ポワレの挑戦:...this coat is a comprehensively high-level haute couture work, featuring...

4
DRESSTUDY, Vol.64, 2013 Autumn ポワレの挑戦: ドレス・パターンとテキスタイルを手がかりとして――その 4 京都服飾文化研究財団チーフ・キュレーター 深井晃子 パターン作成:京都服飾文化研究財団レストアラー 伊藤ゆち子 POIRET’S CHALLENGE: A STUDY OF PATTERN AND TEXTILE OF HIS DRESS by Akiko FUKAI, Chief Curator, Kyoto Costume Institute The coat presented here is an example of Paul Poiret’s work from about 1923. Having an asymmetric front opening, the coat is distinguished by the embroidered borders placed all over. The vertical black part on the front, which uses two highly contrasting colors of black and brown, provides a strong impression to the entire coat. The fully coil-embroidered appliqué uses black thread including gold yarn, brown thread and gold thread, depicting curved patterns on the black silk satin. The curved patterns were designed for this coat. The House of Poiret was one of the leading haute couture houses in Paris. While using embroidery, a conventional method of expression that is one of haute couture’s strengths, this coat includes unconventionally bold expressions in terms of coloring, patterning and embroidering, thus succeeding in providing a surrealistic impression. A very typical Poiret work that is extremely innovative. This coat is a comprehensively high-level haute couture work, featuring exquisitely placed patterns, distinctive cutting, and finishing, not to mention the fine finish of embroidery. It represents the high quality of one of the heydays of the Paris mode in the early 1920s. はじめに 今回取り上げるコートは、ポワレの 1923 年ごろの作品である(Fig.1) 。アシンメトリー な前明きを持つこのコートは、コート全体に、ボーダー柄に配置された刺繍表現による模 様が特徴的。黒と茶というコントラストの強い 2 色を使い、アシンメトリーな前明きに黒 い垂直部分を走らせ、全体に強いアクセントを与えている。黒の絹サテン地に、金糸を混 ぜた黒の糸、茶の糸、金糸のコイルによって曲線模様を全面刺繍した布をアップリケして いる。

Upload: others

Post on 08-Mar-2020

0 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: ポワレの挑戦:...This coat is a comprehensively high-level haute couture work, featuring exquisitely placed patterns, distinctive cutting, and finishing, not to mention the

DRESSTUDY, Vol.64, 2013 Autumn

ポワレの挑戦: ドレス・パターンとテキスタイルを手がかりとして――その 4

京都服飾文化研究財団チーフ・キュレーター 深井晃子

パターン作成:京都服飾文化研究財団レストアラー 伊藤ゆち子

POIRET’S CHALLENGE: A STUDY OF PATTERN AND TEXTILE OF HIS DRESS

by Akiko FUKAI, Chief Curator, Kyoto Costume Institute

The coat presented here is an example of Paul Poiret’s work from about 1923. Having an

asymmetric front opening, the coat is distinguished by the embroidered borders placed all over.

The vertical black part on the front, which uses two highly contrasting colors of black and brown,

provides a strong impression to the entire coat. The fully coil-embroidered appliqué uses black

thread including gold yarn, brown thread and gold thread, depicting curved patterns on the

black silk satin. The curved patterns were designed for this coat.

The House of Poiret was one of the leading haute couture houses in Paris. While using

embroidery, a conventional method of expression that is one of haute couture’s strengths, this

coat includes unconventionally bold expressions in terms of coloring, patterning and

embroidering, thus succeeding in providing a surrealistic impression. A very typical Poiret work

that is extremely innovative.

This coat is a comprehensively high-level haute couture work, featuring exquisitely placed

patterns, distinctive cutting, and finishing, not to mention the fine finish of embroidery. It

represents the high quality of one of the heydays of the Paris mode in the early 1920s.

はじめに

今回取り上げるコートは、ポワレの 1923 年ごろの作品である(Fig.1)。アシンメトリー

な前明きを持つこのコートは、コート全体に、ボーダー柄に配置された刺繍表現による模

様が特徴的。黒と茶というコントラストの強い 2 色を使い、アシンメトリーな前明きに黒

い垂直部分を走らせ、全体に強いアクセントを与えている。黒の絹サテン地に、金糸を混

ぜた黒の糸、茶の糸、金糸のコイルによって曲線模様を全面刺繍した布をアップリケして

いる。

Page 2: ポワレの挑戦:...This coat is a comprehensively high-level haute couture work, featuring exquisitely placed patterns, distinctive cutting, and finishing, not to mention the

DRESSTUDY, Vol.64, 2013 Autumn

これまで本稿で取り上げた作品は、KCI の収蔵品に見られる、ポール・ポワレがパリ・

モードという従来のデザインの枠から飛び出して、独自のデザインを広げようとした点に

焦点を合わせた例であった。すなわち、彼がテキスタイル・デザインの重要性に着目し、

世界中から収集した多様な民族的、地域性の濃いテキスタイル、あるいは服という用途と

してではなくデザインされたテキスタイルを、自分の衣服デザインに応用した具体例とし

ての作品であった。それら特徴のある、従って服の裁断にとっては極めて制約の多いテキ

スタイルを、その特性を最大限に駆使しながら独自の衣服デザインとしてどのように展開

していったのかを裁断図と共に見てきた。

本稿で取り上げられるのは、そうした例ではない。本品に印象的な文様デザインはこの

コートのために作られたものである。文様の独特なデザインは、たとえば動物の毛皮が持

つ文様を効果的にコートに適合させるために、毛皮のコートに施されるような工夫が、刺

繍によるデザインによって試みられている。これもまたポワレのデザイン上の特徴を探る

興味深い例である。

刺繍と図柄デザイン

刺繍の模様は、黒と茶、時に数本の金糸を束ねた糸(Fig.2)で表現されている。連続する

曲線的な模様のアウトライン 2 本は束ねた金糸で刺繍され、その内側部分を細い糸と金糸

を撚り合わせた糸で、空間が隙間なく埋められている。

使われた 2 つの色、黒と茶は、時に黒味を強め、時に茶色で鎮静化させながら、少しの

空間もなくびっしりと刺された刺繍表現によって、テクスチャーの凹凸感を効果的に高め

る役割を果たしている。繰り返しと連続性が特徴的な、有機的曲線による図柄は、重なっ

た花びらといったような植物にも見えるが、この色彩と質感のゆえに、やがて動物の毛皮

へと見る者のイメージを誘っていき、このコートを印象的なものにしている。Fig.4 で見ら

れるように、前後身頃、袖などコート全体に施された刺繍は、コートのボーダーに沿いな

がら配置されている。刺繍部分を別布を刺し、それをコート全体に重ねて縫い合わせると

いう手法が取られている(ディスポジシオン)。この図柄の配置は、色彩と共に、背側と腹

側によって色が違う動物の毛皮をコートに仕立てる手法を思わせる。さらには方向性を持

って密に刺された、毛並みを連想させる刺繍の感触なども、毛皮のコートを髣髴させ、そ

のシュールでユニークな表現が、このコートをとりわけポワレらしいものにしているとい

えよう。

コートの全重量は約 3 ㎏。重さは、びっしりと隙間なく施された刺繍の重さ、その刺し

地、加えてそれらが重みのあるサテンのコートに縫い合わせられていることによる。

Page 3: ポワレの挑戦:...This coat is a comprehensively high-level haute couture work, featuring exquisitely placed patterns, distinctive cutting, and finishing, not to mention the

DRESSTUDY, Vol.64, 2013 Autumn

こうしたデザイン上の工夫は、以下のように裁断図と連動している。

裁断上の特徴

裁断図(Fig.3)には、以下の特徴が見られる。

・コートの表布の黒いサテンは、裏地としても使われている(Fig.4)。

・コートの裏布は前後の身頃に横布、脇部分に経布を使い、つまり布の地の目は縦横交互

にとられている(cf: Fig.3)。

・刺繍基布はパターン 3、4、5、6、7、8、10 とほぼ同じで、各パターンの図柄に繋がり

は見られないが、脇布(4、6)と袖(8、10)は左右対称である(cf: Fig.3)。

・刺繍布には、前後の身頃に肩ダーツがある。前身頃が肩からバストポイントにかけて約

27 ㎝、後ろ身頃が肩から肩甲骨にかけて約 10 ㎝。

・構成法には次のような点が観察される。黒の生地の縦線と刺繍布の縦線が縫い合わされ

ていないこと、刺繍布のアウトラインを留めている糸が服の裏側まで見られることから、

最初に黒の生地(袖含む)と刺繍布(袖以外)を別々に縫い合わせた後、刺繍布を縫製し

たコートの上に乗せ縫い留め、その後に刺繍布の袖は縫い留めたと思われる(Fig.5)。

作品の位置づけ

本品は、ダブルレーベル、すなわち製作者であるポワレ店と、発注・販売者であるニュ

ーヨークの Angelo Torricini 店のレーベルが併置して付けられた例として興味深い。

Angelo Torricini 店は当時ニューヨークで知られた高級衣装店であり、着用者は同店から

オートクチュールを購入するニューヨーク在住の富裕な女性だった。

パリ・オートクチュールのメゾンは 19 世紀半ば以来、ウォルト店、パンガ店らをその

代表例として海外に多くの顧客を持っていた。とりわけアメリカの顧客は数も多く重要だ

った。ポワレも早くから海外戦略を敷いており、その名は海外でもよく知られていた。ア

メリカの顧客の中には、シーズン毎に定期的に個人でパリまで直接買い物に来る婦人たち

がいた。そうした顧客のほか、個人客に代わって店舗を持つ専門業者がオートクチュール

を発注するケースも多く、そうした店がニューヨーク、ボストン、フィラデルフィアなど、

アメリカの大都会に存在した。

本品が制作された 1923 年、ポワレは、日本の文様から文様デザインをとった、KCI が

所蔵する黒いウール地に絵羽文様風の刺繍を施したコートを発表している。このコートは

ボーダー柄の配置、あるいはディスポジシオン刺繍という点において、本品との類似性を

指摘することができる(Fig.6)。

Page 4: ポワレの挑戦:...This coat is a comprehensively high-level haute couture work, featuring exquisitely placed patterns, distinctive cutting, and finishing, not to mention the

DRESSTUDY, Vol.64, 2013 Autumn

おわりに

ポワレ店は、パリを代表するオートクチュールのメゾンであった。本品は、刺繍という

オートクチュールが得意とする従来の表現方法を使いながら、色彩、図柄、刺し方、効果

において、従来の枠を超える大胆な表現が試みられ、シュールレアリスティックな印象を

出すことに成功している。ポワレらしい、極めて革新的な作品である。

同時に本品は精緻な刺繍の仕上げはもとより、図柄の配置への細かな目配り、独自の裁

断方法、仕立て方など、オートクチュールの総合的なレベルの高い仕事振りを見せている。

それはまた、1920 年代前半初めという、パリ・モードが一つの黄金期にあった時期の質を

明らかにもしている。

〈図版〉

Fig. 1. ポール・ポワレ コート 1923 年頃 京都服飾文化研究財団(Inv. AC12973 2013-2)

レーベル 1:PAUL POIRET a Paris.(左脇裏)

レーベル 2:Angelo Torricni(衿ぐり後ろ中心)

Paul Poiret, Coat, c.1923. Kyoto Csostume Institite (Inv. AC12973 2013-2).

Label 1: PAUL POIRET a Paris. (Left side, inside)

Label 2: Angelo Torricni (Center back of the collar)

Fig. 2. 刺繍(拡大)

Embroidery on the coat (Enlargement).

Fig. 3. 裁断図

Patterns of the coat.

Fig. 4. 刺繍配置図

Embroidery on the coat.

Fig. 5. 縫製順序

Procedure of construction.

Fig. 6. ポール・ポワレ コート「マンダリン」 1923 年頃 京都服飾文化研究財団(Inv. AC6382 1989-18) リ

チャード・ホートン撮影

Paul Poiret, Coat “Mandarin”, c.1923, Kyoto Costume Institute (Inv. AC6382 1989-18), Photo by Richard

Haughton.

(※肩書は掲載時のものです)