fpu第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) news 第74号fpuhg.main.jp/news74.pdf · fpu第16...

14
FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一 NEWS 第74 号 平和統一聯合 1 Federation for Peace and Unification F P U 第 16 連合会 (兵庫・岡山・鳥取) 第 74 号 F P U 第 16 連合会 〒650-0022 兵庫県神戸市中央区元町通 7-1-2 ネオアージュ神戸元町 1001 号 TEL.078-360-0757 FAX.078-367-4323 HP:HHHHHUUUUUhttp://fpuhg.main.jp/UUUUUHHHHH E-mail:HHHHHUUUUU[email protected]UUUUUHHHHH 発行 FPU 第 16 連合会 発行人 文 聖 純 2014 年 10 月 1 日 第33回「賢仁会」が韓(朝鮮)半島の平和的統一を願って文総裁による開発プロジェクトである『パ ンタナール・プロジェクト』(韓国 MBC.NET で放映紹介された DVD)を上映、開催されました。 初秋の気配がどことなく身に感じられる 2014 年 9 月 14 日 の午後、文聖純 FPU 第 16 連合会/兵庫会長代行の列席のもと、 JR 新長田駅前の勤労市民センターにて『パンタナール・プロジ ェクト』(文総裁による開発プロジェクト)の映像を観る集いが開 かれました。 文聖純会長代行が前述の DVDの上映に先立って、「文総裁が 生涯、平和を夢見て過ごされてこられましたが、その中で食べ 物がなくて飢餓に苦しむ人々の為に食糧問題などに関しての解 決法に努力されたことなどが映像で伺うことが出来ると思いま す」と述べられました。 まさしく、この『パンタナール・プロジェクト』は大義の意 を持つ、気宇壮大なる「プロジェクト」と言えるものでした。 文総裁は南米4ヶ国はおろか、1990年に本格的に南米と 北米の生存の為に、宗教を超越した理想世界の建設に着手しま した。人類が抱えている問題を解決するものとして文総裁が「こ の世のすべての貧困と飢餓、紛争と苦痛が無くなることが私の 喜びです」とご自身の90年にわたる人生の真実の一コマを映 像に収録したものであることが、理解し得ました。 パンタナールとはブラジルの広大な地域の一部のことです。 この地域を文総裁は『持続・保持』するための活動を祖国統一 運動のかたわら、20年近く関わって来られたのです。 現代社会の三大難問は、「公害」「環境保全」「食糧」です。 DVD の映像では、飢餓に馴れきった私達、静かに心の中に染 み込んできます。やさしい詩の様です。その中に贅沢へとうご めく私達の現実状況がありました。文総裁が第2次大戦の戦後 70年のたどった日常と現実を、問う警告の詩集かとも『パン タナール・プロジェクト』の映像が受け取れました。 映像が進むにつれて、ブラジルの大地での果実園はおろか、 農場における畜産の大切さと、漁場での養殖の持つ意義が食糧問題についての解決の糸口であることを理解しま した。植林についても、それらは私達のいのち(生命)を守る願いでありました。文総裁の『パンダナール・プロ ジェクト』は会場の参加者に一編の詩として、静かに染み込む詩として、心の片隅に記憶されたに相違ありませ ん。 第2部として、会場の全ての参加者にこの映像を観ての感想を語っていただきました。その一部を表記します。 A さんは「北朝鮮で飢えが問題となって、新聞紙上やテレビ等で絶えず騒がれるが、胸が痛くてならぬ。中国 は食糧問題により、1人っ子政策を実施しているが『パンタナール・プロジェクト』を取り入れたらよいのでは ないか」。 Dさんは「文先生の映像の内容は人類の生存をかけた物語と言 える。私の出生地は緑したたる土地なのだが人が殆ど居ないのだ。 産業が発展しない由縁であろう」 E さんは「食糧問題を具体的に表現したものである。環境問題 についても解決策を充分に理解できた」。 G さんは「人の愛情が感じられる。救急車を文総裁が寄贈され ていたが、心打たれる感じがした」。 H さんは『パンタナール・プロジェクト』を韓国の TV で、と りあげたことは私に明るい希望を与えて呉れる」。等々でした。 ∴パンタナールは、ブラジルとボリビア、パラグアイにまたが る世界最大の湿地帯としてユネスコの世界自然遺産にも登録さ れています。文総裁はパンダナールの自然と生物を保全し、保護 することを、世界的な環境運動として育成されてこられました。 司会は、FPU 兵庫副会長、賢仁会幹事の曺小煥老僧(臨済宗雲水)が担当しました。

Upload: others

Post on 26-Jun-2020

1 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) NEWS 第74号fpuhg.main.jp/news74.pdf · FPU第16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一NEWS 第74号 平和統一聯合

FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一 NEWS 第74 号

平和統一聯合 1 Federation for Peace and Unification

F P U 第 16 連合会

(兵庫・岡山・鳥取)

機 関 紙

第 74 号

F P U 第 16 連合会

〒650-0022 兵庫県神戸市中央区元町通 7-1-2

ネオアージュ神戸元町 1001 号

TEL.078-360-0757 FAX.078-367-4323

HP:HHHHHUUUUUhttp://fpuhg.main.jp/UUUUUHHHHH E-mail:[email protected]

発行 FPU 第 16 連合会

発行人 文 聖 純

2014 年 10 月 1 日

第 33 回「賢仁会」が韓(朝鮮)半島の平和的統一を願って文総裁による開発プロジェクトである『パ

ンタナール・プロジェクト』(韓国 MBC.NET で放映紹介された DVD)を上映、開催されました。 初秋の気配がどことなく身に感じられる 2014 年 9 月 14 日の午後、文聖純 FPU 第 16 連合会/兵庫会長代行の列席のもと、JR 新長田駅前の勤労市民センターにて『パンタナール・プロジェクト』(文総裁による開発プロジェクト)の映像を観る集いが開かれました。 文聖純会長代行が前述の DVD の上映に先立って、「文総裁が生涯、平和を夢見て過ごされてこられましたが、その中で食べ物がなくて飢餓に苦しむ人々の為に食糧問題などに関しての解決法に努力されたことなどが映像で伺うことが出来ると思います」と述べられました。 まさしく、この『パンタナール・プロジェクト』は大義の意を持つ、気宇壮大なる「プロジェクト」と言えるものでした。 文総裁は南米4ヶ国はおろか、1990年に本格的に南米と北米の生存の為に、宗教を超越した理想世界の建設に着手しました。人類が抱えている問題を解決するものとして文総裁が「この世のすべての貧困と飢餓、紛争と苦痛が無くなることが私の喜びです」とご自身の90年にわたる人生の真実の一コマを映像に収録したものであることが、理解し得ました。

パンタナールとはブラジルの広大な地域の一部のことです。この地域を文総裁は『持続・保持』するための活動を祖国統一運動のかたわら、20年近く関わって来られたのです。

現代社会の三大難問は、「公害」「環境保全」「食糧」です。 DVD の映像では、飢餓に馴れきった私達、静かに心の中に染

み込んできます。やさしい詩の様です。その中に贅沢へとうごめく私達の現実状況がありました。文総裁が第2次大戦の戦後70年のたどった日常と現実を、問う警告の詩集かとも『パンタナール・プロジェクト』の映像が受け取れました。

映像が進むにつれて、ブラジルの大地での果実園はおろか、農場における畜産の大切さと、漁場での養殖の持つ意義が食糧問題についての解決の糸口であることを理解しました。植林についても、それらは私達のいのち(生命)を守る願いでありました。文総裁の『パンダナール・プロジェクト』は会場の参加者に一編の詩として、静かに染み込む詩として、心の片隅に記憶されたに相違ありません。

第2部として、会場の全ての参加者にこの映像を観ての感想を語っていただきました。その一部を表記します。 A さんは「北朝鮮で飢えが問題となって、新聞紙上やテレビ等で絶えず騒がれるが、胸が痛くてならぬ。中国

は食糧問題により、1人っ子政策を実施しているが『パンタナール・プロジェクト』を取り入れたらよいのではないか」。

D さんは「文先生の映像の内容は人類の生存をかけた物語と言える。私の出生地は緑したたる土地なのだが人が殆ど居ないのだ。産業が発展しない由縁であろう」

E さんは「食糧問題を具体的に表現したものである。環境問題についても解決策を充分に理解できた」。

G さんは「人の愛情が感じられる。救急車を文総裁が寄贈されていたが、心打たれる感じがした」。

H さんは『パンタナール・プロジェクト』を韓国の TV で、とりあげたことは私に明るい希望を与えて呉れる」。等々でした。

∴パンタナールは、ブラジルとボリビア、パラグアイにまたがる世界最大の湿地帯としてユネスコの世界自然遺産にも登録されています。文総裁はパンダナールの自然と生物を保全し、保護することを、世界的な環境運動として育成されてこられました。

司会は、FPU 兵庫副会長、賢仁会幹事の曺小煥老僧(臨済宗雲水)が担当しました。

Page 2: FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) NEWS 第74号fpuhg.main.jp/news74.pdf · FPU第16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一NEWS 第74号 平和統一聯合

FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一 NEWS 第74 号

平和統一聯合 2 Federation for Peace and Unification

韓国料理サークル「ムグンファ」の感謝祭が開催されました。 2014 年 9 月 6 日(土)第 43 回韓国料理サークル「ムグンファ」の料理講習会を、今回はJR新長田駅近くにある韓国料理店「明洞」で感謝祭として開催しました。 いつもの料理講習会が行われた新長田駅前ピフレホール3階で12時に集り、その後 皆で店に移動しました。全体で24名が予約席に着きそれぞれが好きな1品を頼ん

で、チャプチェ(春雨料理)・ヘムㇽチジミ(海鮮お好み焼き)・トッㇰ ポギ(韓国もち唐辛子味噌和え)をテーブルごと皆で囲んで味わう事ができました。

料理講習会は2ヶ月に1回の予定で開催して来ましたが、42 回以後の 2014 年6月は後援して下さる FPU 兵庫の9周年記念大会、そして8月にはPEACE BIKE 2014のイベントがあり、出来ませんでしたので久し振りの開催となりました。

尚、次回の料理講習会は 10 月 25 日(土)に予定しています。

FPU 岡山結成 9 周年記念大会が開催されました。 秋の気配が微かに忍び寄る2014年9 月20日に平和統一聯合第 16 連合会岡山県本部の結成9周年記念大会が岡山市内の岡山平和大使会館で開催されました。 大会は、韓(朝鮮)半島の平和統一の未だ成らざる中での結成 9 周年記念大会でした。 記念講演として平和統一聯合中央本部から大塚克己会長に来県して頂き「南北統一への課題と日本の役割」のテーマで「韓(朝鮮)半島の統一は日本民族の連帯によって全ての分裂と対立を終結させ、新しい歴史を希望するものである」と語られ、日本国内の在日の人々の和合関係がどのように進捗するかにかかっているとも述べられました。 小泉政幸事務局長の司会で開会宣言のあと9 周年の歩

みのビデオ上映がありました。内容の圧巻は何と言っても昨年(2013 年)に続いて行われた日本縦断の PEACE BIKE 2014 の紹介でした。 兵庫県の神戸教会から播磨路に銀輪を舞わせて駆け抜けて来た2台のペダルを引き継ぎ、岡山を疾走した映像が FPU 岡山の今期の最も重要な活動の一つであったことが推測されました。

Page 3: FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) NEWS 第74号fpuhg.main.jp/news74.pdf · FPU第16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一NEWS 第74号 平和統一聯合

FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一 NEWS 第74 号

平和統一聯合 3 Federation for Peace and Unification

主催者挨拶として李玉姫岡山県本部会長が毎年行っている日韓トンネル視察ツアーについて、これまでにない記憶に残る出来事であったと述懐されたのが印象的でした。 第2部としてエンタテーメントが楽しく開かれました。韓国・朝鮮の古典民謡を2曲、FPU 兵庫韓国婦人会の金美淑さんが民族衣装で「密陽アリラン」「ノドゥル 江辺」の2曲を披露しました。曲の節回しに誘われて参加者が踊る光景が見られました。 終会は高木政伸青年によって声高らかに「平和統一聯合創設10周年記念大会決議文」が読み上げられて閉会となりました。 日本列島と韓(朝鮮)半島の大動脈を作る、日韓トンネル推進兵庫県大会が開催されました。 2014年9月23日(火・祝)に、兵庫県中央労働センターにて、東アジア地域の研究者であり、韓(朝

鮮)半島問題にも詳しい永野慎一郎先生(大東文化大学名誉教授)の講演がありました。同時に『これからのアジアと日韓海底トンネル構想』は日韓トンネル推進兵庫県民会議の結成大会でもありました。 司会は大橋寛至日韓トンネル推進兵庫県民会議設立準備委員会事務局長によって進められました。会場は多くの聴衆で埋まり、在日の姿も多くみられました。冒頭に国際ハイウェイ及び日韓トンネル建設推進の為のアニメによるビジョンの DVD が上映されました。時速500㎞で駆け抜けるユーラシア・アジア 2000 年の旅をイメージした映像では、壮大なるロマンが単なる夢物語としてではく、目前に迫ってい

ることを実感させられました。 玄海の海を渡って日本列島に流れ来た一世の父母たち。日韓トンネルの実現は今、現在も続いている日本の韓国・朝鮮に対する無理解・無知等を直ちに払拭させてくれるに違いありません。

今こそ日本の政治家も国民も日韓トンネルの重要さを認識しなければならない時だと思いました。 大塚正尚(日韓トンネル全国会議世話人会)事務局長は、パワーポイントによる経過報告で「アジアとヨーロッパ大陸を結ぶ日韓トンネルは朝鮮通信使の再現を彷彿とさせるものがあります。朴槿惠大統領が金大統領室長に対して、日韓トンネルへの建設に対しての模索を指示したことを聞きました。なお、歴史的に怨讐関係であった両国の和合を促すことにもつながります」と語られました。 当日の講師としての永野慎一郎先生は 1939 年に朝鮮人の両親から生を受け、日本に留学された方です。流暢な日本語で時に

はユーモアを交えて語られました。 「21 世紀は東アジアの時代と言われてから久しくなります。地球村と言う表現も使われてきました。しかし、日韓中の3ヵ国の関係は、現在きわめて厳しい状況にあります。現在の困難な状況を乗り越え、21世紀の平和世界に寄与する東アジアへとリードしていくために日本・韓国はどうあるべきかを考えざるを得ません」と述べられ、古代に東洋は先進国であり、『論語・千字文』等が半島を経て日本列島に到着していた事実を、こと細やかに説かれました。 「日本と韓(朝鮮)半島、大陸との歴史で不幸な時代がありましたが、平和の歴史の方がはるかに長くこのトンネルによって、一層固められるに違いありません」と熱く語られました。「思えば日韓トンネルは国際ハイウェイの一環であり、東洋と西洋を連結するものです。九州の唐津で朝食、昼には韓国の釜山で焼肉を食し、夕べには北朝鮮の平壌で冷麺を食べようではありませんか」と日韓トンネルの早期の実現を語られ講演を終えられました。

Page 4: FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) NEWS 第74号fpuhg.main.jp/news74.pdf · FPU第16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一NEWS 第74号 平和統一聯合

FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一 NEWS 第74 号

平和統一聯合 4 Federation for Peace and Unification

««««««««««『平和統一』メッセージ»»»»»»»»»» 国を愛せない者は 神の国も愛することが出来ない

それで、大声でもって、先生が帰りましたから、一週間ぐらい前から捜して自分が代りに伝えに

来た、と言ったんですね。大声でもって伝え、うなずくのを見て帰って来、それから出発をなして

南の方に出るようになった。南の方に出るには、カイドウコウを渡らなければならないから、そこ

から今の金日成の故郷であるマンギョンデ、そういうところまで行って、そこから船に乗る。その

時ちょうど、牢屋で霊界から伝道された朴という男がおったね。三年間その男を中心として、その

男が獄中で働く総団長をしたんだね。それは先生がさした。そういう事をなした人と共に、故郷を

残して南の方に帰ろうとした。

しかしその者は、満期になって八月中旬頃、先生が出る三ヶ月前に出たんだね。それで牢屋に入

れられた理由が、南の方と連絡関係があるということだったので、そこを出るとともに再調査とい

うことになったんだね。

非常時になったんだからね。金日成を中心として全国家、全軍隊すべてが後退しなければならな

いような立場に立っておるから、この牢屋から出てくる朴さんに対して再調査するんだね。昔みた

いな立場に立った場合には大変だと言って、再び拘束されるような立場に立っていろいろ調査され、

拷問され、足が折れてしまったね。足が折れてしまったんだから、自分の兄弟姉妹、父母関係すべ

てがその人を連れて出なければならないにも拘わらず、自分の姉さんの家におったのに、姉さんと

兄さんは南に子供を連れて行ってしまった。自分の家にセパード一匹と、米と薪だけ残して、ひと

りで折れた足を引きずりながら飯を炊いて食べるように残して行ったんだね。

ちょうどその時、まさし<朴さんが内心で考えるにはね、自分と違った先生に、自分を捨てて南

の方に行ってしまった。そうだろ、十二月二日にみな出たにも拘わらず、四日になったんだからね。

それでお婆さんに会って帰る間際に、朴さんがどこどこにいるという連絡を受けて、その朴さんを

連れて南の方に出発したんだ。しかし、足が悪いというから歩くことが出来ないね。それで、その

家にある自転車に乗せて後押しして、今のマンギョンデというところで船に乗っかってカイドウコ

ウを渡って南の方に動きだしたんだ。

そうなるというと、中共軍はこれはもう一挙に、破竹の勢いでもって南の方に向いあうんだから

ね。それはもう何十マイル後には中共軍がついているんだね。いよいよこれは大変だ。切迫した情

勢を分る朴さんにおいてはね、自分の為に先生と愛する金兄弟が犠牲になる。それで、或る日にだ

ね、夜明け頃になって、自分なりに逃げて行こうと思っても行かれる場所がないね。行かれるとし

たら南の方向しかないんだから。それで、朝になるというと、自分はここで死んでしまうと、どう

せ死ぬもんだからね、自分ひとりで犠牲になるのが当然であって先生と兄弟金さんが共に犠牲にな

るのはいけないと言ってね。何というかな、言うに言われないそういう境地につつまれたんだね。

それで先生は言ったんだよ。「死ぬとか生きるというのは自分ひとりによって自由にやれるもんじ

ゃない!どうせ神に誓った我々である。死ぬとか生きるとかということは神によって決められるべ

きであって、自分なりに決定するもんじゃない。どうせ決意して出発したんだから、行くまで行く

んだ!」

1974 年 5 月 12 日 杉並にて

Page 5: FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) NEWS 第74号fpuhg.main.jp/news74.pdf · FPU第16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一NEWS 第74号 平和統一聯合

FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一 NEWS 第74 号

平和統一聯合 5 Federation for Peace and Unification

神延烏郎と月神細烏女 (1) 阪神支部支部長 尾道 宗継

新羅第8代の阿達羅王(アタルラワン){154~184年在}4年のことであった。青い水平線のかなたから紅の太陽が明るい日差しを放ちながら昇り来る荘厳な光景を眼前に望む迎日湾(ヨンイルマン)の波打ち際に、延烏郎(ヨニョラン)と細烏女(セオニョ)の夫婦が住んでいた。金剛山から一路南へ伸びる半島の東海岸が向きを転じて南へ曲がる直前、ひょっこりと突き出た九龍の峰にぶつかって陸を抱くかのように屈曲している地であった。 延烏と細烏夫婦は、松林を抜けた白砂が広がる海辺に出て、網を投じ漁をしたり、岩に登って海藻を採ってつつましく暮らしていた。妻の細烏は家事に追われながらも家の前の空き地を手入れしたり、暇を見つけては機を織ったりしていた。ここからは半島のどこよりも日の出を間近に望むことができる海で水浴を終え、清々しい顔で昇る朝日をちょうど正面に望むことができた。 夫婦は、毎朝、村の裏手の丘の上からこの神々しく美しい瞬間を見守るのが常であった。妻の細烏の目には、眩しい朝日を浴びて立つ延烏の姿がまるで太陽の化身であるかのように映った。朝日が彼の身体から放たれ至る所に注がれているようだ。 {夫がこれほどまでにも神々しく思えたのは初めてだ。この人は日の精を帯びて生まれた人に違いない} 細烏は日を凝視している延烏を見ているうちに、なぜかしら敬虔な気持ちを覚えるのだった。日の出ばかりでなく、夕方、この地から望まれる月の昇る光景も、たいへん素晴らしいものであった。月が昇る夕方も、夫婦は丘へ月見をしに登った。満月が出る時分になると、妻の細烏が織った布で作った衣をまとって月見にでかけ、白粉を塗ったように白く美しい月を見上げながら、夫婦は厳かな面持ちであった。 延烏の目には、月を見上げている細烏の姿がまるで月の化身であるかのように見えた。海と山を覆い包む清らかな月光が彼女の身体から放たれているかのようにさえ思えた。 {妻がこれほどまでに尊く見えたのは初めてだ。この人は月の精を帯びて生まれた女に違いない} 延烏は月の光を正面から浴びて立っている細烏を見ているうちに、なぜかしら敬虔な気持ちを覚えるのだ った。2人はお互いをいたわり、愛し合い、敬いながら仲良く暮らした。人々が集まり住んでいる大きな村 から遠く離れたこの海辺では、一日中寄せては引く波の音と海を渡る風の音以外には、何の変化もない単調 極まる日々が流れていた。からっと晴れわたったある日のことだった。 その日も延烏はいつものように海藻を採りに海へ出かけた。蒼天に雲らしきものは一点も見当たらなかった。海辺を渦巻く海水は岩にぶつかっては水晶の如き水滴を勢いよくあたりに散らしていた。かもめは自由にのびのびと水上を舞っていた。 「ああ! 何と気持ちの良い朝だ!」 延烏は伸びをして朝の空気を胸一杯に吸い込んだ。そして彼は履物を脱ぎ捨て、素足で岩に登った。波に絶えず洗いさられてきた岩はすべすべしていた。足許に気をつけ、こちらからあちらへと岩づたいに足を運んで海藻を採った。海中に広がる苔むした岩の下を手探りすると、海藻がぞろぞろと掛かってくるのだった。彼は浮いた気分で、岩から岩へと海藻を探して歩き回った。そのうちに、大きな岩を見つけた延烏は、そこへ足を運んだ。ところが、不思議なことに、その大きな岩はぴくぴくと震えだし、まるで生きている魚のように思われた。{怪しいことだ。岩が動き出すとは}不思議な思いで目を上げ、まわりを見回してみた。そうするうちにも、岩はふわりと浮かび、すでに海辺を遠く離れて漂っていた。驚きうろたえているうちに、岩はふわふわと水面に浮かんだまま、沖へ沖へと流されていくのだった。{このままではいけない}とは思ったが、すでに手遅れだった。陸地ははるかかなたにかすかに見えるだけだった。大海に出てしまったのであった。 あまりにも突然の事態に、延烏は何が起きたのか、わけがわからなかった。茫漠たる大海の真っ只中に、たった一人で、何も持たずに流されてしまい心細い限りであった。{いったいどこへいくのだろう}岩が流れゆくのはどう見ても住んでいた村とは正反対の日の昇る東の方角だった。 {たいへんだ! いったいどうなるのだろう。妻とは永遠に会えないのだろうか。帰らぬ私を妻はいかに待ち焦がれることだろう。ああ、なんとむごい!} 延烏の胸にはあらゆる心配と不安が渦を巻き、彼の心を曇らせた。しかし、いつまでも悩んでばかりはいられなかった。どうすることもできないことを悟った今となっては、すべてを事のなりゆきに任せるしかなかった。いつしか延烏は怯えなくなっていた。それに代わって、少なからぬ好奇心が頭をもたげ始めていた。

Page 6: FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) NEWS 第74号fpuhg.main.jp/news74.pdf · FPU第16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一NEWS 第74号 平和統一聯合

FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一 NEWS 第74 号

平和統一聯合 6 Federation for Peace and Unification

雲水(くもみず)の行方や何処(いずく)なるらん (10) ~韓(から)くに雲水の旅・滅びたくなし ウリマル(祖国語)を習う~

FPU 兵庫副会長

元臨済宗東福寺派 京都総本山東福寺 塔頭 即宗院 曺 小 煥 清々(すがすが)しい朝でした。優しくにじむ朝の太陽の雰囲気が、まるで母と一緒に居るようでした。い

つも温かく見守り、時に厳しく。それが母の無限の愛。母を想えば母の声がしてきそうな、2007 年の初夏の金海国立博物館の館長宅の広い裏庭でのことでした。

館長は実直に分かりやすい母国語で、見た目よりも物事の本質をとらえて家族のこと、両親のこと、仕事のことなど言葉を選んで私に話してくれました。この地方の独特の方言と訛りは心地よく、私には理解できました。なぜなら 4,5 才の頃に聞いた両親の「話し言葉」とそっくりそのままであったからです。たどたどしく私も 70 年前の幼児の頃の記憶をたどり、ドラマの如くおしゃべりをしてあっという間の時を過ごしました。

3ヶ月間の歩きの野宿の旅を終えて、日本に帰ってから当時(1930 年代)の『朝鮮の歴史』を紐解いてみました。1938 年の私が5才の時に天皇の勅令による「教育令改正」という朝鮮語の使用禁止法がありました。そして矢継ぎ早に翌年の 1939 年に「創氏改名」という朝鮮名の使用禁止法令が発布されていることが分かりました。この出来事を知って私はいまさらの如く、夏山良一という日本名を憮然として捨て去りました。70年間、片隅に追いやられていた本名・曺小煥を回復しました。この時点で私は私の「ふるさと」を回復したのだと思います。折しも、在日としての私は母国と日本の狭間に生きる厄介者なのか?という問題に直面していることに気付くのでした。

民族を抹殺するには文化を奪えば良いとされた言葉はまさに至言だと思いました。言葉と文字を奪った言語の使用禁止・民族衣装(チマ・チョゴリ)等の着用禁止を公然と日本政府は実行したのです。

奪われた民族性を回復しない限りは、このどこか異質の日本で暮らす限りは「亡国の民」のレッテルと、さげすみが永久についてまわるに相違ありません。民族の誇りを奪ったことを、もっと多くの日本人は知るべきだと思うのです。そんな折、一冊の書と出合いました。論文・随筆集『在日の和合と祖国回復、そして平和統一への道』趙希秀著でした。素晴らしい書でした。暗記する必要性に駆られました。幾度も読了しました。過去40数年間の植民地時代のもろもろの感情が私の民族性を目覚めさせようと追い打ちを掛けて来ます。おかげで多くを学びました。知識は理解を助け、理解は寛容の精神を私にもたらして呉れました。

その書の表題である「祖国回復」という語に大きく心を揺さぶられました。禅僧の姿で祖国を行脚して一周しましたが目で視るよりは、矢張り「ことば」に勝るものはありませんでした。数多くの村々を通りつつ、多くの人々と言葉を交わしました。金海博物館の館長と別れの時に「アリラン」の一節を5人の館員と共に合唱したのが今生の良き思い出となりました。

博物館の日当たりの良い中庭のムグンファ(無窮花)の花の下で唄った「アリラン」は、その音色と共に奪われた国土と文化の精神を抱えながらも当時の朝鮮人がつかみ取ろうする希望を感じることが出来ました。「アリラン」は、もはや私にとって「ふるさと」と「祖国」を引き裂かれた者の歌ではなく、次元の高い祖国と古里を愛する希望の歌でありました。

「昌寧」へ行く道すがらに「密陽」があります。博物館の皆さんに見送られて出立しました。父母の故郷が目前です。

「歩いてこそ風景が脳裏に記憶として止めて置けるのです」と話して車での送りを辞退しました。そして再び「無心」になって歩み始めました。正午になったので贈って呉れた食品を食し、少し歩き疲れた身を松の木陰に横たえました。松林の奥からは蝉時雨(せみしぐれ)がやかましく聞こえました。草鞋(わらじ)を脱いだ素足に松葉がチクチクと突き刺さるのが、可愛らしく、面白味が感じられました。墨染めの衣を通して肩に突き刺さるのも松葉です。何時の間にやら、うとうととしてしまいました。5 才の時に朝鮮語使用禁止法が実施されていなければ家庭では日常用語として朝鮮語が父母の当たり前の「ことば」として話され、その結果、幼い私は多くの祖国語を当然の如く身につけていた筈です。そして恋い焦がれた祖国についに来たのですが「祖国語」は 5 才の当時のままでした。

日本で生まれ育った身体は空気を吸うように、日本史及び日本文学が入って来ました。祖国語(・ウリマル)という熟語も表現も、68 年後の 73 才になる迄、意識に存在しませんでした。70 代を過ぎて私のなかに沈み、滯っていた民族が引き出され始めました。海を越えて来た一世の父母。その彼方に続く祖国への思い。私達と日本の間に横たわる民族蔑視という橋のない川。それでも川は流れて留まる事はありません。ごく自然に私の姓が日本名から本名になっていったように。

短歌一首 言葉忘れし 民には滅び のみありて ほろびたくなし ハングル習う

<つづく>

Page 7: FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) NEWS 第74号fpuhg.main.jp/news74.pdf · FPU第16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一NEWS 第74号 平和統一聯合

FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一 NEWS 第74 号

平和統一聯合 7 Federation for Peace and Unification

播磨と渡来人(第58回) 小人の神さま

姫路支部長 英 裕司

『播磨国風土記』にユニークな話がある。昔、オ

オナムチとスクナヒコネという二人の神様が奇妙

な競争をはじめたというのだ。それは、「重い粘土

を担いで歩くのと、大便を我慢して歩くのと、どち

らが遠くまでいけるのか」という、他愛もない競争

であった。結局この競争は、大便を我慢しきれなく

なったオオナムチが先にギブアップ。すぐにスクナ

ヒコネも担いでいた粘土を丘に放り投げて終了し

た。粘土のことを「はに」と呼んだので、その丘は

「埴岡(はにおか)」という地名になったという。

この話に登場する神は、いずれも出雲の神である。

二人の神は共同で国づくりを行ったとされている。

オオナムチは大国主命の別名であり、スクナヒコネ

は通常はスクナヒコナと呼ばれ、『古事記』によれ

ば、ガガイモの葉で造った船に乗り、海の向こうの

常世の国から渡って来たとされている。一寸法師の

モデルになったともいわれる小人の神である。「海

の向こうから来た」ということから、スコナヒコナ

は渡来人と考えられている。おそらく、この小人の神は新羅・伽耶出身ではないだろうか。

ところで、播磨地域には出雲の神・スコナヒコナを祀る

神社が幾つか存在している。そのひとつが、姫路市の「十

二所神社」である。ここは、末社に怪談「播州皿屋敷」で

有名なお菊さんも祀っていることから、「お菊神社」とし

て知られている。 実は、古代の播磨と出雲とは密接な関

係があるのだ。『播磨国風土記』には出雲の神が数多く登

場する。渡来してきた新羅王子・天日槍と土地争いをした

のも、出雲出身の伊和大神であり、出雲系の神々であった。

また、姫路の日女道丘の神(女神)が男山で出雲系の神と

食事をする場面がある。これは国譲りの儀式を意味すると

する説もある。ちなみに、日女道丘とは姫山のことで、現

在その場所には姫路城が建っており、男山はその西隣にあ

る。また、佐用町には出雲の神・スサノオを祀る神社が数

多く存在している。これは古代佐用町が製鉄で栄えたこと

から、鉄と関連深い神であるスサノオを祀ったのだろう。

このように、出雲の神が播磨地域に頻繁に登場する。古

代出雲は新羅・伽耶からの渡来人との関係が深い地域であ

る。播磨地方も、新羅・伽耶からの渡来人が開拓したとさ

れる地域が多い。このことは出雲を経由して播磨に定住し

ていった渡来人が数多く存在したことを意味する。播磨地

域への渡来人の進出経路は、瀬戸内海を利用するルートが

主である。しかし出雲から山越えをして、播磨へやって来

た渡来人も多かったということだ。

(写真上より スクナヒコナ、神埼郡神河町・埴岡 姫路

市・十二所神社、男山)

Page 8: FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) NEWS 第74号fpuhg.main.jp/news74.pdf · FPU第16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一NEWS 第74号 平和統一聯合

FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一 NEWS 第74 号

平和統一聯合 8 Federation for Peace and Unification

朴槿惠大統領閣下に捧げる手紙 申 日 東(元章)教職歴22年 神戸市在住

私は在日で申日東と言う年老いた盲目の者です。 ’‘

国を離れて一日も祖国や故郷(慶南・昌原)を忘れずに,また一日も早い平和的統一を待ち望んでいる者の一人です。

大統領閣下が現職に就任されてより今日までの様々なお言葉や行動力に深く感銘を受けているところです。まだまだ儒教思想が濃厚で男尊女卑の厳しい風潮が残っている社会の中でよくぞ大統領に選出された事の感激を禁じえません。お喜び申し上げます。わが国の悠久の歴史の中で女性が指導者になった事が深く歴史に刻まれることでしょう。わが歴史にも世界の歴史にも名を残す偉大な大統領になって下さい。アメリカのリンカーン大統領を凌駕する大統領になって下さい。わが民族は睦まじい単一民族として栄えていました。しかし日本帝国主義者の蹂躙により長い間、辛酸を舐めさせられました。にも関わらず大統領が日本に近現代の歴史を正しく見つめ二度と二国間の間にこんな惨い事の無いように、真の近隣友好を結ぼう・・・・と言う正常な人間なら素直に聞き入れ賛同しなくてはならない奥深い訴えに日本の政府はそれをあたかも暴言のように受け取り反発しています.

大統領に於かれましてはどんなにか心労なさっている事でしょうか。察するに余りあります。

先頃、珍島沖でセウル号の惨事がありましたが、それは大統領の責任では

ありません。セウル号を日本から中古船を購入しその船にバランスも無視し

た非科学的な客室や貨物の積載場所を施す等、正常な人間では考えにも及ば

ない金に目の眩んだ守銭奴のした行為です。その貨客船の運航を許した当時の役人の責任です。こんな無茶

をする裏には船主と役人のどろどろとした癒着があった事が目に見えるようです。 大統領か矢継ぎ早に、その根元にメスを入れ二度とこんな事の無いように根本的な法制化を行った事に対

し敬意を申し上げます。大統領がテレビの前で亡くなった学生達に哀悼の冥福を祈り、父兄に涙ながら謝罪をしている姿に心打たれました。思えば、韓国は日本帝国主義により無残にも搾り取られ、人々は貧困と飢餓線上に置かれました。

その反動として何が何でも金があれば腹一杯食べられるし、幸せになれると言う人間に変えられました。これも皆、歴史を正しく見れば日本帝国主義の韓国に残した傷跡なのです。

話が飛びますが我が祖国が二つに分かれたのもその根源は日本帝国主義者の植民地政策から始まりましたが、にも関わらず日本はその歴史的現実を真に受け取ろうとせず正当化しようと色々と論陣を張り悪辣な企みを重ねています。

これに負けずに大統領は粘り強く日本に歴史を歪曲する事なく真っ正直に明かすべきです。我が民族は過去を赤裸々に明かしたからと言ってそれを報復するのでは無く未来永劫にこんなに惨くて悲惨な事が起きないようにしようとする礎にしようと言う事です。

そのひとつに我が民族に重く圧し掛かっている傷跡が南北の分断です。同族相食む辛酸も舐めました。今

日まだ民族はひとつになっていません。南でも北でも誰一人として南北に分かれている事を正常と思っている者は居ません。北朝鮮と米国の間には休戦協定と言う重苦しい首枷が圧し掛かっています。

大統領は母(姉)としての優しい同族愛を持って北朝鮮の統治者に働きかけ懐に抱き祖国を統一して下さ い。すれば歴史に名の残る名大統領として後世に刻まれる事でしょう。

昔、元始共同社会においては母(女)が集団の中心にあり男はその集団を守る為、食料を調達し外敵から守ったものです。これが本当の人間社会の姿です。

その有様を実行している動物がいます、それは蜜蜂です。女王蜂が中心になりひとつの群れをなし、それぞれの役割を果たし真面目に花園から蜜を集めながら平和に暮らしています。

この様な本当の幸せな民族になり、世界の平和に貢献出来る民族にして下さい。我が民族は燦爛たる文化を持つ聡明な民族です。世界の平和をリードして行くに相応しい民族だと思っています。

潘基文国連事務総長が国連で世界平和の為に働いている事も私達、在日の誇りとする所であります。 朴大統領様、一人の在日の心からのお願いを申し上げる所です…

Page 9: FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) NEWS 第74号fpuhg.main.jp/news74.pdf · FPU第16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一NEWS 第74号 平和統一聯合

FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一 NEWS 第74 号

平和統一聯合 9 Federation for Peace and Unification

遥か祖国の空に向かって。

錦山 文潤國先生の詩

琢磨愈新 탁마유신

誤落關東秋復春 오락관동추부춘

琢磨事業老愈新 탁마사업로유신

生三事一何輕重 생삼사일하경중

俯仰堪輿不愧人 부앙감여불괴인

갈고 닦아 새로워지리

잘못 떨어진 관동 땅에 가을가고 다시 봄이 오니

학문 덕행을 탁마 하는 일이 늙어 더욱 새로워지네

평생 군사부를 한결같이 섬겨야 하니 어찌 경중이 있으리요

하늘을 우러나보나 땅을 굽어보나 남에게 부끄럽지 않노라

学び磨きて 日々新しく

誤りて關東の地に至る 秋が行きまた春が訪れ

学びて徳を積まんとすれば 老いてなお覚る

生涯を君・師・父に仕うるに 何の軽重があろう

空を仰ぎて地を眺むれば 人に恥ずるべきところはない

【隣国と向き合い、歴史を知る大切さを学ぶ】 残暑も幾分か和らいだ、2014 年 8 月 31 日、大阪のピース大阪で、1945 年 8 月 15 日祖国の「光復」の

日まで、隣国の日本帝国から侵略され、植民地とされた 35 年間の民族の子孫としての在日の婦人達が集ま

り、「平和を考える集い」を持ちました。来年(2015 年)は、日韓交流・国交正常化 50 周年の節目の年です。 日韓関係をより良い関係にし、北東アジアの平和と安定を実現する為に、私達は日本との末永い心の通う

友情を見失ってはならないと思いました。 その意味で、現在なお韓(朝鮮)半島が南北に分断されて

いる歴史的な根源をたどり、ピース大阪で学びました。そ

れは日本の植民地支配と無縁では無い事を知りました。こ

の根源を理解したうえで、日本と韓国・朝鮮の将来の世代

にわたって両国間、両国民間の心通う友情を築くことが出

来ると私達は確信しました。 第 2 次世界大戦において大阪では 50 回を越える空襲に

より市街地の主要部分が廃墟になったことを忘れないよ

うに、尊い生命を人類共通の願いである恒久平和を願い在

日主婦たちがもう一度民族のことや、祖国の平和的統一の

事などを、そして、先々までの未来にわたる日韓(朝)両国、

両国民の友情は、過去の歴史に誠実に向き合うことによっ

て、初めて可能になる。その事を深くかみしめて、努力を ピース大阪の展示風景 重ねることを考えるための「平和を考える集い」でした。

Page 10: FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) NEWS 第74号fpuhg.main.jp/news74.pdf · FPU第16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一NEWS 第74号 平和統一聯合

FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一 NEWS 第74 号

平和統一聯合 10 Federation for Peace and Unification

プーチン大統領への公開謝罪状

京都大学名誉教授・FPU京都会長 渡辺 久義 1.

「親愛なるプーチン大統領、ならびにロシア国民の皆さま」という、公開の、誰でも署名できる謝罪状を

ネット上で発見し、さっそく翻訳して「創造デザイン学会」最新情報欄に載せたところ(9/11)、翌日、

世界各国語欄に日本語も加わって、私とほとんど同時に翻訳した人があることがわかった。現に日本人の名

前も散見する。現時点(9/26 午前)で署名者は 44,000 を超え、相当の勢いで増えている。見ている限

り米国籍者が少ないのは、現在の警察国家アメリカでは(少なくとも本名では)非常に危険だからであろう。

プーチンへの謝罪の手紙は、オランダの大学教授有志のものなど他にもある。

直接のきっかけとなったのは、ウクライナ上空でのマレーシア旅客機撃墜事件と、それに続く“ロシアの

ウクライナ侵略”デマである。7 月 17 日の MH17 機撃墜については、米追従の世界中の新聞が、調査も

何もないうちに「人殺しプーチン」(英紙 The Sun)などと書きたてて、ロシア犯行説を煽った。しかし

これに対するロシア側の冷静なデータによる質問に、ワシントン­キエフは答えることができず、ウクライ

ナ犯行の証拠は続出し、結局これは、9・11 と同じ“伝統的な”もう一つのニセ旗攻撃であった。

このプーチン大統領への公開謝罪状で注目すべきは、「アメリカ最後の偉大な大統領ジョン・F・ケネディ」

の、おそらく直接の暗殺の原因になった演説の一節が引かれていることである。

我々はどこでも、一枚岩的な非情な陰謀によって敵に回されています。彼らは自分たちの勢力範囲を拡大

するのに、秘密の手段を用いています——侵略の代わりに密かな侵入、選挙の代わりに政権転覆、自由な選

択の代わりに脅し、昼の軍隊の代わりに夜のゲリラといったものです。

このやり方によって彼らは、膨大な人間的・物的資源をかり集め、軍事、外交、諜報、経済、科学、そし

て政治的な諸作戦を一つに結集する、緊密に組まれた、高度に有効な機構を構築してきました。…その準備

は秘密にされ公開されません。その間違いは隠され表には出ません。それに反対する者は黙らされ、褒めら

れることはありません。いかなる出費も問題にされず、いかなる噂も印刷されず、いかなる秘密も表れるこ

とはありません。

これはアメリカの影の政府“イルミナティ”のことであって、ケネディ大統領は自国を告発していたので

ある。(こうした政府内の陰謀勢力の暗躍については、アイゼンハワーも退任演説で警告した。)この手紙は、

「このとき以来、アメリカと他の西側諸国の政府は、この〈非情な陰謀〉にすっかり侵(おか)されてしまい

ました」と言っている。

ところでプーチンが相手にしているのもこの同じ世界的陰謀団であって、ケネディとプーチンは同じ相手

と戦っているのである。だからケネディは英雄だがプーチンは悪者だなどと言うことはできない。もしプー

チンを悪者にしたければ、ケネディ悪者説を取らねばならない。

プーチンの態度を見ていると少し不思議に思えないだろうか? 身に覚えのない人殺しの罪を着せられ

ても彼は黙っている。彼は事実を調べよと言うだけで、最初から取り合う様子を全く見せていない。この時

点ですでに彼の勝ちだが、それは彼が相手にしているのは、オバマでもポロシェンコでもラスムッセン

(NATO 議長)でもなく、この“地球の敵”だからである。

そう考えるのは、デイヴィド・ウィルコックの『ザ・シンクロニシティ・キー』やその他の書き物に根拠

がある。この根源の巨悪とひそかに戦っている国際的な「同盟」がかなり前から存在し、ロシアがその中心

的役割を果たしているのだという。この巨悪のからくりに最も興味があるのはロシアであって、これは、ウ

ィルコックが Financial Tyranny(金融暴政)という、暴露的なオンライン本を書いたときに、いち早く

これに飛びついて、長時間物のテレビ番組を作ったのが、ロシアであることからもわかるであろう。このが

んじがらめの悪の世界の仕組みを、一番よく知っているのがロシアだと思われる。これは彼らの資金源を断

つ方法を知っているということである。カネ儲けのための彼らの一番のビジネスは戦争なので、今彼らが対

テロと称して至る所を爆撃し、世界を戦争と混乱に陥れようとしている理由がこれでわかる。

ところで今行われている国連総会でのオバマ大統領の演説の、ビデオと全文が Information Clearing

House というサイトに出ている。「オバマの国連スピーチ:偽善、ウソ、そして世論操作」(Sep. 24, 2014)

という題で、その下に“読者は嘔吐用の袋を用意するのがよいかもしれません”と書いてある。そして末尾

の読者コメント欄は、「最後まで聞く(読む)に耐えられなかった」といった反応が圧倒的である。確かに

ここまで悪びれることもなく、世界に向かって演説できるというのは、異常人格者といってよいであろう。

もしオバマ氏が職務上努力して、ここまで自分を鉄面皮に鍛え上げたとするなら、気の毒の一語しかない。

Page 11: FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) NEWS 第74号fpuhg.main.jp/news74.pdf · FPU第16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一NEWS 第74号 平和統一聯合

FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一 NEWS 第74 号

平和統一聯合 11 Federation for Peace and Unification

日本文化と朝鮮文化の理解のために 日本家系研究学会 与那嶺 正勝

民族的にも言語的にも世界で最も近い関係を示す日韓であるが、文化の隔たりは少なくない。日本人の誠

実、平等、公平、正義、信用などの感覚は、世界中でも最も高い水準にあるといってよい。 しかし、古代から日本人が優秀な民族性を持った民族であったわけではない。イザナギ命とイザナミ命か

ら始まる日本神話の時代は現代の日本人の感覚からすると、大きく異なることは明らかである。日本人も変化してきたのだ。特に、4世紀から6世紀にかけて大量の渡来人を日本は迎えることになる。文化史では、彼らの持ってきた仏教や儒教、道教の影響を取り上げる学者は多い。ところが日本文化の特徴はそれらの教えの中にはない。

仁の儒教、慈悲の仏教、無為の道教を学びはしたが、日本人はそれらを全て日本文化の糧にし参考にした

ことは確かであるが、日本文化の源とはなれなかった。 日本文化の特徴とは何か?あえて言葉で表現するとすれば「忠信の血」である。信じて疑わず、忠にして

動ぜず、血とは強いて為すに非ず、自ずと湧き出る心のことである。 仁は政ごとの英知、慈悲は心の英知、無為は生の英知であるが日本の血にはなれなかった。常に、仁は腐

敗し、慈悲は堕落し、生は道にはほど遠かった。これらは現代日本でも未だ一部の特徴の味付け程度でしかない。

日本書紀にはこう出ている。応神天皇14年に弓月君が百済から来朝して窮状を天皇に上奏した。弓月君

は120県の民を率いて応神天皇16年8月、渡来したという。また、応神天皇20年阿知使主が帯方郡より17県の民を率いて帰化した。そのほか、新羅王家朴氏の一族、同じく昔氏の一族、金海金氏の一族、金官加羅王家一族、大加羅王家一族などなど実に多彩な王族と民が日本に帰化してきた.

単なる渡来の記録ではない。彼らは王と共に来た。ここが重要なのである。元々持っていた領地や権利や

栄誉など捨てて、愛する親兄弟までも捨てることができるもののみが来たのだ。王を護持してである。日本の朝廷は彼らを喜んで受け入れ、記録によれば多くのものが官僚として登用されその後の政策の実現に関わったことが分かっている。

そして、その者達の子孫が代々実務の官僚として活躍する。彼らから受け継がれたのは、忠臣とは何か、

君臣の信とは何か、そして結果として公を優先する奉公の精神なのであった。奈良朝以来、今日までに至る日本文化の原型は実はここにあったのである。

その時、朝鮮半島文化と日本文化は解離し始めたのだ。半島に残ったのは親を守り、家族を守り、権利を

守り、そのため王と別れた伝統が残ることとなった。加えて、中華に出来た全ての王朝から侵略を受けた。一つにまとまって対応する力よりも遥かに強い侵略だった。生き残る道は山に逃げるか属民になるしかなかった。この歴史はすさまじい。朝鮮半島では、王は孝を保護する力を持たず、信は常に分裂の危機に見舞われた。

結果として、同じ血が流れていても、これほど理解しがたい間柄になってしまった。本来、王に従ってい

った弟と、家に残り両親を守った兄の違いだけであった。だれかが家族を守るから一人は外に出て行けるのであり、2人は兄弟で、担当を分けあっただけだったといってよいだろう。現代の家族問題の中にも共通に見られる誤解の構造である。

日韓のこの経緯は、和解の糸口にはならないだろ

うか。できれば、話し合いたいと切に思う。故に、21世紀は日韓の連携から始まる。

真の父母は兄弟の一体化の上に登場するからである。

Page 12: FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) NEWS 第74号fpuhg.main.jp/news74.pdf · FPU第16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一NEWS 第74号 平和統一聯合

FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一 NEWS 第74 号

平和統一聯合 12 Federation for Peace and Unification

紅茶輸出国と、紅茶消費国 アフリカ諸国の紅茶 FPU兵庫渉外部長 金 豊 鎬

2003 年の世界各国の茶の生産・輸出量を見ると、生産量ではインド、輸出量ではスリランカが第 1 位である。表を見ると、インド・中国・スリランカが茶の三大産地だが、その他にはアフリカの諸国が目立っているのが分かる。ケニアが生産量で4位、輸出量で2位であるのをはじめ、マラウィ、ウガンダ、ジンバブエなどが健闘している。これらの国々が茶の生産に着手したのは、19世紀の末頃からである。いずれも英国の植民地だった所で、英国支配のもとでプランテーションが開かれ、独立後も主要産業として続けられていること、植民地時代の支配形態が現在の政治経済にも問題を残していることなどは、インドやスリランカと似た構図である。いずれも紅茶のほかに、たばこ、砂糖、綿、コーヒーなどを中心とした農業国で、紅茶の輸出は、20世紀に各国が独立してからは、大事な輸出産業として急速に伸びた。表に登場した国の様子は次のようになっている。 *ケニア共和国 ドイツと英国の植民地争奪戦の結果、1895 年に内陸部がイギリス領となり、1902 年、全土が保護領に、1920年にはイギリス直轄植民地となった。広大な国土の中央高地で、イギリス人によって紅茶・コーヒーのプランテーションが始められている。1903 年、まずケリチョー、ナンディーヒル、ソチックといった丘陵地帯でアッサム種の栽培が開始され、1925 年にはブルックボンドとジェームス・ファインレイの両社が共同で、大規模生産に着手。設備もよく、この年に 153 ヘクタールの茶園から、約 260 トンの茶を生産し、73 トンをイギリスに輸出した(『年表 茶の世界史』松崎芳郎)。1933 年には茶園は 4800 ヘクタールとなり、生産量は 1457 トンに達し、アフリカで一番となった。 ケニアは 1963 年にイギリスから独立し、64 年に英連邦下の共和国となって現在に至っている。現在でも紅茶は主要生産の一つ。 *マラウィ共和国

アフリカ南東部にある、マラウィ湖沿いに南北にのびる国で、1860 年頃からイギリス人の入植が始まり、1891年にイギリス人の保護領となった 1885 年、スコットランド人のエリモリック博士が、イギリス王立植物園から茶の苗木を持ち込んだことから栽培が始まり、20 世紀に入ってからは、アッサムから苗木を移植して本格的なプランテーションから造成されたことになった。 1964 年にイギリスから独立し、現在は英連邦メンバーの共和国である。紅茶栽培は引き続き発展し、1970 年代には、紅茶の栽培面積は 15200 ヘクタール、生産量は年間 18700 トンと急増し、現在では 4 万トン以上までになったが、国内消費は少なく、そのほとんどを輸出している。 *ウガンダ共和国

同じく元イギリスの植民地で、20世紀のはじめにインド・スリランカから輸入した茶の種子を、エンテベの植物園で育成して栽培を始めたが、1933 年には茶園の面積は 128 ヘクタールだけであった。 1962 年に独立し、社会主義の共和国となったが、相次ぐクーデターで国政は乱れた。71 年のアミン少将によるクーデター以降の惨状は世界でも注目されたが、86 年のクーデターでムセベニ大統領になってからは平和を保っている。英連邦の一員。内乱の状況下でも紅茶栽培は発展し続け、1970 年には茶園 17500 ヘクタール、生産量は 18200 ヘクタールにのぼった。現在の年間生産量は 35000 トンを超えるまでになっている。 *タンザニア連合共和国国土の大半が標高 1000 メートルを超える高原で、1881 年にドイツ領となったが、第一次世界大戦後、1920 年に英国委任統治領となった。 20 世紀はじめ、ドイツ人が茶の栽培を開始し、その後はイギリス統治下で茶園が発展。現在のタンザニアはタンガニーカとザンジバルが連合した国で、タンガニーカは 1962 年に、ザンジバルは 63 年にイギリスより独立し、64 年に合併した。英連邦の一員で、社会主義政府による混乱を経て複数政党制となったが、2000 年の大統領選挙でも政治的対立から死者や難民が出ている。 1964 年に中国との国交が開かれ、社会主義時代には中国茶の技術者が導入され、緑茶の開発も進められた。1975 年には年間生産量 13500 トンだったが、現在では約 3 万トンにのぼっている。 アフリカではこの他にもジンバブエ、モザンビーク、モーリシャ島などで積極的に茶園開発が行われている。 アフリカの紅茶は CTC 茶を中心に、現在でも輸出量を増加しつつある。CTC は茎や軸も含めて加工するために(第七章参照)、雑味もあるが、量産ができ、素早く抽出できるので、ティーバッグに最適である。そのためアメリカを中心にして、ティーバッグやアイスティー用に需要が高まり、今後の成長が期待されている。アフリカの紅茶といっても聞きなれないが、日本でも缶やペットボトルのアイスティー用に、またはティーバッグ業務仕様のブレンド用に、大量に輸出されており、私たちも知らない間にアフリカの紅茶を、実はたくさん飲んでいるのである。

「紅茶エトセトラ」

Page 13: FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) NEWS 第74号fpuhg.main.jp/news74.pdf · FPU第16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一NEWS 第74号 平和統一聯合

FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一 NEWS 第74 号

平和統一聯合 13 Federation for Peace and Unification

訓民正音受験者同時募集 11 月 9 日(日) 6 級・5 級・4 級の受験者を募集します。

問い合わせ 福田 080-1487-5386

Page 14: FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) NEWS 第74号fpuhg.main.jp/news74.pdf · FPU第16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一NEWS 第74号 平和統一聯合

FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取) 月刊 平和統一 NEWS 第74 号

平和統一聯合 14 Federation for Peace and Unification

活動内容 9 月 04 日 常任理事会 開催

9 月 04 日 定例役員会 開催

9月06日 韓国料理教室 感謝の集い

9 月14日 賢仁会 開催

9 月 27 日 編集会議 開催

機関紙 月刊『平和統一 NEWS』

<編集委員会>

委 員 長 文 聖 純

副委員長 曺 小 煥

編集局長 福田秀樹

編集委員 朴 享 宣

編集委員 金 豊 鎬

投稿記事募集

交流の広場への投稿記事を募集しています。

FAX.078-367-4323 E-mail:[email protected]

『千字文』と韓国語〔15-1〕 曺 小 煥

果 珍 李 柰

실과과 보배진 오얏리 벗내 か ちん り だい

くだもの めずらし すもも からなし

か ちん り だい=くだもののめずらしきは、すもも・からなし。と読む。 文意は「果物(くだもの)で珍重するのは李(すもも)と柰(からなし)」である。 果とは木の実のこと。菓とも読む。 柰とは唐梨と書き、①紅りんごの古名。②植物「かりん」の異名である。 『世説新語』倹嗇(けんしょく)篇には、燕(えん)の国の人、王豊の家に立派な李の木があって、良質の果実を産出していた。鵞(が)鳥の卵の如しであった。香(かおり)が良くて美味しかった。熟しては種を切り、そして之(これ)を売った。他人がそれを植えても芽は出ないようにしたのである。 原語は次のとおりである。 燕国、王豊が家より好(よ)き李を出す。大きな鵞子の如し。香、美し。熟する毎に核を鑽り破り、而して之を売る。人の種を伝るを恐れたるなり。之を種るも生ぜず。 ∴鑽(き)り破り=錐で穴をあけるの意味である。 ∴『千字文』よもやま話 45 今回は以前にも記したが、改めて『千字文』とは如何なるものか‥…について、と【漢字】について探求してみたい。 「いまさら」の如き、表現を使わざるを得ないほど、このテーマは大事な意味を持つものである。漢字あってこそその『千字文』であるからだ。 今、私の手許に『大辞林』松村明編・三省堂発行がある。この辞書に基づいて、簡単に探ってみたい。2 点について共通するのは、漢字は中国で作り出され・・・・とある。『千字文』は中国六朝時代の詩。1 巻。とあるからそのように暗記するべきだろう。私もそのようにして今日までやって来たのである。(この頁 続く)

行事案内

10 月 04 日 常任理事会

10 月 04 日 定例役員会

10 月 10 日 韓国語教室

10 月 24 日 韓国語教室

10 月 25 日 韓国料理教室

10 月 30 日 編集会議

編集後記 ■最近のテレビや新聞、雑誌を観たり、読んだりして気付いたことがあります。私が本紙に記載している「雲水(くも・みず)の行方や・・・」に関連することなので一筆記して見ます。 ドイツの街のあらゆるところで、ナチス・ヒットラー政府の残虐な歴史を刻んだモニュメントと出合うことが出来ます。人間が忘れやすいからこそ、忘れないようにという意志を強く感じます。日本の場合は逆で消してしまえ。忘れよう・・・となっていないでしょうか。日本人はもっと自覚する必要があると思います。その感覚を世界の人々が凝視しているのです。私もその一人です。1人の在日老人が過去(7年前)の韓国歩きの旅の手記の中で、当時の日本政府が韓(朝鮮)民族を抹殺するにも等しい行為を何度も繰り返して書いているのはその為です。面倒がらずにお読みください。 (曺) ■中学校の頃から、「不言実行・今日できることは明日に延ばすな」の信念を貫いてきました。しかし、最近この信念を通すことが怪しくなってきました。年齢と共に根気がなくなったのか、特に今日できることは・・・は、以前はどんなに疲れていても必ずその日にやり遂げていたのに、難しいものは明日でいいかとか、明日でも間に合うから今夜は寝ようとか・・・。今一度奮起して頑張らねば。有言不実行にならない様に。皆さんの場合は如何ですか。 (樹)