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井揃股山グス

「H橋H1崎f戸券;

ー七ツ雄ク

満昂郎課著

洗二錐次目

■_I回画画■ロ■ロロ画面画ロ ■ ■ ■ 画 ロ

瑞汚山岳街の蕉川小屋

一九三二年のオリムピック選手選抜について

スキー保存法一考

遠景

札幌に於て開催せられた距離競走の

感想及順位一束(下)

〈千鳥淵禰古丹烏根茂Ⅲ

△五色温泉宗川旅館の記録より

△典他

・篤嵐

今北見富士(イクリャタナシ川)の中腹より見たる武利岳

雌雄

一〕

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課新の

瑞西山岳曾の登山小屋

-ユーf含

'11」

弦に諜述するクルック氏の苓番は本来は瑞西川儒命ウト支部の蓋山小屋(目の侭一匡冨冒呂竺胃mの冨目員()m・怪.○.)

と題し一九二二年同支部の出版に係るものであります。ゼクチォン・ウトは瑞西川岳曾の支部の内、チューリヒ市を中心

として組織せらる上最も右力なるものL一で、ウトはチューリヒ市郊外の丘陵の頂ユトリベルグロの昌言侭の別名であり

ます。S・A.Oの支部の内にはモンテ、ローザ叉はベルニナ等の如く堂々たる四千米級の川名を附して居るものもあれば

ウト叉はバハテル等の如く僅に千米内外の山頂の名を平気で名乗って居るのもあります。

ゼクチォン・ウトから以前出版された『蓋Ⅲ群のラートゲーベル』はⅡ本でも早くから多くの人々に読まれて鵬ますが

極く特殊の問題である登山小屋の越築と云ふ様な諜物はあまり類が無いのみならず、今日の様に川小屋の建設が嫌になっ

て来た時代に此のクルック氏の鍔作の如きは是非ひろく之を同好の諸溌に紹介し度いと思って其の課述を思立った次第で

あります。蹄諜並びに多数の設計間を複篇して『山と雲,一に護表することに就いてはクルック氏は日本の登山の偏になる

!グスターフ・クルック

森雄

稚U

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課蒋

39

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⑨一 4C

と云ふならば衷心から喜んで之を承知すると云ふ快諾を典へて呉れました。諜者の手許にある原審も昨年クルック氏が私

等の山小屋建設の参考の偏にチューリヒから贈られたものです。著書の重なる興味は多数の詳細なる設計間にあると忠ひ

ますが百分一縮闘の細い線や文字が被篤で原版通りに出るかどうかいさ上か心配です。

クルック氏は現在チューリヒ市の遮築局長をつとめて脈る人です。永い間ウト支部の小屋艦将冒言go目騨冒の征に総

り多数の登山小屋を計洪し自ら工小を指導して居ます。かくの如き経峨家の蒋述に於てこそ、我々は雌近の棋範的盗山小

崖越築に就いて一々の椛造間や仕様群に依る具体的の説明のみならず汎く名方而に豆る一般的考察、没重なる純験に基づ

く設計上の方針及び小屋符理の諸問題に封して雌も信斌すべき教示を受けることが出来るでせう。

クルック氏は最初S・A.O中央委員令の委蝿を受けて含の小屋全部に就て記述する稜りであったが、之は今日到底不可

能の事業なので差懲りウト支部開係のもの上みに限局したと其序言に断って居ます。ウト支部の小屋は瑞西アルペンの内

でも其の流行登山中心から通ざかつた山地に建てられたものが多く、従って蛙等の中心地方の小屋の如く我々の耳に親し

く郷く様な橘を持って届ませんが、其の延築上の賀から云へぱ代表的のものが多く其桝理の方法に於ては正しく模範的の

ものと云はれてゐます。チューリヒ大製の右宿なる老地礎蝋教授の名を冠した其のアルベルトハィムヒュッテの如き、設

計も近代クルプヒュッープの股術標準のものですが、就中其の延設の歴史を読む人はヒュッープ其物が面に瑞西川岳含の健全

なる理想主義の具体的表現であって、其所に我々の模範とすべき精祁的の啓示を受けねばならぬことを感ずると忍ひます。

筒S・A.Oの小屋に開する出版物としては、最近一九二八年中央委員含の出版として、新らしい小屋の篤嵐帖国蓉冒‘

巴9日が装行されました。これは一九一一七年現在の百二のクルプヒュッテ丙一号旨旨のと五の宿泊所ロー〕§冒昌とを全部

集録し所鳩、定興、到達路、重なる登預及び峠越え、文献の簡龍なる本文とジーグフリードカルテの切抜に到達路を記入

したものを小陸毎に添えてあります。雌彩はすべて氷雪叉は岩峰の勝れた行蛾を撰んだ美覗なものばかりでアルペンの篇

坑帖としても立派なものです。

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ドームヒユッテ

居ます。毎年一・回開催されます。

縄曾、のgの鼠写の扇曽冒ご]一言賑これは含員全休の集愈で三年に一回開鵬されることになって居ます。

A‘

iWil

i論

18

登山小屋解説

一、スパンオルー

ニ、ドームヒュ”

三、フオルアル・『

四、フエライナレ

五、メデルセル』

一、8.A。Uに於ける綴

二、S・A.O雄山小肱に

三、小膝の殺計及び椛挫

8.A。Uに於ける織山小雌建築の溌韮

S・A.O雄山小肱に閥する諸規定

倫妓後に記述の中に多く繰返されるS・△.Oの組織上の機棚の名稲を簡雅に説明しておきます。

支部。ゼクチオン。8.A.Oを織成する雌も大切な地方別の珊位であります。多くの意味で地方の猫立の川岳命とも琴

へられます。丁度多くの獅立のカントンの聯合で瑞西共和剛が出来てゐる様なものです。登山小屋は帯支部の所右ですが

例外としてマッターホルンのソルヴエー避難小屋とベタンヒュッテが面接中央委貝含に腸して居ます。

中央委員曾(。g昌一8日旨の)S・A.Oの最商機開で七人の定興と三個年の征期が規定されて居ます。中央委員長は後に

述べる代表倉の選畢によって選ばれ、選ばれた委員長の脇する支部は其の含貝中より残りの中央委貝を選出するのです。

代表含(跨肩の9.1畠っ員の扇震冒冒一冒醍)各ゼクチォンの代表より組織せらる上重要な機開で代表の数は支部含員の数に

比例し、含員数五十人以下の支部は代表一名、百人以下の支部は二名、更に含員百人毎に代表一名の削合に規定せられて

フオルアルプヒユッテ

フエライナヒュッテ

メデルセルヒユッテ

スパンオルトヒユッテ

幻強016卜$埼呼、I雫吟

ノf4rIkじ、

41J1

‐ 一 ミ ヨ ー 吃 へ

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小雌の恕没

処設慨及び符巡搬川

財源

C著聖Ⅱ4厘α籍

、考慮と経職

凪登山小屋の牧支計錐

。○″〃.〃ロ0■。、守口や〕‐■『I。■1

九、一九一一一年小屋計識

一○、スキーヒュッテ計識

登山小屋の管理

PLI三ニー、 、 、 、

六、カドリモヒュッテ

七、アルペ・ルトハイムヒュッテ

八、クレーンテンヒュッテ

侮年支川勘定A

網論

瑞西山岳含は其の創立の箕の最初より登山小屋の建設が其の最も重要なる征務の一なることを認識したのである。既に

一八六一一年十月二十日ベルン大畢地礎墜誰師にしてチューリヒ名門の出なるシムラー博士b尾.胃(一。一喜昌〕①as醗営営一曾.

が瑞西剛民より成る所の山岳命を創立せんが偏に瑞西登山家及び山毎愛好群に向って配布したる激文中にも此の紬に就て

折摘して居る。叉瑞西アルペンの開折に不朽の貢献をなせる先達希ゴットリーブ、スッーデルの。畠9m且閏も亦此の

機蒋に於て次の如く述べて居る。『かくの如きⅢ岳剛体が其の財力を以て出来る限りの揃所に布油所を設置すべしとの窓

兄はこれ嵐に予が衷心より云はんと欲した所のものである。恩へば予のアルペン高峰への蓋膜に其の雄大なる印象と竣望

の研究とに専心没頭せんが偏に叉繁を把て其形象を紙上に篤さんが潟に若干の時を山頭に過し度しと熱望したること果し

召jlI6、曇砧潤雪帳紡‐肌隠心

Ir

{ 42

= ~ 雫 一 二

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巳巨の己の}〕命冒旨旨の]今胃(』●g巳一丞呂皇房旨昌旨g{〕ざ}樗於旨。]戸員胃〕岸呉。]一言損ぐ○旨思鐸碧易[誉冨冒菖局冒信屋。]吊一

弓屑三目号】】》重昌営.皇エユ骨の①巳①照準宮ogg》今8国急ぎ○津一]三富旨一戸g旨いg畠房C言》ご雪〕冒討一〕

一ぬ】で崖○一ヶのエー]○頭の臣]言騨戸の》里巨買一の旨〕己〕醒昌冨崖(胃⑦己唾の〕ず⑦冒営【ぐ①国電の琶国】》二ヨ冒旨}戸誰○醍昌黒色e戸瞬の三己二晦曾】

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一八六三年Ⅲ月十九日オルテン○一[の二に於ける三十五人のアルペン愛好将の参集により瑞西山岳命は創立せられ愈此

は即日S・A・G第一の壷川小屋をグラールスの箱山思昌の偏に建設することを議決したのである。

アルペン初期登山の開拓将は懸崖の下を辛うじて冊に合ふ湿度に手入れしたる露瞥揚を以て満足した。彼の右塙なるオ

テル,デ、ニウシャトロァ胃邑号“zの胃言冨一C一辺も此の種類の桁泊揚に脇するものである。ニゥシャテルの博物畢者ア

ガシー巴.膳鎖骨デゾールピの胃其他の人々がウンテルァール氷河中央堆石の大岩塊の下に設けたる露誉揚なるが故に

かく呼ばれたのである。此の仲間の一人なるbC三房は一八四五年露管揚の附近なる氷河左岸の岩壁の上に瑞西アルペン

最初の登山小屋を建設した。此の小屋は簡軍なる石造二階越にて普通アルプ小屋と同じ作りであった。ホテル、デ、一一ウ

シャテロァの「木舘」と厩別する偏に「別舘」の意味でバヴィョン砲勇旨。雪と戯れに呼ばれた懲時の命名が今日まで此

の小屋の公の名稲となって居る。小屋は一八七二年に5.A.Oに器附せられた。今日現存のバヴィョン、ドルフースは一

八九四年ツオフィンゲン支部の新設に係るものである。

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しかも予は安全なる満泊地熱への長き蹄路の故に其都度一刻の綱橡も許されずして此の愉楽を断念せざるを5

「S・A.Cに於ける登山小屋建築の義達

て幾回ぞやcしかも予

得なかったのである。』

肉、M

歩畠 =今2画砥$、

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再び放棄され壌腰に蹄した。

八六七年。グレールーーッシュヒュッテの言昌、。]旨言の曽忌言.石造柾葺。一八七六年改築。七七年砿張、現今の新上6

扇I

[、

qA鐸尽一

S・A.O自身の登山小屋建設事業はまづ用言一のグリューンホルンヒュッテ厚冒頁邑〕言⑦鼠と言の建設により開始

された。(註S・△.O初期の愈則によれば倉は順次に或る川岳地方を指定して之を其の騨冒鰹○一〕侭の三gと定めて之を

登川的に開誰すること人なり冒昌が其の第一の目標に撰ばれたのであるo)ヒュッテは一八六三年即ちS・A.C創立の

年に既に落成した。建築蟹八百七十六フラン。此の簸初のグリューンホルンヒュッテは岩稜を背とせる柾葺の小さな小屋

である。其後七年を経て一八七○年改造せられ更に一八七三年及び七四年に豆り縦張された。(牧券人員八人)

S・A.O第一一の延築はトリフトヒュッテ厚一言言のである。最初のトリフトヒュッテは老ヨハン・フォン・ワィセンフ

ルーがSA.O創立の翌年即ち一八六五年に蓋揃の覗業に針する感激より自己所有の木造小屋を息子練と協力してウィン

テックよりテルチストック門鼠豆異◎烏の下ハトリフト氷河の縁まで捲ぎ移したものである。

此の小屋に代り一八六七年に至り稲大なる石積柾野屋根の小屋が建設された。これ現在蕪トリフトヒュッテとして残存

せるものであって此の一八六七年の建設に係る古き小屋は儲時自然の猛威に鋤する避難錫より外に徳川に於て何等他に獄

するものを持たなかった所のS・A.Oの創立者が如何に盗川小屋なるものを心に描いて居ったかを最も明白に物語る好模

本である。一九○六年ゼクチオン、ベルンは含貝クーリッヂョ.陸.国.Coo昌砺の及びハスレルの.国息一男の寄附金に依

り以前よりも稲商所(二五一七米).に木造の立派な新トリフトヒュッープを進設した。

第三のS・A.O登山小屋は一八六五年ゼクチオン、レーチァ・のα冨昌罰冨冒の建設に係るシルヴレッタヒュッテの一一,

菖の冒巨号である。シルヴレッタ氷河の縁、海抜二四六五米。此小屋は石造であったが堆石の移動の偏に破挨し一八八

九年遂に放棄され、ゼクチオン、グヴォースの新シルヴレッタヒュッテが是に代って延てられた。

尚同年此の小屋の外在来の山小屋を改造したるプラッタ、スーラヒュッープが設置された。園冒爵g屑の匡黒の開護の後

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一八七三年。護ヒューフィァルプヒュッープ及びティールゥィースヒュッテc

一八七四年。悲グッギヒュッテの巨絹旨昌の腿ご旨.グッギ氷河右岸。石確柾薪屋根。一八九四年新築。現在の小屋は

一九一二年に奮小屋よりも四百米の商所に建てらる。ユングフラウ群北側の登蕊に用ゐらる。

一八六九年。ベルグリヒュッテ画の侭一旨罵の随霞9.の目号]冒一(胃国2胃墨冒のベルグリと稲する岩稜の上に延築さ

る。一八八三年(三二九九米)新築。一九○四年現在の木造小屋となった。

一八七○年。ご冒一)一角砦の頂(・デュ・リュストルの岩荒ヒュッーブ、六年後結氷の偏放棄。

グレックスタィンヒュッテ。二三叫五米。ウェッターホルン登禁の小屋である。雌初はワィスホルンヒュッテと稲しグ

リンデルワルドの案内人の手によりて進設されたc右名なる露誉揚グレックスタインの附近なる潟め其名を翼ふに至った

のである。一八八○年附近(二三三八米)に赫々コムフォルタプルな石造柾芽の小屋が新築された、現在のものは其附近

に雌てられたるホテルを買牧し一九二○年に改造したものである。

一八七一年七二年。醤ムーンープヒュッテ、旨。冒冒言胃腸9-ご.石造柾葺。チナールロートホルンの西側。デュラン氷

河の右岸、現在のものはコンスタンチァヒュッテと稲し一八八七年の辿設に係る。

ツーノッボルトヒュッテ。二三二○米、石造,ラインワルドホルンの麓。ヒンテルラィンの水源なるバラディーメ氷河の

綴◎

一.↓◎。一

八七二年。雄知

る登鍵に使用さる・

ユッテは少しく低所に一八八五年木造として延設さる。

一八六八年。上マッターホルンヒュッープ○ご男の旨昌皇5冒言冒麗岳巨〕・岩を背雌とせる石造。一八七九年結氷の侭放棄

妓初のロートタールヒュッーブ冒冒冒罵の母殿日.ラゥテルブルンネン然将よりユングフラウ西側の困難な

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ウイルドホルンヒュッテ0

に係るものである。

シュワルッエックヒュッープ、呂冒愚の過昌胃隠駕冒.茄造。牧群人旦十人。ストラーレックヒュッテの建設までは専ら

シュレックホル・ン附近登禁の出畿紬として川ひられた。

燕ボヴァールヒュッープ国。曽冒犀。陰9国.モルテラッチュ氷河の左岸。ベルニナ群峰盗禁の小屋。此の小犀辿築以前に

ポントレシナ案内人組合の趣てたる石造バラックが既に存在して居った。現在のポヴァールヒュッープは一九一三年の新築

一八七六年。アルヴィエーヒュッテ。

蓄ワィ入ホルンヒュッテ。(二八五九米)十五年後放棄。オルーーヒュッープ。

一八七七年。雌初のコンコルヂァヒュッテCO唇8農豊富の勝ごョ.此の第一のヒュッテはゼクチォン・モンテローザと

エッギスホルンのホープル、カトラインとの協力にて辿設されたものである。一八九一一年同じホープルの手にて近傍に別に桁

油所が設けられた、それ以来ヒュッテは中央委員含とホープルとの共同管理に脇することLなった。一九○八年ゼクチォン・

グリンデルワルドが小臆の持主となり同時に現今の新ヒュッープが辿てられた。新ヒュッテは木造二階処,牧癖人貝六十人

であるc

リ.シャンナヒユッ.テ。

一八七五年。・フラウエ』

ストツキエヒユッテO{

九年雪崩の偏め一掃さる・

モルテルヒユッテ0

八七八年。ウィルドホルン』

八七九年。エーラヒュ・ツテ。

ンバルムヒユツテ0

m岸○穴一⑦〕〕(一再の画く画①』己。

八八七年放棄。

一八九三年放棄。現今のプリユムリスァルプ.ヒュッープ(二七八一米)に代る

ストック、チーフエン及びツムットの三氷河の中間にある岩稜の上。一八八

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1.6§

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一八八四年。ルックフーベ

第二のドッセンヒュッテ。

は約二偶となった。

れた。現今のヒュッテは一・九一五年のエ

スバンオルトヒュッテOゼクチオン・

一八八一年。バノシエールヒュッテ。

一八八六年。ミー一才

一八八七年。フエラ〃

八九五年再築。簸初ウー

ムットゼーヒュッテ。

一八八二年。シャメルラヒュッテ。後年放棄。

一八八三年。最初のオーベルァールョッホヒュッテ○冨雷皇CO喜言の駕隠言.鞍部の西の岩壁の上0前年オーバーハス

リの案内人が協力して建てたものである。木造。十五人牧容。現今のものは一九○川年の処設に係り惟造同前、牧漆人旦

以上はS・△.O創立以来満二十五年間に建設せられたる合計四十六の登山小屋である。

術其後一八八八年より一九○○年迄の間には三十五の小屋が新築叉は押延され更に一九○一年より一九一二年迄の間に

は四十九の建造が弊えられる。デュピー冒旨のS・△.O創立五十年紀念出版(一九一二年)によれば五十年間の建造

騒初のドッセンヒュッテ。

ウ・》テレ

一八八○年。へルンリヒュッテ黒目室〕言の隠語旨.或は一名下のマッターホルンヒュッープーとも呼ばれた。ゼクチオ

ン・モンテローザの建設に成る。定員十七人。一九一二年ツエルマット村篭に係る四十人牧容の宿泊所が接近して延設さ

れた。現今のヒュッテは一・九一五年の改築。牧容人員二十人である。

スバンオルトヒュッテ。ゼクチオン・ウトの建設。

ミーテンハウスO

フエラィナヒュッテ。シルヴレック郡南部の盗難に川ゐらる。

簸初ウト、現在プレーチガウ支部に腸す。

ルヒユツープ0

P0

4聖

八九二年鱒崩の鰯根こそぎにされた。

47 9

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一九一二年に於ける小屋の現在数は八エ

ー小屋を所右叉は賃借して居るのである。

百三十を計上し、其内腹棄されたもの十一、叉其四十二は再建であると云ふ。

一九一一一年に於ける小屋の現在数は八十四である。其他筒五の宿泊所q員9.宮一号を経誉し、各支部は別に多数のスキ

二DSA.C登山小屋に開する諸規定

▼frjlI49J

4s、

中央曾計より支部に封する建築の補助金支出額は大約次の如くである。(註、一フランは邦貨約四十銭に満ろ)

一八六三年‐‐一八七○年一一一、九○八フラン

一八七一年’一八八○年二一、七○八フラン

一八八一年’一八九○年三二、○○一一一フラン

一八九一年’一九○○年一○一一、○八三フラン

一九○一年’一九一一一年二五○、六一一フラン

一八六三年’一九一一一年合計四一○、一一一一三フラン

此の金額は中央含計の同期間総支出に封し其三○・九%に加常して居る。

次に一九一三年より一九二一年迄の間に於て中央曾計より小屋新改築、修繕、設備及び通路の鯛めに補助金の支冊商合

計一一一三、三三三フランに達して居る。同じ期間に個人、支部及び中央含計が小屋建設の偏に饗したる金額の縄計は約四

八○、○○○フランである。其以前の時期に就ては記録が残って居ないのであるが、同様なる比例を以て計錐すれば一八

六三年より一九一二年迄の間の総辿設批は約九七○、○○○フランと慨郷して大差なしと信ぜらる。然らば己.A・O創立

以来一九二一年迄の間に登山小屋の建設、修繕及び設備の矯めに支出したる金額は百四十五万フランと計弊することが出

来る。尚之に加ふるに各支部が小屋の婦めに年々支出する所の多額の符理独を合算するときは、濫に驚くべき事業を遂行

したものと云はざるを得ないのである。

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登山小屋の設遥、建築篭繕斐の支出、特理及び監覗の問題はS・A.O及び其支部の諸機開の不断の努力を要したのであⅢ

品の表を定めた。

此の規則に依り新に小屋を建設する場合には支部は之を中央委興含に提案し、小屋の設計棚、兄獄諜を同時に提出せね

ばならぬ。中央委員含は建設の必要を審査し補助額を定め支出することLなって居る。小屋に於ける燃料の備付と薪代は

支部の決定に一任し、之に反して小屋の使川及び楕油は如何なる場合と雌も常に無料たることが明記せられてある。叉中

央委輿叉は其委任満は毎年小屋の検閲を行ふべきことが新に定められた。

一八九四年初めて小屋楕泊料雷三の邑胃。として含員半フラン含員以外の者一フランを納むることを琶施する小改正を

一八七七年始めて小屋に脇する最初の規定が溌行さるょこと上なった。此の規定は九佃係より成り、辿設地熱の撰探、

小屋の安全、大さ、構造、設備、修繕、継誉、使用及び監漉に就て迩守すべき原則を確定したものである。新築、継誉‐

監脱の墾川は支部が量措し,設計岡及び建築蟹見積襟に封しては必ず中央委貝含の承認を必要とし、其の自曲なる裁堂に

よって中央術計より支出すべき補助額が決定さる・小屋の修維は全部中央含計の貝推となって届る。

此の規定に於ける支部衝推の過重なることが次の規則改正の動機となり一八八六年二十個像より成る所の新規定が資施

さる上に至った。此の新法は所右椎、進設、管理、検閲の四章に分たれて夫を明確なる規準を典へ倫雄少限度の小屋備附

行った。

》○0

一九○七年には更に含則全部に亘る大改正に作ひ小農規定も改められて三十佃像を含むものとなった。新規定はまづ第

一係に於て登山小屋の目的を定義するに『S・A.Oの登山小屋は山岳登塞の支持黙たるべきものにして遊山の目的地叉は

山上の旋館料理店たるべからす』との明文を以てした。筒中央委貝含は支部が特にスキーに適せる地方に於て既設の山小

p可

49

二一

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登山に掛するS・A.Oの態度を示して居る。

現今資施せられつ上ある小睦規定は更に一

屋建設及び維籍方針』『小屋番人服務規程』

屋を愛併し之に設備を施さんとする場合には補助金を支出することを得との新規定により次第に隆興の鎮迩に向へる冬期

5o12

現今資施せられつ上ある小睦規定は更に一九一五年ベルンに於ける代表含の議決に依るものである。木規定の外、一、小

屋建設及び維鋳方針』『小屋番人服務規程』が同時に決定された。

第一係に於ては小屋の目的が前同様厳絡に定められて居る。

第二乃至第七像に於ては小屋の所右椛に淵する諸問題が規定されて居る。支部は其所右小屋必地及び到達路の椛利を雄

得すべきこと。支部解散の場合には小屋に開する全部の椎利は無償にて全山岳含の所右に蹄することが重なる黙である。

第八係乃至第十七催は辿設と維鞍に淵する事項である。新築叉は大規模の改築に封する中央術計の補助額は支部の財政

歌態を参酌すべく建築蟹及び設備喪に封し其の三分二を超過することを得ない。代表倉は中央脅計の補助に封し附加像件

として其小屋に於て飲食物の販喪画の畠景。冨冒一侭を禁することが出来る。

第四率は第十八催乃至第二十五像を含み、小屋の使川及び監督、備品経理に開する諸規定である。山岳地方の支部は低

地方支部の小屋監脱を援助する義務がある。中央含計は小峰及び備品に鋤し火災保険に加入すること。毎年少くとも二Ⅲ

(春秋)小屋、備品及び胤圃を根本的に掃除すること。中央委貝曾はすべての小屋使川肴の迩奉すべき使用規約を作成し

て之を小屋内に掲示すること。S・A.U含員外の者、案内人及び人夫は含負の指揮に服従すべきこと。登山小屋は原則と

して戸締りをなさ障ること。救念諜備食料及び墓冬共充分なる薪を術透くこと。訪問者多数なる期節は小屋恭を置きて監

脱すること。小屋の使用に封し使用料を徴牧し其牧入により小屋の経常磯及び監肌の独川に充つること。S・A.C含貝、

同椛の他の山岳命員、案内人及び人夫は日中の滞在は無料,桁油一人一夜竿フラン、含貝以外の者は日中半フラン、一泊二

フラン・推床の四分一は含員専川として保留し置くこと。剛体宿泊者は少くとも十日以伽に共所鵬支部と交渉すること。

小屋は中央委員曾及び橋支部の委任を受けたる稗理者より定期の検閲を受くること等が韮なる鮎である。

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マヒ

51 13

然るに今日の情勢に於ては早くも此の一九一五年の規定も亦不充分なものとなって来たのである。夏期に於ける溌山春

の洪水は年を逐ふて激惟となり、登山小屋が愈貝以外のあらゆる種類の山岳旅行者によって占領せらる上こと盆為多くな

るに従ひ之に針する新しき手段を講することは欝而の念務となった。一九二○年十一月シュウィヅに開かれたる代表倉は

小屋使川料の思切った位上けに依って制限を加へんことを期した。S・A.O含員、其妻子、同椛利の他山岳曾員、案内人

及人夫一夜一フラン、之に反して含貝外の考よりは註間滞亦者一フラン、精油一夜三フラン、搬夜滞在者四フランを徴牧

することAなった。然し一般に之を以て問題を解決し得るものでないとの意見が一致して届るのであって代表念に於ても

此問題に就ては活渡なる意見の装表が行はれた。加糟注意をひいた議論として土唯日及日曜日の南口に限り小屋を愈貝専

川とし含口外の者に鋤しては使用を拒絶すべしとの意兄が出たけれども、かくの如きは瑞西山儒含の理想に背馳するもの

として溌然反掛されたのである。アーラウに於て開催の中央委典含も断然此の提議を否決し他の穏健且確疫なる手段によ

り健全なる状態に導くべきことを希望した。一九二一年十一月バーデンに開かれたる代表合には此黙に就て充分根嫉ある

議案が提出されたのであるが、代表含は之を支部小屋構理者より組織された調査委員念に附託し認年秋の代表命迄に仮重

群議することLなした。従来の規定によれば午後十時迄は小屋定貝四分一に和勝する雄床を含員川として保留することL

なって居るが之では確に未だ不充分である。新議案によれば小屋の一部を,出来るならば全く他の一般桁泊者と隔離し得

る居間及び痕室として愈典専川に保留することを規定せんとするのである。叉ブーラゥの中央委員含は一九一五年制定の

小峰規定第一催、即ちS入.Cの登山小屋は川上の料理店たることを得すとの大方針を徹底的に疫行に導かんことを企て

たのである。即ち登山小屋に於ける飲食物の提供を全陵すること即ちゼクチォン・ウト及び其他の支部に於ては¥くより

良好なる成紙を以て蟹施せる事柄をS・A.O全体の小屋に及ぼさんとの計譜である。小屋恭人には救急食糠の外、あらゆ

る種類の飲食物を調理販喪することが厳禁されねばならぬ。小屋恭は軍に必要に雌じて登山者の自ら携群し来れる食料を

調理し其の鍔力に鋤する一定の手数料を受く可きである。此の案にして若しも資行せらる上ならばこれ愛に客人の登川小

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一九二二年現在のS・A.O所鵬登仙小雌八十四の中左の十七に於て未だ飲食物の販寅が行はれて居る。

フエライナヒュッテグレールーーッシユヒエッテケッシユヒュッテクラリーデンヒユッテ

ポヴアールヒユッテエッッリヒュッテチエルヴアヒュッテヒユフイヒユッテ

ッヱサブヲナ漣ユッテロールパハヒュッテジルヴレッ鋲ヒュッテベ鋲ンヒユッテ

カラン久ヒュッテムーンテヒュッテサルドナヒュッテムットゼーヒュッテ

であった、

彼の喚閣アルペンへ

確信するであらう。

屋の健康化に向っての一大進歩を意味するものであらう。

多くの人々に取りて此の改革は困難な思切りを要するに祁述ないが山岳倉の登山小屋が山上の料理店なるを常例とする

彼の喚閣アルペンの如き不健全極まる状態に階らんとする危険に吾人が直而せることを忠ふならば何人と雌も韮の必要を

術中央委貝含作成の堆少限度の備品表が之に附せられてあった。

一九○七年の改正規則にて牧容人員が十人に塀加されたo叉新に便所及び塵芥徐揚を設くべ認ことが追加された。

術新に小屋の到達路を標識し導襟を建設すべきことも附加された。備品表も前のものに比し譜しく豊浦となって届る。

術此外若干の小雌に於ては小屋番が珊誹、牛乳、スープ等に限り販寅することを許可せるものもある。

小屋の設澄場所、設計及び設備に開してS・A.Oの小屋規定は次の如き原則を示して居為。

一八八六年九月四日の規定には附近に他に桁泊所無き地鮎に限り小屋を設置すべしとの制限がある。其場所は奔崩及び

落茄の危険なく叉乾燥地なることを要する。飲料水が附近に得らる上ことは望ましい。特にR勝りよき位澄を撲樺するこ

と。岩壁と直接蹴る上ことを避くること。小屋の牧漆人員は少くとも六人乃至八人の疲床を術ふる程皮たること。碓造は

躍牢単純を旨とすること。小屋は扉及び窓を術へ、疲床、棚、炊躯ストーブ及び必要なる備品を遥くこと等が其主なる鮎

フエライナヒュッテ

ポヴアールヒユッテ

ッヱサブヲナ漣ユッテ

カラン久ヒュッテ

カムポテンチアヒュッテ

●I

P

52型

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S・A.U存立六十年の間に其登山小膝の設計、椛造及び設備は大なる愛進を逢けたのである。僅少なる登川者の数と、

含の財力の乏しかりしこと上雨々祁侯って、最初の登山小屋は今日の立場より見れば規模は小さく椛造は原始的に設備も

亦貧弱なるを免れなかった。然し尚他に其原因として梁ぐべきことが一つあったのである。、儲時は生活其のものが今日に

比すれば礎に単純であった。常時山岳の美に封して嵐の感激に打たれたる開拓希が商川に於て求むる所のものは山村の住

比と同一の生活であり堆大の軍純を以て満足することであった。

彼等は山上に於て自然の暴威より逃る上所の救難所より外には何物をも求めなかった。かくてS・AoO創立者及び最初

の主脳者は彼等自ら打建てたる最初の登川小屋に封し充分滞りを感ずることが出来たのである。何故ならば其は開拓者の

露瞥揚に比核すればとにかく驚くべき進歩であったから。

アルペンの開装が進むにつれて川岳愛好者の数が哨加し、S・八・Oの護展と夢想だも許さなかった登山の護達とは棚侯

三b小屋の設計及び構造

、剣

一期53

一九一五年の新規定に於て位置に淵しては前年以来の注意を繰返して居るO牧零人員の雌少限度は疲床十五人分に塀加

された。新なる追加として中央委貝含の承認を得て冬期間小屋内の一部を閉鎖することが出来る様になった。附則として

新に出来た『小屋建設及び設備方針」の内には登山小屋の新築及び維瞥は其の目的に趣ひ出来る限り球純を旨とし山上旅

館叉は料理店の性質を群ばしむることを得すとの注意がある。叉既設小屋の披張は寧ろ新築による今鍾利盆とせざる場合に

限り之を疫行すべきこと、拙張の必要に辿れる場合には出来得る限り隔離せる擢室に専川の炊事設備を具備せしめ,完全

なる猫立の迩川をなし得る様に設計し名部十二人乃至二十人を牧溶し得ること。小屋の到達路は登川者の券易に認識し得

る程度に止め,散歩路叉は車道として完成すべからずと云ふが如き注意が示されてある。

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って登山小屋に鋤する要求を次第に増大した。登山者の逐年の増加は大なる小屋の延築を必要とするに至り挫悔となれる

財力は設備の改善を促がすに至った。かくの如くして一八八○年代の終り頃より冬支部は競って蓋山小屋の新設及び設備

に於て改善の先既者たるべく努むるに至った。爾来小屋の設計は続々好ましき外観と爺純にして勝手よき内部及び快適な

る設備を形作る様苦心さる上に至った。

ウ・〆pjI1

。yも〃

6 5‘I

然し乍ら最近に至って漸く我々は簸後の認識に到達したのである。即ちこれ等商川の建築物に於ても蕊術家の手腕を籍

るに非ざれば到底最後の満足を得ざること退である。在来の小屋は多く建築に多少挫駿ある支部の小屋脅理肴によりて建

てられたるもの多く従って軍なる資用向きの建築として護達して来たのであった。般近の小屋に於て我々は漸く蕊術的教

養ある雄築家の協力により其の洗錬された意匠に成る所の形により、小屋の内外に美を賊典し総てしかも其偏に何等特別

の斐川を要せざること及び建築的装飾が登山小屋に向っても内外笹だよく調和するものなることを知るに至った。叉雌近

の小屋の計携に於て其の前方に平坦なるテレースを設くるは訪問者の変際上の便宜に向っても叉美的の溌然の必要として

建築と其周剛とを右機的に緒合せしむる偏にも共に考慮を排つた結果である。

一八六三年より一八八一一年までの間に延てられた小屋は殆どすべて石積の外壁を持つものである。(園.c鼻の一言目の暑の烏)

一八八三年オーベルハスリの案内人により丸木小屋(}〕一。鳥冨匡)として建てられた妓初のオーベラールョホヒュッープが

木造小屋として最初のもので、これ以来次第に此の方法が盛となり後には永い間専ら木造のみが行はるよに至ったo尚其

間に石造として建てられたものには一八八六年シュワルッエックヒュッープ、ムーンテヒュッーブ、フエライナヒュッテ、一八

八八年第一一のロートタールヒュッテ、一八九○年ドームヒュッテ、一八九一年カラングヒュッープ、シルヴレッタヒュッープ

一八九二年エーラヒュッープ、一八九八年バルベリンヒュッテ、一八九九年チエルゾヒュッープ、一九○○年ガムヒバルムヒ

ュッテ、一九○一年新カラングヒュッープがある。此年代の間に他の大多数のものは木造として建築されたのである。一九

○二年より一九一一年までのものは全部木造である。一九一二年建設のカムボテンチアヒュープ及び一九一三年レンタヒュ

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巳唖

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ツテに於て再び石迩が川ゐられ始めた。

一八六三年より一八八二年までの初期の小屋は多くモルタルを使用せざる石積の壁にて剛まれ、往々斜而を堀下けるか

叉は自然の岩を直接の背而として利用し、内而は石を露出したま上か或は石壁に密接したる板張りの壁を剛ゐたる偏め内

部は群気を群ぶることを免れず勢甚だ不評判であった。延設者に取りては叉木造の小屋を山麓の村にて完全に切込みをな

し迩噛なる方法にて現場まで蓮搬し簡軍なる基礎工事の上に出来るだけ短き工事期間を以て之を組立てる方法が特に便利

に考へられたのである。かくの如き工事の資施と共に其の鴬然の結果として山地に於ける唯一の正統の木造進築なる丸木

作りの方法が行はれずして、殆どすべての小屋は平地に普通なる木骨柱遮の方法にて建てらる上に至ったのである。かく

生きそぎ

の如き木造小屋の壁は内部は板張り(ぬの蚤①宮)とし外而は羽目板の上を柾(将)、。]旨邑①一を以て被種し、羽目板と外部被

糎物との中間に建築用の厚紙叉はアスファルト紙を張るのである。

此の方法により常時は暴風雨雲の使仙に抵抗する所の密なる催而を作り得たと信ぜられたのであった。

並近に至って意兄は秤び塗って来た。石造の壁を右する新しき小屋の多数により此等の小屋は内而の板張と石壁との間

隔を充分に保つことにより非常なる好結果を得ることが誇明されたのである。叉多くの木骨進ての小屋が商川の自然の威

力に湛ゆる能はずして早くも腐朽せることの継腫が新しい認識に向って大に役立ったのである。

粥来に於けるS・A.Oの小屋建設問題は新しきもの上塀設は寧ろ第二とし、既設のものを改築して時代の要求に適雁せ

しむる鮎に存するであらう。叉之と共にS・A.Oは其義務として力をスキー宿泊所の設置と特別のスキー小崖の辿設とに

向って注ぐことに努めねばならぬであらう。(未完)

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fL

一九三一一年のオリム・ビック選手

撰披について

.I

側斑しさを伺ふに足る所である。

私は愈々オリムピック派迩選手を選定すべきシーズンに

両而して、少しく選手選抜について患見を述べたいと思ふ

のである。

己に吾々はノルウェー選手の来朝によって、二度オリム

ピックヘ行った以上の牧謹を得た。この牧礎と、そしてそ

の償値を老へるならば今度のオリムピック行は第三回乃至

数回側のオリムピック行と考へて希望を述べても良からう

し、叉さういう麗悟で選手諸溌が出掛けて獄しいと私は述

べたいのである。そして選手を迭らうとする人も此位の気

持を以て選手の馬にお膳立をしてやるべきであると琴へる

跳躍に跳躍を兄せた簸近の日本スキー界は、愈々此庭に

一九三二年のオリムピック派遣選手を選定すべきシーズン

を迦ふることになった。多張なる我が閥のスキー界は愈々

多事になる一方である。一而よりすれば甚だ座すべき次第

であるO

第一回オリムピック派遥懲時と、今日の我が図スキー界

とを比較するならば、数シーズンを出ですして斑に驚異的

な進歩を遂げて来て居る。

ジャムプ競技に於てレコードの示す四十八米五○の最長

不例記録、五○粁レースに於て(従距離は?としても)三

時間四○分二秒の記録と云ひ、共に本邦スキー界の進展の

庇田戸化

568

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そして今回の派遥は、簾一回の派遥と自づと趣が異らね

ばならないことも考へねばならない。即ち第一回派辿は、

兄畢第一ではあったが、今回は競技が第一義で、兄墜は第

二義に置かなければならないと云ふのである。私はスキー

競技が何時までも、他の迩動の尾に従って行くことを欲し

ないのである。即ち私は惟に難口となるとも牛後となるな

と云ふ気持でありたいのである。

私は巳に前雅に派遥選手に鋤する合桁論を簡鮒に述べて

そして好きトレーナー招勝をも提唱したのである。

何虚のスキー関体でも自分の剛体から一人位は自喪でも

優秀と恩はれる選手をオリムピックに送りたからうし、亦

数多くの優秀な選手を批途につかせたい希望は聯盟本部で

考へて居ることも申すまでないことであらう。然し経批が

穐事解決する現状であるから、其庭に純捜の許す範囲で選

出法を講することになるのである。然らば選手選抜法を如

何にすべきか。之は荘だ大間題である。

簾一回の時は前年度の大倉成祇の順位で決定左見た。謄

時は日本のスキー界の事情が事備であったから、あの方法

に基づくより他に方法はなかったのであらう。が、現今の

R本のスキー界の事情からして老へるならば、た壁一回の

全日本大倉のみの成紙順で決定することは、考慮すべき鮎

が多をあるかと私は老へる。何故ならば、蝋にジャムプだ

けを考へても少くとも従来全日本スキー大倉が開かれた様

な地形のジャムピングヒルならば、相欝に名地方に建設さ

れて来て居るし、叉より以上の競技川ヒルも出来て居るの

である。即ち設備に於ては全日本大含、と同等か乃至はより

以上の設備の下に競技念の開催せられて届るものが少くも

五指はあらう。

一方選手の技術と数はどうであるかと言へば、昔日の而

彩は己になくなって居る。

斯様に極く一端ではあるが、昔日の状態と現状とは可成

り異って居るのである。そして此腿に於て吾々は次刷の選

手派鑓選抜につきお互に槙重に此問題を考慮すべきである

と思ふのである。

未だ此問題については,誰も意見を談表して居ない様で

ある。私は此庭に私の提唱せんとする虚を簡単に述べる。

即ち次回オリムピック選手選抜方法に鴬って、第一に今

シーズンの全日木スキー選手椎大命の成斌を参考とするこ

57 19

ユーーー函竜。 一一

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るべき性質であると忠ふが、目下の聯棚では、或は難郡で

あるかも知れない。そこで吾倉はお互に老へたいと思ふ課

である。

一体少くともオリムピック派遣候補になるといふことは

巳に選手自身の稲粋でもあると同時に、その所脇剛体の誇

りである。更に叉畢核図体などであれば、三月の群休など

は自饗でも皆合宿をやって居る位である。

それ此れ綜合して私の合桁饗川は、選手自身支緋するか

それとも格所脇開休で負推して出しても宜しいと忠ふ。否

選手の偏に所賜剛体が之位の頁推をしてやることは、日本

スキー界といふ大右機体の偏に識すと忠へば、問題になら

ない程小さいことで、而も効果の大なる鞭柄である。

かく考へ来れば、合宿幾用などは大問題のことでもない

ことになる。

更にもう一つ弱い人達に考へられ勝のことは、合宿の候

補群中より堆後の選手決定問題であらうが、これは問題に

する方が間述って居ると思ふ。

何故といふに、若し此雌後的決定を兄て、不平、不満を

隅へる人が出たとするならば、その不平、不満の人達こそ

5s20

とは勿論、橡め全日木スキー聯脱に於て公認すべき地方大

含を提示し、而して夫等の大曾に於ける成絞をも参考資料

とすること。更に既往の成蔽も併せ考慮すること。而して

、、、、、、、、、、、、、、

二一月の春のシーズンまでに派造選手候補者を決定し、事情

の許す限り通常の地に於て、一名の外図トレーナーを附し

(若し喪川許さざる時は園内より選ぶ)合楕練習を潟さし

め、其候補者中より最後的決定選手をあけること、その決

定方法は選抜委員並びにトレーナーの合議によって決定す

ること。

之は抑獅心的選抜法にして、言ふくく賛行困難なりといふ

人もあらうけれど、事情の許す限り最も公平な選抜法をと

ることと、一行の閲結を問く築いて笹くといふことからし

ても必要であると思ふ。若し今回之が賓現不可能であるな

らば、宜しく次回には是非此方針をとる様に全日本の搭関

体が合議されて然るべきと思ふのである。

此方法に閲する挫川の問題は、私は別に考へて居ない誰

でも全然ない。といふのは、合宿も宜しいが、その独用を

何虚から出すか。

元来此蜜爪は聯盟に除稀があれば、無論聯盟から支出さ

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老へるのであるcそれだけ選抜委員な必

を感じて下さると私は信ずるのである。

斯く述ぶる程、私は選抜選手決定に封しあけらる上選抜

委興を信頼し、その決定機開に絶遡の価値を持たせたいと

老へるのである。それだけ選抜委員なり聯盟委員は、査任

ものL本質を考へて下さいと云ふであらう。

以上の如く考へて来ると、私の提鴫する合楕論も、選手

決定法も必ずしも今期資現不可能でもない様に老へられる

自己欺眺をして居るものではあるまいか。

何となれば自分達が組織して居る聯盟から、自分達から

承認を典へて決定したであらう選抜委貝なり、トレーナー

に封して不信任を唱へることであるから。

若しも此庭に顧みることなく、選手選抜の云々を恐れて

つまり人補とか、義理とかを問題にして安協的に人選が行

はる上様なら、日本のスキー界は一暗に進む様なものである

まいか。大抵出る不平は自分達に所屈して居る選手が蓮か

ら洩れた様な場合に決って居る。そういう不平を唱へる剛

体があったら、何故選抜に洩れる様な、香派遥候補に上る

様な優秀な選手を養成すべく、スキー奨働をして居るのか

と、むしろ私はスキー術奨脇の意義と同時に、競技といふ

むしろ課なく出来さうである。

私はシーズンの初めに膳って此持論を綾表し、多くの御

蛮成を得て、是非今シーズン此蹴現を期し、以て一九三二

年のオリムピックに優秀なる成紙を期したいと思ふのであ

》CO

59 幻

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うら上かな群の円ざしに溶け行く雲に無限の離別をおし

む雅人の群は奥地の山へノーと旅を進める。術根の心よき

粉雪も午後の円の輝きとよもにいつかはザラメ雲の滑走を

除儀なくせられて、不潔極まるタールや芥の異央を爪に都

の人となる。

庭先に無雑作に投出された、スキーは、それからの幾n

かを主の無情をかこちつ上、夏眠を綴ける。

心ある韮は、一冬の孫をねぎらふ可く異臭のw恥xを拭

ひ取りて適鴬な保存をして休ませてくれる、ハンネスシュ

ナイグー氏は或る山小屋での一夜に次の様なことを僻へて

くれた。.

「スキーは常に使川後は清潔に、waxは必ず落さなけ

スキー保存法一驚

、TII

ればならぬ”その方法は、雁物になった安全剃刀の刃を川

ひるか揮溌油を川ひる。その後アマ一一油に石油三%を加へ

たものを引き保存木をかけて冷所に置く」

心なきスキーも此の洲怖なくしては如何な名品もその生

命を失ふ。

このことはスキーを履く誰れもが知って居ることながら

仲々澄行されがたいものである。

保存に手樫なものに保存木と稲するものが仲々深川ある

けれどもそれはスキーにとって命取りの主となることをゆ

めノー忘れてはいけない。

優秀なスキーは左右の像件が等しかるべきが理想である

されどこれは理想であって木礎の湿さ、弾力等の述ふこと

『ローユ

irリ

6Q09■¥←.

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節甲

が普通なのである、この各々異なる甲乙二個を左側の如く

A・B.Oの三ヶ虚で締めつけたならば、必ずや甲乙二個

の勤稲は破れ時によっては全く使川し得ない様になるので

ある。

節 iM

例へば叩が乙より強いとしたならば乙は次第に叩に引き

寄せられて熱線の如くになり遂に耀物となる。(第一間)

私はこれによるいくつかの耀物を作り散を弱りきった結

果最近第二脇の様な保存木を考へて間口三尺奥行七寸と云

け■

11

て溌物となったスキーを直して立派に生かした幾多の滋例

をもって脈る。

叉此の場所の経涛及整頓と云ふことに至っては在来の方

法等は比較するさへ懸な位ゐである。殊に多数のスキーを

排って居る畢校等にあってはこの方法を採用するならば一

6T ⑨01-■」

勺U悪

吋か,‐・‐00・‐・‐1吋弾4.000‐‐‐‐!,趣一,一〈荊!‐‐‐,‐00.0、配4,0101.‐11翼

宅0串

節 ふ様な僅少な虚に取付けて七聖と云ふ驚くべき多数のスキ

ーを整然と保存して居るが非常によい成績を示して居る。

特色を例畢すれば

L希望する如何なるカーブをも作り得ること

2整頓及場所の経済なること

私は此の方法を川ひて撚れ叉は尾上り其他の狂ひを生じ

一一一

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ッノマムプ周スキーのと望はこ7IL2細くするミと

鋪一J u

にして蕊数正否、希望スキーの引出等をたちどころに得

られて蜘雌の巣を排ひながら謙ね廻る様なこともなく潜む

■e

l11

なすことも一法である。

場所の開係上極めて狭い場所即二階への梯子段の側壁と

か三尺の通路の側壁の様な奥行の使川をより以上に制限せ

られた塵に利川するときには第四鮒の如き惟造にても前述

と同一の目的を得られるばかりでなく特にジャムプスキー

の保存にあっては前述に優る。

↑ cL

様になる。これはスキーの長さが大体似たりよったりの時

であるが長短の差が甚だしいときには第三側の様な取付を

24 62

弓《

②②② .@

② ② ② ② 、

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1W震ルiii!‘

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制譲蔑護鴎車扉誌罵星

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議爵環黒 1

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景L』

の空をかけ去る一沫の心Iその室厳な寂爽とした心をつら

ぬいて無に鋤する意識が閃めく。

「我」が「無」に澄き代へられた心の安らかさがやがて

追憶の憂欝を輝しいものにして呉れる。

川敬に憩ふ一人の放浪券の追憶の心は慨然とするやうな

肢腹するやうな掻き消し難い深淵の静溢さである。

そうして自分にとって山を理解するといふ鞭は生命生活

の根本的統一を意識することに外ならぬ。生命と装腫の雨

鮎から全的に生活を認識することである。

今自分の心には追憶の山脈が重狸として波打って居る。

n分は迩最といふ心の舞聖で信仰といふ隙雌とした追憶に

ふけらうと思ふ。

』】〕陰‐庫①戸『』旦胃@局C冒己戸戸、鴬(一声(匡○宮宅戸.曾『。】]》

園二号言g霞。一の巨島。}岸匡胃冒昌〕]9.I己の一馬巳の胃l

底の底でお前はお前をためして見る

お前の目標に隙りと接近するた釦だ。

まへがき

ⅢI不断の逃け去り易い無開心な心の風景、あの無燕蔵

な心の遊戯lその山が向分を慰めて居るのか一人の傍観考

にすぎぬ内分を。

辿憶の憂欝は平凡で幼稚なものだと言ふかl眼前に磯け

られた風景を想へ。

n分を間焼し自分を雌する批厳な山の憂静は大空をかけ

る追憶の蕊に外ならぬIスクスクと山の霊気をた‐入き永遠

63 25rl

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ふと思ったc

電たい黒い影のはちきれさうな敬腹の裡に川の淡い光を

と営めて届る自分の心を。倣間といふ感情でもみくちやに

された山、生活から遠くかけ離れた所で山に物語る親しさ

述い山脈に背のびしたくなる心で一杯な自分、そんな様な

聯をふと思ったのだ。

此庭は兵管風景で一杯だ溢れさうだ。

突然Aが魂を山に残して死んで終った。古い忠ひ出し笑

ひの様にBからいからDから川の便が来た。Eは如何にn

分の新家庭の況床に山が培はれつつあるかを番いて器した

Fは俺の生活にもう一人の人間が這入って来ると書いて来

た。

自分は「外出して今日皆んなの鳶坑づらを懐しく兄た」

と書いてやった。そして丁度幼子達が父母に伽噺をせがむ

様な執鋤さで自分は心に遠い山の追憶を葬れて見た。

怠惰な鈍感な兵士であるn分は木蔭がやたらに好きにな

山といふ個我が意識生活に先立って夢遊病者的に幕して

居た追憶と赦喜の衷の山について。

Iiつた。

其庭ではかすかな梢の風の盤に峰を切る川風や吹雪や牧

場の丘の快い微風それから村から村へふらノー歩く時の明

い豊かな歌盤の様なその風を想ふ事が出来る。

若しもその木蔭の叢に小石でも見付けると岩の芳しい香

や優しい陽のぬくもりや落府のほがらかな郷を想ふ。

ふと山の厚い肩にすがって見たくなる。

懐しい径、岩角、痕、丘、牧場、山小屋そんなものの跡

を心の衷でずっとたどって行く。たどり疲れてふと兄ると

美しい雲の切間が瞳にうつった。

くま

其虚には像のない自分の心がいつ‐も隈どられて居る。底

やい陸

十るざ

なしの青い深さであったり、刀の様な圭円い鋭利さであった

りするのだ。或は兄常らぬn分の心の休み錫であったりす

るO

夢に満ちた枢があり幸禰にあふれた苦悩があり悩欝な喜

悦があり笑ひも涙も悲しみも陽に彩色されて日々の姿を啓

せてくれる。

雲の切間にはありとあらゆる山の感情がとけて居る。

山は心だ。

64函16

rl

q』

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遠い所で可愛い口元をした雲の切間がさう言ふのだった

愛らしい、山の草花ならぬ練兵場の泥まみれな草もさぅい

ふのだ。

山は確に心であるにちがひないと自分も思ひ耽った。

すがた

あの空の雲の切間を通して見具へるのが自分の心の和であ

り山だと言ったら叉「川の奴等」は而白がるだらうと思ひ

乍らも、

底の底にふれて見る

しつかりその目標にふれて兄ろ

山は心であるにちがひないからだ

遠くから山にしっかりふれて見る自分の生活の奥から心

の奥から山にしっかりふれて見ろ、と心に繰り返へしつぶ

やいた。

ふりかへると此虚は兵隊屋敷だ“長々と厩の屋根が重り

合って居る。

ふと死んで終ったAにたよりしたアンデルセンの言韮を

思ひ出した。

】・ロ色目の扇-2篤信g》旨富彦空C冒甘}岸旨忌。m宮言明の-8日目の巨

乏畠⑦、〕昌胃9頭己〕PC冒凄貝顕冒再胃唾ゴ『皇(]の唖目角四角腎冒呂

昌(一ぬの]]]鼻言ざ}拝ご胃登の唱豊5口、。}59黒の旨巳鋲昌日営◎員.

一凸P

易邑再の旨go旨騒揖9吋罵言色]】・蟹器ざ}こ〕旨.》ご昌胃冒言寅昌員g

C2C言唱房淫①目。]〕.!H骨段昏の旨犀風。言》I

自分は心の哀で一つの顔を想ひ続けて居る。それは這い

山の顔だ。不思議と死んだAに似よった顔を。

山は心であるにちがひないとさう忠ひ乍らその円砿除日

記の片隅にこんな詩を書いて置いた。

毎当室い

のごロ〕胃(一一⑦員掌屋(].

ご国司巴麗の胸のご侭の顕冨}】⑦目、。黒邑》

HC一戸乏鐸〕』』尾顕陰函曾》》

与気馨鋲邑冨⑳毎〕』のユ]〕ぬ“ぐの再馳。}淳二の』恥g】三一]]

の一一)〕昌尾含尉国ご昌

隼吾目時目。⑦旨曾.昌撃巨岸今⑦旨国の畠.

それから此度外出したら是非弔電の盲(一のごロ国呉(g一○一〕旨.

○尾.易.眉○.旨)を聞かなければならないと思った。雨だ

れの様な通い山のつぶやきをAも好きだったから。

何もかも遠い景色だ◎山は心であるにちがひない一番身

近かな心であるにちがひない。カッラギの濡件、袴下が心

地よく皮勝にふれて居るI素朴な没やかな白い陽の香I遠

い景色の奥からサラサラと流れて来る小川の様な香鏡。

遠くて近い山の心を想ふ。

〔一九一一一○・九・一九・兵播にて)

65 27

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■=●=

IJ

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札幌に於て開催せられた距離競争の

1-

〆ーへ

下、 一 〆

『‐“

威想及び順位一束

に】

腰Ij

66副§

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10.54'50'’

10.55'30.‘

10・32'30'』

10.45.20'‘

10.45.0'

1.45.49''9928'30'′

10.35'36.′-

10.35'29,ノ

18km、デイスタンスレース記録表 昭和5年2,9日

山口正一’9.4‘

10.59'35'1

碩位|所脇|姓病|#蔦

到著時刻 総洲wW鷲

所要時間

バンケ

イI峠

1.45'27''9.41'25〃

1q42.36''’9理9.30.''10。39.6.′

三L、

小 林韮

八木孝夫

〆う堅

商師

梅札札北北

67

9..13‘30''

9°25'0,′

9.27′0,ノ

9.21'30'ノ

9.17'0,’

10.39,20'’

10.54'13'’

10.57'50,′

LOo53'54''

10.49.53''

]。25'50'’

1.29‘13''

1。30'50'’

1.32.24'’

1.32.53'’

9.36' 0.''10.15'25''|]0.31'40”開戸力稔商1’2’3’4’5

川口不二男’9.16'30''

10.28'12'''10.50.20’』

北山正認 9.48'10'’-

9.50.30.'

10.28'39'''10q46'15脚中

北一樽一権

副塑四一型

1.42.5聖'l9Q40'10.‘

ニツ山勝一

巾腸湘

10.32.46''10.51'50'1

眼14'50.'lIO927'39、''10・46'18,‘

9.14.30'ノ 10.57'2世’

11.1'57'ノ

山田四郎 9.40.25'’ 10.22.8・'10理1'20'‘

0.'110°40浬9‘

61札商|後藤民捌’9.29'30"'11.2.42'''1°33'12.''9.52.]LOo・'10.34'5''|]0.56"20"

10。51′0'′-

10.50,9,’

71樟商|大浦忠治’9.3'30'''10.36'43'''1.33.13‘'19.27'0.'10江0'45'''10°28'40〃

81-中|佐藤稗介’9.8′0'''10.41'57'''1.33'57'''9.30'40.'10914.40.''10.82.12.‘

安孫子正9.5.0'′

毛内正9.」1'30″

91樺中|油谷圭二郎’9.12.30'''10.47'28''|、1.31'58.''9.36'25'''10922'5'''10和'5'’

小池滴行

型6'0'''9°30'0"

IOl〃|木村瓢談’9.15′0.''10°50'18''|]。35'18'''9.38,0.''10辺'58'''10.43'10.′,品

〃旧一Ⅳ一肥⑲

1.38.43.'19.54'30'''10.40.12”

上勝雄

1.38.22.'’9浬2'15''10.27′9,‘9.18,0.'10.55'52.’

9.30,0''11.8.43''

9.2.30''10乳3'23''

9°4'30"]0.45'30.′

9.24'30''11。7′6'′

1.47'39'''9.35'30‘′

111北巾|棚橋卓郎’9.26′0.′ 11.2.5‘’

、.。2.40'’

10°42'20''

10。52940''

10.51'50,ノ

1.36’5''’9q48'50.』

10.33.41''10.55,5'′

10.14’0''10。35′4'’

器|淵

10可3.55‘'

12.24′0”

10・25.0'ノ

0''i10.17'16''10.36'30‘

藤野勅’9.26'30'’ 1.36'10.'i9.50.30,ノ12札

13札

14札

商一師一商

全遁中等畢核

川口嘉之韮|・9.16'0'’

鈴木慶三郎’9°6.0'′ 1.36'20.19.29'50'’

151北商

r41′0''’9.30.2

10.34'45'1

1.36'40''i9.30'30'』

1.40.53'''9.27'20'''10914'20'‘伊藤雅男

9.14'0・』坪川武亜

吉 田勉

]。37'50''19.38.40.'

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5'' 10.57'39,’

商館

30 68

出場者55稲

醗腫溌

途Ii1訓諭f考24名

凡白壁

ワ叱り坐

。〃■

9画11'0''

9.3,0''

9.1′0.,

9。0'30〃

9.21.'0'4

9.29’0'’

]0.59']I'』

10.52.21'』

10.52.13,』

10.58‘49.‘

1.48.]’'’

1949.21'‘

]o5I'13''

邪刀一配羽一別別

撤商 本間稗治

松木儒迩

9。37,10'′

9・30’0'’

9.27'50.'

9.28,0''

9。46'35'’

9.56'25'’

10.29'35'‘ 10.51'5'‘

不肌-

10.fl3'30'』

札llllj-

旭Iil

10922/49.’

10ぐ20,4聖ノ

10・25’5''

簸良

111利吉次郎

天候快峨

相馬吉工中数

札二錨

]回58'19.′

2.1'35'′

2°14'5'′

5'''10.50,10.50'0'‘

11L]O'10,’

不明

21北禰純ば1M識i:|淵…||‘|池,卿|薦灘|懸非…’

山 口拳 0'''11.22.35〃 10o49.50,ノ

全 通中等皐核

佐為木照雄 0''i]1浬3’

天‘候

状況

32km・リレーレース記録表

林俊雄145'56′油容圭二郎’48'10'‘

ぐ‐] ‘|糠小細|駕蕊|繍瀞75011''一中細|僻綱訓淵…’

f、!;致

状況

花田徳三郎’47'31”

森透46'21'』

》|酎

碓畑祢峰椎榊》癖

4444-4444

》鋼岬》|》榊桝》

岬一岬

3-4

商野蕊作’56’0'’

荒開勉’46'19'』

順位|脇|姓名|#要劇所要時||順位|脇|姓翁|#要*|所要時I佐藤稗介’51'19〃

瀧容虎三’49'14"

昭和5年2jj9『I〔午後1時30分出褒〕,!

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第七回北海蓮選手椎大命記銃

50kmデイスタンスレース記録表 昭和5年2月25日

U納捗允雄北大

札帥

三 徒

美唄

敵中

概場者28譜

姓稲|所脳|所要時間||順位|姓編|所脇 所要l聯間雌-1’2’3’4-.5-6’7’8

途中棄椛者12名

1°33'40‘’側一一幅

商|漉容虎迭

31

札商

加一洲一値憎

69

41.55.28.,

5COO・38.'

北一空'4.263''1』中村・新一郎 後藤正雄 明大

一IIJ

]。31'06,ノ

〔複〕鵬、数

水越定彦 撤巾’4.36”'110 ,佐藤稗介

1.31'17'′-

1.31'57'ノ

鈴木韮三郎 1。34'07,'

71三菱叫一-

81北縦

池川稔

〃|蝿S塾.1il5.2,16’花田徳三郎 鮎深熊一 三菱美唄

〔フク〕長川光男 1.33'38.'〔フク〕油谷韮二郎

大浦忠・歯縦山平一郎

明大|狸3'錐'’'2緒方七郎

北山正潔

5.7′3''

5.9'35.′

5.12'0''

5.23'38''

6.7.35,'

小池商行 称商

1.33'28.′-

1.33'31''

本間四郎

商柵典市

1.33'04''

北Ilil鯉6.8.'''13 後藤民郷

北 海 蓮 選 手 椎 大命

(フク〕2’3-4’5

1.32'51''吉川勉

開戸力

坪川武頭

北 商

撒 商

北 商

揮 商

北大O乃

1菱孫子六郎 北大’4F51'33.′14

札間

揮 叩

北巾

9木村 瓢三

I1IIY1四郎

1.27'47'′

r28.29.'

1928'40.′

1.29.08'’

1°29,37'‘

中一中溌大中

徹一一一

樋一一小徹

錐111爽男 三裟美皿4P53.1'′''15 山口正一

16-

17

駒井三郎 1.84'08'’

安立正

砺位|防風|姓名|所要時間|備考||順位|所脇|姓猫|所要時間|備考

蒋西艇四郎 札蛾’4.53.38.'''16 11'川蛍之助

蕪 湛

状 況

1.32.2C

-6。(9.00a、〕天候

理血

61北迩|北大

,由暇

1.34'56‘’

18kmデイスタンスレース記録表〔フク)……雌複チ兼ネ荻ルモノ(:腹〕……複合ノミノモノ

昭和5年ユ月25ロ

巾Arル油

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18-11'|佐藤外’1.35'15.’ 341札商|小林ルリー’1.43.86'′

19三釜唄蝋叫蛾雄'1.3536″ 揮商|Pリツ谷男’1.43'49.'|〔複〕

201北111|棚橋卓叩’1.36'21" 351-111|近藤守’1.44,07'′

211札商:藤野卿’1.36.23" 361北縦|渡遜武司’1°“'13,′

リIj大安迩杏淵lr36wwl〔複)'’’三菱1ml椎野姻細|'…′221札商|川口悪之進’1.36'46″ 371北縦|久慈辿雄’1.44.40'′〔フク〕

231-中林俊夫’1.36'55" 北商III1坑勤三’1.45′9.′

241兄弟|佐持木金捌’1.37'09.′ 北大|吉、初雄l1q45′9.′

25北大lIi1III二郎11.37'17'′ 381樽商|大原吉馬lr45'57'′

261北ソ6,l秋野武夫lno3ア5s'|〔フ")''391北6B|村本金蝿'1.4S、S'|両〕北大|武野穀次郎’1.38.饗''|〔複〕 II1l新妻正一lr48’9.′|(複〕

此111|演謙二’1.39.18.'|〔〃〕’'401札工|佐藤亘|血8型'′

〃|河原武夫’1.89.20.′|〔〃〕’'411二中|伽・藤雄男|r49.01'′

271〃|毛内正|]・40’3'′ 421櫛商|本間韓浩’1.49.05'′

28札師|石嫁正夫|]。40'15.′ 〃|蒜jj利淵'1.53.53噸|(複)

291北i6B|杉村凧次郎|血0'20'|〔フ")|||揮中|伊黒乙治|'。56261〔"〕301-中|州良成一・’1.40‘37'』 北縦|飯川三郎’1.57'25''|〔〃〕

3''三蓋典|粥藤武次lr403s′ 431樽水|河llMf正一]。58.30.′

撤水|平川蝋|型1']5,'|〔複)’'441札徴|駒木根含記’2.13'2.′

北商lIIIII1満次郎|血''58''|〔〃〕’'451札師|松木・信迩’2.18狸'′-ロ-

32札商|小野寺正’1.42.53'′ 461函商lIIIl聯光次郎2.19’5.′

331リj大|伊藤健識’1理3.14.′

川場藷62名 途中莱椛者12翁

馨匝

)Uと況

心のE】一

雌良

天候快暗

70

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一二■国b■申■三■■●b■甲■■。

蒔一=~彊一実f--=■一一一一一一一一一一=一一・■鞄室 。・宅==一元,面。

一=ざ害

木含顧問黒井悌次郎氏から送って頭いれ、五色淵泉宗川族餓の

犯錐の中から「スキー」に開する難頚か左に揺ぐ。

一、明論四十川年三月塊図人クラッッァー氏外淡渡在留の

商舘猫逸人男女三名同行して来る。東北地方青森迄の名

地、スキー緋需揚としての適地を兄出さんため探検旅行

の曲にて髄五色に来れるなり。儲地を除いては雲簸、雰

礎の迩良なる場所なしとの談なり。

一,同年十二月一一十五日第二回目前記クラッッァー氏及同

閲人ウィンクラー氏並に猫逸人プラーゲ氏の三人来遊正

川に至らば剛体にて来宿の件を協議し、仏八日蹄演。越

へて四十五年正月二,一行十二名にて来遊、それより毎

年惟病以上の剛体にて末り「スキー」練習をなし大正元

年十二月には「アルペンスキー」倶梁部なるものを組織

■障陣陣蝉哩醇■画■単一■申卓●■■ロロ■■弓

画圃富【宙一今

「スキー」に開する五色温

泉宗川旅舘の記録より抜華

雑録

r1.,f乱し

大正三年一月には大畢六十除名の大剛体にて来遊す。

然るに厭洲大戦始まりたる結果同年十二月には一‐アルペ

ンスキー」供梁部も解散すること上なり、獅喚人の来遊す

るもの其跡を細ちたり。

一、大正三年一月には畢生閲休の般先登考として畢脅院生

徒板倉,坊城、南、岩倉、戸田の諸氏及外一名初めて来

遊。

一、大正四年一月末には山形の歩兵第州二聯除の選抜員ス

キー練管倉あり。

一、大正五年仙聖スキー同好含組織せられ同時に淵五色に

遊び練脅をなす。

一、大正十一年六華倶楽部組織せられ、同十三年の券より

倶楽部の建築に若手し、同年十二月竣工。秩父宮殿下の

御成を辱ふして開舘す創立時に於ける准起稀は左記の十

謡にして

侯細川護立伯坊城俊良

渡挫八郎子机馬孟胤

子土屋正直黒井悌次郎

伯黒木三次伯前Ⅲ利男

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匿田戸七郎著

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灘:豊童御希望の方ば振将口雁小樽八四九五番札幌市

北二催西十三丁日一恭地「山と雲の含」宛に

御巾込とM時に御振込下さい。

二百州十頁

別刷鰯喚版三十一一莱

柿入側版四十除岡

金壷同五拾銭

拾試錐

送定

料憤

山とスキーの含刊行

本譜はスキー競技に於て雄も重要なスキージ

ャムプの一切を解挽し,且つ幽際スキー競技

命に於けるジャムプ競技の状況を詳説してあ

ります。

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シユブルングスキー

ラングラウフスキー

ー般用スキ-

札幌市IilIIl四丁11

北海逝

芳賀スギ=繭店

アメリカ直輸 入

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隈基

スキー附属

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画銅

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加納一郎著氷這

日本山岳含細山日

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敬塵なる山岳宗徒の清杖隠既に上高地には印されない。往背の榊河内

を懐しむ吾岳友諸兄は安息所として唯一の祁蕊尾瀬を有っ。

本書は高山捕物畢界の索蜜武田博士が過去数次に亙る尾噸調査旅行の

所産にして、紀行文集なると共に償重なる畢術的記録、植物景槻である。

巻末に附綴せる百葉の篤冥は其鮮麗さに於て、其畢的債値に於て、正に

世の驚異であらねばならぬ。敢へて諸彦の清鑑を仰ぐ。

京大講師

理肇博士

辻村伊助著スウイス日記

辻村伊助著ハイランド

武露久吉著嘉新

記| 雪

尾湖さ鬼怒沼

初めて尼減走訪ふ

尼瀬再探記

尾瀬怨めぐりて

春の尾瀬

秋の尼瀬

篤書

四六列.三七○瓦

海風一○○枚

地圃(大)一枚

装岐浦雅

定侭三回

送料二十七銭

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スキーの王国

太陽印翼零…灘!

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十一月下旬より護責

ノルウヱーのオストバイに劣らぬ

札幌市北二篠西十三丁目一番地

渡寅元雪山荘

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◆一‐スキー・一を研究せられる人、登川に趣味を

持たれる方が一人でも多くお読み下さること

をお噸ひいたします。

◆一‐川岳一と一:スキー」に開する御寄硫と鳶填

の御悪迭をお願ひします。

原綿紙は御巾趣次第お送り致します。

◆原砿は、・を一宇とし、行を更めるときば

字下げること。

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金参拾銭

州州両粋特訓に式七叩鋤榊(毎月一側一円渡行〕

*前金御巾込か、税金でなければお送りい表

しませんO

*御錘金はなるべく振粋にてお願致しますC

堂ハ川分前金挑込の方には迭料を頭きません

*前金の切れ菰時の御知らせは妓後の分の包

装に同封します。

*次の御送金あるまで配本あ見合せます○

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北海逆札幌市北一像西一一丁、

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嬬州忘枠拝訓に埜七叩御刷納癖(毎月一同一、溌行)山と雪

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