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Hitotsubashi University Repository Title � : Author(s) �, Citation �, 132(3): 315-339 Issue Date 2004-09-01 Type Departmental Bulletin Paper Text Version publisher URL http://doi.org/10.15057/15289 Right

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Hitotsubashi University Repository

Titleオペラに描かれた子ども像 : フンパーディンクのオペラ

『ヘンゼルとグレーテル』の場合

Author(s) 井上, 征剛

Citation 一橋論叢, 132(3): 315-339

Issue Date 2004-09-01

Type Departmental Bulletin Paper

Text Version publisher

URL http://doi.org/10.15057/15289

Right

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オペラに描かれた子ども像(141)

オペラに措かれた子ども像

- フンパーディンクのオペラ 『ヘンゼルとグレーテル』 の場合

[ はじめに

ある作品に子どもが登場するということは'大人と子ど

もがひとつの作品という場を共有することである。このと

き、作品が創作者である大人の感情や感覚が仮託されるか、

反映される場である以上へ 大人である自分自身の感情や感

覚を完全に排除することは不可能である。したがってへ 作

品は'大人の抱-感情や感覚と子どもの抱-感情や感覚と

によって共有される場となる。その共有の場に発生する、

大人と子どもの感情や感覚のずれを読み取ることが'文学

や芸術作品に子どもが登場する意味を考えるときに最も必

要なことである。この作業は'社会や教育において、大人

が子どもと相対する際にも、必要であろう。

井  上  征  剛

オペラに子どもが登場するときへ 作曲家と描かれる子ど

もとの感情や感覚のずれは'あからさまに示されているこ

とが多い。オペラの舞台では'子どもの声と容姿は'大人

のそれと比べると極めて小さくて また宜弱に映る。一方へ

大人の歌手が子どもの役を演じると、今度は逆に'声も容

姿も実際の子どもに比べて極めて強くたくましくなってし

まう。オペラにおいて、子どもは非常に使いに--'また

使うと目につきやすい存在なのである。逆に言うと'オペ

ラは大人が子どもを何らかの意図をもって利用するという'

文学や芸術や社会に共通する事実が隠蔽なしに示される場

であり'子どもの描き方や感情を自らの都合のよい方に引

き寄せようとする自分を認識する手段として、非常に有効

である。

315

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一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号(142)

オペラに子どもが登場するときに発生する問題が初めて

表面に出たのは'ドイツの作曲家エンゲルベル-・フン

パーディンク (Engelbert Humperdinck,1854-1921) の

オペラ 『ヘンゼルとグレーテル Hansel und Gretel』

(1893) においてである.このオペラにおける子ども像を

考える際にまず注目に値するのは、この作品で初めて子ど

もがオペラの主人公として描かれたことである。したがっ

て、子どもの言動や個性がどのように描かれているかを把

握することが、当然必要な課題となる。しかし、子どもを

主人公として描-ことの背景にメールヒェン・オペラとし

てのオペラ『ヘンゼルとグレーテル』 の特徴があることへ

また、この作品の成立プロセスが十九世紀の中産階級の状

況や発想を反映しており、主人公の描き方も当時の中産階

級の価値観と関係があることも見落とすことはできない。

これらの問題を突き詰めていくと'オペラ『ヘンゼルとグ

レーテル』 における子ども像を把握することは、十九世紀

末の大人と子どもの関係において発生した問題を、作品に

おける子どもの描き方から読み取るt ということになる。

ここでは、オペラ『ヘンゼルとグレーテル』 において、

子どもが主人公としてオペラ劇場に登場することになった

プロセスを追うことから始め、メールヒェン・オペラとし

ての特徴を、さらに主人公として子どもたちが与えられた

個性について考察し'彼らの個性が作品をめぐる社会状況

をどのように反映しているかについても議論する。その結

果、このオペラが子ども向けの単純な教材であるにとどま

らず、大人と子どもがひとつの芸術作品という場を共有す

るときに常に存在する問題を明示していることが見えてく

るだろう。そのとき明らかになる事柄は、その後のオペラ

において子どもを描-際に生じた問題や、十九世紀末から

現在に至るまで大人と子どもの間に存在してきた問題にも

通ずるものである。

二 作品の成立

316

どうかお願いしますへ お兄さまへ そして私のために、

本当に素敵で民衆的な曲を書いて-ださい。二声用に書

いてもらえるとたいへんよいのですが、高すぎるのは困

ります。『白雪姫』 の 「森の歌」 は'少し高すぎました

(-)

から。

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オペラに描かれた子ども像(143)

一八九〇年へ フンパーディンクは'妹のア-デルバイ

ト・ヴェッテ (Adelheid Wette,1858-1916) から、こう

書かれた手紙を受け取った。この手紙は'医者である彼女

の夫ヘルマン・ヴエツテ (Hermann Wette,1857-1919)

の三十四歳の誕生日 (五月十六日) に、彼女自らが台本を

書きへ子どもたちが上演する劇『ヘンゼルとグレーテル』

のために音楽を書いてほしい、という依頼の手紙だった。

この時フンパーディンクが作曲したのは'「踊りの歌

Tanzliedchen」、「眠りの歌 Schlummerliedchen」へ 「朝

の目覚ましの歌Morgenweckruf」へ 「こだまの歌Echo-

(2)

-ied」 の四つの劇中歌で'これらの曲は'ヴェッテ夫妻の

ふたりの子どもへ 八歳のイゾルデと七歳のグードルンがピ

(3)

アノを伴奏に歌う、という設定で書かれたらしい。

この 「リーダーシュピール Liederspie亡 が、その年

のうちに'周囲の勧めによって 「ジングシュピール Sine

spielJ に書き改められた。--ダーシュピール版での四

曲のうちへ このジングシュピールに残されたのは 「踊りの

歌」一曲だけだった。この 「踊りの歌」 は変ホ長調からヘ

長調に移調され (したがって長二度高-設定され) ると同

(4)

時に少し手直しされた (「朝の目覚ましの歌」 はオペラ化

-

-

使

'

えるt という方法で復活した)。この他へ 新たに十五の曲

-

の父グスタフ・フンパーディンク (Gustav Ferdinand

Humperdinck,1823-1902) の詞へ さらに民謡や、ホフマ

ン・フォン・ファラースレIベ ン (Hoffmann von

Fallersleben,1798⊥874) の詞、ルートヴィヒ・アルニム

(Ludwig Achim von Arnim,1781-1831) とクレメン

ス・ブレンクーノ (Clemens Brentano,1778-1842) によ

る 『少年の魔法の角笛 Des Knaben Wunderhorn』

(1808) からの引用と'さまざまな作者によるものが少し

(5)

ずつ使用された。テキストの選択や構成は'作曲者とヘル

(6)

マン・ヴェッテが相談して決めていたと思われる。この段

階で'主役であるふたりの子どもたちは大人の女性歌手が

歌い演じる形になっている。さらに、最終的にオペラとし

て完成されたのは1八九三年のことである。

このようなプロセスを見る限り、メールヒェン・オペラ

として 『ヘンゼルとグレーテル』が成立したのはへ たまた

317

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一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号(144)

ま義理の弟の誕生祝いでメールヒェンを題材に音楽を書-

ことになったからへ といういわば偶然が作用しているよう

に思える。ただし、この成り行きが完全に偶然によるもの

だけとは言い切れない面もある。一八九〇年に、フンパー

ディンクはコ-ック・オペラを書こうとして題材探しを

行っていた。この時へ たとえばコジマ・ワーグナー

(7)

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(Carlo Gozzi,1720-1806) のメールヒエン 『からす

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'

グ-ルパルツァー (Franz Grillparzer.1791-1872) の

『夢は人生 DerTraumeinLeben』(1834)を提案するt

という動きがあったが、そんな中でアIデルバイトが自分

で--ダーシュピール 『ヘンゼルとグレーテル』 のテキス

トを改変してオペラの台本にしようへ と申し出たことが

あった。この提案はいったんフンパーディンクによって退

けられた後、ヘルマン・ヴェッテや、作曲者の婚約者へド

ヴィグ・タクサー(HedwigTaxer,1862-1916)らの説得

があって取り上げられた'という経緯がある。民衆劇風と

される『夢は人生』をヘルマンが推したことヘ アーデルバ

イトがリーダーシュビール 『ヘンゼルとグレーテル』 の作

曲依頼にあたって 「民衆的な音楽」という注文をつけたこ

とを考えると'フンパーディンクの周辺では早い時期から

「民衆」 を意識したオペラの計画が存在しておりへ その題

材としてメールヒェンである 『ヘンゼルとグレーテル』が

浮上した、と考えられる。

したがってへ 「民衆オペラ」 としての 『からす』 や 『夢

は人生』作曲プランの延長線上に、オペラ『ヘンゼルとグ

レーテル』 の成立プロセスはある。このように考えると、

--ダーシュピールからジングシュピールへ'さらにオペ

ラへという改変の進行は、家庭用の劇からドイツ・メール

ヒェンの本質を体現する本格的なオペラ制作へへ という制

作動機の変化のプロセスと言いかえることができる。実際へ

手直しを加える段階でしばしばへ 『ヘンゼルとグレーテル』

のメールヒェンとしてのオペラ化について、またグ-ム兄

弟 (ヤコブ・グリム Jacob Ludwig Karl Grimm,1785-

1863¥ヴィルヘルム・グ-ム Wilhelm Karl Grimm,

1786-1859)版とジングシュビールやオペラとの差異につ

:o:

いて議論が交わされ、オペラの上演後には作曲者の父が'

メールヒェンの採取と編纂を行った功績でグ-ム兄弟と並

び称されるルートヴィヒ・ベヒシュタイン (Ludwig

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オペラに措かれた子ども像(145)

Bechstein,1801-1860) による 『ヘンゼルとグレーテル』

との比較を論じるt ということがあった。ズザンネ・マイ

アIは'オペラの歌詞や台本にベヒシュタイン版とグ-ム

兄弟版のそれぞれから引用したと見られるフレーズが見ら

れることを理由に'ふたつの版が混ぜ合わされたという見

(9)

解を示しているが'さらにファラースレ-ベンの詩や『少

年の魔法の角笛』 に収録されている歌もテキストとして用

いられていることを考えると'十九世紀に行われたドイ

ツ・メールヒエンの編纂作業を集約するものを目指して'

(2)

オペラ『ヘンゼルとグレーテル』が書かれたt といえる。

グ-ム兄弟版とベヒシュタイン版を統合してオペラ化す

る際に消された要素で最も目立つのは'飢餓という深刻な

事態が単なる空腹に和らげられる (したがって父親の商売

が繁盛することによってあっさり解決される) ことと'両

親による子捨てのモチーフがな-なり、ただのいちご摘み

にこれも和らげられることである。これはヴォルフラム・

(=0

フンパーディンクのいう'教育上の配慮という理由が考え

られるがへ その他にへ ドイツ・メールヒエンの本質を体現

するオペラとして、オペラ 『ヘンゼルとグレーテル』がど

のような形を取るべきかt をフンパーディンクと周辺の

(2)

人々が熟慮し試行錯誤した結果であった、と考えられる。

三 「メールヒェン・オペラ」としての特徴

フンパーディンクがオペラ 『ヘンゼルとグレーテル』を

作曲した背景には'十九世紀末のドイツにおいて'ワーグ

ナーの模倣の域を出ないオペラばかりが書かれた'という

(2)

事情がある。この停滞を打開する解決策としては'たとえ

ばテーマや音楽において娯楽性を求めたコミック・オペラ

の手法や'イタリアで書かれへ他国にも波及したヴェ-ズ

モ・オペラの手法があった。フンパーディンクが一八九〇

年にコ-ック・オペラの題材を探していたのもう ワーグ

ナー後のオペラの在り方を探る動きに影響されたからでは

ないかへ と考えられる。

ドイツのメールヒェンをもとにしたオペラも、ワーグ

ナーの楽劇とは異なる方向性という発想から書かれるよう

になったものであり'オペラ『ヘンゼルとグレーテル』 は、

十九世紀末から二十世紀初期にかけて量産された、いわゆ

る 「メールヒエン・オペラ」 の最初の成功作として語られ

ることが多い。ワーグナーの模倣に陥らないためにへ フン

パーディンクがこのオペラに盛り込んだ工夫でまず目につ

319

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一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号(146)

くのは、ドイツの童謡をもとにした音楽をさまざまな場所

で用いたということである。民謡や童謡の引用は'聴き手

の民族意識を高揚させるというEIl的で'十九世紀後半に多

くの作曲家たちが使用した手法である。しかしオペラ『ヘ

ンゼルとグレーテル』 の場合へ民謡風の音楽は'作品に緩

急をつけて聴衆の耳を引きつけるための工夫として用いら

れた面もある。三つの幕それぞれの冒頭で童謡をもとにし

た音楽が登場することがへ その代表的な例である。第一幕

の 「かわいいズーゼ」へ 第二幕の 「森に小人が立っている」

は'グレーテルによって歌われる。第三幕では'間奏曲の

冒頭に登場する 「お菓子の家の動機」 (後に、魔女が家の

中から子どもたちに声をかける場面で歌われる) が'「猪

とねずみ」という遊び歌からの転用ではないか、とマイ

a)

アIはみておりへ イルメンは 「ハンスはベーターよりもよ

(2)

くできる」という歌との関連を指摘している。

これらの、幕開けに登場する'親しみやすい旋律を持ちへ

伴奏もさほど複雑ではない音楽にはも まず幕の導入として

(2)

分かりやすい素材を提示する、という役割がある。しかし'

もともと全幕を休みなしに上演することを念頭にこのオペ

ラが書かれたt ということも考えに入れておかな-てはな

らない。実際、出版されている楽譜では第一幕の結尾で

'r=,

いったん音楽が区切られる形も示されてはいるが、現在で

はほとんどの上演が、第一幕から切れ目なしに第二幕へと

入っていく形を取っている。つまり'単に幕の導入として

のみならずへ 幕と幕のつなぎ目という視点からも'三つの

幕開けの音楽それぞれについて考えてみる必要があるので

ある。ま

ずへ 第一幕の前の序曲は'基本的に 「『めでたしめで

たし』 につながるもの (ライトモティーフ) だけで構成さ

(2)れ

」 ておりへ わ-わ-した気分を聴衆に与えようという意

図を-み取ることができる。そのことを最もよ-反映して

いるのは'ハ長調の第一主題部から'第二主題部に移る部

分だ。第一主題の中心となっている「祈りの主題」 につい

てへ パーレンは非常に静かであり、美しい音色であり'物

思わしげであり'希望に満ちているとした上で、このオペ

(2)

ラの基本にある考え方は援助への希望だとしているが、こ

こでパーレンのいう静けさと美しさと希望とは'理想とし

て設定された家族像における、理想として設定された日常

像を反映したものでもある。

一方へ 「魔法を解く主題」 をもとにさまざまな動機が組

320

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オペラに描かれた子ども像(147

み合わされている第二主題では'調が第一主題のハ長調と

は遠いホ長調に変わり、さらに小太鼓やトライアングルな

どの打楽器が入って耳新しい印象を与えている。「祈り」

という子どもたちの日常が、「魔法」 という非日常に飛躍

する瞬間の期待に満ちた驚きを、ここからは感じることが

できる。つまり序曲は'ハッピーエンドの約束された冒険

を前にへ聴衆の期待感を高める'という役割を担っている

のである。

第一幕と第一一幕の問で演奏される間奏曲「魔女の騎行」

では、舞台が家という日常空間から森という非日常空間へ

と移る。子どもたちが親の保護を脱するという意味でも'

物語が主人公たちの冒険へと推移する瞬間だ。ここでは'

「魔女の騎行の動機」 を主体に'十七回転調が行われて第

(S)

二幕に至る。第二幕と第三幕の間に入るのは子どもたちの

夢の場面である。ここで想定されているのは'十四人の天

使が出てきてふたりを見守るという'バレエによる壮大な

スペクタクルである。そのためへ 音楽は「祈りの主題」と

「眠りの主題」 を軸に、ゆるやかな転調をしつつ厳粛な盛

り上がりを見せる。

このように、幕と幕の間では'魔法へ 魔女、夢ないしは

天使という'幻想味豊かな場面が描かれる。この後に'そ

れぞれへ家の手伝いの場面、森で遊びながらいちごを集め

る場面へ朝占いった、いわば生活感あふれる場面への転換

が行われることによって、作品の高揚はいったん静められ

る。この高揚から沈静への変化は'音楽においては'転調

を繰り返しっつ短い動機を複雑に重ね合わせる管弦楽曲か

ら'素朴で耳になじみやすい童謡調への変化という形でな

ぞられる。三つの幕の冒頭が'それぞれ、ハ長調、ヘ長調、

変ロ長調という'比較的開けたイメージを与える調である

こともへ このことと関係があるだろう。

高揚から沈静への変化は、他にも例えば、子どもたちが

森の中で眠りの精に出会う場面とそれに続-「夕べの祈

り」や'魔女が死んだ後で'それまで魔女につかまってお

菓子にされていた子どもたちの登場する場面でもみられる。

これらの場面では'いずれも童謡をもとにした音楽が用い

(S)

られている。

こうして、童謡にもとづく音楽をオペラに組み入れるこ

とで'オペラ『ヘンゼルとグレーテル』は一定の分かりや

すさと緩急とによって聴衆の耳を引きつける作品となった。

このオペラが示した分かりやすさと緩急とは,いかに複雑 泌

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一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号(148)

化させるか'ということにこだわる余りに閉塞状況に陥っ

たドイツ・オペラの新しい発展の可能性を示しただけでな

-、聴衆が身近に感じることのできる登場人物と冒険を共

にするような感覚でオペラを観ることができるという'オ

ペラにおける物語の描き方の新しい局面を開いた。緩急の

うち緩にあたる部分では'童謡が引用されることによって、

子どもたちが観客にとって親しみやすい存在として印象づ

けられ'この後に続-子どもたちの会話によって、彼らの

個性が表現される。急の部分では'そんな彼らの個性が危

機の発生に際してどのように発揮されたかが措かれる。こ

の部分の音楽がハッピーエンドを前提とした緊張と高揚を

演出しているためにへ観客は心地よい緊張の中で'子ども

たちの冒険を楽しむことができるのである。

四 子どもを主人公として扱うということ

それでは、オペラ『ヘンゼルとグレーテル』 において、

観客にとって親しみやすい存在であり、心地よい緊張の中

で冒険を繰り広げる子どもたちの個性は'どのように表現

されているのだろうか。

兄妹の家が舞台になっている第一幕では'絶えず不満を

述べるヘンゼルに対して、グレーテルが父親の得意の格言

を持ち出して説教する。

322

ヘンゼル もう何週間も、ひからびたパン以外のもの

を食べていないよ。こんなに苦しまなきゃい

けないなんて'やってられないよー

グレーテル 黙って'ヘンゼル、お父さんが言ってる

ことを考えてよ。よくお母さんが弱気になる

と言ってるでしょう、「苦しみが最も厳しく

なった時にこそへ 主なる神は手をさしのべて

∴∵

くださるのだ」 って。

両親にいいつけられた仕事をさぼって踊りを踊ろうt と提

案するのはヘンゼルだが'彼がすぐにうまく踊れないt と

文句を言うと'グレーテルは親切に踊り方を教えてやる。

ヘンゼル ぼくは踊りはからっきしだめだな'ねえ妹、

.ぼくにはできないよ。だから見せてくれよう

どんなふうにやるかを、そうしたらへ ぼくも

踊りを覚えられるから!

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(149)オペラに描かれた子ども像

グレーテル あんよでとんとんとんとやって'お手々

でぱちぱちばちとやって、l回こっちへ'一

回あっちへ'ぐるっと回って'難しいこと

(cv]>

じゃないわー・

ここでは'ヘンゼルが現状に対して文句を言い'グレーテ

ルがそんな現状の中に楽しみを見つけるt という対比が行

われている。またこの幕では'冒頭の 「かわいいズーゼ」

や、ポルカ調で兄を慰めるところや踊りの歌など'音楽の

面でもグレーテルが常に新しい楽想を提示している。一方へ

ヘンゼルの音楽上の役割は、与えられた楽想を繰り返した

り展開させたりへ ということに限られている (語例一)。

ふたりが踊っているところに、不意に母親が現れたとき、

ヘンゼルとグレーテルの性格の違いはさらに明確になる。

母親に怒られる危険を察知したグレーテルは'真っ先に

「ヘンゼルが-」 とも 自分が仕事をさぼっていたのはヘン

ゼルのせいであって自分には何の責任もないかのような素

振りを見せる (譜例二)。ヘンゼルは自分の名前が出てか

らあわててグレーテルに罪を押しっけようとするが'すぐ

にグレーテルが 「-お兄ちゃんがね-」と言うと'うっか

り妹の言葉に調子を合わせてへ 「-ぼ-がしなくちゃいけ

なかったのは‥」と'あたかも自分が悪いことを認めるか

(3)

のような発言をしてしまう。このように第一幕では、なま

けものの気があり不器用なヘンゼルへ利発で兄を--ドす

るグレーテルという性格づけがへ物語と音楽の両面で行わ

れている。

ところがへ第二幕に入ると'ふたりの関係は逆転する。

第二幕の舞台である森は'ヘンゼルとグレーテルが両親と

安全に暮らしている世界とも 魔女が子どもたちを捕まえて

食べようとしている世界との境界にあたる。家に帰る道を

見失って安全な世界との接触が断たれたことによってへ グ

レーテルはすっかり弱気になってしまい、今度はヘンゼル

がグレーテルを--ドすることになる。

グレーテル こわいわ、こわいわへ 家にいるのだった

らいいのに- 森がとても不気味に見える

わ!

ヘンゼル グレーテルへ ぼくにしっかりつかまってて、

ぼ-がお前をつかまえていてやるよ'お前を

(S)

守ってやるさ-・

323

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一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号(150)

語例1 フンパーディンク/オペラ『-ンゼルとグレーテル』第1幕より

「踊りの歌」で、 ①グレーテルが楽想を提示し、 ②-ンゼルが追随する例O

語例2 オペラ『-ンゼルとグレーテル』第1幕より

①母親の怒りに対し、 ②グレーテルが先に反応し、 ③-ンゼルは後から反応するO

Enge】ber(. Humperdinck, Hsnsel und Gretel. Kla¥

(Mainz: Schott, 1992, ED8029), S. 36-37, 41.

321

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オペラに描かれた子ども像(151

第三幕の舞台は、魔女の領域である。グレーテルは、前

の晩に見た天使の夢の記憶が残っている間は'守られてい

るという意識から利発さを取り戻しておりへ朝ヘンゼルよ

り早く目を覚ましたり'魔女の 「ぽりぽりへ ぽりぽりへ が

りがりと'家をかじるのは誰だ?」との問いに「風の子だ

(<x>)

よ」という答えを発見したりする。けれどもいざ魔女と相

対する段になるとち グレーテルは話すことすらできな-な

りへ専らヘンゼルが魔女と話をすることになる。魔女がふ

たりの前に姿を現してからふたりに魔法をかけるまでにも

ヘンゼルが魔女に七回応答する一方で'グレーテルは二回

しか応答していない (そのうち一回は'ヘンゼルの応答に

追随したものである)。それまでふたりが常に互いに応答

しあっているだけに'ここでの台詞の偏りは目立つ。

ヘンゼルとグレーテルは'魔女に捕らえられた後へ ふた

りの優れた点を出し合って協力することでも魔女の企みを

挫-ことに成功する。この時、ヘンゼルはグレーテルにう

かつに話をしないように注意したり、魔女が彼女をオーブ

ンに押し込もうと狙っていることを知って注意したりとい

う形で指導力を発揮し'グレーテルは魔女の杖でヘンゼル

にかけられた魔法をこっそり解いたり、魔女をだまして逆

にオーブンに押し込んだりとも 持ち前の知恵を武器にする。

ところがへ魔女が死んで危機が去ると'ふたりの関係は再

びへ 家にいて安全だったときの状態に戻る。ヘンゼルは主

導性を失って、魔女にお菓子にされていた子どもたちが

「わたしにさわってください'目を覚ますことができるよ

うに」と言うと'グレーテルに「お前が触るんだへぼ-は

(」)

自信がないから」と重要な役目を押しっけるのである。

この後へ父親の歌が遠くから聴こえて-ることによって、

固耶E

ふたりが両親と暮らす世界に戻ってきたことが示される。

この場面の音楽は、それまでの歓喜の音楽とはうって変

わって突然短調になっているが'これは第一幕での、弱相

から歌い出され、コントラバスの軽快な-ズムに乗った滑

稽な歌とは違い、管楽器の旋律や和音と弦のト-ルによる

響きが暖かみを出していることと'それまでのニ長調の世

界に準六度の和音を介してニ短調が忍び込んで-るという

手法とによってへ感傷的な要素が加味されている。またへ

強拍から歌い出され'-ズムが第一幕とは違って付点を含

まないことから'第三幕の父親の歌は'第一幕の歌にはな

かった'落ち着いた雰囲気を持っている (譜例三-イ'

ロ)。この'感傷的に響-父親の歌は'子どもたちの'日

325

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一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号(152)

常の世界から非日常の世界へと踏み込んだ冒険が終わりへ

お互いが持てる個性を出し合って困難を切り抜けていく時

間が過ぎ去ったことへの安心と落胆を反映しているがへ こ

のことについてはまた後で触れる。

ふたりの性格は、基本的に怠け者で知恵が働-ともいえ

ないが'困難な状況では頼もしさを発揮するヘンゼルへ 怖

がりだが知恵がありへ 特に (家の中のように)安全が確保

された状況でその利発さを発揮するグレーテル、というよ

うに描き分けられている。ふたりに与えられた性格はさら

に、頼りになる男と家庭を支える女という男女のステレオ

タイプを'仕事よりもつい遊びに力が入ってしまったり'

悪いことをしたら責任を互いに押しっけあうという「子ど

(29)

もらしさ」を混ぜ合わせた上でなぞっている。そしてふた

りは'それぞれの 「男の子らしさ」、「女の子らしさ」を発

揮することでも危機を打開するのである。このようにへ オ

ペラ 『ヘンゼルとグレーテル』 におけるふたりの子どもの

姿は'性格を与えられた子どもとして'オペラにおいて新

しい存在である1万で、理想の生活の在り方と'理想の家

族像の枠内にある、きわめて図式的な「男の子らしさ」、

「女の子らしさ」 を割り当てて作られたものでもある。そ

して、この図式的な子どもたちの個性は'十九世紀の市民

社会における子どもの位置、づけを反映している。

五 オペラ 『ヘンゼルとグレーテル』と'社会にお

ける子どもの在り方との関係

オペラ 『ヘンゼルとグレーテル』 に登場する子どもたち

が'それなりの個性を与えられつつも図式的な男の子像、

女の子像に収まった背景には'子どもと音楽の結びつきが

中産階級の勃興によってもたらされたこととへ その中産階

級にとって'子どもにどのような教育を施すべきかが重要

な問題だったことがある。

アリエスのよく知られた議論の通り、子どもが 「小さな

大人」 ではなくへ それ自体特徴を持った存在として認識さ

(g)

れたのは'十七世紀のことである。その頃になってようや

く子どもの特徴に注目した肖像画が見られるようになった、

(S)

とア-エスは見ているが、音楽において子どもが視野に

入ってくるのはまだ先のことで'少なくとも十九世紀に入

KcoJ

るまでは'極めて限られた数の 「神童」を除けば'子ども

は苦楽の世界から除外される存在だった。

十九世紀に音楽が子どもという存在を具体的に扱うよう

326

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(153) オペラに描かれた子ども像

語例3イ オペラ『-ンゼルとグレーテル』第1幕より

父親登場の歌O ①弱拍からの歌い出し、 ②コントラバスによる伴奏の他に、

付点を含むリズムから、軽快さを出す意図を読みとることができる。

同1 ,.__ _日.       it。nvKiicm] VATER① (f。hig′calmly)回Gem納Iich (J. =J)      昌toS

Ral - la-Ea-la.  ra!- la-latrcTWfll-tpam  りwmtih - Vh -

6)

語例3"a オペラ『-ンゼルとグレーテル』第3幕より

父親再登場の歌。 ①ニ長調の準6度から②ニ短調-の進行、 ③強柏からの歌い出し

④低音部のトリルによって、暖かさと落ち着いた雰囲気が済出されている。リズムは

付点を含まない、ゆったりしたものになっている。

Enge】bert Humperdinck, ′伽蝣sel und Grelel. Klav.

(Mainz: Schott, 1992, ED8029), S. 49 195.

327

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一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号 (154)

になったのはう 西洋音楽において中産階級の影響力が大き

-なったことと深く関わっている。ジム・サムソンによれ

ば'一八四八年の革命運動に続-二十年間に'政治的抑圧

の一方で経済上の自由が奨励され、このような背景のもと

で社会的に伸張してきた中産階級が、音楽に関わる複数の

層をへ その経済力によって支えたり取り込んだりした。こ

うして成立したい-つかのジャンルの中に、家庭音楽があ

る。家庭音楽として書かれる作品は、ブルジョワ家庭で披

露されるへ アマチュアによる演奏に供されることが前提に

なっていたために、短くて演奏しやすいものでなくてはな

らなかった。こうして、民謡調による作品や'中産階級に

受け入れられやすい、有名曲の編曲ものやダンス音楽、標

(co)

題音楽などが数多く作曲された。

家庭音楽は'それらの受け入れられやすい小品の楽譜が

大量に出版され、中産階級の子女によって演奏されるへ と

(3)

いう形で消費された。中産階級の親たちが子どもに苦楽を

習わせたのは、多くの場合、演奏家にするべく育てるため

ではなくて、公開の場でピアノなどの楽器を演奏させるこ

とで、その家庭において充実した教育が行われていること

を世間に誇示するためだった。十九世紀中頃から一一十世紀

初頭にかけての欧米で書かれた児童文学作品で'それほど

の熱意もなくピアノを練習する (させられる) 子どもがし

ばしば登場するのは'このような家庭のあり方を反映して

Ken)

いる。オ

ペラ『ヘンゼルとグレーテル』 の原型となった--

ダーシュピールは、豊かな家庭で'父親の誕生祝いのため

に上演された劇であった。台本は子どもが演じるという前

提で書かれておりへ 子どもが歌えるような、演奏の容易な

曲が付けられている。父親は劇の上演をプレゼントされる

立場であり'母親が子どもたちを指導して上演を企画するへ

という構図は、父親が生計の獲得と外界に対する家の代表

という役割を担い'母親が家事や教育を受け持つという、

十九世紀後半の典型的な市民家族生活の在り方を反映して

Kcr>)

いる。つまり、リーダーシュピール 『ヘンゼルとグレーテ

ル』 の上演もまたへ ブルジョワ家庭で展開されたへ その家

庭における教育の充実度を反映させた催しであり、家庭音

楽の一つの典型なのである。

328

中産階級の人々が子どもに施すべき教育として抱いてい

たイメージを知る手がかりは、児童文学にある。十九世紀

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(155) オペラに描かれた子ども像

後半から二十世紀初頭にかけての児童文学作品は、「正統

的な教育」 の重要性を訴えるものが多かった。音楽を扱っ

た作品ではヘ アメ-カの作家ルイザ・メイ・オールコット

(Louisa May Alcott,1832-1888) の書いた 『第三若草物

語 Little Men』 (1871) や'ドイツの作家アグネス・

ザッパー (Agnes Sapper.1852⊥929) の 『愛のl家

Familie Pfaffling』 (1906) がある。『第三若草物語』 に

登場する少年ナット・ブレイクは'流しのヴァイオ-ン奏

者だった父親と共に放浪した後に、主人公ジョーが夫と共

に経営する寄宿学校に保護されて教育を受けへ後にドイツ

へ留学する。『愛の一家』 では'音楽教師のペフ-ング氏

が、アコーディオンをこよなく愛する三男フ--ダー(七

人きょうだいの六番目の子ども) にヴァイオ-ンを与える。

フリーダーはアコーディオンをあきらめてヴァイオリンを

学ぶことで'正しい方法で音楽に取り組むことができるよ

うになるのである。『愛の一家』 には'甘やかされてすっ

かり気持ちが荒んでしまった「神童」も登場する。ふたつ

の作品に共通するのは'正式な教育を受け、しかるべき教

師について修行を積むことこそが'立派な音楽家になるた

めの唯一の道だt という考え方である。

正式な教育を受けて成長するということは'中産階級の

価値観をしっかり身につけて既成の市民社会を担う人間と

なるへ ということを意味する。十九世紀末のドイツの場合へ

さらに自らの民族とその文化を愛するということがこれに

加わった。それは、工業化の進展によって社会の流動化が

進んだことと、人文主義学問の優位がゆらぎ始めたことか

ら'影響力が滅過しはじめた教養市民層が、文化による民

(S)

族精神の統合を掲げて、優位を保とうとしたからである。

既成の市民社会の価値観に沿ったものへ 民族精神を高める

ものを子どもに与えるという観点から'ドイツではメール

ヒエンや民謡へ童謡が、残酷な内容を省かれるなど、安全

な内容を持つものへと変質させられ、故郷のシンボルとし

て、ドイツの民族意識と結びつけられて紹介されるように

なった。このようにして選別された民謡や童謡は、歌詞は

ごくオーソドックスな日常生活や自然を描写し、単純な和

(8)

芦や旋律を持つものが多い。

オペラ『ヘンゼルとグレーテル』 において用いられる童

謡もへ この傾向にあてはまるものである。童謡風の音楽が

開放的なイメージを持つ調で書かれたことも'民謡や童謡

が選別される課程との共通点を連想させる。したがってへ

329

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一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号(156)

各幕の初めで童謡風の音楽が、序曲や間奏曲で演奏されて

いた、複数の動機が複雑にからみあう管弦楽曲と対比され

る形で登場し'主に素朴さによって聴衆にアピールすると

いう仕組みは、聴衆を飽きさせないだけではな-て'ドイ

ツの伝統文化の素晴らしさを彼らに伝えるという'民謡や

童謡に与えられた役割を補助するものでもあった。第二幕

での'森の情景の詳細な描写からは'文化だけでな-'ド

イツの自然の美しさを示す役割をもへ このオペラが果たし

ていたと考えることができる。メールヒェンはドイツの伝

統だけでな-、自然とも その自然の中で暮らす人間の良さ

(39)

を示すものとしても受け取られていたからである。

オペラ『ヘンゼルとグレーテル』は、中産階級が担った

家庭音楽の流れを汲むと共にも 中産階級の価値観を反映し'

ドイツの民族精神を高揚させる内容を持つべ-作られたも

のでもあった。このように作られている以上へ作品世界が

市民社会の規範を大きく踏み出すものにならないことも'

したがって主人公たちが図式的な「男の子らしさ」、「女の

子らしさ」を割り当てられたり、子どもや家族の姿がへ こ

の時期に作られた理想の家族像の枠内にあることも、きわ

めて自然なことなのである。

このオペラに登場する子どもたちはへ その子ども個人の

感情や個性を主張するのではなくて'大人に'大人自身の

イメージした通りの感情や個性を見せるという役割を持っ

ている。大人も、グ-ム兄弟やベヒシュタインの編纂した

メールヒエンとは違いへ 子どもたちが森で行った冒険とほ

とんど関わることがない。子どもと大人の接触は'オペラ

『ヘンゼルとグレーテル』 では表面的なものにとどまって

いるのである。

このことを最もよく体現するのが、子どもたちが冒険を

経て両親と再会する第三幕末尾である。ここで演奏される

感傷的な苦楽が'冒険が終わったことへ つまり知恵と気力

によって行動しな-てはならない世界から日常へ回帰する

ことの安心と感傷を反映していることについては既に述べ

た。このオペラにおいて'安全な世界に戻ることが、知恵

と気力によって行動することの終わりを意味するのは、大

人と子どもが同居する日常の世界において両者の問にはた

らきかけが存在しないからである。ヘンゼルとグレーテル

が戻ってきた世界は、神への信仰を軸に家族が結びつ-暖

かい家庭が存在する'安全な場所である。しかし一方で、

苦境を打開するための知恵や気力は必要とされない。母親

330

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オペラに描かれた子ども像(157)

は貧困という際難を前にしても嘆-だけであるしへ その困

難も'たまたま祭りがあって父親が等をたくさん売ること

ができたt というだけで'何の工夫も努力もなく解決され

てしまう。子どもたちは両親と共に暮らす世界では生きる

ための知恵や気力を発揮することはできないLへ両親は'

領域を超えての子どもたちの冒険に関わることができない。

そしてへ両親と再会したときへ子どもたちは個性を発揮す

ることをやめへ 父親の格言に唱和するという、むしろ画一

的な行動へと移るのである。一方へ両親へすなわち大人は'

子どもたちがあたたかく安全な世界にいるとき'大人に合

わせた生き方をしているということに気づかない。

大人と子どもの関係を大人が操作するt という作業を反

映している以上へ オペラ『ヘンゼルとグレーテル』 で措か

れている理想の子ども像を享受する者として想定されてい

るのは'子どもではなくて大人である。初演直後にへ この

作品について民謡風の単純な音楽とワーグナーの影響を受

けた複雑な音楽が同居するのはおかしい'単純な音楽で統

(ァ)

一して書かれるべきだ、という意見が頻出したことも、当

時から最近に至るまで常にへ 子どもが中心人物であるとい

うことだけを理由に'作品が単純であるとか、程度が低い

といった議論が行われてきたことも、子どもの感情や感覚

を自分たちとは関係ないところに切り離しておきたいt と

いう大人の考えを反映した結果ではないだろうか。オペラ

『ヘンゼルとグレーテル』 をその 「単純さ」 ゆえに評価す

る人は、きわめて安定した'影響力のない子どもの姿を理

想の子ども像として享受するだろうし、子ども向けである

ことを理由に低く見る人は、無視するだろう。いずれにせ

よ、大人によって設定された'大人と子どもとの安定した

関係は守られるのである。

この作品は'子どもが自ら演じたり、鑑賞したりするた

めの教材としても使われているo ヴォルフラム・フンパー

ディンクは、学校その他の教育機関でこのオペラが、子ど

もたちが上演するための教材として利用されてきた例のう

ちへ 特に質の高いものとして'一八九六年にスイスのギム

ナジウムで行われたチロル版『ヘンゼルとグレーテル』 で

ある 『ヘンゼルとフレンツェル Hansel und Fr抑nzel』

と、一九三〇年にテオバルト・シュレIムス (Theobald

Schrems,1893⊥963) の指揮によって行われた、レ-ゲ

ンスブルク大聖堂少年合唱団の'フンパーディンクの書い

(sO

た譜面に準拠した上演のふたつを挙げている。またへ 普段

331

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一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号(158)

子どもを観客として想定していないオペラ劇場にとって'

オペラ『ヘンゼルとグレーテル』は'ク-スマス・シーズ

ンに家族連れを呼び込むための'格好の材料となっている。

一九九九-二〇〇〇年版のドイツ音楽年鑑に示されているへ

一九九六-一九九七年シーズンの、ドイツへ オースト-ア'

スイスのオペラ劇場における演目別上演数では、オペレッ

タと-エージカルを別にしたデータでは'オペラ 『ヘンゼ

ルとグレーテル』 は、ヴォルフガング・アマデウス・モー

 

(

W

o

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A

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1

7

5

6

-

1

7

9

1

)

 

『魔笛 Die Zauberflote』 (1791) に次いで二番目の数を

(Sサ

誇る (表一)。オペレッタと-ユージカルを含んだデータ

でも、上位十五演目のうち-エージカルが十一演目を占め

る中で九位に入っておりへ これらの演目と並ぶ人気を得て

(3)

いる作品である (表二)。したがって、オペラ 『ヘンゼル

とグレーテル』は'家族での集客効果を期待され、その期

待に応える作品といえる。

子どもによる上演や鑑賞にこのオペラが供される理由はへ

この作品が単純である、程度が低い、という議論と関係が

ある。大人が子どもにこの作品を与えるとき'そこには'

音楽にせよ物語にせよ子どもは単純で分かりやすいものを

好む、という考え方が働いているからへ ということがその

理由である。作品を肯定的にとらえるか否定的にとらえる

かという違いはあるにせよ、子どもに向いているものや子

どもが好むものは何かへ ということについて、ひいては子

どもがどのような感情や感覚を抱-かについてのカテゴ

--分けを行う発想がその根本にある。無論この場合へ 大

人が子どもの上位概念に落ち着-ことで、大人と子どもと

いうふたつのカテゴ--の関係は固定化される。

オペラ『ヘンゼルとグレーテル』 は'音楽が単純な要素

を含みへ あるいはこの作品において大人からみた理想の子

ども像や理想の家族像が子どもに押しっけられているかの

ように見えるためにへ しばしば保守的であると言われたり、

子ども向けであって大人が観るに値しないものだと言われ

たりする。しかし、大人が子どもとどのような関係を保つ

べきかt という発想を初めて体現した点においてへ このオ

ペラは間違いなく新しさを持っていた。そして何よりも、

大人が子どもとど~のような関係を保つべきかというテーマ

は'大人にとって非常に切実なものなのである。またへ こ

のオペラは時には現実逃避的な作品であるとすら言われる。

しかし、子どもたちが両親のいないところで個性を発揮し'

332

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(159) オペラに措かれた子ども像

表1 1996/97年シーズンに、ドイツ、オーストリア、スイスにおいて最も上演数が多かったオ

ヽ演目 If.

①題名(作曲者)、 ②上演回数、 ③演出数、 ④集客数、 ( )内は集客数を加算する対象とした

公演数、ゥ1995/96年シーズンの上演回数。

1位『魔笛』、 2位『-ンゼルとグレーテル』、 3位『後宮からの誘拐』 (モーツ珠ルト)、 4位『フ

ィガロの結婚』 (モーツアルト)、 5位『カルメン』 (ビゼー)などとなっている。

① ㌫ lisll ◎ 豊 ③ Inszen ie-

jungen

㊧ Best加 l ふ ∵

996/9 7 199鰯

1 【h Zaubeiォ5 te (M o;a r1} 766 班 513 .0 13 851

2 H ara slore fG re lelt仙 叩 iw dinck) 2 Xi 41 (657)250.549 47D

3 0吋 EnBuhn咽 ius dem S erail(M ozart) 291 27 P 7一,

185.687†97

4 Die Hochzeitdes Fi軸 to (Mo zart 289 272溜

3=汚5 Carm en (Bizet) 250 a ⊃ 198 .125 170

6 D er Fre sd KJtz W eber コ、 22 (238)160.206 I.TI

7 h tG 'n vannり恥 Z叫 210 23 15漂 192

8 La T ra由蝣la (V erdi) 抑} 20 147 .304 2 *

9 Da iG arbiervo n Sevi a(R ossini) 187 21い句

132.193 17410 T。isca {P uccinり 183 22 151.816 TK 】

11 La 8 め如te (P ucciniq 175 1g 156.066 122

M Oer Tia jte dourM stin ー55 10 91.34 4 盟

13 F id el巧io (Be ethoven) 1ま) 17 P 5)108 .99 9

1

164

14 La C ene ren1ttola (R ossi叫 n * 14(M B

l〕15 7 193

15 Zar und Zim m e rm anr!(Lorta ng 138 13 94′456 144

、 In Wammem tfie乙ahl der Au帆巾irungen, aut die silかdie Besuchercahl bezietrt.

表2 1996/97年シーズンに、ドイツ、オーストリア、スイスにおいて最も上演数が多かったオ

ペラ、オペレッタ、ミュージカルの演目一覧

(D~⑤は表1と同じ。 1位は『魔笛』、 2位から8位にミュージカルが入り、オペラ『-ンゼ

ルとグレーテル』は9位となっている。

I P _ '

② 豊 b l霊 l◎ Bes u rf ie rt ⑳ ニ票

199 6 /9 7 1 99 5/ 9 6

1 D ie Z a u te rfi o le (M o za rt ) 7 6 6 50 5 1 3 .0 1 3 8 5 1

2 G 柑 is e (J a c o b s /C a s e y ) 4 5 3 2

(6 5 7)4 3 8 .4 8 1

4 6 4

ユ Dあ P TW 加 血 O pe r叩 'e b be r ) 4 1 5 1 7 4 5 .0 0 0 75 6

4 L e s U i蜘 ib le s (S d io ib e r g ) 4 1 5 ↑ 73 5 3 0 0 2 1 3

5 M s s S a i印 if S c h o n b的 ) 小 さ 1 73 2 .0 0 0 4 1 5

6 S 的 ih t E xp re s s 叩 eb b e r) * l b 1 6 9 1.3 0 0 4 1 5

7 C a ts (W e b b e r ) 4 1 5 1 4 5 4 .2 0 0 4 1 5

8 S u n s e l B o u le v a rt J M 'e b b e r ) 4 C 0 1 O . A . 2 70

9 H a n s e l u n d G re i e l( H u m p e rd in i叫 39 6 . 1 2 5 0 .5 4 9 4 7 0

10 A n a le v k a B o c k 3 8 6 16

(3 7 1

2 3 6 .H 3ゝ 2 93

ll D ie F ie d e r m a u s S tra u fl 3 3 5 ; *

2 1荒 3

4 9 3

12 G a ud fW o o lfs o n ) 3 2 5 1(2 9 1

26 8 .7 8 515 3

13 T h e B la c k' R id e r W a ils ) Ⅹ氾 柑 13 1 .0 0 4 2 6 2

1 4 D ie S ch 6 n e u n d d a s B ie s l( M e n k叫 2g 6 1

(30 2 )2 9 0 .8 5 2

2 9 ,

1 5 D ie ∈n tfu h ru n q a u s d e m S e ra il(M o z a rt ) 29 1 2 7 1 6 5 .6 8 7

(2 8 2 |

1 9 7

'r* i¥i3iTin^cTn qig '州der ftummrunnen. aui dm sich die Besuchenah! beziehl,

(c) mit斤eundlicher Genehmigung des B丘renreitei-Verl喝es, Kassel

333

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一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号(160)

冒険を繰り広げること、その冒険が終わって再び両親のも

とへ帰るときに安心と落胆を示す音楽が演奏されることか

らは、子どもを大人の下位概念に置くことで安心感を得よ

うとする試みが'大人による子どもへの干渉によっては本

質的には達成され得ないという'現実に存在するジレンマ

を見て取ることができる。

このジレンマは'大人と子どもがひとつの場を共有する

際に、それぞれが持つ感情や感覚が同じものでは有り得な

いためにへ 必然的に発生するものである。そして、二十世

紀に入ってから欧米を中心に見られた'子どもを重視せよ

という主張やへ その主張に基づいた社会改革の動きにおい

てもう さらに子どもの主体性を重視するべきであるという

考え方が普及した現代においてもへ このジレンマはやはり

発生した。子どもやその主体性を重視することを基準に行

動したとしても、その行動には常に大人の価値判断が入っ

ておりへ その判断は個々の子どもの感情や感覚を完全に体

現するものでは、決して有り得ないからである。

オペラ『ヘンゼルとグレーテル』は'大人が子どもと何

らかの関係を持とうとする際に常に生じるこのような問題

を、子どもの存在が目につきやすいオペラというジャンル

において初めて明確にした作品である。この作品以降へ子

どもはさまざまな形でオペラに登場したがへ 作曲家や台本

作家が意識するにせよしないにせよも大人と子どもがオペ

ラという場を共有するときに発生する'両者の感情や感覚

のずれが作品に反映されることになった。オペラ『ヘンゼ

ルとグレーテル』は'今後もさまざまな場で上演され鑑賞

されるだろう。その際へ純粋無垢な子ども像をいたずらに

強調するのではなくて'大人と子どもがひとつの場を共有

することの難しさがこのオペラにおいて現れていることへ

その難しさが今に至るまで現実の大人と子どもの関係にも

生きていることを'十分に意識し反映した舞台が作られる

ことを望みたい。

334

(-0 H-J.Irmen,Hansel und Grete1.Studien und

Dokumente zu Engelbert Humperdincks Mdrchenoper.

(Mainz:Schott,1989),S.135.アーデルバイトから作曲者

への'一八九〇年四月十七日付の手紙から。『白雪姫』は、

一八八八年にアIデルハイ-の依頼に応じて、フンパー

ディンクが彼女の詩に付曲したリーダーシュピールである。

(2) この曲順は、手稿譜コピー (ibid.,S.276-284.) に基

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(161)オペラに描かれた子ども像

づ-ものである。四つの歌は'劇中では'手稿譜コピーに

明記された順番とは異なり、「踊りの歌」へ 「こだまの歌」へ

「眠りの歌」、「朝の目覚ましの歌」 の順に歌われる。ちな

みに、エヴァ・フンパーディンクによる楽譜目録(Eva

Humperdinck (hrsg.),Engelbert Humperdinck Werk-

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曲順はへ この劇中での順序に従っている。

(3) 手稿譜コピーを見る限りでは、四曲ともにへ ヘンゼル

とグレーテルのふたりによって歌われることになっている。

Irmen,op.cit,S.281.

(4) 伴奏の'ピアノからオーケストラへの変更を受けての

手直しを別にすれば'大まかに次の三点において変更が行

われている (I)-Iダーシュピール版でグレーテルが

「いらっしゃい」 と繰り返し歌い'その後二人で 「悲しい

ことなんか好きじゃない」 (Irmen,op.cit,S.278.) と歌

う箇所が、ジングシユピール版ではグレーテルが 「いらっ

しゃい」という歌詞で長-pの音を伸ばし、その下でヘン

ゼルが 「ぼ-はダンスと楽しいことが好き」と歌う (この

ヘンゼルの歌詞は'-ーダーシュピール版から続けて使わ

れている)、となっている (Engelbert Humperdinck,

Hansel und Grete1.Klavierauszug.(Mainz:Schott.

1992),S.34.)-(二) リーダーシュピール版では 「トララ

-」 で始まるフレーズが繰り返される (Irmen,op.cit,S.

278.) が'新しい版では繰り返しの部分が 「くるくる回ろ

うよう 私のヘンゼル」という歌詞を持つ新しいフレーズに

なっている (Engelbert Humperdinck.Hansel und

Gretel,S.35-36.)。(三) 結尾が母親の登場に伴う不協和

音につながるように変えられている (ibid.,S.41.)-以上

の変更は'歌い手が子どもからプロの大人の歌手に変わっ

たことに伴うものとみられる。

C"3) EvaHumperdinck(hrsg.).op.cit,S.105-106.

(6) 一八九〇年十月二十三日付のア-デルハイトから作曲

者あての手紙では、彼女が作曲の進行状況についてほとん

ど知らされていない、という不満が記されている。一方で

作曲は着々と進んでおりへ このことからイルメンはう ジン

グシュピールの形成にアーデルバイトがほとんど関わって

いない、という推測を行っている (Irmen,op.cit,S.

146.)。なおへ このことがもとになって、後に誰がどれだ

けオペラ 『ヘンゼルとグレーテル』 の成立に貢献したかを

めぐって争いになり、このオペラの楽譜を出版したショッ

ト社の担当者ストレッカー博士がそれぞれに一定の金を支

払って解決する、という一幕があったらしい。Enee-bert

Humperdinck.Hansel und Grete1. (Textbuch

Einfiihrung und Kommentar von Kurt Pahlen unter

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一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号(162)

MitarbeitvonRosmarieKonig)(Mainz:Schott,2000),

S.170⊥71.(以下、PahlenundKonig.と略記する.)

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(Richard Wagner,1813-1883) のアシスタントを、一八

八一年からワーグナーが没する一八八三年まで務めており、

夫人のコジマからも厚い信頼を得ていたO

(8) たとえば、一八九〇年十一月十一日の作曲者からヘル

マンへの手紙では、ジングシュピール 『ヘンゼルとグレー

テル』 についての討論会の様子が伝えられている。この時、

グ-ムのメールヒェンを通読して会に臨んだオットー・ア

イザー(OttoEiser,1834-1898) は'多-の大衆的な要素

が抜け落ちてしまっている、と苦言を呈した。アイザIに

よれば、「道を探す者としてのヘンゼル」、「ロマン的な薄

光」といった要素が入っておらず、メールヒエンなのにレ

アリスティックな情景描写が多いt といった面に問題があ

る、とのことであった (Irmen,op.cit,S.147⊥48)-級

にヘルマンは博士の提案をもとに'次のような筋を考案し

た。①まず序曲で、魔女がどんな者かを描-。②帯作りの

家に入り込んだ魔女が、自分の企みを歌う。③小石をた

どって子どもたちが帰って-るが、両親はふたりを探しに

行っていて不在である。④子どもたちは踊る。⑤魔女は子

どもたちの前に現れ、ふたりを森へと連れ込む。出かける

まえにグレーテルの思いつきで'守護天使に祈りを捧げる

ことにする。ただし、ヘルマンはこの筋に従うとコ-ッ

ク・オペラを作ろうというもともとの意図から逸れる点へ

注意を促している (ibid.,S.150-151)。

(o>) S.Meier,Hebe,Traumund Tod:DieRezeptionder

Grimmschen Kinder-und Hausmdrchen aufder Opern-

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1999),S.98-100.

(2) この他に、グレーテルが 「あそこで沼から覗いている

のは何?」とたずね、ヘンゼルが 「あ'あう あれは'ちら

ちら光る柳の切り株さ!」 と答えるやりとり (Engelbert

Humperdinck,Hansel und Gretel,S.98.) はヨハン・

ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (Johann Wolfgang

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からの引用である、というパーレンの指摘があり、ゲーテ

の詩句も編纂の対象になっている可能性がある点も注目さ

れる。PahlenundKonig,op.cit,S.58.

(S) W.Humperdinck,Engelbert Humperdinck.Das

Lebenmeines Vaters.(Koblenz:Gorres,1994),S.193.

(2) ちなみに、リーダーシュピール版の段階では'母親は

子どもを一時の怒りにまかせて家から追い出し'子どもた

ちは母親の意向と関係なく、森で花やいちごをつんでいる

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(163)オペラに描かれた子ども像

うちに道に迷うt という展開だった。

(2) Pahlen und Konig,op.cit,p.179.W.Niemann,

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(2) Meier,op.cit,S.105.

(」) Irmen,op.cit,S.97.

(2) H.Kuhlraann,Stil und Form in der Musik von

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Universitatsverlag von Robert Noske in Borna-

Leipzig,1930),S.26.

(S) EneelbertHumperdinck.HanselundGretel,S.77.

(2) 増井敬二「フンパーディンク ヘンゼルとグレーテ

ル」『最新名曲解説全集 第十九巻 歌劇Ⅱ』音楽之友社へ

1九八〇年へ 四二六頁。

(2) Pahlen und Konig,op.cit,S.10.パーレンは明言し

ていないが、援助を与えるのは神であるへ と思われる。

(-) Engelbert Humperdinck"Hanselund Gretel,S.78-

∞ひ.

(」)

(22)

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(24)

Irmen,op.cit.,S.94-95,100-104.

EngelbertHumperdinck,HanselundGretel,S.21.

ibid.,S.31-32.

ibid.,S.41.

(」) ibid.,S.101-102.

(」) ibid.,S.140.

(」) ibid.,S.187.

ibid.,S.195.

ここで 「子どもらしさ」 という言葉を鈎括弧の中に入

れたのは、子どもは労働を好まないものである、というイ

メージが存在する1方で、そのイメージが必ずしも実情を

反映しているとは限らないからである。例えば'イレ-

ネ・ハルグッハ=ビンケとゲルト・ハルダッハはう 労働を

嫌がる子どもと労働に積極的な子どもの例を'共に報告し

ている (イレ-ネ・ハルグッハ-ピンケ'ゲルト・ハル

ダッハ編(木村育世へ 姫岡とし子へ 田遠玲子へ 板山真由美へ

杉谷真佐子訳)『ドイツ/子どもの社会史 1700-1900年

の自伝による証言』勤葦書房、一九九二年)。

(8) フィ-ップ・ア-エス (杉山光信・杉山恵美子訳)

『(子供) の誕生 1アンシァン・レジーム期の子供と家

庭生活 - 』みすず書房、1九八〇年、二七-三一頁。

(3) 同書、三五頁。

Ken) ヴァルター・ザルメンによれば'芸術上へ 特に音楽の

天分を持つ子どもについて 「神童」という表現が使われる

ようになったのは、十八世紀末のことだという。W.

Salmen,DasKonzert.EineKulturgeschichte.(Munchen

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一橋論叢 第132巻 第3号 平成16年(2004年) 9月号(164)

‥C.H.Beck,1988),S.54.なお、『コンサートの文化史』

(上尾信也へ 網野公一訳) 柏書房へ一九九四年へ 八二-八

三頁参照。

(m) J-Samson(ed.),The LateRomanticErafrom the

Mid19"CenturytoWorldWarI.{ManandMusic).(Lon-

donandBasingstoke:GranadaGroupandTheMacmi1-

Ian Press,1991),p.14.なおへ 『西洋の音楽と社会8 市民

音楽の拾頭 後期ロマン派-』(三宅幸夫監訳)音楽之友

社、一九九六年、二三-二四頁参照。

(S) W.Salmen,op.cit,S.100.なおへ ザルメン'前掲書へ

一五八頁参照。

V.co) たとえばへ スイスの作家ヨハ ンナ・シユピーリ

(Johanna Spyri,1827-1901) の 『山の上の笛 (レIザ家

のひとり) EinervonHauseLesa』(oj.) には、ア-I

ダという裕福な家の少女が登場する。彼女はピアノの練習

をすることが退屈で仕方ないが'音楽に魅せられた農民の

息子ヴィンチに出会うことで'彼に音楽を教えるという楽

しみを見出す。岡村弘、中村妙子訳『スピ-少年少女文学

全集 全十二巻 第四巻 山の上の笛』白水社、一九六1

年、三七-四一貢。

Kco) イレ-ネ・ハルグッハ-ピンケ'ゲルト・ハルグッハ

編、前掲書、三1-三三頁。

Kco) 野田宣雄『ドイツ教養市民層の歴史』講談社学術文庫へ

一九九七年、三七-四二頁。

W.Suppan,Volkslied:Seine Sammlung und Er-

forschung.(Stuttgart一Metzler,1978),S.55.なお、『民

族民芸双書78 ドイツの民謡』坂西八郎訳へ 岩崎美術社へ

一九七三年、二九貢参照。

(g) Niemann,op.cit.,S.103.

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Allgemeiner Verein fiir Deutsche Litteratur,1896),S.

133-134. L.Louis,Die Deutsche Musik derNeuzeit.

(Miinchen‥GeorgMuller,O.J.),S.96.など。

(3) WolframHumperdinck,op.cit,S.222.

(S?) A.Rinderspacher, "Daten und Fakten zur

Situation der Orchester und Musiktheater"In A.Eck-

hardt,R.Jakoby,E.Rohlfs (hrsg.),Musikalmanach

1999/2000.DatenundFaktenzumMusiklebeninDeutsch-

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1ag,1999),S.52.

(3) ibid.,S.51.

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(165)オペラに描かれた子ども像

二〇〇四年五月七日受稿

二〇〇四年六月四 日

レフェ-ーの審査

をへて掲載決定

(一橋大学大学院博士課程)