(2) なまえのない 新聞 no.89/1998年5/6月号 ワタ って 気持 … · 衣 食...

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★1200年前からある 日本綿が風前の灯火に 来年はワタが日本に渡来してちょうど 1200年目になるという。ワタはもともと熱 帯地方原産の1年草で暖かく乾燥した土地 を好み、日本では少々栽培が難しい植物だ。 しかし日本に根付いた日本綿は日本の気候 風土になじんで比較的低温多湿な気候にも 育つようになった。ワタの実(コットンボ ール)は雨にあたると品質が落ちるが、現 在世界の生産量のほとんどを占める米綿 (新大陸原産の綿、染色体数が違うので交配 しない)が上を向くのに対し、雨の多い日 本で育つ日本ワタの繊維は下を向いてはじ ける。明治の中頃までは100%自給栽培さ れていた日本綿も安価な輸入綿に追われ、 現在では綿の自給率は商業統計上はすでに 0%となっている。しかもこの十数年で急激 に栽培される量が減っており、また貴重な日 本独自の綿繰り機や紡績機などの道具も資料 館や民芸館以外では風前の灯火の状況にある という。 ★日本綿を守りガンジーの 精神を現代に受け継いで ワタとチャルカの会は在来品種の日本綿を 畑で栽培し、その種を未来に残していくため に、希望者に種を配布している。また日本の ワタを誰もが自分の生活にとりいれていける ように、綿繰りから綿打ち、糸つむぎ、そし て機織りまで、誰でもができる技術を広めて いくためのワークショップや講習会を開いて いる。それと同時に、環境問題や南北問題、 そして衣食住など生活の自給・自立など、ガ ンジーがチャルカにこめた人間の生きる道を 発掘し、もっとみんなに知ってほしいと願っ て精力的に活動している。 「種が大事。種がつながっていくことが決 定的に大事なことだと思います。一人でもい れば、一つの種があれば必ずつながっていけ る。それを大事にすること。ワタの繊維はそ れ以上生み出さないけど、種が一つあれば最 低でも次の年には240粒の種になり、その また次の年には240の240倍になって、 夢がふくらむ。一粒の種を大事にできる人が 一人いるかいないかで、世の中を変えていく と思うんです。」と代表の田畑さんは言う。 田畑さんは都会の工場で働く生活から、食 が大事だということで田舎に入って農業をは じめた人。10年前に妻をガンで失い、3人 の子供のうち2人は巣立ち、今は末の子供 (高2)と房総の山の中に住み、自然養鶏と 無農薬有機野菜の宅配で生計をたてている。 ワタに興味をもち追求しだして15年。イ ンドを何度も訪れてガンジーの足跡をたど ったり、国内でもワタ栽培の経験者や道具 を調べて回っている。 「僕がガンジーに共感するところは、イ ンドやアフリカが西洋の国と比べると遅れ てるとか野蛮だって言われてても、ガンジ ーはそれが大切なんだと言ってたんです。 自然と一緒に暮らしていて生きることが大 事なんだと、インドはインドのままでいい んだって言ってる。それで自分も救われる っていう気がする。」 「偉い人がワタのことを言ってもわかっ てもらえないだろうけど。オレが言うから わかってもらえるんだって思う。ニワトリ と毎日格闘して、田圃で泥まみれになって、 そういうオレが言うからわかってもらえる んだって思ってるんだ。大学の教授とかが ワタのことを歴史的に勉強したって、そん なの通じないぜって。オレがその気持ちを、 ほんとにそうだって思ってることを話すこ とでしか通じないって思ってるんですよ。」 ★柔らかく・暖かく・気持ち いいワタテラピーの世界 同会のワークショップの参加者は、意外 と若い人が多いそうだ。田舎暮らししたい と思っている人とか、生活を変えたいと思 っている人が、自給の一環で「衣」に気が つく人が多いのだろう。そして畑に行って ワタ摘みをしてみると、その感触に「気持 ちいー」と驚く人が多いという。誰もが花 を見てきれいと思うように、ワタにさわる とみんながみんな気持ちいいと感じるそう だ。そういった、否定的な感情ではなく気 持ちいいというところから入れるのがワタ の面白いところだ。 ワタって気持ちいい〜! 使 使 綿 綿 80 綿 綿 綿 *綿の実 10ヶ ¥500(会の畑でとれたもの) 日本綿とその技術を守るワタとチャルカの会 (2)なまえのない新聞 No.89/1998年5/6月号

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★1200年前からある日本綿が風前の灯火に

来年はワタが日本に渡来してちょうど1200年目になるという。ワタはもともと熱帯地方原産の1年草で暖かく乾燥した土地を好み、日本では少々栽培が難しい植物だ。しかし日本に根付いた日本綿は日本の気候風土になじんで比較的低温多湿な気候にも育つようになった。ワタの実(コットンボール)は雨にあたると品質が落ちるが、現在世界の生産量のほとんどを占める米綿(新大陸原産の綿、染色体数が違うので交配しない)が上を向くのに対し、雨の多い日本で育つ日本ワタの繊維は下を向いてはじける。明治の中頃までは100%自給栽培されていた日本綿も安価な輸入綿に追われ、

現在では綿の自給率は商業統計上はすでに0%となっている。しかもこの十数年で急激に栽培される量が減っており、また貴重な日本独自の綿繰り機や紡績機などの道具も資料館や民芸館以外では風前の灯火の状況にあるという。

★日本綿を守りガンジーの精神を現代に受け継いで

ワタとチャルカの会は在来品種の日本綿を畑で栽培し、その種を未来に残していくために、希望者に種を配布している。また日本のワタを誰もが自分の生活にとりいれていけるように、綿繰りから綿打ち、糸つむぎ、そして機織りまで、誰でもができる技術を広めていくためのワークショップや講習会を開いている。それと同時に、環境問題や南北問題、そして衣食住など生活の自給・自立など、ガンジーがチャルカにこめた人間の生きる道を発掘し、もっとみんなに知ってほしいと願って精力的に活動している。

「種が大事。種がつながっていくことが決定的に大事なことだと思います。一人でもいれば、一つの種があれば必ずつながっていける。それを大事にすること。ワタの繊維はそれ以上生み出さないけど、種が一つあれば最低でも次の年には240粒の種になり、そのまた次の年には240の240倍になって、夢がふくらむ。一粒の種を大事にできる人が一人いるかいないかで、世の中を変えていくと思うんです。」と代表の田畑さんは言う。

田畑さんは都会の工場で働く生活から、食が大事だということで田舎に入って農業をはじめた人。10年前に妻をガンで失い、3人の子供のうち2人は巣立ち、今は末の子供(高2)と房総の山の中に住み、自然養鶏と無農薬有機野菜の宅配で生計をたてている。

ワタに興味をもち追求しだして15年。インドを何度も訪れてガンジーの足跡をたどったり、国内でもワタ栽培の経験者や道具を調べて回っている。

「僕がガンジーに共感するところは、インドやアフリカが西洋の国と比べると遅れてるとか野蛮だって言われてても、ガンジーはそれが大切なんだと言ってたんです。自然と一緒に暮らしていて生きることが大事なんだと、インドはインドのままでいいんだって言ってる。それで自分も救われるっていう気がする。」

「偉い人がワタのことを言ってもわかってもらえないだろうけど。オレが言うからわかってもらえるんだって思う。ニワトリと毎日格闘して、田圃で泥まみれになって、そういうオレが言うからわかってもらえるんだって思ってるんだ。大学の教授とかがワタのことを歴史的に勉強したって、そんなの通じないぜって。オレがその気持ちを、ほんとにそうだって思ってることを話すことでしか通じないって思ってるんですよ。」

★柔らかく・暖かく・気持ち いいワタテラピーの世界

同会のワークショップの参加者は、意外と若い人が多いそうだ。田舎暮らししたいと思っている人とか、生活を変えたいと思っている人が、自給の一環で「衣」に気がつく人が多いのだろう。そして畑に行ってワタ摘みをしてみると、その感触に「気持ちいー」と驚く人が多いという。誰もが花を見てきれいと思うように、ワタにさわるとみんながみんな気持ちいいと感じるそうだ。そういった、否定的な感情ではなく気持ちいいというところから入れるのがワタの面白いところだ。

ワタって気持ちいい〜!

チャルカを使って糸をつむぐ田畑さん

生活の基本を「衣食住」と言う

が、なぜ「衣」が最初にくるのだ

ろうか。それは動物達も食べたり

住まいを持つのに対し、「衣」が

人間だけのものだからかもしれな

い。しかし、その誰もが毎日身に

つけている衣服のことを、私たち

は驚くほど意識することが少な

い。食べものや住まいの安全性や

材料のルーツについて、最近では

当たり前のように語られるように

なってきた。生活の自給を望む人

は野菜を育てたり、家を自分で建

てる人も珍しくはない。しかし日

常的に使う衣のことは、意外と忘

れられているようだ。

日本綿の産地だった房総を拠点

にする「ワタとチャルカの会」は

2年前からワタの栽培や糸つむぎ

等のワークショップ、講演会など

の活動を行っている。モノがあふ

れ矛盾が噴出する世紀末の現代社

会を「衣」「ワタ」という視点か

ら考える同会代表の田畑健さんと

会員でしのにむ生活工房の眞々田

淑江さんのお二人にお話を聞かせ

てもらった。

ワタとチャルカの会では希望者に

日本綿の種と栽培法の解説をプレゼ

ントしています。80円切手を貼った

返信用封筒に住所・名前を書

いた上カンパ(切手等で)を

同封して申し込んで下さい。

ワタの種まきは5月が適期で

す。市販の綿の種や一部団体

で配布している種は米綿なの

で日本の気候風土に合わず、

虫もつきやすいのでご注意を。

★日本綿を育ててみよう

*綿の実 10ヶ ¥500(会の畑でとれたもの)

日本綿とその技術を守るワタとチャルカの会

(2)なまえのない新聞 No.89/1998年5/6月号

「僕の言ってることはほとんど聞いてなくても、あの感覚で来ている人が多いかナー。」と田畑さんは笑う。「ワタ摘みは奴隷の仕事にされていたような単純作業なのに、気持ちよくてはまってしまうんですよ。」「ワタ自体にヒーリング効果があるらしくて、リフレッシュになる。空気などを浄化する作用があるそうだし、人の快感をかきたてる作用がありますね。」と眞々田さん。どうやら綿にはワタテラピーとでも言えそうな力があるようだ。

しかもワタの本当の良さというのは、手つむぎ・手織りでやらないと出てこないという。というのは、紡績機械で作った綿糸は非常に強い力で糸を紡ぐので強くはなるが、繊維の間に空気を含んだワタ本来の良さが失われてしまうのだそうだ。日本独自の和紡績のガラ紡は手つむぎと同じレベルかそれ以上にゆるい撚り糸で、それを使っ

★日本綿には白の他に茶綿もあります。しかし交配してだんだん色が薄くなってしまいます。それを本来の茶色に戻すために選抜していく作業をしていま

すが年数がかかります。霜の降りないような暖地なら年2回育てられるかもしれないので、茶綿の復元に手を貸していただけそうな方はご連絡下さい。

る。さらに短い繊維でも紡績できるので落綿やリサイクル反毛綿も活用でき、資源の節約や再生にも役立つエコロジカルな紡績法だ。(*石けんさえも使わないで食器洗いができる台所用和紡ふきん「びわこ」は有名。その他、デリケートな肌の赤ちゃんの体を洗う和紡タオルやシーツ、シャツ等もある。豊橋の朝光テープ製造)

会では日本綿とその利用技術を伝統工芸のような芸術品ではなく、あくまで日常品として使われるものを自分たちでできる方法を進めようとしており、その入り口としてコマとかチャルカとか原始機を提案している。

会主催のワークショップなどの他にも、この秋にはPARC自由学校の体験コースで、実際に畑に来てもらって収穫したり、話を聞いて手つむぎをやる講座を予定しているので、関心ある人は参加してみたらどうだろう。

(聞き手・文責:浜田)

会員募集:年会費¥2000(賛助会員年¥5000)通信を年4回発行。ワークショップや講習会では会員割引有り ワタとチャルカの会 :千葉県鴨川市西339 田畑和棉農園 TEL.0470-92-9319 振替:00150-0-400660

★ワークショップ「棉から布へ」各々、栽培法、収穫した棉から糸にするまでの実際と、2日で糸つむぎができるようになる実習があります。  問合・申込み:TEL/FAX.0470-92-9319 田畑和棉農園●5月16/17日:鴨川青年の家(¥15,000=泊・材料費込=以下同様)・糸つむぎと原始機で織るコース・種まき実習と栽培法、チャルカの話

●6月27・7月11日(2回連続講座) :千葉県さわやか県民プラザ=JR常磐線柏駅〜バス(2日間¥15,000=材料費込み)●6月13/14日、7月4/5日:鴨川

青年の家(6月 ¥15,000/7月 ¥18,000)●8月8/9日:鴨川青年の家(¥18,000)*小学生以上の親子連れ歓迎。子供半額

〈田畑さんの講演会から〉

有機栽培のワタということが最近言わ

れるようになったが、ワタ栽培には農薬

をものすごく使用しており、だいたい世

界の農薬使用量の3分の1がワタの栽培

で使われているそうだ。またそれだけで

なく、枯れ葉剤の使用も問題だ。という

のは、収穫するときに葉があるとゴミに

なってしまうので、枯れ葉剤を使って葉

を落としてから機械で収穫する。

★大量消費文明の象徴「衣」

私が「衣」のことで問題にしたいのは、

ありあまるほど大量に衣服が出回ってお

り、簡単に手に入るということです。そ

ういった恩恵に預かっていて、衣のこと

には全く不自由を感じていない私たち、

日本の現状があります。

たとえば昔だったら日本でも、服に穴

があいてもつぎはぎをして着ていた。つ

ぎはぎだらけの物を着て、ほんとに着ら

れなくなったら小さく切って裂き織りに

したり、外国だったらパッチワークにし

て大事に大事にリサイクルして使ってい

た。つまりそれくらい、ワタから糸にし

て布にするというのは大変な工程なんで

す。自分でワタを育てて糸につむいで、

服にしたものにはすごく愛着がわいて、

お金には換えたくないです。

そんなふうに大事にしていたものが、

西洋では18世紀末のイギリスの産業革

命によって、また日本では明治以降の紡

績機械の登場によって、衣服が大量に安

価に作られ、大量に出回るようになった。

そこから近代機械文明が発達して鉄道と

かいろんな便利な物ができて物が豊かに

なって生活が楽になるという社会に変わ

ってきました。しかし、果たしてそれに

よって人間はほんとうに幸せになり、世

界は平和になってきたのでしょうか。

イギリスの産業革命以降、人類がいか

に悲劇のどん底に突き落とされていった

か、戦争に巻き込まれていったのか。ち

ょうど今から50年前に亡くなったガン

ジーはこう言っています。「わたしはイ

ギリス人に憎悪は感じないが、イギリス

の生み出した近代機械文明には敵意を抱

いている」と。

★産業革命とワタ

イギリスの産業革命は元々機織り機の

改良から始まった。早く糸を織れるよう

になってくると糸の生産が追いつかなく

なるので、こんどは糸つむぎが機械化さ

れ紡績機械が発明される。それから自動

織機が発明され、また化石燃料を利用し

た蒸気機関が作られるようになって地球

温暖化や公害問題がここからはじまる。

このようにイギリスでは、いかにして

機械を利用してワタを早く織るかという

ことで産業革命を達成していった。そし

てだんだんと機械を作るための機械、つ

まり重工業が発達していき、「世界の工

場」と言われる地位を確立した。そして

世界中の多くの国々を植民地として組み

込む大英帝国となっていった。しかしイ

ギリスでは気候が寒いのでワタを作れな

い。そのことが世界を巻き込んだ大きな

変動をつくる決定的な要因になった。

一方、工場での労働は悲惨な状態だっ

た。少年や少女たち、アイルランドの人

たちがイギリスに連れてこられて一日十

何時間も工場の中で働いていた。工場が

できてはじめて資本家が誕生し、資本主

義社会が成立する。そして工場労働者が

悲惨な状態にあるということから社会主

義という思想が生まれた。つまり近代を

支配してきた資本主義と社会主義という

二つのイデオロギーが、イギリスでワタ

の工場ができたことから生まれ出た。

そしてまた、イギリスの産業革命によ

って、さらに大きな問題が派生していっ

た。原料のワタは約80%がアメリカ南

部で作られ、イギリスに運ばれるように

なった。安い大量のワタが必要とされた

ため、安い労働力、つまりアフリカの黒

人を使った奴隷労働によってまかなわれ

るようになったのだ。アフリカから連れ

てこられた人間は1500万人から60

00万人のぼると言われている。そして

この奴隷貿易を担ったはイギリス王立ア

フリカ貿易会社だった。

さらに、大量の綿製品が作られるよう

になると、それを売るための大きな市場

が必要となってくる。他のヨーロッパの

国では同じように綿工業が生まれて、売

れなくなってしまったので、主な市場は

アジアに移り、その中でもインドが最大

の市場になった。インドはもともと世界

の綿業の発祥の地であり、綿業がさかん

だった土地で、イギリスの産業革命の前

はインドから世界中に綿製品が輸出され

ていた。インドの各地には織物で有名な

土地があり、中でも一番さかんで最高級

の物を作り出していたのがベンガル地方

(インド東部)のダッカだった。イギリ

スは最初、東インド会社を設立してイン

ドから綿製品を買い付けていたが、だん

だん立場を変えて東インド会社がイギリ

スの綿製品を売りつける会社になり、し

まいには軍事力をもってインドを植民地

支配する機関に変わっていった。そのた

めにイギリスはインドの綿製品の手工業

を徹底的につぶし、職人達を虐殺した。

現在もバングラデシュは最貧国である

が、それはこういった歴史による。

戦争と大量消費社会をつくったワタの歴史

★ワタとチャルカの会★

次頁につづく

なまえのない新聞 No.89/1998年5/6月号(3)

★日本の近代史とワタ

一方、イギリスだけではなく日本の近代の

歴史でもワタが大きな役割を果たした。ワタ

は日本でも江戸時代までは手つむぎ・手織り

で作られ、明治の中頃までは100%日本綿

で自給されて日本人の衣服として使われてい

た。しかし明治維新のあと、国は富国強兵・

殖産興業という政策をとり、殖産興業の中で

一番重要視されたのが紡績産業だった。「女工

哀史」とか「ああ野麦峠」に出てくる女工た

ちはみんな紡績産業で働いていた。そして、

それまで手つむぎ・手織りで服を作っていた

ものが、機械でどんどんどんどん出来るよう

になると、イギリスと同じように国内でそん

なに沢山消費されるわけでないので、買い手

がいなくなってしまい、すぐに恐慌が起こる。

でも富国強兵策の中で日清戦争が起こり、清

国が日本の市場になっていく。大量の物を清

国にも売れるようになったため又工場がたく

さん建てられて、さらに多くの物が作られる

ようになる。すると当然、市場は清国だけで

はまにあわなくなってきて、こんどは日露戦

争が起こる。日本一国だけではシステムがな

りたたないので、他の国を市場にしていかな

ければならない。そのために戦争を利用して

市場を得ていく。つまり殖産興業と富国強兵

が一体となって大東亜共栄圏という形で日本

の市場づくりをしていった。

先進工業国といわれるヨーロッパ各国もみ

んな同じような過程をへた。たくさんの機械

がたくさんの物を生み出せば生み出すほど、

各国の利害が対立してくるようになる。そこ

で機械を導入できないでいたアジア、最終的

には中国をめぐるヨーロッパ各国による争奪

戦となり、世界を巻き込んだ戦争に突き進ん

でいった。日本はアジアの国で唯一、侵略さ

れる側ではなく侵略する側として第一次大戦

に参加した。それはとりもなおさず日本が綿

工業を取り入れることに成功したからに他な

らない。

★現代のシステム

その後、第一次大戦、第二次大戦が終わる

と、もう戦争という形で市場を得ることは出

来なくなってしまった。でも機械工業は依然

として存在しているので、このシステムをな

りたたせ大量に売れる市場を作るため、ファ

ッションがさかんに強調されるようになった。

今年はミニスカート、来年は青い色、‥‥流

行をつくってたくさんの物を捨てさせ、また

新しい物を買わせる。昔は物を大事にするこ

とが美徳だったのに、今は新しい物を着るこ

とが美徳とされるような社会の道徳観が新し

い需要を作り出していく。

衣料品以外の部分でも、たとえば皿洗い機

とか布団乾燥機などなど、次々に新らしい機

械が出されていく。パソコンなどは2〜3年

すれば買い換えないと古くて使えなくなって

しまう。ほんとは必要ないものが必要である

かのようにコマーシャルで人間の意識を操作

する。それによって大量生産が成り立ち、ま

た同時に大量の資源やエネルギーを費やして

いくことで成り立つ。これが今の社会のシス

テムとなっている。

★ガンジーの訴え

ガンジーはこのことを当時こんな風に言っ

ている。「インドを貧困に陥れているのは、イ

ギリスの大砲や剣ではなく、これまでインド

のために役立っていると思われていた近代的

工場や鉄道、医学などの近代西洋文明そのも

のであり、近代文明の業火に焼かれながらも、

なおそれが良い物だと信じ込んでいるインド

人自身に他な

らない。」ガン

ジーはイギリ

ス人を憎みは

しなかったが、

イギリスが産

んだ機械のシ

ステムは人類

にとって一番

の罪悪だと訴

えた。

そしてガン

ジーは、もし

インド人がイ

ギリスの綿製品を買わないで生活していける

なら、それはインドの独立につながり、イギ

リスに頼らない自治に役立つ。そこで国産品

奨励(スワデシ)を掲げて国民的な反英闘争

を繰り広げた。背広を脱ぎ捨てたガンジーは、

最下層の人たちの服装である腰布一枚にサン

ダルばきという姿で反英闘争の集会に登場す

る。自分たちの衣服は自分たちの手で、チャ

ルカを使って紡ぎ出すこと、それがインドの

独立に絶対に必要なことだと訴え、民衆から

熱狂的に受け入れられてインド独立闘争の大

きな柱になった。

「機械はヨーロッパを荒廃させかけている。

イギリスはすでに破滅の寸前にある。機械は

近代文明の主要な象徴であり、重大な罪悪を

表すものである」と言ったガンジーは、イギ

リスで生まれた近代機械文明に対峙できるイ

ンド独自の歩むべき道を指し示そうとした。

民衆が日々生活していくときに必要な生活必

需品は、大きな資本を持った資本家の工場に

まかせてはいけない。工場では沢山のものが

容易に生産されるが、それは一部の資本家の

ものだ。自分の生活を資本家や工場にまかせ

ていくときに、資本家などによる民衆の支配

がなりたっていく。自分たちが自立していく時

には、ほんとに生活に必要なものは自分たちが

作り出していく能力、手段、道具を自分たちの

手の内に持たなくてはいけない。チャルカのよ

うな道具は誰でもが持てる。しかしこの、チャ

ルカに託したガンジーのメッセージが、これま

でほとんど紹介されてこなかったのが現実だ。

ガンジーが暗殺されて今年でちょうど50年

たつ。ガンジーがチャルカにこめた思いは古く

さいものだとかインドだからこそのものと言わ

れるが、ガンジーは塩の自給にもこだわったよ

うに、人がほんとに必要とする物をどのように

得ていくのかを問うている。ガンジーはイギリ

スからの独立を目指したというよりは、近代機

械文明のシステムのことを問題としていた。そ

うではない人間の生きる手段・方法を一刻も早

く確立しなければいけないという訴えは全く古

い問題ではない。そのシステムはいまだ変わっ

ていなくて、むしろインドも中国も東南アジア

の国々も同じ近代化の道をいま歩もうとしてい

る。しかしガンジーは、ここにこそ社会を破滅

に導くシステムがあるということを訴えてい

た。イギリスや日本がこのシステムを取り入れ

ることで、世界が大きく変わっていったが、そ

れとは比較にならないほど大きな中国などがこ

のシステムを取り入れていくことで、今後世界

に大きな影響を及ぼしていくだろう。   ●

★チャルカについて

手回しの糸をつむぐ道具。一

台何役もの働きをする上、折り

畳んで持ち運びができるように

なっている。ガンジーは、「イ

ンドを非暴力的な手段で守る唯

一の武器はこのチャルカしかな

い」と訴え、独立運動のシンボ

ルとなった。しかし現在ではイ

ンドで儀式的にしか使われてお

らず、ワタとチャルカの会では

自作しようと研究中だそうだ。

人がほんとに必要とする物をどのように得ていくのか

前頁よりつづく●世界を変えたワタ

大量生産・大量消費社会のシステムをつくったワタ

(4)なまえのない新聞 No.89/1998年5/6月号