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Gérard de Nerval LES FILLES DU FEU 1854

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Page 1: Gérard de Nerval LES FILLES DU FEU 1854しかるに、私はもはやヒッポグリフ ( にまたがってはおらず、俗に理性と呼ばれるも5) のを人々の目には取り戻したのですから、

Gérard de Nerval

LES FILLES DU FEU

1854

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アレクサンドル・デュマへ

 

11

アンジェリック

 

35

第一の手紙 ………………………………………………………………………… 36

第二の手紙

………………………………………………………………………… 48

第三の手紙

………………………………………………………………………… 63

第四の手紙

………………………………………………………………………… 74

第五の手紙

………………………………………………………………………… 88

第六の手紙

………………………………………………………………………… 97

第七の手紙

………………………………………………………………………… 107

3   目  次

Page 3: Gérard de Nerval LES FILLES DU FEU 1854しかるに、私はもはやヒッポグリフ ( にまたがってはおらず、俗に理性と呼ばれるも5) のを人々の目には取り戻したのですから、

第八の手紙

………………………………………………………………………… 132

第九の手紙

………………………………………………………………………… 145

第十の手紙

………………………………………………………………………… 152

第十一の手紙

……………………………………………………………………… 174

第十二の手紙

……………………………………………………………………… 190

シルヴィ

 

207

1 

失われた夜 ………………………………………………………………… 208

2 

アドリエンヌ ……………………………………………………………… 215

3 

決 

……………………………………………………………………… 219

4 

シテール島への旅

……………………………………………………… 224

5 

………………………………………………………………………………… 228

6 

オチス

……………………………………………………………………… 232

4

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7 

シャーリ

……………………………………………………………………… 239

8 

ロワジーの舞踏会

……………………………………………………… 243

9 

エルムノンヴィル

……………………………………………………… 247

10 

のっぽの縮れ毛

………………………………………………………… 252

11 

帰 

……………………………………………………………………… 256

12 

ドデュ爺さん

……………………………………………………………… 262

13 

オーレリー ………………………………………………………………… 266

14 

最後のページ ……………………………………………………………… 272

ヴァロワの歌と伝説 ………………………………………………………… 276

ジェミー

 

303

1  

ジャック・トッフェルとジェミー・オドハティ

はいかにして二本の赤いとうもろこしを引き当て

たか

………………………………………………………………………………… 304

5   目  次

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2  

ジェミー・オドハティが大きすぎる馬に乗って

礼ミーティング

拝集会に行ったのがどれほど間違いであったか

… 316

3  

ジェミーはいかにしてジャック・トッフェルの

もとに戻ったのか

………………………………………………………… 329

4  

ジャック・トッフェルとその二人の妻に何が起

こったか

………………………………………………………………………… 336

5  

それでもなお、二本の赤いとうもろこしが将来

のお告げであったことが証明される

………………………… 342

オクタヴィ

 

351

イシス

 

367

1

………………………………………………………………………………………… 368

2

………………………………………………………………………………………… 372

6

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3

………………………………………………………………………………………… 376

4

………………………………………………………………………………………… 381

コリッラ

 

391

エミリー

 

433

幻想詩篇

 

475

廃エル・デスディチャド

…………………………………………………………………………… 476

ミルト

……………………………………………………………………………… 478

ホルス

……………………………………………………………………………… 480

アンテロス

………………………………………………………………………… 482

デルフィカ

………………………………………………………………………… 484

アルテミス

………………………………………………………………………… 486

7   目  次

Page 7: Gérard de Nerval LES FILLES DU FEU 1854しかるに、私はもはやヒッポグリフ ( にまたがってはおらず、俗に理性と呼ばれるも5) のを人々の目には取り戻したのですから、

オリーヴ山のキリスト

……………………………………………………… 488

黄金詩篇

……………………………………………………………………………… 496

訳 

 

499

地 

 

572

解 

 

577

8

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アレクサンドル・デュマへ

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親愛なる師よ、『ローレライ』をジュール・ジャナン( 

)1

に捧げましたように、本書を

あなたに捧げます。かつて私はジャナンに対し、あなたに対してと同じ理由で謝意を

表さなければなりませんでした。何年か前に、私は死んだものと思われ、ジャナンは

私の評伝記事を書いてくれたのです( 

)2

。数日前、私は発狂したものと思われ、あなたは

この上なく美しい文章の何行かを、わが精神の墓碑銘に捧げてくださいました( 

)3

。いわ

ば死後に受け取る分の前渡しとして、大変な名誉を賜ったのです。生きながらにして、

あのような輝かしい冠を額に戴くことがどうしてできましょうか。私としてはつとめ

て謙虚な態度を装い、わが遺灰に捧げられた過分な賛辞を大いに割り引いて聞いてく

れるよう、読者にお願いしなければなりません。あるいはそれは、アストルフォ( 

)4

よろ

しく私が月まで探しにいった瓶の、取るに足りぬ中身に対する賛辞であったのかもし

れません。その中身を、思考の通常の居どころに戻しおおせたものと、私としては考

えたいのですが。

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しかるに、私はもはやヒッポグリフ( 

)5

にまたがってはおらず、俗に理性と呼ばれるも

のを人々の目には取り戻したのですから、

――

理屈をこねるといたしましょう。

以下に掲げるのは、あなたが昨年十二月十日、私についてお書きになった文章の一

部です。

「読者諸君にもおわかりいただけたことと思うが、それは魅力ある、卓越した一個

の精神なのだ、

――

ただしその精神においてはときおり、ある種の現象が生じる。そ

れは幸いにも(そう願いたいが)、本人にとっても友人たちにとっても深刻な不安を抱

かせるものではない。

――

ときおり、何か仕事のことで頭がいっぱいになると、〝一

家の狂女〟の異名をとる想像力が、家の女主人にほかならぬ理性を追い払ってしまう。

そうなると想像力はただ一人傲然と、カイロの阿片吸引者やアルジェのハッシッシュ

摂取者に勝るとも劣らず夢と幻覚によって養われたこの脳髄のなかに居座る。すると

何しろ想像力とはとりとめのないものだから、彼を不可能な理論や、なし得ない書物

のなかに投げ込んでしまう( 

)6

。彼はあるときは東オリエント方の王サロモンとなり、精霊たちを

呼び寄せるためのしるしを見つけ出し、サバの女王(シバの

女王

)を待ちかまえる。そうなれ

13   アレクサンドル・デュマへ

Page 11: Gérard de Nerval LES FILLES DU FEU 1854しかるに、私はもはやヒッポグリフ ( にまたがってはおらず、俗に理性と呼ばれるも5) のを人々の目には取り戻したのですから、

ば、どうか信じていただきたいのだが、どんなおとぎ話や『千一夜物語』の短編とい

えども、彼が友人たちに語る物語に及ぶものはなく、精霊たちのすばしこさや能力、

女王の美しさや財宝について聞かされた友人たちは、彼を気の毒がるべきなのか、羨

むべきなのかわからなくなってしまう。またあるときはクリミアのスルタンにしてア

ビシニアの伯爵、エジプトの公爵、スミルナの男爵となる( 

)7

。また別の日には自分が狂

人になったものと思い込み、どのようにして狂ったのかを、さも快活に楽しげに、愉

快な筋立てをもりこんで話すので、幻シ

メール想

と幻覚の国へと導いていくこのガイドのあと

を追って、だれもが自分も狂人になりたくなってしまう。その国ときたら、アレクサ

ンドリアからアンモン(リビア砂漠

のオアシス)に至るまでの灼熱の街道に出現するオアシスよりも、

さらに爽やかで蔭の濃いオアシスに満ちているのである。そしてまたあるときには、

憂メランコリー鬱が彼にとっての詩ミ

の女神となる。そうなったとき、できるものなら涙をこらえ

てみたまえ。なにしろウェルテルであれ、ルネであれ、アントニー( 

)8

であれ、これほど

悲痛な嘆き、苦しげな啜り泣き、優しい言葉、詩情に満ちた叫びを発したことはない

のだから!……」

14

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親愛なるデュマよ、あなたが以上のように語った現象について、これから説明を試

みるとしましょう。ご存知のとおり、物語作者の中には、自分の想像力の生んだ登場

人物に同一化せずには話を作り出せない者がいます。わたしたちの旧友ノディエ( 

)9

が、

不幸にも革命時に自分がギロチンにかけられることとなった次第を、どれほど確信を

こめて語ったかは、あなたもご存知でしょう。それがあまりに真に迫っていたので、

いったい彼はどうやって首をくっつけてもらうことができたのかと訝しくなるほどで

した……。

いかがでしょう、物語の抗いがたい力がそれほどの効果を生み出すということを、

理解していただけるでしょうか。自分の想像力の生んだ主人公にいわば化身し、その

結果、主人公の人生があなたの人生になり、架空のものである主人公の野心や恋の炎

に身を焦がすまでになるとは!

しかしながらそれが、ルイ十五世の時代にブリザシ

エ(ネルヴァルの旧作「悲劇

物語」(一八四四)の主人公)の偽名のもとで実在したはずの人物の物語を手がけたときに、

私の身に起こったことなのでした。この冒険家の悲劇的伝記を、私はいったいどこで

読んだのだったか?

ビュコワ神父(本書「アンジェ

リック」参照

)の伝記ならば見つけました。しかし、

当時は著名でありながらいまでは知られざる人物となったブリザシエが実在したとい

15   アレクサンドル・デュマへ

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う歴史的証拠を、いかなるものであれ発見することは、私の力では到底無理なように

思えるのです!

師よ、あなたにとっては遊びでしかないはずのことが

――

何しろあ

なたはわれらの年代記や回想録を実にみごとに操ってみせたので、後世は真偽の区別

がつけられなくなり、あなたが小説に登場させた歴史上の人物たちに、あなたの作り

出した物語をそっくり背負わせるようになるのではないかと思われるほどなのですか

ら★

――

、私にとっては執念となり、眩惑となったのです。創り出すとは結局のところ

思い出すことだ、とある人モ

間探究家が述べています( 

)10

。わが主人公が実在した証拠を見

つけられぬまま、私はにわかに魂の転生を、ピタゴラスやピエール・

ルルー( 

)11

にも負け

ないくらい熱心に信じ込んだのです。十八世紀は

――

私はその時代に生きたことがあ

ると想像したのですが

――

、まさにその種の幻想に満ちていました。ヴォワズノン( 

)12

モンクリフ( 

)13

、クレビヨン・フィス( 

)14

が魂の転生をめぐって山ほど冒険談を書いていま

す。以前、自分がソファだったことを思い出すあの廷臣の話を覚えていますか。そう

聞かされてシャアバアムは興奮して叫ぶのです。「何と!

そなたはソファであった

のか!

それは粋なこと……。で、いったいそなたには、刺繍がしてあったのか?

(『ソファ』

の一節

)」

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この私はといえば、いたるところ刺繍だらけでありました。

――

自分のあらゆる前

世を次々と思い出した気になったそのときから、自分が君主であり、王であり、魔術

師、精霊、はては神でさえあったとしても、さほど怖くはないように思えました。鎖

は切れ、時計は時間を分で示すようになったのです。わが思い出を一巻の傑作に凝縮

しおおせたならば、スキピオの夢( 

)15

か、タッソの幻視( 

)16

、あるいはダンテの『神曲』とも

なるでしょう。霊感を受けた者、幻視者、予言者としての名声をもはや諦めざるを得

ない私にとって、あなたに捧げられるものとしては、不可能な理論、なし得ない書物

0

0

0

0

0

0

0

とあなたが正しくもお呼びになったものしかありません。以下がその第一章なのです

が、スカロンの『喜劇物語( 

)17

』の続編とでもいいましょうか……ご判断を仰ぎます。

奥さま、私はまだ牢獄の中におります。相変わらずのそそっかしさで、いつもなが

ら罪を負うべきはこの私であるらしく、しかも、ああ!

情けないことに、つかの間、

私のことを運デ

命の人と呼んでくれたあの芝居一座の美しき「星エトワール

」を、私はいまな

お信じているのです。エトワールとデスタン

――

詩人スカロンの小説の何と愛すべき

カップル! 

とはいえ、今日それら二つの役を立派に演じるのは何とむずかしいこと

17   アレクサンドル・デュマへ

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か。かつて、ル・マン(フランス北西部

サルト県の県都)の不揃いな敷石の上、私たちをがたごと揺さぶっ

たあの鈍重な荷馬車は、豪華な四輪馬車や郵便馬車といった新しい発明品に取って代

わられました。もはや、冒険などどこにあるでしょう?

私ども、いつだって哀れな

詩人、しかもたいがいは貧乏と決まっている詩人を、あなたがた女優の同輩とも仲間

ともしてくれたあの心愉しき窮乏生活はどこにいってしまったのか?

あなたがたは

私たちを裏切り、見捨てた!

それなのに、私たちが生意気だといって非難なさる!

あなたがたは派手で色好みの、図々しい金持ち貴族連中のいいなりになったかと思っ

たら、私たちをみじめな宿に置き去りにして、あなたがたの乱痴気騒ぎのつけを払わ

せたのです。という次第でこの私、つい最近までは花形役者、実は知られざる王子に

して謎の恋人、廃嫡者、喜びから追放された者、憂鬱な美青年にして、侯爵夫人たち

からもサロンの女主人たちからも崇められ、ブーヴィヨン夫人には何ともふさわしか

らぬお気に入りだったこの私は、気の毒なラゴタン、田舎のへぼ詩人であり三百代言

であるあの男よりましな扱いを受けたわけではないのです!…… 

せっかくの美貌

も、膏薬(変装用

の手段)をべったりと貼りつけたせいで台なしになり、私の破滅をいっそう確

実なものとする役にしか立ってはくれませんでした。ランキューヌ( 

)18

の言葉を真に受け

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て、宿の主人はこの私をかた

0

0

に取ることで手を打とうと考えました。つまり、留学す

るためにこの地に送り込まれたクリミアの大ハンの息子にほかならぬ、キリスト教ヨ

ーロッパの全土においてブリザシエの偽名のもと評判の人物を、というわけです。せ

めてあの情けないランキューヌのやつ、時代おくれの策士めが、古いルイ金貨かカロ

ルス銅貨を何枚か、それとも模造ダイヤをちりばめた安物の時計でも置いていってく

れたなら、私を訴えようとする相手に尊敬の念を起こさせもし、かくも馬鹿げた策略

が嘆かわしい展開を示すことを避けられもしたでしょう。ところがそれどころか、あ

なたがたが私に残してくださった衣装とは、褐色のみっともない上っ張りに、黒と青

の縞の入った胴着、保存状態の悪い股も

引ひき

だけでした。その結果、あなたがたの出発後、

宿の主人は私の鞄を持ち上げて不安に襲われ、悲しい真相の一部を嗅ぎつけ、私のと

ころまで来て、あんたはにせの王子

0

0

0

0

0

でしかない、ときっぱり言い放ったのです。そう

聞くやいなや、私は剣に飛びつこうとしたものの、剣はランキューヌに取り上げられ

ていました。私を裏切った不実な女の目の前で、私が自分の心臓を一突きするような

ことになってはならないというのがあいつの口実でした! 

余計な心配というものだ、

ランキューヌよ! 

芝居用の剣で心臓を突けるはずもないし、料理人ヴァテル( 

)19

のまね

19   アレクサンドル・デュマへ

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などできない。それに私は悲劇の主人公なのだから、小説の主人公たちの物まねをし

てもしかたがない。そんな最期を多少とも気高い調子で舞台にのせるのはとても無理

であることは、仲間のみんなも認めてくれるでしょう。地面に剣を刺し、その上に両

手を広げて身を投げるやり方なら私も知っています。とはいえ、ここの床は寄木張り

で、この寒い季節に敷物もありません。いっぽう、窓は道に面して高い位置に広く開

いており、悲劇的な絶望に駆られた者が自らの命を絶つにはもってこいでしょう。し

かしながら……しかしながら、これまで幾度も申し上げたとおり、役者ではあっても

私には宗教心があるのです。

覚えていらっしゃるでしょうか、私がアシル( 

)20

役をどのように演じたかを。たまたま、

とある鄙ひ

びた町を通りかかったとき、私たちは顧みられなくなってしまったフランス

のいにしえの悲劇作者たちに対する崇敬を広めてやろうという気まぐれを起こしたの

でした。緋色の飾り毛をつけた金色の兜か

ぶとに

、輝く鎧をまとい、空色のマントをはおっ

た私は、気高くも力強い様子をしてはいなかったでしょうか?

そして卑怯な父親ア

ガメムノンが、涙に暮れた気の毒なイフィジェニーを早いこと刃や

いばに

掛けようと、その

栄誉を神官カルカスと競い合っているのは、何と悲惨な光景だったことか( 

)21

! 

私はこ

20