初期研修医のための フィリピン研修事前レポート ·...

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「長崎から世界へ!」 常に世界とつながっている、長崎大学の合言葉です。長崎大学 の初期研修では、ハワイ大学の短期研修があります。さらに、 2016年度には新しいプロジェクトを開始します。フィリピンの国立 サンザラロ病院(感染症に特化した病院)での1か月研修プログ ラムを設立するために2月19日~20日視察してきました。下記は、 滞在日記です、希望する研修医は必ず読んでくださいね。 初期研修医のための フィリピン研修事前レポート 医療教育開発センター センター長 濵田久之

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「長崎から世界へ!」常に世界とつながっている、長崎大学の合言葉です。長崎大学の初期研修では、ハワイ大学の短期研修があります。さらに、2016年度には新しいプロジェクトを開始します。フィリピンの国立サンザラロ病院(感染症に特化した病院)での1か月研修プログラムを設立するために2月19日~20日視察してきました。下記は、滞在日記です、希望する研修医は必ず読んでくださいね。

初期研修医のためのフィリピン研修事前レポート

医療教育開発センターセンター長 濵田久之

2月ですが、朝から30度越え。でもカラッとしてます。日本の夏は、フィリピンの雨季あたるそうです。行くことが決定した場合は、時期を考える必要があります。雨季は患者が非常に多く、勉強になりますが、雨が多い(洪水などもある)。

マニラの交通渋滞は有名だそうです。どこに行くにもすごく時間がかかります。空港からホテルまで90分かかりましたが、帰りは、日曜の朝だったので、30分弱!2時間かかることもあるそうです。なかなか時間が読めない~。

宿舎は、エルミタ地区(繁華街)にあります。電車で、ペドロビル駅から乗ります。駅までは、ホームレスとか沢山います。夜は、気を付けてください。

20ペソで、パスを買います。1か月の場合は、定期が買えます。混んでました。リュックは、前に抱えて乗るのがフィリピン流のようです。

現在、グローバルヘルスのプロジェクトで、サンラザロで研究室を立ち上げた熱内の斉藤先生と。病院は、かなり広い面積です。玄関にバスケットのコートがあり、朝からやってました。バスケットが、国民的スポーツらしい。なぜ?

クリスチャンが8割~9割ということで、病院の中にも教会がありました。

病棟へ、レジデントはフェローにくっついて、一日中回る感じです。病院の中のドクターのヒエラルキーは、日本以上にあり、完全な縦社会のようです。フレンドリーではありますが、上の人には、気をつかいましょう。自己紹介は、しっかりお願いします。

ベッドは、こんな感じです。日本と比べると、かなりシンプルですね。国立病院だからそうですが、私立病院は、日本と変わらないらしい。貧富の差は激しく、お金が払えない人が国立へ来ることが多いようです。一応、公的保険制度もあるようです。

デング熱の患者は多いようで、疾患別の部屋もあるようです。対処療法で治るそうです。狂犬病の部屋は檻のようになってました。100%亡くなるそうです。

研修医室は、こんな感じです。どこも同じですね。ここで、1日を過ごして、フェローや学生たちと仲良くなってください。

水道の水は飲めません。常にミネラルウォーター携帯ですね。安いです。50円~60円か。

副院長と打ち合わせをしました。院長は、長大病院の研修医室やシミュレーション室に2015年に来ました。いたく感動した模様。お土産もって、各部署に挨拶に行きました。ちなみにお土産は、カステラにしようと思いましたが、重いので、おたくさ(クッキー)。フィリピンは、こういうことは大事みたいです。ぜひ、お土産持参を。

斉藤先生のオフィス。4人くらい技師を従えて、バリバリ研究してます。先生は、現地の人に間違えられることもあるらしく、う~ん、フィリピンにすっかり溶け込んでいます。

今回のメインのプログラムの設立会議。奥から病院の教育担当者、感染症医師、家庭医。みんないい人です。プログラムの詳細を詰めました。かなりみっちり勉強できると思います。週に1回の当直もできるようになりました。皆さん、教育熱心ですね。

外来は、別建物になってます。1日1000人を超えることもあるそうです。主に、学生や研修医が予診などをやってました。オートメーションのように、流れ作業でやれるようにできてました。犬や猫などの動物に噛まれる人が多く、ワクチンを打つために列をなしていました。確かに、町中に犬が、多いです。気を付けて!

救急部の建物も別です。いわゆる日本的な救急車がくるのではなく、感染症の重症が、他の病院から運ばれる搬送救急が多いようです。

結核病棟が、沢山ありました。外から、遠目に見ただけでしたが、こんなにも患者多いのかと、かなり衝撃的でした。毎日、数人から十人単位で亡くなることもあるそうです。 HIV専門病棟もありました。

斉藤先生が立ち上げた研究室。すごいですね。ひとりで、設計から、交渉からやったそうです。パイオニアですね。私は、斉藤先生が研修医のときから知ってるのですが、そのころから海外で働きたいと言ってましたね~。なんか、ちょっと、感動しました。教え子が成長し、活躍する姿を見るのは、最もうれしいことです!(小説のネタにしよう~)

いたるとこに、スラム街のあるフィリピン。圧倒的な数の貧民とその上に中間層、数少ない富裕層(支配層)で成り立っているそうです。当然、なぜ?という疑問や矛盾もかなり感じて、自分の無力感に似た感情も湧き出ました。言葉にできないほどの衝撃でした。しかし、不思議と、人間はどこでも生きていけるのだ、生きていかないといけないのだ…という、圧倒的なエネルギーを感じました。ぜひ、研修に来たら、見学してください、何かを感じるだけでも、きっと今後の人生に役に立つと思います。但し、絶対ひとりで行かないように!

貧民街にある家庭医を視察。ひとつのオフィスで、4~5万人をカバーしているらしい。どんな患者多いかと聞くと、糖尿病、と言われたのは、意外でした。おそらく、生鮮食品などが食べれなく、ジャンクフードが多いせいか?→

カナダのホームレスのシェルターを視察したときも同じようなことを聞かされたように思います。基本的な薬は無料のようです。フィリピンの医療制度も勉強していってください。ウィキペディアにあります。

トイレは、紙を流したら詰まります。備え付けのごみ箱に紙をいれます。また、よく水が流れなくなります。私もホテルで水が流れなくなり、自分で直しましたが、翌日は、完全に壊れて、ホテルの人を呼びました。まあ、サバイブすることを楽しむ人でないとフィリピンは、生きていけないかも。

その後、レストランに行き、フィリピン料理。あなどるなかれ、本当においしかったです。はじめて食べましたが、ココナッツ味付けがやみつきになりそうでした。斉藤先生がいうには、露天で食事しても美味しいそうです。でも短期滞在で体調壊すと→

早朝から夜まで、びっちりスケジュールをこなし、体力に自信のある自分ですが、さすがに疲れました。斉藤先生が、日本式のサウナに連れていってもらいました。お風呂に富士山&さくらの壁があり、テレビも日本の番組というヤマグチというサウナです。最高でした。

やばいので、露天はやめといた方が無難でしょう。ちゃんとしたレストランは、日本と同じくらいの値段ですね。マニアの物価は高いので、毎日というわけには、いかないと思いますが、ロビンソンのフードコートがおすすめらしいです(後述)。

翌日、マニラの定番の観光スポットを半日回りました。建国の祖・リサールを記念した公園、ミュージアムとまわり、海の中に突き出たレストランで、また、フィリピン料理を堪能。蚊が多いので、常に外出時は、クリームを塗りました。携帯用べープも効果あり?とにかく、デングなどに感染しないように、蚊対策には注意を。昼間に飛ぶ蚊がデングをもっているらしい。

昼食の後に、マニラ大聖堂、サンチャゴ要塞など回りました。歴史を少し勉強してゆくと面白いかもしれません。タクシーは、安いので、それで回るのが安全かもしれません。馬車のおじさん、おじいさんですね、が、流ちょうな英語で、フィリピンの歴史を、吟じるように、とうとうと解説したのには、びっくりしました。露天のマンゴを斉藤先生が美味しそうに食べてましが、勇気はありませんでした。

巨大モール、ロビンソンは、フィリピン大の横にあります。エルミタ&マテラ地区という、最もにぎやかな繁華街の一角です。

宿舎となるマンスリーマンションもその近くにある高層ビルです。かなり、上等です。備え付けの家具と調理器具もあります。ネットも使い放題、トイレ&シャワーも日本並です。

また、眺めが最高です。

スーパーでは、日本食も買えます。小林先生(熱内の修練医)は、1か月研修に来ていて、生活には、困らないとおっしゃってます。「まあ、ほとんど寝るだけに帰っているのですが……」と、忙しい研修をしているようです。症例が多いので、それを把握し、プレゼンするので、精一杯とおっしゃってました。かなり充実した研修のようです。小林先生は、英ぺです(英語ぺらぺら)。英語がある程度できないと厳しいと思います。英語に自信がなくても、海外でサバイブする意欲は必要です。家賃は7万円くらいです、それも大家さんに自分で払ったりするので、自分で生活をセットアップする能力は要ります。

歌や踊りは、どこか、スペイン風だったり、中国風だったり、バリ風だったり……。大変面白かったです。竹で使って、日本風のゴムとびみたいな飛び方をするダンスが始まりました。小林「あれ、どこかで、やったことあるような……」。私「ふ~ん、そう」。

楽しんで、サバイブ。私の友人で、フィリピンの歴史や経済を専攻した、フィリピン通がいるのですが、彼が勧める「サンボアンガ」。民族舞踊&歌を見れて、美味し良いフィリピン料理をリーゾナブルな値段で食べれるお店で、宿舎から徒歩3分にありました。小林先生と行ってきました。

その後、お店の人が「やってみたい人いますか?」と回ってきて、即座に私は、「No!」。小林先生「Yes!」。なんと、舞台に行きました。10名程度、リズムに合わせて踊りました。すると、小林先生は、踊った後に、スタッフから、腕をつかまれて、舞台袖に消えて行きました。なんだ、なんだ!大丈夫か、拉致されたんじゃないか……、指導医としては、責任がある、どうしよう、どうしよう……。

しばらくすると、彼女は、花飾りをして、衣装をつけて、出てきました! そして、アナウンスが!「No1 チャンピオン、ノリココバヤシ フロム ジャパン!」彼女ともう一人のゲストが、踊り、おおいに盛り上がりました! びっくりポン! 賞品は、パイナップル。

すごいですね、こういう人なら、どこでも生きてゆけるのでしょうね~、私は、無理 (笑)。私「なんで、踊れたの?」小林先生「なんか、幼稚園の時、やったような気がするんです」私「20年後に、役に立つことを教える幼稚園は、すごい!あなたは、このために、フィリピンに来たんだと思う」小林先生「笑。いや、研修のためですよ」私「笑。これが、まさに、グローバル研修やね~。この間まで、研修医だった小林先生は、大きく成長したようです。またひとり、教え子が活躍するのを目の当たりにして、私はフィリピンを後にしました。とても、印象に残った旅でした。今度は、踊り(タガログ語で教えてもらったのですが、なんという踊りかわかりませんでした)を練習して、行きたいと思います!