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2011 年度 多摩美術大学院美術研究科 修士論文 日本における写実絵画の成り立ち ―高い再現性を持つ絵画についての考察― 渡邉聡志 31012047 博士前期(修士)課程 絵画専攻油画研究領域 2011, Master's Thesis, Graduate School of Art and Design, Tama Art University Historical analysis on photographic picture concerning highly reproducible art Satoshi Watanabe 31012047 Tama Art University oil painting field painting course master program

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Page 1: Historical analysis on photographic picture concerning highly ......Historical analysis on photographic picture concerning highly reproducible art Satoshi Watanabe 31012047 Tama Art

2011年度 多摩美術大学院美術研究科 修士論文

日本における写実絵画の成り立ち

―高い再現性を持つ絵画についての考察―

渡邉聡志 31012047 博士前期(修士)課程 絵画専攻油画研究領域

2011, Master's Thesis, Graduate School of Art and Design, Tama Art University

Historical analysis on photographic picture

concerning highly reproducible art

Satoshi Watanabe 31012047

Tama Art University oil painting field painting course master program

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目次

はじめに 1

第1章 日本における写実絵画 1

第1節 洋画技法の輸入による写実性の獲得 1

第2節 写実性からの離脱 2

第2章 印象派以降の写実 3 第1節 スパーリアリズム 3

第2節 テンペラ画と細密描写 4

第3節 マドリット・リアリズム 5 第3章 現代美術としての日本写実絵画 6

第1節 現代作家に見る写実絵画の特徴 6

第2節 自作における初期衝動と再現性 7

まとめ 8

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○はじめに 現在、美術表現は非常に多様化しており、表現形

態や素材による分類はほとんど無限にあるといっ

ても過言ではない。このような分類が意味をなさな

いコンセプチャルな ART が主流となった時代に、

日本の美術雑誌には「写実特集」等のタイトルで取

り上げられ、写実専門の美術館であるホキ美術館

(2010年11月)がオープンするなど、再現性

の高い絵画作品のある種流行が見られるのはなぜ

なのだろうか。この様な現代日本の動向に見られる、

西洋の写実的な絵画の歴史とは別の日本独自の写

実史を分析する事で、私が日本人として写実性の高

い絵画作品を制作する行為における美術史的な意

味を考察する。

では、日本人が写実絵画を制作するという事には、

どのような意味があるのだろうか。そもそも、写実

的な絵画表現(ボリュームを伴う再現性の高い絵

画)は主に西洋で発展した技術であり、基本的に開

国以前の日本には無かった概念である。つまり、日

本人として写実絵画を描く行為は、西洋の美術がた

どった絵画表現の移り変わりとは、鏡に映した様に

反転したベクトルを持った行為だったと言えるの

ではないだろうか。

第1章、日本における写実絵画 第1節 洋画技法の輸入による写実性の

獲得

日本において、始めに本格的な写実絵画と呼べる

絵画表現で制作を行った日本人画家に高橋由一(た

かはし ゆいち、1828-1894)と五姓田義松

(ごせだ よしまつ、1855-1915)が上げら

れる。彼らはともに当時特派記者兼挿絵画家として

来訪していたチャールズ・ワーグマン(Charles・

Wirgman、1832-1891)に師事している、

ワーグマンは1852年頃にパリで絵画を学んだと

言われている事から、印象派以前のアカデミックな

絵画技法が日本人の始めて獲得した写実性の高い絵

画技法の基礎になっていると考えられる。それ以前

の日本の絵画技法(現在では日本画と呼ばれる)に

は明暗法やボリューム表現と言った写実性の高い表

現技法はなく、平滑な空間表現の物が主であった事

から、日本における写実絵画の歴史はワーグマン以

降に始まったと言える。

図 1-1,尾形光琳 「燕子花図屏風」 図 1-2,狩野芳崖「悲母観音」

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このような西洋的な写実性の追求は、西欧文化の

移植を目的とした工部美術学校が1876年に設

置されることでさらに広まってゆく。この工部美術

学校において絵画技術を指導したアントニオ・フォ

ンタネージ(Antonio.Fontanesi、1818-188

2)は1878年に帰国する迄の2年という短い期

間ではあるが本格的な美術教育を行い、浅井忠、五

姓田義松、小山正太郎、松岡寿、山本芳翠等が師事

している。当時は明治政府が文化の近代化を図り西

欧に追いつこうとしていた政治的背景もあり、西洋

のアカデミックな技法の習得に目が向けられた結

果、フォンタネージに師事した生徒は再現性の高い

作品を多く残している。

第2節 写実性からの離脱 開国以降ヨーロッパの画家が来訪し、彼らの指導

を受けることで、日本の画家の写実性は飛躍的に高

まっていった。

しかし、日本伝統美術の振興を目指すアーネス

ト・フェノロサ(Ernest.Francisco.Fenollosa18

53-1908)や岡倉天心(おかくら てんしん、

1863-1913)による活動の結果、日本美術

への関心が高まった事で、伝統的日本美術の保護を

目的とした東京美術学校が設立すると、写実的な表

現を追求する古典技法を用いた絵画は徐々に減っ

て行く事になる。

1896年、東京美術学校にも西洋画科が設立さ

れる事になるが、洋画の関心は写実性よりも当時最

先端の印象主義的な絵画表現に移行してゆく事で、

日本においても絵画の単純な再現性は世界的な流

行に違わず、後に現代美術と呼ばれる事になるよう

なファインアートの主流からは外れてゆく。

だが、1908年白馬会葵橋洋画研究所に入り黒

田清輝に師事した岸田劉生(きしだ りゅうせい1

891-1929)はこの流れに逆行する制作を行

っている。劉生の初期の作品はポスト印象派(特に

セザンヌ)の影響が強いが、1912年に高村光太

郎や萬鉄五郎らと共にヒュウザン会を結成し本格

的に画壇へデビューした辺りから、北方ルネッサン

スやバロックの巨匠、特にデューラーの影響を受け、

写実的な作風に移ってゆく。

図 1-3,Charles Wirgman「少女像」 図 1-4,高橋由一「鮭」 図 1-5,岸田劉生「古屋君の肖像」 図 1-6,Albrecht Dürer「1500年の自画像」

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私が非常に興味深く感じるのは劉生の写実的な

自画像等にみられる北方ルネッサンスからの影響

であり(特に「古屋君の肖像」はその構図や形態に

顕著な類似が見られる図 1-5 図 1-6)当時であれば時

代錯誤と言われてもおかしくない肖像画や静物画

を多数制作している点である。現代においても、こ

ういった時代に逆行する姿勢は写実性の高い絵画

制作を行う作家の中にも多いように感じられる。

第2章 印象派以降の写実

印象派以降、写実性の高い絵画は美術史の主流で

はなくなっている、では現代日本で描かれている写

実絵画はどのような文脈を経て現在の様な表現に

結びついたのだろうか。本章では、直接的に重要な

影響を与えたと思われる美術的動向を考察し、その

ルーツを探りたいと思う。

第1節 スーパーリアリズム

ここ迄触れて来た日本における写実絵画は、総て

ヨーロッパの古典絵画の影響を受けた物である、し

かし印象派以降ヨーロッパの美術は過剰な再現性

を離れてゆく傾向にあり、写実絵画はほとんど注目

されなくなった。だが、美術が徐々に細分化し抽象

表現やコンセプチュアルアートなど、表現が多様化

する中、ポップアートやニューリアリズムの文脈か

ら、主に1960年代のアメリカで生まれ、発展し

た写実的な絵画が、スーパーリアリズムの動向であ

る。

このスーパーリアリズム絵画は再現性という点

では現代の日本写実絵画と一致する部分が多いが、

根本的な思想としてポップアート的な大衆文化の

象徴を、写真や投影した映像をもとに制作するその

写実性は、まさに写真や映像のようにフラットな性

質の物であるため、現在の日本において「写実」と

呼ばれる分野とは文脈を異にしている。

ただ、この映像的な視覚効果やその性質の為、日

本ではデザインの分野で1980年代に流行する

結果になった。そして、ファインアートとしてのス

ーパーリアリズム作品が持つ ART のコンテクスト

が抜け落ちたデザインとしてのスーパーリアルな

イラストの流行は、それこそポップで皮肉なものが

ある。しかし、コンテクストの抜け落ちたスーパー

リアリズムの高い再現性は、プリミティブな視覚的

インパクトを持っていたのではないだろうか。

私は、このコンテクストの抜け落ちた視覚的な印

象こそ、高橋由一が西洋絵画の写実性に心を奪われ、

岸田劉生デューラーに心酔した様に対象に迫る「写

実」に対するモチベーションを産み、現在の日本で

図2-1,上田薫「なま玉子 J」 図 2-2,Richard Estes「Telephone Booths」 図 2-3,Chuck Close「Mark」

図2-1,上田薫「なま玉子J」(1978)図2-2,Richard Estes「Telephone Booths」(1968)

図2-3,Chuck Close「Mark」(1978)

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写実絵画が流行している原因の一つになっている

のではないかと考える。

現在、日本の写実絵画の第一人者の一人である野

田弘志(のだ ひろし、1936-)が、デザイン

会社にデザイナーとして勤務し、スーパーリアルな

イラストを制作していた経歴からも、その影響の一

端が伺える。

第2節 テンペラ画と細密描写

テンペラ画とは、元々ルネサンス以前のイコン画

等に見られる卵黄を用いた絵画技法である。

ところが、この前時代的な絵画技法をあえて使用し、

作品制作を試み、技法の啓蒙を行ったのが田口安男

(1930-)である。

彼の作品を見ると本論がテーマとしている現代

日本の写実とテンペラ技法に直接の関連性は無い

ようにも見えるが、テンペラ技法の特性や、現代の

日本人写実作家への影響の大きさを考えとりあげ

ることにする。

田口安男は1968年~70年にローマ中央修

復研究所でバルディ教授より黄金テンペラ画の技

法を学んでいる。当時の日本は60年代に入り急速

なインフラの発展、科学技術の革新、社会の都市化

現象などの急速な変化が起こっており、それ等は美

術概念にも強く影響を及ぼしていた、この時代の動

向や要素は現代美術に対する強いベクトルを持ち、

抽象表現主義、ネオ・ダダ、ポップ・アート、ミニ

マル・アート、キネティック・アート等の多様な美

術的動向を受けた作品が主流になっていた。

田口安男は、あえてこの時代にテンペラ技法の習

得を行う意味について、自身の著書「黄金背景テン

ペラ画の技法」図 2-6の冒頭部分でこの様に述べてい

る。

「テンペラ、フレスコ、油絵というヨーロッパ絵画

の大きな分野の一つが、丸ごと欠落していた.今にして思えば、信じがたい不思議な事実です.日本に入ってきたのは、ほとんど印象派以降の技法であったこ

との歪みをあらためて思わないわけにはいきませ

ん.どうやら、それを日本の土地に移しかえる、最初の役割をもつようになってしまったことに、とまど

いをおぼえながら10年がたちました.~中略~巨視的な地点からみれば、テンペラという言葉が、未

来のさまざまな絵画技法を大きくしめくくるもの

として発展してゆく気配を私は感じています,」 黄金背景テンペラ画の技法 p13

田口安男が述べているように、大文字の ART のコンテクストを持たない日本人が最先端の美術を

行う前に、印象派以前のヨーロッパ美術の基礎とな

った技法の見直しを行うことで、日本美術の未来の

発展を願っていたことがわかる。

金子滇(かねこ ひろし、1946)大矢秀雄

(おおや ひでお、1954-)、小木曽誠(おぎそ

まこと、1975-)等の作家はテンペラと油彩に

よる混合技法を制作のメインに使用している、部分

的にテンペラ絵具を使用する作家も多い。智内兄助

(ちない きょうすけ、1948-)等も、素材自

図 2-4,田口安男「白いトルソ-躍-」 図 2-5,田口安男「波から焔へ-燎-」 図 2-6,田口安男「黄金背景テンペラ画の技法」

図2-4,田口安男「白いトルソ-躍-」(1993)

図2-5,田口安男「波から焔へ-燎-」(1989)

図2-6,田口安男「黄金背景テンペラ画の技法」 (1978 年)

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体はアクリル絵具を使っているが、技法的な方法論

はテンペラと油彩の混合技法を前提としたもので

あるのは明白である。

第3節 マドリッド・リアリズム

1990年代以降の日本の写実絵画に最も強く

影響していると考えられるのが、1955年から6

0年頃のスペインで起こったマドリット・リアリズ

ムと呼ばれる動向である。このうごきはアントニ

オ・ロペス等のグループがリアリズム表現を始める

ことに端を発する。

この後1970年代以降にアメリカのスーパー

リアリズムの影響を受けたクラウディオ・ブラボ、

ダニエル・キンテーロや魔術的リアリズムのエドヴ

ァルド・ナランホ、マヌエル・フランケロ等の世代

が加わりさらにその表現の写実性に拍車がかかっ

てゆく。1991年9月12日から11月12日迄

の3ヶ月間、東京・大阪・京都・横浜の高島屋で行

われた「スペイン美術は今マドリード・リアリズ

ムの輝き」と言う展覧会の図録において、美術評論

家のフランシスコ・カルボ・セラリェール

(Francisco.Calvo.Serraller)がマドリッド・リアリズムの成り立ちについて簡潔な文章を書いてい

るのでここで引用する事にする。

「~教え子でも単なる追随者でもなく、先に指摘し

ておいたように、仲の良い友人と彼の世界に最も近

い仲間達、すなわち、妻でもある画家マリア・モレ

ーノ、彫刻家フランシスコ・エルナンデス、フリオ・

ロペス・エルナンデスラが、アントニオ・ロペスに

良く似た関心を持った芸術家サークルを形成して

いるの。このサークルが、いわゆるマドリッド・リ

アリズム派と呼ばれるようになったものであり、こ

れを組織的な運動や計画的な運動と混同してはな

らない。

1960年代、アントニオ・ロペスが画家として

の道を歩み始めて10年から15年が過ぎたころ

に、まったく異質なリアリズムがスペインに出現し

た。本展では『リアリズムの新しい道』というタイ

トルの下に集めたリアリスト達で、その中にはアメ

リカのハイパーリアリズムという国際的流行に直

接連動したケース.つあり、クラウディオ・ブラボ

とダニエル・キンテーロがいる。もっとも、工業都

市世界のイメージを淡々と映し出したものにラテ

ン的な翻訳を加えてではあるが。その結果、アメリ

カのハイパーリアリストやフォトリアリストに比

べて、もっと絵画的で、写真的要素には欠ける技法

を用いたリアリズムになっている。また、クリスト

バル・トラルやエドゥアルド・ナランホらが、徹底

した技で現実を超えてしまうような魔術的リアリ

ズムの作風を展開した。~」

スペイン美術は今マドリット・リアリズムの輝き 図

録 1991年 p101

こういった流れを持った1970年代にスペイ

ンに渡り、写実的絵画技法を学んだのが磯江毅(い

そえ つよし、1954-)であるが、スペインの

写実的な美術の動向はスーパーリアリズムの様に

すぐには日本に紹介されなかった。(日本で初めて、

公にスペインのマドリッド・リアリズムが紹介され

るのは、前述した1991年の「スペイン美術は今

マドリード・リアリズムの輝き」と言う展覧会に

おいてである。)

このスペインのリアリズム(特に、マヌエル・フ

ランケロやエドヴァルド・ナランホに代表されるス

ーパーリアリズム以降の作家)は独特の滑りの在る

質感描写を持ち、過剰な迄に再現性を追求している

点で強烈な視覚的インパクトを与える、こうした特

長は現在の日本の写実絵画の中でも、特に若い世代

に強い影響を与えている。磯江毅に続く世代の日本

人写実作家に見られるこういった特性が、日本で写

実的な絵画を制作するさらに若い世代に与えた影

響は大きい。

さらに、徹底した写実性と質感描写以外に日本の

写実作家に影響を与えた特筆すべきもう一つの特

徴が構図である。図 2-7上段に見られるような画面を

水平に横断する板(もしくは台)の上に人物や静物

を配置する構図は、マドリッド・リアリズムの画家

マヌエル・フランケロの作品に多く見られるもので

ある。さらに同図下段のような、がらんとした物の

無い室内や廊下を描く構図を持った作品はアント

ニオ・ロペス等の初期マドリット・リアリズムの画

家が好んで描いていたものである。こういったマド

リットの画家の特徴を諏訪敦、石黒賢一郎等のスペ

インに留学した経験を持つ日本人作家の幾つかの

作品に構図的な共通点をみる事が出来る、諏訪敦、

石黒賢一郎等の作品が現在多くの雑誌で掲載され

ている事からも、これらの影響が日本の写実に与え

る影響の大きさを想像するのは難しくない。

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第 3 章 現代美術としての日本写実

絵画

第1章から第3章迄で、日本において写実絵画が

どのように発展してきたのかと言う足跡をたどっ

てきた、この章では、現代作家に見る写実絵画の特

徴とその背景に在るコンテクストの考察に合わせ、

私自身の作品における写実性が、それらの作品とど

のような点で一致し、どのような点で一致しないの

かを検証してゆきたい。

第1節 現代作家に見る写実絵画の特徴

私が写実的な制作を始めたのは2004年であ

る、当時マドリッド・リアリズムの図版に出会いそ

の魔術的なリアリズムが持つ暴力的な迄の幻想世

界に触れた事は、受験絵画に囲まれて絵画の本質を

計りかねていた私にとって、無視できない出来事で

あった。さらに、同時期にテンペラ画の混合技法を

勉強したことで、本格的に再現性の高い描写が可能

になった事もあり、その後は写実的な制作に傾倒す

る事になる。

当時から既に写実的な作品が美術雑誌等で取り

上げられ初めており、第3章第3節で述べた作家の

作品を目にすることも難しくなかった。こういった

状況下で写実性の高い作品制作を続ける中で、磯江

毅、諏訪敦、水野暁、アントニオ・ロペス、マヌエ

ル・フランケロ等のマドリット・リアリズムに関連

した作品や、ヤン・ファン・エイクや、デューラー、

岸田劉生等の北方ルネッサンスに流れを汲む作家

の作品に刺激を受け、共感していた。

私が彼らに共感を持つ最も大きな理由は、作品の

持つ「死」の気配に在る。長い美術の歴史の中で写

実的な作品は数多く作られてきたが、その多くの作

○マドリット・リアリズム作品と日本人作家の構図の類似 図 2-7

日本人作家 マドリッド・リアリズムの作家

諏訪敦「深海,2000」 Manuel Franquelo 「sin titulo(無題),1986」

石黒賢一郎「Pasillo,1998~2002」 María Moreno「DoorwayinTomelloso,1973」

図2-7 左上 諏訪敦「深海」(2000) 図2-7 右上 Manuel Franquelo 「sin titulo(無題)」(1986)

図2-7 左下 石黒賢一郎「Pasillo」(1998~2002)

図2-7 左上 María Moreno「DoorwayinTomelloso」(1973)

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品の中でも上記の作家達の作品には、明らかに「死」

の気配を感じる事ができるものがあるのだ。 私はこの「死」の気配こそ写実的な絵画の本質で

はないかと考えているが、この死の気配について、

磯江毅が野田弘志との対談において興味深い発言

をしている。 「~徹底したリアリズムの絵には死臭が漂います。

それを突き破ってもっとすごい絵になると無臭に

なるのですが…。時間をかけて描写することは存在

の意味や宿命も引き出す事になり、死の普遍性を求

めることでもあります。ロペスの絵はその典型です。

無機物は形が変わらないので時間をかけて描写す

るとそこに自分が投影され、自分が生きていること、

さらに死に向うことを確認する様になります。ただ

写実の作家は最初から骨の様に“死”が象徴化され

たモチーフを選ぶ傾向がありますが、本当は何でも

ない物でも、それと関わる時間や描写しだいで死臭

はしてくるものです。リアリズム絵画とは、実体と

はフィジカルなものだけど、徹底した描写によって

メタフィジカルな世界が見えてくるのを待つ哲学

です。」 2007年7月号アートトップ p40~41

ここで述べている死臭とは、視ることと描くこと、

つまり「実感」を拠り所に自分自身も含めた世界の

「存在」に対する探求の果てに現れる「死の気配」

(実感の行き着く最終的な様相とも考えられる)を

嗅がせることではないだろうか。さらに磯江毅が哲

学という言葉を使っている事にも注目したい、形而

上学等の「言葉」を重要視する従来の哲学の様に理

論的体系がある訳ではないが、だからこそ純粋に言

葉になる前の「感覚」で世界の本質をつかみ取ろう

とする行為として哲学の一形態なのではないかと

私は考える。 その回答を求める様に対象を凝視し

再現する行為に没頭する写実的な制作は、彼らにと

っての救いとなっているのではないだろうか。なぜ

なら彼らにとって再現性を高める行為の必要性は

普遍に対する懐疑を元にした問いかけにあるから

である。 例えば、「意識」が他の存在に対面した瞬間、水面に石を投じた様に「意識」の内に様々な事が沸き起

こる。しかしこの様々なざわめきを正確に他者に伝

達する事は困難である。仮に言葉を使用する場合、

心に沸き起こるざわめきのベクトルが近い(または

遠くない)言葉を必ず選択しなければならない。し

かし意識は、言葉を選択した瞬間にこぼれ落ちるも

の達が居る様に感じるものだ。つまり言葉という記

号を使用する際にどうしようもなくこぼれ落ちる

「実感」をつかみとる為の身体的な手段として描く

のではないだろうか。 第 2節 自作における初期衝動と再現性 生きる上で、ふとした瞬間に掴み所の無い不安感

や漠然とした恐れを感じる事がある。この感覚は、

哲学的な存在(あるいは自己)の不確実性という点

では普遍的な問題であるが「現代」特に『3.11』(2011年 3月 11日に発生した東北地方太平洋沖地震の発生とそれにともなう東日本大震災)以降の日本にお

いて、それは以前にも増して問題としての輪郭を際

立たせ、特別では無くなっているのではないだろう

か。 「3.11以前」日本は、敗戦からの復興、高度経済成長、バブルの崩壊を経て「失われた 20年」と呼ばれる長い閉塞感の中にあり、鬱積した苛立ちを抱え

た社会は、サブカルチャーを基礎としたある種の逃

避とも見ることが出来る文化を構築し、人々は携帯

電話やパソコン等の通信機器の普及により、実体を

伴わないコミュニケーションに埋没していた。ソー

シャル・ネットワーキング・サビース(SNS)に代表されるインターネットを介した疑似的なコミュ

図 3-1,渡邉聡志「淡々と日々」

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ニケーションネットワークの爆発的な普及は、盲目

的な倒錯の中に希望を見出していた社会の願望に

合致した結果だった様に思う。しかし、3.11による巨大な津波の発生と原子力発電所の爆発事故以降、

それ以前の安全を前提とした日常は崩壊し、圧倒的

な自然の力と目に見えぬ放射能の恐怖はそれ迄の

価値観を一変させた。いつ起きるか予想出来ない巨

大な自然災害や、五感による知覚が出来ない放射能

の蔓延は、忍び寄る「死」の強烈な象徴である。 私はこうした現状を、サブカルチャー的な逃避世

界でインターネット等をコミュニケーションの主

体とした、擬似的な空間認識による自己の不確実性

とはまた別の、実体に迫る「死」を前提とした自己

の不確実性の再認識が起きたという事であると考

えている。そして重要な問題は、この身体性が強く

伴った強烈な不安感を、「3.11以前」の日常を現実として生きていた人々(私を含む)が、どのように

受け止める事が出来るだろうかという点である。私

は、そこでは自己防衛的な反応による更なる逃避が

起きているのではないかと感じ、これは実感の希薄

な「生」に生じる、実体の無い(目を背けられた)

「死」の気配への恐れではないかと考える、さらに

この事から生じると思われる問題から「実感の希薄

な生=緩慢な死」であると捉えた。 現在、私にとってこの感覚は無視できるものでは

なく、この状態に対する問いを「実感」への懐疑に

求め、作品化する事を試みている。 この試みを作品として可視化するための方法と

して、空虚な世界の象徴としての空間設定と、その

世界に生きる人間を象徴する対象を用いて世界の

再構築を行う。例えば、2011年 3.11以降制作した「淡々と日々」図 3-1では、無機質な部屋を「現代世界」、部屋の片隅に無造作に置かれた毛布は「う

ずくまる自己」をそれぞれ投影している。これはす

なわち、私が感じる「今」をモチーフに託す行為で

あり、限りなく希薄な現代世界の肖像を具現化する

行為である。 この様な制作において、モチーフになる対象は実 際に組まれたものを使用する。上記の方法論によっ

て、構成された対象をあらためて観察し、描写する

ことによって、再構築した現代世界をあらためて認

識し直す事になり “実感の希薄な生=緩慢な死”を、絵画と言う形を借りてあらわにする行為となる。結

果として、再現性が高く存在感の強い絵画であれば

ある程、それが実体ではないまぎれも無い事実に圧

倒され、まさしく実感さえも虚ろにしてしまう希薄

な現代世界そのものを描く事になりえるのではな

いだろうか。 つまり私にとっての再現性は希薄な視覚的幻想

として現実世界の象徴であり、そこに現れる「実感」

は、2次元上の虚ろなものである事が重要なのであ

る。実感の本質と見えるものは全て曖昧であり、存

在の本質というものを捉える事など不可能である

という事を絵画上でも肯定している点において、私

の制作は従来の「写実絵画」の目的とする哲学的真

理の探究、つまり「実」を「写す」事を目的とした

絵画の扱う問題とは相違があるといえる。 そして「実」は「写せない」事を肯定した上で画

面に描かれた「存在感」の高い再現性は非常に虚ろ

な物であるが故に、現在私が感じる世界の虚ろさの

本質を表現する最も適した手段になり得るのであ

る。

まとめ 再現性の高い絵画は、美術史的にいえば印象派以

前から存在する表現手法であり、それ自体が決して

新しいものではない。だからこそ、現在において高

い再現性が作品上でどの様な必然を含んでいるか

と言う事は、あえて写実的な絵画を制作している作

家にとって答え続けて行かねばならない重要な問

題である。この問題に対し、上記の思想と方法論が

現段階での私の回答である。私が制作を続ける事で

本論が、現代美術として写実絵画が成り立つ為の一

つの指針になってゆく事を願っている。

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図表一覧 図 1-1,尾形光琳 「燕子花図屏風」(江戸時代 18 世紀) 図 1-2,狩野芳崖「悲母観音」(1888)

図 1-3,Charles Wirgman「少女像」(18 世紀後半) 図 1-4,高橋由一「鮭」(1877頃) 図 1-5,岸田劉生「古屋君の肖像」(1916) 図 1-6,Albrecht Dürer「1500 年の自画像」(1500) 図 2-1,上田薫「なま玉子 J」(1978)

図 2-2,Richard Estes「Telephone Booths」(1968)

図 2-3,Chuck Close「Mark」(1978)

図 2-4,田口安男「白いトルソ-躍-」(1993) 図 2-5,田口安男「波から焔へ-燎-」(1989) 図 2-6,田口安男「黄金背景テンペラ画の技法」(1978 年) 図 2-7 左上 諏訪敦「深海」(2000) 図 2-7 右上 Manuel Franquelo 「sin titulo(無題)」(1986) 図 2-7 左下 石黒賢一郎「Pasillo」(1998~2002) 図 2-7 左上 María Moreno「DoorwayinTomelloso」(1973) 図 3-1,渡邉聡志「淡々と日々」(2011)

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参考文献一覧

『岸田劉生とその周辺』東珠樹著. 東出版(1974)

『精密イラストレーションの世界 : テクニカルからスーパー・リアルまで』グラフィック社編

集部編. グラフィック社(1982)

『テンペラ技法の研究 : 報告書』金沢美術工芸大学美術工芸研究所編. 金沢美術工芸大学美術

工芸研究所(1992)

『リアル・イラストレーション』玄光社,イラストレーション:別冊(1981)

スーパーリアリズム展.岩手県立美術館 [ほか] 編. ア-トインプレッション, 2004.

『スーパーリアリズム展』朝日新聞東京本社企画第一部編集. 朝日新聞社(1985)

『黄金背景テンペラ画の技法 : 油絵の母胎、現代の手によみがえるルネッサンスの板絵技法』

田口安男著. 美術出版社, 新技法シリーズ(1978)

『テンペラ画ノート』視覚デザイン研究所(2002)

磯江毅『写実考』美術出版社(2009)

『スペイン美術は今マドリード・リアリズムの輝き 図録』朝日新聞社(1991)

諏訪敦絵画作品集『どうせ何も見えない』求龍堂(2011)

『形而上学の現在』中畑正志ほか執筆. 岩波書店(2008)

『見るということ』ジョン・バージャー著/笠原美智子訳. 白水社(1993)

『哲学の問題群 : もういちど考えてみること』麻生博之, 城戸淳編. ナカニシヤ出版( 2006)

『写実の系譜 : 魂をゆさぶる表現者たち』金原宏行著. 沖積舎(2008)

『アートコレクター 2007 秋』第 26巻第 13号通巻 301号 生活の友社(2007,10,1)

『アートコレクター 2008 No10』第 1巻第 1号通巻 1号 生活の友社(2008,8,25)

『アートコレクター 2008 No12』第 1巻第 2号通巻 2号 生活の友社(2008,10,25)

『アートトップ 7月号』通巻 216号 芸術新聞社(2007,7)

『アートトップ 9月号』通巻 223号 芸術新聞社(2008,9)

『美術の窓 2006年 7月号』第 25巻第 8号通巻 282号 生活の友社(2006,7)

『美術の窓 2006年 10月号』第 25巻第 11号通巻 285号 生活の友社(2006,10)

『美術の窓 2007年 8月号』第 26巻第 11号通巻 299号 生活の友社(2007,8)

『美術の窓 2008年 3月号』第 27巻第 5号通巻 310号 生活の友社(2008,3)

『美術の窓 2009年 3月号』第 28巻第 3号通巻 325号 生活の友社(2009,3)