ifrsの独占:財務報告におけるハーメルンの笛吹き男9...

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8 の会計,経済およびファイナンスの教授でい らっしゃいます。また,Yale大学の経済学部の 教授および YaleLawSchool の非常勤教授であ り,世界的に有名な会計学者ならびに実験経済 学者であります。Sunder教授の研究には,財務 報告,証券市場における情報の普及,Valuation に関する統計理論,および電子市場の設計が含 まれます。また,実験ファイナンスおよび実験 マクロ経済学でもパイオニアでいらっしゃいま す。Sunder教授は,研究に関して多くの賞を受 賞しておりまして,その実績の中には,6冊の 著作,また主たる会計,経済およびファイナン スの専門誌に175を超える論文が掲載されてお り,メディアにも頻繁に出演されております。現 在の研究は,米国および国際会計監査機関にお けるストラクチャリングの問題,また,いかに して規制による監督対市場の競争との効果的な バランスをとるかに関心を向けられています。 2006年から2007年までアメリカ会計学会の会長 でいらっしゃいました。GreatLakesInstitute of Management の Honorary Research Direc� tor,ならびに CentreforStudyofScienceand Technology Policy の Distinguished Fellow で いらっしゃいます。Sunder教授よろしくお願い いたします。(拍手) 講演⑴ IFRSの独占:財務報告におけるハーメルンの笛吹き男米国・イエール大学教授 アメリカ会計学会(AAA)元議長 Shyam Sunder 辻山先生ならびにご参加の皆様,ありがとう ございます。日本,とりわけ早稲田大学を訪問 することができ,うれしく思っております。早 稲田大学との交流は,こちらにいらっしゃる広 田先生とともに何年も前から始まりました。わ れわれは共に研究をしてきましたし,今もお付 き合いいただいております。辻山先生とも知り 合うことができ,今回来られたことを大変うれ しく思っております。また,今回は慶応大学の お招きをいただいて,1月から2月にかけて慶 応大学で講義を行うために東京に参りました。 慶応大学の太田康弘先生にも御礼申し上げます。 そして,ここに立つことを光栄に思います。皆 様から講演の機会をいただきましたことに感謝 いたします。 ⑴ はじめに われわれは,IFRS についていくつかのレベ ルで問いかけることができます。例えば,会計 システムを選択する際に,何らかの意味でより 良い会計を選んだほうが良いのか,または市場 を改善するような会計システムを選択したほう が良いのか,あるいは,一国または世界の社会 もしくは経済を改善するような会計システムを 選択すべきかということを考えます。つまり,こ れらの問題を会計,社会,市場という様々な異 なるレベルで自問します。どのレベルにおいて 考えるかによって,全く異なる論点が生じます。 もちろんこの講演では,主に市場および経済の 観点からお話します。財務報告の方法を選択す る際に,何が経済にとって良くて何が良くない のか,より広い視点から申し上げたいと思いま す。 そこでまず,最初に確認しておきたいのは「会 計システムまたは会計手法の選択は,社会がよ り繁栄することが目的である」ということです。 ここで考えなければならない問題は,独占的な 会計(基準)がこれらの目的を達成することに 資するのかということです。われわれがここ数

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の会計,経済およびファイナンスの教授でいらっしゃいます。また,Yale 大学の経済学部の教授および Yale�Law�School の非常勤教授であり,世界的に有名な会計学者ならびに実験経済学者であります。Sunder 教授の研究には,財務報告,証券市場における情報の普及,Valuationに関する統計理論,および電子市場の設計が含まれます。また,実験ファイナンスおよび実験マクロ経済学でもパイオニアでいらっしゃいます。Sunder 教授は,研究に関して多くの賞を受賞しておりまして,その実績の中には,6冊の著作,また主たる会計,経済およびファイナンスの専門誌に175を超える論文が掲載されてお

り,メディアにも頻繁に出演されております。現在の研究は,米国および国際会計監査機関におけるストラクチャリングの問題,また,いかにして規制による監督対市場の競争との効果的なバランスをとるかに関心を向けられています。2006年から2007年までアメリカ会計学会の会長でいらっしゃいました。Great�Lakes�Institute�of�Management�の Honorary�Research�Direc�tor,ならびに Centre�for�Study�of�Science�and�Technology�Policy の Distinguished�Fellow でいらっしゃいます。Sunder 教授よろしくお願いいたします。(拍手)

講演⑴ 「IFRSの独占:財務報告におけるハーメルンの笛吹き男」

米国・イエール大学教授アメリカ会計学会(AAA)元議長

Shyam Sunder

辻山先生ならびにご参加の皆様,ありがとうございます。日本,とりわけ早稲田大学を訪問することができ,うれしく思っております。早稲田大学との交流は,こちらにいらっしゃる広田先生とともに何年も前から始まりました。われわれは共に研究をしてきましたし,今もお付き合いいただいております。辻山先生とも知り合うことができ,今回来られたことを大変うれしく思っております。また,今回は慶応大学のお招きをいただいて,1月から2月にかけて慶応大学で講義を行うために東京に参りました。慶応大学の太田康弘先生にも御礼申し上げます。そして,ここに立つことを光栄に思います。皆様から講演の機会をいただきましたことに感謝いたします。

⑴ はじめに

われわれは,IFRS についていくつかのレベルで問いかけることができます。例えば,会計

システムを選択する際に,何らかの意味でより良い会計を選んだほうが良いのか,または市場を改善するような会計システムを選択したほうが良いのか,あるいは,一国または世界の社会もしくは経済を改善するような会計システムを選択すべきかということを考えます。つまり,これらの問題を会計,社会,市場という様々な異なるレベルで自問します。どのレベルにおいて考えるかによって,全く異なる論点が生じます。もちろんこの講演では,主に市場および経済の観点からお話します。財務報告の方法を選択する際に,何が経済にとって良くて何が良くないのか,より広い視点から申し上げたいと思います。

そこでまず,最初に確認しておきたいのは「会計システムまたは会計手法の選択は,社会がより繁栄することが目的である」ということです。ここで考えなければならない問題は,独占的な会計(基準)がこれらの目的を達成することに資するのかということです。われわれがここ数

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年で経験した世界的な金融危機のような災害から世界を救済するという目的に照らして,独占という方法が選ばれているのかどうかということです。

ご存知のように,IFRS のアドプションについては,2つの方法を考えることができます。そのうち1つが,IFRS をすべての国のための1組の基準であると考えることです。すべての国で同じ方法,つまり同じ会計基準が使用され,法のもとで強制されるという考え方です。別のIFRS に関する考え方として,IFRS は,複数の選択肢の1つとして提供される,つまり,代替的な基準と競争するものの1つが IFRS であるというものがあります。例えば,電子機器メーカーや自動車メーカーが競争しているのと同様です。複数の選択肢の中の1つとしての IFRSという話は,皆さんあまりお聞きにならないかもしれませんし,また,IFRS をサポートしている方も複数の選択肢の中の1つという考え方を支持していません。IFRS をサポートする人たちは,そうではなく,各国の政府ならびに当局(例えば,米国でいえば SEC が相当します)を説得し IFRS を強制適用させることに重点を置いてきました。この講演の中での私のコメントは,この「独占の提案」に絞りたいと思います。日本,米国,あるいはその他の国々が各国政府のもとで,すべての企業に対して IFRS のみを強制適用し,他の基準を使用してはならないとすることが良いのかどうか,それが私の命題です。

ご存知のように,われわれは会計専門家として,反対意見に対して確固たる立場で,評判

(popularity)に惑わされず判断しなければならなりません。Creativity とか,Imagination というものは,会計の世界ではネガティブな意味を有する傾向があります。つまり creative な会計士は望ましくなく,実際は退屈な会計士が望まれるでしょうが,様々な意見に対して自らの立場を堅持し,全体として社会の利益を守り,自らの弱さに打ち勝つことが,会計専門家に期待されています。いくつもの事例があります。ご

存知の方もいらっしゃると思いますが,数年前まで米国の会計検査院の院長であった David�Walker は,米国の財政上の責任を追及するための十字軍ともいえるような組織を立ち上げています。彼は,米国の会計は間違っており,米国の予算方針および立法については深刻な問題があり,将来のことを真剣に心配し注視する必要があるとしています。社会全体としての利益を考えているということで,これは素晴らしい会計専門家としての立場ではないでしょうか。このような視点に立ったうえで,IFRS を分析したいと考えております。

⑵ IFRS の独占

(IFRS と度量衡)全世界で行われている IFRS アドプションの

ためのキャンペーンは,繰り返し唱えられている次のようなスローガンに示されています。「単一の1組の高品質な原則主義の会計基準をすべての人が使えば,すべての国,すべての市場において比較可能性が達成される。」そして,このスローガンを合言葉のようにあちらこちらで唱えてほしいと多くの人たちが頼まれています。しかし,私が申し上げたいのは,「そうですね」と先ほどのスローガンの見解を受け入れる前に,もう少し考えるべきではないかということです。なぜなら,1組の基準を使用しただけでは全世界での比較可能性という目的は達成されないと考えているからです。それが根本的に間違った見解であることを事例を用いて申し上げます。IFRS が適用されたとしても,良い点よりも想定外の弊害,すなわち市場,経済および社会の繁栄にとって想定外の帰結が避けられないといえます。いかなる政策でも,導入すると想定外の帰結は起こるものです。もちろん,IFRS は良いという実証的な研究結果も出ています。ただ,証拠があるといわれていても,結果はバラバラであり,たいてい関連性がないことを申し上げたいと思います。

その中身に入る前に,IFRS に関する基本的

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な議論を申し上げます。例えば,トルコの中央部にあるアナトリア地方に行きますと,紀元前1000年から1500年前の古代ヒッタイトの都市の遺跡があります。円形上の城壁のある大きな都市の遺跡があり,城壁の外には1つの小さなサークルがあります。その小さなサークルは,主要な都市の外にあった近隣の小さな町です。そこにはバビロニアの商人が暮らしていたのです。バビロニアの商人は,ヒッタイトとの取引のために遠方からやって来ました。商人は取引はできましたが,都市の門が閉鎖される夜間には中に入れてもらうことはできず,外の小さな町で夜を明かすしかありませんでした。つまり,通商取引の相手にしてもらえるくらいには信用されていますが,都市の中に入り夜を過ごすほどには信用されていなかったのです。

完全には信用できない人たちと,どのように取引をしていたのか。そのことに対する鍵はこれです(スライド参照)。これは,鴨が眠る姿に磨かれた,小さなヘマタイト(赤鉄鉱)の石です。これは「アッシリアの錘(おもり)」で,これで穀物などを測っていました。錘があることで重さを測って取引ができたのです。彼らは,錘を標準化することによって,知らない人同士でも売買ができるようになりました。このように,度量衡は国家の最古の機能の1つであることが歴史からわかります。そのことは人間社会の繁栄に大いに貢献しました。この錘を見てください。作りを見ていただきますと,無節操な商人

が錘の一部を削り落してしまった場合に,すぐにわかるようにとても美しく作られています。

なぜ,これを皆さんに紹介しているのか。それは,すべての人が交換取引できるよう,そして社会全体が繁栄できるよう度量衡を共通化するというアイデアは,今日も行われているからです。例えば,メートル法です。現在,メートルやキログラム,リットルなどが使用されている国は多く存在します。同じ度量衡を使用すると,お互い取引し易くなるといえます。例えば,日本が他の国に輸出したり,他の国から輸入したりする際に単位が同じであれば簡単です。IFRS を支持,あるいは IFRS の独占を主張する人たちは,この度量衡のアナロジーを用いています。度量衡を統一することが社会の繁栄を高めたのであれば,間違いなく全世界における単一の1組の会計基準は繁栄に資するであろうとされているのです。

ただし,このような類推は間違っており,ミスリーディングであることを申し上げます。金や牛乳,穀物は,度量衡に対して反応しません。しかし,投資家や経営者,会計士,規制当局は,会計手法に反応します。なぜなら,エージェントの行動は度量衡に対しては定常ですが,会計手法に対しては定常ではなく変化するからです。

(IFRS と通貨)IFRS の独占を考えるのに適したアナロジー

は,度量衡ではなく通貨であると主張できます。例えば,欧州では長期にわたる議論の末,1999年に一部の国が単一通貨を導入することになりました。単一通貨ユーロの問題は,例えばパリからフランクフルトへ旅行する際,空港での両替コストが減るというようなことで解決できる問題ではありません。それはもっと複雑な問題です。

なぜそれほど複雑であるのかについては,いくつもの理由があります。単純に,単一通貨が良いと言い切ることはできません。もし良いのであれば,おそらく全世界にとって良いのでしょうが,そうではありません。EU の中でさ

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えも,全員が受け入れているわけではありません。10年間のユーロ使用後,ユーロに対して重大な疑念が生じていることが見てとれます。多くの国は,ユーロという単一通貨を使用して良かったのか悩んでいます。もし,それを信じられないようでしたら,ギリシャ,ポルトガル,スペインに尋ねてみてください。多くの議論が起こっています。

私は単一通貨が悪いと言っているわけではありません。しかし,その問題は,単一通貨が良いアイデアであると単純に主張することで解決できる問題ではないと言いたいのです。同じように,単一の会計基準を使用し,またそれが唯一の方法であるから良いアイデアであるということは,単純には言えないということを申し上げたいのです。通貨は,物々交換のみに使用されているのではなく,信用,所得,失業,経済成長,インフレーションなど,マクロ経済の管理の観点から多くの目的で複数の国において使用されています。また,ドイツとギリシャ・ポルトガルとでは状況は異なりますので,単一通貨はその状況によって良いアイデアであるかもしれませんし,そうではないかもしれません。そのことについては詳細な分析を行わなければわかりません。では,単一の会計処理または単一の会計基準の長所が,地域や国によるカスタマイズができなくなる,あるいは政策の管理ができなくなるという短所を上回ることができるかどうかについては,先ほどの IFRS を推進するための合言葉を繰り返すだけでは,十分な説得力を持ちません。もしそれを信じられないということでしたら,各国に聞いてみてください。

「1つのサイズのものが,すべての人にフィットするとは限らない(One�size�does�not�fit�all)」のです。

(IFRS と言語)度量衡だけでなく,第2のアナロジーとして,

言語も IFRS の独占を推奨するために用いられます。企業会計はビジネスの言語であるとよくいわれます。私もそのことについては同意しま

す。それゆえに,IASB によって公表される単一の基準が,われわれの豊さ,経済成長,社会の幸福を改善するということが主張されています。しかし,そうはならないでしょう。

単一の言語によって世界および社会が改善されるというアイデアは昔からあります。ポーランドの Zamenhof は1883年,世界の紛争や戦争のほとんどが誤解や誤った伝達によって生じると主張し,理論化しました。彼は,なぜ誤った伝達が生じるのかについて,世界の異なる人種間で異なる言語が話されているからだとしました。そして,もし世界中のすべての人々が共通の言語を話せば,誤った伝達もなくなり,皆が幸せに暮らせて平和がもたらされるでしょうと結論づけました。そこで,単一の言語を世界中で使用することを提案しました。その単一の言語が何かわかりますか。エスペラント語です。彼は,エスペラント語を人工的な言語として全世界に提案しました。その言語はどうなったのでしょうか。結局,エスペラント語は,125年後にはなくなってしまいした。そのことを知っている人はほとんどいません。なぜ消えてしまったのでしょうか。消えた理由は,言語とは何であるのか,また言語はどういった機能を有するのかについて誤った概念に基づいていたからです。言語は,用語の意味が正確だからといって機能するものではありません。言語は,実際には用語の意味に曖昧さがあることによって機能しているのです。

なぜそう言えるのか,おかしく感じる人もいらっしゃるでしょう。では,例えば,「ジャケット(jacket)」という意味は何でしょうか。あなたはジャケットをどのように正確に定義するでしょうか。ジャケットを私が今着ているものと定義するとなると,(傍聴者の上着を指して)あなたが着ているものはジャケットではなくなります。なぜなら,色もデザインも違いますし,サイズも人によって異なります。そのような状況では,ジャケットをどのように定義すればよいのでしょうか。ジャケットという用語を使用することは主観的な判断の問題であるため,厳密

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に定義することはできません。そういったことをまさに会計の標準化で行おうとしているわけです。厳密にこれらの用語を定義しようとしていますが,厳密に定義しようとすればするほど,会計士はトラブルに巻き込まれることになります。

⑶ 標準化に関する問題

(標準化の経済的合理性と弊害)標準化については,2つの経済的合理性があ

ります。1つは,品質を改善することです。おそらく東京には,レストランの食品の品質を保つための基準があると思います。レストランで出される食事の品質は,最低限の基準を満たしたものであることを確かめなければなりません。レストランに食品および衛生等に関する基準があることで,われわれが安心して外食ができるということは喜ばしいことです。品質が1つの理由です。

2つ目は,基準が規格化(coordination)されているということです。規格化とはどういう意味でしょうか。電球が切れてしまったときに,お店に行って買うことができます。電流やサイズが電球によって標準化されていますから,新しい電球を購入しやすいといえます。サイズを測ったりしないで済むわけです。また,コンピュータのファイルを持ってきて,ここでお見せすることができるのも標準化がなされているからです。

標準化の2つのベネフィットは,「品質」と「規格化」であります。しかし,このような標準化の2つのベネフィットの存在は,すべてを標準化しなければならないことを意味しません。標準化にはこのようなベネフィットだけではなく,コストもかかります。標準化に伴うコストとは何でしょうか。標準化の最大の短所というのは,革新を阻んでしまうことです。例えば,iPhone が一番良い携帯電話であるとします。そして,それを標準化し,この一番良い携帯電話を,日本あるいは世界中で製造し,使用できる

ようにします。そうすると,5年あるいは10年後に携帯電話はどうなるでしょうか。今一番良いと思われるものを標準化したほうが良いのでしょうか。例えば,トヨタのレクサスが世界で一番良い車種であるとします。それが理由で,すべての人がトヨタのレクサスにしか乗らないようになっても良いのでしょうか。5年あるいは10年後に自動車の品質や価格はどうなるでしょうか。競争を欠いた状態では,そのような携帯電話や自動車の蔓延を見ることになると思います。品質の改善,革新の促進,または携帯電話,インターネットのテクノロジーの向上は,競争があったからこそ行われてきたといえます。今日の技術がもう改善の余地がないほどに最良なものであるとの確証がない限り,標準化は望ましくないでしょう。現在よりさらに良いものを開発するという可能性を削ってしまうからです。

(標準化のための条件)このように,いかなる製品または実務であっ

ても,標準としてその独占を認めるためには,極端なケースが必要となります。そこでは,確実に最良なものであり将来も更なる改善はないというかなり力強い証拠が必要となります。ここにいらっしゃる皆さんの中で,IFRS が最良の会計基準であると確証を持っていて,これ以上,将来も改良の余地はないと思っている方はどのくらいいらっしゃるでしょうか。特に,金融危機における IFRS に関連してです。そこまで確証がなくとも,代替案に対して門戸を閉ざしたほうが良いとは思わないはずです。完璧からは程遠いものに独占を認めるべきとは思わないはずです。

財務報告の標準化は,開示フォーマットや測定といった様々なレベルで議論することができます。Jamal 教授との論文の中で議論しましたが,開示基準は,本質的に品質の標準化(quality�standards)として見られています。フォーマットの標準化は,コンピュータ時代の今日,コンピュータを使用して1つのフォーマットから別のフォーマットへと簡単に変換することができ

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ますので,あまり重要な問題ではないでしょう。標準化のもっとも難しい部分は測定だと思います。測定基準は,多かれ少なかれ品質と規格化の両方の要素を含んでいるからです。そして,IFRS が将来,日本,欧州,米国あるいはその他の国の国内基準を上回る長所を持つかは明らかではありません。

歴史を振り返ると,悪い標準というものはたくさんあります。そして悪い標準は最悪の結果を招いてしまいます。皆さんは QWERTY キーボードをご存知でしょうか。これは19世紀に標準化されたものですが,なぜこのような配列でキーボードが並んでいるのかご存知でしょうか。それは,タイプライターのキーは,タイピストがあまりに早くタイプすると,お互いに当たってしまうからです。ということで,メカニカル・キーの配置をアレンジし,お互いにぶつからないようにしたのです。

今日では,メカニカル・キーではなく,電子キーとなっています。そして,キーボードをタイプするのに QWERTY キーボードではなく,DVORAK キーボードなどのより効率的なキーボードを使用すれば,より速くタイプすることができます。実際,この会場にいるコンピュータを所有するすべての人が,キー操作を数回することでコンピュータのQWERTYキーボードを DVORAK キーボードに変えることができます。DVORAK キーボードを使ったことがある方はいらっしゃいますか。手を挙げてください。

(誰も挙手しない)なぜより効率の良いシステムを使用しないのでしょうか。それは,古いシステムに慣れてしまっているからです。そこからなかなか抜け出すことができないのです。それは,100年前にできた悪いシステムに固執してしまっていて,悪いシステムだと知っていてもいまだにその状態に留まっていることを示す事例です。したがって,IFRS に固執すべきか決める前に,これが最良のシステムであるのかを十分に確かめたほうが良いでしょう。その確信がなければ,悪い標準に独占されてしまう可能性があります。

⑷ 会計基準の良否判断

(会計基準の良否に係る判断基準)さて,より良い会計システムの採用を決定す

る判断基準はいくつもあります。1つは,社会の繁栄です。これは最良の判断基準といえます。その他にも,あらゆる情報源からの情報の網羅性,安定性(stability),適応性(adaptability),頑健性(robustness),データ保存支�(assis�データ保存支�(assis�支�(assis�tance�to�capture)が挙げられます。「繁栄」は,誰もが求める目的でしょう。あらゆる人のアイデアおよび意見がそのシステムの中に取り込まれるべきです。審議会が会計システムを決定する際には,誰の意向を考慮するでしょうか。企業,監査法人,あるいは規制当局かもしれません。多くの投資家はわざわざそのプロセスに参加しないかもしれません。実際にそのプロセスに自身の考えを提供する人は限られていますから,基準変更の帰結が,安定したものか,不安定なものであるのか,それとも中立なものであるのかについて,われわれは慎重に見極める必要があります。

私は30年ほど前,Wall�Street�Journal に論文を書きました。そのタイトルは,「FASB は,なぜ多くの会計規則を作っているのか」というものです。「会計規則を数多く策定する理由は,作らなければならないからだ」と私は主張しました。50名から100名のスタッフ,250万から500万

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ドルの予算が与えられると,彼らは規則を作らざるを得なくなります。学界でも「論文を書かないと消滅してしまう」ということがいわれているのと同様に,基準設定主体も新しい規則を作らないと,自らの存在意義がなくなってしまうから基準を策定するわけです。彼らが「必要ないから新しい基準を作らない」といった場合,あなたは設定主体に予算を与え続けますか。このように,規則は累積的に増え,規則集は時を追いどんどん厚くなっていくわけです。基準を策定するための組織をいったん創設すると,その組織は基準を策定し続けることになるのです。

それから,適応性の問題もあります。われわれは,環境の変化に適応する新しい基準を望みます。環境の変化だけでなく,社会,事業,国の違いにも適応することが望まれます。また,それぞれの国は,異なる社会制度を有しています。同じ会計システムが,どの国にとっても最良であるということは必ずしもいえないわけです。そこで自らの目的のために基準設定主体を支配し利用しようとする人たちによる「設定主体の操作」の危険は常に存在します。

(IFRS 推進の論拠とその問題点)いくつかの論拠が IFRS に関する判断で用い

られています。それらは,会計と株価市場のデータとの間の統計的な共変動に関する主張です。これらの研究のすべてが,関係者の推進のもとで行われています。また,「120ヶ国がアドプションしており,そういった国のすべてが間違っているはずがないのだから,あなたの国も早くアドプションしたほうが良いですよ」ということがいわれています。日本でもそういった議論が展開されているのではないでしょうか。これらの点について見ていきましょう。

まず,会計と株価の実証的研究についてです。最近の論文からの引用ですが,「本論文は,財務報告の価値関連性を究明するものである。本研究は,上場会社の財務報告が株価にどのようなインパクトを与えるのかについて明らかにするものである。われわれの研究では,公表された

財務報告の価値関連性がごくわずかであることを明らかにしている。われわれの研究結果は,キャッシュ・フロー情報はほとんど情報価値がないことを表している。」この研究は,株価と会計データの統計的な相関を見ている研究です。

「価値関連性」という言葉が用いられ,あたかも因果関係があるかのようなことが示唆されています。詳細は時間がないので割愛しますが,1つわかっていることは,単に統計的な相関を因果関係として解釈することはできないということです。統計的な相関というものは,「non�di�rectional�relationship」です。X と Y という2つの変数があり,それらが相関を有しているとしても,X が Y を引き起こす原因である,あるいは Y が X の原因であるということは必ずしもいえないわけです。この種の研究には,そういった大きな問題が存在します。

この主張には2つの問題点が存在します。1つは,株式市場が「どの会計システムを採択すべきか」ということに関する単一の決定要因にはなり得ないということです。なぜなら,会計基準というものは,株式市場だけではなく,そのほかの社会的なセグメント,例えば,政府,公衆,顧客,供給業者,従業員,債権者,銀行などに影響を与えるからです。われわれは,会計システムを選択するにあたって,株価に対する影響だけに基づいて決定することはできないのです。たとえ会計基準を株価に基づいて決定できたとしても,統計的な共変動(covariation)というものは会計方針を選択する際の根拠には使用できないということを私は主張します。

このような見解によれば,会計データと株価データとの統計的な近接性(statistical�proxim�ity)を最大化すれば,財務報告の最も理想的なもの(Nirvana)を達成できるということになります。会計士を全員解雇し,会計制度もなくし,時価総額の変動を企業の利益として報告すれば,完全な相関,共変動が株価と会計との間で得られます。それが良いことなのでしょうか。そのことで効率的な市場が生まれるのでしょうか。答えは明らかにノーです。市場で全く新し

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い情報を得られなくなるからです。会計処理の選択の基礎として共変動を用いるという議論は根本的に誤っています。

2つ目の点ですが,数多くの組織が長年にわたり,非常に熱心に IFRS を推進してきており,そのために多くの時間と多額の資金を費やしてきました。ここで,彼らが IFRS を推進することによって何らかの利益を得るのか,そして,彼らのどの主張が社会全体にとって正当なもので,どの主張がそうでないのかをわれわれは問いかけなければなりません。

最後になりますが,「他の国はすべて IFRS をアドプションしているのですが,おたくの国だけが取り残されていますね」ということがロンドンでよく聞かれます。こういった議論は日本でもいわれているのではないでしょうか。この種の議論は,米国でも,インドでも,中国でも,あらゆる国でいわれています。そのようなことをいう人は,「もう採択していないのはあなただけですよ」ということを信じてもらいたいわけです。「他の人はすべて電車に飛び乗って,ホームに取り残されているのはあなただけで,電車はもう出発しますよ。乗り込まないと置いていかれますよ」というような議論がなされているわけです。しかし,その電車はどこに行くのか乗車する前に知りたいとは思いませんか。この電車はどこへ向かっているのか。どこに到着するのか。電車に乗り込むことは良い判断なのか。120人が乗っているからといって,自分も乗り込むべきなのか。自分にとって良いことなのか,ということを考える必要があるでしょう。

⑸ 進化するものとしての会計基準

(差異の存在の重要性)さて,どの会計システムがより良いものか,ど

のようにしてわかるのでしょうか。(キリスト教の)修道院の信条(priory�beliefs)あるいは第一原理からの導出(derivation�from�first�princi�ples)に基づいて選択することになるかもしれません。実世界から収集したデータの実験や分

析をもとに判断することもできます。繰り返しになりますが,これらに関しては方法論的な問題があります。

重要な問題に入りたいと思います。われわれはいかにして学ぶのかということです。われわれは差異から学ぶのです。日本が,連結会計あるいはその他の会計処理について変える必要があるか否かを考える際に,何ができるのでしょうか。まず,日本で何が起こっているのかを見ます。それから,米国または欧州,あるいは中国,カナダで起こっていることを見ます。そして,比較調査を行うのです。では,IFRS が世界を独占している5年後の世界を想像してみてください。世界のどの国も IFRS を利用していることになりますので,IFRS の規則が良いのか悪いのか,どうすればわかるのでしょうか。何がその比較対象となるのでしょうか。研究者あるいはデータを分析する者は,一定の差異のあるデータをどこから入手したら良いのでしょうか。独占は,そういったコストをもたらします。独占は情報を殺してしまいます。独占により情報の差異を失い,学んだり改善したり革新したり,より良いものを発見することができなくなります。

(社会的規範と成文化された規則)また,社会的規範の問題もあります。(スライ

ドを指しながら)こちらのスライドは二人の花嫁の写真で,片方はインドの花嫁で,私が生まれた国の花嫁の姿です。インドの地方の村の結婚の写真です。もう1つは米国の花嫁です。おそらく日本も同じような姿でしょう。どちらの花嫁が正しい服装なのでしょうか。米国の花嫁をインドの村落に連れてきたとしたら,すぐに追い出されてしまうでしょう。われわれの生活のあらゆる側面,個人的な側面だけではなく,ビジネスのあらゆる側面が,このような社会的規範に基づいて存在しているのです。この会場においてもそうですよね。私が出席した中国,ドイツ,米国あるいはロンドンでの会議と同じです。こちらにマイクが置いてあり,私が話し,皆

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さんが静かに聞くという,一定の社会的規範に基づき行われているわけです。われわれの生活のあらゆる側面は,社会的規範によって動いているのです。

今から80年前,米国の連邦証券規制が導入される前,GAAP は社会的規範でした。それが,一般に認められた(Generally�Accepted)という意味でます。そして,われわれの行動のあらゆる側面がそれによって動いていました。では今日,財務報告のどれほどが社会的規範なのでしょうか。80年間にわたる中央政府による規制の後,ありとあらゆる社会的規範および個人的な責任というものは一掃され,規則に置き換えられてしまったのです。私の主張は,その社会的規範と成文化した規則との2つの間のある種の理想的なバランスを模索しなければならないということです。より詳細な規則を定めれば,より良い結果がもたらされると考えてはいけません。実際に,80年間にわたる米国の状況を見てみると,会計がより良くなったという証拠はありません。日本ではどうかわかりませんが,必ずしも良くなったとはいえないでしょう。

先ほど,言語と翻訳について少し触れましたが,それについてもう少しお話したいと思います。世界には何千もの言語があります。IFRS は英語で書かれています。その英語の文章を正確に中国語,日本語,トルコ語,スワヒリ語に翻訳することは可能でしょうか。「possible�but�not�probable」を日本語でどのように訳すのでしょうか。「true�and�fair」についてはどうでしょうか。翻訳が伴います。自然言語には全く同一の意味の言葉が存在しないので,厳密に翻訳することはできません。実際には違いますが,たとえ社会が全く同じであったとしても,厳密な比較可能性を達成することはできないのです。

(トップダウン方式の IFRS)IFRS は,フランスの哲学者 Descartes が

「トップダウンによる社会システムの構築がわれわれの望む結果をもたらす」と信じるところのトップダウンの考え方に基づいていると思い

ます。当然ですが,ノーベル賞を受賞している著名な経済学者である Frederick�Hayek は,現代の文明というのは自然に進化したもので,計画されたものではないとしています。様々な習慣や伝統が自然に導かれ,それが現在の秩序を生み出し,存続が求められています。それを制御しようとするシステムの根本的な変更は必ず失敗します。なぜなら,そのような変更は現代の文明では不可能であるか持続可能なものではないためです。さらに,Darwin の進化論によれば,生物種は,複製(replication),淘汰,選択を通じて進化したと指摘されています。そして Herbert�Spencer は,進化論の考えを社会システムの進化に拡張しています。会計はまさにそれであります。そのような進化を通じて,会計システムは,法律,経済そして商習慣に適合するものでなければなりません。

日本,中国,ドイツまたは米国のシステムあるいは社会というものは同一であるとはいえません。1つ例を挙げましょう。辻山先生と今日昼食をとりながら話をしていたのですが,IASBの中には,中国は IFRS をアドプションすることになると主張する人がいます。中国の主要企業のうち,過半数の株主が政府である企業の比率はどれくらいでしょうか。おそらく90%か,それ以上でしょう。IFRS のもとでの連結基準は何でしょうか。それは過半数所有です。IFRS を中国の企業に適用するとどうなるでしょうか。貸借対照表はいくつ得られるでしょうか。答えは1つです。これらすべての国営企業について,1つの貸借対照表,1組の財務諸表が提出されることになるでしょう。中国は IFRS を本当に適用しているのでしょうか,あるいは適用可能なのでしょうか。

(競争と進化が生む会計基準)どの基準がより良いのでしょうか。資本コス

トがそれに対する主要な判断基準として主張されていますが,資本コストが適切な判断基準であることは必ずしも明らかではありません。お望みなら,この点についてパネル・ディスカッ

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ションでもう少し詳細に取り上げたいと思います。ボトムアップによる進化に任せれば,基準を選択する必要がなくなるのです。人類の進化,携帯電話の進化と同じように,進化に任せれば結果が出てきます。

子供の誕生や成長は完全に母親に依存しています。幼児が自転車に乗ろうとするとき,最初に補助輪をつけます。もし母親がいつまでもこの幼児にスプーンで食べ物を与え続けたらどうなるでしょうか。補助輪をいつまでも外さなかったら何が起きるでしょうか。子供は他者に依存し続ける人間になってしまいます。成文化された基準は,補助輪あるいは母親の手助けのようなものです。自ら専門的な判断をするためには,成文化された基準の手助けが必要なわけです。しかし,いずれはその段階を離れ,専門的な会計基準作成者となっていかなければなりません。

また,財務報告と金融工学との相互作用があります。会計士は,会計あるいは財務報告の世界における唯一のプレーヤーではありません。われわれは,金融エンジニアと呼ばれる巨大な

「象(elephant)」と世界を一にしています。その「象」のおかげで,われわれは新しい会計規則を作るのに5年もの期間を費やしました。しかし,金融エンジニアが新しい会計規則を出し抜くにはどれくらいの時間がかかるでしょうか。5分ほどでしょう。金融エンジニアは新しい商品または取引を考案して,巧妙に出し抜いてしまいます。この金融工学の「象」に対応できる能力を IASB あるいはそのほかの審議会が有しているかは大きな問題で,憂慮しなければなれません。

財務報告は2つの視点から捉えることができます。財務報告を,地球の周りを回って写真を撮るスパイ衛星のようなものとして考えることもできますし,カメラマンとモデルの関係として考えることもできます。衛星写真は地球のありのままの姿を映します。では,カメラマンとモデルの関係はどうでしょうか。カメラマンがカメラを構えるとモデルは微笑みます。カメラ

をおろすとモデルはリラックスします。カメラマンは,モデルのありのままの姿を撮影することはできるでしょうか。できません。会計はどちらに似ているでしょうか。われわれは,会計を衛星写真のように考えたがりますが,会計は常にモデルとカメラの関係にあります。

⑹ むすび

最後に申し上げたいことです。1990年代のワシントン・コンセンサスのアイデアをご存知の方もいらっしゃるかもしれません。世界の財政を管理するために,世界銀行と IMF,大手の金融機関との間で,特定の財政政策のもとで運営するという合意が生まれました。しかし,その合意は1997年以降に崩れ始め,その後10年以内に支持する者はいなくなりました。過去5年間,大規模な IFRS 推進の活動が世界各地で行われてきました。しかしながら,その活動は,IFRSの内容,IFRS の独占の帰結を十分に議論しないままに行われてきました。われわれはこの点に注意する必要があります。ある特定の組織に会計の独占権を与えると,全世界の財務報告システムに非常に大きな影響を及ぼすことになるでしょう。その判断を間違えると,そこから抜け出すことは容易ではありません。

IASB は,ハーメルンの笛吹き男のように振る舞ってきました。日本でも知られた物語であると思います。笛吹き男が非常に魅力的な音楽を奏でて子どもたちを連れ去ります。子どもたちは,他の子がみんな付いていくので,自分も付いていくことにしました。そして,これが悲劇につながるということに気づいた時にはもう手遅れであったという話です。われわれは慎重に考える必要があります。競争を維持する必要があります。IFRS が日本および米国で使用されることには反対しませんが,日本の会計基準あるいはそのほかの会計基準を選択肢として残さない理由はどこにもありません。2,3,あるいは4種類の会計基準のシステムを日本が許容し企業に選択肢を与えるべきです。どれが良

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い基準であるかは,市場,投資家または監査人が判断するでしょう。もちろん,分析のコストは追加的に掛かるでしょう。しかし,それは財務報告システムの改善や,より良い財務報告システムの発見のための価値あるコストであるといえます。皆さんが分析の結果,同じ結論に到達することを願っております。ご静聴ありがとうございました。(拍手)

○米山 Sunder 先生,ありがとうございました。第2講演に移らせていただきたいと思います。第2講演は,Karim�Jamal 教授から「カナダにおける IFRS アドプションと最近の基準設定に関する見解」と題して,ご講演をいただきます。

Karim 教授は,FASB,IASB および SEC に対して学術的な意見および議論を提供しているアメリカ会計学会の FASC の議長でいらっ

しゃいます。Jamal 教授の主な研究分野は,第1に,経営者の生産判断および経営判断,利益管理,不正に与える規制の影響,第2に,電子商取引のプライバシーおよび倫理,統制,第3に,監査における説得(persuasion)および正当化,対人知覚(interpersonal�perception)であります。Jamal 教授は,カナダ,米国,イギリス,台湾の会計学,心理学,経済学の研究専門誌に多くの論文を発表しています。2009年には,Alberta 勅許会計士協会から Fellow�of�Chartered�Accountants に任命されています。また2010年には,カナダ会計学会から功労勲章

(Haim�Falk�Award�for�Distinguished�Contri�bution�to�Accounting�Thought)が送られています。また,Alberta 勅許会計士協会からは,100周年大使(Centennial�Ambassador)にも任命されています。では,先生よろしくお願いいたします。

講演⑵ 「�カナダにおける IFRS アドプションと最近の基準設定に

関する見解」カナダ・アルバータ大学教授

アメリカ会計学会 Financial Accounting Standards Committee 議長Karim Jamal

温かいご紹介をいただきありがとうございます。初めて日本を訪れました。非常にうれしく思っております。少し東京を観光してきまして,晴天にも恵まれ,初の来日を楽しんでおります。

本日のタイトルは,「カナダにおける IFRS アドプションと最近の基準設定に関する見解」です。ご存知だと思いますが,2011年1月1日をもちまして,カナダの GAAP は,ロンドンで定められた IFRS に正式になりました。本日は,2つに分けてお話します。最初の部分では,より正確に描写すれば,実のところカナダには複数の GAAP が存在するということを述べたいと思います。後半部分では,IASB および FASBによる現在の基準設定活動について少しコメントしたいと思います。とりわけ,検証可能性も

しくは監査可能性が,現在の基準設定活動で無視されていることを強調したいと考えております。

⑴ カナダの会計基準

(IFRS 採択の経緯)それでは,まず「IFRS の採択」から始めま

す。IFRS の採択は,カナダにおいて非常に大きな驚きでした。カナダは従来,米国 GAAP との調和(harmonizing)をはかってきました。しかし,時間が経つにつれ,米国 GAAP に対して嫌悪感が広がり,ルールが多すぎること,あるいは解釈が多すぎること,あまりにも複雑であることに多くの不満があり,カナダ当局も米国