ベトナム戦争と東アジアの経済成長 -...

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Musashi University Working Paper No.18 (J-10) ベトナム戦争と東アジアの経済成長 2013 7 武蔵大学 東郷 賢 <要旨> 本稿はベトナム戦争が、東アジアの経済成長に与えた影響を考察する。東アジアの経済 成長について議論する際、なぜか既存研究の多くはベトナム戦争の影響は取り上げない。 しかし、ベトナム戦争が東アジアの経済成長に与えた影響は大きい。本稿では、どの程度 の影響を与えたのかデータを示すとともに、日本と韓国のベトナム戦争に対する関与の方 針(能動的か、受動的か)にも言及する。それは外交政策が経済成長に与える影響を示す 一つの証拠となると考えるからである。 Key words: ベトナム戦争、東アジア、経済成長 JEL code: O53 Economywide Country Studies - Asia including Middle Eastemail: [email protected] 読者諸兄の忌憚ないご批判を頂ければ幸いである。

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Musashi University Working Paper

No.18 (J-10)

ベトナム戦争と東アジアの経済成長

2013年 7月

武蔵大学

東郷 賢*

<要旨>

本稿はベトナム戦争が、東アジアの経済成長に与えた影響を考察する。東アジアの経済

成長について議論する際、なぜか既存研究の多くはベトナム戦争の影響は取り上げない。

しかし、ベトナム戦争が東アジアの経済成長に与えた影響は大きい。本稿では、どの程度

の影響を与えたのかデータを示すとともに、日本と韓国のベトナム戦争に対する関与の方

針(能動的か、受動的か)にも言及する。それは外交政策が経済成長に与える影響を示す

一つの証拠となると考えるからである。

Key words: ベトナム戦争、東アジア、経済成長

JEL code: O53 (Economywide Country Studies - Asia including Middle East)

* email: [email protected] 読者諸兄の忌憚ないご批判を頂ければ幸いである。

1

1. はじめに

本稿はベトナム戦争が東アジア諸国の高成長に与えた影響を考察するものである。なぜ、

この研究を始めたかと言えば、ベトナム戦争は東アジア諸国の成長に大きな影響を与えた

と考えられるものの、その点を明示的に取り上げた研究は数少なく、その内容も様々であ

り、従って、改めてその影響の大きさおよび内容を分析することに価値があると考えたた

めである。また、後述するとおり、韓国は能動的にベトナム戦争を利用したと考えられ、

これは外交政策が経済成長をもたらした一つの証拠になると考えた。

東アジア諸国の高成長の要因については数多くの研究がある。最も有名なものは世界銀

行が 1993年に出版した The East Asian Miracle: Economic Growth and Public Policy(邦

訳は世界銀行(1994)、『東アジアの奇跡 経済成長と政府の役割』)であろう。そこでは各

国の貿易政策や公共政策についてはかなりの紙幅を割いて分析を行っているものの、朝鮮

戦争やベトナム戦争の影響については以下のとおり僅か数行しか取り上げていない。

「同様に重要であると考えられるのは、米軍によるアジアにおける大量の資材の調達が、

育ちつつある輸出産業にお誂え向きの市場を提供したということである。日本の産業は、

朝鮮半島に駐留していた米軍への資材提供によって大きな後押しを得た。同様に、韓国の

巨大コングロマリットは、ベトナム戦争期に米軍に財貨・サービスを販売することによっ

て、その成長の端緒を得た。」(世界銀行 1994, p.78)

短い文章であるが、この指摘は大変興味深い。しかし、米軍による財やサービスの調達

の影響については、この本ではそれ以降全く触れられていない。「重要である」と指摘して

おきながら、その点に触れないのは不自然である。

東アジアの成長の重要な要因として朝鮮戦争やベトナム戦争を指摘すると、「戦争を利用

して儲けた」との非難を受けると考えたのであろうか?あるいは、戦争が成長要因と言っ

てしまったとたん、他の途上国がいくら政府の役割を強化しても、戦争がない状況下では

十分な成長が遂げられないことになってしまうと、人々に受け止められてしまうと考えた

のであろうか?

The East Asian Miracle の他にも、東アジアの成長要因については、数多くの研究が発

表されている。経済学的な分析としては、東アジアの経済成長は市場メカニズムを有効に

活用したものだとする自由主義政策を支持する研究者のグループと、そうではなく東アジ

アの経済成長は政府による市場への介入政策の結果であるとする研究者のグループがある。

この両者の間の論争については、Amsden(1989)や Wade(2004)が、韓国政府や台湾政府の

介入の実績を詳細に報告したことから、現在では後者の主張の方が説得力を持つと考えら

2

れる。この他にも社会学的アプローチとして、Vogel(1991)は旧秩序の崩壊や、政治的・経

済的緊迫感、勤勉な労働者、日本型モデルなどを高成長の要因として指摘している。

このように東アジアの経済成長については、様々な要因が指摘されているものの、上記

のように、その多くは東アジア諸国自身の要因、例えば各国政府の経済政策や国民の特性

などに焦点を当てたものが多い。しかしながら、下のグラフを見てわかるとおり、東アジ

ア諸国が高成長を遂げた時期はベトナム戦争の時期(1965 年前後から 1975 年前後まで)

と重なっている1。

注:データは付表 1に掲載。

HKG:香港、JPN:日本、KOR:韓国、SGP:シンガポール、TWN:台湾

出所:内閣府(日本)、Council for Planning and Development(台湾)、

World Bank(他の国)

東アジア諸国が輸出主導の成長を遂げたのは周知の事実であるが、輸出は輸入する国が

あって初めて成り立つ。彼らの供給能力だけでなく、誰が彼らの製品の需要を担ったのか、

という視点があって初めて、輸出主導の成長の原因がわかる。この観点からベトナム戦争

の影響を考える意義は大きい。以下では、第 2節でベトナム戦争の概要とベトナム戦争を

実施したことによって変貌を遂げた米国経済について簡潔に紹介したのち、第 3節でベト

ナム戦争と東アジアの経済成長の関係について考察を行う。そして最後に本稿の要点をま

とめ、今後の研究課題について整理を行う。

2. ベトナム戦争の概略と米国経済

2.1.ベトナム戦争の概略(表 1参照)

1 1973年に石油危機があったため、それ以降の成長率は低くなっていると考えられる。

-2

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0

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3

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4

197

5

グラフ1:東アジア諸国のGDP 成長率

HKG

JPN

KOR

SGP

TWA

3

表1:ベトナム戦争と米国、韓国、日本年 ベトナム 米国 韓国 日本

1945 ポツダム宣言受諾(8/14)

ベトナム共産党ホーチミン主席、ハノイを首都とするベトナム民主

共和国独立宣言(9/2)

フランス軍がサイゴン侵攻(9)

1946 フランス軍、ハノイに侵攻(3)

1947フランス、バオ・ダイ帝を主席とするベトナム国をサイゴンに樹立(3)

トルーマン・ドクトリン発表(3)

内戦の激化

1950 朝鮮戦争勃発(6/25)

1953 アイゼンハウアー、大統領就任(1)

朝鮮休戦協定成立(7)

1954 ディエンビエンフー陥落(5)

ジュネーブ休戦協定締結、17度線

を暫定軍事境界線として南北分離(7)

1955ベトナム共和国成立。ゴ・ディン・

ジェム大統領に就任(10)

1959 ベトナム賠償・借款協定批准(5)

1960 日米新安全保障条約調印(1)

四月革命で李承晩退陣(4)

南ベトナム解放民族戦線(通称ベ

トコン}結成(12)

1961 ケネディ、大統領就任(1)

軍部クーデターにより朴正煕が国

家再建最高会議議長となる(5)

1962 米国、軍事援助司令部設置

1963南ベトナム、クーデターでゴディン・ディエム政権崩壊(11)

ケネディ暗殺され、ジョンソンが大統領に就任(11)

朴正煕大統領に就任(12)

1964 トンキン湾事件(8)

1965 米軍による北爆開始(2) 南ベトナムへ派兵(2)

米軍地上戦闘部隊を大量投入(3)

朴・ジョンソン共同声明(5/18)

日韓基本条約調印(6/22)

1966 ブラウン覚書(3/4)

1967佐藤首相訪米し、日米共同声明を

発表(11/15)

1968ベトナム解放軍によるテト攻勢始

まる(1)

パリ和平会談(5)

北爆停止(10)

1969 ニクソン、大統領に就任(1)

ニクソン大統領、グアム・ドクトリン発表(7)

ホー・チ・ミン死(9)

佐藤・ニクソン共同声明(11/21)

1970 米軍、北爆再開(11)

1971 沖縄返還協定調印(6)

ドルと金の兌換停止(8/15)

1972 日米繊維協定調印(1)

ニクソン大統領、中国を訪問(2)

日中国交回復(9/29)

1973 ベトナム和平協定締結(1)

1975 サイゴン陥落(4)

1976南北統一、国名をベトナム社会主

義共和国に改称(7)

注:( )内は月日。例えば、(4/17)は4月17日、(5)は5月。

4

ベトナム戦争は正式な宣戦布告がないまま、始められた戦争であることから、いつ始ま

り、いつ終わったかがはっきりしない。しかしながら、その発生の原因も含め、米国が介

入を強めていく過程は重要であるので、以下その概略を示すこととしたい。

1945年 8月の日本の敗戦により、インドシナから日本軍が撤退すると、ベトナム共産党

主席のホーチミンはベトナム民主共和国の独立宣言を行った。しかしながら、日本軍侵攻

以前にベトナムを植民地にしていたフランスが、再びベトナムに侵攻し、バオ・ダイ帝を

主席とするベトナム国を樹立し支援したため、内戦が生じた。

ディエンビエンフーの戦いで、フランス軍は大きな打撃を蒙り、1954 年にジュネーブ休

戦協定が結ばれた。この協定によりフランス軍は撤退し、17 度線を境にベトナムは南北に

分離された。1945 年から 1954 年のジュネーブ協定までの戦いは、ベトナム人にとっては

抗仏戦争であり、彼らはその目的を遂げたこととなる。この時期の戦いは、第一次インド

シナ戦争と呼ばれることがある。

ジュネーブ協定では 2 年後には総選挙を行い、南北統一をすることが定められていた。

しかし、米国はジュネーブ協定の調印を拒否した(井村 1988、p.20)。総選挙は先送りされ、

その間、米国は南ベトナムの反共政権であるゴ・ディン・ジェム政権を支援していった。

吉沢(1988)によれば、米国は 1954年から 1960年にかけて、毎年約 650人の軍事顧問

を南ベトナムに常駐させ、アメリカ製の武器を供与し、対ゲリラ戦の訓練をおこなったと

いう。しかし、同時期南ベトナムでは反米・反政府運動が盛んになり、ついには 1960 年

12月に、南ベトナム解放民族戦線(通称、ベトコン)が結成されるにいたった。

1961年以降、米国は軍事顧問団を増強していった。南ベトナム派遣のアメリカ兵は、61

年末には 3200 人に、62年末には 1 万 1千人をこえ、64年 6 月末には 1万 65 百人までふ

くれあがったとされる(吉沢 1988, p.15)。

1964年 8月のトンキン湾事件を契機に、その報復として、米国は直接の軍事介入に踏み

切り、1965 年 2 月には北爆(北ベトナムへの連続的爆撃)を開始し、3 月には米軍の地上

戦闘部隊を大量投入していく2。米国が直接的な軍事行動に出たことで、この 1965 年をも

ってベトナム戦争の始まりと考えることもできる。

2 トンキン湾事件(Tonkin Resolution)とは、北緯 19度線付近のトンキン湾で情報収集パトロール中の

米駆逐艦が、北ベトナムの魚雷艇によって攻撃されたという事件。しかし、これはジョンソン大統領の捏

造であったとされる(吉沢 1988、p.15)。

5

その後も米国のベトナム戦争への介入は強化される。米国政府の資料によれば、1968 年

には最多の米軍兵士 53.6 万人がベトナムに滞在していたとのことである(Bureau of

Census, 1975, p.325)。

しかしながら、既知のとおり、米軍は北ベトナム軍に勝利することは出来ず、結局 1972

年にはベトナムから撤退し、1975 年南ベトナムのサイゴンは陥落し、翌 1976 年に南北は

統一され、ベトナム社会主義共和国が成立した。

2.2.米国経済の変容

ベトナム戦争に介入することにより、米国経済は大きな変貌を遂げていくことになった。

以下、その詳細をみていく。

(1) 財政収支

1965 年から 1975 年にかけての米国の連邦歳入と連邦歳出、その一部である国防費、ま

たそのなかの東南アジア関係の支出を見ることで、ベトナム戦争が米国の財政収支に与え

た影響を考えることができる。東南アジア関係の支出記録は、1964 年以前はデータが存在

しないため、この東南アジア関係の項目をベトナム戦争関係の費用とみなし、以下議論を

進めていく。

1965 年以降、米国はベトナム戦争に軍事介入していくことによって国防費の中の東南ア

ジア関係の支出が急増し、それに伴い連邦支出も増加していった。当初は連邦支出の増加

に合わせ、歳入も上昇し、財政赤字の幅も小さかったものが、何度か大幅な赤字に陥り、

1975年には 346億ドルの赤字となっている(グラフ 2参照)。

また、興味深い点は、東南アジア関係費が 1969年の 288億ドルをピークに減少していく

中で、国防費自身は減少せず、連邦歳出にいたっては継続的に上昇していったことである。

つまり、ベトナム戦争への介入によって国防費の上限が押し上げられ、国防費の増加によ

って押し上げられた連邦歳出は、国防費が抑制されたのちも増え続けて行ったことがわか

る。このなかで大きな財政赤字が発生した。このように連邦歳出の継続的な増加は、米国

の国内需要を大きく拡大していったことがわかる。

6

注:データは付表 2に掲載。

出所:Bureau of Census, 1975, p.314, and various years

(2) 貿易収支

国内の供給能力を上回る国内需要の拡大は、輸入の増加をもたらす。米国は 1960年以降

1970 年までは継続的に貿易黒字を達成していたものの、米国がベトナムに介入し始めた

1965 年以降、黒字幅が継続的に減少し、1970 年には一旦黒字幅が増加するものの、1971

年に初の貿易赤字に転じ、途中何回か黒字に転ずる年もあったが、1976 年以降は赤字が定

着している(グラフ 3参照)。

つまり、ベトナム戦争の時期に、財政収支の赤字と貿易収支の赤字という双子の赤字が

進んだということである。現在の米国経済を特徴づける双子の赤字は、ベトナム戦争の時

期に生じたということが良くわかる。

注:データは付表 3に掲載。

出所:Census Bureau (http://www.census.gov/foreign-trade/statistics/historical/)

0

50

100

150

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1965

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1972

1973

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1975

10億ドル

グラフ2:米国財政収支

連邦歳入

連邦歳出

国防費

東南アジア特別費

-50,000

0

50,000

100,000

150,000

200,000

250,000

300,000

350,000

百万ドル

グラフ3: 米国財・サービス貿易収支

輸出

輸入

収支

7

3. ベトナム戦争と東アジアの経済成長

3.1.既存研究のサーベイ

学界や官庁などの報告書でも殆ど取り上げられないが、ベトナム戦争の東アジア経済へ

の影響を分析した研究は僅かながらも存在する3。

ベトナム戦争の各国経済への影響ということであると、経路は2つある。一つはベトナ

ム戦争に関連し、各国に与えられた軍事援助や経済援助がある。二つ目はいわゆる「ベト

ナム特需」といわれるものである。

ベトナム特需はさらに直接特需と間接特需に分かれる。直接特需は米軍が直接各国から

財やサービスを購入する分である。間接特需は通常の輸出の形態をとるもので、ベトナム

戦争の影響で、各国の輸出が伸びた部分である。例えば、日本の間接特需でいえば、ベト

ナム戦争のおかげで、日本から米国や南ベトナム向けの輸出が通常より増加した部分や、

ベトナム戦争の影響で韓国や台湾の輸出が増え、それらの国が輸出を増やすために増加さ

せた日本からの原料や機械の輸入部分がそれにあたる。

以下では、既存研究の内容を簡潔に紹介することとしたい。

ベトナム戦争のアジア経済への影響を分析した研究としては、日本銀行(1970)、

Naya(1971)、日本銀行調査局(1972)、Stubbs(1999, 2005)がある。

日本銀行(1970)は、間接特需は推計することが困難であるとして、各国の国際収支表

から①米軍支出による受取り、および②南ベトナム向け輸出の項目について、1965年以降

の 64年実績に対する増加分を集計する方法で、特需を計算している4。

その結果、日本を除く 8か国(韓国、台湾、香港、フィリピン、南ベトナム、タイ、シ

ンガポール、琉球)の特需受取額は 1965年の 2.8億ドルから、69年には 13.3億ドルに達

し、他方日本は 65年の 4百万ドルから 69年には 5.1億ドルに増加したと報告している。

これら 9か国・地域の 1965年から 1969年のベトナム特需の合計は 67億 75百万ドルにな

る。(日本銀行 1970、第 3表)。

そのうえで、1968年の特需の対国民総生産(名目値)比率を計算し、琉球 14.4%、南ベ

トナム 13.5%、シンガポール 7.8%、タイ 4.7%、韓国 3.5%、フィリピン 1%、台湾 0.7%、

3 例えば、1968年、69年、70年の『経済白書』における日本の輸出急増の説明においてベトナム特需に

ついての言及はない。 4 ②の南ベトナム向け輸出は本来であれば間接特需に入る。また、この方法であると、南ベトナムにおける米軍支出が、他国の南ベトナム向け輸出に使われる場合、その金額が二重に計上されることとなる。

8

日本 0.3%であったと報告している5。

日本銀行(1970)は、朝鮮特需が日本の国民総生産に占める比率は 3.8%であったとし、

このことから、ベトナム特需が日本以外のこれらの国々に与えた影響は極めて大きかった

と結論付けている(日本銀行 1970 , p.2)。しかし、確かに国民総生産に占める比率は小さ

いものの、日本の特需は 1969年に 5億ドルとされ、絶対額ではこれら 9か国・地域のなか

で一番大きい点は無視できない。

日本銀行(1970)では、特需の内容にも触れ、琉球、フィリピン、香港は帰休兵の支出、

南ベトナムは米軍の贈与、基地建設、駐留兵の支出、シンガポールは南ベトナム向けの石

油精製品の輸出(中継貿易)、タイでは空港、道路など軍事基地の建設、基地関係の労務者

への支払い、韓国では米軍の物資調達やベトナム派遣兵の送金、台湾は米軍の支出および

南ベトナム向け輸出が主なものだとしている。そして、これら諸国における特需物資調達

の殆どが、工業化進展の過程にあった韓国、台湾、シンガポールに集中したため、これら

諸国において肥料、化学、セメント、繊維、建設機材、石油精製などの工業化が推進され

輸出産業に育った成果は特筆に値すると指摘している(日本銀行 1970 , p.8)。

日本銀行調査局(1972)は日本銀行(1970)で使用した特需計算のアプローチを踏襲し、

日本銀行(1970)では 1965年から 1969年までであった対象期間を、1965年から 1971年

まで伸ばして推計した。その結果、対象国全体でのベトナム特需は 96億 39百万ドルとな

っている。そのうち、沖縄を除いた日本のベトナム特需は 22億 11百万ドルである。

Naya(1971)は、1966年から 69年までの7つのアジア諸国・地域(南ベトナム、日本、

タイ、韓国、フィリピン、琉球、台湾)における米国国防支出のうち、1964年-1965年の

年平均実績を上回る額を計算した。その結果、南ベトナムは 12億 54百万ドル、日本は 9

億 9百万ドル、タイ 8億 57百万ドル、韓国 5億 91百万ドル、フィリピン 3億 85百万ド

ル、琉球 2億 72百万ドル、台湾 2億 6百万ドルとなり、これら諸国・地域だけで 4年間で

約 45億ドル相当のドルが支出されたことを示している6。

さらに Naya(1971)は、米国政府が与えた贈与(Grants)についても報告している。1966

-67年の平均だと、南ベトナム 4億 41百万ドル、韓国 1億 3千万ドル、タイ 29百万ドル、

台湾 3.5百万ドル、フィリピン 6百万ドル、日本 5百万ドル、総額で 6億 15百万ドルとし

ている(Naya1971, Table II)。この値は年平均値なので、1966年から 67年の 2年間では、

5 香港については特需の対国民総生産比率は計算していない。 6 日本銀行(1970)は Naya(1971)には含まれていない香港とシンガポールを含んでいるが、これら 2国

を除いて 1966年から 1969年の特需を計算すると、日本銀行(1970)では 58億 83百万ドルになる。

9

12億 3千万ドルがこれらの地域に贈与として提供されたこととなる。贈与額と国防費を比

べると、南ベトナムは贈与の額の方が国防費より多く、韓国はほぼ同等、他の国・地域は、

国防費に比べ贈与の額が小さい。

Naya(1971、p.45)はこれらの国・地域の南ベトナム向け輸出品についても調べ、台湾は

化学肥料(同国からの南ベトナム向け輸出総額に占める当該財の比率の 1966年と 67年の

平均値が 74.56%)とセメント(同 85.31%)、韓国は鉄鋼製品(同 94.29%)の南ベトナム

向け輸出比率が大きいことを発見した。しかし、台湾、韓国の全世界向け輸出は労働集約

的な財が多く、上記 3品目の全世界向けの輸出に占める比率は 5%にも満たないことから、

台湾、韓国にとって南ベトナム市場が特別なものであったことを報告している。つまり、

両国が南ベトナム市場を自国の新産業の市場として活用したということを示唆している。

但し、日本銀行(1970)、Naya(1971)、日本銀行調査局(1972)はいずれもベトナム戦

争が終了する前の研究であることに注意が必要である。

Richard Stubbsは東アジアおよび東南アジア地域を研究対象とする政治学者であり、こ

の地域の経済発展に戦争が大きな役割を果たしたと考えている。Stubbs (1999, 2005)はオ

リジナルな分析は少ないものの、Naya(1971)や Havens(1987)などの多くの文献を引用し

て、日本、香港、台湾、韓国、シンガポール、タイはベトナム戦争で大きな利益を得たと

の主張を行っている。彼は米国が政治的要因からアジア諸国に規制のない輸出市場を提供

し、これらの国々の指導者が共産主義の脅威に対抗するため、高い経済成長の実現を企業

と協力して成し遂げたと考えている(Stubbs 2005, pp.148-152)。

しかし、Stubbsは戦争状況下の東アジアの経済成長は特殊なものであり、東アジアの経

験は他国には参考にならない、と主張している(Stubbs 2005, p.240)。

それでは次に、ベトナム戦争の個別の国に対する影響を分析した研究に言及したい。朴

(1993)および Park(2003)は、同一人物による日本語の著書と英語論文であるが、前者は

ベトナム戦争が韓国の経済発展に与えた影響を詳細に分析しており、後者はそれをコンパ

クトにまとめただけでなく、なぜアジアのなかでなぜ韓国がベトナム戦争に深く関与する

に至ったかという点についても触れたものである。

朴(1993)は、韓国の経済発展はベトナム戦争があってこそ成し遂げられたと主張して

いる。まず彼は、1960年代前半に世界的な不況とアメリカの援助の削減によって、朴正煕

政権下の経済が殆ど絶望的であったことを示す。そして、戦後の日本経済が朝鮮特需によ

り大きく躍進したことを知っていた朴正煕大統領が、ベトナム特需を利用しようとアメリ

10

カ政府に働きかけたとする(朴 1993、p.15)。その結果、韓国は、ベトナムへ派兵をするこ

ととなり、その見返りに米国政府から様々な利益を受けることが約束された。この約束は

1966年 3月 4日にブラウン覚書という形で文書化されている7。

韓国は 1964年から 75年までで計 31万 2,853人の戦闘部隊の派遣を行い8、1965年から

72年までの間に 10億 2,200 万ドルの特需を得たとする。この 10億 2,200万ドルのうち、

7億 4,000万ドルは技術者・軍人送金、建設及び用役軍納といった貿易外受取り分であった

ことを報告している。

彼は、韓国の代表的な財閥(チェボル)である現代グループは、ベトナム戦争により大

きく発展したとする。グループ企業の現代建設が、ベトナムの建設事業(浚渫工事や都市

建設など)で 18億 71百万ウォンの収益を稼ぎ、洗濯事業でも 8億 68百万ウォンの収益を

稼ぎ、その他も含め合計で 28億ウォン近い収益を上げ、この稼いだ資金を元手に現代建設

は、現代自動車と現代重工業を設立したとしている(朴 1993、p.124)。

米軍は、当初日本からジャングルシューズや軍服などを購入していたが、やがて韓国か

らこれらの財を購入することとなった。この背景として、米国は 1960年代後半に、自国の

貿易収支悪化を背景に、自国財の購入を優先するバイ・アメリカン政策を実施したが、ア

メリカ本国で調達できないものについては共同派兵国から買い付ける方針であったため、

韓国は米国から優先的に軍需品の注文を受けたことを述べている(朴 1993、p.55)。

しかし、この軍服やジャングルシューズの原材料は日本から輸入されていたため、韓国

は加工のみを行っていた。そのため、韓国の輸出が伸びることにより、日本→韓国→米軍

のルートが確立された(同、p.70)とも述べている。

Park(2003)は、なぜ韓国がベトナムに派兵することになったかを、以下のとおり述べて

いる。米国政府は 1964年 4月に自国だけでなく他国からもベトナムへ派兵するMore Flags

キャンペーンを始め、当初はフィリピン、タイ、ニュージーランド、英国など 8か国から

なる the South East Asian Treaty Organization (SEATO)の加盟国から兵隊を募集した。

しかし、各国が乗り気でなかったため、米国は韓国と台湾に派兵を要請したが、結局派遣

の直前に、米国は戦闘部隊は要らないと断ってきた。台湾の派兵を断った理由は、ベトナ

ム人の反中国感情と、共産中国にベトナム戦争への介入の理由を与えてしまうという懸念

によるものとしている。韓国は、戦闘部隊は要らないと言われたので、1965年 2月に 2千

人の技術者を派遣した。しかし、米国は突然態度を変更し、戦闘部隊の派遣を要請、1965

7 ブラウン氏は駐韓米国大使。ブラウン覚書については本稿で、あとで詳しく取り上げる。 8 これは米国に次ぐ数である。

11

年 10月に韓国は 18千人の兵士を派遣した、とする。

また、朴は韓国中央情報部の資料から、1965年 5月 25日の朴大統領の訪米の際、第一

段階として韓国の輸出を 3億ドル増加させることが米国政府との間で目標として設置され

たとも述べている(Park 2003, p.388)。

上記のように、ベトナム派兵に周辺国は積極的でなかったため、米国は韓国と台湾に派

兵を要請したが、なぜか途中で取りやめた。それにもかかわらず、韓国は技術者を送り、

やがては軍隊を派兵するに至る。朴は、その背景には朴大統領の積極的な働きかけがあっ

たというのである。そして、ベトナムへの派兵が「確約された」ベトナム特需を韓国にも

たらし、財閥も育て、韓国の経済発展を大きく後押ししたというのである。この主張は大

変興味深い。

ベトナム戦争の日本経済への影響を取り上げたものでは安藤(1967)、Far Eastern

Economic Review (1973)、Havens(1987)、井村(1988)、Schaller(1997)がある。

安藤(1967)は、「特需」に関するデータの不備をまず指摘する。通産省が直接特需のデ

ータを発表しているが、特需は「外国為替管理令の臨時特別措置」で、輸出貿易管理令の

適用を除外されているので、その契約について日本政府の許可や税関での確認を必要とし

ないため、特需データはあくまで米軍が好意的に報告してきた額であり、正確さは期待で

きないと主張する(安藤 1967、p.26)。具体的な例として、1966年春に米国の繊維メーカ

ーがこっそり横浜に布地を陸揚げし、日本の縫製業者に軍服に仕立てさせ、再び米国本土

に持って帰り米軍に納入した、という事実を報告し、これは特需のデータには含まれない

が、日本の業者がベトナム戦争で利益を上げた事実として紹介している(同、p.72)。

またセメントのベトナム特需(ベトナム向け輸出)に関し、台湾業者が国際入札で獲得

したのは 1967年 5月の 5万袋だけで、日本の業者(三菱セメント、住友セメントなど)の

独壇場であったとの報告も行っている(同、p.36)。この報告はNaya(1971)の台湾が南ベ

トナム市場を自国のセメント輸出先として利用していたという主張と真っ向から対立する。

また安藤(1967)は、1966年の日本のベトナム特需は 5億 9千万ドルから 9億ドルの間

ではないかと推測している。その根拠は、ベトナム特需を推計した各機関の値を基にして

いる。各機関の数字は、通産省が 6億 97百万ドル、三井銀行 8億 5千万ドル、エコノミス

ト誌 6億 5千万ドル~7億 5千万ドル、などである。その上で、9億ドルとしても国民総生

産の 0.9%、国際収支の経常受取額の 7%弱なので、朝鮮特需に比べればその国民経済に対

するウェイトは小さいと結論付けている(同、p.104)。しかしながら、通産省の推計の 6

12

億 97百万ドルのうちの間接特需は 5億 6千万ドルとされ、この額は 1966年度の日本の輸

出増加額のほぼ 45%を占めているとも述べており(同、p.51)、その意味でベトナム特需が

日本の輸出を大幅に押し上げたことは確かである。

Far Eastern Economic Review (1973)は正味僅か1ページ半ほどの記事であるが、大変

興味深い内容を報告している。その内容は以下のとおりである。1972年 11月 14日に通産

省は、政府機関で初めてベトナム特需の推計値を公表した9(表 2参照)。1965年から 72

年までの直接および間接特需合計額は 65億ドルとしている。1967年以降のベトナム特需

は年平均 10億ドル。推計方法は 1964年を基準値とし、これ以降の増加分をベトナム関連

の特需としているが、すでに 1964年には米国はベトナム戦争に関係しており、通産省の出

した数字は控えめなものである。通産省は全体のレポートの公表は拒否しており、この発

表は部分的なものである。マスコミは日本経済新聞社のみこの内容を報告しているが、他

の新聞社は報道していない。というものである10。

表2: 日本のベトナム特需:通産省の推計値 単位:百万ドル

* 推定値

出所:Far Eastern Economic Review (1973)、p.35

Havens (1987)は、日本はベトナム戦争で大きな恩恵を被ったとの立場をとる。その最た

るものが、戦時景気によって増大した米国の消費財需要を米国企業が戦争関連物資の生産

で忙しかったため、日本が満たしたことだとしている(Havens 1987, p.94)。ヘイブンズ

は日本がベトナム特需で得た利益の正確な値に関しては、学者の間でも合意が得られてい

ないとしながらも、1966年から 1971年までの間、年平均で最も低く見積もっても日本は

10億ドルは儲けただろうとしている(同、p.96)。ヘイブンズのこの年平均 10億ドルとい

う値は、上述の通産省の発表を根拠にしている。そして、なぜ日本がそんなに儲けたかと

言えば、その当時、カメラ、トラック、ディーゼル・エンジン、送受信ラジオといった製

品を日本が作れたからだと述べている(同、p.98)。

9 実際には日本銀行(1970)、日本銀行調査局(1972)で日本のベトナム特需については報告されている。 10 日本経済新聞社は翌日(11月 15日)に「ベトナム和平が実現すると」というタイトルで報道している。

1965 1966 1967 1968 1969 1970 1971 1972 合計直接特需 6 134 188 251 303 323 281 285* 1,771間接特需 米国向け 55 246 369 438 371 256 162* 1,897 ベトナム及び周辺国向け

77 256 392 444 517 404 400* 400* 2,890

合計 83 445 826 1,064 1,258 1,098 937 847 6,558

13

井村(1988)は既存研究のベトナム特需の推計方法の問題点に言及している。例えば日

本銀行(1970)が用いたように 1964年を基準値とし、それを上回る額がベトナム特需であ

ると考えるのは、米国は 1964年以前に既にベトナム介入を行っているのであるから、問題

であると指摘している(同、p.35)。この指摘は Far Eastern Economic Review (1973)と同

じである。

また、井村(1988)は、1965年~69年におけるベトナム周辺国の南ベトナム向け輸出

が、台湾 3億ドル、シンガポール 8千万ドル、韓国 55百万ドル、香港 53百万ドル、タイ

43百万ドルであり、このドル収入の増加で、各国が自らの工業化のために機械類を日本か

ら活発に輸入し、これがアジア NICsの発展の基礎をなしたと主張している(井村 1988,

pp.38-40)。また、日本の 1965~70年の輸出の年平均増加率は 19.6%にもおよび、その

輸出増加額の半分以上が米国とベトナム周辺地域であることも示している(同、pp28-29)。

Schaller (1997)は上述の通産省のデータを引用しつつも、それが控えめな数字であるという

ことから、日本はベトナム戦争で、年に少なくとも 10億ドル、おそらく 15億ドル程度稼

いでいた、と主張している(Schaller 1997, p.198)。

以上、ベトナム特需に関して、数は少ないものの様々な研究があり、またその特需推計額

も大きく違う。ここでは、上記研究の推計結果を表 2にまとめてみた。

表 2 既存研究のベトナム特需推計額

既存研究 ベトナム特需推計金額

(対象期間)

対象国 内容

日本銀行(1970) 67億 75百万ドル

(1965年-69年)

[53億 23百万ドル]

(1966年-69年)

9か国・地

[7か国・

地域]

米軍支出+南ベトナム向け輸出(1964

年実績を上回る部分)

[Naya(1971)と比較可能なように対象

国・地域と期間を揃えてみたもの]

Naya (1971) 45億ドル

(1966年-69年)

12億 3千万ドル

(1966年-67年)

7か国・地

米国防衛支出(1964年、65年の平均

実績を上回る部分)

贈与

日本銀行調査局

(1972)

96億 39百万ドル

(1965年-71年)

22億 11百万ドル

(1965年-71年)

9か国・地

日本

米軍支出+南ベトナム向け輸出(1964

年実績を上回る部分)

上記と同じ方法

14

朴(1993) 10億 22百万ドル

(1965年-72年)

韓国 7億 4千万ドルは技術者・軍人送金、

建設及び用役軍納等の貿易外受取

安藤(1967) 5億9千万ドル~9億ド

ル(1966年)

日本 様々な機関の推計値より

Havens(1987) 最も低く見積もって年

10億ドル

(1966年-71年)

日本 通産省資料

Schaller (1997) 年 10億ドル~15億ド

(1966年-71年)

日本 通産省資料

ベトナム特需の推計は上記のとおり金額は様々である。その理由は、研究によって特需

の範囲(直接特需のみか、間接特需も含めるのか等)、対象国・地域、推計期間が異なるた

めである。また、安藤(1967)が指摘している直接特需のデータ自身の信憑性の問題、更

に Far Eastern Economic Review (1973)や井村(1988)が指摘する 1964年を基準値とし

てその増分をベトナム特需とすることの是非についての問題もあり、正確な値を推計する

のは難しい。更に、日本のケースでは上述のとおり、政府が積極的にそのデータを公表し

ないばかりか、控えめな数字を発表するという姿勢であり、実態の把握は難しい。

3.2.米国の東アジア諸国への支出

上での議論を踏まえ、以下、利用できるデータでベトナム特需の全体像を確認して行く。

(1) 国防費

米国の国防費のうち、具体的に東アジアの各国でどのように支出が行われたか、Shue and

Kealy (1975)のデータを紹介する。彼らは「直接的な国防支出(direct defense expenditures)」

の各国別支出額を公表している。直接的国防支出とは、米国軍人や彼らの家族、国防省の

支出、軍事援助(military grant aid program)による外国への所得移転、外国人の雇用へ

の支払い、などによって構成されている。

この金額を見ると、1967年を除き、日本に対する支出が東アジアの国々の中で一番多い

ことがわかる。1972年に 6億ドルから 8億ドルへ急増するのは、沖縄の返還によって今ま

での沖縄への支出が日本への支出に加算されたからである。

これら国・地域への国防費支出総額合計は、1965年が 9億 26百万ドルで、ピークは 1970

年の 22億 52百万ドルとなっている。1965年から 1974年までの合計は 185億 11百万ド

ルである。

15

注:データは付表4に掲載。東アジアの国・地域でデータが取れるのは上記7つのみ。

出所:Shue and Kealy (1975), p.58, Table 2.

(2) 援助額

米国の援助には経済援助(Economic Aid)と軍事援助(Military Aid)があるが、上記の

国防費の中に軍事援助は含まれるため、ここでは経済援助に関して紹介する。

米国の経済援助は1946年からデータが利用可能であるが、東アジアの国々の中では当初、

日本が最大の受取国であった。1949年度には米国の経済援助供与総額 80億ドルのうち、5

億ドルを日本が受取っていた。2 番目の受取国は台湾で 3.4 億ドルである。その後、日本、

台湾とも受取額を減らす中で、受取額を増加していったのは韓国とベトナムであった。1966

年にベトナムの受取額は急増し、7.4 億ドルを受取っている。その後、増減はあるものの、

1974年の受取額は 6.5億ドルである。他方、韓国は 1966年に 2.6億ドルを受取り、こちら

も増減はあるものの、1972 年には 2.4 億ドルを受取っている。インドネシアが 1969 年以

降、受取額を増やしているのも興味深い点である。

グラフ 5に示した 6か国・地域の受取額総額は 1965年に 5億 61百万ドルであったもの

が、1966 年には 10 億 86 百万ドルと倍近くになっている。1967 年以降は 8 億ドル~9 億

ドルの範囲で 1972年に 13億ドルに増加したのち減少していく。グラフ 4と同じ期間 1965

年から 1974年までの経済援助の合計金額は、91億ドル 74百万ドルである。上述の国防費

総額と合わせれば 276億 85百万ドルとなる11。

11 対象国・地域は異なる。

0

100

200

300

400

500

600

700

800

900百万ドル

グラフ4:国別米国国防費支出

Japan

Ryukyu

Vietnam

Thailand

Taiwan

Korea

Philippines

16

注:データは付表 5に掲載。

出所:USAID

(3) 輸入額

次に、米国の財輸入(imports of merchandise)のうち、東アジアの 9つの国・地域から

の輸入がどのような変遷を遂げたかを振り返ってみよう。グラフ 6 は輸入額を対数表示し

たグラフである。これは各国からの輸入額が大きく異なることと、そのトレンドを知るた

めのものである。

米国の財の輸入総額は 1962年の 163億ドルから 1974年の 1,009億ドルまで、毎年 16%

の成長率で増えて行った。アジア諸国の中で米国の輸入シェアが最も高い国は日本である

が、日本からの輸入は 1962 年の 13 億 58 百万ドルから、1974 年の 124 億 55 百万ドルま

で、毎年 20%で成長していった。同期間、東アジア諸国の中でもっとも輸入の成長率が高

かったのは、シンガポールの毎年 57%、次が韓国の毎年 51%、次が台湾の毎年 35%増で

ある。東アジアの新興国がこの時期に急速に米国向けの輸出を伸ばしていったことがわか

る。

グラフ 6 に挙げた各国の 1974 年の米国向け財の輸出総額は 219 億 49 百万ドルとなり、

その年の米国の財の輸入総額の 22%を占めた。また、1965年から 1974年までの上記各国・

地域の財の米国輸出総額は 977億 37百万ドルとなっている。国防費と援助総額と比較して

3倍超となり、財の輸出総額のインパクトの大きさがわかる。

-100

0

100

200

300

400

500

600

700

800

FY

1946

FY

1948

FY

1950

FY

1952

FY

1954

FY

1956

FY

1958

FY

1960

FY

1962

FY

1964

FY

1966

FY

1968

FY

1970

FY

1972

FY

1974

百万ドル

グラフ5:米国経済援助

Japan

Korea, South

Taiwan

Indonesia

Vietnam

Thailand

17

注:データは付表6に掲載。

出所:Bureau of Census、various years.

3.3.東アジア各国とベトナム戦争の関わり

(1)日本

日本は憲法上外国へ派兵することは出来ないため、米軍の行っているベトナム戦争に対

する支援は初めから限られていた。他方、安保条約により、在日米軍が日本以外の極東地

域の防衛に任ずることを認めているため、米軍はベトナム戦争のため在日米軍基地および

沖縄の基地を利用することが出来た。他にも、米軍の負傷兵が日本の病院で治療を受けた

り、休養のために日本を訪れたり、ということもあった。

しかし、日本の米国に対する協力は能動的なものというよりは受動的なものと考える方

が適切であろう。Havens(1987, p.26)の佐藤首相は経済と主権回復のためにベトナム戦争を

「熱意なく」支持した、という解釈は妥当と思われる。佐藤首相にとっては、1965年の不

況からの回復と沖縄返還は重要な政治目標であり、この実現のためには米国のベトナム政

策を支援せざるを得ない、と考えていたと思われる。

確かに朝鮮特需の影響と比べればインパクトは小さいかもしれないが、日本はアジアの

中では桁違いの金額をベトナム戦争から儲け、1965年の不況から一気に抜け出し、1966

年以降 GNP成長率 10%超の高度成長を遂げていく。

上記から、ベトナム特需で大きな利益を上げたのにもかかわらず、日本政府はその影響

を殆ど報告せず、通産省や日本銀行がせいぜい控えめな数字を公表することで、目立たな

いように腐心したというのが実情である。

1

10

100

1,000

10,000

100,000

1,000,000

百万ドル

グラフ6:米国の財輸入先

Total Imports

Japan

China (Taiwan)

Hong Kong

Indonesia

Korea

Malaysia

Philippines

Singapore

Thailand

18

(2)韓国

韓国がベトナムへの派兵に積極的であったことは既に上で述べたが、以下では「ブラウ

ン覚書」について紹介したい。「ブラウン覚書」は韓国がベトナムに派兵することによって

得られる便益について記した文書で、1966年 3月 4日付で李東元(イ・ドンウォン Yi

Dong-won)韓国外務部長官とブラウン(Winthrop G. Brown)駐韓アメリカ大使とのあい

だで交わされたものである。この文書は2005年1月17日に韓国政府によって公開された12。

「ブラウン覚書」は 5ページ足らずの文書であるが、米国政府が韓国のベトナム派兵に

関し軍事援助と経済援助を与えることを誓約したものである。軍事援助に関しては 10項目

あり、具体的には韓国軍近代化のための機器の供与、ベトナム派兵の機器と費用の負担、

ベトナムでの死傷者に対する補償額などが記されている。経済援助に関しては 6項目が挙

げられており、韓国のみから調達する資材があること、ベトナムで米国政府や米国企業が

発注する建設プロジェクトや使役に関し、韓国企業が特別の機会を与えられること、また

既に約束されている 150百万ドルの借款に加え、新たに 150百万ドルの借款が与えられる

ことが記されている。

この「ブラウン覚書」で記された項目については、その進捗状況がチェックされており、

その文書は韓国学術情報(2010、 20巻、pp.299-302)に収録されている。軍事援助に関

して 1968年 10月 14日付の進捗状況は以下のとおりである。韓国軍の近代化のために必要

と提案された 61百万ドルのうち、75%が既に提供され、ベトナム派兵のための機器 8百万

ドルの 96%は既に供与され、派兵に関する費用は 66年から 68年までで 23億 68百万ウォ

ンが既に供与された。また死傷者については 6百万ドルをすでに支払っている、とされる。

例えば建設軍納に関しては、1967年 1月~6月末まで 2百万ドルの入金があり、現代建

設が 65万ドル、共栄建業が 71万ドル受領したことが報告されている。また、用役軍納に

関しては 1967年 1月 1日~7月 11日までで、13百万ドルの入金があり、韓進商事が 10

百万ドルを受領したと報告されている(韓国学術情報 2010、20巻、pp.88-108)13。

このように韓国はベトナム派兵の見返りに関する米国政府との約束を「ブラウン覚書」

という文書で明確化し、その実現を成し遂げて行ったのである。

4. まとめ

12 韓国学術情報(2010)に収録されている。 13 韓進商事は韓進(ハンジン)グループのもととなった企業。韓進グループは大韓航空を所有する。

19

東アジアの経済発展における戦争の影響を長年研究してきている Stubbsは、戦争状況下

の東アジアの経済成長は特殊なものであり、東アジアの経験は他国には参考にならない、

と主張しているが、果たしてそうであろうか?確かに戦争は特殊な状況であるが、東アジ

アの経済発展の経験が示すものは、「需要」の重要性であると考えられる。

ベトナム戦争は、米国が国防費や援助を増大させ、更には自国市場を開放することで、

東アジア諸国に対し、大きな需要を創造した。確かに、供給能力がなければ、この需要を

埋めることは出来ないが、日本を初めとする東アジア諸国・地域はこの需要を満たす供給

能力を育て、大きな利益を享受した。韓国は当時製造業の供給能力がまだ育っていなかっ

たため、外交交渉によって特別な取り決めを行い、兵役やサービス業を中心として利益を

得た。

東アジアの経済発展に関する既存研究の多くは、この供給能力の育成をどうやって政府

が成し遂げたかという点について焦点を当てたものが多いが、供給能力の拡大は需要があ

ってこそ成り立つ。この意味で、韓国がベトナム派兵によるメリットを「ブラウン覚書」

という文書で確定し、その中にバイ・アメリカン政策を実施中の米国市場に優先的に参入

できることを明言化したことの意味は大きい。

東アジア諸国がベトナム戦争から多くの利益を得た経験は、途上国の財に対して「需要」

を創出することの重要性を示していると考えるべきであろう。

ベトナム戦争の東アジア経済に与えた影響をここで整理すると以下のとおりとなる。

第 1 点は、ベトナム戦争はベトナム特需とういう形で、大きな需要をつくりだし、ベト

ナム周辺国に経済成長をもたらした。特に韓国の経済発展に対する影響は大きい。日本も

大きな利益を享受している。

第 2 点は、ベトナム戦争は東アジアの貿易構造を変えた。日本が原料や機械を輸出し、

アジアの国々が製造業品を輸出する、という貿易構造を作り出した。これはその後継続的

に日本に多額な貿易黒字をもたらした。

今後の課題としては、米国がアジア諸国への支援を日本に肩代わりさせる圧力を強める

中、日本が能動的に援助を活用し、東アジアの貿易構造を垂直的に統合していく過程をあ

きらかにする必要性がある。

また、韓国の経済発展に関しては、ベトナム特需と同様、日韓国交正常化により日本か

ら供与された経済協力が重要だったと考えられるが、この点についての既存研究も少ない。

20

この日本からの経済協力とベトナム特需の補完性、また貢献度の大小について分析する必

要があろう。

最後になるが、本稿はベトナム戦争による特需が東アジア周辺国に多大な利益をもたら

し、経済成長に大きな貢献をしたと主張するものであるが、ベトナム戦争の正当性につい

て支持するものではないことを明確にしておきたい。筆者はベトナムの民族独立を求める

行動は至極当然なものであり、ベトナム戦争はあってはならなかったと考える。

21

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23

<Annex>

付表 1:東アジア諸国の GDP成長率

Country

Name

Hong

Kong

SAR,

China

Japan Korea,

Rep. Singapore Taiwan

1961

11.90 4.94 13.82 6.32

1962

8.60 2.46 -0.04 8.04

1963

8.80 9.53 8.91 9.81

1964

11.20 7.56 0.56 11.57

1965

5.70 5.19 13.71 10.85

1966 1.79 10.20 12.70 10.86 8.72

1967 1.60 11.10 6.10 12.27 10.41

1968 3.40 11.90 11.70 13.59 9.00

1969 11.34 12.00 14.10 13.69 8.66

1970 9.21 10.30 8.34 13.79 10.60

1971 7.29 4.40 8.24 12.05 12.45

1972 10.61 8.40 4.47 13.50 13.15

1973 12.28 8.00 12.03 11.10 11.83

1974 2.42 -1.20 7.18 6.48 1.86

1975 0.49 3.10 5.95 4.63 5.43

出所:内閣府(日本)、Council for Planning and Development(台湾)、

World Bank(他の国)

24

付表 2:米国財政収支 (単位:10億ドル)

1965 1966 1967 1968 1969 1970 1971 1972 1973 1974 1975

連邦歳入 116.8 130.9 149.6 153.7 187.8 193.7 188.4 208.6 232.2 264.9 278.8

連邦歳出 118.4 134.7 158.3 178.8 184.6 196.6 211.4 231.9 246.5 268.4 313.4

国防費 48.6 55.9 69.1 79.4 80.2 79.3 76.8 77.4 75.1 78.6 85.3

東南アジア関係 0.1 5.8 20.1 26.5 28.8 23.1 14.7 9.4 6.3 3.1 1.5

(出所)Bureau of Census, 1975, p.314, and various years

25

付表 3:米国財・サービス貿易収支 単位:百万ドル

輸出 輸入 収支

1960 25,940 22,432 3,508

1961 26,403 22,208 4,195

1962 27,722 24,352 3,370

1963 29,620 25,410 4,210

1964 33,341 27,319 6,022

1965 35,285 30,621 4,664

1966 38,926 35,987 2,939

1967 41,333 38,729 2,604

1968 45,543 45,293 250

1969 49,220 49,129 91

1970 56,640 54,386 2,254

1971 59,677 60,979 -1,302

1972 67,222 72,665 -5,443

1973 91,242 89,342 1,900

1974 120,897 125,190 -4,293

1975 132,585 120,181 12,404

1976 142,716 148,798 -6,082

1977 152,301 179,547 -27,246

1978 178,428 208,191 -29,763

1979 224,131 248,696 -24,565

1980 271,834 291,241 -19,407

(出所)Census Bureau (http://www.census.gov/foreign-trade/statistics/historical/)

26

付表4:国別米国国防費支出 単位:百万ドル

Japan Ryukyu Vietnam Thailand Taiwan Korea Philippines

1965 346 123 188 70 21 97 81

1966 484 150 408 183 60 160 147

1967 538 188 564 286 70 237 167

1968 580 201 556 318 75 302 171

1969 651 229 576 264 80 364 189

1970 670 248 527 226 83 324 174

1971 614 255 515 193 69 308 153

1972 839

313 215 76 266 144

1973 822

170 221 60 193 149

1974 746 213 215 42 174 170

出所:Shue and Kealy (1975)、p.58,

Table 2. Defense Expenditures Abroad for Goods and Services, by Major Countries

27

付表 5:米国経済援助 単位:百万ドル

Japan

Korea,

South Taiwan Indonesia Vietnam Thailand

FY1946 107 6 129 4 0 6

FY1947 389 76 323 64 0 0

FY1948 484 100 51 0 0 0

FY1949 502 142 345 62 0 0

FY1950 365 98 -51 40 0 0

FY1951 290 88 93 8 0 9

FY1952 64 158 81 -2 0 7

FY1953 0 180 106 13 0 7

FY1954 11 300 112 5 0 9

FY1955 61 315 140 7 322 47

FY1956 53 386 83 75 210 35

FY1957 41 349 99 13 282 36

FY1958 6 290 100 27 192 36

FY1959 7 274 99 43 207 45

FY1960 8 216 122 20 182 25

FY1961 3 270 118 17 152 25

FY1962 2 202 79 25 156 38

FY1963 1 201 85 42 196 19

FY1964 0 222 47 15 225 14

FY1965 0 186 52 6 275 42

FY1966 0 262 17 24 737 47

FY1967 0 178 5 57 568 56

FY1968 0 172 7 95 537 49

FY1969 0 235 0 234 414 37

FY1970 0 141 0 203 477 29

FY1971 0 170 19 177 576 24

FY1972 320 252 0 240 455 34

FY1973 0 189 0 241 502 39

FY1974 0 37 0 90 654 15

FY1975 0 37 0 90 241 7

出所:USAID

28

付表 6:米国の財輸入先 単位:百万ドル

出所:Bureau of Census、various years.

TotalImports

Japan China(Taiwan)

HongKong

Indonesia Korea Malaysia Philippines Singapore Thailand

1962 16,379 1,358 56 171 134 10 187 322 391963 17,138 1,498 55 193 113 23 188 357 391964 18,684 1,786 78 250 170 31 161 387 251965 21,366 2,414 93 343 165 54 212 369 411966 25,542 2,963 117 416 179 85 177 398 15 761967 26,812 2,999 166 498 182 117 196 380 16 961968 33,226 4,054 270 637 174 199 240 436 29 811969 36,043 4,888 388 814 194 291 307 423 55 921970 39,952 5,875 549 944 182 370 270 472 81 1001971 45,563 7,259 817 991 207 462 269 496 136 971972 55,563 9,064 1,293 1,249 278 708 301 491 265 1161973 69,476 9,676 1,784 1,450 505 974 440 670 467 1411974 100,972 12,455 2,108 1,637 1,688 1,460 773 1,091 553 184