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北極星 2014.10 1 「鍼灸病証学」、「あん摩・マッサージ・指圧の理論と実技」について,連載で紹介します。 Ⅰ あん摩・マッサージ・指圧の理論と実技 東京都立文教盲学校理療化研究会 編著 日本ライトハウス 印刷兼発行者 昭和 42 年 3 月 20 日初版 理論編 第1章 あん摩 第1節 あん摩の意義と沿革 1 あん摩の意義 古来、あん摩は疾病の治療および、予防、あるいは保健の目的で、徒手により、一定の方式に従って、普 通衣服の上から遠心性に、施行する技術であって、一般に「もみりょうじ」ともいわれている。特に腹部のみを あん摩する法を「按腹」といい、乳房のみをあん摩する法を「乳もみ」といっている。 元来あん摩は、はり・きゅうとともに、漢方医療の一分科として、発達してきた施術である。あん摩の語源は、 抑按調摩「押すとことによって機能を抑制し、なでることによって機能をととのえる。」であり、抑按の「按」と調 摩の「摩」をとって「按摩」というようになったのである。「按」の意味は「押さえること」すなわち瀉術 しゃじゅつ のことであり、 「摩」の意味は、「撫でること」つまり補術を意味する。 従って、あん摩は東洋医術の刺激の与え方の二大原則を基礎とする補瀉の療法なのである。 2 あん摩の沿革 あん摩はいつの時代に、どこの国の人が考えたものか、その起源は明らかではない。 始めはころんだり、 ものに突きあたったりしたときに、無意識のうちに痛むところに手がいって、さするとか、また頭痛・腰痛などの 際に、自然にその部位をさすったり、おさえたりして、その苦痛を軽くしようとしたものである。 このように、最初は原始的な治療的本能から始まったものが、しだいにくふうが重ねられているうちに、今日 のような手技方式に発達したものである。 あん摩が東洋においてもっとも古くから行われたのはインドである。その当時のあん摩は、千金方にある 「婆 羅門 らもん 導引 どういん 十八勢の術」のようなもので、いわゆる医療的体操術であった。また、紀元前に書かれたといわ れる中国の漢方古典、内 だい きょう の中にも、素問異法方宜論 そもんいほうほうぎろん 、霊枢官態編 れいきゅうかんたいへん に、「経絡通ぜざれば病不仁に生ず、 これを治するに、あん摩、龍 ろう やく をもってすべし」とか、「治するによろしく導引按矯 あんきょう すべし」というような記載が あることからもあん摩が、早くから医術の一科として行われたことが知られる。 唐の時代(618~904)になって、あん摩博士という官職を置いて、この術を教授したが、これは、今のあん 摩と、整骨術とを兼ねたようなものであった。 宋の時代(906~1279)になって、この制度は廃止されたが民間においては広く行われ、明の時代(1368 ~1606)になって、編纂 さん された「三才図絵」には「身体図絵の部」7巻であん摩の内容が紹介されている。 わが国では、奈良時代初期文武天皇大宝元年(701)の大宝令によると、官内省典薬寮にあん摩師2名、 あん摩博士1名、あん摩生10名を置き、あん摩術、整骨術、および瀉血・包帯の術をも兼ねて教えさせたと いう記録がある。それによると、当時のあん摩は今のあん摩と異なり、骨折・脱臼の治療、瀉血・包帯なども行 ったもののようであるが、この制度はいつからか廃止された。 平安朝円融天皇の永観2年(984)に、丹波康頼が書いた「医心方」をみると全30巻のうち、巻の27「養生 の部」に導引のことを挙げ、「婆羅門導引」「老子按摩法」「彭祖之導引」「調息の法」「十八羅漢導引」などが 記されている。しかしこれらの術は、医師にはあまり重要視されず、もっぱら民間療法として、行われていたよ うである。また、この時代に書かれた栄華 えいが 物語 ものがたり の中には、「腹取 はらと り」といって按腹法のようすが出ており、下っ て南北朝ころの風俗本、福富草紙には「足力」などの語が見えるが、これもやはり按摩の一種で、足でもむ 北極星 2014.10

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北極星 2014.10

1

「鍼灸病証学」、「あん摩・マッサージ・指圧の理論と実技」について,連載で紹介します。

Ⅰ あん摩・マッサージ・指圧の理論と実技

東京都立文教盲学校理療化研究会 編著

日本ライトハウス 印刷兼発行者 昭和 42 年 3 月 20 日初版

理論編

第1章 あん摩

第1節 あん摩の意義と沿革

1 あん摩の意義

古来、あん摩は疾病の治療および、予防、あるいは保健の目的で、徒手により、一定の方式に従って、普

通衣服の上から遠心性に、施行する技術であって、一般に「もみりょうじ」ともいわれている。特に腹部のみを

あん摩する法を「按腹」といい、乳房のみをあん摩する法を「乳もみ」といっている。

元来あん摩は、はり・きゅうとともに、漢方医療の一分科として、発達してきた施術である。あん摩の語源は、

抑按調摩「押すとことによって機能を抑制し、なでることによって機能をととのえる。」であり、抑按の「按」と調

摩の「摩」をとって「按摩」というようになったのである。「按」の意味は「押さえること」すなわち瀉術しゃじゅつ

のことであり、

「摩」の意味は、「撫でること」つまり補術を意味する。

従って、あん摩は東洋医術の刺激の与え方の二大原則を基礎とする補瀉の療法なのである。

2 あん摩の沿革

あん摩はいつの時代に、どこの国の人が考えたものか、その起源は明らかではない。 始めはころんだり、

ものに突きあたったりしたときに、無意識のうちに痛むところに手がいって、さするとか、また頭痛・腰痛などの

際に、自然にその部位をさすったり、おさえたりして、その苦痛を軽くしようとしたものである。

このように、最初は原始的な治療的本能から始まったものが、しだいにくふうが重ねられているうちに、今日

のような手技方式に発達したものである。

あん摩が東洋においてもっとも古くから行われたのはインドである。その当時のあん摩は、千金方にある

「婆ば

羅門ら も ん

導引ど う い ん

十八勢の術」のようなもので、いわゆる医療的体操術であった。また、紀元前に書かれたといわ

れる中国の漢方古典、内だい

経きょう

の中にも、素問異法方宜論そ も ん い ほ う ほ う ぎ ろ ん

、霊枢官態編れいきゅうかんたいへん

に、「経絡通ぜざれば病不仁に生ず、

これを治するに、あん摩、龍ろ う

薬や く

をもってすべし」とか、「治するによろしく導引按矯あんきょう

すべし」というような記載が

あることからもあん摩が、早くから医術の一科として行われたことが知られる。

唐の時代(618~904)になって、あん摩博士という官職を置いて、この術を教授したが、これは、今のあん

摩と、整骨術とを兼ねたようなものであった。

宋の時代(906~1279)になって、この制度は廃止されたが民間においては広く行われ、明の時代(1368

~1606)になって、編纂さ ん

された「三才図絵」には「身体図絵の部」7巻であん摩の内容が紹介されている。

わが国では、奈良時代初期文武天皇大宝元年(701)の大宝令によると、官内省典薬寮にあん摩師2名、

あん摩博士1名、あん摩生10名を置き、あん摩術、整骨術、および瀉血・包帯の術をも兼ねて教えさせたと

いう記録がある。それによると、当時のあん摩は今のあん摩と異なり、骨折・脱臼の治療、瀉血・包帯なども行

ったもののようであるが、この制度はいつからか廃止された。

平安朝円融天皇の永観2年(984)に、丹波康頼が書いた「医心方」をみると全30巻のうち、巻の27「養生

の部」に導引のことを挙げ、「婆羅門導引」「老子按摩法」「彭祖之導引」「調息の法」「十八羅漢導引」などが

記されている。しかしこれらの術は、医師にはあまり重要視されず、もっぱら民間療法として、行われていたよ

うである。また、この時代に書かれた栄華え い が

物語ものがたり

の中には、「腹取は ら と

り」といって按腹法のようすが出ており、下っ

て南北朝ころの風俗本、福富草紙には「足力」などの語が見えるが、これもやはり按摩の一種で、足でもむ

北極星 2014.10

北海道鍼灸マッサージ柔整協同組合

2

法である。こうしたことからも、あん摩が民間療法としてその姿を保っていたことが知られる。

江戸時代の初期、慶安元年(1648)伊勢の林正且は「導引体要」を著わしたが、同じころ近江の、喜田村

利且もこの法を伝えて有名であった。

また宝永4年(1708)肥後の大久保道古は、「古今導引集」を著わした。宮脇仲策は「導引口訣抄」を、竹

中通庵は「古今養生導引篇」をそれぞれ著わしている。

貞享、元禄のころ、杉山和一(1610~1694)が出て、管針法とともにあん摩にもすぐれ、関東総検校ぎょう

の位を

得て、五代将軍綱吉にこの術で仕えた。以来その流派は杉山流と称されて、世に広く行われ、このことから

多くの盲人があん摩・はり・きゆうの道に携わるようになっていった。

宝歴のころ、京都に香川修庵が出て、「一本道行余医言」を著わして、大いにあん摩の効果を説いた。次

いで賀川幻悦は「産論」2 巻(1769)を、賀川玄迪て き

は「産論翼」を著わして、ともに按腹を妊婦に応用してその

効果の著しいことを唱えたので、按腹はそのころの助産家にとってはたいせつな療法となった。特に賀川玄

悦の「産論」は後に来朝したドイツのシーボルトによって自国に紹介され、ドイツ産科界に全面的に取り入れ

られたといわれる。

江戸時代の末期、寛政11年(1799)に伏見の藤林良伯は「あん摩手引」を著わした。すなわちかれは、あ

ん摩術が古書の精神に従っていないことを嘆き、これを医療として用いるには、まず経絡を正し、臓腑ぞ う ふ

を明ら

かにする必要があると説き、この法を広めた。

現在のあん摩の手技は、この「あん摩手引」に至って、はじめて完成し、現行あん摩の手技の論拠はこの

書によるのである。

文政10年(1827)には、大阪の太田晋齊し ん さ い

が「按腹図解」を著わした。また天保のころ、江戸の吉田久庵も、

あん摩術にすぐれ、その一派を吉田流と称し、当時正眼者であん摩師を志すものはほとんど吉田流であっ

た。

明治、大正の時代を経て、昭和の現在では基礎医学の発達とともに、あん摩の理論および実技が研究さ

れて、ますます盛んに行われるようになった。特に最近の新しい医学「心身相関の医学」でいう一連の「半健

康症候群」に対して、あん摩がきわめて効果のある療術であることが注目されている。

(付)導引

導引は、古くからあん摩とともに「導引按矯」として、中国より日本に渡ってきた手法で、道家「道教」の教義

に通ずる一種の心身鍛練法である。老荘の学では特に重視した。その方法は、「大気を導いて、体内に引き

入れ深く呼吸し、心をしずめ欲を制する」ことを目的とし、近世における自彊術じきょうじゅつ

のように、特定の施術者によ

らず、各個人が自ら運動して、新陳代謝を活発にして身体を鍛え、心身を明朗にして、不老長寿の仙境に

達することを理想とした呼吸運動法の一種であって一名、座功法とも呼ばれたものである。運動の方法とし

て、王泳おうひょう

著「内経次註」は「導引は筋す じ

・骨ほね

を動かし、支節ふ しぶし

を動かすこと」と述べている。

導引の手法として知られているものに、中国古代の医師華陀が唱えたという五禽ご き ん

の術がある。

これによると、「 古いにしえ

の仙者導引のことをなす、腰体を引き伸ばし、諸関節を動かし、以て老い難きを求む、

百に一術あり、五禽の戯れたわむれ

と名づく、一に曰くい わ く

虎、二に曰く鹿、三に曰く熊、四に曰く猿、五に曰く鳥、亦以て

病やまい

を除く、並びに蹄てい

足そ く

を利し、以て正に導引すべし、体 中からだじゅう

快こころよ

からざれば、起つて一禽の戯をなして、沾濡てんばい

をだす、よって上に粉をつくれば、身体軽くして、たちまち腹中食を欲す。あまねくこれを施せば、年九十余

にして耳目じ も く

聡明そ う め い

、歯牙し が

完かん

堅けん

なり」といい、五種の病気ある動物の運動をまねて、自動運動し、循環をよくし、

呼吸運動を盛んにして新陳代謝を順調にし、体内のうったいを除いて、清く、新しく活気をみなぎらせようと

したものであって、調気・調息・将息などの名称があった。

これらは、いずれも健康療術としての運動法「運動操作」である。

第2節 あん摩の基本手技とその効果

〈略〉

Ⅱ 鍼灸臨床の科学

北極星 2014.10

3

監修/筑波技術短期大学 学長/西條一止 名古屋大学 名誉教授熊澤孝明

発行所 医歯薬出版株式会社

鍼灸治療の科学 (筑波技術短期大学鍼灸学科 西條一止)

1.日本鍼灸の道

A 中国伝統の経験医術

わが国の鍼灸は中国から伝来した経験医術である。伝来は、文献的には、〝仏典とともに〟とあるが、そ

れ以前に伝えられていたと考えて良いのではないかと考えている。

薬は、口に飲めば効いてくる。鍼灸は、口に飲むわけにいかない。〝どのような症状のときに、体表のどこ

へ、どのように行うか〟という医術である。〝どのような症状のときに、体表のどこへ〟とは、生態の状態と体

表との関係を述べている。人体の構造的関連を述べているものである。〝どのように〟は、〝どこへ〟という

構造を介しての機能の調整である。 このように鍼灸医術は、人体の構造、機能を抜きにしては、語れない

医術である。黄帝内経は、陰陽五行論によって体系化されており、実証的でないという評価を受けたが、陰

陽五行論は当時の自然哲学科学思想であり、それ抜きにしてはなかったので

ある。臓腑経絡系の理論は人体構造論であり、虚実に対する補瀉論は人体の機能論である。

b 明治政府の医療・医学革命

明治政府は、それまでの漢方系医学を排して、ドイツ医学に範を求めた。しかし、視覚障害者の職業自立

に鍼灸が必要との関係者の強い要請より、“西洋医学を論拠とした鍼灸教育”という方針で、文部省は盲学

校に正式に職業教育制度を導入している。

鍼灸を教育制度として導入するに際して、体表の〝どこに〟がないことには行えない、そこで、文部省は、

後藤道雄らに経絡経穴に関する研究を依頼し、経絡経穴はヘッド帯の理論で説明できる部分があるという

論拠で教育に導入している。むしろ導入しないことには教育として成立しなかったということであろう。しかし、

虚実に対する補瀉は導入できなかった。したがって虚実の判定、補瀉の術は概論として存在したが、実習に

持ち込まれなかった。

1975(昭和50)年代に行われた科学技術庁の東洋医学に関する研究でも、陰陽、虚実という言葉を使わ

ない研究が要求されていた。厚生省の特定疾患研究「スモン研究班」においても同様である。鍼灸教育は、

経絡経穴を対象として刺鍼するという「刺激療法として教育される」ものとなったのである。科学技術庁や厚

生省の、あるいは日本の医学界の意向は、近代科学で解説できる鍼灸である。

C 特殊な存在としての鍼灸から開かれた鍼灸へ

わが国において鍼灸は、視覚障害者の職業自立に役立つという特殊な存在から、1970年代の中国の針

麻酔報道を契機として、世界の医学界が注目するところとなり、医療技術として評価されるようになってきた。

それまでの、医療とは少し外れたところにあった鍼灸が、現代医療の中に登場してきたのである。そのとき期

待されたのは、現代医療にないもの、現代医療を補完するもの、それが求められたのである。

鍼灸が特殊な存在であった1965(昭和40)年代までは、現代医療に理解される鍼灸を求めていた時代で

ある。開かれた医療の中に存在する鍼灸に求められるのは、経験医術として現代医療にない力が求められ

ている。1965(昭和40)年代までの現代医療に加わろうとする努力が、現代医療から理解されやすい鍼灸と

して進められてきた。いま、医療の中に加わろうとしたとき、求められしているのは刺激療法としての鍼灸では

なく、それも含めた経験医術としての本来の鍼灸である。鍼灸の科学化を推進してきた人々は、早くこのこと

に気がつかなければならない。

D 求められる経験医療としての鍼灸とは

経験医療としての知恵を発揮できる鍼灸医術である。経験医術の知恵に、現代においては経験豊かな鍼

灸師に求められるものであり、それは古典理論に求められるものである。

E 日本鍼灸の道

わが国は、明治時代に近代医学に論拠をおく鍼灸の道を始めたのである。以来、100年を超える。多くの

北海道鍼灸マッサージ柔整協同組合

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先人が歯を食いしばりその旗を掲げてきた。いま、ここでその旗を下ろし、近代科学による裏づけのない古

典理論をそのまま持ち込んでよいのであろうか。

中医学も中医学理論で構築されるものであり、近代科学の裏づけない、中医学をそのままわが国の鍼灸

学として持ち込む必要があるだろうか。

経験医術の手がかりとして求めるべきではないか。思想としての中位学が必要なのではない。

古典理論を、経験的知恵を科学的に裏付けた鍼灸医学の構築こそが未来に向かい発展するものである。

その旗を高々と掲げて進む道こそが日本鍼灸の道である。

F 鍼灸を科学化する道

経験医術としての鍼灸にとって、科学的に裏付けるべき対象は経験的知恵であり、古典理論である。

経験を積んだ鍼灸師こそ、その実践者として研究に参加しなければならない。しかし、全日本鍼灸学会に

は参加しにくいという臨床鍼灸師の声がある。経験の浅い鍼灸師が行う鍼灸ではよい鍼灸研究ができるわけ

がない。まして、鍼灸を知らない人が行えるわけがない。

近代科学の研究手法を身につけた研究者と、経験豊かな臨床家との共同研究こそが、鍼灸の科学化と発

展を期待されるのである。鍼灸臨床家を抜きにした鍼灸学会など存在し得ない。

西洋医学は、無作為化した中での有意な結果を求める。ところが鍼灸は違う。随証療法という種々の作為

なのである。作為を取り込んだ無作為化の仕組みを作れなければ鍼灸研究はできないのである。すなわち、

無作為化だけでは随証療法は存在せず。当然、鍼灸臨床を発展させる研究は生まれない。

鍼灸は、〝どんなときに、どこへ、どのように〟というセットの医術である。〝どこへ〟という構造、部位を検

証するには、〝どのように〟という術が提供される仕組みがなければ、よい結果は得られない。〝どのように

〟という機能を検証する比は、〝どこへ〟という部位に関する経験的知恵が提供されなければならない。術、

部位に関する知恵が古典研究者、臨床鍼灸師には求められている。

これから期待される鍼灸研究は、経験的知恵と近代科学の研究手法が統合されたものである。各地域に

おけるそのような共同研究こそが、日本鍼灸を構築する道である。

全日本鍼灸学会は、そのような道を求めて統合し、スタートしたはずであったが,いまそれを見失う兆しが

ある。初心に戻り、日本鍼灸の道の構築のために励みたいものである。それこそが、人類の文化的遺産であ

る鍼灸術を世界の人々に貢献させる道と考える。

Ⅲ 患者からのこんな質問 Q&A

患者を不安にさせないコツを教えます 鍼灸篇

編者 小川卓良 発行所 株式会社医道の日本社

初診の患者からよく受ける質問

Q1 鍼は痛くないですか。

小川 初診の患者からよく受ける質問です。初めに口頭で説明する場合もありますが、それよりも説明する

前に「まず1本打ってみましょう」と言って手の三里辺りの痛くなさそうなところに刺鍼し、痛くないことを患者に

確認してもらう。そのほうが患者の理解も早いようです。

形井 鍼は最も細い注射針の穴に入ってしまうほどの細さだから、鍼の痛みは注射の10分の1ほどの痛み

に過ぎないと説明します。それで患者は安心するようです。さらに詳しく説明するときは、鍼は0.18~0.2

㎜の太さで髪の毛が0.16~0.17㎜とほぼ同じ太さなので「髪の毛と同じ太さ」と言って安心させます。

米山 「痛けりゃ誰も来ないですよ。」と言って、私も小川さんに近い形でやります。鍼の太さについては、患

者のレベルにもよりますが、そんなに細かくは説明せず「鍼は髪の毛よりも細い」と説明しています。これは嘘

であっても大きな嘘ではないので、患者を安心させるためだから許されると思っています。

井上 臆病な患者には刺入する穴を極端に少なくしています。すると患者のほうから「早くもっと鍼をやってく

れ」と言い出します。刺入する必要があるときは、雑談を交わしながら患者がしゃべっているときにパッと刺す。

北極星 2014.10

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そうすると痛さをあまり感じません。その際の刺入は撚鍼です。

鈴木 鍼が痛いんじゃないかと思う根拠は、注射針や縫い針のイメージからきていると思います。そこで、「鍼

は細いですから」と説明しますが「いくら細くても痛いものは痛い」としつこい人もいます。そういう場合には、

「ツボに刺せば痛くありませんよ。ツボをはずして神経の受容器に当たるような刺し方をするから痛いのです

よ」 と言って、最初は痛くないところへ刺鍼するようにしています。

Ⅳ 知らないとゼッタイ恥をかく

社会人のマナー186 なるほど倶楽部=編 発行所 株式会社角川書店

☆ 身だしなみとは

人と会ったときにいいイメージを抱くかどうかは、ほとんどが第一印象で決まるといいます。初対面のときに

「感じのいい人」になるか、そうでないかによって、その後の対応にも大きな違いが生まれます。

とくに、それを左右するのが身だしなみ。その基本は、相手に不快感を与えないことです。シャツやブラウ

スがしわくちゃだったり、襟元が汚れているようでは、どんなにファッションを決めたつもりでも、いい印象を与

えられません。

服装だけでなく、身の回りを清潔にすることも大切。髪の毛がボサボサだったり、フケが肩に落ちているな

ど、外見がだらしないと、どんなに仕事のできる人でも、信頼感を得るのはむずかしくなります。

また、意外に目立つのが指先です。爪が伸びすぎていないか、汚れていないか、気をつけましょう。

真夏や蒸し暑い季節には、汗や汗じみにも気を配りたいもの。約束の時間に遅れないようにと、走って行っ

たのはいいけれど、汗だくの顔や汗くさいシャツでは、相手に不快感を与えてしまいます。時間的に余裕を

持って出かけましょう。

旅旅のの空空かからら♪♪ 北海道第 6 支部長の大竹先生が9月に大雪山旭岳(標高 2,291m)に行かれたときの画像を送っ

て下さいました♪

日本で一番早く紅葉がはじまる大雪山。

たくさんの人がきてますね。

姿見の池って、こんなにきれいなんです

ね。旭岳に数々ある池は、大昔は噴火口だ

ったらしいです。

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今月のお歌

●小樽にて 予定もなしの ワイン

9 月の連休に定山渓に1泊して

かったワイン工場に行きました。そこでいろいろなワインを試飲させていただき、あまりの美味し

さについ買いこんでしまいました。

●ルタオなる 専門店に 顔が向き

小樽には、ルタオのお店がたくさん

さてどちらへ入ろうかとしばし考えてしまいました。いつも思うのですが、札幌でも小樽でも本当

ににぎやかで、うきうきしてしまうのです。それだけ室蘭が寂しい街になってしまったのです。

ですからたまに都会の風に吹かれたいと思うものなのです。

小樽洋菓子LeTAO

http://www.letao.jp/shop/

あのスリルを味わいたいと

思うのですよ。それにして

も、このヘッピリ腰、なく

ない??

発行元 北海道鍼灸マッサージ柔整協同組合

発行責任者 吉 田 孝

E-mail [email protected]

北海道鍼灸マッサージ柔整協同組合

今月のお歌

第 4 支部室蘭市 西江

ワインどころ 試飲をしては 買い求めおり

定山渓に1泊して、小樽まで足を延ばしぶらぶしていた所、時間が余り予定にはな

かったワイン工場に行きました。そこでいろいろなワインを試飲させていただき、あまりの美味し

さについ買いこんでしまいました。

顔が向き チーズかチョコか 足が迷いたる

たくさんあり、チョコとお菓子の専門店が分かれてあるのです。

さてどちらへ入ろうかとしばし考えてしまいました。いつも思うのですが、札幌でも小樽でも本当

ににぎやかで、うきうきしてしまうのです。それだけ室蘭が寂しい街になってしまったのです。

ですからたまに都会の風に吹かれたいと思うものなのです。

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のための山岳保険、やっぱ

り必要でしょうか。

よっぽど高い山を登る場

合を除いては、事故がおき

るなんて、フツー予想しな

いですよね。

そんな中、南区の八剣山

に行ってきました。

高さ五〇〇メートルに満

たないのに、スリル満点で

す。でもたっぷり紅葉は楽

しめました。

翌日は、筋肉痛に泣きま

したが、時間が経つとまた、

あのスリルを味わいたいと

北海道鍼灸マッサージ柔整協同組合 札幌市中央区南 1 条西 13 丁目

孝 雄 TEL 011-213-1033

[email protected] URL http://www.hokushinkyo.jp/

ルタオルショコラと

ルタオチーズケーキラボ

休日ともなれば、たくさ

んの人が訪れます。

試食目当ての人も・・・

北海道鍼灸マッサージ柔整協同組合

西江 須美先生

小樽まで足を延ばしぶらぶしていた所、時間が余り予定にはな

かったワイン工場に行きました。そこでいろいろなワインを試飲させていただき、あまりの美味し

チョコとお菓子の専門店が分かれてあるのです。

さてどちらへ入ろうかとしばし考えてしまいました。いつも思うのですが、札幌でも小樽でも本当

ににぎやかで、うきうきしてしまうのです。それだけ室蘭が寂しい街になってしまったのです。

*編

記*

長野の御嶽山のことがあ

ったので、登山をされる方

は、考えるところがあった

のでは・・・万が一のとき

のための山岳保険、やっぱ

丁目 317-3 フナコシヤ南 1 条ビル 8F FAX 011-213-1034

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