greater zhongshan traverler's handbook (jp)

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大中山 人文美學エ リア光点

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Page 1: Greater Zhongshan Traverler's Handbook (Jp)

大中山 人文美學エリア光点

Page 2: Greater Zhongshan Traverler's Handbook (Jp)

1

2

赤峰街

華山

市民大道

南京東路

長安東路

長安西路

民生東路

民權東路

圓山站

中山國小

新興國中

中山站

臺北車站

善導寺站

台北火車站

民族東路

中山高速公路

捷運新蘆線

捷運板南線

承德路三段

承德路一段

捷運淡水線

新生高架道路

林森北路

林森北路

天津街

林森公園

大同大學

星級飯店與

精品區

南西

文創小徑

條通區

雙連

晴光市場

民權西路站中山國小站

雙連站

中山北路二段

華山文化創意園區

目次 contents圓山遺跡と圓山文化 10

圓山風景エリア 12

台北市立美術館と台北故事館 14

台湾料理の思い出 20

台湾式お粥と小皿料理 21

雙連の朝市と文昌宮 29

アイディアの旅 40

こだわりの旅 44

芸術の旅 49

一條通から十條通の前世と今生 54

六條通の台湾料理の味特集 62

台北五つ星ホテルの起こり 32

ブティック、消費美学 34

三板橋墓園 36

圓山 8

晴光市場 16

雙連 26

南西アイディア小路 38

條通:都市の美しき日台ハーフ景色 52

東岸、ブティック消費美学 32

アイディア美学を育てる楽園-華山文化創意園区 74

旅行情報インデックス 82

中山区の遺伝子コード 4台北都会生活の美学劇場 6大中山人文美学エリア 7 大中山

人文美学エリア光点

大中山 人文美学エリア光点

32

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圓山から華山へ・

中山北路を散策・

台北都会生活の美学劇場を見学

中山区の遺伝子コード 「“ 関渡門 ” へ入ったら、目の前に大きな湖があり、また十キロ進むと、高山に囲まれた広々とした平原が見えてくる。」清朝・郁永河著『裨海紀遊』より

清朝に硫黄を採取するために台湾に来ていた郁永河という人物がある。彼の著作『裨海紀遊』によると、当時台北は一つの大きな湖から成されている。1897 年に日本の研究者、伊能嘉矩と宮村栄一が更に中山の圓山付近で、石器や陶器、骨角器を擁する貝塚と文化層を発見し、先史時代に人の住んでいた小島の存在を確認した。四千年前の太古時代に、人間の営みが、すでにこの地に始まったのである。

台北市の 12 の区の中に、「中山区」は割りと新しいものである。1913 年、国父孫中山が二回目に台湾に来たとき、当時台北最高級のホテル「梅屋敷」(今は国父史跡記念館になっている)に泊まったことがある。彼を記念するため、戦後には六つの行政区が併合されて新しく「中山区」と呼ぶことにした。

中山区には、南北を走る主要な道路である中山北路がある。清朝時代台北城の建立から、日本統治時代や国民政府を経て、現代に至り、この緑溢れる楓の道は、歴代政府にとって欠けてはならない象徴的な存在と言っても過言ではない。この道を歩いていると、台湾歴史の再吟味をも意味するのである。

清朝時代に、この道は士林や北投、淡水などの城外エリアへ通じる大切な通りであった。その

後、風水上の理由で、台北盆地の山々を配慮する結果、今の形となっている。

日本政府が台湾に来てから、早くも台北城壁の撤廃や三車線道路の敷設などの都市計画に乗り出した。その後、台湾で亡くなった北白川宮能久親王を祭るため、劍潭山で台湾神宮を建てた。日本政府が更に、中山北路(当時神宮への勅使道でもある)の真ん中に安全島を設置し、上に楠を植え、両側の歩道には楓を植えた。その結果、中山北路辺りは濃厚な日本色を見せている。これは日本のエリートたちが暮らし、買い物する場所で、台湾初めての近代化道路でもあった。

日本政府が台湾から撤退した後、国民政府が圓山神社を取り壊し、宮殿式の圓山大飯店を建てるようになった。近代化した中山北路には各国駐在の大使館がたくさんあり、そして空港や総統府、士林官邸へと通じるなど、当時にしては台湾の一番国際化したエリアだと言える。

作者:郭雪湖タイトル:圓山の近く創作時間:1928創作材料:岩絵の具、絹サイズ:94.5X188CM4

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台北都会生活の美学劇場

日本統治時代に神社の建立は、中山北路に国際色を色付け始めたといえば、朝鮮戦争の最中に協力に来ていたアメリカ軍事顧問団の進駐により、更に民族東、西路以北のエリアに、異国の匂いを漂わせていた。外国の賓客を迎えるため、高級ホテルがこの道に現れるようになり、高級レストランやバー、クラブ、ブランド品販売店、大芝生広場なども密集して、異国生活の美学劇場のような風景を見せていた。圓山以南、中山北路以東の地域で、台湾庶民の外国文化への憧れを、毎日展示していたのである。

近年、文化意識の高揚と政府の強力な指導により、中山北路にある歴史的建築は相次いで古跡に指定され、文化的空間として再利用されるようになった。たとえば、アメリカの台北駐在大使官邸であった「光点台北」は、芸術映画の中心地になっている。一度火災に見舞われた蔡瑞月舞踏研究社も、「ダンスセンター」として再開するようになった。そして、大富豪の建てた「圓山別荘」も、その持ち味を生かされて「台北故事館」として生まれ変わった。

一方、クリエイティブ産業とデザイン関係の人たちも相次いで中山北路の西側、つまり「光点台北の家」辺りに進出し始め、一つの小型クリエイティブ産業の中心地を成している。たとえば、華人世界に人気の「蘑菇」を始め、「田園人文生活」や「The one」、「台湾好し」など台

本書では大中山を中心に、時間的には先史時代の圓山から、空間的には中山北路の四段から一段まで、楓の大道東側から西側まで、旅行者を案内する予定である。圓山や晴光市場、高級ホテル、ブランド品エリア、雙連庶民生活の空間、南西エリアとクリエイティブ小路、華山クリエイティブ・エリアなど六つのエリアを通して、台北の多種多様な生活美学を見てもらい、台北都会生活の美学劇場を体験してもらうことにする。それでは、一緒に大中山人文美学エリアに出かけてみよう。

湾の代表的なクリエイティブ業者たちは、相次いで影響力のあるアイディア商品を世に送り出し、好評を博している。

また、地元の庶民生活も新たな風貌を成している。庶民市場兼B級グルメの中心であった晴光市場を始め、多くの結婚写真の撮影業者が集まった中山北路の「結婚ドレス街」や、「雙連エリア」、「文昌宮」などなど、どちらも朝から晩までこの地のエネルギー溢れる暮らしを物語っている。

異国文化と、地元の庶民生活が中山北路に出会い、風変わりな町を成している。中山区の街角には、日本人の足跡やアメリカ軍の舶来品、各種乾物の集散地などがあり、多種多様な、国際的風景を見せているのである。

大中山人文美学エリア 楓の大道に交錯する異国文化と地元の生活は、台北人文美学のキーワードを成り立たせている:日本条通りの文化、懐かしきアメリカ文化、ブランド品の消費、庶民生活、生活美学、文化クリエイティブなどなどがそれである。私たちは、圓山から、旅行者にこの異国匂いの漂うアリアを案内し、台北という都市の歴史や台北の文化生活を見てもらうことにする。と同時に、大中山のクリエイティブ・エリアに案内し、台北人の、アイディア商品と生活との独特な融合のあり方を見学することにする。

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かつてここで活動していた人たちが、この土地との対話を切り拓いた。大中山の美学の旅はこうして都市考古から始まる。

中山北路には旧名を「明治橋」という中山橋がある。基隆河を跨ぎ、南岸の圓山と北岸の劍潭山をつなぎ、圓山神社一路と市内道路を結んでいる。連横の『圓山雑詩』に「歴史家が長閑に詩を書き、春の明るい光が我を圓山へ導く。数人が圓山を愉しみ、その絶景を仰ぎ見る。師は長く名を留め、剣を一振り横切る。いつか龍となり天へ上る、今でも鄭延平の名を留める」とあり、圓山と劍潭山間の地理関係と謂れを見ることができる。

圓山はちょうど中山北路に位置し、台北市士林大直間の基隆河南岸の独立した丘にある。圓山に立つと 101 が眼下にあり、遠くには淡水河対岸の観音山の夕日が落ちる様と、北には松山空港の飛行機が行き来する様も見える。劍潭山全てを占拠する圓山ホテルは、多くの人にとって台北の第一印象だ。

異なる時代の統治下で、圓山は大きな変化を遂げてきた。歴史記載によれば清代末、台湾の著名儒学者・陳維英は晩年、「太古巣」の遺跡に身をおいていた。陳維英の『太古巣即事詩』には「河

を挟んで仏の世界が広がる、剣潭寺はひっそりと佇む。山僧は日々念仏を唱え、遠くから鐘声が聞こえてくる」と描かれている。圓山と剣潭は確かにひっそりとした山林だったのだ。

日本政府が来台し、圓山神社の他に公園や臨濟護国禅寺、動物園などの公共施設を建設した。「仁人は山を愉しみ、知者は水を愉しむ」、1913 年大稲埕の茶葉商人・陳朝駿氏は、基隆河畔に日本人建築士による英国チューダースタイルの別荘を建築した。河に面した別荘は陳氏が大稲埕の港から休養に来るのに便利で、かつて国父であった孫中山氏もここの来賓であった。

その後、圓山公園や児童育楽センター、台北市立美術館、圓山サッカー場などの公共施設が続々完成し、世界花博の永続生態経営コンセプトへつながっていった。この地で博覧会が行われ、現在でも公園など多くの緑地が目の前に広がっている。

圓山

民族東路

民族西路

中山高速公路

承德路三段

承德

路四

捷運淡水線

新生高架道路

中山北路三段

大同大學

兒童育樂中心

花博公園

中山美術公園

圓山站

玉門街

基河

路 中山北路四段

市民活動

1.台北市立美術館2.台北故事館+故事茶坊3.兒童育樂中心4.花博園區

信仰古蹟

6.圓山大飯店 7.圓山水神社 8.圓山地藏庵 9.圓山遺址展示室10.臨濟護國禪寺

咖啡人文

11.樹樂集

藝廊

5.大趨勢畫廊

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3

4

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7

6

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劍潭站

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1991

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圓山遺跡と圓山文化

時代:新石器時代後期遺物:貝塚

大昔、台北盆地が淡水が大湖泊と交わっていた頃、圓山は湖に飛び出た小さな島だった。石器時代の人々はこの島で貝や魚を採ったり農耕をしたりして生活していた。これが 圓山の原型である。

考古遺跡って何?

中 央 研 究 院 歴 史 語 言研 究 所 研 究 員 で 有 名 な考 古 学 者・ 劉 益 昌 氏 によ れ ば「 遺 跡 は 昔 の 人が生活で残した物であり関連現象であり、地層の中に堆積し或は地層の表面に残っている。これらの物質が残るエリアを、遺跡と呼ぶ。遺跡は時間の長さを意味するもので、空間でもある。歴史に実在するものとして定められる。

圓山遺跡は今から約 4000 年ほど昔のもので、当時はたくさんの人がそこに居住していた。遺跡の範囲は今の酒泉街、承德路、基隆河岸辺から、中山北路辺りまでの広大な面積に匹敵する。彼らが貝を食べた後、家の周辺に捨てられた殻が堆積して遺跡となった。それを貝塚と呼ぶ。これら大量の貝殻でできた貝塚遺跡から、遺跡の形成過程と意義を理解することができ、また国際通行の方法により、それを「圓山遺跡」と呼び、その周辺のものを「圓山文化」と命名した。

文化特徴と遺物

圓山遺跡と同じ場所に、深く堆積し異なる文化層が残されている。圓山遺跡は清朝漢人文化を含む十三行文化や動物園文化、圓山文化訊塘埔文化、大坌坑文化、先陶文化など 6 つの太古期文化層と 1 つの歴史期文化層を出土した。主に区域性のある色彩陶器や石器、骨格器、玉器を特徴とし、大量の貝塚も出現した。

圓山遺跡展示室と圓山遺跡史跡公園予定地

ここまで見て、まだ圓山遺跡について分からない或は考古が好きだというあなたは疼 い て い る の で は な い だ ろ う か。 そ れ な

ら、台北市立児童育楽センターの中にある遺跡展示室を訪れてほしい。ここには圓山文化層の解説とかつての様子が復元してあり、貴重な出土品を見ることができる。育楽センター外には広々とした緑地の圓山遺跡史跡公園予定地がある。広大な土地を通じて、圓山のこの地にさらに近づき、史前文化の脈動を感じることだろう。。

大龍峒挙人陳維英「太古巣」を建設。

臨濟護国禅寺を建て始める。

圓山運動場を設立、現在の台北中山サッカー場である。

台湾總督府が台湾初の都市公園を建設。

今日の台北1

号公園である。

大稲埕の茶葉商人・陳朝駿が圓山別莊を落成。

台北美軍招待所が成立、アメリカ軍顧問団所在地となる。

年、日本人が花や木、動物を観賞する場所を開設し、

台北庁政府から買取り民間経営の動物園とした。圓山動物園

がそれである。

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日本統治時代中期、台湾全土で最も早い唯一の役所経営の

児童楽園が完成、「児童遊園地」と呼ばれる。

圓山動物園が移動され、台北市政府は現在地に児童育楽センターを建て、

センター内の昨日世界区域に圓山史跡展示館を設置した。

圓山園エリアが花博展館に使用される。

新園地が完成してからの児童楽園は正式名を「台北市児童育楽センター」

と換え現在に至る。

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台北市立児童育楽センター

ここは特に子供連れの旅行客にふさわしい場所だ。観覧車やコーヒーカップ、ゴーカート、メリーゴーランドなど、遊園地での笑い声や楽しい思い出がいっぱいつまった幼少期を思い起こさせてくれるにちがいない。大型遊園地と比べ規模は小さいが、設備自体は少しも劣らない。安全な設備は大人も子供も心置きなく遊ぶことができ、劍潭横にある小さな遊園地は朗らかな陽光の下で純粋な子供たちの心を照らしている。

臨濟護国禅寺

史跡公園予定地を経て、1911 年完成の臨濟護国寺へ。日本統治時代に来台した宣教師の禅僧梅山玄秀によって建てられ、釈迦牟尼仏が祀られ、かつては台北で重要な仏教宣教の場であった。仏教道教が混合した普通の台湾寺廟とは違い、台北市には珍し、純粋な仏教聖地である。

護国禅は木製の先が反りあがった歇山重簷式屋根で、かつて総督・児玉源太郎は『寄圓山鎮南山』という七言詩で「人の住む世界を超えて、禅は青々とした山に佇む。物音が少しもしない静寂の中で、萬里鎮南はなんとひっそりしていることかな」と綴っている。

日本は唐朝観念の影響を深く受けていたことから、唐風建築が色濃く残されている。護国禅寺の大雄宝殿の木造建築は現存する日本風建築の中で最古のもので、周辺には大砥石や石像、鐘楼が残され、寺に入ると都会の喧騒を忘れさせてくれる。

圓山風景エリア:圓山神社、圓山ホテル、圓山水神社

日本統治時代、日本人が神社文化を台湾にもたらした。「一街一庄一神社」を目標に多くの神社を建設し、信仰改造の下で台湾人を真の「皇民」としようとしたのだ。

1901 年に劍潭山に台北神社が建てられた。当初の祭神は、北白川宮能久親王及び開拓三神(大国魂命、大己貴命、少彦名命)であった。1944 年に天照大神を増やし台湾神宮となった。当時、台湾で最も崇められた神社で、国土経営の守護神でもあった。1923 年に裕仁皇太子が台湾を訪れた際も、特別にここを訪れて御参拝されている。美しいこの神社は当時、台湾八大美景の一つでもあった。

国民政府が来台し神社を壊すと、元来の地に圓山ホテルを建てた。第二次世界大戦後、台北一高級な観光ホテルの誕生である。劍潭山の頂上に聳える宮廷式の建築は美しく、背後には著名な圓山風景区が広がっている。エリア内はかつて軍事管制エリアと保安林地であったことから自然林が保たれ、密林には至る所に歩道があり、訪れる誰もにとって忘れない場所になっている。

風景エリア内には他に、珍しい日本の水神様を祀った圓山水神社もある。水道事業に携わった人達の亡霊を祀ったものだ。日本の風習で神社の多くは密林地である静かな公園や森林内に建てられ、参拝者の心を自然とおだやかにしてくれるという。圓山水神社は今でもこの独特の静けさを保ち、訪れる人たちは台湾水道水百年産業の歴史を目にし、台湾大都会の生活とは違う、日本の刹那を体験することができる。

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台北市立美術館と台北故事館

無数に積上げられた白いブロックでできた台北市立美術館と、童話の人形の家みたいな台北故事館は、知的な旅をしたい人にぴったりだ。

台湾初の現代美術館である台北市立美術館は、かつて台湾で開催された世界的アートイベントの先駆者であり、台湾美術館のリーダー的存在として、数々の展覧を行ってきた。2 年ごとに行われる台北雙年展は、世界各国から訪れるアーティストと台湾のアーティストがそれぞれ共演し、国外国内の芸術と文化の交流を目の当たりにすることができる。

台北故事館は台北大稻埕の茶葉商人・陳朝駿が1913 年に建てた英国チューダースタイルの建築で、門前には小さなイングリッシュガーデンや咲き誇る花々、きゃしゃな塔、赤レンガとクリーム色の艶やかな配色、樹の枝のような外壁上の装飾はじつに親しみ深い。古跡ではあっても展覧スペースである台北故事館は、文化人・陳国慈女子により積極的にクリエティーブ産業が進められ、台北文化を深く知ることのできる場所ともなっている。ここでは台湾現地の文化とボランティアを積極的に培い、特別展なども開催して定期的に展示内容を換えるなど、たくさんの国内外の旅行者達を引きつけている。

追加上演(おまけ):

台北故事館横に、ガラス張りと白い鋼柱でできた「故事茶坊」がある。ここは芸術と文化イベントに力を注ぐザ・ランディス・タイペイホテルによる管理下にあり、屋外の席でフランス料理や軽食をいただくことができる。美術館前の広場は中山北路を臨み、遠くには圓山と劍潭山を見渡せる。基隆河がそばを流れる中山橋の南岸で、古人と分かち合える風景だ。

歩き疲れたら、美術館階下にある Cosi O Cosi(闊喜窩小館)を訪れ、イタリア料理や軽食を愉しむのもいいだろう。美景も美食も味わえるスポットだ。

花博公園

2010 年に台北国際花博が終了したが、花博公園や未来館、夢想館、舞蝶館などはそのままの形で展示されている。広々とした遮るもののない視野と緑地は、旅行者たちの足を思わず緩めることだろう。草地の広がる大佳河浜公園も見逃せない。公園内の大型噴水は夏のホットスポットで、草地は一年中大人気だ。昼寝やピクニック、読書、犬の散歩を愉しんだり、大稻埕の港までサイクリングする人も多く、これは台北盆地の四分の一を回ったことになる。

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晴光市場舶来品流行の記憶: アメリカからの風 圓山を訪れた後は南へ移動する。民族路を通って中山北路へと出る。そこには黄色の看板に赤い文字で晴光市場と書いてある。その入口から、台湾とアメリカ風西洋文化との結びつきが始まった。色とりどりの街、流行の服を身にまとう人、東洋と西洋が混じりあう店、アメリカンカントリー調の雰囲気などが台北の美しさに異国の情緒を加えている。

「牛埔仔」は舶来品の夢の入口 晴光市場周辺は清朝時代、一面に牧草に囲まれた風景が広がっており、古くは「牛埔仔」と呼ばれていた。日本統治時代には一般的な市場であったが、朝鮮戦争勃発の 2 年後にアメリカが台北に軍事顧問団を派遣したことから、米軍兵士やその家族により中山北路三段の一帯がまるでアメリカ租界のようなものだった。米軍用物資や支給品などが、P.X.(米軍購買部)や米軍の家族から市場へと流れ、晴光市場は舶来品を販売する場所となった。ベトナム戦争が始まると、米軍は台湾に R&R(Rest and Recreation) を作り、台湾を暫定的な保養地とした。バーやパブが次々にオープンしたほか、アメリカ式レストランや舶来品を売る商店、パブなどが林立し、路地裏には風俗店が立ち並んだ。

自身も晴光市場で育ったという現代の重要作家・楊照さんはこのように記憶している。「幼少時代の私達は、当時台北でもっとも華やかな場所だった晴光市場を、夢への入口のように思っていた。」この小さな市場にはアメリカ式の生活が散りばめられており、コカ・コーラ、ファンタ、スプライト、ラックスの石鹸、光り輝く宝石、高級オーダーメイド、リーバイスのジーンズ、チョコレート、チーズ、葉巻、洋酒など、当時では極めて珍しい品が数々の輸入雑貨店のショーウィン

日式料理

2.三井日本料理3.三井極壽司

台菜

1.欣葉台菜創始店

信仰古蹟

15.聖多福教堂

文學

10.大同大學 11.敦煌書局

美式餐飲

4.田莊酒吧5.福利麵包

藝廊

6.Frees 福利社7.VT Art 非常廟8.家畫廊9.8樓當代藝術空間

特色街區

12.中山北路婚紗街13.雙城街早夜市14.晴光市場

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10

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民權東路

民族東路

民族西路

88巷

84巷

82巷

68巷

62巷

56巷

49巷

55巷

農安街

農安街

撫順街 183巷

43巷46巷

40巷

32巷

28巷

18巷

12巷

10巷17巷

13巷

7巷71

3巷4巷

19巷

37巷

中山美術公園

花博公園

中山國小

新生南路三段

承德路三段

德惠街3巷

農安街1巷

雙城街

林森北路

林 森 北 路 5 5 7 巷

大同大學

德 惠 街

捷運淡水線

圓山站

民權西路站

中山國小站

捷 運 新 蘆 線

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中山北路三段

ドーに飾られていた。外国語で書かれた商品に子供達は異国を想い、米軍兵士達は故郷を懐かしんだ。

市場での美しい思い出:晴光市場 繁栄した晴光市場とその周辺は、米中国交断絶後次第に没落し、市場経済の開放とともに晴光市場の輸入雑貨店の希少性も失われた。更に1997 年には火災に見舞われた。その後、再び修復され現在の晴光市場となった。市場は清潔に整えられ、アーケードも設置されたため、雨の日でも散策できるようになった。

今日の晴光市場は、中山北路から入ると、依然として昔の輸入雑貨店の面影があり、ショーウィンドーには今やアメリカだけではなく、日本や韓国、台湾などの衣服やアクセサリー、日用品、お菓子などの商品が並ぶ。多くの店は輸入商品を扱い、宝石や並行輸入された品々はデパートより 30% も安く、お買い得だ。

市場の奥は、T 字型の 2 つの通りになっており、連なる店舗はどこも非常に清潔で、肉や魚、野菜、日用品が丁寧に並べられた様子は圧巻だ。半世紀前に建てられた漢方薬店は現在も営業しており、また、晴光意麺、大判焼き、丁香豆花、切仔麺、ライスプディング、台湾風煮込み、タロイモビーフンなど伝統的なグルメも数十年のおいしさを守り続け、今なお人々を引き付けている。

圓山からここまで来たら、きっと疲れるので、気に入った店に入って現地の美食を堪能し、体力を回復させよう。

楊照

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張媽媽切仔麺 創業 30 年余りの張媽媽切仔麺は、現在のオーナーで三代目。小さな屋台には、台湾人が切仔麺を食べる際に組み合わせる豚肉の醤油煮込み、豚モツ、ガチョウ肉などの小皿料理が並ぶ。どれも張さんが調理したもので、家庭の味に溢れ、切仔麺の特製スープは食べ終わってもおかわりしたくなるほど。小皿料理はいくつか注文し、何人かで分けて食べるといい。台湾庶民の味を楽しもう。

丁香豆花 台湾の豆花とは?白くて滑らかな豆花にシロップとピーナッツを足したもの?それとはまた違うのが、以前台湾で大流行した丁香豆花。晴光市場ではその懐かしさを味わえる。丁香豆花とは、豆花に卵を加えたもので、名前の通りプリンのような風味がある豆花だ。伝統的なものと比べても、更に滑らかな口当たり。ここに来たら、伝統的な豆花と、丁香豆花の組み合わせを頼むと、一口で大豆の風味とプリンの滑らかさが味わえる。

晴光車輪餅 大判焼きは台湾で有名な屋台のおやつで、クリームやあずき、切り干し大根などの餡が人気。小さな車輪の様な皮に濃厚な餡が詰まっている。午後のおやつにぴったりの手頃なお菓子で、小学生にも大人気。市場には、有名な大判焼きの屋台があり、店の主人の技術により、ひとつひとつが丸々として、中の餡もたっぷり。すぐに売り切れるので、早めに行列に並ぶのがおすすめ。

芋頭米粉 タロイモは、湿度の高い熱帯と亜熱帯地域で採れるとても重要な根茎類の作物である。台湾では屏東、台中、苗栗などで栽培され、タロイモを使った料理も多く作られてきた。また、米も台湾の重要な穀物であり、タロイモビーフンは台湾の特産品を組み合わせた素晴らしい一品だ。晴光市場で創業 50 年を超える老舗のタロイモビーフンスープは、台中大甲産のタロイモと埔里のビーフンに、よく煮たエシャロットとそぼろ餡を加え、栄養満点。タロイモの収穫が盛んな冬にこれを食べれば、台湾の幸せなおいしさを感じられる。

キラキラと輝く幼少時代の思い出:福利麺包

米軍が去っても、晴光市場周辺の農安街、双城街、徳恵街などは依然としてアメリカの影響が残った。中山北路の「福利麺包(フロリダベーカリー)」には人々の異国の甘い思い出がある。アメリカ籍の住民のために、アイシングクッキー、ヌガー、ケーキ、パンなどが作られ、当時の台湾人には彩り豊かで甘い夢のように見えた。今でも、ショーウィンドーにクッキーや、チョコレート、ジンジャーブレッドなど、つやつやと輝くアメリカ式のお菓子が並べられる様子は、台北でもこの店独特の光景だ。

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双城街と言えば、アメリカのほかに、大人気の台湾料理店・欣葉が思い出される。台湾料理のレストランの中でも台北の欣葉は、台湾料理を繊細かつ国際的にした最初のレストランであり、30 数年前、台北の大橋頭出身の李秀英さんが、わずか 11 卓で双城街に開業した。李さんは母親とふたりで、買い付けから調理までをすべて行い、徐々に業務を拡大。店は繁盛し、著名な台湾料理のシェフが次々と欣葉のキッチンに立つようになった。双城街には所狭しと、欣葉台湾料理店、双城会館、呷哺呷哺しゃぶしゃぶ店などの店が並び、欣葉通りと言っても過言ではないくらいだ。

開業当時、オーナーの李秀英さんは、お粥と小皿料理だけといった一般の人がイメージする台湾料理店にはしたくないと思い、初めて台湾料理を宴席料理として提供した。それが人々の間でだんだん定着し、今では航空会社と提携し、機内食で世界中の人が台湾料理を味わうようになった。

李さんの仕事に対する姿勢は、厳選された食材、心からのサービスなどにも反映されている。現在、十数店舗の支店がある欣葉は、開業当時の初心を忘れず、各店舗の品質を保ち、伝統的な台湾料理を厳選した形で提供し続ける。切干大根入り卵焼きや、レバーの炒め物、揚げ鶏、焼きビーフンなど伝統的な台湾料理を注文すれば、台湾式の暖かさとおいしさを感じられる。

欣葉は老舗としての更なる向上を目指し、李さんを筆頭に「伝芸厨房」を立ち上げた。これは、旬の食材の調理技術や、台湾料理のレシピを記録し下の世代に伝承していくものである。台湾料理のおいしさを正確に伝え残すことで、お客さんの健康を守り、食に関する安全を提供する。

台湾料理の思い出: 欣葉台湾料理 お粥と小皿料理の起源は、台湾経済が飛躍した 60 年代に遡る。当時、ビジネスの付き合いは日ごとに頻繁

になり、人々はまず市内で宴席を設け、その後北投温泉にある深夜営業の居酒屋に通った。そこでは、薄味のお粥と小皿料理が提供されていたので、宴会でごちそうを食べた後の胃を落ち着かせ、酔いを醒ますことができた。小腹を満たし、酔いを醒ますお粥は、台北のナイトライフが盛んな中山区などの地域で発展し、多くの人が夜食の思い出を残した。

いままで、お粥と小皿料理といえば、夜食や朝食のイメージだったが、台湾料理の有名店である欣葉では、中華風のアフタヌーンティーセットを提供している。サツマイモ粥と、お粥に合う切干大根入り卵焼き、豚レバーの炒め物などの料理が食べ放題の、新鮮な試みだ。

レストランで提供されるお粥と小皿料理は、10 種類以上あり大変充実している。小皿料理は薄味の白粥やサツマイモ粥を引き立てるためにあり、テーブルに料理がずらっと並べられる様子に目を奪われる。好きなものだけ、色々な種類を食べることができる。

地瓜とも呼ばれるサツマイモは、台湾特産の根茎類で栄養価も高い。番薯粥は、まだ米が買えないほど貧しかった時代、お粥の中にサツマイモを入れて食べたのが始まり。経済が発展すると、番薯粥は昔なつかしい味に変わった。お米に溶け込んだ甘いサツマイモは、大人も子供も好きな味だ。

菜脯とは干した大根のこと。台湾では昔から、冬に採れた大根を千切りや角切りにし、塩水に漬け、乾燥させたものを長期保存し、スープや料理の材料として使用してきた。卵も重要なたんぱく質源で、まだ物質が豊かでなかった時代には栄養補給のために、各家庭で塩辛い菜脯を卵焼きに加えたものがよく食べられた。家庭での菜脯蛋が母親の無限の愛情を表しているように、欣葉もお客さんへの思いやりを以って、菜脯蛋を提供している。ベテラン料理人が手際よく、ふっくら丸く焼き上げた卵焼きには、暖かい気持ちも含まれている。

本文では、台湾本場の味・台湾式お粥と小皿料理を紹介。 お粥と小皿料理を味わった後は、本文後半で紹介している昔な がらの台湾料理も体験してみよう。中山路を訪れた際に活用し、様々な台湾料理を味わってみよう。

中山地区の逸話

2011 年 3 月 11 日、東日本大震災が発生し、多くの死傷者が出た。日本人観光客に馴染みの深い欣葉レストランは、すぐに支援活動として 6 つの欣葉グループのレストランで、3 月 12 日から 6 月 19 日までの 100 日間、菜脯蛋の売上げを義捐金として被災地に送付した。欣葉の記録によると、この 100 日間に、22814 皿もの菜脯蛋が売れ、義捐金は 472 万 700 元に達した。一皿の菜脯蛋には、暖かい気持ちとおいしさが溢れ出している。

奇跡を起こした思いやりの菜脯蛋

欣葉のお粥と小皿料理

切干大根入り卵焼き

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澎湖産のイカのつみれは、海がくれたおいしさでいっぱい。高温の油で揚げるため、黄金色になった表面からは香りが溢れだし、熱々をかじれば、弾力が口いっぱいに広がる。

毎日厳選された新鮮なレバーを 0.8cm の厚さに切るのが、おいしさの秘訣。外はカリッと中はジューシーな口当たりは最高。女性に嬉しい鉄分もたっぷり。滑らかな歯ごたえは、固くてぱさぱさしていると思われがちなレバーの印象を覆してくれる。

台湾ではよく食べられる豚肉だが、養殖産業が発達するにつれ種類や品質が向上し、それは料理にとっても大きな影響を及ぼしている。豚バラ肉を醤油などの調味料でじっくり煮込むと、キャラメル色の角煮が出来あがる。脂身と赤身の絶妙なバランスは口に入れるととろけるよう。シェフの腕により少しも脂っこくならず、ご飯とよく合う。また、食欲のない子供にもぴったり。

蔭鼓蚵は典型的な閩南風料理である、黒豆を発酵熟成させて作る豆鼓は、台湾早期から家庭料理には欠かすことのできない味で、台湾料理にとって重要な調味料だ。海鮮料理と相性がよく、食材の風味や香りを引き立てる。ふっくらとしたカキは、ビタミンとミネラルが豊富で、栄養満点。大粒でぷりぷりのカキと台湾の味・豆鼓の組み合わせは最高。

台湾特産のサツマイモは根っこから葉っぱにかけて栄養たっぷり。柔らかな葉を茹でた後、ラードととろみ醤油をかけると、昔懐かしい味が再現される。サツマイモの葉の柔らかな触感は年配の方も食べやすい。

昔からシジミは肝臓にいいとされ、薬学書・本草綱目にも「食欲を促し、無毒、暴熱を去り、目を明らかにし、小便を利し、酒毒、目黄色を解す」とある。疲労が溜まった人や、肝臓病の患者、飲酒の習慣がある人は多く食べるといい。醤油や唐辛子などで漬けた新鮮なシジミは、甘味と辛味、塩気の絶妙のバランスで、お粥にぴったりの一品だ。

瓜仔肉は台湾のお母さんが得意なスピード料理。脂身と赤身半々の豚ひき肉を胡瓜の漬物と一緒に電気鍋で蒸す。蒸しあがった瓜仔肉は歯ごたえもよく、そのいい香りに母の味を思い出し、箸が止まらなくなる。

端午節が過ぎた後は、台中や雲林、南投などで採れる筍のおいしい季節になる。麻竹筍は荒い口当たりから、長時間煮る料理に適しているとされ、麻竹筍を乾燥させたものも料理に使われる。滷筍絲は家庭料理のひとつで、少し塩気のある味付けが、更に筍の甘みを引き立てる。 虱目魚は台湾の有名な魚で、明朝時代、鄭成功が台湾に

上陸した際、漁民が献上した魚の名前を聞いた時に聞き間違えられ、その発音に似た「虱目魚」がこの魚の名前になったとされる。虱目魚は安価でありながら、DHA や不飽和脂肪酸、たんぱく質などの栄養価が高い、重要な食物で、台南では養殖が盛んである。また消化吸収もよく、子供や年配者でも食べやすい。焼き魚や煮魚にして食べられる。特に、塩をふり油で焼くと、ジューシーでパリパリの触感になり、白いごはんによく合う。ただ骨が多いので、注意が必要だ。

小魚花生は人気のある前菜のひとつ。澎湖の海で採れる 3 cmほどのシラスを乾燥させたものを使用する。乾燥させたシラスの栄養価は高く、カルシウムを多く含み、食欲増進、整腸効果もある貴重な食材だ。もうひとつはピーナッツ。これも台湾の特産品で、豊富なたんぱく質が体に吸収されやすい。お粥と組み合わせれば、栄養満点だ。

豆腐は中華料理の重要な食材で、安価かつ栄養価が高い。大豆で作られた豆腐は、レシチンやたんぱく質などの栄養素を多く含む。「紅焼」は、家庭料理でよく見られる醤油やとろみ醤油で煮込む調理法。ゆっくりと味が染みこみ、黄金色に変わった豆腐に醤油が合わさった香ばしさは、シンプルでとてもおいしい。

機械で製造されるものが多いなか、欣葉の杏仁豆腐は手作業で成分を抽出する。手造りにこだわった杏仁豆腐は、つみれのように弾力のある歯ごたえで、噛むたびに、淡い杏仁の香りを味わうことができる。この冷たい一品を食べたら、暑さも吹き飛んでしまう。

カキの豆鼓炒め

サツマイモの葉の茹で物

ひき肉と漬物の蒸し物

豆腐の醤油煮込み

筍の煮込みミ

ルクフィッシュ

豚の角煮

豚レバーの炒め物

シジミの醤油漬け

イカつみれの揚げ物

じゃことピーナッツのピリ辛炒め

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昼も夜も楽しめる双城夜市 双城街は台湾料理通りだけではなく、晴光市場の外側に小型の夜市もある。夜市と呼ばれるが、年

中無休・24 時間営業で、朝でも夜市のものが味わえる。ここは元々移動屋台の集まりで、地方から台北に上京してきて双城街に店を開いた店主が多い。そのため、台湾各地の味が楽しめる。市場のリニューアルにつれ、食べ物の屋台は昼と夜の営業に分かれた。各屋台は決まった位置で営業し、道の両側にびっしりと並ぶ。ここの名物は、その場で調理してくれる煮込み料理やお粥、炒め物など。ガチョウ料理で有名な阿萬鵝肉も、煮込み料理がおいしい屋台も、すべて双城街にある。阿萬鵝肉のガチョウ肉はジューシーで、生姜と一緒に食べればタレにつけ

なくてもいいほど。

追加上演(おまけ):幸せな結婚写真館通り 晴光市場の幸せな光景には結婚写真も関係している。中山北路三段から二段の間は、両側に数十のレンタルウェディングドレスの店が集まっている有名な通りだ。台湾で撮影する結婚写真は高品質でサービスもいいと評判で、撮影前の詳しい打ち合わせや、ドレス選び、ヘアメイク、室内外での撮影、写真の選択など、それぞれに専門のスタッフがいてスムーズに進められる。デザインも様々で、中華風や西洋風、フォーマル、チャイナドレスなど、各種揃い、撮影場所も台湾全土に及ぶ。人気ドラマのロケ地で撮った結婚写真は、忘れられない思い出になるだろう。

現在の結婚写真の風潮は、多くの業者が撮影パッケージを提供しており、個人用でも結婚用でも可能だ。パッケージは、台湾旅行と写真撮影の組み合わせで、お手頃な価格。台湾でハネムーン気分を味わい、完成後は海外へ送付することも可能だ。ドラマのような王子様とお姫様になりたいなら、台湾旅行の際に中山路の結婚写真屋を訪れてみるといい。台湾旅行を満喫しながら、幸せな思い出も作れる。

農安街 双城街の台湾料理通りから更に東側へ進むと、農安街にたどりつく。台湾の高級日本料理三井グループの店があることから、日本料理通りと呼ぶことができるだろう。ここでは特別な日本料理を味わうことができる。

「Zhong-Shan」外国人労働者達の週末 双城街から中山北路に向かうと、北東の方向に聖多福教堂(St.Christopher Church)が見られる。台湾では 1922 年から外国人労働者の受け入れが始まった。台湾で懸命に働くブルーカラーの労働者、特にフィリピン人は毎週仕事が休みの日曜になると、聖多福教堂に集まり、ミサの後、仲間と楽しい時間を過ごす。昔は晴光市場付近には金萬萬商場など高級品を扱う店があったが、外国人労働者受け入れが始まると、外国人向けに商売を始める店が増えた。この数年で、教会の一帯には屋台がずらりと並び、台北で働いている外国人労働者にとって、大切な休日の生活圏となった。「Zhong-Shan」とは「中山」を意味する中国語の発音記号で、外国人労働者の間でよく使われる言葉だ。

追加上演(おまけ):大同大學 晴光市場周辺の異国風情は、聖多福教堂向いの大同大学にも見られる。老木が立ち並ぶキャンパスを歩くと、ギリシャ神殿風建築の校舎があり、更に校内をロマンティックな雰囲気にしている。結婚写真の撮影をする人も多くみられる。

敦煌書局 アメリカの風情あふれるこの街の人は、どのように外国語を学習してきたのだろうか。中山北路にある敦煌書局は1952 年創業で、建てられた当初から原書や、語学の教材、辞典などの代理輸入を行い、台湾の英語教育に尽力してきた。外国語を学ぶのを難しいと感じたら、敦煌書局で自分に一番合った教材を探してみよう。

中山地区の逸話

晴光市場近くの金萬萬商場や、フィリピン人商店、その近くの通りには、電話カードが売られている。販売されている電話カードは、SIM カードや国際電話カードなど、フィリピン人労働者向けだけではなく、中国やマレーシア、アメリカ、ベトナム、タイなどにもかけられるものだ。電話カードは種類も豊富で、お得。もし母国に長距離電話をかけることがあれば、ここでカードを買ってみるのもいい。

フィリピン人街の 国際電話カー

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雙連

「牛埔仔」に別れを告げた後、幸せいっぱいのウェディングドレス街を抜けて民生西路口の馬偕医院を西に行くと、かつて「雙連陂」と呼ばれていた雙連エリアがある。「雙連陂」というのは二つの連なる池を指している。昔、台北市は沼地だったのをご存じだろうか。台湾の著名歴史家・林衡道氏によれば、「台北市は 5000 年前は海だった……。台湾光復前は市内のあちこちに小さな湖があり、湖を『陂』や『坡』と呼んでいた。中でも現在松山にある『永春陂』と民生西路の『雙連陂』、和平東路の『龍安陂』3 つの『陂』が有名だ。今の雙連陂は中山北路の馬偕医院の裏にあり、淡水線雙連駅に近い。60年前、馬偕医院は二階建ての赤レンガ花園洋館4つで成り立っていて、そのうち 2 つが病院で 2 つが欧米人用宿舎だった。光復前には全て埋め立てられ、台湾風の安価な住宅が建てられた。」ということである。

早期の雙連陂は田野が広がり、日本統治時代に北淡線鉄路が作られた。しかし、土地の窪みが鉄路の通過にふさわしくないということで、池は埋め立てられ、1915 年に雙連駅が完成した。貨物は汽車で雙連まで運搬され、

さらに大稲埕迪化街へ運ばれたことから、そこは乾物屋の密集する地となった。周囲もまた駅ができたことによりビジネスチャンスを得て賑わった。1988 年に北淡線鉄路が廃止になると MRT ができ、1997 年に台北から淡水線まで通過した後は、再度雙連駅は駅としての機能を回復した。

雙連陂から雙連駅まで

捷運淡水線

馬偕醫院

中山國小站

民權西路站

新興國中

民生東路

民生西路

民權東路一段

民權西路

中山國小

捷運新蘆線

新生高架道路

1

2

6中山北路二段96巷

錦州街4巷10弄

民生東路一段23巷

林森北路383巷

民生西路3巷

錦州街

民生東路一段1巷

23中山北路二段137巷

錦 西 街

錦 州 街

錦州街

巷30

林森北路

錦州街4

天祥路

3

4

市民活動

1.中山公民會館2.臺北戲棚

信仰古蹟

5.文昌宮

特色商店

3.上揚唱片行4.雙連市場

日式料理

6.大和日本料理

林森北路399巷

雙連站

5

中山北路二段

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雙連の朝市と文昌宮

早朝に MRT 雙連駅から北へ行くと、MRT の公園沿線に賑やかな朝市に出会える。夕方には付近の住民たちが食を求める食事処となる。途中、半世紀ほど経つ文昌廟がある。ここは台北市唯一独立した文昌公廟で、文昌帝君が祀られている。華人社会において学業と功名は人生における一大事とされているが、毎回大きな試験がある際には学生がお祈りする姿が多く見られ、廟内には祈願されたたくさんの絵馬がかけられている。

まさに「廟と市は離れない」といわれるように、雙連朝市の横には文昌宮があり、三百メートルに満たない通りには早朝時カラフルなパラソルが両側に立ち並び、野菜や果物などが売られている。所々にお惣菜や生活用品、衣服アクセサリーなどを売る店もあって人がごった返し、店の人の掛け声が絶え間なく聞こえる。市場には市民のエネルギーがあふれている。市場周辺には香満園ルーロー飯や燕山湯圓、葱を練り込んだ饅頭、高記水餃子、雙連圓仔スープ、雙連大腸焼き、阿桐阿寶四神スープなど懐かしの味が売られ、これらは時間を経た今でも変わらぬおいしさを引き継いでいる。

雙連朝市に別れを告げたら次は 100 年続く大通り中山北路へ。ここは歴史と境遇のさまざまな変化によって台湾の歴史に影響した場所だ。台湾の現代歴史発展において重要な 3 スポットをご紹介しよう。

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馬偕医院

馬偕博士はスコットランド系カナダ人で若かし頃に海外へ宣教に出た。1872年カナダから長老教会により台湾へ派遣され、漢字や国語、台湾語を学び、台湾北部の伝教に 30 年近く努め、建てた教会は 60 か所にも達する。馬偕は原住民部落への服務にも努め、宣教以外に医療の向上にも貢献した。1882 年に有名な滬尾偕醫館を設立した。これが馬偕医院の前身である。さらに庶民の抜歯の手伝いもし、在台中に 21,000 個以上もの歯を抜いたという。物資が不足していた時代に、博士は多くの台湾人を助けて尊敬された。

病院は馬偕が他界した後 5 年間閉ざされていたが、1905 年にカナダ母会派の宋雅各が来台し、彼の提案の下で馬偕醫館は淡水から台北雙連陂に移され、アーチ型の二階建て病院に拡張され「馬偕紀念医院」となった。その後、16 階建ての高層病院に建て直された。15 階にある院史館では、馬偕博士紀念文物や馬偕醫院史料展示、馬偕博士の台湾での努力の成果と台湾近代医療史の発展を見ることができる。

台北戲棚

もう一人台湾史上重要な人物は実業家・辜顯栄氏だ。「台湾五大家族」の一人で「鹿港辜家」の家長であった彼は、日本統治時代にビジネスで儲け、甲午戦争の後、日本軍が台北に入るのに尽力した人物として知られた。その子供である辜振甫と辜蘑敏も台湾の政治経済界で重要な役目を果たしている。辜家の発展史は小さな台湾史ともいえる。馬偕醫院から北へちょっと行くと台泥ビルがあり、そこが辜家の台湾セメント企業本社である。

芸術と文化に惜しみない力を注いできた辜家は、2004 年から自宅のある台泥ビルの士敏庁に中華伝統のアートパフォーマンスシアターである「台北戯棚」を開設した。最大の特徴は出演者たちが演出前後と休憩時間に舞台を抜け出し、場外で観衆といっしょになってパフォーマンスを楽しむところだ。毎回の演出は約 90 分。観客は京劇や民俗雑技、民俗音楽(南管、北管、八音など)の他、原住民ダンスや戲曲(歌仔戲、布袋戲など)などを通して中華文化に触れることもできる。毎週月、水、金、土には定期公演が行われている。

追加上演(おまけ):中山公民会館

雙連の朝市付近のアート文化スペースは 1 か所だけではない。台北戲棚周辺に早期台北北エリアの憲兵隊の宿舎があり、そこでは文化資産を再利用しようと旧建築を改造し公民会館にした。中では不定期で中山エリアの文芸や文史展覧が行われているので、訪れてみてはいかがだろうか。

大和日本料理

台北戲棚を見た後は、台泥ビル近くの錦州街を訪れてほしい。現地のビジネスマンたちが好む昔ながらの日本料理が味わえ、食材も味もイケると評判の老舗だ。近所の日系企業のサラリーマンたちもこぞって通う。かつては台湾一の富豪・王永慶も訪れたとか。店内に入ると元気いっぱいのベテラン女性店員が迎えてくれる。内装はシンプルだが、板前さんたちのプロフェッショナルぶりはかなりのもので、定食も単品もイケる。いづれの日本料理も伝統にのっとった味で、懐かしい感動を覚えるにちがいない。

上揚唱片

林敏三と張碧夫妻が始めたこのレコード屋さんは、馬偕医院の斜め向かいにある。台湾人にお馴染みの、台湾現地音楽の宝庫だ。オーナーの

林氏は音楽が大好きで、元々音響代理商だったことから常に音楽を試聴し、クラシック音楽の世界にはまってしまったのだという。店の二階にはたくさんのクラシック音楽があり、お客がほしいものを言えば必ず見つけ出してくれる。

上揚唱片は台湾音楽史の伝説ともいえるだろう。彼はかつてポリグラムやフィリップスなど主流レコード会社の総代理だったため、世界中の一流音楽会社の代理権を所持していた。クラシック音楽以外に台湾民謡にも詳しく、国際的視野も持っていたことから当時、日本やチェコなど国外に赴き、著名交響曲楽団に台湾作曲家の作品を演奏させたりなどし、彼らを国際舞台に進出させるのに貢献した。

また、鄧雨賢や楊三郎、周添旺などの著名音楽家が書いた台湾クラシック音楽を整理して管弦楽化し、楽譜を発行した。これら貴重な資料もまた台湾の教育機関にとって重要な参考資料となる。多くの古い歌手(李靜美、吳靜嫻、孔蘭薰など)の作品も製作した。さらにポップ音楽の領域でも活躍し、当時ヒットしていた殷正洋なども手掛け成功させた。多くの馬偕医院の医師たちも店の客だった。当時は政治がらみで流せない曲などもあり、医師やマイナー趣味のインテリたちの間で支持された。当時、台湾現地音楽を流していたところで、政府の圧力に掛けられたことがよほど残念だったが、近年では変わらずクラシックを推進し続け、音楽を楽しむという初心を忘れていない。

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東岸、ブティック消費美学

台北五つ星ホテルの起こり 上揚唱片から中山北路を南へ行くと、東地区の五つ星ホテルや高級ブティックなどのお店を見つけることができる。煌びやかな空気が大通りに充満していて、まるでパリの大通りを歩いているような一種の錯覚を覚える。ここは中山北路の流行、東岸で、ここの美しいストーリーは戦後の時代から始まる。

朝鮮戦争の後、アメリカの顧問団やメディア、援助グループが続々と台湾へと進出した。外賓関連の住居を提供するため、まず圓山神社の前に圓山ホテルを建てた。貫録ある建物は迅速に当時の台北のランドマークから台湾のランドマークへとなった。1960 年代、台湾政府は「投資奨励条例」を公布して、国際観光旅館事業の分類を奨励した。統一大飯店、中泰賓館と中山北路の上の国賓大飯店は次々と開幕して、台湾に大型ホテルが現れることになる。

1980 年代初期、日本経済は栄え、台日貿易は繁栄していた。台湾には大量の日本人観光客が入ってきた。亜都、老爺、来来ホテルなどの国際的観光ホテルが開業し、1990 年代初期にはさらに五つ星ホテルの発展が真っ盛り

であった。たくさんの国際的ブランドホテルが台湾へ入り、リージェント、シェラトン、ハイアット、シャングリラ、ウェスティンなどのホテルが続々と台湾市場に進出した。

本区で、あなたは老舗の國賓ホテル、晶華ホテル、日系の風格を持つ老爺ホテルと太倉久和ホテルを見かけられる。有名ホテルが集中しているせいか、周囲はたくさんの独特なビジネスホテルもある。特別なのは、全ての大型ホテルは中山北路から東の東岸エリアに集中している。豪華な風格、西岸の人文設計の小さくも清々しい風格とはっきり異なる。中山北路は空港へ連結する便利性も高く、本区に宿を設ける大きなポイントでもある。旅行者は皆ここの曲がり角の五つ星ホテルや高級ホテルへ入り、窓際のカフェに座って、都市の様子や、大中山区の独特の華美な雰囲気を見ながらアフタヌーンティーを楽しむのである。

雙連站

中山站

中山北路二段

南京東路

民生東路

新生高架道路

林森北路

長春路61

一段31

南京東路一段1

巷林森公園康樂公園

長春路

中山北路二段59巷

中山北路二段45巷

新生北路二段76巷

68巷

62巷

60巷

39巷13巷6弄

中山北路二段11巷

中山北路二段65巷

南京東路

75

4

1

2

3

6

公園

7.林森公園

4.若竹鮨割烹

飯店精品

日式美食

1.台北大倉久和大飯店2.台北國賓大飯店3.晶華酒店

5.夢見哈比屯

藝廊

6.新樂園藝術空間

人文咖啡

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ブティック、消費美学

観光業の繁栄に従い、ブティック市場も五つ星ホテル周辺を覆い尽くす店舗を開設した。地の利が便利だったため、ここには今までずっと国際的ブランドが台湾市場の第一選択の地として入った。中山北路二段を行くと、外国語の看板ばかりが並んでいる。廊下で頭を上げると、LV、SHIATZY CHEN、GUCCI などが限りなく、ショーウィンドーの今季の流行をライトが照らす。質感、生地などの細部を明瞭に、ショーウィンドーの中はデザインで充満しており、整然とした商品をレイアウトして、人々の足をしばらく留まらせる。

中 山 北 路 を 除 く と、 晶 華 ホ テ ル の 周 り はCOACH、YSL、Duhill、Loewe などのブランドのアウトレット店、日本の名店 BRAND OFF もここに店を設置すること選んだ。晶華ホテルの地下にはさらに Dior、Hermes、Chanel、Tiffany、Cartierなどのブランドや台湾デザイナーブランド店を多く取りそろえ、巨大な消費力を形成した。多くの人が最初のブティックを、ここから買うのである。

国外のブランドのほかにも、中山北路には多くの台湾設計のブランドがあった。張養真のオリジナルブランド「真裳」、中華風は彼女の服の特色で、精巧な手作業の質感と特殊な生地の使用がさらに質感の重要な細部を高める。「iF」はパリで評判の店主夫妻が創立した台湾ブランドである。シンプルな美しさと芸術への復帰を提唱し、白黒のシンプルなフレンチスタイル、服飾から家庭用品まで至る所に見ることができる。台湾ブランド「iRoo」は女性の為に新たに打ち出された手頃な価格のファッション。毎週新しい最新のファッションを立ち上げている。リーズナブルな価格で品質は劣らない台湾限定のデザイナーブランド、あなたはより多くの選択肢ができる。

ここは買い物の神域、ブランド信者の聖地。中山北路は常に参拝用の通りである。百年後の今日、私達が崇めているのはブティックで

ある。

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三板橋墓園 この華麗な東岸は緑地が二つもある。晶華ホテルの後ろから南京東路林森北路出口を行くと、私達は台北で最も日本風潮のあるエリアに到着する。その前に、14号林森公園と15号康楽公園が見えてくる。

二つの公園と近隣の欣欣百貨と晶華ホテルの一帯は、日本統治時代に三橋町と呼ばれた。ここは日本人の「高級墓地」であり、住民からは三板橋と呼ばれた。日本総督が台湾神社を参拝を終えた帰り道、墓地を参拝する。当時の台湾社会の諺に「三板橋に行け」とあるが、これは誰かが゛亡くなった″と罵り言葉の゛逝け″の両方をかけている。しかし終戦後、三板橋墓園は消え、このフレーズは使われていない。

日本統治時代、多くの官僚や富裕層がこの墓園に埋葬された。台湾第七代総督、明石元二郎は唯一台湾に埋葬された台湾の総督でもある。明石元二郎総督は台湾の土地に深い感情を持っていた。任内に台湾全土を巡視し、台湾電力株式会社を設立、中部横断鉄道を確立し、東西橫貫公路を切り開くなど彼の功績は多い。明石総督没後、後任の田健治郎は鳥居を組み込み、台湾での功労に感謝の意を示した。また、第三代総督乃木希典の母親、壽子もここに埋葬されている。

経済的に厳しい眷村時代

1949 年国民党政府が台湾へ来た時、軍はここへ住居を立てた。彼らは墓石の材料で家を作り、ここで生活を開始した。行政はここを康樂里と呼び、軍の家族が住んでいたが、東西南北の家庭料理があった。個人の生活空間は狭く汚く、理想的な環境ではなかった。しばし墓地に住む人と呼ばれた。1997 年にこの住居地を排除し、大型公園へと建て替えることが正式に決まった。

14 号林森公園と 15 号康樂公園

現在、旅行者がこの区を訪れると、不潔感はなく、晶華ホテルの緑一面の公園が一望できる。東岸は心地よい空間を提供し、公園下に埋葬された歴史人物は、他の場所へ遷された。今は大小の二つの鳥居が後世に面影を残す。

公園入口の鳥居から、精忠報国の岳飛の銅像を見ることができる。人情と義理を重んじることが、なかなか見られなくなった世の中、国の為に犠牲となった偉大な愛はずっと広く伝わっている。

追加上演(おまけ):若竹寿司店 特殊な時代背景もあり、本区は日台経済貿易の架け橋として重要な場所である。台湾に来る日本の多くの会社員が、この地域に滞在する。なぜなら、ここには日本政府は最近民間「條通」生活区を計画していたから、もっとも日本らしい区域なのである。 ホテル・ロイアル・タイペイの後方、会社員が最も好んで訪れる日本料理店がある。若竹寿司店は新鮮な刺身と、プロの板前が、周囲の会社員の胃袋を射止める。ここもまた星クラスホテルに引けを取らない。

中山地区の逸話

乃木希典総督就任前の台湾は、コレラが流行していたので、日本の役人は単身で上陸した。乃木総督の母親、寿子女士は当時、台湾人女性の間で依然として残っていた纏足の風習を解放させる「放足」の運動を進めるため、来台した。寿子女士は台湾上陸後、わずか二か月で、マラリアによりこの世を去った。生前、台湾に埋骨を望んでいたため、当時の三板橋墓園に埋葬されたが、その後国民党政府により墓碑は破壊され、違法建築の建材となった。1981 年に日本の観光客が発見し、その後、多額で買い取られ、日本で珍蔵された。。

乃木寿子女士

Dream of Hobbiton 義理と人情を重んじる話は、なにも公園だけではない。周辺の Dream of Hobbiton のイタリアレストランは、ロード・オブ・ザ・リングの世界を楽しむことができる。Dream of Hobbiton は五階、レストランの各階に映画のタイトルが付けられている。ロード・オブ・ザ・リングのファンである店長は、旅行者に美食とホビットの生活を楽しんでほしいと、一階から五階まで様々な様式を楽しむことができ、ロード・オブ・ザ・リング風、バリ島風と室内外を問わず、街の喧騒から離れ、愉快なホビットになることができる。

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南西アイディア小路:南西姉さんの アイディア商品と小路美学

ぶらぶら歩きながら、西側の美学を感受しよう。

道路の向こう側を渡ったら、中山北路東側とはまったく違う雰囲気の西側に来ちゃった。南西エリアと呼ばれるこの地域は、新光三越デパートの南西支店を中心に、中山北路二段や赤峰街、民生西路、長安西路からなるエリアである。ここには、個性的なお店やカフェ、世界料理、デザイン会社、再生利用された古跡などがたくさんあり、台北人の、アイディア商品と生活との独特な取り合わせのあり方を見学するには、最高の場所と言えよう。

早速、地元出身の南西姉さんに従い、南西エリアの観光や買い物、グルメ情報を紹介してもらおう。三つのコースに分けて、南西エリアを体験してもらう。

中山北路二段赤

峰街

南京西路

長 安 西 路

南 京 西 路

民 生 西 路

承德路一段

承德路二段 建成公園

承德路二段1巷

南京西路6

4

39 36 38

33 25

40

4137

27

28

35

31

4232

29

26

24

34

30

19

1716

18

5

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41

23

8

6

2322

20

馬偕醫院

中山站

台北火車站

12

15

9

13

11

18巷 18巷4弄

3 巷

中山北路二段16巷

20巷

26巷

36巷

42巷

44巷23

46巷

48巷

72巷84巷

50巷

17巷

33巷

35巷

41巷

承德路二段109巷 71巷

10弄

14

1021

62巷

雙連站

南京西路 25巷

美髮沙龍

美 食

20. Bon Bon Hair21. the 223 hair salon22. KD hair salon23. isisnail莉朵莎美甲

16. The One17. 小器食堂18. 薄多義19. GALERIE BISTRO

咖啡人文

1. Chez Moi 來我家吧 2. 這裡咖啡 3. nichi nichi 日子咖啡 4. 米朗琪咖啡館 5. R9 Café 6. 點點咖啡 7. ORANGE公寓咖啡 8. 天空之橋L'arcobaleno

藝展空間

9. xiaoqi+g10. 岩筆模 art gallery11. 光點台北 12. 台北當代藝術館13. 蔡瑞月舞蹈研究社14. 中山捷運站線形公園15. 金魚空間

24. 臺灣好,店25. 地球樹26. 蘑菇27. Zakka Club-加藤真治專賣店28. 61 Note29. LOOPY鹿皮工作室30. DE STIJL識得31. 竇騰璜張李玉菁概念店[wum]32. BACK TO BRITISH33. 0416×1024 Life Shop34. 爆炸毛頭與油炸朱利35. 玩銀工房36. 林果良品37. PPAPER Shop38. 田園城市生活書店39. Sienna 40. ruskasa家具41. galoop42. 小器

文創品牌

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南西アリアが今日に至ったゆえん: 衣蝶(Idee)というキーワード。

未だに辺りは住宅街の頃だったが、1995 年にオープンした衣蝶デパートは、台北の女性にとっては欠けてはならない買い物の場所となっていた。その小奇麗な女性用トイレや、無料で差し上げるお茶、男性ドアマンのサービスなどなど、数多くの新しい発想が取り入れられ、女性たちの憧れの買い物天国となっていた。また、竇騰璜や張李玉菁、張伊萍など新進気鋭のデザインナーたちを招いたり、独特な手法で商

品を陳列したりして、南西エリアによほどの影響力を発揮してきた。

アイディアの旅:朝昼兼用食→大中山美学のアイディア 溢れる小路→赤峰街のクリエティーブ産業

生活スタイルとしての朝昼兼用食

休みの日にいつも遅くまで寝ている南西姉さんは、カフェで朝昼兼用食を頼む習慣があった。朝七時半より営業を始めた「Chez Moi うちにいらっしゃい」は、一日中三食のメニューを提供し、随時南西姉さんの注文を待っている。

簡単な食事をとりたい場合、彼女は白黒のインテリアのお店「這裡咖啡」に行く。ただし、問題はその店名だ。「今はどこ?」とよく友人に聞かれて、正直に「『這裡』(ここ)だよ」と答えたら、「あそこは一体どこなの?」とまた聞かれたのだ。

路地裏の小さなお店

中山駅を中心に、北には南京西路 25 巷、南には南京西路 18 巷があり、この二つの小路から成り立ったエリアには、路地裏に小さなお店がたくさん見かけられる。建物自体は建て二十年以上のものだが、新しいアイディア商品とはある種奇妙な、ピッタリした感じがする。

「蘑菇 Booday」服飾店や本屋、レコード店、出版社、カフェ、サロンなどの特色を兼備する「蘑菇 Booday」は、シンプルなデザインをあなたの日々の生活に持ちいれようとする。

「地球樹」フェアトレードを提唱する「地球樹」の店内では、第三世界や東南アジア、台湾の手作り工芸品を扱っている。自然の素材を採用した上に、エコを配慮した製造過程も、その「環境に優しい」経営理念を物語っている。

「台灣好,店」「台湾好、お店」では台湾オリジナルの、手作り商品ばかりが並べられている。商品の傍らには、職人の思いと物語が紹介され、店の経営理念を表している。

「The One」生 活 の 美 学 と 養 生 の 理 念 を 結 合 し た「 T h e One」は、素敵で実用性のある商品を出しているほか、各年齢のお客に十分対応できる養生メニューをも出している。高レベルのインテリアと食器には感心した。

南西姉さんの一言: これら手作り商品を通して、社会問題、もしくは生産者と消費者の間の連帯関係を考えてみよう。

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南西姉さんの一言:雑貨店で可愛らしいマガカップや精緻な磁器皿、黄金色のバッグを見る度に、どうしょうもなく機嫌良くなるものだ。

「Zakka club ──加藤真治專賣店」

は日本の著名な挿絵画家加藤真治の生活雑貨を扱うお店。ステンレスカップやケーキ皿などの商品から、店の外観まで、おとぎ話のような印象を与えてくれる。

「61 note」路地裏にある 「61 note」では、文房具や茶道具、ブラシ、手作りガラスなど各国の工芸品が蜂巣に並べられており、のんびりした午後を過ごせる。

「Sienna」「Sienna」とは、カバンやサンダル、キーホルダーなどの皮革製品を扱うお店。素朴で持ち味のある皮革ばかり並んでいる。

南西姉さんの一言:「蘑菇 Booday」と「The One」、まったく雰囲気の違った二つのお店だが、その経営理念に徹底したサービスの精神が、共に強く感じさせてくれる。これからの理想的な生活を考えさせてくれるお店だ。

南西姉さんの一言: 南西エリアに来ることとは、ショッピングだけではなく、お店の理念に共感し、自分のこれからの生活への約束でもあったのだ。店から出る度に、過去の平凡な日々とお別れして、新しい夢を見ることが出来る感じ。

デザインの赤峰街

賑やかな小路からさらに進めば、赤峰街(俗称「鍛冶屋街」)という小路が見えてくる。ここは駅や埠頭に近いから、かつては鍛冶屋や船舶解体業者で繁盛していた。今となって古い町が生まれ変わって、美学エネルギー溢れる小路となっているのである。

「Nichi Nichi 日子咖啡」まるで日本にいるような感じの「Nichi Nichi 日子咖啡」。外の賑やかな世界とは正反対に、店の内装は至ってシンプルで、いつも南西姉さんを引き付け、暇つぶしに来させている。

「xiaoqi +g」さらに十歩ほど歩くと、「xiaoqi +g」(「小器 + ギャラリー」という意味)が見えてくる。ここでは創作者のミニ展示会がよく行われ、器皿の知識について学ぶことが出来る

「小器」向かい側、暖簾に黒い字の書いてある「小器」は、食器やお茶道具、厨房器具、酒器などを扱っている。幸福感満載のお店。

「岩筆模」「岩筆模」では、版画展覧会や、版画関連アイディア商品の販売が行われている。また、版画の授業を申し込んで、自ら版画の制作をチャレンジすることも出来る。

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「DE STIJL 識得」20 世紀欧米アンティーク・アクセサリー専門店「DE STIJL 識得」は、その古いマンションの窓と素晴らしきアンティーク・アクセサリーの示したように、古い産業と新しい世代との出会いを意味する。赤峰街にはユニークな雰囲気のあるお店なのだ。

「LOOPY 鹿皮工作室」 「蘑菇髪型」の店主たちによって開かれたお店 「LOOPY 鹿皮工作室」は、その名の通り、お客を快くさせてくれる。まだ学生さんである店主たちにとって、これは夢への第一歩と言えよう。

こだわりの旅:南西エリアのヘアサロン、服飾店、ネールサロン、アクセサリー専売店、靴屋→光点台北

中山駅横の公園両側には、自分の生活や外見に徹底的なこだわりを求めるお客のために、いろんな店があり、色んな提案をしてくれる。ヘアサロンから、服飾やネール、靴まで、一つの美的な世界を見せてくれている。

髪とは人間の第二の顔

日本統治時代の名残かもしれないが、南西エリアのヘアサロンは、どちらかと言えば、日本風の店が多い。派手なスタイルではなく、さりげなく自己流のヘアスタイルをデザインしてくれるようなお店。各サロンは、技術や値段の激しい競争だけではなく、インテリアにも力を入れ、独自のヘアスタイルとともに、独自の空間美学をも成している。 簡潔なデザインが好きなお客なら、絶対青い胡蝶の飾ってある「Bon Bon Hair」が性に合っているのだろう。他に、緑の入り口があり、フランスの田舎風景を思わせてくれる「the 223 hair salon」や、イギリス国旗を思わせてくれるブルーのドアのある「KD hair salon」なども、お薦めだ。

[wum]「wum」とは、ファッションデザインナー 竇騰璜や張李玉菁のコンセプトストアである。アルミの天井や、丸出しのパイプ、ステーンレスなど、現代のファッションを内装に取り入れ、デザインナーの意匠を内部空間の中で表現する型破りの試みである。

「BACK TO BRITISH」同じく型破りの店と言えば、UKロック路線の「BACK TO BRITISH」を挙げられる。博物館をコンセプトに、店内にはヨーロッパの各式アンティーク家具が置かれ、女性店主オリジナルの絵に加え、イギリス風のプログレッシブ・ロックの雰囲気を出している。

美しくなるために服を着るのではない

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「‘0416 × 1024 Life Shop」独自のスタイルの 「‘0416 × 1024 Life Shop」では、派手な手書き T シャツを売っている。他所の服飾店とは違い、ここは流行だけではなく、Tシャツに関わる物語をも教えてくれているのだ。

「Galoop」地味の外観を持っている「Galoop」にも、一目置かねばならない。台南から北上したこのブランドは、絵よりも仕立てを重視、シンプルなデザインで絶えず人気を博している。

「爆炸毛頭與油炸朱利」鉄扉を押し開けて入るのは、「爆炸毛頭與油炸朱利」という舌が絡まるようなメタルショップだ。ここのアクセサリーは、グラフィックデザインから金属の型どり、ホウロウの焼き付け、外枠のはめ込み作業まですべて手作業。合わせ方はいろいろ楽しめる。

小物いろいろ

「isisnail 莉朵莎美甲」小さな爪にどれだけの変化がつけられるというのだろう。2D から 3D への変化。「isisnail 莉朵莎美甲」の優雅な質感と繊細なネイルアートは、多くのおしゃれ女性を魅了している。ネイルアートの他、スワロフスキーやミクスチャー、ネイルシートなどを合わせたさまざまなネイルアートで、指をおしゃれに彩ろう。

「玩銀工房」同じように手作りにこだわり続けている「玩銀工房」では、すべてが限定商品の「手」によるサービスにこだわった店だ。シルバー好きの馴染み客を引きつけてやまない。地球の未来に関心を!をキャッチフレーズに、オリジナルデザインを強調し、かつ「感情のあるビジネススタイル」を追求しているというただものではないシルバーアクセサリー店だ。

男もいい靴が必要だ

「林果良品」衰退の一途を辿っている靴産業の中にも、手作り靴に拘って努力している「林果良品」がある。紳士風の靴から、普段履けるカジュアルシューズや気楽なローファーまで、いずれもベテラン職人の腕と最新のデザインを取り入れた、素晴らしき男に相応しい素晴らしき靴だ。

中山地区の逸話

台湾では、美容室でシャンプーする際、店員に、座って洗うか、シャンプー台で横たわって洗うかを聞かれる。座って洗う方がおすすめだ。台湾独特のシャンプーは、シャンプー液を頭の上で泡立てて洗うため、最後には髪の毛が逆立つほど。台湾式シャンプーはマッサージもサービスに含まれ、ちょうどいい力加減はやみつきになる。きれいな店内には、一人一台テレビが用意され、無料のお菓子や飲み物のサービスもある理想的な空間だ。

台湾式シャンプー

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洋館の中の芸術映画

一日ぶらぶらして、南西姉さんが大きな白い洋館に入った。庭園にはコーヒーを飲んでいる人もいるけど、誰かの豪邸ではなく、芸術映画を放映する映画館「光点台北」のことだ。50 年前にはアメリカ大使官邸で、今のところ映画文化やアイディア生活の指導に力を入れているこの建物は、中米関係を色々目の当たりにしてきたと言っても過言ではない。映画祭やアイディア・マーケット、講座、展覧会、観光ガイドなどを多数企画し、映画や芸術、人文、アイディア、デザインを取り合わせた、南西エリアの中心的存在でもあった。

南西姉さんの一言: 南京西路には大きな百貨店があるにもかかわらず、私はこんな小路にある個性的な店が好きだ。シーズンごとにショーウィンドーの陳列を変えるデパートのやり方とは違い、このような店のショーウィンドーは、店の主人毎日の思いが込められ、日ごとに変わっている風景なのだ。

当代と現代の僅かな違い

当代芸術館とは、もともと日本統治時代の建成小学校で、民国時代に台北市市政府となり、それから今の「当代芸術館」へと変身した。芸術と古跡、科学技術を取り合わせ、前衛的な作品と古風の古跡を同時に擁する激しい対比は、観客にかなりの衝撃を与えるに違いない。

ただの食事には気が済まない 当代芸術館で心が満たされたら、お腹も空いた。大人気の米朗琪珈琲館は、ウッドデッキのベランダに、暖かな光がそそぐフランス風の大きな窓。黄金色の灯りの下、お客さんのおしゃべりは絶えず、目の前のストロベリーワッフルは輝いている。お皿の一角に乗せられた大きくて真っ赤ないちごと、アイスクリームが溶け合った様子に涎が出そうになる。ワッフルは、外はカリッと中はふわっと焼いてあり、小麦粉と卵のいい香りを漂わせている。いちご、アイス、ワッフルを一口サイズにし、口に入れる――南西姉さんは、食べるために 30 分並ぶのも我慢できると言う。

南西姉さんは米朗琪珈琲館だけでなく「R9 Café」の常連でもある。長い行列に並ばなくてもハニートーストを味わえる。

芸術の旅:台北当代芸術館→個性的な喫茶店、レストラン→デザイン系出版社→蔡瑞月舞踊研究社→中山駅公園

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「点点珈琲」は食事や家具、メニューに至るまで、手作りの雑貨でいっぱい。テーブルに置かれた色鉛筆やポストカードは、オーナーがお客さんに提供しているもので自由に使える。親しみやすい雰囲気のなかで、手作りの楽しさを味わえる。

古いアパートを改築した「ORANGE 公寓珈琲」を訪れると、家にいるようにリラックスできる。それぞれ材質の違うソファーに腰かけ、一番気に入った場所を選ぶ。

もし小腹が空いていれば、「薄多義」へ。建物はガラスや木材、金属などで構成されている。コンクリートのビルが林立する都市部に、突然木製小屋が現れるのは不思議な光景だ。シンプルな北欧スタイルのインテリアは隣の家具店「Rüskasa 原木家具」のもので、台南で作られた家具はどれもハンドメイド。店と店の間には、関係を繋ぐように一本の木が生えている。一面の白い壁に、並べられた椅子、木のぬくもりを感じられる整ったデザイン。「薄多義」では、「Rüskasa」の座りやすい椅子も体験できる。

多国籍料理のカフェレストラン「GALERIE BISTRO」は、日本統治時代に建てられたコロニアル調の洋館で、内部はフランス風の装飾が施されている。周りの芸術作品は空間に溶け込み、庭園には太陽の光が降り注いでいる。沢山の女の子が憧れる夢のようなレストランだ。

「天空之橋 L'arcobaleno」も南西姉さんおすすめの店だ。街歩きをして疲れたら、アフタヌーンティーを注文しよう。大きなワッフルはふたりでシェアするのにちょうどいい。たまにこの店で夕食をとるナンシーさんは、照り焼きチキンがお気に入りとのこと。

デザイナーのインスピレーションは どこから来るのか

独特の雰囲気がある中山エリアには、インテリア雑誌の PPAPER、建築や写真などを専門に扱う田園城市出版社など、多くの芸術系出版社がオフィスを構える。ナンシーさんおすすめの PPAPER のオフィス一階にある PPAPER SHOP は見逃せない。店内にはデザイン関係の書籍のほか、デザイン性のある雑貨も販売されている。ナンシーさんに言わせると、「インスピレーションが湧いてくる場所」だ。

「田園城市生活書店」は一般の書店とは異なり、建築や写真、アートやデザインなどの書籍がメインだ。本はシンプルに陳列され、とてもスタイリッシュ。一階のスペースでは度々作品展が行われたり、講座が開かれたりする。

鉄筋コンクリートに囲まれた緑地

台湾モダンダンスの母とも言われる蔡瑞月を記念するために成立した「蔡瑞月舞踊研究社」は、屋根の低い日本風の宿舎と芝生を擁し、周りの鉄筋コンクリート建築に囲まれて、かなり目立った存在である。50 年をわたった彼女のパフォーマンスは、台湾のダンスの縮図のようなもので、多くのダンサーを育ててきた。午後の光に照らされながらダンス練習室でリハーサルしている若者の姿は、台湾の舞踊界の未来を物語っているようなものだ。

そろそろ家に帰ろうとする時に、中山駅を向かって歩いていたら、お風呂に入っている小熊ちゃんをはじめ、壁に這っているカタツムリや、小鴨を率いる雌の鶏など、モザイクのコラージュ手法によってコンクリートの壁が賑やかな動物園に変えられた。ほかには、壁から飛び出そうとする金庫など、ここは人々の憩い場所と同時に、芸術作品を楽しむところでもあったのである。

南西姉さんの一言: 芸術とは、室内で鑑賞するものとは限らない。「壁なし美術館」では、芸術品を公共の場に取り入れ、日常生活の中に鑑賞できるようにさせる。ほかには、露天カフェ、店のショーウィンドー、街角の落書きなど、絶えず新しいアイディアを育み、大中山を一つのデザインの発信地に仕上げたのである。

南西姉さんの秘蔵のコースだとは言え、南西アリアの全てを言い尽くしたとはとっても言えない。このエリアにおけるお店の営業ぶりや色んなアイディアの実験、良き生活への提案をあなたご自分の目で確かめて見て欲しい。

とにかく、ここでのショッピングは、どこよりも台北のクリエティーブ産業について、もっともっと知ることが出来るのだ。

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都市の美しき日台ハーフ景色 昭和と大正時代、現在の中山北路、新生北路、南京東路、市民大道に囲まれたエリアは「大正町」と言われ行政区に属していた。当時、大正町は總督府と駅に面していたことから地理的に重要な場所とされ、高級官僚たちの住宅地に使われていた。

ここは一條通から十條通まで規格されている。「條通」というのは小路という意味で、日本情緒が色濃く感じられる場所だ。京都の碁盤の目のような整然とした街並みをまね、西から東へきれいに並んでいる。かつては 6 メートル幅の小路の両側は全て木造家屋で、ほとんどの家が均等に所有権を私有していたことから、今も変わらず居酒屋やクラブなどが残り、日本の生活感漂う風情が見られる。

日本人が集中していたことから自然と日本料理店が増え、周辺はまるで日本料理の博覧会のようだ。鰻屋の隣店ではお好み焼きがじゅうじゅうと音をたて、沖縄の三味線音楽が苦瓜の香りにのって漂っている……日本人にとっては、懐かしくほっとした気にさせられるが、台北人にとっても食べなれた異国の味である。

日本政府が台湾を離れると、ここの日本料理店は都市に潜む秘密の隠れ家となった。のちに時代や思潮が解放され、日本人ビジネスマンの投資により、一世紀近くひっそりとしていたこの地はまた活気を取り戻し、台湾一有名な日本風味エリアとなっ

ていった。また一掃された北投エリアの風俗業もここへ移ってきた。

中山北路は日本の風情がたっぷり漂う場所だが、同時に重要な台湾料理スポットでもある。台湾料理の源は大稻埕から北投までの道のり、そして中山北路一帯まで。台湾初の台湾料理レストラン青葉が六條通に腰をおろすと、梅子や欣葉、鶏家荘などもできて賑わい、いい意味での競争となったことから、台湾料理は一般の家庭料理から飲酒料理へとグレードアップされ、食感や味、料理方法なども研究されていった。しかし、また家庭の母親の味をも忘れていない。 国民政府が台湾を治めると、日本の「町」と「條通」はすべて排除され、中国風の街名に変更された。小路で夜な夜な歌がこだまし、遅くなればなるほど賑わっていた濃厚な日本の風情は、こうして町の中に隠れていった。

康樂公園 林森公園

新興國中

當代藝術館

臺北車站

臺北火車站

長安東路一段

林森北路138巷

市民大道

中山北路一段

新生北路一段

新生高架道路

忠孝西路一段

承德路一段

林森北路138巷

長安西路

南京西路

華山文化創意園區

中山北路二段137巷

民生東路

林森北路

南京東路一段

121巷

中山北路一段135巷

105巷

林森北路85巷

林森北路107巷

林 森 北 路 6 7 巷

33巷

北平西路北平東路

83巷

天津街

長安東路一段32

巷長安東路一段58

林森北路119巷

巷19

巷26

7

3

19

16

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14

4 2 6

8

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7

3

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9

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10

18

20

17

一 條 通

六 條 通

七 條 通

九 條 通

八 條 通

三 條 通

四 條 通

二 條 通

五 條 通

十 條 通

中條通

中山站

善導寺站

日式、韓式料理

9.京都鰻屋10.尚更11.肥前屋12.漢城石頭火鍋

餐廳

1.梅子2.青葉3.明福4.雙園燒臘5.雞家莊6.大眾飯店7.華泰王子8.喝康 信仰古蹟

19.梅屋敷(逸仙公園)20.中山基督長老教會

傳統商店

17.中山市場18.林田桶店

咖啡人文

13.Coffee sweet14.二條通咖啡館15.溫事16.滿樂門條通:

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一條通から十條通の前世と今生

一條通から十條通までの 10 本の通りはいづれも魅力的な顔をもっている。ここでは朝から夜まで光が変化し、夜遅くなればなるほど美しく、人々の目を引きつけている。できれば午後ここを訪れ、これからお話する一から十までの路線を辿っていただきたい。整然としたこの街並みや小路、角、小店舗、いづれも日台ハーフの美しい劇場だ。

一條通昔 日本統治時代は鉄道が縦断し、蒸気機関車のもたらす空気汚染によって居住するのにはふさわしくない場所だった。そこで、空気を浄化するための公園エリアや、川を流して緑と静けさを設置した。しかし、第二次世界大戦の際、駅に爆弾が落とされ一帯は火の海と化してしまった。現在は大部分が台湾光復後に庶民が自ら建設したものである。

今 一條通は現在市民大道となり、道は台北東西を走る重要な要となっている。その西南脇には、国父・孫文が当時、台湾で身を置いていた梅屋敷がある。

梅屋敷 逸仙公園の中には、かつて日本人が経営していた高級旅館がある。国父・孫文が台湾居住中に身をおいていた場所で、墨で書かれた直筆の「博愛」の字が残されている。梅屋敷の主な建築はスタンダードな日本風家屋で、今でも変わらぬ姿で保留されている。数回の改築がなされた後、「国父史蹟記念館」となった。

梅屋敷というのは庭園の梅の木から名づけられ、「屋敷」というのは日本語で高級な家を意味する。庭には偽物の山や池、橋があり、冬から春にかけて梅が優雅に咲き誇る。ごった返す台北駅と賑やかな條通エリアの間に、それは一種異なる都市風景を描

いている。

二條通昔 ここから始まるのは本格的な高級住宅地だ。木造日本家屋は優雅に生活の風情を感じさせてくれる。

今 二條通は今もなお住宅街を留めている。入口の一号住宅、二條通咖啡館は今も変わらぬ姿でひっそりと穏やかな時間が流れ、小路には伝統的なお店や小さな喫茶店、雑貨屋などもあってすてきだ。

二條通咖啡館と綠島小夜曲

90 年の歷史をもつ二條通咖啡館は、元々は日本人カメラマン・佐々木八二郎の住宅で、それを台湾の有名建築家・鍾永男が改造したものだ。鍾氏は「古い家を再利用する際に気をつけなければならないのは、保存と新しい命を吹き込む作業の二つを大事にすることだ。そのため日本風二階建ての木造家屋の伝統建築はそのままに留め、二階の棚を外に推し出しちょっとしたベランダを作り、元々二階の天井だった部分を吹き抜けにして、屋根の梁を露出させて風格を出した。一階には天窓をつけて光がよくさすようにし、天窓から人がよく見えるよう明るくしてある」

古い家の一階は喫茶店に、二階は彼自身の建築事務所となっている。喫茶店は人と人の交流の場となっているので、ここでコーヒーを飲んだり、おしゃべりを楽しんではいかがだろうか。

漢城烤肉

喫茶店の斜め向かいにある漢城烤肉は、かつて韓国式烤肉店という名だったらしい。40 年ほど昔城中エリアと中山北路はくっついていて、蒋経国や孫運璿、李登輝、馬英九など多くの来賓が訪れたとして知られている。普通は銅盤鍋を

使うが、ここではドイツから輸入した銅合金鍋を使いスープの入る部分を深くしてあるので、肉を一口食べスープを一口飲むといったスタイルが楽しめる。これは台湾風韓国焼肉を改良した独特のスタイルだ。

中山地区の逸話

国 父( 孫 文 ) の 号 で 知 ら れ る 中 山 区。孫文は 1913 年に訪台したおり、梅屋敷旅 館 に 泊 ま っ た。 そ の 他 に、1900 年、1918 年、1924 年にも訪れており、最後の訪台となる 4 度目は、基隆港に停泊していた船の中にとどまったが、上陸することはなく、謎の訪台となった。

4 度台湾を訪れた孫文

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溫事

喫茶店の斜め向かいにある「溫事生活雜貨小舖」は、イラストレーター夫妻の経営する 60 年経つ古い建物だ。ご主人が上手に木材を再利用し、窓枠や床にした 20 坪あまりの雑貨屋さんである。

一階にはご主人が日本から探し集めてきた小物の他、台湾現地のさまざまなハンドメイド作品が所狭しと置かれている。木製階段を上がりひっそりとした二階では、展覧会が催されることもある。

Coffee Sweet

台北市にはたくさんの喫茶店があり、ロマンチックな街並みを形成している。その中でもコーヒー好きやプロの職人たちに人気を誇るのがここだ。二條通の目立たない路地にひっそりと佇むこの店は、小花園のそばにある。

この自家製コーヒーの専門店では、サイフォンを使って丁寧にコーヒーを抽出してくれる。オーナーは味にこだわるコーヒーの達人だ。一日に 26 杯限定のサイフォンドリップコーヒーは、飲んだことのある人の誰もがうなる自慢の味だ。

三條通昔

日本統治時代の三條通は、日本宿舎の集中エリアだった。光復後、土地を買い取り役所の宿舎にしたが、晩年は家屋がぼろぼろだったことから建て直され、「医生街」という美しい名の高級住宅街となり、多くの名医がここに住んでいた。三條通と四條通の間にはたくさんのアンティークショップがあり、老舗の通天閣もそこにあった。本場の日本料理が売られ、食通たちが足繁く通っていた。

現在は建て直されて庶民の住宅が林立している。路地はひっそりした住宅地で、所々にクリーニング屋や小売り販売店があるが、厳粛な雰囲気の街は依然そのままである。

四條通昔

かつては時代の金融の中心をなし、政府高級官僚や銀行関係者など重要人物が住んでいた。

今も銀行や会社が林立し、重要な銀行がある。銀行を退職した職員のほとんどは、今もここに居住しのどかで優雅な生活を楽しんでいる。

中山基督長老教会

林森北路と長安東路口にある中山基督長老教会は、前身は聖公会大正町教会で、條通エリアに暮らす日本人が礼拝をするための場所だった。日本人・大橋麟太郎が創設した台湾初の日台督徒共同礼拝の場で、外観はゴシック建築で、美輪美奐教堂内は今もなお当時のままを留め、大正時代の西洋化と文明開化を感じさせてくれる。教会横ではシャンソンが聴け、南側の小路では日本人の子供が通う幼稚園も残されている。

鰻料理京都屋

四條通と五條通の間の小路からは鰻の芳ばしい香りが漂う「京都屋」がある。この店では台湾産の白鰻を使い、炙る前まずスープに通した後、自慢のタレを鰻に塗る。鰻の身は依然として白くやわらかく、味もさっぱりしているとあって、たくさんのファンが足繁く通う店だ。

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五條通昔

日本の高級官僚が多く住んでいた場所である。

光復後、宿舎はビルに建て直され、今は商売と住宅の混じり合った街となっている。バーや居酒屋の飲み屋、娯楽施設などが密集している。ピカピカした看板が目立つ。

六條通昔

日本の高級官僚宿舎 だった。

ビルの林立する六條通では、著名なレストランや大小のカラオケ、クラブなど、風俗業も蔓延している。ここには重要な台湾料理の店が軒を並べている。例えば青葉や鶏家荘、梅子などいづれもここを発祥の地としており、本場の台湾料理を食べたいなら、見逃せないスポットだ。

龍都

ここにはおいしい台湾料理の店のほか、広東料理と北京ダッグで有名な「龍都餐廳」もある。北京ダッグのおいしさは台湾全土に広まり、できたての広東料理も味わえるとあって、食通たちが数日前から予約を入れるほどの人気スポットだ。まっ赤な看板の外観と宮殿風の華麗な内装もまた中華料理の天国を思わせる。予約を忘れずに。

大眾食堂

六條通の各種台湾料理レストランを抜けた角に、台湾人が好む炒めものの食堂がある。店内は地味だが注文が次々に入り、飲んだりテーブルを囲んでみんなで食事を楽しむ団体が多い。彼らが注文しているのはチャーハンや焼き魚、炒めた旬の野菜、体にいいスープなど、いづれも良心的な価格設定だ。店名ごとく「大衆」に優しい店なので、旅行者も庶民の味を味わうならおすすめだ。

肥前屋

店名の由来は日本人オーナーの故郷によるもの。七條通では数十年の歴史があり、店内の木製テーブルとお客の賑わいはまるで日本の食堂のようだ。食事時には鰻の芳ばしい香りが充満し、誰もが行列に並ばずにはいられない。回転率が高いので、それほど待たなくてもありつけるだろう。

喝康

「喝康」はその看板の通り、「健康を飲む」フルーツドリンク専門店だ。ネオンのキラめく六條通にある。女性オーナーが 1 人で切盛りしている。オリジナルの野菜とフルーツをミキサーにかけ、現代人が不足しがちなビタミンを摂取できるジュースとあって、多くの人が訪れる。壁には各種ジュースの効能「美容にいい」「消化を助ける」「たっぷりの食物繊維で脂肪解消」などと書かれている。体によくおいしいジュースが飲める。お酒を飲んだ帰りというお客が多く、消化を助ける天然ジュースもおすすめだ。

七條通昔 七條通は商売と住宅の混合エリアだ。有名な日本料理屋「肥前屋」があり、天津街と交わるところには天津ホテルがある。肥前屋は開店から数十年経つ老舗で、その前身は「王将日本料理」。光復後、日本人が日本の味を懐かしみ始めたのが肥前屋で、毎日お昼時や夕飯時になると店の前には大行列ができ、七條通の名物景色となっている。

今 鰻の香りが漂ってきたら、七條通についたということだ。肥前屋のある小路には有名な焼肉屋もあり、こちらからもおいしい匂いと煙が漂ってくる。白い霧がかかっている様は、美食の仙境地を想わせる。

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八條通昔 道は狭いがたくさんのレストランが密集し、歴史ある診療所もある。

今 飲み屋や喫茶店が多くあり、魷魚羹(スルメのとろみスープ)や蚵仔麵線(牡蠣のとろみそうめん)など庶民の味を出す屋台もたくさん立ち並ぶ。どれも台湾人の好物で、ちょっとしたおやつだ。八條通の夜は昼の顔とは全く異なり、ネオンがきらめき客を呼ぶ女の子たちの姿が人目を引く。

九條通昔 ひっそりとした九條通は、中山北路と直接はつながっていない。ここは一種神秘的な雰囲気の漂う居酒屋がこぞって立ち並ぶ通りだ。

今 昼間は静かな九條通だが、夜になると会員制のクラブとカラオケの営業場となり、通りにはネオンが灯る。特殊業の奇妙な風情は小路に謎めいた風情を加えている。

尚更日式家庭料理 この店は、オーナーである王尚更の連れ合いが日本人の血を引いていることから、日本でうどんの製麺技術を学びオープンさせた老舗店だ。シンプルな内装と日本語のメニューのある店は食事時になると満員となり、まるで日本のドラマで見るサラリーマンたちの退社後の風景のようだ。

注意:日本語のメニューではどう注文していいのか分からないという方も、写真が掲載されているのでご心配なく。直接聞いてもよい。

十條通 十條通は今の南京東路で、24 時間営業のお店がたくさんある。また、不夜城は夜の風情に色を添え、街並みにはお好み焼きや焼肉屋など日本の食事処が立ち並んでいる。日本風の内装と日本語メニューは、台北に出張に来ている日本人たちの憩いの場となっている。

追加上演(おまけ): 条通周りの老舗、お馴染みの味

長安東路四条通に沿って中山北路を通り西方向へ歩くと、西南側の街角に「満楽門」というバロック風の老舗カフェが見えてくる。80 年歴史ある古い家を利用して建てられたこのカフェは、二条通珈琲館と似たような背景を擁している。二階に座って中山北路を眺めていると、この町の魅力を一層感じられる。隣りには上質のヒノキ桶を売る「林田桶店」がある。古びた看板の示した通り、桶の老舗だ。現代社会に珍しく人情味を感じさせてくれる品物ばかり並んでいる。また、向かい側昭和時代に建てられた「中山市場」という古い市場がある。各種野菜や果物、惣菜を売っていて、昔の台北を思わせてくれるところだ。

中山北路には美味しい台湾風「双園焼蠟」があり、チャーシューや煮物、焼き鴨、ソーセージ、小皿料理などの惣菜を売っている。少し買い入れて、歩きながら台北の旅を楽しんでは如何だろうか。

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一條通から十條通まで歩いて、台湾料理を食べてみたくなった?

台湾料理って何? 広義では、原住民料理と台湾に移民してきた客家人料理、閩南族料理の他、日本植民地時代料理、国民政府時代の料理である外省人料理の合わさったものを指す。さらに台湾が好景気を迎えたことから形成された飲酒料理も加わり、歴史背景を感じさせる多元的な顔が台湾料理といえるだろう。

狭義では、台湾経済が高成長を遂げた後の 1980 年前後に成したものを指す。当時、高度成長期を迎えた台湾では、市民の多くが家庭を顧みず外食していた時代だ。レストランで商談する人も多かった。しかし外食でも母親の味を懐かしみ、それがテーブルに並ぶようになって出来上がっていったのが、台湾料理である。

台湾料理店の歴史も台湾の発展史の一部といえよう。さまざまな移り変わりを遂げ、店の密集地は大稻埕から風光明媚な温泉景勝地であった北投へと移った。しかし戒厳時代、飲み屋は 9 時には閉店しなければならなくなり、台湾料理の密集地は中山北路の條通エリアへと移って行った。

1964 年、台湾料理専門店「青葉」が六條通にできると、客が集って賑わい始めた。翌年、ここに「梅子」や「鶏家荘」もオープン。1977 年、ここから近い晴光市場雙城街に「欣葉」ができると、「明福餐廳」「華泰王子ホテル」ができ、大中山エリアが賑わい始めた。

すべての店で改良が重ねられると、元々お粥とおかずといった台湾料理が、中国八大料理と並んで名を連ねることになった。台湾料理はあっさりしていて上品だ。食材も新鮮なものを使い、脂っこくなく塩分も低め、さっと炒めるのも台湾料理のおいしさだ。

今、大中山は台北一重要な台湾料理の基地だ。編集者たちは特別に 23 種の昔懐かしのをチョイスした。前菜に始まり、メイン料理、揚げ物、スープ、デザートに至るまで、これから細かくご紹介する。これを読めば、台湾料理が上手に注文できるだろう。

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おすすめの前菜:鶏捲、蝦棗、台式香腸、 烏魚子、白切雞、五味九孔

鶏肉の好きな人は注意して。というのも、「鶏捲」の文字に「鶏」の文字はあるのだが、鶏肉は入っていないのだ。これは台湾語の当て字で、意味は残り物の食材を湯葉で巻いて揚げたものを指している。旧正月に欠かせない味だ。揚物は保存にふさわしく、飲み物やお酒のお供としても合う。

現在ではもちろん残り物は使わないが、上等な豚肉に味付けをして一日おいた後、玉ねぎや片栗粉、小麦粉、五香粉をまぜて湯葉で巻いて揚げる。食べる時はキュウリの漬物といっしょに食べるといい。酢と醤油、ケチャップを合わせたタレをつけるのも忘れずに。サクサクした食感と甘酸っぱいタレは前菜にもってこいの一品だ。

おいしくて前菜にぴったりの料理といえば、これ。中に海老が入ったお値打ち料理だ。使っている海老が新鮮であればあるほどおいしく、手間のかかる一品でもある。

餡にはミンチにした海老と豚のバラ肉、クワイ、エシャロット、魚をすりつぶしたものなどを使い、豚バラ膜をつかって包む。それを小さく切って粉をつけて揚げる。揚げる時に使う粉はサツマイモパウダーや緑豆粉、コーンスターチなど店によってそれぞれ違うが、いづれもサクサク感が命だ。

台湾人はボラを「信魚」と呼び、魚を信用していることを意味する。毎年、冬至の前後に台湾海峡に到着するボラの卵を漬けて乾燥させたものがカラスミである。

年配の人たちの食べ方はじつに研究されている。ボラにお酒を塗り、炭火でさっと炙ると、外はさくさく中はしっとりした食感になる。それを薄くスライスして大根のスライスを挟んで食べる。絶妙なマッチングで、濃厚な味はもうたまらない。

かつてトコブシは高級海鮮食材だったため、又の名を「台湾鮑」といった。この料理の鍵はそのタレにある。甘みとすっぱみ、香り、辛み、そして塩辛さの五重奏だ。一度食べたらやみつきになることまちがいなし。これを蒸してから冷やしたトコブシに合わせて食べる。シンプルだが、さまざまな味の奏でるハーモニーはいかなる味にも勝る。一つ一つ注文できるので、まずは人数分頼んで試してみよう。

台湾料理で鶏は貴重な食材だ。旧正月の際、鶏を神様と先祖にお供えするのは、一年の豊作を象徴している。また鶏は自然の環境で育った放し飼いのものが肉質がしまっていていい。 白切鶏はまたの名を白斬鶏ともいい、これは調理方法の一種だ。鶏を絞殺した後に蒸すか茹でるかするが、その過程ではほとんど味つけをしない。それは鶏の自然の旨みを引き出すためで、熱が冷めた後、切ってそのまま食べる。濃い味付けが好きな人は、お店の人に辛醤油を用意してもらいつけて食べるといい。

台湾では道端で売られている焼きソーセージの店をよく目にするだろう。そのソーセージが厨房に入ると、お店の味に早変わりする。一般人も高級官僚も、台湾人なら誰もがみな旧正月や宴会で口にする味だ。

ソーセージは古くからある食物保存方法だ。イタリアやスペイン、フランス、ドイツなど世界各国でソーセージの形跡を見ることができる。台湾ソーセージのおいしさの秘訣は砂糖だ。早期、台湾で砂糖は高価な調味料だったため、それを使うことができるということは、経済的余裕を意味した。また、台湾は砂糖の生産地だったことも関係している。ソーセージを漬け込む際には砂糖を必ず入れる。これが台湾ソーセージの甘じょっぱさの秘密だ。食べるとき、台湾人はスライスしたニンニクといっしょに食べる。ぴりりと辛いニンニクと甘いソーセージが一体となり絶妙なおいしさとなる。生のニンニクが苦手な人には、冬に旬となるニンニクの茎を合わせるといいだろう。口の中ですてきなハーモニーが奏でられる。

肉の湯葉巻

海老棗 台湾ソーセージ鶏の水煮

五味のトコブシ

カラスミ

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おすすめのメイン料理:扁魚白菜、花生豬脚、鹽水鵝肉、紅蟳米糕、麻油雞、麻油腰花

タンパク質の豊富な前菜の後は、伝統的なヒラウオと白菜の料理で繊維補給しよう。これはまたの名を「ヒラウオの白菜煮」といい、屋台でもよく売られている食べ物だ。ルーロー飯に合わせるなど庶民の大好物だ。台湾中部の雲嘉南エリアでとれた白菜を使い、魚の皮と豚の皮、湯葉、ヒラウオ、卵の揚げカス、椎茸などといっしょにぐつぐつ煮込むだけの簡単料理だ。

おいしさの鍵は、東南アジアでとれるヒラウオによるだろう。天日干ししたヒラウオを弱火でゆっくり焼いて砕いた後、さっと炒めてから煮込む。この過程がこの味をアップさせる。

台湾では出産後の女性にとって欠かせない健康食の一つ。豚足はタンパク質とコラーゲンをたっぷり含み、子供を産んだ後の傷口を回復させ、母乳の出をよくする働きがある。またピーナッツは鉄分を補給し、母乳の出をよくさせる。この二つを組み合わせた醤油煮込みだから体によくないわけがない。

おいしい店では、台湾の上質黒豚を使っている。黒豚は肥料は一切使っていないので臭みが全くないのが特徴だ。使うのは子豚の前足だ。というのも、前足の動きは多いため肉質がしまっていておいしいのだ。豚足を洗い、毛を抜き取り、油抜きの三手間を惜しんではいけない。注文するときは、ご飯を頼むのも忘れずに。タレを熱々のご飯にかけて食べよう。

台湾料理の本質は閩菜を中心としたものだ。閩北福州人、閩南三邑人(南安、惠安、晉江)閩南同安、安溪、泉州人、漳州人、客家人などは、台湾料理の中の閩菜を主体としている。1895 年までの日本統治時代までずっと、閩菜の発展は台湾南部が中心だった。

ガチョウを塩水を沸騰させ茹でたシンプルな料理。内臓はスライスしてタレをつけて食べるとおいしい。肉は、生の生姜を細切りにしていっしょに食べるとさっぱりしておいしい。

ごま油は、台湾料理の魂ともいっていいほど大事なものだ。台湾各地においしいごま油料理がある。いいごま油は黒ゴマを煉り出して作った黒ごま油で、ビタミン E が豊富なことから、台湾では健康食材とされ女性は出産後に多用し栄養補給する。

ごま油は出産後の保養や冬の健康補助に欠かせない。鶏のごま油煮や腎臓のごま油煮、レバーのごま油煮、素麺のごま油煮など、新鮮な食材とごま油でおいしさ抜群。塩は加えないこと。生姜を合わせると体を温めてくれさっぱりいただける。

福州の有名な料理である「八宝ワタリガニ」のワタリガニを起源にしたこの料理は、早期、台湾ではめったに味わえない高級料理だった。おこわを主原料にしたのは、祖先への供物にするためで、ワタリガニのおこわの作り方は油に糯米を入れて炒めて炊くことで、おこわの食感がしっとりし味も濃厚になる。

この一品はよくお祝い料理に使われる。レストランでは子持ちのワタリガニが使われ、早く子供ができるようにという意味を兼ねている。かなりのボリュームでおなかがいっぱいになってしまうので、店では後のほうに出すようにしている。糯米は冷めると硬くなるので、熱々をいただこう。

ヒラウオと白菜の煮こみ料理

ガチョウの塩煮

ワタリガニのおこわ

鶏と腎臓のごま油かけ

ピーナッツと豚足の煮物

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おすすめの揚物:炸八塊、金錢蝦餅、脆皮大腸

日本統治時代に台湾料理店が発明した料理だ。 か つ て 台 湾 料 理 に は 揚 物 は ほ と ん ど なか っ た が、 日 本 の 洋 食 文 化 の 影 響 で 揚 物 が流 行 り、 一 匹 の 烏 骨 鶏 を 八 つ に 切 っ て そ れぞれを調理したものがこれだ。

使うのは鶏肉と新鮮な油。それに塩胡椒して 小 麦 粉 を ま ぶ し、 油 で さ っ く り と あ げ て食 べ る。 八 人 で 一 つ の テ ー ブ ル を 囲 め ば、一人一つ。ビールを片手にいただこう。

広東料理に起源をもつこの料理は、早期、内 臓 に 価 値 が な か っ た 時 代、 モ ツ を 薄 く スラ イ ス し て 油 で 揚 げ る と サ ク サ ク し て 薫 り高 い お い し さ に な っ た こ と か ら、 そ の 価 値が上がり、家畜農家の生計を助けたという。塩胡椒をつけていただこう!

これは日本人がポルトガル料理を改良して作ったコロッケを元にし、さらに改良したもので、バターとポテト、蝦などを合わせて油で揚げた料理だ。

台湾料理が日本とポルトガルに起源を置いているとは、じつにおもしろい。これにケチャップを合わせるのも、西洋を真似たものだ。

おすすめのメイン料理:潤餅、炒米粉

シンガポール、フィリピン、イ ン ド ネ シ ア な ど に も 同 じ よう な 食 べ 方 が あ り、 そ れ が 台湾 で さ ら に 脚 光 を 浴 び 今 の 形に な っ た。 台 湾 全 土 ど こ で も一年中売られている。

起 源 は 中 国 の 古 代、 河 洛 中原 に あ る。 立 春 の 際、 お 供 え物 に は 五 つ の 食 べ 物 が 供 え られ た。 も と も と は シ ン プ ル な食 材 だ っ た が、 の ち に 豚 肉 や卵、 乾 燥 豆 腐 な ど を ス ラ イ スし た も の が 巻 か れ、 お い し くな っ た。 清 明 節 の お 供 え に も使 わ れ て い る。 台 湾 で は 食 材も異なる。台南人では皇帝豆、新 竹 苗 栗 一 帯 で は 客 家 人 の 好き な 干 し 大 根 な ど が 加 え ら れている。

まだ食べたことがないなら、台 湾 料 理 の 店 で 頼 ん で ほ しい。文化を感じる一品だ。

台湾風の焼きビーフンは台湾全土の台湾料理店の看板メニューだ。干し海老、椎茸、豚肉、キャベツなどを炒めたあとに湯がいたビーフンを加えていっしょに炒める。海外に出ると最も食べたくなる台湾の味の一つだ。

台湾ビーフンといえば新竹が有名だ。毎年 9 月から 12 月になると強い風が吹き、おいしいビーフンができる。コシの強さがおいしさの決め手だ。見た目は簡単な焼きビーフンだが、本当においしい店というのはじつは少ない。火加減が大事で、焼きすぎてもしっとりしすぎてもいけないし、味をよくしみこませ、さっぱりとした状態にするにはかなりのテクニックが必要だ。その店の料理がおいしいかどうかは、焼きビーフンを食べてみると分かるといってもいい。

揚物八つ

海老の揚物

中華風生春巻き

焼きビーフン

パリパリモツ

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おすすめのスープ:魷魚螺肉蒜鍋、鳳梨苦瓜雞鍋、鹹菜肚片湯、佛跳牆

これは台湾料理だが、まったくの昔ながらの味とはいいがたい。というのも、当時は創作台湾料理といわれ、スルメとサザエは貴重な食材だった。しかし、台湾料理の店が大稻埕にあったことから、乾物屋の多いここではメキシコからのサザエと北海道のスルメが手に入りやすく、自然と出来上がっていった。

 酒を飲んだ客たちは最後は食欲がなく体が冷えていて、自然と暖かいスープを飲みたくなるから、できあがった料理だ。簡単に準備できおいしいので、客にとっても店側にとってもうれしい一品だ。

パイナップルは保存が難しく、大量 生 産 さ れ た パ イ ナ ッ プ ル を 解 決す る た め に 生 ま れ た の が パ イ ナ ップ ル の 漬 物 だ。 塩 と 麹、 砂 糖、 パイ ナ ッ プ ル を 半 年 前 後 漬 け 込 ん で作 っ た も の が そ れ だ。 お 粥 の お かず に し て も い い し、 鶏 の ス ー プ はさらにおいしい。

この鍋料理は、パイナップルの甘味が苦瓜の苦みと渋みを取り除き、さっぱりとしておいしい。

からし菜は客家料理には欠かせない食材だ。客家の女性が残り時間を利用してからし菜を植えて保存食にしたことに始まる。加工してさまざまな料理に活用し、残ったモツなどの食材と合わせておいしく調理したものがこれだ。からし菜を入れることでモツの油っぽさがなくなり、さっぱりしていておいしい。

からし菜とモツの二種は、台湾料理では有名な組み合わせだ。捨てるものを再利用した家計にやさしくおいしい一品だ。

濃厚で豊富な材料を豊富に使った一品で、知らない人はいない。宴会には必ず出る一品だ。手間がかかるうえに、食材も高価なものばかりだ。台湾人にとっては一家団欒の象徴でもある。あまりの香りのよさに、お坊さんも壁を乗り越えてやってきたという伝説のスープ、ぜひお試しあれ。

甕に入れて作るこの料理は、中に豚足やスペアリブ、タロ芋、白菜、モツ、タケノコ、鶉の卵、栗、椎茸、ニンニク、フカヒレ、干し海老、鶏肉、金華ハム、棗など高価な食材を中火でじっくり煮込んで作る。スープを一口頬張るたびに、口いっぱいにおいしさが広がる。レストランで頼みたいなら予約したほうが無難だ。

スルメとサザエのニンニク煮込み鍋

パイナップルと苦瓜の鶏鍋

からし菜とモツのスープ ぶっ飛びスープ

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おすすめのデザート:芋棗、甜麻糬

台湾風の甘じょっぱい絶妙な味の一品だ。タロ芋の皮を剥いて蒸した後、すりつぶして調味し、こねて楕円形にして油で揚げたもの。サクサクしていて、おやつにぴったりだ。アヒルの卵の黄身や肉そぼろが包んである豪華版もある。

原住民の「小米糕」、客家人の「粢粑」、閩南人の「麻糬」などいづれも餅料理だ。原住民文化では糯米は大事な食糧源で、お祭りの際には欠かせない供え物だ。餅を作るには手間がかかるが杵と臼でついた餅はねっとりとおいしく、はちみつを付けて食べるとおいしい。

客家人の「粢粑」と閩南人の「麻糬」もまた、糯米を使って作ったもので、餅にピーナッツやごまなどの擦ったものつけて食べる。お茶を合わせていただきたい。

おいしい台湾料理はどこで食べられるの? これらの紹介を読んでいたら、おなかが空いたのではないだろうか。大中山エリア付近にあるおいしい台湾料理の店をご紹介しよう。まずは北から、ちょっと遠いところで晴光市場雙城街にある欣葉餐聽、中山北路の小路にある明福餐廳。それから、六條通にある青葉餐廳、梅子餐廳、雞家莊餐廳。これらの台湾料理は歴史があり、どれも大人気店だ。ぜひこれらの台湾料理を味わってほしい。

タロ芋と棗

甘い餅

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アイディア美学を育てる楽園-華山文化創意園区

大中山の一角に位置した「 華山文化創意園区」のことだが、日本統治時代には「樺山町」(初任台湾総督「樺山資紀」の名前で命名)に位置し、市民大道や忠孝東路、八徳路に囲まれ、台北城の一角にあったわけである。斜めに走った八徳路は台北城から基隆へ行く大事な道路で、近くには官僚の宿舎が多数建てられていた。今日齊東街には未だにその木造宿舎群や台湾総督府高等商業学校(今の台湾大学社会科学部)、台湾総督府医学校(今の国立台湾大学医学部)が見かけられる。

正門も壁もないこのエリアは、のんびりした雰囲気で周りの賑やかな都市風景とは一線を画した。隣りの芸術村や電気街に繋がり、文化やアイディア、芸術、古跡を擁する、若者の生活態度を表すエリアとなっている。

文創空間

1.國際藝術村2.華山文化創意園區

美食餐廳

4.羊成餐廳5.阜杭豆漿

信仰古蹟

商店市集

3.光華商場

6.齊東街日式宿舍

3

市民大道

中山北路一段 新

生高架道路

忠孝東路一段華山文化創意園區

忠孝國小國立台北商業技術學院

臺北市立成功高級中學

華山市場

北平東路

青島東路

天津街

鎮江街

4

6

2

1 林森北路

林森南路

新生南路一段

齊東街

濟南路二段

濟南路一段

臨沂街27巷

齊東街53巷

八德路一段杭州南路一段

杭州北路

紹興北街

臺北車站

善導寺站

忠孝新生站

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かつては酒作りの中心地

「園区」の前身は大正 3 年(1914 年)に建てられた清酒工場「芳醸社」である。1922 年に日本政府は国有の専売局として接収し、出来上がった酒を鉄道ですばやく飲み屋の多かった九条通りへと運んだ。当時にしては、台湾最大規模の酒作り工場を誇っている。戦後には果実酒の研究開発で名を馳せ、酒作りの中心地となった。

そのときの建物は、未だに「園区」に残っている。そのうちの三棟、梅酒工場や煙突、高塔は、その歴史的意義と変わった外観という理由で、古跡に指定された。建物の外観や手すりの角度から、西洋の影響を受けた明治維新期の建築スタイルが窺える。また 1918 年、「園区」の傍らに建てられた赤レンガの建物は、かつては樟脳工場で、外壁にははるばる北投から運ばれた赤レンガが採用された。

緑の煉瓦や壁にあるリベット、急な階段など、過去の栄光は所々見かけられる。 また、赤い壁にもたれ掛かった老樹も如実に、過去の歴史を物語っている。

自由のアイディア楽園

1987 年、台湾経済の発展に従い、工場は林口に移されるようになり、広やかな敷地は誰も見向けしない廃墟になった。たくさんの知識人が提案、議論した結果、2001 年にこの地は台湾クリエティーブ産業の発信地として位置づけられるようになった。そして、2007 年に台湾文創発展会社が経営権を獲得し、この地を劇場、学校、陳列窓、創作の空間という四つの目的に利用させることに成功した。かつての酒の香りがアイディアに化し、多くのアーティストをひきつけるようになった。

「Legacy Taipei」 音 楽 の 初 心 を 思い出そう—張培仁

「滾石」の副社長兼「魔岩」の創立者であった張培仁自身は、閉鎖的な 80 年代に引き続きロック・コンサートの主催に成功し、「中国火」を中国の屈指のロックバンドへと推し進めたり、楊乃文や五佰、張震嶽など数多くの歌手を世に送り出したりした伝奇的な人物である。インディーズバンドや歌手に発表の場を提供するために、彼は観衆に感動を与えられるコンサートという理想に拘り、「Legacy Taipei 伝」を設立した。

「自分の生活を一つのスタイルに仕上げることこそ、競争力あり」という理念で、「Simple Life」を台湾人の生活スタイルと位置づけ、2006 年に華山で「シンプルな生活フェスティバル」というイベントを催すようになった。二年に一度行われたこのイベントでは、各デザイン会社をお呼びして、「園区」内で舞台を設置し、若者に音楽とアイディアを発表させる。台湾の音楽界に新風を吹き込んだだけではなく、海外の華人世界にも大きな影響を及ぼした。

「Trio Café」酒で生活を豊かに—王霊安 台湾屈指のソムリエ、バーテンダーを誇った王霊安最初は、「小美」会社でアイスクリームの製造を見習って、飲食業に携わるようになった。アメリカで仕事したことのあった彼にとって、バーテンダーの仕事とは、酒を混ぜて作るより、お客とのコミュニケーションがもっと大事だとされている。自己流のやり方、自分のカクテルを通して、人生の心得をもっとたくさんの友達に味わってもらえるために、彼が華山で「Trio Café」を開いたのである。

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「華山光点」映画から人生を体験する—侯孝賢

ベネチア国際映画祭の金獅子賞を獲得し、アカデミー賞外国語映画賞に候補されたことのある侯孝賢の映画作品は、いつも如実に社会の現実を反映している。台湾の人文教育に終始力を入れてきた彼は台北光点に次ぎ、新しく華山光点映画館を創設し、実験映画の公開放映によって若世代の視野を広げようとしている。また、回廊で映画関連の展覧会を催したり、Legacyのような、他のグループと連携してロック映画祭を企画したりして、精力的に仕事を進めている。

そのほか、一般市民向けの映画化粧やミュージカル映画の講座を行ったり、映画を勉強する大学生や社会人向けの専門的な講座を主催したりして、彼は民衆の映画教育を通して、民衆の問題意識を喚起させ、自国の問題を考えさせることに精一杯努めてきたのである。

台湾北部最大規模のアイディア実験区として、華山は文芸関係の人に十分注目されていた。具体的にどんな店が開かれている、どんなものが若者に人気があるのか、早速見てみよう。

Legacy Taipei 伝展演空間 大物バンドから、すがやかな新人まで、音楽の感動をその場で覚えさせる。

小酒 ヒッピー・ロック的スタイルと和風串焼きの組み合わせは、意外とぴったりだ。コンサートの後の二次会には最適だ。

風潮音楽本店 自然の音を網羅し、五感で音楽を生活に導入して、人々の大地への記憶を呼び戻そうとするお店。

CD Piazza 電 子 産 品 か ら 生 活 雑 貨 ま で、 品 揃 え の お店。ここに来たら、思わず微笑んでしまう。

1914 Connection 原住民文化とファッションとの絶妙な取り合わせのお店で、台湾初めての現代デザインナー商品専門店でもある。

好樣思維 アンティーク家具や書物、グルメ、服飾、アートを同じ空間に取り入れ、手作り商品で旅行者を想像の世界へと導く。

阿優依原住民精品百家店 鮮やかな色彩とトーテムによって、アイディア商品を生活雑貨に取り入れ、子供に台湾元来の文化特色を覚えさせようとする。

Alley Cat’s Pizza 手作りの、しかも焼きたてのピザに、広々としたソファや食事の空間などがあり、家族会食にはぴったりだ。

義麵坊小酒館

銅と鉄製のアンティーク家具で出来上がったスペース。色んなスパゲッティを味わえ、食欲がそそられる。

遠流別境

書店の入り口には、生活スタイルや美学、都市、人文芸術など、各分野の書物がずらりと並んでいる。

光點華山 各種映画祭の実験映画を放映する場所。一日中見ても飽きない。

青葉新樂園 自然の有機食材に本番の台湾料理手法で出来上がった台湾の会席料理。大地への敬意と故郷への思いを見取られる。

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追加上演(おまけ): 芸術と生活との融合を意味する台北国際芸術村

華山の芝生を通り過ぎると、天津街と和平東路の曲がり角に淡黄色の建物が見えてくる。各国のアーティストを招いてきて、各国の文化が互いに刺激し合う美学的な場所、台北国際芸術村である。芸術を通して、各都市間の交流や刺激をもたらすのが目的とされている。

各国のアーティストがここに住みながら、台北をテーマーに創作活動を続ける。毎年の夏と冬には、公開時間があり、市民たちはアーティストの創作活動と日常生活を目の当たりにすることが出来るほか、アーティストたちと直接対話することも可能である。変わった世界地図やガラスの上の手描き野生植物など、出来上がった作品は村の各コーナーに隠され、観客に見つかったことを待ち望んでいるらしい。

齊東街和風宿舍

物静かな齊東街には、1920 - 1940 年代に建てられた宿舎群がある。そのドアや庭から、かつては日本人が住んでいたことが分 か る は ず だ。 古 い 家 が 好 き な 旅 行 者 には、絶対お薦めのスポット。

光華商場

とにかく、アキバ系お宅にとっては、最高の場所だ。携帯電話から、パソコンやハードディスクなどまで、全ての電子産品が選り取り見取りだ。ただし、安くていいものを見つけるには、相当の体力と的確な判断力が必要である。

阜杭豆漿

並んでいるお客の長い行列から、この店の人気ぶりが分かるはずだ。燒餅油條(シャオビン ユウティァォー )が絶対お薦め。しかし、早いうちに買いに行かないと、すぐ売切れてしまうから、要注意だ。

羊成小館

30 年も歴史ある香港料理の老舗。味は香港 料 理 の 代 表 者「 楓 林 小 館 」 に 似 て い るが、安くて美味しいのが評判だ。

中山地区の逸話

華山市場の阜杭豆漿の厚い焼餅と香りのいい豆乳は、台湾人のみならず、多くの外国人観光客を引き付け、充実した朝ごはんのメニューを色々試してみたくなる。二人組の客が焼餅油条(焼餅に揚げパンを挟んだもの)を注文するときは、店員に油条を半分に分けてもらい、それぞれ違う種類の焼餅に挟むことができる。そうすると、焼餅油条のおいしさを味わいながら、お腹の空いたスペースに他の点心をあてることでもできる。この注文方法は台湾中で通用するので、恥ずかしがらずに大声で注文しよう。

阜杭豆漿、焼餅油条の新しい食べ方

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お店 住所 電話 営業時間

両替

第一銀行中山支店 104台北市中山区中山北路二段61号 +886-2-2521-1111 月曜から金曜まで09:00-15:30 台新銀行本店 104台北市中山区中山北路二段44号 +886-2-2568-3988 月曜から金曜まで09:00-17:00中国信託中山分行null 104台北市中山区中山北路二段106の

2号+886-2-2523-5222 月曜から金曜まで09:00-17:00

コンビニエンスストア+ATM

統一超商(セブン-イレブン)麥田支店

104台北市中山区中山北路3段47号 全日営業

統一超商(セブン-イレブン)行天支店

104台北市中山区農安街178号 全日営業

統一超商(セブン-イレブン)国賓支店

104台北市中山区中山北路二段75-1号 全日営業

統一超商(セブン-イレブン)撫順支店

104台北市中山区中山北路三段23-6号 全日営業

郵便局

台北中山郵局 104台北市中山区中山北路1段142号 +886-2-2542-6403 月曜から金曜まで08:00-17:00台北双連郵局 104台北市中山区中山北路2段96号 +886-2-2541-4332 月曜から金曜まで08:00-17:00

宿泊

華泰王子大飯店 104台北市中山区林森北路369号 +886-2-2581-8111 全日営業台北大倉久和大飯店 104台北市中山区南京東路一段9号 +886-2-2523-1111 全日営業台北国賓大飯店 104台北市中山区中山北路二段63号 +886-2-2551-1111 全日営業丹迪旅店天津店 104台北市中山区天津街70号 +886-2-2541-5788 全日営業晶華酒店 104台湾台北市中山区中山北路二段39

巷3号+886-2-2523-8000 全日営業

化妝室

中山駅 104台北市中山区南京西路16号B1 双連駅 103台北市大同区民生西路47号B1民權西路駅 103台北市大同区民権西路72号B1圓山駅 103台北市大同区酒泉街9-1号

警察署、交番

台北市政府警察局中山分局

104台北市中山区中山北路二段1号 +886-2-2541-2491 全日営業

台北市政府警察局圓山派出所

104台北市中山区中山北路3段62号 +886-2-2594-2750 全日営業

病院、クリニック

馬偕醫院台北院区 104台北市中山区中山北路二段92号 +886-2-2543-3535 全日営業

圓山

お店 住所 電話 営業時間台北市立美術館 104台北市中山区中山北路三段181号 +886-2-2595-7656 火曜から金曜まで、および日曜

09:30-17:30 土曜09:30-20:30、月曜は定休日

台北故事館 104台北市中山区中山北路三段181-1号

+886-2-2587-5565 10:00-17:30、月曜は定休日

児童育楽センター 104台北市中山区中山北路三段66号與玉門街33号

+886-2-2593-2211 09:00-17:00、月曜は定休日

圓山遺跡展示室 104台北市中山北路三段66号(児童育楽センター内)

+886-2-2593-2211 09:00-17:00、月曜は定休日

花博園区 104台北市中山区玉門街1号 +886-2-2182-8886 園区は全日営業、展覧エリア火曜から金曜まで09:00-17:00土日09:00-20:00、月曜は定休日

敦煌書局 104台北市中山区中山北路三段58号 +886-2-2599-1169 11:00-20:00圓山大飯店 104台北市中山区中山北路四段1号 +886-2-2886-8888 全日営業圓山水神社 圓山風景エリアにある 無 全日営業圓山地蔵庵 104台北市中山区玉門街11号 +886-2-2957-7057 全日営業樹楽集 103台北市大同区民族西路33号 +886-2-2599-1599 月曜から金曜まで12:00-21:00

土日11:00-21:00

晴光市場

お店 住所 電話 営業時間丁香豆花 104台北市中山区双城街12巷28号 10:00-22:00三井日本料理 104台北市中山区農安街30号 11:30-14:30、17:30-22:30三井極寿司 104台北市中山区農安街45-2号 11:30-14:30、17:30-22:30大同大学 104台北市中山北路三段40号中山北路ウェディングドレス街

104台北市中山区中山北路二、三段 店によって違います。

田莊酒吧 104台北市中山区双城街32巷5号 日曜から木曜まで20:00-04:00芋頭米粉 104台北市中山区双城街10号の1(晴光

市場80号屋台)+886-2-2591-4475 金曜、土曜20:00-05:00

欣葉台湾料理本店 104台北市中山区双城街34-1号 +886-2-2596-3255 11:00 – 24:00

阿萬鵝肉 104台北市中山区双城街17-1号 +886-2-2595-3507 11:00-02:00晴光紅豆餅 104台北市中山区双城街12巷16-1号 +886-2-2591-8496 11:00-19:00張家一品香滷味 104台北市中山区双城街12巷9-1号 +886-2-2597-4292 10:00-20:00晴光意麺 104台北市中山区農安街2巷18号 +886-2-2594-9470 10:00-19:30

聖多福教堂 104台北市中山北路三段51号 +886-2-2594-7914福利麺包 104台北市中山区中山北路三段23の

5号+886-2-2594-6923 06:00-23:00

双城街早夜市 104台北市中山区双城街與農安街 無 昼間屋台08:00-16:00夜屋台17:00-24:00

旅行情報インデックス

8382

Page 43: Greater Zhongshan Traverler's Handbook (Jp)

雙連市場お店 住所 電話 営業時間上揚唱片行 104台北市中山区中山北路二段77-4号 月曜から土曜まで10:00-22:00、

日曜は定休日大和日本料理 104台北市中山区錦州街17号 午前11:30–14:00、午後17

:00–23:00中山公民会館 104台北市中山区中山北路二段128号 火曜から土曜まで午前09:00–12

:00、午後14:00–21:00、月曜は定休日

文昌宮 104台北市中山区民生西路45巷9号 6:00-21:00台北戯棚 104台北市中山区中山北路二段113号 +886-2-2568-2677 公開:

月曜、水曜、金曜20:30-21:30、土曜20:00-21:30

双連市場 103台北市大同区民生西路45巷 火曜から日曜まで7:00-12:00、月曜は定休日

高級ホテルとブティック・エリア

店名 地址 電話 營業時間若竹鮨割烹 104台北市中山区南京東路一段13

巷6弄8号+886-2-2543-5125 月曜から金曜まで09:30-18:30

夢見哈比屯 104台北市中山区中山北路二段11巷7の2号

+886-2-2581-0826 日曜から木曜まで11:30 - 23:00金曜、土曜11:30 - 00:00

華山文化創意園区

お店 住所 電話 営業時間華山文化創意園区 100台北市中正区八德路一段一号 +886-2-3584-1914 09:30-21:001914 Connection (台湾デザインナー商品専門店)

100台北市中正区八德路一段1号 +886-2-2358-1933 日曜から木曜まで11:00 - 19:00金曜土曜11:00 - 21:00

Alley Cat’s Pizza 100台北市中正区八德路一段一号 +886-2-2395-6006 日曜から木曜まで11:00~24:00金曜土曜11:00~02:00

CD Piazza 100台北市中正区八德路一段一号 +886-2-2395-7572 11:00-21:30 Legacy 100台北市中正区八德路一段一号 +886-2-2395-6660 出演時間によって決めるTrio Cafe’三重奏 100台北市中正区八德路一段一号 +886-2-2358-1058 日曜から木曜まで12:00-01:00、

金曜土曜12:00-02:00一間茶屋 100台北市中正区八德路一段一号 +886-2-2393-2809 月曜10:00-20:00、火曜から日曜

まで10:00-21:00小酒 100台北市中正区八德路一段一号 +886-2-2395-1700 月曜から金曜まで18:00 - 02:00

金曜土曜12:00 - 02:00

光華商場 100台北市中正区市民大道三段8号 +886-2-2391-7105 10:00-21:00、火曜は定休日国際芸術村 100台北市中正区北平東路7号 +886-2-3393-7377 11:00-21:00、月曜は定休日

好様思維 100台北市中正区八德路一段一号(赤レンガ建物)

+886-2-2322-5573 12:00-21:00

羊成小館 100台北市中正区忠孝東路二段80号 +886-2-2396-0326 11:30-14:00、17:30-21:00阜杭豆漿 100台北市中正区忠孝東路一段108号

2階(華山市場内)+886-2-2392-2175 05:30-12:30、月曜は定休日

青葉新楽園 100台北市中正区八德路一段一号 +886-2-3322-2009 12:00~21:30 風潮音楽本店 100台北市中正区八德路一段一号 +886-2-2395-5053 日曜から木曜まで11:00-19:00

金曜土曜11:00-21:00

華山光点 100台北市中正区八德路一段一号 +886-2-2394-0622 11:00-23:00義麺坊小酒館 100台北市中正区八德路一段一号 +886-2-2395-7117 日曜から木曜まで12:00-23:00

金曜土曜12:00-00:00

遠流別境+別境寿司 100台北市中正区八德路一段一号 +886-2-2395-8839 別境書店11:00-22:00別境寿司11:30-14:30、17:30-21:30

齊東街日式宿舎 100台北市中正区齊東街53巷11号 +886-2-2391-7536 水曜から日曜まで10:00-18:00

条通エリア

お店 住所 電話 営業時間Coffee sweet 104台北市中山区中山北路一段33巷

20弄3号1階+886-2-2521-0631 月曜から金曜まで

09:30–18:30、土曜16:30-18:30、日曜は定休日

二條通珈琲館 104台北市中山区中山北路一段33巷1号

+886-2-2531-4594 12:00-21:30

大衆飯店 104台北市中山区林森北路107巷49号

+886-2-2521-1766 11:30-01:00

中山市場 104台北市中山区長安西路3号 +886-2-2541-4530 07:00-18:00、月曜は定休日中山基督長老教会 104台北市中山区林森北路62号 +886-2-2551-8480鰻料理京都屋 104台北市中山区天津街41号 +886-2-2541-9803 11:30-14:00、

午後17:30-22:00尚更 104台北市中山区中山北路一段135

巷8号+886-2-2511-2146 月曜から土曜まで午前

11:30-14:00、午後17:30-22:00

明福台菜海產 104台北市中山区中山北路二段137巷18の1号

+886-2-2562-9287 12:00-14:30、17:30-21:00

林田桶店 104台北市中山区中山北路1段108号 +886-2-2541-1354 月曜から土曜まで10:30-19:30、日曜日は休みの可能性あり

青葉 104台北市中山区中山北路一段105巷10号

+886-2-2551-7957 午前11:30-14:30、午後17:00-22:30

肥前屋 104台北市中山区中山北路一段121巷13号

+886-2-2561-7859 11:00–14:30、17:00–21:00、月曜は定休日

梅子 104台湾台北市中山区林森北路107巷1号

+886-2-2521-3200 11:30-14:00、16:45-01:00

梅屋敷(逸仙公園) 100台北市中正区中山北路一段46号 09:00-17:00、月曜は定休日喝康温事 104台北市中山区中山北路一段33

巷6号+886-2-2521-6917 火曜から土曜まで

12:00-19:00、月曜日曜は定休日

滿楽門珈琲 104台北市中山区長安西路2号 +886-2-2581-6088 11:00-21:00、日曜は定休日漢城石頭火鍋 104台北市中山区中山北路一段33

巷4号+886-2-2511-2326 11:00-22:30

双園燒臘 104台北市中山区中山北路一段110号の3

+886-2-2551-0098

鶏家荘 104台北市中山区中山北路一段105巷9号

+886-2-2541-8261 11:00-22:00

8584

Page 44: Greater Zhongshan Traverler's Handbook (Jp)

南西デザイン小路

お店 住所 営業時間‘0416×1024 Life Shop 104台北市中山区中山北路二段20巷

18号一階+886-2-2521-4867 13:00-22:00

the 223 hair salon 104台北市中山区中山北路二段50巷11号

+886-2-2521-3223 月曜から土曜まで11:00-20:00

BACK TO BRITISH 104台北市中山区中山北路二段26巷10号の一1階

+886-2-2568-1848 日曜12:00-19:00

Bon Bon Hair 104台北市中山区中山北路二段36巷31号

+886-2-2521-8357 13:00-22:00

galoop 104台北市中山区中山北路二段24号 +886-2-2568-2953 月曜から土曜まで11:00-19:30日曜11:30-18:30

KD hair salon 104台北市中山区中山北路2段26巷12-1号

+886-2-2523-3322 月曜から金曜まで11:00 - 20:00土日11:00 - 18:00

ORANGE公寓珈琲 104台北市中山区中山北路二段44巷21-2号

+886-2-2571-0508 11:30 - 23:00

PPAPER Shop 104台北市中山区中山北路二段26巷2号B1

+886-2-2568-2928 12:00 - 20:00

ruskasa家具 104台北市中山区中山北路二段26巷15-1号

+886-2-2581-2837 13:00–21:00、月曜は定休日

Sienna 104台北市中山区中山北路2段72巷20号一階

+886-2-2523-6458 月曜から土曜まで12:00-20:00

The One 104台北市中山区中山北路二段30号 +886-2-2536-3090 11:30–21:30Zakka club──加藤真治専門店

104台北市中山区中山北路2段20巷10号1階

+886-2-2523-7776 11:30-21:00

天空の橋L'arcobaleno 104台北市中山区中山北路二段42巷36号

+886-2-2541-5983 11:30–22:00、月曜は定休日

田園城市生活書店 104台北市中山区中山北路二段72巷6号

+886-2-2531-9081 月曜から金曜まで9:00-18:30

光点台北 104台北市中山区中山北路2段18号 +886-2-2511-7786 11:00-00:00地球樹 104台北市中山北路二段20巷8号 +886-2-2567-2559 12:00-22:00米朗琪珈琲館 104台北市中山区中山北路二段16巷

23号+886-2-2567-3787 平日07:30–22:00、

休日09:30-22:00

林果良品 104台北市中山区中山北路2段72巷18-1号

+886-7709-7757 12:00-21:30

玩銀工房 104台北市中山区中山北路2段20巷10-1号2階

+886-2-2531-9866 12:00-20:00

蔡瑞月舞踊研究社 104台北市中山区中山北路二段48巷10号

+886-2-2560-5724 10:00-17:00、月曜は定休日(レストラン以外)

薄多義 104台北市中山区中山北路二段36巷18号

+886-2-2511-1122 11:30–16:00、17:30–21:00

竇騰璜張李玉菁コンセプトストア[wum]

104台北市中山北路二段16巷1号 +886-2-2581-9866 12:00 - 20:00

Nichi Nichi日子珈琲 103台北市大同区赤峰街17巷8号 +886-2-2559-6669 13:00-22:00DE STIJL識得 103台北市大同区赤峰街33巷20号 +886-2-2552-7725 12:30 - 20:30、月曜は定休日isisnail莉朵莎ネール 103台北市大同区赤峰街17巷3号 +886-2-2555-7227 月曜から金曜まで10:30 - 20:00LOOPY鹿皮工作室 103台北市大同区赤峰街41巷1-3号

一階水曜から木曜まで13:00-19:00金曜から土曜まで13:00-21:00日曜13:00-19:00月曜、火曜は定休日

R9 Café 103台北市大同区赤峰街41巷13号 +886-2-2559-3159 11:00–22:00、月曜は定休日xiaoqi +g 103台北市大同区赤峰街17巷4号 +886-2-2559-9260 12:00-20:00、月曜は定休日小器 103台北市大同区赤峰街17巷7号 +886-2-2559-6852 12:00-21:00岩筆模 103台北市大同区赤峰街32-1号 +886-2-2558-3395 13:00-21:00、月曜は定休日61 note 103台北市大同区南京西路64巷10弄

6号+886-2-2550-5950 火曜から金曜まで12:00-22:00

Chez Moi(うちにいらっしゃい)

104台北市中山区南京西路23巷1の4号

+886-2-2567-4677 土日11:00-22:00、月曜は定休日

GALERIE BISTRO 103台北市大同区南京西路25巷2号 +886-2-2558-0096 7:30-22:30小器食堂 103台北市大同区赤峰街27号 +886-2-2559-6851 11:00–22:00台北當代芸術館 103台北市大同区長安西路39号 +886-2-2552-3721 水曜から金曜まで11:30 - 15:00台湾好、お店 103台北市大同区南京西路25巷18-2

号+886-2-2558-2616 土日11:30 - 18:00、月曜、火曜は

定休日這裡珈琲 104台北市中山区南京西路23巷5号 2

階+886-2-2511-2190 10:00–18:00、月曜は定休日

点点珈琲 103台北市大同区南京西路18巷4弄6-1号

+886-2-2558-8963 12:00-21:00、月曜は定休日

爆炸毛頭与油炸朱利 103 台北市大同区承德路二段1巷27号 +886-2-2552-5931 12:00-22:00蘑菇Booday 103台北市大同区南京西路25巷18の

1号+886-2-2552-5552 日曜から木曜まで10:00-21:00、

金曜土曜 10:00-22:00中山創意基地URS21 104台北市中山区民生東路一段21号 10:00-18:00、月曜は定休日

画廊

お店 住所 電話 営業時間Free S福利社 104台北市中山区新生北路三段82号

B1+886-2-2585-7600

VT Art Salon 非常廟芸文空間

104台北市中山区新生北路三段56巷17号B1

+886-2-2597-2525 火曜から土曜まで13:30-21:00、月曜日曜は定休日

八楼當代芸術空間 104 台北市中山区双城街19巷21号8F +886-2-2597-5919 11:00-19:00、月曜は定休日大趨勢画廊 103台北市大同区承德路三段209-1号 +886-2-2587-3412 火曜から土曜まで11:00-19:00、

月曜日曜は定休日典蔵創意空間 104台北市中山区中山北路一段121巷

9-1号B1階+886-2-2560-2220 月曜から金曜まで09:00-18:00

非画廊 104台北市中山区長安東路一段4-1号 +886-2-2562-0162 月曜から土曜まで11:00-19:00家画廊 104台北市中山区中山北路三段30号1

階の1後ろ+886-2-2591-4302 10:00-18:00

月曜日曜は定休日新楽園芸術空間 104台北市中山区中山北路二段11巷

15-2号1階+886-2-2561-1548 水曜から日曜まで13:00-20:00、

月曜火曜は定休日

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Page 45: Greater Zhongshan Traverler's Handbook (Jp)

編集長 韓良露編集顧問 朱全斌編集主幹 楊于萱 編集者 洪尚鈴、黃靖芬構成 林凌寧、呂明熹、鄧栩京、林巧若、陳曼平装丁 林凌寧日本語翻譯 明智工作室英語翻譯 施懿倫写真提供 臺北市立美術館、秋惠文庫特別な感謝 劉益昌、楊照、鍾永男発行 かぼちゃ

出版者 南村落有限公司住所 台灣台北市師大路80巷 10號電話 +886-2-8369-2963ファックス+886-2-8369-5076初版 2013年 9月

大中山旅人手帖 (日本語版 )/韓良露總集ISBN978-986-89503-3-7 ( 平裝 )

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