ジュラシック・トーク...
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ジュラシック・トーク 幻想交響曲についてのいくつかのトーク
その1:第3楽章の空白
先日行われた指揮者練習で「幻想交響曲」の第3楽章のリハーサルを行っていた時に、篠崎さんは雑談のよ
うな感じで「昔自宅に有ってよく聴いていたシャルル・ミュンシュとパリ管の LP レコードでは、第3楽章
の途中で盤を裏返さなければいけなかった」というお話をされていましたね。
篠崎さんがお聴きになっていたのはおそらく国
内盤でしょうから、「エンジェル」レコードだっ
たはずですが、最初に EMI からリリースされた
ときのジャケットのロゴはこんなニッパー・マ
ークの VSM(フランスの HMV)でした。
確かに、LPレコードでは音を犠牲にしたくなけ
れば片面に 25 分程度しか収録できません。で
すから、楽章の途中で切れ目を作らないように
するためには、5つの楽章から成るこの曲では、
「第1楽章+第2楽章」、「第3楽章」、「第4楽
章+第5楽章」という「3面」が必要になって
きます。そうなると2枚組になってしまい、最
後の「4面」に入れる曲も必要になってくるの
で、この時代の LP レコードではほとんどが第
3楽章の途中で切れ目を入れて、全曲を1枚の
表裏に収めていました。
このミュンシュ盤では、その「切れ目」が 68 小節目の赤線の部分でした(この切れ目は別に決まっている
わけではなく、例えば同じ EMI がコンスタンティン・シルヴェストリの指揮で、パリ管の前身のパリ音楽院
管弦楽団と録音を行った時には、48 小節目の 2 つ目の八分音符の前で裏返すようになっています)。そうな
ると、ここで「A 面」が終わってレコードをいったん止め、それを裏返して「B 面」の再生を始めなければ
いけませんから、聴いている人はここで一旦音楽が止まることを体験してしまうのです。篠崎さんの場合も、
それが刷り込まれていて「なんだかここで休まなければいけないような気になってしまう」のだそうです。
もちろん、CD になってからは「1面」で全曲を演奏することが可能となり「裏返す」必要はなくなりまし
たから、普通に楽譜通りの演奏が聴けるようになりました。
ところが、その同じ録音の CD というか、新しくリマスタリングが行われた SACD が手元にあったので聴い
てみたら、その場所にはしっかり約4秒間の「空白」があったのですよ(05:05 から 05:09 までの間)。こ
れは、「マスターテープから直接リマスタリング」というのが売りの SACD だったはずです。ふつう、「マス
ターテープ」といえば、レコードを制作するときに使う「カッティングマスター」のことを指します。ここ
には楽章間の空白も含めて片面分の音源が入っていて、それを連続して再生しながらレコードの溝を刻む作
業(カッティング)が行われます。ですから、それは通常は A 面用と B 面用との2本が必要です。しかし、
このミュンシュ盤では第3楽章の途中で A 面のカッティングが終わってしまいますから、おそらくその部分
に空白が入っている「1本の」カッティングマスターが用意されたのではないでしょうか。まずは、A 面を
その空白部分までカットし、そこでテープをいったんストップさせて、次に B 面を、その部分からカットし
始めるという手順ですね。
しかし、リマスタリングを行ったエンジニアは、そのマスターをそのまま SACD にしてしまいました。その
結果、音楽的には何の意味もない空白がここに生まれてしまったのです。
実は、もう1枚、2001 年にデジタル・リマスタリングが行われた CD(ART リマスター盤)もあったので
聴いてみたのですが、やはり同じ場所に空白がありました。その時のリマスタリング・エンジニアと、SACD
のエンジニアは同じイアン・ジョーンズという人でしたね。彼は、全く同じ手順でリマスタリングを行って
いたのですね。
さらに、もう1点、同じ SACD でもイアン・ジョーンズが使ったイギリスのマスターではなく、その前の「フ
ランスのオリジナル」を使ったとされるエソテリックの SACD でも、全く同じ空白が入っているのだそうで
す。これも、そもそものマスターに空白が入っていたことの傍証となります。良く聴いてみると、空白の部
分でもしっかりグラウンドノイズが聴こえていますから、もしかしたら、ミュンシュはここでディレクター
の指示に従って、カッティングの際の便宜を図るために意図的に演奏を停止していたのかもしれませんね。
このリマスタリングを行ったのは杉本一家氏、イアン・ジョーンズも杉本氏も、エンジニアとしての技術的な
耳は優秀なのでしょうが、音楽的な耳はシロート以下のお粗末なものだったことになります。この2人のエン
ジニアは、なまじ「マスターテープに忠実」に仕事をしたために、赤っ恥をかくことになってしまったのです。
SACD(EMI) SACD(ESOTERIC)
その2:「レリオ」
「幻想交響曲」が作られた動機が、ベルリオーズの失恋体験だったというのは有名な話です。彼は 1827 年、
23 歳の時にパリで公演を行っていたイギリスのシェイクスピア劇団で「ハムレット」のオフェリアを演じて
いたアイルランド出身の女優、ハリエット・スミッソンに一目ぼれしてしまいます。しかし、この大女優が
一介の作曲家の卵などを相手にするわけもなく、見事にフラれてしまいます。ベルリオーズの、自分の一途
な気持ちが通じなかった思いは、やがて相手に対する憎しみに変わり、そんな体験を生々しく表現するため
に、「病的な感性と激しい想像力を持つ若い芸術家が、恋に絶望しアヘン自殺を図るが、量が少なかったため
に死には至らず、奇怪で幻想的な夢を見る」という設定で交響曲を作りあげ、1830 年に初演しました。
その年に、ベルリオーズは若手作曲家の登竜門である「ローマ大賞」を受賞し、翌年から2年間のローマ留
学が決まります。そのころには、彼はマリー・モークというピアニストとの恋に夢中になっていて、結婚ま
で約束していました。切り替えは早いんですね(「♪別れたら、次の人」@嘉門達夫)。
しかし、彼がローマに到着すると、マリーの母親から、「娘はカミーユ・プレイエル(ピアノ・メーカーのプ
レイエルの二代目社長)と結婚することになったので、これ以上つきまとわないでほしい」という手紙が届
きます。それを読んで逆上したベルリオーズは、その母と娘、そして恋敵を殺すためのピストルと、自殺用
の薬(さらに、女装用の衣装)を用意して、馬車でパリへ向かったのです。相変わらずの気性の激しさです
ね。しかし、馬車の中で彼は理性を取り戻し、パリ行きはやめて途中のニースで少し頭を冷やしてから、ロ
ーマへ戻りました。その時に、「幻想交響曲」の続編ともいえる「レリオ、または生への回帰」という作品の
構想が浮かんだのだそうです。
この曲では、ベルリオーズ自身の投影である「レリオ」という作曲家が、彼が執筆した台本によるナレーシ
ョンを語るという部分が中心になっています。その中には、辛すぎる2度の失恋体験からの痛手を乗り越え
て新たに作曲家として邁進しようというベルリオーズの決意が込められています。ただ、ここで使われてい
る音楽は全てそれまでに作ったものの焼き直しですから、作品としての価値はそれほどのものではありませ
ん。というより、これはあくまで「幻想交響曲」とセットで演奏(上演?)された時に、確かな意味を持つ
もので、単独で演奏されることはまずありません。
ですから、「幻想交響曲」の録音は掃いて捨てるほどありますが、「レリ
オ」の録音となるとほんの数種類しかありません。そもそも、この作品
がピエール・ブーレーズ指揮のロンドン交響楽団によって初めて録音さ
れたのは 1967 年のことでしたからね。それは、こんなグロテスクなジ
ャケットのレコードで2枚組、もちろん「幻想」とのカップリングです。
全くの偶然なのでしょうが、この録音は 1967 年 10 月 24-25 日に行
われています。そして、先ほどのミュンシュの「幻想」も同じ年の 10
月 23-26 日に録音されているのですよ。不思議な巡り合わせですね。
この曲は、1832 年に、作曲家の構想通りに「幻想交響曲」の後に続けて演奏されるという形で初演されまし
た。そして、その聴衆の中には、なんとあのハリエット・スミッソンがいたのです。「レリオ」のナレーショ
ンの中での「ああ、なぜ私はあのジュリエット、オフェリアに出会うことができないのだろうか。私の心は彼
女たちを呼び続けているのに」というフレーズに強烈に反応し、ベルリオーズの自分に対する気持ちを再認識
して、結婚してしまうのですよ。この2つの作品をめぐって、なんというドラマが展開されていたのでしょう。
とは言っても、この結婚生活も長続きはせず、ベルリオーズは愛人と別居、1854 年にハリエットは亡くなっ
てしまいます。そしてその半年後に、彼はその愛人だったソプラノ歌手のマリー・レシオと結婚するのです。
実は、この「幻想交響曲」と「レリオ」とを続けて演奏するという、非常に珍しいコンサートが、3年前に
仙台と東京で開催されました。それは、仙台フィルの第 300 回定期演奏会を行うにあたって、当時の常任指
揮者で、自身もこの作品を演奏したことがあるパスカル・ヴェロの強い希望で実現されました。2016 年4
月 15 日と 16 日には、仙台の日立システムズホールコンサートホールでその第 300 回定期演奏会、翌 17
日には東京のサントリーホールでの東京特別演奏会として開催されています。
作曲家の指示に従えば、この2作品は休憩を取らずにそのまま続けられる必要があるのでしょうが、さすが
に2時間近くも休憩がないというのは無理があるので、休憩はありました。特に、東京の演奏会は東日本大
震災に対する支援に感謝し、震災から5年経っての復興の成果を披露するという意味合いで天皇皇后両陛下
も臨席されるという予定になっていたので、休憩は必要だったのでしょう。もっとも、当日は熊本の大震災
の影響で、このご臨席は中止になってしまいましたが。
ただ、いずれの演奏会でも、本来は「レリオ」にだけ出演する俳優さんが「幻想交響曲」でも登場して、パ
ントマイムで曲の内容を演じるという演出がなされていました。東京公演は、後日 NHK で放送されました。
① ②
③ ④
その第4楽章ではレリオはピストルで自殺、そのまま最後まで突っ伏します(①)。彼の位置は4台のハープ
の奥でした(②)。「幻想」が終わって暗転、休憩となります。休憩明けも暗転、暗いところからレリオがや
おら起き上がって「神よ!私はまだ生きている」というセリフから、次の「レリオ」が始まります(③)。
東京では合唱団はステージ後方の座席に座っていましたが、仙台ではステージの前にもセットが置かれ、そ
の場所や客席内で歩きながら歌っていました。レリオの位置も、ステージの前になっていましたね(④)。
参考:寺西基之氏による仙台フィル東京特別演奏会のプログラムノート&ブーレーズ盤のブックレット
その3:エルミニー
「幻想交響曲」で使われている固定楽想(idée fixe)
という「恋人」を表すテーマは、「レリオ」にも登
場します。しかし、これも別の作品からの転用だと
いうのは、ご存知でしょうか?これは、1828 年に
作られた「エルミニー(Herminie)というカンタ
ータの冒頭に現れるテーマそのものです。右の QR
コードで NML のフリー音源が 30 秒だけ聴けます
から、興味がある方はお試しください。