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第4回(平成 27 年度) 公益社団法⼈愛媛県看護協会 看護の⽇実⾏委員会 「看護にまつわるエピソード」

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第4回(平成 27 年度)

作 品 集

公益社団法⼈愛媛県看護協会 看護の⽇実⾏委員会

「看護にまつわるエピソード」

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5

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忘れられない香り

内子町 平ひら

野の 陽

よう 子

重度の心不全で入院中のAさん。透析治療の為ICUへ入室したが、思うよ

うに回復せず、日毎に衰弱していった。夫と2人暮らしで家事に夫の介護、新

聞配達、畑仕事、たばこの販売にミカン摘みと働き者だったAさん。Aさんは

いつも仕事や家の事を気にしていた。 

入室して数日たった頃より、夜になると「家に帰りたい。島に帰りたい。」「こ

こから出して。誰も私のこと聴いてくれんのよ、お願いよ。」と訴えるようにな

り、時には「島に帰る。」とベッドから降りようとする事もあった。次第に私は

今の現状がAさんにとって本当に良いことなのか、葛藤するようになっていた。

透析治療をやめると状態の悪化は避けられない。「私が母の命の期限を決める事

はできません。」娘さんの表情は硬かった。私も自分の母であればどんな状態で

も生きていてほしい、そう願うだろう。Aさんの思いを伝え、選択を求める事

で娘さんらを苦しめるのではないか、私は両者の思いの間で悩んだ。 

ある時、娘さんの面会に合わせ手浴を行った。ミカン摘みの事を思い出し、

ミカンのハンドクリームを塗った。病室に甘酸っぱい香りが広がる。Aさんか

ら聞いたおすすめの場所やおいしい魚、島での暮らし、そしてAさんが今感じ

ている思いを伝えた。「いい香りですね。最近、島に帰ってなかったけど島を思

い出します。母、ミカン摘みもしてたんです。一人で仕事も家の事も本当によ

く働いてました。看護婦さんにそんな事まで話してたんですね。」娘さんらはA

さんの気持ちを汲み、看取りの選択をした。Aさんが亡くなって数日後、娘さ

んが訪ねてくれた。「皆揃って母を囲んで過ごせました。母は皆に囲まれて亡く

なりました。あの時、母の希望が叶えられて良かったです。」私も娘さんも一緒

に涙した。 

あのハンドクリームを使うと甘酸っぱい香りとともにAさんの事を思い出す。

いつかAさんの暮らした島を訪れ、私も島の香りを感じてみたい。 

 

最優秀賞

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あの十分が教えてくれたこと

今治市 阿あ 部

べ 喬

たか 子

「かんごふさん、トイレにいかせて。」

これは私が小児科の病棟で看護を始めて間もない頃の話だ。10 年近く経った今

でも鮮明に覚えている。まさにこれから採血を始める場面だった。

泣きじゃくりながら必死に彼は訴えた。ここは病院の処置室。彼は小学校に

あがる前の小さな患者さんだ。そのまま私のペースで処置を始めることもでき

た。でも彼の顔を見ていたらそんな気持ちはなくなった。小さい頃の自分の姿

が重なったのだ。とにかく痛いことが大嫌いで、注射なんてもってのほかだっ

た私。子どもの頃にたくさんの大人に押さえつけられて予防接種を受けたこと

が忘れられず、大人になり看護師になった今でも注射は天敵だ。

「彼のペースにのろう。」

そう決めて、看護師と小さな患者ではなく、一人の注射が大嫌いな大人はそ

れと同じ子どもにこう切り出すことにした。「トイレが終わったら、帰ってこれ

るかな。」小さく、でもしっかり彼は頷いた。やはり泣きじゃくりながら処置室

を後にして、肩をしゃくりあげながら廊下を歩いていった。それから 10 分ほど

経ち、母親に手を引かれながらでもしっかり自分で歩いて処置室に戻ってきて

くれた。まだ少し涙は流していたが、今度は採血することを受け入れた。

小さな彼が教えてくれたこと。それは「待つこと」の重要性だ。こちらのペ

ースではなく、患者の心を尊重し、待つことも時に看護であると教えてくれた。

彼が本当にあの時用を足したかどうかは分からない。しかし少なくとも彼にと

って必要な 10 分間だったのだ。小さな子どもの大切な心。看護師の関わり一つ

で台無しにしてはいけないことを深く学んだ。

処置の後の満足気な表情が今でも忘れられない。大きくなった彼の記憶にも

残っているのだろうか。

優秀賞

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頑張りすぎない介護 四国中央市 K.Y

私の主人は 70 歳を過ぎた頃、脳内出血を再発し、3 年余りの寝たきり生活が

始まりました。喉に穴を開け、チューブで痰を採りながら呼吸をしていたので、

声を出せません。食事も、チューブで胃に栄養を流し入れることで命を繋いで

いました。医師からは回復することはないと宣告されたのですが、信じる事が

出来ませんでした。リハビリを続ける事で、良くなるという期待感を持ち続け

ていたのですが、数ケ月経っても快方に向かう事はなく、話しかける言葉も理

解しにくい様子で、本当に悲しかったです。眠れなくて夫のベッド脇で手を握

り、夜明けを迎える事もよくありました。寂しくて、切なくて、眠っている夫

が愛おしくて胸が一杯になり、涙が止まりませんでした。良くならないのなら、

夫が一番心休まるであろう自宅で、私が大切に見守っていこうと決心しました。

そんな時、身近にいる人達から常に温かい言葉をたくさん掛けていただき、次

第に元気が出ました。おかげで、孤独感もなく介護が大変だと思った事もなく

て…。ただ、介護者が倒れると、多くの人に迷惑をかけてしまうので、“頑張り

すぎない介護”をしようと心掛けました。週に数回、看護師さんやリハビリの

先生が来て下さり、夫の世話や治療をしながらの何気ない会話をするひと時が

楽しくて、心が安らぎました。夫は自分の意志で身体を動かす事が出来ず、ベ

ッドから落ちたり大声を出す心配もなく、静かに過ごしていたこともあり、一

人でもゆとりある介護が出来たのかもしれません。大声で叫びたい時もあった

と思います。伝えたい事もあったと思います。厳しい状態を何度も乗り越え、

頑張って生きてくれた夫に感謝です。

もっともっと永く寄り添っていたかったと心から思っています。介護生活が

終わりを迎えた時、知人が駆けつけて下さり、私の肩をポンポンと叩き「よく

頑張ったな」と言って夫の部屋へと向かって行きました。私にとって最高に心

が癒された瞬間でした。

優秀賞

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「魔法のお茶」の想い出

宇和島市 水みず

田た 幸

さち 子

「魔法のお茶のおかけで上手くいきました。」私がH様の奥様によく言ってい

た言葉だ。H様は癌末期で、入院のたびに奥様がずっと付き添われていた。ご

家族より、奥様に息抜きしてもらいながら過ごしてほしいとの希望があり、訪

問看護の利用となった。

H様は寝たきりだったが、奥様の看護が素晴らしく、褥瘡ひとつなく、身体

の清潔も保たれていた。毎日点滴に訪問していたが、血管が出にくく、毎回温

タオルで温め血管を探していた。上肢は自己抜去されることもあり、下肢から

点滴していた。1 回でできることもあったが、ほとんどは何回か針を刺し、よう

やく点滴できる状態であった。血管が見つからないと、だんだん焦ってしまう

のだが、そんな時に奥様が温かい日本茶を淹れてくれ、「どうぞ少し休んでくだ

さい。」と、笑顔で声を掛けてくれた。遠慮なくお茶を戴き、再び挑戦する。す

ると不思議なことに点滴が上手くいくのだ。そんな状態だったので、H様の枝

のような両下肢は、点滴の跡だらけで痛々しかった。

しばらくして、H様の状態が悪化していった。酸素開始となったが、手足の

チアノーゼが改善しない。血圧も下がっている。点滴は正直厳しいと思った。

駆血すると、今まで刺しても失敗ばかりだった血管が出てきた。ここしかない

と思って刺すと、1 回で上手くいった。奇跡だ。奥様も「よく点滴入れれたね。」

と。H様は点滴終了後、奥様に何か話しかけられている様子だった。その数時

間後、奥様に見守られる中、息を引き取られた。

何日か過ぎ、H様宅の訪問日となったが、大雪のため延期となった。クリス

マスイブに急遽訪問できることとなり、H様宅へ向かった。奥様はいつもの笑

顔と魔法のお茶で私達を迎えて下さった。わずかの間だが、H様の想い出話に

花が咲き嬉しかった。素敵なクリスマスプレゼントありがとうございました。

⼊選

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自 宅 介 護

内子町 大おお

本もと

悦えつ

子こ

父が亡くなってから 8 年を迎えた。享年 91 歳、父は脳梗塞で倒れその時医師

から、「脳の中が破壊されています。3 日の命です。逢わせたい人に逢わせてあ

げてください。」との宣告を受けたが、父の生命力か医学と治療のおかげか、ゆ

っくりではあるが回復し、ベッドの上での暮らしにはなったが、なんとか食事

も自分の手でできるようにまでなった。

退院の運びとなった時、要介護 4 の父に、母は医師との相談で「自宅で見馴

れた景色、環境の中で私が介護します。そして、ケアマネージャーとも相談し

て、福祉の力を借りて、訪問看護を週 1 回、リハビリを週 1 回、入浴車を週 1

回、自宅に来て頂くこととして、老々介護が始まったのです。その母の決断に

家族を想い守る、人としての愛情と強さを感じました。隣町に嫁いできた娘の

私は、幸い車で 30 分程で行けるので、勤めをしていても休日には必ず駆けつけ

て、高齢の母(当時 82 歳)の手助けとケアに努力しました。また、夫が大工と

いうこともあって、古い明治の建物の家をバリヤフリーに改装、車椅子で外出

できる様にしてくれたりと、家族全員で自宅での介護を全面協力、愛情を持っ

て努めてきました。5 年間のベッドの上での暮らしの中で、父は母に「もう役に

立たんなった。迷惑ばかりかけるけん殺してくれや…」と言ったこともあるそ

うです。また、私が行く日は「今日は悦子が来る日じゃ…」と嬉しがっていた。

私が抱っこして車椅子に乗せ 1 時間程近くを散歩の道すがら、戦後の大変だっ

た暮らしの話などを語ってくれたものです。「ふん、そうじゃったん…」と答え

乍ら、小さくなった父の背中を見つめ涙したものです。その細やかな父と娘、

父と母の幸せな時間は 5 年間続きました。『父を自宅介護で、父の生まれた家で

最後を』が、私達家族の願いでした。父の和顔が今も心に生きています。

⼊選

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手 紙

松山市 村むら

上かみ

仁きみ

治はる

『頑張ってくだされ』最後に 1 行そう書かれていた手紙が、学生時代の心残

りな出来事でした。

私が、看護学生として実習に出ていた時の事です。私の受け持ち患者さんは、

Nさん、87 歳の末期癌の男性でした。事前の患者情報では、『性格:頑固、指図

されると怒る、機嫌が悪いと絶対に何もやらない…』学生としては、トホホな

気分で不安がいっぱいでした。実習初日、Nさんとの初対面、病室を伺うとベ

ッドでテレビを見ているNさんと、少し離れて座っている奥様。緊張しながら、

挨拶をすると奥様は、笑顔で返してくれましたが、Nさんはチラ見してうなず

く程度。早くも、めげそうになってしまいます。実習中、その日の計画を考え

て行くものの、私の考えた計画は半分程しか出来なく、コミュニケーションを

図ろうにも、単発で返答が帰ってくる程度で、あまり会話にならない状況。話

しかける事にすら緊張する状態で、Nさんよりも奥様との会話の方が多いので

は?という日々が続きました。

2 週間が経ち、緊張の実習がやっと終わりました。正直、その時の私は安堵感

でいっぱいで、実習で学んだ事を振り返る事などはありませんでした。それか

ら、数日後、学校に届いた 1 通の手紙が私の所に届けられました。なぜか、学

校に届いた私宛の手紙。差出人を見てみると、なんとあのNさんからでした。

その内容は、実習で毎日来てくれたという事へのお礼と、人と話すのが得意で

はないので大変だったろう、という労い、そして最後に『優しい看護師さんに

なれると思うので頑張ってくだされ』という、励ましの言葉でした。震える手

で一所懸命に書いたであろう、細く揺れた字に大きな温かみを感じ、本当はと

ても優しい人だったと、初めて実習を振り返りました。すぐにでも返事を書き

たかったのですが、学校の規則でそれは叶わず、心残りの出来事となりました。

Nさん、当時Nさんが想像した看護師に今、私はなれていますかね。

⼊選

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父を看取って…

久万高原町 大おお

野の 裕

ゆう 子

3 年前の秋、父は 84 歳で亡くなった。末期癌で、最後はモルヒネの持続注入

を受け意識もうろうだったが、自宅のベッドで静かにその時を迎えた。

家族や身内 9 人がベッドを取り囲む。脈をとる私の指に触れる拍動が次第に

弱くなっていく。下顎呼吸になり“もう間に合わない”と思っていた時、すぐ

下の弟が駆けつけて、「父ちゃん!!」と声をかけた。次の瞬間、目を見開き顔

をゆがめて、「アアーー」と声を発した。そして……目を閉じ呼吸は止まった。

皆がそろうのを待っていたかの様に。

私の手で身体を清めた。驚くほどやせ細り折れてしまいそうな手足、くぼん

でしまった腹部、肋骨が浮き出た胸や背中。「楽になったね。よう頑張ったね。」

心でくり返しつぶやいた。

今まで、どれだけの人を看取ってきただろう。その人の闘病生活に関わり、

苦しみ・不安を抱えた本人・家族に対して、最良の看護が出来たことなどない。

こうすれば良かった、ああすれば良かったと、自責の念にかられることが殆ど

だった。いつも万感の想いをこめて身支度をさせていただく。

父のそばには母がいつも寄り添い、二人三脚で苦楽を共にした。私は父に対

して何も出来なかった。娘らしいことも、看護師らしいことも何ひとつ‥‥。

「OPがうまくいきますように。」と祈り、入院中は時々病室に顔を出し、「ど

んなん?」と声をかけるだけ。

「わしはもういかんけん、母ちゃんだけは大事にしちゃれよ。」といつも言って

いた。

「死ぬのはこわない。」と言った父の手を、最後の日、私はずっと握り続けてい

た。体を清めながら、最後の最後に娘らしいことが出来た様に思う。

そして、父は旅立った。

⼊選

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認知症から学んだ看護の姿

八幡浜市 摂せつ

津つ みなみ

私には、87 歳になる祖母がいます。以前、祖母は毎日 1 袋ずつ飲んでいる高

血圧の薬を誤って 2 袋飲んでしまい、倒れて救急車で運ばれたことがありまし

た。病院での検査の結果、脳の中にある海馬という部分が痩せており、認知症

が進行しているとのことでした。

認知症という言葉を耳にしたことはありますが、その病気のことはあまり知

りませんでした。もっとくわしく知りたくて調べてみると、認知症とは脳の神

経細胞が死んだり、働きが悪くなったりして記憶障害や言語障害が起き、物忘

れや徘徊などの症状により日常生活に支障が出る状態であり、根本的な治療法

は確立されていないとのことでした。

そういえば、最近、くり返し何回も同じ話をしたり、ついさっき自分がした

ことでさえ思い出せず、困っている祖母の様子を見ることが次第に多くなって

きています。発病後、母が仕事の合間に介護に行っていますが、元気な頃の祖

母とは様子が違い、少し寂しそうで精神的にもとても大変なようです。

朝、新聞を開いてみると、10 年後には 65 歳以上の高齢者の 5 人に 1 人、約

700 万人の人が認知症にかかると推計されていました。

今後ますます、高齢化社会が進み、病院の在り方や看護師の果たすべき役割

が重要になってくると思います。

私は、実際祖母を通して認知症という病気を理解すると同時に、家族や周り

で支えてくださる方々の優しい気持ちや、精神的な苦労を感じることができま

した。認知症にかかったお年寄りはもとより、介護される方の気持ちにしっか

りと寄り添い、支援してあげられるような看護師になりたいと思いました。ま

た、改めて看護の道を志したいという気持ちが強くなると同時に、高齢者が地

域で安心して暮らせるよう関わっていきたいと思っています。

⼊選

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【資料】

第4回「看護にまつわるエピソード」応募者の状況

1.性別

男性 女性 総計

1 23 24

2.年齢

10 才代 20 才代 30 才代 40 才代 50 才代 60 才代 70 才代 総計

14 0 3 2 3 1 1 24

3.住所

四国

中央市 今治市 松山市

久万

高原町 内子町 八幡浜市 伊方町 西予市 宇和島市 総計

1 2 3 1 2 9 3 2 1 24

(東予)3 (中予)4 (南予)17

4.職業

中学生 高校生 学生 看護師 看護

教員 主婦 総計

0 13 1 7 1 2 24

(学生)14 (看護職)8

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平成27年度「看護の⽇・看護週間」記念⾏事 第4回「看護にまつわるエピソード」作品集

平成27年6⽉

編 集:公益社団法⼈愛媛県看護協会、看護の⽇実⾏委員会 住 所:松⼭市道後町2丁⽬11-14 T E L :089-923-1287