mp05 p08-09 責了出力...小 島こ じま 摩 文ま ぶみ 鹿児島純心女子大学 准教授...

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鹿姿月刊 2010 年 5 月号 8 9 月刊 2010 年 5 月号 便綿綿使使使現在でもJR東海道線米原駅で販売されている、 ふたが茶碗になる駅弁茶ポリ容器 ガラスびんをゴザで包んだ水筒。コロンビア

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Page 1: MP05 P08-09 責了出力...小 島こ じま 摩 文ま ぶみ 鹿児島純心女子大学 准教授 ている姿。考えている。博物館展示はまさにモノが物語に収まっ専門は民俗学、民具研究。最近はモノと物語について

小こ

島じま

摩ま

文ぶみ

鹿児島純心女子大学

准教授

専門は民俗学、民具研究。最近はモノと物語について

考えている。博物館展示はまさにモノが物語に収まっ

ている姿。

月刊  2010 年 5 月号 8 9 月刊  2010 年 5 月号

までの麻の服を着ていた時代からさ

まざまな生活の有り様や感覚が変

わってきた事を論じたが、そのなか

で「人間世界では、進歩の途が常に

善に向かっているものと安心しては

いられぬ」として「モノ」が人間の

生活や感覚に与える影響について論

じているが、ペットボトルも利点ば

みが普通のことになると、水筒でも

コップなしで口をつけて飲むタイプ

のものが出てきた。

 

わたしが子どものころはジュース

でもラッパ飲みしていると怒られた

ものだが、今はラッパ飲みを前提に

ペットボトルがでてくる時代となっ

た。便利さがマナーを打ち破った形

だ。講演会の後で、「どうぞ」とペッ

トボトル入りの飲料をポンと渡され

ることも幾度か経験した。その場で、

ラッパ飲みはさすがにはばかられ、

お土産にした。外での力仕事の一服

にはラッパ飲みも風情があるが、部

屋のなかでソファに座りながらラッ

パ飲みは、「未い

だ」なじまない。

 柳田国男は『木綿以前の事』で、

日本人が木綿を手に入れた後、それ

かりで喜んでもいられない。

 中高生の部活動内での新型インフ

ルエンザ感染の原因のひとつにペッ

トボトル飲料の回し飲みがあげられ

ていた。単なるマナーではなく衛生

上の理由で先人はラッパ飲みを戒め

ていたのだろう。一度、口をつけた

ペットボトルのなかではさまざまな

 ペットボトルはわたしたちの生活

にすっかりなじみのものになってし

まった。「水を買う」という事が

ニュースになった時代から、今や

すっかり水は買うものになった。

 ペットボトルが普及して、大きく

変わったのは水の携帯性であろう。

ペットボトルが登場する以前であれ

ば、水筒を携帯するしかなかったが、

今では町のどこでも手軽にペットボ

トルに入った水を購入し、空き容器

はどこにでも捨てられる。また飲み

かけでもふたを閉めれば、カバンに

入れてもち歩ける。ガラス瓶と違い

軽くてゴミ箱があればどこにでも捨

てられるのはペットボトル以前の飲

料ではなかったことだ。

 もうひとつ、ペットボトルの出現

によって大きく変わったのが、ラッ

パ飲みに対する認識であろう。テレ

ビニュースに映るさまざまな会合や

委員会を見ていてもペットボトルの

水やお茶で、最近はコップ

がない方が圧倒的だ。ペッ

トボトルがそういう場所で

利用され始めた最初のころ

はグラスとペットボトルと

一緒に置いてあったが、や

がてグラスが紙コップにな

り、いつの間にか飲むため

の器はなくなった。

 ペットボトル以前からラッパ飲み

はあった。しかし、ごく当たり前の

ことになってしまったのはペットボ

トルの普及によってであろう。瓶や

缶が主流の時代でも口をつけて飲む

ということはあった。しかし、缶は、

一度開けてしまうと保存容器から飲

む器に意味を変換させていた。ペッ

トボトルではふたを閉めれば、開封

後も保存容器であり続けるのだ。だ

からペットボトルでのラッパ飲みは

保存容器に口をつけて飲むラッパ飲

みになってしまう。

 水を携帯するための保存容器は、

以前は水筒が一般

的だった。しかし、

水筒には必ずコッ

プが付いていた。

駅弁と一緒に売ら

れていたお茶のプ

ラスチック容器も

ふたが茶碗になる

ようになっていた。

ペットボトルが一

般化してラッパ飲

モノ・グラフ

ペットボトル以前の事

水を買う

ラッパ飲み

モノが支配

細菌が繁殖を続けているという。

 わたしが中学生のころ、部活動が

終わった後で瓶のジュースを買い、

みんなで回し飲みをするとき、口を

つけずに飲んでいた。口をつけずに

高いところから大きく開けた口のな

かにジュースを注ぎ込むのだ。ラッ

パ飲みよりも下品で豪快な感じだが、

今普通になってしまったラッパ飲み

よりも衛生面では気遣っていたとい

えるかもしれない。

 人がモノを生み出しているのだが、

しかしそのモノによって人は変化さ

せられている。それを「自己家畜

化」とよぶ人もいる。人間が生み出

しながらモノは人を支配している。

モノだけでなく物語(「モノ」語り)

も人を支配しているのだが、このふ

たつの「モノ」と人との関係を見て

きたのが民俗学だ。

 モノや道具は使い方次第だと人は

いう。いわゆる電子ゲームの是非が

議論されるとき必ず出てくるのが、

ゲームは道具だから使う人次第で、

時間を決めてやれば問題はない、と

いう意見だが、モノがもっている人

間を支配する力を軽んじているよう

に思う。わたしたちはモノである道

具を使いこなしているつもりでいる

が、結局は道具に支配されているの

である。

現在でもJR東海道線米原駅で販売されている、ふたが茶碗になる駅弁茶ポリ容器

「世界水フォーラム」で配布されたもの。イスタンブール

トルコ

吹田市水道部が作った高度浄水処理水「いずみの水」ボトル

ガラスびんをゴザで包んだ水筒。コロンビア

ガラスびん入りボトル水「会津心水」

リラの僧院の聖水入りボトル。ブルガリア