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29
Instructions for use Title 近世ドイツ兄弟団研究の現状と課題 Author(s) 鍵和田, 賢 Citation 西洋史論集, 12, 27-54 Issue Date 2009-03-23 Doc URL http://hdl.handle.net/2115/39041 Type bulletin (article) File Information 12-002.pdf Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

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Title 近世ドイツ兄弟団研究の現状と課題

Author(s) 鍵和田, 賢

Citation 西洋史論集, 12, 27-54

Issue Date 2009-03-23

Doc URL http://hdl.handle.net/2115/39041

Type bulletin (article)

File Information 12-002.pdf

Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

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資)近世ドイツ兄弟思研究の現状と課題(鍵和田

近世ドイツ兄弟団研究の現状と課題

宗教改革と啓蒙主義運動に挟まれたドイツ近世社会は、激しい宗派

その結果として生じた三十年戦争を中心とする宗教戦争、魔

女狩りといった言葉とともに語られることが多く、従来否定的な評価

がなされていた。

対立や、

一九世紀以来の自由主義的な歴史観においては、宗

教改革による革新が一段落し、硬直化した宗派対立とそれに続く絶対

主義へと向かっていく時代について、「前近代への退行」とされる程

に消撞的に評価されていた。それは、ルネサンスと人文主義によって

一旦は克服された権威主義的な宗教が、この時代に再び力を盛り返

し、近代化に対する障害物になったという見方である。このような一

九世紀的な近世像を再考する試みが、戦後ドイツ史学の主要なトピツ

る。そのような試みの中で、宗派や絶対主義

クの一つであった

といった従来否定的に捉えられてきた事象を、逆に近代化を推進した

要素として積掻的に評価する観点が生まれてきた。それらの試みの代

表的なものと蓄えるのが、「社会的規律化

ωRU52N宣宮町何言口問」論

とそれを基盤に成立した「宗派化問。ぇ

2回目。

s-zog白色論である。

(言明UZZE)

27

によれ

宗派化論は、その主唱者であるラインハルト

ば、教会権力・世俗権力による公的宗派の確立と、その維持のための

体制の構築、および規律化政策を通じた公的宗派の岳民への浸透の過

程とされる。これらの概念は、国制史・社会史を問わず近世史研究に

導入され、様々な成果を生み出した。また、これらの概念に対する批

判や修正を含め現在に至るまで活発な議論が行なわれている。

宗派化論を用いて実証研究を行なう際の考察対象としては、伝統的

に領邦政府や都市政府の政策が取り上げられてきた。しかし、このよ

うな対象設定に対しては、「国家中心主義」的であり「上から」の視

点に偏っているという批判がなされてき記。それに対して近年では、

領邦政府や都市政府などの「お上O耳

WEEと民衆の中需に存在し

た「媒介者」が取り上げられるようになってきた。近世南西ドイツに

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西洋史論集

おけるカトリック信仰・宗派化を検討したフォ

lスタ

1(冨・戸ヲ)円'

印門司)は、「お上」と民衆の簡で活発に活動していた教灰一司祭や修道

会などの集団に着自すべきことを説いた。彼によれば、「お上」の宗

教政策を実地で実行するのがこれらの集団であり、彼らは民衆に最も

近い場所にいる教会権力・領邦国家の代弁者であった。また、教区司

祭らは、民衆たちからの要求を教会権力・領邦国家に伝える存在でも

あった。従って、民衆の教区奇祭に対する対応や、教灰一可祭の共同体

における活動の中に、民衆と教会・領邦国家の関係を読み取ることが

でき、

その中から宗派形成の具体的な姿が浮かび上がってくるという

のである。

そのような、媒介者の活動から宗派化論を検討しようという観点に

おいて、カトリック地域を対象とした研究で近年着目されるように

なったのが兄弟団である。兄弟団とは、中近世に叢生した俗人による

自発的宗教社団である。兄弟団は、中世史研究の領域において、一般

信徒の自発的な宗教活動や信徒同士の社会的結合関係を示すものとし

て考察されてきたが、近世史研究においてもとりわけ宗派化との関連

においてその意義が認識されるようになってきた。教区司察や修道会

などのようなあくまでも「お上」の体制に組み込まれた組織とは異な

り、兄弟屈は俗入信徒が実際にその中に構成員として加わり活動して

いた組織である。そのため、「お上」と民衆の中間に存在した様々な

媒介者の研究の中でも、こと宗派化と民衆の行動様式との関連を見る

際には、兄弟団研究の有効性がより強く意識されることになるのであ

る。しかし、兄弟団は、中世史研究の領域では専ら民衆の自発的宗教

活動の場として考察されているのに対して、近世史研究では「お

による宗派化との関連で語られるというように、「お上」の領域と民

衆の領域の間の微妙な地点に存在した現象である。宗派化論との関連

で兄弟団が取り上げられる際にも、「お上」と民衆の間のどの地点に

兄弟団を位置づけるかという点については、様々な見解の棺違が存在

するのである。また、宗派化という概念の位置づけを巡る議論と密接

にリンクして、近世兄弟団の位置づけにも異なる理解が存在してい

る。宗派化論との関連で近世兄弟団を取り上げる際には、まずこのよ

うな議論を体系的に整理し、近世兄弟団の捉え方を明確にしていく必

要がある。

本稿は、以上のような問題関心に基づき、近世兄弟団の研究の現状

と課題を宗派化論との関連を中心に整理する。さらに本稿は、それを

通じて兄弟団研究が近世史研究に有する意義を再確認し、今後の近世

28

社会史研究に対する展望の一端を示すことを試みるものである。その

際に、宗派化論との関連で近世兄弟団が取り上げられるようになった

のは一九八

0年代以降であるので、本積においても一九八

0年代以降

の研究を中心に紹介していく。まず、兄弟回という社団の概要につい

て述べ、その後にドイツにおける一九八

0年代以前の兄弟団研究につ

いて中世史研究の領域も含めて簡単に触れる。そして、一九八

0年代

以降の研究については、近世兄弟団の研究を中心に、宗派化論を巡る

議論の変遷と対応させる形で検討する。

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σコ

小ヨ

fessionalization: Historical and Scholarly Perspectiv

巴sof a

Compar

ative and Interdisciplinary P

aradigm, in:

J. M. Headly, H. J.

Hiller-

brand u.

A. J. Papalas (Hg.)

, Confessionalization

in Europe, 1555-

1700. Essays in Honor and M

巴moryof B

odo Nischan, Aschgate 2004;

W. Reinhard

, Gegenrモformation

als Modernisi

巴rung?Prolegomena

zu巴iner

Theorie d巴s

konfessionellen Zeitalters, in: Archiv fur Refor-

111ationsgeschichte 68 (1977);

ders.,

Zwang zur Konfessionalisi

巴rung?

Prolego111ena zu

einer Theorie

des konfessionellen

Zeitalters, in:

Zeitschrift fUr

historische Forschung 10

(1983) 3;

d巴rs.

,Was ist

katholische Konfessionalisierung?

in: W. Reinhard u.

H. Schilling

(Hg.), Die

katholische Konfessionalisierung.

Wiss巴nschaftliches

SY111posion der Gesellschaft zur Herausgab巴des

Corpus Catholicor

U111 und des Vereins fUr Reformationsgeschicht

巴1993

,MUnster 1995

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...).{:c!OE.

W. Zeeden, Grundlagen und

Wege der

Konfessionsbildung in

Deutschland im Zeitalter

der

Glaubenslィla111pfe

,in:

Hitorische Zeitschrift 185 (1958)-uV総理i。

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H. Schilling, Die Konfessionalisierung v

on Kirche

, Staat u

nd

G巴sellschaft

-Profil

, Leistung

, Defizit

巴und

P巴rspektiven

eines

g巴schichtswissenschaftlichen

Paradigmas,

in: W. Reinhard

u. H.

Schilling (Hg.), Die katholische Konfessionalisierung. Wissenschaft-

liches Symposion der

Gesellschaft zur

Herausgabe des

Corpus

Catholicorum und des

Ver巴ins

fUr Reformationsgeschichte

1993,

MUnst巴r

1995, S. 2f

(的)

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Vgl.

H. Schilling

, Konfessionskonflikt

und

Staatsbildung, Gutersloh

1981; ders.

, Die

Konfessionalisierung i111

Reich. Religioser

und gesellshcaftlicher

Wandel in

D巴utschland

zwischen 1555 und 1620

, in: Historische Zeitschrift 264 (1988) 1;

ders.,

Die Konf巴ssionalisierung

von Kirche

, Staat

und Gesellschaft

Profil, Leistung

, Defizitte u

nd Perspektiven eines geschichtswiss

巴n-

schaftlichen Paradigmas, in:

W. Reinhard u.

H. Schilling (Hg.), Die

katholische Konfessionalisi巴rung.

Wissenschaftlich巴s

Symposion der

Ges巴llschaft

zur Herausgabe des

Corpus Catholicorum

und des

Vereins fUr Reformationsgeschichte 1993, MUnster 1995;

ders., Conω

自民田足感)刷出離心一等感QNm忘Em慣同町ヘハJ

」¥り{組阿川

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西洋史論集

年。塚本栄美子「二ハ世紀後半プランデンブルク選定侯領における

「信仰統一化」l||教会巡察を中心にllg」門西洋史学」第一七一号、一

九九三年。向「プロテスタント領邦における臣民と規律化」「西洋史研

究」新輯第一二

O号、ニ

OO一年、などを参照。我が固における問。ロB

な印印一05目立出回巾吋

Emの訳語であるが、「宗派体制化」、「信仰統一化」、「宗

派化」等が用いられ、定訳が存在しない。これらの訳語について検討

すると、「宗派体制化」については宗派を維持するための体制整備とい

う側面が強調され、人々の精神への宗派の内面化という側面が弱く見

えてしまう一方で、「信仰統一化」という訳語については逆に討。丘21

∞5ロ丘町田52口問の政治的な側商が弱まって見えるという問題があると

恩われる。「宗派化」という訳語については、町内。白内巾印由

HOB-]互角己円高に

含まれる内面化という精神的な側面と、そのための体制構築という物

質的な側面の両方を包含することができると思われる。以上の理由か

ら、本稿では穴。ぇ220ロ山口印52ロぬという概念に対して「宗派化」と

いう訳語を充てることとする。

(5)

〈包

-m巾山口叩戸田円門戸Nd〈山口ぬ

NC門穴O口同巾∞位。口出]山田山巾門戸門戸九

(6)

現在の宗派化論の主要な論点を薬理したものとして、〈包・出づ

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を参照。シュミットは、農村共同体など民衆の自律的組織こ

そが宗派化運動の担い手であったとする。

(8)

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兄弟団概念の概要

まず、兄弟団切さ号お与え宮口という社団の概要について簡単に述

二一・二一一世紀以降の西ヨーロッパの主

べておきたい。兄弟団とは

に都市で発展した自発的宗教社団を指す。構成員は主として俗人から

成り、兄弟閏の会員は、擬似的な兄弟として、共同での宗教活動の実

施や会員間の相互扶助等を行なった。兄弟聞が、同時代に存在したギ

ルド・ツンフトなど他の社団と組織酉で大きく異なる点は、多様な職

業や身分を包摂していたことである。兄弟団は、前近代の社会におい

て、職業や身分の違いを乗り越えて加入できるほぽ唯一の社団であっ

たといえる。兄弟閣の活動は、非常に多岐に渡っており一概には一一一一口え

30

ないが、多くの兄弟団に当てはまる代表的なものをまとめると次の六

点が挙げられる。

兄弟団は、通常行なわれる教区のミサの地に、独自にミサを行なっ

集団で行なうミサ

た。兄弟団は、通常教区教会や修道院など特定の宗教施設に拠点を有

その施設の聖職者に特に委託してミサをあげさせていた。

しており、

聖人山中市敬

たいていの兄弟聞は、特定の守護聖人の名前を自身に冠しており、

その守護聖人を崇敬するための様々な宗教活動を行なった。守護聖人

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資)近[t1:ドイツ兄弟図研究の現状と諜題(鍵和田

の選択は、

その兄弟団の性格を示す重要な指標であった。例えば、

lコプ兄弟団であれば巡礼者の扶助を目的とした兄弟聞であるケー

スが多く、ゼパスティアン兄弟団であれば射手の兄弟屈であるケ

lス

が多い。

会員の葬儀・理葬

会員が死去した醸の葬儀や埋葬への参加も、兄弟団の重要な活動で

あった。また、葬儀費用や埋葬費用なども、通常兄弟団が肩代わりし

たので、経済的に決して豊かでない者にとっては、自身の葬儀と埋葬

を確実にするための保険にもなった。

祝祭時の機能

兄弟団は、都市・農村における祝祭の重要な担い手となった。兄弟

閣は、通常自身の守護聖人の記念日に盛大な祝祭を挙行した。この守

護聖人の祝祭は、兄弟団の一年の活動の中心となるもので、盛大な宴

会を伴うことも多く、兄弟団の役員の選出なども、この時に行なわれ

ることが多かった。また、守護聖人の祝祭やその他の都市の祝祭の際

などには、兄弟団が主催するプロセッション(宗教行列)が行なわれ

ることもあった。プロセッションは、兄弟聞の会員たちが揃いの衣装

を纏い、聖人像などを掲げて練り歩く壮麗なものであった。プロセッ

ションは、兄弟団が告己の存在を都市内外にアピールする絶好の機会

であったため、各兄弟団が行列の壮麗さを競い合い、行列の頼番等を

めぐって争いになることもしばしばであった。

会員間の相互扶助

兄弟団の会員聞には相互扶助の原則があり、貧固化した会員に対し

て兄弟閏の金庫から援助金が支払われたり、貧しい会員の娘が結婚す

る擦には、嫁資が支援されるなどした。相互扶助の原則は、生者の会

員だけではなく、死去した会員も含んでおり、兄弟団は、「死者記櫨」

という、物故会員の霊魂を慰めるために祈りを捧げる行事を行なうの

が通例であった。兄弟屈が、生者と死者の両者によって構成されてい

たということも特徴的な点である。

⑥外部に対する慈善活動

兄弟団は、会員以外の者に対する喜捨なども積極的に行なってお

り、施療践を運営するものもあった。こうした兄弟団の慈善活動に

は、「煉獄」思想の普及以降広まった、善行の実践によって自己の救

31

済を確保しようという動機が強く作用していたとされる。

兄弟団のル

1ツについては、

キリスト教起源の「祈祷兄弟盟約

。与え∞〈σ円ず昌広巾『己口問何回

ιと、ゲルマン起源の「ギルド」の二つに求

める説が現在有力である。祈祷兄弟盟約は、中世初期において、主に

修道院間で形成された盟約団体である。この社団は、修道院間で互い

の生者・死者の名簿を交換し、名簿に記載された生者・死者のために

相互に折りを捧げた。祈祷兄弟盟約は、このようにして互いの霊魂の

安寧をより確聞たるものにすることを自的としていた。一方ギルド

は、俗人を中心として構成される相互扶助間体であり、宗教的要素を

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西洋史論集

持ちつつも、共同の宴会など世俗的機能を多分に有していた。これら

の社団の要素を併せ持つ形で中世後期の兄弟屈が形成されてくるが、

その性質上宗教的要素と世俗的要素を両方持つこととなる。そのた

め、中世後期全体を通して兄弟回については、それが世俗の領域に属

するのか教会に属するのかをめぐって、長い論争が闘わされることと

なった。

中世における兄弟国の発展は、

一三世紀以降の都市部において見ら

れる。この時期における兄弟団発展の要因については、

ペストの流行

など社会不安の拡大や先述した様獄思想の民衆への浸透、巡礼など民

衆聞の自発的宗教活動の発展が指摘されている。兄弟国は、ドミニコ

会やフランシスコ会などの托鉢修道会によって積極的に奨励されたこ

とにより急速に拡大していった。托鉢修道会は、日十くから俗人の宗教

心高揚に対する兄弟屈の有効性を認識し、各地に自身の修道会の傘下

に属する兄弟団を組織しその場を用いて説教を行なうなど、兄弟団

を、民衆を統合し異端思想の流入を紡ぐ予防策として活用した。兄弟

国の地域的な分布について見ると、北イタリアを中心とした甫ヨー

ロッパが、北ヨーロッパに比して時期的に先行し、数的にもより多く

の兄弟屈を持つ傾向にあった。

中世後期に繁栄のピ

1クを迎えたとされる兄弟団は、後述するよう

に宗教改革運動の中で様々な批判の対象となり衰退していくが、対抗

宗教改革の中で教会のイニシアティヴにより復興が図られていくこと

になる。兄弟団は、カトリック地域においてはその後も一貫して活動

を続け、現在に至っても個人による宗教行為の実践を支援する社団と

して存在している。

兄弟聞は、我が屈においても活発に研究がなされているが、訳語に

関しては研究対象地域ごとに異なるものが用いられている。例えば、

ドイツ・ネ

1デルラントにおいては「兄弟屈」、

「信心会」、

イタリアについては「兄弟会」、

フランスについては

イングランドについては

「フラタニテイ」や「宗教ギルド」といった訳語が用いられている。

ドイツ語地域を対象とするので、原則として「兄弟

本稿においては、

閏」という訳語を用いることとする。

、迂(l)

兄弟屈には、本来聖職者が中心となって構成されていた聖職者兄弟

聞と、俗人が中心となって構成されていた俗人兄弟団が存在した。し

かし、現在の兄弟団研究では、俗人兄弟団を扱うものが主流であり、

それらにおいては俗人兄弟団が「兄弟題」という名称でもって表され、

聖職者兄弟屈のみ「聖職者兄弟団」と表されている。本稿もそれに従

ぃ、俗人兄弟団を表す場合には、単に「兄弟酉」と表記することとす

る。

(2)

兄弟団は、我が国においても近年活発に研究されている。主なもの

を挙げると、阿部謹也「中世ドイツの同円三巾門口町

g由民ロZB」土橋論

叢』第八一巻第三号、一九七九年。間「中世ハンブルクのビール醸造

業と職人」『一橋論叢」第八一一一巻第三号、一九八

O年。池上俊一「十一一一

()十四世紀シエナの社会的結合関係」樺山紘一一編「商洋中世像の革新』

万水書房、一九九五年。市川美穂「中世後期イングランドの都市と宗

教儀礼iノリッジの聖一ジョージ・ギルドの祝祭l」様山紘一編「西洋

中世像の革新』万水書房、一九九五年。江川温「中世末期コンブレ

リ!と都市民」中村賢二郎編『都市の社会史」ミネルヴァ一九

32

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賢)近世ドイツ兄弟図研究の現状と課題(鍵和田

八三年。唐津達之「都市の生活文化を支えた集団ーーーフラタニテイ」

川北稔編吋結社の世界史四iil結社のイギリス史i11クラブから帝国

まで』山川出版社、二

OO五年。海原温「中世都市へントの兄弟団と

貧民救済」樺山紘一一編『西洋中世像の革新』万水書房、一九九五年。

同「ブラテルニタス論」「岩波講座世界歴史八ヨーロッパの成長」

岩波書居、一九九八年。同「中世ブランドルの都市と社ム

Il--慈善の

社会史』中央大学出版部、二

OO一年。同「信心・慈愛・社会的紳

111中・近世ヨーロッパにおける兄弟団(コンブラタニテイ)の機能

と役割をめぐって||」吋地中海研究紀要』第四号、ニ

OO六年。坂上

政美「中世末期フィレンツェの兄弟会」「史林』第八二巻第四号、一九

九九年。坂巻清「中世末期ロンドンの教区フラタニテイ」比較都市史

研究会編「都市と共同体下』名著出版社、一九九一年。佐久間弘展

『表者職人の社会と文化

|lui汀世紀ドイツ』青木幸一閏属、二

OO七

年。関哲行「

Him世紀の巡礼路都市アストルガの兄弟団」田北慶道

編「中・近世西欧における社会統合の諸相』九州大学出版会、ニ

OO

一年。同「近世のアングルシ!ア都市セビ

lリャにおける黒人兄弟団」

『地中海研究紀要』第四号、二

OO六年。高橋清徳「中世パリのコンブ

レリ」「法経研究』第一

O号、一九八一年。服部良久「中世リュ

1べツ

クの兄弟罰について」中村賢二郎編「都市の社会史』ミネルヴァ書房、

一九八三年。模原茂「信徒のアソシアシオン||コンブレリ

i」福井

憲彦編『結社の世界史一一一ーーliアソシアシオンで読み解くフランス史』

山川出版社、二

OO六年。米田潔弘「兄弟会研究の現状と展望」「桐朋

学園大学研究紀要』第二五号、一九九九年。同「イタリアのコンブラ

テルニタとドチリナ・キリシタンiiiフィレンツェの大天使ラップア

エツロ兄弟会を中心にiii」「地中海研究紀要」第四号、ニ

OO六年。

我が国においては、イタリア、ネlデルラント、イン、グランドなどを

対象とした研究が中心で、ドイツを対象としたものは少ない。

(3)

兄弟団の活動に関する以下の叙述は、主としての-HYE2wvHえge

円山口ロ門戸。口一、叶}戸巾の。コ守出品いぬ「コ一円可。。ロ門巾一浮い口一

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原「フラテルニタス論」に拠った。

(4)

兄弟団の起源については、〈包-FmgニEmu日凶百円凶巾吋∞与え窓口山口

F-mwHMWSH内山吋円yg'gM(凶由。N

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(5)

河原「フラテルニタス論」、一八一頁、呂田nwuH口々O

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(6)MN巾ヨロロmw∞門口仏巾門的円}出片付巾口広明吋田口付巾Hfω-NN!日仏

(7)

河原「ブラテルニタス論」、一七七一七八頁。

(8)

向上、一九六貰。

(9)HN巾BロロmHw切門戸仏巾吋∞ny出向付巾口広明円山口付巾Hfω・ωCIωhH・

(叩)開ず門?ω・アニ

33

一九八

0年代以前の兄弟回研究

ドイツにおける兄弟団研究の歴史は

一九世紀にまで遡る。

一九世

紀の兄弟団研究は、教会史の枠組みと、ギルド・ツンブト史の枠組み

のこ方向から行なわれた。教会史の枠組みでなされた研究は、主とし

て教会制度上の関心から行なわれており、聖職者兄弟団を対象とする

ものが多かった。しかし俗人兄弟間については、教会制度上では所属

が暖味であり、大きな関心が払われることはなかった。

一方ギルド

ツンフト史の枠組みにおいては、手工業ツンフトの原型として兄弟団

を扱う研究ゃ、兄弟屈をギルドやツンフトなどと同一の社団類型に含

めることができるか否かといった問題を検討する研究が中心となり、

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西洋史論集

兄弟関の活動そのものに対する関心は低かった。これらの研究におい

ては、俗人兄弟屈は常に傍流に置かれ続けていたと言える。

二O世紀に入ると、兄弟自の研究は、フランスにおいて先行して行

なわれる。戦間期には、

ル・ブラ

∞円山田)が、

ウェ

1パl

F (D

の宗教社会学の成果を取り入れ、社会学的見地からな

る体系的な兄弟団研究を行なった。また、一九七

0年代になると、フ

ランスにおいて民衆の宗教的心性への関心が高まるとともに、「ソシ

アビリテ」の一環として中世の兄弟囲を扱う研究が盛んになされるよ

うになった。しかし、このようなフランスの研究動向は、同時代のド

(

)

イツにあまり影響を与えることがなかった。

その間のドイツにおいて

は、主に地域史の分野で兄弟閏研究が続けられていたが、

それらを領

域的・時間的にまとめるような、包括的研究が行なわれてこなかっ

た。その結果として、特定地域で得られた成果を安易に一般化するこ

とが行なわれ、「兄弟団」の定義についても、個々の研究で別畑山の定

義が用いられたため、複数の「兄弟団」概念が並立し、比較検討を困

難なものにしていた。兄弟団の定義、が統一されなかった背景として

は、兄弟団を表す史料用語が多様であるという問題が挙げられる。兄

弟聞を意味する一一言葉としてドイツ語地域で用いられたものには、

同『

E2EZ∞や

σ吋己門目。門的

ngpgなどがあったが、これらは同時に貴族

間の政治的同盟、祈祷兄弟盟約、手工業組合としてのツンフトを表す

際にも用いられた。このようなことから、個別の研究ごとに、兄弟国

概念でもって表わす事象の範囲が異なるという状況を招いた。また、

兄弟団は、

トリエント公会議において初めて公式に教会組織に組み込

まれた後、現在に至るまでの数度の教会立法によって、確囲とした定

義を与えられた。この近代の兄弟屈定義がこの時代の兄弟団研究にも

強い影響を及ぼしており、中世後期の兄弟団にもその定義を当てはめ

ょうとする傾向があった。このことが、兄弟聞の定義を更に困難なも

のにしていた。また、研究動向の体系的な整理も行なわれないままで

あったため、研究上の方法論や問題関心も細分化される傾向にあっ

た。ドイツにおける、当時のそのような兄弟図研究の状況を指して、

百円。

σq)は、「木を見て森を見ず(〈在。

5awo古毛色広一)」と評した。ドイツにおいて、上記のような問題の

クリ

ノ1

∞問山口同叫凶ぬ

(HN・

克服を試みる包括的研究がなされるようになるのは、

入ってからのことであった。

一九八

0年代に

一九八

0年代に入ると、先行して行なわれていたフランスにおける

34

兄弟間研究の成果が、ドイツにおいても積極的に取り入れられるよう

になる。その際、ドイツにおける体系的な兄弟団研究の晴矢となった

のが、レムリンク(円、.HNOB}

古ぬ)による研究である。レムリンクは、

一九世紀以降の兄弟図研究を包括的に整理し、実証レベルでは中世後

期から近世にかけてのフランケンにおける兄弟屈を扱った。彼はま

、ず、門兄弟聞の定義の明確化に取り組んだ。レムリンクは、それ以前の

研究における兄弟国定義が、一時期の兄弟団のみの状況に基づいてお

り、通時的に当てはめられるものではないこと、

また、近代に入って

からの克弟団の形態を安易に過去に投影して定義を設定する傾向に

あったことを指摘した。彼はさらに、先述したように、史料上の名称

が非常に多接であるのに、

その名称に囚われ過ぎることも問題視し

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賢)近役ドイツ兄弟関研究の現状と課題(鍵和田

た。レムリンクは、以上のような問題に鑑みて、通時的に適用可能

で、史料上の名称だけに囚われずに実轄の活動に基づいて設定された

定義を目指した。設は、兄弟団を、「主に宗教的な、しばしば慈善的

な活動を伴う、自由意志に基づいた長期にわたって存続する社団」で

あり、「教区内あるいは教区と並行して存在し、

それへの加入によっ

て個々人の教会法上の地位や私的な生活領域が変化することが無いも

の」とした。レムリンクは、この定義について、宗教活動を中心的な

ものとすることで他の世俗的社団と産別され、教会法上の地位や普段

の生活のあり方が変化しないとすることで、修道会などの教会の社団

と区別されるとした。このレムリンクの定義については、逆に包括的

に過ぎ、時代ごとの兄弟団の位置づけの変遷などが暖昧になるといっ

た批判がなされてはいるものの、今日においても、兄弟団研究の基準

となる定義として用いられている。

ドイツの兄弟図研究において従来あまり顧みられな

かった、兄弟団の時代に応じた位置づけの変化をも扱った。彼は、ブ

一五世紀前半から宗教改革

レムリンクJ

は、

ランケン地方における兄弟団の最盛期を、

期までの中世後期とする。この時代には、都市部を中心に兄弟団が大

いに繁栄したとされる。兄弟団の主体となったのは、大都市において

は生民の経済的中間露であり、小都市においては上露であった。加入

の動機は、都市民の宗教心の高まりとされ、教会の司牧に満足しない

人々が増加したことから、多くの人々が兄弟団での自主的宗教活動に

加わったとされる。従って、兄弟団運営の中心となったのは俗人であ

り、兄弟団は俗人による相当程度自律的な構造を有していた。教会側

の兄弟屈に対する態度は、盛大な宴会等の世俗的要素を多分に持つと

ら聖職者

して警戒する一方で、

ガブリエル・ピ

lル(のωぴユ巳盟巳)

が、初期キリスト教の信徒共同体の似姿であるとして奨励するなど一

定しておらず、明確な法規定がなされることもなかった。そして、そ

のような俗人主体の兄弟団は、宗教改革を境に急速に衰退した。ル

タ!は、兄弟団における宴会三味の不道徳な生活態度や、それが本来

単一であるべき全キリスト教徒の共同体の中に、排他的な小集団を作

りだすという神学的問題などから、兄弟団を激しく攻撃した。また宗

教改革期には、兄弟団を指す史料上の用語が徐々に統一され始めたと

される。

この宗教改革運動からの攻撃により、中世後期における兄弟聞の繁

栄は終息に向かい、兄弟団にとって逆風の時代が始まった。しかし、

対抗宗教改革の時代になると、教会権力を主体とした兄弟団の「改

革」が始まる。まず、一五四五年から一五六三年にかけてのトリエン

35

カトリック教会が初めて兄弟団に関する法規定を

レムリンクはこれにより、兄弟団が初めて教会に属する社団

として定義され、兄弟屈の教会への統合が進む契機になったとする。

この時代の兄弟団は、宴会などの世俗的要素を排し、教会の強い監督

下に置かれ、俗人による自律性が著しく弱められた。レムリンクは、

ト公会議において、

行なう。

トリエント公会議を境とした兄弟団の「改革」を指

摘したが、彼の関心の中心はあくまで中世後期に叢生した、俗人によ

る自律的兄弟罰に置かれており、そのような自律性を喪失した近世兄

弟閣にはあまり関心が割かれなかった。その為、彼のプランケン地方

このようにして、

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商洋史論集

における実証研究においても、

トリエント以後の兄弟団への言及は少

なく、当時関心を呼んでいた「宗派化論」との関連についても述べら

れることはなかった。しかし、

レムリンクによって指摘された、中世

後期から近世にかけての兄弟屈の位置づけの変化と兄弟回の「改革」

という視点は、

その後の近世兄弟団研究における問題関心の基礎に置

かれることとなる。

我が国においてドイツの兄弟団が取り上げられるようになるのも一

九八

O年前後からである。我が国において、最初にドイツの兄弟司を

取り上げた阿部謹也氏は、ギルド・ツンフトといった経済的な社団を

見るだけでは捉え切れない都市の社会的結合関係を示すものとして、

兄弟団を取り上げた。阿部氏は、中世のハンブルクに存在した「貧し

き旅人のための」兄弟国を取り上げ、

一了一一ニ世紀以降の商業・交

通の活発化の中で切実な問題となって表われた、見知らぬ土地での死

の危険と死体の埋葬の必要に対応して兄弟国が形成される姿を描い

それとともに善行を通じて自己の霊の救済を確保しようと

た。また、

いう人々の欲求と、宴会など現世的利益も兄弟団加入の大きな動機と

なっていたことを指摘した。また、別の論稿ではハンブルクのビール

醸造職人の兄弟団を取り上げ、都市参事会が、独立した組織を持ち帰押

なかった、都市の「プロレタリア!ト」たる職人の不満を解消するた

めに兄弟団を利用していたことを指摘した。服部良久氏は、中世後期

のリュ

1ベックにおける兄弟団を取り上げ、兄弟団には、宗教改革前

夜の公的司牧にあき足らぬ市長による自発的な宗教活動が結実したも

のという側面もあったことを示した。そして、宗教改革の擦にかつて

兄弟関に所属していた市民が宗教改革運動に深く関与していたことも

示し、宗教改革前夜の都市民の宗教的心性と兄弟団隆盛の関連を指摘

した。両氏の八

0年代初頭における研究の後、我が固においても中世

兄弟団研究が活発に行なわれるようになるが、ドイツを対象としたも

のは非常に少ない。近年においては、佐久間弘展氏が、中世の職人組

(犯)

合との関連という観点から兄弟罰を取り上げている。佐久間氏は、職

人組合成立の過程という文脈から兄弟団を扱い、長く自身の組織を持

てなかった職人が、兄弟団という宗教的社団を名乗ることによって、

親方や都市参事会の不信感を回避しつつ結合を保ったことを指揺し

た。そして、遍歴など不安定な生活を強いられた職人は、宗教的な相

互扶助を切実に必要としていたとし、兄弟団の実際的な役割も強調さ

ドイツを対象とした兄弟団研究が少ない

れている。我が国において、

36

要因としては、兄弟団の数自体がイタリアなどに比して少なかったこ

と、宗教改革の導入により、

カトリックに留まった地域以外では兄弟

屈が大部分解体されたこと、兄弟団研究において、支要な問題関心と

なっている、都市における救貧活動の点でドイツの兄弟団が不活発で

あったことなどが挙げられる。

以上述べてきたように、

一九八

0年代以降のドイツにおける兄弟団

研究の興隆は、

レムリンクの功績に負うところが大きい。彼の研究に

刺激される形で、ドイツにおいても社会史的アプローチによる兄弟罰

研究が活発に行なわれるようになる。しかし、研究対象が中世後期に

集中する傾向があり、現在でもそれは根強く続いている。この傾向の

背景には、俗人による中註後期の自律的兄弟団に対する積極的評価

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‘はさまわど。

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Le Bras, Les confreries

chr邑tienne

,in:

Ders.,

sociologie religieuse, Bd. 2,

Paris 1956.

(的)

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M.

Agulhon,

Penitents et Francs-Macons de l'ancienne P

rovence, Paris 1968.

(でがRemling,Bruderschaften in

Franken, S. 5f.

(L0) Ebd. S.

12…16.

(∞)

Ebd. S. 7-1

1.

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Klieber, Bruderschaften

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Totendienst,

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Salzburg 1600-1950, Frankfurt a

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, S‘15.

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G. Amberg, Die Kolner Kevelaer-Brud

巴rschaftvon 1672

Geschichte und Leben. K

oln 1973; M

. Barth

, Die Rosenkranzbruder-

schaften des EIsas,

g 巴schichtlichgewurdigt.

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色glise

d' AIsace 32

(1967/68); ders.

, Die

Sakramentenbrud巴rschaften

des

EIsas,

in: Archives de

l'色glis

巴d'AIsace

35 (1971);

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geistlichen Bruderschaften in Hamburg wahrend des Mittelalters

, in:

Zeitschrift des

Vereins fUr

hamburgische Geschichte

34 (1934):

35

(1936): 36 (1937); R. E

bn巴r,

Das Bruderschaftswesen i

m alten B

istum

WUrzburg. Eine

Untersuchung unter

b巴sonderer

Berucksichtigung

der geistlichen Bruderschaften der Stadt Kitzingen,

WUrzburg 1978;

H. Hoch巴n

egg,Bruderschaften u

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Vereinigungen

in Deutschtirol bis z

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西洋史論集

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。・

(日)ルタ!の説教「キリストの聖なる真のからだの尊いサクラメントに

ついて及び兄弟自についての説教」ルタ!著作集委員会編『ルタ

1著

作集第一集第一巻」聖文舎、一九六四年、を参照。ただし、ル

タlは兄弟団の慈善活動などは高く評価している。

(時)閉山2当]山口町炉開山吋己(同21凹(リ}戸山内け巾口一口明門出口町巾Pω・ω。内・

(口)開σ巳・

(日)阿部謹也「中世ドイツの守山門

RE仲間由民己己目」『一橋論叢』第八一巻

第三号、一九七九年。

(日)阿部謹也「中世ハンブルクのビ

iル醸造業と殺人」『一橋論叢』第八

一二巻第三号、九八

O年。

(加)服部良久「中世リュ

lベツクの兄弟固について」中村賢二郎編門抑制

市の社会史』ミネルヴア書房、一九八一二年。

(幻)第一章註2に掲げた諸論稿を参照。

(幻)佐久間弘展「第江章中世職人兄弟団」吋廿

日HH(l)口世紀ドイツ」車脊丹木畢宮窓書一中首一百閏庖、ニ

OO七年。

(お

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NCC印uω叩Gl山]{印・

宗派化論と近世兄弟図研究

一九八

0年代に早くから宗派化論との関連で兄弟団を取り上げたの

は、トリ

lア選帝侯領において、トリエント公会議から選帝侯領の世

(∞

ω(リゲロ包(目。吋)で

38

俗化に至るまでの兄弟屈を分析したシュナイダ!

ある。シュナイダ

lは、近世兄弟屈を第一に宗派化の「道具」と捉

えた。彼は、教会権力が民衆へのカトリック教義教育を、兄弟団を通

トリエント改革に基づく新たな典礼を、兄弟団を通して

して行ない、

普及させるなど、宗派化の進展において兄弟団が果たした役割を指摘

カトリック教義教育において大きな役割を潰じたのは、キリス

した。

ト者教育兄弟団(U

宵UZE各吾叶えめ門出岳山内円である。

キリスト者教育

トリヱント後の改革の時代にイエズス会などの協力により

各地に創設された兄弟団で、会員に教義教育を行なうほか、兄弟団が

兄弟団は、

主催するミサでは会員に聖体拝領を受けさせ、会員にはその他のミサ

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賢)近世ドイツ先弟図研究の現状と課題(鍵和問

の際にも聖体拝領を受けるように捉した。また、

リストの聖体崇敬、新たな聖人の崇敬など、新しい典礼の形態も兄弟

ロザリオの祈りやキ

団を通して普及させられた。兄弟団においては、通常の教灰一ミサでは

あまり実践されなかった俗語による典礼歌の歌唱なども積極的に行な

われ、俗人の信心を高めることに寄与した。そして、各兄弟団が行な

う頻繁な典礼は、教区の典礼を補完するものとして、教区の典礼数を

増加させ、内容を多様化させることにも貢献したとされる。兄弟団に

よる巡礼・プロセッションも、

バロック期のカトリシズムを代表する

要素であるとともに、宗派化の重要な手段であったとされる。中世に

おける巡礼は、遠方の巡礼地へ向けた個人によるものが中心であった

が、近世に入ると近傍の巡礼地への集団によるものへと変化してい

く。そのような集団的巡礼を組織したのが兄弟聞であり、行列を組織

して巡礼地へ行進するというプロセッションとしての機能も持ち合わ

せていた。集団による行進という規律化された行動と、巡礼地におけ

る経験を通じた信心の高揚は、民衆の宗派化を大いに促進するもので

あった。また、プロセッションは、信心の対外的なアピールという機

能も有しており、さらに、政治的な目的にも利用され得るものであっ

た。都市トリlアにおいては、イエズス会の兄弟団が、当市における

かつての宗教改革運動の失散を記念するプロセッションを毎年行なっ

ており、福音主義勢力への牽制を行なっていた。また、兄弟自の運営

形態についても、トリエント以後の兄弟団においては伝統的な役職者

の選挙を行なわなくなり、代わりに司祭の強い指導下に置かれた権限

の少ない役職者が霞かれる例が頻繁に見られるようになった。この点

から、

トリエント以後の兄弟関の自縛性の縮小が指摘される。

シュナイダ!は、兄弟団が、宗派化を進めつつあった領邦国家への

民衆の統合に果たした役割についても指摘する。それは、近世兄弟罰

の開放性に起因する役割である。中世後期の兄弟固については、しば

しばその関鎖性が指掃される。すなわち、中世後期の兄弟屈において

はしばしば高額の加入金が会員に対して課され、

それ以外にも度々金

銭負担が生じるなど、経済的に貧しい下層民が実質的に排除される構

造になっていた。しかし、近世の兄弟団においては、基本的にそのよ

うな金銭的負担は撤廃され、下層民であっても加入できる前提が作ら

れた。実際に、近世兄弟閣は中世後期の兄弟聞に比して、

一兄弟団の

会員数の規模が飛躍的に増加した。このようにして、教会権力の監督

より多くの民衆が統合されることとなり、領

邦国家への臣民の統合が推進されたのである。また、近世兄弟団の農

村部への拡大という現象も、宗派化による民衆のより大規模な統合の

試みとして捉えられるとされる。ここでは、シュナイダーが聖界諸侯

39

下に置かれる兄弟聞に、

領であるトリ!ア大司教領を扱っていることから、兄弟団による民衆

の教会権力への統合が、領邦国家への統合と同一視されている。

しかし、

シュナイダーは、宗派化による兄弟団の「道具化」が進む

一方で、中世後期の形態を継承する「伝統的兄弟図」が、

トリエント

公会議による兄弟団の「改革」後も根強く残存していたことを指摘

す針。これら「伝統的兄弟団」は、依然として俗人がイニシアティヴ

を握る自律的構造を持ち、盛大な宴会を催すなど、トリエント以後排

除される傾向にあった世俗的要素も多分に有していた。これら「伝統

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西洋史論集

的兄弟間」

の存在は、教会権力にとっては改革の妨げとして理解さ

れ、宗派化政策の推進により克服されていったとされる。このような

「伝統性」の残存は、シュナイダーにとっては

カ〉

の規律化に

対する民衆の抵抗として理解されている。以上のことからシュナイ

ダIは、近世兄弟団を、トリエント公会議後の教会権力によって奨励

された「改革的兄弟団」と、「伝統的兄弟団」の不断の緊張関係の中

で理解すべきであるとする。シュナイダlの論には、進歩性を担保す

る「改革的兄弟毘」による、「伝統性」・「民衆性」を代表する「伝統

的兄弟団」

の克服という図式が明瞭に表われており、「上から」

動としての宗派化理解が明瞭に表われていると言える。

の運

シュナイダ

1と同様の流れに属する研究として、ザルツブルク司教

トリエント公会議から現代までの兄弟団を分析したク

リiパiのものが挙げられる。クリ

1パーも、トリエント公会議を境

区における、

とする兄弟屈の「改革」

の意義を重課する。

71ノIIT--土、

ノノ、』

i

p

/

ιv

トリエン

ト後の時代には、既存の兄弟屈はより強く司教の統制下に置かれ、こ

の時代に新たに創設された兄弟屈はより規律化の方向性を示したと

し、宗派化の影響を指摘する。彼は、シュナイダ!と同様に、近世兄

弟団の開放性についても指摘しており、特に女性の参加率に関しては

目覚しいものがあったとし、開放性の高さを強調する。彼は、例とし

て都市ザルツプルクのアンナ兄弟団の一六一九年から一九O三年まで

の加入者名簿を検討し、

一六一九年から一六三O年までの女性の割合

が五一ニ%であったのが、

一六一一二年から一六四O年にかけては六三%

になり、

それが二ハ四一年から一六五O年にかけては七三%まで増加

その後一九O三年に至るまで、女性の割合が常

に七O%を下回ることがなかったことも示している。彼はそれに加え

するとした。そして、

て、都市民に対する兄弟閏の浸透度についても統計的に検討する。彼

は、都市ザルツブルクにおいて兄弟団への加入者が最も多かった期間

として、

一七一一年から一七二O年にかけてと一七六一年から一七七

O年にかけての期間を挙げ、それぞれの期間で約五万人の加入者がい

たとする。これは、当時のザルツプルクの人口(一七OO年頃一一ニO

00入、

一七八六年一六回OO人)をはるかに上回る数であるが、

人が複数の兄弟自に加入していた可能性や、市外の人も加入していた

可能性によって、説明できるものであるという。しかし、その点を考

意しでも、市内のかなりの人口が何らかの兄弟団に加入していたこと

を想定させ、この時代における兄弟団の求心力の強さを明らかにして

くれる。また、クリ!パ

iは兄弟屈の自律性の問題にも触れ、それは

かなり低かったであろうと推定する。それは、個々の兄弟団の会員数

がかなりの数であったため、俗人による自律的な組織形態は実質的に

40

難しかったであろうということと、教会権力との対立を示すような証

拠が見られず、教会への強い従属下に置かれていたであろうことなど

から導き出されるとされる。

クリ

1パiは、これらの点から見ても、

この時代の宗派化の動きの中で、兄弟団が教会によって大いに利用さ

れ、また都市民の開にかなりの程度浸透していたことが一示されるとす

クリ

iパ!の主張の中で今ひとつ指摘しておくべき点は、

その兄弟

団概念の理解である。彼は、兄弟団という探念をかなり広義のものと

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賢)近世ドイツ兄弟図研究の現状と課題(鍵和田

して理解している。彼は、

レムリンクのような兄弟聞の定義において

は、手工業者兄弟関などが除外されることになるとして、

さらに幅広

い概念設定を行なうべきことを提唱する。その際彼が兄弟国の本質的

要素として挙げるのが、「死者との結合」である。彼は、中世に現れ

た兄弟団が、近世・近現代と存続していく中で、様々な変容を被るも

のの、「死者との結合」という要素は本質的なものとして維持され続

けているとし、この要素を持つ社団を一つの類型として包括的に把握

(詑)

すべきであるとする。こうして、宗教兄弟団も、宗教的要素を持つギ

ルドやツンブトも、同じ要素を持つものとして包括的に理解できるこ

とになる。彼は、各々の社聞を厳密に分類しようとし過ぎることが、

これらの社団の「死者との結合」という重要な要素を却って見えづら

くしているとする。

クリ1パ!のこのような兄弟団理解は、兄弟団の

宗教的要素を中心に据えたものであり、兄弟屈の世俗的な要素をある

程度捨象した上に成り立っているという問題があるが、兄弟団がなぜ

中世から近世を経て現代に至るまで存続し得たのかを説明するのに有

効な視座を与えてくれるものである。

バロック期のオーストリアにおける兄弟国を分析したヴィンケルパ

ウア

1(汁耳目ロ

Z522)も、近世兄弟聞が宗派化に果たした役割

を積極的に評価する立場に立つ。彼は、トリエント以後の兄弟団の主

要な役割として、バロック・カトリシズムにおける各種典礼の担い手

としての側面と宗派化の道具としての側面というこつを挙げる。一七

世紀のハプスブルク諸邦においては、主に君主の主導によりパロツ

ク・カトリシズムが隆盛した。この運動は、信心・閣議性の可視化、組問

熱的・豪華壮麗な表現を支柱とし、民衆信仰の分野では聖人崇敬や巡

礼・プロセッションの流行などに表われた。ヴィンケルパウアーは、

この民衆信仰におけるバロック・カトリシズムを主に担ったのが兄弟

聞であったとする。すなわち、兄弟団は各々その名前に冠する閣議入を

選定し、

その聖人の記念日などに典礼を行なっていたことから、新た

な聖人を普及させる際の最適な媒体になったという。また、巡礼・プ

ロセッションなども、先述したように兄弟回を単位とした集団で挙行

されることが多く、ここでも兄弟団が民衆を動員する媒体となると

いう。宗派化における役割については、ローマ・カトリック的な宗教

実践の普及と強化、民衆の道徳的規律の改良、祈りや勤行の活動を通

(お)

じた生活規範の規律化といった側面で兄弟団が活躍した。また、これ

らバロック・カトリシズムの典礼の担い手としての兄弟団の役割と、

41

宗派化の担い手としてのそれとは、厳密に区別できるものではなく、

両者は密接に結びついていた。各々の典礼にはたいてい君、王の意向が

反映されており、典礼の挙行と君主による規律化は常に連動してい

た。この事例として、

ハプスブルク君主国における聖ヨ

1ゼフ信仰が

挙げられている。聖ヨ

lゼブ信仰はトリンエト公会議後の改革の中で

新たに普及してきたものであるが、

ハプスブルク家の君主は一六五四

年に聖ヨ

lゼフをベ!メンとオーストリアの守護聖人とし、

の普及に努めた。さらに、

その信仰

一六七三年には君主の後援の下で、

ダlエストライヒのアルトペラにおいてイエス・マリア・ヨ

iゼフ兄

弟団が創設された。この兄弟団は、加入者に対する免債の供与でもっ

プロセッションなどを行ないヨ

1ゼフ信仰の普及に努

て会員を集め、

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西洋史論集

(却)

めた。

また、君主による聖人崇敬のこのような促進には、「聖人H信

徒」の関係を

日臣民」の関係になぞらえ、臣民を訓育せんとす

る意図があったことも指摘されている。

ヴィンケルパウア

1は、宗派化の役割を担った兄弟自の中でも、

りわけイエズス会によって設立されたマリア信心会

ERU三円百

円。ロ向日官己

CEロを重視する。

マリア信心会は、

トリエント後の改革

的兄弟団の先駆けをなすものであるが、その会員には多くの宗教的義

(お)

務が課され、規律も厳しかった。当初はイエズス会教育機関の学生の

みによって構成されていたが、後には俗入信徒にも開放されるように

なる。この兄弟団は、祈祷やミサへの参加、告解の義務などの他に、

異宗派に対する闘争などの義務

まさにカトリック宗派化を担う絡入信徒の育成を目的

としていたといえる。このマリア信心会の活動の中に、当時の「お

教義についての自主的な学習や伝道、

も課しており、

上」が兄弟聞に期待したような、宗派化における貢献の形が明瞭に表

われているとされる。ヴィンケルパウアーによる兄弟団理解は、宗派

化における兄弟国の役割を高く評価するとともに、民衆信仰における

兄弟団の役割についても「お上」による統制の道具として捉えようと

する点で、先に挙げた二者よりも兄弟団による規律化をより重視する

立場であると言える。

ここまでで挙げた研究は、何れも兄弟聞の宗派化の道具としての役

割を高く評価するものであるが、兄弟回の宗派化政策への転換点とし

てトリエント公会議を想定している。しかし、兄弟団の形態変化はよ

り以前から既に生じていたとする立場もある。中世後期の都市ケルン

における兄弟団を分析したミリツアー

な立場に立つ。ミリツァ!は、ケルンにおいては一五世紀末において

(同・

ζEHNq)は、そのよう

既に、宗教改革直前の教会改革運動の流れの中で、兄弟罰の形態変化

が生じており、新しいタイプの兄弟団は宗教的活動に特化し禁欲的・

(お)

規律化的傾向を持っていたとする。彼は、事例として一四七五年にド

ミニコ会説教師ヤ!コプ・シュプレンガ

l(F-sσω℃日ロ普門)に

よって創設されたロ、ザリオ兄弟団を挙げている。この兄弟団は、従来

の兄弟関のような加入金やその他の負担金を取らず、会員には宗教的

(お)

活動に特化した義務を課した。この兄弟団は、会員の側での信仰の内

面化と禁欲的活動を求めていた点で、

トリエント後のマリア信心会や

その地の宗派化兄弟団を先取りするものであったという。ミリツア!

の研究は、兄弟屈の「改革」の時期を先に挙げた諸研究よりもより以

42

前に設定するものの、

その他の点ではそれらの研究と同様にトリエン

ト以後の宗派化における兄弟団の役割を高く評髄するものであると言

〉えマhv

。以上では、近世兄弟屈と宗派化という観点に立って、宗派化の意義

を積棲的に評価する研究を検討してきた。この立場は、宗派化の道具

としての兄弟団の役割を重視し、

その点に近世兄弟団の第一の意義を

認めようとするものである。また、

その際に本章で取り上げた研究者

から下への」運動と

たちは、宗派化の意味を一様にシリング的な

して捉えている。このような兄弟団理解は、宗派化論の普及とともに

主流となり、現在でも大きな影響力を保っている。しかし、

シリング

やラインハルトが主張するような宗派化論に対しては、現実の状、況に

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(口)

Ebd.,

S. 94-98

(口)

Ebd.,

S. 105f.

(式)

Ebd.,

S. 94-98.

(巳)

Klieber, Br

ud日rschaften

und Liebesbunde

nach Trient;

ders.,

Basisbewegung oder

Instrument kirchlicher

Dom巴stizierung?

Charakt巴ristika

und Di

mensionen des

n巴uzeitlichen

Bruderschaft-

sw巴sens

im suddeutschen R

aum,

in:

R. Leeb,

S.

C. Pils u.

T. Winkel-

bauer (Hg.)

, Staatsmacht

und Seelenhei

l. Gegenreformation

und

Geheimprotestantismus in

der Habsburgermonarchie,

Wien/Mun-

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2007.

事ぞい子。摺BE

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Klieber, Basisbewegung oder Instrument kirchlicher

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Ebd.,

S. 166f.

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,Bruderschaften u

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, S. 26

…28.

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den bohmischen undδsterreichischen

Landern, in:

R.

Le巴b

,S.

C. Pils u.

T. Winkelbauer (Hg.)

, Staatmacht und Seelenhei

l.

Gegenreformation und Geheimprotestantismus in

der Habsburger-

B. Schneider

, Bruderschaften

im Trierer

Land. Ihre

Geschichte

und ihr

Gott巴sdi

巴nstzwischen

Tridentinum und Sakularisation

Trier 1989; ders., Wandel und Beharrung. Bruderschaften u

nd From-

migkeit in Spatmittelalter u

nd Fruher Neuzeit

, in: H. Molitor u.

H.

Smolinsky (Hg.)

, V olksfrδmmigkeit in der F

ruhen Neuzeit

, Munster

1994; der・s.

,Kirchenpolitik u

nd Volksfrδmmigkeit. Die wechselhafte

Entwicklung der

Bruderschaft巴n

in Deutschland

vom Spat

mittelalter bis zur Mitte des 19. Jahrhunderts

, in: Saeculum 47 (1996)

l

(N)

Schneider, Kirchenpolitik u

nd Volksfrommigkeit, S. ll8

f.

(的Schneider

,Bruderschaften i

m Trierer L

and, S. 472.

(申Schneid

巴r,Kirchenpolitik u

nd Volksfrommigkeit,

S. 108f.

(∞)

Ebd., S. 107

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(∞)

Ebd., S. ll3-ll6

(ド)

Ebc1.

(∞)

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S. ll6

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S. ll8f.

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西洋史論集

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(却)何ぴ仏

(但)

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Wず己・

(詑)マリア信心会は、活動の実態からすれば兄弟団の範隠に入れられる

ものであるが、史料上では一貫して列。ロ向日間山氏。ロ

gという名称が用

いられ、同凶

E門日巾吋印岳山片付

gとは呼ばれない。研究文献においても、通常

問。Dm山門巾向山片山Oロ巾ロとして表記され、∞吋己門日2・∞ロゲ出向同町ロと区別されている。

本稿もそれに倣い、「兄弟団」とは表記しない。我が国では「マリア信

心会」という訳語が用いられることが多いので、ここもそれに従うこ

ととする。マリア信心会については、横原、前掲論文を参照。

(お)巴辻

wω・

5ω円

(MA)

開ず仏・

(お)同・宮口洋Nqw百三色合注射仏2fHハαzqH凶吉弘巾吋印円}阿国内門巾口出gdぴ巾円向山口ぬ

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(お)冨5RRw]凶山口ZH件CDmwω(UU内HMl(

い}内}内円同日

(幻)ヤ

lコプ・シュプレンガ

12b出に宰)は、魔女裁判の指南書とし

て有名な「魔女への鉄槌』の著者としても知られる。

(犯)閉山ぴ門戸

ω・〔)}内問}円以・

宗派化論の再検討と兄弟団

シリングやラインハルトによって提唱された宗派化論に対しては、

まず教会や国家が宗派を媒介として臣民の教化・規律化を行なおうと

したことは認めるとしても、それが臣民や社会全体に実際にどれ程の

影響力を持ち得たのかということが関われた。「お上」による宗派化

政策の不徹底の事例は至る所で報告されており、異なる宗派の人々が

同一地域に併存しているという宗派混合状態の存在も、宗派化の効力

を疑わせる根拠になっている。また、宗派化の主体を専ら「お上」と

する「国家中心主義」的な視点に対しても批判が加えられている。近

世スイスの改革派農村共同体における宗派化を検討したシュミット

(

E

H

P

ω

各自広同)は、宗派化の担い手として第一に自律的な農村共同

体を挙げ、宗派化という運動を民衆による自己規律化と理解した。彼

は、シリングらが宗派化の手段と捉えた、教会による「教会規簿

それが「お上」による臣民の規律化と

44

閉山RYσロNcnげとを取り上げ、

いうよりも、農村共同体内の紛争解決や秩序維持に寄与するもので

あったことを指摘し、むしろ共同体の要語によって発せられた側面が

あったことを示し足。また、宗派化の運動は、「お上」と呼べるよう

な統治権力を持たない畠律的共同体でも行なわれていたとし、「お上」

から臣畏へというシリングの一方向内的な宗派化理解を批判する。この

ような、シリング的な宗派化論の実態との翻舗や「下からの」宗派化

の主張などの議論を通じて、シリングらが当初唱えたような宗派化の

姿に対してますます疑義が呈せられるようになった。このような動向

は、近世兄弟団の研究にも大きな影響を与えることになる。

このような宗派化論をめぐる議論を踏まえて、宗派化の道具という

兄弟団理解の再検討に本格的に取り組んだ研究としてマリンクロット

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賢)近世ドイツ兄弟思研究の現状と課題(鍵和田

(見・〈・富山口古島円。侍)

のものが挙げられる。

マリンクロットは、度々

指摘される宗派化の不徹底の問題を念頭に置き、

七世紀にかけての都市ケルンにおける兄弟団を分析した。その際に彼

一六世紀後半から

女は、兄弟団がどの程度宗派化の道具たり得たのか、宗派化がどの程

度成果を上げたのかを重点的に検討し、その結果宗派化の道具として

マリンクロットは、当時のケルンに

の兄弟閏の役割に疑義を呈した。

存在した兄弟団を、「伝統的兄弟田守主主♀邑

UF急qm与えとと

「改革カトリック兄弟団

Br円BWEY己目的与σ∞吋己門目。吋印与えと

の二類型

に分類する。前者は、俗人によって運営されるもので、集団的に行な

われる宗教的活動のほかに、慈善活動・社交活動(宴会等)をも目的

とするもので、兄弟団の「中世的」要素を代表するものである。

後者は、聖職者の監督の下で運営され、

トリエント以後のカトリック

改革の理念に適った宗教的活動に特化し、

それ以外の活動を排除する

もので、兄弟団の「近世的」要素を代表するものとされる。

マリンクロットは、兄弟団を以上のように分類した上で、

まず当該

期間にケルンに存在した兄弟国を統計的に分析する。

ケルンに存在した兄弟団は、「伝統的」・「改革カトリック」合わせて

一二三である。その内、「伝統的兄弟罰」は九

O、「改革カトリック兄

弟盟」は三一一一存在したという。この数字によれば、「伝統的兄弟団」

一七世紀に都市

は全体の四分の三を占め、「改革カトリック兄弟団」は自分の一を占

まずこの点から、統計的には

めるのみである。

マリンクロットは、

「伝統的兄弟団」が多数派を占めていたのであるから、現実的な影響

力の点でも「改革カトリック兄弟団」はあまり都市民の聞に浸透して

いなかったとする。その上で、「伝統的兄弟匝」と「改革カトリック

兄弟団」双方の活動の実態を検討する。

「改革カトリック兄弟団」

の理解については、先述した諸研究とほ

ぽ同様である。

マリンクロットも、「改革カトリック兄弟団」

の先駆

けとして、

ケルンにおいては一五七六年に創設されたマリア信心会を

挙げる。この兄弟団は、イエズス会の強い監督の下に置かれており、

会員には宗教的知識の習得と信仰の内面化を達成するための義務が課

された。会員には週一回の集会への参加とその探の聖体拝領が課され

一臼の終わりに

、r

也、、B

品、

ナノ品川州

その他に日常生活に関しても細かく規定され、

はその日の自身の行動について自己省察を行なうことも定められて

いた。異宗派信徒の改宗に努めるべきことも命じられており、あたか

も修道士に課されるような役舗を俗人に期待するものであった。日常

生活に至るまでのそのような規律を維持させるために、マリア信心会

は会員のための「手引書」を作成していた。この手引蓄には、先述し

45

たような会員の義務や望ましい生活態度などが記載されており、会員

には無料で配布されたようである。

マリア信心会に特徴的であった、

信仰の内面化と日常生活の規律化、その達成のための手引蓄の利用な

どは、その後に創設される「改革カトリック兄弟間」のモデルとして

踏襲されていく。「改革カトリック兄弟関」は、大部分がイエズス会

やフランシスコ会会則厳守派、銑足カルメル会、カプチン会などの改

革的修道会によって創設された。組織の構造はマリア信心会を強く意

識したものになっており、聖職者の権隈が強く俗人の自律性は弱か

った。実際の活動の面でもマリア信心会と通じるものが多く、信何の

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西洋史論集

内面化と日常生活の境律化を課す活動が中心であった。また、プロ

セッションの挙行が重要な活動として位置づけられており、外部に対

する自己の信仰のアピールも重要な意味を持っていた。また、「改革

カトリック兄弟国」

の特色として、

成していたことも指摘される。以上のように、

マリア信心会と同様に手引書を作

マリンクロットは、

「改革カトリック兄弟団」の特徴として信仰の内面化と会員の規律化

を志向する性格を指摘し、宗派化の影響を確かに認めている。しか

し、それらの改革的な要素や規律化が、どの程度会員に受容され実践

されていたのかについては確認することが難しいとする。また、「改

トリエント的理念に基づくカトリック信仰

革カトリック兄弟団」が、

高揚のために活発に行なったプロセッションなども、祝祭の形態とし

ては、伝統的な民衆信仰との境界が暖昧な点もあり、果たして会員た

ちが自身の伝統的慣習以上の意味をそれらに見出していたのか杏かに

ついても、議論の余地があるとする。

マリンクロットが宗派化における冗弟団の役割に疑義を呈

する主要な根拠となっているのが、「伝統的兄弟団」の活発な活動で

ある。マリンクロットは、「伝統的兄弟留」を基本的に中世後期の兄

弟聞の継続として捉える。これらの兄弟団は、俗人会員のイニシア

ティヴによって運営され、「改革カトリック兄弟団」では撤廃された

加入金その他の負担金も従来通り徴収され続けた。従って、会員数は

そして、

ある程度制限されることになり、教区単位の小規模なものが中心で

あった。活動については、宗教的活動についての義務が少なく会員の

日常生活に対する関心も低かったという。その代わりに、世俗的活動

は活発に行なわれており、改革的な聖職者によって盛んに攻撃されて

いた宴会も根強く行なわれ、会員の重要な交流の場になってい凶。し

かし、救貧活動の拡大という中世後期とは異なる点も指摘されてい

る。中位後期においては、ケルンの兄弟屈による救貧活動は、それ程

活発には行なわれていなかったが、

一六世紀に入ると徐々に救貧活動

を行なう兄弟団が増え始め、一七世紀には「伝統的兄弟団」の大半が

(お)

何らかの救貧活動を行なうまでになっていた。

マリンクロットは、こ

の救貧活動の拡大について、当時の都市内における貧国問題の深刻化

やはり当時厳しくなっていた「伝統的兄弟

という現実的要請の他に、

への教会の眼に対して、自身の存在の正当性を主張するという意

図もあったとしている。ただし、「伝統的兄弟団」の活動全体を評傭

回すると、あくまで中世後期からの連続性が主であり、宗教改革やトリ

46

エント公会議を経て改革された部分は少ないとされる。このように、

「改革カトリック兄弟団」の理念に真っ向から対立するような「伝統

的兄弟団」が根強く存在し、その中に「改革カトリック兄弟団」の影

響がほとんど見られないことからも、「改革カトリック兄弟団」およ

び宗派化政策の影響力が限定的だったことが示されるとされる。今一

つ、「宗派化の道具としての兄弟団」という像に疑問を投げ掛ける根

拠として挙げられているのが、「伝統的兄弟関」と「改革カトリック

兄弟団」双方への重謹加入の問題である。

マリンクロットの分析によ

一人の人物がこの二種類の兄弟団に重複して加入している事例

が存在する。マリンクロットは、仮に「改革カトリック兄弟団」で要

フQ〉」、

求されたような信仰の内面化や規律化が、会員たちに強く浸透してい

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賢)近世ドイツ兄弟図研究の現状と課題(鍵和田

たならば、

その理念に反するような「伝統的兄弟団」に同時に加入し

ているとは考えにくいとし、「改革カトリック兄弟団」による改革思

想は民衆には伝わっていなかったとする。

マリンクロットは、兄弟田を宗派化の道具

と捉える見方を批判し、宗派化概念の有効性についても疑義を呈し

た。このマリンクロットの研究は、宗派化論に対する修正の議論を吸

収し、近世の兄弟図研究を従来のような宗派化の枠組みから解放した

という点で非常に重要なものである。ただし、現在の宗派化を巡る議

論や今後の宗派化研究に対する展望などの点からマリンクロットの理

論を検討すると、未だ不十分な点が存在するように思われる。以下そ

以上述べてきたように、

の点について検討していく。

まず

マリンクロットの指摘する「改革カトリック兄弟団」と「伝

統的兄弟国」の統計的検討についてである。「改革カトリック兄弟団」

は、基本的に会員数制限を行なっておらず、加入金も存在しなかった

ため、会員数は大規模になる傾向があり、数百人から数千人に達する

(却)

こともあった。

一方「伝統的兄弟匝」においては、会員数制限を設け

るなど組織の閉鎖性を維持する方針を取っていたため、会員数は少数

(却)

に抑えられる傾向があり、通常数十人規模であった。従って、会員数

には十倍規模の差があったことになり、

そのことからも、単純に兄弟

団の数から影響力を評価することは難しいと思われる。また、

クロットの宗派化理解は、基本的にシリングらが当初唱えた「上から

マリン

下への」規律化を中心とした宗派化論の枠組みに留まっていると思わ

れる。しかし、先述したように、現在の宗派化をめぐる議論の中で

は、必ずしも「上から」行なわれる訳ではない宗派化の形も指摘され

ている。また、規律化の程度や「異教的」民衆文化の克服の程度を第

一の尺度として宗派化の成否を計ることに対しても、批判が加えられ

ている。ミュンスタ1司教領の宗派化を分析したホルツェム

日〉

は、「異教的民衆文化」という概念自体が一八世紀の教養

市民層のアイデンティティ形成とともにそれへの対立概念として作り

出。】NOB)

出されたものであり、近世社会を検討する概念としては不適であると

述べるとともに、宗派化とは「単なる規律化ではなく、新たな宗教

的・社会的行為の規範が形成される過程」として理解されるべきであ

るとする。このような議論の結果として、宗派化の帰結として宗派化

の推進と民衆信仰の高揚の関係や、宗派化の帰結としての民衆の宗派

(出)

的アイデンティティの形成などが分析対象にされるようになってきて

47

おり、宗派化と民衆文化を対立的に捉える調点に修正が追られてい

る。従って、マリンクロットのように、「伝統的克弟国」を単純に宗

派化の運動とは無縁のものとして理解し、中世後期からの残存と捉え

る見方に対しても、再考する必要がある。「改革カトリック兄弟匝」

にしても、同様の観点から、教会による民衆への「押し付け」という

見方が妥当かどうかには慎重になる必要があるだろう。そして、

より

大きな問題として、

マリンクロットは、教会権力や世絡権力が宗派化

との関連で兄弟団に与えた影響と、彼らによって指導された兄弟屈が

民衆に与えた影響を限定的に見ているが、

その場合に河故この時代に

兄弟屈がそれ程繁栄したのかについては明確な説明を与えていない。

従来の近世兄弟間研究では、この繁栄の要閣を

(シリング的な意味で

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西洋史論集

マリンクロットはその宗派化という枠組

の)宗派化に求めていたが、

みを克服したものの、それに代わる枠組みを示すところまでには至つ

ていないのである。結局のところ、この問題は今後の兄弟閏研究の課

題として残されることとなった。

以上のように、これまで宗派化論とともに発展してきた近世兄弟団

研究は、その宗派化論の意味内容に関する修正の議論とともに、転換

点を迎えつつある。

マリンクロットの研究によって、近世兄弟団を単

純にシリング的な宗派化の道具と見なす見方はもはや受け入れられな

くなりつつある。しかし同時に近世兄弟団研究は、従来までの解釈の

支柱を失い、新たな解釈の枠組みを設定しなければならない局面に立

たされていると言える。この問題に対する一つの解決策として、続い

ては宗派化をシリングらによって主張されたような「上から下への」

運動として見るのではなく「相互作用的」プロセスとして捉えようと

する見方を検討する。宗派化の捉え方を見直すことにより、近世兄弟

国の捉え方に対しても新たな見方が提示できるものと思われる。

、迂(l

シリング的な宗派化論に対する批判については、瞬、前掲書、

i二五頁を参照。

(2)

宗派混合状態については、

PEBW25らおgg己巧品巾仏句穴CDe

同巾田町一cロ∞σニ(日ロロm山口問)巾ロ門的円豆田口(ご

gNag-R(日貨の}山口})吉田町出否問)Fω

2150において多くの事例が紹介されている。しかし、ツェ

1デン

は、その状態をあくまで宗派が形成されていく過程での一時的なもの

と捉えている。また、宗派的パリテ

lトが導入されていた帝国都市の

二宗派並存状態も、宗派化論に対する反証として提示され得る。しか

し、ラインハルトは、そのような事例は帝国全体に対して政治的に大

きな力を持つことがなかったとし、例外的事象として扱う。〈mH]河内宮

町田司awN一若山口mNC吋同州。ぇ

2印HO口出口田山巾言語ア

ω担え帝国都市のニ宗派並

存状態については、永悶諒一氏が帝国都市アウクスブルクについて検

討している。永田諒一吋ドイツ近世の社会と教会

iil宗教改革と信仰

派対立の時代111』ミネルヴァ書房、二

000年、一七七

iニ二

O頁

宏子紹…。

(3)

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(4)ω口町百円。Fω。NU]色印N日℃円山口円四円CHMmyω・8H20・

(5)

シュミットらによる、宗派化における共同体の役割を重視する見解

の背景には、ブリックレ

(HUE一門医巾)の「共間体主義論」が存在して

いる。ブリックレは、中世末からの都市・農村共同体の自治組織の発

展に着目し、その政治的機能の獲得と、民衆的公益理念の形成、身分

制議会への参画が、その後の近代議会主義、共和主義の底流となった

とした。ぺ

lタ1・ブリックレ、前開良爾訳「共間体主義、議会主義、

共和主義」『九州産業大学研究論集」第二巻第一号、ニ

OOO年を参

照。なおここでブリツクレが述べる「共同体」とは、同等の権利を有

した構成員によって共同で運営される、水平的構造を持った社団であ

り、都市共同体や農村共同体が当てはまる。基本となるのは水平的構

造であり、近世の大都市のように市民権を持つ者が少数に限られ、実

質的には寡頭制となっていたような都市共同体は想定していない。そ

48

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。叩

(記)

Ebd., S. 98-113.

(己)

Ebd.

(口)

Ebd., S. 146

f.

(口)

Ebd., S. 148

f.

(式)

Ebd.,

S. 15

1.

(巳)

Ebd., S. 173-187.

(記)

Ebd.

(口)

Ebd., S. 228-232

(告)

Ebd., S. 233-249

(~)

Ebd.,

S. 249.

(毘)

Ebd., S. 322f.

(お)

Ebd., S. 334-340.

(f:D Militzer

, Einleitung

, S. CI-CIII.

(~)

Mal1inckrodt

, Struktur u

nd kol1ektiver Eigensinn

, S. 340.

(~)

Ebd., S. 34lf.

(自)

Ebd., S. 406f.

(詩)

Ebd., S. 39lf

(日)

Ebd.

(~) 緩や〈聴~Q~

J:ín眠訴はわユト

J:t;e"位制

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Q徳島井手紙ii-¥朴正戸新

E

QETE巨額約えJ~革路宕布製軽

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(gj) Mal1inckrodt

, Struktur u

nd kol1ektiver Eigensinn

, S. 277-287

(g) Ebd.

, S. 377ff.

(おSchmidt,Sozialdisziplinierung?

, S. 648

…660

(:::::3) A.

Holzem, Religion

und Leb巴nsform巴n.

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R.

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Ungleich・

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Koln巴r

Laienbruderschaft巴n

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Grenzen des

Konfessionalisierungs-Paradigmas am Beispiel

der

Kolner Laienbruderschaften im 17.

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132-136.

(∞)

Ebd

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西洋史論集

(

34 )

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乙。ト4

相互作用的プロセスとしての宗派化理解と兄弟

団研究

先述したホルツェムによる「新たな宗教的・社会的規範が形成され

る過程」としての宗派化理解は、宗派化論を巡る議論の中で度々問題

の視点と「下から」(共同体・民衆)の

となった「上か

(「お上」)

視点の対立を克服し両者を統合することを試みたものである。このよ

フォ

iスターのものが挙げられる。

うな観点に立った研究として、

フォ

iスターの理論に特徴的なことは、

二段階の宗派化理解である。

彼は、宗派化に「上から」のものと「下から」のものという二つの動

きが存在したとし、両者は必ずしも常に対立するものではなく、相互

に影響を与え合っていたとする。これら一一つの運動は並行して存在し

ていたが、大きく分けると一六五

O年以前が「上から」

の宗派化、

れ以後が「下から」

一六五

O年以前は、

の宗派化となる。すなわち、

国際的な宗派対立から来る危機感も作用して、領邦君主は宗派的均質

性の確立に積極的に努めていたという。この時代の

から」

の宗派

化は、基本的に民衆への「押し付け」と言えるような一方的なもの

で、却って民衆の反発を招き、あまり成果を上げることができなかっ

た。この時の苦い経験が、領邦君主や教会の方針転換をもたらし、後

の相互作用的宗派化の下地を作った。その際に、

一六回八年のヴェス

トブァ

lレン講和条約締結により、宗派対立による政治的紛争の危険

がひとまず後退するとともに、領邦君主の宗派化政策に対する熱意も

薄れた。しかし、宗派の重要性がそれで薄れた訳ではなく、

一六五

O

年以後になると、今度は一一般の民衆が主体となってカトリック信仰の

その中で、教反一組織の整備や聖職者の資質向上、民衆

高揚が生じた。

のカトリック信仰の内面化などが生じた。これが、「下から」の宗派

化である。フォ

1スターの述べるこの「下から」の宗派化は、一七世

紀後半にカトリック世界全体で君主から民衆までを巻き込み高揚した

「バロック・カトリシズム」と同一視できるものだが、彼は「パロツ

の原動力を、この民衆を起源とするカトリック信

仰の高揚の中に見ている。そして、この一六五

O年以後の宗派化の中

で、本来「お上」や教会が志向していたような民衆への宗派の浸透

も、一定の成果を伴って行なわれる。その際には、「お上」と共同

体・民衆聞の利害の一致が、改革の成否を握っていたという。例え

ば、宗派化の過程の中で試みられた教区司祭の資質の向上と人数の増

員は、共同体と領邦国家双方の要望に基づいていたとされる。

50

ク・カトリシズム」

フォ1スターによる、このような相互作用的・双方向的プロセスと

しての宗派化理解は、「理念型」と実態との髄離が多く指摘されるシ

リング・ラインハルト的な宗派化棟念を、

より実態に即した形に修正

する可能性を持つものとして注目されるべきである。そして、近世兄

弟図研究の観点から見ても、このような宗派化理解は重要である。な

ぜなら、このような相互作用的プロセスの中に近世兄弟国を位置づけ

ることにより、「改革カトリック兄弟団」と「伝統的兄弟団」とのこ

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資)近視ードイツ兄弟図研究の現状と課題(鍵和田

項対立的な見方を克間服することができるであろうからである。また、

例え当時の兄弟匝の性格として「改革カトリック兄弟団」と「伝統的

兄弟団」というこ類型が指摘できたとしても、両者を対立的に捉える

のではなく、

七世

一種の機能分担として捉えることも可能になり、

紀におけるこつの異なる兄弟団タイプの発展も、

つの運動の帰結と

して捉えることが可能になるであろう。

宗派化を相互作用的プロセスとして捉える視点から兄弟団を分析し

た本格的な研究は未だ行なわれていないが、先述したフォ

1スター

が、以上のような視点に立って、南西ドイツ農村部の兄弟団について

試論的に分析している。フォ

1スターは、相互作用的プロセスとして

宗派化を描く際の一つの事例として、兄弟回をそのプロセスの中に組

み込んでいる。彼は、兄弟団を聖職者による民衆教化と民衆による自

主的宗教活動の結節点として捉える。トリエント以後のカトリック改

の時代には、確かにイエズス会など改革的修道会によって多数の兄

弟団が設立されるが、

それらは民衆の支持があって初めて活動が可能

になったとされる。

ブォ

iスターによれば、南西ドイツにおいて修道

会による新たな兄弟団の創設が集中しているのは一六六

O年頃から一

七一

O年頃までと、

一七三

O年頃から一七七

O年頃までであり、トリ

エント直後の時代は逆に少ないという。この創設が集中している時代

は、民衆の聞での巡礼熱、がひときわ高まっていた時期であるとし、教

会側は、そのような時代に合わせて兄弟留を多数提供したのだと

いう。さらに、教会側が新たな兄弟団を創設する際には、民衆の意向

にもかなりの配慮を示していたという。南西ドイツにおいて教会に

よって創設された「改革的」兄弟団の中心は、

口、ザリオ兄弟関であっ

た。この兄弟団は、会員による祈りの集会の他に個々人による祈りの

時間も奨励するなど、祈りの功徳を重視した他に、会員の日常生活に

も細かな規律を課すなど、「改革的」兄弟団の特徴を多く備えていた。

一七世紀後半から各地の農村共同体に同様の形態を

(∞qgm江口向。ロ)とい

この兄弟団は、

持って創設されていったが、

ベルマテインゲン

う農村共同体には創設されなかった。このベルマテインゲンには一七

O九年に教会のイニシアティヴによって聖ゲオルク兄弟団が創設され

たが、この兄弟聞は以上で述べたロザリオ兄弟団とかなり類似した形

態を持っていたという。このベルマテインゲンでは、少なくとも三十

年戦争以後より聖ゲオルクの崇敬が盛んになり、当地の教区教会に置

かれていた聖ゲオルク像を自当てに巡礼者が訪れるほど人口に脂表し

ていたという。そのような共同体の事需に配車して、教会側は、敢え

51

てロザリオ兄弟団ではなく、当地においては聖ゲオルク兄弟罰を創設

したのだという。また、

フォ

1スターによれば、この時代には兄弟団

を求める欲求が、教会権力と民衆に共有されていたとする。ネポムク

トリエント公会議以後に崇敬が奨励されるようになっ

の聖ヨハンは、

た聖人であり、

その名を躍した兄弟国も教会によって多数設立される

ようになるが、

一七三八・一一一九年にはドイツ騎士修道会治下のブル

l

の共同体が、修道会に対してネポムク

の聖ヨハン兄弟団の創設を求める請願を行なっている。理由として、

メンフェルト

(民}口口、戸巾円以

σ日仏)

当共同体には他に兄弟関が存在しておらず、住民たちの救霊の欲求が

充たされていないことが述べられてい封。このように、教会による兄

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西洋史論集

弟団の創設とその運営を求める欲求は、民衆の側にも存在しており、

このような形で、教会と民衆の利害の一致が存在していたという。こ

のようなフォ

lスタ!の分析からは、近世兄弟閣が、民衆主導の「中

世的兄弟団」と教会主導の「近世的兄弟閏」の対立関係という像では

捉え切れない複雑な関係の中に位置していたことが読み取れる。ま

た、これらのことからは、先述のシュナイダ

Iやマリンクロットが

「お上」のイニシアティヴによって設立されたと考えた「改革カト

リック兄弟屈」にも、民衆の意向が確かに反映される余地があったこ

とが指摘できるであろう。

フォ!スタ!の研究は、自身の相互作用的な宗派化モデルの論証の

一環として、教会のイニシアティヴによるものも民衆のイニシアティ

ヴによるものも含めたこの時代の兄弟屈の発展を、相互作用的な宗派

化プロセスの中に位置づけたものであると言える。このフォ

lスター

シリング的な宗派化論の修正をめぐる議論の中で、従来ま

での考察モデルを失いかけている兄弟回研究に対して、今後の研究の

の視点は、

方向性を示唆するものとして意義深いものである。ただし、

フォ

iス

タ!は、主に教会巡察記録に依拠して兄弟回の活動を検討したため、

兄弟団の日常的な活動については考察が不十分なものに留まってい

る。また、

それと関連する問題として、教会巡察記録というものは、

基本的に「お上」が自身の利害に基づいて作成するものであり、その

中の記述は必然的に「お上」から見た民衆というフィルターを通さざ

るを得ないということもある。従って、

フォ

lスターの見解をより説

得力のあるものにするためには、兄弟留によって作成された規約や手

引書などから、

日常の具体的活動の姿を分析していくことも必要にな

るであろう。また、この時代の兄弟団の発展を分析する際には、教会

による奨励や民衆信仰の高揚など宗教的・精神的側面からのみでは説

明し得ないことも考慮しなければならない。都市や共同体を敢り巻く

社会構造の変化が、兄弟団を求める教会・民衆の欲求にも確かに作用

していたと考えなければならない。さらに、人々が兄弟屈に加入する

動機は宗教的なものとは限らず、都市社会における名声の獲得や生活

を安定させるための栢互扶助という側面も考麗しなければならない。

兄弟国のあり方は、共同体の政治的・経済的状況とも密譲に関連する

ものである。

フォ

lスタ!の研究においては、これらの視点について

も十分に検討されているとは一一一一口えず、今後の本格的研究の課題として

残されている。

52

以上フォ

lスタ!の所説を中心として、相互作用出的プロセスとして

の宗派化理解とその近世兄弟団研究への適用について検討してきた。

フォ

1スターによる兄弟国の検討は、未だ試論の段階に留まるもの

の、宗派化論の再検討の中で新たな解釈の枠組みが必要とされていた

近世兄弟団研究に対して、今後の展望を示す重要な一示唆を含んでいる

と言える。

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(3)

フォ

lスターはホルツェムが主張するような「広義の」宗派化概念

を用いており、ここで述べられる宗派化もそのような意味で考えられ

ている。

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以上本稿では近世ドイツの兄弟図研究の現状を、宗派化論との関連

を中心に検討してきた。近世ドイツ社会を理解する上で、シリングや

ラインハルトによって唱えられた宗派化論は、近世社会を規定する根

本的過程として用いられてきた。この宗派化論の影響力の獲得ととも

に、「お上」による宗派化の道具と見なされた兄弟国にも高い関心が

払われてきた。しかし、近年の宗派化論を巡る議論の中で、

シリング

やラインハルト的な宗派化像は、そのままの形では受け入れがたく

なってきていると言える。近世兄弟図研究においても、当時の兄弟団

を単純に宗派化の道具と見なす考え方は転換を迫られている。その際

に、今後の近世兄弟関研究の方向性として、宗派化を多様な利害集団

の棺互作用の過程と捉える観点を取り入れることが望まれる。なぜな

と民衆の結節点であった兄弟屈においては、まさにその

ら、「お

ような相互作用の具体的な像、利害の一致や衝突などが見られるであ

ろうからである。

ただし、このような研究の方向性には、様々な課題も存在する。先

フォ!スタ!の試論に対して指摘される問題点の他に

述したような、

も、そもそもこのような相互作用的なプロセスというものを宗派北

問。口問。印田町05]EqzHMぬという一言葉で表現することの是非がある。そも

そもシリングやラインハルトが当初宗派化論を唱えた背景には、近代

国家形成の過程の起源を求める問題関心が存在したのであり、むしろ

その点にこそ宗派化論の主眼が置かれていたのである。従って、宗派

化問。ぇ

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5ぬという言葉には、必然的に国家から発する

運動という意味が合意され得るのであり、国家の役割を縮小させる傾

向にある相互作用プロセスに対して宗派化という言葉を用いること

は、宗派化という概念に一層の暖味さを与える危険があることを認識

しなければならない。いずれにせよ宗派化という概念と言葉を用いる

際には、今後とも慎重にその意味するところを検討する必要がある。

この点を踏まえた上で、相互作用プロセスの一環として兄弟団を分

53

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西洋史論集

析する際に、

マリンクロットが指摘したような「改革カトリック兄弟

団」と「伝統的兄弟団」という近世兄弟自の分類をある程度相対化し

つつ、両者が相互作用的プロセスとしての宗派化運動の中でいかなる

役離を担っていたのかを検討していくことが必要となる。まず「改革

カトリック兄弟匝」については、

それが「お

の意向を単純に具体

化するものとして機能していたのかどうかが間われなければならな

ぃ。具体的には兄弟団の手引書を軸に据えた研究が望まれる。手引警

は、会員の義務などが記載された規約としての機能があるとともに、

兄弟罰創設の経緯や加入に援する特典など外部に向けた宣伝の機能も

持ち合わせていた故に、兄弟屈の日常の活動を分析する際の重要な史

また、兄弟剖の手引書一は印刷本として多数出版されたた

料となる。

め、伝来状況が非常に良好であるという利点もある。

また、「改革カ

トリック兄弟団」を検討する際には、兄弟団による宗派化の理論的根

拠になっていたとされるトリエント公会議やそれに続くカトリック教

会の兄弟団政策も検討しなければならない。これらの「お上」による

改革方針と実際の兄弟罰の活動がどのように関連していたのかを検討

することは、「改革カトリック元弟団」が「お

と民衆の間で担つ

ていた実際の役割を明らかにする前提となるであろう。「伝統的兄弟

それと中世後期の兄弟団との比較を通じて、このタ

イプの兄弟聞が近世において担っていた役割を明らかにすることが求

については、

められる。

マリンクロットは「伝統的兄弟団」を中世後期の兄弟屈の

そこに新しい要素を認めなかったが、宗教改革を経

残存として捉え、

て宗派の時代に入った近世社会において、

そのような「倍統的兄弟

団」が引き続き活発に活動していたという事実をより詳縮に検討し、

相互作用的な宗派化プロセスの中で担っていた役割が見出されるか否

かについて明らかにする必要がある。そのような過程を通じてこそ、

「改革カトリック兄弟団」と「伝統的兄弟団」を二項対立的に捉える

視点が克服され、近世における中世後期と比肩し得る兄弟国の発展が

説得力を持って位置づけられるであろう。

かつてスモリンスキ

1(同・

ω自己

5∞}弓)は、民衆信仰を研究する

擦の最大の障壁として、

それを分析するための史料が、常に民衆信仰

を外部から眺めた知識人層の手によるものである点を挙げた。近世の

そのような民衆告仰を行なう、玉体が、自身の祝祭について

自ら記録を残した数少ない事例の一つである。教会による統制の問題

兄弟団は、

や兄弟団を構成した信徒の社会的階層の問題など、複雑な問題を苧ん

54

ではいるものの、兄弟閏の研究は、以上の点からも当時の民衆の日常

生活にアプローチするための非常に有効な手法であると一言え、今後と

も詳細に行なわれねばならない。

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