イヌイット,それともエスキモー?...田村幸誠 空から望むエスキモーの村...

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田村幸誠 空から望むエスキモーの村 An Eskimo Village from the Air 22 イヌイット,それともエスキモー? 失われていくものと残したいもの (アラスカ・エスキモー)[4] 田村幸誠 Tamura Yukishige (滋賀大学) 表紙写真 について 以前,アラスカ,フェアバンクスの街をエスキモーの 友人と歩いていた。友人は, 「大学を卒業したら村に戻っ て小学校の先生になり,エスキモーの伝統を村の子ども たちに教えていきたい」と目を細めながら優しそうに話 していた。私も彼の話をしっかり覚えておこうと懸命に 耳を傾けていた。そのとき,前から野球帽を斜めにかぶ り,いわゆる「ラッパー」のようないでたちをした青年 が歩いてきた。絶対にぶつからないようにとよけたその 場に,青年は立ち止まった。そして,友人が一言,「紹 介するよ,僕の弟。」私は一瞬,訳がわからなくなった。 確かによく見れば顔は似ている,しかし,雰囲気,話し 方,身振りがまるでその友人と違うのだ。私たちはぎこ ちない挨拶をかわすと,弟は小刻みにリズムを取りなが ら歩き去った。「弟 !?」と,目を白黒させながら聞く私に, 友人は,「あいつは,エスキモーじゃなくて,アメリカ 人として生きるって決めたから」と答えた。 日本でエスキモーということばを使うと,ときどき怪 げん な顔をされ,「正式にはイヌイットですよね」と返され ることがある。私がエスキモーという呼称を使うのは, 例えば,先の友人はエスキモーだけれど,イヌイットで はないからである。エスキモーは,シベリアからアラス カ・カナダ,そしてグリーンランド東沿岸にかけてのツ ンドラ地域を居住域としてきた先住民で,アラスカの北 西部を境に,ユピック(西側)とイヌイット(東側)とい 2 つのグループに分かれる。1970 年代のカナダで, 自分たちの呼称をインディアンのことばに由来するエス キモーではなく,自分たちのことばで「人」を表すイヌ イットにしようという運動が起き,正式に認められた。 日本でエスキモーという呼称が避けられるのは,このカ ナダでの運動の影響によるものと考えられる。しかし, アラスカのように 2 つのグループが存在する地域では, イヌイットということばをエスキモー全体の呼称とする のには抵抗があった。さらに,エスキモーということば の語源として定着している「生肉を食べる輩」は,実は インディアンのことばで「雪靴を編むもの」の意味であ ることも判明した。アメリカでは今でも Eskimo とい うことばは公的な場でも用いられ,またユピックやイヌ イットも,日常のやり取りの中でエスキモーということ ばをふつうに用いる。 しかし,一歩踏み込んで彼らの心のうちを聞くと,人 それぞれの思いがあることがわかる。過去に差別された 経験,村から街に出た経験,歴史を勉強した経験,民族 という意識の強さ,世代の違いなどから,同じユピック でも,ユピックと呼ばれたい人,エスキモーと呼ばれた い人,さらにはイヌイットと呼ばれたい人など,さまざ まである。エスキモーは笑顔の絶えない少数民族と言わ れる。しかし,他者と接するとき,彼らのアイデンティ ティは心の中で絶えず揺らいでいるのである。 エスキモーといえば,沿岸部に住 み,クジラやアザラシを捕獲してい るイメージが強いが,内陸部でカリ ブー(野生のトナカイ)などを捕獲 しながら移動生活をしてきたエスキ モーもいる。この写真はそんな内陸 エスキモー(ヌナミウト,意味は「内 陸の民」)と呼ばれる人たちが定住 して作った村を飛行機から写したも ので,この村の Debbie Mekiana さんからいただいたものである。ア ナクトゥービック・パスと呼ばれる この村は,ブルックス山脈の北側に あり,人口は 300 人ほど。村へは アンカレッジから 2 時間かけて, 10 人乗りの小さな飛行機で向かう。 飛行機はアラスカの美しい大自然を 眼下に進むが,小型飛行機ゆえ,少 し天気が悪いと飛行機は揺れに揺れ る。そして最後は,airstrip と呼ば れる砂利の短い滑走路に着陸する。 移動生活はしなくなったものの,現 在でも昔ながらの生活が数多く残っ ている。雪が溶けた夏には,女性は ベリーやユリ根をとりに,男性はハ ンティングや鮭漁に出かける。薪を 集めたり,氷を溶かして水を作る光 景も村ではまだ見られる。秋になり 夜が長くなると,オーロラが空一面 にまるで踊りうねっているかのよう に広がる。村では,都会とは全く異 なる時間の流れを感じることができ る。その反面,電気と高速インター ネットが全世帯に行きわたってい る。家の中では,子どもたちが任天 堂の Wii で遊んでいる。エルダー とよばれるお年寄りが携帯電話で楽 しそうに,エスキモー語で別の村の 友人と話している。その光景を見 て,先の Debbie さんが「エスキモー 社会とアメリカ社会,2 つの世界の 最高のコラボね」とおっしゃった。

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  • 田村幸誠

    空から望むエスキモーの村An Eskimo Village from the Air

    22 イヌイット,それともエスキモー? 失われていくものと残したいもの

    (アラスカ・エスキモー)[4] 田村幸誠  Ta m u r a Yu k i s h i g e (滋賀大学)

    表紙写真について

     以前,アラスカ,フェアバンクスの街をエスキモーの友人と歩いていた。友人は,「大学を卒業したら村に戻って小学校の先生になり,エスキモーの伝統を村の子どもたちに教えていきたい」と目を細めながら優しそうに話していた。私も彼の話をしっかり覚えておこうと懸命に耳を傾けていた。そのとき,前から野球帽を斜めにかぶり,いわゆる「ラッパー」のようないでたちをした青年が歩いてきた。絶対にぶつからないようにとよけたその場に,青年は立ち止まった。そして,友人が一言,「紹介するよ,僕の弟。」 私は一瞬,訳がわからなくなった。確かによく見れば顔は似ている,しかし,雰囲気,話し方,身振りがまるでその友人と違うのだ。私たちはぎこちない挨拶をかわすと,弟は小刻みにリズムを取りながら歩き去った。「弟 !?」と,目を白黒させながら聞く私に,友人は,「あいつは,エスキモーじゃなくて,アメリカ人として生きるって決めたから」と答えた。 日本でエスキモーということばを使うと,ときどき怪

    訝げん

    な顔をされ,「正式にはイヌイットですよね」と返されることがある。私がエスキモーという呼称を使うのは,例えば,先の友人はエスキモーだけれど,イヌイットではないからである。エスキモーは,シベリアからアラスカ・カナダ,そしてグリーンランド東沿岸にかけてのツンドラ地域を居住域としてきた先住民で,アラスカの北西部を境に,ユピック(西側)とイヌイット(東側)とい

    う 2つのグループに分かれる。1970年代のカナダで,自分たちの呼称をインディアンのことばに由来するエスキモーではなく,自分たちのことばで「人」を表すイヌイットにしようという運動が起き,正式に認められた。日本でエスキモーという呼称が避けられるのは,このカナダでの運動の影響によるものと考えられる。しかし,アラスカのように 2つのグループが存在する地域では,イヌイットということばをエスキモー全体の呼称とするのには抵抗があった。さらに,エスキモーということばの語源として定着している「生肉を食べる輩」は,実はインディアンのことばで「雪靴を編むもの」の意味であることも判明した。アメリカでは今でも Eskimoということばは公的な場でも用いられ,またユピックやイヌイットも,日常のやり取りの中でエスキモーということばをふつうに用いる。 しかし,一歩踏み込んで彼らの心のうちを聞くと,人それぞれの思いがあることがわかる。過去に差別された経験,村から街に出た経験,歴史を勉強した経験,民族という意識の強さ,世代の違いなどから,同じユピックでも,ユピックと呼ばれたい人,エスキモーと呼ばれたい人,さらにはイヌイットと呼ばれたい人など,さまざまである。エスキモーは笑顔の絶えない少数民族と言われる。しかし,他者と接するとき,彼らのアイデンティティは心の中で絶えず揺らいでいるのである。

     エスキモーといえば,沿岸部に住み,クジラやアザラシを捕獲しているイメージが強いが,内陸部でカリブー(野生のトナカイ)などを捕獲しながら移動生活をしてきたエスキモーもいる。この写真はそんな内陸エスキモー(ヌナミウト,意味は「内陸の民」)と呼ばれる人たちが定住して作った村を飛行機から写したもので,この村の Debbie Mekianaさんからいただいたものである。アナクトゥービック・パスと呼ばれるこの村は,ブルックス山脈の北側にあり,人口は 300人ほど。村へは

    アンカレッジから 2時間かけて,10人乗りの小さな飛行機で向かう。飛行機はアラスカの美しい大自然を眼下に進むが,小型飛行機ゆえ,少し天気が悪いと飛行機は揺れに揺れる。そして最後は,airstripと呼ばれる砂利の短い滑走路に着陸する。移動生活はしなくなったものの,現在でも昔ながらの生活が数多く残っている。雪が溶けた夏には,女性はベリーやユリ根をとりに,男性はハンティングや鮭漁に出かける。薪を集めたり,氷を溶かして水を作る光景も村ではまだ見られる。秋になり

    夜が長くなると,オーロラが空一面にまるで踊りうねっているかのように広がる。村では,都会とは全く異なる時間の流れを感じることができる。その反面,電気と高速インターネットが全世帯に行きわたっている。家の中では,子どもたちが任天堂のWiiで遊んでいる。エルダーとよばれるお年寄りが携帯電話で楽しそうに,エスキモー語で別の村の友人と話している。その光景を見て,先のDebbieさんが「エスキモー社会とアメリカ社会,2つの世界の最高のコラボね」とおっしゃった。

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