オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 g・ハ...オブジェクトとは 、...

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Page 1: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、
Page 2: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、

オブジェクト指向哲学の76テーゼ

 G・ハーマン著

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Seventy - Six Theses

on Object - Oriented Philosophy

2 0 1 3

Graham Harman目次

オブジェクトについて

四つの緊張関係について

三つの放射について

三つの接合について

四つの緊張関係の撹乱について

芸術作品について

訳者あとがき

1 244100110120144168

Page 4: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、

凡例

原文中の" "は「 」に、( )は( )によって示した。

またイタリックの箇所は傍点によって示した。

〔 〕内は訳者による補足である。接続詞などの補足に

かんしては、とくに断らない場合もある。〈 〉は、訳語

としてのまとまりが見えるように付したものである。

原註の箇所は*によって示した。

訳註の箇所は( )に

よって示した。

訳語の一部に、原語のルビをふった。

テーゼのまとまりごとに、見出しを付した。各見出し

は訳者によるものであり、原文にはない。

オブジェクト 指 向 哲 学 の 7 6 テ ー ゼ4

Page 5: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、

(1 )

(2)

(3)

(4)

二〇一二年夏、「ドクメンタ(13)

」芸術祭が、恒例の開催地である

ドイツのカッセルにて開かれた。芸術祭のディレクターを務めるキ

ャロライン・クリストフ=バカルギエフは、一〇〇人の寄稿者たち

(何人かは故人)による小論で編まれた長大なカタログを計画し

その寄稿者のひとりとしてわたしを招待してくれた。このカタログ

にわたしが最終的に寄稿したのは、「第三のテーブル」と題された

小論である。この小論は、A・S・エディントンによる有名なふたつ

のテーブル(科学と実践)の比喩を批判し、第三のテーブル(芸術

にかかわるもの)を提示することを目的としたものであった。だが

そもそもわたしはこの発想に思い至るまえ、最初は「オブジェクト

指向哲学にかんする一〇〇テーゼ」と題された小品を寄稿する計画

でいた。ところが七六個目のテーゼに到達したあとで心変わりし、

これを取りやめて、あらたに先のエディントンにかんする小品を書

きはじめたのである。〔未完となったが〕最初の計画によって書き

残されたものは、ライプニッツの『モナドロジー』のような文体で

綴られた、オブジェクト指向思想にかんする七六個の原理の概略

的な要約である。わたしは、表現の徹底した簡潔さを維持する

ために、個々の論点を厳密に最大三〇語の長さに制限した。この

未完の小品は、二〇一一年の十一月後半に書かれたものである。

*1

*2

6

0 0

Page 6: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、

(1) ド

クメンタは、ドイツのカッセルにて、一九五五年以来ほぼ五年お

きに開催されている国際的な芸術祭である。ナチス・ドイツ体制下で退

廃芸術として弾圧された前衛芸術の名誉回復を目的にはじまった。現在、

ベネチア・ビエンナーレと並ぶ、ヨーロッパ有数の芸術祭となっている。

( 2) Caro

lyn Christov

-Bakarg

iev(一九五七-)。アメリカ合

衆国の作家、キュレーター。二〇一二年に、「ドクメン

タ(

13)」芸術祭のディレクターをつとめた。ロンドンに

拠点を置く現代アートの雑誌『アートレビュー』が発表

している「アート業界で影響力のある人物トップ一〇〇」

で、二〇一二年に一位にランクインした。ハーマンも、

このランキングに二〇一三年から三年連続でランクイ

ンしている(二〇一三年は八一位、一四年は六八位、

一五年は七五位)。

*1 G

raham

Harm

an, “T

he Third

Table,” in

, ed. C. C

hristov Baka-

rgiev. (Ostfildern, G

ermany: H

atje Cantz

Verlag, 20

12.) Pages 54

0-54

2.

The B

ook of Books

8

9

0 0

Page 7: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、

(3) S

ir Arthur S

tanley Eddington(一八八二‐一九四四)。

イギリスの天文学者、物理学者。一九〇六年にグリ

ニッジ天文台助手、一三年ケンブリッジ大学教授 、

翌年同大学天文台台長に就任。日食の観測によりアイ

ンシュタインの一般相対性理論を裏づけた。『物理的

世界の本性』は、一九二六年から二七年にエディンバ

ラ大学で行われたギフォード講演がもとになっている。

( 4) Go

ttfried Wilhelm

Leibniz(一六四六‐一七一六)。ド

イツの哲学者、数学者。さまざまな分野で業績を残し、

政治家、外交官としても活躍した。晩年の小品『モナ

ドロジー』は、彼の思想を簡潔に要約したものとなって

いて、世界を、不可分で不滅の実体である無数のモナ

ドから成るものとして説明している。

*2 A

.S. E

ddington, . (N

ew Y

ork: M

acMillan, 1929.)

The N

ature of the Physical World

10

11

0 0

Page 8: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、

オブジェクトとは

なんであれ統一性をもつ

である

世界のうちに存在するものも

たんに精神のうちに存在するものも

オブジェクトである 。

哲学は

どちらのタイプのオブジェクトも

扱えるほどじゅうぶんに

適用範囲の広いもの

でなければならない

(5) “

ob

jec

t”の訳語は、ふたつの理由から、そのままカタカナ表記で「オブジェクト」とした。第一に、「オブジェ

クト指向」(

ob

jec

t-orie

nte

d)という表現とのつながりを明確にするためである。“

ob

jec

t-orie

nte

d”に

は、プログラミング用語としてすでに「オブジェクト指向」という定訳がある。したがってそれに合わせて、

“o

bje

ct”の

訳語も「オブジェ クト」とした。第二に、ハーマンは“object”と

いう用語に、わたしにとっての

「対象」というニュアンスと、それ自体で存在する「物」というニュアンスの両方を込めているからである(前

者は“

sen

sua

l ob

jec

t”と呼ばれ、後者は“

rea

l ob

jec

t”と呼ばれる)。この両方のニュアンスを活かすため

に、カタカナ表記の「オブジェクト」を訳語としてもちいることにした。

0 1

(5)

オブジェクトについて

12

13

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0 21

最初の種類のもの〔世界のう

ちに存在するオブジェクト〕

を「実在的オブジェクト」(re

al ob

ject

あるいは「事物」と呼ぼう

実在的オブジェクトは、

たとえすべての観察者が

眠ったり死んでしまったり

しても存在する、世界のうち

の自律的な存在者である。

(6)「自律的な存在者」と訳出した箇所は、原文では“

auton

omo

us force

s”

となっている。ここでは、実在的オブジェクトに対してたしかに力

のようなものがイメージされているが、基本的には実在的オブジェ

クトは事物であり実体である。無用な混乱を避けるために、「力」で

はなく「存在者」とした。

(6)

14

15

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(7)

0 2 31

第二の種類のもの〔精神のうちに存在するオブジェクト〕を

「感覚的オブジェクト」(sen

sual ob

ject

)あるいは

「イメージ」と呼ぼう。

感覚的オブジェクトは、

ある知覚者がそれに向きあっている

かぎりにおいてのみ存在する。

この知覚者は、人間である必要はない。

( 7) ハーマンによれば、人間以外の実在的オブジェクトも、知覚をとおして感覚的オブジェクトに向きあっている。

ハーマンのこの立場は、汎心論ないし生気論を想わせるが、彼自身はそれと微妙な距離をとりつづけている。

『ゲリラ形而上学』では、汎心論は人間の精神や意識を重視したうえで、それをあらゆるものに帰属させている

のだとして退けられる。ハーマンが採用するのは、あらゆる存在者が、意識よりも一般的なはたらきである

「魅惑」(

allure)を

とおしてかかわりあう「汎魅惑論的」(

pan

allurist)立

場である。汎心論に対するこうした否

定的な態度は、その後は若干緩和される方向に修正されている。『四方対象』では、汎心論に対してある程

   度の理解が示されたうえで、「汎」の側面に異議が唱えられる。ハーマンは、つぎのように述べている。「重要

   なのは、オブジェクトは汎心論が主張するように、存在するかぎりで知覚しているのではないということで

   ある。オブジェクトは、関係するかぎりで知覚するのだ」(

Graham

Harm

an, T

he Quadruple O

bject, Winchester: Ze-

ro Books, 2011, p.122)。ハーマンによれば、存在するあらゆるオブジェクトが知覚する(汎心論)のではなく、

他のものと関係するオブジェクトだけが知覚するのである。ここから、存在はするが、他のものとの関係を欠

いた(つまり、知覚していない)「眠れるオブジェクト」(

dorm

ant o

bject)と

いうものも認められることになる。

こうして、ひじょうにおおくのオブジェクトが知覚しているが、すべてのものではない(「汎」ではない)とい

う意味で、「多心論」(

polyp

sychism)の立場が表明されるのである。

16

17

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0 42 31

わたしたちが

出会うのは、

実在そのものではない。

わたしたちによる

事物の知覚や

実践的な操作が

事物の実在性を

汲み尽くすことはない。

個々の事物は

汲み尽くすことのできない

を抱えている。 18

19

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(8)

このこと〔事物の実在性を汲み尽くす

ことはないということ〕は、人間や動物

の心の特性に起因するのではない。生命

のないオブジェクトであっても、たがい

を汲み尽くすことに失敗する。木綿を燃

やす炎も、窓ガラスを粉砕する石も、み

ずからの被害者〔木綿や窓ガラス〕を単純化してしまう。

(8) ハーマンによれば、事物と関係することによって得られるのは、その事物のほんの一側面にすぎない。他方

で事物そのものは、そのようにして得られるもの以上のものを、つねに余剰として抱えている(テーゼ4.)。

ハーマンはさらにここから、他の事物へのこうした接近不可能性を、事物相互のあいだにも見いだそうとする。

接近不可能性は、人間と事物のあいだに固有の事態ではないのだ。本文で挙げられている「炎と木綿」の例

(これはハーマンがよくもちいる例で、ガザーリーに由来する)でいえば、燃焼という出来事において、炎は木

綿を可燃性という性質に単純化しているのである。炎からすれば、木綿がもつ手触りや白さなどは、汲み尽

くすことのできない余剰に属している。ところで、人間と世界の関係を特権視し、事物そのものではなく、

人間がそれへと接近するしかたを中心的な課題とする哲学を、ハーマンは「アクセスの哲学」(

philo

soph

y

of access)と

呼ぶ。これは、メイヤスー(

Qu

entin

Meillassou

x 一九六七‐)が「相関主義」(

corré

lation

isme)

と名づけた概念に相当する。ハーマンが牽引役となった「思弁的実在論」は、この相関主義(あるいはアクセ

スの哲学)をなんらかのしかたで乗り越え、実在論的な形而上学の構築を試みる思想的な運動であった。ハー

マン自身の場合、実在論的形而上学の構築は、カント以来つづく相関主義的な拘束を出発点の段階から退

けて、事物そのものの哲学へと一挙にいたることによってなされる。ハーマンによれば、人間だけでなくあら

ゆるオブジェクトが、余剰を抱えた自律的な存在者である。そうしたオブジェクトが、表面をとおして間接

的に関係しあう世界を描くのが、彼のオブジェクト指向哲学である。そこでは、思考する人間は、特権的な存

在者ではまったくない。

50 42 31

20

21

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(9)

(10)(11)

650 42 31

ハイデガーは、オブジェクトがこ

のように認識的であれ実践的で

あれどんな形式の現前にも還元されえないと

いうことを理解していた。彼の過ちは、このこ

とを全体論的な道具連関に起因するとみなし

た点にあった

( 9) Martin H

eideg

ger(一八八九‐一九七六)。ドイツの哲学者。

一九一九年から二三年まで、フライブルク大学にてフッサールの

助手として教鞭をとり(初期フライブルク期)、一九二三年から

二八年のあいだマールブルク大学の教授をつとめた。その後、

一九二八年にフッサールの後任として、フライブルク大学の教

授に就任。フッサール現象学から影響を受け、古代ギリシア哲

学の解釈をつうじて独自の存在論を展開した。著作には『存在

と時間』がある。

22

23

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(10) ハ

イデガーは『存在と時間』のなかで、ハンマーを例に挙げて、

道具の分析を展開している。ハンマーが認識の対象となってい

る場合、それは「眼前存在性」(

Vorh

andenhe

it)と呼ばれ、道具と

   して実践的に使用されている場合、「手許存在性」(

Zuh

andenheit)

    と呼ばれる。ハイデガーによれば、眼前存在性としてのハンマー

    は意識に現前するが、手許存在性としてのハンマーは意識に現前

    することなく、そこから逃れ去っているのである。ハーマンは、処

    女作『道具存在』において、ハイデガーによるこの道具分析を独

    自に解釈し、みずからのオブジェクト指向哲学を構築した。ハーマ

    ンの解釈によれば、道具分析において問題となっているのは、「事

    物と、わたしたちがそれに対してもちうるなんらかの相互作用との

   あいだの絶対的な隔たり」(

Grah

am H

arman

,

, Chicago

: Op

en C

ourt, 200

2, p.2)

である。それゆえ、道具分析が描く事物(つまり道具存在)は、理

論に対してだけでなく実践に対しても現前することはない(一

般的なハイデガー解釈においては、道具分析は、理論 的抽象が

実践的活動にもとづいているということを意味するのだとされる)。

 「手許存在性が指し示しているのは、人間のまなざしから逃れ去

   り、実践的活動にも理論的意識にもけっして現前しない暗く隠れ

た実在へと退隠するオブジェクトである」(

Ibid.,p.2)。

ハーマンは

さらにここから、このように解釈された道具存在の構造が、い

わゆる「道具」だけでなく、あらゆる存在者にあてはまるのだと

解釈する。そして、「道具存在は伝統的実体の奇妙な改訂版とな

る」(

Ibid., p.2)と

主張し、実体を軸にしたあらたな形而上学の構

築へと向かうのである。ハーマンによるこうした一連のハイデ

ガー解釈は、たしかに妥当性を欠くように思われる。しかしハー

マンは、みずからの目的について、「ハイデガー以上にハイデガー

を理解することではなく、ハイデガー以上に道具存在を理解する

ことである」(

Ibid., p.6)と

述べており、あくまでもハーマンの主眼

は、道具分析を独自のしかたで解釈し、そこからハイデガーが思い

もしなかったあらたな形而上学の構築へと向かうことにあるの

だと言える。

650 42 31

(11) ハ

イデガーは、道具は孤立し

   ているのではなく、他の道具

   との連関のうちにあるのだと

   考えた。たとえば、ハンマー

   は釘を打つためであり、釘は

   板を固定するためであり、板

   は机をつくるためであり…と

   いうように、それぞれの道具は、

   「~のために」というしかたで

   他の道具を指示している。

24

25

山路を登りながら

Tool-B

eing: H

ei degger

and the Metap

hysics of O

bjects

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(12)

6 750 42 31

(12) ハ

ーマンによれば、事物と関係することによって接近できるのは、こちら側に対して現れたかぎりで

の事物でしかない。それは事物のいわば戯画であり、事物そのものは関係の彼方へと逃れ去ってしま

うのである。これとは反対に、余剰としての事物そのものを認めず、それを関係の束へと還元する立

場を、ハーマンは「関係主義」(

relationism)と呼んで批判する。ハーマンによれば、関係や文脈を重視

する全体論的な発想は、二〇世紀の思想を支配するパラダイムとなっている。これに対して彼自身の

オブジェクト指向哲学の立場は、むしろ伝統的な実体を復活させるものである。ハーマンは関係主義

について、つぎのように述べている。「この〔相関主義の〕立場の別形態として、『関係主義』と呼びう

るような、人間中心的ではない立場を挙げることができるだろう。それは、アルフレッド・ノース・ホ

ワイトヘッドとブルーノ・ラトゥールの著作のうちに、もっともはっきりと見て取れるものだ。関係主義

の哲学は、あらゆる関係に人間がふくまれなければならないということは認めない。だが他方で、事

物は他の事物との関係の総体であり、それ以上のものではないと主張する」(

Grah

am H

arman

, “Ze

ro

-Person and

the Psyche,” in

David

Skrb

ina ed

., ,

Am

sterdam

: Joh

n B

enjam

ins P

ub

lishin

g Com

pan

y, 200

9, p

.260)

あらゆる関係は、事物を、

戯画化されたものに還元し

てしまう。知覚と実践は、

事物をわたしにとっての存

在へと還元する。また〔事

物相互の〕因果関係は、そ

れぞれをたがいにとっての

存在へと還元する。

カリカチュア

26

27

Mind

That A

bides: Panpsychism in

the N

ew M

illenn

ium

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(13)

6 7 850 42 31

こうした理由から、

ハイデガーの道具連関には

現前からのいかなる

逃げ道も存在しない

だが彼は 

この逃げ道を

見て取っていたはずである 

なぜなら  、

彼の語る道具は壊れうる

のであって 

このことは、道具のうちに

なにか驚きを

引き起こしうるものが存在する

ということを

意味しているからだ  

。(

13) ハイデガーは道具連関の発想によって、道具存在を関

係性のネットワークからとらえた。だがテーゼ7.で

認されたように、関係とは、事物を他のものに対する

存在に、つまり、他のものに対する現前に還元するこ

とにほかならない。したがって、ハイデガーの道具連関

のうちには、現前からのいかなる逃げ道も存在しない

ことになるのである。しかし、ハイデガーは道具が壊れ

るということを述べていて、ハーマンはここに、道具存

   在が関係性のネットワークから逸脱する余剰的なものを

    見いだしている。ハーマンは、道具が壊れることにかん

して、つぎのように述べている。「道具が壊れるのは、

それがなにかほんのすこし余分なものだからである。

それは、体系によってはけっして利用し尽くされず、使

用者にとりつくように、どこまでも回帰してくる実在の

過剰である」(

Grah

am H

arman

, “Tim

e, Sp

ace, Essen

ce,

and E

ido

s: A N

ew

Th

eory of C

ausation

,” in

,

vol. 6

, no

. 1, 2010

, p.4)。

28

29

Co

smo

s and

H

istory: T

he Jo

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atural an

d S

ocial P

hilo

sop

hy

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(14)

6 7 8 950 42 31

アリストテレスもまた、

こうしたものを見て取っていた。

彼の教えるところによれば

第一実体すなわち

個体的事物を定義することはできない。

なぜなら、

定義はつねに普遍から成るが、

事物はそうではないからである。

(14) 

Aristo

telē

s(前三八四‐三二二)。古代ギリシアの哲学者。広範な分野で多大な影響を残し、「晩学の祖」

   とも称される。第一実体にかんして、つぎのように述べている。「実体―それも最も本来的な意味で、そし

    て第一に実体と言われ、また最も多く実体であると言われるものは、何か或る基体について言われること

   もなければ、何か或る基体のうちにあることもないもののことである、例えば或る特定の人間、あるいは或

   る特定の馬。そして第二実体と言われるのは、第一に実体と言われるものがそれのうちに属するところの種

    とそれらの種の類とである、例えば或る特定の人間は種としての人間のうちに属し、そして動物がその種の

   類である。だからそれらのもの、例えば人間や動物は実体としては第二と言われるのである」(『アリストテ

    レス全集1』「カテゴリー論」山本光雄訳、岩波書店、一九七一年、七頁)。

30

31

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33

(15)

(16)

1 6 7 8 950 42 31

さらに、ライプニッツにも言及すべきである。

というのも、    

窓をもたないモナドと、

汲み尽くしえないオブジェクトは

類似しているからである。     

しかし、

アリストテレスもライプニッツも、

集団や機械といった複合的なオブジェクトの

実在性については懐疑的であった     。

(15) ハ

ーマンは、アリストテレスとライプニッツに対して、

つぎのように評価している。「アリストテレス、スコラ

哲学、ライプニッツは、第一実体と実体形相という発

想のもとで、初期のオブジェクト指向学派を形成した

のだとみなすことができる。彼らは、世界の根源的要

素の地位から個体的存在者を追放しようと目論む下方

解体論者と上方解体論者の両陣営に包囲されながらも、

果敢に立ち向かったのである」(

Grah

am H

arman

, “Th

e

Ro

ad to O

bje

cts,” in 1.3

, 2011, p

p.172

-173)。

「下方解体」(underm

ining)とは、個体的存在者の下方

に、より根源的な実在を設定し、個体をそれへと還元す

    る立場である。また「上方解体」(

ov

erm

inin

g)とは、個

    体的存在者の上方の表層的なもの(性質や関係など)

   に個体を還元する立場である。これらの還元主義的な

    哲学とは異なり、実体の哲学は個体を還元不可能なも

   のとして立てたのであり、この点においてそれはオブジ

    ェクト指向哲学と呼応する。

(16) 

ハーマンは、オブジェクトと伝統的実体

   との相違点について、つぎのように述べ

   ている。「伝統的実体には、あきらかにわ

   たしたちには容認しがたいいくつかの特

   徴がある。たとえばライプニッツの哲学

    を考えてみよう。〔第一に〕ライプニッツは

   実体と集合体とを区別するのだが、だから

   といって彼に同意して、マッシュルームは

   実体で軍隊はそうでないと考える必要は

   ないだろう。〔第二に〕ライプニッツはすべ

   ての実体は永遠的であると考えるが、ア

   リストテレスの英断にしたがえば、星々や

   昆虫、人間のような滅びうるものも実体

   として認めることができる(アリストテレス

   は、古代ギリシアでそのように考えた最

    初の哲学者だ)」(

Ibid

., p.172)。

32

con

tinen

t

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(17)

1 6 7 8 950 42 31

オブジェクトがたがいから退隠する(w

ithd

raw

という事実から、それらはいったい

どのようにして相互作用するのかという問いが生じる。

もし炎が木綿の戯画に出会っているにすぎないのだとすれば、

炎はいったいどのようにして木綿を燃やすのだろうか。

( 17) ハーマンはこの「退隠」(withdraw

)という概念によって、オブジェクトに対して、関係に還元されな

い強固な実在性をあたえている。オブジェクトは、他のものとの関係から、つまり他のものへと現前す

ることから隠れ、汲み尽くすことのできない余剰とともに、みずからの自律的な実在性のうちへと引きこ

もる。これが「退隠」によって意味されている事態である。「世界は、あらゆる関係から退隠し、みずから

    の私的な空虚に住まうオブジェクトで満ちているのだ」(

Grah

am H

arman

,

, Ch

icago: O

pen

Co

urt, 20

05, p

.86)。 と

ころでハーマンは、

この“ w

ithd

raw”という語を、ハイデガーがもちいる“ sich

entzie

hen”の

訳語としてもちいている(

Gra-

ham

Harm

an, B

ells an

d W

histle

s: M

ore S

pecu

lative Realism

, Win

che

ster

: Zero Bo

oks, 20

13, p

.44)。

ハイデガーのこの語は「脱去」などとも訳されるが、本稿では「退隠」という訳語を採用した。この「退隠」

という語は、デリダ(

Jacqu

es D

errid

a 一九三〇‐二〇〇四)の論文「隠喩の退隠」(ジャック・デリダ『プ

シュケー』藤本一勇訳、岩波書店、二〇一四年所収)から借用したものである。デリダは、ハイデガーが

もちいる“ E

ntzieh

un

g”や“

Sic

h-E

ntzieh

en”というドイツ語に対して、フランス語で“ re

trrait”という

訳語をあてている。『プシュケー』の訳者である藤本は、デリダがもちいるこの“ re

trrait”の訳語として

「退隠」という語を採用している。デリダとハーマンのハイデガー解釈には直接の関係性はないが、「退

隠」という日本語がもつ「退き隠れる」という語感は、ハーマンが“ w

ithd

raw”に込めた含意をじゅうぶ

んに汲んでいる。

34

35

Gu

erilla Metaph

ysics: P

he-

nomenolog

y and the Carpentry o

f Th

ings

カリカチュア

Page 20: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、

(18)

(19)

1 6 7 8 950 42 31

機会原因論を説く

哲学者たちは、

これとおなじ問いをもった。

イスラームの神学者たちは、

フランスのマルブランシュや

彼と同時代の人たちと

おなじように、神が唯一の

因果的動因であると語った。

(18) 「機

会原因論」(

occ

asionn

alisme)とは、コルドモア(

-

raud de C

ordem

oy 一六二〇‐一六八四)、ゲーリンクス

(A

rno

ld Geulincx

一六二四‐一六六九)、マルブランシ

ュ(訳註(19)を

参照)といったデカルト派の哲学者たち

    が唱えた学説。デカルトは、相互に独立した二種類の

    実体による二元論を打ちたてた。そのため、実体どうし

    の直接的な相互作用を説明す ることが困難となった。そ

    こで機会原因論をとる哲学者たちは、実体どうしが直接

    的に作用をおよぼしあうのではなく、ある実体のうちに

    生じるはたらきをきっかけにして、じっさいには神が他

    の実体に作用をあたえているのだと考えた。アシュアリ

    ー学派のイスラーム神学者たち―とくにガザーリー(

Ab

-

ū �ām

id al-Gh

azālī 一〇五八‐一一一一)―のうちにも、

同様の発想を見いだすことができる。

(19) N

icolas de Malebranche(

一六三八‐一七一五)。フラン

スの哲学者。アウグスティヌス神学とデカルト哲学の融

合を試みた。マルブランシュによれば、人間は外的事

物を認識するさい、個別的な知覚を機会とし、その観念

をつうじて神の普遍的理性によって照明されるのである。

    それゆえ、「われわれは万物を神のうちに見る」と述べ

    られる。著書に『真理の探求』がある。

36

37

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1 6 7 8 950 42 31

わたしたちは、この結論を

退けなければならない。

しかしそれは、

神が西洋知識人の主潮において

嘲笑の的となるからではない。

いかなる特殊な存在者に対しても、

因果関係の独占権を

あたえるべきではないからである。

38

39

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(20)

(21)

(22)

1 6 7 8 950 42 31

ヒュームとカントは、習慣

による結合(ヒューム)や

悟性のカテゴリー(カント)に、あらゆる

因果関係をゆだねたのであって、ひとし

く独占の罪を犯している。彼らは嘲笑さ

れるべきだが、だれも彼らをあざ笑うこ

とはない。

(20) D

avid Hum

e(一七一一‐一七七六)。イギリス

の哲学者。『人間本性論』において、人間の自

然本性をニュートンの方法によって解明するこ

とを試みた。ヒュームによれば、人間精神の対

象としての知覚は、生き生きとしたものである

「印象」(

imp

ression)と、その再現である「観念」

(idea)と

に分類される。また因果関係は、ある

対象のあとにつねにおなじ対象が継起すると

いう経験から(「

恒常的連接」)、精神の習慣に

    よってこの二対象が結びつけられることに由

    来するのだとされる。

(21) 

Imm

anuel Kant(

一七二四‐一八〇四)。ド

イツ

   の哲学者。ケーニヒスベルク大学の論理学、形

   而上学教授をつとめた。『純粋理性批判』、『実

    践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を書き、

    人間理性の権能と限界を確定する批判哲学の

    立場をとった。カントによれば、人間の認識能

    力には感性と悟性の二種類がある。時間・空間

   の形式をとおして感性によってとらえられた対

    象を、悟性が一二種類のカテゴリーによって判

    断することによって認識が成立する。因果性は、

   悟性のカテゴリーのひとつをなしている。

(22) ヒュームもカントも、人間精神に対して、因果関係の独占権をあたえている。

40

41

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(23)

1 6 7 8 950 42 31

わたしたちが実在的オブジェクト

(あるいは事物)と呼ぶものは

いかなる接触によっても

汲み尽くすことのできない

オブジェクトである。

もし

実在的なオブジェクトしか

存在しなければ、

いかなる関係も生じることはない。

〔それゆえ〕神であっても、

手助けすることはできない。

( 23) ハーマンは、いわば神なしの機会原因によっ

て、オブジェクトの相互作用という問題を解決

  しようと試みている。彼はそれを、「代替因果」

   (

vicarious causation)の理論と呼ぶ。「オブジェ

   クト指向哲学にとってもっとも中心的な論点は、

    代替因果である。これは、ながいあいだ評判を

    落としてきた機会原因の考えの修正版として導

    入された概念である。もしオブジェクトが他の

    オブジェクトとの知覚的あるいは因果的関係を

    超え出ているならば・・・、それらがいかにして

    相互作用するのかという問いがただちに生じる

    ことになる。より簡潔にいえば、わたしたちが抱

    える問題とは、非関係的オブジェクトがなんと

    かして関係するというものである。オブジェク

   ト間の因果関係は直接的ではありえないので、

   それはあきらかに代替的でしかありえない。つ

    まり、それはまだ詳述されていないなんらかの

    媒介によって生じるしかありえないのである」

    

   (

Graham

Harm

an,

, Chicago: O

p-

en Court, 200

5, p.91)。退隠し直接的に触れあう

ことのないオブジェクトどうしは、代替因果に

よって間接的に触れあうのであり、いわばたが

いに「触れることなく触れる」(

Ibid., p.215)ので

ある。このとき感覚的なものが媒介として機能

し、「魅惑」(

allure)が重要なはたらきをすること

になる。ハーマンは、「代替因果はつねに魅惑

の一形式である」(

Ibid., p.230)と述べている。魅

惑については、テーゼ

63.を参照。

42

43

Guerilla M

etaphysics: Phenome-

nology and the Carpentry of T

hings

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(24)

1 6 7 8 950 42 31

四つの緊張関係について

実在的オブジェクトはまとまりをなすものだが、そ

れはたんにまとまっているだけの空虚な枠組みでは

ない。なぜなら、もしそうであれば、すべての事物は

同一になってしまうからである(ライプニッツ)。

〔それゆえ〕事物はさらに〔固有の〕性質を有する。

この性質は事物に属すが、他方で事物とは異なっている

。( 24) ラ

イプニッツの「不可識別者同一の原理」(

principe d’identité des indiscernables)

を指してい

る。ライプニッツによれば、この世界にはまったくおなじ性質をもったものは存在せず、あ

    らゆるものはなんらかの性質によって異なっている。『形而上学序説』第九節において、

    つぎのように述べられる。「ふたつの実体がどこからどこまで類似しながら『数的にのみ』

    異なることなどはありえない」(

G・W・ライプニッツ『形而上学序説』橋本由美子ほか訳、

    平凡社、二〇一三年、二五頁)。また、「クラーク宛第四書簡」ではつぎのように述べられる。

    「識別できない二つの個物はありません、私の友人に才気煥発な一人の貴族がいて、ヘレン

    ハウゼンの庭の中、選挙侯夫人の御前で私と話していたことがありますが、その時彼は全く

    同じ二つの葉を見付けられると思っていました。選挙侯夫人はそんなことはできないとおっ

    しゃいました。そこで彼は長い間駆けずり回って探したのですが無駄でした。顕微鏡で見

    られれば二つの水滴とか乳滴も識別されうるでしょう」(『ライプニッツ著作集九』西谷裕作

    ほか訳、工作舎、一九八九年、三〇一頁)。

44

45

Page 25: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、

(25)

1 6 7 8 950 1 32 4

、は争闘の質性と物事的在実たしうこ

(質本

essence

るれば呼と)

。〕係関張緊の一第〔        

、はのい悪が判評の語のこ

ういと」るあで能可識認は質本「

。るあでめたの張主な慢傲

。いなきではとこるす識認に的接直

( 25)  緊張関係、放射、接合にかんして、つぎの図を参照。

    この図は、『四方対象』に収録されているものをもと

    に作成した(

Grah

am H

arman

,

Winch

ester: Zero Books, 2011, p

.78)。

46

47

Th

e Qu

adruple Ob

ject

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1 6 7 8 950 42 31

事物はそれぞれ本質を有する。

椅子は〈まさにそのようにあるも

の〉(w

hat it is

)であり、みずからを

顕現させるあらゆる出来事や表

面上の効果よりも深遠である。こ

れとはべつのしかたで〔事物は表

面上の効果と同一であると〕語る

と、変化が不可能になってしまう。

48

49

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1 6 7 8 950 42 31

もし

実在的オブジェクト

実在的性質以外

なにも

存在しなかったならば

どんな経験

因果関係

生じることはなかっただろう

あらゆるものが私的な隔離部屋

へと退隠し、接触を欠いたまま

であっただろう。

50

51

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(26)(27)

2 6 7 8 950 42 31

経験の世界は、現象学によって「志向的」

領域として記述されてきた。しかしこの

〔「志向的」という〕語は、しばしば取り違

えられて、反対のしかたでもちいられて

いる。またこの語は、退屈で不毛である。 (

26) 「志向性」(

Intentionalität)とは、もともと中世

スコラ哲学の概念であるが、ブレンターノ(

Fr-

anz Brentano 一八三八‐一九一七)がそれを主

著『経験的立場からの心理学』のなかで、物的

現象から区別された心的現象の特徴として導

入した。フッサールはこの概念を引き継ぎ、志

向性の解明を現象学の主要な問題とした。フッ

サールは志向性について、つぎのように述べ

ている。「意識体験を私たちが志向的とも呼ぶ

時、この志向性という言葉は、何かについての

意識であること、すなわち思うこととしてその

思われたものを自らのうちに伴っていること、

ほかならぬまさにこのことを意味している」(エ

ドムント・フッサール『デカルト的省察』浜渦

辰二訳、岩波書店、二〇〇一年、六九頁)。

( 27) ハ

ーマンは、「志向性」という表現を採用しない理由について、つぎのように述べている。「わたしはこの

オブジェクトを、ふたつの理由から、志向的対象ではなく『感覚的オブジェクト』と呼ぶことにしたい。第

一に、『志向的対象』という表現は無味乾燥で専門的であり、議論のさい必要に応じて何度ももちいら

れると不快だからだ。さらに、もっと重要なこととして、『志向的』という語があいまいに使われるからで

ある。おおくの哲学者たちはこの語を、心的領野の外部に置かれたオブジェクトに言及するためにも

ちいる。彼らが『志向的』という語によって意味しているのは、わたしたちの思考が外部の離れ た

オブジェクトを『指示する』ということだ。ところがこれは、ブレンターノやフッサールが志向性に

ついて語ったさいに意味していたことではない。『志向的対象』という表現は、このようにしばしば

混乱をまねくのである」(

Graham

Harm

an, “The Road to O

bjects,” in 1.3, 2011, p.173

)。

52

53

continent

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2 6 7 8 950 42 31

〔「志向的」という語の〕

かわりに

「感覚的オブジェクト」と

「感覚的性質」という語をもちいよう。

わたしたちは郵便ポストやシマウマ、

円柱をさまざまな角度や距離から眺め

ることができるが、それらは同一の対象でありつづける。

54

55

オブジェクト

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(28)

2 6 7 8 950 42 31

実在的オブジェクトと

実在的性質は

あらゆる接近から

退隠するが、

感覚的オブジェクトと

感覚的性質は退隠しない。

経験はそれらで満ちている。

わたしたちは

ダイアモンド、ラジオ、塔、

クラシック・ギターに

真摯に(sin

cerely

)向きあっている。

( 28) 「真摯さ」(

sincérité)は、もともとレヴィナス(

E-

mm

anuel Lévinas 一九〇六‐一九九五)の用語

である。レヴィナスは真摯さについて、つぎの

ように述べる。「近さならびに真摯さをつうじ

て、この私は自己を他人にさらす」(エマニュエ

ル・レヴィナス『存在の彼方へ』合田正人訳、

講談社、一九九九年、一四四頁)。レヴィナス

において真摯さは、他人に率直に向きあうとい

う倫理的な事態を表現している。これに対して

ハーマンは、この語を「謎めいた道徳的含意な

しに」(

Grah

am H

arman

,

,

Chicago: O

pen Court, 20 0

5, p.135)もちいる。 つま

り、ハーマンにおいて真摯さは、実在的オブジ

ェクトとしての観察者(人間に限定されない)

が、感覚的オブジェクトに率直に向かっている

という、より一般的なあり方を表現している

のである。

56

57

Guerilla M

etaphysics:

Phenomenology and the C

arpentry of Things

アクセス

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(29)

(30)

6 7 8 950 42 31

ポーランドの哲学者

カジミエシュ・トワルドウスキは、

経験外部の「対象」と

経験内部の「内容」とを区別した。

しかしフッサールは、

対象と内容の双方を

経験のうちへと引きずり込み、

両者の抗争を意識に内在させた。

(29) K

azimierz Tw

ardowski(

一八六六‐一九三八)。ポーラ

ンドの哲学者。ウィーン大学にてブレンターノに師事し、

その後、ルヴフ大学哲学教授となった。ポーランドの

哲学業界において影響力をもち、ポーランド学派を形

成した。『表象の内容と対象』(一八九四)において、ブ

レンターノの「志向性」概念にもとづいて心的現象の分

析をおこない、〈心的作用/内容/対象〉という区別を

導入した。

(30) Edm

und Husserl(

一八五九‐一九三八)。オーストリア

出身の哲学者。現象学を確立。ウィーン大学にてブレ

ンターノに師事し、ハレ大学、ゲッティンゲン大学、フ

ライブルク大学で教鞭をとった。ゲッティンゲン時代

の大著『イデーン』において、意識にあらわれる事象そ

のものを記述する方法として、「現象学的還元」(

phän-

omen

ologische R

eduktion)を提示した。フッサールによ

れば、わたしたちは日常的に、意識の外側に事物や世

界が存在するということを素朴に信じている(「

自然的

態度」)。こうした態度による定立のはたらきを遮断し、

事物や世界の存在を「括弧に入れる」手続きが、現象

学的還元と呼ばれる。この手続きの結果、「超越論的意

識」の領域が残ることになる。

2

58

59

オブジェクト

オブジェクト

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(31)

6 7 8 950 42 312

現象学の欠点は、その観念論にある。

しかしこの運動のすばらしいところは、

経験が感覚的性質だけでなく、

それとの緊張関係(te

ns

ion

)にある

感覚的オブジェクトから成り立っている

ということを発見した点にある。

( 31) 感

覚的性質は、感覚与件にひとしい。ハーマンによれば、経験の領域にはむき出しの感覚

与件は存在せず、かならずそこには感覚的オブジェクトが存在する。ハーマンはつぎのよう

に述べる。「どんなに細かく見ても、そこには『むき出しの感覚与件』は存在しない。オブジ

ェクトだけが存在する」(

Grah

am H

arman

,

, Chicago

: Open

Co

urt, 200

5, p.157)。

60

61

Gu

erilla Me

taph

ysics

: Ph

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Carp

entry

of Thin

gs

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6 7 8 950 42 312

この緊張関係は、

わたしたちの時間(t

ime

)の

経験によって示されている

〔第二の緊張関係〕。

陽の光は浜辺を横切り、

少年と少女は歳を重ねる。

波は浜辺を

形成したり

侵食したりする。

62

63

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6 7 8 950 42 312

わたしたちが

時間を経験するのは

感覚的オブジェクト

瞬間から

間をとおして

比較的安定した状態を

保っているからである。

感覚的オブジェクト

感覚的性質の束ではなく、

それらに先立って存在している。

その表面を、

さまざまな感覚的性質が

揺らめくのである。

64

65

Page 35: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、

しかし

感覚的オブジェクトは、

移ろい揺らめく感覚的性質とは

異なった

べつの種類の性質も有する。

感覚的な郵便ポストや

シマウマ、円柱

は、

経験に対して

不変の性質をもっている。

6 7 8 950 42 312

66

67

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(32)

6 7 8 950 42 312

この不変の性質を

発見する過程は

フッサールが「形相的還元」と

呼ぶものである。

こうして、わたしたちは

形相(e

ido

s)という語を、

感覚的オブジェクト

その実在的性質の

緊張関係に対して

もちいることができる

   

〔第三の緊張関係〕。

( 32) 「

形相的還元」(

Eid

etische

Redu

ktion)とは、現象するものの〈なんであるか〉をなしている

「形相」を獲得する方法である。個別的な特徴を想像のなかで変更し、最終的にもはや変更

不可能なもの―それを変更してしまうともはやそのものではなくなってしまうようなもの―を、

形相として取り出す。

68

69

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6 7 8 950 42 312

感覚的オブジェクトが有する

実在的性質

直接的にとらえることは

けっしてできない。

それは、

実在的オブジェクト

実在的性質(「本質」)が

けっして顕現しない

のと同様である。

わたしたちはそれらを

間接的、

暗示的に〔のみ〕知ることができる。 70

71

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現象学はこの点を

見落としている

というのも

現象学は

あらゆる実在の、意識への

直接的現前に

傾倒しすぎているからである。

〔だが〕ハイデガーは、

実在との直接的接触という

このドグマから現象学を解放した。

6 7 8 950 42 313

72

73

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6 7 8 950 42 313

わたしたちはまだ

実在的オブジェクト

感覚的性質のあいだにある、

第四の最後の緊張関係について

語っていない。しかしこれについ

てはハイデガーが明晰に論じてい

るので、他のものよりも容易に

説明することができる

。 74

75

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アクセス

6 7 8 950 42 313

手許にあるハンマーや

雨をしのいでくれている屋

根つきのプラットフォーム

は、いかなる理論的・実

践的接近によってもとど

かないほどに深遠である。

それらは実在的であって、

感覚的ではない

。 76

77

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6 7 8 950 42 313

ハンマーが壊れたり  、

砕けたり

うまく使えなくなったり

するとき

感覚的なハンマーから

実在的なハンマーへ向けて

わたしたちが知っていると

思っていたものよりも深遠な、

いまだ知られざる

実在的なハンマーへ向けて―

感覚的性質が

ふたたび割り当てられる。

78

79

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(33)

6 7 8 950 42 313

わたしたちは

感覚的なハンマーとは

接触したが、

実在的なハンマーとは

隔たったままである。

実在的ハンマーと

その感覚的性質とのあいだの

この緊張関係を、

空間(sp

ace

)と呼ぶことができる

〔第四の緊張関係〕。

(33) “

space”に

は「空間」のほかに、「間隙」の意味もある。

実在的オブジェクトとしてのわたしと実在的オブジェ

クトとしてのハンマーのあいだには「間隙」があり、両

者は隔たっている。“

space”の

緊張関係によって意味

されているのは、オブジェクトどうしが入れ物として

の空間のうちで共存しているという事態ではなく、む

しろ両者のあいだに埋めることのできない間隙が横た

わっているという事態である。

80

81

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(34)

クラークとライプニッツは、

空間にかんして

それは存在者にとっての

空虚な入れ物であるのか、

あるいは

存在者どうしの関係によって

生じるものであるのか

という点をめぐって論争した

(一七一五‐一七一六年)。

両者は誤っていた。

空間は、

関係的かつ非関係的である。

6 7 8 950 42 313

( 34)  

Sam

uel C

larke(一六七五‐一七二九)。イ

    リスの思想家、牧師。ニュートンの弟子。「ボ

    イル講義」で名声をなした。一七一五年から

    翌一六年まで、ニュートンの助言を受けつつ

    彼の代弁者として、ライプニッツと書簡によ

    って論争を交わした。ライプニッツはこの論争

    においてニュートンの絶対空間を批判し、空

    間は事物の「共存的秩序」であり、それ自体

    で存在するのではないと主張した。

82

83

、、

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6 7 8 950 42 313

星々は、

わたしたちの眼前に

直接的に

広がっているのではなく、

何光年も離れている。

しかしそれらは、

わたしたちが知っている

なにかとして

また可能な目的地として

わたしたちの近くにある。

84

85

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アクセシビリティ

空間とは、

隔たった事物の

接近可能性と、

けっして

近づくことも

汲み尽くすこともできない

事物の

より深遠

実在的核とのあいだの

緊張関係である。

6 7 8 950 42 313

86

87

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6 7 8 950 42 313

のちの議論においてしっかりと

思いだすことができるように、

ここであらためて、

四つの緊張関係すべてについて

要約することにしよう。

これらは、

オブジェクト指向哲学

重要概念をなしている

88

89

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6 7 8 950 42 313

時間は、

感覚的オブジェクト

と揺らめく感覚的性質

とのあいだの

亀裂(fissure

)である。

90

91

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6 7 8 950 42 314

空間

は、

感覚的性質と、

その奥底の

どこかから

たいてい驚きや混乱が

もたらされるような

場合において―

信号を送ってくる、

謎につつまれた

実在的オブジェクト

とのあいだの

抗争(d

ue

l

)である。

92

93

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本質は、隠された実在的オブ

ジェクトと、それを〈まさにそ

のようにあるもの〉にする隠さ

れた実在的性質

とのあいだの

闘争(strife

)である。

この

緊張関係は、経験のうちにいか

なる足場ももたず、   

どこかほかの

場所で生じる。

6 7 8 950 42 314

94

95

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6 7 8 950 42 314

形相は、経験の感覚的オブジェクト

と、それを

表面的性質のあらゆる

流動的揺らぎをこえて―

〈まさに

そのようにあるもの〉にする実在的

性質とのあいだの

裂け目(g

ulf

)である。

96

97

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クアドラプル

6 7 8 950 42 314

時間

空間の対は、

つねに比類ない女王

みなされてきたが、

わたしたちはその姉妹を、

時間、

空間、

本質、

形相

から成る

あらたな四重王朝へ

迎え入れることにしよう。

98

99

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6 7 8 950 42 314

これらは、

二種類のオブジェクトと

二種類の性質

から成る

四つの緊張関係である。

わたしたちはさらに、

オブジェクトと遭遇する

オブジェクト、

性質と対にされた

性質について

問うことができるだろう。

三つの放射について

100

101

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性質はつねに

オブジェクトに

結びついていて

そこから、

まるで生きた心臓から

放たれるようにして

放射される。

それゆえ、諸性質が

一体となるしかた

「放射」(rad

iation

と名づけよう。

6 7 8 950 42 314

102

103

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、 

6 7 8 950 42 314

感覚的性質が

感覚的オブジェクトから

放射される場合、

出(e

man

ation

という語をもちいよう

  

  〔第一の放射〕。

オレンジは、

味、きめ、香りの束

ではない。

これらの性質は、

オレンジから

発出されている。

104

105

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6 7 8 950 42 314

オレンジに属すおおくの実在的性質に

対して、縮約(co

ntraction

)という語

をもちいよう   〔第二の放射〕。

なぜなら、あるオブジェクトが有する

多数の実在的性質は、はじめにまとめて

圧縮されたからである。

それらは分節化されていない。

106

107

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実在的性質

感覚的性質  の双方が

おなじ感覚的オブジェクトに

属すさい、

二重性(dup

licity

)という語を

もちいることにしよう

  〔第三の放射〕。

〔感覚的〕オブジェクトは、

揺らめく性質のカーニバル

の背後に、

ほんとうの特徴を

隠しもっている。

108

109

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6 7 8 950 42 314

三つの接合について

オブジェクトと性質の場合 、

「緊張関係」

という語がもちいられ、

性質どうしの場合

「放射」

という語がもちいられた。

オブジェクトどうしの場合には、

「接合」(

junctio

n

という語をもちいよう。

110

111

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6 7 8 950 42 315

実在的オブジェクトどうしの関係は、

退

隠(

with

dra

wal

すなわち

相互隔離の関係である〔第一の接合〕。

実在的オブジェクトどうしはいかなる

接触ももたず、ある種の間接的あるいは

代替的な連結を必要とする。

112

113

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(35)

6 7 8 950 42 315

実在的オブジェクト

感覚的オブジェクトの関係は、

没頭(in

volvement

)の関係である

〔第二の接合〕。

それは、実在的な観察者

感覚的な寺院やオレンジ、

クロウタドリにかかわっている

ときのような関係である。

(35) 『四方対象』では、この関係は「真摯さ」(

sincerity)と呼ばれている

    (

Graham

Harm

an, , W

inchester: Zero Books, 20

11,p.128)。

114

115

The Quadruple O

bject

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、、、、

〔観察者としての〕実在的オブジェクトには、

同時におおくの感覚的オブジェクト 

現前している。

わたしはたったひとつの

オレンジではなく、オレンジの木立ちに

囲まれて生きている

これら多数の感覚的オブジェクトは

隣接している (c

ontiguo

us

           〔

第三の接合〕。

6 7 8 950 42 315

116

117

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6 7 8 950 42 315

要約すれば、緊張関係には、

時間、空間、本質、形相の四つがある。

また放射には、

発出、縮約、二重性 の三つがある。

そして接合には、

退隠、没頭、隣接 

の三つがある。

118

119

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6 7 8 950 42 315

四つの緊張関係の撹乱について

これらは、オブジェクトと性質

のあいだの一〇種の基礎的紐帯

(bo

nd

)である。世界の物語は、

これらの形成と破壊をとおして

展開する。宇宙にはいくつもの

断層線が走っていて、それらが

崩壊することで振動が生じる。

120

121

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一〇種の紐帯のそれぞれには、その紐帯が

あらわれる特有なしかたと、それによって

もたらされる特有の効果が存在する。

6 7 8 950 42 315

122

123

Page 64: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、

(36)

係関張緊のつ四、りたあしさ―

と質性的覚感しいな的在実

係関張緊のつ四るれさに対

ていおに

うよしにとこるぼしを点焦、にけだ乱撹るじ生

6 7 8 950 1 32 45

( 36) 緊張関係の撹乱について、つぎの図を参照。

この図は、『四方対象』に収録されているも

   のをもとに作成した(

Ibid., p.10

7)。

124

125

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6 7 8 950 42 315

木であれロウソクであれ

犬であれ、

あらゆる感覚的オブジェクトは、

実在的性質と感覚的性質の双方を

同時にもたなければ、

存在することはできない。

感覚的オブジェクト

は、

外的な細目〔感覚的性質〕に

覆われているが、

同時に、

より深遠な実在的性質も有している。

126

127

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6 7 8 950 42 315

それゆえ、感覚的オブジェクト

と実在的

ないし

感覚的性質

とのあいだの紐帯を撹乱させる

ためには、すでに存在する紐帯

を断ち切ること―

ある種の分裂(

fission

)―

が必要となる。

128

129

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、、、、、、、、

6 7 8 950 42 315

感覚的オブジェクトと感覚的性質の

差異がはっきりと際だつ場合

シミュレーションという語をもちいよう

〔第一の分裂〕。

なぜなら、

わたしたちはそれ〔差異〕によって、

感覚的オブジェクトが

異なった効果を生みだすしかたを

シミュレーションするからである。

*3 今

後は「シミュレーション」という語を、拙著『四方対象』で

導入された「突き合わせ」(

confrontation

)のかわりにもちいる。

*3

130

131

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6 7 8 950 42 316

感覚的オブジェクトと

実在的性質

のあいだに隔たりがある場合、

理論(theory

)という語をもちいよう

〔第二の分裂〕。

なぜならすべての思考は、

感覚的オブジェクトの実在的属性へと

近づくことを

〔たえず〕目指しているからだ。

132

133

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アクセス

6 7 8 950 42 316

あらゆる実在的オブジェクトは、

どんな接近や関係からも

退

するので、一定の内的整合性を

もっていなければならない。つま

り、実在的オブジェクトは、みず

からと緊張関係にある〔実在的〕

性質から、明確に分離されては

ならないのである。

134

135

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6 7 8 950 42 316

こうしてわたしたちは 

ある〔実在的〕オブジェクト

性質のあいだにもともと存在する

紐帯を破壊するのではなく、

むしろ、

以前は存在しなかった緊張関係を

あらたに生みださなければならない。

この過程を

合(fusion

)と呼ぶことができる。

136

137

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6 7 8 950 42 316

このことが

退

隠する実在的オブジェクトと

感覚的性質のあいだで生じる場合、

魅惑(allure

)という語をもちいよう

         〔第一の融合〕。

なぜなら、〔実在的〕オブジェクトが

わたしたちに信号を送るしかたに

かんして、暗示的な(allu

sive

なにかがあるからである。

138

139

Page 72: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、

、、

6 7 8 950 42 316

実在的オブジェクトが、 はじめて

結びつく実在的性質と

融合

する場合、因果作用(causation

という語をもちいよう

       〔第二の融合〕。

なぜならこれは、世界に対する

諸帰結が展開する場所だからである。

140

1 41

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、、

、、、、、、、

6 7 8 950 42 316

要約すれば、

世界における

四つの緊張関係の撹乱は

それぞれ 

シミュレーション 

理論 

魅惑 

因果作用

と名づけられた。

142

1 43

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6 7 8 950 42 316

あらゆる芸術は 

惑を生みだす方法である 。

だが

、〔魅惑を生みだす方法に

は〕べつの方法もある。わたし

たちは、芸術作品がいったいな

にによって他の種類の魅惑から

区別されるのか について説明

すべきである。

芸術作品について

144

1 45

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6 7 8 950 42 316

あらゆる形式の魅

惑は、

驚きや陶酔(fascin

ation

をとおしてわたしたちを引

きつける。というのもわた

したちは、みずからが扱う

ものにかんして

その性

質をとらえてはいるが―

それがなんであるのか

完全には

把握していないからである 

146

1 47

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6 7 8 950 42 316

ハイデガーの

有名な

壊れたハンマー

の例で言えば、

目につくようになるのは

ハンマーそのものではない

むしろ〔「壊れた」という〕

ハンマーの性質が、

未知のXとしてのハンマーに

割り当てられるのである 。

148

1 49

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6 7 8 950 42 316

あらゆる形式の美は

目に見えるどんな

個別的特徴をも超えた、

より深

なもの

活気をあたえる原理

のようなもの―

によって陶酔を引き起こす

それゆえ

美しいものを生みだすための

規則を設けることはできない

150

1 51

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6 7 8 950 42 317

わたしたちが勇気のうちに

見いだすのは

自己とその原理への忠誠であって

反対に

外的な帰結は非難される

勇気ある人物は

安全や出世

、人気を

非本質的

とみなすが

反対に

臆病者はこれらを重視する

。152

1 53

Page 79: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、

6 7 8 950 42 317

月並みで実用的なものしか

期待していなかった書物や

人物、都市のなかに 、

思いがけず

活気に満ちた原理を

発見するとき

わたしたちは心地よい驚きを

覚える。失望においては

これと反対のことが生じる。

154

1 55

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6 7 8 950 42 317

こうしたことは

芸術作品においても生じる。

とはいえ

わたしたちは、

芸術作品

と、

美として知られる形式の魅惑とを

同一視することはできない。

夕日や鳥の羽根

、甘美な声は

美しいが

、芸術作品ではない。

156

1 57

Page 81: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、

(37)

(38)

6 7 8 950 42 317

さらに、一般に美しいといわれ

るものを欠いた純粋な芸術作品

もあるだろう

デュシャンの

「自転車の車輪」が芸術作品でな

いとすれば

、それはおそらく美の欠如

が理由ではない

158

1 59

Page 82: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、

(3

8) ハー

マンはべつの箇所で、デュシャンについてつぎ

のように述べている。「二〇世紀には、美学を完全

に関係的な用語によってとらえるいくつもの学説が

あった。デュシャンは、ボトルラックや自転車の車

輪といったありふれたものを芸術作品として取り扱

う、美術館という文脈を利用した。新歴史主義は、

シェイクスピアの戯曲にかんして、それはエリザベ

ス朝時代の裁判官の判決と同様の記録文書であっ

たと主張した。また、さまざまな建築理論が、文脈

と関係を規律の頂点に位置づけた。いずれにせよ、

〔二〇世紀においては〕〈観察者の世紀〉以上に関

係的な理論が深く尊重されたのである。・・・

わたし

   は、建築もふくめ、美学は非関係的な理論と実践

としてのみ繁栄することができると考える」(

Grah

-

a

m H

arm

an

, “To

wa

rds a

No

n-R

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tion

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ward

s-no

n-relatio

nal

-los-an

ge

les/)。おそらくハーマンは、デュシャンの

「自転車の車輪」が芸術作品に値しないのは、美が

欠如しているからではなく、それが関係性によって

成り立っているからであると考えているように思わ

れる。

6 7 8 950 42 317 (37) M

arcel Ducham

p(一八八七‐一九

六八)。フランス出身の芸術家。第

一次大戦後、アメリカに活動の拠点

を移し、ニューヨーク・ダダの中心

人物となる。「自転車の車輪」(一九

一三年)発表頃から、量産された実

用品を選択して展示する「レディ・メ

イド」の手法をもちいるようになる。

とくに、ニューヨーク・アンデパン

ダン展に出品して展示が拒否された

「泉」(一九一七年)が有名。これは、

男性用の小便器に「

R. M

utt」と署名

した作品であった。

160

1 61

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(39)

*4

( 39) ハ

イデガーは「闘争」(

Streit)に

ついて、つぎのように述べている。「世界と大地の相互対

立は闘争である」(マルティン・ハイデガー『芸術作品の根源』関口浩訳、平凡社、二〇〇

八年、七四頁)。「作品が一つの世界を開けて立て、大地をこちらへと立てるからには、作品

とはこの闘争を惹起するものである。しかし、このことが生起するのは、作品が闘争を退屈

な一致のうちに沈静化し、同時に調停することによってではなく、闘争が闘争であり続ける

ことによる。なんらかの世界を開けて立て、そして大地をこちらへと立てつつ、作品はこの

闘争を遂行する。作品の作品存在は、世界と大地との間の闘争を闘わせることにある」(同

書、七五頁)。ここでハイデガーは、芸術作品を成り立たせているものとして、世界と大地

の闘争について論じている。

6 7 8 950 42 317

*4 M

artin H

eidegger, “

Th

e Origin o

f the W

ork

of

   

Art.” In , tran

s. J. Young &

K.

   

Haynes. (

Cam

bridge, U

K: C

ambridge U

niversity

   

Press, 200

2.) p

ages 1-56.〔マルティン・ハイデ

   ガー『芸術作品の根源』関口浩訳、平凡社、

    二〇〇八年。〕

ハイデガーは講演

『芸術作品の根源』のなかで、

闘争について語っている。

この闘争は、

世界における特殊事例

でなければならない。

さもなければ、

あらゆるものが芸術作品

となってしまうだろう。

162

1 63

O�

the Beaten Track

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6 7 8 950 42 317

ハイデガーが語る闘争は、

大地と世界

のあいだで生じる。

彼の語る「大地」はたしかに、

なにか隠れたものでは

あるのだが、わたしたちの

「実在的オブジェクト」

とは異なる

なぜなら、

ハイデガーの語る大地は、

単一の全体的なかたまり

だからである

164

1 65

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6 7 8 950 42 317

わたしたちが

あきらかに

しなければならないのは

闘争が通常の状態と

どのように異なるのか

であり

また

芸術作品における闘争が

壊れたハンマーや

勇気などの闘争と

どのように異なるのかである

166

167

Page 86: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、

訳者あとがき

本稿は、Grah

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arman

, “Seventy

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riented Philosop

hy,” in

, Winchester: Z

ero Books, 2013, p-

p.60-70

の全訳である。

 著者グレアム・ハーマンは、オブジェクト指向哲学と

いう独自の形而上学を展開し、思弁的実在論と呼ば

れる哲学的運動を牽引してきた、アメリカ合衆国出

身の哲学者である。ハーマンは、一九六八年にアイ

オワ州アイオワシティで生まれ、一九九〇年にセン

ト・ジョンズ・カレッジで学士号を取得した。その後、

アルフォンソ・リンギスの指導のもと、一九九一年に

ペンシルベニア州立大学で修士号を取得。一九九八

年にデポール大学にて博士号を取得した。エジプト

のカイロ・アメリカン大学教授を経て、現在、南カ

ルフォルニア建築大学の特別教授に就任している。

168

Bells and W

histles: More

Speculative Realism

Page 87: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、

ハーマンは多作な哲学者であり、すでに一五冊以

上の著作を出版している。また、論文やインタビュー

は、ネット上で読めるものだけで一〇〇本以上にも

およぶ。それらのうち、とくに重要なものは、「ハ

ーマン主要著作一覧」として「訳者あとがき」の最

後にまとめた。

 

ハーマン独自の形而上学的体系であるオブジェクト指

向哲学は、個体的事物の実在論である。ハーマンによれば、

宇宙はさまざまな個体、つまりオブジェクトで満ちている。

それらは、なににも還元されない強固な自律的実在性を保

持している。それゆえ、オブジェクトそのものは外部のいか

なる接近からも逃れ去り、みずからの核へと退隠してしま

う(訳註(17

)

を参照)。こうしたオブジェクトで満ちた宇宙

は断片化していて、いたるところに断層線が走っているのだ。

だが他方で、けっして直接的に触れあうことのないオブ

ジェクトどうしは、それでもその表面をとおして、代替

的に関係しあう。それによって宇宙に振動が生じ、

あら

たな変化がもたらされるのである。

170

1 71

Page 88: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、

オブジェクト指向哲学は、いわば〈有限性テーゼ〉と〈脱

人間中心主義テーゼ〉の二大テーゼを主軸にして成り立って

いるのだといえる。オブジェクトは退隠するので、わたしは

けっしてそれへと近づくことができない

。これが〈有限性テ

ーゼ〉である。この有限性は、思考する人間だけの特徴で

はない。それは、あらゆるオブジェクトに共通する特徴であ

る。つまり、あらゆるオブジェクトが、他のオブジェクトへの

直接的な接近に失敗するのだ。これが〈脱人間中心主義テ

ーゼ〉である。以上の〈有限性テーゼ〉と〈脱人間中心主義

テーゼ〉にかんして、ハーマン自身はそれぞれ、ハイデガー的

側面とホワイトヘッド的側面として、つぎのように語っている。

わたし自身のオブジェクト指向の立場は、ハイデガー的であると同時にホワイ

トヘッド的であると呼ばれうる、建設的で体系的な哲学への最初の試みである。

あらゆる現前からのオブジェクトの退隠は、わたしのモデルのハイデガー的側面

であり、他方で〈人間‐

世界〉という独占的関係の徹底的な解体はホワイトヘッ

ド的側面である。ハイデガーによって駆り立てられた(デリダのような)哲学

者は一般に、現前の欠如についてはおおくのことを語るが、感覚をもった観察者

がいないところで生じる無生物的関係についてはなにも語らない。また、ホワイト

ヘッドによって駆り立てられた(ラトゥールのような)哲学者は、関係についておお

くのことを語るが、あらゆる現前から覆い隠された実在に対しては一般にアレル

ギー反応を示す。(G

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Page 89: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、

 

カント以来の正統派哲学は、事物相互の関係の背後に、

それについて思考する人間を措定し、人間の思考を特権

化してきた。これに対してハーマンは、あらゆるオブジェ

クトを平等に扱う。オブジェクト指向哲学においては、人

間も、シマウマも、ハンマーも、みなひとしく自律的なオ

ブジェクトとなる。事物は、人間が思考していようがし

ていまいがかかわりなく存在し、感覚的なものを媒介にし

て、それらだけでたがいに作用しあうのだ。こうして人間

は、もはや哲学における特権的な地位を失うのである。

 

さて、本稿「オブジェクト指向哲学の七六テーゼ」は、冒

頭でハーマン自身が述べているとおり、当初、「ドクメンタ

(13)

」芸術祭のカタログに寄稿される予定のものであった。

結果的に未完となったが、本稿は、『四方対象』にて展開

された一〇個のカテゴリーについての簡潔な要約となって

いる(ただし、「突き合わせ」が「シミュレーション」に、「真

摯さ」が「没頭」に置き換えられている)。また、もともと

芸術祭のカタログ用に準備されたものなので、本稿の終盤

部では芸術にかんする貴重な考察が展開されている。全体

的な構成としては、テーゼ1.

から15

.

までが「オブジェクト

について」、テーゼ16

.

から4

3.

までは「四つの緊張関係に

174

1 75

Page 90: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、

ついて」、テーゼ4

4.

から4

8.

までは「三つの放射について」、

テーゼ4

9.

から5

3.

までは「三つの接合について」、テーゼ5

4.

から6

5.

までは「四つの緊張関係の撹乱について」、テーゼ66.

から76

.

までは「芸術作品について」論じられている(見出

しは訳者が付したものであり、原文にはもともと付いてい

ない)。カテゴリーにかんする議論は込み入っているので、

訳註(25)と(36)

に付した図をぜひ参考にしていただきたい。

 

今回、本訳稿をウェブ上にて公開する件にかんして著

者に連絡したところ、とても迅速に対応していただき、快

諾を得ることができた。また訳出にあたり、竹中真也氏

(中央大学文学部兼任講師、専門=

イギリス経験論、とく

にバークリ)、清水友輔氏(中央大学大学院哲学専攻博士

後期課程、専門=

ホワイトヘッド)、高野浩之氏(同上、専

門=

レヴィナス)に日本語や内容にかんして、たいへん貴

重な助言をいただいた。しかし、最終的な訳出の判断は、

訳者によるものである。

176

1 77

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今後さらに訳文を磨き、詳細な解説を付してバージョン

アップすることを予定している。読者諸賢のご批判をお願

いするしだいである。なお、ハーマンのオブジェクト指向

哲学、とくに「魅惑」の概念にかんして、つぎの拙論を参

照していただけたら幸いである。

     

飯盛元章

     「断絶の形而上学―

グレアム・ハーマンのオブジェクト指

      

向哲学における『断絶』と『魅惑』の概念について」 

             

『中央大学大学院研究年報』第四六号、

             

文学研究科篇、二〇一六年所収

http

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/md/-/p

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1 79

Page 92: オブジェクト指向哲学の76テーゼ ーマン著 G・ハ...オブジェクトとは 、 存在者であるなんであれ統一性をもつ 。オブジェクトであるたんに精神のうちに存在するものも世界のうちに存在するものも、

ハーマン主要著作一覧

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2

ハイデガーの道具分析を独自に解釈することによって、オ

ブジェクト指向哲学の構築へと向かう、ハーマンの処女作

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: Op

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Co

urt, 200

5

フッサール、ハイデガー、メルロ=ポンティ、レヴィナス、

リンギスなどの解釈をつうじて、代替因果と魅惑の理論へ

と発展していく。

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ica

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,” in II, 20

07,

pp

. 171

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05

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「代替因果について」岡本源太訳、『

現代思想』二〇一

四年一月号所収。ハーマンが自身の考えを説明するさい

に、よく参照する重要な論文

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Latour and Metaphysics

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ster: Zero B

ooks, 2011

『四方対象』岡嶋隆佑監訳、山下智弘・鈴木優花・石井雅

巳訳、人文書院、二〇一七年。メイヤスーの勧めでフラン

スにて出版したものの英語版。ハーマン自身の哲学体系が、

コンパクトかつ明快に示されている。

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Meillasso

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ss, 20

11

二〇一五年に増補版が、「思弁的実在論」シリーズのひと

つとしてエディンバラ大学出版局から出版されている。

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bje

cts,” 1.3, 20

11, pp

.171-79

「オブジェクトへの道」飯盛元章訳、『現代思想』二〇一八

年一月号所収。『四方対象』で提示された四つの緊張関係

にかんして簡潔に説明。

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13.

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018

オブジェクト指向存在論についての本格的な入門書。美学

理論、社会理論を含む。

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182

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その他、邦訳のあるもの

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(200

8), p

p. 3

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「現象学のホラーについて―ラヴクラフトとフッサール」

飯盛元章・小嶋恭道訳、『ユリイカ』二〇一八年二月号所収

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,” in vo

l. 3,

issue

1 (2016

), pp

. 81-

98

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「大陸実在論の未来―ハイデガーの四方界」高野浩之・

飯盛元章訳、『現代思想』二〇一八年二月臨時増刊号所収。

ハーマン独自のハイデガー解釈がまとめて提示されている。飯 盛 元章

184

1 85

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オブジェクト指向哲学の76 テーゼ G・ハーマン著

201 6年 1 1月 1 1日 ver. 1.0

2016年 1 1月1 6日 ver. 1 .1

訳者     飯盛 元章

ac t u a l . occ as ion @ g mai l . com

© Motoaki I imor i 2 0 1 8

2 0 1 8年 6月 日 ver. 2.0

ブックデザイン 村上 真里奈

25

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