フォークランド紛争でのv/stolキャリアーの戦歴ヴィンシブルinvincible,下がハーミーズhermesである。〈mod...

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空母 100 トリ P124 空母 100 トリ P125 世界の艦船 2012. 3 増刊 124 世界の艦船 2012. 3 増刊 125 1982年3月末にアルゼンチンがサウス・ジョージア島 およびフォークランド諸島の至近に海軍艦艇の展開を開 始した時,まだイギリスは緊急事態とは捉えていなかっ た。艦隊の主力である空母インヴィンシブルInvincible とハーミーズ Hermes はともに定期整備のためにポーツ マスのドックに入渠しており,出動準備の実施などは特 に考慮されていなかった。 だが4月2日の早朝にアルゼンチン軍がフォークラン ドに上陸したことが伝えられると,両艦を出動可能とす る準備が急速に始められた。インヴィンシブルは同日 0600時に全乗員への非常呼集を掛け,午後には各種物 資の搭載作業が始まった。 機関整備を含めた3週間の保守整備作業の2週間目に 入っていたハーミーズは,各所に作業用の足場が組まれ ているような状況だったが,ポーツマスのドックは同艦 を急速に可動状態へと戻しており,同時に呼集された乗 員はインヴィンシブル同様に艦への物資搭載作業を開始 した。 4月4日午後,サッチャー首相が「インヴィンシブル が率いる海軍の任務部隊は,4月5日月曜日に出港しま す」と述べたとおり,両艦は5日朝に出港準備を終え, 同日1015時インヴィンシブルを先頭に英海軍部隊はポ ーツマスを出港していった。 この時点でインヴィンシブルにはシー・ハリアー 8機 と対潜ヘリ9機,ハーミーズにはシー・ハリアー 12機と 対潜・輸送ヘリ16機が展開しており,コマンドー空母 (LPH)としても活動するハーミーズには第40海兵隊大 隊の A 中隊も乗艦していた。 ポーツマスを出動した英艦隊は,8,000浬先のフォー クランド諸島を目指して一路南下を開始した。その直後 にインヴィンシブルは右舷の機械に不具合が生じる事故 が生じたため,艦隊の速力は 15ノットに制限されたが, 各艦で赤道祭が行なわれた 4月 15日には修理が完了し, 艦隊の進出速力は22ノットに上げられた。またこの日 ハーミーズは駆逐艦グラモーガンGlamorgenと合同し, 同艦に座乗していたフォークランド派遣艦隊司令官であ るウッドワード少将の将旗を移乗して,以後艦隊旗艦と して行動することになった。 4月 21日,接近してきたアルゼンチン空軍のボーイン グ707輸送機をハーミーズのシー・ハリアーが迎撃した のを皮切りに,艦隊は戦闘状態に入った。 戦闘が本格化したのは,フォークランド諸島付近に設 定された封鎖水域内に英艦隊が突入した5月1日のこと で,英機動部隊は,全天候性がなくフォークランド諸島 が作戦行動の限界となるアルゼンチン軍機の性能を考慮 して,以後基本的に同諸島の東側水域に留まって作戦を 実施している。 英機動部隊のフォークランドに対する攻撃作戦は,空 軍のバルカン爆撃機によるポート・スタンレー飛行場爆 撃に次いで実施された,ハーミーズ搭載のシー・ハリア ー 12機による同飛行場とグースグリーン飛行場の爆撃 によって開始された。 この日の午後,アルゼンチン空軍は爆装した T-34C タ ーボメンター練習機まで動員して反撃してきたが,両空 母を発進したシー・ハリアーが撃退し,ミラージュⅢEA 1機を撃墜して防空戦での初戦果を挙げた。 だが戦闘機の数量不足と早期警戒能力の欠如(対潜型 シーキング・ヘリコプターが早期警戒に充てられていた が,効力不足だった)の中で行なわれる防空戦は厳しい ものがあった。5月4日にはアルゼンチン海軍航空隊の シュペル・エタンダールが英艦隊から約50キロかそれ 以下の距離にまで接近してエグゾセASMを発射した時, イギリス側はまったく対処できず,駆逐艦シェフィール ド Sheffield が大破してしまう。この時発射された 2発目 のエクゾセはインヴィンシブルの至近に飛来したが,幸 運なことにこれは海面に突入して事なきをえた。 防空戦が続く中,5月9日にはシー・ハリアーが英艦 隊に随伴してその動向を報じていたアルゼンチンのトロ ール船を銃撃で沈めた。またアルゼンチンの航空支援能 力減殺のため,14日にはハーミーズはいったん機動部 隊から離脱してフォークランド諸島から40浬にまで接 近,第45コマンドー大隊の兵を乗せたヘリを発進させ てペブル島の飛行場への奇襲攻撃を実施しており,同島 の飛行場にあったプカラ攻撃機11機とレーダー・サイ トを破壊するという戦果を挙げた。 5月18日,徴用したコンテナ船アトランティック・コ ンベア Atlantic Conveyor が補充のシー・ハリアー 8機 と空軍のハリアー GR.3型6機を含めた補用機を輸送し てきた。この結果インヴィンシブルの搭載機はシー・ハ リアー 10機,各種ヘリ 10機の 20機に,ハーミーズはハ リアー 21機と各種ヘリ15機の計36機(ヘリ11機の32 機説もあり)となった。 イギリス軍がサンカルロス湾からの上陸を実施した 21日以降,シー・ハリアーは上陸阻止に来襲したアルゼ ンチン機を撃退して艦隊および船団の安全を確保し,さ らにシー・ハリアーと空軍のハリアーはアルゼンチン地 上軍を攻撃,味方地上軍の進撃も 助けた。また両空母は英地上軍へ 補給物資を運ぶ各種ヘリコプター の母艦としても活動するなど,上 陸作戦を支える中核艦として大き な活躍を見せている。 しかしその中でアルゼンチン空 海軍機は,23日のフリゲイト,ア ンテロープAntelopeの撃沈(命 中した不発弾を処理中に爆発)を 始め,防空網の穴を衝いて英艦隊 に出血を強いていた。英空母撃破 を目指して25日に行なわれたシ ュ ペ ル・エ タ ン ダ ー ル の 攻 撃 で は,再度同機の接近を許してエグ ゾセASMの発射を阻止できなか った。幸か不幸かミサイルはイン ヴィンシブルから約 3キロ離れた 位置にいた前記アトランティッ ク・コンベアに命中したため,空 母に損害はなかった。この直後に 敵性航空機を探知したにインヴィ ンシブルはシーダートSAMを3 斉射したが,戦果は得られなかっ た。 英軍がグース・グリーンを奪還 した翌30日,アルゼンチンの新聞は「インヴィンシブ ルの終焉」と題する記事と同艦が炎上する写真を掲載し たが,その新聞を入手した同艦の乗員は「応急作業によ りインヴィンシブル救われる」と追記して,応急作業指 揮所で回覧したという。 6月1日以降開始されたポート・スタンレー攻防戦に おいて,両空母の艦載機は従前同様に八面六臂の活躍を 見せている。6月 8日のバフ入江上陸で揚陸艦 2隻が大破 したのを最後に,英側はおおむねフォークランド諸島に おける制空権を確保した。 しかし英艦隊の出血はなおも続き,12日には陸上か ら発射されたエグゾセSSMにより駆逐艦グラモーガン Glamorganが大破した際には,インヴィンシブルは同 艦に接近して負傷者を受入れている。 6月14日,ポート・スタンレー付近のアルゼンチン軍 砲兵陣地を,ハーミーズから発進したハリアー GR.3が レーザー誘導爆弾により攻撃した直後の正午,在フォ ークランド軍アルゼンチン軍は降伏,ここに英艦隊の 作戦も終結した。 この戦いにおける英V/STOL空母は,搭載する少数の シー・ハリアーが英艦隊を護りきり,戦争を勝利に導い たことで,実戦前は疑問視されていたハリアー系列の 機体とV/STOL空母の実力を世界に認めさせ,以後各国 で同種の艦が整備される端緒になった。 しかし同時に本戦闘は遷音速で全天候性に欠けるハ リアーが防空戦闘機としては能力が不足であること, 小型であるため搭載機数が少なく,早期警戒機の運用 もできないなど,V/STOL空母の能力の限界も明らか となった。このためハリアー系列の機体に全天候能力 を付与させたり,早期警戒ヘリの開発など,V/STOL空 母の搭載機の開発・運用方法にも大きな影響を及ぼし たのである。 フォークランド紛争での V/STOL キャリアーの戦歴 1 2 3 15 機 20 機 Q 62 本国出航時に英艦隊が搭載していたシー・ハリアーの機数は ? 4 30 機 25 機 フォークランドの戦いから凱旋した英 V/STOL キャリアー。上がイン ヴィンシブル Invincible,下がハーミーズ Hermes である。 〈MOD U.K.〉

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Page 1: フォークランド紛争でのV/STOLキャリアーの戦歴ヴィンシブルInvincible,下がハーミーズHermesである。〈MOD U.K.〉 Title 空母100トリ_P124-125.indd

空母100トリ� P124 空母 100トリ� P125

世界の艦船 2012. 3 増刊124 世界の艦船 2012. 3 増刊 125

 1982年3月末にアルゼンチンがサウス・ジョージア島およびフォークランド諸島の至近に海軍艦艇の展開を開始した時,まだイギリスは緊急事態とは捉えていなかった。艦隊の主力である空母インヴィンシブルInvincibleとハーミーズHermesはともに定期整備のためにポーツマスのドックに入渠しており,出動準備の実施などは特に考慮されていなかった。 だが4月2日の早朝にアルゼンチン軍がフォークランドに上陸したことが伝えられると,両艦を出動可能とする準備が急速に始められた。インヴィンシブルは同日0600時に全乗員への非常呼集を掛け,午後には各種物資の搭載作業が始まった。 機関整備を含めた3週間の保守整備作業の2週間目に入っていたハーミーズは,各所に作業用の足場が組まれているような状況だったが,ポーツマスのドックは同艦を急速に可動状態へと戻しており,同時に呼集された乗員はインヴィンシブル同様に艦への物資搭載作業を開始した。 4月4日午後,サッチャー首相が「インヴィンシブルが率いる海軍の任務部隊は,4月5日月曜日に出港します」と述べたとおり,両艦は5日朝に出港準備を終え,同日1015時インヴィンシブルを先頭に英海軍部隊はポーツマスを出港していった。 この時点でインヴィンシブルにはシー・ハリアー 8機と対潜ヘリ9機,ハーミーズにはシー・ハリアー 12機と対潜・輸送ヘリ16機が展開しており,コマンドー空母

(LPH)としても活動するハーミーズには第40海兵隊大隊のA中隊も乗艦していた。 ポーツマスを出動した英艦隊は,8,000浬先のフォークランド諸島を目指して一路南下を開始した。その直後にインヴィンシブルは右舷の機械に不具合が生じる事故が生じたため,艦隊の速力は15ノットに制限されたが,各艦で赤道祭が行なわれた4月15日には修理が完了し,艦隊の進出速力は22ノットに上げられた。またこの日ハーミーズは駆逐艦グラモーガンGlamorgenと合同し,同艦に座乗していたフォークランド派遣艦隊司令官であるウッドワード少将の将旗を移乗して,以後艦隊旗艦として行動することになった。 4月21日,接近してきたアルゼンチン空軍のボーイング707輸送機をハーミーズのシー・ハリアーが迎撃したのを皮切りに,艦隊は戦闘状態に入った。 戦闘が本格化したのは,フォークランド諸島付近に設定された封鎖水域内に英艦隊が突入した5月1日のこと

で,英機動部隊は,全天候性がなくフォークランド諸島が作戦行動の限界となるアルゼンチン軍機の性能を考慮して,以後基本的に同諸島の東側水域に留まって作戦を実施している。 英機動部隊のフォークランドに対する攻撃作戦は,空軍のバルカン爆撃機によるポート・スタンレー飛行場爆撃に次いで実施された,ハーミーズ搭載のシー・ハリアー 12機による同飛行場とグースグリーン飛行場の爆撃によって開始された。 この日の午後,アルゼンチン空軍は爆装したT-34Cターボメンター練習機まで動員して反撃してきたが,両空母を発進したシー・ハリアーが撃退し,ミラージュⅢEA 1機を撃墜して防空戦での初戦果を挙げた。 だが戦闘機の数量不足と早期警戒能力の欠如(対潜型シーキング・ヘリコプターが早期警戒に充てられていたが,効力不足だった)の中で行なわれる防空戦は厳しいものがあった。5月4日にはアルゼンチン海軍航空隊のシュペル・エタンダールが英艦隊から約50キロかそれ以下の距離にまで接近してエグゾセASMを発射した時,イギリス側はまったく対処できず,駆逐艦シェフィールドSheffieldが大破してしまう。この時発射された2発目のエクゾセはインヴィンシブルの至近に飛来したが,幸運なことにこれは海面に突入して事なきをえた。 防空戦が続く中,5月9日にはシー・ハリアーが英艦隊に随伴してその動向を報じていたアルゼンチンのトロール船を銃撃で沈めた。またアルゼンチンの航空支援能力減殺のため,14日にはハーミーズはいったん機動部隊から離脱してフォークランド諸島から40浬にまで接近,第45コマンドー大隊の兵を乗せたヘリを発進させてペブル島の飛行場への奇襲攻撃を実施しており,同島の飛行場にあったプカラ攻撃機11機とレーダー・サイトを破壊するという戦果を挙げた。 5月18日,徴用したコンテナ船アトランティック・コンベアAtlantic Conveyorが補充のシー・ハリアー 8機と空軍のハリアー GR.3型6機を含めた補用機を輸送してきた。この結果インヴィンシブルの搭載機はシー・ハリアー 10機,各種ヘリ10機の20機に,ハーミーズはハリアー 21機と各種ヘリ15機の計36機(ヘリ11機の32機説もあり)となった。 イギリス軍がサンカルロス湾からの上陸を実施した21日以降,シー・ハリアーは上陸阻止に来襲したアルゼンチン機を撃退して艦隊および船団の安全を確保し,さらにシー・ハリアーと空軍のハリアーはアルゼンチン地

上軍を攻撃,味方地上軍の進撃も助けた。また両空母は英地上軍へ補給物資を運ぶ各種ヘリコプターの母艦としても活動するなど,上陸作戦を支える中核艦として大きな活躍を見せている。 しかしその中でアルゼンチン空海軍機は,23日のフリゲイト,アンテロープAntelopeの撃沈(命中した不発弾を処理中に爆発)を始め,防空網の穴を衝いて英艦隊に出血を強いていた。英空母撃破を目指して25日に行なわれたシュペル・エタンダールの攻撃では,再度同機の接近を許してエグゾセASMの発射を阻止できなかった。幸か不幸かミサイルはインヴィンシブルから約3キロ離れた位置にいた前記アトランティック・コンベアに命中したため,空母に損害はなかった。この直後に敵性航空機を探知したにインヴィンシブルはシーダートSAMを3斉射したが,戦果は得られなかった。 英軍がグース・グリーンを奪還した翌30日,アルゼンチンの新聞は「インヴィンシブルの終焉」と題する記事と同艦が炎上する写真を掲載したが,その新聞を入手した同艦の乗員は「応急作業によりインヴィンシブル救われる」と追記して,応急作業指揮所で回覧したという。 6月1日以降開始されたポート・スタンレー攻防戦において,両空母の艦載機は従前同様に八面六臂の活躍を見せている。6月8日のバフ入江上陸で揚陸艦2隻が大破したのを最後に,英側はおおむねフォークランド諸島における制空権を確保した。 しかし英艦隊の出血はなおも続き,12日には陸上から発射されたエグゾセSSMにより駆逐艦グラモーガンGlamorganが大破した際には,インヴィンシブルは同艦に接近して負傷者を受入れている。 6月14日,ポート・スタンレー付近のアルゼンチン軍砲兵陣地を,ハーミーズから発進したハリアー GR.3が

レーザー誘導爆弾により攻撃した直後の正午,在フォークランド軍アルゼンチン軍は降伏,ここに英艦隊の作戦も終結した。 この戦いにおける英V/STOL空母は,搭載する少数のシー・ハリアーが英艦隊を護りきり,戦争を勝利に導いたことで,実戦前は疑問視されていたハリアー系列の機体とV/STOL空母の実力を世界に認めさせ,以後各国で同種の艦が整備される端緒になった。 しかし同時に本戦闘は遷音速で全天候性に欠けるハリアーが防空戦闘機としては能力が不足であること,小型であるため搭載機数が少なく,早期警戒機の運用もできないなど,V/STOL空母の能力の限界も明らかとなった。このためハリアー系列の機体に全天候能力を付与させたり,早期警戒ヘリの開発など,V/STOL空母の搭載機の開発・運用方法にも大きな影響を及ぼしたのである。

フォークランド紛争でのV/STOLキャリアーの戦歴

1 2 315 機 20 機

Q 62 本国出航時に英艦隊が搭載していたシー・ハリアーの機数は ?4 30 機25 機

フォークランドの戦いから凱旋した英 V/STOL キャリアー。上がインヴィンシブル Invincible,下がハーミーズHermes である。〈MOD U.K.〉