『日本の素顔』の制作技法 - nhk ·...

34
22 MAY 2020 第 2 節は本稿が分析対象とするテクストを指 定する。『素顔』がスタートした 57 年 11 月から 59 年度末までに制作・放送された48 本がそれ である。この期間のテクストを前期『素顔』と 呼ぶとともに,各回の基礎情報を示す。 第 3 節は,上記 48 本のテクストを本誌 2020 年 4 月号に示した 3 つの指標を用いて量的分析 を行い,その結果を示す。前期『素顔』では, 被写体をナレーションで解説 ・説明する説明的 モードが優勢であること,ただし,59 年の夏以 降,インタビューを用いる参加的モードが伸長 し,インタビューの声を論拠としてナレーション を繰り出す論証的な技法が可能となる条件が 整ったことが,この量的分析から明らかになる。 第 4 節では,量的分析で特徴的な数値を示 したものを中心にした 8 本のテクストについて, 1. はじめに 本稿は『日本の素顔』(1957~ 64,以下『素 顔』と記す)の制作技法の特徴を,量的な方 法と質的な方法を併用して明らかにする研究 (4 回シリーズを予定)の第 2 回である。 その構成は下記のとおりである。 1. はじめに 2. 分析対象 3. 多数のテクストの分析 4. 個別テクストの分析 5. 考察―複数の技法の孵卵器として― 6. 「素顔論争」からの補足 本 稿は NHK の『日本の素顔 』(1957 ~ 64)がスタートした 57 年 11 月から,60 年 4 月までに制作・放送された テクストを分析して,その制作技法を明らかにするものである。多数のテクストの量的分析,その結果を踏まえて 行う個別のテクストの質的分析から,この時期の『素顔』が,先行したラジオの録音構成や,記録映画・テレビ ジョン映画の影響を受けつつ,テレビドキュメンタリー(TD)として基本的な複数の制作技法を生み出しているこ とがわかる。個々別々の現実を特定の社会問題の現れとして捉え,それについて議論を展開していく技法は,現 代の TD で言えば『NHK スペシャル』や『クローズアップ現代』といった番組に受け継がれ,個別の現実を個別の ままに,その非言語的な感触まで大事に表現しようとする技法は,『鶴瓶の家族に乾杯』や『ドキュメント72 時間』 といった番組に受け継がれている。これらの制作技法に関連して,1960 年に吉田直哉が提出した「テレビ・ドキュ メンタリー」概念について,また,いわゆる「素顔論争」についても新たな視点から考察したい。 『日本の素顔』の制作技法  第2回 複数の技法の孵卵器として メディア研究部  宮田 章 

Upload: others

Post on 14-Jul-2020

0 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

22 MAY 2020

第2 節は本稿が分析対象とするテクストを指定する。『素顔』がスタートした57年11月から59年度末までに制作・放送された48本がそれである。この期間のテクストを前期『素顔』と呼ぶとともに,各回の基礎情報を示す。

第3節は,上記48本のテクストを本誌2020年4月号に示した3つの指標を用いて量的分析を行い,その結果を示す。前期『素顔』では,被写体をナレーションで解説・説明する説明的モードが優勢であること,ただし,59年の夏以降,インタビューを用いる参加的モードが伸長し,インタビューの声を論拠としてナレーションを繰り出す論証的な技法が可能となる条件が整ったことが,この量的分析から明らかになる。

第4節では,量的分析で特徴的な数値を示したものを中心にした8本のテクストについて,

1. はじめに

本稿は『日本の素顔』(1957~64,以下『素顔』と記す)の制作技法の特徴を,量的な方法と質的な方法を併用して明らかにする研究

(4回シリーズを予定)の第2回である。その構成は下記のとおりである。

1. はじめに

2. 分析対象

3. 多数のテクストの分析

4. 個別テクストの分析

5. 考察―複数の技法の孵卵器として―

6. 「素顔論争」からの補足

本稿はNHKの『日本の素顔』(1957~64)がスタートした57年11月から,60 年 4月までに制作・放送されたテクストを分析して,その制作技法を明らかにするものである。多数のテクストの量的分析,その結果を踏まえて行う個別のテクストの質的分析から,この時期の『素顔』が,先行したラジオの録音構成や,記録映画・テレビジョン映画の影響を受けつつ,テレビドキュメンタリー(TD)として基本的な複数の制作技法を生み出していることがわかる。個々別々の現実を特定の社会問題の現れとして捉え,それについて議論を展開していく技法は,現代のTDで言えば『NHKスペシャル』や『クローズアップ現代』といった番組に受け継がれ,個別の現実を個別のままに,その非言語的な感触まで大事に表現しようとする技法は,『鶴瓶の家族に乾杯』や『ドキュメント72 時間』といった番組に受け継がれている。これらの制作技法に関連して,1960 年に吉田直哉が提出した「テレビ・ドキュメンタリー」概念について,また,いわゆる「素顔論争」についても新たな視点から考察したい。

『日本の素顔』の制作技法 第2回 複数の技法の孵卵器として

メディア研究部 宮田 章 

Page 2: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

23MAY 2020

映像内容やナレーション内容など数値化しにくいものにも言及しながら個別に分析していく。前期『素顔』がその展開の中で,現代のTDにまでつながる複数の制作技法を生み出したことが具体的に明らかになるだろう。

第5節では,前期『素顔』が生み出した制作技法を論証的な技法と,非論証的な技法に分けてそれぞれ考察する。前期『素顔』が,先行したラジオの録音構成や,記録映画・テレビジョン映画の技法をどう継承し,後代のTDにどうつながったかということについて大まかなイメージを持つことができるだろう。これに関連して,水俣病を広く世に知らしめたことで著名な『奇病のかげに』(59年11月29日放送)が,ドキュメンタリーならではの「証拠と感情を結びつける力」(ビル・ニコルズ)がよく発揮された日本のTDの古典と言うべきテクストであることを指摘する。また,1960年に吉田直哉が提出した「テレビ・ドキュメンタリー」概念について新たな視点から考察を加えたい。

最後の第6節では,いわゆる「素顔論争」における羽仁進の議論から,『素顔』の制作技法について知見を補足する。羽仁の議論は,59年夏以降の『素顔』が,映像の美学的な質や映像編集などの点で,それまでより洗練され,素人くささを払拭していったことを指摘したものとして読み解くことができる。

2. 分析対象

『素顔』のテクスト本数は306本にのぼり,NHKアーカイブスに映像と音声がそろって保管されているものに限っても191本を数える。本研究ではこれを放送時期から,前期,中期,後期に分けて検討することにする。

本稿が取り扱うのは前期である。具体的には『素顔』の第1集が放送された57年11月10日から,59年度が終了する60年4月3日までの時期である。この間に115本のテクストが制作・放送されたが,その中で本稿が分析対象とするのは,アーカイブに映像と音声がそろって残っている48本である。115本すべてについて分析・考察するのが理想であるが,資料の制約からそのうちの4割強にとどまることをあらかじめ断っておきたい。60年度以降に制作・放送された中期,後期のテクストの検討は第3回,第4回で行う。

表1(24~25ページ)は本稿が分析対象とする48本のテクストの基礎情報を示したものである。放送年月日,内容の簡単な要約,担当ディレクター(NHKではこれをProgram Di-rector(PD)と呼ぶので,以下「PD」と記す)の名前などがわかる。左端の番号は『素顔』の中での放送順を示している。『日本人と次郎長』は『素顔』の第8集として,『奇病のかげに』は第99集として放送された。

3. 多数のテクストの分析

この節では,前稿に示した下記の3つの指標を用いて48本のテクストを量的に分析した結果を示し,それについて考察する。①有声部分と無声部分②ナレーション(D音)部分,自生音(B1音)

部分,インタビュー(B2音)部分③ロケ現場で得た個の声(Ba音)が聞こえる部

分,感触の声(Bb音)が聞こえる部分表2(25ページ)はB1音,B2音,D音,Ba音,

Bb音の分析カテゴリーについて,前稿に示した表(宮田2020:22)を再掲したものである。

Page 3: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

24 MAY 2020

No 放送年月日 テクスト名 内容要約 PD

8 1958/1/5 日本人と次郎長 都内の博徒一家を取材。入れ墨,固めの盃,手打ちの儀式等,ヤクザ社会の姿が映像で鮮烈に示される。 吉田

15 1958/2/23 春を待つ子供たち 都内の盲学校,ろう学校等を取材,身体障害の児童も学校に通うべきなのに,施設が足りないと訴える。 立川 倉島

19 1958/3/23 南の孤島・与論島 5年前に日本に返還された与論島。島民の日常生活や風俗を紹介し,その後進性を指摘。水道や船が横付けできる港が必要と訴える。 吉田 斎藤

21 1958/4/6 季節労働者 「春の肥料や子どもたちに学用品を買うため」に北海道へ出稼ぎに向かう東北農民のルポ。ニシン漁や,森林伐採の現場を紹介。 AK

23 1958/4/20 青い目の子供達 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血児」問題。施設で暮らす子ども,街場で苦労している子どもを紹介。 AK

26 1958/5/11 迷信 「文明国でありながら日本ほど迷信の多い国はない」として,さまざまな実例を紹介。「医学を無視する祈禱所の繁栄」などを非難する。

白石 立川吉田

29 1958/6/1 ガード下の東京 「貧困にあえぐ人,疲れも見せず深夜の労働にいそしむ人,そしてまた酒と女に酔いしれる人」,ガード下に現代の縮図を見る。 白石 吉田

34 1958/7/13 神風登山 ―谷川岳の記録― 谷川岳に取材。遭難が多発する原因を,山を征服の対象として冷静に分析し,準備する「近代登山」が不徹底であることに求める。 吉田

36 1958/7/27 ハイティーン 盛り場の愚連隊,ロカビリーに夢中の高校生など,都市の若者風俗を嘆く一方で,案外「合理主義」に基づいていると感心したりもする。 渡部 倉島

38 1958/8/10 さいはての地「知床」 知床に取材。熱望していた道路の開通を喜ぶ表情等を伝える。番組末尾で「へき地に文化を」と訴える。 吉田

40 1958/8/24 村芝居 茨城県の農村で興行を打つ旅回りの村芝居一座を描く。哀歓を綴った作風はこの時期のAK制作には珍しい。 渡部

44 1958/9/21 アンバランス 同時代を「アンバランス」の視点で通観。激増する車と貧弱な道路,中央と地方の格差,少年犯罪には肉体と精神のアンバランスを見る。 吉田

45 1958/9/28 ボタ山のかげに ―中小炭鉱― 長崎などに中小炭鉱を取材。貧弱な保安設備で採炭,一夜明ければ即失業者という例が続出と伝える。炭住の生活描写もあり。

渡部 尾西長岡

46 1958/10/5 豊作 1958年は4 年続き,史上2番目の豊作。新潟のコメどころを訪ね,「農村改善」の進み具合を伝える。貧しい山村の描写もあり。 AK

47 1958/10/12 警察官 警職法改正にちなんで「民主警察」の立場から警察官のあり方を考える。村の駐在さんから機動隊員までさまざまな働きぶりを紹介する。 斎藤

54 1958/12/7 この人達に愛の手を―みんなで明るいお正月―

「年の瀬を迎えて,寒さにおののく気の毒な人たち」に援助の手を差しのべるよう訴える。東京の「バタ屋」の描写に生彩。 田沼 増沢

55 1958/12/14 よいどれ日本 酒の消費量うなぎ上り。盛り場や終電車の酔っ払いなどに好景気の象徴を見たり,アルコール依存症病棟の患者に酒の害を見たり。 渡部

57 1959/1/4 職人 ―昔を守る人々― 「芝居絵看板描き」「しんこ細工」「羅宇屋(キセルの修繕屋)」「日本刀の柄巻き」…。京都,福井,東京に「昔を守る人 」々を取材。 吉田 瀬川

58 1959/1/11 産業開発青年隊 「農村の次・三男問題解決の一方法として」広がる産業開発青年隊。重機操作などの技術を学びながらブラジル移民を目指す。 田沼

65 1959/3/1 テレビ ―現代のマンモス― 全国で開局ラッシュ,世帯普及率は15%。スター頼み,低俗批判などにも触れながら「新時代の文化」の原動力を目指せと言う。 尾西 斎藤

68 1959/3/29 日本の空 ジェット機導入と米軍からの管制権返還を目前にして航空業界を見る。地方空港の貧弱さなども紹介。 上田 瀬川

70 1959/4/26 テキ屋テキ屋社会を博物学的にルポ。テキ屋の分類,階級,掟,仁義の切り方,啖呵売(たんかばい)の様子などを「前近代的」という視点から紹介する。(※この回より番組末尾に構成者表示)

吉田

72 1959/5/10 観光ブームの裏街道 伊豆に大衆観光ブームをルポ。修学旅行や会社の慰安旅行,500人の団体客をさばく熱海の旅館の大宴会シーンが印象的。 斎藤

75 1959/5/31 ある玉砕部隊の名簿 レイテ戦玉砕部隊の遺族9 件を訪ねる。夫や子ども,父親に死なれた家々の苦難を録音を多用して伝える。1件だけ本人の生存判明。 吉田

76 1959/6/7 修行 奈良県の大峰山,鎌倉の円覚寺等に取材。「機械化され西洋化された今日」,修行精神が必要になってくるという。 渡部

80 1959/7/5 右翼 戦前の「一人一殺」の闘士から児玉誉士夫まで,右翼活動家に次 イ々ンタビュー。児玉は「国民から愛される右翼に」と語る。 尾西

81 1959/7/12 市場 築地の魚市場,福島の家畜売買での“袖の下取引”,新潟・萬代橋の路上青物市など。「消費者も取り引きについて無関心ではならない」。 渡部

84 1959/8/9 隠れキリシタン 五島列島や平戸に今なお独自の信仰を保つ「隠れキリシタン」を取材。その儀式や秘文書等を映像に示す。 吉田

85 1959/8/16 モンテンルパへの追憶 戦犯死刑囚としてフィリピン・モンテンルパ刑務所にあった人たち。処刑された人の日記,今日本で生きている人たちのインタビュー。 尾西

表1 前期『素顔』の48本

Page 4: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

25MAY 2020

No 放送年月日 テクスト名 内容要約 PD

86 1959/8/23 子どもの見た夏休み 親の言いつけでおけいこ事や補習に行く子,子守りをする子,夜店で水風船を売る兄弟,淀川で1日中泳いでいる子……。 BK 荻野

87 1959/8/30 コタンの人たち―日本の少数民族―

多くは農業に従事し,和人と変わらなくなったアイヌの人々。生活のため「観光のまなざし」にも応えるが,日本人として静かに生きたいと言う。 小倉

88 1959/9/6 災害日本 毎年の風水害。平戸,鹿児島の川内,山梨,東京の江戸川をリポートし,機械を入れて防災工事をと訴える。 渡部

89 1959/9/13 のれんと鉢巻 のれんは家族経営的な中小企業,鉢巻は労働運動。中小企業の労働争議は「近代的な労働思想だけでは解決できない」と言う。 瀬川

90 1959/9/20 美人天国 「戦後女性は皆美人になれる」という“定説”のもと,化粧品や整形手術,美人を作る神様までさまざまな美人ビジネスを紹介。 BK鈴木

92 1959/10/4 泥海の町―名古屋市南部の惨状― 

伊勢湾台風襲来の8日後,名古屋市南部を緊急取材。被災者4,000人が暮らす競馬場のスタンドや遺体置き場などをリポート。 吉田

93 1959/10/11 川に映った東京 ダルマ船,バタ屋集落,船上生活者,輸出向けのおもちゃを作る零細工場街,両国の力士,佃の渡し,時代の波に洗われる東京の川筋。 渡部

97 1959/11/15 板ばさみ 「板ばさみ」という視点で,頻発する労働争議,先生の勤評闘争,北朝鮮への帰還運動等を切り分ける。 吉田

99 1959/11/29 奇病のかげに 「これは誰にその責任があるのか,世にも不思議な病気の話です」。漁民の声の録音を多用して水俣病を世に知らしめた一作。 小倉

100 1959/12/6 孤独の島・沖縄 戦禍の跡,巨大米軍基地の成立とそれに依存せざるを得ない人々の暮らし,ラストNAは「何ともやりきれない島なのです」。内容 40 分。 瀬川

101 1959/12/13 台風孤児 伊勢湾台風等で両親を亡くした子どもたちを4ケース取材。NAは淡 と々しているが,子どもの置かれた境遇の厳しさが迫る。映像も良い。 渡部

102 1959/12/20 自衛隊 自衛隊の現状。装備よりも隊員やその家族の想い,「原子力戦争時代」の幹部の戦争観などを伝える。 BK 荻野

103 1959/12/27 もういくつねると―歳末の狂態とその裏側―

「比較的あたたかな庶民のふところぐあいと,手をかえ品をかえて袖をひく商魂」。好況のうちに暮れゆく昭和34 年末の街ルポ。 尾西

104 1960/1/10 土地飢饉 「おととしまで畑と林だけだった武蔵野の奥に忽然と鉄筋アパートが林立し,アメリカ式のスーパーマーケットができました」。 吉田

105 1960/1/17 街の若者たち 「不良化する若者」ルポ。渋谷のヤクザやテキヤの配下から,愚連隊,ロカビリー喫茶に集う女の子たちまで紹介。 瀬川

107 1960/1/31 国境の島・対馬 李承晩ライン,密貿易,密入国,国境の島の緊張を伝えるが,どこか牧歌的な島の様子。分教場では子どもがまだ見ぬ汽車の絵を描く。 渡部

108 1960/2/7 幼き受験生たち―受験にっぽん―

受験勉強にいそしむ小学生,幼児,そしてその親。カメラは子どもが時折見せる子どもらしさ,あどけなさに注目する。 小倉

114 1960/3/27 地方議会 大阪府議会議員の日常をルポ。選挙民へのお世話に忙殺され,議会では東京の省庁から出向してきた部課長に適当にあしらわれる。 BK 荻野

115 1960/4/3 馬 輓馬(ばんば)や農耕馬が激減し,競馬や儀式用以外あまり使い道のなくなった馬の現状を紹介する。 渡部

分類1 分類2 分類3 ニコルズの分類をもとにした区分 分類4 分類5

無声部分無声かつ無音 音声なし

― ― ―無声かつ有音 A音:自然音,物音

C音:音楽(声なし),効果音

有声部分

B音(ロケ現場で得た声)

B1音:自生音(被取材者同士の会話,被取材者の独話)

観察的モード(自生音優越部分)

B1a音:自生音・個の声 α3・4・5音

B1b音:自生音・感触の声 α1・2・6 音,β音,γ音

B2音:インタビュー(取材者と被取材者のやり取り)

参加的モード(インタビュー優越部分)

B2a音:インタビュー・個の声 α3・4・5音

B2b音:インタビュー・感触の声 α1・2・6 音,β音,γ音

D音(編集で付加した声)

D音:ナレーション(作り手によるボイスオーバーのコメント)

説明的モード(ナレーション優越部分)Da音(まれにDb音) α3・4・5音

表 2 TD の音声の分析カテゴリー

Ba音(ロケ現場で得た個の声)は,この表中のB1a音とB2a音を合わせたもの,Bb音(ロケ現場で得た感触の声)は,B1b音とB2b音を合わせたものである。個の声と感触の声の詳しい定義については前稿(宮田2020:18-21)を参照されたい。

AKは東京本部,BKは大阪局を示す。

Page 5: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

26 MAY 2020

3-1 有声部分と無声部分

図1は,前期の各テクストにおける有声部分と無声部分の比率を示したものである。まず指摘したいのは無声部分の多さである。

平均値で見ると前期『素顔』では,無声部分がテクスト尺の48%に達する。テクストのおよそ半分が人の声抜きで成立している。特に

『日本人と次郎長』(58.1.5),『川に映った東京』(59.10.11)などでは無声部分が60%を超える。この時代のTDはテロップもわずかであるから,前期『素顔』の視聴者は,音声にしろ,文字にしろ,言語抜きで映像と接する比率が高かったと言える。現代のTDの無声部分についてまとまったデータはないが,2015 年に放送された『ドキュメント72時間』の5本(この年の視聴者投票でベスト5に選ばれた5本である)の無声部分は平均で31%,「8月ジャーナリズム」と言われる戦争証言モノの『NHKスペシャル 女たちの太平洋戦争~従軍看護婦 激戦地の記録~』(2015.8.13)は28%であ

る(宮田2018:311))。2018 年に放送された『サラメシ』(2018.11.13)の無声部分は13%であった。これらのテクストはテロップも多く含むから,視聴者は言語を媒介にして映像と接する比率が大きい。

なお詳しく見ると,有声部分と無声部分の量は,前期『素顔』において一様ではない。

図1に示した縦線の左側,つまり『素顔』のスタートから59年3月までの時期(以下「第1期」と呼ぶ)では,両者は比較的小さな振れ幅で推移し,どちらかと言えば無声部分のほうが優勢である(平均値で52%)。一方,縦線の右側(59年4月以降,以下「第2期」と呼ぶ)になると,両者はかなり大きな振れ幅を示し,有声部分が無声部分を上回ることが多くなる

(平均値で55%)。第1期に属する21本のテクストで有声部分が60%を超えるテクストは1本もないが,第2期ではそうしたテクストが27本中9本を数える。

図1 有声部分と無声部分

馬地方議会

幼き受験生たち

国境の島・対馬

街の若者たち

土地飢饉

もういくつねると

自衛隊

台風孤児

孤独の島・

沖縄

奇病のかげに

板ばさみ

川に映った東京

泥海の町

美人天国

のれんと鉢巻

災害日本

コタンの人たち

子どもの見た夏休み

モンテンルパへの追憶

隠れキリシタン

市場

右翼

修行

ある玉砕部隊の名簿

観光ブームの裏街道

テキ屋

日本の空

テレビ―

現代のマンモス

産業開発青年隊

職人―

昔を守る人々

よいどれ日本

この人達に愛の手を

警察官

豊作

ボタ山のかげに

アンバランス

村芝居

さいはての地「知床」

ハイティーン

神風登山

ガード下の東京

迷信

青い目の子供達

季節労働者

南の孤島・与論島

春を待つ子供たち

日本人と次郎長

有声部分(平均52%:第1期48%,第2期55%)無声部分(平均48%:第1期52%,第2期45%)

0

20

40

60

80(%)

第1期(57.11~59.3) 第2期(59.4~60.4)

Page 6: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

27MAY 2020

3-2 ナレーション部分,自生音部分,インタビュー部分

次にナレーション部分,自生音部分,インタビュー部分という指標で見てみよう。

図2は,有声部分をナレーションが聞こえる部分(D音部分),自生音が聞こえる部分(B1音部分),またインタビューが聞こえる部分(B2音部分)の3つに分けその推移を示したものである。これらの声は重複することがあるので,図には各テクストにおける重複部分の比率とその推移も記した。重複部分の平均値はテクスト尺の3%である。

図3は,図2に見える声の重複部分を,音量が大きいほうの声のカテゴリーに振り分けた結果を示している。ナレーションが優越する部分の折れ線は,ニコルズの言う説明的モード部分の推移を,自生音が優越する部分の折れ線は観察的モード部分の推移を,インタビューが優越する部分の折れ線は参加的モード部分の

推移を示している。図2に示した重複部分の大半は,自生音がナレーションによってボイスオーバーされている部分である。図2において,平均でテクスト尺の9%を占めた自生音部分は,そのおよそ3分の1がナレーションによってボイスオーバーされているため,図3における自生音優越部分(観察的モード部分)の平均値はテクスト尺の6%に下がった。

3つのモードの推移を示した図3から明らかなのは,前期『素顔』の有声部分では,説明的モードがメインモードであることである。第1期,第2期を通した平均値で見るとテクスト尺の42%(有声部分の81%)がナレーション部分によって占められている。声を持つ作り手が声を持たない被写体をナレーションによって意味づけていく制作技法である。

これに対してロケ現場で被取材者の声に耳を澄ます観察的モード,インタビューを行って被取材者と声のやり取りをする参加的モードは

図2 有声部分の構成

馬地方議会幼き受験生たち国境の島・対馬街の若者たち土地飢饉もういくつねると自衛隊台風孤児孤独の島・沖縄奇病のかげに板ばさみ川に映った東京泥海の町美人天国のれんと鉢巻災害日本コタンの人たち子どもの見た夏休みモンテンルパへの追憶隠れキリシタン市場右翼修行ある玉砕部隊の名簿観光ブームの裏街道テキ屋日本の空テレビー現代のマンモス産業開発青年隊職人ー昔を守る人々よいどれ日本この人たちに愛の手を警察官豊作ボタ山のかげにアンバランス村芝居さいはての地「知床」ハイティーン※神風登山ガード下の東京迷信青い目の子どもたち季節労働者南の孤島・与論島春を待つ子どもたち※日本人と次郎長

ナレーション部分(平均42%)自生音部分(平均9%)インタビュー部分(平均4%)重複部分(平均3%)

(%)

第1期(57.11~59.3) 第2期(59.4~60.4)

馬地方議会

幼き受験生たち

国境の島・対馬

街の若者たち

土地飢饉

もういくつねると

自衛隊

台風孤児

孤独の島・

沖縄

奇病のかげに

板ばさみ

川に映った東京

泥海の町

美人天国

のれんと鉢巻

災害日本

コタンの人たち

子どもの見た夏休み

モンテンルパへの追憶

隠れキリシタン

市場

右翼

修行

ある玉砕部隊の名簿

観光ブームの裏街道

テキ屋

日本の空

テレビ―

現代のマンモス

産業開発青年隊

職人―

昔を守る人々

よいどれ日本

この人達に愛の手を

警察官

豊作

ボタ山のかげに

アンバランス

村芝居

さいはての地「知床」

ハイティーン

神風登山

ガード下の東京

迷信

青い目の子供達

季節労働者

南の孤島・与論島

春を待つ子供たち

日本人と次郎長

0

10

20

30

40

50

60

Page 7: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

28 MAY 2020

いずれもサブモードとして位置づけられる。第1期,第2期を通した平均値で見るとテクスト尺の10%(有声部分の19%)がこの2つのモードで占められている。ただし,その現れ方は第1期と第2期でかなり異なる。第1期では,サブモードとして観察的モードが顕著であるが,第2期では参加的モードが伸長し,テクストによっては観察的モードを大きく上回る。

第1期においてロケ現場で収録する声のほとんどは自生音であった。インタビューは低調で,まったくインタビューを行わないテクストが21本中18本に達する。しかし,第2期になると27本のテクスト中17本でインタビューが行われている。第2期の制作技法は,インタビューの伸長を震源として大きく揺れ動いている。

インタビュー優越部分がテクスト尺の10%を初めて超えたのは,59年5月31日に放送された『ある玉砕部隊の名簿』(PD吉田直哉,イン

タビュー優越部分11%)であった。このあと,7月5日放送の『右翼』(PD尾西清重,24%),8月16日放送の『モンテンルパへの追憶』(PD尾西清重,18%),8月23日放送の『子どもの見た夏休み』(PD荻野吉和,33%)と,インタビューを多用したテクストが続出する。一方で反動も見られた。8月9日に放送された『隠れキリシタン』(PD吉田直哉)はロケ現場の声(B音)がテクスト尺の24%に達するが,それらはすべて自生音(B1音)であり,インタビュー(B2音)はゼロである。59年5~8月の『素顔』の展開は,インタビューの勃興とそれに対する反動が相まって疾風怒濤の感がある。第6節で別途言及するが,この時期こそ「素顔論争」で羽仁進が『素顔』の変質を指摘した時期である。

インタビューの多用は秋になるといったん下火になる。10月11日に放送された『川に映った東京』(PD渡部和)では自生音,インタビュー

図3 説明的モード,観察的モード,参加的モード

馬地方議会幼き受験生たち国境の島・対馬街の若者たち土地飢饉もういくつねると自衛隊台風孤児孤独の島・沖縄奇病のかげに板ばさみ川に映った東京泥海の町美人天国のれんと鉢巻災害日本コタンの人たち子どもの見た夏休みモンテンルパへの追憶隠れキリシタン市場右翼修行ある玉砕部隊の名簿観光ブームの裏街道テキ屋日本の空テレビー現代のマンモス産業開発青年隊職人ー昔を守る人々よいどれ日本この人たちに愛の手を警察官豊作ボタ山のかげにアンバランス村芝居さいはての地「知床」ハイティーン※神風登山ガード下の東京迷信青い目の子どもたち季節労働者南の孤島・与論島春を待つ子どもたち※日本人と次郎長

説明的モード部分(平均42%:第1期40%,第2期43%)観察的モード部分(平均6%:第1期7%,第2期6%)参加的モード部分(平均4%:第1期1%,第2期7%)(%)

第1期 第2期

馬地方議会

幼き受験生たち

国境の島・対馬

街の若者たち

土地飢饉

もういくつねると

自衛隊

台風孤児

孤独の島・

沖縄

奇病のかげに

板ばさみ

川に映った東京

泥海の町

美人天国

のれんと鉢巻

災害日本

コタンの人たち

子どもの見た夏休み

モンテンルパへの追憶

隠れキリシタン

市場

右翼

修行

ある玉砕部隊の名簿

観光ブームの裏街道

テキ屋

日本の空

テレビ―現代のマンモス

産業開発青年隊

職人―

昔を守る人々

よいどれ日本

この人達に愛の手を

警察官

豊作

ボタ山のかげに

アンバランス

村芝居

さいはての地「知床」

ハイティーン

神風登山

ガード下の東京

迷信

青い目の子供達

季節労働者

南の孤島・与論島

春を待つ子供たち

日本人と次郎長

0

10

20

30

40

50

60

②③

Page 8: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

29MAY 2020

ともにゼロであり,無声部分が前期『素顔』で最高となる64%に達している。しかし,59年11月29日放送の『奇病のかげに』でインタビュー部分は再び10%を超えた(PD小倉一郎,14%)。続いて59年12月13日放送の『台風孤児』(PD渡部和,12%),60年1月17日放送の

『街の若者たち』(PD瀬川昌昭,16%)の2本が10%を超えている。第2期が終わる59年度の年度末までに当時の『素顔』のレギュラー制作者だった吉田,尾西,荻野,小倉,渡部,瀬川の6人がいずれも本格的にインタビューを用いて『素顔』を作ったことになる。第2期においてインタビューが大きく伸長したことは平均値からも言える。テクストに占めるインタビュー優越部分(参加的モード)の比率は,第1期が平均1%なのに対し第2期は7%である。

ここでなぜ第1期の『素顔』にはインタビューがわずかしかなかったのか,また,なぜそれが第2期においてにわかに多用されるようになったのか,ということについて考察しておきたい。インタビューは放送の世界ではありふれた技法である。スタジオでアナウンサーが出演者にインタビューするのはラジオ・テレビ番組の最も基本的な技法の一つであろう。『素顔』のPDのほぼ全員がその制作経験者だったラジオの録音構成番組でも,インタビューは頻繁に用いられている。このことを考えると第1期においてほとんどインタビューが行われていないのはいささか奇妙である。

インタビューは1950年代の日本の記録映画ではあまり行われない技法であった。

映画研究家の村山匡一郎は,日本で1930年代に始まり60年代まで続いた文化映画,記録映画は「劇映画の製作のありかたを模倣して

展開されてきた」のであり,そこでは画面内の世界に作り手が関与したことを示す技法は避けられてきたと言う(村山2006:22)。

劇映画にはその作り手がいることは皆知っている。しかし,その画面に作り手が現れたり,画面から作り手の声が聞こえたりすることはまずない。劇(ドラマ)の世界は作り手や観客がいる現実世界から切り離された世界だからである。作り手の姿が見えたり,声が聞こえたりしたら現実世界と地続きになってしまい,せっかく練り上げたフィクション世界は台なしになってしまう。劇映画の製作では,劇中の世界に作り手が関与した痕跡があってはならない。セットの裏に立てかけてあるモップが画面の隅に映ってはならないのである。画面の中に映し出された世界は,現実世界に対して閉じたもの,完結したものでなければならない。

村山が言うように,日本の記録映画はこの劇映画の技法をまねて展開したから,記録映画の作り手は画面の中の世界に作り手が関与した痕跡を嫌った。記録映画,文化映画の作り手たちが NHKに入って制作したテレビジョン映画も同様である。テレビジョン映画の名作として知られる『山の分校の記録』(1959,60)にはインタビューがほとんど見られない 2)。ナレーションは別次元の声(神の声)として許せる。しかし,画面の中の人物に作り手が問いかけるインタビューはその世界の完結性を壊してしまう。画面の中からナレーション以外の声が聞こえるとしたら,それは作り手の関与なしに発生する自生音でなければならない。

筆者は『素顔』にも,作り手の痕跡を見せまいとする劇映画および記録映画製作の慣習が流れ込んでいたと考える。この慣習が『素顔』におけるインタビューの使用をブロックしてい

Page 9: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

30 MAY 2020

たのではないだろうか。ラジオ出身のNHKのPDたちは勝手のわからない映像の世界で,さしあたり記録映画,テレビジョン映画の作法に従ったのではないだろうか。反対に59年4月以降(第2期)におけるインタビューの伸長は,TD制作に慣れてきたNHKのPDたちが記録映画,テレビジョン映画の慣習からある程度自由になったからだと考える。

3-3 個の声と感触の声

図4は,ロケ現場で得られる声(B音)のうち,証言性の高い個の声(Ba音)と,証言性に乏しい感触の声(Bb音)が各テクストに占める比率の推移を示している。この図から第1期ではBb音(感触の声)が,第2期ではBa音(個の声)が優勢であることがわかる。平均値で言うとBb音は第1期の8%が第2期には6%と微減するが,Ba音は第1期の2%が第2期には10%と大幅に増える。

ロケ現場で得た個の声(Ba音)が増したことによって,第2期の『素顔』は物事を証拠立てる能力(論証能力)を増した可能性がある。

第1期では,ロケ現場の声はガヤや歌声などのBb音が多い。そのほとんどは自生音(B1b音)として出現しており,そのおよそ3分の1は,ナレーションによってボイスオーバーされている

(図2の「重複部分」)。物事を証拠立てる証言の役割というより,映像が指し示す「その時その場」の感触(質感,肌

き め

理,手触り,雰囲気,空気感……)を表現するBGMのような役割を果たしていると言えよう。

一方,第2期ではインタビューの大幅な伸長に伴って,証言性の高いBa音が多く出現している。第1期に顕著であったBb音は第2期においても一定の存在感を持つが,多くのテクストでBa音がそれを上回る。Ba音の場合,ナレーションによってボイスオーバーされることはほとんどない。第2期のテクストの作り手は,

図4 ロケ現場における個の声(Ba音)と感触の声(Bb音)

馬地方議会幼き受験生たち国境の島・対馬街の若者たち土地飢饉もういくつねると自衛隊台風孤児孤独の島・沖縄奇病のかげに板ばさみ川に映った東京泥海の町美人天国のれんと鉢巻災害日本コタンの人たち子どもの見た夏休みモンテンルパへの追憶隠れキリシタン市場右翼修行ある玉砕部隊の名簿観光ブームの裏街道テキ屋日本の空テレビー現代のマンモス産業開発青年隊職人ー昔を守る人々よいどれ日本この人たちに愛の手を警察官豊作ボタ山のかげにアンバランス村芝居さいはての地「知床」ハイティーン※神風登山ガード下の東京迷信青い目の子どもたち季節労働者南の孤島・与論島春を待つ子どもたち※日本人と次郎長

Ba音部分(平均6%:第1期2%,第2期10%)Bb音部分(平均7%:第1期8%,第2期6%)

(%)

第1期 第2期

馬地方議会

幼き受験生たち

国境の島・対馬

街の若者たち

土地飢饉

もういくつねると

自衛隊

台風孤児

孤独の島・

沖縄

奇病のかげに

板ばさみ

川に映った東京

泥海の町

美人天国

のれんと鉢巻

災害日本

コタンの人たち

子どもの見た夏休み

モンテンルパへの追憶

隠れキリシタン

市場

右翼

修行

ある玉砕部隊の名簿

観光ブームの裏街道

テキ屋

日本の空

テレビ―

現代のマンモス

産業開発青年隊

職人―

昔を守る人々

よいどれ日本

この人達に愛の手を

警察官

豊作

ボタ山のかげに

アンバランス

村芝居

さいはての地「知床」

ハイティーン

神風登山

ガード下の東京

迷信

青い目の子供達

季節労働者

南の孤島・与論島

春を待つ子供たち

日本人と次郎長

0

10

20

30

40

Page 10: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

31MAY 2020

被取材者の声を論拠としながら自らの議論を進めることができる。ナレーション(作り手の個の声)と被取材者の個の声を併用することで,第2期のテクストは第1期より論証的になりうる。

3-4 小括

量的分析から得られた前期『素顔』の制作技法についての知見を4つにまとめておく。

第1の知見は,無声部分が多いことである。前期『素顔』では48%とテクストのおよそ半分に及ぶ。これは現代のTDに比べるとかなり多いと考えられる。ただし59年3月までの時期(第1期)では無声部分(52%)が有声部分

(48%)を上回るのに対し,59年4月以降の時期(第2期)では,有声部分(55%)が無声部分(45%)を上回るようになる。

第2の知見は,有声部分において説明的モードが主要な制作技法(メインモード)となっていることである。これに対してロケ現場での自生音に耳を澄ます観察的モードと,インタビューを行う参加的モードはサブモードとして位置づけられる。観察的モードは第1期で顕著であるが,第2期になると参加的モードが大きく伸び,観察的モードを上回る存在感を示す。

第3の知見は,第2期の制作技法が激しく揺れ動いていること,その中でインタビューの使用(参加的モード)が大きく伸びていることである。『素顔』の作り手たちのほとんどはラジオの録音構成の制作経験を通じてインタビューに慣れ親しんでいたが,第1期ではインタビューはほとんど用いられていない。しかし第2期になって,『素顔』の作り手たちはインタビューをいわば思い出している。筆者はこの現

象を,この時期の『素顔』がインタビューに消極的な記録映画の製作慣習を脱し,TDとして自立していったことの表れと考える。

第 4の知見は,第2期の『素顔』が第1期の『素顔』に比べて論証能力を増した可能性があることである。第1期のテクストでは,被取材者の声が証言性に乏しいために,これを作り手が展開する議論の根拠とはしにくい。しかし第2期になると,インタビューの増加とともに,証言性の高い被取材者の声(被取材者の個の声)が多く出現している。作り手は,被取材者の個の声とナレーション(作り手の個の声)を併用することで,自らの議論をより論証的に展開することができるようになっている。

4. 個別テクストの分析

図3上に記した①~⑧の番号は,前期『素顔』の制作技法の特徴をよく表すと考えられるテクストを8本選んで,その位置を示したものである。『素顔』が論じられる際に頻繁に言及される『日本人と次郎長』『奇病のかげに』の2本に加えて,量的分析で特徴的な数値を示したテクストを6本選んだ。この節では,これら8本のテクストについて量的分析で得た数値を示すとともに,映像内容やナレーション内容など数値化しにくいものにも言及しながら個別に分析していく。※以下の文中でm7,mm.8-11などとあるのは,言及さ

れている部分が,それぞれのテクストにおいて放送スタート後7分台(minute7),あるいは放送スタート後8分台から11分台(minute8-minute11)に位置するということを示している。ある書籍からの引用部分が7ページに位置するのをp7と表記し,8ページから11ページにわたって位置するのをpp.8-11と表記するのと同じである。

Page 11: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

32 MAY 2020

4-1 第 1 期のテクスト

第1期において特徴的な制作技法を示すテクストとして,『日本人と次郎長』『南の孤島・与論島』『村芝居』の3本を取り上げる。

4-1-1 『日本人と次郎長』(58 年 1月 5 日放送,PD 吉田直哉)

『素顔』第8集として制作されたこのテクストは,『日本の素顔』というテレビ番組の名を多くの人に知らしめた初期のヒット作である。PDを務めた吉田直哉によれば,「放送翌日には見てない人も見たふりする 3)」話題作となり,番組を早期打ち切りの危機から救ったという(吉田2003:36)。

内容は,表1に記したように,都内の博徒一家を主な取材対象としたものである。入れ墨,親分・子分の固めの盃,賭博の現場,抗争後の手打ちの儀式等,ヤクザ社会の姿が映像で鮮烈に示されるとともに,それらを真っ向から非難するナレーションが聞こえてくる。

表3は『日本人と次郎長』(以下『次郎長』と記す)の制作技法について量的分析から得たスコアを示したものである。

スコアから二つのことがわかる。一つは無声部分が『素顔』のテクストの中でも顕著に多いことである。61%という数字は,第1期の中で

は最多であり,第2期まで合わせても2番目に多い(1位は『川に映った東京』(59.10.11)の64%)。もう一つは有声部分がほぼナレーション部分(説明的モード部分)で占められていることである。有声部分の92%がナレーション部分である。

無声部分は,映像を主たる構成要素とする部分である。中でも印象が強いのは生々しい身体的な感触が伝わる映像である。二人の親分が立ち上がって,背中一面に彫った入れ墨をふんどし姿で披露する映像(m7),若者の肌にまさに墨が入れられている映像(mm.8-11),賭博場で参加者のギラギラした視線とともに札束が動く映像(mm.18-21),といった映像が次 と々繰り出される。いずれもナレーションなしで「もつ」映像である。

それでも,PDの吉田直哉はナレーションを用いて,映像を言語で意味づけていく。「肉体を蝕む,という言葉をそのまま絵にしたような,この光景をご覧ください。これが近代国家の装いを凝らした1958 年の日本の素顔の一面なのです」(mm.8-9,若者が入れ墨を入れられている映像に付加して)。「法を無視して行われるこの博打も,日本の夜の素顔の一面です」(m20,サイコロ博打で参加者が賭金を積む映像に付加して)。テクストの最後はこう

無声部分 有声部分 説明的モード部分

観察的モード部分

参加的モード部分 Ba音部分 Bb音部分

『日本人と次郎長』 61 39 36 3 0 3 0

第1期平均 52 48 40 7 1 2 8

第2期平均 45 55 43 6 7 10 6

表 3 『日本人と次郎長』(58.1.5)のスコア数字はテクスト尺に占める比率(%)

Page 12: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

33MAY 2020

締めくくられている,「ヤクザの世界は,近代的な装いを凝らした日本の,歪んだ本当の姿を代表していると言ってよいでしょう。1958 年も,日本は,この歪んだ姿のままで年を送るのでしょうか」(mm.28-29)。『次郎長』において,被取材者は,尊重す

べき深みを持った固有の人格としては扱われていない。被取材者は「ヤクザ」と一くくりにされて,「こんな日本でよいのか」と訴える吉田の議論の素材となっている。目の前に展開する個々別々の現実を特定の社会問題の現れとして捉え,それについて議論を展開するという意味で,このテクストは『社会の窓』や『時の動き』といった録音構成の社会番組の伝統を引き継いでいる。議論をリードするのは圧倒的に吉田のナレーションであり,被取材者であるヤクザはほとんど声を持たない。声を持たない被写体を,声を持つ作り手がナレーションで意味づけていく説明的モードが,有声部のほぼ全体を覆っている。ナレーションの内容は被取材者に対してはっきり否定的である。「近代国家」や

「法」といった規範に依拠して,ヤクザとその世界を強く非難している。 

映像に映っているものをナレーションで非難する。これは『素顔』の最初期に現れて一定の成功を収めた一つの制作技法であった。文献資料を見ると,この技法が記録映画・テレビジョン映画の作り手たちにとっては「新しい」ものであったことがわかる。

映画の世界でキャリアを積んだのち,NHK最初のフィルム編集マンとして1953年に入局した佐々木収造は,『素顔』が「今までの映画になかった新しいジャンル」を切り拓いたと言っている。佐々木によれば,ニュース映画や文化映画の製作では「常に画面で構成してその出来

事を見せる」ことが重要で,コメント(ナレーション)は「画を助ける意味で付けていくことが大事」であった(NHK総合放送文化研究所番組研究部編1978 4))。佐々木のような映画人にとっては映像が本文であり,ナレーションはその注釈(commentary)なのである。しかし『素顔』の作り手たちは,ナレーションが本文で,映像はその注釈(挿絵)であるという,映画人とは真逆の発想を持ち込んだ。佐々木は言っている,「『素顔』なんかを始めた方はラジオから入ってきた人たちで,やはり語りで見せようとする発想があるわけですね」。

言語(作り手のナレーション)は映像(被写体)の注釈であるべきだと考える佐々木たちの制作姿勢からは,被写体をナレーションで非難するという発想は生まれにくい。映像が非言語的に示そうとしていることを,言語は少しだけ補足してやればよい,佐々木たちはそう考えている。

しかし,吉田直哉をはじめとしたラジオ出身者たちは違った。彼らは録音構成の制作を通して,ナレーションを「神の声」として用いることに習熟していた。新たに開けた視覚的世界,驚くほど豊かな非言語的な感触をもたらす映像世界を扱い始めた彼らが最初に編み出したのは,その世界を「神の声」を装った自らの言語で組み伏せようとする技法であった。『次郎長』に顕著なのはこの技法である。『次郎長』では,ヤクザ世界を映した映像と,

それを真っ向から非難するナレーションがぶつかり合うことで,両者がより際立っている。映像とナレーションの対位法的な使用がなされ,おそらく作り手が意図することなく,その効果が上がっているのである。このテクストがヒットしたのは,TDというものがまだ世の中に知ら

Page 13: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

34 MAY 2020

れておらず,被取材者に警戒感が薄かった時代だからこそ撮影できたヤクザ世界の映像が,それを真っ向から非難するナレーションによってより際立ったからであろう。『素顔』の作り手たちの言語(ナレーション)

重視を指摘したあと,佐々木は「それがいわばよかった」と続けている。「ぼくらも逆にそういうものを見て感動するというようなことですね,ですから新しいわけです」。

4-1-2 『南の孤島・与論島』(58年3月23日放送,PD吉田直哉,斎藤栄作)

1953 年に本土復帰した奄美諸島の南端(つまり当時の日本の南端),与論島に取材したテクストである。辺境の「孤島」の現状を「中央」から来た者の目で紹介している。制作技法的にはBb音(ロケ現場で得られた感触の声)が多用されているところに特徴がある。

量的分析から得たスコアは表4のようになる。『南の孤島・与論島』(以下『与論島』と記す)

の無声部分は第1期では最も少ない(42%)。逆に有声部分が第1期で最も多いテクストである(58%)。テクスト尺の44%を占めるナレーションに加えて有声部分を押し上げているのは,テクスト尺の20%に達するBb音である。その

多くは与論の人々が歌う島唄である。ソテツの実からとった澱粉をきねで搗

く作業に合わせて歌われる「味噌搗き歌」(mm.5-7),豊年を祈る踊りに合わせて歌われる「ぬしどり」

(mm.17-18),やはり集団的な踊りに合わせて歌われる「六十節」(mm.19-20),若い男女が集まり,意中の人への想いを三線に合わせて歌い交わす夜

遊ゆう

の声(mm.21-22),与論の人々が歴史の中で培ってきた集団的な歌声は魅力的である。

しかし,このテクストは与論の島唄の魅力を味わうことに主眼を置いているわけではない。歌声は,歌の途中だというのに吉田たちのナレーションに何度もボイスオーバーされて音量を下げられている。Bb音20%のうち,およそ3分の1にあたる7%がナレーションによってボイスオーバーされ,もとの歌声が優越する部分(観察的モード部分)はテクスト尺の13%まで縮減されている。そのナレーションの内容は「冬の間,この島には全然季節感というものがありません」(m6,「味噌搗き歌」に付加して)といったもので,歌声を味わうためのものではない。ナレーションは,歌声をBGMとはするが,それに引きずられることなく自分の言いたいことを言っているのである。

ナレーションを用いて,吉田たちは近代主義

無声部分 有声部分 説明的モード部分

観察的モード部分

参加的モード部分 Ba音部分 Bb音部分

『南の孤島・与論島』 42 58 44 13 0 0 20

第1期平均 52 48 40 7 1 2 8

第2期平均 45 55 43 6 7 10 6

表 4 『南の孤島・与論島』(58.3.23)のスコア数字はテクスト尺に占める比率(%)

Page 14: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

35MAY 2020

の立場からこの島の「後進性」を憂えている。たとえば,島には水道がなく,水汲みが女

性たちの日課になっていることを吉田たちは憂う。「6,7 貫目はある水がめを頭にのせて,滑る坂道をのぼって行きます。これが離れ島に生まれたばかりに毎日続けられる婦人の日課なのです」(m6)。また,島には満足な学校教育がないと憂う。「教育施設にまったく恵まれぬこの島では,(NHKラジオの)学校放送が中央とのつながりをつけるただ一つの公平な架け橋なのです」(m12,( )内は筆者の加筆)。さらに,島にハシケより大きな船が着岸できる港がないことを憂う。「貧しいのも,島の産物を思うように出荷できないのも,みな,この港がない,船が来ないということから来ているのです」(m27)。テクストの最後はこう締めくくられる。「こうして,南の国境与論島は,4年前にやっと復帰して,同じ日本国土となりながら,今ではまったく忘れられた明け暮れを送っているのです」(m29)。『次郎長』と同様,このテクストでも被取材

者は尊重すべき深みを伴う固有の人格を持った存在ではない。「孤島」の住民として一からげに捉えられる存在である。多用されている島唄はテクストにエキゾチックな感触を供給している。しかし,吉田たちが感触の世界にひたることはない。むしろ個々の場所や人や時間に宿る感触を,自分たちの近代主義的な言語(ナレーション)のもとに統合しようとしている。

目の前に展開する個々別々の現実を,言語によって社会問題として抽象化し,議論を展開すること自体は一概に批判されるべきではない。ただその抽象化や議論には,しかるべき根拠(論拠)が必要である。『次郎長』やこの

『与論島』で吉田たちが根拠としたのは,50 年

代末の日本に存在していた近代主義的なイデオロギーであった 5)。前稿で見たように,「テレビ・ドキュメンタリーとは何か」で吉田は,記録映画のイデオロギー先行を批判したが,吉田自身のテクストもまたイデオロギーに依拠していると言わねばならない。このイデオロギー

(近代主義)を信奉する者には,吉田たちのナレーションは説得的であったかもしれない。しかし,信奉しない者にはそうではない。『次郎長』や『与論島』は,作り手の議論の

裏づけとなる実証的な根拠に乏しい。借り物のイデオロギーではなく,作り手自身が発掘した根拠に不足している。全然ないわけではない。

『与論島』の映像はある程度,ナレーションが言う島の貧しさや「後進性」の証拠となっている。水道がないので湧き水を汲みに来る女性たちや,港がないので沖の船からハシケに乗って島に上陸する人々の姿が映像で捉えられている。ただ,島民たちがそのことをどう思っていたかは本人たちの言語がないのでわからない。水汲み場で世間話をしている女性たちの声が,わずかにガヤとして聞こえるが,その声には案外楽しそうな響きがある。ハシケを使うのも島民は特に不便とは考えていなかったかもしれない。『与論島』で吉田たちが展開している近代主

義的な議論は,たとえば,水道がないこと,港がないことの不便を訴える島民自身の声があれば,もっと説得力を持てただろう。しかし吉田たちは島民の証言を用いて自らの議論を論証的にしようとは考えない。ロケ現場で得た個の声(Ba音)がゼロという中では,いかにナレーションが「神の声」であっても,テクストは

「中央」から来た旅行者の一方的な感慨の吐露という域を出にくい。

Page 15: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

36 MAY 2020

4-1-3 『村芝居』(58 年 8 月 24 日放送,PD 渡部和)

農村を回る村芝居一座を描いたテクストである。いかにも前近代的な題材ながら,作り手はこれを社会問題としては捉えない。むしろ村芝居の役者たちや芝居を楽しむ農村の人々に寄り添うように描いているのが特徴である。

量的分析から得たスコアは表5のようになる。このテクストの観察的モード部分(自生音優

越部分)は17%と第1期において最も多い。感触を伝えるBb音が多く(21%),証言性の高いBa音には乏しい(2%)こと,また参加的モード部分(インタビュー優越部分)がゼロであることなど,全体的な数値は『与論島』に似ている。しかし,作り手が被写体に向けるまなざしは大きく異なっている。

テクストはこんなナレーションで始まる。「ここは利根川べり,茨城県のある農村です。遠くから聞こえる村芝居のふれ太鼓が稲穂に響きわたると,久しぶりに芝居が来たと村の人々は珍しそうに集まってきます」(mm.0-1)。「牛が引く車の上には,お姫様や殿様たちが仕事着のままの村人たちに,今晩の芝居にどうぞおいでくださいと,愛嬌を振りまきます」(mm.1-2)。続いて一座の座長らしき男の声が聞こえる。「本日よりご当地,2日間の開演でございます。えー初日,お目見え狂言といたしまして皆様方にご

覧にいれますは,時代人情剣劇,おけさやくざ,おけさやくざ」(m2)。この声がこのテクスト唯一のBa音(ロケ現場で得た個の声)である。

渡部は村芝居とそれに関わる人 を々社会問題とは見ていない。渡部が重点を置いているのは,村芝居を都会のインテリの価値観に照らして論じることではなく,村芝居という営みに関わる,場所や人や時間の感触を表現することである。映像やBb音が放つ個別の非言語的な感触を,自らが語る普遍的言語のもとに統合するためというより,そうした感触をより豊かに表現するためにこそ渡部は言語(ナレーション)を用いている。

たとえば,開演前の役者たちの食事風景を映しながら,ナレーションは役者たちがこの道に入った理由を次のように語る。「芝居が好きで,毎日小屋に通っているうちに自分も役者になってしまったというような人や,二枚目に憧れて結婚してしまって,どさ回りをしているうちに,自分も働こうと舞台に立ったというおかみさんもよくあるそうです」(mm.10-11)。こうしたナレーションによって,映像で示される役者たちの顔つきや仕草はより味わい深くなっている。テクスト中盤,開演間近の客席を映した映像には,農家のおばあさんたちを中心に芝居見物の高揚感を隠せない顔があふれている。

無声部分 有声部分 説明的モード部分

観察的モード部分

参加的モード部分 Ba音部分 Bb音部分

『村芝居』 46 54 37 17 0 2 21

第1期平均 52 48 40 7 1 2 8

第2期平均 45 55 43 6 7 10 6

表 5 『村芝居』(58.8.24)のスコア数字はテクスト尺に占める比率(%)

Page 16: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

37MAY 2020

この映像に渡部はこんなナレーションを付加する。「座布団を持って来ない者は,新聞紙を二つに折って,その上に座るのが芝居見物の習慣,早速,持参の果物やお菓子をほおばります」(m16)。村芝居の客席が映像で見えている以上に見えてくる。

予告されていた時代人情剣劇「おけさやくざ」が始まるのはテクストで19 分台,ここから

「新舞踊」と呼ばれる踊りまで見せて,幕が下りるのは26 分ごろである。この時間帯に,俳優のセリフ(他者に成り代わった声:α2 音)や,レコードで流される美空ひばりや三橋美智也の歌声(生歌でない歌声:β3音)などのBb音が集中する。50 年代末の村芝居の演目内容,観客席まで含めた空気感が映像とBb音でよくわかる。吉田たちと同様,渡部もBb音にナレーションでボイスオーバーするが,その頻度は吉田たちより少ない。『与論島』では,Bb音20%のうち7%がナレーションによってボイスオーバーされていたが,『村芝居』ではBb音21%のうちボイスオーバーされているのは4%である。『次郎長』や『与論島』と同様,このテクス

トもBa音(ロケ現場で得た個の声)はわずかであり,言語的な論証性には乏しい。しかし,渡部はそもそもあまり言語的な論証を必要としていない。言語を用いて個別の現実を抽象化するというより,非言語的な感触を大事にしながら,個別の現実を個別のまま表現しようとしているからである。この技法は,映像を本文とし,ナレーションをその注釈とした佐々木収造ら映画出身の作り手たちの技法と重なっている。端的に言えば渡部は論じていない。したがって論証は不要なのである。

渡部和は『素顔』のPDとしては珍しく,『素

顔』以前にテレビ番組制作の経験があった 6)。映画出身のカメラマンや編集マンとのつながりも,ラジオだけで育ったPDたちより深かったと思われる。『素顔』にはその初期から参加し,60 年 4月までに18 本のテクストを制作した。間違いなく前期『素顔』を支えた重要なPDの一人である。『市場』(59.7.12),『川に映った東京』(59.10.11),『台風孤児』(59.12.13),『国境の島・対馬』(60.1.31)といったテクストでは

『村芝居』と同じく,映像を本文とし,ナレーションを注釈とする技法が用いられ,社会の片隅に生きる庶民の感触を伝えて秀逸である。

『素顔』にはこうした作り手,こうした技法も存在していたことを強調しておきたい。

4-2 第 2 期のテクスト

第2期において特徴的な制作技法を示すテクストとして,『ある玉砕部隊の名簿』『右翼』『隠れキリシタン』『子どもの見た夏休み』『奇病のかげに』の5本を取り上げる。

4-2-1 『ある玉砕部隊の名簿』(59 年 5 月 31日放送,PD 吉田直哉)

第2期の始まりとなるテクストは『テキ屋』(59.4.26,PD吉田直哉)である。このテクストには,B音(ロケ現場の声)がテクスト尺の35%とそれまでになく大量に含まれている(図2 参照)。そのほとんどが縁日での啖

たん

呵か

売ばい

の声など,自生音として収録されたテキ屋たちの声で,そのおよそ3分の2は言語として聞き取れるBa音(ロケ現場で得た個の声)である(図4参照)。しかし,吉田はテキ屋たちの声を,自分の議論を支える言語的な証拠(証言)としては用いていない。与論の人々の島唄と同じように,「その時その場」の感触を表現する一種の

Page 17: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

38 MAY 2020

BGMとして用いている。インタビューはゼロである。

その吉田が『テキ屋』の次に制作したのが『ある玉砕部隊の名簿』であった。このテクストは下記の3点において第1期に吉田が制作した『次郎長』や『与論島』とは大きく異なっている。

第一にこのテクストの主な取材対象は,フィリピンのレイテ島で玉砕したとされる部隊の遺族である。被写体は「異常民」でも「下層民」でもない。戦争の傷痕を抱えながらも「常民」として市井に生きる人々である。吉田は厚生省未帰還調査部に保管されていた名簿を手がかりにして,戦後14年目の日本に暮らす遺族を一軒一軒訪ね歩いている。

第二にこのテクストにおいて吉田はインタビューを本格的に用いている。9 件の遺族を訪ね,うち5件についてインタビューを行っている。インタビュイーとなったのは戦死者の母親や妻,遺児,および戦死したとされていた兵士本人である。

第三に,このテクストにおいて吉田は実証的である。これまでのように近代主義的なイデオロギーから現実を論じるのではなく,戦争がどのようなものであったのか,夫や息子を亡くした人々が今どう暮らしているのか,そのことを

インタビューで問い,彼ら・彼女らが語る証言を踏まえてナレーションを付加している。

量的分析から得たスコアは表6のようになる。このテクストにおいて参加的モード部分(イ

ンタビュー優越部分)は,『素顔』史上初めて10%を超えた。インタビューで得た声はすべてBa音(個の声)である。このテクストにおいて吉田は,被取材者の声を自分のナレーションのBGMではなく,一言一言傾聴すべき証言として扱っている。「6人も行ってまあ,1人はもう仕方がないと

思った。出た年に死んでるんですよ。志願して行ったんですから。まだもう1年,年があるのに自分でついて行っちゃったんですから」(息子を亡くした母,m11)「それはねそうですね,一町ぐらいの山で

しょうね,死人の。ほんで下のほうから,まだいくらか息のある人がね,あの水をくれ,水くれなんて…」(生還した兵士,m16)

インタビュー部分は合計3分18 秒で,テクスト全体から見ればまだ多いとは言えない。9 件訪ねたうちの4件については「○○さんはこう言っていました」と吉田がナレーションで代弁している。しかしこのテクストが,戦死者の遺族を訪ね,その声を聞くことを軸にして議論を進行させていることは間違いない。インタビュ

無声部分 有声部分 説明的モード部分

観察的モード部分

参加的モード部分 Ba音部分 Bb音部分

『ある玉砕部隊の名簿』 44 56 45 1 11 11 1

第1期平均 52 48 40 7 1 2 8

第2期平均 45 55 43 6 7 10 6

表 6 『ある玉砕部隊の名簿』(59.5.31)のスコア数字はテクスト尺に占める比率(%)

Page 18: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

39MAY 2020

イーたちは,テクストの素材であるとともに,それぞれに尊重すべき深みを持った固有の人格として扱われている。『次郎長』や『与論島』で顕著だった吉田一

流の近代主義はこのテクストでは見られない。テクストを締めくくるラストナレーションは次のようである。「悪夢のようなあの戦場の砲声は,こうしてたくさんの人々の人生を苦難に彩られたものと変えました。南の果ての,日本には何の縁もなかったレイテという島の名が,何十万という日本人にとって,それからの人生を大きく捻じ曲げる運命的なものとなったのです。レイテという糸で綴られた,一冊の名簿の古ぼけたページから繰り広げられた日本人の生活。未帰還調査部の,あの無数の書類の影には,どんなにたくさんの苦難に満ちた人生が秘められていることでしょうか」(mm.28-29)。吉田はここで個 人々の経験や運命をイデオロギーの高みからまとめることはない。代わりに自分が取材しなかった無数の戦死者やその遺族へと,思いを水平的に広げている。

当時,大阪放送局に所属して『素顔』の制作に参加していた荻野吉和(後述する『子どもの見た夏休み』のPD)は,この『ある玉砕部隊の名簿』を見て感銘を受け,東京の吉田に手紙を書いた。今までの『素顔』とは違うと感じ

たと言う7)。このテクストでは,戦争が「悪夢」のようなものであったこと,戦後も「たくさんの人々の人生を苦難に彩られたものと変え」たことを,被取材者の個の声(Ba音)と作り手のナレーションが相携えて論証している。このテクストで吉田は戦争という巨大な歴史的出来事を論じている。その議論は,吉田自身がロケ現場で発掘した被取材者たちの証言に支えられて実証的なものになっている。

4-2-2 『右翼』(59 年 7 月 5 日放送,PD 尾西清重)

『ある玉砕部隊の名簿』から約1か月後に放送された本格的なインタビューテクストである。主なインタビュイーはいわゆる右翼の大物3人であった。義人党党首,高橋義人氏には115 秒(mm.11-13),かつて「一人一殺」を叫んだ井上日召氏には97 秒(mm.16-18),児玉誉士夫氏には224 秒(mm.24-28)のロングインタビューを行っている。第2 期におけるインタビューの多用に弾みをつけたテクストと言えよう。

量的分析から得たスコアは表7のようになる。何と言っても目立つのは,『ある玉砕部隊の

名簿』の11%をはるかに超える24%という参加的モード部分(インタビュー優越部分)の多

無声部分 有声部分 説明的モード部分

観察的モード部分

参加的モード部分 Ba音部分 Bb音部分

『右翼』 34 66 39 3 24 24 4

第1期平均 52 48 40 7 1 2 8

第2期平均 45 55 43 6 7 10 6

表 7 『右翼』(59.7.5)のスコア数字はテクスト尺に占める比率(%)

Page 19: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

40 MAY 2020

さである。そのすべてが Ba音(ロケ現場で得た個の声)としてボイスオーバーされることなく放送された。ナレーションも39%と少なくないので,無声部分は34%まで下がっている。現代のTDとしても珍しくない数値である。61%が無声部分だった『次郎長』とは大きな差がついた。

テクスト内容の中心となっているのはインタビューの内容である。高橋義人氏は,共産党は「暴力団より悪い」とし,「暴力団であろうと仮にやくざに籍を置いた人間でもですね,国家を憂いて大義名分に命をかけるということは私はいいんじゃないかと思うんです」と言う

(m12)。老境に入った井上日召氏は戦後の右翼を憂えている。「極端に言えば,つまり愛国者という詐欺師になってる,ね。戦前の人たちは,それは大川でも北でも,みんな一癖あるが,けれども真面目だった」と言う(m18)。テクストの終盤に登場する児玉誉志夫氏は,「愛される愛国者にならんとだめじゃないか」と言い,「共産党でさえ愛される共産党と言っているのに,その,怖がられる右翼とか,怖がられる愛国者なんていうのはないよ」と語る

(m28)。この時期としては驚くべきことに,インタ

ビューは同時録音で行われている。国会取材などで限定的に使われていたオリコンという同録カメラを用いたと考えられる 8)。オリコンの調達には相当な準備が必要だったはずで,このテクストにおけるインタビューの多用が確信犯的なものだったことがうかがえる。同時録音によって,発話者の表情や肉声がもたらす感触と,言語がもたらす証言性が,時間的なズレを伴うことなく伝達されている。

PDを務めた尾西清重は,「右翼」と呼ばれ

ている人物たちを,それぞれに言い分を持つ個人として扱っている。被取材者に個の声を与えず,ナレーションで一からげに説明する技法とは明らかに異なる技法である。もちろん,テクストは被取材者の言うがままに終わっているわけでもない。尾西は次のようなラストナレーションを付している。「俗に現代の右翼は,次の3つに分けられると言われています。純正右翼,看板右翼,そして暴力右翼,この3つは,時として世間から同じように見られています。しかし,逆にこの3つの要素が付かず離れず成り立っているところに,現代右翼の問題があるとする意見があります。右翼が大衆に支持される新しい国家主義運動をひらくことができるか。それとも,このまま反動分子として時代から取り残されてしまうか。それは,この内部矛盾をどう解決するかによって決まると言えるようです」(mm.28-29)。

尾西はここで右翼を抽象化,一般化して論じている。やや持って回ってはいるが,その議論は被取材者たちの声を踏まえて実証的,論証的である。

4-2-3 『隠れキリシタン』(59 年 8 月 9 日放送,PD 吉田直哉)

『ある玉砕部隊の名簿』で吉田が先鞭をつけた,インタビューを用いる論証的な制作技法は尾西の『右翼』によって発展的に継承された。ところが,『右翼』のおよそ1か月後に放送されたこの『隠れキリシタン』で,吉田は再びインタビューを行わない技法,被取材者の個の声を用いない非論証的な技法に回帰している。第2期の制作技法が一本調子に変化したのではなく,大きな反動を伴ったことを示すテクストである。

Page 20: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

41MAY 2020

量的分析から得たスコアは表8のようになる。このテクストの説明的モード部分(ナレーショ

ン優越部分)は56%に達する。第1期,第2期を通じて最多である。Bb音(ロケ現場で得た感触の声)も第2期では最多,第1期と合わせても2番目に多い。一方でインタビューはゼロ,Ba音(ロケ現場で得た個の声)もゼロである。

テクスト尺の24%を占めるBb音の大半は,自生音として収録された信徒の祈りの声であり,言語としては聞き取れない。そのおよそ半分はナレーションによってボイスオーバーされており,ボイスオーバーを免れた部分はテクスト尺の12%にとどまる(観察的モード部分)。Bb音が多くインタビューがない点など,全体に『与論島』の音声構成と似ているが,『与論島』よりナレーションがもう一段多く,Bb音に対するナレーションのボイスオーバーももう一段多い。

『与論島』を煮詰めたような音声構成である。内容を見てみよう。長崎県には,徳川時代の苛烈な禁教をくぐ

り抜けたキリスト教の信仰が残っている。信徒の一部は明治になって教会が再建されたあとも,教会には参加せず独自の地域的な信仰を保っている。吉田はそうした「隠れキリシタン」を取材した。題材も「異常民」「下層民」に回帰したのである。

映像は魅力的である。村の信仰共同体に代々伝わる秘文書,メダル,「サンタマリア」が着ていたとされる衣服の切れ端(亡くなった人の棺に少しずつ切って入れたために小さくなったという)といった物証の数々のほか,「真夏でも障子を立てきり,密かに唱えられるケレイドの祈り」(mm.15-16),「アベマリアのオラショ」

(mm.18-19),赤ん坊に対する洗礼式(m23-24),元日の朝の悪魔祓

ばら

い(mm.26-28)といった信仰行事の数々がフィルムに収められている。オラショなど集団的な祈りの声や,水をかけられた赤ん坊の泣き声,といったBb音がそうした映像に随伴している。非言語的な感触は強い。

一方,ナレーションはこうした「隠れキリシタン」の信仰を,「極めて卑俗なもの」(m9)と非難する。吉田はこの信仰をこんな視点から見ている。「世界の宗教の中でも,最も純度の高いものの一つといわれるキリスト教を日本に移植して,その後,外国思想の注入を全然行わなかった場合には,いったいどのような内容に変わるか。そして,そこに日本人の精神生活のどんな特徴が示されるか。隠れキリシタンの現在の姿はそういう一つの貴重な実験の過程としてみることができるのです」(mm.10-11)。そして,彼らの宝物や信仰行事の数々を見せ

無声部分 有声部分 説明的モード部分

観察的モード部分

参加的モード部分 Ba音部分 Bb音部分

『隠れキリシタン』 32 68 56 12 0 0 24

第1期平均 52 48 40 7 1 2 8

第2期平均 45 55 43 6 7 10 6

表 8 『隠れキリシタン』(59.8.9)のスコア数字はテクスト尺に占める比率(%)

Page 21: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

42 MAY 2020

たあと,こう結論する。「ここではキリスト教は,結局思想のない原始的なものに変わっただけで,何の向上も認められないのです」(m27)。

放送の2か月後に発表したエッセーで吉田はこう述べている。「せめてオラショの意味ぐらいは発音の棒暗記でなく伝えていてほしかった。できれば,そのさまざまな解釈が…。しかし,現実には,思想と言わぬまでも意味の名に価するものは,なにひとつ無いのである」(吉田1959:60)。

今,上記のような吉田の議論に同調する人は少ないと思われる。いかに「純度の高い」宗教であろうと,思想であろうと,それに照らして「隠れキリシタン」の信仰生活を「卑俗」だとか「原始的」だとか「向上が認められない」などと非難することはできないのではないだろうか。言語にならない,思想を形成しないからといって,その信仰に意味がないことにはならないのではないだろうか 9)。

このテクストのナレーションには,『ある玉砕部隊の名簿』で吉田が払拭したはずのイデオロギーが復活している。それは西洋崇拝と近代主義,そして言語主義が混淆したものである。イデオロギーに依拠して被写体を一方的に論断するやり方が『次郎長』や『与論島』のときと同様に,あるいはそれ以上に露骨に表れている。テクスト内において,作り手がほぼ独占的な個の声の使用者であり,被取材者には個の声を持たせない技法,被取材者をただ非言語的な感触の供給者としてのみ扱う技法が,『次郎長』や『与論島』のときと同様に,あるいはそれ以上に顕著である。『隠れキリシタン』は映像と非言語音声の魅力が多いテクストである。しかし,信徒たちとその生活文化をイデオロギーに依拠して一方的に非難する吉田

の議論は実証性,論証性に乏しい。吉田は『隠れキリシタン』のあと,『競輪立

国』(59.9.27,台本のみ保管),『泥海の町―名古屋市南部の惨状―』(59.10.4),『板ばさみ』

(59.11.15),『土地飢饉』(60.1.10),『九年間の記録―安保から安保まで―』(60.6.26)と5本の『素顔』を制作している。題材的には「異常民」「下層民」から離れている。しかし,これらのテクストで新たな制作技法を吉田が提示することはもはやなかった。

吉田直哉は『次郎長』以来,『与論島』『テキ屋』『ある玉砕部隊の名簿』と,『素顔』の制作技法を開拓・革新してきたパイオニアであった。その足跡は大きい。しかしこの『隠れキリシタン』をもって,吉田は『素顔』でのパイオニアとしての役割を終えたと言える。

4-2-4 『子どもの見た夏休み』(59 年 8 月 23 日放送,PD 荻野吉和)

当時,大阪局に所属していた荻野吉和が制作したテクストである。前期『素顔』で唯一,インタビューの量がナレーションの量を上回っている。被取材者の個の声を大量に用いながら,被写体を社会問題の現れとしては捉えないところが『素顔』としては異色である。被取材者の個の声が提出する言語的情報というより,その非言語的感触を活用したテクストである。

量的分析から得たスコアは表9のようになる。参加的モード(インタビュー優越部分)の

33%は前期『素顔』の最高値,説明的モード部分(ナレーション優越部分)の23%は前期

『素顔』の最低値である。前記『素顔』では唯一,説明的モードではなく参加的モードをメインモードとするテクストである。これらの数値は現代のTDである『ドキュメント72時間』に

Page 22: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

43MAY 2020

近い10)。テクストの趣旨は,夏休みを過ごす子どもに

インタビューして,その「ありのままの声を聞いてみる」(ナレーション,m1)ことである。作り手に特に「仮説」はない。子どもを材料にして広く社会に議論を提起するというよりは,もっとシンプルに「こんな子もいる」ということを伝えようとしている。この制作姿勢は,『素顔』に先行したラジオの録音構成,中でも『街頭録音』や『社会探訪』で用いられた技法を思い起こさせる。

インタビューの内容を一部紹介しよう。このところ体の調子が悪い両親に代わって夜店で風船などを売っている兄弟の弟は,父親からもらう1日50円のお駄賃を貯金している。「僕,自分で,モーターを買うて,扇風機作ってますねん。そんで今度は500円のモーター,自分で作ってあのう,大きいやつ買いたい思ってます」(mm.11)。別の女の子は父親が酒を飲む功罪を語っている。「お酒飲んでいいときは,お父ちゃんがちょっとお金でも入ったら,何でもくれるでしょ。そのときもいいし,だけど悪いときなったら,あのうお父ちゃん,お酒買いに行ってきなさいって言うでしょ。そのときに晩遅くだったら女の子夜道一人じゃ行けません,って言うとな,バカヤロって言うて怒られる。そ

れが嫌やねん。お酒飲んでいいときと悪いときがある」(mm.14-15)。高野山に林間学校に来て,何日か親元を離れている小学生はこんなことを言っている。「僕たちはね,この高野山に来て涼しい思いして喜んでいるけどね,あのお母ちゃんも,喜んでると思うねん。何でかって言うと,僕はいつもしゃべりでね,あのう家の人にあのう,嫌われてんねん,ねっ。しゃべってんのが一人いなくなったらね,あのうお母ちゃんはちょっと楽できると思う」(m25)。

インタビューに答えているのは小学生の男女17人,その母親1人である。これらの被取材者は作り手の議論の素材というよりも,一人一人尊重すべき深みを持った固有の人格として扱われている。インタビューはそれぞれに世相を映し出しており,背後に社会問題を感じさせるものもある。ただ,そのことは暗黙裡に示唆されるにとどまり,直接的には語られない。豊かに表現されているのは,夏休みをそれぞれに過ごす子どもたち一人一人の愛すべき感触である。こうして文字に起こすと縮減されるが,その声には関西人特有(?)の可

お か

笑しみが宿っている。インタビューによって収録されたBa音

(ロケ現場で得た個の声)は,社会問題についての証言というより,個々の被取材者の非言語的な感触を表現するために用いられている。

無声部分 有声部分 説明的モード部分

観察的モード部分

参加的モード部分 Ba音部分 Bb音部分

『子どもの見た夏休み』 38 62 23 6 33 31 12

第1期平均 52 48 40 7 1 2 8

第2期平均 45 55 43 6 7 10 6

表 9 『子どもの見た夏休み』(59.8.23)のスコア数字はテクスト尺に占める比率(%)

Page 23: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

44 MAY 2020

ナレーションは,『村芝居』のそれと同じく,映像の注釈としての性格が強い。ラストナレーションは,子どもの世界を大人の目線で軽々に論じることをたしなめてさえいる。「子どもたちは現代の社会に生きています。異なった時代に育った大人から見れば「今の子どもは……」とつい小言の一つも出そうになるのは無理もありませんが,子どもたちは子どもたちなりに,それぞれの夏休みを過ごしてきました。そして良いにつけ悪いにつけて,学校では教わらない社会の知恵を学んだはずです。長い夏休みもあと1週間で終わりです。家庭で遊び疲れた子,勉強に疲れた子,みんなまた学校へ戻って行きます。2学期がいよいよ始まるのです」

(mm.27-28)。PDを務めた荻野吉和は晩年,筆者のインタ

ビューに答えて,このテクストを利き腕の右手ではなく「左手で作った」と語った。荻野にとって「右手で作った」『素顔』における自分の代表作は,この時代における「在日」の姿を正面から描いた『日本の中の朝鮮』(59.1.18,台本のみ保管),平和憲法下での自衛隊や旧軍人組織をジャーナリスティックな視点から取材した

『自衛隊』(59.12.20),『旧軍人』(61.2.26)であった 11)。『子どもの見た夏休み』で用いられた制作技

法は荻野にとってさえ傍流的なものであり,『素顔』において多くのPDたちが追随する大きな潮流とはならなかった。しかし「こんな人がいる」ということを,インタビューを通じて感触豊かに表現したこのテクストは,録音構成,とりわけ『街頭録音』『社会探訪』の流れの中で培われた制作技法をTDにおいて継承した魅力的なテクストである。この技法は『素顔』において主流をなすことはなかったが,傍流,伏流,あるいは『鶴瓶の家族に乾杯』や『ドキュメント72時間』のような番組では主流の技法として,現代に至るまでNHKのTDの展開全般に寄与している。

4-2-5 『奇病のかげに』(59 年 11月 29 日放送,PD 小倉一郎)

水俣病を広く社会に知らしめたTDとして著名である。第2期の『素顔』の論証への傾きがたどり着いた一つの到達点であるだけでなく,ドキュメンタリーならではの「証拠と感情を結びつける力」がよく発揮された日本のTDの古典と言うべきテクストである。

量的分析から得たスコアは表10のようになる。Ba音(ロケ現場で得た個の声)は19%で,

第2期の平均値(10%)のおよそ2倍である。『右翼』(24%)や『子どもの見た夏休み』(31%)

無声部分 有声部分 説明的モード部分

観察的モード部分

参加的モード部分 Ba音部分 Bb音部分

『奇病のかげに』 39 61 42 6 14 19 1

第1期平均 52 48 40 7 1 2 8

第2期平均 45 55 43 6 7 10 6

表 10 『奇病のかげに』(59.11.29)のスコア数字はテクスト尺に占める比率(%)

Page 24: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

45MAY 2020

よりは少ないが,『ある玉砕部隊の名簿』(11%)より多い。Ba音の約7割(テクスト尺の14%)はインタビュー(参加的モード)によって得られているが,残り3割(テクスト尺の5%)は自生音として得られている。Bb音は1%で,被取材者の声のほとんどは証言性の高い声である。

テクストは身体と声をともに震わせながら医師の問診に答える女性患者の映像から始まる。

「手が痺れてきて,そうして……」(m0)。この声を受けて最初のナレーションが入る。「これは,誰にその責任があるのか,世にも不思議な病気の話です」(m1)。被写体を近代主義の立場から非難するわけでも,はじめから愛すべきものとして寄り添うわけでもない。PDを務めた小倉一郎はもっとフラットな立場にいて,目の前の現実を一つの解明すべき謎として捉えている。ナレーションはこう続く。「この人は,ついこの間まで病気一つしたことのない,健康な漁民でした。それが急に口が不自由になり,運動神経がすっかり麻痺してしまいました」(m1)。九州の小さな町に現れた「世にも不思議な病気」,これはいったい何なのか,小倉は取材を始める。

テクスト序盤は,冒頭の女性のような症状を示す患者がすでに多数いること,その多くが近海でとれた魚を多食する漁民たちであること,魚の汚染が原因と噂されていて,町の魚屋や寿司屋は水俣近海でとれた魚を扱わなくなったこと,その結果,漁民たちは健康だけでなく,仕事まで奪われてしまったことが主にナレーションによって語られる。その後,患者たちを一人一人訪ねていく取材が始まる。病気のために漁に出られなくなったイトウさんはインタビューに答えて言う。「魚を取って食ってですね,どうしてそれが悪いんだろうと,私は思

います」(m8)。近所でも一番わんぱくだったという少年は小

学校に上がるころ急に発病し,今では失明している。小倉はこの少年の状況をインタビューではなく,自生音を用いて描いている。画面にはラジオの大相撲の実況にかじりつき,贔屓力士が勝ったと聞いて大喜びする少年が映し出される。目が見えないまま手をたたいて喜ぶ少年の笑顔によって,病気のむごさが際立つ(mm.9-10)。さらに少年の家に「ある夜,どこからともなく二人の男が訪ねて」きて,「水俣病によく効く薬」をしきりに勧めるシーンが続く(m10)。薬売りは言う。「わたくしは,もう,心しん

から治そうと思って来たんですから,どうぞひとつ,お気をつけてひとつ,ご快癒を願います」(m11)。

小倉はこの薬売りと少年の父親とのやり取りを,ニコルズの言う「壁にとまったハエ」になって収録している。インタビューは取材者が知りたいこと,時にはほぼ予想できていることを知らせてくれるものだが,自生音は,取材者の問いとは異なる角度から,時には思いもよらない現実の様相を知らせてくれる。この意味で観察的モードはしばしば非凡なシーンを生み出す。この薬売りのシーンはその好例である。「それにしても,この謎の奇病の正体は一体

なんでしょうか」(m13)。中盤,テクストは病気の原因を探っていく。熊本大学の医学部長はインタビューに答えて,工場廃水に含まれる有機水銀が原因ではないかという見解を示す

(mm.14-15)。これに対して工場を経営する社長の反論がやはりインタビューで示される。「わたくしのほうの工場から出ますのは無機水銀である。無機水銀がどうして,どういう経路で,何によって有機水銀に化するか,こういうこと

Page 25: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

46 MAY 2020

は,いまだに究明されていない次第でございます」(mm.16-17)。両者の議論は平行線だと小倉はナレーションで伝える。

原因を特定できないまま,そして治療法を見いだせないまま,患者や漁民の苦しみは続く。23~24分台では,漁民たちが漁港の岸壁で録音機を持った取材者を取り囲み,口々に窮状を訴えている。「どうしてもこの,生活ちゅう方面が,非常にその窮迫しておる今日でありますから,まあそれをなんとか,あんたがたのほうからも,まあ,NHKのほうで,とにかく漁民の現在のあわれな立場を,ひとつ,まあ,今後どうかよろしゅうお願いします」(m23)。「あまりにも政治がないと我々は考えるわけです。力のある者には,ある程度手を伸ばす,力のない者は泣き寝入りをするのか,というふうに我々は憤慨するわけであります」(m24)。漁民たちは自分たちの声を必死に取材者に託している。

ラスト近く,カメラはカタカタを押しては転び,押しては転ぶ幼女の姿を捉えている。胎児性の水俣病に侵されているのである。その子の映像にのせて小倉はラストナレーションを打っている。「罪のない,そして力のない人たちの上に降りかかった大きな災難。早く本当の原因が究明され,一日も早く医学の力がこの病気の治療方法を見つけ出してくれるように,そして,さらに強い政治の手を,これがすべての患者や家族たちの心の中の願いなのです」

(m26)。ここまでに見聞きした映像と被取材者の声が,テクストを締めくくる小倉の主張に多大な説得力を与えている。『奇病のかげに』は,『村芝居』や『子どもの

見た夏休み』とは違って,目の前に展開する個々別々の現実を一つの社会問題の現れとし

て抽象化している。ただし,『次郎長』や『与論島』のように借り物のイデオロギーに依拠して抽象化したわけではない。この抽象化は『ある玉砕部隊の名簿』や『右翼』と同様,作り手自身が発掘した証拠(証言)を踏まえた実証的,論証的なものである。小倉はイデオロギー抜きで,水俣で自分が見聞きした現実が重大な社会問題であるとする論証に成功している。

表面的には,この論証は言語によって組み立てられている。しかし,この論証が力を持つのは,それが非言語によって分厚く下支えされているからである。贔屓力士の勝利に大喜びする目の見えない少年の笑顔,二人の男が少年の家に「水俣病によく効く薬」を売りに来たあの夜の感触,漁民たちが窮状を訴える岸壁の空気感,自分が病気に侵されているとはまだ知らない幼女がカメラを見上げる表情……,こうした非言語的感触がナレーションと被取材者の声が織りなす言語的論証に大きな力を与えている。言語と非言語が協働することによって,『奇病のかげに』はニコルズの言うドキュメンタリーならではの力,すなわち「証拠と感情を結びつける力」(Nichols 2017:66)を稀に見るレベルで獲得している。日本のTDの古典と呼ぶにふさわしいテクストである。

5. 考察―複数の技法の孵卵器として―

多数のテクストの量的分析,その結果を踏まえて行った個別のテクストの質的分析,この両者を踏まえて,前期『素顔』の制作技法について考察しよう。前期『素顔』は,先行したラジオの録音構成や,記録映画・テレビジョン映画の影響を受けつつ,複数の制作技法を生み出している。後代のTDにもつながるいくつ

Page 26: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

47MAY 2020

かの基本的な制作技法が,前期『素顔』をいわば孵卵器にして出現している。この節では,これらを論証的な技法と,非論証的な技法に分けてそれぞれ考察し,最後にまとめを付す。なお,非論証的な技法に関連して,1960 年に吉田直哉が提出した「テレビ・ドキュメンタリー」概念について考察を加える。

5-1 論証的な制作技法

前期『素顔』の展開は,『奇病のかげに』のような論証的なTDが成立する過程として理解することができる。この過程には二つの分岐点があったと考えると整理しやすい。

最初の分岐点は,作り手が被写体を社会問題の現れとして捉えるか否かである。目の前に展開する個々別々の現実を特定の社会問題の現れとして捉え,それについての議論を進めていくのか,それとも,「こんな場所があった」

「こんな人がいた」「こんな時間があった」と,その個別性をかけがえのないものとして表現していくのか。前者は社会番組としてのTDにつながり,後者は人モノ(ヒューマンドキュメンタリー)や紀行モノと呼ばれるTDにつながっていく。『素顔』最初のヒット作であった『次郎長』

は,明らかに被写体を社会問題の一端として捉えている。吉田直哉は東京・亀戸に住まう博徒一家から,広く同時代の日本社会全般を論じた。ここに見られる一種の「背伸び」は吉田個人にたまたま表れたというよりも,ラジオの録音構成番組,中でも『社会の窓』や

『時の動き』といった社会番組を制作してきたNHKの特定の作り手集団(「社会課」の課員たち)の制作姿勢を受け継いだものである。吉田の背後には,特定の現実を,民主主義,

近代主義,合理主義といった立場から皆が考えるべき社会問題として捉え,それを「神の声」としてのナレーションを駆使して論じていく,ラジオ以来のNHKの社会番組の伝統がある。

二つ目の分岐点は,目の前の現実を社会問題と捉えて議論を展開するときに,何を根拠とするかということであった。ここで,主としてイデオロギーに根拠を求める非論証的なTDと,被取材者の声(証言)に根拠を求める論証的なTDが分岐する。『次郎長』『与論島』『隠れキリシタン』といっ

たテクストにおいて,吉田直哉が自らの議論の根拠としたのは,近代主義を核とするイデオロギーであった。吉田はこのイデオロギーに依拠してヤクザや「孤島」の住民や「隠れキリシタン」といった人々を「異常民」「下層民」として捉え,この人々が象徴している(と吉田が考えた)前近代性,後進性を,ナレーションを用いて非難する議論を展開した。被取材者には言い分を認めず,作り手が「神の声」を用いて一方的に論断するこの議論は,公平性に欠けるというだけでなく,近代主義が相対化された現代の目から見ると説得力に乏しい。丹羽美之が行ったように,今ではこうした吉田のナレーションこそが批判の対象である(丹羽2001)。

自らの議論を支える根拠をロケ現場で現地調達する技法を,『素顔』において最初に本格的に用いたのは,ほかならぬ吉田直哉であった。吉田は『ある玉砕部隊の名簿』(59.5.31)で,それまで『素顔』ではほとんど用いられていなかったインタビューの本格的な使用に踏みきった。インタビューはラジオの録音構成ではごく一般的な技法であったが,TDでは,同時録音が困難であったという技術的制約,また

Page 27: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

48 MAY 2020

当時の映画製作の慣習から,いわば封印されていた。吉田はこの封印を解き,インタビューで得た被取材者の証言を根拠として自らの議論を展開する技法をTDにおいて始めたのである。この動きに弾みをつけたのが,尾西清重が右翼の大物たちのインタビューに挑んだ『右翼』(59.7.5)であった。この時期から『素顔』に論証的なテクストが目立つようになる。

小 倉 一 郎 が 制 作した『 奇 病 の か げ に 』(59.11.29)は,第2期の『素顔』の中で形成されてきた実証,論証への傾きがたどり着いた一つの到達点と見ることができる。後年,小倉はTD制作を端的に論じて,それが,物事を「映像と音声とコメントで証拠立てていく」ことであると述べている(小倉1984)。映像という非言語と,コメント(ナレーション)という言語,そしてその間にあって言語と非言語が入り交じる音声(現場音声),この三者を用いた実証こそが小倉のTD制作の核心であった。『奇病のかげに』は単に言語的な論証に成

功しているだけではない。このテクストでは,広く社会一般に提起する言語的な議論と,視聴者各人のパーソナルな感情に働きかける非言語的な感触がしっかりと結びついている。言語と非言語が高いレベルで協働したからこそ,このテクストは「証拠と感情を結びつける力」というドキュメンタリーならではの力を豊かに帯びたのである。このことは,現代のNHKのTDが,『NHKスペシャル』や『クローズアップ現代』のように社会性と言語情報を重視するブロックと,『鶴瓶の家族に乾杯』や『ドキュメント72時間』のように個別性と非言語的な感触を重視する二つのブロックに二極分解しているように見えることと対照的である。

社会性を重んじるTDと,個別性を重んじる

TDとに分かれてお互いに無関心になるのではなく,社会的でかつ個別性を尊重するTDであること,言語的なTDと感触的なTDに分かれてお互いに没交渉になるのではなく,言語情報と非言語的な感触の双方が豊かなTDであること,『奇病のかげに』は,この二つのことを高いレベルで達成したTDが持つ力の大きさを,明確に示している。

5-2 非論証的な制作技法

前期『素顔』は『奇病のかげに』のような論証的なTDだけを生んだわけではない。前記した二つの分岐点を別の方向に進んで,論証的な技法とは異なる制作技法も複数成立しており,これらもまた重要である。

まず,一つ目の分岐点を「背伸びをしない」方向に進んだ技法から述べよう。個々別々の現実を言語によって社会問題に抽象化するのではなく,非言語的な感触を重視しながら個別を個別のままに表現しようとする技法である。

この技法を用いる作り手には二つの流れがある。一つは記録映画・テレビジョン映画の製作技法に影響を受けた作り手たちであり,もう一つは録音構成の中でも『街頭録音』『社会探訪』の制作技法に影響を受けた作り手たちである。

前者,すなわち記録映画・テレビジョン映画の影響が見られる作り手として『村芝居』を制作した渡部和の名前が挙げられる。前記したとおり,『村芝居』には,映像を本文とし,ナレーションをその注釈とするテレビジョン映画製作の技法が見られる。ナレーションで特に論を構えないから,その論拠も必要ない。インタビュー等で収録された被取材者の個の声(Ba音)が

Page 28: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

49MAY 2020

あまり見られないのも特徴である。後年の名番組『新日本紀行』(1963~82)は,テレビジョン映画を支えたカメラマンや編集マンたちがその活躍の場とした番組であるが,『村芝居』や

『川に映った東京』などの渡部作品を,その先駆けとして捉えることができるかもしれない。視聴者はナレーションを注釈としながら,映像や,感触の声(Bb音)が醸し出す感触の世界にひたることができる。特定の場所,人,時間が帯びる非言語的な感触,質感,手触り,空気感……を楽しめる技法である。

後者,すなわち『街頭録音』『社会探訪』といった社会番組の色彩が薄い録音構成の制作技法の影響が見られる作り手として,『子どもの見た夏休み』を制作した荻野吉和の名が挙げられる(「右手」ではなく,「左手」を使ったときの荻野である)。目の前の現実を社会問題として抽象化せず,個別を個別のまま表現しようとする点では『村芝居』の技法と共通するが,被取材者の個の声(Ba音)を多用する点で異なる。この場合,個の声が提出する言語情報というよりも,声が表現する非言語的な感触を活用するのが特徴である。この技法は,かつて『街頭録音』や『社会探訪』の諸テクストが,インタビューを用いて特定の場所や人や時間の感触を生き生きと描き出していたのをTDとして引き継いだものである。現代のTDである『鶴瓶の家族に乾杯』や『ドキュメント72時間』は,この技法を中心的な制作技法としている。

一つ目の分岐点で社会番組であることを選びながら,実証的な根拠を示さない技法もある。

『次郎長』『与論島』『隠れキリシタン』といった吉田直哉制作のテクストで用いられた技法である。作り手の議論の根拠として用いられた

のは近代主義的なイデオロギーであった。吉田は『ある玉砕部隊の名簿』でいったん論証の道に踏み出したにもかかわらず,『隠れキリシタン』で『次郎長』の技法に回帰したことはすでに述べた。被写体に多くを語らせず,自らの声を「神の声」として駆使する吉田の技法は『素顔』後も行われ,しばしば視聴者の大きな支持を集めた。「放送開始50周年記念番組」の名を冠して放送された『未来への遺産』

(1974 ~ 75)はその代表例であろう。物言わぬ遺跡にかぶせた吉田の格調高いナレーションは多くの視聴者を引きつけた。このことは,自分も「背伸び」をして世界を見たい,歴史や文明を自分なりに語りたいという欲求が,50~70 年代の日本社会に広く存在していたことをうかがわせる。

『素顔』での吉田のその後について述べておきたい。『隠れキリシタン』(59.8.9)後の吉田は,

『素顔』制作の一方で,活字メディアにおける「テレビ・ドキュメンタリー」概念の構築に力を入れている。

吉田は「ドキュメンタリー」という語の使用には当初慎重であった。文章の中で吉田が最初に「ドキュメンタリー」の語を用いたのは,管見の限り『三田文学』59 年10月号に掲載されたエッセー「不完全燃焼を忌む」である。このときは「テレビのフィルムによるドキュメンタリー社会番組」という表現であった(吉田1959:61)。文章の中で「テレビ・ドキュメンタリー」という語を吉田が最初に用いたのは,『放送文化』60 年2月号に掲載された「テレビ・ドキュメンタリーの構成」である。吉田はこの論考の中で,「テレビ・ドキュメンタリー」を,作り手が立てた「仮説」が「現実にどうぶつかったか

Page 29: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

50 MAY 2020

の報告」であるとした(吉田1960a:18)。「仮説」に基づく「テレビ・ドキュメンタリー」

のモデルとして,吉田が提示したのは,自らが『隠れキリシタン』の次に制作した『競輪立国』(59.9.27,台本のみ保管,吉田1960aに台本全部が掲載されている)であった。個人をギャンブル中毒にする危険性を持つ一方で,大きな経済的収益を生む競輪は,「物質的なものを選ぶか,精神的なものを選ぶかという二者択一のジレンマに陥っている日本の姿」の象徴である,というのが,このテクストにおける吉田の「仮説」である12)。「すべてのショットは,その実証のための実験過程としてカメラに収められました」と吉田は言っている(吉田1960a:16)。

吉田によるTD成立宣言と見なされることが多い「テレビ・ドキュメンタリーとは何か」(『記録映画』1960 年9月号)は,この「仮説」論を引き継いで,記録映画と「テレビ・ドキュメンタリー」の分離を図った議論である。吉田によれば,記録映画はイデオロギーが先行するがゆえに「思考過程の現在進行形という姿勢が少ない」。これに対して,「仮説」の検証を行う「テレビ・ドキュメンタリー」は「必然的にプロセッシヴな現在進行形のムード」を持ち,

「進行形のままで番組はふっきれます」(吉田1960b:8)。

こうした吉田の議論について,イデオロギーを「仮説」と言い換えても,実質的に大きな差はないのではないかという指摘がすでに同時代になされている。当時,ラジオ東京(現TBS)の制作部に所属していた田原茂行は『記録映画』60 年10月号でこう述べている。「吉田氏自身の作品についてみても,吉田氏自身の理論と逆に,“イデオロギー的意図”で割り

切る態度と殆ど同じ程度に,最初の仮説がそのまま最後まで居据っている面が強い」「吉田氏の仮説理論においては,意図を否定することで,最初の仮説から最終的な構成と演出に至るまでの構成者の主体的責任が解除されているように書かれている」(田原1960:8)。

一つ確かなことは,『隠れキリシタン』後の吉田が,題材として「異常民」「下層民」を取り上げなくなったことである。その理由はいくつかあるだろうが,近代主義的なイデオロギーによって被写体を一方的に非難するやり方が,

「異常民」「下層民」に対する取材交渉を困難にしていたことは想像にかたくない13)。題材が

「常民」にシフトするにしたがって吉田が持ち出した概念が「仮説」であった。

繰り返すが,『次郎長』や『与論島』や『隠れキリシタン』において,吉田が自らの議論の根拠としたのは近代主義的なイデオロギーであった。しかし「テレビ・ドキュメンタリーとは何か」において吉田は,イデオロギーが先行するゆえの独善性,硬直性をもっぱら記録映画のものとし,「仮説」を検証する「テレビ・ドキュメンタリー」は,「プロセッシヴ」で「現在進行形」の柔軟な形式をとるものだと主張した。これは,自身のそれまでのイデオロギー先行を不問に付しながら,「テレビ・ドキュメンタリー」という新しい旗を振る多分に虫の良い議論である。田原が指摘したとおり,吉田のテクストの場合,イデオロギーを「仮説」と言い換えても作り手の独善性は温存されている。

60 年9月に発表された「テレビ・ドキュメンタリーとは何か」は,吉田直哉がTDという新たな表現形式の成立を宣言したマニフェストではない。TDはそれを何と呼称するかにかかわらず『素顔』以前に成立しており,『素顔』の展

Page 30: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

51MAY 2020

開の中でもすでに少なからず変容していた。「テレビ・ドキュメンタリーとは何か」は,新たなものの成立宣言というより,新たな意匠のもとで古いものを守ろうとした文章である。59 年の夏以降,『素顔』に論証的なTDが台頭してくる中で,吉田はTD制作における作り手の超越的なポジションを守ろうとしていた。この文章は,「テレビ・ドキュメンタリー」という新たな看板を掲げて,論証的なTDを包摂しながら,「仮説」という概念を用いて,『次郎長』以来の作り手の超越性を温存しようとしたものである。

吉田直哉は前期『素顔』において,『次郎長』や『与論島』や『隠れキリシタン』を制作した一方で,『ある玉砕部隊の名簿』も制作した。イデオロギーや「仮説」が先行する技法と,被取材者の証言に立脚する論証的な技法の両方を手がけている。吉田自身は前者を自分の技法として,小倉や尾西や荻野は後者を自分の技法として次の時代に持っていった。吉田が制作した最後の『素顔』は,『九年間の記録―安保から安保まで―』(60.6.26)である。このテクストは激しい安保闘争のさなかに制作・放送されたにもかかわらず,ガヤを含めて一切ロケ現場の声がなく,議論は作り手のナレーションだけで進行している。

5-3 まとめ

前期『素顔』は下記に示すような4つの制作技法を生み出した。①『村芝居』などに見える技法。目の前の現実

を社会問題とは捉えず,その個別性を尊重しながら描こうとする。映像が表現する非言語的な感触を重視するが,被取材者の個の声はあまり用いない。ナレーションは映像

の注釈としての性格が強い。②『子どもの見た夏休み』などに見える技法。

①と同様,目の前の現実を社会問題とは捉えず,その個別性を非言語的な感触を尊重しながら描こうとする。このとき,映像に加えて被取材者の個の声を多用する。ナレーションはこれらの注釈としての性格が強い。

③『奇病のかげに』などに見える技法。目の前の現実を社会問題の一端として捉え,それについて議論を展開していく。言語的な意味構築を重視し,インタビュー等によって得た被取材者の個の声をナレーションの根拠として用いる。論証的である。

④『日本人と次郎長』などに見える技法。③と同様,目の前の現実を社会問題の一端として捉え,それについての議論を展開していく。言語的な意味構築を重視するが,ナレーションの根拠となるのは特定のイデオロギー,または「仮説」であり,被取材者の個の声を根拠として用いることは少ない。非論証的である。

これら4つの技法は1本のテクストの中で併存が可能である。たとえば③の技法の代表的テクストとした『奇病のかげに』は,映像と被取材者の声による感触の表現にも長けており,この点では②の技法も入り込んでいると言える。③と④が併存して,論証とイデオロギーが交じり合う技法,また①と④が併存して,イデオロギーや「仮説」とそれらに必ずしも収まらない非言語的感触が交じり合うテクストも見える。

図5は4つの技法を『素顔』に先行した録音構成やテレビジョン映画と関連づけて一覧的に示したものである。理解の助けとされたい。

Page 31: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

52 MAY 2020

6. 「素顔論争」からの補足 1959 年11月から60 年 4月にかけて,雑誌

『中央公論』等の誌上で,『素顔』の制作技法をめぐって,映画監督の羽仁進と吉田直哉ら

『素顔』の作り手たちとの間で議論が戦わされた。いわゆる「素顔論争」である。

この論争の発端は,59 年5月ごろ以降の『素顔』が,それより以前に持っていた表現としての魅力を失ってしまったと羽仁が感じたことにある。具体的に羽仁の念頭にあるのは『ある玉砕部隊の名簿』(59.5.31),『どん底人生』

(59.7.19,テクスト,台本ともに保管されていない),『隠れキリシタン』(59.8.9)といったテクストである(羽仁1959a:203-204)。この節では,主に「素顔論争」における羽仁の議論(正確には論争の少し前からの羽仁の議論)を新たな視点から考察するとともに,第2期におけ

る『素顔』の制作技法の変化について補足したい。「素顔論争」に関連して本研究がここまでに

明らかにしたのは,59 年の5~8月ごろ,『素顔』の制作技法がインタビューの伸長を主な震源として,大きく揺れ動いたということである。この激動の中で,第1期には見られなかった『ある玉砕部隊の名簿』,『右翼』(59.7.5)といった論証的なTDが生まれる一方で,第1期の吉田直哉の作風を煮詰めたような『隠れキリシタン』が生まれた。インタビューの声を用いて被写体の感触を生き生きと伝える『子どもの見た夏休み』(59.8.23)もこの時期のテクストである。59 年の夏は,TDの可能性を広げるさまざまな制作技法が『素顔』において一斉に開花した時期であったと言える。

この変化を羽仁進は一種の後退と受け取った。

記録映画テレビジョン映画

『街頭録音』『社会探訪』の流れ

『社会の窓』『時の動き』の流れ

ラジオの録音構成

図 5 複数の制作技法の孵卵器としての前期『素顔』

『村芝居』など

『子どもの見た夏休み』など

『奇病のかげに』など

『日本人と次郎長』など

【前期『素顔』】

個別の現実を非言語的な感触を重視しながら描く

(Ba 音はあまり用いない)

個別の現実を非言語的な感触を重視しながら描く

(Ba 音を多用)

個別の現実を社会問題に言語化して論じる,論証的

(Ba 音を多用)

個別の現実を社会問題に言語化して論じる,非論証的

(Ba 音はあまり用いない)

Page 32: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

53MAY 2020

羽仁によれば『ある玉砕部隊の名簿』や『隠れキリシタン』は,「4~5 年前の文化映画」とよく似た手法をとるようになり「温和」になったという。「曲がりなりにも映画の衣をまとってしまった『日本の素顔』は何となくよそよそしい。たんに見ていてつまらないだけではなくて,作者もちっとも現実と格闘しなくなってしまった」

(羽仁1959a:204)。羽仁は,当時の記録映画製作の主流であっ

た予定調和的な技法に反旗を翻していた気鋭の映画監督であった。羽仁にとって『素顔』の魅力は,既存の映画製作の常識を無視するような制作技法にあった。それはたとえば,撮影された映像の「写真美への無頓着さ」(羽仁1959b:132)であり,「一つの流れにのせて,滑かに進んでいくといった代物では毛頭ない」映像編集(羽仁1959c:9)であり,「映像の示すものを音声によって批判したり,あるいは音声ののべる理論を映像によって嘲笑したりする」映像と音声の対位法的な使用(羽仁1959a:203)であった。羽仁は『ある玉砕部隊の名簿』より前の『素顔』(つまり第1期のテクスト)に,「従来の日本の記録映画の主調であった傾向から全く断絶」した(羽仁1959b:132)反予定調和的な技法を見いだし,これを高く評価していたのである。

しかし,羽仁に称賛された『素顔』のPDたちは困惑している。彼らは羽仁が指摘したようなことを,自分たちの「技法」として自覚していなかったからである。

当時,吉田直哉とともに『素顔』のスポークスマン的な役割を果たしていた瀬川昌昭は,59 年 8月に発行された『キネマ旬報』誌上で,羽仁が高く評価する諸技法は「映画のABCも知らないプロデューサーが,ただがむしゃらに

フィルム構成という未知の分野と取り組んだ末,已

、 、 、 、 、

むを得ず,そうならざるを得なかった」ものだと述べている(傍点は瀬川による)。瀬川によれば,羽仁が評価する「写真美への無頓着さ」は,PDによる「「カメラの眼」の軽視」にほかならず,羽仁が称賛する映像と音声の対位法的な使用は「映像の稀薄さを,ナレーションで補おうとしているに過ぎない」(瀬川1959:128-129)。

小倉一郎も羽仁の称賛を素直には受け取れなかった。「絵づくりが不得意なためか,情緒を一切拒否した面白くない映像ばかり出して,あとはコメントで言いたいことだけをまくしたてている。これはまさに新しい美学である,という意味のことを言って誉めてくれたのです。しかし作っている人間たちは,その文章を読んで,まったく素人扱いだなということでやや憮然としていました」(小倉1984)。いわゆる「上手い」とされる絵に飽き飽きしている先生が,子どもの描いた絵を見て,「この稚拙さこそ素晴らしい」とほめたとしよう。幼児ならともかく,もっと上手くなりたいと思っている高学年の子どもなら,あまりうれしくないだろう。ここではそれに似たことが起こっている。

羽仁は第1期の『素顔』にあった魅力が第2期には失われてしまったと指摘した。しかし,羽仁が感じていた「魅力」が一種の稚拙さ,素人くささであったとすれば,われわれは羽仁の指摘を反転させて捉えることもできる。つまり第1期に目立った稚拙さ,素人くささが第2期には払拭された,少なくとも目立たなくなったと捉えることができるのである。第2期の『素顔』の映像はある程度の「写真美」をそなえるようになり,映像編集はある程度「一つの流れにのせて滑かに」進むようになり(コン

Page 33: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

54 MAY 2020

ティニュイティー編集),映像と音声(特にナレーション)は対立するというより協働するようになった。そのように稚拙さ,素人くささが消えたから,それを愛していた羽仁は第2 期の

『素顔』に「よそよそしさ」を感じたと考えることができる。

映像の美学的な質,映像編集の質は,本研究ではここまで言及できなかった領域である。初期からの『素顔』ウォッチャーであった羽仁の議論は,この領域における『素顔』の制作技法について貴重な示唆を含んでいる。

 (みやた あきら)

注: 1) 宮田2018では直接に無声部分をカウントするこ

とはなかった。しかし有声部分にあたる「言語音尺」をカウントしている。100%から「言語音尺」の比率を差し引くと無声部分の比率がわかる。

2) 『山の分校の記録』は第1部「夢のような願い」が1959年11月3日に,第2部「山なみに こだまして」が60 年3月22日に,総集編が60 年5月5日に放送された。インタビューは第1部にわずかに見られるが,第2部および総集編では1か所も見られない。イタリアで賞をとり,その後何度も再放送されているのは総集編である。

3) NHKのライツ・アーカイブ月刊通信「アーカイブ・カフェ」2007年7月号における吉田の発言。

4) 佐々木収造の証言は「テレビ創業期の人たちの証言集」第3巻(NHK 総合放送文化研究所番組研究部編1978)に収録されている。収録日は1977年1月25日とある。

5) 日本近現代史を専門とする雨宮昭一は,1950年代の論壇の主流が,「「前近代」的遺制を一掃し,西欧に「追いつき追いこす」という日本の悲願を理論的に代弁したマルクス主義と近代主義の連合」であったと指摘している(雨宮1990:260)。50年代後半になると,こうした

近代主義は論壇にとどまらず,実際に日本社会の全面的な変容を引き起こしていく。『素顔』がスタートした1957年11月はこうした近代主義の高潮期のど真ん中にあった。

6) 渡部は1951年にNHK入局,福島放送局に5年間在籍したのち,56 年にテレビジョン局教養部に異動し,創業期のテレビ番組の制作に携わっている。当時のテレビの受信契約率は1%程度であった。53年に発足したテレビジョン局の職員は少人数で,NHK内部では「金ばかり食って,取るもの(筆者注:視聴料)は取れない厄介者」とかげ口されていたという(「テレビ創業期の人たちの証言集」第3巻)。4 年間存続したテレビジョン局は,57年6月にラジオ局とともに消滅,教育局,芸能局,報道局に再編された。実質的にはラジオの作り手の本格的なテレビ進出に伴って,先行したプロジェクトチームが解散・吸収されたと見ることができる。渡部はこのとき教育局に異動し,『素顔』の制作に携わるようになった。

7) 荻野氏への筆者の聞き取りによる(2014 年 4月3日)。

8) 『素顔』の時代,ロケ映像はカメラで,音声は録音機で収録するのが普通であった。映像収録中のカメラからはかなり大きなノイズが発生したので,その間は録音(同時録音)ができなかった。オリコンは例外的に同時録音ができるカメラであったが,機動性,操作性に問題があり,その使用は限定的であった(宮田2019:14)。

9) 吉田は2003年の自著で『隠れキリシタン』に言及し,信徒たちの土俗性が「即,非難されるべきことであろうか。よく考えなければならない」などと留保している(吉田2003:54-55)。しかし『隠れキリシタン』を視聴し,1959年に吉田が書いた文章を読めば,吉田が信徒たちを「即,非難」していることは明らかである。

10) 2015年に放送された『ドキュメント72時間』のうち視聴者投票で第1位となった『秋田 真冬の自販機の前で』は,インタビュー優越部分が45%,ナレーション優越部分が25%である。

11) 荻野氏への筆者の聞き取りによる(2014 年 4月3日)。

12) よりシンプルな「仮説」が,吉田が第1期に制

Page 34: 『日本の素顔』の制作技法 - NHK · 素人くささを払拭していったことを指摘したも ... 「敗戦の落とし子」として世間の冷たい目の中で育っているという「混血

55MAY 2020

作したテクストに現れている。『アンバランス』(58.9.21)は,「アンバランス」という一つの概念を軸にして同時代全般を論じたテクストである。第2期の『板ばさみ』(59.11.15)も同様のシンプルな趣向である。

13) このことは『素顔』初期からすでに問題であった。吉田とともに『次郎長』(58.1.5),『迷信』(58.5.11)などの制作に携わった白石克己は,「番組の内容が知られるにつれて,取材を拒まれる」ケースが生じていることを『放送文化』58年10月号で報告している(白石1958:53)。

参考文献:・雨宮昭一1990,「一九五〇年代の社会」,歴史学

研究会編『日本同時代史3 五五年体制と安保闘争』229-264,青木書店

・ NHK 総合放送文化研究所番組研究部編1978,「テレビ創業期の人たちの証言集」(非売品)

・小倉一郎1984,「〈円盤〉からニューメディアまで ―私のドキュメンタリー論」(非売品)

・白石克己1958,「番組誕生 日本の素顔」『放送文化』10月号,52-53

・瀬川昌昭1959,「テレメンタリーの方向」『キネマ旬報』8月下旬号,127-129

・田原茂行1960,「インサイダー・ドキュメンタリー論」『記録映画』10月号,6-9

・丹羽美之 2001,「テレビ・ドキュメンタリーの成立― NHK『日本の素顔』」『マス・コミュニケーション研究』(59),164-177

・羽仁進 1959a,「テレビ・プロデューサーへの挑戦状 鏡になってしまった窓」『中央公論』11月号,198-207

・羽仁進 1959b,「テレメンタリイの文法 ―映像では考えられないか―」『キネマ旬報』3月上旬号,132-133

・羽仁進 1959c,「崩れた現実への架け橋 衝突し飛散しそして抵抗するモンタージュを」『CBCレポート』7月号,7-9

・宮田章 2018,「データから読み解くテレビドキュメンタリー研究」『放送研究と調査』4月号,16-43

・宮田章 2019,「NHKドキュメンタリーの制作技法の中長期的な展開 ~主に技術環境の視点から~」

『放送研究と調査』4月号,2-29・宮田章 2020,「『日本の素顔』の制作技法 第1

回問いと分析枠組みの設定」『放送研究と調査』4月号,2-27

・村山匡一郎2006,「総論 方法としてのドキュメンタリー」,村山編『映画は世界を記録する―ドキュメンタリー再考』8-30,森話社

・吉田直哉1959,「不完全燃焼を忌む」『三田文学』10月号,57-63

・吉田直哉1960a, 「テレビ・ドキュメンタリーの構成 ―『日本の素顔』を主材として―」『放送文化』2月号,15-23

・吉田直哉1960b,「テレビ・ドキュメンタリーとは何か」『記録映画』9月号,6-8

・吉田直哉 2003,『映像とは何だろうか―テレビ制作者の挑戦―』岩波書店

・Nichols, Bill, 2017, Introduction to Documentary, Third Edition , Indiana University Press.