パミール、ワハーン参考文献抄...2012/12/25  · the travels of ibn battuta:translated...

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-1- パミール、ワハーン 参考文献 抄 解題:金子民雄 /図版撮影と構成:長岡正利 図版は総てデジカメ撮り/2012.12.25 改訂稿 ワハーンの回廊部は、文字通り細い帯のような地帯で、北にはパミール の重畳たる高原が、南は東西に続く屏風のようなヒンズー・クシュ山脈が続 き、生産的なものはなに一つなく、古来、東西交流ルートにすぎなかった。 ただ、東西どちらからにしてもここを抜けることは大変な危険が伴い、 このためもあって地理学的な情報が少ない。具体的な詳しい紹介記事は、 ようやく 19 世紀に入ってからで、ただワハーン回廊部全てについてふれら れたものは、きわめてわずかにすぎない。大半は東西のせいぜい入口か出 口部分で、西から東、東から西へ全ての紹介記事になると、まさしく暁天 の星ほど少ない。 そのため、ここでは総括的な参考資料と言えるかどうかきわめて疑問で あるが、ともかくワハーンの回廊部分にいくらかなりと関わりがあり、参 考になりそうなものは、だいたいここに加えてある。ただしパミール北部 や中央部については除くことにした。ここでは文献のタイトルだけでなく、 書影と地図(一部)を図版で紹介したが、ここから 19 世紀の時代背景や当 時の雰囲気を、わずかながらも偲んでいただけたら幸いである。ワハーン は、いまなお現地同様に資料の面でも、きわめて歴史的に見ても未知の世 界であると思えるからでもある。 〈西暦5、6世紀のシナの西域旅行者-法顕・宋雲〉 Samuel BealTravels of Fah-Hian and Sung Yun. 208p, a fold map, London1869 中国・東晋の求法僧法顕と北魏の宋雲・恵生は、399 年と 518 年に各々 西域を通り、インドまで行った。この紀行が『法顕伝』と『宋雲紀行』で、 当時を知る貴重な参考資料である。西欧人には漢文のテキストが使えない ので、ビールが英訳し、大変貴重視された。 金子:パミール・ワハーン 参考文献抄 2012.12.25

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Page 1: パミール、ワハーン参考文献抄...2012/12/25  · The Travels of Ibn Battuta:Translated from the Arabidged. Arabic Manuscript copies, preserved in Public Library of Cambridge,

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パミール、ワハーン 参考文献 抄 解題:金子民雄 /図版撮影と構成:長岡正利

【 図版は総てデジカメ撮り/2012.12.25 改訂稿 】

ワハーンの回廊部は、文字通り細い帯のような地帯で、北にはパミール

の重畳たる高原が、南は東西に続く屏風のようなヒンズー・クシュ山脈が続

き、生産的なものはなに一つなく、古来、東西交流ルートにすぎなかった。

ただ、東西どちらからにしてもここを抜けることは大変な危険が伴い、

このためもあって地理学的な情報が少ない。具体的な詳しい紹介記事は、

ようやく 19 世紀に入ってからで、ただワハーン回廊部全てについてふれら

れたものは、きわめてわずかにすぎない。大半は東西のせいぜい入口か出

口部分で、西から東、東から西へ全ての紹介記事になると、まさしく暁天

の星ほど少ない。

そのため、ここでは総括的な参考資料と言えるかどうかきわめて疑問で

あるが、ともかくワハーンの回廊部分にいくらかなりと関わりがあり、参

考になりそうなものは、だいたいここに加えてある。ただしパミール北部

や中央部については除くことにした。ここでは文献のタイトルだけでなく、

書影と地図(一部)を図版で紹介したが、ここから 19 世紀の時代背景や当

時の雰囲気を、わずかながらも偲んでいただけたら幸いである。ワハーン

は、いまなお現地同様に資料の面でも、きわめて歴史的に見ても未知の世

界であると思えるからでもある。

〈西暦5、6世紀のシナの西域旅行者-法顕・宋雲〉

Samuel Beal:Travels of Fah-Hian and Sung Yun. 208p, a fold map, London1869

中国・東晋の求法僧法顕と北魏の宋雲・恵生は、399 年と 518 年に各々

西域を通り、インドまで行った。この紀行が『法顕伝』と『宋雲紀行』で、

当時を知る貴重な参考資料である。西欧人には漢文のテキストが使えない

ので、ビールが英訳し、大変貴重視された。

金子:パミール・ワハーン 参考文献抄 2012.12.25 版

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〈7世紀 玄奘三蔵の西域・インド紀行〉

玄奘 『大唐西域記』

ワハーンの回廊部分の記述は、第 12 巻-7の部分にごく短くふれられている。護侶(ワハーン)、縛芻河(オクサス

河)、活国(クンドウズ)、葱嶺(パミール)、瀧池(ヴィクトリア湖)、波謎羅川(パミール川)などの地名が見れる。

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〈唐の将軍、高仙芝のパミール遠征、747年〉

Sir Aurel Stein:A Chinese Expedition across the Pamirs and Hindukush, A.D.747. G.J. RGS, Feb. 1922, 112-131p.

唐の将軍、高仙芝は、747 年、玄宗皇帝から命ぜられ、吐蕃(チベット)の勢力が増したキルギット遠征に向い、ダルコ

ット峠を越えて小勃律(キルギット)を征圧した。スタインはワハーンの現地調査を行い、唐軍の戦闘状況を再現している。

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〈西暦10世紀のアラブの旅行家イブン・ハウカルの記録〉

Oriental Geography of Ibn Haukal. Transl. by Sir William Ouseley. xxxvi+327p. London 1800

イブン・ハウカルは、943 年、バクダートからスペイン、中東、インドへ

と広くイスラム社会を旅し、地誌として『道程と諸国への旅』を出版した。

この中で、マウェラウンナール(中央アジア)、ジェイホーン(オクサス河)、

フェルガーナ、サマルカンド、ボハラ、バルフ、インダス河などが紹介され

る。

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〈マルコ・ポーロの東方見聞録〉

The Book of Ser Marco Polo. 2 vols, Vol.Ⅰ. cii+462p, Vol.Ⅱ. xxii+662p.

London 1921

13 世紀のイタリアの東洋旅行家の旅行体験録は、一般に『東方見聞録』

と呼ばれている。マルコは父と叔父と共に東方旅行に出かけたものの、1260

年、戦乱のため約1年間ほど北アフガニスタンのバダフシャン地方に滞在す

ることになり、様々な記録を遺している。ここから東へと 12 日間ほど行く

と、狭い地域に入るが、ここをワハーン(Vokhan)と呼んでいるといって

いる。ここからさらに3日ほど北東に進むと、全てが山岳地帯で、世界で一

番高い所という。この高地に2つの山地に囲まれた大湖(ヴィクトリア湖)

があり、ここから1条の大河が流れ出ている(オクサス

河)。この河岸は豊かな平原で、牧草が生え、とくに野生

の羊が群生し、この角は大きく立派である。ただ野生狼

がこれを襲って食用にするので、大きな角が辺りに散乱

し、これを現地民が拾い集めて積み上げ、道標にしてい

る。この土地をパミールと呼ぶ。野生羊は一般にマルコ・

ポーロ羊とも呼ばれている。

マルコ・ポーロの旅行記『東方見聞録』は聞き書きだっ

たため、様々な異本があるが、このテキストはヘンリー・

ユールよる校訂本。なお、本書ユール版のうち、第1巻

の第 29 章以下数章の補注がとくに大変参考になる。

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〈 14 世紀、ヒンズー・クシュを越えたイタリアの修道士の記録〉

Henry Yule, ed.:Cathay and the Way Thither. 2 vols, Vol.Ⅰ. 3+ccliii+250p. Vol.Ⅱ. cviii+253-596p. The Hakluyt Society. London 1866.

マルコ・ポーロの旅から約半世紀たった 1328-29 年頃、イタ

リアの修道士オドリコが、シナから中央アジアを通ってペルシ

アに行き、この折、記録が簡単なため詳しいことは不明だが、

ワハーンを抜け、ヒンズー・クシュを越えた可能性が大きい。

これを翻訳・編集したヘンリー・ユールは、彼の著『キャセイ

とそちらへの道』第1巻のOdoric of Pondenone(p.1-162)の章

で紹介している。またワハーンとオクサス河についても追求さ

れている。

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〈イブン・バットゥータの三大陸周遊記〉

The Travels of Ibn Battuta. Translated by Gibb. Vol.Ⅲ. xi+539-771p. Cambridge(The Hakluyt Society)1971. その他がある。

邦訳に、『イブン・バットゥータ 三大陸周遊記』(抄)、前嶋信次訳、河出書房、1953。 『大旅行記』全6巻、永島彦一訳、平凡社、1997

14 世紀、アラビアの旅行家。1335 年、メッカ巡礼の旅に上る。エ

ジプトから中近東、中央アジアに入り、ブハラ、サマルカンド経由

でオクサス(アム・ダリア(河))を南に下って、アフガニスタンのバ

ダフシャン地方に至る。ワハーンの直接の体験談はないが、当時の

貴重な情報を得ることができる。このアラビア語の原本は『町々の

珍らしさ、旅の驚異について観る人々への贈物』と題され、古典的

名著とされた。

19世紀初期には、英国でアラビア語の原文に英語の解説を付けたテキストが出版されている。

The Travels of Ibn Battuta:Translated from the Arabidged. Arabic Manuscript copies,

preserved in Public Library of Cambridge, with Notes, … by The Rev. Samuel Lee. xviii

+243 p. London 1829

(英・現代アラビア語版(1829))

(現代アラビア語版)

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〈 15-16 世紀、トルキスタン、アフガニスタン、インド征服者の記録〉

Memoirs of Zehir-ed-Din Muhammed Baber. Transl. John Leyden & W. Erskine. lxix+432p. London 1826

チムールの血を引くパミール山麓のフェルガーナの領主の子として生まれ

たバーブルは、中央アジアの統一を図るが成功せず、アフガニスタン、イン

ドに遠征し、300 年続くムガール帝国の創始者となる。この回想録『バーブ

ルナーマ』は広く中央アジアの歴史を知る貴重な資料を提供してくれる。オ

クサスとヤクサルテス河(シル・ダリア)の間の地図(折り込み)が、大変

参考になる。

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〈 16-17 世紀、インドより ワハーン、パミール、西域経由で敦煌に旅したベネディクト・ゴエス〉

Jahangir and the Jesuits. Part Ⅱ. The Travels of Benedict Goes. 119-182p. Transl. C.H.Payne. xxix+287p. London 1930

榎 一雄:『シルクロードの歴史から』 研文出版 1979年

ベネディクト・ゴエス(1562?-1607)は1584年、インドのゴアでイエ

ズス会に入り、1602年、アクバル帝の援助で首都アグラを発ち、ヒン

ズー・クシュ山脈を越え、ワハーンの回廊を抜け、パミール、天山南

路を経由して敦煌に達するが急死。当時は謎であったキタイとシナが

同一であることを、この旅によって初めて実証した。

〈西域・葱嶺地域の河川誌〉

徐松撰:『西域水道記』 全5巻 道光3年(1822)

清朝時代の徐松による、とくに天山南北路沿いの現地調査をもとに纏めら

れた河川地誌。本書ではパミール(葱嶺)南縁のワハーン地域は入っていな

いが、パミール北部のイシック・クル湖にも言及され、河川図が貴重である。

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金子:パミール・ワハーン 参考文献抄 2012.12.25 版

(前ページ『西域水道紀』の河川図。)

上左図:イリ(伊犂)河が北に向かって流れている。

上右図:右手(東)の下にアクスー(阿克蘇)が見え、左手の上にイリ河が

見える。アクスーは天山南路上にあり、このまま西へ向かえばカシュガー

ルに出る。この地図の左下にある湖水らしいものについては不明である。

どうやら現在のバルハシ(巴爾路什)湖のようだが、現代の地名表記とは

違っているようだ。

下左図:中央にある細長い大きな湖水はイシック・クル湖(伊塞克湖)で、ど

うやら東西に3つの名が付けられているようだ。この湖の下側に、戈壁(ゴ

ビ)、沙漠地帯と入っている。

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金子:パミール・ワハーン 参考文献抄 2012.12.25 版

〈英東インド会社による初のアフガーン使節〉

Mountstuart Elphinstone:An Account of the Kingdom of Caubul…. xxii+675p. a fold map. London 1815.

東インド会社は 1809 年、アフガニスタンの重要性からエルフィンストー

ンを代表団長として、初の使節団を派遣し、カーブルでアフガン国王シャー

・シュジャーと会見して、通商条約を締結し帰国する。これが『カーブル宮

廷使節記』。北方のヒンズー・クシュ、カラコラム山脈、ワハーンについての

最新情報が初めてもたらされる。大型地図が参考になる。

New revised ed. 2 vols. Vol.Ⅰ. xii+422p. Vol.Ⅱ. xii+440p.

London 1839

(第2版 1839年新版)

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金子:パミール・ワハーン 参考文献抄 2012.12.25 版

(初版にある大型地図)

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金子:パミール・ワハーン 参考文献抄 2012.12.25 版

〈ムーアクロフトのアジア旅行〉

William Moorcroft, & George Trebeck:Travels in the Himalayan Provinces of Hindustan…from 1819 to 1825. 2 Vols. lvi+459p. viii+508p, map. London 1841

19 世紀初め、チベットから広く中央アジアを旅した英国の旅行家。彼は

東インド会社から依頼され、インダス河を渡ってカーブルに行き、ここから

北へタシュクルガン、クンドウズまで訪れたが、ワハーンには入らなかった。

このあとアム・ダリアを(河)渡り、ブハラまで行ったものの、アフガーンに

戻ったところで病没してしまった。当時の北アフガニスタンを知る貴重な書。

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〈アフガン・ルートの開拓者〉

Alexander Burnes:Travels into Bokhara.

3 vols. xxiv+356p, xv+473p, xix+332p. maps. London 1834

英東インド会社の士官アレクサンダー・バーンズは、1832 年、インド(カ

シミール)人の通訳モハン・ラルを伴って、カーブルから北上し、ヒンズ

ー・クシュ山脈を越え、クルム、クンドウズに至り、ここから反転してバ

ルフ経由でトルキスタンに入り、ブハラまで行った。ただ彼らはワハーン

の入り口までには達していたが、それ以上は東に進まなかった。

インド、アフガニスタン、西トルキスタン、ペルシアの、古典的報告書。

Mohan Lal:Travels in Panjab, Afghanistan, & Turkestan…….

vii+528p. a fold map. London 1846

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金子:パミール・ワハーン 参考文献抄 2012.12.25 版

〈ウッドのオクサス源流調査〉

John Wood:A Personal Narrative of a Journey to the Source of the Oxus. 424p. a folding map. London 1841.

2nd ed. cv+280p. 2 fold. maps. London 1872

1830 年代、英東インド会社の交易代表としてアフガニスタンに赴任した

アレクサンダー・バーンズに同行した英国士官ジョン・ウッドは、バーンズ

から派遣され、1837 年、ワハーンの回廊を抜け、オクサス源流の水源調査

を行った。1841 年に初版が、1872 年、ウッドの没後に増補改訂版が出版さ

れ、ヘンリー・ユールの詳細な『オクサス渓谷の地理』(84 ページ)が入っ

ている。ワハーンの古典的名著。

(その第2版:1872)

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金子:パミール・ワハーン 参考文献抄 2012.12.25 版

〈19世紀、オクサス、ワハーンをめぐる政治情勢〉

Suhash Chakravarty:From Khyber to Oxus. A study in Imperial Expansion. vi+280p. maps. New Delhi 1976

1869 ~ 1880 年のアフガニスタンをめぐる英露関係を、外交資料から歴史

的背景を、インド人研究者が紹介した書。ワハーン回廊がアフガンに編入さ

れた経緯についてもふれられている。

〈19世紀中期 10 年間の西トルキスタンにおける支配者と政情〉

Demetrius Charles Boulger:The Life of Yakoob Beg ; Ameer of Kashgar. ix+344p. a folding map. London 1878

ヤクブ・ベクはフェルガーナのコーカンド出身の軍人。ロシア軍に敗れて

カシュガールに移り、ここの支配者となり、西トルキスタンを

統治するが、1877年、清の左棠棠軍に敗れる。英露両軍から貴さ そうとう

重視され、英フォーサイス、露クロパトキンの各使節団の訪問

を受ける。彼の没後、西トルキスタンは清朝に制圧されて新疆

省となる。中央アジアの近代史を調べる上で、ヤクブ・ベクにつ

いての情報はぜひ知る必要がある。

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金子:パミール・ワハーン 参考文献抄 2012.12.25 版

〈ロバート・ショーとジョージ・ヘイワードの報告書〉

Robert Shaw:Visits to High Tartary, Yarkand and Kashgar. xvi+486p. London 1871

直接ワハーンの回廊にまで踏み込まなかったものの、1868-69 年、カシ

ュガールにヤクブ・ベクを訪れて、パミール地域に入ったショーとヘイ

ワードに一応ふれる必要があろう。

19世紀末期、インド北西部のギルギット地方で活躍した英国人のジョ

ージ・ヘイワードは、1868-69 年にスリナガール経由でカシュガールに旅

し、ヤクブ・ベクに会った。ただ、のちに現地人に暗殺された。

G.J.W. Hayward:Letters. JRGS. vol.xv, 1870. vol.xvi, 1871

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〈フォーサイス使節団一行の報告書〉

T.D. Forsyth:Ost Turkestan und das Pamir-Plateau……1873 u. 1874. 76s. Petermanns Geo. Mit, Nr.52. Gotha 1877

―――:Autobiography and Reminiscences of Sir Douglas Forsyth. vii+283P. London 1887

英インド政庁は、当時カシュガリアを支配していたヤクブ・ベクの下に、通商協

定を結ぶためダグラス・フォーサイスを団長とする使節団を 1870 年に派遣するが、

ヤクブ・ベクが不在で果せず、次いで 1873-74 年、再度使節団をカシュガールに送

り込んだ。そして協定は締結さ

れたが、この際、各分野の専門

家も参加し、東トルキスタン、

パミールを調査し、帰国後、各

自が報告書、紀行本を出版した。

このうち、ヘンダーソンの『ラ

ホールからヤルカンド』は、フ

ォーサイスの第1回の使節団

(1870)に同行したときの記録。

あとは第2回のとき。ただトロ

ッターの報告書だけは、未見で

参照できなかった。

(ドイツ語版)

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金子:パミール・ワハーン 参考文献抄 2012.12.25 版

(フォーサイスの回想録(1887))

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George Henderson & Allan O. Hume:Lahore to Yarkand. Incidents of the Route and Nature History…….

xiv+370p. ills, a fold. map. London 1873

1870年、カシュガールのヤクブ・ベクのもと

に出掛けた、フォーサイス使節団に参加した際

の報告書。石版による色彩図(38図)が入って

いる。ヤクブ・ベク不在のため、ヤルカンドか

ら帰る。

H.W. Bellew:Kashmir and Kashghar. xix. 419p. London 1875

(このテキストは、著者からゴルドン宛の

寄贈本:著者については次ページ参照。)

1873-74年、カシュガールのヤクブ・ベクのも

とへの、フォーサイス第2回使節団に同行し

たときの報告書。図版も地図もない。

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金子:パミール・ワハーン 参考文献抄 2012.12.25 版

〈初めてワハーンの回廊部をスケッチした旅行記録〉

T.E. Gordon:The Roof of the world. Being the Narrative of a Journey over the High Plateau of Tibet…

and the Oxus sources on Pamir. xiv+172p. a fold map. London 1876

第2回のフォーサイによるカシュガール使節団に同行した、ゴルドンの

個人的旅行記。とくに旅行中に描いた 66 枚(うち4枚はカラー)の素描

画が入っていて、大変興味深い。とくに著者が言うように、「インダス河

からオクサス河」のルート上では、これまでスケッチされたことのない

秘密に鎖された世界だったので、絵を見ているだけでも旅が楽しめる本

になった。

戦前に邦訳されたことが

ある。

邦訳:『世界の屋根』 田

中一呂訳、生活社 1942

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金子:パミール・ワハーン 参考文献抄 2012.12.25 版

〈帝政ロシアが派遣したカシュガールへの外交使節団報告〉

А.Н. КУРОПАТКИН:КАШГАРИЯ. 435p. a folding map. С. -ПЕТЕРБУРГЪ. 1879

西トルキスタンを制圧した帝政ロシアは、1876-77年に当時カシュガール

を統治していたヤクブ・ベクの元に、外交使節団を派遣した。その使節団長

がのちの日露戦争時のロシア軍総司令官のクロパトキン将軍だった。すで

に英インド政庁がカシュガールに使節団を送り込んでいたので焦燥感があ

ったのであろう。このときの報告書が『カシュガリア』で、歴史・地理・

民族等の詳細な記録があり、大型の折り込み地図が当時のロシアの情報を

知る手掛りとなる。ただ、ワハーンの回廊部分が地図の南縁となっている。

英訳がカルカッタから出されている。

Kashgaria. ( Eastern or

Chinese Turkestan). Transl.

Walter E. Gowan. viii+255p.

Calcutta 1882.

(英語版、1882)

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金子:パミール・ワハーン 参考文献抄 2012.12.25 版

〈カーゾン卿の中央アジア旅行記〉

George N. Curzon:Russia in Central Asia in 1889. xiii+477p. London 1889

―― :The Pamirs and the Source of the Oxus. JRGS. vol.8, 1,2,3. 1896

英国の政治家。1888 年、下院議員だったとき西トルキスタンを旅し、名

高い旅行記を出版。この折、オクサス(アム・ダリア(河))を渡り、いつし

かの、この水源地帯への旅を願い、10 年後に実現した。

邦訳:『シルクロードの山と谷』 吉沢一郎訳 あかね書房(世界山岳名著

全集、第1巻、5-111p.) 1967

(左の地図より、ワハーンの部分拡大)

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金子:パミール・ワハーン 参考文献抄 2012.12.25 版

〈F.E..ヤングハズバンドのパミール、ワハーン紀行〉

Francise E. Younghusband:The Heart of a Continent. xvii+409p. ills, maps. London 1896

英軍人・探検家、ヤングハズバンドは、1890 年、インド政庁からの要請で、シナ語

通訳のマカートニとカシミールからタシュクルガン、ワクジル峠を経て、ワハーンの

回廊部に入り、ワハン・スー川畔のボサイン・グンバスに行き、ここから反転して大パ

ミールを訪れ、カシュガールに至る。(本書の全体内容については、次ページに。)

(ヨーロッパ人による初めてのカラコルム横断:ムスターグ峠)

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著者の処女出版となった本書は、1886年の満洲地方の旅から始まり、シナ

・トルキスタンを横断し、ムスターグ峠を越えてインドへ出た部分が第一部

となる。1889年以降は、英インド外務省から、カラコルム、パミール方面の

調査を命ぜられ、この折(1890年)、ワハーンを抜けた。1891年、インドに

戻ると、次いでカシミールの副駐在官を命じられ、チトラルの叛乱に遭遇し

た。こうした、1886-95年の波乱に満ちた体験が語られている。

〈以下の、F.E.ヤングハズバンドの3点(右の書影)は、前ページの著作から、

中央アジアの横断部分を中心とした抄録版。〉

Francise E. Younghusband:The Heart of a Continent. New edition

xvii+ 332p. London(John Murray)1904

--- 50th Annivesary edition xvi+ 246p. London(John Murray)1937

--- Among the Celestials.(Abriaged from "The Heart of a Continent")

vii+ 261p. London(John Murray)1898

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〈ダンモア卿のパミール紀行〉

The Earl of Dunmore:The Pamirs. 2 vols. xx+360p, xi+352p. London 1893

英国のダンモア卿(伯爵)は、1892 年、旅仲間のロシュ少佐とインドを

訪れ、カシミールからトルキスタンをめぐる。1892 年 10-11 月にワクジル

峠からワハーンの回廊に入り、ヴィクトリア湖を抜けてパミールを旅する。

この旅日記を記したのが本書。地図が参考になる。

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〈英露パミール国境委員会議事録〉

M.G. Gerard:Report on the Proceedings of the Pamir Boundary Commission,1896. vi+97p, 2 folding maps. Calcutta 1897

1890 年代末までに、帝政ロシアは西トルキスタンをほぼ制圧し、パミー

ルも領有下に収め、英領インドと国境を接することになったので、1895 年

6~8月、ワクジル峠近傍で国境画定委員会が開かれ、ワハーンの回廊部の

国境線も決った。英国代表はジェラード将軍、ロシア側はシュワイコフスキ

ー将軍。47 葉の写真。大型地図は大変参考となる。

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〈スタインのパミール、崑崙の山岳パノラマ図集〉

Aurel Stein:Mountain Panoramas from the Pamirs and Kuen Lun. x+36p. 24 panoramas & map. RGS. 1908

オーレル・スタインは、1900-01 年の第1回のシナ・トルキスタンの調査の折、パミールと崑崙山脈のパ

ノラマ写真を撮ってきて、地図作製の資料とした。本書を編集する上でも、これは大変参考になった。

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〈第一次大戦時、ドイツの秘密アフガン使節団によるワハーン横断記録〉

Werner-Otto von Hentig:Ins verschlossene Land. Ein Kampf mit Mensch und Meile. 248 s. map. Berlin 1928.

1914 年に第一次大戦の勃発により、ドイツ外務省はアフガニスタンに秘密使

節団を派遣し、アフガン国王に反英行動をとらす工作に着手した。そこでペルシ

ア勤務の体験のあるウェルナー・オットー・フォン・ヘンティヒに2人の仲間をつ

け、1915 年4月、一行はトルコ、バグダット、テヘランを経由し、さらに東へ、

カヴィール沙漠を横断してアフガニスタンのカーブルに入った。ここで 10 ヵ月

滞在したものの、アフガン側の説得に失敗し、1916 年5月 21 日、カーブルを発

って北上し、ヒンズー・クシュ山脈を越えて、ワハーンの回廊に入り、オクサス

河沿いに東行したが、詳しい現地名が地図上で確認できず、日付も記載がないの

で、詳しいルートが分らない。ただ無事にロシア軍の追跡を振り切って、シナ・

トルキスタンに入り、ヤルカンド経由でカシュガールに着いた。

戦後ようやく 10 年して、この体験録『禁じられた国にて』が出版された。

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〈ドイツのルフトハンザ機による空からパミール、ワハーン横断飛行の記録〉

Carl August Freiherr v.Gablenz:D-ANOY bewingt den Pamir. 241 s. maps.

Berlin 1937

ドイツの航空機メーカーのフューゴー・ユンケルスは、1927年からスヴェ

ン・ヘディンの中央アジア探検を支援するはずだったが実現に至らず、探検

の終了した翌年の1936年、フォン・ガブレンツによるD-ANOY機でアフガニ

スタンのカーブルから、パミール南縁のワハーンの回廊を抜け、2機の編隊

を組んでホータン、安西を経由し、最終目的地の西安に向った。ワハーンの

空中からの実体験とワハーンの空中写真が貴重である。

邦訳:『パミール翔破』 永淵三郎訳、東京(自刊)1938。

(ワハーンの南側、高度7000m峰。)

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(ワハーン回廊。) (上空より見たヒンズークシュ山脈。)

(ワハーン峠(カラコルム山脈の背後)。) (タシュクルガン谷(5100m)。東からワハーン渓谷に入る入口にあたる。)

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〈ティルマンのワハーンとチトラル紀行〉

Harold W. Tilman:Two Mountains and a River. xii+233p. maps. Cambridge 1949

China to Chitral : xi+124p. Cambridge 1951

英国の登山家ティルマンは、第二次大戦後2年した 1947 年、カラコラム

山脈の高峰にアタックし、次いでパミールを訪れ、ワクジル峠を西にワハー

ンの回廊をイシュカシムに抜けた。オクサスの水源地帯の連続写真が大変参

考になる。

邦訳:『カラコルムからパミールへ』 薬師義美訳、白水社 1975 年。

この旅のあとすぐ(1949 年)、ティルマンはカシュガールからワーハン

回廊部の南のヒンズー・クシュ山麓を抜けて、チトラルの旅をする。一応

参考にな る 。

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〈第二次大戦後のオーストリア隊のパミール調査報告書〉

R.S. de Grancy u. R. Kostka(ed.):Grosser Pamir. 400 s. Graz 1978

オーストリア隊による、1975 年のワハーン、パミール、アフガニスタン

の総合的調査報告書。多数の写真と折り込み地図を含む。

〈日本人によるワハーン地域の初の調査報告書〉

平井 剛:『禁断のアフガーニスターン・パミール紀行-ワハーン回廊の

山・湖・人』488 頁、図版・地図、京都(ナカニシヤ出版)2003 年。

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〈わが国で紹介されたアフガニスタンに関する総合文献集〉

堀込静香編:『アフガニスタン書誌-明治期~2003』390p. 金沢文圃閣、2003

明治初年から2002年まで、日本で発表された単行本、単行書及び雑誌、週

刊誌、団体の会報等に公表された記事5161件が収録されている。分類として

A.社会と文化、B.自然、C.文学、D.現代社会等。これに書名索引もついて

いる。日本での過去100年にわたるアフガニスタンの紹介が概観できる貴重

な文献目録といえよう。2003年11月、本書の原稿校了の翌日、編者は享年60

歳で死去。

この編集者である堀込静香の追悼文集が『文献探索2005、書誌・書誌論』

472p. として出版された。

深井人詩編、文献探索研究会、金沢文圃閣、2006。

本書にはおびただしい数の、堀込静香に関する追悼文・著作解説・著作目

録が掲載されている。また、40編ほどの寄稿者の追悼文が収録されている。

不肖ながら、平位 剛のワハーンに関する著書も、この追悼文の中で紹介さ

せて貰った(金子民雄「新刊のアフガニスタンに関する文献集を見て」)。

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【補遺】

〈 19 世紀末、英国士官のパミール紀行〉

Ralph P.Cobbold:Innermost Asia. Travel & sport in the Pamir. xviii+345p. ills. a folding map. London 1900

インド政庁より、キルギット、フンザ経由の旅行許可が得られたので、

1897-98年にかけて、カシュガールからパミール縦断旅行を行った。政治

問題には立ち入らないといいながら、英露のパミールの政治・外交問題に

もふれられている。ワハーンには立ち入らなかったが、貴重な資料を提供

してくれる。大型折り込み地図が大変参考になる。

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(前ページ掲載図の、ワハーン回廊部分。)

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〈 19 世紀末の、インド測量局の編集になる中央アジア

(西トルキスタン)地図。4葉からなる。〉

Maps of Turkistan. Compiled under Survey of India.

Dehra Dun, issued in Calcutta, 1883.

4 parts. Ⅰ. Caspian, Ⅱ. Samarcand, Ⅲ. Beluchistan, Ⅳ. Affgan.

Scale 1 inch = 32 miles. (各・66.5×97.5cm)

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〈インド測量局による中央アジア(東トルキスタン)地図〉

中央アジアのうち主にシナ・トルキスタンについては、オーレル・スタイン

の監修になる測量・製作された地図があるが、ワハーンはアフガーン領のた

めスタインの地図には入っていない。ただ、インド、アフガーン、ロシア領

中央アジアとの国境地帯については、大いに参考になる。このうち三角測量

による地図の製作過程については、下記の報告書が参考になる。

Sir Aurel Stein:Memoir on Maps of Chinese Turkestan and Kansu. From the

Surveys made during Sir Aurel Stein's Explorations, 1900-1, 1906-8, 1913-5. xvi+

208p. 14 plans, 30 plates, Dehra Dun. Trigonomerical Survey Office. India 1923

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Sir Aurel Stein:Innerrmost Asia. Detailed

Reports of Exploration in Central Asia. Vol.IV,

in 4 vols., 52 maps. Oxfored 1928.

全52葉の地図。50万分の1。

ワハーンの部分は入っていないが、シナ・トル

キスタンを含む。

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