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エドワード・リアのリメリック 今年1988年はEdward Lear(1812-1888)がイタリアのサン・レモで誰に られることなく息を引きとってから100年目にあたる。去る6月初め,ウェストミン スター寺院のポエッッコーナーにおいて,リアのための記念銘板の除幕式が友人テニ スンの銘板の近くで行われた。350人の参列者を前にして,ウェストミンスター寺院 の首席司祭は,rここに眠る人々の中には,もっと才能に恵まれた人もいるかもしれ ませんが,愛すべき純真なこの人ほど多くの笑いを与えてくれた人はありません」と 式辞を述べた。 また3年前の1985年には,彼がほんの一時期その学院の見習生にしかなれなかっ た王立美術院(The Royal Academy of Arts)において,リアの絵画の展覧会が盛 に催された。こうして死後100年にしてリアは,はじめて画家・詩人として相応の社 会的栄誉を受けることになったのである。 画業のほうはともかく,リアの数々のノンセンス本が子供たちに顧みられなかった 時代はない。子供たちに親しまれてきたばかりではない。美術批評家ラスキンがrひ まなときの自分にとって,エドワード・リアに対しての半分ほども私が感謝している 作家はいない。私は彼をわが100人の作家のうちの第一に挙げる(1)」(r書物の選択」, ペルメルガゼット紙,1886年2月15日号)と証言しているように,リアはおとなた ちにも,長い間深いよろこびを与えてきた。リアのノンセンス本は,読む者に魂の高 揚を感じさせるような書物でもなければ,まして人生いかに生きるかを考えさせる必 読書でもない。しかし暇なときなど所々のぞいて見ると,その挿絵と共に人間という 奇妙な動物の生態について読者の想像力をかき立てる不、思議な本である。オールダ ス・ハックスリは,r私がその作品を1回以上読みたいと思う作家は少ないが,エド ワード・リアはまさにそうした数少ない作家のひとりである(2)」と言っている。 リアのノンセンス(ノンセンスライム・歌・物語・植物・アルファベット等)は,

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Page 1: HERMES-IR - エドワード・リアのリメリックhermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/8959/1/...エドワード・リアのリメリック 山 田 泰 司 今年1988年はEdward

エドワード・リアのリメリック

山 田 泰 司

 今年1988年はEdward Lear(1812-1888)がイタリアのサン・レモで誰にも看と

られることなく息を引きとってから100年目にあたる。去る6月初め,ウェストミン

スター寺院のポエッッコーナーにおいて,リアのための記念銘板の除幕式が友人テニ

スンの銘板の近くで行われた。350人の参列者を前にして,ウェストミンスター寺院

の首席司祭は,rここに眠る人々の中には,もっと才能に恵まれた人もいるかもしれ

ませんが,愛すべき純真なこの人ほど多くの笑いを与えてくれた人はありません」と

式辞を述べた。

 また3年前の1985年には,彼がほんの一時期その学院の見習生にしかなれなかっ

た王立美術院(The Royal Academy of Arts)において,リアの絵画の展覧会が盛大

に催された。こうして死後100年にしてリアは,はじめて画家・詩人として相応の社

会的栄誉を受けることになったのである。

 画業のほうはともかく,リアの数々のノンセンス本が子供たちに顧みられなかった

時代はない。子供たちに親しまれてきたばかりではない。美術批評家ラスキンがrひ

まなときの自分にとって,エドワード・リアに対しての半分ほども私が感謝している

作家はいない。私は彼をわが100人の作家のうちの第一に挙げる(1)」(r書物の選択」,

ペルメルガゼット紙,1886年2月15日号)と証言しているように,リアはおとなた

ちにも,長い間深いよろこびを与えてきた。リアのノンセンス本は,読む者に魂の高

揚を感じさせるような書物でもなければ,まして人生いかに生きるかを考えさせる必

読書でもない。しかし暇なときなど所々のぞいて見ると,その挿絵と共に人間という

奇妙な動物の生態について読者の想像力をかき立てる不、思議な本である。オールダ

ス・ハックスリは,r私がその作品を1回以上読みたいと思う作家は少ないが,エド

ワード・リアはまさにそうした数少ない作家のひとりである(2)」と言っている。

 リアのノンセンス(ノンセンスライム・歌・物語・植物・アルファベット等)は,

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 68 言語文化VQ1、25

今日Holbrook Jackson編,Th8Co卿ρ」吻No勿5θ,2580∫E4ωαy4L8α7(Faber and

Faber,London,1947)1巻に,あの卓抜な挿絵と共に全部収められている。280頁ほ

どの本である。もっとポピニラーなものには,ペンギンブックスにE伽曜4L8α〆5

1〉碗5θ”oθ0甥勉枷5がある。この本はジャクスンの本と配列が少し異るが,収めら

れている内容はほとんど変らない。

 小論では,自伝的・告白的要素が滲み出ている比較的長いノンセンス詩を扱うこと

は別の機会に譲り,リアがある時期まで倦むことなく書き続けた各篇5行から成る戯

詩リメリック(1imerick)200余篇だけを対象とする。

1

 リメリソクという用語は,PODの1日い版にrエドワード・リアの『ノンセン

ス本』によって世間に広められた種類の5行から成るスタンザ」と定義されているほ

ど,リアと結び付けて考えられやすいが,O E Dによると,この用語が初めて文

献に現われるのは1898年のことで,リア自身,その書いたものの中のどこにも,こ

の語を使っていない。また,この語によって示される詩型もリアの独創ではない。リ

ア1ま,この詩型で書くヒントを1832年から5年間,リバプール近郊のダービー伯ス

タンリー卿の私設動物園の動物をスケソチするために雇われていた間に,ある友人に

見せてもらった1820年代のはじめに出版された戯れ歌本から得たらしい。1872年に

公刊され、た『ノンセンス第2集』(Mioγθ2V伽εθη5β)の序文で,その本の中の特にrむ

かしトバゴに老人ありて」と始まる短詩に触発されて,スタンレー家の子供たちを喜

ばすために,これにならって同じ詩型の挿絵入り戯詩を書くようになったのだと語っ

ている。リアの言う原詩は次のようなものであった。(リアは「トバゴの老人」と言

っているが「病人」が正しいようだ。)

There was a sick man of Tobago,

Liv’(i long on rice-gruel and sago l

 But at last to his bliss,

 The physician said this一

“To a roast leg of mutton you may go!”

そのむかしトバゴの病人

長いこと米がゆとサゴ椰子食べてたが

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         エドワード

とうとう嬉しいことに

お医者のお許し一

r羊の焼腿肉に移ってよろしい」

・リアのリメリック 69

 上の引用から明らかなように,リメリックの韻律は弱弱強格で,aabbaと押韻する。

今日,この詩型が用いられるときには,最終行で警句的(または卑猴な)落ちを利かせ

る場合が多いが,リアのリメリックは最終行が第1行の部分的繰り返しとなっている

だけで,機知や奇抜さをねらったものはひとつもない。(上記ジャクスンの定本は各リ

メリックが4行に印刷されていて,本来のリメリックの第3行と第4行が1行に組ま

れているのでリメリックのふつうの定義に合わない。そこで以下,リアからの引用は,

5行に組まれているペンギン版を用いる。)まずリアのリメリックから1例を挙げる。

There was an Ol(i Person of Ems,

Who casually fell in the Thames;

 An(i when he was found

 They said he was drowned,

That unlucky Old Person of Ems,

そのむかしエムズの老人

うっかリテムズに落っこちた

見つかったとき

ひとびとの言う 水死だと

さても不幸なエムズの老人

 このリメリックをイギリスの子供が初めて読むと想像してみよう。はじめにrエム

ズの老人」とあるが,エムズという地名は英国では聞いたことがないし,どこか外国

の地名かしらと思うだろう。好奇心の強い子供であれば,自分で地図帳で調べるか親

に尋ねるかなどして,エムズが今日の西ドイツ西部の町エムスであることを知るで

あろう。ドイッ国エムズの老人が,いったいどんな用事があって英国にやって来てテ

ムズ川に落ちなければならないのだろう。いや,エムズの人が英国の川に落ちるとす

れば,テムズ川しかないのである。エムズと韻を踏む英国の川はテムズしかないから

だ,とすなおに受け入れてくれるだろうか。受け入れてくれなければ,このリメリッ

クは先へ進めない。ノンセンスの世界では,脚韻(rhyme)が常に理屈(reason)を

支配する。逆に言えば,エムズの人でなかったらテムズ川に落ちることはなかったは

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 70 言語文化Vol.25

ずなのである。ノンセンスの世界は,また人間の常識の圏外にあり,人智には計り知

れない運命が支配する世界でもある。第3行において,この老人はr発見される」が,

奇跡が起こって命拾いすることはない・foundと押韻する語はいくつも見つかるであ

ろうが,それらの語は二の老人を救ってはくれない。ゲームの規則上alive,wel1な

どを持ってくるわけにはいかない。どうしてもdrownedでなければならない。前2

行の運命の方向を逆転させることはできない・むしろ世間的常識の世界なら,この老

人は助かる可能性がある。しかしノンセンスの世界は不条理の支配する世界である。

第3行目がmired(泥にまみれて)であったなら,第4行目はtired(疲れて)で済

んだかもしれない。折角foundされたからこそdrownedされてしまうというアイ

・二一が,このリメリックでは働いているようだ。そして最終行で容赦なく,この老

人について審判が下される。rThat+形容詞+01d person+地名」という語順は,リ

アのリメリックの最終行によく用いられる語順であつて,その形容詞がこのリメリッ

クの揚合のように適切であることもあれば,また全く不可解,無意味と思われる揚合

もある。人間の論理に照らして適切であろうとなかろうと,審判は何か非人格的な権

威によって下されるのである。

 不条理とか運命といった言葉を持ち出すことで,子供らしい読みからはずれてしま

ったようである。だが少なくとも,こうは言える。リアのリメリソクに接することで,

子供たちは,人間の論理とは別次元の宇宙の論理といったものを感知するのではある

まいか。人間や物事の道理は家庭や学校で教えてもらえる。しかし人間が存在するこ

と自体の不条理一それは宇宙の論理の一部をなす一は,子供が各自感じとるほか

はない。

There was an O1(1Person of Cromerン

Who stoo(10n.one leg to rea(1Homer l

 V~「he皿he foun(1he grew stiff,

 He jumpe(l over the cliff,

~Vhich conclude(1that Person of Cromer.

そのむかしクローマーの老人

片足で立ってホーマー読んだ

からだがこわばると

がけの上から身を投げた

それでク・一マニの人一巻の終わり

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            エドワード・リアのリメリック           71

 ク・一マーはイングランド北ノーフォークの小さな港町である。その町の一老人が

ホーマーを読むことは想像できるが,なぜ片足で立って読むのか。足がこわばって体

が疲れたら,腰をおろして休めばよいのに,なぜがけの上から海へ身を投げてしまう

のか。挿絵には,左足を曲げて右足で立ち,蝶ネクタイをして額のはげ上った老紳士

が,満足そうな顔を上向き加減にして,両手にホーマーの大冊を広げて持って,がけ

っぷちに立っている。海のかなたには3本マストの船が見える。さきのエムズの老人

が,彼の与り知らぬ盲目のカによって命を奪われたのだとすれば(それはcasually

fe11,was drownedなどの副詞や動詞の性質や形によって暗示されている),ク・一

マーの老入は,一見すべて自分の意志から行動しているように見える。満足そうな微

笑を浮べた挿絵の老人の顔からは,人生を斜に構えた態度など微塵も察知することは

できない。この老人がなぜ海に跳び込まなければならないのか。ホーマーを読むだけ

のゆとりのあるはずの彼の心の中に,どんな不安定な情念がうごめいていたのであろ

う。いや,このようなことを考えるのは,見当違いの深読みというものであって,片

足で立ってホーマーを読むという行動自体,この老人の頭がおかしい証拠であり,疲

れたら海に跳び込むことが自然の成り行きであったことは,片足で立つ,疲れ’たこと

を見出す,跳び込む,という3つの連続的動作が,続き物の最終回の終わりに書かれ

るconcluded(完結)という語で結ぱれていることによって運命づけられていたのだ,

とあっさり説明することができる。

 リメリソクはrそのむかし…ありき」とうたい出すことを定石とする,非個性化を

強要する形式的しめつけのきぴしい短詩で,叙情詩の対極にある詩形式であるが,リ

アがあるいは無意識のうちに自分を語ったのではないかと思われるリメリックがいく

つかある。r序に代えて」(‘By Way of Preface’)と題する詩的自画像に「彼の鼻は

目立って大きい」と記しているように,鼻が長過ぎたり大きすぎたりする男女を扱っ

たリメリックが6篇ほどあり,4,5歳のとき発病して生涯彼をなやまし続けたある持

病が影を落としているのではないかと、思われるものが2篇ある。

Thele was an Old Man of guebec_

Abeetleranoverhisneck・            7 But he criedン“With a nee(11e

 I‘11slay you,O beadle!”

That angry Old Ma耳of guebec.

そのむかしケベソクに老人ありて一

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72 言語文化Vo1.25

 その首にカブトムシはう

 されどその人叫ぶ「針でもって

 殺してやるぞ このでしゃばりめ」

 さても怒れるケベソクの老人

There was an Old Person in Black,

AGrasshopperjumpedonhisback;

 V▽hen it chirped in his ear,

 He was smitten with fearp

That helpless Old Person in Black

黒き衣の老人ありて

その背にキリギリス飛び乗り

耳にさえずれば

その人恐怖におびえたり

さても困り果てたる黒衣の老人

 ここでカブトムシおよびキリギリスによって表象されているのは,おそらく持病の

てんかんのことであろう。リアはこの持病をよほど恥かしく思っていたらしく,親し

い友人にもひたかくしにしていた。人前で発作が始まりそうになると,そっと席をは

ずしたという。最初の詩では,カブトムシ(=てんかん)を教会で騒ぎが起こらない

ように小うるさく世話をやく嫌われ者の下級役員beadleよ,とののしっているのが

おもしろい。ビードルは教会でいわば針(needle)の役を受け持っているのであるが,

その針を逆手にとって殺してやるというのであるから,ますます痛快である。(リア

は正統的キリスト教会に対して反感を抱いていた。)

 次の詩では,男とほとんど同じくらいの大きさに描かれたキリギリスがかがんだ男

の背にうしろ足を立ててのしかかっている。男の口は開き顔は引きつっている。キリ

ギリスは大きな目をして口を少しあけてさえずっているようだ。(キリギリスは口で

鳴くのではないが,子供にはこの絵のほうがわかりやすいだろう。)キリギリスが鳴

くのはいつものことであるが,男はそのたぴにどうしようもない(helpless)恐怖に

襲われる。(リアのてんかんの発作は,ひどいときには月に18回もおこるこ・とがあっ

た。)リアは持病のてんかんをr悪魔」(“the demon”)と呼んでいた。このキリギリ

スは,その悪魔の化身なのだ。発作の徴候を直感的に感じ左ときの言葉と絵による見

事な描写がここにはある。

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           エドワード・リアのリメリック           73

 リァは病弱でありながら生活の資である風景図を描くために絶えず諸国を放浪し,

手紙や日記の中ではときに不遇をかこちながらも75年の生涯をけなげに生きた人で

ある。しかし,次のような老人に共感を覚えずにはいられないときがあったのではな

いかo

There was an O1(1Man of Cape Horn,

Who wished he had never been bom l

 So he sat on a chair,

 Till he died of(1espair,

That dolorous Man of Cape Honl.

ホーン岬に老人ありて

うまれざりしかばと思いっっ

いすにすわりて そのうちに

絶望のあまり世を去りぬ

痛ましきかな ホーン岬の人

 アフリカの南端が喜望峰(Cape of Good Hope)なら,南アメリカ最南端のホー

ン岬は,実際はどんな所か知らないが,それこそ絶望の岬なのであろう。うまれてき

たことを恨めしく思うのも当然かもしれない。ふつうの老人が病気で死ぬように,こ

の老人は絶望で死すべく運命づけられていたのである。最終行の形容詞dolorousは

暗く重い響きを持った語で,リアにしては珍しく情緒にぬれている。この老人は,も

しかしたら自分自身であったかもしれぬという思い入れが,この語にこめられている

ように、思われるo

 暗い例ばかり挙げてきたようであるが,他人にはうかがい知れぬ楽しみや幸福にひ

たっている老人がいないわけではない。トロイの町の見えるところで月あかりをたよ

りにスプーンで温かいブランデーと醤油を飲む老人,林の奥に入ってミソサザイやミ

ヤマガラスを友として読書を楽しむホーヴの老人,海の見えるところでティーといっ

しょに焼クモとチャットネを食べる・マンティソクなパトニーの老人,ク・バエとワ

ルツを踊り,月の光に合わせて美しい歌をうたって島の人たちをうっとりさせるスカ

イの老人,とりわけ一

There was an Old Person of Tring,

WhQ embellished his nose with a血g;

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74 言語文化Vo1.25

  He gazed at the moon

  EveryeveninginJune,

 That ecstatic Old Person of Tring,

 そのむかしトリングの老人

 鼻にリングのかざりつけ

 六月の夜な夜な 倦きもせず

 月を眺めて暮らす日々

 さても こうこつのトリングの老人

 絵では,老人と向かい合って,にこやかにほほえみかけている顔が中に描かれてい

る丸い月が,月と同じくらいの大きさの環を鼻の先に付け両手両脚を広げて歓迎の姿

勢で顔を上げてにこにこしている老人と目と目で語り合うかのよう一月と人間との

全き和合。昔から月の霊気に触れると人間は気がふれるというが,老人は月と同じよ

うな環を自分の鼻に付け自分のほうから月に働きかけることによって月の霊気を中和

させることに成功したのであろうか。霊気を中和させられるどころか,この月は太陽

のように周囲から光芒を放っているように描かれている。老人は至福の境地にある。

なお,トリングはイングランドのハーフォード州に実在する小さな田舎町であるらし

いo

 これまで男の老人を主役とするリメリックばかりを取り上げてきたのは,全212篇

のうちの大半(162篇)を占めているからである。ほかに老婆を主役とするもの12篇,

若い女性を主役とするものが28篇あるが,不思議なことに若い男性を主役とするも

のは1篇もない。老人や若い女性に向けたノンセンス化する想像力を若い男性に向け

ることがリアにとって全く不可能であったとは思えない。ただ,社会の外辺に住み,

根なし草的生活を送っていたリアにとって,これから社会的責任を担おうとするか,

またはすでに担い始めた青年たちをノンセンス化することは気が進まなかったのでは

ないか。彼らを椰楡または調刺することなら,やろうと思えば,できたであろう。だ

がそのためには,おとな向きの詩を書かなければならない。それは初めから彼の意図

したことではなかった。彼が目指したのは,あくまでも子供たちを笑わせることであ

った。英帝国の担い手たちをノンセンス化する考えなど毛頭なかったのである。

 リアのリメリックに登揚する主役たちは,老いも若きも社会的責任から切り離され

た位置に置かれた人たちである。彼らの行動や振舞次第で,何らかの形で社会が介入

して来ることはあっても,彼らが自ら積極的に社会に働きかけることはない。若い女

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           エドワード・リアのリメリック

性が主役を勤めるリメリックから1例を挙げると一

75

There was a Young Lady of Troy,

Whom several large且ies did a皿oyl

 Some she killed with a thump,

 Some she drowne(1at the pump,

And some she took with her to Trov

そのむかしトロイの町のお嬢さん

数匹の大きなハエになやまされ

何匹かはピシヤリとたたいて殺し

何匹かはポンプでおぼれさせ

何匹かはトロイヘ持ち帰る

 第1行のrト・イの若い貴婦人」という言葉から,『読者はト・イのヘレンなどを想

像し,彼女をめぐってどんな華やかなドラマが展開するのだろうかと期待する。少な

くとも,ノンセンスなりに何かはっとさせられるような事件が起こるのではないかと

期待する。だが彼女をなやますのは,うるさく言い寄って来る男たちではなく,ハエ

なのである。ト・イの若い貴婦人とハエという珍妙な取り合わせ一ノンセンスはそ

こから出発する。彼女は性格的に受動的であるわけではない。うるさいハエをピシャ

リとたたいて殺すだけの気概と,ポンプの水で溺死させるだけの残忍性と,殺したハ

エを里に持ち帰るだけの名誉心を持っている。そう言えば,これらの特性は,クリミ

ア戦争においてナイチンゲールが発揮した特性であった。しかしトロイの貴婦人にあ

っては,これらの特性がハエという限りなくささいな非社会的対象に対して発揮され

ているところに,このリメリソクのおかしさ,そして物悲しさがある。絵には,彼女

にたたき殺されたハエが,1,2匹左前方の地面に横たわり,右後方では2匹のハエが

ポンプの水を浴びており,中央には8匹のハエを突き刺した2本の槍のようなものを

掲げ持ち,古代風の長いガウンを着た容姿端麗な若い貴婦人が横向きに歩き出そうと

している。ちぐはぐで,どこかメランコリーな印象を与える絵である。このような貴

婦人が年をとって抑制心がなくなるとどうなるか。その1例が次にある。

There was an Old Person of Stroud,

Who was horribly jammed in a crowdl

 Some she slew with a kick,

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76 言語文化Vo1.25

  Some she scrunche(1with a stick,

 That impulsive Old Person of Stroud。

 そのむかしストラウドのおばあさん

 人込みの中で押しつぶされそう

 何人かはけって殺し

 何人かはステッキでばりばり砕く

 さても衝動的なストラウドのおばあさん

 ストラウドはグロスタシャーの大きなマーケットタウン。揚面はトロイから一転し

てイングランドの一地方に移る・最終行を除いて,表現の仕方はト・イのリメリック

とよく似ている。中央には,脚を広げてステッキを振り上げ,大きな帽子から覗く顔

に口をきっと結んで,寄らば斬るぞとばかり老婆が前かがみに立っている。彼女のま

わりには,10人ほどの男たちが腰を抜かしたり,ちぢみ上ったり,口を大きく開けた

り,両手を上げたりしている。すでに倒れている者もいる。彼女の激情の爆発に,み

んなショックを受けたのだ。永年培われて来た老婆の抑制力が一挙にくずれてしまっ

たのである。思いがけない語の並置一horriblylammed,slew/scrunched,impulsive

一特にscrunched(ばりばり砕いた)は,老婆の行動について用いるには凶暴な語

であろう。

 ト・イの若い貴婦人の非/脱社会的暴力からストラウドの老婆の反社会的暴力へ

一その距離は,どれほど近いのか,また遠いのか,それはわからない。

 リアは1872年の『ノンセンス第二集』の序文で,rこれらのノンセンスの(詩と)

絵には私人や公人に対する颯刺の意図は全く含まれていない。全体にわたってそのよ

うな誤解の生じないように,入念な配慮をしたつもりである。純粋で絶対的なノンセ

ンスこそ,終始,私の意図したところであった」と述べているが,当時実在した有名

人を思い起こさせるリメリックがいくつかある。

There was an Old Person of Wilts,

Who constantly walked upon Stiltsl

 He wreathed them with lilies

 And daffy-down-dillies,

That elegant Person of Wilts.

そのむかしウィルッの老人

いつも竹馬に乗って歩き

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          エドワード・リアのリメリック

竹馬をユリと水仙で

花輪のように飾った

さても優雅なウィルッの人

77

 この詩は,ケシかユリの花を中世風にささげ持ってピカデリー通りを歩いて回った

というあのダンディ,オスカー・ワイルドを思い出させる。もっともワイルドがこの

ようなダンディーぶりを発揮したのは1880年代のことであり,このリメリックが含

まれている詩集が出版された1872年には,ワイルドはまだダブリンのトリニティ・

カレッジにいたはずであるから,この詩がワイルドを皮肉っているとするのは全くの

誤りである。しかし,文学は時に予告することがある。今日この詩を読むと,どうし

てもワイルドを思い出してしまうのである。WiltsはWiltshireの略,図らずも綴

りがWildeに似ている◎

 次のリメリックは,いっそうの確かさをもってある政治家を思い起こさせる。

There was an Old Man at a Station,

Who made a promiscuous Oration l

 But they said,“Take some snuff!”_

 You have talk’d quite enough,

You a佃icting O1(1込一an at a Station1”

そのむかし駅に老人がいて

見境なく大演説をぶった

だが人々の言うrかぎたばこいかが

もうおしゃべりはけっこうです

駅でがんばるうるさいおじいさん」

 ここに描かれているのは,間違いなく1868-74年以降何回か英国の首相を勤めた,

自由党の領袖グラッドストンである。彼は選挙運動のために汽車で地方の小都市をこ

まめに回ったことが知られている。謹厳そのもののグラッドストンの独善的な長広舌

を聞かされることは,聴衆にとってずいぶんつらい(a田ictingな)ことであったろう。

熱弁をふるうグラッドストンに,鎮静剤としてかぎたばこをかぐことをすすめるあた

りに調刺が利いてる。なお,promiscuousという危うい語を用いていることにも注目

したい。ある単語に新しい意味が加わると,従来の本来の意味が弱められて,その意

味ではその語を使いにくくなる傾向がある。(今日の詩人なら,ワーズワスの水仙の

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 78 言語文化Vol.25

詩の1行“The poet could notbutbe gay/ln such a jocund company!”で『gaゾ

という語を誤解を受けるおそれなく用いることはできないだろう。)リアの時代には,

その頃新たに加わった明らかに性的な付随的意味と共に,本来のr雑多な1無差別の」

という意味も,まだそのカを失っていなかった。とすれぱ,リアは子供にとってはノ

ンセンスと聞こえるこの長い単語を表向きは正確に用いていることになる。だが,グ

ラッドストンが議会での討議が終ると,帰りがけにピカデリー,ソーホー,エムパン

クメント界隈の通りを俳徊して売春婦の誰かれに話しかけては,その更生にカを貸そ

うとしたという噂(これは単なる噂ではなく事実であったらしい),またリア自身20

歳前後の頃,友人と・ンドン生活を探索するうちに性病にかかったこと,これらのこ

とに照らしてpromiscuousという語がa租ictingという語と共に全くニュートラルな

意味で用いられているとは思えない。

2

 リメリックに用いられているリアの言葉には,しゃれ,語呂合わせなど子供をよろ

こばせるような遊ぴを狙ったものはほとんどない。大多数のリメリックにおいては,

言葉は適確に選ばれている。

There was an O1(1Man of Vesuvius,

Who studied the works of Vitruviusl

When the且ames bumt his book,

 To(1rinking he took,

That Morbid old man of Vesuvius.

そのむかしベスビアスの老人

ウィトルィウスの著作を研究したが

炎で本が焼けると

酒びたりになった

さても病めるひとベスビアスの老人

 ここにはノンセンスとしてのおもしろみはあまりないが,言葉の使い方は実に自然

でかつ適確である。Vesuviusと押韻する語としてVitmvius(紀元前1世紀の・一

マの建築家,初期ギリシア建築および自分の経験に基づいて書いたその著作『建築論』

はルネッサンスに大きな影響を与えた)という語が選ばれているのは巧妙であり(べ

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           エドワード・リアのリメリソク           79

スビアスという活火山のふもとで建築の勉強をすることに,物悲しいおかしみがある

のはもろちんである),勉強している本が火山の炎で焼けたからといって自暴自棄に

なって酒びたりになるのは,まさに病的(morbid)というほかはない。

 次のは表現が絶妙である。

There was a Young Lady of Tyre,

Who swept the loud chords of a Iyrel

 At the soun(10f each sweep

 She enrapture(1the(1eep,

And encha皿te〔l the city of Tyre.

そのむかしチュロスのお嬢さん

高らかに竪琴の絃をかきならす

かきならすその音のたびに

海原もチュ・スの町びとも

うっとりとききほれ,た

 絵を伏せて,この詩だけを読むとリメリックであることを忘れさせるほど美しい。

Tyre,Iyre,Tyreという3重母音から成る3重韻のやわらかさ,第2行目の1の頭

韻と長い3つの母音のひびき,第3行目のsの頭韻と同じく3つの長い母音,第4

行目の長・短・短・短・長の5つの母音の微妙な組み合わせ,そして最後にtの音

が3つ重なってTyreという語がたおやかに余韻をひびかせる。まさに選ばれた言葉

の意味と音が微妙に織り合わされることによって,紀元前12~8世紀頃栄えた古代フ

ェニキアの港町の栄華がうら若き佳人のほっそりとした指がかきならす竪琴の音と共

によみがえる思いがする。

 だが伏せて置いた絵を開いてみて愕然とさせられる。決して若くもなく佳人でもな

く,着ているものも紀元前のものとは思えない格好の女性が,中腰になって長い柄の

ついた箒で竪琴の絃を掃いているのである。そう言えばSweepという語の日常的な

意味はr箒で掃く(こと)」である。絵によってわれ’われは詩的次元から日常的次元

へ,崇高からこっけいへの激しい覚醒を味わされる。そこにノンセンスが成立するの

である・しかしノンセンス箒によっても詩情は完全にr掃き」消されてはいない。

 一方リアはr適切で適確な“形容辞”(‘‘epithets”)は,常に私にとっては不可能で

あった。考えることが言葉よりもいつも先に進んでしまうので(3)」とも語っている。

しかし次のような揚面では,リアならずともr適切で適確な形容辞」を見出すことは

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困難であろう。

There was an O1(i Man at a caseme皿t,

Who hel(i up his hands in amazement;

When they said,‘‘Sir,you’11fa11!”

 He replied,κNot at a11!”

That incipient OI(i Man at a casement、

窓ぎわに老人がいて

びっくりして両手をあげた

人びとがrだんな落ちますよ」と言うと

彼答えて「とんでもない」

さても窓ぎわの初期の老人

 開き窓のところに老人がいて,両手は窓の上枠から離れ,両足は窓敷居につまさき

立ちになっている。まゆはつり上がり,両眼は大きく見開かれ飛ぴ出さんばかり・近

所の人から「落ちますよ」という注意を受けるまでもなく,彼はもう落ち始めている

のである。したがって彼のrとんでもない」という返事は,言葉の厳密な意味におい

て正確であるわけである。こういう状況に置かれた人を一言で評するとすれば,子供

にとってノンセンス語であるincipient(=beginning)でも使うほかはないであろう。

ジ日一クを聞いて,しばらくたってからrああそうか」と気がつく楽しみに似ている。

 次の詩はどうであろうか。

There was an Old Person of Bamesフ

Whose Garments were covered with Damsl

 But they said,“Without doubt,

 You w皿soon wear them out,

You luminous PersQn of Bames!”

そのむかしバーンズの老人

着てるものは繕いだらけ

人々の言うことにrきっと

そのうち かがった所もすり切れるぞ

バーンズのこの採光十分男」

Bamesは・ンドンの一地区。Damesと韻を踏むために選ばれただけのことで特

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            エドワード・リアのリメリソク           81

別の意味はなさそうだ。問題なのは,最終行の1uminousという形容詞がどんな意味

で用いられているかである。この語はふつうr発光性の」という意味であるが,ここ

でその意味で辻褄を合わせようとしても無理である。だが,どうせノンセンスなのだ

からとあきらめてしまうのは早過ぎるようだ。O E Dに当たってみると,この語は

部屋などについて“We11-1ighted”(照明のよい,明るい)という意味で1610年以降

用いられていることがわかる。この意味で解すれば,繕った箇所もすり切れてしまっ

たら,確かにシースルーになって採光十分になるぞ,とからかっているのだというこ

とがわかる。

 同様に,立ち止ってしばらく考えさせるリメリックに次のようなのがある。

There was an Old Man of Peru,

Who never knew what he should do o                 ン So he tore o丘his hair,

 And behave(11ike a bear,

That intrinsic Old Man of Pem.

そのむかしペルーの老人

どうしたらいいのかさっぱりわからず

髪をむしり取るやら

クマみたいに振舞うやら

さても本来固有のペルーの老人

 絵が明らかにしているように,髪をむしり取ってしまうと,老人は確かに‘bare’

(bearとの地口)になるわけで,外的な付属物がいっさいなくなる。彼に残されたも

のは「彼自身の中にある本来固有の」(intrinsicな)ものだけになる。この難しい,

intrinsicという抽象語が恐ろしいほどの具体性をもって用いられているのである。

 しかし,いかに真剣に考えても一そうすること自体ノンセンスの精神に反するこ・

となのだが一どうしても説明のつかない語もいくつかある。

There was an o1(i Man of Pol土Grigor,

Whose actions were noted for vigourl

 He stood on his headン

 Till his waistcoat tumed red,

That eclectic O1(1Man of Po辻GrigoL

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 そのむかしポートグリガーの老人

 身のこなしの活発さで世に知れる

 その人逆立ちして とうとう

 チョソキが赤くなっちゃった

 さても折衷的なポートグリガーの老人

 ポートグリガーがどこの地名なのかわからない。リアが訪れたことのあるエジプト

かどこかの港町なのであろう。逆立ちして顔が赤くなるのは当り前であるが,チョソ

キが赤くなるというのはどういうノンセンスのつもりなのであろうか。そもそも,こ

ういう問いかけ自体が見当違いなのであろうか。さらにわからないのは,最終行の

eclecticという語の意味である。リアは学校教育こそ受けなかったが,6力国語に通

じた,常日頃広く読書した博識の人であった。この語のふつうの意味を十分に心得て

いて,ここでは何らかのひねりを加えたにちがいない。両手両脚を大きく開いて頭で

支えて逆立ちしている老人の絵も解釈の手がかりを与えてはくれない。

 次の詩についても同じことが言える。

There was an Old Person of Rye,

Who went up to town on a Flyl

 But they said,‘‘lf you cough7

 You are safe to fall oH!

You abstemious Old Person of Rye!”

そのむかしライの老人

ハエに乗って町へお出かけ

だが人びとの言うには「咳したら

きっと落ちちゃうぞ

この節制家のライの老人」

 ライは東エセックス州の小さな町。ハエに乗って町へ出かけるのはノンセンスの世

界では可能なのであろうが,その老人を評してr節制家」と呼ぶのはどういうことな

のであろうか。絵では,老人がその体よりも大きめのハエの後部にうしろ向きに危な

げに乗って空中に飛ぴ上ったぱかり。地面では小さく描かれた2人の男が叫ぶか,は

やし立てるかしている。咳も控えて乗っていなければならないのだから節制家と言っ

たのだろうか。子供たちにとつては,abstemiousという語はどうせノンセンス語な

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            エドワード・リアのリメリック           83

のだから,ハンプティダンプティ流に自分の思うままの意味をもたせて読んでよいの

だろうか・言葉の社会的に合意された意味の拘束から時々解放されるところにノンセ

ンスの妙味のひとつがあるのかもしれない。

 既存の語の既存の意味からの自由の先には,揚面に応じて新しい語をつくり,その

場面にふさわしい意味をもたせる言語使用者の自由がある。リアはこの自由を駆使し

て詩文の中でかなりたくさんの造語を試みていて,中でもmllcible[spoon]は辞書

に定着している。気がついた限りでは,リメリックの中ではombliferous,Moppsi-

kon FlopPikon[bear],scroobious,Fil-jomble,FILjumble,Fi1-rumble-come-tumble,

abruptiousなど造語がある。これらの造語は,文脈から簡単にその意味をつきとめ

ることができそうに思えるが,実際はそうではない。文脈がせまく特殊過ぎるからで

ある。1例を挙げると一

There was an Old Man of Thames Ditton,

WhQ called out for something to sit on;

 But they brought him a Hat,

 And said,“Sit upon that,

You abruptious Old Man of Thames Ditton!”

そのむかしテムズ・ディトンの老人

何かすわれるものを持って来いとどなる

だが人びとは帽子を持ってきて

言うにはrその上にすわったら

このわからずやのテムズ・ディトンのじいさん」

 場面はこうであろう。老人はr何かすわれるもの」,すなわち椅子とかスツール,ま

たは適当な木箱とか切株かを持ってこいと要求した。どんな身分の高い者であれ,人

に物を頼む以上,本来なら丁寧に依頼すべきなのに,老人はどなって強圧的に要求し

た。彼らにはそれが気に入らない。こういう不当な態度でなされた要求は,聞えない

ふりをして無視してもよいのだが,彼らはこれを機会にこらしめてやれとばかり,腰

をのせる椅子などの代わりに頭にかぶる帽子を老人のところに持ってくる。この場合,

老人を何と呼んでののしるのが適当であろうか。英語には,r礼儀知らず」を意味す

る既存の形容語句がたくさんある一badly-behaved,boorish,churlish,coarse,dis-

courteous7i11-behaved,il1-bred,il1-mannere(1,impolite,insolent,10utish,rude,un-

civil,uncouth,unmannerly等々。しかし,これらいわば手あかのついた語では彼ら

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 糾 言語文化Vo1,25

のうっぷんを晴らすことができないと感じて,リアはabmptiousという語をつくった

のであろう。この語,abruption(分裂,分離)という名詞が存在するのであるから,

その形容詞形として辞書に載っていてもかおしくないのであるが,不思議なことに,

O E Dにも収録されていない。abrupt十captiousのかばん語であるかもしれない。

上に仮に「わからずやの」と日本語訳をつけたが,当っているという保証は全くない。

 次のombliferousにいたっては完全にお手上げである。

There was a Young Person of Crete,

Whose toilet was far from completel

 She dressed in a sack

 Spickle-speckled with black,

That ombliferous Person of Crete.

そのむかしクレタ島のむすめさん

着こなしったらなっちゃない

黒いポチポチついた

大袋を着こんだ

さてもいい気なものよクレタ島のひと

 状況については何も問題はない。間題はombliferousという造語の意味をどう解す

るかだけである。絵では,黒い斑点のついた大袋にすっぽり身を包んだ,あまり美人

とは言えない女性が,rどう,すてきでしょう」といった自己満足の表情を浮かべて

立っている。日本語訳では絵をたよりに,苦しまぎれにrいい気な」と訳したが,こ

れまた当っているという自信は全く持てない。この語はombli+ferousの2つの部

分から成り,一ferousはr…を帯びる,生ずる,含む」の意の造語形であることはわ

かるが,肝心のombli一がどういう意味の語幹なのか,どんな大きな辞書にも載って

いないので見当のつけようがない。あるいはombli一はumbli一の異綴字かもしれず,

umblesはr(鹿・豚などの)食用臓物」という意味であり,語原的にはラテン語の

1umbus(r腰」の意)まで遡ることができるから,このあたりからombliferousの意

味をこじつけることも可能であるが,そんな推論はまず見当違いであろう・この語の

ひびきを楽しみ,接するたびに絵と言葉が伝えるメッセージに応じて意味をとればよ

いのかもしれない。リアのノンセンス詩を読んでいる中に,センスの解明にあまり真

剣になり過ぎている自分を見出した読者は,ここはノンセンスの世界であることを自

分に思い起こさせる必要がある。

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エドワード。リアのリメリック 85

3

 さきにリアのリメリソクに登揚する主役たちのr行動や振舞次第で,何らかの形で

社会が介入してくることがある」と書いたが,最後にリアの社会的視点について一言

して置きたい。

 リアのリメリックにおける社会または世間は,r~の人々」(“the people of”),通

例r彼ら」(‘℃hey”)によって表される。この点にはやく注目してオールダス・ハソ

クスリは,r‘彼ら’は世間であり,平均的市民である。‘彼らPは三文新聞の論説委員

たちが正しい物事をわきまえている人たちと呼ぶ連中である。ノンセンスライムは,

大部分,天才ないし奇人と世間の連中との間のあの永遠の闘争史から抜き出されたエ

ピソードにほかならない(4)」と言い,ジョージ・オーウェルもハックスリにならって

r‘彼ら’はリアリストであり,実際人であり,やりがいのあることをやらせまいと常

に汲々としている山高帽子をかぶった謹厳な市民たちである(5)」と言っている。さら

にリアの本格的な伝記を書いたアンガス・デビドスンは,もっと具体的に,rリアの

‘彼ら’にはいかに多くの言外の意味がこめられていることであろう。‘彼ら’は世論の

カであり,凡庸の陰うつな声なのだ。‘彼ぢは他人のうわさ話をやり,人を非難し,

詮索好きで因襲的であり,ほとんど常に無慈悲である(6)」と述べている。確かに,こ

れらの主張を裏書きするような証拠が相当多く見出されることは事実である。

 例えば,オーウェルが引用し,ハックスリが言及しているホワイトヘイヴンの老人

の運命がそうである。

There was an Old Man of、Vhiteha、・en,

、1▽ho(1anced a quadrille with a,raven;

 But they said,“lt’s abs皿(l

 To encourage this bird!”

So they smashed that Old Man o£NVhitehaven.

そのむかしホワイトヘイヴンの老人

大がらすあいてにカドリールおどる

だが人びとの言うrナンセンス

こんな鳥をそそのかすなんて」

そこで老人なぐり殺された

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 86 言語文化VoL25

 ホワィトヘィヴンはイングランド北西部のカンブリア州に実在する港町である。

r白い港」というこの地名は,やがてr(白く)汚れない天国」に通ずる。この美しい

地名をもつ港町で,一老人が伝説上常識的には不吉の前兆とされる大がらすとカドリ

ールを踊ったとて,それは全く老人の個人的な楽しみであるだけのこと,町の人々に

は何のかかわりもないはずである。彼らに何ら実害のおよぼす行為ではない。だが人

びとには,老人の罪のない楽しみが彼らの社会的秩序に対する脅威と映る。そこでな

ぐり殺してしまう。一日中どらを鳴らしているので,うるさいやつとばかりに同様に

なぐり殺される老人,その他変人ということで人々から肉体的実害をこうむる人物が

登揚する詩が5,6篇ある。暴力は加えられなくても,爪先で歩くメル・一ズの老人の

ようにr見るも不愉快だ,このうすのろ爺!」とどなられる者もいる。

 しかしリアのリメリックにおいて,r彼ら」世間が常に独善的加害者であり,奇人・

変人たちが常に被害者であるとする見方は,一面的に過ぎるのではなかろうか。リア

は他人との関係の両面を見ることができたように(彼は詩的自画像の中で,自分のこ

とをr気むずかしくて変人と思う人もあるけれど/なかなか愉快な人と思う人も少し

はいる」とうたっている),彼はこれら変人たちと対処しなけれぱならないr彼ら」

世間の人たちにも理解をもつことができたはずである。

 ホワイトヘイヴンの老人は完全に無害であるけれども,社会から制裁を受けても,

ある程度仕方がないと思われる者もいる。

There was an O1(1Person of Buda,

、へ7hose conduct grew ruder and ruder,

 Till at last with a hammer,

 They silence(1his clalllour,

By smashing that Person of Buda。

そのむかしブーダの老人

だんだん乱暴がひどくなる

とうとうハンマーで

人びと彼のわめき声を静めた

ブーダのその人をなぐって

 ブーダはブタペスト(Budapest)の略。ハンマーでなぐっておとなしくさせると

いうのは,ずいぶん荒っぽいやり方であるが,そうでもするよりほかになかったのだ

ろう。パルマ(イタリア北部の都市)の物静かなお嬢さんが町の人ぴとからr口がき

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           エドワード・リアのリメリック           87

けないの」ときかれて「ふ一ん」とだけ答えるのは,たぶんもっともであろうが,バ

ートンの老人のように,人びとにr今日は」と挨拶され’て,rお前さんはだ一れ」と

答えるようでは人ぴとは困るのではなかろうか。ネコと踊り,帽子の中でお茶をいれ

るなど乱雑きわまる生活をしている国境の老人の生き方は,近所の人たちの生活とは

なんのかかわりもないはずであるが,まわりの人たちの秩序ある生活を象徴的な意味

ではおびやかすことになる。リア描くところの変人たちは,確かに向う見ずな生活を

しているのであり,ある見方からすれば社会の大勢に反対する反逆者・殉教者のよう

に見えるが,別の見方からすれば,何の目的もなく文明社会の規則を破る単なるわか

らず屋のようにも見える。リアのリメリソクの主役たちの間には,オーウェルの言う

r愛すべき非常識」(㌔miable lunacy”)ばカ・りでなく,それと同じ位たびたび,度し

難い身勝手,自己破壊性,無意味な暴力などが表面に現われる。頭を手おけに入れて

柵にすわり,ひねくれた幻想に耽るウォーキーングの老人や,わけのわからぬ激怒に

駆られて,20マイル四方の敷物を全部引き裂き,水差しを全部割ってしまうニュー

リーの老人のような者もいるのである。

 数少ない例ではあるが,逆に,個人の苦しみに対してr彼ら」が救済の手を差し伸

べる揚合もある。

There was an Ol(1Person of Fife,

Who was greatly disguste(1with life l

 They sang him a ballad,

 And fed him on Salad7

Which cured that Old Person of Fife.

そのむかしファイフの老人

人生にうんざりしてた

人ぴと彼に民謡をうたってやリ

サラダを食べさせた

それでファイフの老人元気になった

時には変人の振舞がr彼ら」を喜ばせることすらある。

There was an Ol(1Person of Filey,

Of whom his acquainta皿ce spoke highly l

 He danced perfectly wel1

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  To the sound of a bell,

 And delighted the people of Filey.

 そのむかしファイリーの老人

 知り合いたちにほめそやされる

 鐘の音に合わせておどる

 みごとな踊りに

 ファイリーの人々喜んだ

 以上の簡単な例証からも明らかなように,詮索好きで悪意のある社会が常に一方的

に罪のない個人を苦しめるとする見方は,リアのリメリソクの全体像をかなりゆがめ

るものである・むしろリアは,リメリソクの多くに託して,個人の自由と社会の安定

との対立という永遠に解決を許さない課題を,一方に偏ることなく模索していたのだ

と言えるかもしれない。

1。Vivien Noa1【es・E4ωαγ4 L8α伊ア812-1888(Royal Academy of Arts,London,1985),

p,188.

2。AldQus Huxleyン“Edwar(1Lear”,in O%’h8ハ4Fσγ8伽(ChattQ&、Vindus,1923),p.167.

3。‘‘Edwar(1Lear;Laureate of Nonsense”,Introduction to Co形μθ∫8ヱ〉oηεβ㌶5θ,R xxiv。

4. Huxley,02う.6露,,pp.169-170.

5。George Orwe11,“Nonsense Poetry”(Tγめ襯θ,21December1945),in TゐβCoJJθo’84

E53αッ5,10曜郷」お賜催4五躍8γε,Vo1.IV(Penguin Books,1970)量p.67.

6・Angus Davi(1son,E4躍砂4五θαア」五朋450砂8Pα加∫θy㈱41〉o螂8郷θPoθ’(John Murray,

Londonンsecond e(lition1968)p.196、

7。 Orwe11,0ρ,6∫’,,p.66,