東京オリンピックと 新 都市基盤 · オリンピック施設と都市基盤整備...

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心に大規模な都市基盤整備が実施され、東京は大きな 変貌を遂げました。国内外の選手、役員、観客を受け入 れるため、道路をはじめとする交通網の整備、競技場 の建設、港湾整備などが行われました。 昭和34 1959年、ミュンヘンで 開催され たIOC総会に おいて、第18回オリンピック競技大会の開催地が東京 に決定しました。昭和39 196410月に開催される本大 会に向け、開催決定から5年余の準備期間で東京を中 立体交差による道路の建設 1960年代後半渋滞の激しかった東京の道路交通の現状を打開して交通の円滑化を図 るため立体交差方式による首都高速道路の建設が都内各所で進めら れました提供 鹿島建設株式会社 東京駅で行われた ひかり1新幹線出発式 昭和39 19641964年の大会開催に間に合うように東京駅から新大阪駅までの 515kmを約4時間で結ぶ超特急 東海道新幹線が開業しました新幹 線は乗客の安全かつ高速の輸送を実現しました提供 鹿島建設株式会社 東京モノレール 浜松町と羽田空港駅を結ぶ東京モノレール 13.1kmが開通しました空港アクセスの役目を果たすとともに今日では沿線の発展にも貢献し ています提供 東京モノレール株式会社 地下鉄日比谷線の開業  昭和36 1961年から一部開業していた地下鉄日比谷線は1964年大 会開催に間に合わせるため目黒北千住間 20.3kmを全線開業しま した提供 地下鉄博物館 大正12 1923年の関東大震災を契機に、東京港では日の出・ 芝浦・竹芝など本格的なふ頭の建設が始まりましたが、依然と して外国貿易は制限されており、長く不開港の状況に置かれ ていました。 その後、軍需拡大とともに中国大陸との貿易が盛んになり、 次第に国際貿易港として東京港の 開港を求める声が高まり ました。そして、昭和16 1941521 日、ついに念願の開港が 実現しました。 戦後、東京港は年々貨物量が増加していましたが、施設の 面で立ち遅れている部分もありました。このため、従来の港湾 計画を抜本的に改め、昭和31 1956年に港湾法に基づく 京港港湾計画を新たに策定しました。また、昭和36 1961には貨物量の増加等を踏まえ、 東京港改訂港湾計画を策定 しました。この計画は、都市港湾・商業港湾として発展する東 京港の性格を基礎づけました。 世界的なコンテナ輸送革命の波が湧き起こった昭和40代には、いち早くコンテナ化に対応し、日本で初めてのフルコ ンテナ船が品川ふ頭に入港するなど、国際貿易港として大き く飛躍を遂げました。 東京港の開港 国立競技場 昭和39 1964国立競技場はオリンピックの前哨戦とも言え る昭和33 1958年の第8回アジア大会に合わ せて建設されましたその後東京オリンピッ クのメイン拠点として拡張工事がなされました提供 独立行政法人日本スポーツ振興センタ 協力 大成建設株式会社 駒沢オリンピック公園 昭和39 1964駒沢オリンピック公園は6 つの競技会場とし て使用され4万人の観客が集中することか 駒沢公園内にバスセンターを設置しそこ で観客の輸送を担う方法がとられました提供 公益財団法人東京都公園協会 1964年竣工当時の国立代々木競技場 昭和39 1964代々木公園が位置していた地区は戦後は米 軍の家族用宿舎ワシントンハイツとなっていま したオリンピック招致決定後米軍接収が解 除され都心における会場として使用されました提供 独立行政法人日本スポーツ振興センタ 協力 株式会社大林組 放射 8 号線 放射 5 号線 放射 4 号線 放射 3 号線 放射 1 号線 環状 7 号線 環状 6 号線 放射 9 号線 放射 7 号線 池袋 新宿 上野 東京 首都高速道路4号線 吉祥寺 渋谷 羽田空港 1 補助 127補助 154朝霞射撃場 朝霞射撃場 戸田漕艇場 戸田漕艇場 早稲田大学 記念会堂 早稲田大学 記念会堂 後楽園 アイスパレス 後楽園 アイスパレス 日本武道館 日本武道館 国立競技場 国立競技場 国立代々木 競技場 国立代々木 競技場 馬事公苑 馬事公苑 都立駒沢 運動公園 都立駒沢 運動公園 東海道新幹線 東海道新幹線 オリンピック競技施設 主要会場 代々木・千駄ヶ谷地区 駒沢地区 オリンピック後に 建設された高速道路 都市計画道路 東海道新幹線 首都高速道路 オリンピック競技施設 主要会場 代々木・千駄ヶ谷地区 駒沢地区 オリンピック後に 建設された高速道路 都市計画道路 東海道新幹線 首都高速道路 東京港改訂港湾計 画平面図 昭和36 1961出典 東京都港湾局 東京湾史 第一巻 通史各論 オリンピック施設と都市基盤整備 オリンピック開催を控えていた東京ではオリンピック関連道路を優先に建設が始まりましたオリ ンピック関連街路として22路線事業延長54.6km が整備されました首都高速道路は羽田心部代々木 選手村方面を結ぶ首都高速1号線をはじめとする4路線事業延長31.8km が整備 されましたまた羽田空港は旅客ターミナルの増築滑走路の整備空港敷地内ホテルの建設 などが行われました出典 池享ほか みる よむ あるく東京の歴史通史編3 吉川弘文館を参考に作成03──東京オリンピックと新たな都市基盤 071 070 1 3! 市街地の拡大と都市基盤の充実高度経済成長とオリンピック 1950年代1980年代3 03 東京 オリンピックと たな 都市基盤

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Page 1: 東京オリンピックと 新 都市基盤 · オリンピック施設と都市基盤整備 オリンピック開催を控えていた東京では、オリンピック関連道路を優先に建設が始まりました。オリ

心に大規模な都市基盤整備が実施され、東京は大きな変貌を遂げました。国内外の選手、役員、観客を受け入れるため、道路をはじめとする交通網の整備、競技場の建設、港湾整備などが行われました。

昭和34(1959)年、ミュンヘンで開催された IOC総会において、第18回オリンピック競技大会の開催地が東京に決定しました。昭和39(1964)年10月に開催される本大会に向け、開催決定から5年余の準備期間で東京を中

立体交差による道路の建設(1960年代後半)渋滞の激しかった東京の道路交通の現状を打開して、交通の円滑化を図るため、立体交差方式による首都高速道路の建設が都内各所で進められました。 提供:鹿島建設株式会社

東京駅で行われた「ひかり1号」新幹線出発式 昭和39(1964)年1964年の大会開催に間に合うように、東京駅から新大阪駅までの515kmを約4時間で結ぶ超特急「東海道新幹線」が開業しました。新幹線は乗客の安全かつ高速の輸送を実現しました。 提供:鹿島建設株式会社

東京モノレール浜松町と羽田空港駅を結ぶ東京モノレール(13.1km)が開通しました。空港アクセスの役目を果たすとともに、今日では沿線の発展にも貢献しています。 提供:東京モノレール株式会社

地下鉄日比谷線の開業 昭和36(1961)年から一部開業していた地下鉄日比谷線は、1964年大会開催に間に合わせるため、目黒―北千住間(20.3km)を全線開業しました。 提供:地下鉄博物館

◉大正12(1923)年の関東大震災を契機に、東京港では日の出・芝浦・竹芝など本格的なふ頭の建設が始まりましたが、依然として外国貿易は制限されており、長く不開港の状況に置かれていました。◉その後、軍需拡大とともに中国大陸との貿易が盛んになり、次第に国際貿易港として東京港の「開港」を求める声が高まりました。そして、昭和16(1941)年5月21日、ついに念願の開港が実現しました。◉戦後、東京港は年々貨物量が増加していましたが、施設の面で立ち遅れている部分もありました。このため、従来の港湾計画を抜本的に改め、昭和31(1956)年に港湾法に基づく「東京港港湾計画」を新たに策定しました。また、昭和36(1961)年には貨物量の増加等を踏まえ、「東京港改訂港湾計画」を策定しました。この計画は、都市港湾・商業港湾として発展する東京港の性格を基礎づけました。◉世界的なコンテナ輸送革命の波が湧き起こった昭和40年代には、いち早くコンテナ化に対応し、日本で初めてのフルコ

ンテナ船が品川ふ頭に入港するなど、国際貿易港として大きく飛躍を遂げました。

東京港の開港

国立競技場 昭和39(1964)年国立競技場は、オリンピックの前哨戦とも言える昭和33(1958)年の第8回アジア大会に合わせて建設されました。その後、東京オリンピックのメイン拠点として、拡張工事がなされました。提供:独立行政法人日本スポーツ振興センター/協力:大成建設株式会社

駒沢オリンピック公園 昭和39(1964)年駒沢オリンピック公園は、6つの競技会場として使用され、約4万人の観客が集中することから、駒沢公園内にバスセンターを設置し、そこで観客の輸送を担う方法がとられました。提供:公益財団法人東京都公園協会

1964年竣工当時の国立代々木競技場 昭和39(1964)年代々木公園が位置していた地区は、戦後は米軍の家族用宿舎ワシントンハイツとなっていました。オリンピック招致決定後、米軍接収が解除され、都心における会場として使用されました。提供:独立行政法人日本スポーツ振興センター/協力:株式会社大林組

放射8号線

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東京首都高速道路4号線

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補助127号補助

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朝霞射撃場朝霞射撃場

戸田漕艇場戸田漕艇場

早稲田大学記念会堂

早稲田大学記念会堂 後楽園

アイスパレス後楽園 アイスパレス

日本武道館日本武道館

国立競技場国立競技場

国立代々木競技場

国立代々木競技場

馬事公苑馬事公苑都立駒沢運動公園都立駒沢運動公園

東京モノレール

東京モノレール

東海道新幹線

東海道新幹線

オリンピック競技施設主要会場代々木・千駄ヶ谷地区駒沢地区

オリンピック後に建設された高速道路

都市計画道路

東海道新幹線

首都高速道路

放射8号線

放射5号線

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放射3号線

放射

1号線

環状

7号線

環状

6号線

放射

9号線

放射7号線

池袋

新宿

上野

東京首都高速道路4号線

吉祥寺

渋谷

羽田空港

品川

首都高速道路

1号線

補助127号補助

154号

朝霞射撃場朝霞射撃場

戸田漕艇場戸田漕艇場

早稲田大学記念会堂

早稲田大学記念会堂 後楽園

アイスパレス後楽園 アイスパレス

日本武道館日本武道館

国立競技場国立競技場

国立代々木競技場

国立代々木競技場

馬事公苑馬事公苑都立駒沢運動公園都立駒沢運動公園

東京モノレール

東京モノレール

東海道新幹線

東海道新幹線

オリンピック競技施設主要会場代々木・千駄ヶ谷地区駒沢地区

オリンピック後に建設された高速道路

都市計画道路

東海道新幹線

首都高速道路

東京港改訂港湾計画平面図 昭和36(1961)年出典:東京都港湾局『東京湾史 第一巻 通史各論』

オリンピック施設と都市基盤整備オリンピック開催を控えていた東京では、オリンピック関連道路を優先に建設が始まりました。オリンピック関連街路として22路線、事業延長54.6kmが整備されました。首都高速道路は、羽田―都心部―代々木(選手村)方面を結ぶ首都高速1号線をはじめとする4路線、事業延長31.8kmが整備されました。また、羽田空港は、旅客ターミナルの増築、滑走路の整備、空港敷地内ホテルの建設などが行われました。出典:池享ほか『みる・よむ・あるく 東京の歴史』通史編3(吉川弘文館)を参考に作成。

03──東京オリンピックと新たな都市基盤 071070 13章!市街地の拡大と都市基盤の充実―高度経済成長とオリンピック(1950年代―1980年代)

3章

03 東京オリンピックと新たな都市基盤