「 がありのままに顕示する――を指し、また「寂」 …...「...

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西 稿 く一種の直観知――鏡に事物がありのままに映るように心に事物 がありのままに顕示する――を指し、また「寂」とは、般若の 82

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Page 1: 「 がありのままに顕示する――を指し、また「寂」 …...「 がありのままに顕示する――を指し、また「寂」とは、般若のく一種の直観知――鏡に事物がありのままに映るように心に事物

〈研

僧肇『不真空論』にみられる中国的思惟

僧肇(西暦三八四、一説に三七四~四一四)は、格

義仏教

が盛

んで

った六朝時代

に長安近辺

に生まれ、鳩摩羅什

に師事して特

に般

若思想、空の思想

に精通し、格義を正した、と

いわれて

いる。し

かしまた、にも

かかわらず彼

の理解

はやはり中国

的思

惟に基

づく

ものであり、イ

ンド

におけ

る空の思想とは異な

るものである、と

いう指摘も多くなされて

いる。本稿

の目的

は、彼

の著作

の中

から

『肇論』所収の

『不真空

論』

を選び、

この書

の思

想内

容を解釈

ると共に、この中

に見られ

る『荘子』を初

めとす

る中国

的思

惟の

影響を見

いだそうとす

るも

のである。

一 『不

小 椋 章 浩

筆者

は先

に、『不

真空論』よりも先

に著述さ

れたとされる

『般

若無知論』

の解釈

を試み

た。それによれば、僧肇

は般若

のあり方

を「用」と

「寂」

の二

側面として捉えて

おり

、し

かもこれらが一

体のもので

あるとみ

なして

いる。さらに、ここで

「用」と

は、般

若の

「一切

知」

の側面で

あり、これは概念化

によ

る分別

知ではな

く一種の直観知――鏡に事物がありのままに映るように心に事物

がありのままに顕示する――を指し、また「寂」とは、般若の

「無知」

の側面で

あり、これは、般若の認識対

象であ

る真諦は無

相であ

って概念

的把握

はできず、したがって

知が無い、と

いうこ

とを意味す

る、と

、こ

のよう

に解釈し得るので

ある。

そこでこ

の第一節で

は、『不

真空論』の中

から幾つ

かの箇所を

取り上げ、『般若無

知論』

におけ

るこの解釈

をあて

はめることに

って、こ

の『不真空論』のおおよその内

容を理解し

たい。

82

Page 2: 「 がありのままに顕示する――を指し、また「寂」 …...「 がありのままに顕示する――を指し、また「寂」とは、般若のく一種の直観知――鏡に事物がありのままに映るように心に事物

この論書では初めに「心無」「即色」「本無」の格義が論駁され

いるが、それはこの論書の中心課題とは

いえないので、ここで

は省略したい。その後、本論への導入として僧肇は次のような論

述をしている。

夫れ物を以て

物に物とせらるれ

ぱ、則ち物とする所にして物

たる可

し。物を物とするは物に非ざるを以ての故に、物と雖

も物に非ず。是

を以て

物は名に即して実に就かず、名は物に

即して

真を履ま

ず。然らば則ち、真諦は独り名教の外に静か

なり。

ここで

、前半

の「物

物」(物 

のくだり

『荘子』と

の関

連が指摘

される箇所であり

、後

に詳述する。また、次の「名」に

関するくだり

も、中国古代

思想界

における名実論とつながるもの

として

、後述したい。最後

の「真諦独静於名教之

外」

については、

『般若無知論』

に「真

諦は自

ずから

相無し」と

あるよう

に、

般若

の認識対

象で

ある真

諦は無相で

あり、これはつまり、概念化によ

る分別知で

は捉えられ

ないと

いうこ

とを意味す

るであろ

う。「名

教」

とは言語

によ

る教え

のことで

あろうから、先

『不

真空論』

の句は、真

諦は無相であり

言語で

捉え

られないという、般若の側

から

言えば

「寂」の面を表して

いるものと考え

られる。

に僧肇

は、真諦

におけ

る「物」

について

誠に物に即して順通す

るを

以ての

故に、物は之に逆らうこ

莫し。偽に即し真に即す

るが故に、性は之を易う

るこ

と莫し

すな

わち、真諦は物

に即すがその性は変化しない、と述べ、した

って物は有でもあり無でもあり、さら

にこのことから

と雖も而も無なるは、所謂る非有

なり。無と雖も而も有な

るは、所謂る非無なり。

非無でもあり非有でもある、という。そしてこのことから、

此の如くなれ

ば則ち物無きに非

ざるなり。物は真の物に非

ず。

物は真の物に非ざるが故に、何に於てか物とす可

きや。

と論じる。ここで彼

は、「物」

の存在を認

めつつ、

それが真

の物

ではな

いと言う。これも先

『般若無知論』の解釈を当て

はめれ

ば、万物は確かに存在し、それは般若

において

は「用」

のあり方

によ

って直観として

捉えら

れるが、

それは「寂」

のあり方として

は無相の真諦で

あり真の物で

はない、という意味となるであろ

う。

さら

に僧肇は、ある経を引

いた上で「俗諦」の語を用

い、次

よう

に述べる。

真諦は以て非有を明らかにし、俗諦は以て非

無を明

らか

にす。

豈に諦の二なるを以て

物に於て二ならんや。

ここで「俗諦」は明らかに物の有の側面を示して

いるのであ

るが、

これも

『般若無知論』

の思

想を考慮すれば、般若の「用」のあり

方によ

って捉え

られる認識対

象を指すといえる。

ただし

、こう解

釈した場合、僧肇の「俗諦」

の概念

は仏教一般におけ

るそれと

異なることになる。

一般的

に仏

教にお

いて

は、「俗諦」

とは言説

による仮構、分別

知を指すが、僧肇

はここで

は直観知を指して

に みられる中国的思惟『不 真 空 論 』僧肇83

Page 3: 「 がありのままに顕示する――を指し、また「寂」 …...「 がありのままに顕示する――を指し、また「寂」とは、般若のく一種の直観知――鏡に事物がありのままに映るように心に事物

ること

になるからであ

る。こ

のこと

について

はさらなる考察を要

るで

あろうが

、ここで

は一応

この仮説に従

って論を進めたい。

た別

の箇所で

僧肇

中観に云く、物は因

縁に従るが故に有らず、縁起するが故に

無からず、と。

と言

っている。唐の元

康(生没年不詳)はそ

『肇論疏』

の中で、

ここで言う

「中観」

『中論』とみ

なし、「観四

諦品」中

のかの

諦偈を引

用している。この元

康の引

用箇所が適切

か否か

につい

はここで

は問題としないが、ただし少なくとも羅什訳の中では

「縁起」という語は使われて

いない。こ

こで

は、僧

肇の理

解す

「因縁

」と「縁起」

の違い

について見

おき

たい。まず

「因

縁」

についてはこの後の文

夫れ有、若し真有ならば、有は自ずから常に有

なり。豈に縁

を待ちて而る後に有ならんや。

などとあり、無自性の故に非

有であることを示して

いることが分

かる。で

は「縁起」はどうであろう

か。これ

につ

いて彼

万物

、若し無

なら

ば、則ち応に起こ

るべからず。起こ

れは則

ち無

に非

ず。縁起すること明らか

なるを以ての

故に無

なら

るなり。

と言

って

いる。ここで彼

は、「起」字

におけ

る発

生の意

を考慮し、

発生す

るのであ

るから無ではな

い、と説

いて

いるように思

われ

る。

した

がって

、先述

の考察と関

連づけて

言えば、「因

縁」

は真諦

いて無であ

る物のあり

様を、「縁起」

は俗諦

において有で

ある

物のあり様を、それぞれ示して

いるといえ

るであろう。

のよう

に物の非有非無を論じた後、結論として僧肇は次の

よう

に述べ

る。

れ有

なり

と言わん

と欲すれども、有は真生に非ず。其れ無

なり

と言

わん

と欲す

れども、事象は既に形わる。象形わるれ

ば無に即せず

、真に非

ざれ

ば実有に非ず。然らば則ち不真な

る空の義

、茲に顕らか

なり。

ここで

、「非真生」で

あり「非実有」で

あるというの

は、万

物は

因縁生であり無自性で

ると

いう真諦

の面

を、「象」が現

れ「不

即無」と

いう

のは、万物が縁起している俗諦

の面を、それぞれ指

して

いるのであろう。そしてこのように、万

物が真諦でありかつ

俗諦で

ある、すなわ

ち非

有非無で

ある、と

いうあり

方が、「不

空」

の意味で

ある、と彼は結論づけているので

ある。

の後、

いわば付論とも

いうべき論述がなされた後、修辞的文

言によって

この『不真空論』

は結ばれて

いるが、その付論

にあた

る箇

所において、「名」と

「実」と

の関係、あ

るいは、

それと関

連して

、「彼」

と「此」

という対立概念

の関係

につ

いて

論じられ

いる。そして

、こ

の名実

論こそが、古代より中国思

想界

におけ

る中

心的論題となって

いたものであり、僧肇のここで

の論述もそ

の延長線上にあるとみ

なせるので

ある。この箇所につ

いて

の考察

は節を改めて論述したい。

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二 

前節で

述べた通り、『不

真空

論』

にお

いて

は中国

の伝統

的思

を思

わせる記述が数か所でなされて

いる。そこで以

下、このこと

について

さらに考察を加えてみ

よう。

まず、「物物」(物ヲ物トス)の箇所

を再出

したい。

夫れ物を以て物に物とせ

らるれぱ、則ち物とする所にして

たる可

し。物を物とするは物に非

ざるを以て

の故に、物と雖

も物に非

ず。

の論述

について

福永光司

は、「僧肇

は荘子

の此

の言葉

に於て

に在るも

のが

「物とす

る」ことの出来な

いもの、形

象概念を超

た存在で

あるこ

とを明ら

かにする」と解釈す

る。福永の言う通

り、「物物」

という表現

は『荘子』

にみ

られ

る。

そこで以下

それら

につ

いて西

晋の郭象(?-

二一?)による

『荘子

注』の記

述と共

に検討して

いこう。

まず在宥篇

夫れ土

を有

つ者は、大物を有つ

なり。

大物を有つ者は、以て

物を物

とす可

からず。而して物にあら

ず、故に能く物を物と

す。明

らか

なるか

な、物を物とす

る者の

物に非

ざるや。豈

独り天下百姓

を治む

るのみならんや。

とある。ここ

は国土を持つ統治者につ

いて説

かれて

いる箇所であ

るが、

ここ

郭象

は「物

物」

「用

物」(物

ヲ用

フ)

注し

いる。するとこ

こでは、「物

物」

とは事物

を(統治者が)使用、

使役する意であ

る、といえ

るであろう。

に山

木篇

に、有用

と無用と

の間に居

る境地を

さら

に超え

「道徳に乗じて浮遊す」る境地

の説明の中

に、

物を物として物に物とせられざれば、則ち胡ぞ得て累わす可

けんや。

とある。ここに

は郭象は注を入れて

いな

いが、物を物たらし

めて

使役するのであ

って自分が一個の物とな

って使役されることはな

い、という意味として一般

に解釈されて

いる。つまりここでも、

「物物」

は(道の境地に達し

た者が)事物

を使役する意であ

ると

いえ

る。これはおそらく先の在宥篇を踏まえ

た解釈であろう。

た、知北遊篇には、「所謂

る道

は悪

くに在り

や」と

いう東

の問いに荘子が、「在らざる所无

し」

と答え、

さら

には「屎

に在り」と答えた、という有名な寓話の中で

物を物とする者は物と際无し。而して物の際有る者は、所謂

る物際なる者なり。

と論じられている。ここで「際」とは物の際限、物と物との区切

りで

あり、したがってここは、「物物者」

は物との区切りが

ない

ということを言

って

いることになる。ここの文

脈においては物物

者と

は「道」

のことであり、それが物との区切りが無

い、という

こと

はつま

り、道が万物に遍在して

いること

を表すであろう。こ

は先

の荘子

の言、(道

は)「在らざる所

无し」

の理論的説明で

にみられる中国的思惟| 僧肇 『不 真 空論』

85

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るといえる。またこの箇所を郭象

は次のように注して

いる。

物を物とす

る者は

物無

くして物は自ずから物

とす

るこ

とを明

らかにす

るのみ。

物は自ずか

ら物とす

るのみ

、故

に冥

なり。

物は

際有り

、故

に毎に合

い与

に冥

然た

る能

わずして

、真

に所

る際な

る者

なり

。不

際なる者

は、物を物

とすの

名有りと雖

、直

に物の

自ずから物とす

るこ

とを明

らかにす

るのみ

。物

を物とす

る者は、竟に物無き

なり、際は其

れ安

にか在らんや。

のよ

うに、

郭象によれば、物には区切りがあ

るが、物物者には

は無

く、し

たがって

物の区

切り

も無い、と

いうことになる。

たさらに、同じ

く知北

遊篇に、

地に先ん

じて

生ずる者有り

、物ならんや

。物を物とする者

は物に非

ず。物出ずるは物に先

んずるを得

ざるなり、猶お其

れ物有

るなり。猶お其れ物有

るなり

、巳むこ

と无

し。

とある。知北

遊篇の先の箇所がいわば共

時的存

在論で

ったのに

し、こちらは生成論的に、物が物を生んで

やむことのない時間

の流れを考えたとき。それ

に先立つものは物で

はない、と

いうこ

とを言

っており、その、物

に非ざるものを「物物者」と表現して

いることが分

かる。

以上をまと

めれば、『荘子』

にお

いて「物物」

とは基

本的

には

事物を使役し物

たらし

める意であり、それを行う者は、具体的

は統治者を指すことも

あるが、究極的には、全ての事物

を使役し

たらし

める

いわば主宰者としての「道」を指して

いる、と

いえ

るで

あろ

う。

それで

はこのことを踏まえて先の僧肇の論述を読む

とどうなる

であろ

うか。

まず、「夫れ物を以

て物

に物とせら

るれば、則ち物

とす

る所

にして

物たる可

し」

は、ある物に対

して

、それは別

の物

によ

って

物たらしめられるので、物とされるものとなって物とな

ることがで

きる、という意味と

なる。そして次の「物を物とする

は物に非

ざるを以

ての故に、物と雖も物に非ず」は、そのような

物とされる物とは異

なり、「物物」

とす

るもの、す

なわち物を物

たらしめるものは物で

はないので、物は(本来は)物ではない、

といった意味となるで

あろう。この解釈自体は結局は従来のもの

と大き

く異なるもので

はないが、これが僧肇の持つ老荘の知識を

踏まえ

たもので

あることは、より鮮明

にな

ったと思われる。

そして

、このように物が本来は物で

はないことを受けて

僧肇は、

是を以て物は名に即して

実に就か

ず、名は物に即して

真を履

まず。

と、先述のよう

に、それを物の「名」と「実」との関係として述

べる。

ところで、こ

のよ

うな名と実との関

係につ

いて

は、これも先に

述べたよう

に、『不真

空論』

の結論部分

の後、付

論のよ

うな形で

より詳しく論じられて

いる。すなわち、

夫れ

名を以て

物を求むれども、物は名の

実に当

るこ

と無し。

物を

以て

名を求むれども、名は物の功きを得

るこ

と無し。物、

86

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名の

実に当

るこ

と無

ければ、物に非

ざるなり。

名、物の功き

を得るこ

と無けれ

ば、名に非

ざるなり。是を以て名は実に当

らず、実は名に当らず。名と実と当ること無ければ、万物は

にか

在らん。

と述

べられて

いる。この箇所

につ

いて福永光司は、郭象の思想と

の類似を指摘し、「僧肇も亦真に在

るもの

(実)が形象概念(名)

を超える事を強調する」

とし、「物

は名

によ

って求

める事

は出来

ず、名は物を正

しく把捉する事は不可能である。万物は名を超え

る」と解釈している。

ところで

、何度か述べたように、名実論は古代中国思

想におけ

る中心的

論題であ

る。

名実論

につ

いて

は加地伸行

の著

に詳し

いが、それによれば、名実

論は、実を名より

優先す

る立場と

名を

実より優先す

る立場

の二つ

に大き

く分

かれ、前者は例えば墨

家、

楊朱、公

孫竜などであり、

後者

の代表は孟子

、告子、菊子で

ある。

しかし、こ

の加地

の見解

に従え

ば、盛んに論争がなされて

いたな

かでも

、名と実が一致す

べきも

ので

ある、と

いう認識で

は一

致し

いたこと

になる。で

は、

それ

に比して

僧肇

はどうであろ

うか。

に引用したように、結論後の付

論において僧肇は「名は実

に当

らず、実は名

に当らず」と言う。このように彼

は、名と実と

は一

致しな

い、と言い切

って

いる。福

永の言を

借りれば、「真

に在る

もの(実)が形象概念(名)を超える事を強調」して

いる。した

がって

、僧肇の立場

は、

名実論において対立していた二つの立場

におけ

る共通性をさらに超えた立場である、と

いえるであろう。

は、こ

のような僧肇の立場はどこから導かれたのであろうか。

先述してお

いたよう

に、導入部において彼

は「物を物とするは物

に非ざ

るを以ての故に、物と雖も物に非ず。是を以

て物は名に即

して実

に就

かず、名

は物

に即して

真を履まず」と、「物物」

の考

から導き出された、物が

本来は物で

はないという思想

と、「名

実」

についての論をつなげて論じ

ており、物が物ではないから

と実は一致しな

いので

ある、と主

張し

ている。そして、「物物」

の思想は

『荘子

』から採ら

れたも

のであ

った。し

たが

って、名実

論における僧肇の立場

はや

はり

『荘子』と近い立場であろうと考

られる。こ

のこと

は、付論部

における名実に関する箇所に引

続いて

論じら

れる、「彼」「此」の考察を見ること

によ

って、より

明らかになる。す

なわち、

故に中観に云く、物は彼と此と無し、と。而して人は此を以

て此と為し、彼を以て彼と為す。彼も亦た此を以て彼と為し、

彼を以て

此と為す。此と彼と一名に定まること莫し。而るに

惑者

は必然の志を懐く。然ら

ば則ち、彼と此とは初めより非

なるも

、惑者は初めより非無とす。

と言

って

いる。ここで「中観云」

と言って

いるが、実際にはここ

の記述

は、むしろ

『荘子』

斉物論篇

の「物无非彼、物无非是」と

いう、いわゆる

「方

生之説」に近

い。こ

こは要

する

に、「彼」あ

いは「是」という「物」

が自性として存在するので

はないと

『不真空論』に みられ る中国的思惟僧肇87

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ことを、「彼」「是

」という対

立概念の相対性

によ

って説明

しよ

うとしたものと考え

られる。『荘子』

の「方生

之説」と

は、対

る概念が個

々に独立して

存在すること

はあり得ず。必ず相対と

して同時発生する、という説であり、僧肇

はこ

の『荘子』の立場

に立

って

いると

いえるであ

ろう。福永

は、「中論

の「物無彼此」

の解釈

として

述べられた此の論証

は、云

ふ迄も

なく郭象の荘子斉

物論篇注のそれをそのまま用ひたものであった」と、やはり郭象

注の思

想の影

響とみ

る。

は、「彼」「此」

を「必然」とす

る「惑者」

とはどのよ

うな者

なので

あろ

うか。「彼」は「彼」で

あり

「此」

は「此」であ

る、

と主張

した例として

、『墨子』

『公孫

竜子』

が残されて

いる。

まず

『墨子

』経説下

彼。名を正すとは彼此なり。彼此の可なるは、彼を彼として

彼に止め

、此を此として

此に止むるなり。彼此の不可

なるは、

にして且つ此

とするなり。

とあり

、ま

た『公孫竜子』名実論

には

に、彼を彼として

彼に止め

、此を此として

此に止む

るは可

なり。此を彼として彼にして且つ此とし、彼を此として此に

して

且つ彼とするは不可

なり。

とある。

これら

はいず

れも、「彼」「此」

を定

ったも

のとし、

『荘子』

のように「彼」と「此」と

が立場

によ

って入

れ替わ

るこ

とは「不可」であるとする。これらの論述によって

も、彼らがや

はり名と実とを一致させようとする思考にあ

ることが分

かる。そ

して彼ら

に対して、『荘子』と僧

肇の立場

は、

名と実は一致し

いとする思想である。このような思想的対

立が、以上のことから

明確

になったと

いえるのではなかろうか。

以上

見てき

たように、『不真空論』の論述には、「物物」という

『荘子』

の思想、中国思

想の中心的論題であ

った「名実」の思想、

さらにそれに関連して

「彼此」

につ

いての思想、といった、中国

の伝統的思想を踏まえ

た思

考が使

われて

いる。ただし、第二節で

見たように、これら

はいずれも

いわば導入部や付

論にあ

たる箇所

の論述であって

、本論で

はほと

んど使

われていない。これ

はど

う解釈すべきであろうか。

第一節で見たように、この論書におけ

る僧肇の眼目は、あくま

でも、空

の意味が非有非無である、という点にあ

る。そして、彼

の理解で

は、それ

は非有の面はもちろん、非無の面でも、それは

観知で

あり言語

によ

る概念知は否定される。僧肇は、この概念

知の否

定のために中国

的思惟を利用したように思われ

る。特

に、

伝統的に、物が本来的に存在し名と実とが一致すると

いう中国の

思想的基盤の中で

、物は本来物で

はなく名

は実とは一

致しな

い、

というアンチテーゼを掲げた老荘思

想、

なかんずく『荘子』

の思

想は、中国的思惟を有する中国人

(僧肇自身も含めて)

にと

って、

Page 8: 「 がありのままに顕示する――を指し、また「寂」 …...「 がありのままに顕示する――を指し、また「寂」とは、般若のく一種の直観知――鏡に事物がありのままに映るように心に事物

仏教思想

の中でも

とり

わけ概念知の否定の理解

のために大きく役

ったので

はないかと考えられ

るのであ

る。

(―) なお、『不真空論

』の読解に当

って

は、

主に塚

本善隆編

『肇

研究

』(法蔵館、

一九五五)を参考にし

た。

〈2)『高僧伝』釈僧肇伝による(大正新惰大蔵経(以下「大正」)五

〇・三六五中)。

(3) 拙論「僧肇『般若無知論』の一考察――「用」「寂」とは何か、及

びそれらと「体用」との関係について――」(『関西大学哲学』二五、

二〇〇五)

(4) 大正四五

・一五

二上

(5) 大正四五

・一五四上

(6) 大正四五

・一五

二中

(7) 同

(8

) 同

(9) 僧

肇が事物の存在を認めて

いること

は、『般若

無知論』

にも「外

有万

法之実」(大正四五

・一五四下)とあ

る。

(10) このことは、前注の箇所

に続いて

「万

法雛実、然

非照不

得」(大

正四五

・一五四下)とあることから分かる。ここで

「照」とは般若

の「用」のあり方によ

る直観のことである。

(11) 元康は

『大品経』とする

(大正四

・一七

二下)。な

お、

元康疏

の読解に

おいては、駒沢大学大学院

『肇論疏』研究会

「元康撰

『肇

論疏』の注釈的研究

(四)」(『駒沢大学

大学院

仏教学研

究会年報』

二二、一九

八九)を参考にした。

(12) 大正四五

・一五

二中

(13) 例えば

『中論』第

二四章長行「言説是

世俗」(大正三〇

・三三上)。

〈14) 分別

知は僧肇の用語では「惑智」で

ある(大正四五・一五三下な

ど)。

(15) 大正四五

・一五二中

(16) 大正四

五・一七三中

(17) 大正四

五・一五二下

(18) 同

(19) 同

(20) 前出 注(4)参照

(21) 福永光司「僧肇と老荘思想――郭象と僧肇―」(塚本前掲書所

収)二六六頁

(22)

『荘子集釈』第二冊

(中華書局

、一九六

一)

三九四頁。な

お『荘

子』

の読

には、

遠藤

哲夫、市

川安

『新釈

文大

八 

荘子

(下

)』(明治

書院、

一九六七)

び、

金谷

治訳

『荘子 

第三

『外篇・雑篇]』(岩波文庫、一九八二)を参考にした。

(23) 『荘子集釈』二、同頁

(24)

『荘子集釈』三、六六八頁

(25) 『荘子集釈』三、七四九~七五〇頁

(26)

『荘子

集釈』三、七五二頁

(27) 『荘子集釈』三、七五三~七五四頁

(28)

『荘子集釈』三、七六三頁

(29) 例えば塚本前掲書、一六頁

(30) 前出 

注(4)参照

(31) 大正四五

・一五二下

(32) 福永前

掲論文、二六八頁

。福永

は「僧肇

は此の様な名の限界性を

郭象

の玄同の論理に於て理解する」

と言う。郭象の玄同の論理

につ

いて

は同論文二五

八頁参照。

(33) 加地伸行『中国論理学史研究』〈研文出版、一九八三)

89 1 僧肇 『不真空論』にみられる中国的思惟

Page 9: 「 がありのままに顕示する――を指し、また「寂」 …...「 がありのままに顕示する――を指し、また「寂」とは、般若のく一種の直観知――鏡に事物がありのままに映るように心に事物

(34) 同書、二六九

~二九四頁

に、名実論争

におけ

る立場の違いについ

ての加地の見解が

まとめられて

いる。ここ

にそれを要

約しておき

い。加

地によれば、中国思想

におけ

る名実論と

は、名を正す

論理学で

あり、名と実とを一致させようとする目的の

ための論理学で

あった。

したが

って基本的な目的は思想家

たちの間で共通して

いるのであ

が、しかし、名を優先す

る立場と実を優先す

る立場という違

いによ

り、論争が繰り広げられた。

そのうち、実を優先する立場として、例えば墨家はその書の中で、

が〈白い〉〈黒い〉と

いう名づけ

は人為的

結果

に基づく、と

いう

内容を

述べて

いる。また、類とし

ての名

について、「馬」

いう類

を考え

た場

合、

その類は個

々の馬と

いう実

に根

ざして

いるものであ

り、その実を名

づけて

「類」化して

いる、とも説

いて

いる。次に楊

朱は、名

は人為的なも

のであ

って実に対して偶然名づけ

たにす

ぎな

い、と主張す

る。ま

た、『管子

』に残ると

されて

いる宋妍ら

の思想

には、実が第一存在であり名は第二存在である、という主張があ

る。

さらに

『公孫竜子』

は、実からどのようにして名づけられ

るかを整

然と論じている。加地の言によれば、これは「概念論の領域内

にお

る実優先の基礎理論付け」(二七五頁)であ

る。

加地は、哲学史的発展に伴

って実優先の立場が大きく三つに分か

れた、とする。すなわち、A、実優先の立場を強調し、その理論付

の深

化を図るもの、B、名が符号であるこ

とを強調し、名を記号

、遊

戯化するもの、C

、名が実と対等と

なり

、名自身の存在を認

めて

いくもの、で

あり、Aは公

孫竜

など、B

は別墨

など

、C

は前期

法家など

が属す

る、としている。

これ

に対して

、名を実より優

先させ

る立場

は、孟子、告子

、葡子

など

であ

る。

孟子

は言葉が実在

すると考え

てい

た。

そして、

『孟子』において告子との議論を行っているのであるが、その中で、

々の個物におけ

る〈白い〉という属性を抽象した〈白さ〉という

普遍

が存在することを、告子との共通認識として

認めて

いる。この

よう

に普

遍が存

在す

ると

いう思考は、逆に普

遍を存在物の母胎と考

る思考、

つまり

名が実

に優先する立場につなが

る。その代表者の

一人が菊子であ

る。葡子は普遍と個物の諸概念を類と種の関係とし

て捉え、階層化し

た(その中で、最高類

(「大共名」)が「物」であ

る)。葡子

はこのようにして

「正

名」

すな

わち「正

しい概念

論」

主張した。そして、実優先派の主張、例えば

『墨子』にあるような、

「盗

(人)」は「人」ではない、とい

った主張は名を乱すものとして

批判し

たのである。

(35) 大正四五

・一五二下

(36)

『荘子集釈』一、

六六頁

(37) 福永前掲

論文、

二六八頁

(38) 以下の、『墨子』と『公孫竜子』にみられる「彼」「此」の論述に

いて

は、久保

田知敏

「『公

孫竜子』名実

論篇

分析―

『墨

子』

経・経説と『公孫竜子』名実論篇 ―」(『聖心女子大学論叢』八二、

一九九四)参照。

(39)

『墨子

間詁』上(中華書局、二〇〇一)三八七頁

(40)

『公孫

竜子形

名発微』(中華書局、

一九

六三)六一頁

文献書誌および引用文におけ

る漢字の旧字体

は原則として新字体に改

めた。また、漢文は適宜書き下し

た。

〈おぐ

中国

西

90