカラマツが一斉に更新し ますが、森林が発達してくると、林床はやがて地衣やコケ、低木類などで厚く覆われてしま います。これらの下層植生は、その被覆によって地温の上昇を抑え凍土を融けにくくするな ど、土壌の温度環境への影響をとおして、カラマツの成長や森林の炭素循環を大きく左右し ていると考えられます。しかし、こうした下層植生が凍土地帯の森林で果たす役割については、 まだ十分に解明されていません。そこで、この研究では野外で下層植生を人工的に剥ぎ取る 試験を行って、土壌の温度環境への影響を調べました。 背景と目的 シベリアのタイガでは下層植生が森林の炭素循環を左右する 下層植生の断熱効果 永久凍土と言っても、夏には地面の表層が一部解けま す。この毎年融解する部分は活動層と呼ばれ、カラマツや 林床の様々な植物は(図1)、ここに根を張り水分や養分を 吸収することで生育できます。林齢が約 100 年生の林で活 動層の深さを測定したところ、林内では 60 ~ 70cm でし た。一方、同じ林で下層植生を剥ぎ取った場所では(図2)、 140 ~ 150cm と 2 倍程度に達していました。このことは、 下層植生が繁茂すると、その被覆による断熱効果で地温が 下がり、凍土の融ける深さが浅くなることを物語っていま す。 さまざまな林齢の林で活動層の深さを調べてみると、一 般に山火事で更新した直後の若い林では深く、その後林齢 とともに徐々に浅くなる傾向がみられました(図3)。さら に、同じ林齢の林でも、下層植生の被覆程度が大きいほど、 活動層はより浅いことがわかりました。このように、永久 凍土地帯では、活動層、すなわち植物が根を張って生育し ていくために必要な土壌空間の大きさは、下層植生の発達 程度に大きく依存しています。 炭素循環からみた下層植生の役割 私たちが調査したシベリアのタイガでは、カラマツの成 長は更新後しばらく良好ですが、30 ~ 40 年経つと急激に 衰えます。そして、森林の炭素固定量も著しく低下するこ とがわかっています。このように成長が急に衰える現象は、 下層植生が発達してくると、その断熱効果で地温が低下し て活動層が浅くなり、養分の吸収も困難になることがおも な原因と考えられます。 シベリアでは、今後温暖化によって樹木や森林の炭素固 定能は増大するものの、凍土の融解が進んで土壌の侵食や 森林の劣化が起こるなど、悪い影響面も強く懸念されてい ます。こうした影響を正確に予測するためには、下層植生 が土壌の温度や養分環境の形成に果たす様々な役割につい て、さらに理解を深めることが大切です。 本研究は、日本学術振興会二国間(日露)交流事業・共 同研究課題「中央シベリア凍土地帯カラマツ林生態系の種 多様性と生産力に関する研究」(2008 ~ 2009 年度)によ る成果です。 詳しくは、Osawa A. 他編(2010) Permafrost Ecosystems: Siberian Larch Forests. Ecological Studies Vol. 209, Springer をご覧下さい。 成 果 植物生態研究領域  梶本 卓也 立地環境研究領域  松浦 陽次郎、森下 智陽

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Page 1: シベリアのタイガでは下層植生が森林の炭素循環を左右する詳しくは、Osawa A. 他編(2010) Permafrost Ecosystems: Siberian Larch Forests. Ecological Studies

森林総合研究所 平成 22 年版 研究成果選集

6

 中央シベリアの永久凍土地帯には、落葉針葉樹のグメリニカラマツが優占するタイガ * が広がっています。ここでは、約 100 年に一度起こる山火事の跡地にカラマツが一斉に更新しますが、森林が発達してくると、林床はやがて地衣やコケ、低木類などで厚く覆われてしまいます。これらの下層植生は、その被覆によって地温の上昇を抑え凍土を融けにくくするなど、土壌の温度環境への影響をとおして、カラマツの成長や森林の炭素循環を大きく左右していると考えられます。しかし、こうした下層植生が凍土地帯の森林で果たす役割については、まだ十分に解明されていません。そこで、この研究では野外で下層植生を人工的に剥ぎ取る試験を行って、土壌の温度環境への影響を調べました。

背景と目的

シベリアのタイガでは下層植生が森林の炭素循環を左右する

下層植生の断熱効果永久凍土と言っても、夏には地面の表層が一部解けま

す。この毎年融解する部分は活動層と呼ばれ、カラマツや林床の様々な植物は(図 1)、ここに根を張り水分や養分を吸収することで生育できます。林齢が約 100 年生の林で活動層の深さを測定したところ、林内では 60 ~ 70cm でした。一方、同じ林で下層植生を剥ぎ取った場所では(図 2)、140 ~ 150cm と 2 倍程度に達していました。このことは、下層植生が繁茂すると、その被覆による断熱効果で地温が下がり、凍土の融ける深さが浅くなることを物語っています。

さまざまな林齢の林で活動層の深さを調べてみると、一般に山火事で更新した直後の若い林では深く、その後林齢とともに徐々に浅くなる傾向がみられました(図 3)。さらに、同じ林齢の林でも、下層植生の被覆程度が大きいほど、活動層はより浅いことがわかりました。このように、永久凍土地帯では、活動層、すなわち植物が根を張って生育していくために必要な土壌空間の大きさは、下層植生の発達程度に大きく依存しています。

炭素循環からみた下層植生の役割私たちが調査したシベリアのタイガでは、カラマツの成

長は更新後しばらく良好ですが、30 ~ 40 年経つと急激に衰えます。そして、森林の炭素固定量も著しく低下することがわかっています。このように成長が急に衰える現象は、下層植生が発達してくると、その断熱効果で地温が低下して活動層が浅くなり、養分の吸収も困難になることがおもな原因と考えられます。

シベリアでは、今後温暖化によって樹木や森林の炭素固定能は増大するものの、凍土の融解が進んで土壌の侵食や森林の劣化が起こるなど、悪い影響面も強く懸念されています。こうした影響を正確に予測するためには、下層植生が土壌の温度や養分環境の形成に果たす様々な役割について、さらに理解を深めることが大切です。

本研究は、日本学術振興会二国間(日露)交流事業・共同研究課題「中央シベリア凍土地帯カラマツ林生態系の種多様性と生産力に関する研究」(2008 ~ 2009 年度)による成果です。

詳しくは、Osawa A. 他編(2010) Permafrost Ecosystems: Siberian Larch Forests. Ecological Studies Vol. 209, Springerをご覧下さい。

成 果

植物生態研究領域  梶本 卓也立地環境研究領域  松浦 陽次郎、森下 智陽

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F F P R I

図1 中央シベリアのカラマツ林と林床のおもな下層植生

図2 下層植生の剥ぎ取り試験区

図3 下層植生の被覆度(Ao 層の厚さ)と活動層の深さの関係

図2 下層植生の剥ぎ取り試験区

図3 下層植生の被覆度(Ao層の厚さ)と活動層の深さの関係

図1 中央シベリアのカラマツ林と林床のおもな下層植生

イソツツジ

地衣類

ミズゴケ山火事更新後、約100年生の森林

剥ぎ取り直後 3年目

0

50

100

150

200

0 20 40 60

活動層の深さ(cm)

下層植生の被覆度 (cm)

調査林分 (林齢)

▲▲ < 30年生

■■■■ 105年生

■ 105年生□ (*剥ぎ取り区)

● 180年生○ >220年生

図2 下層植生の剥ぎ取り試験区

図3 下層植生の被覆度(Ao層の厚さ)と活動層の深さの関係

図1 中央シベリアのカラマツ林と林床のおもな下層植生

イソツツジ

地衣類

ミズゴケ山火事更新後、約100年生の森林

剥ぎ取り直後 3年目

0

50

100

150

200

0 20 40 60

活動層の深さ(cm)

下層植生の被覆度 (cm)

調査林分 (林齢)

▲▲ < 30年生

■■■■ 105年生

■ 105年生□ (*剥ぎ取り区)

● 180年生○ >220年生

図2 下層植生の剥ぎ取り試験区

図3 下層植生の被覆度(Ao層の厚さ)と活動層の深さの関係

図1 中央シベリアのカラマツ林と林床のおもな下層植生

イソツツジ

地衣類

ミズゴケ山火事更新後、約100年生の森林

剥ぎ取り直後 3年目

0

50

100

150

200

0 20 40 60

活動層の深さ(cm)

下層植生の被覆度 (cm)

調査林分 (林齢)

▲▲ < 30年生

■■■■ 105年生

■ 105年生□ (*剥ぎ取り区)

● 180年生○ >220年生