グローバル化時代における紛争解決手段の再考 - …2012/10/24  ·...

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多賀ゼミナール 2012.10.24 発表者:飯島、板橋、中本 1 グローバル化時代における紛争解決手段の再考 Ⅰ、目次 Ⅱ、はじめに Ⅲ、総論 1、紛争の定義と分類 2、世界の主な紛争地域 3、紛争解決の手段 4、PKO について Ⅳ、各論-PKO の設立と発展- 1、PKO の誕生とスエズ危機 2、カンボジア内戦と PKO の発展 3、ソマリア内戦と PKO の挫折 4、これからの PKO Ⅴ、考察 Ⅵ、おわりに Ⅶ、参考文献 Ⅱ、はじめに 私たちは、国際秩序を維持するためには、紛争を解決することが不可欠であり、また紛 争解決の手段の中では、特に PKO が重要だと考える。よって PKO の活動に焦点を当て、 紛争のない世界、よりよい国際秩序の形成のために、これから先 PKO はどのような姿をと るべきなのかということについて、PKO の変遷などに触れながら論じることを発表の目的 とする。 Ⅲ、総論「紛争」とは何か 1、紛争の定義と分類 紛争とは、一般的には、“敵対する戦力が武力を行使して争うこと”である。スウェーデ ンのウプサラ大学の Peter Wallensteen は、「紛争とは少なくとも二つ以上の主体が、富や 権力など希少な資源を同時に獲得しようとして争う社会的状況である」と定義している。 この紛争の中には宗教紛争、民族紛争、イデオロギー紛争、経済紛争、法的紛争、領土紛 争、資源紛争、環境紛争など武力を行使する武力紛争や武力を行使しない紛争など様々な ものが該当するが、本稿で扱う紛争は主に武力紛争に限定する。

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Page 1: グローバル化時代における紛争解決手段の再考 - …2012/10/24  · 多賀ゼミナール 2012.10.24 発表者:飯島、板橋、中本 1 グローバル化時代における紛争解決手段の再考

多賀ゼミナール 2012.10.24

発表者:飯島、板橋、中本

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グローバル化時代における紛争解決手段の再考 Ⅰ、目次 Ⅱ、はじめに Ⅲ、総論 1、紛争の定義と分類 2、世界の主な紛争地域 3、紛争解決の手段 4、PKOについて

Ⅳ、各論-PKOの設立と発展- 1、PKOの誕生とスエズ危機

2、カンボジア内戦と PKOの発展 3、ソマリア内戦と PKOの挫折 4、これからの PKO

Ⅴ、考察 Ⅵ、おわりに Ⅶ、参考文献 Ⅱ、はじめに 私たちは、国際秩序を維持するためには、紛争を解決することが不可欠であり、また紛

争解決の手段の中では、特に PKOが重要だと考える。よって PKOの活動に焦点を当て、紛争のない世界、よりよい国際秩序の形成のために、これから先 PKOはどのような姿をとるべきなのかということについて、PKOの変遷などに触れながら論じることを発表の目的とする。 Ⅲ、総論「紛争」とは何か 1、紛争の定義と分類 紛争とは、一般的には、“敵対する戦力が武力を行使して争うこと”である。スウェーデ

ンのウプサラ大学の Peter Wallensteenは、「紛争とは少なくとも二つ以上の主体が、富や権力など希少な資源を同時に獲得しようとして争う社会的状況である」と定義している。

この紛争の中には宗教紛争、民族紛争、イデオロギー紛争、経済紛争、法的紛争、領土紛

争、資源紛争、環境紛争など武力を行使する武力紛争や武力を行使しない紛争など様々な

ものが該当するが、本稿で扱う紛争は主に武力紛争に限定する。

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紛争はその規模から大きく以下の5つに分類される。 ① 超絶的紛争 ② 大紛争 ③ 前国家的 ④ 極小戦争 ⑤ 紛争以前のもの またこの5つの分類の中で②、④、⑤の紛争はさらに細かく分類される ②大紛争

世界大的 世界にまで拡大する対外戦争あ

るいは内戦 1939-1945 第二次世界大戦

超国家的 国際機構ないし国際集団 朝鮮戦争、コンゴ動

乱 脱国家的 革命を惹起する内戦 1914-1918

第一次世界大戦 純粋の国家間 対外戦争あるいは重大な紛争 1935エチオピア

国家間

植民地以前の 植民地征服 1894マダガスカル 国家超越的 対外戦争を惹起する内戦 1971 バングラディ

シュ 純粋の国家内部 内戦 1830革命

国家内部

植民地内部 植民地の異議申し立て インドシナ ④極小紛争

前国家的 国境事件 1969 ウスリー

極小紛争

国家間 衝突・暴力を伴った

散発的な対決 1970 ダッカ

⑤ 紛争以前のもの

国家間 国際的小危機 多数で多様 紛争以前のもの (暴力を伴わな

い) 国家内部 衝突のないストラ

イキ アガディー

ルの危機 (戦争の社会学―戦争と革命の二世紀 1740~1974 (1980年) (中央大学現代政治学双書〈4〉ガストン・ブートゥール/〔著〕 ルネ・キャレール/〔著〕 高柳先男/訳)

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このように多種多様な規模の紛争があるが、本稿では②、③、④に分類される紛争を主に

取り扱う。 2、世界の主な紛争地域 【世界の主な紛争地域一覧】

(筆者作成) ・シリア内戦:シリアで続いている反政府運動 ・ルワンダ内戦:フツ族とツチ族の対立 ・ソマリア内戦:クランと呼ばれる血統を基にした氏族集団の対立 ・スーダン内戦:スーダンの北部と南部の対立、スーダン西部ダルフールでの民族対立 ・カシミール紛争:インド(ヒンズー教)とカシミール地方(イスラム教)の争い ・チェチェン紛争:ロシアとロシアからの独立を望むチェチェンの紛争 ・バスク分離運動:バスク地方からの独立を掲げるバスク人とスペイン間の紛争 ・アルジェリア内戦:イスラム勢力と政府との武力闘争 3、紛争解決の手段 国際社会が紛争を解決するアプローチとしていくつか考えられる。多国籍軍、国連軍、

PKO、経済制裁などである。これらは国連憲章に規定されているため、まず国連憲章を検証していきたい。

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国連憲章7章「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」、第41条に

おいて、平和に対する脅威には経済制裁や運輸通信手段の中断、外交の断絶などの非軍事

的措置をとれるとしている。しかし42条で、非軍事的措置では不十分な場合、必要な軍

事的措置をとれるとしている。そしてこの行動は国連加盟国の軍による行動を含むとして

いる。43条には安保理と特別協定を結んでいる加盟国によってその兵力が提供され、安

保理がそれを指揮するとしている。 ・経済制裁 1965年11月、初めて安保理の決議で採択され初めて実施された。イギリスから独

立した南ローデシアが少数の白人による不当な政権運営を行ったためであり、南ローデシ

アに対して石油の輸出などを禁じた(決議二一七)。しかし、南アフリカ、ポルトガルがこれに応じなかったために、2国を経由して南ローデシアは石油を輸入できたため、経済制裁

の効果は十分ではなかった。 ・国連軍 43条にある特別協定を結んでいる国がないために、今まで組織されたことは1度もな

い。

・多国籍軍 安保理が指揮権を持つ国連軍とは異なり、指揮権は軍を構成する国がもつ。1991年

の湾岸戦争におけるアメリカ主導の多国籍軍は有名であろう。これは国連の決議に基づい

て行われた。一方、記憶に新しいであろうイラク戦争は決議には関係なく有志連合として

出兵したものである。 ・PKO

PKO3原則の PKO要員による武力の不行使の制限(後に詳しく記述)が7章の集団安全保障には当てはまらず、しかし内容も重複しており、6章の平和的解決の間に位置すること

から6章半の活動と呼ばれている。近年 PKOの活動は拡大しており、平和強制にも踏み込み、様々な場面に活動が見られるようになった。 4、PKO の変遷

PKOは今まで 60回以上組織され現在も 16の PKOが展開中であり、国連の主要な紛争解決手段である。

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〇PKOの 3原則 1958年にハマーショルド元国連事務総長は自らの報告書にて国連緊急軍(UNEF)の経験から得られたPKOの基本原則を示した。この原則は基本的に現在まで受け継がれており、PKOの核となる考え方である。 (ⅰ)同意原則

PKOは参加国と紛争当事者全ての同意を必要とする。 ←PKOが非強制的介入であることを裏付ける原則。 (ⅱ)公平・中立原則

PKOは紛争当事者に対し公平な第三者としての立場をとらねばならない。 ←PKOの任務を遂行するには、紛争当事者の協力が不可欠である。当事者に敵とみなされないために、この原則は必要である。

(ⅲ)自衛以外の武力不行使原則 PKOにおける武力行使は自衛目的に限られ、かつ 後の手段としてしか用いてはいけな

い。 ←PKO が「戦わない軍隊」と呼ばれた所以である。この原則は同意原則と共に PKO を

第 7章下の強制措置と区別する重要な指標である。 〇PKOの変遷 PKO はこの 50 年間で、より効果的な活動が出来るよう発展していった。その過程については、一般的に第一世代~第四世代に分けられる。 ・第一世代の PKO 冷戦が激化していた 1940 年代には審議の場にしかなれなかった国連は、1950 年代に米

ソに核戦争回避という共通目的ができ、また第三勢力が登場したことでようやく PKOを実現できる。これが第一世代の PKOである。しかし、派遣先は、米ソの直接利害でないが武力紛争が拡大する恐れのある地域に限定されており、その任務は停戦監視や武装解除監視

に限られていた。第一世代の PKOは冷戦拡大の防止、国家間紛争後の再発防止という役目を果たしたといえる。 ・第二世代の PKO 冷戦終結に向け大国間の協調が得られるようになったこと、国内改革を進めるにあたり

過剰な負担を避けようとしたソ連が紛争地域を放棄したこと、この二つから 1980年代後半には PKOが急増する。派遣先は冷戦の代理戦争的紛争が起こった地域や、イデオロギー的枠組みが外れた後の民族紛争の地域が中心になった。対象が国家間紛争から内戦へと変わ

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ったことで、第一世代の役割に加え、選挙管理、現地警察の指導といった行政・統治機能

への介入や人権保護まで任務を拡大させた。 ・第三世代の PKO 湾岸戦争停戦時に派遣された PKOは占領軍的な性格を持っており、この頃からそれまでの非強制的 PKOと国連憲章第 7章の強制措置の境界があいまいになってきた。翌年にブトロス・ガリ国連事務総長が出した『平和への課題』でも強制措置を実行する「平和執行部

隊」が提案され、強制措置を推奨する風潮があった。PKOの三原則は軽視されるようになったが、三原則を破った PKOの多くが失敗に終わったことを受け、三原則の重要性が見直された。ガリは『平和への課題・追補』を出して PKOにおける強制措置を否定した。 ・第四世代の PKO 2000年に専門家グループにより「ブラヒミ・レポート」が出され、第三世代の失敗を踏まえた今後の PKOの在り方「統合ミッション」が提案された。これは、停戦監視~平和構築~人道支援を一貫して効率よく行うために、PKOが人道支援や開発支援を行う他の国連機関や NGOと連携する枠組みである。この提案後、国連総会では人道支援、文民保護に重点を置いた決議がいくつも出されている。 【各世代の PKOの特徴】

キーワード 時期 任務 PKOが与えた影響 事例

第一世代 伝統的 PKOの確立

1950年代後半~1980年代後半

停戦監視、武

装解除の監

冷戦拡大の防止、国家間

紛争後の再発防止 国連緊急軍(UNEF)、今後国連軍(ONUC)

第二世代 多 機 能 型

PKOの発展 1980年代後半~1992年頃

第一世代+

行政統治機

能の管理

冷戦の代理戦争の戦後処

理、民族紛争国家の解体

や再編の管理=冷戦終結

の後押し

ナミビア独立支援グルー

プ(UNTAG)、国連カンボジ ア 暫 定 行 政 機 構

(UNTAC) 第三世代 伝統的 PKO

の揺らぎ 1992年頃~ 2000年頃

第二世代+

強制措置 国連が大国の正当性調達

機関として使われること

が多くなる→アメリカ内

外の秩序形成に寄与

国 際 連 合 保 護 軍

(UNPROFOR)、 ソマリア多国籍軍(UNITAF)

第四世代 統合型 PKOの模索

2000年頃~ 現在

第二世代+

人道支援 今後どんな影響を与えて

いくのか? 国連東ティモール統合ミ

ッション(MINUSTAH)、ダルフール国連AU合同ミッション(UNAMID) (筆者作成)

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Ⅳ 各論 -PKOの設立と発展- 1.第一世代の PKO ~PKO の誕生とスエズ危機~ ・PKO の起源は、1948 年の国連パレスチナ休戦監視機構(UNTSO)や、1949 年の国連インド・パキスタン軍事監視団(UNMOGIP)まで遡る。しかし、これらは小規模の軍事顧問団の展開であり、本格的に PKOの活動が展開されるようになったのはスエズ危機の際にエジプトへ派遣された、第一次国際連合緊急軍(UNEF)の活動である。この項では、PKOの設立と発展に大きく影響したスエズ危機について説明する。 スエズ危機とはエジプトとイスラエル、イギリス、フランスがスエズ運河を巡って起こし

た国家間紛争である スエズ危機の端緒となったのは、1956年 7月に発表されたエジプトのスエズ運河国有化

宣言であった。国有化に対して英仏が敵対的姿勢を見せる中、10月 29日、イスラエル軍がシナイ半島に侵攻を開始し、ついでイスラエル・エジプト間の調停を名目に英仏軍がとも

にエジプトを攻撃し、スエズ戦争が開始された。しかし国連を中心とする国際世論の強い

非難を浴び、英仏イスラエル三国は 11月初旬には停戦を余儀なくされる。そしてその停戦のために PKOの 初の平和維持軍(PKF)として第一次国際連合緊急軍(UNEF)が展開された。 以下でスエズ危機について詳細に説明する ・エジプト大統領ナセルがスエズ運河の国有化を発表する。 ↓ ・英国首相アンソニー・イーデンは運河の国際管理を回復するために数ヶ月間に渡りエジ

プトとの交渉を続けたが、結実せず、フランスと協力してエジプトへの軍事行動を構想し

始めた ↓ ・英仏両国政府はエジプトに侵攻してスエズ運河地帯の確保を画策したが、第二次世界大

戦以後、かつてのような侵略目的の戦争は非難を浴びる社会となっていたことから、英仏

が目をつけたのが第一次中東戦争でエジプトと敵対していたイスラエルであった。イスラ

エルはエジプト革命の際にもエジプトを攻撃しており、そのことに激怒したナセルはイス

ラエルのインド洋への出口であるアカバ湾と紅海をつなぐチラン海峡を封鎖し、イスラエ

ル経済に打撃を与えていた。 スエズ運河の利権を手放したくない英仏と、チラン海峡における自国船舶の自由航行権を

確実なものとするためにエジプト軍をシナイ半島から追い払いたいイスラエルは利害が一

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致したため、三国は事前に調整を重ね、10 月末の実行が決定した。そして英仏の海軍艦隊が地中海エジプト沿岸に派遣され、侵攻を待った。 ↓ ・イスラエルがシナイ半島へ侵攻したところで、英仏政府が兵力引き離しのためにイスラ

エル・エジプト両国に軍をシナイ半島から撤退するように通告する。当然、自国領土から

撤収するはずがないので、エジプトへの制裁を大義名分として英仏軍が介入し、エジプト

軍をスエズ運河以西へ追い払った上でスエズ運河地帯を兵力引き離しのための緩衝地帯に

設定して、平和維持を名目に英仏軍が運河地帯に駐留する、そしてイスラエルはシナイ半

島を占領する、というプランが三か国の考えた筋書きであった。 ↓ ・1956年 10月 29日、イスラエル国防軍ラファエル・エイタン中佐指揮の落下傘部隊 395人が国境を越えて、シナイ半島のスエズ運河から 72km の地点のミトラ峠に降下し、侵攻

を開始した(シナイ作戦) ↓ ・10 月 30 日午後、ロンドンで英国政府により、スエズ運河から少なくとも 16km 内陸に入った地点まで兵力を撤収せよ、という 終通告がイスラエル、エジプト両国代表に手渡

された。この時点でエジプトは運河を完全に占拠しており、イスラエル軍はそこから約

50kmの地点にいたため、この通告は事実上エジプトに対する運河からの撤去命令であり、英仏の目論見によるものであった ↓ ・11月 2日までに、イスラエルはスエズ運河の東 15kmの地点までたどり着いた。同じく11月 2日に 10,000人以上のエジプト軍人が駐屯するガザ地区にも攻撃を加えた、同日中に国連の調停によりガザ地区のエジプト軍政官が降伏した ↓ ・エジプトの全面降伏は目前かと考えられたが、ここでアメリカ合衆国のアイゼンハワー

大統領が、冷戦で対立していたソ連のブルガーニン首相とも手を組み、停戦と英仏イスラ

エル軍の即時全面撤退を通告した。連合国として賛成すると考えていた米国がエジプト側

に回ったことは、侵攻 3カ国にとって大きな誤算であった。 ↓ ・国連も、英仏の拒否権で機能を失った安保理に代わり、平和のための結集決議による国

連緊急総会が招集された。英・仏・イスラエルに対し即時停戦を求める決議を求める総会

決議 997 が 11 月 2 日に採択された。アメリカ合衆国・国連により圧力を受け、11 月 6 日に英仏が停戦受諾、11 月 8 日にはイスラエルも受諾し、全軍の停戦に至った。イスラエル軍の撤退後、休戦ラインのエジプト側には第一次国際連合緊急軍(UNEF)が展開された

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このスエズ危機のように、冷戦下において大国間の協調が得られず、憲章第 7 章における集団安全保障体制が機能しないことを受け PKOは誕生したといえる。この時期の PKO、いわゆる第一世代 PKO の役割は、停戦監視や武装解除の監視に限られていた。この停戦監視などのみを行う PKO活動のことを伝統的 PKO と呼ぶ。

しかし、時代が変化するにつれて、伝統的 PKOによる活動では対処しきれないケースも

多数出現してきた。そこで、PKOの活動もより多様な第二世代へと変化していく。 2、第二世代の PKO ~PKO の任務拡大とカンボジア内戦~ 〇紛争の概要 カンボジア内戦といえば、ポル・ポトの大虐殺が も印象的であるが、その前後の政権闘

争には、西側のアメリカと東側の中国、同じ東側でも中国に反発していたベトナムの三者

の対立という冷戦の構造が大きく影響していた。 〇紛争の経緯 ・1960年にシアヌークが国家元首になると、ベトナム戦争中立から反米の立場に切り替える。

↓ ・1970年にアメリカの後押しでロン・ノル元帥がクーデターの末政権樹立。彼が親米の立場であることから共産主義弾圧強化に。

↓ ・1975年にロン・ノル政権を打倒して共産主義勢力のポル・ポト政権(クメールルージュ、カンボジア共産党)誕生。それまで親ベトナム共産党であったが、中国寄りに変える。

→ソ連寄りを強めていたベトナムが反発 ↓ ・1978年にはベトナムがカンボジアに侵攻。ポル・ポトによる大虐殺が明らかになる。翌年、親ベトナムのヘン・サムリン政権が誕生。

↓ ・ヘン・サムリンに対抗し、シアヌーク、ロン・ノル派、ポル・ポト派が 3派連合。 ←アメリカはソ連の影響を恐れ、3派連合を支持。ベトナムと対立していた中国もポル・

ポト派に武器供与 ↓ ・1991年に停戦、パリ和平協定が締結される。その翌年から UNTACの本格的活動開始。 ↓

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・1993年に総選挙が行われる。 〇カンボジア内戦における PKOの特徴 カンボジアに対しては 1992年~1993年にかけて国連カンボジア暫定機構(UNTAC)が派遣された。その任務としては、①自由で公平な選挙の実施、②外交、防衛、財政、公安、

情報の行政責任を持つこと、③外国軍隊の撤退、停戦監視、④一般的人権の監視(地雷撤

去プログラム、戦争捕虜の釈放等)、⑤難民、避難民の帰国と再定住促進があった。 その特徴としては、以下の三点が挙げられる。 ①規模の大きさ:当時 大規模←主要国が紛争の終了という目的で一致 ②機能の複合性:軍事機能、広範囲にわたる行政権、選挙運営 ③一つの独立国の政権と同等の働き 〇UNTACの成功点 ・内戦の終了 ←特別代表の明石氏が同じアジア人として体面を重んじる四派の気持ちを理解できた

ことも一つの要因 ・難民の帰還 ・投票率は 90%にまで達し、民主的、公平な選挙が成功 ←カンボジア市民に対し、積極的に UNTAC の広報活動や投票、民主主義に関する教

育を行ったことが要因 ・東南アジア初の民主的な憲法の作成に成功 〇UNTACの失敗点 ・部門間の協力や調整ができなかった →任務の重複など非効率な活動に →難民帰還プロセスに財源の多くをつぎ込んだため、他の部門が切り詰め ・援助国の都合>カンボジア人のニーズ ・責任を持つべき社会問題に対処できず。 ex.強盗、エイズ、地価高騰 ・カンボジア社会・文化の特性を認識できなかった故の、地元民との衝突 3、第三世代の PKO ~PKO の挫折とソマリア危機~ 〇ソマリア危機の背景 ・クランと呼ばれる血統を基にした氏族集団が政治権力の基盤を構成 →各クラ血族の利益の追求

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・冷戦中、その戦略上の重要性から米ソ両陣営から大量の武器供与を受ける →「ありあまる武器」

〇ソマリアにて国連が展開するまでの流れ ・91年 1月 69年からソマリアを支配していたバレ政権崩壊 →無政府状態に、内戦と飢餓で人道的な危機に陥る ↓ ・91年 11月 アイディード派とアリ・マハディ派が首都モガディシュで激しい戦闘 →2万 5千人もの非戦闘員が死亡または負傷 ↓ ・91年 12月アリ・マハディ暫定大統領が国連に PKOの派遣要請 ※国連諸機関、NGOは 3月までに人道援助を開始していたものの、政治的混乱、治安の悪化、破壊されたインフラによって成果をあげられなかった。

〇国連のソマリアでの展開(UNOSOMⅠ~UNITAF) ・91年 12月 国連事務局長ペレス・デクエヤル、安保理にソマリアの事態を取り上げるよう書簡を提出。政務担当事務次長ジェームズ・ジョナをモガディシュに派遣し、停戦の

などの交渉開始。 →アリ・マハディからは同意を得るも、アイディード将軍は説得できず、停戦調停失敗

↓ ・92年 2月 ガリ事務総長、双方の代表を国連本部に招き停戦合意の取り付けに成功 ↓ ・92年 3月 モガディシュにて両者が停戦合意に署名 ↓ ・92年 4月 停戦合意をうけ、UNOSOMⅠ (国連ソマリア活動)の創設 ※人道上の危機とはいえ、国連憲章二条七項の「内政不干渉の義務」もあり、安保理の

決断への支持は当初少なかった。 ⇔PKOはそれまで国際紛争にしか対応していなかった。初の国内への介入。

↓ ・92年 9月 パキスタンの 500人の PKO部隊がモガディシュ入り。 →兵力不足、軽装備などで自衛すらままならない状況 ↓ ・92年 11月 全人口の半数が数か月以内に餓死しかねないという〝極限状態″に。 ※治安の悪化によって人道支援物資が国内での分配ができない状態 ↓

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・92年 11月 ガリ事務総長、安保理議長あての書簡で、国連憲章第七章の平和執行措置の発動の考慮を強く示唆

→ 安保理の支持と、事務局長に具体策の提案の要請 ↓ ・92年 11月 米国、PKOに替わる多国籍軍の派遣を提案 ↓ ・92年 12月 安保理、決議にて米軍主導の多国籍軍のソマリアへの派兵を認可 →24国から構成された UNITAF(Unified Task Force)、圧倒的な兵力で港、空港、市内の重要拠点を完全制圧し飢餓状態の劇的な緩和をもたらす。(この人道的介入を希望回復作戦といった)

↓ ・93年 3月 アディス・アベバ合意…国連の仲介によって招集された国民和解会議にて採択、調印。停戦の再確認と全武装勢力の武装解除を決定

↓ ・93年 3月 アディス・アベバ合意履行の支援のため、UNOSOMⅡの設立 UNOSOMⅠは効果を上げられず、国際社会からの批判をあびた。一方 UNITAFは、希望回復作戦は成功したものの、史上初の強制措置を伴った介入であったため、賛否がおこ

り、特に長期的な介入には懐疑的な目が向けられた。また、多国籍軍の任務に関する認識

が国連と米国で異なったことから UNITAFの早期任務終了につながった。武装解除が終了しないまま移行された UNOSOMⅡは、安全確保のため、UNITAFの活動を引き継ぎ憲章7章下の強制措置をとる必要が出た。 〇国連のソマリアでの展開(UNOSOMⅡ) ・UNOSOMⅡの任務の広範さと内政干渉の深さ ① 停戦その他の合意実施の監視 ② 戦闘行為再発の防止と停戦違反の派閥に対する必要な措置の発動 ③ 将来創設される新ソマリア国軍への移管までの間、国際監視下に置かれることのなって

いる各派の重火器の管理 ④ 公認された派閥以外の武装勢力の小火器の押収 ⑤ 港、空港および人道援助支援物資分配のため必要とされている道路等の支配と安全確保 ⑥ ソマリア警察が再建されるまでの間、国連機関、国際赤十字と NGOの人員、施設、備品の安全確保と、これを攻撃する武装勢力を撃退するため必要な軍事力の行使

⑦ 地雷除去計画の継続 ⑧ 難民の帰宅支援 後に、安保理は、ソマリア警察と司法組織の再建支援を追加。

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⇒UNOSOMⅡは、警察・司法機構の再建および中央政府の樹立までも含む、一国の統治機能の全てを再構成するという壮大な試み。

・93年 6月 アイディード派によるパキスタン兵襲撃事件 →92人の死傷者が PKO要員に出る。国連とアイディード派の〝戦争状態″突入。 ↓ ・襲撃事件から七日後、モガディシュ南部のアイディード派の拠点を攻撃 ↓ ・国連とアイディード派の敵対関係悪化。アイディード将軍の逮捕の指令と、その首に賞

金がかかる。 ↓ ・戦闘が本格化し、基地と宿舎にたてこもることを余儀なくされる状況に。PKOとして機能不全に陥る。

↓ ・国連の内外から UNISOMⅡのあり方に対して批判や疑念が噴出、平和強制についても疑問が出始める。

一方、融和政策をとると、他ソマリア勢力からの国連の信用が失墜、PKO要員への攻撃を容認することにもなり、悪例を残しかねない。

↓ ・93年 9月 UNOSOMⅡの人道、政治、治安面を含めた統一的戦略を目指す安保理決議 ↓ ・93年 10月 米軍レインジャー部隊、将軍の逮捕失敗、計 75人の死傷者 →クリントン大統領、94年 3月末までの米軍の完全撤退を発表 →国内、国際社会から無責任との批判 ↓ ・94 年 1 月 事務総長、平和執行の断念と UNOSOMⅡの非執行型 PKO への逆戻りを勧告、安保理も受け入れる

↓ ・94年 3月 ナイロビ宣言…民主的に政府機構を選出するというもの →武装勢力間の合意による暫定政府の設立の決定。アディス・アベバの合意からの後退 ↓ ・94年 3月 米軍、その他の国々も撤退 →それまで勢力を温存していた武装勢力の戦闘再開 ↓ ・94 年 7 月 兵力削減開始、一方ソマリア警察再建計画には進展がみられ 7869 人の警察

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官の採用が済み、訓練中。 ↓ ・95年 3月末 UNOSOMⅡ完全撤退 UNOSOMⅡは UNITAF から引き継ぎ平和強制を行ったが、結果としてアイディード将軍に対する戦闘にかわってしまい、本来の UNOSOMⅡの目的を失い、三原則の中立を守れなかった。また政策の急な転換が多く、長期的な見通しにかけていた。 4、第四世代の PKO ~アフガニスタン内戦解決への多様なアクターの関わり~ ○国連 PKOと特別ミッション アフガン紛争において派遣された国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)とは、厳密には国連 PKOではなく、国連特別ミッションである。両者の主な違いは、軍事部門の有無である。 何故第四世代の PKO にあえて UNAMA を取り上げたかといえば、三点理由がある。一点目は第四世代の PKOのほとんどは現在進行形で続いており、あまり分析がなされていないのに対し、UNAMA は分析が多くなされていること。二点目は他の特別ミッションは国連政務局が運営しているのに対し、UNAMAだけは PKO局に運営され、PKOとの違いが小さかったこと。三点目は UNAMA の文民部門は第四世代の PKO と遜色なく、かつ新たな取り組みが多く第四世代的傾向が見えやすかったことである。 ○紛争の概要 アフガニスタンはかつて民主的な政府を持っていたものの、相次ぐクーデターとソ連の

侵攻によりそれは崩壊した。もともと多民族国家であり、ソ連撤退後は安定した政権を樹

立できず、内戦状態に。次第にタリバン対反タリバンという構造になった。 ○紛争の経緯 1979年、ソ連がアフガニスタンに侵攻し、ゲリラ勢力がソ連に抵抗してアフガン戦争勃発。ゲリラ勢力はアメリカやウサマ・ビン・ラディン率いるアラブ義勇兵の支援を受ける。 ↓ 1988年、ソ連軍が撤退すると、旧ゲリラの一派が政権樹立。だが旧ゲリラ内で政権争いが起こり、内戦状態に。 ↓ 1994年にタリバンが登場。パキスタンの支援を受け、2年後には首都カブールを占領。 ↓

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1997年には反タリバン派が結集し「北部同盟」を結成。 一方タリバンは強硬なイスラム原理主義政策を実行し、世界から批判を浴びる。 ↓ 2001年にアメリカで同時多発テロが勃発。タリバンがビン・ラディン引き渡しに応じなかったため、アメリカがアフガンに空爆、かつ北部同盟を支援。→タリバン崩壊 ↓ 同年ボン会議が開かれ、暫定政権樹立。翌年、ボン合意を受け UNAMA設立。 ↓ 同年~2005年に移行政権発足、大統領選挙、議員選挙が行われる。だが急激に治安が悪化。 ○アフガン内戦における UNAMAの特徴 アフガニスタンには 2002 年~2010 年においてボン合意に基づき、国連アフガニスタ支援ミッション(UNAMA)が派遣された。その主な任務は、①民主的国家の強化、和平プロセスの為の政治的戦略的アドバイス、②タリバン派と反タリバン派の適切な調停、③国

作りのモニタリング・支援、④UHCHR(国連人権高等弁務官事務所)と連携した人権侵害の監視と人権促進、⑤国連が得意とする分野での技術・経済支援(ex.DIAG(非合法武装集団の解体)や独立選挙委員会の支援)、⑥全ての国連による人道支援、回復、復興、開発活発の管理である。 その特徴としては以下の点が挙げられる。 ①権限の小ささ UNAMA はアフガニスタン人主体の暫定政権を補佐する権限を持ち、軍事部門は安保理が承認した国際治安支援部隊(ISAF)が受け持った。

②関与する外部アクターの多様性(次ページの表を参照) ①と関連して、非常に幅広い文民部門はアフガニスタンの官庁、援助国、国際機関、NGOが協力して行う形をとった。UNAMAは全体の調整役となった。

③地元民にオーナーシップ あくまでアフガニスタン政府にオーナーシップを持たせ、他のアクターはその支援・補

佐をするという形を取った。また、住民の自発性を促すプログラムが重視された。 ex.非合法武装解除プログラム(DIAG)、地域開発評議会(CDC)

【セクター別の主務官庁とリードドナー】

Pillar 1: 人的資源・社会保

Pillar 2: インフラ Pillar 3: 投資環境・制度 Advisory Groups:横断的

課題

難民(難民省/UNHCR) 運輸(公共事業省/ 日本・ADB) 貿易・投資(商務省/ 独) ジェンダー(女性課題省

/UNIFEM・米)

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教育・職業訓練

(教育省/ 米・UNICEF)

エネルギー・鉱業・通信

(通信省/ 世銀)

行政・経済運営

(行革委/ 世銀・EC)

環境(農業省/ADB.UNEP)

保健・栄養(保健省/EU・米) 天然資源管理(農業省/ADB) 司法(司法委/ 伊) 人道的問題(EHCO/スイス)

生活・社会保障

(農村開発省/EU・世銀)

都 市 管 理 ( 都 市 住 宅 省

/UNHABITAT)

警察(内務省/ 独) 人権(人権委/デンマーク・

UNAMA)

文化・メディア・スポーツ

(文化情報省/UNESCO)

国軍(国防省/ 米) モニタリング・評価(未定)

地雷(外務省/ 加・UNAMA) 麻薬対策(麻薬対策委/英)

武装解除・動員解除・社会復

帰(DDR委/ 日本)

「特定テーマ評価―平和構築支援・アフガニスタン支援レビュー」より 〇UNAMAの成功点 ・行政能力の弱いアフガン政権へ有効なアプローチができた。 ←あくまでオーナーシップはアフガン政権に持たせ、各援助団体はその諮問を行う形。

特定のドナーが強い影響力を持たない。 ・地域住民の主体的参加と決定が住民の希望と政府への信頼を生んだ。 →CDCは人気が高いので、CDCにより建設された施設を反政府勢力はあからさまに攻撃

できない。=治安の改善 ・多くの主体が参加することで、各主体が得意分野で活躍できる。 ←ex.日本によるインフラ整備、職業指導 〇UNAMAの失敗点 ・各アクターの関わり方が非常に複雑で、それぞれの活動における責任主体があいまいに

なり、活動が迅速に行われない。 ・現地政府、政治部門、軍事部門が連携できず。特に軍事部門は独自にプログラムを進め

ていた。 ←アメリカ軍が「不朽の自由作戦(OEF)」と称して独自にタリバン掃討活動をした。 →任務の重複、あるプログラムが別の類似のプログラムの効果を半減。非効率的。 →民衆から見ても、問題が起こった時に誰に相談すればよいのかわからない。

・地域によって治安やプログラムの実施に大きな差が生じてしまった。 Ⅴ、考察 主要な紛争解決手段である PKOに焦点をあてたときに見えてくるのは、多くの紛争の発

生原因についても、その解決過程においても大国の意図が大きく関わっている、というこ

とである。第一世代で見たように、そもそも PKOとは大国の恣意を超えた国際的組織として設立されたはずだったが、現段階ではまだその目的に沿えてないといえる。

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また、PKOの時代ごとの変化を負うと、「紛争の解決」が武力衝突の停止から、再び紛争を起こさない社会づくりという範囲まで拡大していることがわかる。視点が国家間関係→

国家政権→地域・住民へと細かくなってきているともいえるだろう。だが、このような地

域や住民単位の紛争解決には、同時に PKOの介入が強まるという側面もあり、第二世代や第四世代で見たように国民性や文化の理解が非常に大切になってくる。 これらの問題を解決する、今後の PKOの在り方には、様々なアクターの活躍が重要であると考える。拒否権はないが資金・技術力のある国々、国連の専門機関、地域機構、NGOなどが挙げられる。特に、同地域の文化や言語を理解しやすく、比較的中立性のある地域

機構の参加は第四世代の PKOが発展していくのに重要であるといえる。また、これら多様なアクターが力を発揮するために、第二世代~第四世代の分析でわかったように、国連が

統括・調整をし、三原則を守っていくことが大事だろう。 Ⅵ、おわりに 今回の発表では、「 も有力な紛争解決手段である PKO は今後どのような形をとればよいのか」という問題意識のもと、PKOの変遷を辿りながら世代毎の特徴、成功点・問題点を明らかにしたうえで、今後の PKOの在り方を示した。 冷戦下での二大イデオロギーの対立、という構図が崩壊した今、世界を主導していく存

在として国連への期待、それに伴う PKO への期待も高まってきているといえる。「特定の国のためだけに動かない。」これが PKO の信頼源になっているのであり、この信頼と効率性を維持するためにはやはり「国連の総指揮と多様なアクターの参加」が重要になるとい

える。 Ⅶ、参考文献 ・毎日新聞社外信部編、1999年、『図説世界の紛争がよくわかる本』、東京書籍 ・納家政嗣、2003年、『国際紛争と予防外交』有斐閣 ・福田菊、1994年、『国連と PKO:「戦わざる軍隊」の全て』、東信堂 ・東大作、2009年、『平和構築:アフガン、東ティモールの現場から』、岩波書店 ・川端清隆、持田繁、1997年、『PKO新時代 国連安保理からの証言』、岩波書店 ・石塚勝美、2011年、『国連 PKOと国際政治-理論と実践-』、創成社 ・上杉勇司、2006年、『変わりゆく国連 PKOと紛争解決、平和創造と平和構築をつなぐ』、明石書店 ・鏡 武、2001年、『中東紛争 その百年の相克』、有斐閣選書 ・ガストン・ブートゥール、ルネ・キャレール著、高柳先男訳、1980年、『戦争の社会学―戦争と革命の二世紀 1740~1974』、中央大学出版部

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・マーティン・ギルバート著、千本健一郎訳、2009年、『イスラエル全史』(下)、朝日新聞出版

・Joseph S. Nye Jr., 2002, “Understanding International Conflicts: An Introduction to Theory and History”: Pearson Education (=2005、田中明彦・村田晃嗣訳、『国際紛争:理論と歴史』、有斐閣) ・Peter Wallensteen,“Understanding Conflict Resolution”: London: Sage,2002 pp.13-17 ・UN ”A New Partnership for Agenda: Charting a New Horizon for UN Peacekeeping”—http://www.un.org/en/peacekeeping/documents/newhorizon.pdf (2012/10/14) ・「国連カンボジア暫定統治機構 (UNTAC)活動の評価とその教訓 (一)カンボジア紛争を巡る国連の対応 (1991~ 1993)」 — http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/97-2/i.htm(2012/10/17) ・JICA「特定テーマ評価―平和構築支援・アフガニスタン支援レビュー」—http: //www.jica.go.jp/activities/evaluation/tech_ga/after/pdf/2004/theme_afg.pdf (2012/10/19) ・ 日 本 国 際 問 題 研 究 所 、「 PKO 以 外 の 国 連 現 地 ミ ッ シ ョ ン の 調 査 」 —

http://www2.jiia.or.jp/pdf/resarch/h21_UN_mission/h21_UN_mission.pdf (2012/10/19) ・外務省—http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/peace_b/genba/pko.html (2012/10/20)