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防衛研究所紀要 防衛省防衛研究所 ISSN 1344-1116 22 2 2020 1■スリランカ、モルディブにおけるインドと中国の競争 ―― インドの近隣諸国政策の視点から ―― 伊豆山 真理 ■「一帯一路」と「自由で開かれたインド太平洋」の間で ―― 地域秩序をめぐる競争とASEANの対応 ―― 庄司 智孝 ■ロボット工学・自律型システム・人工知能(RAS-AI)に関する 技術開発の動向と自律型兵器システム(AWS)の運用についての展望 ―― 米・中・露を中心に ―― 富川 英生 山口 信治 ■台湾の地方首長選挙と総統選挙の相関関係をめぐる考察 門間 理良 ■最近のロシアにおける将来戦をめぐる議論 坂口 賀朗 ■航空自衛隊創設期の旧軍航空関係者の役割と米空軍の関与について 中島 信吾 西田 裕史 ■ソ連軍指導部の対日認識について ―― 第二次世界大戦期を中心に ―― 花田 智之

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NIDS Journal ofDefense and Security 防衛研究所紀要

National Institute for Defense StudiesTokyo 防衛省防衛研究所 ISSN 1344-1116

第 22 巻 第 2 号 2020 年 1月Volume 22 Number 2 January 2020

防衛研究所紀要

第22巻 第2号 二〇二〇年一月

防衛省防衛研究所

■India's Approach towards Its Neighbors: Competing China in Sri Lanka and Maldives?IZUYAMA Marie

■Analysis of Correlation between Presidential and Municipal Election in TaiwanMOMMA Rira

■The Soviet Military Leadership's Perception of Japan during World War IIHANADA Tomoyuki

■A Russian View of Future War: Recent TrendSAKAGUCHI Yoshiaki

■Trends in Technology Development for Robotics, Autonomous Systems and Artificial Intelligence (RAS-AI) and Prospects for Operation of Autonomous Weapon Systems (AWS):Focusing on U.S., China, and Russia

TOMIKAWA Hideo, YAMAGUCHI Shinji

■ASEAN's Response to Competition over Regional Order:  Belt and Road Initiative (BRI) and Free and Open Indo-Pacific (FOIP)

SHOJI Tomotaka

■The Role of the Japanese Imperial Army and Navy Aviation Personnel and     Participation of U.S. Air Force in the Early Days of Japan Air Self-Defense Force

NAKAJIMA Shingo, NISHIDA Hiroshi

■スリランカ、モルディブにおけるインドと中国の競争  ―― インドの近隣諸国政策の視点から ――

伊豆山 真理

■「一帯一路」と「自由で開かれたインド太平洋」の間で  ―― 地域秩序をめぐる競争とASEANの対応 ――

庄司 智孝

■ロボット工学・自律型システム・人工知能(RAS-AI)に関する 技術開発の動向と自律型兵器システム(AWS)の運用についての展望 ―― 米・中・露を中心に ――

富川 英生山口 信治

■台湾の地方首長選挙と総統選挙の相関関係をめぐる考察門間 理良

■最近のロシアにおける将来戦をめぐる議論坂口 賀朗

■航空自衛隊創設期の旧軍航空関係者の役割と米空軍の関与について中島 信吾西田 裕史

■ソ連軍指導部の対日認識について ―― 第二次世界大戦期を中心に ――

花田 智之

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防衛研究所紀要第22巻 第 2号 2020 年 1 月

目 次

ISSN 1344-1116

防衛省防衛研究所

■ スリランカ、モルディブにおけるインドと中国の競争  ―インドの近隣諸国政策の視点から― 1

伊豆山 真理

■ 「一帯一路」と「自由で開かれたインド太平洋」の間で  ―地域秩序をめぐる競争と ASEANの対応― 21

庄司 智孝

■ 最近のロシアにおける将来戦をめぐる議論 93

坂口 賀朗

■ 航空自衛隊創設期の旧軍航空関係者の役割と米空軍の関与について 105

中島 信吾西田 裕史

■ 台湾の地方首長選挙と総統選挙の相関関係をめぐる考察 47

門間 理良

■ ロボット工学・自律型システム・人工知能(RAS-AI)に関する技術開発の動向と自律型兵器システム(AWS)の運用についての展望

  ―米・中・露を中心に― 63

富川 英生山口 信治

■ ソ連軍指導部の対日認識について  ―第二次世界大戦期を中心に― 131

花田 智之

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スリランカ、モルディブにおけるインドと中国の競争――インドの近隣諸国政策の視点から――

伊豆山 真理

<要旨>

本稿は、中国のインド洋進出に対するインドの認識と対応を、スリランカ、モルディブに焦点を当てて検討する。インド洋における中国とインドの競争は、一義的には港湾や拠点への「アクセス」をめぐる競争である。本来非排他的な性質を持つ競争が、中印間の安全保障問題に発展する背景として、①中国によるインド近隣諸国への影響力強化を、インド側が「現状変更」と認識すること、② 2014年に中国海軍のインド周辺海域での活動が活発化したこと、があげられる。2000年代半ば以降、中国のスリランカ、モルディブへの経済的進出、とくに「一帯一路」構想に両国が組み込まれる過程で、インドは中国側の戦略的意図を懸念しながらも、受動的に対応した。

2018年、モルディブとスリランカで政治危機が発生し、中国とインドの動静が注目された。一連の危機で明らかになったのは、両国の指導者が、国内の反対勢力に対抗するために中国からの支援を主体的に選択していることである。また中国への過度の依存は、それが国内の民主主義抑制に利用され、あるいは国家経済に損害を与えたと判断されれば、国民からの批判に曝されることも示された。インドにおける議論は、「中国の行動に対応するだけではなく、自らがスリランカ、モルディブを含むインド洋地域において、どのような責任を引き受け、どのような役割を果たすのかを真摯にかつ長期的に考えるべき」という方向に進んでいる。

はじめに

本稿は、中国のインド洋進出に対するインドの認識と対応を、スリランカ、モルディブに焦点を当てて検討する。その際に、両国とインドとの歴史的関係、及び両国の内政の絡み合いを見ることによって、インドの対応の特徴と課題を明らかにしたい。スリランカとモルディブを扱う理由は、第 1に、中国のインド洋進出に伴い、スリランカ、

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

モルディブの戦略的重要性や 1、中国とインドの間の摩擦が注目されているためである。第 2に、2018年スリランカ、モルディブで内政の危機が生じたことから、これらの国の政治体制と外交政策の傾向、とりわけ「親中国」「親インド」というラベル付けの妥当性を検討しておく必要がある。2015年にスリランカの「親中国」大統領であったマヒンダ・ラージャパクサ(Mahinda Rajapaksa)が大統領選挙の敗戦によって退陣したことで、日本も含む諸外国のマスコミは、中国の影響力が薄まるのではないかと期待した。しかし、ことはそれほど単純ではない。これらの国々にはそれぞれ独自の内政の文脈が存在しており、中国・インドを含む外部からの力が単純に外交政策に反映されるわけではない。以下最初にスリランカとモルディブの一般事情を概説したうえで、問題設定を行う。

ここではインド洋の島しょ国における「中印の競争」を捉える視点を設定したい。第 2

章では、インドがスリランカとモルディブを自国の勢力圏と認識していることを確認し、中国の進出によってインドがどのような対応を迫られてきたのかを検討する。第 3

章では、2018年のモルディブ、スリランカにおける政治危機への対応をめぐるインド国内の議論から、自国の勢力圏を保持しようとするインドの対近隣諸国政策が、対象国の国内政治に左右されることを明らかにする 2。

1.インド洋国家としてのスリランカとモルディブ

(1)スリランカスリランカの民族構成は、多数派のシンハラ人(人口の 73%)と少数派のタミル人

(人口の 18%)が主であり、この民族構成がほぼ宗教の区分と対応している。すなわちシンハラ人のほとんどは仏教徒(人口の 70%)、タミル人はヒンドゥー教徒(人口の10%)またはイスラム教徒(人口の 8%)となっている。シンハラ人とタミル人との分断の起源は、1956年に始まる「シンハラ人優遇政策」にある。

1983年 7月、タミルの武装闘争組織である「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」の武力抗争を発端としたシンハラ・タミル間の民族紛争は内戦に発展し、2009年 5月、スリランカ軍による LTTE掃討作戦でようやく終結をむかえるが、この間、7万人以上の

1 2018年 1月、河野外務大臣は、パキスタン、スリランカ、モルディブ 3カ国を訪問し、8月には小野寺防衛大臣が日本の防衛大臣として初めてスリランカを訪問している。令和元年版『防衛白書』は、安全保障協力を扱った章で初めてスリランカの項目を立てている。防衛省『令和元年版 日本の防衛-防衛白書』(2019年 9月)

2 本稿は防衛研究所に提出した平成 30年度基礎研究に修正を加え、2019年 10月 1日に脱稿したものである。

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スリランカ、モルディブにおけるインドと中国の競争

犠牲者を出した 3。スリランカの内戦は、インドの国内政治とリンクしている。海峡を隔てたインドの

タミル・ナードゥ州には、5000万人のタミル人が存在しており、タミル人の人権問題は州政治の大きな争点である。一方スリランカのシンハラ人、特に仏教復興主義者たちは、少数派タミル人の背後に、インド・タミル・ナードゥ州の「大タミル主義」が存在するとみている 4。戦略的には、80年代半ばの一時期、米国がインド洋の拠点としてスリランカに関心を示した。当時のジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ(Junius Richard

Jayewardene)政権は、米国からの武器供与の見返りとして1985年、東部のトリンコマリー海軍基地に米海軍の補給施設を建設することを決定し、またコロンボ国際空港(カトゥナーヤカ空軍基地と隣接)に、ボイス・オブ・アメリカの中継基地を置くことを許可した 5。しかし、インドの反発やその後の内戦の激化を受け、米国はスリランカへの関心を低下させ、内戦末期にはむしろ人権問題を理由に軍事援助を控えてきた。

(2)モルディブモルディブは、南北 800キロメートルに広がる約 1,200の島から成り、総面積はわずか 298平方キロメートルである。人口 40万人、観光と漁業以外に見るべき産業がなく、自然災害にも脆弱なこの小国が、注目されるのは、その地勢のためである。北端付近にある 8度海峡は、インド洋を通過してマラッカ海峡に向かう船の多くが航路として利用している。また、南端の先にある 1.5度海峡は、インド洋を通過してスンダ海峡、ロンボク海峡に向かう船の航路として利用されている 6。イギリスが弟 2次世界大戦中に開設したガン島の海軍航空基地が、1971年の閉鎖に至るまで、シンガポールへの中継基地として利用されていたことからも、インド洋における重要性がわかる 7。これに加えて、もう 1つ重要なのは、希薄な人口と数多くの無人島の存在のため、モルディブが海賊やテロリストの隠れ家となる可能性である 8。実際、モルディブでは、近年サウジアラビアからのワッハーブ派の影響を受けて過激なイスラム思想が流行し 9、

3 外務省「スリランカ内戦の終結~シンハラ人とタミル人の和解に向けて」外務省わかる国際情勢 vol.40, 2009年7月 7日、http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol40/index.html

4 Maya Chadda, Ethnicity, Security, and Sepatratism in India (New York: Columbia University Press, 1997), pp. 148-149.5 Chadda, pp. 149-150.6 David Brewster, “Between Giants: Sino-Indian Cold War in the Indian Ocean,” Asie Visions, No. 103, Ifri, December 2018,

p. 15. https://www.ifri.org/sites/default/files/atoms/files/brewster_sino_indian_cold_war_2018.pdf7 David Brewster, India’s Ocean: The Story of India’s Bid for Regional Leadership (London and New York: Routledge, 2014),

p. 57.8 Brewster, India’s Ocean, p. 57.9 “Will Saudi Arabia Purchace an Entire Atoll from the Maldives ?” The Diplomat, March 2, 2017.

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

2018年時点で「イスラーム国(IS)」に加わる若者が 200名と推定されており、人口比では高い数字を示している 10。

(3)インド洋における中印の競争への視点インド洋が、中国とインドの新たな競争の舞台となっていることが、2010年代に注目されるようになった 11。ロバート・カプラン(Robert D. Kaplan)はこれを、「垂直に拡大する中国、水平に拡大するインド」という言葉で表している 12。「中国は、影響力を垂直方向、つまりインド洋の暖かい海に南下することで拡大しようとしている一方で、インドはその影響力を、ヴィクトリア時代の英領インドの東西の境界に並行するかたちで、水平方向に広げようとしている。」海洋における中印の競合が注目される背景には、両国の台頭、そしてそれに伴う両

国の大陸志向から海洋志向への戦略転換が存在する。中国とインドがグローバル経済に統合されるにつれて、海上交通路(SLOC)の安全確保への関心が高まった。特に石油をはじめとする資源の確保が経済成長維持のために死活的となり、商船・資源運搬船を守るために、さらには海外への資源開発投資の利益を守るために、港湾や拠点への「アクセス」確保が重要となっている。インド洋における中国とインドの競争は、一義的にはこうした「アクセス」をめぐる競争である 13。港湾の商業的利用、あるいは海上の輸送路といった本来非排他的なものをめぐる競争が、インドと中国との間で安全保障問題として理解されるのはなぜか。その答えの1つは、中印両国の相互認識に、もう1つは中国海軍のインド近海への進出に求められる。第1の相互認識に関しては、中印両国間の非対称的な認識が指摘されている。インドの論者は、インド洋における中国のプレゼンスの強化は、それがいかに経済的動機であっても「現状の変更」あるいは「中印間の力の均衡状態の変更」と認識する 14。その根本にあるのは、インドがインド洋地域を「勢力圏」と認識しており、域外国である中国のプレゼンスには正統性がないと考えるからであるが、中国側からすれば、イン

10 Andreas Johansson, “Maldives crisis: a bitter religious divide comes to the fore,” The Conversation, February, 10, 2018, http://theconversation.com/maldives-crisis-a-bitter-religious-divide-comes-to-the-fore-91455

11 Raja C.Mohan, Samudra Manthan: Sino-Indian rivalry in the Indo-Pacific (Washington D.C.: Carnegie Endowment for International Peace, 2012); David Brewster, ed., India and China at Sea: Competition for Naval Dominance in the Indian Ocean, (New Delhi: Oxford University Press, 2018).

12 ロバート・カプラン『インド洋圏が世界を動かす』奥山真司・関根光宏訳(インターシフト、2012年)27頁。13 Anthony Cordesman and Abdullah Toukan, The Indian Ocean Region: A Strategic Net Assessment (Washington D.C.; CSIS,

April 1, 2014), p. 5; Eleanor Albert, “Competition in the Indian Ocean,” CFR Backgrounders, May 19, 2016, http://www.cfr.org/regional-security/competition-indian-ocean/p37201

14 Mohan, Samudra Manthan, chapt. 8, Kindle; Brahma Chellaney, “China Takes Sea Route to Great Power Status,” The National, May 9, 2015, https://www.thenational.ae/opinion/china-takes-sea-route-to-great-power-status-1.127907

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スリランカ、モルディブにおけるインドと中国の競争

ドがインド洋で特権的地位を主張することこそ覇権的であり、またインドにはそれにふさわしい軍事力も経済力もない 15。第 2に、中国海軍のインド近海への進出は、2014年がその分岐点になっている。

2014年 1月、中国海軍は南シナ海からスンダ海峡を経てインド洋に進入して軍事訓練を行い、その後ロンボク海峡から西太平洋に航行した。3月、マレーシア航空MH370

の捜索のために中国海軍がアンダマン・ニコバル沿岸のインド領海に入ることを要請したが、インドは拒否したと伝えられている 16。そして、9月には中国の潜水艦がスリランカに入港する 17。これらの事象が、2013年以降の中印国境ラダックにおける中国軍による越境事案と並行して生じていることから、中印紛争が「陸から海へ」と拡大したという見方もある 18。このような、海洋をめぐる相互の認識及び中国海軍のインド洋進出と領土問題との絡み合いが基底にあるため、中国の経済援助や投資、とりわけ港湾インフラへの投資は、インドの視点からは経済活動を超えた安全保障問題と捉えられる。以下ではスリランカとモルディブにおける中印の競争を見ていく。

2.スリランカ、モルディブをめぐるインドと中国の競争

(1)スリランカとモルディブに対するインドの「勢力圏」意識<スリランカ―インド版「モンロー・ドクトリン」>インドがスリランカを自国の「勢力圏」と認識していることは、90年代以降、地域

研究者の間で通説となっている 19。それは、米国の中米やカリブ海に対する認識と同種のものであり、「インド版モンロー・ドクトリン」と言われることもある 20。

1983年のシンハラ・タミル間の大暴動以降、インドの対スリランカ外交には、このインド版モンロー・ドクトリンに「強制」の要素が付け加わる。インドの強制外交の

15 Brewster, India and China at Sea, pp. 28-29.16 “Malaysia jet search: India declines China’s request to enter waters around Andaman and Nicobar Islands,” Times of India,

March 20, 2014.17 本稿 2(2)参照。18 Kohn Swee Lean Collin, “China-India Rivalry at Sea: Capability, Trends and Challenges,” Asian Security, 15 (1) (November

2018), pp. 12-13. https://www.tandfonline.com/doi/pdf/10.1080/14799855.2019.1539820?needAccess=true19 Devin T. Hagerty, “India’s Regional Security Doctrine,” Asian Survey, 31 (4) (April 1991); John W. Garver, “The security

dilemma in Sino-Indian relations,” India Review, 1(4) (2002), p. 4; Brewster, India’s Ocean, pp. 24-30. 20 米国の中米やカリブ海に対する政策とインドの対近隣諸国政策の類似性が、90年代以降通説となっている。その要諦は「インドは南アジア諸国の国内紛争に干渉する意思を持たず、他国が干渉することにも反対する」というものである。James R. Holmes, Andrew C. Winner and Toshi Yoshihara Indian Naval Strategy in the Twenty-first Century, (London and New York: Routledge, 2009), pp. 36-60; Brewster, India’s Ocean, p. 25.

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

要点は、第 1に、LTTEを含むタミル武装勢力とスリランカ政府との間の交渉をインドが独占的に仲介すること、そして第 2に、その交渉が決裂した際に、インドが単独で軍事介入を行うことにあった 21。実際、米国がインドの軍事介入を人道的介入として追認したために、1987年 7月、紛争解決のための「インド・スリランカ合意」が締結され、インドはインド平和維持軍(IPKF)を派遣して LTTEの武装解除に従事した。同合意に付随して、スリランカで外国の軍事要員や情報機関員の活動を認めないことや、トリンコマリー港を軍事目的で外国に使用させないことをインド側は求めている。ここでの「外国」とは米国である 22。このように、スリランカの紛争に対して域外国の介入を排除し、自ら軍事介入に乗

り出したインドであったが、LTTEを交渉に引き出すことに失敗して次第に LTTEとの直接戦闘に巻き込まれていく。そしてインド平和維持軍は成果を上げられないまま 1990年に撤退し、介入を主導したラジーブ・ガンディー(Rajiv Gandhi)元首相は、1991年 LTTEの女性闘士による自爆テロで命を落とすことになる。スリランカにおける介入失敗の経験によって、インドはその後スリランカと距離を置くようになる。後で述べる内戦の終期に中国が積極的に行った軍事支援は、インドの関与が後退した後の空白を埋めるように出現したものである。

<モルディブ―インドの「伝統的役割」>1971年にガン島のイギリス海軍航空基地が閉鎖され、その機能が 700キロメートル南下したディエゴ・ガルシア島へと移ると、その空白を少しずつ埋めてきたのがインドであった。1976英国撤退後のガン航空基地にイランとソ連が関心を示してきたのに対して、インドは域外国の基地が置かれることを回避すべく、モルディブに対してガン島を観光リゾートにするよう働きかけた。インド系住民のいるモーリシャス、セーシエルと並んで、モルディブも「インドを頼りにしている」国として、「これらの島の安全保障は、インドの正統的関心」であるという認識が当時のインドにはすでにあった 23。1978年、インドはドルニエ 228を無償で貸与し、1980年には沿岸警備隊設立を支援した。インドがモルディブの事実上の体制保証者の役割を果たしたのが、1988年のクーデ

21 近藤則夫「ラジーブ・ガンディー政権期のインドの国際関係」近藤則夫編『現代南アジアの国際関係』(アジア経済研究所、1997年)43-45頁 ; Brewster, India's Ocean, pp. 49-50.

22 近藤則夫「ラジーブ・ガンディー政権期のインドの国際関係」45-46頁。23 Selig Harrison and K. Subrahmanyam, Super Power Rivalry in the Indian Ocean: Indian and American Perspectives (Oxford

University Press, 1989), p. 262.

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スリランカ、モルディブにおけるインドと中国の競争

タに対する軍事介入である。インドの準公式海軍史の記述によると、その概略は、およそ以下のとおりである。1988年 11月、300から 500人のタミル人・シンハラ人の傭兵が首都マレを占拠し、閣僚を含む人質をとった。モルディブ大統領は身を隠したが、インドは数隻の艦艇と哨戒機を派遣し、大統領の身の安全を確保するとともに、乗っ取られた商船を捕獲した 24。この事件の後、インドはモルディブの沿岸警備にいっそう力を入れるようになり、

1991年から両国の沿岸警備隊の間で共同訓練ドースティ(DOSTI)が行われている 25。2004年末のインド洋津波を受けて、インドが救援活動を行ったことを契機に、イン

ド海軍はさらにモルディブとの関係を強化した。2000年代半ばから、インド海軍の軍事交流がより透明化かつ定式化されたことから、モルディブとの交流も国防年次報告などで確認できる。それによると、2004年、2005年にはモルディブの国防担当大臣(副大臣相当)、国防大臣がそれぞれ来訪し、2005年 11月にインド海軍参謀長がモルディブを訪問している 26。

2008 年 12月、モルディブで初の民主的な大統領選挙が行われ、30年間大統領職を独占してきたマウムーン・アブドゥル・ガユーム(Maumoon Abdul Gayoom)に代わってモハメド・ナシード(Mohamed Nasheed)が大統領に就任した。ナシード政権下でインドとの安全保障関係はさらに強化された 27。2009年 8月、A. K. アントニー(A. K.

Antony)インド国防相がモルディブを訪問し、防衛協力に関する 2国間協定に署名した。協定には、モルディブのレーダー網をインドのレーダーとリンクすること、またモルディブに航空基地を設置し、インド空軍の固定翼機ドルニエの発着基地にすること、インドの哨戒用ヘリを駐機させること、などが盛り込まれた 28。また、インド海軍の高速攻撃艇がモルディブ沿岸警備隊に引き渡される 29。

(2)中国の進出とインドの懸念<スリランカ>中国がスリランカへの開発援助を始めるきっかけとなったのは、2004年末のインド

洋津波にかかわる復興支援である。中国からの食料、水、毛布などの援助物資の第 1

24 Hiranandani, G. M.,Transition to Eminence: Indian Navy 1976-1990 (New Delhi : Lancer Publishers, 2005), pp. 198-200.25 Embassy of India, Male, Maldives, Press Release, October 27, 2014, “Joint 'DOSTI' Exercise by Indian Coastguard with

Maldives and Sri Lanka,” https://eoi.gov.in/male/?3628?00026 Ministry of Defence, Government of India, Annual Report, 2004-05, p. 198; 2005-06, p. 197.27 Brewster, “Between Giants,” p. 17.28 Balaji Chandramohan, “India, Maldives and the Indian Ocean,” IDSA Comment, October 13, 2009, http://www.idsa.in/

idsastrategiccomments/IndiaMaldivesandtheIndianOcean_BChandramohan_13100929 Chandramohan, “India, Maldives and the Indian Ocean.”

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

便は、12月 29日にスリランカに空輸された 30。中国は漁港の修復などの復興支援にも力を入れ、津波関連の復興支援金額は、総額 6,300万ドルに上る 31。2005年 4月、温家宝首相が来訪し、8月にはチャンドリカ・バンダラナイケ・クマーラトゥンガ(Chandrika

Bandaranaike Kumaratunga)大統領が訪中し、各種のプロジェクトに合意した。その中には、ノロッチョライ火力発電所の建設も含まれていたが、これは同年 2月にインド国営火力発電公社に発注が決定されたばかりであったものが、覆されたものである。この頃から、スリランカのインフラ建設に関して、中国がインドと対抗する構図が出現した。ハンバントタ開発の着手もこの時期である。ただし、2005年 8月に合意されたのは、ハンバントタに石油貯蔵庫を建設することが主であり、港そのものの開発ではなかった 32。ラージャパクサ政権が中国への依存を強めていくのは、内戦の軍事的解決を選択

したことにより、国際社会から孤立するようになったためである。スリランカでは、2002年にノルウェーの仲介により LTTEとの間で停戦合意が成立していた。しかし、2006年に LTTEが攻撃を強化し、陸軍司令官サラット・フォンセーカ(Sarat Fonseka)暗殺をねらった自爆テロが行われると、政府は停戦を破棄し、LTTE殲滅のための軍事作戦に乗り出した 33。米国は、9.11以降 LTTEをテロ組織と指定し、スリランカへの支援を行ってきたが、この軍事作戦でタミル人の人権が侵害されているとして、2007年度に軍事援助を停止した 34。米国の海上監視用レーダーや、航空機を使った自爆攻撃に応戦するためのブッシュマスター 30ミリ機関砲は、対 LTTE作戦に重要な役割を果たすものであったが、これらの軍事援助は一切停止された 35。内戦への勝利に向けて、政府と軍が一致して LTTE殲滅作戦に乗り出したところを

国際社会に足をすくわれたと感じていたスリランカに対して、手を差し伸べたのが中国であった。2007年 2月末から 3月初めにかけて訪中したラージャパクサ大統領と胡錦濤国家主席との間で発出された共同コミュニケでは、両国が「テロリズム、分離主義、過激主義という 3つの悪と間断なく闘うことを決意」すると表明された 36。2007年 3月、カトナヤケ空軍基地が LTTEによる空爆を受けると、中国は F-7戦闘機 6機をすぐさ

30 China Daily, January 5, 2005.31 “China aids Sri Lanka in rebuilding fishery harbours after tsunami,” Aiddata, http://china.aiddata.org/projects/33248?iframe=y32 荒井悦代『内戦終結後のスリランカ政治-ラージャパクサからシリセーナへ』(アジア経済研究所、2016年)

109-110頁。33 荒井『内戦終結後のスリランカ政治』5頁。 34 カプラン『インド洋圏が世界を動かす』304頁。35 カプラン『インド洋圏が世界を動かす』321頁。36 Joint Press Communique of the People's Republic of China and the Democratic Socialist Republic of Sri Lanka, March 10,

2005, http://www.fmprc.gov.cn/mfa_eng/wjdt_665385/2649_665393/t303108.shtml

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スリランカ、モルディブにおけるインドと中国の競争

ま無償で供与した 37。また、4月には、保利科技有限公司(Poly Technologies)が、武器弾薬を供与する(3,760万ドル)ことに合意し、数週間で納入した 38。スリランカのフォンセーカ陸軍司令官は、「インドは攻撃兵器のみならず、レーダーや基礎的な通信機材も供与できる立場にないと、我々に伝えてきた」と述べている 39。対照的に中国は、中国电子进出口总公司(China National Electronics Import Export Corp)からのY-11レーダーの供与(500万ドル)に合意した。しかし、インド側は、Y-11がインドの空域をカバーするとして、反対を唱えた 40。こうした軍事援助と軌を一にして、2007年ハンバントタ開発が合意された 41。そして、2007年~ 2011年の 5年間で中国と締結した援助は 25億ドルに上る 42。また、図 1

に示すように、2011年以降中国の直接投資は大きく伸び、インドを凌駕するようになるのである。ハンバントタ港は、2010年 11月、第 1期工事がほぼ終了し船の入港式が行われた 43。中国海軍の伸長に伴い、ハンバントタ港は、パキスタンのグワダル港やミャンマーのシ

図1 インドと中国のスリランカへの直接投資出所:日本貿易振興機構『ジェトロ世界貿易投資報告』各年版より筆者作成

37 荒井『内戦終結後のスリランカ政治』111頁 ; SIPRI arms transfer database.38 “Chinese arms, radar for Sri Lanka military” Lanka News Papers, June 5, 2007, http://www.lankanewspapers.com/

news/2007/6/15568.html 39 Vijay Sakhuja, “Sri Lanka: Beijing’s Growing Foothold in the Indian Ocean,” China Brief, 9(12), (Jamestown Foundation,

June 12, 2009), p. 8.40 Sakhuja, p. 9; スリランカのレーダー取得については、Brewster, India’s Ocean, p. 54も参照。41 荒井『内戦終結後のスリランカ政治』110頁。42 荒井悦代「スリランカとインド・中国の政治経済関係」政策提言研究」(ジェトロ・アジア経済研究所、2013年 3月)7頁、 http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Seisaku/pdf/1303_arai.pdf

43 スリランカ港湾管理庁ウェブ、http://www.slpa.lk/port_hambantota.asp?chk=4

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

トウェイ港と並んで、インドを封じ込めるための「真珠の首飾り」の 1つとして、インド戦略コミュニティの間で喧伝されるようになる。

2012年にインド大使館がコロンボの中心部に取得申請中の土地が、中国航空機輸出入公司に突如売却されたこと、中国とスリランカの宇宙開発分野での協力が開始されたこと、は中国の影響力拡大とインドの影響力後退を示すに十分であった 44。

2014年 9月と 11月、中国潜水艦がスリランカに寄港し、インドの懸念はピークに達した。潜水艦は、「中国商船株式会社(国際)」によって管理運営されるコロンボ南コンテナ・ターミナルに入港した 45。インド政府は、潜水艦寄港に関してスリランカに対して厳しく抗議した 46。

<モルディブ>モルディブでは、インドが 2000年代を通して体制保証者として、そして沿岸警備の提供者として排他的に影響力を保持していたが、2011年に中国の大使館が開設されて以降、中国の経済進出が進んだ。2013年に発足したアブドッラ・ヤーミン・アブドゥル・ガユーム(Abdulla Yameen Abdul Gayoom)大統領の下で、中国への傾倒が進んだ。中国の進出案件には、インドを排除する意図が明白に表れている事例がある。その 1

つがマレ空港の利権である。2010年にインドのインフラ企業GMRが締結していたマレ空港の拡張工事及び運営を含む 25年間のコンセッション契約が、2012年に突如キャンセルされ、GMRは立ち退きを言い渡された 47。そして 2014年その利権の一部が中国の建設・不動産開発企業である北京城建集団(Beijing Urban Construction Group Co.)に与えられた 48。GMRはこれを不服として、仲裁裁判所に提訴し、2016年に勝訴している 49。2012年 9月に中国はモルディブに対して 5億ドルの借款を発表しており、マレ空港のキャンセルはこの見返りだったのかもしれない 50。またモルディブは、2014年に「戦略的プロジェクト」として、①イハヴァンディフ

44 荒井悦代「スリランカとインド・中国の政治経済関係」8-10頁。 45 Abhijit Singh, “A ‘PLA-N’ for Chinese Maritime Bases in the Indian Ocean,” PacNet 7, January 26, 2015, https://www.csis.

org/analysis/pacnet-7-%E2%80%98pla-n%E2%80%99-chinese-maritime-bases-indian-ocean 46 ドーバル国家安全保障顧問(NSA)からラージャパクサ国防次官に対して、受け入れがたいと伝えている。

Times of India, November 3, 2014.47 BBC, November 28, 2012, https://www.bbc.com/news/world-asia-india-20522090 Reuters, November 28, 2012, https://www.

reuters.com/article/maldives-india-gmr/maldives-cancels-gmrs-511-million-airport-project-idINDEE8AR01Z20121128 48 Reuters, September 16, 2014, www.reuters.com/article/china-maldives/maldives-gives-airport-contract-to-chinese-firm-during-

xis-visit-idUSL3N0RG39G20140915 しかし、拡張工事のみであり空港の運営権は「セキュリティ上の理由」で中国企業に与えられていない。

49 仲裁裁定勝利のプレスリリース http://www.gmrgroup.in/pressreleasedetail-27-October-2016.aspx 2018年 10月 12日アクセス(2019年 9月 30日現在リンク切れ)。

50 Brewster, “Between Giants,” p.18; 竹内幸史「中国『真珠の首飾り』戦略と日本、インド」東京財団ユーラシア情報ネットワーク 2014年 8月 19日、http://www.tkfd.or.jp/research/eurasia/a00709

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スリランカ、モルディブにおけるインドと中国の競争

ル総合開発、②イブラヒム・ナシル国際空港(マレ)、③フルマレ フェーズ2、④港の拡張・再配置、⑤石油・ガス探査などを定め、中国の投資や資金援助によってこれらを進めようとしていた。しかし、イハヴァンディフル岩礁は、中東から東南アジアのSLOCが合流する 7度海峡に面する戦略的な拠点であり、インド人研究者は、将来的に中国海軍の支援基地化することを懸念している。モルディブ憲法は、外国人による土地所有を禁止していたが、2015年に憲法改正を行い、例外規定として人工島などを開発した場合に外国人・外国企業の土地所有を認めることとなった。これは中国の事業向けの緩和と捉えられる 51。

(3)「一帯一路」に組み込まれるスリランカとモルディブ以上に見てきたとおり、中国が 2013年に打ち出した「一帯一路」構想に、スリラン

カとモルディブは必然的に組み込まれていたのである。スリランカは 2014年 2月、海のシルクロードの最初の支持国として、中国から認定

されている。ピーリス外相の訪中に関して、外務報道官が「スリランカはシルクロード建設で中国と協働する意欲を示した」と言明したのである 52。5月には、ラージャパクサ大統領が上海で開催されたアジア信頼醸成措置会議(CICA)出席のため中国を訪問した際に、習近平との会談で「21世紀海のシルクロード構想と AIIBへの積極的な参加希望」を表明した 53。2013年のスリランカと中国の貿易は、前年より 14%増大して36億ドルに達していた 54。貿易の拡大に加え、中国からの投資はスリランカの発展のために不可欠であり、海のシルクロードを支持しない選択肢はなかったであろう。

2014年 9月、習近平国家主席は南アジア 3カ国(インド、モルディブ、スリランカ)を訪問した。スリランカにとっては 28年ぶり、モルディブにとっては初の中国国家主席による訪問であった。11月の APEC首脳会議主催に先立って、南アジア 3カ国から海のシルクロードへの賛同を取り付けることが、中国の目的であったと考えられる。習主席は、スリランカを「インド洋の真珠」と明言し、海洋における中国とスリランカとの補完性が両国を自然のパートナーたらしめると述べている 55。ラージャパクサ大統領は、スリランカを「シルクロードの真珠」として再興する「マヒンダ構想」を発表

51 土地の 70%以上が埋め立て地で、議会が承認した 10億ドル以上の投資を行うことが条件。荒井悦代「モルディブの選挙で親中派の大統領が敗れる」『IDEAスクエア』 2018年 11月 https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Eyes/2018/ISQ201820_024.html

52 Business Standard, February 13, 2014, http://www.business-standard.com/article/printer-friendly-version?article_id=114021300924_1

53 Ministry of Foreign Affairs, the People’s Republic of China, “Xi Jinping Meets with President Mahinda Rajapaksa of Sri Lanka,” May 22, 2014, http://www.fmprc.gov.cn/mfa_eng/zxxx_662805/t1159605.shtml

54 Jeff Smith,“China and Sri Lanka: Between a Dream and Nightmare,” The Diplomat, November 18, 2016.55 Ankit Panda, “China Courts Sri Lanka,” The Diplomat, September 16, 2014.

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

していたのであるが 56、習主席は、「中国の夢」とスリランカの「マヒンダ構想」が交わるところに「21世紀海のシルクロード」を位置づけ、大々的に提示するものであった 57。こうして、中国の港湾投資の意味づけが示されたところで、習主席は、中国が開発

したコロンボ南コンテナ・ターミナルを視察し、またコロンボ・ポート・シティの起工式に参加した。コロンボ・ポート・シティとは、コロンボ沖に 233ヘクタールの埋め立て地を造成してパイプラインや工場を建設し、ビジネス・センターとしてのコロンボを拡張させる計画であった。中国が 14億ドルの融資を行い、中国後湾工程(China

Communication Construction Co Ltd)が工事を請け負うとされた 58。モルディブ訪問では、習近平主席との会談においてヤーミン大統領が「21世紀の海のシルクロードの建設という提案は先見に富むものであり、モルディブ側は完全に支持し、チャンスを捉え、積極的に参加する」と述べている。具体的には、マレ―フルマレ橋梁プロジェクトや、中国人観光客の安全の保障などが議題に上った 59。2014年12月には、北京で両国の経済貿易合同委員会初会合が開催され、モルディブの海のシルクロード参加に関するMoUが署名された 60。2017年 12月、モルディブと中国は二国間 FTAを締結し、インドでは衝撃をもって受け止められた。

3.モルディブ、スリランカにおける 2018年の政治危機

(1)モルディブの政治危機2018年は、モルディブ大統領の任期(5年)の最後の年にあたっており 61、ヤーミン政権の強権に反対する野党の動きと、これを抑え込もうとする政権側の動きが交錯していた。1月、亡命中の前大統領ナシードがスリランカのコロンボで記者会見を行い、中国の土地収奪やヤーミンの汚職を批判、これに続いて野党側は最高裁判所に大統領の辞任を求める請願書を提出した 62。これを受けたモルディブ最高裁は 2月 1日、反

56 Mahinda vision, The Department of National Planning – 2010.57 Nathan Beauchamp-Mustafaga, “Xi’s Op-Ed Diplomacy: Selling the ‘China Dream’ Abroad,” China Brief, 14 (18), September

25, 2014.58 中国外交部 2014年 9月 17日 ; Daily Mail, September 16, 2014.59 「習近平主席『モルディブと未来志向の包括的友好協力パートナーシップを構築』」 人民日報日本語版 2014年 9月 16日, http://j.people.com.cn/n/2014/0916/c94474-8783216.html

60 Xinhua, December 18, 2014, http://news.xinhuanet.com/english/china/2014-12/18/c_133864475.htm 2015年 11月 5日アクセス(2019年 9月 30日現在リンク切れ)。

61 憲法の規定によれば大統領の任期は 5年であり(憲法 107条)、2期を超える再選は禁止される。また、選挙は任期が切れる 30日前から 120日前までの間に行わなければならない(憲法 110条)。

62 Sanjay Kapoor, “India's dilemma in Maldives,” World Economic Forum, May 8, 2018, https://www.weforum.org/agenda/2018/05/indias-dilemma-in-maldives/

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スリランカ、モルディブにおけるインドと中国の競争

対派の釈放を求める判断を示した 63。しかしヤーミン大統領は最高裁判断に従わず、2

月 6日に非常事態を宣言し、最高裁長官と判事、ガユーム前大統領らを拘束した 64。非常事態宣言直後から、モルディブの野党勢力の間でインドの介入を待望する意見が表明された。これに対して中国は「内政問題」であり、「国際社会はモルディブの主権を尊重」するべきとして、インドの介入をけん制した 65。インドの戦略コミュニティでは、モルディブへの介入の是非をめぐり議論が沸騰した。その議論の根底にあるのは、「民主主義支援」という原理原則的なものを、近隣諸国外交にどの程度適用するのか、というインドが独立以来直面してきた課題である。インドが近隣諸国の民主主義体制維持のために、最も積極的な介入を行ったのは 70年代から 80年代にかけてであり、冷戦後のインドは、より抑制的なアプローチを行ってきた 66。しかし、2015年ネパールの憲法制定過程において、少数民族マデシの権利の擁護を求め、国境道路の事実上の封鎖を行うなど 67、限定的ではあるが、近隣諸国の政治体制変更への影響力を保持しようとしている。今回のモルディブの非常事態宣言を受けてのインドの介入をめぐる議論は、総じて冷静かつ自省的であった。モルディブの民主主義勢力の期待に応えなければという当初のマスコミの論調は、「選択肢が限られている」という専門家の指摘を受けて、次第に抑制的なものへと変わっていく。軍事介入や制裁を含む強制外交に対する慎重論の根拠となったのは、1988年の介入時と異なる点である。第 1に、1988年の介入は正統政府からの要請であったが、今回は野党からの要請である 68。第 2に、ヤーミン政権を支持する中国の対応が予測できない 69。実際、2018年 2月末、揚陸艦を含む中国の艦隊がスンダ海峡を超えてインド洋に進入しており、インドの介入を抑止するためではないかと見られている 70。また、強制外交を成功に導くだけの国際社会の圧倒的な支持も見通せなかった。欧米諸国は、モルディブに大きな利益を有さず、イランやミャンマーに対する制裁のように一致した行動を行うことは考えられない 71。実際、EUが制裁可能性を発表したのは、7月であり、米国はモルディブ大統領選挙直前の 9月になってようやく制

63 Economist, February 2, 2018.64 The Hindu, February 7, 2018.65 PRC, Foreign Ministry Spokesperson Geng Shuang's Regular Press Conference on February 7, 2018, https://www.fmprc.gov.

cn/mfa_eng/xwfw_665399/s2510_665401/2511_665403/t1532736.shtml66 Zorawar Daulet Singh, “Call to Democracy,” The Hindu, February 8, 2018.67 アジア経済研究所『アジア動向年報 2016』534-535頁。68 Brewster, “Between Giants,” p. 23.69 Arafat Kabir, “The Maldives Crisis: Will India Intervene?” The Diplomat, February 27, 2018.70 “Asian giants China and India flex muscles over tiny Maldives,” Reuters, March 7, 2018, Collin, “China-India Rivalry at Sea,”

p. 8. 71 Kabir, “The Maldives Crisis.”

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

裁の可能性を発表した 72。専門家の議論の中では、過去の経験にも盛んに言及がなされた。確かに 1988年のモルディブへの介入はインドにとって成功体験であったが、内戦の終結どころか武装勢力 LTTEの自爆テロによりラジーブ・ガンディー首相暗殺という結果を招いたスリランカでの経験は、慎重論を大いに支えた。モルディブ政府が選挙の予定日を発表した 5日後の 6月 14日、インド外務省は「モ

ルディブの政治状況について」と題する声明を発表しているが、それがインドの最大限可能な対応であった。声明は、「モルディブが民主主義的で安定し、繁栄することが、近隣諸国やインド洋の友好国にとって関心である。選挙と政治過程の信頼性を取り戻すために、ガユーム前大統領やサイード最高裁判所長官を含む政治犯を即時に釈放し、全ての政治勢力が大統領選挙に参加する環境を整えるように、インドは改めてモルディ政府に助言する。」と述べている 73。インドの抑制的な対応にもかかわらず、モルディブ側には、インドの介入への強い

警戒が見られた。モルディブは、インドから無償供与されている軽ヘリコプター・ドゥルブ 2機(捜索救難、哨戒など多用途)の更新を拒否し、6月 30日までに引き揚げることを要請した 74。さらに、インドの固定翼機ドルニエ 228の駐機に関する合意書面(LoE)署名も拒否していることが報じられる 75。インドの研究者の中には、ドゥルブやドルニエの補修のためのインド人要員に扮してインドが介入部隊を派遣することを、モルディブが懸念したのではないかとの見方もある 76。沿岸警備能力の提供という最大の交渉カードさえ無力化され、インドには強制外交の選択肢は残されていなかったのである。国際社会が注視する中で、予定通り 9月 23日に大統領選挙が行われ、野党統一候補

のイブラヒム・モハメド・ソリ(Ibrahim Mohamed Solih)の勝利という予想外の結果となった 77。インドは野党の勝利宣言と同時に、ナレンドラ・モディ(Narendra Modi)首相からソリ候補への祝福のメッセージに加え、外務省の声明を発表した。声明では、選挙の結果を「民主主義勢力の勝利」のみならず、「民主主義的価値と法の支配へのコミットメント」として称え、モルディブとの関係構築に向けた早期の共同作業を望むとし

72 Reuter, July 16, 2018; Department of State, the US, “Need for Free and Fair Election in Maldives,” September 4, 2018, https://www.state.gov/r/pa/prs/ps/2018/09/285754.htm

73 Ministry of External Affairs, India, “Press Release on the Political Situation in the Maldives,” June 4, 2018, https://www.mea.gov.in/press-releases.htm?dtl/29977/press+release+on+the+political+situation+in+the+maldives

74 Times of India, June 5, 2018.75 Times of India, July 6, 2018.76 Manoj Joshi, “India losing its plot in the Maldives,” ORF Commentaries, June 22, 2018, https://www.orfonline.org/

research/41819-india-losing-plot-maldives/77 80%を超える高い投票率のもと、ヤミーン大統領の 9万 6,132票に対して、ソリ候補は 13万 4,616票の獲得であった。

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スリランカ、モルディブにおけるインドと中国の競争

た 78。ヤーミン大統領は選挙結果を直ちには認めなかったが、軍の支持が得られなかったこと 79、また最高裁に対する選挙結果を無効とする提訴も退けられたこと 80から、最終的には敗北を受け入れた。モルディブの選挙は、2015年のスリランカ大統領選挙との類似点が指摘される 81。すなわち、政権の中国依存と強権的手腕が批判されたこと、野党が相対的に無名な統一候補の擁立に成功したこと、選挙がおおむね公正に行われて民意が反映されたこと、などである。また、モルディブにおいて、脆弱ではあるが民主主義的価値は広範に受け入れられていることが証明された 82。モルディブが親中国路線を修正して、インドとの関係を再構築するだろうという見方で、論者の見解は一致している。しかし、スリランカとのアナロギーで言えば、モルディブが対中国債務を即座に解消することができない以上、楽観はできないという点でも論者は一致している 83。それでも、モルディブ外交が「自由で開かれた」方向に修正されつつあるのは間違いない。ソリ大統領就任後、モルディブは 2016年 10月に離脱した英連邦諸国への復帰を申請した 84。また、環インド洋地域協力連合(IORA)への加盟も、インドの後押しによって実現した 85。12月 17日、ソリ大統領が訪印し、インドの「近隣諸国第一政策」とモルディブの「インド第一政策」とが共同声明に盛り込まれた。インドは、14億ドルの支援(通貨スワップ、譲許的ローン含む)を約束している 86。

(2)スリランカの政治危機スリランカでは、2015年 1月の大統領選挙の結果、中国との関係強化を推進してきたラージャパクサ大統領が落選し、スリランカ自由党(SLFP)のマイトリーパーラ・シリセーナ(Maithripala Sirisena)が大統領に就任し、ラージャパクサと闘うために協力した統一国民党(UNP)のラニル・ウィクラマシンハ(Ranil Wickremesinghe)が首

78 Ministry of External Affairs, India, “Press Release on Presidential Elections in Maldives,” September 24, 2018, https://www.mea.gov.in/press-releases.htm?dtl/30424/Press+Release+on+Presidential+Elections+in+Maldives

79 Wire, September 27, 2018; The Diplomat, October 1, 2018.80 Asia News, October 21, 2018.81 荒井「モルディブの選挙で親中派の大統領が敗れる」82 Ahmed Zubair, Challenges to the consolidation of democracy: a case study of the Maldives, Calhourn, Dudley Knox Library,

Naval Postgraduate School, December 2013, https://calhoun.nps.edu/bitstream/handle/10945/39043/13Dec_Zubair_Ahmed.pdf?sequence=1&isAllowed=y

83 The Diplomat, October 2, 2018.84 The Commonwealth, News, “Maldives requests Commonwealth membership,” December 19, 2018, http://thecommonwealth.

org/media/news/maldives-requests-commonwealth-membership 85 Wire, November 3, 2018.86 Ministry of External Affairs, India, “Joint Statement Joint Statement on the occasion of State Visit of the President of the

Republic of Maldives to India,” December 17, 2018, https://www.mea.gov.in/bilateral-documents.htm?dtl/30765/Joint_Statement_on_the_occasion_of_State_Visit_of_the_President_of_the_Republic_of_Maldives_to_India_December_17_2018

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

相に就いた。しかし 2016年頃から、シリセーナ大統領とウィクラマシンハ首相の間で、亀裂が生じていた。対立の背景には、新憲法制定過程で、大統領の権限や、少数派タミルの権利などに関する政策の相違が顕在化したことに加え、汚職調査の政治的利用など多岐にわたる問題が存在した 87。

2018年 10月 26日、シリセーナ大統領は、ウィクレマシンハ首相を突然解任して、後任の首相にラージャパクサ前大統領を任命した。しかし、ウィクレマシンハ首相の抵抗と、国会議員、司法それぞれの動きによって、ラージャパクサの返り咲きは成らず、7週間後にウィクレマシンハが首相に再度指名される結果となった 88。ウィクレマシンハ首相解任後、スリランカの内政は以下の経過をたどった。大統領は、国会を 11月 16日まで休会とすることを宣言した。UNPが過半数を占める国会において、ラージャパクサの多数工作を助けるためである 89。しかし、11月 5日に国会議長が「ラージャパクサを首相と認めない」と発言したことから、UNP議員の離党、党籍変更は進まず、11月 9日には、ラージャパクサ側が過半数に 8議席足りないことを発表した。これを受けて大統領は同日、国会の解散と 2019年 1月 5日の総選挙実施を発表した。これに対して UNP側は最高裁判所への請願を行い、11月 13日最高裁から国会解散の一時差し止め命令を勝ち取った 90。この結果、11月 14日国会が開催され、UNP側が提出したラージャパクサ首相不信任案が賛成多数で可決された 91。2日後、再度不信任案が提出され、ラージャパクサ側議員団は、議長席を占拠したり議長に向かって紙束や水を投げつけたりして妨害を試みたが、不信任決議は可決された 92。シリセーナ大統領は、議事進行が不当であったと主張して、不信任決議を認めず、その後も二人の首相が並立したまま国会は混乱した。12月12日、ウィクラマシンハ首相の信任投票が賛成多数を得たのに続き、13日に最高裁が国会解散を違憲とする 7人の判事全員一致の最終判断を示すと、ようやく事の帰趨は決着した。15日、ラージャパクサは首相職を辞任し、翌 16日、シリセーナ大統領がウィクラマシンハを再び首相に任命する運びとなった。

51日間続いたこの政治危機(南アジアの報道では「憲法の危機」と言われる)は、スリランカをめぐるパワー・ゲームとしても注目された。政治危機の背後に中国の関与がどの程度あったのか、スリランカの内政に対する中国とインドの間の影響力争い

87 アジア経済研究所『アジア動向年報 2016』。88 荒井悦代 「スリランカ大統領が演じた『政変』の意味」『外交』53(2019年 1/2月)98-101頁。89 2015年 8月の国会選挙の結果、UNPが 106議席、SLFPを中心とする統一人民自由連合(UPFA)が 95議席を保持していた。アジア経済研究所『アジア動向年報 2016』。

90 Businessline, November 13, 2018, https://www.thehindubusinessline.com/news/world/sri-lanka-supreme-court-overturns-dissolution-of-parliament/article25486538.ece

91 Guardian, November 14, 2018によれば、賛成 122票。92 The Hindu, November 16, 2018.

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スリランカ、モルディブにおけるインドと中国の競争

が再び激化するのか、という議論が論壇を賑わせた 93。中印間の競争という観点からは、まず中国が直接関与していないとしても、シリセー

ナ大統領の行動が中国の支持を計算しての上であったことは間違いないだろう。大統領がウィクレマシンハ解任とラージャパクサ任命を発表した翌日、在スリランカ中国大使がラージャパクサの自宅を訪問して、習近平国家主席からの就任祝いを伝えた 94。また、9月末にラージャパクサがインドを訪問してモディ首相と野党コングレス党首ソニア・ガンディー(Sonia Gandhi)にも面談している 95のは自身が「反インド」ではないことを印象付けつつインド側の反応を伺っていたと考えられる 96。インドの論者ブラフマ・チェラニー(Brahma Chellaney)は、「ラージャパクサの復帰よりは、政治的混乱こそが問題である。中国はここでも内政混乱に乗じて自国の利益を増進しようとしている」と警戒を示した 97。インドは米国と足並みを揃えるかのように、2日後に声明を発表した。米国が、「我々は大統領に対して、国会議長と協議の上、国会を速やかに再開すること、スリランカ国民に民主的に選ばれた代表が政府の首班を確認する責務を果たすことを求める」と述べ、国会の再開と信任投票を求めている 98のに対して、インドはモルディブに対するよりさらに慎重な対応に終始した。インドは、「スリランカの最近の政治的展開を注視」しており、「民主主義国そして近しい近隣国として、民主主義的価値と憲法の過程が尊重されることを希望する」とだけ述べている 99。シリセーナ大統領側の動きを、民主主義に対する挑戦と捉えながらも、米国と比べてかなり抑制されたトーンである。ウィクラマシンハが首相に復帰するとインドは、「近隣国としてまた真の友人として、

スリランカの政治状況の解決を歓迎する。全ての政治勢力の成熟度、及びスリランカの民主主義と制度の強靭性が示された」と述べている 100。続けて「引き続き人間の生活に重点を置いた(people-oriented)スリランカの開発プロジェクト支援にコミットす

93 “Sri Lanka, the India Ocean, and the New Era of Great Power Competition,” The Diplomat, October 29, 2018.94 荒井「スリランカ大統領が演じた『政変』」101頁。95 N. Sathiya Moorthy, “Messages from Rajapaksa’s New Delhi Visit,” ORF Commentaries, September 25, 2018, https://www.

orfonline.org/research/44495-messages-from-rajapaksas-new-delhi-visit/ 96 同様の見方をとるものとして、Devirupa Mitra, “India’s Limited Options in Sri Lanka as Crisis Deepens in the Island

Nation,” Wire, October 29,2018, https://thewire.in/south-asia/indias-limited-options-in-sri-lanka-as-crisis-deepens-in-the-island-nation

97 “Asian Rivalrise and the Sri Lankan Constitutional Crisis,” The Diplomat, October 31, 2018.98 Department of State, US, “Recent Developments in Sri Lanka,” October 28, 2018, https://www.state.gov/r/pa/prs/

ps/2018/10/286946.htm 99 Ministry of External Affairs, India, “Official Spokesperson’s response to queries regarding recent developments in Sri Lanka,”

October 28, 2018, https://www.mea.gov.in/media-briefings.htm?dtl/30536/Official_Spokespersons_response_to_queries_regarding_recent_developments_in_Sri_Lanka

100 Ministry of External Affairs, India, “Official Spokesperson’s response to queries regarding the recent political development in Sri Lanka,” December 16, 2018, https://www.mea.gov.in/media-briefings.htm?dtl/30761/Official_Spokespersons_response_to_queries_regarding_the_recent_political_development_in_Sri_Lanka

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る。」と述べている。このように、スリランカの発展のパートナーであることを強調する一方で、政治的にはどちらの側にもつかない態度を取り続けたことが、今回のインドの対応の特徴であり、モルディブに対する対応とは大きく異なった 101。インドが慎重すぎるという意見もあるが 101、インドのオプションが限られている以上 103それはやむを得ないことであった。ウィクラマシンハ首相は、明らかにインドとの協力に積極的であったが、シリセー

ナ大統領の承認が得られなかった。例えば 2017年 4月、訪印したウィクラマシンハ首相は経済共同プロジェクトに関するMoUに署名し、その中にはコロンボ港東ターミナル開発を両国のジョイント・ベンチャーで行う計画が含まれていた。しかし、8月にシリセーナ大統領は、労働組合の反対を口実として、官民パートナーシップを実施しないと発表した 104。ウィクラマシンハ首相は、その後もコロンボ港の共同開発を閣議に提案することを試みたが、大統領が内閣のトップを務めるスリランカの制度(憲法43条)の下で、首相の権限には限界があった。また、シリセーナは、ウィクラマシンハ首相が「国の貴重な資産を外国人に与えようとしている」と批判していた。スリランカ自身の国内対立に対して、中立性を維持することが今回のインドの最大の目的であったと見られる。スリランカの各勢力も、インドと完全に敵対しているわけではなく、むしろインドの支持を取り付けようとしていた。ラージャパクサの訪問については、前に述べたが、シリセーナ大統領が「インドの RAWが自分の暗殺を計画している」と述べたのも、インドに向けられたものというよりは、暗殺計画の捜査を行わないウィクラマシンハ首相に向けられ、それが首相解任の主要な理由とされたのである 105。つまり、一見インドに向けられた批判は、国内政治、特に選挙政治で消費されるために作り出されたものなのである。こうしたスリランカの内政事情に鑑み、いずれの勢力ともパイプを維持して、スリランカの開発プロジェクトに一貫してコミットする姿勢を見せるというのが新たなインドの対スリランカ政策の手法となっている。

101 N. Sathiya Moorthy, “Sri Lanka: What Does Post-crisis Situation Mean for India?” ORF Raisina Debates, December 17, 2018, https://www.orfonline.org/expert-speak/sri-lanka-what-does-post-crisis-situation-mean-for-india-46310/

102 The Diplomat, October 31, 2018.103 Mitra, “India’s Limited Options in Sri Lanka.” 104 Mitra, “India’s Limited Options in Sri Lanka.”105 The Diplomat, October 31, 2018; Mitra, “India’s Limited Options in Sri Lanka.”

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スリランカ、モルディブにおけるインドと中国の競争

おわりに

インド洋における中国とインドの競争は回避できない。国家の経済発展、とりわけエネルギー安全保障のための港湾利用や輸送路確保であるにもかかわらず、インド洋地域における拠点確保がゼロサム的に捉えられる背景には、インドの「勢力圏」認識、インド近海における中国の海洋活動が存在する。領土をめぐる対立が海洋を場とした対立へと拡大しているのである。インドは中国の「マラッカ・ディレンマ」を理解しつつも、それがインド近隣諸国における中国の拠点確保を正当化しないと考えている。一方中国は、インドがインド近隣諸国における中国の行動を、経済活動であると主張し、勢力圏の侵害とみなすことに対して鈍感である。スリランカのラージャパクサ政権やモルディブのヤーミン政権下の中国の影響力拡大は、インドにとって憂慮すべきことであった。しかし、スリランカやモルディブの視点から見ていくと、国際社会から支援を得られないために中国に支援を求めたり(ラージャパクサの場合)、国内の反対勢力に対抗するために中国の支援を求めたり(ヤーミン政権)しているのであり、現地指導者の主体的選択という側面もある。中国への過度の依存も、それだけで非難されるものではなく、それが国内の民主主義抑制に利用されている、あるいは国の経済に損害を与えている、というように了解された時点で、国民からの批判に曝されるということが、2018年のスリランカ、モルディブの政治危機が与える教訓である。インドは、モルディブに対しては過去の介入の成功の経験から、民主主義勢力支援

にやや積極的であり、スリランカに対しては過去の介入の失敗の経験から、どちらかというと内政に関わらないスタンスを取り、国内諸勢力と等距離を維持しようとしている。その一方で、2018年のスリランカとモルディブの政治危機への対応をめぐって、自らが抱える制約を直視して、より長期的な対応を考えるべきという意見も出てきている 106。つまり、中国の行動に対応するだけではなく、自らがスリランカ、モルディブを含むインド洋地域において、どのような責任を引き受け、どのような役割を果たしていくのか、を真摯に考えるべきであるという見解である。米国のような域外国は、今回のような政治危機が生じた時、あるいは中国の潜水艦寄港のような事象が生じた時にのみ、一時的に関心を持つが、長期的に関与しようとはしないであろうという、歴史的視野に基づく見解である。そうであれば、地理的にも民族的にも近く、歴史的

106 N. Sathiya Moorthy, “South Asia: Is ‘Regime-change’ an End in Itself?” ORF Raisina Debates, November 12, 2018, https://www.orfonline.org/expert-speak/south-asia-is-regime-change-an-end-in-itself-45448/

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に接触が繰り返されてきたインドが責任を持つのは当然であると見るのである。インドの対近隣諸国政策、あるいは近隣諸国における中国とインドの競争を理解するには、単純に「親中国」「親インド」というようなラベルで現地の政治勢力を理解するのではなく、国内政治のニュアンスを理解することが重要であろう。

(いずやままり 政策研究部グローバル安全保障研究室長)

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「一帯一路」と「自由で開かれたインド太平洋」の間で――地域秩序をめぐる競争と ASEANの対応――

庄司 智孝

<要旨>

本稿は、中国が主導する「一帯一路」構想と、日米が推進する「自由で開かれたインド太平洋」のビジョンに関する、ASEANの対応を比較考察した。ASEANは域内の連結性を強化する目的から、「一帯一路」構想を積極的に受け入れ、域内諸国では中国の支援を受けた様々なインフラプロジェクトが進行している。「債務爆弾」に対する懸念の高まりを背景に、マレーシアやミャンマーはいくつかのプロジェクトに関して中国と再交渉し、中国も見直しに柔軟な姿勢を示した。現在、ASEANにおける「一帯一路」の展開は、再び軌道に乗った感がある。一方「自由で開かれたインド太平洋」について ASEANは、特に米国の中国との対決姿勢に強い懸念を示している。ASEANは独自の「インド太平洋」概念を提示し、米国のイニシアチブを間接的に否定した。総じて、ASEANは「一帯一路」構想により具体的な将来性を見出しており、中国が地域秩序を担う新たな時代の到来を予期している。

はじめに

現在、アジアのみならずグローバルな舞台において、米中の覇権争いが展開中である。軍事や経済にまたがって多岐にわたる争いの中で、最も国際社会の耳目を集めているのが貿易戦争であり、また 5Gなど IT覇権をめぐる争いであるが、より抽象的かつ広義の地域秩序をめぐる競争も激化している。中国は近年、「一帯一路」構想を強力に推進している。この構想は、中国から中央アジアを経て欧州に至る「シルクロード経済ベルト」と、中国から東南アジアの海域、インド洋を経て地中海に至る「21世紀の海上シルクロード」を整備することにより、一帯の発展を目指す広域経済協力構想である。同構想に基づき中国は、主として政府系金融機関による融資を通じ、地域各国のインフラ開発を強力に支援している。これに対し日本や米国は、「自由で開かれたインド太

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平洋」を提唱している。このビジョンは、アジアとアフリカをインド洋と太平洋で連結する観点から、自由貿易とインフラ整備を通じて一帯の経済発展を図る。またこの考えは、法の支配に基づく地域秩序や海洋における航行の自由を維持するため、地域諸国間の安全保障協力の推進を掲げる。「自由で開かれたインド太平洋」に関する日米の認識は必ずしも同一ではないが、法の支配や航行の自由の重視、地域の開発への関与といった基本的な考えは共有されている。競合する「一帯一路」と「自由で開かれたインド太平洋」という 2つの地域秩序構

想の双方において、地理的にも戦略的にも中心的な位置を占めるのが東南アジアである。東南アジアは、太平洋とインド洋の結節点であり、かつ南シナ海やマラッカ海峡など国際的に主要な海上交通路を擁する、地政学上重要な地域である。中国にとっての東南アジアは、同国と中東やアフリカ、果ては欧州までをつなぐ海上交通路の要衝であるのみならず、特に大陸部東南アジアは、中国南部に隣接する観点から、同国の安全保障上重要な意味を持つ。また「自由で開かれたインド太平洋」のビジョンにおいて、日米はいずれも東南アジア諸国連合(ASEAN)の重要性を指摘しているが、これは、地政学上の重要性と同時に、力強く経済発展を続ける ASEAN諸国との協力が、ビジョンの実現にとって不可欠であるとの認識に基づいている。米中両大国はこうして、今後の地域秩序をめぐる覇権争いを演じているが、2つの地

域秩序構想のせめぎ合いの中で、ASEANはどのように対応し、インド太平洋地域でいかなる位置を占めようとしているのか。このような問題意識に基づき本稿は、「一帯一路」構想と「自由で開かれたインド太平洋」のビジョンに関する ASEANの認識と対応を比較考察する。考察にあたっては、ASEANの対外政策にみられる大きな特徴の 1

つである「均衡」を軸に論じる。ASEANはこれまで、経済と安全保障の間の均衡を図り、自らの経済発展に資する目的で中国との経済協力を進めると同時に、南シナ海問題など中国をめぐる地域の安全保障課題に関しても、ASEAN諸国の戦略利益を守ることに努めてきた。一方、米中 2大国の間で ASEANは、どちらか一方を選択することを避け、対米関係と対中関係の均衡を求めた。特に、中国の軍事的台頭の観点からは、米国の安全保障面での関与を保ちつつ、中国を牽制する方法を追求してきた 1。本稿は、こうした分野や相手国に関する均衡の観点から、並び立つ 2つの地域秩序構想に対する ASEANの対応を探る。

1 防衛研究所編『中国安全保障レポート 2019 アジアの秩序をめぐる戦略とその波紋』23頁。

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「一帯一路」と「自由で開かれたインド太平洋」の間で

1.「一帯一路」構想と ASEAN ――「ASEAN連結性」強化をめざして

中国の「一帯一路」構想に関する ASEANの認識を探るにあたって、まず「ASEAN

連結性」の概念を検討する。「ASEAN連結性」(ASEAN Connectivity)は、2015年末に発足した ASEAN共同体(ASEAN Community)構築の一環であり、より強靭で(resilient)うまくつながった(well-connected)ASEANになることを目指す。ASEAN連結性は、物理的(physical)、制度的(institutional)、「人と人との」(people-to-people)つながりからなり、ASEAN共同体の経済、政治安全保障、社会文化の支柱(pillars)の基礎となる 2。連結性強化の考えはこのように、2003年から ASEANが追求してきた共同体構築の事業と不可分であり、ASEAN共同体の発足後も、加盟国間のより緊密な協力を可能にするための継続的な取り組みとなっている。

ASEANは 2009年 10月、タイのフアヒンで行われた首脳会議において「ASEAN連結性に関する首脳声明」を発表し、連結性構想を初めて公式かつ包括的に表明した。同声明は、連結性の概念を提示しつつ、同概念に基づきソフト・ハード両面において様々な事業を進めるにあたっての基本方針を明らかにした。声明はまず、インド太平洋の中心に位置するという東南アジアの地政学的重要性に留意しつつ、連結性強化に資する方策として東南アジア域内を物理的につなぐ道路、鉄道、海空路といった輸送インフラの整備と各種輸送手段のネットワーク化の必要性を指摘した。その目的はまず、輸送インフラを整備することによって域内の貿易、投資、観光の開発を促し、特に“CLMV”と呼ばれるカンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナムの ASEAN後発加盟

4か国の経済発展に寄与することである。これら 4か国と発足時加盟の 5か国(ブルネイを加えると 6か国)間にある経済格差、いわゆる「ASEANディバイド」を解消することが、ここでは連結性強化の主目的となっている 3。すなわち連結性強化の取り組みは、ASEAN共同体の 3つの支柱の 1つである ASEAN経済共同体(ASEAN Economic

Community, AEC)構築の一環として位置づけられた。首脳声明は、連結性強化がもたらす経済開発面での便益のほか、物理的その他のつ

ながりが、地域統合の促進や地域の一体感を醸成することへの期待感も示した。声明は、域内における人々の交流の促進にも触れ、人と人との接触の増加が ASEAN共同体の建設に資すると述べた 4。こうした議論は、連結性強化が ASEAN共同体の 3つの支柱のうち ASEAN社会文化共同体(ASEAN Socio-Cultural Community, ASCC)構築も促す

2 ASEAN, “Master Plan on ASEAN Connectivity 2025,” August 2016, pp. 3, 8.3 ASEAN, “ASEAN Leaders’ Statement on ASEAN Connectivity,” Cha-am Hua Hin, Thailand, October 24, 2009.4 Ibid.

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という考えに基づいていた。「ASEAN連結性に関する首脳声明」はほかに、連結性強化と対外関係との関連で、中国を含むASEAN対話国や国際援助機関からの支援を積極的に追求する考えを明らかにした。域外からの支援は特にインフラ整備を強調しており、そこでは技術支援もさることながら、とりわけ財政支援を強く期待する文言となっていた。ただ、支援を強く期待するアクターとして声明に明示されていたのは、アジア開発銀行(ADB)、国連アジア太平洋経済社会委員会(UNESCAP)、ASEAN東アジア経済研究所(ERIA)であった 5。ADBや ERIAを名指ししていることは、それらの機関を主として担う日本の役割を特に重視し、期待する姿勢を示したといってよい。換言すれば、2009年当時、中国に対する期待は相対的にそれほど大きなものではなかった。

2009年のフアヒン声明に基づき、翌 2010年にハノイで行われた ASEAN首脳会議は「ASEAN連結性に関するマスタープラン」(ハノイ・マスタープラン)を発表した。同マスタープランは、インフラ整備(物理的連結性)、効率的な制度・メカニズム・手続き(制度的連結性)、人的交流の促進(人と人との連結性)という、2015年の共同体発足までに ASEANが達成すべき連結性強化の 3つの方向性を提示した 6。そのうち第 1の物理的連結性は輸送、情報通信技術(ICT)、エネルギーの 3分野から構成された 7。マスタープランは、上記 3分野のうち、輸送分野において特に推進すべき事業とし

て ASEAN高速道路ネットワーク(AHN)とシンガポール―昆明鉄道(SKRL)をあげた。いずれの事業についても広域にわたる「欠落したつながり」(missing link)が問題であり、例えば AHNにおいてはミャンマーの 230kmにおよぶ未開通部分や ASEAN各国総計5,300kmもの未整備道路を早急に開発することが課題であった。またSKRLに関して、特に大陸部の低開発国を中心に 4,100kmにおよぶ未開通部分があり、対話国や国際機関からの技術的・財政的支援を確保することが重要であるとの考えを示した。さらに港湾についても、ASEANはインドネシア、マレーシア、フィリピンといった地域の海洋国家を中心に 47の港湾を「汎 ASEAN輸送ネットワーク」における主要港に指定し、これらを重点的に整備する必要性を強調した 8。マスタープランはこうして、輸送を中心とし、情報通信技術とエネルギーの分野を

含めた「物理的連結性強化のための主要戦略」として、① AHNの完了、② SKRLの完了、③内陸部水路ネットワークの確立、④海洋輸送システムの確立、⑤ ASEANが東アジ

5 Ibid.6 ASEAN, “Mater Plan on ASEAN Connectivity,” Hanoi, October 28, 2010, p. i.7 Ibid., p. 2.8 Ibid., pp. 11-13.

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「一帯一路」と「自由で開かれたインド太平洋」の間で

アのハブとなるための、統合され、シームレスかつ多様な輸送システムの確立、⑥各国における情報インフラの整備、⑦エネルギーインフラプロジェクト実施にあたっての制度的問題の解決、の 7つの優先課題を指定した 9。総じて「ハノイ・マスタープラン」において ASEANは、道路、鉄道、港湾の整備を重視し、そのための技術的・財政的支援を対話国から強く期待していたといえる。

ASEANは、2015年末に ASEAN共同体の設立を宣言した。共同体設立に先立つ同年11月、ASEAN首脳会議がクアラルンプールで開催され、加盟各国は設立後も共同体建設の取り組みを継続することで合意した。その際 ASEANは、2025年までの基本方針として「ASEAN共同体ビジョン 2025」を発表し、その中で特に経済共同体構築との関連で、連結性強化に引き続き取り組むことを言明した 10。ビジョンの基本方針を受け 2016年 8月、「ハノイ・マスタープラン」の改訂版として、連結性強化の今までの取り組みを総括するとともに今後の事業計画を策定した「ASEAN連結性に関するマスタープラン 2025」(新マスタープラン)が発表された。新たなマスタープランは、「ハノイ・マスタープラン」が提示した物理的・制度的・人と人との、という連結性の 3概念を維持しつつ、①持続性あるインフラ、②デジタル革新、③シームレスなロジスティクス、④規則の汎地域的な普及、⑤人的移動の活発化、という 5つの戦略領域を設定した 11。「持続性あるインフラ」の整備が冒頭に掲げられたことにより、道路、鉄道、港湾等物理的インフラの整備が最も優先順位の高い課題であることを新マスタープランは改めて示したといえよう。また具体的な事業計画の一環として同プランは、ASEAN加盟各国のインフラ需要に対応するためには毎年 1,100

億ドル以上の投資が域内で行われることが必要との試算を明記するとともに、そうした巨額の資金を調達するにあたり、域外国政府からの支援を含め、多様な手段を探る必要性を強調した 12。

9 Ibid., p. 38.10 ASEAN, “ASEAN Community Vision 2025,” Kuala Lumpur, November 21, 2015.11 ASEAN, “Master Plan on ASEAN Connectivity 2025,” pp. 9-10.12 Ibid., pp. 24, 43.

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2.「一帯一路」構想と ASEAN連結性の「連結」 ――連結性強化の文脈での積極的受容

前節で述べた通り、ASEANが推進する連結性の強化は、物理的インフラ整備を最優先課題として掲げていた。同時に、インフラ整備には巨額の資金が必要であり、その資金調達には域外国からの積極的な支援を前提としていた。この意味で、中国からの資金提供を含む支援によって各国・各地域のインフラ整備を推進する「一帯一路」構想は、ASEANにとって、連結性と「連結」する性質を本質的に有していたといえよう。このため ASEANは「一帯一路」が提唱された際、直ちにそれを歓迎し、積極的に受容する態度をとった。

ASEANは実際、「一帯一路」構想が中国によって正式に提起される前から、地域のインフラ整備に対する中国からの支援を期待していた。2009年 10月、ASEANが初めて連結性を定式化したフアヒン・サミットと同時期に開催された中 ASEAN首脳会議の議長声明は、中国からの協力(への期待)について「ASEAN首脳は、インフラ開発を促進する中国のイニシアチブを強く歓迎する」と述べ、投資協力に関する中 ASEAN

基金 100億ドルをはじめとする中国の対 ASEAN融資に言及した。また同声明は、メコン流域開発、特にミャンマーとカンボジアにおける高速道路建設と、シンガポール―昆明間の複線鉄道建設への中国の支援に強い期待を表明した 13。

2015年に中国が「一帯一路」構想を打ち上げた後、ASEANの基本姿勢はこれに積極的に参加することであった。2016年 9月にラオスの首都ビエンチャンで行われた中ASEAN首脳会議共同声明は次のように述べている。

我々は相互に利益をもたらす連結性の分野で協力を強化し続ける。特に「ASEAN連結性に関するマスタープラン 2025」にある能力構築と資源動員を通じ、同マスタープランと中国の「一帯一路」構想に明示された共通の優先課題を複合的に取り扱うことによって、両者間の連結性を改善する方策を探る。また国際金融機関の積極的な関与を促進する 14。

また同議長声明には次のようにある。

13 ASEAN, “Chairman’s Statement of the 12th ASEAN-China Summit,” Cha-am Hua Hin, Thailand, October 24, 2009.14 ASEAN, “Joint Statement of the 19th ASEAN-China Summit to Commemorate the25th Anniversary of ASEAN-China

Dialogue Relations: Towards a Closer ASEAN-China Strategic Partnership,” Vientiane, Lao PDR, September 7, 2016.

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「一帯一路」と「自由で開かれたインド太平洋」の間で

ASEAN首脳は、「ASEAN連結性に関するマスタープラン 2025」実施への支援を通じ、ASEANと地域内の連結性強化を継続的に支援する中国に謝意を表する。我々はASEANと地域の連結性強化を推進するにあたり、アジアインフラ投資銀行(AIIB)の積極的な関与と貢献を期待する。我々は ASEANと中国の連結性を強化する協力を探ると同時に、既存のメカニズムや投じられた資源を最大限に活用することを固く決意している 15。

こうして ASEANは、連結性と中国の「一帯一路」を明確に結びつけ、中国のイニシアチブの中で自らの事業計画を実現していく意向を明らかにした。中国のイニシアチブを受け入れる ASEANの姿勢は、アジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加にも表れていた。ASEANのすべての加盟国は、2015年末に中国主導で設立された AIIBに当初から参加し、その中には、当時南シナ海をめぐり中国と鋭く対立していたアキノ政権下のフィリピンも含まれていた。ASEANの姿勢は、中国の資金力が持つ抗いがたい魅力を示すものであった。

表1 ASEAN諸国のAIIB出資額と出資割合国名 出資額(億ドル) 出資割合(%)ブルネイ 0.52 0.054カンボジア 0.62 0.064インドネシア 33.6 3.48ラオス 0.43 0.045マレーシア 1.1 0.11ミャンマー 2.65 0.27フィリピン 9.8 1.01シンガポール 2.5 0.26タイ 14.3 1.48ベトナム 6.63 0.69中国 297.8 30.8

(出所)AIIBホームページ

ASEAN連結性と「一帯一路」構想の「連結」を背景に、ASEAN各国首脳は、2国間レベルで中国からの支援を積極的に受け入れる姿勢を示した。特に積極的であったのが、ナジブ・ラザク(Najib Razak)政権のマレーシアとフン・セン(Hun Sen)政権のカンボジアである。マレーシアのナジブ・ラザク首相は、2017年 5月に北京で行わ

15 ASEAN, “Chairman’s Statement of the 19th ASEAN-China Summit to Commemorate the25th Anniversary of ASEAN-China Dialogue Relations: Turning Vision into Reality for a Dynamic ASEAN Community,” Vientiane, Lao PDR, September 7, 2016.

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れた「一帯一路」国際協力ハイレベルフォーラム参加時のインタビューで、中国の強調する「ウィン―ウィン協力」に賛意を示しつつ、中国・ラオス間の鉄道、インドネシアとタイの高速鉄道、そしてマレーシア東海岸鉄道(ECRL)といった「一帯一路」関連の鉄道建設プロジェクトを列挙し、これらを「流れを一気に変える(game-changing)インフラプロジェクト」として中国の支援を称賛した。特にECRLについては「ECRLは、マレーシアの低開発地域である東海岸の連結性と経済成長を促し、アフリカ、中東とアジアの物資の運搬に資する、コストと時間の両面において効率的な陸橋として機能するだろう」と述べ、強い期待を示した 16。ナジブ首相の発言は、ASEANにおいて「一帯一路」を強く支持する意見を代弁するものであった。カンボジア、ラオス、ミャンマーといった大陸部東南アジア諸国首脳も、「一帯一路」

構想への支持を次々と表明した。カンボジアのフン・セン首相は、同フォーラム出席前の記者会見で、中国が提唱する「一帯一路」構想はインフラ開発で途上国に希望を与えると述べる一方、ラオスのブンニャン・ヴォーラチット(Bounnhang Vorachith)国家主席は同フォーラムにおける演説で、「ラオス人民共和国は『一帯一路』構想の重要性を高く評価し、同戦略を支持する」と述べ、両国は中国のイニシアチブに対する支持を表明した 17。さらにミャンマーのアウン・サン・スー・チー(Aung San Suu Kyi)国家最高顧問も同フォーラムで習近平国家主席と会談し、「『一帯一路』構想は地域と世界に平和、和解、繁栄をもたらすであろう」と称賛した 18。

表2 第1回「一帯一路」国際協力ハイレベルフォーラム (2017年5月14-15日、北京)へのASEAN諸国首脳出席者一覧

カンボジア フン・セン首相インドネシア ジョコ・ウィドド大統領ラオス ブンニャン・ヴォーラチット国家主席マレーシア ナジブ・ラザク首相ミャンマー アウン・サン・スー・チー国家最高顧問フィリピン ロドリゴ・ドゥテルテ大統領シンガポール ローレンス・ウォン国家開発相タイ ドーン・ポラマットウィナイ外相他閣僚 4名ベトナム チャン・ダイ・クアン国家主席

(出所) “Belt and Road Attendees List,” The Diplomat, May 12, 2017.

16 South China Morning Post, May 12, 2017.17 CCTV.com, May 12, 2017, Ministry of Foreign Affairs of Lao PDR, “Statement by H.E. BounNhang VORACHITH, President

of the Lao People’s Democratic Republic at the Leaders Roundtable of the Belt and Road Forum,” May 15, 2017.18 Ministry of Foreign Affairs of the People’s Republic of China, “Xi Jinping Meets with State Counselor Aung San Suu Kyi of

Myanmar,” May 16, 2017.

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「一帯一路」と「自由で開かれたインド太平洋」の間で

ASEANにおける「一帯一路」の展開には、次の 3点の特徴がある。第 1に、地域にまたがって鉄道建設や港湾開発といった大型プロジェクトが多数、同時進行している点である。鉄道建設の例としては、前述の通り中国雲南省昆明とラオスの首都ビエンチャンを結ぶ高速鉄道、タイの首都バンコクと東北部の都市ナコンラチャシマを結ぶ高速鉄道があり、これらは現在計画段階にあるラオスとタイを結ぶ路線や、マレーシアとシンガポールを結ぶ高速鉄道と共に、ゆくゆくは中国南部からシンガポールまで縦貫する一大鉄道路線となる壮大な計画である。また各国内の鉄道プロジェクトとしては、マレーシアの ECRL、カンボジアのプノンペン―シアヌークビル間の高速鉄道、インドネシアのジャカルタ―バンドン間の高速鉄道がある。港湾開発の例としては、カンボジアのコーコンやシアヌークビル、ミャンマーのチャウピュー、マレーシアのクアンタンやマラッカがある。このように「一帯一路」関連プロジェクトの実施状況は、ASEAN連結性が鉄道や港湾のインフラ開発を重視する方針と合致している。「一帯一路」構想と ASEAN連結性の「連結」は、ASEANと中国の協力関係を一層緊密化する機会となった。第 2に、プロジェクトの多様性と複合性である。上記大型プロジェクトのほか、一

般道路や発電所の建設といった比較的小規模なインフラも多数、各国で計画され、その一部は建設中である。また鉄道建設や港湾開発とセットでの経済特区の開発、カジノ、ホテル、住宅の一体的なリゾート開発、スマートシティ計画など、複合的な総合開発プロジェクトも多数進行中である。第 3の特徴として、「一帯一路」構想の東南アジアにおける展開の偏在性がある。「一

帯一路」関連プロジェクトは、ASEAN 10カ国でまんべんなく行われたわけではなく、マレーシア、カンボジア、ラオス、ミャンマーといった特定の国々に集中していた。こうした偏在ぶりは、中国が大陸部東南アジア諸国との協力を重視する傾向を示す一方、例えばマレーシアのナジブ・ラザク首相や、カンボジアのフン・セン首相といった、特定の国々の為政者と中国との良好な関係を反映するものでもあった。ただ、インドネシアやフィリピンといった海洋部諸国も「一帯一路」構想に無関心

であったわけではない。これらの国々も、協力を積極的に進める国々同様、中国からの支援に大きな関心を寄せていた。そうした姿勢は、第 1回「一帯一路」国際協力ハイレベルフォーラムに、ジョコ・ウィドド(Joko Widodo)大統領やロドリゴ・ドゥテルテ(Rodrigo Duterte)大統領といった各国の最高指導者が出席したことにも表れていた。先進国シンガポールは、自国のインフラ開発に中国からの支援を特段必要とはしていないが、「一帯一路」構想に莫大なビジネスチャンスを見出していた。実際、中国は国際的な金融センターであるシンガポールを大いに活用していた。シンガポールの国

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

際政治学者アラン・チョン(Alan Chong)によると、中国の対外投資の 3分の 1はシンガポールを経由しており、特に ASEANにおける「一帯一路」関連の融資の 3分の 2は、シンガポールにある金融機関が関与していた 19。中国は、シンガポールを通じて「一帯一路」の融資を実施することにより、融資の国際的な信用度を高め、「一帯一路」構想自体の信頼度も高める効果を期待した。ベトナムは、ASEANの他の国々同様、「一帯一路」を支持し、構想への参加を表明

している。ただ、他の国々と異なりベトナムは、中国の財政支援を受けて大規模なインフラ開発プロジェクトを具体的に実施することには、きわめて慎重な姿勢を貫いている。南シナ海における中国との緊張が続く中、特に 2014年のオイルリグ事案によってベトナムの中国に対する政治的信頼が著しく低下して以後、ベトナムは中国に対する経済的依存が深まることに一層警戒的となった。そのためベトナムは、自国のインフラ整備支援に対する他国からの支援に関し、中国への依存度が高まることがないよう、日本をはじめとする他の選択肢を重視している。ここには、特に南シナ海においてベトナムの戦略利益を損ねることがないよう、中国に対する政治的・外交的レバレッジを確保しようとするねらいがある 20。

表3 「一帯一路」関連大規模インフラプロジェクトの例

カンボジアコーコン港開発シアヌークビル港周辺開発プノンペン―シアヌークビル高速道路

インドネシア ジャカルタ―バンドン高速鉄道ラオス ビエンチャン―ボーテン高速鉄道

マレーシア東海岸鉄道(クランタン―クアンタン―クラン)クアンタン港開発マラッカ・ゲートウェイ

ミャンマー チャウピュー港開発

(出所)各種資料より筆者作成。

19 Alan Chong, “Singapore Engages China’s Belt and Road Initiative: The Pitfalls and Promises of Soft Strategies,” presentation paper for NIDS ASEAN Workshop, February 27, 2019, pp. 10-11.

20 Le Hong Hiep, “The Belt and Road Initiative in Vietnam: Challenges and Prospects,” Perspective (ISEAS Yusof Ishak Institute, Singapore) March 29, 2018, pp. 3-4.

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「一帯一路」と「自由で開かれたインド太平洋」の間で

図1 ASEANにおける「一帯一路」構想の展開

3.「一帯一路」の戦略的含意 ――中国海軍基地建設疑惑

「一帯一路」構想については、インフラ開発を中心とする経済協力に加え、中国の「隠れた意図」が取り沙汰されてきた。その意図とは、中国がインフラ開発支援の名目で各国の港湾を整備し、その一部について排他的な使用権を獲得し、そうした港湾が将来的には人民解放軍の海軍基地となり、中国海軍の世界展開の一助となる、という疑惑である。疑惑の代表例は、パキスタンのグワダルであり、同様にスリランカのハンバントタや南太平洋のバヌアツにも疑惑の目が向けられた。南アジアや太平洋島嶼国については、米国の関係者をはじめ、インドや豪州の専門家も、「一帯一路」における中国の隠れた意図を強く疑ってきた。東南アジアにおいても、米国は中国の動向、特に南シナ海における島嶼の軍事化を

はじめとする軍事プレゼンスの増大と、「一帯一路」構想に代表される経済的影響力の拡大が結びつき、中国の包括的な影響力が地域で支配的となり、米国が主導してきた地域秩序を脅かしかねないとの強い懸念を抱いてきた。こうした懸念を背景に、カンボジアのコーコンが「疑惑」の対象として浮上した。コーコン州では「一帯一路」関連プロジェクトとして大規模な深水港の建設が計画されており、これが中国海軍の基

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地に転用されるのではないかとの懸念が持ち上がった。2018年 11月 15日付の『アジア・タイムズ』は、ASEAN関連会合とアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議に参加するためシンガポールとパプアニューギニアを訪問するマイク・ペンス(Mike Pence)米副大統領が、いずれかの会合でこの問題を提起する可能性がある、と報じた 21。実際は、会議の場での問題提起はなかったようであるが、ASEAN関連会合出席後のシンガポールからの帰途において、カンボジアのフン・セン首相はペンス副大統領からの手紙を受け取り、そこには疑惑に対する米国の懸念が表明されていたという 22。米国の懸念に対しフン・セン首相は、憲法上の規定もあり、カンボジアに外国軍の

基地を置くことはないと述べ、疑惑を完全否定した 23。またカンボジア政府関係者は疑惑を、米国がカンボジアを牽制するために仕掛けた「心理戦」であり、事実無根であると断じた 24。カンボジア現地でも、コーコンに中国が海軍基地を置くのではないかとの噂はあるが、真相は明らかではない。カンボジア、そして中国側が繰り返し否定しているにもかかわらず、米国の疑念は

全く払しょくされていない。米国はコーコンに加え、今度は、カンボジアのシアヌークビルにあるリアム海軍基地にも疑惑の目を向けるようになった。『ウォール・ストリート・ジャーナル』の報道によると、カンボジアは中国との間で、同国に対してリアム海軍基地を 30年間貸し出す秘密協定を締結したという 25。米国防総省のジョゼフ・フェルター(Joseph Felter)国防次官補(南アジア・東南アジア担当)はカンボジアのテ・バイン(Tea Banh)国防相に対し、手紙で米国の懸念を伝達したが、テ・バイン国防相は疑惑を否定した 26。このように「中国海軍基地建設疑惑」が浮上する条件を、他のケースとの比較で抽

出すると、①「一帯一路」構想の一環として、中国の支援を受けて港湾開発が行われている、②開発の行われている国と中国との 2国間関係が、当該国家の政治首脳と中国政治指導部との個人的関係を含め、極めて良好である(逆に米国との関係はあまり良好ではない)、③融資や開発規模が経済合理性に照らし合わせて過大である、④中国、特に想定される中国海軍の将来的な世界展開にとって、戦略的に重要な地点である、といった点があげられよう。上記の 4つの条件を念頭に、改めてカンボジア基地疑惑を検討してみると、①と②

21 Asia Times, November 15, 2018.22 ANN Asia News Network, December 11, 2018.23 Khmer Times, November 20, 2018.24 The Phnom Penh Post, November 26, 2018.25 The Wall Street Journal, July 22, 2019.26 Nikkei Asian Review, July 1, 2019.

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「一帯一路」と「自由で開かれたインド太平洋」の間で

の条件は適合する。③については、2017年までに中国の対カンボジア直接投資は約 130

億ドルに達し、その相当部分はコーコンとシアヌークビルの開発に向けられている。近接する 2つの地域で同時に大規模開発を行うことは、経済合理性の点から疑問なしとはいえない。問題は④であろう。コーコ

ンのダラ・サコール港は大規模な港湾として開発され、中国海軍艦艇が寄港し、兵站支援を受けるのに十分な設備を備えうると考えられている。確かに、カンボジアの海岸は南シナ海に近接しており、中国による南シナ海のコントロール強化、という戦略目的が浮かび上がる。しかし、コーコンやリアムは南シナ海に近接しているものの、面してはいない。中国が南シナ海における島嶼の軍事化を進め、同海域のコントロールを強化しようとしている折、カンボジアに新たに海軍基地を持つことが戦略的に必要かどうかは、検討の余地がある。またコーコンやリアムは、中国のいわゆる「マラッカ・ジレンマ」を解決する位置

にもない。もし、中国の支援によってタイの半島部を横断する運河が開発された暁には、「マラッカ・ジレンマ」は解消し、中国海軍がカンボジアに拠点を持つことの戦略的意味が飛躍的に高まるという議論がある 27。しかし現時点では、莫大なコストが想定される運河開発が現実味を帯びる可能性は低いと考えられている。総じて、中国が戦略的な選択肢の 1つとしてカンボジアに恒久的な基地を持つことは意味を持ちうるが、戦略的に必須の地とは言い難く、基地の維持管理に莫大なコストがかかり(カンボジアにコストを負担する財政能力はない)、他関係国(特に米国やベトナム)の激しい反発を招く選択肢でもある。また基地ができることにより、カンボジアと米国やベトナム、そしてタイとの関係も悪化する可能性がある 28。中長期的

27 Devin Thorne and Ben Spevack, “Harbored Ambitions: How China’s Port Investments Are Strategically Reshaping the Indo-Pacifi c,” C4ADS, 2017, p. 61.

28 South China Morning Post, January 13, 2019.

図2 コーコンとシアヌークビル

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な中国(海軍)の展開に注意する必要はあるものの、現状ではカンボジアにおける中国海軍基地建設の可能性は必ずしも高くはなく、例えば開発された港湾は軍民両用として活用され、中国海軍艦艇の寄港がより頻繁になる、という可能性は考えられよう。ただ近年の米中対立の激化によって、中国海軍の海外展開がより早期に本格化する、特に南シナ海近辺において行動が活発化する可能性は否定できない。その際には、カンボジアの戦略的重要性は急速に高まるであろう。

4.「一帯一路」関連プロジェクトの見直しと ASEANの再適応

ASEANは「一帯一路」構想に積極的に参加してきたが、2018年には積極姿勢の「揺り戻し」ともいえる政策の変化がいくつかの国で起こった。各国の政策に影響を与えた最大の要因の 1つは、スリランカのハンバントタ港が、債務の返済に行き詰ったことが原因で、99年という超長期リース契約に基づき中国の管理下に入ったことである。スリランカの例を目の当たりにし、ASEAN各国は「一帯一路」構想と自国の領土主権を結び付けて考えるようになり、「債務爆弾」への恐怖から、関連プロジェクトの採算性と債務の返済可能性を見直すようになった。その代表例がマレーシアである。ナジブ政権時代のマレーシアは、中国との間で

ECRLをはじめとする様々な大型インフラ開発プロジェクトに合意し、その中には採算性を疑問視される事業が含まれていたが、ナジブ首相は「問題ない」と繰り返し言明していた。2018年 5月の総選挙の結果、マレーシア史上初の政権交代が起こり、マハティール・モハマド(Mahathir Mohamad)首相が 2003年の引退以来の再登板を果たした。マハティール首相は、財政再建を含む前政権の「負の遺産」の清算を政策の優先課題に掲げ、「一帯一路」関連プロジェクトの見直しに着手した。見直しの優先課題は、ECRLであった。就任直後のマハティール首相は、ECRLにつ

いては中国と再交渉し、クアラルンプール―シンガポール間の高速鉄道はプロジェクト自体をとりやめる意向を示した。2018年 8月、マハティールは訪中し、習近平国家主席や李克強首相と会談した。会談においてマハティールは、ECRLを含むいくつかのプロジェクトを中止する旨中国側に伝達した 29。

2019年 1月 7日付の『ウォール・ストリート・ジャーナル』は、ナジブ前首相の汚職疑惑と「一帯一路」構想との関係を報じた。同記事によると、前首相が私的に資金

29 New Straits Times, August 21, 2018.

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「一帯一路」と「自由で開かれたインド太平洋」の間で

を流用し、資金洗浄にも使っていたと疑われる国営投資会社 1MDBが経営難に陥った際、中国が救済を申し出た。その見返りとしてマレーシア政府は、中国の国営企業との間で多数のインフラ建設プロジェクトを契約することを申し出た。その後マレーシアは、中国の金融機関が融資して中国人労働者が建設する、総額 340億ドルに上る鉄道やパイプラインの建設プロジェクトを契約したとのことである 30。2019年 1月下旬、マレーシア政府は ECRLに関する中国交通建設公司との契約を破棄し、新たな建設業者を募集することを決定した 31。その後、ECRLをめぐるマレーシアと中国の再交渉は、前者に大幅に有利な形で妥

結した。2019年 4月、マハティール首相は中国との間で合意した新たな計画を発表した。発表によると、当初計画に比べて総コストは約 3分の 1削減され、マレーシア政府の債務も削減された。さらに中国側は、マレーシアからパーム油を輸入することについても、マレーシア側に有利な取り計らいをすることを約束したという 32。ECRLをめぐる再交渉は国際社会に対し、マハティールの外交巧者ぶりとともに、中国が「一帯一路」構想に対する関係各国の懸念を解消し、構想への参加を維持するために、非常に柔軟に対応する用意があることを示した。マレーシアに影響を受けたかは定かではないが、ミャンマーでも同様の動きが起こっ

た。ミャンマー政府も、チャウピュー港の開発に関わる事業費が高すぎるとの懸念から、中国と再交渉した。結果、2018年 11月にミャンマー政府と中国中信集団をはじめとする企業連合との間で基本合意書が署名された。2015年に合意された当初の計画では総工費は 72億ドルで、第 1期計画は 16億ドルであったが、今回は事業を全 4期とし、1

期ごとに採算性を確認する形式に改められた。また第 1期の総工費は 13億ドルと見積もられており、中国側の出資比率も 85%から 70%に下げられた 33。マレーシアやミャンマーの再交渉を背景に当時、インドネシアのジャカルタ―バンドン高速鉄道事業の工期の大幅な遅れや、タイの鉄道事業における融資交渉の難航など、ASEANの「一帯一路」関連プロジェクトに関するさまざまな問題点がクローズアップされた。ただこうした「一帯一路」関連事業の見直しや問題点の提起は、あくまで採算性や負債の返済可能性に基づく事業の再検討、場合によっては再交渉を意味し、中国との経済協力自体の縮小を意味するものではなかった。実際、マレーシア新政権による「一帯一路」関連プロジェクトの見直しが注目され、

30 The Wall Street Journal, January 7, 2018.31 The Straits Times, January 23, 2019.32 Channelnewsasia, April 15, 2019.33 『毎日新聞』2019年 11月 8日、Irrawaddy, November 9, 2018.

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

イニシアチブの後退が取り沙汰される一方、他の ASEAN加盟国との間で中国は、関連プロジェクトを着実に進めた。ASEANにおけるプロジェクトのなかで最も順調な事業の 1つが、ラオスの鉄道建設である。同事業は中国の昆明とラオスの首都ビエンチャンを高速鉄道で結ぶ計画であり、今回の建設事業は全長 420kmに及ぶ。工事は 2021年の開通を目指して 2016年に着工し、2018年 12月の時点では、ラオスとの国境地帯にある、中国雲南省のシーサンパンナ・タイ族自治州における一連のトンネル工事が完成した 34。鉄道建設にかかる総工費は約 58億ドルと見積もられており、ラオスの GDP

の半分近くになる。ただ、トンルン・シースリット(Thongloun Sisoulith)首相は東京で開催された国際会議において、「ラオスの負担割合は総工費の 5分の 1程度であり、ラオスは自らの債務負担に関して特に懸念していない」と発言し、ラオスが負うであろう債務は「爆弾」にならないと楽観的な見通しを示した 35。インドネシアも、ジャカルタ―バンドン間の鉄道建設のほか、総額 600億ドルに及ぶ各種インフラプロジェクトに関し、「一帯一路」の一環としての契約を中国企業に持ちかけている 36。また 2018年 9月、ミャンマーと中国は中緬経済回廊(CMEC)建設に関する覚書に調印した。同回廊は昆明からミャンマーの中核都市であるマンダレー、ヤンゴンを経てチャウピュー港に至る 1,700kmに及び、両国はインフラから農業、金融に至るまで様々な協力分野を想定している 37。CMECの一環として、中国との国境地帯に経済特区の建設が計画されているほか、新たな鉄道建設プロジェクトに関する協議も始まった。ECRLで中国と妥結したマレーシアも、一転して「一帯一路」構想への参加に再び意欲を示すようになった。マハティールは中国によるマレーシアの都市開発を再開したほか、ファーウェイの 5G技術の導入にも積極的である 38。このほか中国との協力を推進するフィリピンのドゥテルテ政権も、「一帯一路」構想

への積極的参加を表明し、習近平国家主席がフィリピンを訪問した際、両国は様々な経済協力協定に調印した。ドゥテルテ政権は現在、「Build, Build, Build政策」(BBB政策)と呼ばれる大規模なインフラ整備計画を推進中である。この政策は、高速道路、橋梁、鉄道、空港といった交通インフラを整備することにより、フィリピン全土でバランスのとれた雇用と経済成長を実現し、貧困問題の解決に資することを目的とする。インフラ整備計画の総額は 1,800億ドルにも上り、これは当然国内資金で賄えるものではな

34 Xinhuanet, December 1, 2018.35 Nikkei Report, June 21, 2018.36 The Straits Times, December 6, 2018.37 Tridivesh Singh Maini, “China and Myanmar: The Limits of the Belt and Road?” Future Directions International, October 17,

2018.38 The ASEAN Post, April 20, 2019.

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「一帯一路」と「自由で開かれたインド太平洋」の間で

く、他国からの支援を前提としている 39。その相手国の1つは明らかに中国である。実際、2019年 4月に北京で行われた第 2回「一帯一路」国際協力ハイレベルフォーラムへの出席の際、習近平国家主席と李克強首相双方と個別会談を行ったドゥテルテ大統領は、投資の面から BBB政策を支援することについて中国からの同意を取り付けた 40。またドゥテルテ訪中の際に両国は、エネルギー開発、インフラ整備、食品生産、通信等に関し、総計 120億ドルに達する商取引に合意した 41。さらに同年 6月、中国電力建設集団有限公司は「一帯一路」に関連し、電力開発のほか鉄道、高速道路など 11の開発プロジェクトに計 30億ドルを投資する計画を表明した 42。こうして「一帯一路」構想の ASEANにおける展開は、再び軌道に乗った感がある。

2019年 4月に開催された第 2回「一帯一路」国際協力ハイレベルフォーラムには第 1

回同様、ASEAN諸国からほぼすべての政治首脳が参加した。参加者名簿を単純に比較するだけでも、第 1回会議に比べて各国首脳の参加度は高まっており、これは ASEAN

にとっての「一帯一路」構想の重要性を端的に示している。中国側も事業の透明性を重視する姿勢を示すなど、「一帯一路」構想への関係国の支持をつなぎとめようとしている。より洗練された支援スキームに変化する可能性のある「一帯一路」構想は、ASEAN連結性の観点からも、ASEAN・中国関係の強化に寄与している。

39 伊藤裕子「フィリピン・ドゥテルテ政権の『国家安全保障戦略 2018』と対中認識」『China Report』Vol. 36(日本国際問題研究所、2019年 3月 31日)。

40 Manila Bulletin, April 29, 2019.41 Manila Standard, April 27, 2019.42 Philippine News Agency, June 22, 2019.

表4 第2回「一帯一路」国際協力ハイレベルフォーラム (2019年4月25-27日、北京)へのASEAN諸国首脳出席者一覧

ブルネイ ハサナル・ボルキア国王カンボジア フン・セン首相インドネシア ユスフ・カラ副大統領ラオス ブンニャン・ヴォーラチット国家主席マレーシア マハティール・モハマド首相ミャンマー アウン・サン・スー・チー国家最高顧問フィリピン ロドリゴ・ドゥテルテ大統領シンガポール リー・シェンロン首相タイ プラユット・ジャンオーチャー首相ベトナム グエン・スアン・フック首相

(出所)“Second Belt and Road Forum Top-level Attendees,” The Diplomat, April 27, 2019

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

5.「自由で開かれたインド太平洋」と ASEAN

日本が提唱する「自由で開かれたインド太平洋」は、インド太平洋を介してアジアとアフリカの連結性を向上させ、地域全体の安定と繁栄を促進することを目的とし、法の支配の定着、経済的繁栄の追求、平和と安定の確保、の 3本柱からなる 43。「自由で開かれたインド太平洋」の主眼の 1つはインフラ開発支援であり、安倍首相は 2018

年 6月、地域のインフラ整備を目的として 500億ドルの投融資枠組みを設立する計画を表明した 44。日本は ASEAN各国に対し、「自由で開かれたインド太平洋」への支持取り付けのため活発な外交活動を展開している。外務省の発表資料によると、ASEANの国々の反応をざっと列挙すると次のようになっている。

・ ブルネイ:「歓迎」(2018年 7月外相会談)・ カンボジア:「歓迎し、支持」(2017年 8月首脳会談)・ インドネシア:「インドネシアが議長を務める環インド洋機構(IORA)とも連携していきたい」(2017年 1月首脳会談)

・ ラオス:「日本のリーダーシップは重要なものであり、ラオスも ASEAN内での議論に積極的に参加していきたい」(2018年 6月首脳会談)

・ マレーシア:「対立や緊張は望ましくなく、航行の自由を確保することが重要」(2018

年 6月首脳会談)・ ミャンマー:「日本の支援に感謝する、日本の様々な支援はミャンマーの国づくりにとって重要」(2017年 12月安倍首相とティン・チョウ大統領との会談)

・ フィリピン:「連携を強化」(2019年 5月首脳会談)・ タイ:「支持」(2017年 11月外相会談)・ ベトナム:「地域と世界の平和、安定及び繁栄に貢献する日本のイニシアチブを支持」(2017年 6月首脳会談)

ASEAN諸国は基本的に、「自由で開かれたインド太平洋」にある連結性の向上と経済発展の側面に賛意を示している。その中で一部、明確な賛意の言質を与えることを回避するものや、支持を正面から明確にしない場合があり、ASEANの慎重姿勢が見え隠れする。またシンガポールは、『ストレーツ・タイムズ』紙のインタビューで河野外

43 外務省「自由で開かれたインド太平洋に向けて」2019年 1月。44 『日本経済新聞』2018年 6月 11日。

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「一帯一路」と「自由で開かれたインド太平洋」の間で

相が明らかにしたように、「これまでのところ、自由で開かれたインド太平洋戦略には完全には賛同して」いない 45。米国は日本の考えに賛意を示しつつ、独自のインド太平洋戦略を練り上げていった。

2018年 10月にシンガポールで行われた米 ASEAN首脳会議においてマイク・ペンス副大統領は、米国の意思として「自由で開かれたインド太平洋」のビジョンを実現し、同ビジョンの推進にあたっては繁栄、安全保障、原則の共有に焦点を当てると言明した。ペンス演説は ASEANに関し、米国はコントロールではなく協力を求め、ASEANは「自由で開かれたインド太平洋」のビジョンの実現にとって中心的な存在であり、欠くことのできない戦略的パートナーであると強調した。一方でペンス副大統領は演説において「インド太平洋において帝国や侵略に場所はない」「インド太平洋ビジョンはいかなる国も排除しないが、いかなる国も隣国に敬意を払い、他国の主権と国際秩序に関するルールを尊重することを求められる」と述べ、中国の南シナ海における活動を暗に批判した。また米国は東南アジアにおけるデジタルインフラ投資を活発化させると述べ、デジタル分野での中国の進出に警戒感を示した 46。米国は、ASEANをはじめとする各地域へのインフラ開発支援のための制度整備にも

乗り出した。2018年 10月、米政府は「発展へとつながる投資のよりよい活用」法(Better

Utilization of Investment Leading to Development, BUILD Act)を成立させた。同法によって、米政府の開発金融機関である海外個人投資会社(OPIC)と国際開発庁(USAID)を統括する国際開発金融会社(DFC)が設立され、米政府が主導し、より戦略的かつ効率的な私企業による投資を可能とする。米国は、各地域のインフラ整備支援にあたって、日本や豪州との協力を視野に入れている 47。では、日米から指名を受け、協力が期待されている ASEAN側の反応はどのような

ものであろうか。ASEANは基本的に、台頭する中国とのバランスをとる観点から、地域に対する日米の積極的な関与を望んでいる。この意味で「一帯一路」と「自由で開かれたインド太平洋」が競合することは、ASEANが追求する大国間の関係において均衡を追求するやり方にかなうものである。しかし ASEANは以前から、米国のインド太平洋戦略に懸念を抱いてきた。懸念の

要因は第 1に、米国が戦略を練り上げるプロセスにおいて次第に明確な輪郭をともなってきた、中国との対決姿勢である。ASEANは確かに、地域安全保障における米国の

45 外務省「ストレーツ・タイムズ紙(シンガポール)による河野外務大臣インタビュー(2018年 7月 27日付)」2018年 7月 31日。

46 The White House, “Remarks by Vice President Pence at the 6th U.S.-ASEAN Summit,” November 14, 2018.47 OPIC, “A New Era in U.S. Development Finance,” https://www.opic.gov/build-act/overview .

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絶対的な力を必要とし、特に南シナ海での中国の影響力拡大に際しては、米国の関与に頼ってきた。しかし一方で ASEANは、中国の推進する「一帯一路」に深く関わり、今や特に経済的に、中国は ASEANにとって不可欠のパートナーとなっている。そのため ASEANは、中国との対決に際して米国側につくよう求められると、米中いずれかの側に立つことはできないというジレンマに陥る。

ASEANは「自由で開かれたインド太平洋」と日米豪印 4カ国の安全保障協力(Quadrilateral Security Dialogue, QUAD)を関連付ける傾向にある。「自由で開かれたインド太平洋」の目標は中国封じ込めではなく、中国の拡大するパワーがルールに基づく秩序に挑戦し、それを包囲し、無視するために使われることがないよう力を合わせ、究極的には中国や他の国々を既存のルールや原則に従うよう促すことである 48。しかし、中国側の警戒感も相まって、ASEANも QUADに代表される安全保障協力枠組みを「自由で開かれたインド太平洋」の一環ととらえ、それが中国封じ込めの目的を持つのではなないかという警戒感を持っている。これは ASEANにとって、対外関係の均衡という行動原則からの逸脱を意味する。第 2に、ASEANの中心性と一体性が損なわれる恐れである。米国は同盟国との協力

を重視しており、ASEANは中心的役割を担う立場にない。従来「アジア太平洋」を中核的な地域概念として、自らが中心となって安全保障や経済の様々な多国間協力枠組みを発展させてきたと自負する ASEANにとって、インド太平洋戦略は地域における自らの役割を低下させかねないものと映る。また「インド太平洋」という地域概念は、価値観の共有の側面を併せ持っている。もしインド太平洋戦略に加わる国々は、戦略が掲げる価値観の共有を必要とするならば、ASEANの加盟国すべての参加は必ずしも自明ではない。この場合、ASEANの一体性と、一体性が保障されることによってはじめて可能となる ASEANの中心性が担保される保障はない。「自由で開かれたインド太平洋」のビジョンに対する ASEANの対応には当初、3つの態様があった。第 1に、独自案の提示である。インドネシアは、2018年 4月にシンガポールで行われた ASEAN非公式首脳会議において、「自由で開かれたインド太平洋」とは異なる独自の「インド太平洋協力」戦略を打ち出した。その基本原則は①包括的、透明性があり、総合的な枠組みの設立、②地域のすべての国々にとって長期的に利益となる、③平和、安定、繁栄を維持するためインド太平洋諸国の共同の取り組みに基づく、④国際法と ASEAN中心性の尊重、の 4点である。こうしてインドネシアは日

48 John Lee, “The ‘Free and Open Indo-Pacific’ and Implications for ASEAN,” Trends in Southeast Asia, No. 13 (ISEAS Yusof Ishak Institute), 2018, pp. 3-5.

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「一帯一路」と「自由で開かれたインド太平洋」の間で

米が提唱する「自由で開かれたインド太平洋」と台頭する中国の間の「第 3の道」を模索する姿勢を示した 49。第 2に、ASEANの反応を受けた日米の再検討待ちである。2018年の ASEAN議長国であるシンガポールのリー・シェンロン首相は、「自由で開かれたインド太平洋」は進化の過程にあり、「我々は、最終的な産物が、すべての国が平和的かつ建設的な方法で相互に関与する、包括的で開かれた地域アーキテクチャとなることを望んでおり、互いに敵対するブロックが形成され、各国がどちらかの側につかなければならないような状態となることを望んでいない」と述べ、「自由で開かれたインド太平洋」が ASEANの希望を汲む形で変化するよう望んでいることを明らかにした 50。日米もASEANの慎重姿勢を認識しており、例えば 2018年 8月の一連の ASEAN会合の場でポンペオ国務長官と河野外相はそろって、「自由で開かれたインド太平洋」におけるASEANとの協力の重要性と、ASEAN中心性の保障を強調した 51。第 3に、ASEANでの立場表明である。2018年 8月の ASEAN外相会議の共同声明は

「我々は、ASEANの域外パートナーから我々の地域の協力を深めるための新たなイニシアチブ、例えば『インド太平洋』『一帯一路』『質の高いインフラのための拡大パートナーシップ』に関する概念や戦略を議論した。我々は ASEAN中心性、特に平和と安定の促進、我々の地域における貿易・投資・連結性の深化に関して互恵的な協力を探り、これらのイニシアチブとのシナジーを創出することで合意した。我々は開放的で透明性があり、包括的でルールに基づく ASEAN中心の地域アーキテクチャを強化する必要性を再確認した」52と言明し、「自由で開かれたインド太平洋」、特にインフラ整備と経済協力の側面での協力に関心を示した。それに加え同声明は、「我々はインドネシアのインド太平洋概念に関するブリーフィングに留意した。我々は、ASEAN中心性、開放性、透明性、包括性、ルールに基づくアプローチ、を包含し、相互の信頼、敬意、利益に貢献するインド太平洋概念に関するさらなる議論に期待している」と言及し、インドネシアのイニシアチブに基づきASEANで議論を進める、という意思を表明した 53。このように ASEANは当時、日米のイニシアチブを正面から扱うことは回避し、イ

ンドネシアのイニシアチブに基づき ASEANで議論を進める、という意思表明にとどまった。こうした言説の背景には、インド太平洋ビジョンは安全保障偏重ではないか、

49 Vibhanshu Shekhar, “Is Indonesia’s ‘Indo-Pacific Cooperation’ Strategy a Weak Play?” PacNet#47, July 17, 2018.50 “Responses by Prime Minister Lee Hsien Loong to Questions from Australian Media.”51 The Straits Times, August 4, 2018, 外務省「日 ASEAN外相会議」2018年 8月 2日。52 ASEAN, “Joint Communiqué of the 51st ASEAN Foreign Ministers’ Meeting,” Singapore, August 2, 2018, p. 23.53 Ibid.

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そして米国は同ビジョンから中国を排除するつもりなのではないか、との ASEANの懸念があった。同時に ASEANには、2018年秋の一連の ASEAN会合にトランプ大統領が出席しなかったことから、大統領個人が ASEANの多国間主義へ無関心であることを懸念する向きもあった。

6.ASEANの「インド太平洋」概念 ――米国への回答

2019年 6月 1日、米国防総省は「インド太平洋戦略報告書」(Indo-Pacific Strategy

Report、以下「報告書」)を発表した。「報告書」は、中国を「法の支配に基づく秩序の価値と原則を棄損する」「修正主義国家」と明記し、中国は軍事力や経済力を用いて短期的にはインド太平洋の地域覇権を追求し、長期的にはグローバルな超大国になることを目指している、と断じた 54。「報告書」では、中国の挑戦を受ける現覇権国米国がインド太平洋戦略を実施するにあたり、パートナーシップが主要な政策の 1つとしてあげられている。パートナーシップを維持強化する対象国として、多くの ASEAN諸国が次のように区分けされ、列挙されている。

・ 同盟国:フィリピンとタイ・ 戦略的パートナーシップ国:シンガポール・ 新たなパートナー国:ベトナム、インドネシア、マレーシア・ 今後協力強化を模索すべき国:ブルネイ、ラオス、カンボジア

このように「報告書」は、ミャンマー以外のすべての ASEAN諸国に関して、各国の現状を踏まえつつ、今後どのように協力強化を図っていくかを個別に詳述している 55。ここには、米国のインド太平洋戦略における ASEANの重要性が表れている。米国は、ASEAN各国との 2国間協力の強化を提唱する一方、中心性をめぐる

ASEANの懸念を理解し、その不安を解消しようとしているふしはある。「報告書」は、戦略の実施に際してもう 1つの政策である「ネットワーク化された地域の促進」において、多国間協力を通じた地域機構の強化に言及している。そこでは、ASEANは米国のインド太平洋戦略が内包する海洋の自由、市場経済、良好なガバナンス、明確で透

54 The Department of Defense, Indo-Pacific Strategy Report: Preparedness, Partnerships, and Promoting a Networked Region, June 1, 2019, pp. 7-8.

55 Ibid., pp. 28-40.

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「一帯一路」と「自由で開かれたインド太平洋」の間で

明性あるルールに基づく秩序の尊重、といった価値や政策を促進するにあたってのカギとなるパートナーと位置付けられている。また米国は ASEANのコンセンサスに基づく意思決定のモデルを尊重する、と ASEANの基本理念を重視すると同時に、東アジア首脳会議(EAS)、ASEAN地域フォーラム(ARF)、拡大 ASEAN国防相会議(ADMM

Plus)といった ASEANの多国間協力枠組みへの米国の関与を強調している 56。米国からのアプローチに対して ASEANは、米中対立が激化する中、自らの戦略

的自律性の確保を目指し、米国でも中国でもない「第 3の道」を選択した。それは、ASEAN独自の「インド太平洋」概念の提示である。当該概念を取りまとめるにあたってイニシアチブをとったのは、インドネシアであった。インドネシアのジョコ・ウィドド大統領は、2018年 4月にシンガポールで行われた ASEAN非公式首脳会議において、前述の通り、「インド太平洋協力」戦略を発表した。インドネシアの提案を受け、ASEANは同年 8月の外相会議で、ASEANとしてインド太平洋概念に関する議論を進めることで合意した 57。

2019年 6月 23日、ASEAN首脳会議は「インド太平洋に関する ASEANの見通し」(ASEAN Outlook on the Indo-Pacific、以下「見通し」)を発表した。同「見通し」は 2018

年から本格化した ASEAN内での議論の集大成とはいえ、日付上、米国の「報告書」に対する ASEANの返答のような形となり、また実際、米国に対する回答のように読み取れる箇所もある。5ページほどの「見通し」の内容は、50ページにわたる米国の「報告書」に比べて一般的かつ抽象的で、個別具体性に乏しいものであるが、それも ASEAN内で様々な利益や思惑を持つ 10カ国の意見を総合した結果と考えれば、致し方ない側面もある。「見通し」の特徴として、次の 3点をあげることができる。第 1に、「中国封じ込め」に対する婉曲的な参加拒否である。「見通し」はその冒頭で、インド太平洋の地域情勢を概括し、「経済的・軍事的な大国の台頭によって、不信、計算違い、ゼロ・サムゲームに基づく行動パターンなどを回避する必要がある」として、米中対立への懸念を表明している。そして大国間の戦略競争に際して ASEANの取るべき対応として、「競合する利益の戦略環境のなかで、誠実な仲介者であり続ける必要」があり、「競合ではなく対話と協力のインド太平洋地域」を創出すべきと論じる。ここではゼロ・サムではなく戦略的信頼やウィン・ウィン関係の構築等、米国の姿勢と相反する ASEANのインド太平洋に関する地域イメージが、繰り返し述べられている 58。

56 Ibid., pp. 46-47.57 ASEAN, “Joint Communiqué of the 51st ASEAN Foreign Ministers’ Meeting”, Singapore, 2 August 2018.58 ASEAN, ASEAN Outlook on the Indo-Pacific, pp. 1-3.

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第 2に、ASEAN中心性と、ASEANの多国間協力枠組みの重要性の再確認である。「見通し」は、ASEAN中心性をインド太平洋で協力を促進するための基本原則と位置づけ、ASEANの多国間枠組みの中で特に東アジア首脳会議(EAS)を、協力促進の場として活用することを訴える 59。ここでは、米国の強調する同盟とパートナーシップという、2国間の安全保障協力枠組みのネットワーク化ではなく、ASEANが大国関係の中心となって彼らの利害を調整するという、ASEANが今まで追求してきた地域協力のあるべき姿を再確認している。また ASEAN中心性を担保するのは、ASEANの一体性である。米国の「報告書」には、理由は不明であるが、ミャンマーへの言及がない。米国による ASEAN中心性の保証に ASEANが疑念を抱く所以が、ここにもある。第 3に、安全保障ではなく経済へのフォーカスである。これは対立ではなく協力を

強調するという、「見通し」の基本路線を反映している。「見通し」はインフラ投資の促進を中軸とする連結性向上や持続的成長を重視し、同時に環インド洋機構(IORA)、ベンガル湾多分野技術経済協力イニシアチブ(BIMSTEC)、赤道アジア(BIMP-EAGA)などのサブ地域レベルの枠組みや、東アジア地域包括経済連携(RCEP)を中心とする地域の経済統合枠組みとの相乗効果を期待する。ASEANは、このように多種多様な協力枠組みとの連携によって、多層的な地域協力の秩序を志向している。また海洋に関しても、安全保障面での対立ではなく、資源、連結性、環境汚染対策、科学技術協力といった協力面に焦点を当てている 60。「見通し」で使われている文言は、通例の ASEANの諸文書に比べても非常に注意深く選ばれており、かつその表現は曖昧である。これは、ASEANが米中対立の扱いに神経をとがらせていることの証左であろう。ここでは「南シナ海」に言及もなく、「米国」「中国」といった国名すら出てこない。従来の文書より一層曖昧さを帯びた今回の「見通し」は、米中対立の激しさと対立に関する ASEANの強い懸念を示すと同時に、米中どちらの側にも立たないという ASEANの立場ややり方を再確認した。ただ、ウィン・ウィン関係や経済の強調、RCEPへの期待、南シナ海をはじめとする安全保障問題への言及の回避、といった点を考慮すると、ASEANのビジョンはむしろ中国の「一帯一路」構想と親和性を持っている。インドネシア当局者によると、ASEAN首脳会議で「見通し」を採択するにあたり、シンガポールはさらなる議論を要求し、採択プロセスは一時停滞したという 61。シンガポールの慎重姿勢の理由は明らかではないが、米国との戦略的パートナーシップが自国の安全保障と緊密に結びついている同国にとって、米国の

59 Ibid., p. 1.60 Ibid., pp. 3-4.61 Asia One, June 16, 2019.

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「一帯一路」と「自由で開かれたインド太平洋」の間で

戦略を否定するかのような文書に賛意を示すことにためらいを見せたのかもしれない。もっとも、現在の ASEANの姿勢は、米中間で顕著に「中国寄り」である。シンガ

ポールの東南アジア研究所(ISEAS Yusof Ishak Institute)が 2018年末に行った、主として ASEAN諸国の専門家(政府、学術、ビジネス、マスコミ関係者)に行った世論調査は、ASEANの対米、対中認識に関して非常に興味深い、かつ衝撃的な結果を示した。調査によると、「米国のグローバルなパワーと影響力は1年前に比べてどうか」との問いには、半数以上が「低下」ないしは「非常に低下」と回答し、「トランプ政権下で米国の東南アジア関与のレベルはどうか」との問いには、7割近くが「低下」ないしは「非常に低下」と回答した。さらに「戦略的パートナー・地域安全保障のプロバイダーとしての米国を信頼するか」との問いには、3割以上が「全く」ないしは「ほとんど信頼していない」とし、約 3割が「確信していない」と答えた。ASEANにおける米国の信頼度が目に見えて低下していることを、当該調査は端的に示した。これに対し中国については、約半数が中国の「一帯一路」構想の展開によって ASEANは中国の影響圏に入りつつあると回答、7割が中国の「債務の罠」に警戒すべきと回答し、中国に対する警戒感を示しつつも、東南アジアに対して最も経済的影響力のある国は中国との回答が7割、政治的・戦略的に最も影響力のある国についても、米国の 3割に対し、中国は 4割以上、との結果が出た 62。ASEANは、米国ではなく中国を、好むと好まざるとにかかわらず、将来の地域秩序を担うパワーとみなしているのである。日米にとって、こうした劣勢からの巻き返しが課題となろう。

おわりに

本稿は、ASEANの「一帯一路」構想と「自由で開かれたインド太平洋」のビジョンへの対応を考察してきた。総じて、ASEANは「一帯一路」構想へ積極的に参加してきた。2018年に一部の国で関連プロジェクトの見直しや再交渉の機運が顕在化したが、中国側の柔軟姿勢もあり、そうした問題はそれぞれ 2国間で適切に処理された。「債務爆弾」への警戒感は完全に払しょくされたわけではないが、ASEANの「一帯一路」構想への積極的な参加は再び軌道に乗った感がある。その根底には、自らが渇望するインフラ整備資金の有力な提供先として、中国を除外することは非現実的であり、不可能である、との ASEANの基本認識がある。この意味で、「一帯一路」と ASEAN連結性は強く結

62 ISEAS Yusof Ishak Institute, “The State of Southeast Asia: 2019 Survey Report.”

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合している。一方、「自由で開かれたインド太平洋」については、ASEANの現在の反応は全般的に慎重かつ受動的であり、日米の提唱する戦略をそのまま受け入れる姿勢を示してはいない。米国がインド太平洋戦略を策定するにあたり、中国との対立姿勢を明確にしたことにより、ASEANが賛意を示すことは一層困難となった。しかし、中国が「一帯一路」構想を推進し、中国の経済的な影響圏に ASEANが包摂されつつある状況は、政治安全保障面での ASEANの自律性の低下をも意味する。また中国の提示する地域ビジョンは ASEANにとって常に魅力的なわけではなく、中国が志向する(と考えられる)垂直的な秩序は、平等とコンセンサスを理念としてきたASEANの流儀にも適合しない。ASEANはそのため、日米が ASEANにとって適切な方法で関与することを求めているという意味で、「自由で開かれたインド太平洋」に期待している側面もある。これは、ASEANが対外関係において長年直面してきた課題、すなわち米中との関係

の均衡をどのようにとるかという課題に直結する考えである。ASEANの対外行動の基本原理は「均衡」、とくに米中間の均衡にある。その意味では中国の推進する「一帯一路」に一方的に包摂されるのではなく、同時に日米の提唱する「自由で開かれたインド太平洋」への参加の可能性を模索することこそが、ASEANのとるべき道となる。いずれの側にも肩入れせず、かついずれとも良好な関係を保とうとする ASEANのやり方は可能かという議論は、いみじくも 2つの地域秩序(構想)は 1つの地域に併存しうるのか命題にもつながる。そのため、ASEANは自らの「インド太平洋」概念を公にした。ただ、ASEANが米中対立を解消し、インド太平洋地域の平和と安定を実現する妙案を持ち合わせているわけでもない。また「見通し」にある、大国間の利害調整の場として EASを活性化するという発案の有効性を、彼らがどこまで確信しているのかも定かではない。米中 2

大国とそれぞれが推進する地域秩序構想の間で、ASEANが自らの戦略的自律性を保つことができるか、その強靭さが問われているともいえよう。

(しょうじともたか 地域研究部米欧ロシア研究室長)

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台湾の地方首長選挙と総統選挙の相関関係をめぐる考察

門間 理良

<要旨>

台湾では一般に統一地方選挙、特に 22県市で争われる地方首長選挙の結果が約 1年2カ月後に実施される総統選挙の結果を左右するという言葉が聞かれる。本稿は両選挙の間に相関関係があるとする説が事実に基づいたものかを選挙データを基に分析したものである。初歩的な分析の結果、地方首長選挙での得票数の多寡が次回の総統選挙の結果と一定程度リンクすることが明らかとなった。他方で地方首長選挙では内政問題が、総統選挙では中台関係が争点になると言われているものの、現実には地方首長選挙であっても、中台関係政策への不満が投票行動に現れることも確認された。さらに、両選挙間に発生する様々な事態(特に中台関係に係る事態)によって、地方首長選挙で得た勢いを失速する現象も容易に発生することを本稿では指摘した。

はじめに

台湾では偶数年に大きな選挙が実施されている。統一地方選挙と国政選挙(総統選挙および立法委員選挙)である(2つの国政選挙は同日実施)。この統一地方選挙で実施される地方首長選挙と総統選挙の間には相関関係があり、地方首長選挙で勝った政党が勢いを維持して約 1年 2カ月後に実施される総統選挙でも有利に選挙戦を運ぶものと一般に台湾では認識されている。本稿では過去の統一地方選挙と総統選挙の結果を抽出して、その認識が正しいか否かを検証するとともに、2018年 11月に実施された地方首長選挙結果が 2020年 1月 11

日に実施される総統選挙にも成立するのかを、2019年 10月段階の選挙情勢から論じることを試みている。統一地方選挙と国政選挙が現在の組み合わせで固定化されたのは、2014年 11月の統一地方選挙と 2016年 1月の国政選挙からであり、過去の比較対象としては 1つしか存在しない。そこで、本稿では厳密にはいくつかの条件が異なるが、さらに 1つ前の 2009年及び 2010年に実施された県市長選挙・直轄市長選挙と 2012年

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1月の総統選挙も比較の対象として取り上げて分析する 1。なお、使用されている肩書は全て当時のものである。

1. 2年おきに交互に実施される総統選挙と地方首長選挙

台湾の選挙は総統と副総統をペアで選出する総統選挙と一院制の立法院の立法委員(国会議員に相当)を選出する選挙は、オリンピックイヤーに実施される。まず、総統選挙の概要を記しておく。正確な規定は「総統副総統選挙罷免法」(1995年 8月制定公布。2017年 4月に最新改正公布)に基づく。任期 4年で連続 2期まで。なお、1996年に初の総統民選が実施されるまでは、国民大会代表(国会議員に相当)による選挙で任期 6

年の総統と副総統が選出されており、1990年には李登輝が総統に選ばれている。有権者:中華民国自由地区(中華民国が実効支配している地域、すなわち台湾本島

と周辺の離島、澎湖諸島、金門島とその周辺、馬祖列島を指す。以後は台湾と表記)の人民で満 20歳以上。台湾に連続して 6カ月以上居住している者、あるいはかつて台湾に 6カ月以上居住し、現在は国外にいるが有効な台湾パスポートを保持し、規定する期間内に有権者登録を済ませてある者。立候補者:台湾に継続して 6カ月以上継続して居住し、かつ 15年以上選挙権を持つ

40歳以上の者。国籍を回復した者、帰化した者、大陸地区の人民、香港・マカオの居民で許可を得て台湾に居住する者は候補者になれず。立候補の要件:政党推薦(直近の国政選挙で得票率 5%以上が条件)あるいは有権

者の署名推薦(直近の立法委員選挙における有権者数の 1.5%以上を集めることが条件)をクリアした総統候補・副総統候補がペアで立候補できる。現役軍人、選挙事務関係者、外国国籍を保持する者は立候補不可。中央選挙委員会への候補者登録以後、投票日前までに候補者が死亡した場合は、選挙は停止し改めて日程を定める。立候補したペアは 1500万台湾元(日本円で約 5379万円)を保証金として納入(得票が有権者総数の5%に達しなければ没収)。選挙期間:投票日直前の日を含め 28日間(午前 7時から午後 10時まで)選挙結果: 比較第 1位が当選。得票が同数の場合は、30日以内に再投票。最高有効

得票数と次点有効得票数が 0.3%以内の場合、次点の候補者は再集計を求めることができる。

1 本稿は防衛研究所に提出した平成 30年度基礎研究に大幅な加筆修正を加えたものである。

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台湾の地方首長選挙と総統選挙の相関関係をめぐる考察

総統選挙の 2年後の 11月末に実施されるのが、本稿で取り上げる直轄市長選挙と県市長選挙を含む統一地方選挙である。この選挙は台湾では「九合一選挙」とも称されている。それは 9種類の地方選挙を同時に実施するためである。すなわち台北市・高雄市など 22県市の首長選挙(これら県市は正確には行政院直轄市と省轄市に 2分類される)、22県市議会議員選挙(同上)、郷鎮市長(計 198人選出)、郷鎮市民代表(計2099人選出)、村長・里長(計 7760人選出)、直轄市山地原住民区区長(計 6人選出)、直轄市山地原住民区区民代表(計 50人選出)の 9選挙である 2。台湾の有権者(20歳以上の成人)は本籍地に戻り、右 9選挙から各選挙区に該当する複数の選挙(3もしくは 5)に投票する仕組みになっている。

2. ケース1  2009年の県市長選挙、10年の直轄市長選挙と 2012年の総統選挙

本項では、2009年 12月 5日に実施された県市長選挙(台湾省 15県市、福建省 2県)及び 2010年 11月 27日に実施された直轄市長選挙(台北市、高雄市、新北市、台中市、台南市)を合わせて分析する。この時の地方選挙は 2008年総統選挙で中国国民党(以下、国民党)の馬英九が 765万 9014票(得票率:58.5%)を獲得して当選を決めた後の時期である。この時、民主進歩党(以下、民進党)の謝長廷は 544万 4949票(同:41.6%)で大差をつけられている。

2009年の県市長選挙は、全 17県市のうちで 12県市の首長の座を獲得した一方で、民進党が獲得したのは宜蘭県・雲林県・嘉義県・屏東県の 4県にとどまった(そのほかに無党派が花蓮県で当選)。しかし、17県市を総計した得票数自体には大きな差はなく、国民党が 209万 4518票(得票率:47.9%)に対して、民進党は 198万 2914票(同:45.3%)で約 11万票差(同:2.6ポイント差)に収まっている。

2010年の直轄市長選挙は国民党が台北市・新北市・台中市の北中部を取り、民進党は台南市・高雄市を獲得しているが、得票数合計は国民党候補が 336万 9052票(44.5%)に対して民進党候補が 377万 2373票(同:49.9%)となり逆転している。これは台湾南部で民進党支持が非常に強かったことを示している。この両年の結果を合わせて単純に比較すると、国民党は 15県市で勝利し、総得票数は 546万 3570票だった。これに対して、民進党は 6県市で勝利したにとどまったが、総得票数は 575万 5287票で 30

2 立候補者数、定員については中央選挙委員会発表資料に基づく。

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万票近く国民党を超えている。民進党は 1県市ごとの選挙では競り負けたが、台湾全土が 1選挙区となる総統選挙では、勝てる潜在力を示したと言える。しかしながら、2012年総統選挙では国民党の馬英九が 689万 1139票(得票率:

51.6%)を獲得したのに対して、民進党の蔡英文は 609万 3578票(同:45.63%)に止まるという結果に終わっている。2009年および 2010年の地方首長選挙で獲得した首長の座では圧倒しながらも全台湾を 1区と見立てた総得票数では民進党に敗北した国民党が、2012年の総統選挙では息を吹き返し圧勝した背景には、馬英九政権下における中台関係の安定を台湾民衆が評価したという点が指摘できるだろう。李登輝政権末期から陳水扁政権 2期 8年に渡って断絶していた中台実務機構協議の即時再開や、中台間の航空直航便の開始と増加、2010年 6月に締結され同年 9月に発効した両岸経済協力枠組協議(ECFA)を始めとする各種協定への署名などがそれらに当たる。

3. ケース2 2014年の地方首長選挙と 2016年の総統選挙

2014年に実施された統一地方選挙から本稿で取り上げるのは、台北・新北・桃園・台中・台南・高雄の 6直轄市長選挙(桃園県が桃園市になり、直轄市に格上げ)と 16県市長選挙である。6直轄市長選挙では、国民党が新北市のみ獲得、民進党が桃園市・台中市・

表1 中台間直航便の増加状況協定締結年月日 台湾側空港 中国側空港 備考

2008年 6月 13日 桃園・高雄・台中・台北・澎湖・花蓮・金門・台東

上海(浦東)・北京・広州・アモイ・南京

毎週金曜から月曜にチャーター便で計 36便

2015年 8月 19日 上記 +台南 +嘉義 計 61空港 11回目の改定。定期便が毎週 890便

出所:筆者作成

表2 中台間で結ばれた協議開催年月日 開催地 署名された協定

2008年 6月 11~ 14日 北京 チャーター便会談紀要、中国居民の台湾旅行2008年 11月 3~ 7日 台北 中台間の空運、海運、郵政、食品安全2009年 4月 25~ 29日 南京 犯罪の共同取り締まりおよび司法相互協力、金融協力、空運補充2009年 12月 21~ 25日 台中 農産品検疫検査、漁船員労務協力、標準計量検査認証2010年 6月 28~ 30日 重慶 ECFA、知財権保護協力2010年 12月 20~ 22日 台北 医薬衛生協力2011年 10月 19~ 21日 天津 原発安全協力2012年 8月 8~ 10日 台北 投資保障促進、税関協力2013年 6月 20~ 22日 上海 サービス貿易

出所:筆者作成

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台湾の地方首長選挙と総統選挙の相関関係をめぐる考察

台南市・高雄市の 4市獲得、無所属(柯文哲候補)が台北市長獲得という結果だった。総計では国民党の得票数は 338万 5081票(得票率:40.8%)、民進党が 397万 9329票(同:47.97%)、無所属が 92万 9565票(同:11.2%)だった。16県市では国民党が 5県(160

万 5596票、得票率:40.5%)、民進党が 9県市(185万 777票、同:46.7%)、無所属が2県(50万 5286票、同:12.8%)をそれぞれ得ている。

2012年の総統選挙を終えた時点で、国民党の馬英九総統は人気があり、その流れを2014年の直轄市長選挙・県市長選挙に呼び込み、次の国民党総統候補につなぐビジョンが国民党にはあっただろう。2009年、2010年の県市長選挙・直轄市長選挙は総得票数では民進党に負けていたが、22県市中 15県市で首長の座を取っているので、地方政府の持つ様々な資源を国民党に有利に使えるはずだった。だが、中台間で 2013年 6

月に署名された「サービス貿易協定」の台湾での批准をめぐって起きていた論争は、2014年 3月から 4月に「ひまわり学生運動」という国民党政府に対する批判の形で火を噴くこととなった。その背景として様々な指摘がなされているが、この時期を前後して馬英九政権の対中接近が過度であると感じている台湾民衆が一時的に増えたことは事実である 3。馬英九総統は 2015年 11月にはシンガポールで習近平総書記との会見に臨んだ。この時は特に下準備を経て何らかの政治的合意を得るためのものではなく、会見そのものに意義はなかった。中国と台湾の最高指導者が会ったという事実が歴史に記されたのである。政治的に死に体となった馬英九総統がレガシーを創るだけに動いた行為は台湾民衆に評価されなかった。続く 2016年 1月に実施された総統選挙は、馬英九総統が 3選禁止規定で出馬できな

いため、全員が新人という条件で実施された。選挙前から劣勢が見込まれていた国民党の中でも総統候補の有力者と見られていた朱立倫、王金平が様子見を決めて出馬表明をしなかった中で、明確な中台統一派だった洪秀柱が名乗り出て一時は公認総統候補と認定された。だが、洪では全く勝ち目がないことが明らかだった。そのため、当時党主席だった朱立倫が半ば責任を取る形で出馬したものの、朱立倫は 381万 3365票(同:31.0%)で惨敗を喫した。民進党候補(蔡英文)は 689万 4744票(同:56.1%)、親民党候補(宋楚瑜)は 157万 6861票(同:12.8%)で、民進党が圧勝したのである。

3 行政院大陸委員会発表の資料によれば、中台間の交流速度についての台湾民衆の見方は 2014年 3月と同年 7月を比較すると「ちょうど良い」44.8%→ 36.4%、「非常に速い」31.3%→ 36.8%、「非常に遅い」14.2%→ 14.7%、「わからない」9.7%→ 12.2%となっている。「ちょうど良い」を「非常に速い」が上回ったのは 2004年 4月の記録以降では、この時だけである(行政院大陸委員会「中華民国台湾地区民衆対両岸関係的看法」。2014年 12月)。

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4. ケース3  2018年地方首長選挙で大敗した民進党  -主要 6市の選挙結果-

このときの地方首長選挙では、台湾の全県市のうち与党民進党は桃園市・台南市・基隆市・新竹市・嘉義県・屏東県の 6県市を獲得するに止まり、野党の国民党は新北市・台中市・高雄市・嘉義市・彰化県・雲林県・南投県など 15県市を獲得する大勝利だった。台北市は無所属の柯文哲市長が接戦の末に続投を決めた。

【高雄市】「韓流」が吹き荒れ、国民党が 20年ぶりに市政奪還高雄市は 1998年から 5期 20年にわたり民進党が市長選に勝利していた。元々民進

党が強い地盤との見方が大勢を占めており、今次選挙戦でも自らの勝利を民進党本部も出馬した陳其邁候補自身も確信していたと推測される。結果は国民党の韓国瑜候補が 89万票あまり(得票率:53.9%)を獲得し、陳候補の 74万票(同:44.8%)に完勝した。高雄市育ちの本省人で同市選出の立法委員や代理市長、閣僚、民進党の幹部も務めたことのある医師出身の陳は、高雄市で戦うには完ぺきに近い経歴の持ち主だった。他方、韓は国民党軍下級幹部の父を持つ外省人で、台北県(現新北市)で県議会議員や同県選出の立法委員を務めるなどした高雄市とは無縁の落下傘候補だった。それにも関わらず韓が勝利できた理由として、①高雄市を超えた広範囲な選挙活動が国民党支持色の強いメディアで大々的に取り上げられ話題になるとともに、普段は台北市など北部で働く高雄選挙民に強く訴えかけた、② SNS上で若者世代の支持を広範に集めた、③有力者である高雄市農会理事長の強力な助勢を得ていた、④一般庶民の代表的な立ち位置の確保に成功した韓が、広範な高雄市民に受け入れられたといったことが指摘できる。

【台中市】市政満足度が高い現職民進党市長が落選国民党の盧秀燕候補が 82万 7996票(得票率:56.6%)で、民進党籍で現職の林佳龍(61

万 9855票。得票率は 42.3%)を破った。高雄市・台南市の勝利は堅いと見ていた民進党は、元々台中市を決戦場と見なして必勝を期していた。台中市民の林に対する評価も決して低くはなく、予断は許さないものの不利とまでは言えなかった戦いのはずだった。しかしながら、主戦場が予想外の高雄市に移行したために、民進党中央の台中市選挙戦対策が後手に回った可能性がある。

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台湾の地方首長選挙と総統選挙の相関関係をめぐる考察

【台南市】勝利が当前とされた地で民進党が辛勝台南市は「誰が出馬しても民進党なら勝つ」という土地柄で、圧倒的に民進党が有

利とされている。前行政院長の頼清徳は 2010年の選挙で約 62万票(得票率 60.4%)を得て当選し、2期目を目指した 2014年の選挙では 71万票(得票率 72.9%)で、次点に約 45万票差で再選を決めている。しかし、今次選挙で民進党から出馬した黄偉哲は国民党の高思博を下したものの得票数はわずか 36万 7518票(得票率 38.0%)という薄氷を踏むがごとき勝利だった。6大都市の中で最も多い 6人が市長選に名乗りをあげて票が分散したとはいえ、4割に満たない得票での勝利は、とても台南における民進党の戦いには見えなかった。

【新北市】国民党色を消して勝利した国民党候補国民党の侯友宜が 116万 5130票(得票率:57.1%)を獲得し、87万 3692票(同:

42.9%)だった民進党の蘇貞昌を破って当選した。蘇は 30万票近くの差をつけられての敗戦だった。同市でも有権者が多い中和区・永和区・新店区で侯は蘇を圧倒した。これらの区は外省人が多く居住する地域でもあり、国民党を支持する基盤がある地域だ。民進党に最も憂慮されるのは新北市が台湾最多の有権者数(326万 4128人)を抱える都市であり、その民意が圧倒的に国民党候補を支持した点にある。ただし、今次選挙を見ると、侯にしても高雄市で当選した韓にしても、国民党色を消す形で選挙戦を展開していた。両陣営ともに国民党の候補であることが不利ではないが有利とも言えない状況と分析し、国民党色を強調しない選挙戦を選択したことが注目される。

【桃園市】民進党逆風の中で同党現職が余裕の再選民進党所属で現職の鄭文燦市長が前回の得票数を 6万票近く上回る 55万 2330票(得

票率:53.46%)を獲得し、国民党の陳学聖(40万 7234票。得票率:39.41%)を退けた。鄭は、国民党が強く前回では 1万 5000票負けていた中壢区でも、今回は陳を 7000

票上回るなど、全行政区で陳の得票を上回る完璧な勝利だった。現職・元職・新人を問わず民進党候補が軒並み苦戦する中で再選を果たしたのみならず、前回よりも票数・得票率を伸ばした点は大いに注目される。鄭は複雑な事柄を簡単な方法で解決するやり方で、市民に市政府の努力を理解してもらっていると述べている 4。だが、これだけでは鄭の大勝を説明しきれない。桃園市は客家(歴史的に国民党支持者の割合が高い)が多く共住している他、陸軍司令部も所在しているため元々国民党支持者が多い土地

4 「《星期專訪》鄭文燦︰民進黨急務 清理戰場」『自由時報(電子版)』2018年 12月 24日。

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柄であるだけに、国民党支持の有権者を多く引き付ける要素がなくては勝利がおぼつかないからだ。鄭の市政活動が現場密着型であることが、出身や職業を問わず多くの市民の共感を得ているものとも思われる 5。

【台北市】3000票差の接戦で無党派市長が再選前回の同市長選挙で民進党は独自候補を擁立しなかったため、民進党支持者は柯文哲を応援する形になったが、今次選挙では調整が不調に終わり、民進党は独自に候補を立てた。そのため柯は 58万 820票(得票率:41.1%)にとどまり、国民党の丁守中57万 7566票(得票率:40.9%)、民進党の姚文智候補は 24万 4641票(得票率:17.3%)だった。選挙結果があまりにも接戦だったことから、敗北した丁陣営から票の再集計を依頼された台北地方裁判所が、12月 13日に結果を公布したが、再集計しても柯市長の勝利は揺るがなかった 6。

5. 支持率低迷と選挙戦略の失敗で民進党は地方首長選挙で敗北

2018年地方首長選挙で民進党が敗北した理由は、蔡英文総統の支持率低迷と選挙戦略の失敗にある。

(1)蔡英文総統の支持率低迷蔡政権は 2016年 5月の発足当初は 69.9%という高い支持率(不支持率は 8.8%)を示していたが、政権発足 6カ月後の 2016年 11月には支持率が 41.4%に対して不支持率が 42.6%と逆転した。その後は支持率が不支持率を上回ることはあっても一時的な現象にとどまり、2018年 12月の支持率は 24.3%に対して不支持率は 60.3%に達した 7。このような状況に至った要因の 1つとして、政権発足当初に「老人、国民党系、男性」

を政権の要職に配したために、清新な印象を与えることに失敗したことが挙げられる。例えば林全行政院長(陳水扁政権期に財政部長を務めた経験はあるが、民進党外の人物)、馮世寬国防部長(国民党員。内閣最年長で元空軍上将)や、李大維外交部長(国民党員の外交官。現国家安全会議秘書長)、林碧炤総統府秘書長(国民党員。李登輝政権期に総統府副秘書長を務めた)、張小月行政院大陸委員会主任委員(国民党系外交官。女性。現海峡交流基金会董事長)を配したことは政権に安定感をもたらしたものの、

5 「495個里長名全記住!王浩宇抽考 鄭文燦秒答電爆韓國瑜」『三立新聞網』2019年 5月 16日。6 「未翻盤!北市驗票結果出爐 柯文哲贏丁守中 3567票」『自由時報 (電子版 )』2018年 12月 13日。7 財団法人台湾民意基金会のアンケート調査結果を参照(2018年 12月 25日閲覧)

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台湾の地方首長選挙と総統選挙の相関関係をめぐる考察

民進党らしさの感じられない保守的な印象を与える内閣となってしまい、民進党支持者の失望を買った 8。第 2の要因として、蔡政権が進めた公務員・教員・軍人の年金改革に対しての反発

がある。このまま手つかずの状態でいると公務員の年金制度は 2031年に、教員のそれは 2030年に、軍人のそれは 2020年に破綻すると予測されていた。だが、退職軍人や公務員は投票に熱心な有権者でもあるため、痛みを伴う改革を馬英九政権は踏み切れなかった。蔡政権はこれに正面からメスを入れて、まず軍人年金の改革を実行に移した 9。この改革によって、破綻の危機にあった軍・公務員・教員の退職金・年金基金は今後 30年間破綻を免れ、今後 50年間は改革に伴って 1兆 4243億元の節約ができたとされる 10。だが、やはり反発は小さくなかった。今回の統一地方選挙でも警察退職者173人が立候補し、議員 8人、郷鎮長 6人、郷鎮市民代表 18人、村里長 41人が当選したが 11、このことは年金改革に不満や危機感を抱いた有権者が多数に上ったことを示唆している。生真面目な性格の蔡は、年金改革を避けて通れないものと捉えたのだろう。第 3の要因として、台湾民衆や企業が蔡政権の進める脱原発政策を不安視したことが挙げられる。蔡の総統選挙時の公約の 1つが脱原発である以上、その実現に向けて動くのは当然のことだが、2017年 8月には台湾全土で大停電事故が発生した。これは人為的ミスによる火力発電所への天然ガスの供給遮断が原因であり、事故当時に原発が停止していたわけではなかったものの、改めて原発停止による電力不足への懸念が浮き彫りになった。そのため、選挙と同時に実施された住民投票でも、2025年までにすべての原発を停止するとした電業法(日本の電気事業法に相当)第 95条第 1項の条文削除を求める声が多数を占める結果となった。

(2)選挙戦略の失敗2018年の地方首長選挙で民進党はいくつかの失敗を犯した。第 1の失敗は民進党が

国民党の対極にある政党だという側面を全面的に押し出し、台湾の政治から事実上国民党を排除しようとしたことに民衆がついていかなかったことが挙げられよう。この政策は「移行期正義」として、原住民族の権利回復や司法改革の提起、さらに前述の年金改革も含まれている。これらの政策は国民党独裁政権時代から軽視されてきた分野に光を当てたり、優遇されてきた外省人の既得権益を奪ったりという性格のもので

8 竹内孝之「2016年の台湾 蔡英文政権の誕生と遅い『移行期正義』」『アジア動向年報』2017年版。9 「軍人年改通過 蔡英文:艱鉅的任務我們一起做到了」『自由時報(電子版)』2018年 6月 21日。10 「林萬億:公教年改財務效益 未來 50年省下 1.4兆」『自由時報(電子版)』2018年 6月 22日。11 「九合一大選》侯友宜效應? 74名退休警察當選」2018年 11月 29日。

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もあった。また、国民党の不当資産問題を処理する委員会を設置して、国民党の収益の多くが不当資産(土地代、建物の家賃収入等)であると判断した。上記の政策は国民党の独裁政権に反旗を翻す形で成立した民進党としては当然の政

策であったかもしれないが、台湾の有権者はもはやそれへの共感が薄れていた。そのような意識のずれが台湾有権者との間に存在していたにも関わらず、民進党執行部は気が付くことができずに修正しないままに選挙戦に突入した。有権者の意識は「移行期正義」よりも、経済振興や雇用拡大など経済的なものに向いていたのである。2018

年地方首長選挙では少数ながら桃園市の他に新竹市や基隆市でも民進党籍の市長が前回よりも得票を伸ばして当選している。それを可能にした理由については今後の詳細な検討を要するものの、地域に根差した効果の見えやすい実利的な政策や住民本位の政策を遂行したということかもしれない。また、民進党の選挙戦略上の第 2の失敗として、民進党が「エリート政党」化したことが挙げられる。それは高雄市長を争った韓と陳を比較すると明確になる。韓の父親は日本軍と戦った外省人ではあるが、従来の国民党エリート層を形成した高級軍人ではない。韓はその息子として眷村で生まれ育った普通の外省人である。また、韓自身も台北県で県議会議員や同県選出の立法委員を務めたり、台北青果市場の総経理を務めたりという、高雄市で出馬するには不利な要素しかない「落下傘候補」だった。しかし、韓は「野菜売りの親父」を自称して庶民的な人物像を提供した。選挙戦ではしばしば大風呂敷を広げたが、それは失言として糾弾されるに至らずかえって人気を得た。また、選挙活動に当たっては極力国民党色を消した選挙戦を行った。それらが高雄市民の心を掴んでいった。それに対して、陳は高雄育ちの医師で、同市選出の立法委員や行政院の閣僚、高雄

市代理市長、民進党中央幹部を務めた経験がある。年齢も 53歳と比較的若い。本来では高雄市で選挙戦を戦うには完璧な候補者だったはずの陳だが、この選挙では民進党のエリート対一般民衆代表の選挙戦のようになってしまった。韓陣営の選挙戦術の巧みさはあるが、全体的に見ても民進党が過去 8年間、今回は 2年半政権についている中で、徐々にエリート化が進み、台湾南部のコアな民進党支持層から遊離していった可能性もある。それが本来民進党の票田であるべき南部で民進党が大きく票を減らした原因と考えられる。単純な敗北というだけでなく、上記のような問題が表出した以上、党内では党の基

本姿勢に関わる問題が噴出してくるのが普通だが、それに対する民進党の真摯な反省は打ち出されていない。今次地方首長選挙で敗北した蔡英文は党主席を辞したため、2019年 1月 6日に主席選挙が実施されることになった。同選挙には今回の地方首長選

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台湾の地方首長選挙と総統選挙の相関関係をめぐる考察

挙で勝利した鄭文燦桃園市長、林右昌基隆市長(蔡の党主席辞任後、代理主席に就任)、敗北した林佳龍(前台中市長)など、蔡英文より若い世代の実力者たちが派閥を越えて共同推薦した卓栄泰総統府秘書長(59歳)と台湾民意基金会の游盈隆董事長(理事長に相当。62歳)で争われた 12。構図としては、現政権をベースとしつつも改革志向の卓と、反蔡英文派の声を代表する形の游との争いであった 13。その結果、卓栄泰が主席に当選した。任期は次期総統が就任する 2020年 5月までである。党主席選挙では卓が得票率 72.6%を集めて当選した背景には、派閥を超えた結束の象徴として卓をかつぎたいという党員の意思の表れと考えられる。ただし、今回の党主席選挙の投票率は異例の低さとも言える 16.9%に過ぎなかった。これは 8割以上の党員が危機感を有していないというよりも、諦めの境地にあったことを示していた。卓は党勢の立て直しと総統選挙に向けた体制作りを行う重要な任務がある。最も大

切なことは今次選挙に敗北した理由の的確な総括と民進党の新たな方向性を示すことである。この点につき、東京外国語大学の小笠原欣幸准教授は林右昌の「今後、我々は民進党の過去の台湾の民主に対する貢献を提起するべきではない。台湾は既に 3度政権交代を経験し、民進党も 2度政権を取った。台湾人民は既に民進党に借りはない。民進党は未来の台湾に対する貢献によって、台湾人民の支持と賛同を勝ち取るべきだ」という発言に注目して、民進党の敗戦に関して党内から出された根本的な問題提起であると指摘している 14。蔡英文政権は 2016年 5月に成立して以来、移行期正義を前面に押し出して国民党の財政基盤を奪ったり過去の政策の清算しようとしたりしてきた。それらは台湾民衆に受け入れられたものもあったが、ドラスティックな進め方は国民党支持でも民進党支持でもない台湾の多数を占める中間選挙民に訴求する力に欠けていた。今後の民進党は、無党派有権者層を力強く引き付ける政策を最大限に押し出していく必要があると思われる。その一方で、民進党支持基盤の中には必ずしも党員ではないコアな独立派の勢力も依然として一定程度存在する。彼らは蔡英文の「現状維持」を基調とした政策は自分たちを裏切っているものと捉えている。独立派の票を勝ち取るためには、党内予備選を戦った頼清徳を副総統候補に据えるという手が残されている。頼にしても行政院長を退いたままでは、政治的影響力を失ってしまい、2024年の総統選挙を狙うこともできなくなってしまう。台湾の副総統は憲法上も権限をなにも記されていない

12 「民進党主席選 中堅層代表の卓栄泰氏らが届け出/台湾」『フォーカス台湾』2018年 12月 14日。13 「新聞眼/反英、保英… 党内対府院的信任投票」『聯合新聞網』2018年 12月 30日。14 「代理党主席林右昌:人民已経不欠民進党」『聯合新聞網』2018年 12月 4日及び小笠原欣幸 Facebook、2018年

12月 5日を参照。

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

立場だが、総統に対して提案はしやすい地位にあることは確かだ。頼は副総統候補となり、蔡とともに総統選挙を勝ち抜いて影響力を保持しつつ次の総統選挙を狙うというのが合理的な考え方だろう。

6. 勝利しても団結できない国民党

2018年地方首長選挙で国民党は完勝したと言って良い。これは 2020年総統選挙を有利に進める上で重要なステップと捉えられていた。それは、第 1に全台湾的に民進党よりも国民党を支持する有権者が多数を占めたことを実証するとともに、1年 2か月後に迫った総統選挙へ勢いを繋げられる可能性が高まったからである。第 2に、国民党籍の首長が占めた県市では、総統選挙において国民党が有利に選挙戦を進められるという理由もある。このような状況の下、本来であれば国民党を勝利に導いた呉敦義主席の権威が高まり、2020年の総統選挙には呉が国民党公認の総統候補として出馬するのが自然の流れのはずである。しかし、今次選挙前から指摘されていたことではあるが、実際のところ呉の総統選出馬を促す声は全くと言ってよいほど上がらず、国民党の総統候補を選出する党内予備選に出馬すらできなかった。党内予備選は韓国瑜と鴻海グループ創始者である郭台銘を中心に争われ、韓国瑜が 2018年地方首長選挙の勢いに乗って勝利し、国民党の公認総統候補となったが、9月には郭台銘が国民党を離党するなど、党の団結に不安が見られる。10月末時点で韓とペアを組む副総統候補は発表されていないが、総統候補の弱い部分を補完できる人物が指名されるのが通常である。

表3 民選正副総統の補完関係総 統 副総統 総統に対する補完要素李登輝 連 戦 若さ、出自の良さ、党エリート陳水扁 呂秀蓮 女性、年長者、独立派の闘士、台湾北部出身

馬英九蕭万長 年長者、経済通、本省人、台湾南部出身呉敦義 年長者、本省人、台湾中部出身(高雄でも民選市長)

蔡英文 陳建仁 男性、年長者、理系、カソリック教徒

(出所:門間理良「台湾の動向」『東亜』2019年 10月号)

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台湾の地方首長選挙と総統選挙の相関関係をめぐる考察

7. データから見る 2020年総統選挙の展望

1996年に総統民選が初実施されて以降、政党別で見ると 1996年は国民党が、2000

年と 2004年は民進党が、2008年と 2012年は国民党が、2016年には民進党がそれぞれ政権を取っている。2期目を目指した総統は確実に再選を果たすという現職有利が働いていたのが台湾の総統選挙だった。しかしながら、2020年には 4年で総統が交代する可能性が生まれている。グラフ 1から明らかなことは、統一地方選挙での総得票数が上回っている政党が、次の総統選挙で勝利を収めるケースが 5回中 4回を占めているからである。例外は 2009年および 10年の地方首長選挙と 2012年の総統選挙の時だけである。それから単純に類推すると 2020年の総統選挙では国民党が有利となる。

また、総統選挙における投票率はグラフ2の通りである。依然として高い投票率では

あるが、2000年を頂点として漸減傾向にある。総統民選も6回を数え、台湾民衆の中に定着したことで、投票への情熱がいくぶん低下したことが漸減の理由だと推測される。突発事態の発生などで投票率

1996 1997,98 2000 2001,02 2004 2005,06 2008 2009,10 2012 2014 2016 2018国民党 5813699 4379244 2925513 4184865 6442452 5594163 7659014 5463570 6891139 4990677 3813365 6102876民進党 2274586 4397956 4977697 4674904 6471970 4629576 5444949 5755287 6093578 5830106 6894744 4897730無党籍その他 2677834 1185961 4761183 1668405 0 707360 0 704385 369588 1441001 1576861 1507173

0100000020000003000000400000050000006000000700000080000009000000

グラフ1 政党別得票数の推移出所:中央選挙委員会データを元に筆者作成

1996 2000 2004 2008 2012 2016投票率(%) 76.04 82.69 80.28 76.33 74.38 66.27

0

10

20

30

40

50

60

70

80

90

グラフ2 総統選挙の投票率出所:中央選挙委員会データを元に筆者作成

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

が上がらない限り、2020年選挙では 65%程度と予測される。次回に実際に投票するのは 1230万人程度だろう。

8. 2020年総統選挙の流れを変えた香港情勢

2019年 4月から台湾の総統選挙情勢に大きな影響を与え始めたのが、「逃亡犯条例」改正案をめぐって史上空前のデモが続いた香港情勢である。蔡英文は香港情勢に関していち早く支持を表明したが、韓は当初「知らない」と逃げた。これは中国当局から悪印象を抱かれるのを避ける目的があったためと推測できるが、習近平政権が主張する「1国 2制度」に強く反発する台湾住民から反感を買うことになった。香港のデモが 100万人、200万人と拡大するにつれて、蔡英文に対する台湾民衆の支持率も上昇していった。TVBSの民意調査結果(2019年 9月 25~ 27日調査)では、蔡英文の支持率は 50%であるのに対して、韓国瑜は 38%、未決定は 12%という数字がでている 15。『ETtoday新聞雲』の調べ(2019年 9月 25~ 29日調査)では、蔡英文と頼清徳が、韓国瑜と朱立倫がそれぞれ組むと仮定して、蔡頼ペアは 44%、韓朱ペアは 35.3%という数字だった 16。民進党系のシンクタンクである両岸政策協会(2019年 10月 19~ 20日調査)が明らかにした支持率は蔡 49.9%、韓 32.9%、呂秀蓮(陳水扁政権期の副総統で独自参選の可能性を残す)6.6%だった 17。このように、いずれの民意調査結果も、蔡英文が 9ポイントから 17ポイントほど韓

国瑜をリードしている。香港問題もまったく鎮静化していない中で、今後 2カ月余りの期間で韓国瑜が蔡英文を逆転できるか難しいところだろう。

9. 米国の蔡英文支持も再選を後押し

米国も様々な形で蔡英文政権支援を明確化させている。2019年 7月 8日、トランプ政権が戦車 108両、防空ミサイル等の売却を承認した 18。主力武器の更新がある程度進んでいた海軍・空軍に比較すると、戦車に代表される陸軍主力兵器の更新は後回し

15 「慘!『TVBS民調』韓國瑜落後再擴大 挺韓泛藍族群也減少」『自由時報(電子版)』速報、2019年 10月 2日。16 「韓張配、韓朱配、韓周配都一樣 蔡賴配均 44%領先」『自由時報(電子版)』速報、2019年 10月 2日。17 「兩岸政策協會民調 蔡英文支持度大勝韓國瑜」『自由時報(電子版)』2019年 10月 22日。18 Defense Security Cooperation Agency News Release, “The State Department has made a determination approving a possible

Foreign Military Sale to TECRO for the M1A2T Abrams Tanks and related equipment and support.” July 8, 2019.

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台湾の地方首長選挙と総統選挙の相関関係をめぐる考察

にされてきた。その点で、今回購入が決まったM1A2戦車は米陸軍でも現役で使用している武器であることは、一世代前の武器が供与されている海軍・空軍と比較するならば、アメリカの優遇を目に見える形で示した点で意味を持っている。台湾にとっては現行主力のM60A3戦車とはまったく異なるメンテナンスを実施しなければならないが、これは米国がこれからも台湾の面倒を見るという言外の意思表示でもあろう。さらに 8月に F-16C/D BLK70という F-16の中では最新と言える戦闘機を新規で 66機台湾に売却することを米国は決定した。台湾への戦闘機売却は 27年ぶりのことだから、トランプ政権の台湾優遇は明らかであろう。米海空軍の艦艇や航空機の台湾海峡通過も頻繁である。このほかにも蔡がニューヨークでのトランジットの際に、在ニューヨークの台湾の友好国の国連大使を招待してパーティー開いた件などは米国政府の承認がなければ実施もメディアへの公表もできなかったはずである。

おわりに

2018年の地方首長選挙終了時点では、2020年総統選挙で国民党候補が勝利する可能性が非常に高いと見られていた。これまでの選挙データからも、同選挙は国民党が勝利する可能性が高いことを示している。これらの検証から、基本的に地方首長選挙で総得票数の多かった政党が次の総統選挙でも有利であるとの仮説は成立しやすいことがわかったが、これには例外も存在することも同時に明らかとなった。他方、蔡英文が有利なのは 2期目を残しているという点であり、再選狙いの現職総統が有利という原則は破られていない。対外的な脅威がある場合、現職総統の下に民意を結集させようという意識が有権者に強く働いている可能性がある。ただ、2期 8年を経た与党には政策に対する批判や不満が集まりやすく政権交代が起きやすい状況が生まれるようになっている。また、本稿では初歩的な分析しか行っていないが、香港事情や米国の対台湾政策も

蔡英文の再選に有利に働く事象となっている。2020年総統選挙には、柯文哲台北市長のような有力な無所属候補が出馬しない可能性も高いことから、150万票前後ある中間派の有権者をいかに取り込めるかが当選のための重要なポイントにもなってくる。総統選挙において最大の争点となるのは中台関係となることから、総合的に考えると、2020年総統選挙は蔡英文有利に進行していくものと考えられる。この勢いを変える

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

ためには、蔡陣営に致命的な醜聞が流れるなどのインパクトが必要である。フェイクニュースを含めて蔡陣営は警戒する必要があろう。(2019年10月28日脱稿)

(もんまりら 地域研究部中国研究室長)

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ロボット工学・自律型システム・人工知能(RAS-AI)に関する技術開発の動向と自律型兵器システム(AWS)の運用についての展望

――米・中・露を中心に――

富川 英生山口 信治

<要旨>

RAS・AI の兵器システムへの実装が進むと考えられる中、AWS が将来の安全保障環境にどのような影響をもたらすかについては、① AI によるターゲティング、② AI の信頼性の問題、③戦略バランスへの影響、④スウォームによる作戦など、多くのテーマにおいて議論が行われている。各国の RAS・AI および AWS の開発・検討状況に関して、米国では現実的な利用方法が志向され、短期的には「人 - 機械協働」による人間の能力を強化するアプローチを重視し、これと並行して関連する情報基盤の整備に取り組んでいる。中国は軍事智能化を目指しており、AI 技術の潜在性を高く評価して各種プラットフォームへの適用を試みているが、これは、権限を委譲することなく上位者の意図を実現できる手段と見做しているためとも考えられる。ロシアは AI に対する関心を急速に高めつつあり、将来的には AWS を積極的に導入すると考えられる。また、AI についは実践的な教訓を生かしつつ、非正規戦等において他国に先がけ適用する可能性もある。各国の研究開発体制については、米国が民間セクターにおけるイノベーションの成果を素早く取り込むことを模索しているのに対し、中国は「軍民融合」のもと民間からの技術協力を前提としており、政府による民間セクターへの包括的な支援も積極的に行われている。ロシアでは、産官学に加えて軍産学連携のもとでも計画的にイノベーションを促す仕組みを構築しようと試みている。

はじめに

近年、注目を浴びる人工知能(AI)の技術革新は、民生分野では既に実用化の段階を迎えており、ロボット、情報システムなどへの実装が進んでいる。これらの技術は軍事部門でも幅広い分野での応用が考えられているが、一方でその普及については

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2 号(2020 年 1 月)

潜在的なリスクを危惧する声もあり、ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)などは、軍事利用されているロボット工学・自律型システム・人工知能(RAS・AI: robotics

and autonomous systems, artificial intelligence)を自律型兵器システム(AWS: Autonomous

Weapon Systems)と定義し、①機動、②照準、③インテリジェンス、④インターオペラビリティ、⑤保全・補修の 5 つの機能に分類した上で運用上の問題点を指摘している 1。また特に、自律型致死

4 4

兵器システム(LAWS: Lethal Autonomous Weapon Systems)については、人道的観点から問題がないのか検討するよう求める声が非政府組織(NGO)を中心に発せられ、その開発・運用のあり方について、現在、特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)の枠組のもと「LAWS に関する政府専門家会合(GGE)」において国際的なルールに関する議論が進められている 2。

本稿では、ロボット工学・自律型システム・人工知能の軍事利用および自律型兵器システムに関して、まず第 1 章で安全保障研究者らによるいくつかの議論を紹介し、第 2

章では、米国、中国、ロシア各国における検討状況を考察する。そして第 3 章では研究開発を担う米中露の国家ノベーションシステムを比較してどのような特徴が見出し得るのか検討する。

1. 軍事部門への応用とその機能

西側先進諸国では、軍の活動について人的被害の低減や効率性を求める世論がますます強まる傾向にあることから、今後、RAS・AI の積極的な利用、兵器システムへの実装が進むものと考えられる。そしてこれらは将来の戦闘様相を一変させ、様々なレベルで作戦概念(CONOPS: concepts of operations)に変更を迫る可能性もあるとされており、大国による当該軍事技術の開発競争は、民間セクターでの動向ともリンクしな

1 Stockholm International Peace Research Institute (SIPRI), Mapping the Development of Autonomy in the Weapon System, (Stockholm: SIPRI, November, 2017), pp. 20-35. 現時点で A WS に関する幅広く合意された有効な定義は存在していない。米国防省における政策指針である「兵器システムにおける自律性に関する国防省指令 3000.09(Department of Defense, Directive 3000.09)」では、「起動後には人間の運用者による追加的な介入が行われなくても、目標の選択と戦闘を行うことの可能な兵器システムのこと」と定義しており「これには、起動後に人間によるさらなるインプットがなくても目標の選択と攻撃が可能であるが、当該兵器システムの運用を人間の運用者が解除できるように設計された人的監視型自律型兵器を含む」としている。U.S. Department of Defense, Directive Number 3000.09, November 21, 2012, Incorporating Change 1, The U.S. Department of Defense (DoD), May 8, 2017, https://www.esd.whs.mil/Portals/54/Documents/DD/issuances/dodd/300009p.pdf.

2 LAWS に関する議論の主要な論点については International Committee of the Red Cross (ICRC), Autonomous Weapon System: Technical Military, Legal and Humanitarian Aspects, Expert Meeting, (Geneva, Switzerland: ICRC, March 2014); Lethal Autonomous Weapon Systems: Issues for Congress, by /name redacted/, CRS Report R44466 (Washington DC: Congressional Research Services (CRS), April 14, 2016); 佐藤丙午「自律型致死性無人兵器システム(LAWS)」『国際問題』No. 672(2018年 6 月)38-48 頁等を参照。

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ロボット工学・自律型システム・人工知能(RAS-AI)に関する技術開発の動向と自律型兵器システム(AWS)の運用についての展望

がら、さらに激化することが予想される 3。事実、米国の「国防省 2018 AI 戦略―要約」4 では、民生技術の軍事部門への素早い取り込みを求めており、いくつかの関連技術は既に装備に実装されているか、あるいは実用試験段階にあるとされる 5。

RAS・AI 関連技術の社会実装が進むのに伴って、AWS が将来の安全保障環境にもたらす影響についての関心が高まり、近年、米国を中心に有力な外交・安全保障系シンクタンクや戦略系コンサルタント会社から報告書が相次いで発表されている。これらの取り扱うテーマは「技術的課題・運用上のリスク(LAWS 含む)」、「安保環境・戦略バランスへの影響」、「将来戦の様相」、「各国の検討状況・イノベーション政策」などに大別できるが、その中でいくつかの注目すべき議論について以下で概説する。

まず「技術的課題・運用上のリスク」については、軍民両用技術である RAS・AI を実装する場合の倫理・法・社会的課題(ELSI)に関する議論が注目されている。中でも上述の LAWS に関する議論では、NGO などから AI が標的を選定する事(targeting)についての懸念が提起されている。一方で専門家からは、ターゲティング・プロセスに関する市民の理解は不十分であり、軍の組織文化を理解していないとの指摘もある。イラクやアフガニスタンなどでの無人機等によるリスト化された標的への攻撃(targeted

killing operation)を含め、現在の軍事作戦における標的の決定(target development)は、戦略全体への影響や他の作戦目標との整合性を考慮するべく、上級司令部や指揮官、情報機関による承認、検証を経て決定されるものである 6。このため RAS・AI 技術が進歩したとしても、巡回中の AWS が当意即妙に標的を選定し攻撃を実行に移すという状況は、自衛の場合を除いて、軍の組織文化からみて杞憂であって、むしろターゲティング・プロセスにおける AI 利用の課題について論点を偏らせることにつながるのではと指摘されている。

リスクについては、既存の兵器システムのうち準自律型兵器に分類される防空システムやアクティブ防御システムなどに関しても(表 1)、国際人道法で求められる「区

3 ロバート・H・ラティフ『フューチャー・ウォー -――米軍は戦争にかてるのか?』平賀秀明 訳 , 新潮社 , 2018年 , 38-93 頁(Robert Latiff, Future War, (N.Y.: Penguin Random House), 2017)) ; Paul Scharre, Army of None: Autonomous Weapons and the Future of War (N.Y.: W. W. Norton & Company, 2018), pp. 93-101 (ポール・シャーレ『無人の兵団 AI、ロボット、自律型兵器と未来の戦争』(伏見威蕃(訳), 早川書房 , 2019 年)).

4 Department of Defense (DOD), Summary of the 2018 Department of Defense Artificial Intelligence Strategy: Harnessing AI to Advance Our Security and Prosperity, pp. 7, 11-12, https://media.defense.gov/2019/Feb/12/2002088963/-1/-1/1/SUMMARY-OF-DOD-AI-STRATEGY.PDF; “DOD Unveils Its Artificial Intelligence Strategy (February 12, 2019)” by Terri Moon Cronk, U.S. DoD website, https://dod.defense.gov/News/Article/Article/1755942/dod-unveils-its-artificial-intelligence-strategy/February 12, 2019.

5 Daniel Hoadly and Nathan Lucas, Artificial Intelligence and National Security, ver.4, CRS Report R45178, (Washington DC: CRS, January 30, 2019) pp.8-14, https://fas.org/sgp/crs/natsec/R45178.pdf.

6 Merel Ekelhof “Lifting the Fog of Target: “Autonomous weapons’ and Human Control through the Lens of Military Targeting,” Naval War College Review, Vol.71, No. 3, (summer 2018), pp.4-13., 22-28, http://digital-commons.usnwc.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=5125&context=nwc-review.

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2 号(2020 年 1 月)

別原則」あるいは信頼性の問題点が指摘されている。そして、判断、反応速度を重視するあまり攻撃に関する意思決定を AI に依存することは、不測の事態や偶発事象からのエスカレーションを防止するうえで危険性が高く、適切な人間の管理(human

control)を含めた慎重なプロセスの検証が訴えられている 7。その一方で、例えば 2003

年にクウェート国境で起きたパトリオットによる FA-18 撃墜事故について考えた場合、確かにこの友軍への誤射(friendly fire)はプログラムの不備に原因が求められるが、加えて作戦担当者間でのコミュニケーション不足や、問題のある飛行ルートの設定といった人的過誤(human error)に基づく部分にも多くの要因があったと指摘されている 8。つまりエスカレーションの防止を確保するには、AWS に関する技術論にだけ焦点を合わせるのではなく、人と RAS・AI の、それぞれの特性を考慮した意思決定プロセスを、どのように設計し信頼性を担保していくのかが重要な論点であると考えられる。

表1 SIPRIによる分類における既存のAWS・準AWSの例種類 装備 保有国

防空システムCIWS / RAM(各国) AEGIS、Patriot(米) S-400(露)ほか

日・米・英・仏・独・伊・露・蘭・スイス・瑞・ノルウェー・中・印・

アクティブ防御システムArena(露) Trophy / Iron Fist(イスラエル) AMAP-ADS(欧)

仏・独・伊・蘭・露・端・イスラエル、米・南ア・中・加

ロボット(国境)警備兵器(Sentry)

SGR-A1、Super aEgis Ⅱ(韓) Gurdium / Border Protector / Rambow

(イスラエル)韓国・イスラエル・カタール・UAE

徘徊型兵器(loitering munition)

Harpy / Harop(イスラエル)Coyote / Switchblade(米国)C901 / WS43(中国)Devilkiller(韓国)ほか

米・独・露・中・印・イスラエル・韓・トルコ・アゼルバイジャン・カザフスタン・ウズベキスタン

(出所) SIPRI, “Mapping the Development of Autonomy in the Weapon System” November, 2017.36-55 頁ほか各種報道を元に執筆者作成。

次に「安全保障環境・戦略バランスへの影響」については、RAS・AI 関連技術の進化に伴って流動化するという見解が主流を占める一方で、その影響は部分的ではないかとする意見も見受けられる。流動化肯定派が危惧ずるシナリオの一例としては、例

7 Paul Scharre, Autonomous Weapons and Operational, (Center for New American Security, February 2016) pp.49-54; 特に戦略兵器に関して AI が与える影響については Edward Geist and Andrew J. Lohn, How Might Artificial Intelligence Affect the Risk of Nuclear War? (Rand Corporation, 2018), pp. 15-22, https://www.rand.org/content/dam/rand/pubs/perspectives/PE200/PE296/RAND_PE296.pdf. に詳しい。また、これまでの核リスクについては Patricia Lewis, Heather Williams, Benoît Pelopidas and Sasan Aghlani “Too Close for Comfort Cases of Near Nuclear Use and Options for Policy” Chatham House Report ( London: The Royal Institute for International Affairs, April 2014), https://www.chathamhouse.org/sites/default/files/field/field_document/20140428TooCloseforComfortNuclearUseLewisWilliamsPelopidasAghlani.pdf. を参照。

8 Larry Lewis, Redefining Human Control: Lessons from the Battle field for Autonomous Weapons, (CNA, March 2018), pp. 7, 13-17, https://www.cna.org/CNA_files/PDF/DOP-2018-U-017258-Final.pdf.

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ロボット工学・自律型システム・人工知能(RAS-AI)に関する技術開発の動向と自律型兵器システム(AWS)の運用についての展望

えばロシアが AI を非対称な形で戦略兵器や弾道ミサイル防衛の回避などに適用した場合、現在の戦略的均衡に影響を及ぼすというものである 9。また「将来戦の様相」については、AWS がゲームチェンジャーになり得るとする見解が一般的だが、例えば航空作戦において RAS・AI の利用が進んだとしても、それは、ソフトウェアの変化によって既存の無人機やミサイルの能力、ISR や警戒・管制業務の効率性が向上するだけであって、ドクトリンの本質的な部分にまで変更を迫られることにはならないという見解もある 10。一方で群制御(swarm control)技術、所謂「スウォーム」については新しいプラットフォームおよび CONOPS に関する様々な提案が行われているところである 11。特にマイクロ・ターゲティング技術が進化し、テロ組織の指導者等の暗殺がより容易に可能となった場合には、対反乱(Counter Insurgency: COIN)作戦に関するドクトリンの修正もあり得るとされる 12。

以上のように、現在、RAS・AI を軍事分野へ適用することについて、AWS の技術的、運用的な側面からの検討が進むのと並行して、安全保障政策への含意も含めた様々な論点が提示され始めている。

2. 各国の軍事戦略における RAS・AIの適用および AWSの運用に関する検討状況

(1)米国 ――人-機械協働とネットワーク基盤の整備第 2 章では、RAS・AI 技術の開発・検討状況について米中露三カ国の現状について

分析する。軍事部門において既に無人機の利用が進んでいた米国では、2009 年の時点で国防省から「無人システム統合ロードマップ」13 が発表されており、また 2012 年には科学技術に関する国防省の諮問機関、国防科学委員会(DSB: Defense Science Board)が、

9 Geist and Andrew Lohn, Security 2040: How Might AI Affect the Risk of Nuclear War, (Rand Corporation, May 2018), pp.2-5, https://www.rand.org/content/dam/rand/pubs/perspectives/PE200/PE296/RAND_PE296.pdf; Jürgen Edward and Frank Sauer,

“Autonomous Weapon Systems and Strategic Stability,” Survival, Vol. 9 No.5, pp.128-132.10 Micahel Hass and Sophia Fischer “The evolution of target killing practice: Autonomous weapons, future conflict, and the

international order,” Contemporary Security Policy, Vol. 38, No. 2 (2017), p.290.11 Paul Scharre, Robotics on the Battle Field Part 2: The Comind Swarm, (Washington, DC: CNAS, October 2014), pp24-43.12 Robert Work and Shawn Brimley, 20YY: Preparing for War in the Robotic Age, (Washington, DC: CNAS, January 2014)

pp.29-30; Hass and Fischer “The evolution of target killing practice,” pp290-296.13 Unmanned Systems Integrated Roadmap FY2011-2036, (Office of the Under Secretary of Defense (OUSD) for Acquisition,

Technologies and Logistics (AT&L), October 2011), https://fas.org/irp/program/collect/usroadmap2011.pdf. 「 統 合 ロ ー ドマップ」は 2017 年にも更新されている。Unmanned Systems Integrated Roadmap FY2017-2042, (Office of Secretary of Defense, August 2018), https://cdn.defensedaily.com/wp-content/uploads/post_attachment/206477.pdf.

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2 号(2020 年 1 月)

早くも自律性(autonomy)についての重要性を指摘している 14。そして、2014 年 11 月にチャック・ヘーゲル(Chuck Hagel)国防長官(当時)が、国防イノベーション・イニシアチブ(Defense Innovation Initiative)に関し、ロボット工学やビッグデータといった先端技術を積極的に活用し「第 3 のオフセット戦略(Third Offset Strategy)」を実現するという方針を示したことで、AWS が将来の戦闘において重要な役割を果たすという共通理解が定まった 15。この考えはトランプ政権でも継承され、『国家安全保障戦略

(National Security Strategy)』(2017 年 12 月)では新興技術における優位性を維持するべく研究開発の効率性を追求し、国防省と民間企業との戦略的なパートナーシップの構築を進め民生技術の積極的な採り込みを図るとした 16。また『国家防衛戦略(National

Defense Strategy)』(2018 年 1 月)においては、米国が急速な技術の進歩と戦争の性質の変化に対応する必要があるとして、高性能コンピュータ、ビッグデータ分析、AI、自律性、ロボッティクスといった技術開発において競争優位性を維持するという方針が示されている 17。

米軍は続く 2018 年 8 月に無人システムに関する新たな「統合ロードマップ」を公表し、今後の開発・運用の方向性を示している。まず無人システムに関する重要な包括的テーマ (overarching theme) および政策効果倍加要素(policy multiplier)として、相互運用性、自律性、ネットワーク安全性、人 - 機械協働(human-machine collaboration)の 4 点を挙げている 18。そして無人プラットフォームについて、システムの「自律性」効果を高めるべく① AI・機械学習、②効率性・効果の向上、③信頼性、④兵器化の 4 つの課題に取り組むとしている 19。このうち、AI・機械学習に関して、当面はクラウド技術を活用して必要なデータの収集、蓄積、処理を進めつつ、中期的には無人プラットフォームに搭載することを目標にしている。

14 Defense Science Board (DSB), Task Force Report: The Role of Autonomy in DoD Systems, (Washington DC:.OUSD (AT&L), July 2012), https://dsb.cto.mil/reports/2010s/AutonomyReport.pdf. DSB は 2016 年にも「自律性」に関する報告書をまとめている。DSB, Report of the Defense Science Board Summer Study on Autonomy, (OUSD (AT&L), July 2016), https://dsb.cto.mil/reports/2010s/DSBSS15.pdf.

15 “Hagel Announces New Defense Innovation, Reform Efforts,” by Cheryl Pellerin DoD News, Nov. 15, 2014, https://www.defense.gov/Newsroom/News/Article/Article/603658/; Patrick Tucker, “The Pentagon’s New Offset Strategy Includes Robots,” Defense One, November 17, 2014, https://www.defenseone.com/technology/2014/11/pentagons-new-offset-strategy-includes-robots/99230/.

16 National Security Strategy of the United States of America, (Washington, DC: The White Hose, December 2017), p.20-21, https://www.whitehouse.gov/wp-content/uploads/2017/12/NSS-Final-12-18-2017-0905.pdf.

17 Summary of the 2018 National Defense Strategy of the United States of America: Sharpening the American Military’s Competitive Edge, (Washington, DC: U.S. Department of Defense), p.3, https://dod.defense.gov/Portals/1/Documents/pubs/2018-National-Defense-Strategy-Summary.pdf.

18 Unmanned Systems Integrated Roadmap 2017-2042, OSD, pp.4-5.19 Ibid., p.17.

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ロボット工学・自律型システム・人工知能(RAS-AI)に関する技術開発の動向と自律型兵器システム(AWS)の運用についての展望

表2-1 自律性に向けた包括的ロードマップ2017  短期

2029中期

  2042長期  

自律性

人工知能/機械学習 民間セクターとの 協働クラウド技術

拡張現実 仮想現実

持続的センシング 高度な自律性

効率性・効果の向上 安全性と効果の向上 無人任務、作戦 指揮官-部下関係 スウォーミング

信頼性 任務付与の指針・検証、人間による意思決定の倫理的必要性

兵器化 国務省における戦略的コンセンサス自律型致死兵器の評価

武装僚機/チームメイト(戦闘の実施について人間が意思決定)

出典:U.S. Department of Defense, Unmanned Systems Integrated Roadmap 2017-2042, 19.

表2-2 人間と機械の協働に向けた包括的ロードマップ2017  短期

2029中期

  2042長期  

人間と機械の協働

人 - 機械 インターフェース

複数システムの制御  人 - 機械の役割・合図

人 - 機械の対話 仮定的なシナリオ処理 役割分担の任務管理

人間の意図の推測 深層学習機械

人 - 機械チーム化装備重量の軽減 出撃回数の低減 特定の整備任務

完全に統合されたチームメイトとしてのロボット 兵士の認識上の負担の軽減

データ戦略 自律的な情報収集と処理 自律的なデータ戦略の調整

深層ニューラル・ネットワーク 迅速性・対応力・適応力

出典:U.S. Department of Defense, Unmanned Systems Integrated Roadmap 2017-2042, 29.

このような方針のもと現在、国防省では JEDI(Joint Enterprise Defense Infrastructure)20 と呼ばれる業務システムのクラウド化を推進しており、サーバーの運用を受託する民間企業の選定が進められている。

20 “(transcript) Department of Defense Enterprise Cloud and its Importance to the Warfighter Media Roundtable,” Dana Deasy and Jack Shanahan, DoD Newsroom, Aug. 9, 2019, https://www.defense.gov/Newsroom/Transcripts/Transcript/Article/1931163/department-of-defense-enterprise-cloud-and-its-importance-to-the-warfighter-med/; “DoD Officials Highlight Role of Cloud Infrastructure in Supporting Warfighters,” by Lisa Ferdinando, DoD website , March 14, 2018, https://www.defense.gov/Newsroom/News/Article/Article/1466699/dod-officials-highlight-role-of-cloud-infrastructure-in-supporting-warfighters/igphoto/2001888747/. 同計画は①世界のどこからでもアクセス可能な近代的な IaaS と PaaS の提供、②全ての機密レベルごとに分離された環境の提供、③兵士向け戦略エッジコンピューティングシステムにおける中央機能、④ AI など先端テクノロジーへの対応、を目的としている。DoD Cloud Strategy, (Washington, DC: DoD, December 2018),pp.7-9, https://media.defense.gov/2019/Feb/04/2002085866/-1/-1/1/DOD-CLOUD-STRATEGY.PDF.

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2 号(2020 年 1 月)

国防省は「兵器システムにおける自律性に関する国防省指令 3000.09(DOD Directive

3000.09)」21 において管理可能なシステムが完成するまでは AWS の運用を見合わせている。しかし、AI の信頼性に関する課題については近い将来、克服することが可能であると考えており 22、国防高等研究計画局(DARPA)では様々な作戦で運用されることを想定した研究開発プログラム(表 3)が進められている。また、これと並行して、事後的にプロセスの検証が可能な AI についての研究も進められている 23。事実、新たな統合ロードマップでは、AI・計算機・センサー等の能力向上によって長期的には人間のような知性を備えた AWS の開発が可能になると予想している 24。ただし、未だ信頼性に係る課題が残されている事から、全般状況の把握や攻撃に関する最終的な意思決定について当面の間は人間が中心となったシステムが検討されることとなる 25。

米軍では RAS・AI の現実的な利用方法として、短期的には「人 - 機械協働」によって人間の能力を強化するアプローチを重視していくと考えられる 27。ワーク国防副長

21 DoD Directive Number 3000.09, DoD. 22 “AI to Give U.S. Battlefield Advantages, General Says,” by David Vergun, DoD website, September 24, 2019, https://www.

defense.gov/explore/story/Article/1969575/ai-to-give-us-battlefield-advantages-general-says/; Summary of DoD AI Strategy, DoD, p. 7, 11-12.

23 “Explainable Artificial Intelligence (XAI),” by Matt Turek, DARPA Program Information, https://www.darpa.mil/program/explainable-artificial-intelligence.

24 Unmanned Systems 2017-2042, OSD, p. 19.25 Summary of DoD AI Strategy, DoD, pp. 15-16; “DOD’s Artificial Intelligence Initiatives Outlined Before Senate,” by Terri

Moon Cronk, DoD Newsroom, March 14, 2019, https://www.defense.gov/Newsroom/News/Article/Article/1785308/dods-artificial-intelligence-initiatives-outlined-before-senate/

26 Andrew Ilachinski, “AI, Robotics, and Swarms: Issues, Questions, and Recommended Studies,” January 2017, CNA, pp.245-258, https://www.cna.org/cna_files/pdf/DRM-2017-U-014796-Final-SUMMARY.pdf; Brandon Knapp, “These drone swarms survived without GPS,” C4ISRNET, November 28, 2018; Lockheed Martin “DARPA, Lockheed Martin Demonstrate Technologies to Enable a Connected Warfighter Network,” July 13, 2018.

27 “Deputy Secretary of Defense Speech: Remarks by Deputy Secretary Work on Third Offset Strategy,” DoD Newsroom, April 28, 2016, https://dod.defense.gov/News/Speeches/Speech-View/Article/753482/remarks-by-deputy-secretary-work-on-third-offset-strategy/; “Remarks to the Association of the U.S. Army Annual Convention as Delivered by Deputy Secretary of Defense Bob Work,” October 4, 2016, https://dod.defense.gov/News/Speeches/Speech-View/Article/974075/remarks-to-the-association-of-the-us-army-annual-convention/.

表3 国防高等研究計画局(DARPA)におけるAWS関連技術開発プログラムの例プログラム名 実施期間 概要(報道ベース)

ACTUV 2011-2018 - 自律型無人水上艇(USV)- 研究段階修了しプログラムを海軍研究局(ONR)に移管

CODE 2014-2018 - 敵対空域(電波妨害)下での UAV 群の自律航行- 2018 年 11 月に第 1 フェーズ試験成功

SoS-ITE 2014-2019- 有人戦闘機と無人機・巡航ミサイル等がネットワーク形成し航空

優勢を確保・敵対空域に侵攻- 2018 年 11 月から第 2 フェーズに移行

OFFSET 2016- - 人と群衆型小型 UGV・ドローンが市街地等で索敵- 2018 年 4 月第 2 次フェーズに移行

(出所) 国防高等研究計画局(DARPA)ホームページ、Ilachinski, AI, Robotics, and Swarms ほか報道資料 26 などを元に執筆者作成。

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ロボット工学・自律型システム・人工知能(RAS-AI)に関する技術開発の動向と自律型兵器システム(AWS)の運用についての展望

官(当時)は 2015 年の時点で AWS に関するいくつかの運用構想を示しているが、このうち「人 - 機械インターフェース」について既に実用化が進んでる例として、F-35

戦闘機がデータを迅速に収集、解析する一連のセンサーとソフトウェアを使用し、全方位表示可能なヘルメット連動ヘッドアップディスプレーによってパイロットの意思決定を支援していると説明した 28。「人 - 機械チーム化」については、人間と有人・無人のシステムの間でバランスを最適化させながら、その相乗効果によって攻撃力、生存性、状況認識能力などを高めることを目指すと考えられる。米国の安全保障系シンクタンク CNAS(Center for New American Security)のポール・シャーレは、ほぼ自動化されているが安全装置の役割だけは人間が果たす対ロケット・榴弾砲・迫撃砲システム(C-RAM)を、人参加型(human in the loop)の人 - 機械チーム化された AWS の一例として挙げている 29。現時点では1人の人間が運用可能なシステムは限られるが、無人システムの自動化技術が進歩し将来的には 1 人で多数のシステムの運用が可能となるよう技術開発が進めば、人参加型から人関与型(human on the loop)型への移行が現実化すると想定される。陸軍は装備の実用化試験に対し積極的な評価をしており 30、長期的には人間による監視を伴いつつも機械主体で任務を実施できるようにすることを目標としている 31。また将来的には計画の立案や作戦行動中の人の意図を機械が読み取る技術も開発されるとも考えられている 32。2015 年の米空軍による自律システムに関する検証でも、航空作戦における状況判断の複雑さやパイロットと機械の意思疎通の難しさなど自律性の限界を踏まえつつも、人 - 機械チーム化に重点をおいた取組みにシフトすることが有効であるとしている 33。

RAS・AI によって実現すると考えられるスウォームは人 - 機械協働をより効果的なものにする技術として注目されている 34。具体的な運用方法の一例としては、DARPA

が進める OFFSET プログラムを参照すると、小型無人プラットフォームに搭載された

28 Ilachinski, AI, Robotics, and Swarms, pp.28-29; “Remarks by Defense Deputy Secretary Robert Work at the CNAS Inaugural National Security Forum” CNAS website, December 24, 2015, https://www.cnas.org/publications/transcript/remarks-by-defense-deputy-secretary-robert-work-at-the-cnas-inaugural-national-security-forum; “Work: Human-Machine Teaming Represents Defense Technology Future,” by Cheryl Pellerin, DoD Newsroom, November 8, 2015, https://www.defense.gov/Newsroom/News/Article/Article/628154/work-human-machine-teaming-represents-defense-technology-future/; “Learning Systems, Autonomy and Human-Machine Teaming,” by Cheryl Pellerin, Armed with Schience the Official US DoD Science Blog, November 13, 2015, http://science.dodlive.mil/2015/11/13/learning-systems-autonomy-and-human-machine-teaming/;.

29 Scharre, Army of None, p323-325.30 The U.S. Army Robotics and Autonomous System Strategy, (Fort Eustis, VA: U.S. Army Training and Doctrine Command

(TRADO), March 2017), pp.1-2, 11-13, https://www.tradoc.army.mil/Portals/14/Documents/RAS_Strategy.pdf.31 Ibid, p9-11; DOD, Unmanned Systems Integrated Roadmap 2017-2042, pp.31-32.32 Mick Ryan, Human-Machine Teaming for Future Ground Forces (Washington: CSBA, 2018), pp21-29, https://csbaonline.org/

uploads/documents/Human_Machine_Teaming_FinalFormat.pdf.33 United States Air Force Office of the Chief Scientist, “Autonomous Horizons: Systems Autonomy in the Air Force-A Path to

the Future Volume 1: Human-Autonomy Teaming” June, 2015; 34 Ryan, Human-Machine Teaming, pp12-13.;

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2 号(2020 年 1 月)

センサーが情報を収集し、また有人・無人のプラットフォームが自律・分散・協調を図ることで、都市部における安定化作戦や COIN 任務などにおいて状況認識能力を飛躍的に高めることが可能になると説明されている 35。加えて、多数の安価なプラットフォームを使うことで、敵側に対して相対的に高い防御コストを強いることで生残性が高まるという 36。

スウォーム等に搭載される各種センサーから収集されるデータは、現在と比べて飛躍的に増加し、同時に、この集約された情報を、適時、必要とする現場に提供できるような基盤の構築が重要になると考えられる 37。このため、国防省のダナ・ディージー

(Dana Daesy)最高情報責任者(CIO: Chief Information Officer)は、コンポーネントレベルでの技術開発だけではなく、組織レベルでのデータ戦略を進める上でも AI を中心課題に位置づけたデータ駆動型ネットワーク・システムの構築を目指している 38。ビッグデータ分析の受託業務を行う Govini は、国防省の研究予算の分配について、RAS・AI に直接関連する技術だけを強化するのではなく、クラウド技術や先端コンピューティングといった周辺技術についても強化することが重要であると提言している 39。

軍・国防省の情報システムを革新する目的の一つにはネットワーク安全性の強化も含まれ、特にサイバー・セキュリティ分野は AI 技術の実装が急速に進むと考えられている。国防省は民生技術の素早い取り込みを目指す施策の一つとして 2016 年から「サイバー・グランド・チャレンジ」という競技大会を DARPA 主催で実施し AI によってシステムの脆弱性を捜索・発見し、自動的にパッチ当てをおこなう技術についてイノベーションを促す取組みを行っている 40。また民間セクターへのファンディングを通じて、ハッキング不可能なアーキテクチャの開発に関するアイデアを募り研究開発を進めている 41。

35 “OFFSET Envisions Swarm Capabilities for Small Urban Ground Units,” DARPA News and Events, December 7, 2016, https://www.darpa.mil/news-events/2016-12-07.

36 Work and Brimley, 20YY, p.2837 Zachary Davis, Artificial Intelligence on the Battlefield: An Initial Survey of Potential Implications for Detterance, Stability,

and Strategic Surprise, Lawrence Livermore National Laboratory Center for Security Research, pp.6-7,11; https://cgsr.llnl.gov/content/assets/docs/CGSR-AI_BattlefieldWEB.pdf.

38 The House Armed Service Committee Subcommittee on Emerging Threats and Capabilities, Statement: ‘Department of Defense’s Artificial Intelligence Structure, Investments, and Applications’ by Dana Deasy, December 11, 2018, p.4, https://docs.house.gov/meetings/AS/AS26/20181211/108795/HHRG-115-AS26-Wstate-DeasyD-20181211.pdf.

39 Govini, Department of Defense Artificial Intelligence, Big Data and Cloud Taxonomy, , pp.24-25, [accessible from] https://www.govini.com/research-form/?post_title=DoD+ARTIFICIAL+INTELLIGENCE%2C+BIG+DATA+AND+CLOUD+TAXONOMY&post_link_redirect=https%3A%2F%2Fwww.govini.com%2Fresearch-item%2Fdod-artificial-intelligence-and-big-data-taxonomy%2F&post_id=4026.

40 “Cyber Grand Challenge (CGC) (Archived),” by Dustin Fraze, DARPA Program Information, https://www.darpa.mil/program/cyber-grand-challenge.

41 “DARPA Explores New Computing Architectures to Deliver Verifiable Data Assurances,” DARPA News and Event, January 16, 2019, https://www.darpa.mil/news-events/2019-01-16.

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ロボット工学・自律型システム・人工知能(RAS-AI)に関する技術開発の動向と自律型兵器システム(AWS)の運用についての展望

(2)中国 ――情報化・智能化の追及と自律性管理のあり方中国における RAS・AI 技術の軍事部門への適用は、まず民間セクターにおける AI

技術の発展が先行しており、その成果や情報を政府・軍が随時、共有するという体制の構築を目指していると考えられる。そして、中国の AWS の運用構想は智能化

(intelligentization)42 を志向したものになるといわれるが、その能力計画や戦術の検討状況について体系的に示した公的文書は確認できず、自国の軍事戦略にどのように適用しようとしているのかについては継続的な検証が必要となる 43。

中国は、現代の戦争の特徴を「情報化戦争」という言葉で表現し、情報技術の重要性を強調するようになっている。2015 年版の国防白書では、世界的潮流として戦争形態が情報化戦争に向かう方向に変化を加速させており、中国も情報化軍隊の建設、情報化戦争の勝利を重視して軍の改革を進めるとしている 44。情報化戦争という表現は、以前の「2020 年までに機械化と情報化を達成し」、「情報化条件下における局地戦争で勝利する」という表現と比べても、より情報に価値を見出した表現となっている。そして、将来的に情報技術が作戦にかかわる全ての要素に適用されることを踏まえて、これらをシームレスに連携させ、各プラットフォームが自律的に協働する「一体型統合作戦体系」の構築を目指しているものと考えられる。また 2019 年版の国防白書でも、AI、量子通信、ビッグデータ、クラウド、IOT などの先端技術の軍事分野での利用が加速しているとの認識を示し、中国式 RMA(revolution in military affairs)を達成すべく、機械化を継続しつつ、情報化を進展させることが喫緊の課題であるとし、情報化戦争、智能戦争時代の到来にむけた近代化投資を今後も継続するとしている。

このように中国では、軍の近代化投資において RAS・AI といった新興技術が重要視されているが、習近平総書記は中国共産党第 19 回全国代表大会における報告の中で、軍事において今後、力を入れるべき分野として「伝統的安全保障領域と新型安全保障領域における軍事闘争準備を総合調整・推進」し、「新型の作戦力量と保障力量を発展」させる方針を明らかにした 45。この伝統的安全保障領域とは、陸海空を中心とした従来型の打撃力を意味し、これに対し新型安全保障領域とは宇宙、サイバー、電磁スペクトラムなど、いわゆる新たな領域(ドメイン)での能力を指し、その相乗効果によ

42 Elsa Kania, Battle Field Singularity: Artificial Intelligence, Military Revolution, and China’s Future Military Power, Washington, (DC: CNAS, November 2017), pp. 12-31, https://s3.amazonaws.com/files.cnas.org/documents/Battlefield-Singularity-November-2017.pdf?mtime=20171129235805.

43 “AI boost Nuclear Sub Command,” South China Morning Post (SCMP), February 4, 2018; “Unmanned ‘shark swarm” 人民日報(英語版), June 6, 2018; “Robotic Submarines” SCMP, July 22, 2018.

44 「中国的軍事戦略」国務院新聞弁公室 2015 年 6 月。45 習近平「决胜全面建成小康社会 夺取新时代中国特色社会主义伟大胜利——在中国共产党第十九次全国代表大会

上的报告」新華網、2017 年 10 月 27 日。

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2 号(2020 年 1 月)

る総合的な戦闘力の向上を目指している。そして、新型作戦力量とはロボット工学、AI、レーザーといった新たな技術やプラットフォームを指し、新型保障力量は新領域における新たな作戦能力の総称を意味している。

一方で習近平主席は「軍事智能化の発展を加速させる」ことにも触れている。この軍事智能化あるいはスマート化とは、軍事に係る IT 化と AI 化を推し進め、高度な情報システムに基づき、リアルタイムで全軍を包括するような作戦体系を確立することと考えられる。将来、IOT と呼ばれるような、様々な機器がリンクし、大量のデータが流通するネットワークにおいて、通信・情報処理速度の向上とその安定性・安全性の確保がより重要となるが、中国は、これを支える第 5 世代通信システムに関して最先端の技術力を有しているとされている。これらの技術は軍事セクターに応用した場合にも大きな効果が期待できることから、中国は先端分野においてイノベーションを起こすことで既存技術における劣位を克服し、米国に対しても優位に立つことが出来るリープフロッグ(leap frog)の好機となると認識している 46。そして、その鍵を担う技術として RAS・AI の潜在性を高く評価しており、同分野に対し重点的な研究開発投資が行われているものと考えられる。

CNAS のエルサ・カニア(Elsa Kania)研究員によると、中国における AI の AWS への実装は次のような分野が考えられるとしている 47。まず UAV について、中国は軍事ドローンの輸出に積極的で、民間セクターにおける小型ドローン(クアドコプター)やスウォームに関する技術開発も進んでいることから、軍事部門への応用も積極的に検討されているであろうという。また人民解放軍海軍によって自動化無人潜水艦(UUV)の開発や自動化無人水上艦艇(USV)の開発も進められているとされ、USV については 2010 年頃より上海大学潜水技術研究所で研究が進められている。さらに中国メディアでは、高度な AI を搭載した巡航ミサイルの開発についても報じられており、各種プラットフォームへの試験的な適用が進められていると考えられる。

次に運用構想については、軍事科学院の劉瑋琦は『解放軍報』において①指揮統制、②スウォーム、③電子対抗能力の三つ作戦能力への応用をスマート化作戦の例として挙げている 48。また『解放軍報』の論説のでは、スマート化作戦の基本形式として、「スウォーム」、「木馬式」、「自主式」、「システム麻痺」の四つの形式が挙げられている 49。この論説で指摘されるスウォームとは、高品質で高価なプラットフォームに対して小

46 Kania, Battle Field Singularity, p. 4.47 U.S.-China Economic and Security Review Commission, 2017 Report to Congress of the U.S-China Economic and Security

Review Commission, November 2017, pp. 571-576.48 劉瑋琦「知能化戦争大幕拉開」『解放軍報』2018 年 5 月 17 日。49 張暁杰・張全礼「前瞻知能化作戦基本様式」『解放軍報』2018 年 1 月 4 日。

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ロボット工学・自律型システム・人工知能(RAS-AI)に関する技術開発の動向と自律型兵器システム(AWS)の運用についての展望

型で安価な無人プラットフォームによる消耗戦を強いることで効果を発揮しようというもので、上述の OFFSET と異なり、ハイエンドな戦争での運用を意識した構想といえる。次に「木馬式」は重要地点に小型無人プラットフォームを予め忍ばせておき、必要な時にトロイの木馬のように活性化させるというもので、防衛任務の効率化、少人化を目指したものと考えられる。システム麻痺は、小型車載式レーザー、電磁パルス、マイクロウェーブなどを駆使して敵システムを麻痺、脆弱化させるとしており、電子戦能力に注目していることが理解できる。これらの構想は米国やロシアなどでも検討されているもので、中国が技術とともに、その運用についても海外での動向に注意を払いっていることが伺える。

一方で、上述の「自主式」と呼ばれる自律システムによる作戦の遂行に関して、中国では戦争コントロールは人が中心であるべき、という認識が強いという特徴が見受けられる。このため無人作戦についても、自律システムが決定し行動するのではなく、前線の機械に自主的な行動権限を与えつつも、その判断、行動については後方で人が管理する、ヒト主導の人 - 機械協働作戦を意味するとしている 50。その理由としては、中国では党の軍に対する指導、政治による軍の統制を重視している点が考えられる。つまり AWS が実用化した場合、党指導者の指令を忠実に実施し、軍人の意思の介在を減少させるという意味で党の統制強化に役立つが、システムの自律性が高まり人のコントロールからも離れたものとなれば、それは逆に党の指導を弱めることを意味するため、あくまで人による管理が基本にある点がより重視されると考えられる。同様の傾向は様々なレベルで見られ、前出のカニア研究員は、人民解放軍自身も、その組織的特性として軍の高位レベルに権限を集中させる傾向が強いという。このため、AWS

を利用することで下位レベルの将校や下士官に権限を委託することなく作戦意図を実現する「階層(echelon)を超えた指揮」51 が可能となり、人民解放軍の指揮官にとっては望ましい効果をもたらすかもしれないと指摘している。

以上のような考えに基づけば、中国における RAS・AI 技術の開発、AWS の運用の検討は、米国側が、その利点を複雑な環境下での自律・分散・協調に見出している 52

のとは異なり、集中型の指揮統制に適した技術開発および運用を目指したものになる

50 沈寿林・張国寧「認識知能化作戦」『解放軍報』2018 年 3 月 1 日。同様の考えは、AI の役割について、「人を中心」とした人 - 機械相互作用にあるとした「第 13 次国家科技創新規画」にも見られる「国务院关于印发“十三五”国家科技创新规划的通知(国发〔2016〕43 号)」中華人民共和国中央政府、2017 年 7 月 28 日。

51 Kania, Battle Field Singularity, p. 17.52 “Strategic Technology Office Outlines Vision for ‘Mosaic Warfare’” DARPA News and Events, August 4, 2017, https://

www.darpa.mil/news-events/2017-08-04; “Adapting Cross-Domain Kill-Webs (ACK)” by Dan Javorsek, DARPA Program Information, https://www.darpa.mil/program/adapting-cross-domain-kill-webs; Bryan Clark, Dan Patt, and Harrison Schramm,

“Decision Maneuver: the Next Revolution in Military Affairs,” Over the Horizon: Multidomain Operations & Strategy, April 29, 2019, https://othjournal.com/2019/04/29/decision-maneuver-the-next-revolution-in-military-affairs/.

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2 号(2020 年 1 月)

ことも考えられる 53。

(3)ロシア ――理論-実践的開発と戦略バランスの再構築ロシアでは 2017 年 7 月に AI ロードマップ 54 が発表され、同年 9 月にはウラジミール・

プーチン大統領が「公開授業」55 において、人工知能の分野で主導権を握る国が次世代を支配すると述べるなど、近年になって AI に対する関心が急速に高まっている。そして 2019 年中には国家 AI 戦略 56 を策定するとしている。

ロシアは、長らく続いた経済停滞の影響から、官民問わず研究開発部門に十分な投資を行うことが出来ず、また通常戦力に用いられる先端技術において米国に後れを取っているとの認識がある。2014 年に改訂された軍事ドクトリンの中では、近代的な軍事紛争では UAV・UUV などの新たなプラットフォームが自動化された指揮統制システムによって運用されているとし、兵器システムの統合、情報の品質・機能の向上、情報共有体制の強化が重要であるとの認識を示した。その上で情報ネットワークに兵器システムをリンクさせることで戦略レベルから戦術レベルまで一体的な統合運用が可能になるとしている 57。これは、将来の戦争では新興技術によって、部隊、兵器の運用・管理がより自動化、集権化されるというロシア側の認識を示したものと考えられ、シリアでの活動においても、このような軍事理論の影響がみられるという 58。そしてロシアは、この技術・能力ギャップを埋めるべく、将来的に RAS・AI を含む新興技術を無人プラットフォームに積極的に適用すると考えられる 59。

ロシアにおける AWS の開発、運用状況に関しては、現在はまだ遠隔操作が中心であ

53 Elsa Kania, “Chinese Military Innovation in Artificial Intelligence,” Testimony before the U.S.-China Economic and Security Review Commission Hearing on Trade, Technology, and Military-Civil Fusion, June 7, 2017, p.29, https://www.uscc.gov/sites/default/files/June%207%20Hearing_Panel%201_Elsa%20Kania_Chinese%20Military%20Innovation%20in%20Artificial%20Intelligence.pdf.

54 Radina Gigova, “Who Vladimir Putin Thinks Will Rule the World,” CNN, September 2 2017, https://edition.cnn.com/2017/09/01/world/putin-artificial-intelligence-will-rule-world/index.html.

55 “Whoever leads in AI will rule the world’: Putin to Russian children on Knowledge Day,” RT News, September 1, 2017, https://www.rt.com/news/401731-ai-rule-world-putin/.

56 Samuel Bendett, “Russia: Expect a National AI Roadmap by Midyear,” Defense One, January 8, 2019, https://www.defenseone.com/technology/2019/01/russia-expect-national-ai-roadmap-midyear/154015/.

57 “Military Doctrine of the Russian Federation,” https://www.offiziere.ch/wp-content/uploads-001/2015/08/Russia-s-2014-Military-Doctrine.pdf.

58 Roger McDermott, “Russia’s Military Scientists and Future Warfare,” Eurasia Daily Monitor, Vol.16 Iss.83, June 5, 2019, https://jamestown.org/program/russias-military-scientists-and-future-warfare/.

59 Vadim Kozyulin, “Speaker’s Summary: Russia's Automated and Autonomous Weapons and Their Consideration from a Policy Standpoint,” Autonomous Weapons System: Implication of Increasing Autonomy in the Critical Functions of Weapon, Expert Meeting, Versoix, Switzerland, 15-16 March 2016, Geneva, Switzerland: ICRC, March 2016, pp 60-63, http://icrcndresourcecentre.org/wp-content/uploads/2017/11/4283_002_Autonomus-Weapon-Systems_WEB.pdf.

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ロボット工学・自律型システム・人工知能(RAS-AI)に関する技術開発の動向と自律型兵器システム(AWS)の運用についての展望

るものの、UAV などの無人システムの導入が積極的に行われており 60、無人歩哨兵器、対ドローンシステムなどの準 AWS の実用化も進められている 61。そして、いくつかの無人システムについてはシリアなどで試験的に実戦投入されたと報じられている 62。まず小型 UGV については、空挺部隊などによる運用を前提に、主に低烈度紛争あるいは対反乱・安定化作戦などにおける戦闘での利用を目的に開発されていると考えられる。シリアでの戦闘に投入されたといわれるウラン(Uran)・シリーズには、警戒監視型、地雷除去型、攻撃型など様々なバリエーションが確認されているものの、その運用方法についての情報は少なく、ウラン-9 と呼ばれる攻撃型 UGV についてはシステム全体の障害によって十分な成果を挙げられなかったと報じられている 63。CNA のサミュエル・ベンデット(Samuel Bendett)は、UGV と歩兵の協働に関する運用ドクトリンは世界的にもまだ十分な検証が進んでおらず、ロシア軍もまだ開発中なのではないかと指摘している 64。つまり将来に向けた技術開発において運用ドクトリンなどの開発よりもプラットフォームでの実践が先行する形になったとみられる。

このような経緯の後、2019 年 6 月に開催された陸軍博覧会「ARMY」では ARF が開発した新攻撃型小型 UGV マーカー(Marker)が発表され、人間の指示に連動し砲塔が作動するデモ動画が公開された 65。マーカーは他の無人システムとの協働が可能とされ、また、ウランが実戦で得た教訓を取り入れたという。そして将来の自律型兵器開発のためテストベッドとして、カラシニコフ社が開発中の自律型機銃システムなどの試験、検証にも利用されるとしている。

次に UAV については、2008 年のジョージア紛争での教訓からロシアはクリミア・ウクライナ紛争において主に ISR 用の UAV を 16 種類も運用したとされ 66、今後も積極的に運用されるものとみられる。またシリアでの戦闘では小型 UAV によるスウォー

60 Patrick Tucker, “Russian Weapons Maker To Build AI-Directed Guns,” Defense One, July 14, 2017, https://www.defenseone.com/technology/2017/07/russian-weapons-maker-build-ai-guns/139452/.

61 Andrew Radin, et al. The Future of the Russian Military Russia’s Ground Combat Capabilities and Implications for U.S.-Russia Competition Appendixes, (Washington, DC: RAND Corp, 2019), pp.33-34, https://www.rand.org/mwg-internal/de5fs23hu73ds/progress?id=puNO9zX7BiBbFdfLjn7-4DQwgf87aAAgmSKniqyyg14,.

62 Roger McDermott, “Russia’s Network-Centric Warfare Capability: Tried and Tested in Syria,” Eurasia Daily Monitor, Vol. 15, Iss. 154, Jamestown Foundation, October 30, 2018, p. ; Samuel Bendett “Russia Is Poised to Surprise the US in Battlefield Robotics,” Defense One, January 25, 2018, https://www.defenseone.com/ideas/2018/01/russia-poised-surprise-us-battlefield-robotics/145439/.

63 Daniel Brown, “Russia's Uran-9 robot tank reportedly performed horribly in Syria,” Business Insider, July 10, 2018, https://www.businessinsider.com/russias-uran-9-robot-tank-performed-horribly-in-syria-2018-7

64 Kelsey Atherton, “Is this Russia’s gateway drone to better armed robots?,” C4ISR net, July 31, 2019, https://www.c4isrnet.com/unmanned/2019/07/31/is-this-russias-gateway-drone-to-better-armed-robots/.

65 Roger McDermott, “Moscow Pursues Artificial Intelligence for Military Application,” Eurasia Daily Monitor, vol.16, iss.89, June 19, 2019 https://jamestown.org/program/moscow-pursues-artificial-intelligence-for-military-application/.

66 Ilachinski, AI, Robotics, and Swarms, pp.18.

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ム攻撃を受けるなどの経験もしており、実戦を通じた技術、戦術の検証が更に進められるものと考えられる 67。スウォームについては後述するように先進研究基金(ARF,

FPI: Fond Perspektivnykh Issledovaniy)で小型ドローンを用いた様々な試験が実施され、ERA テクノポリスでも小規模なスウォームの実証試験を完了したと報じられている 68。中型 UAV については現在、イスラエルから技術導入し自国開発を進めている段階とされる 69。一方で、ウクライナ紛争では政府機関や重要インフラへのサイバー攻撃と並行して、UAV も利用する電子戦システムを用いて洗練された作戦を実施したといわれる 70。これらサイバー、電磁スペクトラムといった新たな領域は AI 技術が比較的早期に実装されると考えられており、ロシアが他国に先んじて、非対称戦、ハイブリッド戦に AI の適用を試みる可能性があると考えられる 71。

大型 UAV については、2019 年 8 月にスホーイ S-70 オホトニク-B と呼ばれるステルス無人機のプロトタイプの試験飛行の様子が公開された 72。このオホトニク-B は「攻撃・偵察無人複合体」と位置づけられ、偵察・監視だけではなく攻撃、電子戦等も含めた複合的な任務に対応し、敵対的作戦環境下においても自律航行可能としている 73。この大型ステルス UCAV のデモンストレーションが初公開されたのが中距離核ミサイル制限条約の失効した日であることから、UAV・UUV などを活用する米国の通常戦力との能力ギャップに危機感を抱いているロシアが、政治的メッセージとして、戦略兵器へ RAS・AI 技術を適用し、戦略的均衡を図ろうという姿勢を示したとの見方もあ

67 Zak Doffman, “Russian Military Plans Swarms Of Lethal 'Jihadi-Style' Drones Carrying Explosives,” Forbes, Jul 8, 2019, Zak Doffman, https://www.forbes.com/sites/zakdoffman/2019/07/08/russias-military-plans-to-copy-jihadi-terrorists-and-arm-domestic-size-drones/#3539047732e7

68 “In the Era technopolis, scientific companies began training with the UAV laboratory” (В технополисе "Эра" научные роты начали занятия с лабораторией БПЛА), РИА Новости, October 22, 2018, https://ria.ru/20181022/1531226599.html,

69 Yossi Melman, “Israel Selling Reconnaissance Drones to Russia,” Haaretz, April 12, 2009, https://www.haaretz.com/1.5035664; Samuel Bendett, “The Rise of Russia’s Hi-Tech Military,” Fletcher Security Review, June 26, 2019, https://www.afpc.org/publications/articles/the-rise-of-russias-hi-tech-military#_ftn48; Patric Hilsman, “How Israeli-Designed Drones Become Russia’s Eyes in the Sky for Defending Bashar-Assad,” The Intercept, July 16, 2019, https://theintercept.com/2019/07/16/syria-war-israel-russia-drones/.

70 Michael Connell and Sarah Vogler, Russia’s Approach to Cyber Warfare, (Washington: CNA, March 2017), pp. 19-22, https://www.cna.org/CNA_files/PDF/DOP-2016-U-014231-1Rev.pdf; Roger McDermott, Russia’s Electronic Warfare Capability to 2025: Challenging NATO in the Electormagnetic Spectrum, Tallinn, Estonia: International Center for Defence and Security (ICDS), September 2017,pp23-28, https://icds.ee/wp-content/uploads/2018/ICDS_Report_Russias_Electronic_Warfare_to_2025.pdf.

71 Alina Polyakova “Weapons of the weak: Russia and AI-driven asymmetric warfare,” Brookings Institute, November 15, 2018, https://www.brookings.edu/research/weapons-of-the-weak-russia-and-ai-driven-asymmetric-warfare/

72 Justin Bronk, “First Flight of Russia’s S-70 Okhotnik-B UCAV,” RUSI Defence Systems, August 9, 2019, https://rusi.org/publication/rusi-defence-systems/first-flight-russia%E2%80%99s-s-70-okhotnik-b-ucav

73 Nikolai Litovkin, “First photos published of Russia’s secret Okhotnik strike drone,” February 8, 2019, https://www.rbth.com/science-and-tech/329956-first-photos-published-of-russias. ロシアビヨンドによると開発は 2011 年に始まり Jane’s によると最高速度は亜音速、2 つウェポンベイに 2 トン以上の武器等を納め、3,700 マイル分の燃料を搭載することが可能と考えられ、レーダー吸収材でコーティングされていると報告されている。

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ロボット工学・自律型システム・人工知能(RAS-AI)に関する技術開発の動向と自律型兵器システム(AWS)の運用についての展望

る 74。これと関連してミサイルについては、2016 年にプーチン大統領が公表した「新戦略兵器」原子力推進巡航ミサイル・ブレヴェスニクは、敵レーダー網を探索し自律的に航行経路を判断して、敵ミサイル防衛網を無効化する能力があると報じられており、2018 年にはビクトル・ボンダレフ航空宇宙軍司令官(当時)が、数年のうちに AI

を搭載した巡航ミサイルを保有できると発言している 75。

3.両用技術における国家ノベーションシステムと国際技術開発競争

(1)米国 ――民生技術の取り込みと技術の拡散に対する姿勢の変化近年、各国政府は幅広い分野での応用が期待される次世代の中核技術として RAS・

AI に注目し、研究開発促進のための政策を相次いで発表している 76。米国ではオバマ政権下の 2015 年に、「米国イノベーション戦略 2015」77 を発表し、その中でビッグデータイニシアティブや自動走行技術に関するコンペティション「グランドチャレンジ」など AI に係る応用研究やその社会実装に標準を合わせていた。しかし、当時はまだ AI

を独立したアジェンダとして取り上げることはしておらず、国家レベルでの AI 戦略の策定は 2016 年になってからで、さらに国防省が AI 戦略を発表したのは 2018 年になってからである(表 4)。オバマ政権に引き続きトランプ政権でも第 3 のオフセット戦略を推進してきたロバート・ワーク(Robert Work)元国防副長官は、世界の主要国が AI

の開発を「国家安全保障を守るための主要戦略」と見なしているとし、米国が所謂スプートニク・ショックを再び経験することがないよう、軍事への適用について優先順

74 Sebastien Roblin, “Looks Like a B-2 Bomber: Watch the Test Flight of Russia’s New Stealth Attack Drone: But is it really stealth?,” The National Interests, https://nationalinterest.org/print/blog/buzz/looks-b-2-bomber-watch-test-flight-russia’s-new-stealth-attack-drone-72386 1/5. INF を巡っては、米国は移動式の長距離巡航ミサイル・イスカンデル -K を条約違反と指摘したが、一方でロシア側は長距離無人偵察機を「巡航ミサイル」と見做すべきであり、INF 条約で禁止するべきと応酬していた。

75 Bendett, “In AI, Russia is Hustling,” Defense One.76 Lindsey Sheppard, Artificial Intelligence and National Security: The Importance of the AI Ecosystem, (Washington, DC: Center

for Strategic & International Studies (CSIS), November 2018), pp 46-63 , https://csis-prod.s3.amazonaws.com/mwg-internal/de5fs23hu73ds/progress?id=BJuEEP6KHsufQsf7ktNSOxZhOa01ihBOHHBU3NllOcE,; Michael Horowitz, Gregory Allen, Elsa Kania, and Paul Scharre, Strategic Competition in an Era of Artificial Intelligence, (Washington, DC: CNAS, July 2018), pp. 12-16 ; https://s3.amazonaws.com/mwg-internal/de5fs23hu73ds/progress?id=b4UXFbyjFDC_M0oFlPCpIBg8bKWbSaSc6Hc_1ysOoYM,. ただし軍事技術史に詳しいペンシルバニア大学のマイケル・ホロウィッツ(Michael Horowitz)教授は、AI に関する「国家の競争力」と「軍事技術の優位性」は区別して議論すべきと指摘している。Michael Horowitz,“Artificial Intelligence, International Competition, and the Balance of Power.” Texas National Security Review. Vol. 1, Issue 3 (May 2018), pp. 42-45.

77 A Strategy for American Innovation, National Economic Council and Office of Science and Technology Policy October 2015, pp.84-104, https://obamawhitehouse.archives.gov/sites/default/files/strategy_for_american_innovation_october_2015.pdf.

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位をつけるガイドラインが必要であるとの考えを示していた 78。これは他の重要兵器や要素技術と競合する限られた研究開発予算の枠内で、各軍種間もしくは各プログラム間での二重投資や非連接性が生じないよう、組織横断的な情報管理と技術経営を求めた提言と考えられる。このため、各軍種・研究機関における取り組みを調整し、国防省全体に向けた AI に関するツールやデータの共有、再利用可能な技術、プロセスおよび専門知識に関する標準の確立を目的とするセンターオブエクセレンス(COE: Center

of Excellence)として、統合人工知能センター(JAIC: Joint Artificial Intelligence Center)が2018 年 6 月に創設された 79。また陸軍は AWS について、ハイエンドな戦争からハイブリッド戦まで将来戦に必要な能力の構築を効率化するべく、運用構想と技術、機能を相互に検証しながら研究開発が進められるように将来戦コマンド内に AI に関するタスクフォースを設置し、同時に JAIC を支援する役割も付与している 80。

一方で国家防衛戦略では「自律型システムについては、さらなる軍事的優位を獲得するために、民間における技術革新の迅速な導入も含め、自律性、人工知能、機械学習の軍事的活用に向けて幅広く投資していく」81 ことを明言しているが、国防省はこれまで、当該分野に関する最新技術を有する企業と緊密な協力関係を構築してこなかったこともあり、民間セクターが有する高い技術資源をいかに素早く軍に取り込むことができるか模索している。例えば、国防省の制度改革によって 2015 年に発足した国防イノベーション実験組織(DIUx: Defense Innovation Unit Experimental)(当時)は、シリコンバレー、ボストン、オースチンなどの先端テック企業の集積地にオフィスを構え、技術情報の収集や契約を通じた協力関係の構築を進めている 82。また大学などの学術部門に対しては DARPA や各軍・研究機関における研究プロジェクトの公募、FFRDC

(Federally Funded Research and Development Centers)などへの研究委託によって先端科学技術へのアクセスを確保しようと試みている。例えば空軍はマサチューセッツ工科大学(MIT)と AI アクセラレータと呼ばれる連携協定を結び、少なくとも 10 件のプロジェ

78 Govini, DoD AI Big Data and Cloud, pp. 2-5; Zachary Cohen, “US risks losing artificial intelligence arms race to China and Russia,” CNN, November 29, https://edition.cnn.com/2017/11/29/politics/us-military-artificial-intelligence-russia-china/index.html; 2017 Colin Clark “Our Artificial Intelligence ‘Sputnik Moment’ Is Now: Eric Schmidt & Bob Work,” Breaking Defense, November 01, 2017, https://breakingdefense.com/2017/11/our-artificial-intelligence-sputnik-moment-is-now-eric-schmidt-bob-work/?_ga=2.65416942.1702442390.1509614577-220094446.1509614577.

79 “Vision: Transform the DoD Through Artificial Intelligence,” U.S. Department of Defense Chief Information Officer Joint Artificial Intelligence Center, https://dodcio.defense.gov/About-DoD-CIO/Organization/JAIC/

80 Sean Kimmons “Army leaders discuss benefits, challenges with AI systems,” Army News Service, March 14, 2019, https://www.army.mil/article/218595/army_leaders_discuss_benefits_challenges_with_ai_systems.

81 Summary of National Defense Strategy, Ibid.p.3.82 Michel Brown, “Artificial Intelligence Initiatives within the Defense Innovation Unit,” Statement Beforen Senate Armed

Service Committee Subcommittee on Emerging Threats and Capabilities, March12, 2019, pp. 3-4, https://www.armed-services.senate.gov/imo/media/doc/Brown_03-12-19.pdf ; “Commercial Solutions Opening (CSO),” Office of the Secretary of Defense Defense Innovation Unit (DIU), https://www.diu.mil/download/datasets/1988/DIU_CSO_-_2018_Update.pdf

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ロボット工学・自律型システム・人工知能(RAS-AI)に関する技術開発の動向と自律型兵器システム(AWS)の運用についての展望

クトについて協力関係の構築を目指している 83。また、空軍研究所(AFRL)はウィスコンシン大学マディソン校と陸軍研究所(ARL)、海軍研究所(NRL)はそれぞれカーネギーメロン大学と共同プロジェクトに関する協定を結んでいる 84。一方で、シリコンバレーを中心をとしたテック企業関係者の一部からはグーグルにおけるメイブン

(Meiven)計画 85 への抗議運動のように、軍事技術開発に協力することに対して強い抵抗感が示される事例もみられた 86。このため国防イノベーション委員会(DIB: Defense

Innovation Board)は AWS についての安全性に関する原則を示す必要性があるとしており、JAIC も技術的側面だけではなく、法的、倫理的側面からも AI に関する検討を進める方針である 87。また、先述のように DARPA では、RAS・AI の信頼性・説明責任能力に関する課題を克服するべく Next-AI プログラムにおいて、その判断に至ったプロセスについて説明が可能な AI の開発を進めている 88。一方で、例えば業務プロセスやサイバー・セキュリティ分野においては民間セクターの利活用が積極的に進められており、国防省が推進するクラウド・イニシアチブである上述の JEDI プログラムでは、商用クラウド技術を基盤としてシステムを構築する計画である 89。

RAS・AI 技術に関して米国の民間セクターは、実質的な技術標準を確立する存在であり、これを担うのが大手プラットフォーム企業などに代表されるテック企業やスタートアップで、ここに大学や各種研究機関が加わり米国に層の厚いイノベーション・エコシステムを形成している。民間セクターでの技術取引は統制することが難しく、特

83 Rob Matheson, “MIT and U.S. Air Force sign agreement to launch AI Accelerator,” MIT News, May 20, 2019, http://news.mit.edu/2019/mit-and-us-air-force-sign-agreement-new-ai-accelerator-0520.

84 Lee Seversky, “AFRL Scientists & Engineers join University of Wisconsin teams to address machine learning challenges,” Air Force Research Laboratory, July 23, 2019, https://www.wpafb.af.mil/News/Article-Display/Article/1913022/afrl-scientists-engineers-join-university-of-wisconsin-teams-to-address-machine/; “Carnegie Mellon University and Army Research Lab Announce $72 Million Cooperative Agreement,” Carnegie Mellon University News, March 11, 2019, https://www.cmu.edu/news/stories/archives/2019/march/army-agreement.html; Daniel Parry, “Navy, Carnegie Mellon Enter Education Partnership,” American Navy, August 15, 2018, https://www.navy.mil/submit/display.asp?story_id=106738.

85 Cheryl Pellerin, “Project Maven to Deploy Computer Algorithms to War Zone by Year’s End,” DOD, July 21, 2017, https://www.defense.gov/Newsroom/News/Article/Article/1254719/project-maven-to-deploy-computer-algorithms-to-war-zone-by-years-end/.

86 グーグル社が 2018 年 6 月にメイブン計画(Project Maven)を巡って社内外から激しい反発を受けた結果、AIの軍事利用に関するガイドラインを作成、同計画については国防省との契約を更新しない旨発表する事となった。Drew Harwell, “Google to drop Pentagon AI contract after employee objections to the ‘business of war’, The Washington Post, June 2, 2018, https://www.washingtonpost.com/news/the-switch/wp/2018/06/01/google-to-drop-pentagon-ai-contract-after-employees-called-it-the-business-of-war/; “Pentagon’s AI Surge On Track, Despite Google Protest,” Foreign Policy, June 29, 2018, https://foreignpolicy.com/2018/06/29/google-protest-wont-stop-pentagons-a-i-revolution/.

87 “Defense Innovation Board's AI Principles Project; Message from the DIB,” Defense Innovation Board, https://innovation.defense.gov/ai/; John Shanahan, “Artificial Intelligence Initiatives,” Statement before Senate Armed Services Committee Subcommittee on Emerging Threat and Capabilities, March 12, 2019, p.9, https://www.armed-services.senate.gov/imo/media/doc/Shanahan_03-12-19.pdf.

88 “AI Next Campaign,” DARPA Work with Us, https://www.darpa.mil/work-with-us/ai-next-campaign.89 DoD CIO, JEDI: Understanding the Warfighting Requirements for DOD Enterprise Cloud, July 25, 2019, https://media.

defense.gov/2019/Aug/08/2002168542/-1/-1/1/UNDERSTANDING-THE-WARFIGHTING-REQUIREMENTS-FOR-DOD-ENTERPRISE-CLOUD-FINAL-08AUG2019.PDF.

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に AI に係わるアルゴリズムなどは容易に拡散(diffusion)可能という特徴がある。また目まぐるしくイノベーションが起こる環境での競争は「ファースト・ムーバー」よりも「ファースト・フォロワー」が市場での勝利者になることもある 90。そこでテック企業などは、基礎技術について特許を囲い込んで独占を目指すよりも、自社の知的財産が事実上の業界標準(de facto standard)となり将来的に優位な市場ポジションが得られるよう、情報をオープンソース化したり、あるいは研究者・エンジニアに向けて開発支援用プラットフォームやツールキットを供給したりするといった経営戦略が採られている 91。

このような中、近年、米国企業が中国と比べ不利な条件でのビジネス競争を強いられているのではないかという主張が見られるようになってきた。例えば中国はインターネット安全法によって外国企業による自国の情報資源へのアクセスを規制する一方で、

90 Larry Lewis, “Insights for the Third Offset: Addressing Challenges of Autonomy and Artificial Intelligence in Military Operation,” CNA September, 2017, p. 11.

91 “Apple Set to Join Amazon, Google, Facebook in AI Research Group,” January 26, 2017, https://www.bloomberg.com/news/articles/2017-01-26/apple-said-to-join-amazon-google-facebook-in-ai-research-group; “Despite Pledging Openness, Companies Rush to Patent AI Tech,” Wired, July 31, 2018, https://www.wired.com/story/despite-pledging-openness-companies-rush-to-patent-ai-tech/.

表4 米中露のRAS・AI関連施策国 関連施策

米国

●国防省「無人システム統合ロードマップ FY2011-16」(2011 年)●国防科学委員会「自律性の役割」(2012 年 7 月)○「米国イノベーション戦略」(2015 年月)・国家ロボテクス・イニシアチブ、ビッグデータ研究開発イニシアチブを優先課題に選定○大統領行政府「AI・自律・経済」(2016 年 10 月)○ホワイトハウス AI サミット(2018 年 5 月)●統合 AI 開発センター(JAIC)設立(2018 年 6 月)●国防省 2018AI 戦略(2019 年 2 月)

中国

○「中国製造 2025」(2015 年 5 月)・重点 10 分野として次世代(5G)通信規格・半導体・ロボティクス○「次世代人工知能(AI)発展計画」(中国国務院 2017 年 7 月)・2030 年までに世界のイノベーションの中心に・AI 産業規模1兆元、関連産業規模 10 兆元以上●習近平国家主席第 19 回党大会「軍事知能化」(2017 年 10 月)○「インターネット安全法」

ロシア

○先進研究基金(2016 年)○『ロシア連邦デジタル経済』行動計画(政府指示第 1632-r 号 2017 年 7 月)○プーチン大統領公開授業スピーチ(2017 年 9 月)●一般教書演説(2018 年 3 月)・6 種類の新兵器○ ERA テクノポリス計画(2018 年 9 月)○ AI 国家戦略「ロードマップ」(2019 年末予定)

(出所)各報道資料・公刊資料を元に執筆者作成

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ロボット工学・自律型システム・人工知能(RAS-AI)に関する技術開発の動向と自律型兵器システム(AWS)の運用についての展望

現地法人等を通じて米国で情報収集を行い、更には国家ぐるみで技術情報の詐取にも関わっていると指摘されている 92。また米国では、政府予算で行われる基礎科学などの研究プログラムの成果を原則公開しているが、その新興技術が実用化するまでのプロセスは企業努力に委ねられる。他方、軍民融合を標榜する中国では、国策として戦略分野に資源を集中投下することが可能であり、米国に先んじて実用化に成功することで破壊的イノベーションを実現しようとしている 93。並行して、中国は先端産業における技術開発で、その基礎技術や製造基盤を米国企業に依存することに危機感を抱き、2010 年以降、半導体分野などで産業振興と自給自足体制の構築を国策に掲げ、技術獲得を目的に欧米企業に対する買収攻勢をかけてきた。このような動きは米国政府、議会の警戒感を強め、そして 2018 年 1 月、DIUx(当時)が中国企業や政府系ファンドによって、米国の RAS・AI 関連スタートアップに対する組織的な投資、買収が行われている実態を告発するレポートを刊行した。この結果、国家安全保障の確保を目的に対米外国投資委員会(CFIUS : Committee on Foreign Investment in the United States)による審査の強化が図られ、同年 8 月に、2018 年外国投資リスク審査近代化法(FIRRMA :

Foreign Investment Risk Review Modernization Act)が成立している 94。このように、AI を含む新興技術に係る技術競争は安全保障問題と切り離すことが出来なくなっており、国家による民間セクターに対するイノベーションの促進と技術管理について、そのあり方が問われる時代になってきている 95。

92 How China’s Economic Aggression Threatens the Technologies and Intellectual Property of the United States and the World, (Washington, DC: White House Office of Trade and Manufacturing Policy, June 2018), pp.2-20; Eric Rosenbach, Katherine Mansted, The Geopolitics of Information, Belfer Center for Science and International Affairs, 2019, pp.5-14, https://www.belfercenter.org/sites/default/files/2019-08/GeopoliticsInformation.pdf

93 Robert Atkinson, Nigel Cory and Stephen Ezell, Stopping China’s Mercantilism: A Doctrine of Constructive, Alliance-Backed Confrontation, The Information Technology and Innovation Foundation (ITIF), March 2017, pp. 42-54 , http://www2.itif.org/2017-stopping-china-mercantilism.pdf; William Carter and William Crumpler, Smart Money on Chinese Advances in AI, CSIS China Innovation Policy Series, Washington, DC:CSIS, September 2019, p.7-11, https://csis-prod.s3.amazonaws.com/mwg-internal/de5fs23hu73ds/progress?id=MD4MhwuQoqfU--J9vwU4IJyz5sGexL_aWzCKw3UQE4g,.

94 Michael Brown and Pavneet Singh, China’s Technology Transfer Strategy: How Chinese Investments in Emerging Technology Enable a Strategic Competitor to Access the Crown Jewels of U.S. Innovation, (Defense Innovation Unit Experimental (DIUx), January 2018), https://admin.govexec.com/media/diux_chinatechnologytransferstudy_jan_2018_(1).pdf.CFIUS の運用強化は 2019 会計年度国防授権法(National Defense Authorization Act for Fiscal Year 2019)に盛り込まれていた。

95 James Manyika, William McRaven and Adam Segal, “Innovation and National Security: Keeping Our Edge,” CFR Independent Task Force Report, No. 77 (September 2019), pp.47-52, https://www.cfr.org/report/keeping-our-edge/pdf/TFR_Innovation_Strategy.pdf; Phil Stewart, “U.S. weighs restricting Chinese investment in artificial intelligence,” Reuters, June 14, 2017, https://www.reuters.com/article/us-usa-china-artificialintelligence/u-s-weighs-restricting-chinese-investment-in-artificial-intelligence-idUSKBN1942OX.

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2 号(2020 年 1 月)

2. 中国 ――軍民融合と制御可能なイノベーション・エコシステムの模索

現在、中国は軍のスマート化を目指した先端技術の活用を図っており、RAS・AI などの新興技術の軍事部門への適用については「軍民融合」型のアプローチが重視されている。中国の民間セクターはロボット産業や ICT サービス産業の成長が著しく、また AI など先端分野での技術開発力も成長しており、これらの技術力によって軍の近代化がけん引されることを期待している。そして、2017 年 1 月に習近平総書記は中央軍民融合発展委員会を設置し「富国と強軍の統一」を強調した。同委員会は、党・軍・政府の重要幹部を集めた委員会で、習近平が主任、中央政治局常務委員 3 人が副主任を務め、その目的は、党中央のレベルで国防技術開発を指導し、軍・政府・民間が共同で国防技術開発を実施していくことである。そして、同年 8 月には、第十三次五カ年計画期間(2016 年~ 2020 年)における軍民融合の発展計画である「十三五科技軍民融合発展専項規画」が発表され、7 方面 16 項目の重点プロジェクトが指定された。項目についての具体的な内容は明らとなっていないが、7 方面については、①科学技術軍民融合マクロ調整の強化、②軍民科技共同イノベーション能力の構築、③科学技術イノベーションの新資源の調整、④軍民科学技術の双方向への転化の促進、⑤モデルケースの展開:重点は軍民科学技術共同イノベーション・プラットフォーム、⑥イノベーションを行う組織建設、⑦政策制度体系の整備となっている 96。

中国では、これまで軍事技術に関して主に米露の技術開発の動向をフォローし、これらの技術を導入、模倣するというアプローチを採ってきた。このアプローチは民生分野においても同様であったが、中国の民間セクターにおける産業競争力、科学技術力の向上に伴い、国内で自立的なイノベーションが行われるようになり、これと軌を一にして、軍事分野においても国内での自立的なイノベーションが目指されるようになった。AWS および軍事分野における RAS・AI の研究開発を主導するのは、人民解放軍と関わりの深い機関・組織が想定され、軍事研究開発の最高機関である中央軍事委員会科学技術委員会が方針決定に大きな役割を果たすと考えられる。また国務院の国防科技工業局は、工業部門と連携し、軍に関する科学技術政策の実施を担っており、このほか中央軍事委員会装備発展部などでも関連分野の研究が行われていると考えられる。

軍民融合の推進に伴って、大学や研究機関においても軍との研究開発協力が進みつつある。例えば清華大学には、軍民融合国防尖端技術実験室、知能技術システム国家

96 「“十三五”科技军民融合发展专项规划发布」『人民日報』2017 年 8 月 24 日。

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ロボット工学・自律型システム・人工知能(RAS-AI)に関する技術開発の動向と自律型兵器システム(AWS)の運用についての展望

重点実験室、人工知能研究センターが開設され、中国科学院には知能機械研究所、自動化研究所、知能技術与系統国家重点実験室が設置されており、RAS・AI の軍事分野への応用などの研究も行われていると考えられる 97。また 2018 年 6 月には、河北省保定において人民解放軍空軍がスウォームに関して、中国電科電子科学研究院、清華大学、北京理工大学、遠望シンクタンクなどと合同でコンペティションを実施したと報じられ、①密集編隊での速度、②編隊共同偵察攻撃、③自主回収と空中給油といった競技種目に大学やシンクタンクなどから 100 余りのチームが参加したと報じられている 98。

企業との関係では、まず人民解放軍と密接な関係を有する国有企業において AWS 関連技術の研究開発が行われていると考えられ、この中には中国電子科技集団や中国航天科工集団、中国航空工業集団の傘下の研究所や重点実験室などが含まれると見られる。AI 開発については①軍民共用による、新世代人工知能基礎理論とカギとなる技術研究開発、②科学研究所、高校、企業と軍事工業による常態的なコミュニケーションと協調メカニズム、③新世代人工知能による指揮・決心、軍事シミュレーション、国防装備に対する強力な支援を重視した協力関係の構築、が模索されている。また北京市や上海交通大学、清華大学、ハルピン工業大学、蘇州大学など各行政機関や大学などにも相次いで人工知能研究センターが設立されており、地域の産業の発展と連携させつつイノベーション・エコシステムの形成が図られている 99。

これらの包括的な施策は中国政府が AI を「未来を導く戦略的技術」であり「国際競争の新たな焦点」として重視している事を示しており、2015 年 3 月に発表された「中国製造 2025」でも、今後、中国が目指すべきスマート製造において AI は中心的役割を果たすとされている 100。また 2016 年 7 月に発表された「第 13 次国家科技創新規画」101 では単独の項目として AI を取り上げ、理論研究と技術開発、開発ツールやプラットフォームについての研究と生産を目指すとし、そして 2017 年 6 月には国務院から「新世代人工知能発展規画」が発表され三段階発展戦略が示された 102。同戦略では ①

97 「“长城工程科技会议”第三次会议聚焦人工智能清华大学启动筹建“军民融合国防尖端技术实验室”」科学網、2017 年 6 月 26 日。

98 「空軍将挙辨無人争鋒無人機集群系統挑戦賽」空軍発布微信公衆号、2018 年 4 月 16 日。「我校代表隊獲首届無人争鋒智能無人機集群系統挑戦賽冠軍」航天学院、2018 年 7 月 11 日。

99 「北京前沿国际人工智能研究院成立」『新京報』2018 年 2 月 9 日。「清华大学人工智能研究院揭牌成立」清華大学、2018 年 6 月 28 日。「上海交通大学人工智能研究院成立大会举行」上海交通大学新聞網、2018 年 1 月 19 日。「哈工大人工智能研究院成立」黒竜江日報、2018 年 5 月 6 日。「苏州大学人工智能研究院揭牌成立」蘇州大学新聞網、2017 年 11 月 19 日。

100 「国务院关于印发《中国制造 2025》的通知(国发〔2015〕28 号)」中華人民共和国中央政府、2015 年 5 月 8 日。101 「国务院关于印发“十三五”国家科技创新规划的通知(国发〔2016〕43 号)」中華人民共和国中央政府、2017

年 7 月 28 日。2017 年 3 月に開かれた全国人民代表大会でも、李克強首相による政府工作報告において、AI が第 5 世代通信技術や新エネルギーなどと並んで戦略的な新興産業育成発展計画の一部として取り上げられた。

「政府工作報告」新華網、2017 年 3 月 16 日。102 「国务院关于印发新一代人工智能发展规划的通知 国发〔2017〕35 号」国務院、2017 年 7 月 8 日。

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2 号(2020 年 1 月)

2020 年までに、人工知能の総合技術と応用において世界の先進水準に並び、人工知能産業が経済成長の新たな重要起点となり、人工知能技術の応用が民生改善の新ルートとなり、イノベーション型国家となるうえでの有力な支えとなる、② 2025 年までに、人工知能の基礎理論において重要な突破口を開き、一部技術と応用において世界を牽引する水準に到達し、人工知能は我が国の産業レベルアップと経済転換の主要な動力となり、スマート社会化が進展する、③ 2030 年までに、人工知能理論、技術と応用において総合的に世界を牽引する水準となり、世界の主要 AI イノベーションセンターとなり、市場規模は一兆元規模となる、という長期戦略が明らかとなった。この三段階戦略からは中国が AI 分野において世界のトップになると同時に、その波及効果によって経済成長と産業構造の高度化を同時に図ろうという構想が覗える。このため政府は2020 年から 2030 年を AI 開発において致命的に重要な時期ととらえ、国内の研究開発リソースの大規模な動員を図っている。例えば「発展規画」発表後に AI オープン・イノベーション・プラットフォームに指定された百度、アリババ、テンセント、アイフライテックの中国大手プラットフォーム企業 4 社も AI 分野の研究開発に積極的な投資を行っており、李克強首相は 2018 年 3 月の政府工作報告において、新世代 AI 研究開発およびその応用を強化することで、多くの領域でインターネットプラスを推進するとしている 103。

以上のような官民一体となった戦略によって、中国は AI に関する論文の数と被引用数、関連特許数およびベンチャー投資額において世界一となり、AI 関連企業数、人材数においても世界第二位となっている 104。このように中国で AI が科学技術振興策としても、また産業政策としても重視される背景には、政府が AI を中国語でいうところの

「転覆性技術(disruptive technology)」、いわゆる破壊的イノベーションと捉えているためと考えられる。破壊的イノベーションは、技術パラダイムを一変させ、既存の技術優位性を陳腐化させることを意味し、この技術開発競争に打ち勝つことで、産業競争力、ひいては軍事技術力においてもリープフロッグを実現し、その劣位を克服しようという構想を持っていると考えられる。

一方で RAS・AI に関する中国のイノベーション・エコシステムには、いくつかの課題も存在する 105。まずトップ人材の育成・確保である。中国は AI に関連する人材を豊富に有しており、米国(28536 人)に次いで世界第 2 位(18232 人)に位置する。しかしトッ

103 「政府工作報告」新華網、2018 年 3 月 22 日。百度は北京航空航天大学と協力して人工知能研究を進めている。104 Gregory Allen, “Understanding China’s AI Strategy: Clues to Chinese Strategic Thinking on Artificial Intelligence and

National Security,” Center for a New American Security, Feb. 2018, p. 9.105 Ibid, pp.10-11.

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ロボット工学・自律型システム・人工知能(RAS-AI)に関する技術開発の動向と自律型兵器システム(AWS)の運用についての展望

プクラスの人材となると、第 1 位の米国が 5518 人であるのに対し、中国は 977 人で世界第 8 位と順位を下げる。また研究開発に必要となる関連技術や開発支援ツールの多くは米国で開発されたものであり、さらに技術開発競争において重要な要素となる技術標準の策定についても、中国企業は国際交渉における経験不足、自国の抱える地政学的リスクから不利な立場にあるといえる。これは第5世代通信システムの技術規格を巡る競争に与えた影響として顕著に表れている。また現在、中国は半導体についても米国に大きく依存しており、ハイテク戦争と呼ばれる米中間での摩擦が表面化したことで、その脆弱性が改めて認識されることとなった。例えば、2018 年 4 月に米国がZTE への半導体供給を制限したことから、同社は一時、経営危機に追い込まれた。このようなリスクに直面したことで、今後、中国は海外技術へのアクセスは確保しつつも、並行して海外への依存を減らすことが出来るよう自主技術の開発をより重視することで、独立した制御可能なイノベーション・エコシステムの確立を目指すものと考えられる。

このような対外関係に起因する課題に加え、中国型のイノベーション・エコシステムが構造的に抱える問題としては、中央集権型組織が主導する研究開発メカニズムが果たして模倣を超えた破壊的イノベーションを実現できるのかという疑問がある。これまで中国は国家プロジェクトとして国際水準の国産車、半導体の開発などを試みてきたが、これまでのところ、その計画を実現できたとはいえない。他方、RAS・AI のような新興技術に関する技術覇権競争では過去の蓄積が競争の優位性を決定するわけではない。軍民融合型のアプローチによる軍産学の連携、政府による強力な支援を背景に中国型のイノベーション・エコシステムがリープフロッグを実現することが出来るのか、米中間での新興技術分野を巡る覇権争いは、両国の産業競争力政策だけではなく、国際秩序を巡る摩擦にまで発展し始めている 106。

106 Rogier Creemers, “Thae International and Foreign Policy Impact of China’s Ai and Bigdata Strategies,” in AI, China, Russia, and the Global Order: Technological, Political, and Creative Perspectives, Nicholas Wright (eds.), DoD, December 2018, pp.72-77, https://nsiteam.com/mwg-internal/de5fs23hu73ds/progress?id=S4lQro8AYbAs6twggfleVYvwTmh-K6U907trRfNM5Dw,. 中国による AI 監視システムの輸出については Arthur Gwagwa, “Exporting Repression? China's Artificial Intelligence Push into Africa,” CFR, December 17, 2018, https://www.cfr.org/blog/exporting-repression-chinas-artificial-intelligence-push-africa. また AI と並び次世代の産業競争の要素技術と見做されている次世代通信技術

(5G)についてはブロック化の傾向がみられる。Eurasia Group White Paper: The Geopolitics of 5G, Eurasia Group, 15 November 2018, pp.13-20, https://www.eurasiagroup.net/siteFiles/Media/files/1811-14%205G%20special%20report%20public(1).pdf.

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3. ロシア ――計画的なイノベーション・エコシステムの構築

民間製造業部門の長期的な凋落傾向に直面していたロシアでは、2010 年にメドベージェフ大統領が経済の「近代化」を目指し、政府主導でロシア版のシリコンバレーを建設する「スコルコヴォ」構想を立ち上げた。これはスコルコヴォ・イノベーション・センターとスコルコヴォ科学技術大学を中心に巨大なテクノポリスを形成し、起業家や研究者を集約し、先端産業の振興を図ろうというものである。現在、スコルコヴォではベンチャー支援によって 1000 社以上のスタートアップが活動するイノベーション・エコシステムが形成されているといわれる 107。そして 2012 年にはプーチン大統領が、ロシアの防衛・安全保障に資する研究開発プログラムを推進するべく、ロシア版DARAP と称される ARF を創設し、2015 年には、その傘下にロボット工学基本要素・技術開発センターを開設するなどの施策によって、ロシアにおける AWS の開発およびRAS・AI の軍事分野への適用を推進している 108。このようにロシアにおける研究開発体制は、米国を参考として研究開発促進に関する様々な知見を取り入れ、イノベーション・エコシステムの形成、軍産学の連携、ファシリテーターの創設、ベンチャー投資への支援など様々な政策を計画的に実施しようというアプローチを採用している。

学術部門については、政府の文化的特性を反映して、中央統制をより強化する方向で改革が行われた。2013 年に連邦政府は、国内の限られたリソースをより効率的に活用することを目指し科学アカデミー再編法を可決、ロシア科学アカデミーへの一本化、連邦科学組織庁による統制の強化によって政府の方針をより反映しやすい体制への転換を実行した 109。そして 2016 年 12 月に「ロシア連邦科学技術発展戦略」110 に関する大統領令が示され、大統領指示のもと 2019 年 4 月には旧プログラム(2013 ~ 2020 年)を刷新し「ロシア連邦の科学技術発展」国家プログラム(2019 ~ 2030 年)111 が承認された。これは科学技術予算を増強し、効率的な管理運営を行いつつ、同時にイノベーション主導型経済への転換を図ろうとするもので、プーチン大統領が経済再建と国力強化

107 Mark Rice-Oxley, “Inside Skolkovo, Moscow’s self-styled Silicon Valley,” Jun 12, 2015, https://www.theguardian.com/cities/2015/jun/12/inside-skolkovo-moscows-self-styled-silicon-valley.

108 Bendett, “Russia’s Hi-Tech Military,”; “ARF proposed AI development standards to the MOD” (ФПИ предложил Минобороны стандарты для искусственного интеллекта),” RIA Novosti, March 20, 2018, https://ria.ru/technology/20180320/1516808875.html.

109 Irina Dezhina, “Russia’s Academy of Sciences’ Reform: Cause and Consequence for Russian Science,” Russia,Nei.Visions, no.77, (Paris: Ifri Russia/NIS Center, 2014), pp.20-23, https://www.ifri.org/mwg-internal/de5fs23hu73ds/progress?id=9eTLKdoKSBcqlmQptOtwoH_ZV0G6AJ08LE7SyoK6NDc,.

110 The President of the Russian Federation, Strategy for the Science and Technologyical Development of the Russian Federation (unofficial English translation), http://online.mai.ru/StrategySTD%20RF.pdf.

111 State Programme “Scientific and Technological Development of the Russian Federation” (2019-2030), HSE University-National Contact Points 'Mobility', 'Societies (INCO)', and 'Science with and for Society', https://fp.hse.ru/en/ftp

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ロボット工学・自律型システム・人工知能(RAS-AI)に関する技術開発の動向と自律型兵器システム(AWS)の運用についての展望

の鍵として国内の科学技術リソースの活用を重視しているという姿勢が覗える。民間セクターの振興、特にスタートアップの育成については、2014 年に新技術の開

発および国際競争力の強化を目指し「国家技術イニシアチブ(NTI)」112 が公表された。この NTI は政府が主導して、重点産業分野におけるイノベーション・エコシステムを形成することを目指すもので、戦略イニシアチブ庁(ASI)が産官学連携をアレンジし、ここにロシア・ベンチャーカンパニー(RVC)などの政府系機関・基金がプロジェクト融資やスタートアップへのベンチャー投資を行うというものである 113。加えて 2017

年 2 月にはロシアのデジタル化、知識経済化を推進する「テクネット」に関するロードマップが策定され、2035 年までに各産業に関するテストベッドや研究施設が創設されることとなった 114。さらに 2017 年 7 月に『ロシア連邦のデジタル経済』が、2018 年12 月には『ロシア連邦デジタル経済』パスポートが発表され、デジタル技術、情報インフラ、情報セキュリティ、電子政府などの国家プログラムを通じて産業構造の高度化が図られている 115。

ロシア政府がイノベーションによる経済・産業高度化政策を次々と打ち出す中で、連邦軍・国防省も AI への関心を急速に高めていった。国防省は 2018 年初頭にロシア科学アカデミー、教育科学省と共催で、連邦政府と各機関、民間企業を招いて AI 分野での協力関係の強化を目的とした会議を開催している 116。この会議でセルゲイ・ショイグ(Sergei Shoigu)国防大臣は、ロシアにおける科学技術と経済の安全保障に対する潜在的な危機に対処するべく AI 研究開発において軍と民間の科学者の協力が重要である、と官民協力の必要性を訴え、またユーリ・ボリショフ(Yury Borisov)国防副大臣も、AI によってサイバー空間、情報戦争に勝利できると唱えた 117。また ARF は 3 月に AI に関する研究開発プロジェクトについて、画像認識、音声認識、自律システム管理、ライフサイクル情報支援の 4 つの分野に絞って、その標準化を進めることをショイグ

112 “National Technology Initiative,” ASI, https://asi.ru/eng/nti/.113 Ksenia Zubacheva, “2035: Russia’s 20-years Vision for a Technological Future,” Russia Direct, May 30, https://russia-

direct.org/company-news/2035-russias-20-year-vision-technological-future; Jeff Schubert, “Russia’s ‘National Technology Initiative’ or ‘Waiting for the High-Tech Tooth-Fairy’!,” September 28, 2016, http://russianeconomicreform.ru/mwg-internal/de5fs23hu73ds/progress?id=MiiJ87vbXdC7eUNNLgh1t1tWsxoJF-7PDTTrXS3KBpU,.

114 National Technology Initiative, Technet: Advanced Manufacturing Technologies, http://assets.fea.ru/mwg-internal/de5fs23hu73ds/progress?id=G3I02VORbKc77nrtw_uBT8czTe0YI1Jt5BEO-40m3hw,.

115 “National program Digital economy of the Russian Federation,” TADVISER, February 5, 2019, http://tadviser.com/index.php/Article:National_program_Digital_economy_of_the_Russian_Federation#.2A_Passport_of_the_Digital_Economy_national_program_and_six_federal_projects._Express_analysis_of_TAdviser.

116 Samuel Bendett, “In AI, Russia is Hustling to Catch Up,” Defense One, April 4, 2018, https://www.defenseone.com/ideas/2018/04/russia-races-forward-ai-development/147178/

117 “Shoigu called on military and civilian scientists to jointly develop robots and UAVs” (Шойгу призвал военных и гражданских ученых совместно разрабатывать роботов и беспилотники), TASS.ru. March 14, 2018, http://tass.ru/armiya-i-opk/5028777;

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国防大臣に対し説明した旨報じられており、米国の JAIC のような役割も兼ねようとしているのではとも考えられる 118。

同会議では、2019 年中に発表が予定されている国家 AI 戦略に関連したロードマップの草案が示されたと報じられている。同草案には、後述する ERA テクノポリス建設を含む 10 項目の官民パートナーシップに関する提案がリストアップされ、公式のロードマップではないものの、今後のロシアにおける AI 研究開発の方向性を窺い知るうえで注目される 119。この提案には、ビッグデータ、自律性といった周辺関連技術を含めたAI 研究開発コンソーシアムの形成や基金の創設、専門家養成あるいはリカレント教育プログラムが提案され、また AI に関する開発動向のグローバルな監視、AI ウォーゲームの開催、軍事フォーラムや関係機関による年次会議の開催などの施策が提案されている。これらの施策においては、ARF をファシリテーターとしつつも、民間セクターとともにロシア科学アカデミーやモスクワ国立大学などの学術機関が実務的な協力を推進する組織として候補にあげられている 120。そして 2018 年 6 月には、スコルコヴォの軍事版ともいえる ERA テクノポリスを黒海沿岸のアナパに建設する大統領令が署名され、軍産学連携のイノベーション・エコシステムの中核拠点が形成されることとなった。ERA テクノポリスでは① IT、②ロボット、③コンピュータ、④画像認識、⑤情報セキュリティ、⑥ナノテクノロジー、⑦エネルギー、⑧バイオの 8 分野を優先課題として研究を進めるとしているが、11 月にプーチン大統領が ERA テクノポリスにおいて、ロシア軍が AI をベースとしたスマート兵器の開発に取り組む旨の発表を行い、今後はAI を軸とした研究も進められるものと考えられる 121。しかしロシアでは民間セクターでのイノベーション能力が脆弱なため、米国や中国とは異なり、民間セクターの技術リソースを軍側が取り込むという構図が確立できるのか不明な点もある。

118 Ibid.119 Aleksandr Golts, “Russian Scientists in Military Uniforms,” Eurasia Daily Monitor vol.15, iss.108, July 19, 2018, https://

jamestown.org/program/russian-scientists-in-military-uniforms/.120 Павел Настин, “Technopolis "Era": the future of military science” (Технополис «Эра»: будущее военной науки),

ЗВЕЗДА, December 9, 2018, https://tvzvezda.ru/news/opk/content/201809121135-p982.htm; Samuel Benedett, “Here’s How the Russian Military Is Organizing to Develop AI,” Defense One, July 20, 2018, https://www.defenseone.com/ideas/2018/07/russian-militarys-ai-development-roadmap/149900/.

121 Sergey Sukhankin, “‘Special Outsider’: Russia Joins the Race for Global Leadership in Artificial Intelligence,” Eurasia Daily Monitor vol.16, iss.35, March 13, 2019, https://jamestown.org/program/special-outsider-russia-joins-the-race-for-global-leadership-in-artificial-intelligence/.

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ロボット工学・自律型システム・人工知能(RAS-AI)に関する技術開発の動向と自律型兵器システム(AWS)の運用についての展望

4. おわりに

AWS に関する開発・運用の検討状況について、各国の特徴を整理すると、米国は長期的には AWS の自律性をより重視していくものの、短期的には人が中心という方針のもとで人-機械協働を重視した開発、運用をおこなうと考えられる。そして AI、ビッグデータの活用を視野に入れ、国防省の各組織がより柔軟にデータを利用できるよう、その基盤となる業務システムの整備に取り組んでおり、斬新的に技術開発、運用の方向性等の検討が進められるとみられる 122。中国でも AWS の運用については人の管理を基本とするという方針に変わりはないがが、その根底には階層を超えた指揮 123 という、中国の組織文化に根付いた、米国とは異なる思想での運用を目指す可能性があると分析される。ロシアは、その軍事理論に基づいて今後 AWS の運用を積極的に推進すると考えられる。また実戦を通じた教訓を蓄積しており、米中と比較して技術的には劣位にあるものの、非対称戦、ハイブリッド戦において他国に先んじて RAS・AI を適用する可能性もある。

RAS・AI 技術の開発を支える国家イノベーション・システムについて、各国の特徴を纏めると、米国は民間セクターに層の厚いイノベーション・エコシステムを有しているものの、軍による RAS・AI の研究開発では、調達やファンディングなどを通じた民間セクターとの緊密な関係の構築を模索中であり、その優れた技術をいかに素早く採り込めるかという点が課題とされている。また、中国による海外技術の獲得を目的とした政策や各種工作に対して警戒を強めており、民間セクターからの技術の移転、漏洩に対し規制を強化する姿勢を見せている。中国における国家イノベーション・システムは、民間セクターによる軍への技術協力、いわゆる軍民融合を標榜している。そして AI に関しては、これを米国に対する既存技術の劣位を克服するリープフロッグの好機であると認識しており、政府は、RAS・AI 関連のイノベーション・エコシステムの形成に重点的な投資を行っているものと考えられる。一方で、国家的な技術獲得戦略が外国政府の懸念を招く結果となったことから、今後は海外技術へのアクセス確保に留意しつつも、技術の国産化への取り組みを強化し、制御可能なイノベーション・エコシステムの構築を目指すものと考えられる。ロシアの国家イノベーション・システムは、ロシア科学アカデミーなどを中心に産官学連携体制の下で計画的にイノベーション・エコシステムを構築し、経済成長、産業高度化を促そうというものであった。

122 Timothy Walton “Securing the Third Offset Strategy,” JFQ, 82(3), 2016, pp. 6-15.123 Kania, Battle Field Singularity, p. 17.

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そして RAS・AI を含む新興技術の軍事分野への応用について、ARF をファシリテーターとした軍産学連携体制の下でのイノベーションを企図し、その中核施設として ERA テクノポリスを建設する計画である。

(とみかわひでお 社会・経済研究室主任研究官、やまぐちしんじ 中国研究室主任研究官)

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最近のロシアにおける将来戦をめぐる議論

坂口 賀朗

<要旨>

ロシアでは、新たな戦争あるいはハイブリッド戦争が将来戦をめぐる議論の中心となりつつある。他方でロシアによるクリミア併合以来ロシア・NATO関係の緊張に伴い、伝統的大規模戦争の懸念も将来戦をめぐる議論に影響を与えている。ロシア軍幹部はシリア作戦からハイブリッド戦争と伝統的な大規模戦争の両方にとっての教訓を引き出している。ハイブリッド戦争は軍の組織と能力のあり方の根本的再考を迫る。迅速な対応能力、脅威に対し力や資源を集中させる能力、恒常的な諜報活動と国家・軍事諸組織の緊密な連携、ハイブリッド戦争戦略に係る人材の養成が課題となる。伝統的な大規模戦争対処では、装備の近代化や部隊の強化に関し欧州部を優先しつつ、一方で軍事態勢の強化が遅れた東部軍管区の態勢強化も図られるだろう。シリア作戦を通して、ネットワーク中心の戦い遂行能力、長距離精密誘導攻撃能力、長距離輸送能力及び兵站能力の向上が示された。これらは、ハイブリッド戦、伝統的大規模戦争両方の遂行能力強化に資する。

はじめに

最近、ロシアにおいて将来戦をめぐる議論が活発になってきている。その背景には、ロシアを取り巻く安全保障環境の変化とそれらに対応するためにロシア軍の改革に継続的に取り組まなければならないという状況がある。軍改革の方向性を議論するには、軍が将来どのような戦争に対応することになるか検討しなければならないからである。むろんロシアのように複雑な地政学的状況にある国家の場合、その軍の将来像をめぐる議論は複雑にならざるを得ない。ロシアにおいてはロシア軍の将来像を模索する中ですでに 1990年代から将来戦をめぐる議論が続いている。この状況について分析したある論文の中で著者は、ロシアの軍事専門家たちの議論はハイテク兵器を用いた将来戦に焦点が当たっており、ロシア軍が現実にはゲリラや非正規部隊と戦っている状

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況を考えると議論はかなり先に進んだものとなっていると指摘した 1。これは、将来戦をめぐる議論では、将来の最も深刻な脅威と最も現実的な脅威の両方を考慮する必要があり、それらに対応する軍の将来像は異なってくることを示している。従ってどのような軍を構築するかという軍改革の方向性もどの脅威を重視するかで異なってくることになる。

2014年のウクライナ危機へのロシアの関与、及び 2015年以降のシリアの内戦へのロシアの軍事介入の経験は、将来戦と軍改革についての議論に大きな影響を及ぼす要因となっている。欧米諸国は、ウクライナ危機に関与してクリミアを併合したロシアのやり方をハイブリッド戦争(hybrid warfare)と呼んで警戒感を強めている。というのも、すでに 2013年 1月のロシア軍事学アカデミーの年次会合で、ヴァレリー・ゲラシモフ(Valery Gerasimov)参謀総長は新たな戦争方法について研究する必要性を提起しており、これがウクライナ危機に対するロシアの関与の仕方を示唆するものであったとみられているからである 2。このゲラシモフ参謀総長の指摘をきっかけに新たな戦争に関する議論が続いている。他方、ロシアによるクリミアの併合以降、ロシアと欧米諸国との関係が悪化し、特にロシアの周辺部で軍事活動を活発化させている NATOに対するロシアの脅威感が高まっており、伝統的な大規模戦争の可能性に関する認識もこうした議論に影響を及ぼしている。シリアへの軍事介入は、2008年以降の軍改革の成果を試す場と考えられた。とりわけ 2008年のジョージアとの紛争で露呈した電子戦(electronic warfare)能力の欠如を克服するため、ロシアはネットワーク中心の戦い(network-centric warfare)を遂行できる能力構築を軍改革の柱の一つとして取り組んできた。シリアでの軍事作戦はこうした改革の成果を検証する場と位置付けられ、長距離精密誘導ミサイル等の現代兵器が効果を発揮した 3。ロシア軍指導部は、シリアでの軍事作戦からいかなる教訓を学ぶかを強調しており、これも将来戦と軍改革の方向性をめぐる議論に大きな影響を及ぼす要因である。本稿は以上の最近の動きを踏まえ、新たな戦争に関する認識、伝統的な戦争に関す

る認識、シリアでの軍事作戦に関する評価と認識に焦点を当て、将来戦と軍改革に関

1 Lester W. Grau and Timothy L. Thomas, “A Russian View of Future War: Theory and Direction,” The Journal of Slavic Military Studies, Vol.9, No.4, September 1996, p.515.

2 Flemming Splidsboel Hansen, “Russian Hybrid Warfare: A Study of Disinformation,” in http://www.css.ethz.ch/en/services/digital-library/articles/articlehtml/1c93c122-ellf-45d4-afde-c5e17a3185fb(2017年 9月 11日アクセス)及び Andrew J. Duncan, “New ‘Hybrid War’ or Old ‘Dirty Tricks’? The Gerasimov Debate and Russia’s Response to the Contemporary Operating Environment,” Canadian Military Journal, Vol.17, No.3, Summer 2017, pp.6-14.

3 Roger McDermott, “Russia’s Network-Centric Warfare Capability: Tried and Tested in Syria,” Jamestown Foundation Eurasia Daily Monitor, Vol.15, Issue 154, October 30, 2018.

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最近のロシアにおける将来戦をめぐる議論

するロシア軍指導部の議論を整理するものである。

1.新たな戦争あるいはハイブリッド戦争に関する認識

ハイブリッド戦争、あるいはロシアが使っている表現では非正規戦争(non-linear

warfare)ないし新世代戦争(new generation warfare)と呼ばれるものが将来戦をめぐる議論の中心を成すものといえる。むろんロシアでもハイブリッド戦争という表現が軍関係の専門紙誌に散見されるようになってきているが、欧米での定義を借りる形で規定している。例えば、ハイブリッド戦争に関して多くの論考を発表しているロシア軍事学アカデミー客員会員アレクサンドル・バルトーシュ(Alexander Barthosh)準博士(軍事学)は、ロンドンにある国際戦略研究所(IISS)による定義が最も完全なものであるとして、軍事専門誌『軍事思想』に引用している。それによれば、ハイブリッド戦争とは、「外交活動で用いられる不意打ちの達成、主導権の確保、心理的優位の確保のために軍事的手段と非軍事的手段を統合した形で用いること、大規模かつ活発な情報、電子及びサイバー作戦の遂行、経済的圧力と結合した軍事、諜報活動を偽装した形で秘密裏に遂行すること」である 4。ゲラシモフ参謀総長は 2013年 1月の既述の会合における発言の中で、将来戦の特徴について概略的に 3点指摘している。第 1に、軍事的手段と非軍事的手段が同じ程度に広範に用いられるということである。第 2に、軍事的領域と非軍事的領域の境界がますます曖昧になることである。そして第 3に、物理的な戦場においてだけでなく情報空間においても戦闘が生起することである 5。さらにゲラシモフ参謀総長の意見では、現代の戦争が変質していることにより、戦争の政治的目標の達成に対する軍事的手段と非軍事的手段の貢献の比率は1:4であることが理想であるという 6。これは中国の思想家孫子がいうところの「最大の勝利は戦わずして勝つこと」という言葉と共通するものであり、ロシアの軍指導部の中でこうした認識が醸成されてきているという 7。ロシアによるウクライナへの関与をハイブリッド戦争と呼ぶ欧米諸国の警戒感と同

様の感覚をロシアは欧米諸国に対して抱いている。すなわち、欧米諸国が関与したと見なしている旧ソ連圏におけるカラー革命(ウクライナのオレンジ革命、ジョージアのバラ革命、キルギスのチューリップ革命)や中東・北アフリカにおけるアラブの春

4 А. А. Бартош, “Трение и Износ Гибридной Войны,” Военная Мысль, No 1, 2018, c.7.5 Hansen, “Russian Hybrid Warfare: A Study of Disinformation.”6 Бартош, “Трение и Износ Гибридной Войны,” c.6.7 Hansen, “Russian Hybrid Warfare: A Study of Disinformation.”

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といわれる体制転換の動きを、軍事的手段に依らずに政治的目的を達成するためのハイブリッド戦争の主要な部分と捉え、同じようなハイブリッド戦争がロシアに対しても仕掛けられる可能性に警戒感を強めている。例えば、ウクライナ危機を受けて 2015

年 12月に改訂されたロシアの現行の国家安全保障戦略では、米国とその同盟国によるロシアに対する政治、経済、軍事及び情報面で圧力をかけようとする政策や、ロシアの周辺国における反憲法的な政治変革の動きを米国や EUが支持していることを国家安全保障への脅威の源泉と捉えている。こうした認識に立てば、ロシアはハイブリッド戦争の主体というよりもその対象となる危険にさらされているということになる 8。2016年 2月のロシア軍事学アカデミーの年次会合では、ハイブリッド戦の一つであるカラー革命にどう対応すべきかが議論された。ゲラシモフ参謀総長の同会議における報告では、①ハイブリッド戦争に対抗するには通常の戦闘では不可能であり、対抗策もハイブリッド的にならざるを得ず、一種の「ソフトパワー」の構築が不可欠であること、②相手の国家や市民を対象とした情報活動、心理的作用、サイバー攻撃等に加えて、シリアでの対テロ作戦で実践した諸外国との外交や他の非軍事的分野での相互連携の強化が必要である、以上2点に言及された 9。前出のバルトーシュによれば、ハイブリッド戦争に対するロシアの対応を考える場合に考慮すべき 4つの課題があるという 10。第 1は非正規的性格の紛争に迅速かつ決定的に対応できる能力の構築である。なぜなら、ハイブリッド戦争では比較的小さな攪乱作戦でも重大な結果をもたらす可能性があり、迅速な対抗措置が不可欠だからである。第 2は極めて重要な力や資源を最も脅威にさらされているところに集中させる能力の確保である。今日最も脅威が深刻なのは、情報と経済の分野であり、特に重要なインフラのサイバー安全保障である。第 3は脅威が顕在化している正面で優位を確保し利用することを可能とするような戦略を実現するために常に諜報活動を行い、政治や軍の指導組織と密接に相互連携を図ることである。そして第 4はハイブリッド戦争への対抗戦略を策定し、実現できるような要員を選別し、教育することである。ハイブリッド戦争の特徴である軍事と非軍事の境界の曖昧化、軍事的手段と非軍事的手段の統合、情報空間の主戦場化、及び平時と戦時の区別のない国家や市民を対象とする情報活動、心理的作用、サイバー攻撃等は、軍の組織と能力のあり方を根本的

8 Hansen, Ibid.9 http://www.kommersant.ru/doc/2927168及び http://ria.ru/defense_safety/20160301/1382237782.html. (2016年 3月1日アクセス)

10 Бартош, “Трение и Износ Гибридной Войны,” c.12-13.

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最近のロシアにおける将来戦をめぐる議論

に変える可能性がある。

2.伝統的な戦争の可能性に関する認識

新たな戦争をめぐる議論が活発化してきているとはいえ、将来伝統的な大規模戦争が勃発する可能性の認識が消えたわけではない。米国とロシアの軍事的対立は冷戦時代の対立への回帰を想起させ、米国はロシアの行動が脅威を高めていると非難し、ロシアは米国や NATOこそ冷戦思考で対ロ関係をみていると応酬している 11。2018年 3

月のロシア軍事学アカデミーの年次会合でゲラシモフ参謀総長は、米国が軍事的手段を含むあらゆる手段を使って一極世界を維持しようとすることは全面的な国家間の衝突につながる可能性があると発言した 12。2014年 3月のロシアによるクリミア併合以来続くロシアと米欧の関係が緊張した結果、ロシア軍指導部の欧州正面における脅威認識が悪化している 13。2018年 6月、セルゲイ・ショイグ(Sergei Shoigu)国防相は、旧東欧地域、バルト地域及び黒海地域での NATOによる軍事活動の活発化が欧州の安全保障にとっての不安定要因であるとの認識を示した 14。国際軍事協力を担当するアレクサンドル・フォーミン(Aleksandr Fomin)国防次官の見積りでは、2012年と比べてロシア国境沿いに展開する NATOの部隊数は 3倍に、兵員数は 1万人から 4万人に増加しているという 15。こうした脅威認識は、大規模戦争への対処を想定した軍事態勢を模索する動きにつながっている。特にこうした動きは地上軍において顕著であり、オレグ・サリュコフ(Oleg Salyukov)地上軍総司令官によれば、旅団を統合、再組織化して 7個師団が編成され、ロシアの欧州部の西部軍管区と南部軍管区に配置されることになる 16。サリュコフ総司令官の説明によれば、師団化によって部隊の打撃能力や砲撃能力は向上し、より広範な戦線での戦闘課題に対応できるようになるという。他方、2008年以来の軍改革における高い機動力を追求する部隊の旅団化の流れも維持されるため、地上軍は、伝統的な脅威と新たな脅威(イスラム過激主義のテロの脅威などの「南からの脅威」

11 “Russia and the West,” Strategic Comment, Vol.24, Comment 14, May 2018, The International Institute for Strategic Studies (IISS).

12 Красная Звезда, 26 Марта, 2018.13 以下、ロシア軍指導部の脅威認識の悪化と軍事態勢及び演習の強化の動きについては、「第 5章 ロシア 第

4期プーチン政権の始動」防衛研究所編『東アジア戦略概観 2019』(2019年 4月)、158~ 161頁に拠る。14 Известия, 20 Июня, 2018.15 https://ria.ru/defense_safety/20180814/1526546041.html. (2018年 8月 15日アクセス)16 Красная Звезда, 7 Марта, 2018.

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を含む)両方を見据えた、師団と旅団が併存するバランスのとれた編成になることが展望されている 17。対 NATOを意識した大規模戦争の想定は、ロシアが実施する演習の想定や実施形態

にも反映されている。それは、演習に参加した大規模部隊を味方と仮想敵に分けて対抗する形で演習を行うのと、軍種間の連携の強化を図る合同演習の実施である。2018

年 8月、NATOはジョージアにおいて 4回目の多国間軍事演習「ノーブル・パートナー2018」を実施したが、同演習はジョージア軍と米国をはじめとするパートナー国軍との連携向上のほか、黒海地域の安全と安定の確保を目的としておりロシアの懸念を呼ぶものであった。この演習を受けてフォーミン次官は、ロシアが独立国家共同体(CIS)、集団安全保障条約機構(CSTO)及び上海協力機構(SCO)の枠組みで行ういかなる演習も NATOの動きに対応するものであると論評した 18。ロシア軍は 2018年 9月、地中海において大規模な海軍と航空・宇宙軍の合同演習を

行なった。ウラジミール・コロリョフ(Vladimir Korolyov)海軍総司令官(当時)が統裁したこの演習は、航空攻撃や海上からの攻撃に対する両軍の連携の練度向上が目的であった 19。この演習はソ連時代以来最大規模の合同演習であり、ロシア周辺部でのNATOの軍事活動の活発化に対応するものであったとみられる。シリアのフメイミム基地に駐留する海軍航空部隊の航空機もこの演習に参加し、地中海地域における軍事的プレゼンスの強化を示した。同じく 2018年 9月、ロシア軍は東部軍管区において大規模な軍事演習「ヴォストー

ク(東)2018」を行なったが、ソ連時代の 1981年に実施された「ザーパド(西)81」以来の最大規模の演習であることが強調された 20。1981年のザーパド演習はポーランド危機に対して、当時のソ連を中心とするワルシャワ条約機構軍が軍事介入することを想定して行なわれたものであった。従って、2018年の演習場所は東部軍管区であったものの、演習の想定する事態は、欧州正面における紛争対処であったと想像することも可能である。この演習における最も大規模な地上機動演習は東部軍管区の部隊と中央軍管区の部隊が対抗する演習であったし、ベーリング海での海上演習は、太平洋艦隊と北洋艦隊が対抗する演習であった 21。軍事態勢の変化や演習の規模、想定及び実施形態をみると、明らかに伝統的な大規

模戦争に対応できる能力の構築と強化を主要な目標としていることがうかがえる。

17 Красная Звезда, 7 Марта, 2018.18 Красная Звезда, 19 Сентября, 2018.19 Красная Звезда, 11 Сентября, 2018.20 https://ria.ru/defense_safety/20180911/1528324340.html(2018年 9月 12日アクセス)21 Красная Звезда, 7 Сентября и 17 Сентября, 2018.

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最近のロシアにおける将来戦をめぐる議論

3.シリアにおける軍事作戦の教訓

ロシアは現在、シリアでの軍事作戦から教訓を学び、それを軍改革、装備調達に反映させようとしている。ロシア軍参謀本部はシリアでの軍事作戦の実戦を通じて部隊を訓練するだけでなく、新たな先端的兵器システムの実験なども行い、現代戦へのアプローチを実験、試行しようとしていた。

2018年 1月末、国家防衛指揮センターでウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領も出席してシリアでの軍事作戦を総括する会議が行われ、実際に使用された様々な装備の効果が検証された 22。すなわち、航空機配備及び海上配備の長距離精密誘導兵器が初めて実際の戦闘に適用され、特にカリブル及び Kh-101長距離精密誘導ミサイルが高い効果を発揮したこと。また、戦略爆撃機、戦闘機及び無人機を戦闘状況で運用し成果を上げたこと。さらには、地対空ミサイルシステム S-400やパンツィリが戦闘機と共同でシリアの航空優勢を確保し、海軍の艦艇もテロリストの拠点を攻撃したほか、艦載機 Su-33やMiG-29Kも初めて戦闘作戦に参加したこと、などが高く評価された。こうした現代的兵器システムの運用が成果を上げた背景として、ロシアが 2008年以

降取り組んできたネットワーク中心の戦いを遂行する能力構築を目指す軍改革の成果を指摘することができる。ロシアの軍事専門家たちは、シリアでの軍事作戦がロシアのC4ISR能力の試みとしてなされ、航空・宇宙軍による空爆の成功をもたらし、さらには海軍装備や精密誘導兵器システムなど多様な装備の運用も可能にしたとみている 23。ショイグ国防相はじめロシア軍の幹部が、演習の実施に際してもシリアでの軍事作戦の経験を学ぶことを強調している点が注目される。既述の 2018年における最大規模の演習「ヴォストーク 2018」の主要な課題として、シリアの作戦の教訓ともいえる長距離精密誘導攻撃能力、長距離輸送能力及び兵站能力などを含む総合的作戦能力の向上が言及されていたのである。この大規模演習に注目すれば、シリアの教訓は主に将来の大規模戦争に備える観点から重視されているようにみえる。しかし、シリアでの軍事作戦は多面的であり、その教訓については多様な見方が可

能である。既述の 2018年 3月のロシア軍事学アカデミーの年次会合でゲラシモフ参謀総長は、シリア紛争の新世代戦争としての特徴について言及し、シリアの敵が実践した作戦のやり方は、直接的な軍事紛争に引き込まれないようにしながら、秘密裏に証

22 Красная Звезда, 31 Января, 2018.23 McDermott, “Russia’s Network-Centric Warfare Capability: Tried and Tested in Syria.”

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拠を残さない形で作戦を遂行することであったと述べた 24。さらにゲラシモフ参謀総長は、2018年 12月の外国武官団に対するロシア軍の活動に関する定例のブリーフィングの中で、シリアでの軍事作戦の教訓として、それへのロシア軍の参加は、ロシア軍将校の専門性を高める上で大いに資するものであったと述べるとともに、ロシアが戦う敵は現代的なハイテク装備で武装した相手であり、しかもこうした敵があらゆる形態の諜報・電子戦を駆使し、航空機や精密誘導兵器を大規模に用いてくるという条件下で戦わなければならないということであると指摘した 25。この認識が示しているように、伝統的な大規模戦争とともにハイブリッド戦争に備える観点からもシリアの経験は有益だとみられていることがわかる。

4.ロシア軍改革への影響

これまで、今後の軍改革の方向性の議論に大きな影響を及ぼすと考えられる、新たな戦争あるいはハイブリッド戦争に関する認識、伝統的な戦争の可能性に関する認識及びシリアでの軍事作戦に関する評価と認識の 3点について整理した。これら 3点を踏まえた上で考えた場合、現在進められているかあるいは今後進められる計画にあるロシア軍改革の方向性は妥当だろうか。2008年以来の軍改革は、既述の通り、ネットワーク中心の戦いを遂行できる能力と、部隊の旅団化に見られる機動力の向上、そして旧式の装備の急激な更新に焦点が当てられ、成果を上げてきた。この結果、情報戦、電子戦、諜報戦能力は向上し、部隊の緊急展開能力や長距離展開能力も高まり、シリア作戦や大規模演習の実施も可能となったようにみえる。従って、本章ではまず国家装備計画を中心に軍改革の現状と展望を把握し、将来戦との関連で軍改革に関しどのような議論があるかみてみよう。

(1)軍改革の現状と展望 26

2017年末に「2018年から 2027年までの国家装備計画」(以下「新装備計画」)が策定された。「新装備計画」では、地上軍と空挺軍および戦略核戦力の近代化を重視する方向が出されている 27。地上軍と空挺軍の重視は、ウクライナ危機や NATOの活動の

24 Красная Звезда, 26 Марта, 2018.25 Красная Звезда, 7 Декабря, 2018.26 軍改革の現状と展望については、前掲「第 5章 ロシア」『東アジア戦略概観 2019』、163~ 165頁に拠る。27 Dmitry Gorenburg, “Russia’s Military Modernization Plans: 2018-2027,” PONARS Eurasian Policy Memo No.495, November

2017.

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最近のロシアにおける将来戦をめぐる議論

活発化を受け、将来戦における地上軍と空挺軍の重要性が認識されたことに基づいている。戦略核戦力の重視は、引き続き米国との戦略的安定を維持する重要性の認識から出ており、弾道ミサイル搭載原子力潜水艦(SSBN)、長距離爆撃機、長距離巡航ミサイル、地上配備大陸間弾道ミサイル(ICBM)のすべてを含む。ショイグ国防相の下でロシア軍の装備調達、更新は順調に進んでいる。2018年 12

月、国防省拡大参与会議がプーチン大統領も出席して開催され、ショイグ国防相がロシア軍の現状について報告した。それによれば、ショイグ国防相が就任した 2012年段階で約 16%だったロシア軍全体の最新装備の保有率は、2018年末には 61.5%まで上昇した。2018年末の数値を 3軍種、空挺軍と戦略核戦力別に確認すると、地上軍 50.8%、海軍 62.3%、航空・宇宙軍 74%、空挺軍 63.7%、そして戦略核戦力 82%となっており、全体的に現国防相就任時点の悲惨な状況は脱し最新装備の保有率は高まってきているが、航空・宇宙軍と戦略核戦力における最新装備の調達が特に進展していることがわかる 28。個々の軍種、兵科の装備更新の状況をみると、将来戦をめぐる議論との関連で注目

すべき調達の動きがある。地上軍においては戦術ミサイルコンプレックス・イスカンデルMの導入が進められ 2個旅団分が導入されたが、対 NATOの観点から注目される 29。航空・宇宙軍においては、輸送航空師団と特別任務航空師団が編成されるとともに、2017年末から統一宇宙システムが戦闘監視体制に入っている 30。航空・宇宙軍の組織強化や統一宇宙システムの運用はやはりシリアの軍事作戦の成果を反映しているものと考えられる。空挺軍においては、2017年末までに複数の独立空挺・強襲大隊が編成されるとともに、2018年には 1個空挺指揮旅団、1個空挺強襲連隊、2個電子戦中隊及び 2個無人航空機中隊が新たに編成された。さらに、戦闘装甲車及び自走砲を含む300個以上の新たな主要装備、11,000以上の空挺降下用の装備が導入された 31。空挺軍の強化は「新装備計画」の方向性とも合致するものであり、ウクライナへの関与に見られる新たな戦争への対応とも関連していると考えられる。

(2)今後の軍改革の方向性「新装備計画」における装備更新の優先事項にみられる軍改革の方向性は、ロシア軍が直面している戦闘課題に応えるものになっていると考えられる。NATOとの対峙や

28 Красная Звезда, 19 Декабря, 2018.29 Красная Звезда, 1 Октября, 2018.30 Красная Звезда, 25 Декабря, 2017.31 Красная Звезда, 26 Марта и 19 Декабря, 2018.

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ウクライナ問題を考えると地上軍や空挺軍の重視は理解できる。しかも、地上軍は他の軍種や兵科と比較しても最新装備の保有率が一番低いという問題があるためなおさらである。シリアでの軍事作戦の成果と今後の航空機や対空ミサイルシステムの重要性を勘案すれば、航空・宇宙軍の装備更新が進展しているのも理解が容易であろう。では、将来戦の議論において中心となる新たな戦争あるいはハイブリッド戦争への対応という観点から軍改革の方向性についてはどう評価すべきであろうか。ゲラシモフ参謀総長は、既述の 2018年 3月の会合において、将来戦の特徴と軍改革の関連について述べた 32。まず、将来起こり得る紛争のスペクトルは極めて広く、軍はこれらいかなる紛争にも対応できるよう準備しなければならず、ロシア軍の建設や訓練もこうした点を考慮して行う必要があると述べた。さらに、軍事紛争は同時に様々な戦略正面で起こる可能性があり、軍事作戦の効果的な遂行を可能とするために、軍管区の構成に軍種を越えた部隊集団を設置することが必要であると指摘した。そしてこれらを達成するには各軍種や兵科のバランスのとれた発展と最新装備の調達レベルの向上が不可欠であることにも言及した。ロシアの軍事専門家の中には、現在のロシア軍の組織がハイブリッド戦争に対応できるものになっていないと指摘する者もいる。その見解によれば、ハイブリッド侵略に効果的に対応するために、軍は非正規戦の手段を取り込む必要があり、新たな戦争においてはパルチザンタイプの非正規部隊が主要な役割を演じ、防衛作戦及び攻勢作戦の両方の観点から中心的な役割を演じるだろうと指摘されている 33。さらに防衛作戦と攻勢作戦を担う非正規部隊の 2つの部門についての構想が提示されている。前者はロシア領土での作戦機能を有し、本質的に領土防衛部隊の形をとる非正規防衛部隊である。その構想される具体的な役割は、①民衆暴動の無力化、②テロ集団や不法軍事組織への対応、③様々な特別法体制や保安体制(非常事態を含む)を課し、維持すること、④重要な施設やインフラの防護、及び⑤産業災害の封じ込めへの関与、といった項目である。他方、後者は海外でのミッション遂行ができる特別非政府組織としての組織構造を有する能動的非正規部隊である。こうした議論は、大規模な組織改革を含む軍改革の必要性を指摘するものであり、ロシア軍の将来展望に大きく関わることから大いに注目される。

32 Красная Звезда, 26 Марта, 2018.33 ここでその見解を紹介している代表的な専門家の一人が、ロシアミサイル砲兵学アカデミー客員会員であるコンスタンチン・シフコフ(Konstantin Sivkov)であり、その見解は以下の資料で紹介・分析されている。Sergey Sukhankin, “Russia to Use Irregular Forces against ‘Hybrid Threats’: The Case of Kaliningrad,” Jamestown Foundation Eurasia Daily Monitor, Vol.15, Issue 110, July 24, 2018.

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最近のロシアにおける将来戦をめぐる議論

おわりに

2013年 1月のロシア軍事学アカデミーの年次会合におけるゲラシモフ参謀総長の問題提起を端緒とする新たな戦争あるいはハイブリッド戦争の議論は欧米諸国を巻き込み活発化している。ハイブリッド戦争に関し、欧米側の定義を借用する形でロシアの軍事専門家もこの用語を用いるようになり、今やハイブリッド戦争が将来戦をめぐる議論の中心となりつつある。しかし、他方で 2014年のウクライナ危機の際のロシアによるクリミア併合以来ロシアと NATOの関係が緊張する中、伝統的な大規模戦争の可能性に対する懸念も強まっており、これに関わる議論も将来戦をめぐる議論に影響を及ぼしている。ロシアによるシリアへの軍事介入は、2008年以来のロシア軍の改革の成果を試す実験の場とも位置付けられ、改革が概ね順調に進んできていることを示したといえる。ロシア軍幹部はシリア作戦から様々な教訓を引き出しているが、将来戦をめぐる議論との関連でいえば、ハイブリッド戦争と伝統的な大規模戦争の両方にとっての教訓を引き出している。最後に、ロシアにおける将来戦と軍改革をめぐる議論から我々にとってどのような示唆が得られるか整理して本稿のまとめとしたい。第 1は、ハイブリッド戦争の特徴とそれへの対応である。軍事と非軍事の境界が曖

昧化し、軍事的手段と非軍事的手段が統合して用いられ、情報空間が主要な戦闘の場になり、平時と戦時の区別なく国家や市民を対象とした情報活動、心理的作用、サイバー攻撃等がなされるといった様相を持つハイブリッド戦争が、将来戦の主流になるとすれば、ロシアに限らずどの国の軍もその組織と能力のあり方を根本的に再考せざるを得なくなるだろう。ロシアの軍事専門家が指摘している、迅速な対応能力、脅威に対して力や資源を集中させる能力、恒常的な諜報活動と国家・軍事諸組織の緊密な連携、ハイブリッド戦争の戦略に係る人材の養成といったロシアのハイブリッド戦争への対抗上の課題は、こうした再考に際して参考になるものと考えられる。第 2は、伝統的な大規模戦争の可能性に関する認識である。現在ロシアは、NATO

に対する対抗を意識した軍事態勢の強化を進めている。この場合、ロシアが努力を集中するのは欧州部の西部軍管区や南部軍管区であるが、装備の近代化や部隊の強化に関し欧州部を優先してきた結果、東部軍管区の軍事態勢の強化が遅れてしまったという反省がロシア軍指導部の中に出てきている。2018年には東部軍管区における大規模演習「ヴォストーク 2018」の実施と関連して、国防省幹部による東部軍管区の軍事インフラの視察も活発になされたし、カムチャッカ半島における防空能力および沿岸防衛能力の向上を図る演習実施のように、部隊の能力向上も図られている。従って、引

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き続き軍改革、装備更新が進められる中で長期的には東部軍管区部隊の能力向上も進むのは確実だろうとみられる。こうしたロシア軍の動向は注目する必要がある。第 3は、シリアにおける軍事作戦の教訓の影響である。シリアでの軍事作戦では、ネットワーク中心の戦いを遂行する能力構築を目指す軍改革の成果が発揮された。2018年における最大規模の演習「ヴォストーク 2018」の主要な課題として、シリアの作戦の教訓ともいえる長距離精密誘導攻撃能力、長距離輸送能力及び兵站能力などを含む総合的作戦能力の向上が検証されたのである。当然ながら、こうしたロシア軍が獲得しつつある高い能力は、極東における軍事作戦でも発揮されることが演習によって証明されたといえる。こうした観点からロシアが進める軍改革の動向を注視していかなければならない。

(さかぐちよしあき 地域研究部欧米ロシア研究室主任研究官)

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航空自衛隊創設期の旧軍航空関係者の役割と米空軍の関与について

中島 信吾西田 裕史

<要旨>

旧日本陸海軍航空は、航空機の誕生以来、その兵器としての重要性と可能性に着目し、当初はヨーロッパからの技術を導入することで、列強に比しても、 ある分野ではむしろ速い進度で航空兵力を発展させた。第二次世界大戦後、旧陸海軍関係者が将来を見越して再軍備研究を行っていたことはよく知られているが、旧陸海軍の航空関係者も1950年頃から再軍備研究を行っていた。1952年夏から秋にかけて生起したソ連による領空侵犯は、日本に対する最大の脅威が共産圏からの経空脅威であるとの共通認識を日米双方に抱かせ、航空自衛隊の創設が本格的に始まる。その創設に際しては、戦争が終わって 10年近くが経過し、航空機がプロペラからジェットの時代へと移行していた中で、航空機の操縦法だけでなく、航空警戒管制に象徴されるような新たな概念やそれにまつわる組織が米国から導入されることになった。航空自衛隊は、装備品、機材などのハード面を全面的に米国に依存したことはもちろん、種々の教育等ソフト面に至るまで米国式を受容することで出発したのである。

はじめに

戦後日本の防衛力の再建の中で、陸・海自衛隊の創設に関する研究は蓄積が進んでいるものの、航空自衛隊の創設についてはほとんど研究がなされていない状況である 1。航空自衛隊は 1954年 7月に創設された。そしてこの過程の中では、装備、訓練などの面で米空軍が全面的に支援した。他方、日本側で主な担い手となったのは旧陸海軍の航空関係者であり、彼らは占領中から、戦後における航空兵力再建のための研究活動

1 航空自衛隊の創設を取り上げた研究としては、以下のものがある。岡田志津枝「戦後日本の航空兵力再建――米国の果たした役割を中心として――」『防衛研究所紀要』第 9巻第 3号(2007年 2月)、西田裕史「航空自衛隊創設期に関する一考察――再軍備研究を中心に――」『戦史研究年報』第 22号(2019年 3月)、増田弘『自衛隊の誕生 日本の再軍備とアメリカ』(中央公論新社、2004年)172-232頁。また研究ではないが、大嶽秀夫編『戦後日本防衛問題資料集第 3巻』(三一書房、1993年)669-709頁、読売新聞戦後史班編『昭和戦後史 「再軍備」の軌跡』(中央公論新社、2015年)479-522頁は参考になる。

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を行っていた。そこで本稿では、戦前期における陸海軍航空の概要を踏まえた上で、第 1に、旧軍

航空関係者の研究活動の概要と、戦後新たに建設しようとしていた航空兵力の内容や将来的な方向性について検討する。第 2に、航空自衛隊創設に際しての米軍の支援、指導を、日本側、特に直接の担い手となった旧軍航空関係者がどのように受容し、この新しい独立した航空兵力をどのように養成していこうとしたのか検討する。これらの作業を通じて、航空自衛隊の創設に旧軍航空と米空軍がいかなる役割を果たしたのか、換言すれば、日本の航空兵力における戦前・戦後の連続と断絶という問題に、一定の回答を与えることになるだろう。本稿は、はじめに・第 1章(中島)、第 2章・第 3章(中島執筆部分を除く)(西田)、第 3章(2)イ(ウ)b・おわりに(中島)の分担によって執筆された。

1.戦前期における陸海軍航空の概要

ライト兄弟が、世界初の有人固定翼動力機での飛行に成功したのは1903年のことだった。その 7年後、徳川好敏および日野熊蔵両陸軍大尉がヨーロッパに派遣され、航空機の操縦を修得して帰国した。そして同年、1910年、フランスとドイツから輸入した機体を組み立てて、両大尉により日本で初となる有人固定翼動力機(アンリーファルマン式機とグラーデ式機)による飛行が行われた。一方日本海軍での初飛行は、これに遅れること 2年後の 1912年のことであった 2。第一次世界大戦(1914年~ 1918年)を通じて、航空戦力は陸・海に次いで欠かせない新たな戦力としての地位を新たに確立したが、そうしたヨーロッパでの戦いの様相について、日本では陸海軍とも情報を収集した。空軍を陸海に並ぶ第 3の軍種として独立させるべきであるとの意見は、日本の中で早くから存在していた。同大戦末期の 1918年 6月、陸軍参謀本部第 3部は空軍創設に関する意見を提出し、航空戦力を陸海軍の補助兵力ととらえることは誤りであり、ここから独立させることを主張したのである。欧州戦の趨勢から、航空戦力は国防上重要な要素として陸海軍と鼎立させるべきであるというのがその内容であった。翌年にも、陸軍内から空軍独立論が提唱されている。この段階では、世界でも英国のみが独

2 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 陸軍航空の軍備と運用<1>―昭和 13年初期まで―』(朝雲新聞社、1971年)23-25頁、日本海軍航空史編纂委員会編『日本海軍航空史(1)用兵篇』(時事通信社、1969年)4頁。

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航空自衛隊創設期の旧軍航空関係者の役割と米空軍の関与について

立空軍を保有していた。陸軍内でコンセンサスを得ていたわけではなかったが、日本でも空軍の独立を提唱する声が存在していたのである 3。一方海軍では、航空母艦の必要性を早期に認識し、1919年、世界に先駆けて設計当

初から空母として計画された鳳翔を起工した。しかし、独立空軍を創設することについては、海軍と共同作戦を行う際の用兵上の問題が指摘され、海軍は反対であった。そして 1920年、陸海軍航空協定委員会が設置され、その中で空軍独立問題について調査研究がなされたが、海軍の反対と陸軍内部の意思不統一によって、引き続き陸海軍に航空部隊を分属させるとの結論に終わった。またこれは、陸軍からの提起によって行われた研究だったが、田中義一、加藤友三郎陸海軍大臣の協議に基づいて実施されたものであり、陸海軍合同でかつ公式に空軍独立問題について検討した唯一の機会となった 4。

1930年代になると、日本の航空戦力は国防上いっそう重要な位置を占めるようになっていく。1931年に生起した満州事変を契機として、日本軍が極東ソ連軍と長大な国境線をはさんで対峙するようになると、陸軍航空関係者は、陸海軍の航空兵力を統一し、開戦劈頭に極東ソ連空軍に徹底した打撃を加えることを主張した。極東ソ連空軍は大幅な増強を果たしており、これに対抗するためには独立空軍を創設することが必要と考えられたのである。世界を見渡してみても、1930年代半ばまでには、すでに独立空軍を保有していたイギリスに加え、伊仏独ソが独立空軍を保有するに至っていた 5。一方海軍では、大型巡洋艦と潜水艦が 1930年のロンドン軍縮条約によって量的に制限されたことから、その対策として航空隊の増強が図られた。さらには、 航空機の性能が向上したことから、海軍の航空関係者の一部には「航空主兵、戦艦廃止」を主張する者も登場した。しかし、それはあくまでも海軍力増強の観点から唱えられたのであって、独立空軍の創設はむしろそれとは相容れないと考えられた。したがって、陸軍航空関係者から海軍航空関係者に対して空軍独立について呼びかけがあったものの、海軍側の反対によって公式の検討委員会が設置されることなく収束した 6。

3 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 陸軍航空の軍備と運用<1>』137-138頁、柳澤潤「日本におけるエア・パワーの誕生と発展」石津朋之・ウィリアムソン・マーレー共編著『21世紀のエア・パワー 日本の安全保障を考える』(芙蓉書房、2006年)98頁。

4 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 陸軍航空の軍備と運用<1>』137-138、648頁、柳澤「日本におけるエア・パワーの誕生と発展」100-101頁、日本海軍航空史編纂委員会編『日本海軍航空史(1)』443-444頁。

5 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 陸軍航空の軍備と運用<1>』228-236、423-433頁。6 柳澤「日本におけるエア・パワーの誕生と発展」112-113頁。航空碑奉賛会編・発行『陸軍航空の鎮魂』(1978年)

126-127頁。なお、空軍独立をめぐる 1930年代に生起した陸海軍間の論争については、生田惇「帝国陸海軍の空軍独立論争」『軍事史学』第 10巻第 3号(1974年 12月)、角田求士「空軍独立問題と海軍」『軍事史学』第 12巻第 3号(1976年 12月)に詳しいが、戦後においてもこの問題をめぐる旧陸海軍の理解の相違が継続していることがうかがえる内容になっており、非常に興味深い。

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独立空軍の創設が遠のく中、陸軍航空関係者は 1936年に航空兵団を設置し、陸軍航空のみで独立空軍に近似した組織を建設しようと試みた。ここにおいては、航空撃滅戦が最重要視され、地上部隊への支援がそれに次ぐ任務として位置づけられた。しかし、こうした考え方に対して陸軍内から批判が生起し、1940年に「航空作戦綱要」が策定された。これによって、 航空撃滅戦は引き続き重視されたものの、地上作戦支援の比重が高まり、航空部隊が作戦全般の要求に応じることが示された。つまり、地上部隊に対してより貢献することが求められたのである。一方海軍でも、 海軍の空軍化を主張した 1941年の井上成美中将の提案があったものの、海軍主流からは黙殺された。航空の重要性は認識されたものの、依然として補助兵力と見なされたのである。すなわち、航空兵力の技術的な進歩によって陸海軍の補助的兵種から独立した用法への展望が開けたが、総じて陸海軍の主流はそれを認めなかったのであった 7。こうして陸海軍航空は、第二次世界大戦を陸海軍それぞれに分属する形で迎えることになった。よく知られているように、開戦当初、日本の航空兵力は大きな戦果を挙げた。1941年 12月、空母機動部隊は真珠湾に奇襲攻撃を行い、敵主力艦等に大きな打撃を加えた。続いて生起したマレー沖海戦では、海軍航空隊が英海軍の戦艦 2隻を撃沈した。1942年 6月におけるミッドウェー海戦の直前までは日本の航空戦力の絶頂期だったとも言えようが、 その後は守勢一方だった。しかも、航空戦力が単に航空機から構成されているのではなく、飛行場の設営技術、

航空機の生産能力、搭乗員等の養成能力、通信、航法、早期警戒、気象、情報等総合的な国力から成っていることに気づくのが遅すぎ、 そしてそれに気づいた後も対策をとることができなかった。これは、米軍が開戦当初の手痛い教訓から学び、航空兵力発揮の根源たる空母を中心とするように体制を変更し、 その脆弱性を防御するための装備等を進化させたこととは対照的であった。そしてそうした両国の取り組みは、マリアナ沖海戦 (1944年 6月 )、 レイテ沖海戦 (同年 10月 )においててきめんに現れ、日本の空母機動部隊は事実上消滅した。そしてついには、航空戦力の特性を無視した用法であるともいえる、航空特攻の採用に踏み切っていくのである 8。航空戦力の特性への誤解、理解不足は大戦末期の旧陸軍にも内在していたが、加えて、

「航空は伸びて居るから締め上げてやれ」といった複雑な感情、さらには「航空兵たたき」ともいえる現象が見られることになる。1944年 5月 4日早朝、東條英機首相兼陸軍大臣は抜き打ちの視察を陸軍航空士官学校に対して行い、同日午後に職員、生徒に対して訓示した。この中で、航空士官学校の「教育に失望」したことに触れた上で、「決

7 柳澤「日本におけるエア・パワーの誕生と発展」119頁。8 同上、122-128頁。

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航空自衛隊創設期の旧軍航空関係者の役割と米空軍の関与について

死敢闘の気魄の昂揚、教育は万事精神主義であるべき」と強調した。「東條旋風」と呼ばれたこの視察の後、学校長は職員に対して「東條大将の指摘は一応もっともであるが、本校には本校の行き方があるので、校長の方針に従い職務に勉励せよ」と述べた。なお、くしくもこの時の学校長は、本稿の冒頭で紹介した、日本における初の航空機飛行を行った徳川好敏である。また生徒隊長は、「決死敢闘精神、そして科学的精神を強化する必要がある」と訓示し、生徒たちの多くは、東條の強調した精神主義に科学的精神を追加したこの内容に同感したという。しかし「東條旋風」を契機として、従来の中・区隊長の大半が歩兵出身に代わった

ことで、歩兵的教練が多くなる一方、航空兵を養成するための教育と訓練がおろそかになることが心配される事態となったのである。戦後、陸軍航空関係者によって編さんされた『陸軍航空士官学校』では、これを踏まえた上で以下のように記している。

「陸軍は、全般として精神的充実が第一義であり、その外面的現れとして、各人の挙措・動作の厳正と、部隊行動の斉一とが軍紀振作の実証として、尊重された。これに対し、航空部隊では、まず飛行機を飛ばすことが最優先課題であるから、

精神的充実の重視とともに、科学技術をも尊重すべき立場にあった。(中略)航空士官学校は、航空作戦を最も先進的に考え、作戦機能を組織的に総合した

戦力の最大発揮を目標として、教育に努力を傾注していた。したがって、『軍隊内務令』の丸暗記などよりも、最新の科学技術を最大に活用するという教育を優先していたのは、当然であった」9。

航空戦力に内在する特性を十二分に発揮するには、陸海軍に分属する形では限界があり、陸海軍と鼎立する独立空軍の建設が不可欠である――戦後の航空自衛隊建設に携わった旧軍航空関係者のこうした心情が、次章以降で述べる彼らの活動を支えていったのである。

9 陸軍航空士官学校史刊行会編『陸軍航空士官学校』(1996年)226-232頁、「森繁弘オーラル・ヒストリー」防衛省防衛研究所戦史研究センター編『冷戦期の防衛力整備と同盟政策②防衛計画の大綱と日米防衛協力のための指針<上>』(防衛省防衛研究所、2013年)23-28頁。

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2.旧軍航空関係者の戦後における活動と目的

(1)旧陸軍関係者による航空再軍備研究戦後旧陸海軍は米国主導で武装解除されて完全に解体され、これを構成した旧軍人のうち少尉以上の将校が公職追放の対象となった 10。一方で、将来を見越して服部卓四郎を中心とする旧陸軍グループや、野村吉三郎を筆頭とする旧海軍グループが再軍備研究を行っていたことはよく知られている。同様に旧陸海軍の航空関係者も航空再軍備研究を行っていた。旧陸軍航空関係者は、1950年頃から研究を開始した。谷川一男(陸士 33期)が航空再軍備研究を提起し、原田貞憲(31期)、三好康之(同)、秋山紋次郎(37期)、浦茂(44期)、大平義賢(同)、田中耕二(45期)が加わった。このうち、大平の出席は少なかったようである。秋山によれば、谷川が提起した航空再軍備研究の政治的な連絡調整は三好と原田が担い、それぞれの経験に基づき三好が米軍関係を、原田が財界関係を担任した 11。実際の研究作業は、秋山以下浦および田中の 3名が主体となって行った。浦もほぼ同様にそれぞれの役割について、谷川が研究のマネージメント・まとめ役、三好が政府および米軍との連絡調整と戦闘機操縦経験者として全般構想を指導、原田は軍需総局・航空本部整備部長の経験から生産・予算・整備などの全般指導を行い、秋山が編成・教育、浦自身は航空機の資材整備・補給等後方装備面、大平がパイロット要員養成、田中が全体構想や作戦目標設定および部隊編成・練成を、それぞれ担当したと述べている。研究の基本的な態度として当時の日本の実状に照らし、実現可能なものを構想・立

案することに留意した。基本構想としては、防空主体の独立空軍を念頭にまず東京要域を、次に日本全域の防空を日本が自ら担えるよう 2段階で整備する考えであった。当時、日本独自に空軍をつくることは技術的にも経済的にも不可能であり、米軍の全面的な支援を得るとともに日米共同を柱とする構想であった。準備段階において空軍を構成する人材は、大戦で本土防空を担任した旧陸軍航空関係者が担い、構想実現の段階になって旧陸海軍双方から人材を集める考え方であった。ただし、旧海軍関係者との間で時折意見交換を行って意思疎通を図っていた。また、秋山は本土防空については旧陸軍の方が多くの経験を有しているゆえに、旧海軍関係者からともに研究はするが旧陸軍側に委任されたと回想している。浦も旧海軍側が海洋作戦を主体で考えて

10 増田弘『公職追放 三大政治パージの研究』(東京大学出版会、1996年)6-9頁。11 三好は米国武官補佐官の経歴を持ち岡崎勝男外相・内閣官房長官とのつながりがあり、原田は軍需省にいた関係で財界とのつながりがあった。

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航空自衛隊創設期の旧軍航空関係者の役割と米空軍の関与について

いることから、本土防空については旧陸軍側がその経験を活かし、第 1に防空専門の空軍を建設することを念頭に置いた旨を述懐している。浦によれば、浦自身がこの研究より以前に服部卓四郎を中心とする再軍備研究グループに航空関係者として加わった経験はあるが、本航空再軍備研究と服部グループの再軍備研究とは直接関係するものではなく、アイデアを共有することはなかったという。この航空再軍備研究活動の最大の目的は、大戦中に旧陸海軍の付属的なものに過ぎなかった航空を独立させること、すなわち 3軍の一翼としての独立空軍をつくることであった 12。例えばこの研究に携わった秋山紋次郎は、終戦直後に大戦中の陸軍航空を総括して次のような一文を残している。

「即ち我が国力、特にその保有する工業力において、今次戦争の要請せる航空勢力に到達する唯一の道は、独立空軍を創設し、凡百の力をこれが発展に注入するのほか道なかりしなり(中略)。しかして事ここに至りし真因は陸軍中枢部の航空戦力に対する認識の透徹せざりしに存せるものと断じ得べし」13。

なお後述するように、旧陸軍関係者はこの研究の成果として、1952年 6月および 7月、吉田茂首相およびオットー・ワイランド(Otto P. Weyland)米極東空軍司令官に意見書を提出している。浦はこの意見書の中身について、旧海軍側との意思疎通はあったが彼らの意見を反映させるようなことはなく、旧陸軍側が単独で日本政府および米軍へ提出した上でその旨を旧海軍関係者に通報したと証言している。また、旧陸軍関係者によるこの研究成果に基づいて、旧陸海軍関係者は合同の意見書をそのほぼ 4ヶ月後の 11月に吉田首相に対して提出している。換言すれば、旧陸海軍関係者が合同で提出した意見書の基盤は、この旧陸軍関係者の航空再軍備研究なのである。

(2)旧海軍関係者による航空再軍備研究海上自衛隊前身の海上警備隊(1952.4.26-7.31、1952.8.1から警備隊)創設準備組織は

Y委員会である。Y委員会の議事摘録によれば、1951年 11月 2日、第 2回定例委員会で「新機構の組織編制」との議題にて特に考慮すべき事項の 1項目に「将来は航空兵

12 平 17防衛 02042100「自衛力創設 2(1/ 4)」(「秋山紋次郎元空将談話空軍再建研究活動について」)、平 17防衛02630100「創建等関係資料 1(1/ 3)」(「秋山紋次郎元空将談話空軍再建研究活動について」の音声データ(推定))、平 17防衛 02045100「自衛力創設 2(4/ 4)」(「元空将浦茂談話要旨空軍再建研究活動について」)、平 17防衛 02748100「防衛力育成 3(1/ 4)」(「元空将浦茂談話要旨空軍再建研究活動について」の音声データ(推定))国立公文書館所蔵。なお、このあと同様に表記する資料はすべて国立公文書館所蔵のものである。

13 由良富士雄「[航空自衛隊]旧陸軍上層部への憤懣を原動力に誕生」『太平洋戦争⑩占領・冷戦・再軍備』(学研、2011年)101-102頁、秋山紋次郎「陸軍航空沿革史陸軍航空編制制度(原本)」防衛研究所戦史研究センター所蔵。

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力が主要ポストを占めるべきこと」とあり、将来的に航空の重要性が強調されたことがうかがえる。しかし、このあと委員会は米国から貸与される艦艇の受け入れとそれらを運用する要員養成、そしてそのための予算取りや組織編成の在り方に関する議論が中心となり、航空に関する発言等はほとんど記録されていない 14。

Y委員会の設置経緯について、そのメンバーであった寺井義守(海兵 54期)は、日本政府の米貸与艦艇受け入れ方針に従って岡崎勝男内閣官房長官から山本善雄元海軍少将(47期)に対し、貸与艦艇を受け入れて使用する機関を設置する準備委員会の人選と運営について要請があったと回想している 15。Y委員会は米貸与艦艇受け入れと運用のための組織を準備するものであり、同委員会の議事が艦艇を中心として進行したのは当然の成り行きであった。この頃を振り返ってある旧海軍出身者は、「米のボロ艦を貰い受けることに全エネルギーを使っていた時代」だったと述べている 16。旧海軍航空関係者の再軍備研究に関する回想証言は、旧陸軍に比べると少ないものの奥宮正武(海兵 58期)による回想談話などが残っている。それらによれば、主要メンバーには愛甲文雄(51期)、池上二男(同)、奥宮がおり、その上に福留繁(40期)、保科善四郎(41期)らがいる海空技術懇談会で航空再軍備研究を行っていた。保科によれば、その開設は 1952年 7月 2日である。Y委員会を経て旧海軍の航空再軍備研究は、この懇談会に引き継がれたものと思われる。奥宮によれば、旧海軍航空関係者は今後建設すべき航空防衛力について、島嶼国日

本の防衛のために大戦中陸軍航空が海軍航空に比し島嶼・海洋での能力が著しく劣っていたことから、旧海軍航空に似たものでなければならないと考えていた。渡辺初彦(58期)はさらに踏み込んで、新設される海上自衛隊の主任務は対潜警戒であり、水上艦艇部隊は潜水艦に対する防御力が弱いという観点から、これらを護衛してともに行動できる航空防衛力を整備しなければならないとしている 17。つまり、旧海軍航空関係者の航空再軍備研究の目的は、水上艦艇部隊と一体的に行動できる航空防衛力の創設であった。あくまで海空一体の航空再軍備をめざしていたのである。寺井も同様の趣旨の文書を残している 18。なお、1952年 6月および 7月、旧陸軍航空関係者が提出した意見書に相当する旧海

14 平 17防衛 02397100「防衛論叢 1(1/ 10)」(「昭和 26.10.31~ 27.4.25Y委員会議事摘録永石資料」)。15 平 17防衛 02436100「防衛論叢 5」(「海上自衛隊創設期における将来構想について寺井義守」)。16 平 17防衛 02077100「創建関係資料 2(2/ 4)」(「渡辺初彦元空将回想証言摘録」)。17 平 17防衛 02043100「自衛力創設 2(2/ 4)」(「元空将奥宮正武回想談話要旨空軍再建の研究及び推進活動―旧海軍側―」)、「自衛力創設 2(1/ 4)」(「秋山紋次郎元空将談話空軍再建研究活動について」)、平 17防衛 02048100「自衛力創設 3(3/ 5)」(「海上防衛力等の再建(保科善四郎提供史料)」)、「創建関係資料 2(2/ 4)」(「渡辺初彦元空将回想証言摘録」)。

18 平 17防衛 02049100「自衛力創設 3(4/ 5)」(「寺井義守資料海上防衛力建設関係(Ⅰ)」)。

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航空自衛隊創設期の旧軍航空関係者の役割と米空軍の関与について

軍航空関係者単独の再軍備研究成果は、管見の限り見あたらない 19。

(3)「航空自衛力建設促進に関する意見書」の作成1952年 6月、旧陸軍関係者は単独で意見書を提出し、11月、旧陸海軍関係者は合同で意見書を提出した。以下、その内容を分析する。ア 「空軍兵備要綱」(旧陸軍関係者による航空再軍備計画)旧陸軍関係者単独の意見書等は、1952年 1月から同年 7月にかけて作成された吉田首相とワイランド米極東空軍司令官あての意見書、意見書の具体的内容である空軍兵備要綱、そして研究案からなっている。これらのうち、吉田首相および米極東空軍司令官あての意見書本文と、その別冊で航空再軍備計画の本体となる空軍兵備要綱について見る。

1952年 6月提出の吉田首相あて意見書は、「航空戦力創設に関する意見書」である。日本の国土防衛は、航空が国防戦力の骨幹となるべきことが前大戦で実証されたことから、新軍備建設では航空を中核として陸海空 3戦力の調和を図るのが根本的な要件だと主張する。だが、現状の防衛力強化案は陸海戦力に偏重し航空を等閑視しており、早急にこれに着手せねば取り返しのつかないことになると警鐘を鳴らす。そこで、別冊の航空軍備案を作成したこと、同じものを米極東空軍にも提出する旨を付記している。同年 7月、ワイランド米極東空軍司令官あて意見書は、「日本空軍創設に関する意見書」である。日本政府に既出の本計画は、米国に依存せず日本自ら空軍を新設しようとするものだと述べる。現在、日本政府は陸海軍再建を企図する一方、経済的事情から空軍建設を企図していない。よって、日本経済の許す範囲で、専ら自国防衛のみに限定した小規模な空軍を計画するものである。日本の航空技術が戦後停滞し低下していることに鑑み、空軍新設はたとえ小規模でも今直ちに着手しなければならず、陸海軍と同時にその第 1歩を踏み出すべきであり、本研究に対する米軍からの建設的批判と支援を希望する旨をもって結ばれている。末尾には 1952年 7月 17日の日付と、三好・原田・谷川・秋山・浦・田中の連名で提出されたことが記されている。別冊の空軍兵備要綱本文は、基本要

マ マ

項と第 1期兵備の概要の 2部構成からなる。基本要項では空軍兵備目標として、東京要域防空可能な空軍建設のための第 1期(3年間)と本土主要要域防空可能な空軍建設の第 2期(5年間)とに区分している。この間、日本空軍は米空軍と協同して国土周辺の制空権を確保することを主任務にしつつ、作戦

19 ただし、Y委員会内には 1951年 12月 3日作製の「新空海軍備計画」が存在する。『旧海軍残務処理機関における軍備再建に関する研究資料 3/ 3』防衛研究所戦史研究センター所蔵。

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任務の分担について、第 1期は東京要域防空と日本陸海軍に対する直接協同の大部分を日本空軍が担任してそれ以外の空軍作戦は米軍の担任とし、第 2期で日本本土防空と日本陸海軍に対する直接協同は日本空軍の担任としてそれ以外は米空軍の担任とすることとしている。向こう 3年に相当する第 1期の兵備建設目標は、主力部隊すなわち防空戦闘機主体の空軍兵力として 399機、陸軍直協 324機、海軍直協 138機の計 861

機の第 1線機を整備するというものであった。この別冊の附表第 1属表其 1から、旧陸軍関係者が考えた空軍兵力を構成する具体的な機種が判明する。骨幹兵力は、戦闘機単座 F-86A・288機/複座 F-89A・72機、偵察機 F-89A・12機、輸送機 C-199・27機の合計 399機を整備する。陸軍配属兵力は、L-17・36機、ヘリコプター 36機、P-51・216機、B-26・36機の合計 324機を整備する。海軍配属兵力は、ヘリコプター 18機、F-86A・48機、B-26・72機の合計 138機を整備する。ただしこれらの第 1線機をそろえるために、所要機数はそれぞれ約 2倍程度が見積もられている 20。

イ 「航空自衛力建設促進に関する意見書」(旧陸海軍合同の意見書および具体案)上記の旧陸軍関係者による意見書(以下別冊も含めて「陸軍意見書」と表記)と、

1952年 11月、旧陸海軍関係者合同で提出した意見書である「航空自衛力建設促進に関する意見書」(以下「合同意見書」と表記)およびその具体案である「空軍建設要綱」(以下「要綱」と表記)とを比較してみる。なお、この「合同意見書・要綱」はいずれも公刊された文献に掲載されている。「合同意見書」が、近代軍備において空軍が安全保障の骨幹であり、特に日本の国土防衛では航空戦力が自衛力の鍵となることは前大戦の貴重な教訓である一方、現に進展している防衛力整備が陸海防衛力に偏重し、航空が陸海防衛力の附属力の構想を出ていないのは誠に寒心に堪えないと訴える点は、「陸軍意見書」と軌を一にしている。具体的内容についても、旧陸海軍の両案を改めて合同審議し別冊のような「要綱」を策定したと述べつつ、整備の基本構想が日本が国土防空の一部を担当する第 1期と、国土ならびにその周辺の制空権を確保し海上交通線を援護し敵侵攻兵力を撃攘できるようになる第 2期との 2期に区分すること、F-86A

と F-86Dの違いこそあるが、主力となる戦闘機の機数がともに 288機であることなどを考え合わせると、この「合同意見書・要綱」は、「陸軍意見書」をその基礎としたものであると考えられる。「要綱」に記載されている空軍兵力を構成する具体的な機種を記すと次のとおりであ

20 平 17防衛 02029100「自衛力関係文書 2(1/ 4)」(「航空自衛隊創設関連文書(原田貞憲資料)」)。

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航空自衛隊創設期の旧軍航空関係者の役割と米空軍の関与について

る。いずれも常用機(「陸軍意見書」での第 1線機整備機数と同義であると思われる)として、戦闘機は F-86D・288機/ F-94C・199機の合計 432機、偵察機は B-57A・48機、輸送機は DC-3・16機/ L-126A・22機/ H-19・32機の合計 80機、総計で 560機を整備することとされている 21。

ウ 合同で意見書提出に至る経緯意見書等が旧陸海軍関係者合同で提出されるに至る経緯は、第(1)項で述べた浦

茂へのインタビューから部分的ながら浮かび上がってくる。インタビューの後半で聞き手は、旧陸海軍の航空兵備思想が違うゆえに戦後の再軍備に関する研究活動も陸海別々に行われざるを得なかったと前置きし、7月の旧陸軍航空関係者による意見書上申に続き、同じ年の 11月に陸海合同で吉田首相に意見書が提出されたことについて、このような半年にも満たない短期間に、旧陸海軍が連名で意見を出すに至ったのはいかにも唐突で理解できないと問う。これは、結果的に旧陸海軍航空関係者が「合同意見書」を提出するに至る経緯に対する問いとなった。この問いに浦は、旧陸海軍の航空関係者が別々に研究せざるを得なかった状況を認めつつ、3軍を子供になぞらえて次のように語った。もう長男が生まれ次男が生まれ(陸海軍、すなわち警察予備隊・保安隊、海上警備隊・警備隊を指す)、3男坊(空軍)がまだいつ生まれるかわからない。これでは国の将来を誤る。大戦の経験から考えれば、航空防衛力がまず建設されるべきだ。それゆえに焦り・焦燥感が生じた。そこで福留繁、保科善四郎ら主だった旧海軍出身者と話し合いを始めた。彼らに対し、浦を含む旧陸軍関係者は航空再軍備研究をずっと継続してきており、今彼ら旧海軍関係者から反対されると困ると説明した。同じ航空関係者という立場から、早急に第 3幕僚監部(航空幕僚監部)をつくるべきだとの意見書を提出しようと陸が海を説得し、趣旨に異存がなければ連名で出そうということになった。説得にあたっては、大戦中のわだかまりは捨て、まず防空主体の航空防衛力を建設し、規模が拡大した時点で海洋作戦も視野に入れた航空防衛力を育成することにし、ともかく空軍の芽を吹かせようと述べたという。浦が語る焦燥感、言い換えれば再軍備にあたり国防の基本をなすのは空軍であり、その空軍の再建が遅れていることに対する焦燥感こそが、航空関係者間で旧陸軍が旧海軍を説得して「合同意見書」を提出するに至った最大の要因となったのである。このあと聞き手は、吉田首相・ワイランドあての意見書本文の起案者は誰なのかを

21 大嶽編『戦後日本防衛問題資料集第 3巻』687-696頁。

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問い、浦はとつおいつしながらも谷川が大体の草案をつくってそれを全員で検討したように記憶すると語っている 22。浦によれば、「陸軍意見書」本文の起草は谷川が主であったもののようである。他方、「合同意見書」の本文に関しては、第(2)項既述の奥宮正武が次のように証言している。奥宮は、自身が原稿を起案した「合同意見書」本文は発見できなかったが、添付した別冊(「要綱」を指す)は見つかったという。この「要綱」は前大戦と同じ前提で作成したため航空機の所要機数が多いなど不具合があるものの、奥宮が起案し高橋千隼海軍大佐が加除訂正して完成したものである 23。よって、奥宮によれば、「合同意見書」の本文は彼が原稿を起案し、その具体案である「要綱」についても旧海軍側が主となって起草したことになる。以上から、旧陸海軍が「合同意見書」と「要綱」を取りまとめるにあたり、本文主張の類似点や基本的な 2段階にわたる整備構想、主力戦闘機数の一致を考えると、「陸軍意見書」がその基礎になったことは間違いないだろう。しかし、「合同意見書」および「要綱」を練り上げていく段階では、旧陸軍の研究成果を基本的に受容した旧海軍の関係者が、「陸軍意見書」を元に起案を担当したのではないだろうか。旧陸軍側にしてみれば、合同で研究成果を意見具申するにあたり、自前の案がほぼ受け入れられるのならばそのくらいの譲歩を行っても問題なかったであろう。旧陸海軍の航空関係者に共通する最大の懸念は、陸海軍の再軍備・陸海自衛隊が先行して整備されてゆく中にあって、航空再軍備・航空自衛隊の創設が取り残される状況になることだった。よって、おそらく旧海軍航空関係者は、案についてすでに吉田首相・米極東空軍司令官に提出していた旧陸軍航空関係者のそれに譲歩し、旧陸軍航空関係者は、「合同意見書」の起草について旧海軍航空関係者に譲歩したものと考えられる。

(4)旧軍航空関係者の航空再軍備研究に対する評価ここまで述べてきたとおり旧陸海軍航空関係者は、この時点で陸海軍に相当する組織が次々に形になっていた中で、本来日本防衛の要となるべき空軍に相当する組織が創設されないことへの焦りを背景として、合同で航空再軍備研究の意見書を提出することとなった。それでは、これらの研究成果がその後の航空自衛隊の創設にいかに反映されたのか。航空再軍備研究の当事者の証言を基に検討しよう。まず、旧陸軍航空関係者の回想を取り上げる。航空再軍備研究の中心人物であった

22 「自衛力創設 2(4/ 4)」(「元空将浦茂談話要旨空軍再建研究活動について」)、「防衛力育成 3(1/ 4)」(「元空将浦茂談話要旨空軍再建研究活動について」の音声データ(推定))。

23 「自衛力創設 2(2/ 4)」(「元空将奥宮正武回想談話要旨空軍再建の研究及び推進活動―旧海軍側―」)。

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航空自衛隊創設期の旧軍航空関係者の役割と米空軍の関与について

秋山紋次郎は、初代航空幕僚監部防衛部長(のち航空幕僚副長(1956-1959年))となる人物である。秋山によれば、航空自衛隊創設の準備を担当した航空準備室の設置に彼自身が直接関係することはなく、秋山らの航空再軍備研究と航空準備室の作業とは独立空軍をめざすという方向性は一致していたものの、内容的なつながりはなかった。そもそも、彼らの航空再軍備研究の内容は航空準備室に伝えられていなかったという。また航空準備室主要メンバーである有沼源一郎(のち航空自衛隊幹部学校長等)などは、秋山らが研究を行っていたこと自体を知らなかっただろうとさえ証言している。秋山は、再軍備研究に携わった旧陸軍航空関係者の航空自衛隊入隊時期について、

自身と田中耕二および浦茂は 1954年の航空自衛隊創設時であると語る。一方、航空準備室のメンバーは、同室設置当時(1953年 10月「別室」、1954年 2月「航空準備室」)、すでに陸海自衛隊の前身である保安隊第 1幕僚監部・警備隊第 2幕僚監部に所属していた者から成っていた。そして秋山によれば、航空準備室メンバーから航空準備室の運営や業務の進め方について相談を受けたことはないという 24。次に、第(1)項ですでに述べた、のちに第 5代航空幕僚長(1964-1966年)となる浦茂は、自らが携わった航空再軍備研究と航空準備室および航空自衛隊の創設は関係ないと断言している。また、準備室側の人間についても浦たちの研究を知らなかったと述べ、さらに航空自衛隊ひいては防衛庁との関係についてもあまりなかったと語っている 25。同じく第(1)項既述でのちに航空幕僚副長(1964-1966年)を務めた田中耕二は、航空再軍備研究について「あれはまったく趣味的学究的にやったもの」だと否定的に証言している 26。旧海軍航空関係者の証言では奥宮正武(のち航空自衛隊幹部学校長等)が、航空再

軍備研究と保安庁内航空準備室および防衛庁航空自衛隊との関係について、旧陸軍関係者同様に、航空準備室とは関係なしと答えている 27。なお、森繁弘元統合幕僚会議議長(1986-1987年、旧陸軍出身、戦時中航空士官学校在校、航空自衛隊創設時操縦学生)は筆者らによるインタビューの中で、旧軍航空関係者の再軍備研究と航空自衛隊創設との関係の有無について、

「私はなかったと思う。旧軍関係者は戦後もいろいろ再軍備について研究したり努力

24 「自衛力創設 2(1/ 4)」(「秋山紋次郎元空将談話空軍再建研究活動について」)、「創建等関係資料 1(1/ 3)」(「秋山紋次郎元空将談話空軍再建研究活動について」の音声データ(推定))。

25 「自衛力創設 2(4/ 4)」(「元空将浦茂談話要旨空軍再建研究活動について」)、「防衛力育成 3(1/ 4)」(「元空将浦茂談話要旨空軍再建研究活動について」の音声データ(推定))。

26 平 17防衛 01996100「自衛力の確立 4(4/ 5)」(「田中耕二元空将回想証言摘録」)。27 「自衛力創設 2(2/ 4)」(「元空将奥宮正武回想談話要旨空軍再建の研究及び推進活動―旧海軍側―」)。

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

したりしているが、結局米国がイエスと言わない限り実現しない話なのである」28

と答えている。旧陸軍出身で再軍備研究に参加し具体的な研究作業に従事した秋山、浦および田中は航空自衛隊発足と同時に入隊し、それぞれが初代航空幕僚監部防衛部長(のち航空幕僚副長)、第 5代航空幕僚長、航空幕僚副長の要職を務めている。旧海軍出身で再軍備研究に参加した奥宮も航空自衛隊幹部学校長などの要職を務めた。つまり航空再軍備研究に直接参画した旧陸海軍航空関係者が、その後航空自衛隊の創設期を担った人材となったことは間違いない。一方で、関係者の証言を総合すると、旧陸海軍航空関係者による再軍備研究の内容が、航空自衛隊の創設に活用された、もしくは参考にされたとはいいがたい。

3.航空自衛隊創設における米空軍の関与と日本側の受容の在り方

(1)航空自衛隊創設への助走1951年末、米統合参謀本部(Joint Chiefs of Staff: JCS)はそれまでの方針を変更し、将来、日本に空軍を創設させることを念頭に置いた文書を承認した。この半年後、1952年 6

月に日本海で米軍の B-29が撃墜される事件が生起したことは、この方針転換を後押ししたと思われる。さらに 8月、米国の国家安全保障会議(National Security Council:

NSC)文書、NSC125/2が大統領に承認され、日本に適切な空軍力を発展させるように支援することも決定されたのである 29。

9月には、この方針転換を受けて立案された米空軍参謀本部の日本空軍創設案が JCS

文書として承認されるとともに、米空軍は日本空軍創設の動きが陸海のそれに比し遅れているとも主張した。この提案は、日本の航空兵力として第 1段階で戦闘爆撃機および戦術偵察機を各 1個中隊とその他の支援部隊を整備し、第 2段階以降で迎撃戦闘機 6個中隊および戦闘爆撃機 12個中隊ならびに戦術偵察機 3個中隊と輸送機 6個中隊を整備するという内容であった。これに対して米海軍は時期尚早であると抵抗したが、10月に米空軍の主張は国務省と米陸軍の支持を得て改めて JCS文書となった 30。このような米国側の日本における航空再軍備・航空自衛隊創設への動きに拍車をか

28 森繁弘元統合幕僚会議議長に対する筆者らによるインタビュー(2018年 8月 27日)。29 増田『自衛隊の誕生』177-8頁、岡田「戦後日本の航空兵力再建」73,83頁。30 増田『自衛隊の誕生』178-182頁。

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航空自衛隊創設期の旧軍航空関係者の役割と米空軍の関与について

けたのは、ソ連による領空侵犯であった 31。10月 7日、在日米空軍の B-29が根室北東海上で行方不明となり、米国政府は調査の結果ソ連軍用機の攻撃による墜落と断定し、ソ連政府に抗議を申し入れる事態となった。この事態を受けて米極東軍司令官は、10

月 25日に本国陸軍省へ日本領空を侵犯するソ連機およびソ連同盟国機との交戦許可を米空軍に付与する提案を行い、11月 17日、国務省は駐日米大使宛に米極東軍司令官の要求を承認したと回答した 32。ほぼ同時期の 9月、保安庁内に制度調査委員会が発足している 33。制度調査委員会は、国内政治情勢を踏まえ「防衛」の名称をつけることを回避して設置された、長期的な防衛力整備計画を作成するための組織である 34。米国は明らかにソ連の日本領空侵犯に脅威認識をもっていた。12月 17日、ホイト・

サンフォード・ヴァンデンバーグ(Hoyt Sanford Vandenberg)米空軍参謀総長は、統合参謀本部議長宛覚書で「日本の安全保障に対する最も緊急にしてしかも唯一の脅威は、共産主義国の航空脅威である」とのマーク・クラーク(Mark W. Clark)米極東軍司令官の報告に同意し、早い時期に日本空軍の中核を確立すべき旨を進言した 35。このあと、日米両政府は吉田首相とロバート・マーフィ(Robert D. Murphy)駐日大使との間で会談を行い、1953年 1月、日本政府は今後領空侵犯発生の場合、駐留米軍の協力を得てこれを排除するために必要な措置をとることに決定したと発表した。2月、米極東空軍司令部はソ連機による根室空域侵犯と米軍機がこれを迎撃したことを発表し、実際に行動すると示すことでソ連機の領空侵犯事態は一応の終息をみた 36。しかしながら、この一連の事件は日本がこのような事態に対処する能力を保有していないことと相まって防空問題について国民の関心を喚起するとともに、制空権確保が重要な課題であることを浮き彫りにしたのである 37。

6月、制度調査委員会の第 2次案(警備 5か年計画)が策定された。同案は、保安庁限りの中期防衛力整備計画に相当する。木村篤太郎保安庁長官が 6月 9日、九州での部隊視察時記者団に日本の陸海空`各兵力の警備 5か年計画立案を明言し、航空部隊創設を示唆した。さらに 8月、木村は日本の防衛力に関し一番必要なのは空軍であると

31 同上、196頁、読売新聞戦後史班編『昭和戦後史「再軍備」の軌跡』500-502頁。これらによれば 1952年 10月頃にソ連領空侵犯が頻発した。既述のとおり岡田によれば 6月にも領空侵犯が生起している。岡田「戦後日本の航空兵力再建」83頁。

32 「戦後防衛の歩み」69『朝雲新聞』1990年 3月 29日。33 同上 118『朝雲新聞』1991年 5月 9日。34 植村秀樹『再軍備と 55年体制』(木鐸社、1995年)77-79頁。35 「戦後防衛の歩み」116『朝雲新聞』1991年 4月 11日、増田『自衛隊の誕生』187-189頁。36 「戦後防衛の歩み」70『朝雲新聞』1990年 4月 5日。37 同上 115『朝雲新聞』1991年 4月 4日。

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発言したのである 38。

(2)航空自衛隊の創設ア 中央機構の形成(ア)中央機構形成および航空自衛隊新設明示までの過程

1953年 9月 27日、自由党吉田首相と改進党重光葵総裁との間のトップ会談で、保安隊を外部からの「直接侵略に対処する自衛隊に改組することで合意した」39。

10月 5日、航空防衛力整備の研究に関し、保安庁長官等を補佐するため専任の要員を配置して制度調査委員会別室が開設された。別室とは、当初航空委員会の仮称で検討されたが、時期尚早として制度調査委員会内に設置するよう変更された、将来的な航空部隊創設に関する研究を行うための組織である。一方、1ヶ月後の 11月 5日、米軍事顧問団も航空班を新設して日本の航空部隊建設に対する支援体制を強化した。同じ月、米国防総省が空軍省起案「日本空軍建設支援計画」、いわゆるブラウン・ブックを保安庁に提示し、制度調査委員会別室が中心となって航空防衛力整備計画該当部分の修正作業を実施し、これが航空自衛隊編成装備の骨格となる。ブラウン・ブックは、整備すべき目標兵力として航空実動部隊数 33個飛行隊と記していた 40。国内の主要政治勢力間で合意が図られた直後、間髪を入れずに航空防衛力整備の研究部署が設置され、1ヶ月後には米側が支援体制を整えて計画を提示し、さらに日本側が迅速にこれに対応したのである。この短期間に、意思決定から計画の策定に至るまで日米両国を通じてその流れが円滑であったことは、周到な準備の存在をうかがわせると同時に、差し迫ったソ連の経空脅威に対して日米が抱いていた危機感の大きさの表れともとれる。

12月、制度調査委員会別室は業務遂行に関する大綱を策定した。それは航空中央機構、航空防衛力、航空部隊機関の編制装備、運用に関する事項、人事管理、要員養成・教育訓練、施設、通信・レーダー関係、気象保安、補給・整備・修理、技術関係、衛生、予算を主要項目とするものであった。12月 28日には中央機構としての組織の具体的在り方について、米空軍の少佐らに米国の中央機構についての意見聴取を行っている 41。日本は、米軍支援計画ブラウン・ブックに基づいて航空防衛力の建設計画を策定し、中央機構整備の検討にあたっても、米国における機構の在り方について在日米空軍将校の意見

38 同上 118『朝雲新聞』1991年 5月 9日。39 植村『再軍備と 55年体制』131頁。40 「戦後防衛の歩み」119『朝雲新聞』1991年 5月 16日。41 同上 120『朝雲新聞』1991年 5月 23日。

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航空自衛隊創設期の旧軍航空関係者の役割と米空軍の関与について

を参照したのである。1954年 1月 27日、吉田首相は国会で施政方針演説を行った。防衛問題について吉田は、基本方針として国力に応じた自衛力漸増方針に変更のないことを述べた上で、自らの手で自らの国を守る体制の 1日も早い樹立は当然の責務であり、そのために保安庁法等の所要の改正、保安隊・警備隊の自衛隊への切り換えとともに、航空自衛隊を新設して自衛隊に直接侵略対処任務を持たせる規定を設けたいと宣明したのである 42。ここに、航空自衛隊の新設は政府の方針として内外に発表された。首相演説によって、政府の方針として航空自衛隊の創設が明示されたことにより、

これまで制度調査委員会別室という内実の不明確な名称であった部署は、2月 1日、航空部隊・第 3幕僚監部の創設準備組織となる航空準備室として正式に発足した。以後航空準備室は、航空幕僚監部の前身としての機能を担う。要員は室長以下 47名で、その内訳は内部部局所属の者が 4名、1幕(陸)所属の者が 37名、2幕(海)所属の者が6名であった 43。こうして航空幕僚監部の原型が保安庁内に正式に発足したのである。

(イ)中央機構・航空幕僚監部の人的構成次に、航空自衛隊発足直後の航空幕僚監部の人的構成を概観する。1954年7月1日に航空幕僚長以下の人事が発令され、航空自衛隊の陣容が決定したが、

当該年度編成予定の部隊・機関の大部分はいまだ編成されず、中央機構・航空幕僚監部も 16課中 12課で課長不在の状況であった。このあと、これらを完全に充足するために 5ヶ月を要している。航空幕僚監部全体での旧陸海軍関係者または第 1・第 2幕僚監部出身者(以下本段落

では単に陸、海と略記)の比率は定かでない。しかし、枢要なポストである航空幕僚長、航空幕僚副長、4部長、16課長の 22名に関しては姓名が明らかになっている。このうち航空幕僚長は文官で東京帝大出身の上村健太郎である。ほかの 21のポストをみると、副長が海、4部長は陸 3名・海 1名、16課長は陸 4名・海 5名・東京帝大 2名・学歴および軍歴不明 5名である。よって 22個の主要ポストのうち、東京帝大 3名と学歴および軍歴不明 5名を除く 14のポストは、陸 7名・海 7名と均衡している 44。航空自衛隊発足時に保安隊から転官した坂梨靖彦(のち空将補)も当時を振り返り、初代空幕長・副長・4部長(監理、人事、防衛、装備)の構成について「官僚 2、陸 2、海 2のバラ

42 『朝日新聞』1954年 1月 27日(夕刊)。43 「戦後防衛の歩み」121『朝雲新聞』1991年 6月 6日。44 平 27防衛 00119100「航空自衛隊創設史(昭和 29年度)」35-37頁。

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

ンスのとれた人事配置だった」と記している 45。初代航空幕僚副長にして第 2代航空幕僚長(1956-1957年)の佐薙毅(海兵 50期)は、戦前・戦時中から交流のあった旧陸軍関係者たちと、出身別の観念は「一切払拭し、全員渾然一体となって新しい航空自衛隊の建設に邁進しようと」「完全に意気投合し得たこと」が「なによりも心強く有り難かった」と回想する 46。ただし、空自発足後の歴史的軌跡を見てみると、組織の頂点となる航空幕僚長につ

いては、初代が内務官僚出身の上村健太郎であったのを除き、旧軍出身者は第 2代から第 17代までの 16名であり、その内訳は旧陸軍が 10名、旧海軍が 6名となっている。ちなみに、航空幕僚副長は初代から第 21代までの 21名が旧軍出身者であり、内訳は旧陸軍が 17名、旧海軍が 4名である。つまり、歴代の航空幕僚長および副長については、旧陸軍出身者が旧海軍出身者に比して多数を占めている。

イ 部隊等の設置(ア)全般の構想(1954年度)および米空軍の影響航空自衛隊創設の骨子となったのは、制度調査委員会が立案した防衛力整備計画第

7次案である。この案に基づき検討の結果、航空機については 1954年度から 1958年度にかけて逐次整備し、戦闘機 500機・輸送機 80機などからなる 1197機の航空部隊を整備しようと考えられていた。また、機関・部隊等の組織については、1954年度に第3幕僚監部、各学校(幹部学校・整備学校・通信学校・初級操縦学校)、教育部隊(航空教育隊)、航空廠、輸送飛行隊を整備する方針であった。つまり、初年度の航空自衛隊では、中央機構となる第 3幕僚監部のほかに、学校・教育部隊および整備補給機能ならびに輸送航空隊を整備するものと考えられていたのである。航空警戒管制部隊も、年度の編成要領を示す表中に名称は記されているものの、他と異なり配置・編成要領についてはすべて空欄となっている 47。なお、実際には、7月 1日臨時松島派遣隊(基本操縦教育)を皮切りに、7月 6日操

縦学校、8月 1日航空自衛隊幹部学校・臨時芦屋派遣隊(輸送機操縦教育のちジェット機操縦教育に任務変更)、9月 1日整備学校・通信学校・第 1航空教育隊・航空自衛隊補給処、9月 25日中部訓練航空警戒隊、10月 1日北部・東部・西部各訓練航空警戒隊、1955年 1月 20日臨時築城派遣隊(臨時芦屋派遣隊を廃止し築城に移駐、ジェット機操縦訓練)、2月 1日臨時立川派遣隊(輸送機操縦教育)、3月 1日立川輸送航空隊(臨時

45 坂梨靖彦「ある自衛官の回想④空自創設期の実態(後方体験録)」『軍事研究』第 46巻第 4号(2011年 4月)149頁。46 平 17防衛 02154100「創造関連資料 3(3/ 4)」(「航空自衛隊 25周年記念随想(WING.54.7.11号)」)。47 「航空自衛隊創設史(昭和 29年度)」12-13,15頁。

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航空自衛隊創設期の旧軍航空関係者の役割と米空軍の関与について

立川派遣隊を改編)・第 2航空教育隊・臨時教材整備隊までが当該年度に発足した 48。航空自衛隊部隊建設に対する米空軍の影響に関し、鈴木瞭五郎元航空総隊司令官

(1974-1976年、海兵 68期)は次のように回想している。

「(1954年)12月に入ってMマ マ

AAGIJ(Military Assistance Advisory Group, Japan(在日軍事援助顧問団))から部隊建設 5か年計画に必要な教育量をしめす技術教育計画表が提示され、米空軍の指導と援助にもとづく部隊づくりのレールが確定した(中略)この時期の基地・部隊の建設、人員の募集と教育訓練は月ペースで推進され、じつに繁忙で急速な要

マ マ

請と運用が展開されていった。これらは米空軍の近代的な計画と管理、そして実力の裏付けがあってこそはじめて実現可能であった」49

(括弧内は筆者)。

(イ)創設期の操縦教育と航空警戒管制部隊操縦教育は、航空自衛隊創設直前の 1954年 6月、松島に臨時松島派遣隊が編成され、米極東空軍により T-6練習機による初級教育が開始された 50。当面経験者の技量回復を主目的にとして陸(1幕)24名、海(2幕)11名の合計 35名を操縦学生として航空自衛隊に転官配置し、6月 1日が訓練開始日とされた 51。操縦経験者に対する技量回復に相当するため、リフレッシャー・コースと呼ばれたこの教育に参加したのは、単に操縦経験者というばかりでなく、大戦を生き抜いた旧陸海軍航空の猛者たちであった。一方、在日米空軍は航空自衛隊造成支援のために桜花計画(Project Cherry Blossom)のもと航空自衛隊要員訓練を開始し、この支援を桜花作戦(Operation Cherry Blossom)と呼称した。この作戦のために、T-6練習機 68機が逐次支援部隊に移管される運びとなり、在日米空軍将校ら 131名が選抜されて松島基地に集合した。日本側にとって操縦教育における大きな問題は、語学であった。6月 21日、技量回復をめざす航空自衛隊操縦幹部学生要員 35名が松島に到着し、同月 25日、学校は開校したものの、その2日後には言葉の壁が問題化し計画の一部変更に至っている。入校前に十分な英語能力の慣熟とその選定を航空自衛隊が責任をもって行うこと、35名のうち英語ができる16名が飛行訓練を開始し、残り 19名は松島で日本人教官による英語教育を受けることの 2点が、改めて日米関係者間で取り決められた。航空自衛隊発足後の 7月 26日、第

48 同上、45頁。49 鈴木瞭五郎「ひよこに翼を与えた伝説の神々たち」『丸』第 528号(1990年 7月)85-86頁。50 この臨時松島派遣隊は米極東空軍の教育を受けるための部隊であり既述の 7月 1日発足航空自衛隊臨時松島派遣隊の前身である。

51 「航空自衛隊創設史(昭和 29年度)」31頁。

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

2期操縦学生要員 5名が追加入校したが、すでに入校していた者と合わせて 40名中 13

名が英語力不足と技量回復遅延のために原隊復帰を命じられる状態であった。8月 27

日、松島の訓練を無事終了できたのはわずかに 13名であった 52。語学に苦しめられた旧軍のパイロットたちだったが、米軍教育の内容については肯定的にとらえていた。例えば、鈴木瞭五郎は次のように回想している。

「この年度の飛行教育は、T-34(初級)、T-6(中級)により経験者にたいする技量回復を行なったのち、T-33ジェット機および輸送機の操縦訓練へと移行したが、教育の実施も資材の補給も米空軍のまるがかえであった。(中略)マスプロの流れ生産方式による教育訓練も、科学的かつ論理的で効率がよく、教材も教範、技術指令書(TO)、手引書(ハンドブック)など自学自習にも好適であり、徒弟教育方式のわがほうとは次元がちがっていた。管理についても運用、業務、品質、安全の各面において基準化、標準化、細部

手順が整理されており、ミスや怠慢がなければ事故や故障が生じない万全のものであった。これをまなびとったわれわれは、いまや世界水準の技術大国成就の恩恵によくしている。安全管理についてもわれわれは命の軽視を当然と考えがちであった。しかし、これは膨大な人的、物的損耗につながる一大事であった」53。

平野晃元航空幕僚長(1976-1978年、海兵 69期)も、米空軍の教育システムについて、規格が統一されていること、機種ごとに教官課程があって操縦教官は必ずその課程を終えていること、教育が流れ作業方式になっているために教育シラバスの変更にも柔軟に対応できることに感心したと証言している。米空軍では「日本のように『名人芸』を求めるのではなく、パイロットをマスプロ方式で養成する教育システムが確立し(中略)教え方に無駄がない」と受け止めていた。機材についても、無線機がよいということに驚かされた旨を述べている 54。

1955年 2月、松島に到着した R-8(リフレッシャー・技量回復の第 8コース)学生も次のように回想している。航空機等の機材に関しては空地・機内相互交信とも明瞭であるとともに、教育法についても標準化されて教官教育課程も確立され、空地の安

52 森田忠信「航空自衛隊創設の事情と米空軍の果たした役割(完)」『鵬友』第 2巻第 6号(1977年 3月)74-76頁。53 鈴木「ひよこに翼を与えた伝説の神々たち」86-87頁。54 宮本勲「航空自衛隊 50年の歩み『翼の回想録』空自を作り、育てた人々(8)神代の操縦教官たち」『航空ファン』第 54巻第 1号(2005年 1月)70-71頁。

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航空自衛隊創設期の旧軍航空関係者の役割と米空軍の関与について

全対策に関しても我と比較して周到であった。特に計器飛行の程度は遙かに高く、当該技術の教育についてはむさぼるように熱心に学んだという 55。このほか、のちにほぼすべてが航空自衛隊に移管される保安隊航空学校における教育訓練について、米軍式の飛行前安全点検や実践的な教育、米国人の教官が基本に非常に厳格で訓練が徹底的であった旨の証言が残っている 56。日本初のジェット機操縦者であり、戦時中 B-29の要撃任務も経験した竹田五郎元統合幕僚会議議長(1979-1981

年、陸軍航空士官学校出身)によれば、ジェット機という未知の領域に飛び込む際には旧陸海軍航空出身のベテランたちも躊躇し、実際に飛んだ際の離陸速度に驚くとともに、乗るための訓練が厳格であったという 57。また、創設直後の航空自衛隊で、操縦教育を経験した鈴木昭雄元航空幕僚長(1990-1992年、保安大学校 1期)は、自らが受けた教育についてマニュアルは完全に米空軍のものであり、教育機材から装備品に至るまで米軍から譲り受けたものであったと述べている 58。すなわち、語学という大きな壁に直面し、訓練内容の厳格さにとまどいながらも、

創設期の航空自衛隊では操縦教育において、米空軍の機材および教育法ならびに安全対策を、総じて全面的に受容していったのである。航空警戒管制部隊は、先に述べたとおり全般の構想では配置・編成要領が記載され

ていなかったが、実際には 1954年 9月 25日および 10月 1日に編成された。その動向の一端が、北部訓練航空警戒隊(現在の北部航空警戒管制団)初代隊長の回想からうかがえる。航空自衛隊発足直後の 8月 16日、陸上自衛官(当時 3等陸佐)から転官した松本奎一は、航空幕僚監部付北部訓練航空警戒隊隊長要員となり、9月 9日から陸上自衛隊青森駐屯地で編成準備にかかり、10月 1日、編成を完結して初代隊長となった。10月 16日、隊は青森駐屯地から三沢米軍基地内野戦用天幕に移動し、米軍教官からのオペレーター教育が開始され、同時に北海道米軍各レーダー基地内へ部隊を展開した。部隊を構成する隊員は、陸海自衛隊からの転官者たちであった。米軍基地内で、米国人教官から米軍器材・米軍マニュアルによって教育を受けることは非常に大きな困難を伴うものであったようで、米軍基地内の野戦用天幕に起居し野戦釜で炊事を行って立食で済ませるなど、創設期の隊員たちの苦労がしのばれる 59。鈴木昭雄は、旧陸海軍航空と戦後の航空自衛隊との間には明確な境界があると述べ

55 河内山讓「創設期の操縦教育」『鵬友』第 20巻第 1号(1994年 5月)130-131頁。56 読売新聞戦後史班編『昭和戦後史「再軍備」の軌跡』493-495頁。57 同上、520-521頁、「竹田五郎オーラル・ヒストリー」防衛省防衛研究所戦史研究センター編『冷戦期の防衛力整備と同盟政策①四次防までの防衛力整備計画と日米安保体制の形成』(防衛省防衛研究所、2012年)93-95頁。

58 鈴木昭雄元航空幕僚長に対する筆者らによるインタビュー(2018年 8月 10日)。59 松本奎一「北部訓練航空警戒隊創設当時の思い出」『鵬友』第 20巻 4号(1994年 11月)107-110頁。

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

ている。鈴木によれば、AC&Wすなわち航空警戒管制によるコマンド ・アンド ・コントロールという新しい概念が入ってきたこと、それに基づいて組織的な防空戦闘を行うこと、さらにそこにミサイルも加わるという空の戦い方そのものが、単に航空機がプロペラからジェットに変わっただけにとどまらず、旧軍人たちにとってまったく新しいものなのであった 60。戦後の航空自衛隊にとって、航空警戒管制部隊は旧軍になかった組織であり、新し

い概念である航空警戒管制任務に就くために米空軍から学ぶことは必然的な流れだったのである。

(ウ)航空自衛隊創設期における学校教育と精神的紐帯等の模索a 航空自衛隊幹部学校の創設航空自衛隊創設初年度、幹部学校が発足した。先述したように、航空自衛隊創設の

骨子は制度調査委員会が立案した第 7次案である。一方で、人員養成に関しては米空軍の強力な指導がその元になっており、その基本はピンク・ブックであった。ピンク・ブックとは「米航空顧問団から提示された『日本空軍創設支援のための飛行・技術訓練計画』(表紙の色から別名ピンク・ブックと呼ばれた)」であり、既述のブラウン・ブックとともに防衛庁の航空防衛力整備に関して影響を与えたものである。佐藤勝雄元空将(陸士 42期、航空自衛隊幹部学校長)によれば「予算はもちろんあらゆる航空自衛隊の動きがこのピンク・ブックによって律せられていたと言っても過言ではなかった」という。だが、実はピンク・ブックには幹部学校およびその教官要員養成についての記述がなかった 61。他方で、幹部学校の在り方については、幹部学校そのものの問題であるとともに、

航空自衛隊教育体系の全体像にかかわる問題であることから、1954年 9月、島田航一(海兵 55期)初代幹部学校長提唱により、浜松所在の幹部学校・操縦学校・整備学校・通信学校の各校長・副校長・教育部長らが航空自衛隊の教育体系を研究することとなった。この研究会では、米空軍の教育体系や旧陸海軍の制度等に基づき自由な議論が行われたようである。その結果、幹部学校の教育課程の案として、

・ 旧陸大式(比較的若い 1・2尉級に約 3年間教育)・ 旧海大式(一応特技に習熟した 3佐・1尉級に約 2年間教育)

60 鈴木昭雄元航空幕僚長に対する筆者らによるインタビュー(2018年 8月 10日)。61 航空自衛隊 50年史編さん委員会編『航空自衛隊 50年史』(2006年 3月)48-49頁、「戦後防衛の歩み」119『朝雲新聞』1991年 5月 16日、佐藤勝雄「創始時代の空幹校」『幹部学校記事』第 1巻第 1号(1958年 6月)49頁。

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航空自衛隊創設期の旧軍航空関係者の役割と米空軍の関与について

・ 米空軍式(各級指揮官に直接必要な比較的短期間の 3段階教育)

の 3案が提起された。結論として、米空軍の指導下で発足中の航空自衛隊各学校の教育体系にも適合する観点から、米空軍式の AWC(幹部高級課程)、C&SC(指揮幕僚課程)、SOC(幹部普通課程)のコースを基本体系として整備することになった 62。なお、島田幹部学校長から幹部学校の在り方研究を特命された植弘親孝(当時 2佐、教官・研究部長)は当時実施した研究内容について次の 3項目を列挙している。

・ 旧陸・海軍大学および陸上・海上自衛隊幹部学校の教育(特に教育課程・カリキュラム)に関する資料の収集

・ 米空軍顧問団を通じ、米空軍大学組織および Cマ

&Sマ

(指揮幕僚課程)のカリキュラム・教程に関する資料収集とその翻訳

・ 浜松所在の幹部学校・操縦学校・整備学校・通信学校の各研究部長で構成された航空自衛隊教育体系に関する合同研究

これらの研究が浜松で実施された後、幹部学校本体は、防府に移転して幹部候補生学校の前身となるとともに、本来の意味での幹部学校は小平付近への移転が決定し、越中島にその準備室が設置され、植弘はこの準備室で勤務することになる。幹部学校開設の準備、特に教育準備については、在防府の島田校長が引き続き指示をすることとなった。植弘も、旧陸大式、旧海大式および米空軍式が検討された結果、当時の航空自衛隊の教育体系全般が米空軍式に準拠し、かつ約 10年の航空に関する空白を埋めるために、まず米空軍式で始めようということになったと記している 63。操縦教育等の技術的側面に関してすでに米空軍式を受容していた航空自衛隊は、組織の根幹を形成する幹部教育においても米空軍式を受容したのである。

b 精神的紐帯の模索すでに見たように、航空自衛隊は旧陸海軍出身者および一般大学出身者等によって構成される、いわば寄り合い所帯として出発したわけだが、これをつなぎとめる精神的な紐帯の源を戦前に求めた点も皆無ではなかった。陸軍航空士官学校で「生徒の精神教育を特に重視し、その就学の心得を明示する」64

62 佐藤「創始時代の空幹校」50-51頁。63 植弘親孝「幹部学校創設期の思い出」『幹部学校記事』第 12巻第 6号(1970年 3月)2-5頁。64 陸軍航空士官学校史刊行会編『陸軍航空士官学校』43頁。

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

ものとして用いられた「陸軍航空士官学校生徒心得綱領」(以下「綱領」と表記)では、身につけるべき精神要素の 1つとして「積極進取」が挙げられている 65。「綱領」では、総則で第 1から第 5までに教育目的・学校の使命・教育方針等を総括的に記し、第 6

以降に同校生徒が肝銘すべき徳目が 9項目列挙されているが、そのうちの 1つとして「積極進取」が掲げられているのである 66。一方、森繁弘航空幕僚長(当時、1983-1986年)が、航空自衛隊創設 30周年にあたる 1984年に創設当時を振り返って記した「無形の金字塔」(以下「金字塔」と表記)では、エアマンシップとして「積極進取」を含む 3つの要素が指摘されている 67。「金字塔」で述べられる「積極進取」は、創設期の航空自衛隊が団結するためのキーワードとしてのエアマンシップを構成する 3つの徳目(迅速機敏、積極進取、柔軟多様)のうちの 1要素として挙げられている。森によれば、創設期の航空自衛隊には旧陸海軍航空出身者が多く存在していたこと

はもちろんだが、 それ以外にも航空を経験したことのない旧陸海軍出身者、そして一般大学出身者等多様な出自の者から構成されており、共通する精神的な支柱が存在しなかった。そこで、当時の航空自衛隊のリーダーであった森の先輩たちは、エアマンシップの重要性についてよく口にしていたという。

「『エアマンシップを持て』というのは先輩みんなが言っていた言葉です。私が言い始めたわけじゃない。(中略)それはやっぱりね、航空を知らなくて航空自衛隊に来た人も陸海軍から来ているから、とにかく『航空に来た以上はエアマンシップを持たなければだめだ』と言われました。(中略)(迅速機敏、積極進取、柔軟多様という 3つの徳目・要素については)はっきりと 3つに区分しては言われなかったが、私が、先輩が言っていたことの意味はこうだろうと思って(「金字塔」に)書いたんです」68(括弧内は筆者)。

森が「金字塔」に記したエアマンシップは、文書等に明文化されていたわけではなく、森自身が航空自衛隊創設期を回想してまとめたものだったのである。このように、創設期の航空自衛隊では組織の精神的な紐帯、もしくはよりどころと

して戦前期の陸軍航空に求めたところも皆無だったわけではなかったようだが、その

65 「陸軍航空士官学校生徒心得綱領」航空自衛隊入間基地修武台記念館所蔵。66 記載順に、協同団結、空地一体、責任観念と犠牲的精神、積極進取、純真明朗、自啓自発、克己自制、潤達謙虚、虚心坦懐。

67 森繁弘「無形の金字塔」航空自衛隊連合幹部会機関誌『翼』第 17号(1984年 7月)52-53頁。68 森繁弘元統合幕僚会議議長に対する筆者らによるインタビュー(2018年 8月 27日)。

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航空自衛隊創設期の旧軍航空関係者の役割と米空軍の関与について

在り方は、例えば今日の海上自衛隊において旧海軍の「五省」がそのまま用いられているような、全面的かつ直接的な継承の在り方とは異なっていることに留意が必要である 69。森が述べているように、戦後新たに発足し、多様な出自によって構成された空自をまとめるには、旧日本陸海軍航空いずれかのものをそのまま適用するのではなく、新しい精神的な紐帯を必要としたのだろう 70。

おわりに

旧日本陸海軍航空は、航空機の誕生以来、その兵器としての重要性と可能性に着目し、当初はヨーロッパからの技術を導入し、列強に比しても、 ある分野ではむしろ速い進度で航空兵力を発展させた。陸海軍の補助兵力ではなく、 独立した軍種として新たに空軍を創設させようという意見は特に旧陸軍航空内に存在したが、 それとて陸軍内のコンセンサスを得ていたわけではなく、 況んや海軍はこれに反対であった。旧軍航空関係者-特に陸軍航空関係者-からすると、航空機の兵器としての技術的進歩に伴って、航空優勢の重要性が戦況を左右する最も重要な要素になっていったにもかかわらず、 依然として航空兵力が軍内において補助兵力と見なされ続けた苦い経験は、 戦後の彼らの活動を精神的に下支えした。戦後、連合国による占領下にあって、旧陸海軍関係者同様、旧陸海軍航空関係者も

再軍備研究活動を独自に実施した。その活動に参画した比較的若い者たちは草創期の航空自衛隊を担ったが、彼らの研究内容が航空自衛隊の創設に直接的に結びついたわけではなかった。航空自衛隊創設の直接的な契機は、1952年夏から秋にかけてのソ連領空侵犯により、共産圏からの経空脅威に対する認識が日米双方で高まったことであり、この結果、米空軍が「日本空軍」創設を企図し、これを日本が受容したのである。航空自衛隊の創設に際しては、戦争が終わって 10年近くが経過し、航空機がプロペラからジェットの時代へと移行していた中で、航空機の操縦法だけでなく、航空警戒管制に象徴されるような新たな概念やそれにまつわる組織が米国から導入されること

69 他に、海上自衛隊において旧海軍から直接的に継承している標語としては「スマートで、目先が利いて、几帳面、負けじ魂、これぞ船乗り」がよく知られている。また、金曜日にカレーを食べることも旧海軍時代に始まった行動様式である。これらについては橋爪暁子 1等海佐から御教授頂いた。記して感謝したい。

70 なお現在の航空自衛隊では、隊員の精神的基盤としてエアマンシップを位置づけており、その中核に「航空自衛隊魂」を据えている。そして、それを構成する 4つの気質(積極進取、迅速機敏、柔軟多様、協力協調)のうちの 1つとして「積極進取」が含まれている。4つの気質のうち、「協力協調」以外が「金字塔」にある 3つの徳目と共通していることから、この「航空自衛隊魂」を構成する気質の策定にあたっては、森の文章を参照したのであろう。石塚勲「航空自衛隊魂――エアマン・シップ」『SECURITARIAN』第 521号(2002年 4月)18-21頁、連合准曹会発行『連合准曹会』2018年 12月 3日。

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

になったが、装備品、機材などのハード面を全面的に依存したことはもちろんのこと、種々の教育等ソフト面まで米国式を受容することで出発した。さらに草創期の空自は、「雰囲気や気質が相当違う」(森繁弘元統合幕僚会議議長)旧陸海軍出身者や一般大学出身者によって構成されていたことから、その精神的紐帯となるべきものを必要とした。草創期の航空自衛隊では、それを旧日本陸海軍航空のいずれかのものをそのまま適用したというよりも、上記のように様々な出身母体から構成された組織として出発し、さらには米国式の空軍組織の在り方を体系的に受容したこともあって、新たな組織を束ねうる、新たな紐帯を模索したのであった。

(なかじましんご 戦史研究センター安全保障政策史研究室長、にしだひろし 2等空佐安全保障政策史研究室所員)

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ソ連軍指導部の対日認識について――第二次世界大戦期を中心に――

花田 智之

<要旨>

本稿は、第二次世界大戦期におけるソ連軍指導部(赤軍参謀本部および国防人民委員部の高級幹部)の対日認識に焦点を当てて分析したものである。第二次大戦期の日ソ関係は 1941年 4月に締結された日ソ中立条約を戦略的枠組みとして、連合国と枢軸国という敵対関係にありながらも、交戦する両陣営を結ぶ公式な外交交渉ルートが存在する、特殊なものであった。こうした中、ソ連軍指導部の対日認識は、対独認識との比較により、戦争目的と戦後構想において相違を見出すことができる。ソ連軍指導部の戦争目的をめぐる対日認識は、第二次大戦前の対日強硬路線を引き継ぐ形で日本への脅威認識が存在し、独ソ戦争のような人種戦争・殲滅戦争として語られることはなかったものの、軍国主義・帝国主義との戦いを目的としたソ連の対日参戦が想定されていた。他方、ソ連軍指導部の戦後構想をめぐる対日認識は、ヤルタ秘密協定で合意された戦後東アジアにおける権益確保を念頭に置きながらも、戦後ドイツに対するものと同様、軍国主義・帝国主義の復活を阻止したいという側面と、戦後日本の復興を警戒していた側面が存在していた。

はじめに

本稿は、第二次世界大戦期におけるソ連軍指導部(赤軍参謀本部および国防人民委員部の高級幹部)の対日認識に焦点を当てて分析したものである。特にソ連共産党の指導者であったヨシフ・スターリン(Joseph V. Stalin)首相、ノモンハン事件において第 1軍集団司令官として活躍したゲオルギー・ジューコフ(Georgy K. Zhukov)元帥、ソ連の対日参戦(日ソ戦争)において極東ソ連軍総司令官として活躍したアレクサンドル・ワシレフスキー(Alexander M. Vasillievsky)元帥の 3人に注目して、彼らの対日認識を明らかにする。第二次大戦期の日ソ関係は、1941年 4月に締結された日ソ中立条約を戦略的枠組みとして、連合国と枢軸国という敵対関係にありながらも、交戦する両陣営を結ぶ公式

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

の交渉ルートが存在する、特殊なものであった。これは 1930年代の日ソ関係が戦争と平和の共存として描かれるように、満洲事変とその後の満洲国建国によって満ソ国境地域での緊張度合いが著しく増大し、1939年のノモンハン事件をピークとした大規模な局地紛争が展開された時期や、第二次大戦勃発後の日ソ国交調整および第二次近衛文麿内閣が掲げた「日独伊ソ四国協商構想」に見られた勢力圏分割案が追求された時期とは大きく異なる。また第二次大戦の後半期になると、日本に対する独ソ和平とソ連に対する日米和平(終戦工作を含めた)という相互に仲介国としての役割を期待されることもあったが、前者は欧州戦線からソ連軍が解放されると日本にとって極東地域での脅威が増大するという懸念を、後者は太平洋戦線から日本軍が解放されるとソ連にとって極東地域の脅威が増大するという懸念をもたらしたため、どちらも実現することはなかった。1945年 8月 9日のソ連の対日参戦まで、日ソ関係は表面上の安定さを保っており、双方の軍事的・外交的思惑は大きく異なったものの、極東地域における相互不干渉を基調とした大国間関係が構築されたといえる。このため戦時期に日ソ両国が互いにどのような対外認識を形成していたのかについて分析することは、日本の太平洋戦争およびソ連の大祖国戦争(独ソ戦争)を正確に理解するために重要となる。これまで、日本の対ソ認識については、政府内における親ソ派政治家として知られ

た寺内正毅、後藤新平、久原房之助、松岡洋右、米内光政らの対ソ観に焦点を当てた政治史研究、日本共産党やコミンテルン(共産主義インターナショナル)の諸活動や日本国内での共産主義の広がりに注目した社会運動史研究、参謀本部・軍令部や各特務機関、大使館附駐在武官制度を中心とした日本軍部の諜報活動に関するインテリジェンス史研究などの様々な形で進められてきた 1。特に日本軍部の対ソ認識については、日本陸軍がソ連を最大の仮想敵国としたことで、反ソ・反共主義を原則とした諜報活動が世界各地で繰り広げられた。そして参謀本部第 2部第 5課(ロシア課)、軍令部第3部第 7課(ロシア課、1932年 10月までは第 6課が担当)、関東軍参謀部第 2課、ハルビン特務機関(1940年以降は関東軍情報部に改編)による対ソ情報収集・分析だけでなく、ソ連周辺の東欧・中東地域での駐在武官制度(ポーランド、ハンガリー、ラトビア、ルーマニア、フィンランド、スウェーデン、トルコ、イラン、アフガニスタン)

1 日本の対ソ認識に関する近年の研究成果については、麻田雅文『日露近代史:戦争と平和の百年』(講談社現代新書、2018年)、五百旗頭真・下斗米伸夫・A.V.トルクノフ・D.V.ストレリツォフ編『日ロ関係史:パラレル・ヒストリーの挑戦』(東京大学出版会、2015年)、富田武『戦間期の日ソ関係 1917-1937』(岩波書店、2010年)、和田春樹・富田武編訳『資料集:コミンテルンと日本共産党』(岩波書店、2014年)。

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ソ連軍指導部の対日認識について

による対ソ謀略や防共戦略の実態が解明されてきている 2。これに対し、ソ連の対日認識については、ソ連時代の公文書史料の利用制限などが

原因で十分に分析されておらず、ソ連崩壊後の史料公開によって現在進行形で研究が進められている状況にあるといえる。特にソ連軍指導部の対日認識については、公文書史料の機密解除の遅れが見られるものの、文書館(アルヒーフ)での研究活動の可能性が飛躍的に増大した。また、ロシアや英米諸国において公文書史料集・回想録の刊行や、新たな研究成果の発表が見られるようになり、むしろこれらが日本国内で十分に分析されていないことに大きな問題がある。こうした見地から、本稿では第二次大戦期のソ連軍指導部の対日認識に光を当てることで、スターリンの独断(と偏見)として理解されることの多かった軍指導部の対日認識の実相を、ロシア側の公文書史料などに基づいて検証することを目的とする。そしてソ連軍指導部における日本国および日本軍に対する脅威認識を含めた対日観を明らかにするとともに、第二次大戦期に枢軸国という共通点を有した対独認識との比較も試みる。本研究により、ソ連の対日戦争指導に関する全般的理解を深めるだけでなく、現代ロシアの対日認識を分析するための歴史的視座を提供することが期待される。主な研究方法として、近年の先行研究による研究成果を踏まえつつ、ロシア国立社

会政治史文書館(RGASPI)および国立軍事文書館(GRVA)所蔵の公文書史料や、ソ連崩壊後に刊行された公文書史料集・回想録などを用いる。特に『ジューコフ元帥回想録:回顧と熟慮』と『ワシレフスキー元帥回想録:我が生涯の務め』に関しては、ソ連崩壊後に記述内容が機密解除された増補版を用いる 3。なお、本研究では、戦争指導という言葉を「スターリンを頂点としたソ連軍指導部

による軍事・外交戦略と極東の軍司令部での作戦の総体」として定義する。併せて、ソ連軍の名称に関して、「赤軍」(正式名称は労農赤軍)が「ソ連軍」へと改称したのは第二次大戦後の 1946年 2月であったが、本稿ではソ連の軍隊という意味合いで「ソ連軍」を用いる場合もあることから「赤軍」と「ソ連軍」を併用する。また、1930年代後半の赤軍機構改革との関連で、軍指導部の高級幹部の階級名が部隊司令官のものと混同しやすいことから(軍団長、師団長、旅団長など)、筆者が新階級名に統一した。

2 当事者による著書は、西原征夫『全記録ハルビン特務機関:関東軍情報部の軌跡』(毎日新聞出版、1980年)、林三郎『関東軍と極東ロシア軍:ある対ソ情報参謀の覚書』(芙蓉書房、1974年)。近年の研究成果については、小谷賢『日本軍のインテリジェンス:なぜ情報が活かされないのか』(講談社選書メチエ、2004年)、田嶋信雄『日本陸軍の対ソ謀略:日独防共協定とユーラシア政策』(吉川弘文館、2017年)。戦前の駐在武官制度については、立川京一「我が国の戦前の駐在武官制度」『防衛研究所紀要』第 17巻第 1号(2014年 10月)123-159頁。

3 Жуков, Г.К. Воспоминания и Размышления. 14-е издание. Военное Издательство, 2010, Том.1-2., Василевский, А.М. Дело Всей Жизни. Вече, 2014.

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1.ソ連軍指導部の対日認識

(1)ソ連軍指導部の情報源とスターリンの対日認識ソ連軍指導部は、対日認識を形成するための情報源として、様々な諜報網を形成し

ていた。これは極東地域における日本の軍事的脅威に関する情報収集・分析だけを目的としたものではなく、中国国民政府の政治動向や上海租界での欧米諸国の諜報活動を含めた東アジアの安全保障に関する正確な情勢判断も目的としていた。このため、奉ソ戦争(中ソ紛争)や満洲事変などの極東地域での軍事衝突が起こることにより、対日認識の重要さは大きく高まった。近年の研究成果によると、スターリンを頂点としたソ連共産党における日本関連の情報源は、内務人民委員部(NKVD)機密報告書、政府当局の代表者との会談記録、タス通信社による報道内容、外務人民委員部と駐日全権代表部(大使館)の機密電報、軍指導部の諜報活動、全ソ対外文化連絡協会(VOKS)による文化交流などの多岐にわたっていたことが明らかにされている 4。このうち軍指導部の諜報活動は、参謀本部情報総局と国防人民委員部軍事出版部、各軍管区・軍司令部・艦隊での軍事評議会などが中心的役割を果たし、スターリン支配体制の垂直的権力構造として機能していた 5。諜報活動で得られた機密情報は、情報局長(1940年 7月以降は参謀次長が兼任)からスターリンに直接伝えられたとされている。一例を挙げると、参謀本部情報総局の諜報員の代表格として、ゾルゲ事件の首謀者

であったリヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge)は有名だが、日本国内でのゾルゲ諜報団(ラムゼイ機関)の諜報活動に与えられた任務は、多様さと複雑さを帯びていた。彼の『獄中日記』によると、ゾルゲ諜報団に課せられた情報収集・分析の目的は、①満洲事変後の日本の対ソ政策を詳細に観察して、日本がソ連攻撃を計画しているかどうか綿密に研究すること、②ソ連に対して向けられる可能性のある日本陸軍および航空部隊の改編と増強について正確な観察を行うこと、③アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)の政権獲得後に日独関係が緊密化することを視野に入れて両国関係を詳細に研究すること、④日本の対中政策について絶えず情報を獲得すること、⑤日本の対英・対米政策を注視すること、⑥日本の対外政策決定上、真に日本軍部によって演じられている役割を注視し、対内政策に影響を及ぼす恐れのある陸軍部内の動向、特に青年将校一派

4 A.S.ローシキナ、K.E.チェレフコ、Ia.A.シュラートフ「スターリンの日本像と対日政策」五百旗頭ほか編『日ロ関係史』270頁。

5 1934年 11月に創設された軍事評議会は、当初の構成員は 80人であったが、1937年の赤軍粛清などを機に大幅な人数の増減を繰り返した。Военный Совет при Народном Комиссаре Обороны СССР: Документы и Материалы 1938, 1940 гг. РОССПЭН, 2006. С. 23.

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ソ連軍指導部の対日認識について

に綿密な注意を払うこと、⑦日本の重工業に関して絶えず情報を獲得し、特に戦時経済の拡張の問題に留意することなどであった 6。また、ゾルゲはこれら以外に自らが課した任務として、二・二六事件、日独軍事同盟、日中戦争、日英・日米関係の破たん、第二次大戦および独ソ戦争に対する日本の諸政策、関東軍特種演習(関特演)の詳細な観察などが存在したことを述べていた 7。これらは単に日ソ関係にとどまらず、日本と主要な諸外国との対外関係や日本国内の政治経済状況も分析対象としていた。第二次大戦前のソ連軍指導部の対日認識として興味深いのは、軍指導部内における対日認識が画一的ではなく、統一した見解が存在しなかったことである。アナスタシア・ローシキナ(Anastasiia S. Lozhkina)が指摘しているように、1930年代初めの満洲事変後の極東情勢の安定化を目的として、ソ連軍指導部のうちワシリー・ブリュッヘル(Vasily K. Blyukher)特別極東軍司令官(1924年から 27年まで中国最高軍事顧問)やレフ・カラハン(Lev M. Karakhan)外務人民委員代理らの親中派は、蔣介石の中国国民政府との関係強化と日ソ関係における強硬路線を主張したが、ミハイル・トハチェフスキー(Michael N. Tukhachevsky)赤軍参謀総長らの対独強硬派およびマクシム・リトヴィノフ(Maxim M. Litvinov)外務人民委員らの国際協調派は、同床異夢ながら欧州情勢への悪影響を懸念して、対日強硬路線を現実的に不可能な選択肢であると批判していた 8。こうした中、ソ連軍指導部は関東軍の軍事進攻に備えるために極東防衛に大きな関心を払い、第 2次 5カ年計画に基づいて極東ソ連軍の大幅な増員や技術装備の強化、極東地域の大規模な軍事インフラの建設によって軍事的な近代化を段階的に達成していった。また、ソ連軍指導部の対日認識として注目できるのは、彼らが日本の歴史や文化について熱心に情報収集・分析していたことであり、日本社会の特徴やそのメンタリティーを理解しようと試みていたことである。これはスターリンの個人蔵書の分析から明らかにされており、横手慎二はスターリンが対日認識を形成するために重視した 3

冊の書籍を紹介している。1冊目は、ハバロフスクで「特別リストによる配布用」として刊行された『日本における軍ファシズム運動史』であり、スターリンは同書を通して、日本の経済情勢、労働者階級および農村の状態に強い関心を抱き、日本社会で社会主義・共産主義思想が浸透する可能性やその諸条件を入念に探っていたことが知られている。2冊目は、参謀本部情報総局が機密文書として冊子化した『日本の海軍力』であり、同

6 小尾俊人編『現代史資料(Ⅰ)ゾルゲ事件(1)』(みすず書房、1962年)23-24頁。7 ゾルゲ事件の近年の研究動向については、拙稿「ゾルゲ事件」筒井清忠編『昭和史講義2』(ちくま新書、2016年)

251-267頁。8 ローシキナほか「スターリンの日本像と対日政策」五百旗頭ほか編『日ロ関係史』275頁。

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

書を通して、日本海軍の訓練システム、兵員の補充制度、日本海軍の軍令組織図、潜水艦の開発・製造などに特別な興味を抱き、赤軍高級幹部らに対して日本の海軍力に関する必要不可欠な情報を提供していたことが知られている。3冊目は、アイルランドの日本文化研究者テイド・オコンロイ(Taid O’Conroy)の著書『日本の脅威』であり、同書を通して、日本人が血を好む野蛮な民族であり、その祖先のイメージは「悪党」や「ならず者」に近いと認識していた一方、こうした粗暴な日本民族こそが将来のソ連にとって軍事的脅威になると懸念していたことが指摘されている 9。ここで重要なのは、ソ連軍指導部が日本に関する情報収集・分析に本格的に着手したのが 1933年から 34年までの間に集中していたことであり、これは日本が国際連盟を脱退して(ソ連の国際連盟加盟は 1934年 9月)、対ソ強硬路線を前面に打ち出した時期と重なっている。オレグ・フレブニューク(Oleg V. Khlevnyuk)によると、スターリンが明示的に対日強硬路線を固めたのは 1933年 10月とされており、ヴァチェスラフ・モロトフ(Vyacheslav M. Molotov)とラーザリ・カガノーヴィッチ(Lazar M.

Kaganovich)に送付した文書内において「私の考えでは、今こそソ連と世界諸国は日本に対し、日本軍国主義に反対するための広範かつ合理的な国際世論の形成を準備しなければならない。この準備は、党機関紙『プラウダ』によって、または政府機関紙『イズベスチヤ』によって展開されなければならない。(中略)同時に、日本の帝国主義的、侵略主義的、軍国主義的な側面を鋭く描く必要がある」と激しく論じていたことが明らかにされている 10。さらに、第二次大戦直前のスターリンの対日認識を示したものとして注目できるのが、1939年 3月 10日に開催された第 18回ソ連共産党大会での演説である。スターリンはこのとき、ファシズム勢力に対する英米仏 3カ国の不干渉政策および譲歩を非難した上で「日本は九カ国条約に違反しながら、英仏両国が世界各地に植民地を獲得しているのと同じく、華北地域への侵略行為を正当化している。また、ドイツは第一次大戦での(敗戦の)結果として困窮したのち、現在は欧州での領土拡張を要求している」と言及し、新たな帝国主義戦争の特徴として、侵略国家があらゆる手段を用いて非侵略国家の利益を侵害していると主張した 11。その上で、ソ連の国際的立場の優位性を強調し、1935年 5月の仏ソ相互援助条約、1936年 3月のソ蒙相互援助議定書、1937年8月の中ソ不可侵条約の締結に明言したあと「(ソ連は)近隣諸国との友好関係を築くことで国境線への不可侵を維持している。ソ連に対する、あらゆる直接的・間接的な

9 横手慎二「スターリンの日本認識―1945年」『法学研究』第 75巻第 5号(2002年 5月)4-12頁。10 Хлевнук, О.В. Сталин и Каганович, Переписка, 1931-1936. РОССПЭН, 2001. С. 386.11 СТАЛИН: PRO ET CONTRA. РХГА/Пальмира. 2017. C. 148.

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ソ連軍指導部の対日認識について

破壊行為を許さない」と表明した 12。スターリンは、日独防共協定に基づく東西からの軍事的脅威を深く憂慮しながらも、近隣諸国との同盟関係や軍事協力などを利用して、ソ連の安全保障環境の危機を回避しようと企図していたことがわかる。実際のところ、日ソ両国はこの2カ月後に、ノモンハン事件(ロシアやモンゴルでは「ハ

ルハ河戦争」と呼ばれる)という国境認識の相違をめぐる大規模な局地紛争に突入し、両陣営とも 2個師団以上の兵力を動員する事態となった。注目すべき点として、この戦いでのソ連軍の参戦理由は、上記した相互援助議定書に基づくモンゴル人民共和国との軍事同盟であり、当時ウランバートルに駐留していたソ連軍の第 57特別軍団(後の第 1軍集団)がノモンハン事件の主力部隊となった。ノモンハン事件時の第 1軍集団司令官を務めたジューコフの対日認識については後述する。なお、近年の研究成果によると、この戦いで日ソ両軍は甚大な死傷者数を出したことが明らかにされており、日本側の死傷者数は約 1万 8,000人から 2万人まで、ソ連側の死傷者数は 2万 5,655人であったとされている 13。ノモンハン事件はソ連軍指導部の対日認識として形成された対日強硬路線が表面化した局地紛争であったと理解することができる。

(2)対独認識との比較――戦争目的ソ連軍指導部にとって、日本との戦争が軍国主義・帝国主義との戦いであったこと

は上記した通りであるが、戦争目的という観点から見たとき、同じ枢軸国であったドイツ国防軍(Wehrmacht)との戦争における戦争目的と比較すると、思想的に性質を異にしていたことがわかる。ヒトラーの戦争計画について、ティモシー・シュナイダー(Timothy D. Snyder)は、独ソ戦争が開戦する 1941年 6月、国防軍内には「4つの計画」が存在していたと指摘している。これは、①開戦後、数週間のうちにソ連を破って電撃的勝利を収めること、②飢餓作戦により、数カ月以内に(東欧・中欧地域の)3,000

万人を餓死させること、③東部総合計画に基づいて、ポーランドおよび東部占領地域をドイツ人の植民地にすること(ゲルマン化)、④戦後の「最終解決」に着手して欧州のユダヤ人を排除することであった 14。この戦争計画は通常の軍事的勝利や戦略目標の達成だけを目的としたものではなく、ソ連および東欧・中央地域の主要民族であったスラブ人を絶滅させ、ドイツ人の「生存圏」を拡大発展させるという人種戦争・殲

12 Там же. C. 154.13 日本側の死傷者数は、秦郁彦『明と暗のノモンハン戦史』(PHP研究所、2014年)347頁。ソ連側の死傷者数は、

Кривошеев, Г.Ф. Россия и СССР в войнах ХХ века. Книга потери. М., 2010. С. 159. ノモンハン事件に関する近年の研究成果については、拙稿「ソ連から見たノモンハン事件―戦争指導の観点から」麻田雅文編『ソ連と東アジアの国際政治 1919-1941』(みすず書房、2017年)285-312頁。

14 ティモシー・シュナイダー『ブラッドランド:ヒトラーとスターリン大虐殺の真実』布施由紀子訳(筑摩書房、2015年)295頁。

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滅戦争の色彩を帯びていた。ヒトラーの人種主義と戦争目的の関連については、1937年 11月に彼自らが示した戦争計画である「ホスバッハ覚書」に明記されており、同覚書において、ヒトラーは「ドイツの目的は人民の保護と維持、そして拡大である。ゆえにこれは土地の問題なのである」と力説して「ドイツの未来は、新たな土地を得られるかどうかに掛かっている」と言及していた 15。その後、人種戦争としての独ソ戦争という考え方は、1939年 8月23日の独ソ不可侵条約の締結後も、ドイツ国防軍の戦争計画に影響を与えたとされており、1940年 12月 18日に発令された総統指令第 21号「バルバロッサ作戦指令」においては、首都モスクワの早期占領は重要でないとした上で、中央軍集団を強化して包囲殲滅戦を遂行することが目指され、その後に南北旋回してバルト海諸国とウクライナで包囲殲滅戦を遂行することが命令された 16。もっとも、この作戦は緒戦での電撃的勝利によりソ連の支配体制が内部崩壊するという国防軍首脳部による想定や、彼らに共通していたソ連蔑視、実働部隊への過剰な負担、兵站の困難さなどの諸問題を抱えていた。このため、中央軍集団にとっての初めての包囲戦となったミンスクの戦いで、彼らは 33万人のソ連軍捕虜を獲得したものの、数多くのソ連軍兵士の東方脱出を許してしまい、戦略的には「空虚な勝利」であったと批判されている 17。こうしたドイツ国防軍の人種主義イデオロギーを反映した戦争目的に対し、ソ連軍指導部の対独認識は、ファシスト(ヒトラー主義者)、軍国主義者、帝国主義者らとの戦いを基調としながらも、国家存亡を賭けた総力戦・殲滅戦を戦争目的として掲げ、最大規模の作戦計画と兵力・物資動員により大戦果を収めることを至上命題とされた。これは 1941年 7月 3日のラジオ放送でのスターリンの演説内容から読み取ることができ、彼はナチス・ドイツが独ソ不可侵条約を破って対ソ戦争を開始したことを「背信的侵略」であると糾弾した上で「このままではソ連政府、ソ連人民、ソ連の諸民族は危機的状態に陥る。我々はこの事実を理解して動員体制に協力し、新たな戦時生活に適用しなければならない」と強い危機感を表明した 18。そして「ドイツ・ファシストとの戦争は決して通常戦争ではない。これは単なる 2つの軍隊の戦争ではなく、ドイツ国防軍に対するソ連の全民族の大戦争(大祖国戦争)である。この戦争の目的は、ファ

15 リチャード・ベッセル『ナチスの戦争:民族と人種の戦い 1918-1949』大山晶訳(中公新書、2015年)94頁。16 ドイツ国防軍の独ソ戦争の目的については、ヒトラーの征服計画とその政治決断を主な論拠として説明する「プログラム学派」がドイツ現代史研究の分野で主流となり、1940年 7月 31日のベルヒステガーデンにおいて、ヒトラーが国防軍首脳部に対して対ソ戦争を遂行する意図があると告げたことや、同年 11月にモロトフ外相との会談が決裂したことなどに基づいた論証である。一方、近年の研究成果では、国防軍内において水面下で作成されていた対ソ作戦計画「マルクス・プラン」や「ロスベルク・プラン」などの存在が注目されている。大木毅『独ソ戦:絶滅戦争の惨禍』(岩波新書、2019年)20-28頁。

17 大木毅『ドイツ軍事史:その虚像と実像』(作品社、2016年)257頁。18 СТАЛИН: PRO ET CONTRA. C. 174.

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ソ連軍指導部の対日認識について

シストの弾圧・軛から祖国を解放することだけでなく、欧州の全民族を救出することである」と高らかに叫び、ナポレオン戦争時のロシア帝国軍とフランス大陸軍の「祖国戦争」になぞらえることで、戦時下の愛国主義を喚起した 19。これに関連し、ソ連政府は 1943年 6月に英米両国との国際協調路線を強化するためにコミンテルンの解散へと踏み切り、同年 9月にはロシア正教会との和解の方針を示して総主教制の復活を認めた。これらもドイツ国防軍に勝利するための精神的紐帯になったと考えられる。ここで興味深いのは、ソ連軍指導部における対日戦争の目的との違いである。日本

国内ではあまり知られていないが、定義上、ソ連の対日参戦は大祖国戦争の範疇に含まれておらず、大祖国戦争とは 1941年 6月 22日のバルバロッサ作戦によるドイツ国防軍の軍事進攻から、ドイツが無条件降伏した 1945年 5月 8日までの戦いを意味している。また、独ソ戦争に見られたような人種戦争・殲滅戦争という考え方は、対日戦争の目的に関する公文書史料には見当たらず、日本との戦争目的が人種戦争として語られることはなかった。それゆえ、第二次大戦期のソ連の戦争指導における日独両国との戦争の目的は、枢軸国の軍国主義・帝国主義との戦争という共通性を見出せるものの、思想的には異なっていたといえる。もっとも、日本との戦争が人種戦争でなかったことにより、戦争自体の残虐さ・悲惨さが軽減されることはなかった。第二次大戦期のソ連軍指導部の対日認識については、ソ連の対日参戦に関する英米両国との交渉過程などから分析することができる。1941年 12月 8日の真珠湾攻撃後の12月 20日、アンソニー・イーデン(Robert Anthony Eden)英外相がスターリンにソ連の対日参戦の可能性について質問しているが、このときスターリンは「もしもソ連が日本に宣戦布告をすれば、ソ連は陸海空における真の重大な戦争を仕掛けなければならなくなる。これはベルギーやギリシアが日本に宣戦布告するのとは全く違う。ソ連政府は綿密に可能性と力を計算しなければならないだろう。現在のところ、ソ連はまだ日本と戦争をする準備はない」と慎重に回答していた 20。また、フランクリン・ローズヴェルト(Franklin Delano Roosevelt)がソ連軍指導部に対して、極東の空軍基地の利用許可を求めたときも、スターリンは日ソ中立条約の締結と独ソ戦争の激化を理由に挙げて、これを拒絶した。そしてソ連は「自国の主要な敵である『ヒトラー帝国』との戦争を断固として遂行しなければならない」と回答した一方、太平洋戦争における反日戦線および中国における反日闘争は、反枢軸国戦争の共同戦線の一部であること

19 Там же. C. 175. 20 横手「スターリンの日本認識―1945年」14頁。

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

を強調した 21。ソ連の対日参戦についてのスターリンの明確な意思表示は、1943年 10月 30日に開

催された第 3回モスクワ外相会談でのコーデル・ハル(Cordell Hull)米国務長官に対する発言であったとされるが、対日認識を考察する上で注目できるのは、1944年 11月6日に開催された第 27回革命記念祝典でのスターリンの演説内容である。彼はこの中で、日本を「侵略国」として公然と非難しながら「日本が、平和政策に固執する英米よりも良く戦争準備をしていたとき、真珠湾の事件、フィリピン、その他太平洋諸島の喪失、香港、シンガポールの喪失の如き不愉快な事実は、偶然とは考えられない。(中略)したがって、もし侵略阻止の手段を今から講じなければ、将来、平和愛好国が再び突如として侵略に遭遇することは否定しえない」と言及して、日本への警戒感を示していた 22。この論調は 1945年 4月 5日の日ソ中立条約の延長破棄通告にも見られ、モロトフ外務人民委員は同条約の締結時にバルバロッサ作戦や真珠湾攻撃が起きていなかったと説明した上で「状況は根本的に変化した。ドイツはソ連を攻撃し、ドイツの同盟国である日本は独ソ戦においてドイツを援助した。のみならず日本はソ連の同盟国である英米両国と戦争している。このような状況の下で日ソ中立条約は意味を失いこの条約の期限を延長することは不可能である」とした 23。以上のように、戦争目的という観点からソ連軍指導部の対日認識について分析すると、日本との戦争はドイツ国防軍との人種戦争・殲滅戦争とは思想的に異なるとされながらも、第二次大戦前の対日強硬路線を引き継ぐ形で、日本への脅威認識が存在したことがわかる。また、軍国主義・帝国主義との戦いという戦争目的に鑑みても、スターリンが将来的なソ連の対日参戦を想定していたことがわかる。

(3)対独認識との比較 ――戦後構想第二次大戦期におけるソ連軍指導部の対日認識について、対独認識との比較で考察

すべきもう一つの重要な点は、日独両国をめぐる戦後構想である。これは第二次大戦の終結としてだけでなく、米ソ冷戦・アジア冷戦の起源としても注目される重要なテーマであり、様々な先行研究が存在する 24。本研究では、第二次大戦の終結前の戦後構想に焦点を絞って議論を進める。

21 ボリス・スラヴィンスキー『日ソ戦争への道:ノモンハンから千島占領まで』加藤幸廣訳(共同通信社、1999年)322頁。

22 日本外務省編『戦時日ソ交渉史(復刻版)』下巻(ゆまに書房、2006年)894-895頁。23 同上、903頁。24 米ソ両国をめぐる日本の戦後構想については、下斗米伸夫『アジア冷戦史』(中公新書、2004年)、長谷川毅『暗闘:スターリン、トルーマンと日本降伏』(中央公論新社、2006年)、スーザン・バトラー『ローズヴェルトとスターリン:テヘラン・ヤルタ会談と戦後構想』松本幸重訳(白水社、2017年)上下巻。

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ソ連軍指導部の対日認識について

ソ連軍指導部の戦後構想をめぐる対独認識については、戦後ドイツの占領問題を始めとして、東欧・中欧地域へのソ連圏の拡大と欧州全体の戦後安全保障構想との間で大きく揺れ動いた。特に、ドイツ国防軍との人種戦争・殲滅戦争を繰り広げたソ連軍指導部は、戦後ドイツの分割・占領統治によるドイツの弱体化と、ドイツ軍国主義・帝国主義の復活の阻止を強く要求し、連合国への無条件降伏を通じてドイツ国内に敗戦を認めさせることを強く主張した。この敗戦意識の受容という考え方はローズヴェルトにも共通しており、第一次大戦後のドイツに敗戦意識を植え付けなかったことが、ヒトラーのナチス政権を誕生させたという戦間期の深い反省に基づいていた。このため1945年2月に開催されたヤルタ会談において、英米ソの3大国は「断固たる決意をもってドイツの軍国主義とナチズムを絶滅し、ドイツが再び世界平和を乱すことのないようにする。私たちは決然としてドイツの全戦力を武装解除し、これを解体し、ドイツ軍国主義を幾度か復活させることに成功したドイツ参謀本部を決定的に破壊」することを明言した 25。一方、これに対し、ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)英首相は、ヤル

タ協定には合意したものの、大英帝国の復興という大目標と伝統的な反ソ感情、欧州全体の戦後安全保障構想に鑑みて、ソ連の東欧・中欧地域への拡大を強く警戒し、欧州大陸での強力な反ソ国家を形成するために戦後ドイツの復興を支持した。これは英国が自由フランスを、ソ連がポーランドのルブリン委員会(ポーランド国民解放委員会)を支持したことと密接に関連しており、戦後構想を見据えながら対独認識が形成された歴史的経緯がうかがえる。特に、第二次大戦の終結が近づくにつれて、チャーチルはソ連の欧州大陸での軍事的プレゼンスの大きさと共産主義イデオロギーに脅威認識を示し、ロシア人を「欧州文明の壁の向こう側にある、混とんとした半アジア的な群衆」と見做すことで、戦後復興のための欧州協調・統合の外交的必要性と勢力均衡的な発想に基づく軍事的必要性を両立させようと企図したと考えられる 26。こうした中、スターリンは上記した 1944年の革命記念祝典の演説において、戦後ドイツの復興について強い警戒感を示しながら「敗戦後のドイツが経済的、政治的に無力化されることは当然であるが、これをもってドイツが再び侵略をしないと考えることは幼稚である。ドイツの首謀者たちが、すでに新しい戦争を準備していることは、周知の事実である。歴史は、ドイツが 20年ないし 30年の短期間において敗戦より立

25 アルチュール・コント『ヤルタ会談世界の分割:戦後体制を決めた 8日間の記録』山口俊章訳(二玄社、2009年)410頁。

26 細谷雄一「ウィンストン・チャーチルにおける欧州統合の理念」『北大法学論集』第 52巻第 2号(2001年 5月)77頁。

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ち上がり、自国の力を回復するのに十分であることを示している」と言及していた 27。その上で、ドイツからの新しい侵略を防ぐため、あるいは仮に戦争が起こったとしても大戦争に発展させないため、平和維持・安全保障のための特別機構の設置および同機構の指導機関の設置に同意していた。この平和維持・安全保障のための特別機構の設置に関して、スターリンはローズヴェルトの戦後構想であった英米ソ 3大国に中国国民政府を加えた 4カ国体制を支持しており、1944年 9月に開催されたダンバートン・オークス会議では、安全保障理事会の常任理事国の拒否権をめぐって英米代表らと対立したものの、国連憲章の草案作成に前向きであったことが明らかにされている 28。また、近年の研究成果として注目できるのが、スターリンがソ連の東欧・中欧地域

への拡大を、スラブ諸民族の団結のためと主張していたことである。これは 1945年 3

月末に、スターリンがチェコスロバキアの代表団と会談した際、欧州の戦後構想について「私たちは新たな『親スラブ・レーニン主義者』および『親スラブ共産主義者』として、スラブ諸民族の団結と同盟の形成を支持している。全てのスラブ民族は、政治的・社会的・民俗的な相違に関係なく、共通の敵であるドイツに対抗するために団結し、同盟を形成しなければならない」と力説していた。また、両大戦において最も被害を蒙ったのがスラブ諸民族であるとした上で、ロシア人、ウクライナ人、ベロルシア人(現在のベラルーシ人)、セルビア人、チェコ人、スロバキア人、ポーランド人などの民族名を挙げつつ「私たちがドイツに対して容赦することはないだろうが、私たちの同盟諸国(英米両国)はドイツに親切に対応するだろう。それゆえ、スラブ諸民族は戦後ドイツの復興に備えなければならない」と論じていた 29。こうしてスターリンは、戦後ドイツを共通の敵として警戒しつつ、同時に英米両国がソ連の対独強硬路線に同調するか否かについても疑問を呈していたことが明らかにされている。もっとも、スターリンのこの主張は、英米両国に対する不信感として理解できるが、ソ連の東欧・中欧地域への拡大における支配の正当性を確立するための大義名分としても読み取ることができる。以上のように、ソ連軍指導部の戦後構想をめぐる対独認識には、戦後ドイツに敗戦

意識を認めさせて軍国主義・帝国主義の復活を阻止したいという側面と、戦後の欧州安全保障構想におけるドイツの復興への対抗意識という側面が存在したことがわかる。この 2つの側面は、1945年 4月 12日のローズヴェルトの死後、英米両国とソ連との大

27 日本外務省編『戦時日ソ交渉史(復刻版)』下巻。893頁。28 スターリンは当初、ソ連の戦後復興のための国際金融協力や国際通貨基金に期待していたことが指摘されており、ローズヴェルトとの信頼関係から、社会主義経済と資本主義経済の競争をイデオロギー的に許容する道を開いたとされている。バトラー『ローズヴェルトとスターリン』下巻、30頁。

29 Jeoffrey Roberts, Stalin’s Wars: From World War to Cold War, 1939-1953. (Yale University Press, 2006), p. 234.

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ソ連軍指導部の対日認識について

国間関係において顕在化し、戦後欧州安全保障の最大の課題となったことは言うまでもない。それでは、ソ連軍指導部の戦後構想をめぐる対日認識はどのように議論されていたのであろうか。これを分析するための前提条件となるのは、ヤルタ秘密協定として合意された、ソ連の戦後東アジアにおける権益確保であった。これは、①モンゴル人民共和国の現状維持、② 1904年の日本国の「背信的攻撃」により侵害された帝政ロシアの旧権利の回復として、南樺太および隣接する全ての島々の返還、③大連商業港の国際化と同港におけるソ連の優先的利益の保護、④ソ連海軍基地としての旅順港の租借権の回復、⑤中ソ合弁会社の設立による中東鉄道および南満洲鉄道の共同運営、⑥満洲における中国国民政府の完全な利益の保有、⑥千島列島のソ連への引き渡しであり、これらは日本の軍国主義・帝国主義の復活を阻止するという観点から重視された。とりわけ②と⑥については、1945年 9月 2日のスターリンの対日戦勝記念演説において強調され、彼は日露戦争、シベリア出兵、張鼓峰事件(ハサン湖の戦い)、ノモンハン事件といった日本の「略奪行為」とその報復行為としてのソ連の対日参戦について言及した上で「南サハリンとクリル諸島がソ連の領有になることで、これらはソ連を太平洋から切り離す手段や日本がソ連極東地域を攻撃するための基地ではなく、ソ連を太平洋と直結させる手段や日本の侵略からソ連を防衛するための基地になる」と指摘していた 30。スターリンがこの時点で南樺太および千島列島の領有を、太平洋への出口として戦略的に位置づけていたことは、とても興味深いことである。また、これに関連し、ヤルタ会談での秘密協定の審議中、スターリンはローズヴェ

ルトに対して「対独戦争は、明らかにドイツの攻撃によってソ連の生存を脅かされたものだが、日本とは今日まで大した紛争もなく、それと戦争するということはロシア国民が容易に理解しないかもしれない。しかし、以上のような条件が満たされていれば、ロシア国民は対日参戦が国家的利益であることを了解する」と述べていた 31。ソ連の対日参戦が、日本における軍国主義・帝国主義の復活の阻止を目的としながら、対独戦争との相違を自覚しつつ、戦後東アジアにおける権益確保のための軍事・外交戦略として位置づけられていたことがわかる。一方、戦後構想における対独認識との共通点として、ソ連軍指導部は戦後日本の復興についても強い警戒感を示しており、特に日本国内の民族主義(ナショナリズム)の再燃を憂慮していた。これは 1945年 7月 7日の中国国民政府の宋子文行政院長との会

30 СТАЛИН: PRO ET CONTRA. C. 254.31 日本外務省編『戦時日ソ交渉史(復刻版)』下巻。1068-1069頁。

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

談で、スターリンが「日本は、無条件降伏を強いられた場合ですら滅亡しない。日本人は強力な民族であると歴史が証明している。ヴェルサイユ講和条約の締結後、ドイツが再び奮起することはないだろうと全ての人々が思っていた。しかしながら、ドイツは 15年から 17年くらいで立ち直ったではないか。仮に日本が膝を屈しても、ドイツが成し遂げたことを同じくらいの期間で繰り返す」と述べていたことが明らかにされている 32。また、同会談において、スターリンはソ連極東地域の主要軍港であるウラジオストク、ソビエツカヤ・ガバニ、ペトロパヴロフスク、デ・カストリのインフラ整備およびシベリア鉄道との連結が不完全であるとした上で「極東におけるソ連の国防システムを完成させるためには、バイカル湖以北にシベリアを横断する鉄道を築かねばならない。これらは 40年の年月が必要である。それゆえ、中国国民政府との同盟が必要である。この期間はソ連が満洲で権益を確保するが、期限が満了すれば、ソ連は満洲の権益を放棄するつもりである」と言及していたことも明らかにされている 33。以上のように、ソ連軍指導部の戦後構想をめぐる対日認識には、戦後東アジアにおける権益確保を念頭に置きながら、日本の軍国主義・帝国主義の復活を阻止したいという側面と、戦後日本の復興を警戒していた側面が存在する。そしてこの 2つの側面に対応するため、スターリンが戦略的手段として南樺太および千島列島の領有を位置づけていたことや、中国国民政府との同盟を締結したことは大きな効果をもたらし(1945年 8月 14日に中ソ友好同盟条約の締結)、どちらも戦後東アジアにおけるソ連の戦略的基盤となった 34。こうした日本に対する脅威認識は、第二次大戦前から存在した対日強硬路線の延長線上に位置づけることができる一方、中国国民政府に日本民族の力強さを伝えて、不安を煽ることで戦後東アジアでの権益確保を認めさせようとする、ソ連軍指導部の戦略的意図も見え隠れする。

2.ソ連軍高級幹部の対日認識

第二次大戦期におけるソ連軍高級幹部の対日認識を理解する上で、ノモンハン事件において第 1軍集団司令官として活躍したジューコフと、ソ連の対日参戦において極東ソ連軍総司令官として活躍したワシレフスキーの両名を取り上げることは重要であ

32 麻田『日露近代史』414頁。33 Русско-Китайские Отношения в XX веке: материалы и документы. Памятники исторической мысли, 2000. T.4-2, C.

89. 34 スターリンと宋子文の会談記録および中ソ友好同盟条約の全容については、寺山恭輔『スターリンとモンゴル

1931-1946』(みすず書房、2017年)431-438頁。

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ソ連軍指導部の対日認識について

る。彼らは、日本との戦いに勝利したという戦績があるだけでなく、赤軍参謀総長または最高総司令官代理として、第二次大戦期のソ連の戦争指導に多大なる影響を及ぼした、祖国の英雄でもあった。ソ連軍指導部における高級幹部の対日認識を分析するのに、彼らを研究対象とするのは最適であるといえよう。こうした見地から、本章ではジューコフとワシレフスキーの『回想録』に見られる

記述内容などに光を当てることで、ソ連軍高級幹部の対日認識の実相を明らかにする。その際には、上記したような対日認識をめぐる戦争目的や戦後構想とは異なり、ソ連極東地域での現場の司令官らの(主に)作戦次元での対日認識に注目して議論を進めることとする。

(1)ノモンハン事件でのジューコフの対日認識第二次大戦前の極東地域における日ソ両軍(正確には日満軍とソ蒙軍)の大規模な局地紛争となったノモンハン事件は、甚大な死傷者数、戦車戦・航空戦で展開された高度な軍事技術および統合運用を含めた作戦戦闘、シベリア鉄道での軍事輸送を中心とした兵站活動などに鑑みると、大きな歴史的意義を有する戦いであったといえる。また、この戦いが欧州・東アジアの安全保障環境に及ぼした影響を考慮すれば、20世紀における主要な地域紛争の一つと位置づけることができよう 35。そしてノモンハン事件がジューコフの対日認識を理解する上で重要な戦いであることは言うまでもない。はじめに、ジューコフの略歴を紹介する。1896年にモスクワ州近郊のカルーガ県で生まれた彼は、1918年 10月に赤軍入隊し、第二次大戦前は第 4騎兵師団長、第 3騎兵軍団長、第 6コサック軍団長、ベロルシア軍管区司令官代理などを務めた。ノモンハン事件後の第二次大戦期はキエフ特別軍管区司令官、赤軍参謀総長、レニングラード方面軍司令官、西部方面軍司令官、最高総司令官代理、第 1ベロルシア方面軍司令官などを務めて、モスクワ攻防戦、レニングラード攻防戦、スターリングラード攻防戦、クルスク攻防戦、バグラチオン作戦、ベルリン攻防戦などの東部戦線での主要な会戦を指揮した。そして戦後はソ連のドイツ占領軍司令官や国防大臣などを務めたことで知られ、まさにソ連軍を代表するような存在であった 36。ジューコフが極東赴任を命じられたのは、1939年 5月 24日(6月 2日という公文書史料も存在)であった。この日、クリメント・ヴォロシロフ(Kliment Y. Voroshilov)国防人民委員はジューコフに対して「日本軍が突然、我々の友好国であるモンゴル人

35 スチュアート・ゴールドマン『ノモンハン 1939―第二次世界大戦の知られざる始点』山岡由美訳(みすず書房、2013年)。

36 Военний Энциклопедический Словарь. Военное Издательство, 2007. С. 259-260.

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

民共和国へと侵入してきた。ソ連政府はモンゴル人民共和国との 1936年 3月 12日の条約(相互援助議定書)締結により、同国をあらゆる外部の侵略から防衛する責務がある」と説明した 37。そして極東地域の地図を指さして「日本軍のハイラル守備隊がモンゴル人民共和国領に侵入して、ハルハ河東岸地区を防衛するモンゴル国境部隊を攻撃したようだ」と告げて、現地で指揮を執るよう命じたのである 38。ジューコフは直ちに第 57特別軍団司令部のあったタムスク(タムサク・ボラク)へ向かい、5月 27

日にニコライ・フェクレンコ(Nikolai V. Feklenko)司令官の後任として着任した。ジューコフの対日認識に特徴的なのは、日本軍からの侵略に対するモンゴル人民共和国の防衛という責務である。彼は極東赴任に際して「全ての状況は、この事件が国境紛争ではないこと、日本はソ連極東地域およびモンゴル人民共和国に対して侵略の意図を放棄していないこと、ごく近いうちにさらに大規模な日本軍の行動を予想しなければならないことを物語っていた」として、ノモンハン事件を国境紛争ではなく、日本からの侵略だと理解していた 39。そして「日本政府はモンゴル人民共和国の国境への軍事進攻という侵略の企てを実現するため、関東軍にこれを委ねた」として「モンゴル人民共和国への国境侵犯という真の目的を隠すために、日本政府は自らの侵略行為を国境紛争だとする国際世論を喚起する決定を下した」と分析していた。また、ジューコフは「日本軍は自分たちの信念を大きく確実なものとするため、軍事進攻の開始時には大軍による軍事行動を起こさず、特殊任務を帯びた部隊に軍事進攻させ、軍事行動の発展に伴って兵力を増強するよう決定した。これはソ連軍への攻撃の結果として好ましくない状況に陥った場合、攻撃を中止して自分たちの領土へ撤退することを想定していた」として、自らの所見を交えながら関東軍の軍事進攻について言及していた 40。これらは、彼がノモンハン事件を国境紛争ではなく日本軍による用意周到かつ組織的な軍事行動として理解していたことや、関東軍の軍事進攻が段階的に発展する可能性があると予測していたことを明らかにしている。これに関連し、ジューコフは『回想録』のなかで、日本軍内の「第二次ノモンハン事件作戦」と称される作戦計画の存在について言及しており、同計画では「①ハルハ河東岸に配置されたソ蒙軍集団を包囲殲滅すること、②ソ連軍の予備部隊を壊滅するため、ハルハ河を渡河して左岸に進出すること、③日本軍のその後の軍事行動を確保

37 Жуков. Воспоминания и Размышления. T-1. С. 179. 実際のノモンハン事件は、日ソ両国における国境認識の相違が原因とされており、日満軍がハルハ河を、ソ蒙軍がハルハ河の東方約 13キロメートルを国境線と認識していたことに起因するとされる。

38 Там же. С. 180.39 Там же. С. 179-180.40 Там же. С. 180.

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ソ連軍指導部の対日認識について

するため、ハルハ河左岸に橋頭堡を構築すること」が記されていたことを明らかにしている 41。そしてこの攻勢作戦が秋の到来までに遂行されると予想されるので、ソ蒙軍の反撃準備が必要であると主張していた。重要な点として、彼はソ蒙軍の攻勢作戦が成功するための決定的要因として「作戦・戦術的奇襲」を挙げており、これにより日本軍を「ソ連軍による壊滅的攻撃に対抗できない、反攻作戦を遂行できないような状況に陥れる」ことが求められると指摘していた 42。また、日本軍は「優れた戦車部隊や機械化部隊を保持していないので(中略)自軍の縦深部から迅速に増援部隊を投入できない」と分析し、ハルハ河両岸での包囲殲滅作戦を計画していた 43。実際のソ蒙軍による攻勢作戦(8月攻勢)では、総兵力 5万 7,000人が集結して 3個集団(中央集団、北部集団、南部集団)による包囲殲滅作戦が遂行され、小松原道太郎中将の指揮した第 23師団は壊滅的な打撃を受けた。ジューコフの対日認識がこれらの作戦計画に大きな影響を及ぼしたことがわかる 44。一方、日本軍の評価に関して、ジューコフは「日本兵はよく訓練されている」として「彼

らは戦闘に規律を持ち、真剣かつ頑強であり、特に防御戦に強いと考えられる。また、若手の指揮官らは極めてよく訓練され、狂信的な頑強さで戦う」と高く評価していた。しかし、高級将校らに対しては「訓練が不十分であり、積極性がなく杓子定規な軍事行動しかできない」と批判していた 45。また、日本軍全体の特徴として、ソ連軍への過小評価があったことを指摘しており「ソ連軍は技術的に遅れているとされ、戦闘力は日露戦争時のロシア帝国軍と同じく描かれていた。それゆえ、日本兵たちはハルハ河両岸での戦いでソ連の戦車部隊、航空部隊、砲兵部隊および組織化された狙撃(歩兵)部隊の強力な攻撃に晒されたことを、予想だにしなかったであろう」と述べていた 46。以上のように、ノモンハン事件でのジューコフの対日認識は、この戦いが国境紛争

ではなく日本軍による組織的な侵略だと理解していたことを前提として、関東軍の軍事進攻への反撃準備の必要性に言及するなど、ソ連軍の攻勢作戦計画に大きな影響を及ぼしていた。また、日本軍兵士の特徴や日本軍内における対ソ認識までも視野に入れていたことがわかる。

41 Там же. С. 184-185.42 Там же. С. 190.43 Там же. С. 19044 拙稿「ソ連から見たノモンハン事件―戦争指導の観点から」『ソ連と東アジアの国際政治 1919-1941』302-303頁。45 Жуков. Воспоминания и Размышления. T-1. С. 207-208.46 Там же. С. 197.

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(2)ソ連の対日参戦でのワシレフスキーの対日認識1945年 8月 9日未明に開始されたソ連の対日参戦は、日ソ中立条約の有効期限内で

あったにもかかわらず、スターリンの最終決断により遂行され、ワシレフスキーの指揮下で 3方面軍(ザバイカル方面軍、第 1極東方面軍、第 2極東方面軍)による包囲殲滅作戦が展開された 47。極東ソ連軍は同年 5月から 6月にかけて軍事輸送された東部戦線での精鋭部隊(ケーニヒスベルグ戦線で活躍した第 5軍と第 39軍は満洲東部、第 6親衛戦車軍と第 53 軍は満洲西部など)だけでなく、元々の極東方面軍およびザバイカル方面軍にすでに配備されていた兵士数を含めて、総兵力約 150万人、大砲・迫撃砲 2万 9,850門、戦車 5,250台、航空機 5,170機を集結させることに成功した。ワシレフスキーにとって、ソ連の対日参戦は独ソ戦争での大勝利の余韻に浸るソ連軍兵士たちを極東戦線に臨ませて、第二次大戦の最終段階において「我が社会主義祖国の極東地域を防衛する」ための戦いであった 48。この点に関し、ディヴィッド・グランツ(David M. Glantz)はソ連の対日参戦を第二次大戦の「満洲でのアンコール」と表現している 49。はじめに、ワシレフスキーの略歴を紹介する。1895年にソ連西部のイワノボ州ノーバヤ・ゴリチーハで正教会古儀式派の司祭の子として生まれた彼は、1919年に赤軍入隊し、第二次大戦前は主に参謀本部戦闘訓練局に勤務して縦深作戦理論の研究・立案や軍事教育改革などを担当していた。そして第二次大戦期は参謀本部作戦局長や参謀次長などを務め、1942年 6月からは赤軍参謀総長(兼国防人民委員代理)としてジューコフ、アレクセイ・アントーノフ(Alexei I. Antonov)、セルゲイ・シュテメンコ(Sergei M.

Shtemenko)らとともに、モスクワ攻防戦やスターリングラード攻防戦などの東部戦線の主要な会戦を指揮した。1945年 2月に国家防衛委員会の構成員に任命されて以後は、ソ連の対日参戦に関する作戦計画の立案などで中心的役割を果たし、同年 8月に極東ソ連軍総司令官に任命された。戦後は参謀総長や軍事大臣などを務めたことで知られており、まさにソ連軍の頭脳かつスターリンの片腕のような存在であった 50。ワシレフスキーの『回想録』によると、彼が極東赴任を命じられたのは 1944年夏のことであり、同年 6月 22日に開始されたバグラチオン作戦の終了後、スターリンから「極東の軍国主義者である日本との戦争でのソ連軍の指揮を委ねる」との命令があったと

47 1945年 6月 28日、ソ連軍最高総司令部(スタフカ)から 3方面軍に対して、関東軍の壊滅を目的とした満州への進攻作戦計画が極秘裏に伝えられた(第 11112 号、第 11113 号、第 11114 号)。拙稿「ソ連の対日参戦における国家防衛委員会の役割」『戦史研究年報』第 21号(2018年 3月)13-16頁。

48 Василевский. Дело Всей Жизни. C. 550.49 David M. Glantz and Jonathan M. House, When Titans Chashed: How the Red Army Stopped Hitler. [revised and expanded

edition]. (University Press of Kansas, 2015), p. 346. 50 Военний Энциклопедический Словарь. Военное Издательство, 2007. С. 112.

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ソ連軍指導部の対日認識について

記されている 51。このとき、ワシレフスキーは赤軍参謀総長の要職にあったため、1943

年 11月に開催されたテヘラン会談でのスターリンの対日参戦に関する「原則的同意」を把握しており、特段の大きな驚きを見せていない。近年の研究成果によると、ソ連の対日参戦に関する本格的な作戦準備は 1944年 9月以降とされており、赤軍参謀本部による試算を踏まえて、ソ連側から米国側に対して極東方面軍の 30個師団から 60個師団への大幅な増強が提案され、そして米国に対する物資援助として約 150 万人分の装備品や燃料などが要求された 52。ワシレフスキーの対日認識として注目できるのは、日本軍による侵略に対する防衛という責務と、満洲の軍事力(関東軍)に関する分析である。彼は「日本の軍国主義者らは多年にわたってソ連極東地域の奪取を計画していた。彼らは間断なくソ連国境付近への軍事的挑発を行った。日本の戦略的基地である満洲では、強力な軍事力が備えられ、ソ連に対する攻撃を準備していた」として、極東地域における日本軍への警戒感を示していた 53。そして「この情勢はファシスト・ドイツが我が祖国に対する侵略を仕掛けたときに最も緊迫した」として「極東地域における戦争の火種をなくすことは、国家的・全民族的に重要である」と説明していた 54。これに関連し、ワシレフスキーは『回想録』のなかで、ソ連の対日参戦が正式に決

定したヤルタ会談後、アントーノフ参謀次長およびソ連軍の兵站活動を統括していたアンドレイ・フルリョフ(Andrei V. Khrulev)赤軍兵站本部長と話し合い 55、参謀本部を中心に対日参戦計画が立案されるなかで、仮に軍用自動車の鉄道輸送を行わない場合、ドイツ敗戦後の対日参戦が 2、3カ月にまで短縮できるであろうと試算していたことを記している 56。これはヤルタ秘密協定で合意された、ドイツ敗戦から 2、3カ月後の対日参戦という内容と合致する。興味深い点として、ワシレフスキーが満洲全土を視野に入れた日本との戦争を構想していたことであり、彼は「この大規模かつ広大な作戦計画の構想は、軍事行動の展開される戦域の特性を考慮して作成された。戦争は広さ約 150平方キロメートル、縦深 200~ 800キロメートルの地域で遂行され、そして日本海とオホーツク海でも展開されなければならなかった。作戦計画としては、中国東北部の中心部へ向けてザバイカル、沿海州、沿アムールから同時に主攻勢をかけることで、関東軍の主力を分断し、各個撃破することを目的とした」と述べていたこ

51 Василевский. Дело Всей Жизни. C. 552.52 拙稿「ソ連の対日参戦における国家防衛委員会の役割」10-11頁。53 Василевский. Дело Всей Жизни. С. 551.54 Там же. С. 551.55 フルリョフの役職名について、拙稿「ソ連の対日参戦における国家防衛委員会の役割」では「赤軍兵站長」と訳したが、本稿では「赤軍兵站本部長」と訳した。

56 Там же. С. 552-553.

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防衛研究所紀要第 22 巻第 2号(2020 年 1 月)

とが明らかにされている 57。その上で、この作戦構想の実現のためには「主攻勢作戦が正しい選択をし、相応の兵力と編成を整える必要がある。(中略)戦線の選定に関しては、攻勢戦略作戦の方針に沿うだけでなく、国境地域の独特な地理的形状や日本軍の部隊配備および防御態勢の状況をも考慮しなければならない」と言及していた 58。他方、ワシレフスキーは日本との戦争について、関東軍が実際には「根こそぎ動員」

による内実を伴わない兵力補充であったものの、夏季までに日本軍が増強されたことを察知して、満洲、朝鮮、南樺太、千島列島における主要部隊の全容把握に努めていた。この点に関し、彼は「日本軍の軍事力は、満洲および朝鮮の豊富な物資、食糧、原料、彼らの生活や軍事行動に必要なあらゆるものを生産している満洲の産業に依存している。関東軍が占領している地域には、1万3,700キロメートルの鉄道と2万2,000キロメートルの自動車道、400以上の航空基地、870の軍用倉庫、防御化された諸都市が存在していた」として、満洲の国力を含めた軍事力を詳細に分析していたことがわかる 59。そして 1945年 6月 28日に最高総司令部から下された作戦計画では、①速やかに日本軍の援護部隊を撃破し、3方面軍を主要な人口稠密地域への主攻勢のために軍事進攻させること、②関東軍の予備部隊を撃破した後、主力部隊を赤峰、奉天(瀋陽)、新京(長春)、ハルビン、吉林、延吉の線に軍事進攻させて、敵の戦略軍集団を撃破し、ソ連軍によって中国東北部を解放に導くこと」が決定されたのである 60。以上のように、ソ連の対日参戦でのワシレフスキーの対日認識は、日本との戦争を

第二次大戦の最終段階における極東地域の防衛として位置づけることで、満洲全土を視野に入れた大規模兵力による作戦計画の立案に大きな影響を及ぼした。そしてその際、彼が満洲の軍事力や戦域の地理的特性などを踏まえて、3方面軍による攻勢作戦を構想していたことがわかる。

おわりに

第二次大戦期におけるソ連軍指導部の対日認識について、以下のことが指摘できる。ソ連軍指導部の対日認識は、スターリンを頂点とした支配体制下での様々な情報収集・分析に基づいて形成され、1933年の日本の国際連盟脱退後は、一貫した対日強硬路線

57 Там же. С. 554.58 Там же. С. 554.59 Там же. С. 555.60 Там же. С. 556.

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ソ連軍指導部の対日認識について

を見て取ることができる。これは第二次大戦期の軍国主義・帝国主義との戦いという戦争目的に反映されていると考えられ、日ソ中立条約は締結されたものの、太平洋戦争の開戦後は日本への脅威認識が見られた。この点に関し、日本との戦争が、ドイツの戦争で見られたような人種戦争・殲滅戦争として語られることはなかった。また、ソ連軍指導部の戦後構想をめぐる対日認識は、ヤルタ秘密協定で合意された戦後東アジアにおける権益確保を念頭に置きながら、日本の軍国主義・帝国主義の復活を阻止したいという側面と、戦後日本の復興を警戒していた側面が存在していた。スターリンがこのときに戦略的手段として南樺太・千島列島の領有を位置づけていたことは、現代の北方領土問題および日露両国の安全保障を考察する上で大変示唆に富む。さらに、ソ連軍指導部の高級幹部であったジューコフとワシレフスキーの対日認識に注目すると、両名ともに日本軍の侵略への防衛という責務を示しながら、彼らの対日認識がノモンハン事件およびソ連の対日参戦における作戦計画に多大な影響を及ぼしていたことがわかる。これらはソ連の対日戦争指導において軍指導部の対日認識が重要な地位を占めていたことを明らかにしているといえよう。最後に、冒頭で示したように、ソ連軍指導部の対日認識について、今まさに研究が

進められている状況である。本研究がその一助になれば幸いである。

(はなだともゆき 戦史研究センター戦史研究室主任研究官)

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編集委員会庄司潤一郎 (研究幹事・編集委員長)橋本靖明 (政策研究部長)石津朋之 (戦史研究センター長)山下 光 (研究調整官)村上喜仁 (政策研究部付き)

編集事務局永福誠也 (政治・法制研究室)奥平穣治 (政治・法制研究室)山口信治 (中国研究室)

『防衛研究所紀要』は、防衛研究所の研究成果のうち現代の安全保障問題を扱ったものを中心に、安全保障問題に関心のある方々に向けて発信することを目的として公刊するものです。防衛研究所は、防衛省の研究・教育機関であり、防衛、安全保障及び戦史に関する研究と、幹部自衛官及び事務系幹部職員の教育を行っています。また近年、諸外国の国防研究機関等との研究交流に力を注いでいます。防衛研究所における研究や交流の成果は防衛政策に寄与しているほか、本紀要や『東アジア戦略概観』、『中国安全保障レポート』及び『戦史研究年報』等として広く国内外に提供されています。本紀要に示された見解は執筆者個人のものであり、防衛研究所または防衛省の見解を代表するものではありません。論文の一部を引用する場合には、必ず出所を明示してください。無断転載はお断りします。

Editorial BoardSHOJI Junichiro (Editor-in-Chief) HASHIMOTO Yasuaki ISHIZU TomoyukiYAMASHITA Hikaru MURAKAMI Yoshihito

Editorial StaffEIHUKU SeiyaOKUHIRA JojiYAMAGUCHI Shinji

The National Institute for Defense Studies (NIDS) is the Ministry of Defense's core research and educational institution, conducting policy, theoretical and regional studies in the area of defense and security, while also providing officers of the Self-Defense Forces with strategic, college-level education. In addition, NIDS is in charge of the administration of pre-war military documents, and is considered to be the nation’s foremost military history research center. NIDS Journal of Defense and Security (Boei Kenkyusho Kiyo), one of the Institute’s publications, is intended to promote research activity on, and public understanding of, security issues. Articles can be downloaded from <http://www.nids.mod.go.jp/>. Views expressed in the articles are solely those of authors, and do not necessarily represent the views of NIDS, the Ministry of Defense or the Japanese Government. All rights reserved; no part of this publication may be reproduced, stored or transmitted in any form or by any means without the written permission of the Board.

『防衛研究所紀要』 第 22巻 第 2号発行日/ 令和 2(2020)年 1月 31日発行者/ 防衛省防衛研究所

〒 162-8808 東京都新宿区市谷本村町 5- 1TEL:03-3268-3111(内線 29175)FAX:03-3260-3034

担 当/ 企画調整課印刷所/ 株式会社アイワエンタープライズISSN / 1344-1116© National Institute for Defense Studies, 2020

NIDS Journal of Defense and Security (Boei Kenkyusho Kiyo)Volume 22, Number 2 (January 2020)National Institute for Defense Studies (NIDS)(c/o Planning and Management Division)5-1 Ichigayahonmuracyou, Shinjyuku-ku, Tokyo, JAPAN, 162-8808

www.nids.mod.go.jp

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NIDS Journal ofDefense and Security 防衛研究所紀要

National Institute for Defense StudiesTokyo 防衛省防衛研究所 ISSN 1344-1116

第 22 巻 第 2 号 2020 年 1月Volume 22 Number 2 January 2020

防衛研究所紀要

第22巻 第2号 二〇二〇年一月

防衛省防衛研究所

■India's Approach towards Its Neighbors: Competing China in Sri Lanka and Maldives?IZUYAMA Marie

■Analysis of Correlation between Presidential and Municipal Election in TaiwanMOMMA Rira

■The Soviet Military Leadership's Perception of Japan during World War IIHANADA Tomoyuki

■A Russian View of Future War: Recent TrendSAKAGUCHI Yoshiaki

■Trends in Technology Development for Robotics, Autonomous Systems and Artificial Intelligence (RAS-AI) and Prospects for Operation of Autonomous Weapon Systems (AWS):Focusing on U.S., China, and Russia

TOMIKAWA Hideo, YAMAGUCHI Shinji

■ASEAN's Response to Competition over Regional Order:  Belt and Road Initiative (BRI) and Free and Open Indo-Pacific (FOIP)

SHOJI Tomotaka

■The Role of the Japanese Imperial Army and Navy Aviation Personnel and     Participation of U.S. Air Force in the Early Days of Japan Air Self-Defense Force

NAKAJIMA Shingo, NISHIDA Hiroshi

■スリランカ、モルディブにおけるインドと中国の競争  ―― インドの近隣諸国政策の視点から ――

伊豆山 真理

■「一帯一路」と「自由で開かれたインド太平洋」の間で  ―― 地域秩序をめぐる競争とASEANの対応 ――

庄司 智孝

■ロボット工学・自律型システム・人工知能(RAS-AI)に関する 技術開発の動向と自律型兵器システム(AWS)の運用についての展望 ―― 米・中・露を中心に ――

富川 英生山口 信治

■台湾の地方首長選挙と総統選挙の相関関係をめぐる考察門間 理良

■最近のロシアにおける将来戦をめぐる議論坂口 賀朗

■航空自衛隊創設期の旧軍航空関係者の役割と米空軍の関与について中島 信吾西田 裕史

■ソ連軍指導部の対日認識について ―― 第二次世界大戦期を中心に ――

花田 智之