日本の絵本の み - 国際子ども図書館絵 え 本 ほん の絵 え は、文 も 字 じ...

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A History of Japanese Picture Books From picture scrolls to contemporary picture books 日本の絵本の歩み 略年表 時代・年代 7世紀頃 製紙技術の日本渡来 8世紀 『絵因果経』(絵巻の原形登場) 764~770年 『百万塔陀羅尼経』(日本最古の印刷物) 『竹取物語』(日本最古の物語文学) 12世紀 『源氏物語絵巻』 『鳥獣人物戯画絵巻』甲・乙巻 室町時代 (1336-1573)後期 「奈良絵本」の登場 1608年 「嵯峨本」の刊行『伊勢物語』(古活字) 寛永 (1624-44年)頃 「丹緑本」の登場 寛文 (1661-73年)頃 江戸の「赤小本」・上方の「小本」の登場 享保 (1716年-)頃 「赤本」「黒本・青本」の登場 1765年 「錦絵」の起こり(鈴木春信ら、絵暦で 多色摺り版画を創始) 1775(安永4)年「黄表紙」『金々先生栄花夢』登場 1806(文化3)年「合巻」起こる 1870(明治3)年『絵入智慧の環』刊行 1885(明治18)年「ちりめん本」の登場 1887(明治20)年 絵雑誌『教育 小供のはな誌』創刊 1911(明治44)年〈日本一ノ画噺〉刊行 1914(大正3)年 絵雑誌『子供之友』創刊 1918(大正7)年 児童文芸雑誌『赤い鳥』創刊 1922(大正11)年 絵雑誌『コドモノクニ』創刊 1927(昭和2)年 観察絵本『キンダーブック』創刊 1936(昭和11)年〈講談社の絵本〉創刊 1944(昭和19)年 絵雑誌の統廃合 1949(昭和24)年〈世界の絵本〉創刊 1953(昭和28)年〈岩波こどもの本〉創刊 1956(昭和31)年 月刊絵本『こどものとも』創刊 1963(昭和38)年 松野正子/瀬川康男「ふしぎなたけのこ」 (『こどものとも』87号) なかがわりえこ/おおむらゆりこ「ぐり とぐら」(『こどものとも』93号) 1966(昭和41)年 西内みなみ/堀内誠一『ぐるんぱのよう ちえん』(こどものとも傑作集32) 時代・年代 1967(昭和42)年 松居直/赤羽末吉『だいくとおにろく』 (こどものとも傑作集36) 松谷みよ子/瀬川康男『いないいないば あ』 大塚勇三/赤羽末吉『スーホの白い馬: モンゴル民話』 加古里子「だるまちゃんとてんぐちゃん」 (『こどものとも』131号) 1968(昭和43)年 いわさきちひろ『あめのひのおるすばん』 1969(昭和44)年 レオ・レオニ/谷川俊太郎『スイミー : ちいさなかしこいさかなのはなし』 西巻茅子『わたしのワンピース』 1971(昭和46)年 安野光雅『ふしぎなえ』(こどものとも 傑作集) 1973(昭和48)年 田島征三『ふきまんぶく』 1974(昭和49)年 なかえよしを/上野紀子『ねずみくんの チョッキ』 ふるたたるひ/たばたせいいち『おしい れのぼうけん』 1975(昭和50)年 太田大八『かさ』(ジョイフルえほん傑 作集10) 1976(昭和51)年 長谷川集平『はせがわくんきらいや』 谷川俊太郎/長新太「わたし」(『かがく のとも』91号) 1977(昭和52)年 筒井頼子/林明子『はじめてのおつかい』 (こどものとも傑作集) 1979(昭和54)年 五味太郎『さる・るるる』 1980(昭和55)年 丸木俊『ひろしまのピカ』 長新太『キャベツくん』 1982(昭和57)年 やぎゅうげんいちろう『はなのあなのは なし』(かがくのとも傑作集) 1983(昭和58)年 山下明生/杉浦範茂『まつげの海のひこ うせん』 1984(昭和59)年 片山健『どんどんどんどん』 1991(平成3)年 荒井良二『ユックリとジョジョニ』 武田美穂『となりのせきのますだくん』 1996(平成8)年 和田誠『ねこのシジミ』 1998(平成10)年 あべ弘士『ゴリラにっき』 2000(平成12)年 井上洋介『でんしゃえほん』 2011(平成23)年 長谷川義史『ラーメンちゃん』 2014(平成26)年 たじまゆきひこ『ふじぎなともだち』 ミロコマチコ『オレときいろ』 日本絵本絵巻から現代の絵本まで 国立国会図書館国際子ども図書館・ちひろ美術館共催展示会 15

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Page 1: 日本の絵本の み - 国際子ども図書館絵 え 本 ほん の絵 え は、文 も 字 じ で書 か かれた内 ない 容 よう を分 わ かりやすく示 しめ

A History of Japanese Picture Books─From picture scrolls to contemporary picture books

日本の絵本の歩み 略年表時代・年代

7世紀頃 製紙技術の日本渡来

8世紀 『絵因果経』(絵巻の原形登場)

764~770年『百万塔陀羅尼経』(日本最古の印刷物)『竹取物語』(日本最古の物語文学)

12世紀『源氏物語絵巻』『鳥獣人物戯画絵巻』甲・乙巻

室町時代 (1336-1573)後期 「奈良絵本」の登場

1608年 「嵯峨本」の刊行『伊勢物語』(古活字)

寛永(1624-44年)頃

「丹緑本」の登場

寛文(1661-73年)頃

江戸の「赤小本」・上方の「小本」の登場

享保(1716年-)頃

「赤本」「黒本・青本」の登場

1765年 「錦絵」の起こり(鈴木春信ら、絵暦で多色摺り版画を創始)

1775(安永 4 )年 「黄表紙」『金々先生栄花夢』登場

1806(文化 3 )年 「合巻」起こる

1870(明治 3 )年 『絵入智慧の環』刊行

1885(明治18)年 「ちりめん本」の登場

1887(明治20)年 絵雑誌『教育 小供のはな誌』創刊

1911(明治44)年 〈日本一ノ画噺〉刊行

1914(大正 3 )年 絵雑誌『子供之友』創刊

1918(大正 7 )年 児童文芸雑誌『赤い鳥』創刊

1922(大正11)年 絵雑誌『コドモノクニ』創刊

1927(昭和 2 )年 観察絵本『キンダーブック』創刊

1936(昭和11)年 〈講談社の絵本〉創刊

1944(昭和19)年 絵雑誌の統廃合

1949(昭和24)年 〈世界の絵本〉創刊

1953(昭和28)年 〈岩波こどもの本〉創刊

1956(昭和31)年 月刊絵本『こどものとも』創刊

1963(昭和38)年

松野正子/瀬川康男「ふしぎなたけのこ」(『こどものとも』87号)なかがわりえこ/おおむらゆりこ「ぐりとぐら」(『こどものとも』93号)

1966(昭和41)年 西内みなみ/堀内誠一『ぐるんぱのようちえん』(こどものとも傑作集32)

時代・年代

1967(昭和42)年

松居直/赤羽末吉『だいくとおにろく』(こどものとも傑作集36)松谷みよ子/瀬川康男『いないいないばあ』大塚勇三/赤羽末吉『スーホの白い馬:モンゴル民話』加古里子「だるまちゃんとてんぐちゃん」

(『こどものとも』131号)

1968(昭和43)年 いわさきちひろ『あめのひのおるすばん』

1969(昭和44)年レオ・レオニ/谷川俊太郎『スイミー :ちいさなかしこいさかなのはなし』西巻茅子『わたしのワンピース』

1971(昭和46)年 安野光雅『ふしぎなえ』(こどものとも傑作集)

1973(昭和48)年 田島征三『ふきまんぶく』

1974(昭和49)年

なかえよしを/上野紀子『ねずみくんのチョッキ』ふるたたるひ/たばたせいいち『おしいれのぼうけん』

1975(昭和50)年 太田大八『かさ』(ジョイフルえほん傑作集10)

1976(昭和51)年長谷川集平『はせがわくんきらいや』谷川俊太郎/長新太「わたし」(『かがくのとも』91号)

1977(昭和52)年 筒井頼子/林明子『はじめてのおつかい』(こどものとも傑作集)

1979(昭和54)年 五味太郎『さる・るるる』

1980(昭和55)年丸木俊『ひろしまのピカ』長新太『キャベツくん』

1982(昭和57)年 やぎゅうげんいちろう『はなのあなのはなし』(かがくのとも傑作集)

1983(昭和58)年 山下明生/杉浦範茂『まつげの海のひこうせん』

1984(昭和59)年 片山健『どんどんどんどん』

1991(平成 3 )年荒井良二『ユックリとジョジョニ』武田美穂『となりのせきのますだくん』

1996(平成 8 )年 和田誠『ねこのシジミ』

1998(平成10)年 あべ弘士『ゴリラにっき』

2000(平成12)年 井上洋介『でんしゃえほん』

2011(平成23)年 長谷川義史『ラーメンちゃん』

2014(平成26)年たじまゆきひこ『ふじぎなともだち』ミロコマチコ『オレときいろ』

日本の絵本の歩み─絵巻から現代の絵本まで

国立国会図書館国際子ども図書館・ちひろ美術館共催展示会

15

Page 2: 日本の絵本の み - 国際子ども図書館絵 え 本 ほん の絵 え は、文 も 字 じ で書 か かれた内 ない 容 よう を分 わ かりやすく示 しめ

絵え

本ほん

の絵え

は、文も

字じ

で書か

かれた内ない

容よう

を分わ

かりやすく示しめ

すためのものであると同どう

時じ

に、見み

て楽たの

しむためのものでもあります。文

字じ

と絵え

はお互たが

いに補ほ

足そく

し合あ

い、絵え

本ほん

の内ない

容よう

を豊ゆた

かにしています。絵え

入い

りの作さく

品ひん

は、ページをまとめた冊さっ

子し

装そう

、つまり現げん

在ざい

の「本ほん

」の形かたち

が一いっ

般ぱん

的てき

になる前まえ

から製せい

作さく

されていました。それは絵え

巻まき

、つまり文も

字じ

(詞ことば

書がき

)と絵え

を交こう

互ご

に展てん

開かい

する巻まき

物もの

の形かたち

をした作さく

品ひん

です。こうした装そう

丁てい

のことを巻かん

子す

装そう

と呼よ

びます。ページの大

おお

きさがあらかじめ決き

まっている冊さっ

子し

に対たい

し、巻かん

子す

はそれぞれのまとまり(段だん

)の長なが

さが内ない

容よう

の量りょう

によって決き

まり、必かなら

ずしも一いっ

定てい

ではありません。また、巻ま

いてある巻かん

子す

をどの位くらい

広ひろ

げて見み

るのか、見み

る人ひと

自じ

身しん

がその都つ

度ど

決き

めることができます。

▪絵えのついた「お経

きょう」―絵

え因いん果が経きょう

8世せい

紀き

(奈な

良ら

時じ

代だい

)の「絵え

因いん

果が

経きょう

」(『過か

去こ

現げん

在ざい

因いん

果が

経きょう

』)では、下げ

段だん

の経きょう

文もん

に、釈しゃ

迦か

の前ぜん

世せ

や釈しゃ

迦か

として生う

まれてからの物もの

語がたり

がまとめられています。上じょう

段だん

には下げ

段だん

のエピソードに対たい

応おう

した場ば

面めん

を描えが

いて、上じょう

下げ

で組く

み合あ

わせた構こう

成せい

になっています。「巻

かん

子す

に描えが

いてあること、文も

字じ

と絵え

の組く

み合あ

わせであること」という共きょう

通つう

の特とく

徴ちょう

はこうした絵え

入い

り経きょう

が絵え

巻まき

物もの

の原げん

形けい

であることを想そう

像ぞう

させます。しかし、「上じょう

下げ

で文も

字じ

と絵え

を組く

み合あ

わせる」手

しゅ

法ほう

は、のちの絵え

巻まき

物もの

には継けい

承しょう

されませんでした。

▪さまざまな絵え巻まき―物

もの語がたりの多

た様よう化か

「絵え

因いん

果が

経きょう

」の後あと

、12世せい

紀き

(平へい

安あん

時じ

代だい

)までには文も

字じ

(詞ことば

書がき

)と絵え

が交こう

互ご

に展てん

開かい

する絵え

巻まき

物もの

が登とう

場じょう

します。鑑かん

賞しょう

者しゃ

はより物もの

語がたり

の展てん

開かい

を楽たの

しむようになりました。表ひょう

現げん

形けい

式しき

が確かく

立りつ

したことで、登とう

場じょう

人じん

物ぶつ

の恋こい

や悩なや

み、事じ

件けん

ものなど、主しゅ

題だい

もさまざまになります。例たと

えば「道どう

成じょう

寺じ

絵え

巻まき

」は僧そう

侶りょ

に恋こい

するあまり、女

じょ

性せい

が大だい

蛇じゃ

へと身み

を変へん

じてしまう、少すこ

し怖こわ

い不ふ

思し

議ぎ

な物もの

語がたり

です。また「竹

たけ

取とり

物もの

語がたり

」は竹たけ

から生う

まれ、月つき

へと帰かえ

るかぐや姫ひめ

の物もの

語がたり

で現げん

在ざい

に至いた

るまで親した

しまれているストーリーです。

絵え

本ほん

の源げん

流りゅう

1第だい 部ぶ

▲『竹たけ

とり物もの

語がたり

』中ちゅう

[写しゃ

] [江え

戸ど

前ぜん

期き

◀『道どう

成じょう

寺じ

繪え

巻まき

』2[写しゃ

]� [江

戸ど

時じ

代だい

] 

はじめに

絵え

本ほん

には、長なが

く豊ゆた

かな歴れき

史し

があります。日に

本ほん

の絵え

入い

り本ぼん

の歴れき

史し

は、8世せい

紀き

、奈な

良ら

時じ

代だい

の絵え

巻まき

が最さい

古こ

とされ、以い

後ご

、絵え

巻まき

物もの

は平へい

安あん

、鎌かま

倉くら

、室むろ

町まち

へと続つづ

く伝でん

統とう

形けい

式しき

になります。その後ご

、室むろ

町まち

時じ

代だい

には冊さっ

子し

本ぼん

の形けい

式しき

が生う

み出だ

され、やがて江え

戸ど

時じ

代だい

の版はん

本ぽん

草くさ

双ぞう

紙し

へつながっていきます。近きん

代だい

日に

本ほん

初しょ

期き

の絵え

本ほん

は草くさ

双ぞう

紙し

の表ひょう

現げん

形けい

式しき

を受う

け継つ

ぎつつ、西せい

洋よう

の絵え

本ほん

を翻ほん

訳やく

などで消しょう

化か

しながら、明

めい

治じ

・大たい

正しょう

と独どく

自じ

に展てん

開かい

していきます。第だい

二に

次じ

世せ

界かい

大たい

戦せん

後ご

は、子こ

どもの本ほん

の関かん

係けい

者しゃ

の活かっ

発ぱつ

な活かつ

動どう

により、実じっ

験けん

的てき

な試こころ

みや様さま

々ざま

な表ひょう

現げん

による絵え

本ほん

文ぶん

化か

が花はな

開ひら

いていきます。インターネットなど新

あら

たなメディアが普ふ

及きゅう

し、一いっ

層そう

表ひょう

現げん

方ほう

法ほう

が多た

様よう

化か

していく現げん

在ざい

、未み

来らい

を見み

通とお

す意い

味み

でも、日に

本ほん

の絵え

本ほん

の歴れき

史し

を概がい

観かん

する試こころ

みは意い

義ぎ

あることと考かんが

えます。それぞれの時じ

代だい

における絵え

本ほん

という視し

点てん

で、1300年ねん

の日に

本ほん

の絵え

本ほん

の歩あゆ

みをたどります。

はじめに…………………………………………… 1

第だい1部ぶ 絵

え本ほんの源げん流りゅう………………………………… 2

第だい2部ぶ 絵

え本ほんの歴れき史し………………………………… 3

第だい3部ぶ …明めい治じから戦

せん前ぜん期きまでの絵

え本ほんと絵

え雑ざっ誌し…… 6

第だい4部ぶ 現げん代だいの絵

え本ほん…………………………………11

主おもな参さん考こう文ぶん献けん………………………………………14

日に本ほんの絵

え本ほんの歩あゆみ 略

りゃく年ねん表ぴょう………………………15

目もく

次じ

この資し

料りょう

について

・…この資し

料りょう

は国こく

立りつ

国こっ

会かい

図と

書しょ

館かん

国こく

際さい

子こ

ども図と

書しょ

館かん

とちひろ美

術じゅつ

館かん

共きょう

催さい

の展てん

示じ

会かい

「日に

本ほん

の絵え

本ほん

の歩あゆ

み―絵え

巻まき

から現

げん

代だい

の絵え

本ほん

まで」(平へい

成せい

29年ねん

11月がつ

1日にち

~11月がつ

30日にち

)の内ない

容よう

をまとめたパンフレットです。

・…国こく

際さい

子こ

ども図と

書しょ

館かん

とちひろ美び

術じゅつ

館かん

が共きょう

同どう

で執しっ

筆ぴつ

しました。

・…所しょ

蔵ぞう

が記き

載さい

されていない資し

料りょう

はすべて国こく

立りつ

国こっ

会かい

図と

書しょ

館かん

所しょ

蔵ぞう

資し

料りょう

です。

・…国こく

立りつ

国こっ

会かい

図と

書しょ

館かん

所しょ

蔵ぞう

資し

料りょう

図ず

版はん

の書しょ

誌し

事じ

項こう

の詳しょう

細さい

は原げん

則そく

として国こく

立りつ

国こっ

会かい

図と

書しょ

館かん

の目もく

録ろく

を採さい

用よう

しました。 …表ひょう

記き

は、タイトル・著ちょ

者しゃ

名めい

等とう

・掲けい

載さい

雑ざっ

誌し

名めい

等とう

・出しゅっ

版ぱん

者しゃ

・出しゅっ

版ぱん

年ねん

の順じゅん

です。

・…ちひろ美び

術じゅつ

館かん

及およ

び個こ

人じん

所しょ

蔵ぞう

資し

料りょう

は絵え

本ほん

の原げん

画が

です。名めい

称しょう

等とう

は各かく

所しょ

蔵ぞう

者しゃ

のデータによります。

・…掲けい

載さい

資し

料りょう

は実じっ

際さい

の展てん

示じ

とは異こと

なる場ば

合あい

があります。

表ひょう紙しの資

し料りょう

左ひだり

上うえ

から順じゅん

に❶『小

袖そで

曽そ

我が

』[写しゃ

] [江え

戸ど

前ぜん

期き

]❷�『コドモノヒカリ』6巻

かん

7号ごう

 帝てい

國こく

教きょう

育いく

會かい

出しゅっ

版ぱん

部ぶ

 1942❸『ふんふく茶

ちゃ

釜がま

』刊[鱗うろこ

形がた

屋や

] [江え

戸ど

中ちゅう

期き

]❹『伊

吹ぶき

とうし』[写しゃ

] [江え

戸ど

前ぜん

期き

]❺�『ふしぎなたけのこ』松

まつ

野の

正まさ

子こ

�作さく

 瀬せ

川がわ

康やす

男お

�絵え

��(こどものとも87号

ごう

) 福ふく

音いん

館かん

書しょ

店てん

 1963❻�『戦

せん

火か

のなかの子こ

どもたち』より いわさきちひろ�1973 ちひろ美

術じゅつ

館かん

蔵ぞう

❼「月つき

夜よ

の精せい

」岡おか

本もと

帰き

一いち

 1920 ちひろ美び

術じゅつ

館かん

蔵ぞう

❽『ライオンのながいいちにち』より あべ弘ひろ

士し

 2004❾『どんどんどんどん』片

かた

山やま

健けん

[作さく

] 文ぶん

研けん

出しゅっ

版ぱん

 1984❿�『だるまちゃんとてんぐちゃん』加

古こ

里さと

子し

�作さく

・絵え

��(こどものとも131号

ごう

) 福ふく

音いん

館かん

書しょ

店てん

 1967⓫「人

にん

形ぎょう

の夢ゆめ

」武たけ

井い

武たけ

雄お

 制せい

作さく

年ねん

不ふ

明めい

 ちひろ美び

術じゅつ

館かん

蔵ぞう

1 2

Page 3: 日本の絵本の み - 国際子ども図書館絵 え 本 ほん の絵 え は、文 も 字 じ で書 か かれた内 ない 容 よう を分 わ かりやすく示 しめ

▪草くさ双ぞう紙し

朱しゅ

色いろ

の表ひょう

紙し

の赤あか

本ほん

は、昔むかし

話ばなし

が中ちゅう

心しん

で文も

字じ

が少すく

ないものでした。墨すみ

色いろ

や萌もえ

黄ぎ

色いろ

の黒くろ

本ほん

・青あお

本ほん

では浄

じょう

瑠る

璃り

や歌か

舞ぶ

伎き

の筋すじ

書が

きなども取と

りいれられ、黄き

色いろ

(藁わら

色いろ

)の黄き

表びょう

紙し

ではさらに滑こっ

稽けい

や世せ

相そう

の風ふう

刺し

も含ふく

まれ、大お と な

人の読どく

者しゃ

を獲かく

得とく

していきました。そして作

さく

品ひん

が次し

第だい

に長ちょう

編へん

化か

し数すう

冊さつ

を合がっ

冊さつ

したのが合ごう

巻かん

です。草くさ

双ぞう

紙し

は木もく

版はん

印いん

刷さつ

で量りょう

産さん

ができ、安あん

価か

だったため、一いっ

般ぱん

庶しょ

民みん

でも購こう

入にゅう

でき、子

どもたちも楽たの

しめるようになりました。

▪ちりめん本ぼん

1885(明めい

治じ

18)年ねん

ごろから昭しょう

和わ

初しょ

期き

まで、「ちりめん本ぼん

」という欧おう

文ぶん

の小こ

型がた

絵え

入い

り本ぼん

が作つく

られました。和

紙し

に多た

色しょく

木もく

版はん

で絵え

を刷す

り、絹きぬ

織おり

物もの

の縮ちり

緬めん

のようなしわ加か

工こう

をしたのち、活かっ

版ぱん

で文も

字じ

を印いん

刷さつ

し、和わ

綴と

じにしてあります。日に

本ほん

の昔むかし

話ばなし

などを宣せん

教きょう

師し

や教きょう

員いん

等とう

として来らい

日にち

した外がい

国こく

人じん

が翻ほん

訳やく

し、小こ

林ばやし

永えい

濯たく

などの絵え

師し

が絵え

を手て

がけています。英えい

語ご

のほかフランス語ご

・ドイツ語ご

・ オランダ語

・スペイン語ご

などがあり、日に

本ほん

居きょ

住じゅう

の外がい

国こく

人じん

や海かい

外がい

輸ゆ

出しゅつ

向む

けに出しゅっ

版ぱん

され、来らい

日にち

した外がい

国こく

人じん

の土み や げ

産にもなりました。

室むろ

町まち

時じ

代だい

の末すえ

に、巻かん

子す

の形かたち

から綴と

じられた冊さっ

子し

の形かたち

となった奈な

良ら

絵え

本ほん

が誕たん

生じょう

します。そこには、巻

まき

物もの

という形かたち

のもつ不ふ

便べん

さから、より扱あつか

いの簡かん

単たん

な冊さっ

子し

への自し

然ぜん

な移い

行こう

がありました。すなわち、絵

巻まき

の簡かん

略りゃく

な絵え

本ほん

化か

ともいえるものです。ただ、奈な

良ら

絵え

本ほん

は一いっ

点てん

一いっ

点てん

手て

作づく

りで、限かぎ

られた人

ひと

の目め

にしか触ふ

れられないものでした。江え

戸ど

時じ

代だい

に入はい

ると、一いち

枚まい

の版はん

木ぎ

に文も

字じ

や絵え

を彫ほ

って印いん

刷さつ

された本ほん

が普ふ

及きゅう

し、商しょう

業ぎょう

出しゅっ

版ぱん

の出しゅつ

現げん

と相あい

まって庶しょ

民みん

にも読どく

者しゃ

層そう

が広ひろ

がります。室むろ

町まち

時じ

代だい

に始はじ

まった御お

伽とぎ

草ぞう

子し

とよばれる短たん

編ぺん

の小しょう

説せつ

に絵え

をつけ、印いん

刷さつ

して読よ

まれるようになります。丹たん

緑ろく

本ぼん

などはそのようにして奈

良ら

絵え

本ほん

を大たい

衆しゅう

化か

した形

かたち

です。

子こ

どもにも広ひろ

がりを見み

せた本ほん

は17世せい

紀き

の半なか

ばころから現あらわ

れます。それが、草くさ

双ぞう

紙し

の先さき

駆が

けの赤あか

小こ

本ほん

です。草くさ

双ぞう

紙し

とは、江え

戸ど

時じ

代だい

の庶しょ

民みん

に読よ

まれた絵え

が主おも

な本ほん

で、その表ひょう

紙し

の色いろ

から赤あか

本ほん

や黒くろ

本ほん

・青あお

本ほん

、黄き

表びょう

紙し

、合ごう

巻かん

と呼よ

ばれる本ほん

の総そう

称しょう

です。また、合ごう

巻かん

と同おな

じように華はな

やかな表ひょう

紙し

をもつ、サイズの小

ちい

さい豆まめ

本ほん

、そして一いち

枚まい

刷ず

りのおもちゃ絵え

という、さまざまなテーマを持も

った印いん

刷さつ

物ぶつ

も江え

戸ど

末まっ

期き

に登とう

場じょう

します。これらは、明

めい

確かく

にはどれを大お と な

人が読よ

み、どれを子こ

どもが読よ

んだか線せん

引び

きしにくいもので、複ふく

数すう

の読どく

者しゃ

が一いっ

緒しょ

に音おん

読どく

したり、貸かし

本ほん

屋や

から借か

りて読よ

むことが多おお

かったといわれています。そして、それぞれの絵え

入い

り本ぼん

の中なか

身み

を見み

ると、現げん

代だい

の絵え

本ほん

や漫まん

画が

にも通つう

じるような絵

とテキストの見み

せ方かた

の工く

夫ふう

が随ずい

所しょ

に感かん

じられ、絵

がとても大たい

切せつ

な要よう

素そ

であったことも見み

てとれます。

▪奈な良ら絵え本ほん・絵

え巻まき、丹

たん緑ろく本ぼん

巻まき

物もの

が小こ

型がた

化か

し、奈な

良ら

絵え

巻まき

ともいわれる御お

伽とぎ

草ぞう

子し

や舞まい

の本ほん

の小ちい

さな絵え

巻まき

が現あらわ

れます。奈な

良ら

絵え

本ほん

は、金きん

銀ぎん

箔はく

、胡ご

粉ふん

を用もち

いた極ごく

彩さい

色しょく

の絵え

で、昔むかし

は棚たな

かざり本ぼん

とも呼よ

ばれたほどで、縦たて

型がた

と横よこ

型がた

の判はん

型けい

がある冊さっ

子し

体たい

のものでした。丹たん

緑ろく

本ぼん

は、墨すみ

摺ず

りの版はん

本ぽん

に、手て

彩ざい

色しき

で朱しゅ

、緑みどり

、黄き

色いろ

などを加くわ

えたもので、時じ

期き

や題だい

材ざい

は奈な

良ら

絵え

本ほん

と重かさ

なるものが多おお

いと言い

われます。

▲�『くまのゝほんち』下げ

 [寛かん

永えい

末まつ

-正しょう

保ほう

頃ころ

]刊かん

(丹たん

緑ろく

本ぼん

) 

▲�『むぢなのかたきうち』刊かん

 [江え

戸ど

前ぜん

期き

](赤あか

小こ

本ほん

▲�『初しょ

登とう

山ざん

手て

習ならい

方じ ょ う

帖』十じっ

返ぺん

舎しゃ

一いっ

九く

[画が

作さく

]刊[榎えの

本もと

屋や

吉きち

兵べ

衛え

]�寛かん

政せい

8�[1796](黄き

表びょう

紙し

◀�Japanische�Märchen �[3].�Der�Kampf�der�Krabbe�mit�dem�Affen=猿

さる

蟹かに

合かっ

戰せん

�ア・グロヲト�訳

やく

述じゅつ

 T.�Hasegawa 1885.12-1889.11(ちりめん本

ぼん

、ドイツ語ご

絵え

本ほん

の歴れき

史し

◀『小こ

敦あつ

盛もり

』下げ

巻かん

[写しゃ

]� [江

戸ど

前ぜん

期き

](奈な

良ら

絵え

本ほん

2第だい 部ぶ

3 4

Page 4: 日本の絵本の み - 国際子ども図書館絵 え 本 ほん の絵 え は、文 も 字 じ で書 か かれた内 ない 容 よう を分 わ かりやすく示 しめ

奈な

良ら

絵え

本ほん

や草くさ

双ぞう

紙し

に代だい

表ひょう

される絵え

入い

り本ぼん

は長なが

く続つづ

きました。明めい

治じ

初しょ

期き

にも絵え

入い

りや絵え

解と

きの本ほん

は出しゅっ

版ぱん

されていましたが、今こん

日にち

のような子こ

どものための絵え

本ほん

につながる本ほん

が登とう

場じょう

したのは明めい

治じ

も後こう

半はん

、1900年ねん

代だい

になってからのことです。西

せい

洋よう

の新あたら

しい印いん

刷さつ

技ぎ

術じゅつ

が導どう

入にゅう

され多た

色しょく

印いん

刷さつ

が飛ひ

躍やく

的てき

に普ふ

及きゅう

したこと、また、西

せい

洋よう

から近きん

代だい

的てき

児じ

童どう

観かん

を含ふく

む新あたら

しい思し

潮ちょう

がもたらされ幼よう

児じ

教きょう

育いく

制せい

度ど

が整せい

備び

されたこと、日にっ

清しん

・日にち

露ろ

戦せん

争そう

による戦せん

時じ

景けい

気き

の影えい

響きょう

などが考かんが

えられます。子こ

どものための絵え

本ほん

の歴れき

史し

を考かんが

える時とき

、明めい

治じ

時じ

代だい

から始はじ

まった「絵え

雑ざっ

誌し

」と単たん

行こう

の「絵

本ほん

」という二ふた

つの大おお

きな流なが

れを無む

視し

することはできません。

この第だい

3部ぶ

では、その「絵え

雑ざっ

誌し

」と「絵え

本ほん

」の二

ふた

つに分わ

けて、明めい

治じ

期き

から戦せん

前ぜん

期き

までの絵え

本ほん

の歩あゆ

みを追お

っていきます。

明めい

治じ

から戦せん

前ぜん

期き

までの絵え

本ほん

と絵え

雑ざっ

誌し

3第だい 部ぶ

▲�『少しょう

年ねん

智ち

識しき

画が

報ほう

』2号ごう

 近きん

事じ

畫が

報ほう

社しゃ

 1905

◀▲�『絵え

入いり

智ち

慧え

の環わ

』初しょ

編へん

�上じょう

 �古ふる

川かわ

正まさ

雄お

�著ちょ

 古ふる

川かわ

正まさ

雄お

 1872

1980(昭しょう

和わ

55)年ねん

、三み

重え

県けん

松まつ

阪さか

市し

の旧きゅう

射い ざ わ

和寺じ

にある地じ

蔵ぞう

菩ぼ

薩さつ

の胎たい

内ない

から、12冊さつ

の小こ

型がた

絵え

本ほん

と手て

習なら

いの反ほ

故ご

等とう

の紙かみ

類るい

が見み

つかりました。本ほん

の見み

返かえ

しの書か

き入い

れや、一いっ

緒しょ

に入はい

っていた書か

き付つ

け等とう

から、1678(延えん

宝ぽう

6)年ねん

に10代だい

で没ぼっ

した帯おび

屋や

長ちょう

九く

郎ろう

の供く

養よう

のために父ちち

親おや

の帯おび

屋や

次じ

郎ろ

吉きち

が地じ

蔵ぞう

菩ぼ

薩さつ

の胎たい

内ない

に納おさ

めて寄き

進しん

したことが推すい

定てい

されました。この絵

本ほん

類るい

の中なか

には1677(延えん

宝ぽう

5)年ねん

以い

前ぜん

の刊かん

行こう

年ねん

と、京きょう

都と

の版はん

元もと

の名な

が刻こく

されたものがあります。それまで、子

ども向む

け絵え

本ほん

は、1678(延えん

宝ぽう

6年ねん

)に江え

戸ど

で出しゅっ

版ぱん

された赤あか

小こ

本ほん

が確かく

認にん

できる最さい

古こ

のもので、江え

戸ど

から始はじ

まったと考かんが

えられていました。しかし、この発はっ

見けん

によって同

どう

時じ

期き

あるいはそれより先さき

に上かみ

方がた

でも出しゅっ

版ぱん

されていたことがわかったのです。また、実

じっ

際さい

に子こ

どもが持も

っていた本ほん

であるらしいという点てん

においてもこの絵え

本ほん

類るい

は大たい

変へん

興きょう

味み

深ぶか

い資し

料りょう

です。

松まつ

阪さか

市し

射い ざ わ

和町ちょう

の地じ

蔵ぞう

菩ぼ

薩さつ

と� 近

きん

世せい

初しょ

期き

上かみ

方がた

子こ

供ども

絵え

本ほん

▲�木もく

造ぞう

地じ

蔵ぞう

菩ぼ

薩さつ

坐ざ

像ぞう

(重じゅう

要よう

文ぶん

化か

財ざい

)�南なん

北ぼく

朝ちょう

時じ

代だい

(14世せい

紀き

) �松まつ

阪さか

市し

射い ざ わ

和町ちょう

 射い

佐さ

和わ

神じん

社じゃ

蔵ぞう

�胎たい

内ない

から絵え

本ほん

類るい

が見み

つかった地じ

蔵ぞう

菩ぼ

薩さつ

▲�『天てん

狗ぐ

そろへ』(刊かん

記き

なし)の表ひょう

紙し

と見み

返かえ

し �見

返かえ

しに「延えん

宝ぽう

6年ねん

 帯おび

屋や

長ちょう

九く

郎ろう

」という墨ぼく

書しょ

がある。 �この墨

ぼく

書しょ

と天てん

狗ぐ

の絵え

の彩さい

色しき

は子こ

どもによるものと推すい

定てい

されている。

近きん

世せい

初しょ

期き

上かみ

方がた

子こ

供ども

絵え

本ほん

(三み

重え

県けん

指し

定てい

文ぶん

化か

財ざい

)松まつ

阪さか

市し

射い ざ わ

和町ちょう

自じ

治ち

会かい

蔵ぞう

協きょう

力りょく

:松まつ

阪さか

市し

射い ざ わ

和町ちょう

自じ

治ち

会かい

◀�赤あか

小こ

本ほん

 �『おぐり判はん

官がん

てるて物もの

語がたり

』�延えん

宝ぽう

5(1677)年ねん

刊かん

◀�刊かん

記き

があるものでは一いち

番ばん

古ふる

い、�寛かん

文ぶん

7(1667)年ねん

刊かん

の�『牛

うし

若わか

千せん

人にん

切ぎり

はし弁べん

慶けい

』 �10冊

さつ

のうち2冊さつ

が赤あか

小こ

本ほん

で�他ほか

の表ひょう

紙し

は墨すみ

色いろ

だった。

◀▲�赤あか

小こ

本ほん

『軍ぐん

舞まい

』�寛かん

文ぶん

8(1668)年ねん

刊かん

 �表ひょう

紙し

と見み

開ひら

5 6

Page 5: 日本の絵本の み - 国際子ども図書館絵 え 本 ほん の絵 え は、文 も 字 じ で書 か かれた内 ない 容 よう を分 わ かりやすく示 しめ

絵え

雑ざっ

誌し

の歩あゆ

近きん

代だい

日に

本ほん

の児じ

童どう

文ぶん

学がく

のメディアとして用もち

いられたのが児じ

童どう

文ぶん

芸げい

雑ざっ

誌し

です。対たい

象しょう

読どく

者しゃ

は少しょう

年ねん

から少

しょう

女じょ

へ、そして低てい

年ねん

齢れい

層そう

へと多た

様よう

化か

していき、幼よう

年ねん

向む

けに絵え

を中ちゅう

心しん

とした絵え

雑ざっ

誌し

が刊かん

行こう

されるようになりました。

やがて大たい

正しょう

期き

に入はい

ると、大たい

正しょう

デモクラシーの自じ

由ゆう

な雰ふん

囲い

気き

と好こう

景けい

気き

に支ささ

えられ、芸げい

術じゅつ

性せい

を重じゅう

視し

する児じ

童どう

文ぶん

芸げい

雑ざっ

誌し

が創そう

刊かん

され、それと同どう

時じ

に、より質しつ

の高たか

い絵え

を中ちゅう

心しん

にすえた絵え

雑ざっ

誌し

が次つぎ

々つぎ

に創そう

刊かん

されました。そして『コドモノクニ』の登

とう

場じょう

により、絵え

雑ざっ

誌し

はさらに勢

いきお

いを増ま

します。児じ

童どう

文ぶん

芸げい

雑ざっ

誌し

の専せん

属ぞく

画が

家か

が一いち

堂どう

に会かい

して作さく

品ひん

を発はっ

表ぴょう

し、競きそ

い合あ

いながら芸げい

術じゅつ

を模も

索さく

していく場ば

となりました。しかし昭

しょう

和わ

恐きょう

慌こう

を経へ

て戦せん

争そう

の時じ

代だい

に入はい

ると、これらの絵え

雑ざっ

誌し

は戦せん

時じ

統とう

制せい

によって統とう

廃はい

合ごう

され、衰すい

退たい

していきました。

▪草そう創そう期きの絵

え雑ざっ誌し

現げん

在ざい

確かく

認にん

されている日に

本ほん

最さい

古こ

の絵え

雑ざっ

誌し

は、『教きょう

育いく

小こ

供ども

のはな誌し

』です。モノクロ印いん

刷さつ

の数すう

ページの小しょう

冊さっ

子し

でした。多た

色しょく

印いん

刷さつ

の絵え

雑ざっ

誌し

の最さい

初しょ

の例れい

は、大おお

阪さか

で創そう

刊かん

された『お伽とぎ

絵え

解とき

こども』とされています。欧おう

米べい

の絵え

本ほん

をもとにしたモダンな誌し

面めん

は、その後ご

の絵え

雑ざっ

誌し

に大おお

きな影えい

響きょう

を与あた

えたと言い

われています。この『お伽

とぎ

絵え

解とき

こども』に刺し

激げき

されたかのように、その後ご

東とう

京きょう

でも『家か

庭てい

教きょう

育いく

絵え

ばなし』、『少

しょう

年ねん

智ち

識しき

画が

報ほう

』、『少しょう

女じょ

智ち

識しき

画が

報ほう

』、『幼よう

年ねん

画が

報ほう

』などが次つぎ

々つぎ

に創そう

刊かん

されました。

▪『赤あかい鳥

とり』の画

が家かたち

大たい

正しょう

期き

、『赤あか

い鳥とり

』など、子こ

どもの無む

垢く

な心こころ

を大たい

切せつ

にする「童どう

心しん

主しゅ

義ぎ

」にもとづいた児

童どう

文ぶん

芸げい

雑ざっ

誌し

が相あい

次つ

いで創そう

刊かん

されました。明めい

治じ

期き

の児じ

童どう

出しゅっ

版ぱん

の絵え

の描か

き手て

は日に

本ほん

画が

家か

が中ちゅう

心しん

でしたが、『赤あか

い鳥とり

』などでは洋よう

画が

家か

が活かつ

躍やく

しました。『赤あか

い鳥とり

』の清し

水みず

良よし

雄お

、『金きん

の船ふね

』の岡おか

本もと

帰き

一いち

、『童どう

話わ

』の川

かわ

上かみ

四し

郎ろう

、『おとぎの世せ

界かい

』の初はつ

山やま

滋しげる

らがそれぞれ専せん

属ぞく

の画が

家か

として腕うで

をふるい、その後ご

、絵え

雑ざっ

誌し

へと活かつ

動どう

の場ば

を移うつ

していきます。こうした子

どものための本ほん

に描えが

かれた絵え

を「童どう

画が

」と名

付づ

けたのは武たけ

井い

武たけ

雄お

ですが、画

家か

は「童どう

画が

家か

」と呼よ

ばれるようになります。

▪絵え雑ざっ誌し黄おう金ごん時じ代だい

大たい

正しょう

初しょ

期き

に近きん

代だい

的てき

な児じ

童どう

観かん

に立た

って相あい

次つ

いで創そう

刊かん

された絵え

雑ざっ

誌し

は、第だい

一いち

次じ

世せ

界かい

大たい

戦せん

の好こう

景けい

気き

の波なみ

に乗の

った産さん

業ぎょう

と教きょう

育いく

がうまく呼

応おう

したことによって、黄

おう

金ごん

時じ

代だい

を迎むか

えます。多おお

くの絵え

雑ざっ

誌し

が幼よう

児じ

教きょう

育いく

の専せん

門もん

家か

を編へん

集しゅう

・顧こ

問もん

・主しゅ

筆ひつ

に迎むか

えており、教きょう

育いく

的てき

な『コドモ』や『子こ

供ども

之の

友とも

』、芸げい

術じゅつ

性せい

に重おも

きをおいた『コドモノクニ』、『コドモアサヒ』、観かん

察さつ

絵え

本ほん

という新あたら

しい分ぶん

野や

を開ひら

いた『キンダーブック』などが質しつ

の高たか

い児じ

童どう

文ぶん

化か

を確かく

立りつ

する役やく

目め

も果は

たしました。

▪15年ねん戦せん争そう下かの絵

え雑ざっ誌し

1931(昭しょう

和わ

6)年ねん

の満まん

州しゅう

事じ

変へん

から1945(昭しょう

和わ

20)年ねん

の太たい

平へい

洋よう

戦せん

争そう

の終しゅう

結けつ

までの時じ

期き

は絵え

雑ざっ

誌し

の世せ

界かい

にも大おお

きな影えい

響きょう

を及およ

ぼします。1938(昭

しょう

和わ

13)年ねん

に国こっ

家か

総そう

動どう

員いん

法ほう

が可か

決けつ

されると、同

どう

年ねん

「児じ

童どう

読よみ

物もの

改かい

善ぜん

ニ関かん

スル指し

示じ

要よう

項こう

」が通つう

達たつ

されて、戦せん

局きょく

により物ぶつ

理り

的てき

・内ない

容よう

的てき

に統とう

制せい

が加くわ

えられます。雑ざっ

誌し

の統とう

廃はい

合ごう

も進すす

められ、『キンダーブック』は『ミクニノコドモ』、学

がく

年ねん

別べつ

雑ざっ

誌し

『幼よう

稚ち

園えん

』は『ツヨイコヨイコ』と改かい

題だい

しました。『コドモノヒカリ』などはこの時

期き

に創そう

刊かん

されましたが、1943(昭

しょう

和わ

18)年ねん

に『子こ

供ども

之の

友とも

』、翌よく

年ねん

に『コドモノクニ』が休きゅう

刊かん

し、1945年ねん

にはその他

ほか

の絵え

雑ざっ

誌し

も『日に

本ほん

ノコドモ』に統とう

一いつ

され、同どう

誌し

もやがて休きゅう

刊かん

となりました。

▪戦せん後ごの絵

え雑ざっ誌し

戦せん

後ご

いち早はや

く復ふっ

刊かん

を果は

たしたのは『日に

本ほん

ノコドモ』で、次つ

いで『キンダーブック』も1946(昭

しょう

和わ

21)年ねん

には復ふっ

刊かん

しました。その後

、『家か

庭てい

エホン』、『コドモノハタ』、『ふたば』、『フレンドブック』、『幼よう

年ねん

ブック』、『えほんのくに』など、戦

せん

前ぜん

の絵え

雑ざっ

誌し

の流なが

れをくんだ絵え

雑ざっ

誌し

が次つぎ

々つぎ

に創そう

刊かん

されましたが、残ざん

念ねん

ながら短たん

命めい

で終お

わりました。その中

なか

で創そう

刊かん

された『ベビーダイジェスト』(1953(昭しょう

和わ

28)年ねん

に『こどものせかい』と改かい

題だい

)は、物もの

語がたり

だけでなく、絵え

が果は

たす役やく

割わり

を重じゅう

視し

するという新あたら

しい取と

り組く

みの雑ざっ

誌し

でした。

▲�『子こ

供ども

之の

友とも

』1巻かん

6号ごう

�婦ふ

人じん

之の

友とも

社しゃ

 1914�(表ひょう

紙し

絵え

�北きた

澤ざわ

楽らく

天てん

▲�「お馬うま

の飾かざ

り」『赤あか

い鳥とり

』創そう

刊かん

号ごう

�表ひょう

紙し

絵え

 清し

水みず

良よし

雄お

�1918 ちひろ美

術じゅつ

館かん

蔵ぞう

▲�『幼よう

年ねん

畫が

報ほう

』�7巻かん

8号ごう

 博はく

文ぶん

館かん

�1912

▲�『日に

本ほん

のこども』8巻かん

8号ごう

�国こく

民みん

図と

書しょ

刊かん

行こう

会かい

�1944(表

ひょう

紙し

絵え

�齋さい

藤とう

長ちょう

三ぞう

▲�『ミクニノコドモ』15輯しゅう

1編へん

�日に

本ほん

保ほ

育いく

館かん

�編へん

纂さん

 日に

本ほん

保ほ

育いく

館かん

�1942(表

ひょう

紙し

絵え

�齋さい

藤とう

長ちょう

三ぞう

▲�『コドモノクニ』8巻かん

4号ごう

�東とう

京きょう

社しゃ

 1929�(表ひょう

紙し

絵え

�清し

水みず

良よし

雄お

▲�『キンダーブック』1輯しゅう

8編へん

 �日に

本ほん

玩がん

具ぐ

研けん

究きゅう

會かい

�編へん

 フレーベル館かん

 1929�(表ひょう

紙し

絵え

�的まと

場ば

朝あさ

二じ

◀�「チイサイセンセイ」�『コドモノクニ』5巻

かん

3号ごう

より�岡おか

本もと

帰き

一いち

 1926 ちひろ美び

術じゅつ

館かん

蔵ぞう

7 8

Page 6: 日本の絵本の み - 国際子ども図書館絵 え 本 ほん の絵 え は、文 も 字 じ で書 か かれた内 ない 容 よう を分 わ かりやすく示 しめ

近きん

代だい

「絵え

本ほん

」のはじまり

明めい

治じ

維い

新しん

後ご

約やく

20年ねん

間かん

の絵え

本ほん

には、赤あか

本ほん

など草くさ

双ぞう

紙し

の伝でん

統とう

を引ひ

き継つ

ぐ絵え

本ほん

、翻ほん

訳やく

絵え

本ほん

、在ざい

日にち

外がい

国こく

人じん

グループによるちりめん本ぼん

等とう

がありました。今こん

日にち

的てき

な「絵え

本ほん

」が意い

識しき

され出だ

すのは明めい

治じ

末まっ

期き

で、印いん

刷さつ

技ぎ

術じゅつ

の発はっ

展てん

を背はい

景けい

に、多た

色しょく

刷ずり

の出しゅっ

版ぱん

物ぶつ

が増ふ

え、現げん

代だい

の絵え

本ほん

につながる歴れき

史し

が動うご

き始はじ

めました。

▪黎れい明めい期きの絵

え本ほん

『絵え

入いり

智ち

慧え

の環わ

』は近きん

代だい

日に

本ほん

の絵え

本ほん

の起き

点てん

と言い

われています。初しょ

編へん

は文も

字じ

と絵え

を組く

み合あ

わせて身

近ぢか

な物もの

や言こと

葉ば

などを子こ

ども向む

けに示しめ

していて、今こん

日にち

の知ち

識しき

絵え

本ほん

にもつながる本ほん

です。明めい

治じ

中ちゅう

期き

には、欧おう

米べい

文ぶん

学がく

の翻ほん

訳やく

絵え

本ほん

が登とう

場じょう

しました。『WAMPAKU MONOGATARI』、そして『八

やっ

ツ山や

羊ぎ

』と『おほかみ』です。日に

本ほん

の伝でん

統とう

的てき

印いん

刷さつ

技ぎ

術じゅつ

で西せい

洋よう

の文ぶん

学がく

と絵え

を表ひょう

現げん

した新あたら

しい絵

本ほん

であり、その後ご

の翻ほん

訳やく

絵え

本ほん

の先さき

駆が

けとも言い

えるでしょう。

▪絵え本ほんの広

ひろがり

明めい

治じ

末まっ

期き

には、「画が

帖ちょう

」や「絵え

ばなし」と称しょう

される、「絵え

本ほん

」という意い

識しき

のある本ほん

が出しゅっ

版ぱん

され始はじ

めます。そんな中なか

、1911(明めい

治じ

44)年ねん

から大たい

正しょう

初しょ

期き

に刊かん

行こう

された〈日に

本ほん

一いち

ノ画え

噺ばなし

〉シリーズ(全

ぜん

35冊さつ

)は、巌いわ

谷や

小さざ

波なみ

の文ぶん

に杉すぎ

浦うら

非ひ

水すい

・小こ

林ばやし

鐘しょう

吉きち

・岡おか

野の

栄さかえ

の3人にん

の画が

家か

が交こう

互ご

に絵え

を描えが

いたすぐれたデザインの小

型がた

本ぼん

です。日に

本ほん

の近きん

代だい

絵え

本ほん

史し

に残のこ

る傑けっ

作さく

と言い

われています。その出

しゅっ

版ぱん

元もと

の中なか

西にし

屋や

書しょ

店てん

と組く

んで、巌いわ

谷や

小さざ

波なみ

は次つぎ

々つぎ

に絵え

本ほん

を刊かん

行こう

しました。『いろはスケッチ子

供ども

四し

十じゅう

八はっ

景けい

』や『オハナシ』などで、多おお

くの絵え

を配はい

した新あたら

しい意い

欲よく

的てき

な絵え

本ほん

作づく

りに取と

り組く

んでいます。1910年

ねん

代だい

の半なか

ばから約やく

10年ねん

間かん

は、あまり目め

立だ

った絵え

本ほん

作さく

品ひん

は生う

まれていません。この理り

由ゆう

の一ひと

つには、1918(大

たい

正しょう

7)年ねん

の『赤あか

い鳥とり

』を皮かわ

切き

りに児じ

童どう

文ぶん

芸げい

雑ざっ

誌し

が次つぎ

々つぎ

に創そう

刊かん

され、画が

家か

たちは雑ざっ

誌し

や童どう

話わ

集しゅう

や単たん

行こう

本ぼん

の挿さし

絵え

や装そう

丁てい

に忙いそが

しく、絵え

本ほん

にまで手て

がまわらなくなっていたことがあげられています。

そのような時じ

期き

に生う

まれた、〈どんたく絵え

本ほん

〉シリーズや、コマ割

り形けい

式しき

の〈正しょう

チャンの冒ぼう

険けん

〉シリーズは新あたら

しい時じ

代だい

の到とう

来らい

を感かん

じさせるものでした。

▪美うつくしい造

ぞう本ほん

絵え

本ほん

が低てい

迷めい

していた大たい

正しょう

末まっ

期き

に、冨ふ

山ざん

房ぼう

から童どう

話わ

集しゅう

〈模も

範はん

家か

庭てい

文ぶん

庫こ

〉(1915~33(大たい

正しょう

4~昭しょう

和わ

8)年ねん

)が刊かん

行こう

されました。楠くす

山やま

正まさ

雄お

が企き

画かく

・編へん

集しゅう

に携たずさ

わり、装そう

丁てい

・挿さし

絵え

に岡おか

本もと

帰き

一いち

を起き

用よう

しました。岡

おか

本もと

が子こ

どもの本ほん

の絵え

に関かか

わるようになったのはここからでした。内ない

容よう

とともに豪ごう

華か

な装そう

丁てい

のこの叢そう

書しょ

は、後のち

の児じ

童どう

書しょ

に大おお

きな影えい

響きょう

を与あた

えました。楠くす

山やま

はその後ご

同おな

じ冨ふ

山ざん

房ぼう

から、さらに挿さし

絵え

を重じゅう

視し

した小しょう

学がっ

校こう

各かく

学がく

年ねん

向む

けの〈画え

とお話はなし

の本ほん

〉シリーズを刊かん

行こう

しました。

▪試し行こう錯さく誤ご・意

い欲よく的てきな実じっ験けん

雑ざっ

誌し

の創そう

刊かん

ラッシュも一いち

段だん

落らく

し、画が

家か

のエネルギーが絵え

本ほん

にも向む

けられるようになったのか、昭しょう

和わ

に入はい

ると〈コドモエホンブンコ〉、〈絵

噺ばなし

世せ

界かい

幼よう

年ねん

叢そう

書しょ

〉、〈鈴すず

の絵え

本ほん

〉等とう

の意い

欲よく

的てき

なシリーズものの絵え

本ほん

が次つぎ

々つぎ

に刊かん

行こう

されるようになります。1936(昭

しょう

和わ

11)年ねん

には〈講こう

談だん

社しゃ

の絵え

本ほん

〉が刊かん

行こう

を開かい

始し

します。全ぜん

203冊さつ

になるこのシリーズは、著

ちょ

名めい

な画が

家か

を起き

用よう

し、1冊さつ

1テーマの極ごく

彩さい

色しょく

の単たん

行こう

本ぼん

物もの

語がたり

絵え

本ほん

という形けい

式しき

が画かっ

期き

的てき

で、以い

後ご

の絵え

本ほん

に大おお

きな影えい

響きょう

を与あた

えました。

▪戦せん時じ下かの絵

え本ほん

1931(昭しょう

和わ

6)年ねん

に満まん

洲しゅう

事じ

変へん

が起お

こり、日に

本ほん

は長なが

い戦せん

争そう

の時じ

代だい

に入はい

ります。1938(昭

しょう

和わ

13)年ねん

には言げん

論ろん

統とう

制せい

である「児じ

童どう

読よみ

物もの

改かい

善ぜん

ニ関かん

スル指し

示じ

要よう

綱こう

」が内ない

務む

省しょう

から出しゅっ

版ぱん

業ぎょう

者しゃ

へ通つう

達たつ

されましたが、「指し

示じ

要よう

綱こう

」の作さく

成せい

にあたって学がく

識しき

経けい

験けん

者しゃ

等とう

の意い

見けん

を取と

り入い

れたため、芸

げい

術じゅつ

的てき

で良りょう

心しん

的てき

な子こ

どもの本ほん

が一いち

時じ

的てき

に復ふっ

興こう

する現げん

象しょう

が起お

こりました。この時じ

期き

に〈小しょう

学がく

科か

学がく

絵え

本ほん

〉や〈帝てい

教きょう

の絵え

本ほん

〉、〈新しん

日に

本ほん

幼よう

年ねん

文ぶん

庫こ

〉、〈少しょう

国こく

民みん

絵え

文ぶん

庫こ

〉などのシリーズが生う

まれたのは、その「復

ふっ

興こう

現げん

象しょう

」の現あらわ

れといえます。

▪戦せん後ご、占

せん領りょう下かの絵

え本ほん

1945(昭しょう

和わ

20)年ねん

に第だい

二に

次じ

世せ

界かい

大たい

戦せん

が終お

わり、戦せん

争そう

によって壊かい

滅めつ

状じょう

態たい

だった出しゅっ

版ぱん

界かい

は、自じ

由ゆう

と民みん

主しゅ

主しゅ

義ぎ

という新あたら

しい価か

値ち

観かん

のもと再さい

出しゅっ

発ぱつ

をします。印いん

刷さつ

所じょ

も紙かみ

も不ふ

足そく

しているなか、「仙せん

花か

紙し

」と呼よ

ばれた粗そ

悪あく

な紙かみ

で作つく

られた雑ざっ

誌し

や本ほん

が飛と

ぶように売う

れました。食

しょく

糧りょう

と同どう

様よう

に、国こく

民みん

は文ぶん

化か

をも渇かつ

望ぼう

していたのでしょう。絵え

本ほん

もこの「仙

せん

花か

紙し

」の時じ

代だい

からはじまります。一いっ

方ぽう

で、1949(昭しょう

和わ

24)年ねん

までは、GHQ*の検けん

閲えつ

が行おこな

われていた時じ

期き

でもありました。

*GHQ/SCAP(連れん

合ごう

国こく

最さい

高こう

司し

令れい

官かん

総そう

司し

令れい

部ぶ

▲�『ゑほんをしえくさ』3「あまやどり」山やま

田だ

仙せん

�著ちょ

 �山やま

田だ

仙せん

 1889

▲�『ナカニシヤ日に

本ほん

一いち

の画え

噺ばなし

』�「[1]イッスンボウシ」巌

いわ

谷や

小さざ

波なみ

�著ちょ

�杉すぎ

浦うら

非ひ

水すい

�等とう

画え

 中なか

西にし

屋や

 1911 『あひるさんとにわとりさん』村

むら

山やま

籌かず

子こ

�作さく

 村むら

山やま

知とも

義よし

�絵え

�▶�ニューフレンド 1948 

▲�『一いっ

寸すん

法ぼう

師し

』(コドモエホンブンコ)より�初はつ

山やま

滋しげる

 1928 個こ

人じん

蔵ぞう

 『かちかち山やま

』尾お

竹たけ

國こく

觀かん

�繪え

 松まつ

村むら

武たけ

雄お

�文ぶん

▶�大だい

日に

本ほん

雄ゆう

辯べん

會かい

講こう

談だん

社しゃ

 1938 (講こう

談だん

社しゃ

の絵え

本ほん

;58) 

9 10

Page 7: 日本の絵本の み - 国際子ども図書館絵 え 本 ほん の絵 え は、文 も 字 じ で書 か かれた内 ない 容 よう を分 わ かりやすく示 しめ

▪戦せん後ご~1950年

ねん代だいの絵

え本ほん

1945(昭しょう

和わ

20)年ねん

8月がつ

15日にち

、日に

本ほん

は終しゅう

戦せん

を迎むか

え、「忠ちゅう

君くん

愛あい

国こく

」を国こく

民みん

道どう

徳とく

とする教きょう

育いく

内ない

容よう

は、個こ

人じん

を尊そん

重ちょう

する教きょう

育いく

へと変か

わり、子こ

どもの本ほん

の世せ

界かい

も一いっ

転てん

します。翌よく

年ねん

3月がつ

には、児じ

童どう

文ぶん

学がく

者しゃ

協きょう

会かい

が創そう

立りつ

し、7月がつ

には、初はつ

山やま

滋しげる

、武たけ

井い

武たけ

雄お

らが中ちゅう

心しん

となって日に

本ほん

童どう

画が

会かい

が結けっ

成せい

されて、子こ

どもの本

ほん

の関かん

係けい

者しゃ

の活かつ

動どう

が本ほん

格かく

的てき

に始はじ

まります。民みん

主しゅ

主しゅ

義ぎ

の国くに

をめざし、子こ

どもに未み

来らい

への夢ゆめ

と希き

望ぼう

を届とど

けようとする時じ

代だい

の気き

運うん

の中なか

、戦せん

後ご

の早はや

い時じ

期き

から『子こ

供ども

の廣ひろ

場ば

』『赤あか

とんぼ』等とう

の児じ

童どう

雑ざっ

誌し

が次つぎ

々つぎ

と創そう

刊かん

され、数かず

多おお

くの小しょう

出しゅっ

版ぱん

社しゃ

も生う

まれ、絵え

本ほん

も出しゅっ

版ぱん

されました。この時

代だい

、著いちじる

しい物ぶっ

資し

不ぶ

足そく

の中なか

で、また、GHQの検けん

閲えつ

下か

、統とう

制せい

も厳きび

しいものがありましたが、「二

度ど

と戦せん

争そう

を繰く

り返かえ

さず、平へい

和わ

な国くに

を建けん

設せつ

する」、その担にな

い手て

となる子こ

どもを育そだ

てようと、作さっ

家か

、画が

家か

、編へん

集しゅう

者しゃ

は熱あつ

い思おも

いにあふれていました。1950年

ねん

代だい

に入はい

ると、GHQによる占せん

領りょう

政せい

策さく

が終お

わり、日に

本ほん

は復ふっ

興こう

期き

を迎むか

えます。絵え

本ほん

では、1949(昭

しょう

和わ

24)年ねん

の新しん

潮ちょう

社しゃ

〈世せ

界かい

の絵え

本ほん

〉シリーズにつづいて、1953(昭しょう

和わ

28)年ねん

に創そう

刊かん

された岩

いわ

波なみ

書しょ

店てん

の〈岩いわ

波なみ

の子こ

どもの本ほん

〉では、石いし

井い

桃もも

子こ

が編へん

集しゅう

長ちょう

をつとめ、オリジナルの判はん

型けい

を小こ

型がた

の変へん

形けい

菊きく

判はん

に統とう

一いつ

して、『ちびくろ・さんぼ』を始はじ

め、『ちいさいおうち』や『ひとまねこざる』などの高

たか

い水すい

準じゅん

の外がい

国こく

絵え

本ほん

の翻ほん

訳やく

とともに、日に

本ほん

の昔むかし

話ばなし

絵え

本ほん

『ふしぎなたいこ』や『おそばのくきはなぜあかい』を刊

かん

行こう

しました。1956(昭

しょう

和わ

31)年ねん

、「もはや「戦せん

後ご

」ではない」と『経けい

済ざい

白はく

書しょ

』で語かた

られたこの年とし

、福ふく

音いん

館かん

(後のち

の福ふく

音いん

館かん

書しょ

店てん

)が、月げっ

刊かん

の物もの

語がたり

絵え

本ほん

『こどものとも』を創そう

刊かん

します。絵え

雑ざっ

誌し

が中ちゅう

心しん

だった日

本ほん

で、月つき

ごとに1冊さつ

の絵え

本ほん

を創つく

るという画かっ

期き

的てき

な企き

画かく

でした。編へん

集しゅう

者しゃ

の松まつ

居い

直ただし

は、幅はば

広ひろ

いテーマに取

り組く

み、洋よう

画が

家か

や日に

本ほん

画が

家か

、漫まん

画が

家か

、彫ちょう

刻こく

家か

、デザイナーなどさまざまなジャンルから個

性せい

豊ゆた

かな描か

き手て

を起き

用よう

して、絵え

本ほん

の幅はば

を広ひろ

げます。〈岩いわ

波なみ

の子こ

どもの本ほん

〉、『こどものとも』は、ともにその後

の日に

本ほん

の絵え

本ほん

づくりに大おお

きな影えい

響きょう

を与あた

えました。

現げん

代だい

の絵え

本ほん

4第だい 部ぶ ▪現

げん代だいの絵

え本ほん作さっ家かⅠ 1960年ねん代だい~70年ねん代だいの絵え本ほん

朝ちょう

鮮せん

戦せん

争そう

をきっかけに、経けい

済ざい

復ふっ

興こう

を遂と

げた日に

本ほん

は、1960年ねん

代だい

に入はい

ると、高こう

度ど

経けい

済ざい

成せい

長ちょう

に沸わ

きます。この時

期き

、至し

光こう

社しゃ

や童どう

心しん

社しゃ

、こぐま社しゃ

、偕かい

成せい

社しゃ

等とう

の児じ

童どう

書しょ

専せん

門もん

の出しゅっ

版ぱん

社しゃ

が、明めい

確かく

なコンセプトを持

って絵え

本ほん

に取と

り組く

むようになります。1973(昭

しょう

和わ

48)年ねん

、絵え

本ほん

の専せん

門もん

雑ざっ

誌し

『月げっ

刊かん

絵え

本ほん

』が創そう

刊かん

され、作さっ

家か

、画が

家か

、編へん

集しゅう

者しゃ

たちが、真しん

剣けん

に絵え

本ほん

とはなにかを模も

索さく

し、実じっ

験けん

的てき

な絵え

本ほん

も次つぎ

々つぎ

に出しゅっ

版ぱん

されます。1970年ねん

代だい

は、国こく

内ない

では高こう

度ど

経けい

済ざい

成せい

長ちょう

を経へ

て公こう

害がい

や自し

然ぜん

破は

壊かい

などさまざまな社しゃ

会かい

問もん

題だい

が顕けん

著ちょ

となり、一いっ

方ぽう

、世せ

界かい

的てき

にはベトナム戦

せん

争そう

が大おお

きな問もん

題だい

となっていました。子こ

どもを取と

り巻ま

く環かん

境きょう

も大おお

きく変へん

化か

する中なか

、物ぶっ

質しつ

的てき

な豊ゆた

かさだけではなく、精せい

神しん

的てき

な豊ゆた

かさが問と

われるようになった時じ

代だい

でもあります。絵え

本ほん

の作つく

り手て

の中なか

にも、問もん

題だい

意い

識しき

を持も

って絵え

本ほん

づくりに取と

り組く

む動うご

きが出で

てきます。田た

島しま

征せい

三ぞう

が中ちゅう

心しん

となったベトナム反はん

戦せん

野や

外がい

展てん

には、井いの

上うえ

洋よう

介すけ

、長ちょう

新しん

太た

、いわさきちひろなども出しゅっ

展てん

しました。また、絵え

本ほん

出しゅっ

版ぱん

に携たずさ

わる出しゅっ

版ぱん

社しゃ

もさらに増ふ

え、絵え

で展てん

開かい

する絵え

本ほん

、文も

字じ

なし絵え

本ほん

、読どく

者しゃ

を子こ

どもに限げん

定てい

しない絵え

本ほん

など、従じゅう

来らい

の絵え

本ほん

の枠わく

組ぐ

みを超こ

えたさまざまな絵え

本ほん

表ひょう

現げん

が生う

まれました。さらには、物もの

語がたり

は作さっ

家か

が書か

き、画が

家か

が絵え

を描えが

くという絵え

本ほん

づくりから、画が

家か

が物もの

語がたり

も絵え

も創そう

作さく

するタイプの絵え

本ほん

づくりが本ほん

格かく

的てき

に登とう

場じょう

してくるのも、この1960~70年ねん

代だい

です。いわゆる「絵

本ほん

ブーム」とも呼よ

ばれたこの時じ

代だい

、今こん

日にち

、累るい

計けい

発はっ

行こう

部ぶ

数すう

600万まん

部ぶ

を超こ

える絵え

本ほん

『いないいないばあ』を始はじ

め、『スーホの白しろ

い馬うま

』、『キャベツくん』、『ふきまんぶく』、『あめのひのおるすばん』、『わたしのワンピース』など、今

いま

も読よ

み継つ

がれる絵え

本ほん

が数かず

多おお

く生う

まれました。

▲�『みつばちの冒ぼう

険けん

』後ご

藤とう

楢なら

根ね

�著ちょ

 吉よし

岡おか

堅けん

二じ

�絵え

�新しん

潮ちょう

社しゃ

 1950 (世せ

界かい

の絵え

本ほん

�大おお

型がた

版ばん

;5)▲『セロひきのゴーシュ』より 茂も

田た

井い

武たけし

 1956 ちひろ美び

術じゅつ

館かん

蔵ぞう

▲�『スーホの白しろ

い馬うま

:モンゴル民みん

話わ

』 �大おお

塚つか

勇ゆう

三ぞう

�再さい

話わ

 赤あか

羽ば

末すえ

吉きち

�絵え

 1967 �福ふく

音いん

館かん

書しょ

店てん

(日に

本ほん

傑けっ

作さく

絵え

本ほん

シリーズ)

◀(左)�『ふきまんぶく』より�田た

島しま

征せい

三ぞう

 1973 �ちひろ美

術じゅつ

館かん

蔵ぞう

 (右)�『わたしのワンピース』より�西にし

巻まき

茅かや

子こ

 1969 �ちひろ美

術じゅつ

館かん

蔵ぞう

▲�『あめのひのおるすばん』より いわさきちひろ 1968 �ちひろ美

術じゅつ

館かん

蔵ぞう

11 12

Page 8: 日本の絵本の み - 国際子ども図書館絵 え 本 ほん の絵 え は、文 も 字 じ で書 か かれた内 ない 容 よう を分 わ かりやすく示 しめ

▪現げん代だいの絵

え本ほん作さっ家かⅡ 1980年ねん代だいから2000年ねん代だい(今こん日にち)まで

1980年ねん

代だい

に入ると、子こ

どもを取と

り巻ま

く環かん

境きょう

はさらに大おお

きく変へん

化か

します。日に

本ほん

経けい

済ざい

はバブル景けい

気き

を迎むか

え消しょう

費ひ

社しゃ

会かい

が進すす

み、1970年ねん

代だい

の反はん

戦せん

運うん

動どう

や社しゃ

会かい

運うん

動どう

の動うご

きは衰すい

退たい

していきます。この時じ

代だい

、多おお

くの絵え

本ほん

が出しゅっ

版ぱん

されては次つぎ

々つぎ

に消き

えていきましたが、自し

然ぜん

破は

壊かい

が進すす

み核かく

家か

族ぞく

が一いっ

般ぱん

化か

する中

なか

、いわむらかずおの〈14ひきのシリーズ〉が人にん

気き

を得え

ます。バブル経

けい

済ざい

の急きゅう

速そく

な崩ほう

壊かい

を迎むか

えた1990年ねん

代だい

、太おお

田た

大だい

八はち

が中ちゅう

心しん

となり、絵え

本ほん

ジャーナル『Pピ ー

EE Bブ ー

OO』が創そう

刊かん

され、絵え

本ほん

作さっ

家か

や画が

家か

たちが自みずか

ら活かっ

発ぱつ

な絵え

本ほん

評ひょう

論ろん

を展てん

開かい

しました。1997(平へい

成せい

9)年ねん

、絵え

本ほん

の諸しょ

領りょう

域いき

を横おう

断だん

的てき

に研けん

究きゅう

し議ぎ

論ろん

する開ひら

かれた場ば

として絵え

本ほん

学がっ

会かい

も設せつ

立りつ

されます。また、 1991(平

へい

成せい

3)年ねん

から、〈イメージの森もり

〉と題だい

した絵え

本ほん

シリーズ(ほるぷ出しゅっ

版ぱん

)がスタートし、荒あら

井い

良りょう

二じ

、伊い

藤とう

秀ひで

男お

、山やま

本もと

容よう

子こ

といった画が

家か

たちが絵え

本ほん

の世せ

界かい

で活かつ

躍やく

を始はじ

めました。1990年ねん

代だい

には国こく

内ない

に次つぎ

々つぎ

と絵え

本ほん

美び

術じゅつ

館かん

が誕たん

生じょう

し、絵え

本ほん

原げん

画が

展てん

も数かず

多おお

く開かい

催さい

されるようになり、絵え

本ほん

は文ぶん

化か

のひとつとして広ひろ

く認にん

識しき

されるようになりました。21世

せい

紀き

に入はい

り、絵え

本ほん

の世せ

界かい

では戦せん

後ご

の日に

本ほん

の絵え

本ほん

を支ささ

えてきた画が

家か

たちが現げん

役えき

を退しりぞ

く一いっ

方ぽう

、子こ

ども時じ

代だい

に60、70年ねん

代だい

の隆りゅう

盛せい

期き

の日に

本ほん

の絵え

本ほん

を楽たの

しんだ世せ

代だい

が、作さっ

家か

、編へん

集しゅう

者しゃ

として登とう

場じょう

してきました。また、コンピュータの一

いっ

層そう

の普ふ

及きゅう

は、絵え

本ほん

表ひょう

現げん

とその読よ

まれ方

かた

双そう

方ほう

に多た

様よう

化か

を生う

んできています。他た

方ほう

、2011(平へい

成せい

23)年ねん

3月がつ

11日にち

の東ひがし

日に

本ほん

大だい

震しん

災さい

とそれに伴ともな

う福ふく

島しま

原げん

発ぱつ

事じ

故こ

という未み

曽ぞ

有う

の大だい

規き

模ぼ

災さい

害がい

、人じん

災さい

は、作さっ

家か

たちに絵え

本ほん

の在あ

り方かた

を問と

い直なお

すことにつながります。戦

せん

争そう

と平へい

和わ

、生せい

と死し

、心こころ

、絆きずな

等とう

をキーワードに、人にん

間げん

にとって大たい

切せつ

なものは何なに

か等とう

、切せつ

実じつ

なテーマが、今こん

日にち

、絵え

本ほん

には真しん

摯し

に問と

われています。

〈事 典〉⃝�『草双紙事典』叢の会 編 東京堂出版 2006⃝�『図説 絵本・挿絵大事典 第1巻 図説 日本の児童書四〇〇年』�

川戸道昭,榊原貴教 編著 大空社 2008⃝�『絵本の事典』中川素子, 吉田新一, 石井光恵, 佐藤博一 編 朝倉書店 2011⃝�『ベーシック絵本入門』生田美秋, 石井光恵, 藤本朝巳 編 ミネルヴァ書房 2013〈概説書〉⃝�『日本の童画 第1巻(武内桂舟、川上四郎、本田庄太郎)』第一法規出版 1981⃝�『絵本論:瀬田貞二子どもの本評論集』瀬田貞二 著 福音館書店 1985⃝�『はじめて学ぶ日本の絵本史1~3』鳥越信 編 ミネルヴァ書房 2001~2002⃝�『小さな絵本美術館:カラー版』鳥越信 著 ミネルヴァ書房 2005〈全 集〉⃝�『新修日本絵巻物全集.1 絵因果経』監修:田中一松 角川書店 1977⃝�『草双紙集』(新日本古典文学大系83)木村八重子,宇田敏彦,小池正胤 校注 岩波書店 1997〈研究書〉⃝�『絵巻』奥平英雄 著 美術出版社 1957⃝�『本の美術史:奈良絵本から草双紙まで』小野忠重 著 河出書房新社 1978⃝�『初期上方子供絵本集』(貴重古典籍叢刊13) 岡本勝 著 角川書店 1982⃝�『落穂ひろい:日本の子どもの文化をめぐる人びと』瀬田貞二 著 福音館書店 1982⃝�『近世子どもの絵本集 江戸篇』鈴木重三,木村八重子 編 岩波書店 1985⃝�『近世子どもの絵本集 上方篇』中野三敏,肥田晧三 編 岩波書店 1985⃝�『子ども絵本の誕生』(シリーズ・にっぽん草子)岡本勝 著 弘文堂 1988⃝�『ちりめん本のすべて:明治の欧文挿絵本』石澤小枝子 著 三弥井書店 2004⃝�『魅力の奈良絵本・絵巻』石川透 編 三弥井書店 2006〈展覧会図録等〉⃝�『日本の子どもの本歴史展:図録17世紀から19世紀の絵入り本を中心に』�

1986年子どもの本世界大会周辺プログラム委員会 企画・編集 日本国際児童図書評議会 1986⃝�『戦後絵本の歩み展:絵本表現の可能性を求めて』いわさきちひろ絵本美術館 1986⃝�『ちりめん本と草双紙:19世紀後半の日本の絵入本�特別企画展』福生市郷土資料館 1990⃝�『子どもの本・1920年展図録』�

日本国際児童図書評議会事業委員会子どもの本・1920年代展実行委員会 企画・制作  日本国際児童図書評議会 1991⃝�『芸大美術館所蔵名品展:開館記念』�

東京芸術大学大学美術館 編,山崎由美子 翻訳 日本経済新聞社,NHK 1999⃝�『絵本と絵巻:時を紡ぐ、ゆたかに語る』新潟県立近代美術館 編 新潟県立近代美術館 1999⃝�『日本の絵本100年展』伊藤元雄 解説・編集 ブック・グローブ社 2000⃝�『大絵巻展:国宝「源氏物語絵巻」「鳥獣戯画」など一堂公開:特別展覧会』�

京都国立博物館 編 読売新聞社 2006⃝�『国宝大絵巻展:京都国立博物館所蔵・寄託の名宝一挙大公開』�

九州国立博物館 編 九州国立博物館振興財団 2008⃝�『絵本の歩み―安曇野ちひろ美術館歴史展示室ガイド―』�

ちひろ美術館,辻村益朗 編集 ちひろ美術館 2008⃝�『物語絵巻の世界:國學院大學図書館所蔵作品を中心に』�

針本正行 監修 國學院大學博物館 2012⃝�『神仏・異類・人�―奈良絵本・絵巻にみる怪異―』針本正行 監修 國學院大學博物館 2015

展示会名 国立国会図書館国際子ども図書館・ちひろ美術館共催展示会     「日本の絵本の歩み―絵巻から現代の絵本まで」発  行 国立国会図書館 平成29年11月1日発行編  集 国立国会図書館国際子ども図書館 〒110-0007 東京都台東区上野公園12-49     TEL:03-3827-2053(代表) URL http://www.kodomo.go.jp/� ISBN 978-4-87582-804-4

日本の絵本の歩み 主な参考文献

▲�『まつげの海うみ

のひこうせん』より��杉すぎ

浦うら

範はん

茂も

 1983 ちひろ美び

術じゅつ

館かん

蔵ぞう

▲�『でんしゃえほん』より�井いの

上うえ

洋よう

介すけ

 2000 ちひろ美び

術じゅつ

館かん

蔵ぞう

▲�『となりのせきのますだくん』より �武たけ

田だ

美み

穂ほ

 1991 ちひろ美び

術じゅつ

館かん

蔵ぞう

▲�『ユックリとジョジョニ』より�荒あら

井い

良りょう

二じ

 1991 �ちひろ美

術じゅつ

館かん

蔵ぞう

▲�『オレときいろ』�ミロコマチコ�作

さく

 WAVE出しゅっ

版ぱん

�2014 (装

そう

丁てい

�大おお

島しま

依い

提で

亜あ

13 14