ヨーロッパ近世刑事司法の中の魔女裁判(5) : ハインリヒ...

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Instructions for use Title ヨーロッパ近世刑事司法の中の魔女裁判(5) : ハインリヒ・フォン・シュルトハイスの『詳細なる手引き 』を手掛かりにして Author(s) 前田, 星 Citation 北大法学論集, 71(2), 49-87 Issue Date 2020-07-31 Doc URL http://hdl.handle.net/2115/78970 Type bulletin (article) File Information lawreview_71_2_03_Maeda.pdf Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

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Instructions for use

Title ヨーロッパ近世刑事司法の中の魔女裁判(5) : ハインリヒ・フォン・シュルトハイスの『詳細なる手引き』を手掛かりにして

Author(s) 前田, 星

Citation 北大法学論集, 71(2), 49-87

Issue Date 2020-07-31

Doc URL http://hdl.handle.net/2115/78970

Type bulletin (article)

File Information lawreview_71_2_03_Maeda.pdf

Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

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北法71(2・49)319

論   説

目  次   はじめに序論 研究の射程 第1節 魔女研究における法史的研究:手続論と学識法曹  (1)魔女研究史の概観  (2)法史的研究の意義 第2節 本稿について  (1)研究の目的と対象  (2)論文の構成� (以上、70巻4号)第1章 地域・著者・史料 第1節 17世紀ヴェストファーレン公領の魔女迫害  (1)対象地域の地理的概要と裁判権  (2)魔女裁判をめぐる状況  (3)魔女コミサール� (以上、70巻5号) 第2節 史料について  (1)学識法曹ハインリヒ・フォン・シュルトハイス  (2)魔女裁判マニュアル『詳細なる手引き』第2章 例外犯罪としての魔女術罪 第1節 魔女=例外犯罪?

ヨーロッパ近世刑事司法の中の魔女裁判(5)──�ハインリヒ・フォン・シュルトハイスの『詳細なる手引き』を手掛かりにして*�──

前 田   星

*本稿は、北海道大学審査博士(法学)学位論文(2019年3月25日授与)「ヨーロッパ近世刑事司法の中の魔女裁判:ハインリヒ・フォン・シュルトハイスの『詳細なる手引き』を手掛かりにして」を加筆・修正したものである。

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ヨーロッパ近世刑事司法の中の魔女裁判(5)

北法71(2・50)320

  (1)例外犯罪であること  (2)例外犯罪の歴史  (3)例外犯罪論の分析にあたって� (以上、70号6号) 第2節 魔女術の例外犯罪性  (1)例外犯罪の性質 ・ 具体的な犯罪群について  (2)裁判権に関する例外  (3)刑罰・処置に関する例外� (以上、前号)  (4)手続に関する例外① -被告人の防御の権利  (5)手続に関する例外② -拷問と証人 第3節 小括 -シュルトハイスの手続と近世の例外犯罪論� (以上、本号)第3章 組織犯罪としての魔女術罪 第1節 魔女の集団 第2節 組織犯罪性 第3節 小括 -魔女裁判手続と魔女術犯罪の組織性第4章 魔女術罪と宗教 第1節 魔女術と宗教の関わり 第2節 魔女と悪魔 第3節 魂の救済 第4節 魔女裁判手続における宗教的要素の意義終章 近世刑事司法の中の魔女裁判と学識法曹 第1節 学識法曹としてのシュルトハイスの立ち位置 第2節 課題と展望

(4)手続に関する例外① -被告人の防御の権利 おそらく多くの魔女研究において強調される魔女術罪の例外性とは、手続的な保障の緩和の事を指すと思われる。魔女裁判の手続に関する批判は、啓蒙時代を待たずに、同時代から既に存在していた1。シュペーもまた、『刑事的警告』の第4問において魔女術が例外犯罪である事を認めながら、しかし続く第5問においてそれが誤りであるか、刑罰に関し

1 Winfried�Trusen,�Rechtliche�Grundlagen�der�Hexenprozesse�und� ihrer�Beendigung,� in:� Sönke�Lorenz� (Hrsg.),�Das�Ende�der�Hexenverfolgung,�Stuttgart�1995,�S.�203-226,�ここでは S.�211-215.

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論   説

北法71(2・51)321

てのみに限られる、と述べている2。つまり、シュペーはいかに例外犯罪であっても、それは手続的な制限を緩和するものではなく、量刑の分野に限られるという認識を持っていた。このようなシュペーの主張からもわかるように、例外犯罪論の法的効果については、刑罰や処置において例外的な取り扱いが許されるかということよりも、手続において例外が許されるかどうか、許されるとすればどのような場面でどの程度の例外的取り扱いが許されるのか、ということがより激しい議論の中心であったようだ。 先行研究において指摘される魔女裁判における非人道性のひとつが、被告人の防御の機会がない、あるいは制限されていることである。魔女術が例外犯罪であると認めているような法学者たちであっても、被告人の十分な防御の権利を認めている。例えばブルネマンは次のように述べている。「公知ないし明白な犯罪の場合、被告人に防御の余地がなく、防御を与えることが全く無意味であるという主張がある。しかし私は、公知の犯人においても被告人に防御が拒まれるべきではない、と回答する」3。また、より直接的に魔女術罪についても「最重罪において、つまり毒殺、魔術において、また通常隠匿されるような罪において、被告人は防御を許されるべきでないとされる。しかし、どの法においても、最重罪において被告人が防御を許されるべきではない、とはなく、許される

2 Friedrich�von�Spee,�Cautio�Criminalis,�Paderborn�1631,�Q.�4,�p.�8�„An�crimen�hoc�sit�ex�genere�exceptorum?�Respondeo,�Quod�sic.“;�Q.�5,�p.�12,�„vt�proinde�satis�hinc�arguatur�multorum�imperitia,�ac�bene�doceat�Farinacius�q.�37.�nu.�90.�hanc�doctrinam,�quod�in�exceptis�liceat�ordinem�iuris�negligere,�vel�stricte�loquendo�esse�falsam,�vel�intelligi�solum�oportere�de�punitione�tantum.“3 Johannes�Brunnemann,�Tractatus�Juridicus�de� Inquisitionis�Processu,� in�gratiam� illorum,�qui� causas� criminales� tractant,� olim�conscriptus,� postea�emendatus�et�plurimum�auctus� jam�nona�vice� in� lucern�editus,�Frankfurt�a.M.�1648,�C.�8,�Membr.�3,�§.�6,�n.�6,�p.�130,�„Sed,�inquiunt,�interdum�versamur�in�delicto�notorio�ac�manifesto,�ubi�absurdum�esset,� reum�ad�defensionem�admittere,�cum�nulla� ipsi�competat.�Sed�respondeo,�quod�etiam� in�notoriis�criminibus�defensionem�reo�non�denegandam�esse.“�上口裕『近世ドイツの刑事訴訟』成文堂、2012年、170頁。

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ヨーロッパ近世刑事司法の中の魔女裁判(5)

北法71(2・52)322

べきであるという対照的な意見が一般に受け容れられている」と述べている4。つまり、たとえ最重罪においても、あるいは「公知の理論」を持ち出したとしても、被告人の防御の権利が認められないことがあってはならないと論じているのである。ブルネマンが引用しているファリナキウスも、最重罪や秘密犯罪であっても、防御の機会を与えたり、そのために徴表の写しを与えることを拒絶してはならないと述べている5。いかなる場合においても防御の機会は認められねばならず、それは大逆罪や

4 Brunnemann,�a.a.O.(註3),�C.�8,�Membr.�3,�§.�8,�n.�8,�p.�131,�„Versamur�inquiunt,�in�delicto�atrocissimo�v.�g.�veneficii,�magiae,�&�quod�occultari�solet�maxime,�ubi�non�videtur�reus�ad�defensionem�admittendus.�Sed�cum�nullibi� in� jure�habeatur,�in�atrocissimis�delictis�reum�ad�defensionem�non�esse�admittendum,�&�contraria�sentential,�quod�admittendus�sit,�communiter�recepta�sit.“�上口、前掲書(註3)、171頁。5 Prospero�Farinacius,�Praxis�et� theoricae�criminalis,�Frankfurt�a.M.�1606,�Q.�39,�n.�41,�p.�214,� „AMPLIA�XI.�Et�principaliter�huius�quaestionis�regula�procedat�etiam� in�atrocissimis,� in�quibus�adhuc� reo�minimè�denegandas�defensiones,�&� indiciorum�copias�cum�termino�competenti�ad�purgandum�indicia�antequam�torturae�subiiciatur,�scripserunt�Carrer.�in practica crimina. in 2. tractaetu de indic. & toriu. §. circa quinium. numer. 16�vbi�allegat�Gramm.�voto 34. in fine,�Marsil.� in practica. §. diligenter, sub numr. 157 & seqq. & praesertim, numer. 175.�dicentes�quòd� in�enormibus�criminibus�seraundae� sunt�eaedem� iuris� solemnitates,�quae� in�aliis� seruantur,� idem�Gramm.� voto 30. numer. 2. iuncto numer. 31.� vbi� loquens� in� crimine�veeni,�&�parricidij,�&�sic� in�enormissim�o�crimine,� adhuc�concludit� reum�esse�admittendum�ad�suas�defensiones� faciendas�cum�termino,� Ioan.�Maria�Monticell.� regu. crimin. 14. numer. 3.�vbi�quòd�nullibi� in� iure�contrarium�reperitur�Boss.�in titu. de indic. & considerat. ante torutu. numer. 77. & seq. vbi�generaliter� loquitur�etiam�quòd�quis�sit�delatus�maximi�delicti,� latè�hanc�defendit�ampliationem�Rolan.�consilio 12. numer. 58. in fi. & numer. 61. 62. 76. 79. ver. Non obstat, & num. 98�vbi�de�communi�libr. 3. Francisc�Personal.�in tracta. de indic. & tortu. nume. 23. versicul. Meritò in his criminibus,�vbi�loquitur�non�solùm�in�atrocissimis,�sed,�quod�plus�est,�etiam�in�occultis,�&�iis,�que�sunt�difficiliss�probatinis,�Hieronym.�Lauren.�decis. Auenionem. 15. num. 3. iuncto num 6. versicul. Quaemuis etiam, & num. 6. num. 10. & num. 18.“

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論   説

北法71(2・53)323

異端においても同様である6。 また、例えばコッホの研究に拠れば、魔女裁判においても被告人の防御の権利は認められた7。ここでコッホが述べている被告人の防御の権利というのは、具体的には職権によって被告人に弁護人が常にあてがわれたことを意味している。ブルネマンも被告人の防御の権利について議論しているが、カルプツォフもまた、弁護人をつけることを全ての場合に認めていた8。カルプツォフは第115問において防御について全般的に論じているが、それが最重罪においては制限されうるとか、あるいは公知の場合には制限されうるといった表現はない。すなわち、彼はあらゆる場合に防御の権利が認められると考えているのである。さらに第74番においては「防御の優位(favor�defensionis)」という原則を取り挙げて、被告人側の防御に、原告側に対する有利を与えている9。 シュペーもまた、この防御の権利について論じている。彼は『刑事的警告』の第17問において「魔術の事件において逮捕された者に防御が許されるべきか、また弁護人が認められるべきか」という問を立てている10。シュペーに拠れば、しばしば魔女術罪が例外犯罪であるという理由から、いかなる種類の防御であっても許されないと考える者がいると

6 ibid.,�Q.�39,�n.�44-45,�p.�215.7 Arnd�Koch,�Die�Grundlagen�des�deutschen�Strafverfahrens.�Zehn�verbreitete�Fehlvorstellungen�und�ihre�notwendige�Korrektur,� in:�Hinrich�Rüping,�Georg�Steinberg� (Hrsg.),�Macht�und�Recht.�Zur�Theorie�und�Praxis�von�Strafe,�München�2008,�S.�393-408,�ここでは S.�400.8 Benedict�Carpzov,�Practica�Nova�Imperialis�Saxonica�Rerum�Criminalium�[...],�pars.�3,�Wittenberg�1670,�Q.�115,�n.�93,�p.�142f.,� „Non�tamen�indifferenter�admittendi�sunt�Advocati,� sed�tantummodò�honesti,�porbi�&�docti�viri,�non�litium�criminalium�confufores,�nec�Rabulae�loqventes�non�eloqventes,�nex�pravi�non�gnavi,�nec�tabifici�non�pacifici,�ut�dicit�Ventur. de Valent. in parth. litigios. lib. 2. cap. 7. nu. 26.�qvorum�opera�justitia�causae�non�promovetur,�sed�lites�criminales�procrastinantur.“9 ibid.,�Q.�115,�n.�74,�p.�141,�„Notandum�autem�est,�qvod�in�favorem�defensionis�multa�admittantur“.10 Spee,�a.a.O.(註2),�Q.�17,�p.�94,� „An�captis� in�causa�Magiae�permittenda�defensio�sit,�&�Aduocatus�concedendus?“

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ヨーロッパ近世刑事司法の中の魔女裁判(5)

北法71(2・54)324

いう11。シュペーは、確かにローマ法に拠れば、防御の権利や弁護人が認められない場合があるが、しかしこれは被告人が罪を認め、十分明らかである場合の話であると述べる12。一方、犯罪が確立していないなら、被告人には防御や弁護人をつけることが許されねばならず、これは多くの法学者たちの共通見解であるとされる13。ここにはクラールスやファリナキウス、タナーに加え、デルリオや『鉄槌』の名まで挙げられている。こうして、シュペーは被告人の防御の権利を認めるのである。 シュペーが名を挙げているように、悪魔学者たちもこの防御の権利に完全に反対することはしていない。しかしながら、例えばデルリオを見てみると、直接的にではないものの、被告人の防御の権利に圧力をかけようという思惑を読み取ることができるかもしれない。というのも、デルリオは、確かに弁護人をつけることは認めているが、その弁護人について若干の留保をつけているからである。彼は魔女の弁護人について、

11 ibid.,�Q.�17,�p.�94,� „existimant� imperiti� (imo�malitiosi�&� iniqui,� cum�tam�imperitus�vix�quisquam�esse�possit)�quia�Crimen�hoc�Sagarum�exceptum�sit,�omnem�prorsus�defensitonem�prascindi�oportere.“12 ibid.,�Q.�17,�p.�94f.,�„RESPONDEO�I.�Cum�liquidum�est�de�crimine�excepto,�reiicitur�defensio,�&�negatur�aduocatus�ex�iure�communi� iuxta�cap.�finale�de�Haereticis�in�6.�&�legem�quisquis,�§.�denique,�C.�ad�leg.�Iul.�&�leg.�per�omnes,�quod�si�capta�quaepiam�crimen�quidem�de�se�non�negat,�sed�crimine�admisso,�defendere�illud�cupit,� id�est,�excusare,�vt�verbi�causa�obtendendo�artem�esse�liberalem,�vel�Daemone�se�decptam,�coactam,�&c.�potest�ei�negari�defensio�&�aduocatus.�RATIO�est:�quia�excusationes�huiusmodi�friuolae�sunt,�ac�proinde�explodi�possunt,�nex�audiri,,�praesertim�cum�iam�sat�excussa�&�definita�sit�huius�criminis�atrocitas�a�communi�Doctorum�consensu.�Sed�hic�difficultas�non�est,�nex�de�hoc�casu�proposita�questio�procedit.“13 ibid.,�Q.�17,�p.�95,� „RESPONDEO�II.�Cum�non�plene�&�plane�constat�de�crimine,� admittenda�defensio�est,�&�aduocatus�concedendus�ex�sententia�communi,�vt�vide�apud�Iulium�Clarum,�§.�haeresis,�num.�16.�&�Farinacium�quaest.�39.�num.�109.�&�167.�quod�etiam�seruandum�in�criminibus�Exceptis,�vt�bene�sentiunt�Autores�citati�a�Delrio,�&�post�eum�a�Tannero�de�Iustitia�disp.�4.�quaest.�5.�dub.�3.�num.�76.�nimirum�Doctores�Ingolstadienses,�Friburgenses,�Patauini,�Bononienses,�Autores�Mallei�Eimericus,�Penna,�Humbertus,�Simancha,�Bossius,�Rolandus,�&c.“

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論   説

北法71(2・55)325

もし相手が魔女であることを知りながら弁護したとすれば、弁護した者は弁護された魔女よりも悪く、共犯者と見なされると述べている14。デルリオに拠れば、勿論相手が魔女であると知らなかった場合は罰せられないが、それも防御によって裁判が妨害されなかった場合に限ると述べられている。そしてもし魔女であることを知りながらその相手を弁護したなら、破門に始まり、職や地位や財産の喪失、追放といった罰を受けなければならないとしている。このようにデルリオは、魔女裁判における弁護人に対して、牽制ともとれるようなことを述べている。 シュルトハイスはどのように述べているだろうか。シュルトハイスは防御の機会のために時間を設けることについて厳しく反対している。

「彼らに8日の時を防御のために定めることは……無駄な事であるのみならず、危険な行為である」とシュルトハイスは論じている15。この文言とともにシュルトハイスが言及しているのは、徴表の写しを被告人に与

14 Martin�Delrio,�Disquisitionum�Magicarum�Libri�Sex,�Louvain�1599/1600,�L.�5,�§.�4,�p.�378f.,�„3.�est,�cum�sortiarij,�vt�plurimum�etiam�sint�haeretici:�eos�qui�scienter�defendunt� ipsos�&�errores�eorum�esse� ipsis�deteriores,�proque�socijs�habendos�qui�nesciunt�esse�sortiarios,�hi�punendi�non�sunt,�vt�tales:�nisi�sua�defensione� iudicis�officium� impediant.�Qui�scientes�esse�sortiarios,�non�defendunt�errorem,�sed�personam�tantum:� illi�se�valde�suspectos�reddunt,�&�contra� illos�specialiter� in�quiri�potest,�&�ob�defensionem�hanc�sunt�puniendi:�vt�&�aduocati�&�notarij:� illi,� si� scienter�&�sponte� in� iudicio�patrocinantur,�venia�non�petita�vel�ad�hoc�a� iudice�non�deputati,� si� instrumenta�scienter�illis�confecerint.�Quod�si� iudices,�vel�Domini�eos� in�suis� iurisdictionibus,�aut�terris�defenderint:�primo�sunt�excommunicandi,�&�post�pertinaciam�officijs,�dignitatibus,�&�bonis�priuandi,�&� in�exilium�mittendi,�vt�regijs�Hispaniiae�&�Siciliae�constitutionibus�iustissime�cauetur.�fallit�haec�3.�regula,�quando�sortiarij�non�sunt�haeretici.“15 Heinrich�von�Schultheiß,�Eine�Außführliche�Instruction�Wie� in�Inquisition�Sachen� des� grewlichen�Lasters� der�Zauberey� gegen�Die�Zaubere� der�Göttlichen�Majestät�vnd�der�Christenheit�Feinde�ohn�gefahr�der�Unschüldigen�zuprocediren,�Köln�1634,�C.�6,�S.�273.� 略は筆者による。�„daß�alßdan�nicht�allein�ein�vergeblich�sonder�ein�gefährlichs�werck�were/�[...]�darbey�jhnen�8.�tag�zeit�ad defendendum�zustatuiren.“

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ヨーロッパ近世刑事司法の中の魔女裁判(5)

北法71(2・56)326

えることである。既に書いたように16、徴表が証明されるか否かは、魔女裁判において決定的な要素のひとつであった。徴表の内容への抗弁は、被告人が拷問を受けずに済む道であった。そのため、『カロリナ』第73条においては聴取された証言が開示され、特にその写しが被告人に渡されなければならないと定めている17。しかし、シュルトハイスは徴表の写しを被告人に与えた場合、悪魔を通じてそれが他のまだ捕らえられていない魔女たちに伝えられ、結果として魔女の訴追に支障を来すと論じている。さらにシュルトハイスは防御の機会について次のような論を展開している。まず彼の言うところによれば、防御の機会を設けなければならないのは告訴手続の場合であり、糺問手続においてはその必要はない18。そして街道強盗を例に挙げながら、「公知」の場合においては、徴

16 拙稿「ヨーロッパ近世刑事司法の中の魔女裁判(2)」『北大法学論集』第70巻5号、2020年、34-35頁。17 Friedlich�Christian�Schroeder�(Hrsg.),�Die�peinliche�Gerichtsordnung�Kaiser�Karls�V.�und�Heiligen�Römischen�Reichs�von�1532�(Carolina),�Stuttgart�2000,�S.�57;�上口裕「翻訳 カール5世刑事裁判令(1532年)試訳(1)」『南山法学』37巻1・2号、2014年、149-200頁、182頁。18 Schultheiß,�a.a.O.(註15),�C.�6,�S.�268.�„Wann�auff�anruffen�einiges�anklegers/�durch�den�weg�der�anklagung�die�Obrigkait�gegen�einen�Peinlich�beklagten�verfahret/�so�muß�die�Obrigkeit�den�gemeinen�Ordentlichen�weg�halten/�von�den�Peinlich�anklegern�die�Peinliche�anklag�auff�und�annehmen/�auch�denselben�handtfast�halten/�biß�er�gnugsame�Caution praestirt,�die�articulirte�anklag�wirt�nach�dem�der�Peinlich�angeklagter�darauff�geantwortet/�den�beklagten�abschrifftlich�communicirt,�dem�ankleger�muß�zeit�seine�articulirte�klag� zubeweisen� angesetzet/� auch�den�Peinlich�beklagten�Directorium probandi�cum�cominibus testium�vmbseine�fragstücke�zuuerfertigen�zugesteldt�werden.�Vnd�muß�der�Richter�in�diesem�wege�der�anklagung�dem�bbeklagten�auch�zeit�geben�vmb�sein�defensional articul�zu�exhibiten,�vnd�sintemahlen�zwischen�dem�anklegern�vnnd�Peinlich�beklagten�der�process�geführt�wirt/�vnd�der�ankleger� in affirmatiuis,�der�beklagter�aber� in negatiuis�bestehet/�So�erfürdert�des�Richters�ampt�daß�derselb�ob�in affirmatiuis pro accusatore, contra Reum, vel in negatiuis pro reo, contra accusatorem�zuerkennen�vrtheile/� daß� verbi gratia,� der�Peinlicher� ankleger� sagt/� der�Peinlich�angeklagter�sey�auff�gefuhrte�kundtschafft�vnd�fürbrachte�indicien,�durch�die�

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論   説

北法71(2・57)327

表が十分にあるのであれば被告人に防御の機会を与えることなく拷問に進むことができると述べる19。そして『カロリナ』の第77条20を引きながら、裁判の迅速化のためにもこのような措置は妥当なことだと論じている21。このような主張からは、シュルトハイスが魔女術罪の被告人に対して防御の機会を与えることを忌避していることがわかる。既にカルプツォフやブルネマンに見たように、大多数の近世刑事法学の学説におい

Tortur�zufragen/�der�Peinlich�angeklagter�sagt/�er�sey�nicht�zutorquiren/�als�muß�darvber�der�Richter� erkennen�vnd� ein�Rechtmessiges�vrtheil�geben/�die�vrsach/�warüb�so�ordentlich�durch�den�weg�der�anklagung�zu�procediren,�ist�diese/�Nemblich�weil�ein�jeder�für�Fromb�so�lang�zuhalten/�biß�ein�anders�vber� jhnen�bewiesen�wirt/�weiln�der�ankleger�mit�seiner�anklag�Rechtlicher�gebür�noch�allerdings�gefast�seyn�vnd�der�Richter�so�wenig�an�deß�Peinlich�anklegern/�alß�an�Peinlich�beklagten�seidten�pendiren�vnd�dem�Rechtens�seinen�ordentlichen�weg�keinem�zu�nachtheil�abschneiten�muß/�aber�wann�die�Obrigkeitdurch�den�weg�der�inquisition�auß�tragendem�ampt�zu�bestraffung�deß�bösen�procedirt,� so�wirt�schlecht�durch�einziehung�der�warheit/�ob�nemblich�solche�vbelthaten�begangen/�vnd�durch�welchen�vervbt�sein�mögten/�ohn�Form�ordentlichen�Proceß�verfahren“.19 Ebd.,�C.�6,�S.�271,�„auff�solchen�fall�werden�den�Strassenreubern/�die�indicia�nicht�Copeilich�Communicirt,�noch�auch�terminus defendendi statuirt,�sondern�es�wirt/�wie� in�offenbahren�vnlaugbahren� fellen�cnnd�gebrüchlich�absque, strapitu Iudicii de plano, via regia procedirt“;�Ebd.,�S.�272,� „Vnd�weilen�die�fünff�Personen�Strassenraubere�seyn/�vnnd�vnmöglich�ist/�daß�sie�der�Tortur�sich�entladen�können/�Ergo� ist�schleunig�mit�der�Tortur�zuuerfahren�vnd�gefehrlich�nicht�zuuerziehen;�Es�wehre�an�sich�selbsten�einlauter�vergeblicher�auffendthalt/�vnd�närrischer�auffzug“.20 Schroeder� (Hrsg.),� a.a.O.(註17),�S.� 59,� „77.� Item�vnkosten�zuuermeiden,�Setzen� vnd� ordnen�wir,� daß� inn� allen� peinlichen� sachen� dem� rechten�schleuniglich�nachgegangen,�verholffen�vnd�geuerlich�nit�verzogen�werde.“�上口、前掲論文(註17)、183頁。「第77条 同じく、費用節減のため、朕は、全ての刑事事件において訴訟(das�recht)が迅速に行われ、かつ故意に(geurlich)遷延されないことを定め命ずる。」21 Schultheiß,�a.a.O.( 註15),�C.�6,�S.�271,�„Weil� in�allen�Peinlichen�sachen�den�rechten�schleunig�nachgangen/�verholffen/�cnd�nicht�verzogen�werden�soll.�peinl.�haltzg.�odr.�car. v. art. 77.“

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ヨーロッパ近世刑事司法の中の魔女裁判(5)

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ては、防御の機会を認めることが前提とされているため、シュルトハイスの主張は極めて異質なものであったと言える22。 また直接的な被告人の防御の権利の制限ではないが、シュルトハイスは学識ある弁護人の存在を警戒しているようだ。というのも彼は、学識ある弁護人が弁護をするということが、被告人が魔女であるとの徴表のひとつとなり得ると述べているのである。シュルトハイスは徴表の34番目として、「弁護人、代理人、公証人、法律相談者が、魔術の悪徳のゆえに逮捕されたようなある人に仕え、かつ意図的に、またよく知りながら、法や博士〔の論文〕を曲げて書面において主張をしたか」という項目を設けている23。この部分の欄外注で、シュルトハイスはデルリオの前述の箇所を引用しながら「裁判を中傷的にあるいは狡猾に非難する弁護人、代理人、公証人、法律相談者は自らに疑惑をもたらす」と述べている24。このようなシュルトハイスの主張からは、学識ある人による魔女裁判への妨害を彼が快く思っていなかった様子が伝わってくる25。勿

22 このような防御の機会を認めないことについては、悪魔の存在がその大きな根拠になっている。このような悪魔の存在の重要性については第4章において取り扱う。23 Schultheiß,�a.a.O.(註15),�C.�2,�S.�92,�„Ob�ein�Aduocat/�Procurator/�Notarius�oder�Sollicitator�einem�so�deß�Lasters�der�Zauberey�halber�verstrickt/�dienet/�vnd�fürsetzlich�vnnd�wolwissent�die�Iura�oder�Doctores�fälschlich� in�seinen�Schrifften�allegirt.“24 Ebd.,�C.�2,�S.�92,� „Aduocati�Procuratores�Noraeij,�Sollicitatores�processum�calumniosè�seu�delosè�oppugnantes�faciunt�se�suspectos.�Delr. d. lib. 5. sect. 4. n. 4.“�挙げられているのは Delrio,�a.a.O.(註14),�L.�5,�§.�4,�n.�4,�p.�379,�„Quod�de�defensoribus�dictum,�idem�de�fautoribus�obtinet:�qui�verbis,�factis,�consilio,�vel�pecunia�eos�iuuant.“25 シュルトハイスは『カロリナ』や1607年の魔女裁判令に挙げられている徴表群を具体化したのみならず、しばしば拡張し新たな徴表群を設けてさえいるのであるが、その新たな徴表群の中には魔女裁判遂行に対する妨害に関するものが多く含まれている。例えば32番目に挙げられた「裁判や悪徳の根絶のゆえにではなく、むしろ魔女コミサール、参審人、および審問に立ちあう他の者、ないし彼を連れてきた者について、ふさわしくない、恥ずべき、あるいは無責任な話をするか」や続く「それによって魔女に対して裁判がされなくてよいよう

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論   説

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論、シュルトハイスは魔女のための全ての弁護を禁じているわけではない。ただ、弁護人の存在についてのシュルトハイスの主張には、彼の経験が影響しているのかも知れない。『詳細なる手引き』第10章の記述が事実であれば、シュルトハイスは学識ある弁護人によって「不当に中傷された」経験があるようである26。シュルトハイスのこのような記述は、魔女裁判とそれを遂行するコミサールに対する批判への牽制であると考えることもできる。いずれにせよ、弁護人がいかなる場合も認められると論じる前述の法学者達の主張と比較すると、シュルトハイスの主張においては弁護人たちへの警戒心が前面に現れている。そしてそれは、デルリオとシュルトハイスを通じて魔女迫害推進者のあいだでの、ある種の共通点となっている。 以上のことから、被告人の防御の権利についてのシュルトハイスの主張が、同時代の刑事法学において一般に許されていないような制限を含んでいることが分かる。カルプツォフもブルネマンもいかなる場合であっても被告人に防御の機会を与えるべきであると明言しているのに対して、シュルトハイスは十分な徴表があれば防御の機会を与えずともよいと主張し、さらに魔女術罪の被告人を弁護する人に対して間接的に圧力をかけてさえいる。この点についてシュルトハイスの主張や態度は、例外犯罪論や当時の刑事法学の枠を大きく逸脱したものであると見なすべきだろう。 ところで、シュルトハイスのこの主張は、いずれも「必要はない」とか「できる」という書き方がしてある。このような記述からは、シュルトハイスも被告人の防御の権利を認めるのが「通常」であり、それを無視するのが「例外」であるという認識を持っているということが見てとれる。このような認識は、続く拷問と証人適格に関する記述において、

に、助言したり手助けをしたり、働きかけたりしたか」という項目等である。ここで挙げた学識ある弁護人による「法や博士〔の論文〕を曲げて」の弁護活動への警戒も、このような魔女裁判遂行の妨害という面から理解することができる。これらは組織犯罪としての魔女罪の性質とも関連しており、第3章で詳しく扱う。Schultheiß,�a.a.O.(註15),�C.�1,�S.�32f.26 Ebd.,�C.�10,�S.�471-478.

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より明白に現れてくる。

(5)手続に関する例外② -拷問と証人 研究史上、拷問と魔女裁判(と糺問訴訟)との間には複雑な関係性がある。魔女研究においては、拷問は魔女裁判における証明手段として重視されている。無論、証明としての自白とそれを得るための拷問の重視は魔女裁判に限らない。近世の証拠法は法定証拠主義であった27。つまり、証拠の価値は裁判官の心証によるのではなく、法によって定められていた。この時代において有罪判決を下すためには、二人の証人による証言か、被告人の自白が必要とされた。これは魔女裁判の場合においても同様であった28。中世以来、刑事事件全般において自白を重視するようになり、その結果として拷問もまた重視される結果になった29。しかし古い魔女研究においては、拷問は魔女裁判において決定的な役割を果たしたのみならず、魔女を生み出しさえした、と見なされていた30。というのも、合理主義的アプローチからすると魔女は実在しない。魔女術の証明はその性質上困難であった以上、魔女を有罪として処刑するには、被告人の自白が必要とされた。この自白を得るために苛烈な拷問が加えられ、被告人は強制的に自白させられた、と考えられていたのである31。他方で、従来の法史的研究において拷問は糺問主義の重要な一要素として論じられていた。シュミットは拷問を、実体的真実の追究、職権によ

27 近世普通法の証拠法については以下の文献を参照。Hinrich�Rüping,�Günter�Jerouschek,�Grundriß�der�Strafrechtsgeschichte,�6.�Auflage,�München�2011,�S.�44-46;藤本幸二「中近世ドイツにおける証拠法の変遷について:カロリーナ刑事法典における法定証拠主義を中心として」『一橋論叢』第125巻1号、2001年、69-86頁;若曽根健治「徴表と有罪の理論をめぐる一問題:カロリーナにおける」

『熊本法学』第13号、2014年、416-329頁。28 Koch,�a.a.O.(註7),�S.�400.�29 藤本、前掲論文(註27)、76-77頁。30 例えば Norman�Cohn,�Europe’s�Inner�Demons,�London�1975.31 この考えを反映している研究として、例えば Kurt�Baschwitz,�Hexen�und�Hexenprozesse,�München�1963;�Cohn,�a.a.O.(註30);�アン・ルーエリン・バーストウ(黒川正剛訳)『魔女狩りという狂気』創元社、2001年。

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論   説

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る手続と共に糺問訴訟の原理として挙げている32。そしてまた、魔女裁判はこのような拷問を伴う糺問主義によって遂行され、大量迫害に至ったと見なされていた33。このように、従来の研究においては魔女裁判と拷問と糺問主義は強く結びつけて考えられていたのである34。 ところが、近年の法史研究は少なくともこの糺問主義と拷問の結びつきを弱めつつある。教会法史の研究者であるトゥルーゼンは、糺問主義と拷問を切り離した35。トゥルーゼンに拠れば、糺問主義はインノケンティウス三世によって発明ないしは発展させられたが、インノケンティウス三世の目的は高位聖職者の犯罪を追求することであり、そのため被告人の権利には十分配慮された。また、証明方法は旧来の雪冤宣誓を利用していた。彼によれば、拷問はその起源を古代ローマ法に持っており、

「重大な犯罪」(とりわけ大逆罪)の際に利用された。そして重要なこととして、拷問は「重大な犯罪」の際には、告訴訴訟においても利用されたのである。とはいえ、近世においても、魔女裁判において最も問題視されたのが拷問であったことは確かである。シュペーやトマジウスが拷問の非人道性を批判していたことは、研究者の内に限らず広く知られているし36、とりわけシュペーに関する文献のほぼ全てが、彼が立証の手

32 Eberhard�Schmidt,�Einführung�in�die�Geschichte�der�deutschen�Strafrechts-pflege,�3.�Aufl.,�Göttingen�1965,�S.�91-95.33 Cohn,�a.a.O.(註30)34 例えば法制史の概説書においては、近世糺問主義の特徴を示すものとして、魔女裁判を例に挙げて説明しているものもある。岩村等、三成賢次、三成美保

『法制史入門』ナカニシヤ出版、1996年、118-119頁。35 Winfried�Trusen,�Der�Inquisitionsprozeß.�Seine�historische�Grundlagen�und�frühen�Formen,�Zeitschrift�der�Savigny-Stiftung� für�Rechtsgeschichte,�Die�Kanonistischen�Abteilung,�74,�1988,�S.�168-230.36 例えば、Trusen,�a.a.O.(註1),�S.�217-221;�ハーラルト・マイホルト(森永真綱訳)「例外犯罪:近世における『敵に対する刑法』?」『ノモス(関西大学法学研究所)』第29号、2011年、123-141頁、ここでは137-141頁;ヴォルフガング ・ゼレルト(武田紀夫訳)「ランゲンフェルトのフリードリヒ ・ シュペー:魔女裁判と拷問に対して戦った人」『東北学院大学論集 法律学』第41号、1992年、61-86頁。

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ヨーロッパ近世刑事司法の中の魔女裁判(5)

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段としての拷問に反対したという事を述べている37。 しかし、前節で述べたように、魔女術罪が例外犯罪として扱われたか否かの問題において、近年中心的に議論されているのは、拷問の無制限の使用ではなく、むしろ拷問の判断を下すための証人や徴表の問題である。既に見たように、リヴァックも魔女術の例外犯罪性については、証人の問題を挙げている38。従来の研究においても、例えばボダンなどを用いながら、通常の犯罪においては認められない証人の許可されていたことなどが知られている39。以上のことから、拷問については、拷問それ自体についての議論と、拷問の条件についての議論とに分けられるだろう。 まずは拷問それ自体について、例外犯罪においてはどのような取り扱いが許され得たのか、確認してみよう。既に述べたように、メルツバッハーやシュミットは例外犯罪と拷問を結びつけ、拷問の程度ややり方において例外的取り扱いが可能だったと論じている40。拷問については、程度、時間、種類、回数、対象など、細かい規定や議論があった。例えば程度については、カルプツォフは三段階41、ブルネマンはファリナキ

37 Günter� Jerouschek,�Friedrich�von�Spee� als� Justizkritiker.�Die�Cautio�Criminalis� im�Lichte� des� gemeinen�Strafrechts� der� frühen�Neuzeit,� in:�Zeitschrift�für�die�gesamte�Strafrechtswissenschaft,�Bd.�108,�H.�2,�1996,�S.�243-265,�ここでは S.�262-263;�ゼレルト、前掲論文(註36)、62-63頁。38 Brian�Levack,�Hexenjagd,�München�2003,�S.�85,�Anm.�25.39 波多野敏「ボダンの悪魔学と魔女裁判」上山安敏・牟田和男編�『魔女狩りと悪魔学』人文書院、1997年、185-212頁、ここでは198頁。Jean�Bodin,�De�la�demonomanie�des�sorciers,�Paris�1587,�L.�4,�C.�2,�p.�177r-186v.40 Friedrich�Merzbacher,�Die�Hexenprozesse� in�Franken,�München�1957,�S.�112;�Schmidt,�a.a.O.(註32),�S.�209-211.41 Carpzov,� a.a.O.(註8),�Q.� 117,� n.� 59-63,� p.� 158,� „Huius� torturae� in� foro�Saxonico�tres gradus�enumerantur,�qvi�ab�invicem�sut�distincti,�nec�in�qvovis�casu�&�crimine� indifferenter� locum�obtinent,�Primus & infimus est:�Qvando�adhibitis� funiculis�cruciantur�Rei:�ut,�qvando�manus� ipsorum�retrò� funibus�arctissimè�constringuntur.�Qvi�gradus�torturae�à�territione,�qvae�cum�ligaruta�funiculis�qvandoqve�sit,� in�eo�differt,�qvod� in�hac,� territione�nempe,�carnifex�manus�Rei�funibus�tantum�modò�paululùm�ligare�incipit,�in�primo�autem�gradu�

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論   説

北法71(2・63)333

ウスに従って五段階があると論じている42。この拷問の程度については、

torturae,�juncturae�manuum�funibus�arctissimè�usqve�ad�ossa�constringuntur:�unde�corpus� intolerabiles�sentit�dolores,� ita�ut�hic�gradus� torturae,�qvoad�cruciatus�&�dolores,�secundo�gradui�ferè�similis�sit.�Ajunt�namqve�carnifices,�Reum�ligaturam�hancce�perpessum,� facilè�etiam�dolores�gravioris� torturae�vincere�posse.�Hancque differentiam territoionis cum funibus, & ligaturae in primo torturae gradu innuunt etiam verba Scabinorum, qvibus in decernendo primo torturae gradu uti solent in sententiis:�Vnd�da�dieses�bey� ihme�nicht�fruchtet/�wird�dem�Scharffrichter�auch�verstattet/� jhn�mit�den�Banden�zu�schnüren.�Contra verò territione cum funibo indicta, haec verba ponuntur (Mit�den�Schüren�den�Anfang�zu�machen.)�Qvam verborum differentiam & efficaciam Carnifices periti exactissimè noscunt. Alter & medius torturae gradus est:�Qvando�Rei�scalae�subjiciuntur,�&�violenta�qvadam�expansione�seu�extensione�omnium�membrorum�articuli�distingvntur,�atqve�dilacerantur,�wenn� inqvisit�uff�die�Leiter�gezogen�und�gespannet/�oder�gefoltert�wird.�Johann. Zanger in tract. de qvaest. & tortur. c. 4. nu. 10.�Hic�gradus�torturae�omnium�freqventissimus�est,�&�nomine�torturae�simpliciter�posito�propriem�venit,� ac� subintelligitur.�Tertius & summus torturae gradus est:�Qvando�carnifices�ultra�expansionem�Rei� in�scala� jam�peractam,�severioribus�adhuc�tormentis�utuntur,�&�vel�vandentibus�luminibus,�vel�sulphuro�&�igne�corpori�injecto�cutem�adurunt,�aut�extremas�digitorum�partes,� immissis�infra�ungues�pineis�cuneolis,�iisque�postmodum�accensis,�adustione�laedunt:�aut�etiam�tauro�vel�asino�exmetallo� fabricato,�&�igne� immisso�paulatim�excandescenti�Reum�imponunt,�Zang. dict. 6. 4. num. 10.�Qvae�aliaqve� tormenta�carnificibus�notissma�sunt.“42 Brunnemann,�a.a.O.(註3),�C.�8,�Membr.�5,�§.�32,�n.�42-44,�p.�162,� „Sunt�autem�gradus�Torturae,� secundum� communem�Doctorum� sententiam�quinque,�quos�recenset�Farinac. qu. 37. n. 40. Primus�gradus�est� territio�realis.�Nam�territio�duplex�est:�alia�verbalis,�quando�reo�praesentatur�carnifex�cum�Torturae� instrumentis,� ita�tamen,�ut�Carnifex�reum�apprehendere�non�debeat.�Wenn� ihm�der�Scharffrichter�vorgestellet�wird/�mit�den�peinlichen�Instrumenten/�doch�daß�er�ihn�nicht�angreiffen�darff;�altera�realis,�quando�reus�spoliatur,�ligatur,�&�funi�applicatur.�Secundus�dradus�est,�quando�reus�elevatur,�&�modico�tempore�detinetur.�Tertius,�quando�diutius�detinetur,�sine�tamen�quassatione.�Quartus,�quando�adduntur�quassitiones.�Quintus,�quando�adduntur�compedes�ferrei,�vel�aliquod�simile�pondus.�Carpzovius�qu. 117. n. 59.�dicit,�

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北法71(2・64)334

例外犯罪論と関係がある。カルプツォフは、この第3段階目の拷問は、

tres�esse�gradus� in�foro�Saxonico:�Primus�est,�quando� inquisiti�manus�retro�funibus�arctissime�constringuntur,�quem�gradum�a�territione�reali�manifeste�diversum�esse�constat,�in�qua�non�constringuntur�manus,�sed�tantum�paulum�ligantur.�Alter�gradus�est,�quando�rei�scalae�subjiciuntur�&�violenta�quadam�expansione,� omnium�membrorum�articuli�quasi�dilacerantur.�Tertius�est,�quando�severiora�adduntur�remedia,�ut�ignis�&�similia.�Sed�hac�in�parte�stylus�cujusvis�Judicii�est�attendendus.�In�Facultate�nostra�observavi�tria�formularum�genera�usurpari:�Interdum�enim�modicam�torturam�indicere�solemus,�Daß�der�Gefangene�mäßiger�Weise�durch�den�Angstmann�anzugreiffen.�Vel�simpliciter�dicimus:�Ipsum�esse�subjiciendum�tormentis,�daß�der�Gefangene�vernüttelst�der�Peinligkeit�zu�befragen:�Vel� tertio�acriorem�Torturam�definimus,�qui�videtur�esse�gradus�supremus,�daß�der�Gefangene�mit�ziemlicher�Schärffe�anzugreiffen/� etc.�Nec�haec�habere� opus�puto� declaratione,� cum�periti�carnifices�&�cordati,�distinctionem�&�differentiam�horum�verborum�facile�scire�possint.�“�上口、前掲書(註3)、210-211頁。「42 拷問の程度は、法学者の共通意見によれば、5段階ある。ファリナキウスはこれを列挙する。第1段階は、拷問具を用いて行う威嚇である。威嚇には2種類ある。一つは言葉による威嚇であり、被告人に拷問吏と拷問具を示すが、拷問吏は被告人を羈束しない。他は拷問具を用いて行う威嚇であり、被告人を裸にし、羈束して吊索に繋ぐ。第2段階は、被告人を吊り上げ、適当な時間その状態に置く。第3段階は、これを一層長い時間続けるが、揺らさない。第4段階は、揺らす。第5段階は、鉄製足枷又はその他の重量を加える。43 カルプツォフは、ザクセンの裁判所では拷問の程度は3段階であるという。第1段階は、被糺問者の両手を背中で非常に堅く縛する。これは、両手を堅くではなく軽く縛する、拷問具を用いて行う威嚇とは明らかに異なる。第2段階は、被告人を梯子の上にのせ、四肢を引き抜くように激しく引く。第3段階は、火等のより厳しい手段を加える。ここでは各裁判所の慣習に従うべきである。44 わが法学部では3種類の命令が用いられた例を私は知っている。すなわち、『被告人は拷問吏によって適度の拷問されるべし』として、軽い拷問を命ずる場合がある。あるいは単純に、『被告人は拷問によって尋問されるべし』と判決する場合もある。第3番目に、『被告人は非常に厳しく拷問されるべし』として、厳格な拷問を命ずることがあるが、これが最高の程度の拷問であると思われる。これらについて説明を加える必要はないと考える。熟練した分別のある拷問吏はこれらの文言の違いを容易に知ることができるからである。」

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論   説

北法71(2・65)335

あまりにも残酷であり過酷であるので、「忌むべき、また例外的な犯罪(in�Criminibus�nefandis�&�exceptis)に」、また徴表が大量に存在する犯罪、極めて確かな犯罪や秘密犯罪、「ただ自白のみが欠けていると思しき」場合にのみ適用されると述べている43。また、ブルネマンも、拷問の程度について、「最重罪」の場合に、そして被拷問者が自白しないなら、拷問の程度を強めることができると述べているのである44。このように、例外犯罪であれば、拷問の段階や強さが引き上げられ得た。 拷問の繰り返しは、当時の刑事法学者達の言うところの「拷問の反覆

(torturae�repetitio)」にあたる。ブルネマンに拠ればこの「拷問の反覆」には二つの場合があり、彼は被拷問者が拷問の際に自白し、その後にすぐ撤回した場合と、被拷問者が自白しなかった場合とを区別している45。

43 Carpzov,�a.a.O.(註8),�Q.�117,�n.�65,�p.�158,�„Qvia�verò�tertius�hic�torturae�gradus�atrocissimus�&�horribilissimus�est,� in�omnibus� indifferenter�delictis�locum�non�habet,� sed� tantùm� in�Criminibus�nefandis�&�exceptis,� indiciis�mulùm�urgentibus�&�certissimis�occurrentibus,� ita�ut�sola�confefssio�deficere�videatur,�qvod�probè�notandum�est,�Joh. Zang. de quaest. & tortur. cap. 4. nu. 10.�Et�ut�verum�fatear,�extra�casum,�qvo�Reus�sacrilegii�vel�alterius�criminis�atrocissimi,� indubitatis� indiciis�gravatus�ac� ferè�convictus,� in�prima�tortura�obstinatus�in�negando�perstitit,�torturam�hujus�tertii�gradus�à�Scabinis�cuqvam�fuisse�adjudicatam,�non�memini.“44 Brunnemann,�a.a.O.(註3),�C.�8,�Membr.�5,�§.�44,�n.�66,�p.�167,�„Si�autem�inquisitus� nollet� plane� fateri,� sed� tormenta� parvi� pendere� cideatur,� in�atrocissimis�delictis�etiam�intendi�tortura�potest,�ut�ex�Chartatio lib. 4. cap. 1. numer. 105.�tradit�Ambrosin. d. c. 2. num. 11.“�上口、前掲書(註3)、217頁。

「66 被糺問者が全く自白しようとせず、拷問を意に介していいないと思われる場合は、最重罪の場合であれば、拷問を強めることができる。これは、カルタリウスに基づいてアンブロシヌスが説いている通りである。」45 Brunnemann,�a.a.O.(註3),�C.�8,�Membr.�5,�§.�56,�n.�87,�p.�177,� „Sed�quid�si reus in tortura secunda fateatur delictum, ac denno poste a confessionem ratificare nolit, sed secundo revocet?�hic�ad�tertiam�torturam�(praemissis�tamen�Considerationibus,�ut� jam�proposui)�Judicem�devenire�posse,�Dd.�communiter�statuunt,�Clarus d. quaest. 21. n. 36. in fine, Ant. Gometz. d. cap. 13. num. 27. Farinac. quaest. 38. numer. 99.�Ubi�tertiam�torturam�admittit,�quando�indicia�sunt�multum�urgentia�&�manifesta,�Ambrosin. d. cap. 5. num. 14.�ubi�u.

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ヨーロッパ近世刑事司法の中の魔女裁判(5)

北法71(2・66)336

ブルネマンは、撤回がなされた場合については、ファリナキウスやアンブロシヌスの議論を挙げながら、徴表が強力であれば三回まで可能であると論じている。しかしそもそも拷問によって自白されなかった場合については相反する二つの主張を取り上げている。一方では、その場合に

「拷問の反覆」を行うことが『カロリナ』(第58条46)において許可されていると述べ、マテウス、クラールス、ファリナキウスもまた「新たな徴表なくして拷問の反覆が可能である」としていると記述している47。しか

seq.�recte�monet,�ut�jam�antea�monuimus,�considerandas�esse�praecedentium�indiciorum�qualitates.�Si�enim�gravia�fuerint�indicia,�(&�crimen�etiam�atrocius)�tertiam�putat�adhiberi�posse�torturam.“�上口、前掲書(註3)、226-227頁。「87 被告人が第2回の拷問に犯行を自白したが、再び自白認証を拒み、再度自白を撤回する場合はどうすべきか。この場合、裁判官は(上述したような検討を加えた上で)第3回の拷問を行うことができる、と法学者は一致して述べている(ファリナキウスは、徴憑が非常に強力かつ明白な場合に3回目の拷問を認め、さらにアンブロシヌスは、上述したように〔拷問前に〕予め存在した徴憑の性質に注目すべきことを正しく指摘し、徴憑が強力で、かつ犯罪が重大である場合に3回目の拷問を科しうるとする)。」46 Schroeder� (Hrsg.),� a.a.O.(註17),�S.� 51,� „Item�die�peinlich� frag� soll�nach�gelegenheyt�des�argkwons�der�person,�vil,�offt�oder�wenig,�hart�oder� linder�nach�ermessung�eyns�guten�vernünfftigen�Richters,� fürgenommen�werden,�vnd�soll�die�sag�des�gefragten�nit�angenommen�oder�auffgeschriben�werden,�so�er�inn�der�marter,�sondern�soll�sein�sag�thun,�so�er�von�der�marter�gelassen�ist.“�上口、前掲論文(註17)、178頁。「第58条 同じく、拷問は、人物に対する疑念の状況に応じ、良き賢明なる裁判官の裁量により、その多少、回数、緩急が決定され、執行されなければならない。拷問中の被尋問者の供述は採用され録取されてはならず、被尋問者は、拷問から解放された上で供述しなければならない。」47 Brunnemann,�a.a.O.(註3),�C.�8,�Membr.�5,�§.�60,�n.�91,�p.�178,�〔�〕は筆者。�„Interdum�vero,�licet�in�tortura�prima�nihil�fassus�fuerit�inquisitus,�nihilominus�tamen�denuo�torqueri�potest,�quae�torturae�repetitio�vocatur,�ac�judici�discreto�permittitura�Carol.�V.�Imperat.� in Ordinat. Criminal. art. 58.�Sed�non�esse�repetitioni� locum,�Dd.�communiter�statuunt,�nisi�nova� interveniant� indicia,�Clarus §. fin. quaestion. 64. Farinac. quaestion. 38. nume. 88. per. l. 18. §. 1. ff. de quaestion�〔D.�48.�18.�18〕.�Ubi�perevidentiora�indicia�non�intelliguntur,�quae�prioribus�firmiora,�sed�quae�a�prioribus�sint�specie�dicersa�vel�substantia,�

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論   説

北法71(2・67)337

しながらブルネマン自身はそれらとは異なり、ローマ法を根拠として、

ut�post� alios� interpretatur�Carpzov.� quaest. 125. num. 43.� Illa� tamen�interpretatio�Carpzovii�verbi�evidentiorum,�vix�videtur�probabilis.�Nam�inter�diversitatem�&�inter�evidentiam�indiciorum,�planum�est�discrimen.�Nex�priora�indicia�hic�attendenda�puto,�quia�per�torturam�purgata.�Ideoque�nova�indicia�requiruntur,�quae�non�tantum�a�prioribus�specie�sint�diversa,�sed�etiam�per�se�ad�torturam�inferendam�sufficientia,�praesertim�cum�tortus�pro�se�novam�praesumptionem� innocentiae,� ex� tortura�consecutus�sit,�ut�adeo�non�male�locutus�videatur�Zanger. de tort. c. 5. n. 14.�Licet�autem�Ant. Matth. tit. 16. c. 4. num. 14.�etiam�sine�novis�indiciis�torturam�posse�repeti�dicat,�non�obstante�l. 18. §. 1. de quaest.�qui�de�Inquisito�jam�opperesso�loqui�videtur,�quem�allegat�etiam�Clar. q. 64. num. 38. & 46. & Farinac. q. 38. n. 79. &. 106.�Illa�tamen�sententia�in�Germania�non�recepta,�nec�illa�sententia�per�illum�§.�1.�probata,�&�in�hac�materia�potius� levior�sententia�apprehenditur.�Nisi� forte�quis�ponat�casum,�ubi�quis�evidentissimis� indiciis�gravatus,�statim�in�principio�torturae�fassus�est,�&�eam�postea�ratificare�non�vult,�nam�tunc�hoc�pro�tortura�haberi�nequit.�Ergo�quaevis�indicia�ad�torturam�per�se�sufficientia,�licet�infirmiora�sint�per�se�considerata�prioribus:�quia�tamen�priora�per�torturam�sunt�purgata,�ideo�posteriora� seu�nova� indicia,� prioribus� jam�elisis,� sunt�urgentiora�&�evidentiora.“ 上口、前掲書(註3)、228頁。「初回の拷問に対して被糺問者が全く自白しなかった場合であっても、再度拷問することができる場合がある。これも拷問の反覆と呼ばれ、カール5世皇帝が刑事裁判令58条において賢明なる裁判官に許しているところである。しかし、法学者は一致して、新たな徴憑が現われない限り、拷問の反覆は行われないという(D.�48,�18,�18,�1)。この法文にいう『より明白な徴憑』とは、他の論者と並んでカルプツォフの主張するところによれば、前の徴憑よりも有力な徴憑ではなく、前の徴憑と種類又は実質において異なる徴憑を意味する。しかし、『より明白な』という文言のカルプツォフの解釈は支持しがたい。すなわち、徴憑の〔種類の上での〕差異と明白性とは明らかに異なるからである。また、この場合〔=再拷問の場合〕、前の徴憑は、拷問〔に耐えること〕によって雪冤されているのであるから、考慮すべきではないと考える。したがって、種類において前のものと異なるだけではなく、それ自体拷問に十分である新たな徴憑が要求される。ツァンガーが正当にも述べているように、とりわけ、被糺問者は拷問〔に耐えること〕によって、自ら新たな無罪の推定根拠をかち得ているからである。これに対し、マテウスは、D.�48,�18,�18,�1の定めるところに反し、新たな徴憑がない場合であっても拷問を反覆しうるとするが、これは〔第1回拷問の時に〕既に圧倒的な徴憑に

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ヨーロッパ近世刑事司法の中の魔女裁判(5)

北法71(2・68)338

ツァンガーと同様にこの場合の「拷問の反覆」は不可能であるという見解を支持している。ただしブルネマンは、彼が挙げているアンブロシヌスが「重罪(crimen�etiam�atrocius)であれば」という条件をつけているにも拘わらず、この際に問題としているのは徴表の質や量であり、例外犯罪であるか否かは条件としてはいない。 他方で、カルプツォフが「最重罪」の法的効果として拷問の回数に関する異なる取り扱いを定めていることは、既に言及した48。カルプツォフは、「最重罪」においては三回までの拷問を、「重罪」においては二回までの拷問を許可している49。そしてまた、これは「同一の犯罪」の場合

基づく嫌疑のあった被糺問者について述べているものと解される。マテウスは、クラールス及びファリナキウスを引用している。しかし、この〔クラールス等の〕見解はドイツでは受容されておらず、また、D.�48,�18,�18,�1によっても是認されない。むしろ、この点については、〔新たな徴憑が現われなければ拷問は反覆できないという〕寛容な見解がドイツではとられているのである。ただし、極めて明白な徴憑に基づく嫌疑を受けた者が拷問の開始と共に直ちに自白し、後に自白を認証することを拒んだ場合はこの限りではない。この場合、拷問が行われたとみなすことができないからである。したがって、いかなる徴憑も、それ自体としてみた場合に前の徴憑より弱いものであっても、それだけで

〔このような場合の再〕拷問に十分である。これに対し、〔前の拷問に対して自白していない場合は、〕前の徴憑は拷問によって雪冤されているのであるから、新たな徴憑は、既に除去されている前の徴憑よりも一層強力かつ明白なものでなければならない。」48 以下の文献を参照。Marianne�Sauter,�Hexenprozess�und�Folter:�Die�Straf-rechtliche�Spruchpraxis�der�Juristenfakultät�Tübingen�im�17.�und�beginnenden�18.�Jahrhundert,�Bielefeld�2010,�S.�50-52.49 Carpzov,�a.a.O.(註8),�Q.�126,�n.�51,�p.�229,�„Cui�sententiae�lubens�subscribo�in�delictis�atrocissimis;�Nam� in�aliis�criminibus,�qvae�atrocissima�non�sunt,�ultra�secundam�torturam�in�foro�Saxonico�non�procedendum,�nec�ad�tertiam�qvaestionem�deveniendum�esse,�puto�propter�Const. Elect. sub. Rubr.�Wie�offt�die�scharffe�Frage�zu�repetiren,�quae nona est in Constit. Elect. Anno 1572. promulgatis. sed publicè non editis;�quae� in�criminibus�atrocibus�vel�atrocioribus�ultra�duas�vices�torturam�infligi�prohibet,�ut�pluribus�demonstravi.�qvaest. praecedent. num. 51.“

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論   説

北法71(2・69)339

の拷問回数の限界でもあった50。このことはカルプツォフの「重罪」「最重罪」といった分類が、手続上の法的効果を持つこと、ひいては例外犯罪の概念の一種であることを如実に示すと同時に、例外犯罪の法的効果が拷問の回数や反覆に及び得たことを示している。 既に説明したとおり、拷問の記述が極めて少ないシュルトハイスの著作においては、具体的な拷問の限度について多くは語られていない。とはいえ、拷問に関するシュルトハイスの考えは、テキストからいくらかうかがえる。例えば、シュルトハイスは拷問の回数について、三回を限界と定めている。「徴表を持つ非行者が、二度目、三度目の拷問を加えられるということは明らかに正しいことである。魔女は第一の拷問に耐えた後に解放されるということはなく、更なる拷問を別の日に二度目、ないし三度目に課されうる」51。この記述のように三回目の拷問を認めることは、最重罪ないし例外犯罪に対する扱いとして、カルプツォフやブルネマンと意見を同じくしているように見える。しかしながら、シュルトハイスは続けて「もし三度目の行われた拷問によっても魔女が自白しないなら、その時コミサールは同人を、別の徴表が生じているかのように置いておかせる」ことができると述べている52。以上の主張からは、シュルトハイスが魔女と目された人物に対して、同一の徴表に関しての拷問については三回という限度を定めながら、三回の限界を超えてなお

50 Ibid.,�Q.�125.�n.�47,�p.�220,�„SECUNDÒ�notandum�quoque,�quoties�ob�unum�idemque�delictum�in�quaestionem�repeti�possit�Reus;�ubi�Regulam�pono:�Quòd�in�delictis�atrocissimis�ultra�tres,� in�aliis�verò�delictis,�quae�atrocissima�non�sunt,�sed�atrocia�vel�atrociora�dicuntur,�ultra�duas�vices�tortura� infligi�non�debeat.“ この点については、マイホルト、前掲論文(註36)、135頁、註39を参照せよ。51 Schultheiß,�a.a.O.(註15),�C.�7,�S.�306,� „sintemahlen�cnlaugbaren�rechtens/�daß� noch� beschaffenheit� der� indicien� ein� vbelthäter� zum� andern� vnd�drittenmahl�kann� torquirt�werden/�so� ist�mit�dem�Zauber�auff�die�erste�außgestandene� tortur�zur� relaxation�nicht�zuuerfahren/� sondern�mit�der�zweyter�auff�den�andern�oder�dritten�nachfolgenden�Tag�zubelagen.“52 Ebd.,�C.�7,�S.�306,�„wann�dann�auff�die�dritte�vorgenomene�tortur�der�Zauber�nicht�bekändt/�so�lasse�gleichwoll�der�Commissarius�denselben�etwan�sitzen/�jmmittels�möchten�andere�indicia�vorkommen.“

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ヨーロッパ近世刑事司法の中の魔女裁判(5)

北法71(2・70)340

拘留しておけると理解していることが分かる。このような扱いは、拷問を耐えきった被尋問者にとって、幾分厳しい取り扱いと言えるだろう。ただし、シュルトハイスはこの事を正当化するために例外犯罪の理論を持ち出していない。 なお、この「拷問の反覆」に関して、ボダンはこれを認めていない53。フランスにおいては、新たに十分な徴表が見つかった場合を除いて、基本的に拷問は一回のみと定められていた。ラットマンに拠れば、ボダンの『悪魔狂』には、これに反するいかなる記述もない54。 拷問に関して例外犯罪の枠組みで言及されたのは、「拷問の反覆」だけではない。例えば、ある種の犯罪においては「拷問特権」とでも言うべき特権が無視され得た。カルプツォフは第118問にて「どのような人々が拷問また尋問から除外されているか」という問をたて、妊婦、貴族、メランコリーにおかされた人々、聖職者といった類の人々が拷問を受けないと論じた後に、いくつかの例外について言及している。彼は、異端、大逆、シモニア、背叛、偽造罪においては、貴族、博士、軍人は拷問を受けないという規則が制限されると論じている55。 ブルネマンもカルプツォフを引用しながら、第8章第5節の拷問を扱った箇所で、全ての被告人を拷問しうるわけではないと述べ、軍人、参事会員、貴族、博士、聖職者、学生が裁判権やその他の事情から拷問

53 Christopher�Lattmann,�Der�Teufel,� die�Hexe�und�der�Rechtsgelehrte.�Crimen�magiae�und�Hexenprozess� in�Jean�Bodins�De la Démonomanie des Sorciers,�Frankfurt�a.M.,�2019,�S.�296.54 Ebd.,�S.�297.55 Carpzov,�a.a.O.(註8),�Q.�118,�n.�87,�p.�167,�〔�〕は筆者。�„Ac�1.�quidem�limitatur�haec�Regula�in�delictis�nefandis,�in�quibus�Generosi,�Nobiles,�Doctores,�milites,�aliiq;�homines�Illustres�veniam�non�merentur;�quale�est�crimen�Haeresis,�l. 4. §. inmortem. 4. C. de haeret�〔C.�1.�5.�4〕.�Crimen�laesae�Majestatis,�l. 3. l. 4. C. ad Leg. Jul. Majest�〔C.�9.�8.�3,�4〕.�cui�etiam�comparatur�crimen�Simoniae,�l. si quenquam. 31. in fin. C. de Episc. & Cleric�〔C.�1.�3.�30〕.�Gloss. in dict. l. 4. verb. Majestatis. C. ad Leg. Jul. Majest�〔C.�9.�8.�4〕.�Proditio�patriae,�l. 3. §. is, qui ad hostem. 10 l. proditores. 7. ff. de re mil�〔D.�29.�1.〕.�Crimen�falsi,�l. si quis Decurio. 21. C. ad Leg. Cornel. de fals.�&�quae�sunt�crimina�alia�nefanda,�de�quibus�vid.�Johan Zanger. in tract. de quaest. & tortur. c. 1. n. 66.“

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論   説

北法71(2・71)341

を加えられないと論じた後で、次のように述べている。「しかし、これらの特権も、大逆、殺人、獣姦、姦通、近親姦、強奪、偽造罪、背叛、逃亡のような重罪については妥当しない」56。 このような拷問特権の無視については、ボダンも同様の主張をしている。ボダンは、はじめ拷問は「その人の地位に応じて」なされると述べているが57、大逆罪とのアナロジーを通じて、未成年や老人に対する拷問を認めている58。 だが、シュルトハイスはこのような「拷問特権」については論じていない。むしろシュルトハイスの議論の主たる論点は、拷問に手続を進めるための別の条件にあった。それは例えば『詳細なる手引き』第2章に大量に列挙された徴表リストなどにも現れているが、ここで注目したいのは証人適格の問題である。シュルトハイスは魔女術の証明がきわめて困難であることを承知していた。そしてそれ故、シュルトハイスは第3章の冒頭において、次のように述べている。「魔術の罪はきわめて秘匿された罪、またきわめて大きな罪であり、そしてそのような罪は敬虔で立派な人々によって証明され得ないということが常であるので、その他の刑事裁判においては証言することが許されないような人々が、例外的事件としてのこの事件においては受け容れられ、尋問され得る、と諸法は述べている」59。

56 Brunnemann,�a.a.O.(註3),�C.�8,�Membr.�5,�§.�20,�n.�25,�p.�156-157,� „Sed�haec�omnia�privil.�cessant� in�criminibus�atrocioribus,�ut�Majest.L. Nullus. C. de Crim. Maj.�Homicidii,�Carpz.�d. q. 118. num. 89.� (qud�ad�expressum�ab�ipso�casum�adstringendum�non�puto)�Sodomiae,�Adulterii,� Incestus,�Raptus,�&,�crimine�falsi�L. Si quis decurio. 21. C. de fals.�Proditionis,�Transfugii,�L. Proditores. 7. ff. de Re Militar.“ 上口、前掲書(註3)、205頁。「しかし、これらの特権も、反逆罪(C.�9,�8,�4)、殺人(ただし、カルプツォフが挙げる場合に限定されるとは考えない)、鶏姦、姦通、近親相姦、誘拐、偽罪(C.�9,�22,�21)、軍人の内通、逃亡(D.�49,�16,�7)のような重罪については妥当しない。」57 Bodin,�a.a.O.(註39),�L.�4,�C.�5,�p.�203v.�„neantmoins�le�Iuge�doibt�auparauant�proceder�par� tortures,� selon� la�qualité�des�personnes�contre� l’accusé�de�Sorcellerie“.58 Lattmann,�a.a.O.(註53),�S.�290.59 Schultheiß,�a.a.O.(註15),�C.�3,�S.�135f.,�„Djeweil�das�Laster�der�Zauberey�das�

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ヨーロッパ近世刑事司法の中の魔女裁判(5)

北法71(2・72)342

 具体的なシュルトハイスの主張に移る前に、この点について当時の悪魔学者および法学者がどのような見解を持っていたのかを確認したい。ボダンは既に述べたように、魔女術罪が例外犯罪であることを述べる文脈において、女性に対して証人適格を認めている60。ボダンは女性については男性の半分の証明力しかないとする学説を紹介し、ローマ法やカノン法において女性が証人適格を認められていないとしながらも、これが認められなければきわめて大きな悪徳が野放しになってしまうと主張する。同じ理由から彼は、事実においてまた法において不名誉な人々や共犯者にも証人適格を認める61。このように証人適格を欠く証人を広く認めるようにボダンは求めている62。 カルプツォフの著作を見ても、このような通常の刑事裁判において認められ得ないような証人を許可することはそれほど特異なことではなかったように見える。彼の見解に拠れば魔女術が最重罪として、大逆罪と同様に扱われ得たことは既に述べた通りである。『ザクセン新実務』の第41問は「大逆罪(crimen� laesae�majestatis)」について論じている箇所になるが、カルプツォフはここで「他の犯罪においては信用されない

allerheimblichste�vnnd�aller�grösseste�Laster� ist/�vnnd�solchs�nicht� jederzeit�durch� fromme/�ehrliche�Personen�kann�bewiesen�werden/�Derowegen�dann�die�Rechten�sagen/�daß�auch�die�jenige/�welche�sonsten�gemeinlich�in�peynlichen�Sachen�zu�zeugen�nicht�zulässig/�in�diesem�Fall/�als�casu excepto können�angenommen�vnnd�abgehört�werden“.60 Bodin,�a.a.O.(註39),�L.�4,�C.�2,�pp.�177r-177v.,�„Car�les�Iurisconsultes�reçoiuent�les�femmes�en�tesmoignage�à�fin�que� les�forfaits�ne�demeurent� impunis,�qui�est�vne�raison�fort�grande�&�considerable,�comme�dict�le�Iurisconsulte.“61 ibid.,�L.�4,�C.�2,�pp.�177v-178r.,�„Il�faut�pour�mesme�raison,�&�beaucoup�plus�grande�receuoir� les�personnes� infames�de�faict�&�de�droict�en�tesmoignage�contre� les�Sorciers,�pourueu�qu’il�y�en�ait�plusieurs�concurrens�auecques�indices:�autrement�il�ne�faut�pas�esperer�que�iamass�ceste�impieté�si�execrable�soit�punie.�Or�tous�sont�d’accord�&�les�Iuges� le�sçauent�tres-bien�pratiquer,�que�les�conplices�du�mesmes�faict�de�volerie�ou�assasinat�font�preuue�les�vns�contre�les�autres“.62 Lattmann,�a.a.O.(註53),�S.�246-254.

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論   説

北法71(2・73)343

ような証人がこの犯罪において許可される」と明記している63。ではカルプツォフはどのような証人が証人適格を欠くと考えていたのだろうか。彼は第114問で証人について論じているが、彼は「親類、未成年、精神不安定な者、狂人、敵対者、聾唖者、事実において不名誉な者、他の刑事裁判において有責とされた者、姦通者、濫訴した者、悪しき生活の故に参事会から除名された者、拘留中の者、証人の引き受けを巡って報酬を受け取ったことで有責とされた者、主人に対する奴隷、親子関係にある者、犯罪の共犯者」は「重大犯罪(delictum�nefandum)および例外犯罪、真実がその他によっては得られえない秘密犯罪でなければ」受け容れられないと述べている64。裏を返せば、カルプツォフは「重大犯罪および例

63 Benedict�Carpzov,�Practica�Nova�Imperialis�Saxonica�Rerum�Criminalium�[...],�pars.�1,�Wittenberg�1670,�Part.�1,�Q.�41,�n.�5,�p.�246,�„Singulares�itidem�testes�in�hoc�crimine�admittuntur,�quibus�in�aliis�delictis�non�crederetur,“64 Carpzov,�a.a.O.(註8),�Q.�114,�n.28-34,�p.�130,�〔�〕は筆者。�„Qvare�in�causis�criminalibus� ii�demum�testes�rejiciuntur,�qvi�certis�ex�causis�a� testimonio�repelluntur;�qvales�sunt�Consangvinei�&�Affines,�Pupillus,� Impubes,�§. 1. Inst. de testam. l. Inviti. 19. §. fin. ff. de test�〔D.�22.�5.�19〕.�ob� lubricum�consilium,�l. 3. §. lege. ff. de test�〔D.�22.�5.�3〕.�l 1. ff. de minor�〔D.�4.�4.�1〕.�&�qvia�aetas�illa�ad�mentiendum�est�facilis,�l. ex libero. 15. ff. de qvaest�〔D.�48.�18.�15〕.�Furiosus,�nisi�intervalla�habeat,�l. 3. §. lege. ff. de test 〔D.�22.�5.�3〕.�l. qvi. tetamento. §. qvicunqve. ff. de testam�〔D.�28.�1.�20〕.�Inimicus,�Mutus,�Surdus,�Coecus,�Specul. in tit. de test. §. 1. n. 88.�Infamis� infamia�facti,�c. testimonium. de testib. dict. l. 3. §. lege. ff. eod. tit 〔D.�28.�1.�3〕.�Publico�judicio�damnati,�d. l. 3. §. Lege Julia. l. scio. 14. ff. de testib 〔D.�22.�5.�3〕.�Ob�adulterium,�l. ex eo. 18. ff. de testib�〔D.�22.�5.�18〕.�Ob�carmen�famosum,�l. ob carmen. 21. de testibus�〔D.�22.�5.�21〕.�Aut�calumniam,�l. qvaesitum. 13. ff. eod. tit�〔D.�22.�5.�13〕.�Ob�vitae�turpitudinem�senatu�moti,�leg. a. ff. de senat 〔D.�1.�9.�6〕.�Damnati�repetundarum,�leg. 15. ff. de testib�〔D.�22.�5.�15〕.�Qvi�in�vinculis�custodiaque�publica�derinentur,�dict. l. 3. §. pen. ff. de testib�〔D.�22.�5.�3〕.�Qvi�ob�testimonium�dicendum�vel�non�dicendum�pecuniam,�accepisse� judicatus,�vel�convictus�est,�d. l. 3. §. Leg. Jul. ff. de testib�〔D.�22.�5.�3〕.�l. si qvis. C. eod. tit�〔C.�4.�20.�17〕.�Jul. Clar. l. 5. sent. §. vlt. q. 24.�Servi�in�dominos,�l. servos. 7. C. de testib�〔C.�4.�20.�8〕.�l. hoc qvod. ff. de qvaest.�Liberi�in�parentes,�aut�econtra,�l. parentes. 5. C. de testib�〔C.�4.�20.�6〕.�l. testis. 9. ff. eod. tit�〔D.�

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ヨーロッパ近世刑事司法の中の魔女裁判(5)

北法71(2・74)344

外犯罪、真実がその他によっては得られえない秘密犯罪」の際にはこのような証人に証人適格を認める余地を残していたと言える。 ブルネマンもまた、著書の第8章第2節において証人について論じているが、その具体的な内容はカルプツォフと似かよっている。彼は、通常証人適格のない事由を四点挙げている。すなわち、「知性また精神の不安定」、「親族、上下関係」、「不名誉」、「敵対関係」である。これに基づいて、未成年や精神異常者、被告人が主人である場合の従者や、被告人と親子関係や夫婦関係にある者、他の刑事裁判において有責とされた者や売春婦、偽証の過去がある者、被告人の敵対者が挙げられる。一方で女性については完全な証人適格を認めている65。その上で、三つの場合においてはその制限が緩和されると論じている。それは①証明が困難な犯罪(大逆、姦通、シモニア、背叛など)、②時刻や場所の故に証明

22.�5.�9〕.�Socius�&�particeps�criminis,� l. qvoniam. 11. C. de testib�〔C.�4.�20.�11〕.�l. 3. ff. defid. instrum�〔D.�22.�4.�3〕.�l. fin. C. de accusat�〔C.�9.�2.�17〕.�nisi�delictum�nefandum�sit�seu�exceptum,�Jac. Menoch. de arbitr. jud. quaest. l. 2. cent. 5. caes. 474. n. 27. & seq.�aut�nisi�Crimen�sit�occultum,�&�veritas�aliunde�haberi�non�possit,�Dec. cons. 189. n. 9. Cravett. consil. 178. n. 5. Felin. in c. ult. num. 4, de test. Joseph. Mascard. de probat. vol. 1. conclus. 466. num. 6. Johann. Zanger. de qvaest. & tortur. c. 3. num. 31.“65 Brunnemann,�a.a.O.(註3),�C.�8,�Membr.�2,�n.�22,�p.�102,�〔�〕は筆者。�„Sed�quid�de�mulieribus?�Hae,�quamvis�in�criminalibus�jure�Canon.�non�admittantur,�can. Mulierem. 17. C. 33. qu. 5. c. Forum. 10. X. de verb. sign.�hoc�tamen�ad�naevos�Juris�Canon� forte�referendum:�Jure�Civili,�quod� in�hac�materia�sequimur,�omnino�admittuntur,�per L. Ex eo. 18. ff. de Testib�〔D.�22.�5.�18〕.�Clarus §. f. quaest. 24. n. 2. plures allegans Farinacius lib. 2. quaest. 59. n. 17. & 19. Carpzov. d. quaest. 114. num. 39. & alii:�Idque�tota�die� ita�observatur,�adeo,�ut�fides�honestae�mulieris�ob�sexum�labefactari�non�debeat.“�上口、前掲書(註3)、136頁。「22 女子の証人適格はどうか。カノン法上、女子は刑事事件における証人適格を有しない(Mulierem�C.�33�q.�5�c.�17;�X.�5.�40.�10)。しかし、これはカノン法の誤りの一つと考えるべきであろう。教皇は教勅において、犯罪の立証を困難にすることを意図したのである。ローマ法上は、女子も完全な証人適格を認められており、これに従いたい(D.�22,�5,�18)。これは日々遵守されており、したがって、名誉ある女子の信用性は性差を理由に否定されるべきではない。」

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論   説

北法71(2・75)345

が困難な犯罪(夜間の殺人など)、③例外犯罪(大逆、毒殺、魔女術、街道強盗、殺人など)である66。このように、例外犯罪において証人適格の

66 Brunnemann,�a.a.O.(註3),�C.�8,�Membr.�2,�n.�25-28,�p.�103f.,�〔�〕は 筆 者。�„Prima� limitatio�sit,�ut�non�procedat� in� factis�ac�delictis,�quae�sunt�difficilis�probationis,�ut�perduellio,� adulterium,� furtum,�partus� suppositio,� simonia,�proditio�&�similia,�Mascardus vol. 3. concl. 1366. num. 1. & seqq. Farinac. d. quaest. 62. n. 28. Du. Carpzov. dict. quaest. 114. n. 35.�Notant�autem�quidam,�quaedam�crimina�per�se�esse�difficilis�probationis,�ut�adulterium,�ubi�non�solent�intervenire�testes�in�ipso�delicto,�nec�potest�detegi,�nisi�per�domesticos,�adeo,�ut�nisi�domestici�adhibeantur,�vix�unquam�hoc�delictum�probari�postet.�Idem�in�furto,�conjuratione�&�simil.�Alia�vero�propter�circumstantiam�loci,�aut�temporis�redduntur�difficilis�probationis,�atque� in�his�etiam�testes� inhabiles�intervenire�possunt,�juxta�Carpzov.�d. l.�v.�g.�si�nocturno�tempore�homicidium�commissum�sit,�Menoch. lib. 2. arb. quaest. cas. 116. numer. 14. Farinac. d. l. num. 33.�Qui� in�hac,�circumstantia�secundam�limitationem�constituit.�Idem�est,�si�ratione� loci�testes�facile�haberi�non�possint:�v.�g.�si�homicidium�factum�in�eremo�aut�nemore,�alioque�loco�solitario.�Farin. d. quaest. 62. num. 55. Carpzov. d. l. num. 36.�Aliud�vero�volunt�esse,� si� testes� intervenire�poruerint,�neque�obstiterit�natura�delicti,�nex�Jocus,�nec�tempus,�etsi�actu�non�intervenerint.�Sed�non�putarim�hanc�differentiam�attendendam.�Nam�cum�publice�intersit,�crimina�detegi�maxime�enormia,�etiam�eo�casu,�quando�actu,�testes�omni�exceptione�maiores�non�adfuissent,�testes�alios�etiam�examinandos�esse,�&�Judici�concepturo�sententiam� judicuim�relinquendum,�quanto� fides�sit�tribuenda,�quia� idem�est� favor�V.�g.�homicidium�factum�in�aedibus,�aliud�in�horto,�utrobique�adfuit�domesticus�aliquis,�quid�causae�est,�ut�hic,�non�illic�domesticus�testis�examinetur?�Adulterium�quis�noctu�fecit,�alius�de�die,�videt�utrumque�impubes,�quid�causae�est,�cur� impubes� illo�casu,�non�hoc�sit�examinandus,�nulla�apparet�causa.�Secundo�limitatur�dicta�regula,�quod�testes�etiam�inhabiles�admittantur,�quando�veritas�aliter�haberi�non�potest.�argum. L. Consensu. 8 §. Servis etiam. 6. C. de repud�〔C.�5.�17.�8〕.�L. Divus. 9. princ. ff. de quaest�〔D.�48.�18.�9〕.�Farinacius d. quaest. 62. num. 50. Tertia�limitatio�in�criminibus�exceptís,�ut�Perduellionis,�veneficii,�magiae,�latrocinii,�homicidii,�in�quibus�etiam�testes�alias�inhabiles�admittuntur,�argum. L. fame si 7. ff. ad L. Jul. Majest�〔D.�48.�4.�7〕.�Masc. d. Concl. 1366. n. 15. Clarus d. quaest. 24. n. 19. Farinac. d. quaest. 62. num. 81.�Nam�&�servo�credendum�quodammodo�

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ヨーロッパ近世刑事司法の中の魔女裁判(5)

北法71(2・76)346

制限が緩和されうるということは当時広く認められた手続であったよう

in�atrocioribus,�l. 7. de Testibus�〔D.�22.�1.�7〕�l. 8. §. Servis. C. de Repud�〔C.�5.�17.�8〕.�l. 12. & seqq. de Quaest�〔C.�9.�41.�12〕.�Et�arenarium�testem�interdum�admittere�cogimur,�l. 21. §. 2. de testibus�〔D.�22.�5.�21〕,�si�atrocitas�criminis�cum�difficultate�probationis�concurrat.�Conf.�Farin. q. 50. n. 5. & q. 62. n. 28. & Clar. §. fin. q. 24. n. 10.“�上口、前掲書(註3)、137-138頁。「25 制限の第1は、反逆、姦通、窃盗、子供のすり替え、聖職売買、背叛(proditio)等のように証明の困難な行為、犯罪については、この規則は妥当しないというものである。26 若干の法学者は次のようにいう。すなわち、ある種の犯罪はそれ自体として証明が困難である。たとえば、姦通は、通常目撃されることはなく、家人以外の者によって発見されることが不可能であり、家人を証人尋問できなければ、この犯罪の証明はほぼ不可能である。窃盗、陰謀等の場合も同じである。他方、カルプツォフによれば、ある種の犯罪は犯行の場所又は時刻によって証明が困難となるが、適格のない証人がこの種の犯罪を目撃することがある。たとえば、夜間の殺人がそれである。ファリナキウスは、このような事情を第2の制限とする。ファリナキウス、カルプツォフは、殺人が荒地、森、その他人里離れた場所で行われた場合のように、場所的理由により容易に〔適格のある〕証人を得がたい場合も同様であるとする。しかし、ファリナキウス、カルプツォフは、実際には〔適格のある〕目撃証人は存在しなかったが、犯罪の性質、場所、時刻から見て目撃が不可能だったのではなく、証人が目撃する可能性は存在したという場合は、この制限に該当しない、とする。しかし、私はこのような区分を重視すべきではないと考える。犯罪、特に重大な犯罪が探知され、瑕疵のない証人(testes�omni�exceptione�majores)が存在しない場合には、〔両者の証言の〕効用は同一であるから、それ以外の証人を尋問し、どの程度信用すべきかは、判決を行う裁判官の判断に委ねられることが、公共の利益に資するのである。たとえば、家屋内での殺人と庭での殺人を目撃した家人がいる場合、家人の証人尋問が前者の場合は許され、後者の場合は許されないとする理由、あるいは、夜間の姦通と昼間の姦通を未成年者が目撃した場合、前者の場合は尋問しうるが、後者の場合は尋問できないとする理由があるのであろうか。理由がないように思われる。27 第2に、上記規則は、真相を他の方法によって知ることができない場合は適格のない証人も許容される、という制限を受ける

(C.�5,�17,�8,�6;�D.�48,�18,�9,�pr.)。28 第3に、反逆、毒殺、魔女行為、強盗殺人、殺人のような例外犯罪についても制限され、通常ならば、適格のない証人も許容される(D.�48,�4,�7,�2)。重罪事件では奴隷もある程度信用されうる(D.�22,�5,�7;�C.�5,�17,�8,�6;�C.�9,�41,�12)。剣闘士を許容せざるをえない場合がある(D.�22,�5,�21,�2)。犯罪が重大でかつ証明が困難な場合がそうである。」

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論   説

北法71(2・77)347

だ。 さて、シュルトハイスの議論に戻ると、彼は続いてどのような証人が認められ得るのかについて七つの証人の種類を挙げている。まず挙げられている認められうる証人は、「立派で敬虔な、何も非難され得ない人」である。さらに彼はブランクスの『殺人の徴表について』を欄外で挙げつつ、「立派な女性」も証人として認められると述べる67。ブランクスのこの著書は題名の通り、殺人の場合の徴表について論じたものであるが、後半部分では証人についても議論しており、以降のシュルトハイスの議論においてファリナキウスと共にたびたび引用されている。ここでブランクスは、教会法においては女性には証人適格がないが、ローマ法においては証人適格があると述べている68。 シュルトハイスはまた「20歳よりも若い人々」すなわち未成年の証人も認めている。彼は20歳どころか、「良いことと悪いこととを見分け、賢く分別がある」9歳以上の子どもすら証人として認められ得ると論じている69。彼はこの主張について、複数の法学者の見解を引用しながら、他の証人についてよりも詳しく論じている。彼の挙げているファリナキウスの著作における該当箇所は大逆罪について論じた箇所であり、そこでは14歳であろうとも無差別に証人になりうるし、拷問されうると述べ

67 Schultheiß,�a.a.O.(註15),�C.�3,�S.�136,�„Zum�andern/�so�können�auch�ehrliche�Frawen�geschlechts�Personen�zu�Zeugen�gebraucht�werden.“68 Marcus�Antonius�Blancus,�Tractatus�de� Indiciis�Homicidii�ex�Proposito�Commissi,�et�de�Alijs�Indicijs�Homicidij�et�Furti,�Venetiis�1546,�n.�350,�p.�131.�略は筆者による。„De� iure�canonico�mulier�non�potest�esse� testis� in�causa�criminali� [...],�Et�etiam�quia�de� iure�ciuili�reperitur�expressum,�quod�mulier�possit�testifacari�in�causa�criminali“.69 Schultheiß,�a.a.O.(註15),�C.�3,�S.�136,�„Zum�dritten/�so�werden�auch�Personen/�so�sonsten�jhrer�Jugent�cnd�Jahren�hlber�nicht�zulässig/�als�minner�Jhärige�so�vnder�20.�Jahren�seyn/�zu�Zeugen�zugelassen/�vnd�wegen�der�heimbligkeit�vnnd�der� größheit� des�Lasters/�werden� auch� die� jüngere�Leuthe/� so�vierzehen�Jahr/�oder�nicht�weit�von�14.� Jahren/�als�nemblich�12.�oder�13.�Jahr�alt�seyn�zu�Zeugen�zugelassen/�auch�die� jenige�so�9.�10.�vnnd�11.�Jahr�erreichet/�vnnd�daß�Gut�vnnd�Böses�erkennen/�klug�vnd�verständig�seyn/�werden�nicht�gäntzlich�von�eröffenung�jhrer�Wissenschafft�abgewiesen.“

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ヨーロッパ近世刑事司法の中の魔女裁判(5)

北法71(2・78)348

られている70。ブランクスは、14歳の未成年者は成人と同じように尋問されるべきでないとしながらも71、「有罪宣告のためでなく」軽度の拷問を加えて尋問することを許可している72。また、フランキスクス ・ カソーヌスは『徴表と拷問について』(1557年)において、「未成年は刑事事件において完全な証明を提供できる証人ではないが、徴表を提供できる」と述べている73。注意すべきは、シュルトハイスの未成年の証人についての主張に関して、9歳という年齢はいずれの文献にも述べられていない点である。シュルトハイス自身は、カソーヌスの記述を論拠として挙げているが、上記のようにカソーヌスは「未成年」とだけ述べており、具体的な年齢については述べていないのである。それと同時に、カソーヌスは未成年の証言が徴表を提供すると限定をつけているのに対して、シュルトハイスは一貫して証人として論じており、その証言の重さについてここでは制限をつけてはいないように見える。しかしこれについては後述するように、実際にはシュルトハイスは上に挙げられた証人たちの証言の重さに区別を設けている。 シュルトハイスは続けて「破門された状態にある者たち」が証人として認められ得ると述べている74。この点についてシュルトハイスは、異端者について他の異端者による証明を認めるというローマ法の規定を挙げている75。また、シュルトハイスは魔術に関して「悪評のある人々」、「魔

70 Prospero�Farinacius,�De�Testibus,�Frankfurt�a.M.�1602,�Q.�58,�n.�22,�p.�103,�„In�crimine�laesae�maiestatis,� in�quo�nedum�minores�quatuordecim�annorum:�sed�omnes� in�distincte,�nedum�testimonium�dicere�possunt,�sed�etiam�ad� id�coguntur,�&�torquentur“.71 Blancus,�a.a.O.(註68),�n.�346,�p.�128f.,�„TESTIS�minor�annis�xiiij.�non�debet�examinari�in�causa�criminali“.72 ibid.,�n.�347,�p.�129,�„quod�impuberes�cum�leui�tortura�interrogantur�non�ad�damnationem,�sed�ad�instructionem“.73 Franciscus�Casonus,�Tractus�de�indiciis�et�tortura,�Venetia�1557,�Pars.�1,�Q.�2,�n.�18,�p.�16,�„ubi�tenet,�quod�licet�in�criminalibus�impuberes�non�sint�idonei�testes�ad�plenam�probationem,�tamen�sunt�idonei�ad�indicium“.74 Schultheiß,�a.a.O.(註15),�C.�3,�S.�137,�„Zum�vierdten�die�im�Geistlichen�Bann�seyn/�die�werden�auch�in�diesem�Fall�nicht�verworffen.“75 Ebd.,�C.�3,�S.�137,� „Excommunicati�c.� in� fidei�de� faeret.� in�6.�Si in causa

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論   説

北法71(2・79)349

女の仲間」を証人として認めている76。そして最後に、証人適格について「一点だけ瑕疵があるような全ての人々」を証人として挙げている77。 以上のことから、女性や未成年などの通常の刑事事件においては証人適格を持たない証人を許容すること自体は、例外犯罪の議論においては一般的なものであったという事が分かる。勿論、その際にどんな証人にまで証人適格を認めるかは、論者によってばらつきがある。女性や未成年を証人として認めることは、どの法学者も共通するところであった。この点において、シュルトハイスは特異なことを述べている様子はない。ただし、シュルトハイスは可能な限り最も低い年齢にまで証人適格を認めようとしている。このような記述に、シュルトハイスの魔女迫害者としての姿勢、すなわち魔女に対して最も厳しい立場を採るという姿勢が見てとれる。 さて、例外犯罪においては通常認められないような証人が認められるとして、では例外犯罪の主張は証言の重さにどのような影響を与えていたのであろうか。異端や人に対する大逆の罪との対比において、シュルトハイスが魔女術の犯罪をより重大な罪であると論じていることは既に確認したが、シュルトハイスはこれらの犯罪においては、共犯者の供述が告発された人物の拷問のために十分であるということが認められていると述べ、より重大な罪である魔女術の犯罪においてはなおのことであると論じている。「重大な違反において仲間の告発は告発された人物の拷問のために十分である。それ故、より重大でより恐るべき犯罪においては仲間の告発は〔告発された人物の拷問のために〕十分なものである。異端の罪と人への大逆罪は、魔女の罪ほどには隠されてはいない。そし

haereseos excommunicati in testes admittuntur, multo magis in crimine magiae omnium criminum maximo admittendi sunt, idem de Bannitis affero.“76 Ebd.,�C.�3,�S.�137,� „Zum�fünfften�werden�auch�verleumbte�Personen�deß�erschröcklichen�Lasters�vnd�dessen�beschwerlichen�Beweißthumbs�halber�zu�zeugen�auffgenommen.�Zum�sechsten�der�Hexen�Mittgesellen�Zeugnuß�ist�auch�gültig/�aber�daruon�woll�ich�auff�dem�Orth�der�Besagung�außführlichen�bericht�thun.“�これらについては次章において詳しく論じる。77 Ebd.,�C.�3,�S.�137,�„Zum�siebenden�werden�alle�Personen/�welchen�nur�ein�Mangel�in�Rechten�kann�vorgeworffen�werden“.

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ヨーロッパ近世刑事司法の中の魔女裁判(5)

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て毒殺の罪、これは全ての罪の中で最も隠されているものであるので、仲間の告発は秘密〔の犯罪〕において、仲間に対して〔拷問を科すのに〕十分なものである。それ故最も秘密裏で隠れた犯罪においては、仲間の告発は一層十分である」78。シュルトハイスの主張はまさにシュペーとは正反対に位置している。つまりシュルトハイスはより重大な犯罪においては、より手続的な保障が緩められるべきである、と主張している。これに対してシュペーは、より秘密性の高い犯罪においては、より慎重な態度を要求している。 では、シュルトハイスはこのような態度に基づき、正規の証人による証言と通常認められないような証人の証言との間に何ら差を設けなかったのだろうか。シュルトハイスは確かに証人の範囲を広げはしたが、その全ての証言に同様の重さを認めていたわけではない。というのも、シュルトハイスは第8章におけるタナーの主張をめぐる議論における例示において、明らかに共犯者である複数の魔女が、犯罪の主要事実について別の人物を告発にもかかわらず、それらが「拷問を科すのに十分」と認めるに留まっているからである。本来ならば、二人の証人によって犯罪の主要事実が立証されれば、それは有罪宣告に十分なものであった。つまりシュルトハイスは、通常より広い範囲の証人に証人適格を認めながら、それらの価値については十全な重さを認めていないのである。この点については、例外的な場合において通常認められない証人の尋問が許可されるが、しかしそれは十分な証拠とはならないと論じているブルネマンの理解とも共通している79。

78 Ebd.,�C.�8,�S.�423.�〔�〕は筆者による。�„ergo�in�grauiori�&�atrociori�crimine�denunciationes�complicum�multo�magis�sufficientes�sunt,�crimen�haeresios�&�laesae�maiestatis�humanae�non�tam�secretum�est,�atque�crimen�veneficij,�hoc�enim�omnium�criminum�maxime�secretum�&�occultum�est,�sed�denunciationes�complicum�in�fecretis�sufficientes�sunt�contra�socium.�Ergo�in�maxime�secreto�&�occulto�crimine�denunciationes�complicum�multo�magis�sufficientes�sunt“.79 Brunnemann,�a.a.O.(註3),�C.�8,�Membr.�2,�n.�30,�p.�104,� „�Certem�enim�est,�quamvis� inhabiles�testes� in�supra�dictis�casibus�admittantur,�non�tamen�plenam�fidem�eos� facere,� sed� tantum�aliaqualem� inducere�probationem,�&�interdum�si�plures�sint,�indicium�sufficiens�ad�torturam“.�上口、前掲書(註3)、

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論   説

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 以上のことをまとめると、次のようになる。しばしば例外犯罪と拷問を結びつけて論じる際に問題になったのは、拷問の程度や回数、「拷問の反覆」、拷問特権といった拷問それ自体に関すること、そして拷問の条件でであるところの徴表と証人適格についてであった。シュルトハイスは拷問それ自体についてはそもそも論じていないか、あるいは例外犯罪論を用いて記述していない。しかし証人適格については、上に見たように例外犯罪論を前面に出して論じている。その際に彼は多くの法学者の見解を挙げながら、可能な限り証人適格を広げようとしている。シュルトハイスの主張が多くの法学者達の見解に依拠しえているところから、またカルプツォフらの文献からも、シュルトハイスの主張するような証人適格の制限の緩和は例外犯罪における手続上の例外取り扱いの一論点を形成していたと思われる。この点についてシュルトハイスの主張は魔女に対して最も厳しい立場に立っているが、しかしながら既存の議論の枠に則っている。 さらにシュルトハイスは、シュペーやブルネマンらとは対照的に、より例外的な犯罪においては、証拠の証拠能力はより高められると論じている。しかしながら、シュルトハイスは実際にはそのようにして広げられた証人適格を持つ証人全てに、等しい価値をおいたわけではなかった。その理由を直接的にシュルトハイスは述べていないが、ブルネマンが述べるように、そういった「通常は認められない証人」の証言が十分な価値を持たないということもまた、当時の刑事法学の認識に沿ったものであったと考えられる。 さて、最後に注意を促しておきたい点として、被告人の防御の権利の所でも述べたように、シュルトハイスは例外的な取り扱いが「例外」であることを十分に認識していたように思われるということである。例えば証人適格を論じるにしても、まずは通常認められる、瑕疵のない証人の種類を取り挙げ、その後に例外的に許容されうる証人の類型を論じて

139頁。「なぜならば、上に挙げたような事件においては適格のない証人が許容されるが、これらの証人は十分な証拠となるのではなく、ある程度の証拠にすぎず、それが複数競合する場合に拷問に十分な証拠となるにすぎないからである。」

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いる。また、ここで「許容されうる」と述べている点にも注目できる。シュルトハイスは防御の機会に関する箇所でも、それを与えることが危険だと述べてはいたが、防御の機会を与えては「いけない」と述べているわけではなく、飽くまで防御の機会を与えずに手続を進めることが「できる」と述べていた。拷問の反覆やその後の取り扱いについても同様で、三度目の拷問を課すことが「できる」、またその後も留めておくことが「できる」という記述になっている。このことは、このような例外的な取り扱いが、飽くまで例外犯罪であることによって「可能になった」に過ぎないという事を示している。つまり、そのような例外的取り扱いは、必ずそうしなければならないという類のものではなかったということである。

第3節 小括 -シュルトハイスの手続と近世の例外犯罪論

 以上検討してきたことをまとめると、次のようになるだろう。近世における例外犯罪の理論において、しばしば類似した論拠を挙げながら、基本的に例外犯罪があるという認識は共有されていた。きわめて大きな分水嶺は二つあり、一つはシュペーが主張したように、その理論が手続にまで影響しうるのか、それとも刑罰や処置にのみ妥当するのかという点であった。ただし、カルプツォフやブルネマンをはじめとする刑事法学者達の記述を見るに、例外犯罪の理論が手続に関する法的効果を有するというのは、近世刑事法学における共通認識であったと言える。もう一つの分水嶺は、被告人の防御の権利に関する例外が認められるかどうかという点であった。近世における例外犯罪の理論は、論点はある程度共有しつつも、おおよそ三通りの立場があったという事になるだろう。これらの違いに加えて、例えば例外犯罪に含まれる犯罪類型や、証人として認めうる未成年の年齢制限など、論者によって枝葉末節は異なっていた。このような前提の上で、近世の例外犯罪論には、具体的にどのような法的効果があったのかをまとめたい。 まず、例外犯罪に含まれる犯罪類型については、共通してそれと認識される犯罪類型が存在した。大逆、街道強盗、異端、毒殺、貨幣偽造、魔女術などが多くの論者に共通する犯罪である。これにしばしば殺人や

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論   説

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シモニア、嬰児殺、偽証などが加えられることもあったが、どの論者においてもその中核的な犯罪類型は変わらない。魔女術罪が近世において例外犯罪として扱われうる犯罪であったということは言える。 これを確認した上で、例外犯罪であることの法的効果として近世に論じられていたのは、主に刑罰・処置に関する例外と、手続に関する例外であった。裁判権に関する議論は、少なくとも近世において例外犯罪論を巡っては行われていなかったようである。刑罰・処置に関しては、魔女術罪に対して死刑と財産没収を併科しうるかという議論が存在したが、これについては魔女術罪においては併科できないという見解が主であった。財産没収と死刑の併科は、概ね大逆罪のみか、大逆罪と「神への大逆罪」である異端にのみ認められていた。 手続に関する例外については拷問の程度や回数、反覆、拷問特権の例外、証人適格の例外、被告人の防御の権利の制限などが例外犯罪の法的効果であった。拷問の程度に関しては、カルプツォフやブルネマンも、例外犯罪における特別な扱いとして最も厳しい拷問を科すことを認めていた。また回数及び拷問の反覆についても、しばしば三回までという上限の最大回数までの拷問が、例外犯罪論によって許可されえた(カルプツォフは最重罪について三回目の拷問を認めるが、ブルネマンは徴表の強さによって三回目の拷問を認めていた)。また、例外犯罪においては通常の犯罪においては拷問されないとされた人々の拷問特権が無視されえた。拷問それ自体についてこのような例外的取り扱いがされたが、さらに拷問の条件となる徴表や証言の収集についても、例外犯罪においては通常証人適格を持たない人々を証人として利用しうることが広く認められていた。他方で、いかなる場合においても被告人の防御の権利を認めるべきであるとするカルプツォフやブルネマン、シュペーらに対して、シュルトハイスは公知の理論や危険性を主張しながら被告人の防御の権利を制限しようとしている。また、弁護人に対する警戒心はデルリオとも共通するところがあり、この点でもシュペーは勿論、カルプツォフやブルネマンとは対照的である。以上が、ボダンやビンスフェルトら悪魔学者達とカルプツォフやブルネマンら近世の刑事法学者の記述から導き出される例外犯罪論の法的効果と言えよう。 ではこれに対してシュルトハイスの議論はどのように評価できるだろ

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うか。確かに、シュルトハイスの議論には当時の一般的な例外犯罪論の枠組みを大きく超えた点が存在した。被告人の防御の権利の著しい制限はその最たるものである。弁護人についてはデルリオもまた警戒しているのであるが、シュルトハイスはそれのみならず、被告人の防御の機会自体を剥奪しようとさえしている。これは既に述べたように魔女術罪の特異性(悪魔の存在)に由来するものであると考えられるが、『カロリナ』や刑事法学者たちの考えとはまったく異なる立場であり、さらにはデルリオと比べても過激な主張であると言える。とはいえ、シュペーの記述を見る限りでは、そのような考え自体は近世において一定程度存在したようである。 一方で、シュルトハイスの理論の他の部分は、近世刑事法学における例外犯罪論の枠組みの中で行われていた、あるいはその延長線上にあったと言える。近世においてはある種の例外的取り扱いをされるべきとされた犯罪類型があり、魔女術はそれに含まれていた。この例外的取り扱いには拷問の反覆可能性や通常証人適格を欠く証人の許可などが含まれており、これが悪魔学文献のみならず刑事法学者の文献においても認められているのは前述の通りである。この点においてシュルトハイスは近世刑事法学から逸脱するどころか法学者達と理論枠組みを共有しており、彼の理論はその枠内に従って論じられていたと言えよう。ただし、彼の議論は魔女に対して最も不利になるような立場を採っている。 またシュルトハイスは魔女術罪において、通常では大逆罪にしか許されていなかった死刑と財産没収の併科を認めている。この際にシュルトハイスは魔女術が「神への大逆罪」であるということを論拠としているものの、この点については悪魔学者たちにおいてさえ議論があった。例えばビンスフェルトなどは「神への大逆罪」であることを認めながらも財産没収を否定している。刑事法学者たちも、ローマ法上は死刑と財産没収の併科が認められていると論じながら、しかし魔女に対して財産没収をすることには否定的であったようだ。とはいえ、ブルネマンが異端に対して「神への大逆罪」であるとして死刑と財産没収を認めているように、「神への大逆罪」という経路を辿れば、魔女術罪における死刑と財産没収の併科という結論に至ることは、論理的には不可能とまでは言えないだろう。大逆罪における財産没収と死刑の併科の事実、そして魔

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女術罪が「神への大逆罪」であるという主張を組み合わせ、シュルトハイスは魔女に対して最も重い罰を定めているのである。これらのことを考えると、シュルトハイスの主張は、ローマ法においてはともかく、実際には死刑のみを科すという近世刑事法学の議論の流れを無視していたけれども、刑事法学を大きく逸脱していたわけではなく、その延長線上にあったと評価できる。 一方でシュルトハイスの特殊性は、先の防御の権利の剥奪に加えて、例外犯罪の中でも明白に魔女罪を重く捉えていた点にもある。確かにボダンは、通常の異端を「単なる異端」、魔女術のことを「真の異端」と呼ぶことによって、同じ例外犯罪である異端よりも魔女術の方を重く見なしている。とはいえ、ボダンの記述においてはそれがどのような意味を持っているのかは判然としない。これに対してシュルトハイスの場合は、魔女術が例外犯罪の中でもより重い罪であるということが例外的な取り扱いの正当化根拠として、法的な意味を持っているのである。例えばシュルトハイスは、「人への大逆罪」において共犯者の供述が認められるのであれば、「神への大逆罪」である魔女術においてはなおさら認められる、と述べている。 以上のように、シュルトハイスの理論は、魔女裁判を推進する側から述べられた例外犯罪論とでも言うべきもので、あらゆる点で魔女に対して厳しい立場を取り得るという立場だった。その理論は、基本的には近世刑事法学の議論から完全に逸脱したものではなかったが、被告人の防御の権利という手続的保障の観点において極めて重要な点で、刑事法学者たちとスタンスを異にするものであったと言える。これには当然、デルリオのような悪魔学者たちの影響が考えられるが、より先鋭化したものであった。シュルトハイスの主張するような被告人の防御の権利の制限が、刑事法学者達の議論においては認められていなかった事から、マイホルトやコッホの言う手続規定の「中核領域」は例外犯罪論といえども全体において守られていたと言う事が出来るかもしれないが、言い換えればシュルトハイスの指揮する裁判においては守られていなかった可能性も高い。 このような考察をもとに、近世の例外犯罪についてはどのように考えられるだろうか。近世には三通りの例外犯罪論があったとして、それぞ

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れの学識法曹や学識者たちがどの立場を支持するかは多様であったのみならず、さらには必ずしも魔女術罪を例外犯罪として扱わなければならないというわけでもなかった。本章の第1節において述べたように、ゲーデルマンやコットマンのような法学者たちは、魔女術罪を例外扱いするのではなく、『カロリナ』を遵守するように求めた80。また、第2節においてもしばしば述べてきたように、例外犯罪論は「例外的取り扱いができる」という選択肢を広げる(制限を緩める)類の理論であり、「特定の犯罪においては必ず例外的な取り扱いをしなければならない」というものではなかった。例えばツァゴラやザウターが明らかにしたように、魔女術罪について他の犯罪の場合に比べて慎重な態度を採る場合もあったのは、例外犯罪論のこのような性質に拠るものだろう81。つまり、魔女術罪が例外犯罪とみなされたとしても、それが必然的に例外的取り扱いを受けるという結果を導いたわけではなかった。彼らの研究以前では、魔女術罪が例外犯罪としてみなされたということをもって、魔女術罪が常に例外的に取り扱われたという認識が支配的であったように思われるが、エストマンやツァゴラ、ザウターらの研究を踏まえると、例外犯罪であるということは「犯罪を追求し罰するために通常の取り扱いから外れる」という選択肢が用意される、ということだったと考えるべきだろう。 しかしながら、その上で魔女裁判における例外犯罪論の意義をもう一度考えてみると、やはりこれは魔女裁判の拡大の理論的背景だったと言える。本章で検討したような例外犯罪論に伴う各種の手続的保障の緩和は、仮に被告人の防御の権利の制限を含めないにしても、決して裁判の進行への影響が小さいものではなかった。シュルトハイスの例外犯罪論が概ね当時の共有されていた枠の中に収まっているということから、このような例外犯罪論で魔女術を取り扱えば魔女として訴えられた人に

80 Sönke�Lorenz,�Erich�Mauritius� (†1691� in�Wetzlar)�ein�Jurist� im�Zeitalter�der�Hexenverfolgung�:�erweiterte�und�veranderte�Fassung�des�Vortrags�vom�28.�Mai�1998�im�Stadhaus�am�Dom�zu�Wetzlar,�Wetzlar�2001,�S.�11.81�Robert�Zagolla,�Folter�und�Hexenprozess:�Die�strafrechtliche�Spruchpraxis�der�Juristenfakultät�Rostock�im�17.�Jahrhundert,�Göttingen�2007,�S.�234;�Sauter,�a.a.O.(註48),�S.�140,�145;小林繁子「〈魔女〉は例外犯罪か」『思想』第1125号、2018年、51-67頁、ここでは54-55頁。

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とって極めて不利な事態を引き起こしかねないものであり、シュルトハイスの手続論はその最も厳しい事例の一つであったのだと言える。このような例外犯罪の場合、眼の前の犯罪を例外犯罪として例外的に取り扱うかどうかを決める人物の意向に、裁判が大きく影響されたということも言いうるだろう。ケルン選帝侯領においてはシュルトハイスら魔女コミサールがまさにそのような立場にあったということは、魔女裁判研究において彼ら学識法曹とその理論をより詳細に検討することの意義を示している。 さて、例外犯罪という考えによって証明の基準が下がったことは既に述べたとおりであるが、魔女術罪の証明において重要視されたのは仲間の告発であった。というのも、魔女術罪の構成要件であるサバトへの参加についても、また害悪魔術の行使についても、犯罪に関わっていない通常の証人による証明が非常に困難であったからだ。そこで、犯罪の共犯者の証言が重要になるわけであるが、ここには魔女が集団として存在するという前提がある。このような「セクト」のイメージが魔女迫害の拡大において重要な役割を持ったという研究もあるが、次の章ではこの魔女術罪の組織犯罪性について論じていく。