伊勢本街道 · 2014. 6. 26. · 21 20 伊勢本街道の概要...

18
21 20 沿34 31 鹿退宿10 368 宿姿

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  • 21 20

    伊勢本街道の概要

    大和国と伊勢神宮を結ぶ街道で、別名・参宮本街

    道、伊勢中街道とも呼ばれる。街道沿いには、古代

    祭祀遺跡も多い。三輪山(奈良県桜井市)と斎宮(三

    重県多気郡明和町)、伊勢神宮を結ぶルートは、北緯

    34度31分の線上にあり、いわゆる「太陽の道」との

    関わりがあるという俗説もある。飛鳥・藤原時代に

    は大和と伊勢神宮を結ぶ重要な道であったが、奈良

    時代には、初は瀬せ街道が利用され、平安京遷都後、鈴

    鹿峠越えが主流となると、一時期衰退した。

    しかし、南北朝以後、伊勢国司北畠氏が現在の津

    市美杉町の多気に館を構え、多くの武士団が居住し、

    初期城下町を形成すると、その城下を通る伊勢本街

    道が再び重要視されるようになり、伊勢参宮者の増

    大にともない、多くの人々が行き交う街道へと変遷

    していく。北畠氏滅亡以後も宿場町の機能は残り、

    伝馬所が置かれ、江戸末期には旅籠も9軒ほど存在

    したとされている。

    また、この街道は、大和から伊勢への最短コース

    にあたるが、けわしい山道が多く、旅人に恐れられ

    た。本居宣長の紀行『菅すげ笠がさ日記』には、宣長が大和

    の旅を終えた帰路、榛原で一行に本街道越えを指示

    した際の様子が描かれているが、一行はこの道を通

    るなど考えただけでも恐ろしい、とふるえあがって

    いる。

    しかし、神代の昔に倭やまとひめのみこと

    姫命が天照大神鎮座の地を

    求めての旅に関わる伝承も多いことから、〝神の御心

    に叶う〟として多くの参宮の旅人に利用されたので

    ある。

    明治に入ると、街道の改修、新道建設が盛んとな

    り、馬車・荷車が通行できない峠道の改修、迂回路

    の建設が各所で進められた。以後、雲出川上流域と

    伊勢・松阪方面を結ぶルートとして利用されたが、

    大正年間、津から雲出川上流域へのバス路線の開通、

    昭和10年名松線の開通などにより次第に衰微した。

    当街道の奥津(津市美杉町)〜横野(松阪市飯南町)

    は国道368号になり、漸次改修されている。旧宿場町

    に残された道標や常夜燈、古い町並みがかつての姿

    を今に伝えている。

    伊勢本街道

  • 奥津奥津田丸田丸

    杉平杉平

    石名原石名原 奥津奥津

    いせおきついせおきつ

    古坂道古坂道

    谷口谷口

    JR名松線

    JR名松線

    (15)(15)

    (14)(14)

    (13)(13)

    (12)(12)

    (11)(11)(10)(10)

    (9)(9)

    (8)(8) (7)(7)

    (6)(6)

    (5)(5)

    上多気上多気

    下仁柿下仁柿

    横野横野

    大石大石小片野小片野上仁柿上仁柿

    松阪市

    津 市

    和歌山街道

    和歌山街道 和

    歌山別街道

    和歌山別街道

    JR紀勢本線

    JR紀勢本線多気町

    和歌山街道

    和歌山街道 芽原芽原

    津留津留鍬形鍬形井内林井内林佐伯中佐伯中 四疋田四疋田

    相可相可 おうかおうか 池上池上

    たきたき

    上田辺上田辺

    ときだときだ 田丸田丸

    (4)(4)

    (3)(3)(2)(2)

    (1)(1)JR参宮線

    JR参宮線

    近鉄山田線近鉄山田線伊勢街道伊勢街道

    熊野街道

    熊野街道

    熊野脇道

    熊野脇道

    伊勢自動車道

    伊勢自動車道

    玉城町 伊勢市

    明和町

    紀勢自動車道

    紀勢自動車道

    23 22

    ◆目次

    伊勢本街道の概要 

    ���20

    伊勢本街道のルート 

    ��22

    (1)城下町田丸������24

    (2)土羽茶屋�������26

    (3)池上���������28

    (4)相可���������30

    (5)井内林��������34

    (6)津留���������36

    (7)小片野��������38

    (8)大石���������40

    (9)横野���������42

    (10)長瀬���������44

    (11)櫃坂峠��������46

    (12)立川���������48

    (13)多気宿��������50

    (14)奥津宿��������52

    (15)石名原��������54

    櫃坂峠。飼坂峠。 難所を通る参宮の道。

    伊 勢 本 街 道

    歩く速さで見えてくるものがある。歩くからこそ出会うものがある。いにしえの旅人の速さで、視点で歴史の道をたどってみよう。

  • 25 24

    約 1500 m

    外城田川

    JR 参宮線

    熊野街道熊野脇道

    田丸駅

    13 廃寺京造院不動堂田丸神社の参道右。

    12 修験道儀礼跡参道右崖下。高さ150cmの燈籠石柱がある。宝暦6年(1756)と刻まれている。

    11 田丸神社(天神山)参道石段前に高さ2mの石燈籠 が あ る。天 保5年(1834)のもの。

    10 川田地蔵尊

    8 玉城橋かつては京口橋といい、橋のたもとに大門があった。

    7 蓮池山西光寺本町通りを左折した右側。門前に碑が立っている。

    6 田丸城跡北畠親房、顕信が南朝義軍の拠点として城を築いたことに始まり、後に織田信雄

    (のぶかつ)が三層の天守閣を備えた城を築いた。明治維新の際に廃城となり、今は石積みだけが残る。県指定史跡。

    4 石燈籠二基宝龍寺の前。文政3年(1820)に獅子頭ができたとき神楽構中が蛭社に奉納したもの。

    3 薬師堂宝龍寺の中。十二神像がある。

    2 宝龍寺牢舎跡の前。

    1 道標熊野街道と伊勢本街 道 と の 分 岐 点。

    「紀 州 街 道」「右 さんぐう道」「左よしの く ま 乃 み ち」と刻まれている。

    20 正念僧・即身仏供養碑塚

    19 坂手国生神社神宮125社

    17 上田辺羽根遙拝所 16 供養地蔵街道が下田辺からの墓地道と合流する十字路右側。文化9年(1812)と彫られている。

    15 伊勢柳剛流師範 橘内蔵介正以の墓碑

    14 道標地蔵城下町北方のY字路から上町墓地に移設。「右松坂道左はせ道」と彫られている。

    9 旧三の丸御殿奥書院

    5 村山龍平記念館

    18 常夜燈

    1312

    11

    10

    87

    6

    432

    1

    20

    19

    1817

    16

    1514

    9

    5

    (1)城下町田丸   (玉城町田丸~田辺)

  • 27 26

    約 1000 m

    約 1200 m

    約 1000 m

    外城田駅

    外城田川

    JR 参宮線

    街道は JR参宮線と平行に裏道を通る

    雑木林

    工場のフェンス沿いを通る

    2 両宮遥拝所献燈

    3 切り通し棒原神社裏手から土羽茶屋の間。伏し拝み坂あり。

    1 棒原神社御祭神は天須婆留女命で、荒木田氏祖先の墳墓と言われる。神宮125社。

    10 石柱・純固の碑へ向かう道

    9 純固(すみかた)の碑石柱の奥にある。表面には、海防に砲術の習練が火急である旨が刻まれ、裏面には純固を称える漢文が記されている。

    8 石柱「田丸藩砲術練習場跡」と刻まれている。幕末、田丸城8代城主久野純固の開いた砲術練習場。

    7 宮城きよなみ句碑

    6 上村点魚句碑

    5 逵原華村句碑4 荒木田守武句碑

    1

    10

    98

    76

    54

    23

    (2)土羽茶屋   (多気町土羽)

  • 29 28

    約 1200 m

    約 1200 m

    JR 紀勢本線

    JR参宮線

    佐奈川

    多気駅

    櫛田川

    この辺りにはお寺が多い

    5 西池上

    4 商家大好庵白壁・荒格子の商家。近世江戸で大きな富を蓄えた金粒丸(きんりゅうがん)の大好庵があったところ。

    3 常夜燈高さ2.8m。街道の東端にある。天 保15年(1844)の もの。正面に「常夜燈」、西面に

    「天保十五年辰五月日」、裏に「石工根来宗和」と刻まれている。

    2 道標明治31年、県道との合流点。

    「すぐさんぐう 右とばかさぎの中」「すぐならはせ」と刻まれている。

    1 地蔵県 道 脇。元 禄4年(1691)のもの。

    7 しょうずんさん神域。昭和初期以降、水分神社と刻んだ石柱と小祠・山の神が祀られている。しょうずんさんの文字は清水・生 水 と い う 字 が 当 て ら れる。

    6 金粒丸の縦看板高さ197㎝、幅58㎝。

    「本家勢州神山薬師前いけへ村 御免きんりうくはん 江戸芝神明町分家之外無類大好庵店」と刻まれている。

    5

    4 3

    21

    7

    6

    (3)池上 (多気町東池上~西池上)

  • 31 30

    この部分は33ページをご覧ください 約

    1200m

    約 1400m

    櫛田川

    JR紀勢本線

    相可駅

    櫛田川

    8 広小路越後屋が取り壊されて、変則的な広い三叉路になる。

    7 鹿水亭明治中期まで車屋という屋号だった。

    6 おんばさん櫛田川への下り口にある。百日咳に霊験あらたかな乳母神。

    5 地蔵菩薩坐像浄土寺の石垣の麓。

    「三界萬霊」と刻まれている。

    4 大日堂浄土寺の境内にある。かつては大松屋こと地主平九郎という旧家の中にあった。

    2 伊佐和神社

    1 中万町町並み

    16 長新本舗相可名物のまつかさ餅を販売。

    15 道標高さ1.5m、幅22㎝。「伊勢本街道」「すぐならはせ道」「右くまのみち」「文久三癸亥 十一月建之」と刻まれている。文字は和漢の学に通じた三谷蒼山の筆と伝えられる。

    14 札の辻少し広い三叉路。昔、ここで盆踊りをしたので「踊り場」が通称。

    13 みなとや鮎の甘露煮を販売。

    11 国分家(射和)10 両郡橋

    9 相鹿上神社

    3 眞盛文庫(浄土寺)

    12 射和文庫

    8

    6

    1

    16

    1514

    13

    11

    9

    7

    10

    2

    543

    12

    (4)相可・A   (多気町相可~四疋田)

  • 33 32

    この部分は30~31ページをご覧ください

    約 1200 m

    約 1400m

    櫛田川

    JR紀勢本線

    相可駅

    櫛田川

    9 千鳥ヶ瀬鎌倉時代の歌人西行法師が伊勢詣の途中に詠んだ歌に

    「つかれぬる 我を 友よふ千鳥ヶ瀬 こえてあふかに たひねこそすれ」というのがある。以来この地を千鳥ヶ瀬と呼ぶようになった。

    8 常夜燈伊勢本街道最大級。県道の整備で移設された。弘化2年

    (1845)と刻まれている。

    7 千鳥橋こ の 付 近 を 千 鳥 ヶ 瀬 と いう。

    6 燈籠塞の神の前。寛政4年(1792)と刻まれている。自然石。 5 西行法師の歌碑

    4 塞の神千鳥橋の手前。集落への疫病 の 進 入 を 防 ぐ と 言 わ れる。

    3 椋の大木塞の神と燈籠のそば。老いた藤が巻きついている。相可の名所。

    2 延命寺山門は松阪市指定文化財。

    1 伊馥寺

    9

    8

    76543

    21

    (4)相可・B   (多気町相可~四疋田)

  • 35 34

    約 600 m

    約 1400 m

    櫛田川

    6 いぼ地蔵廻 国 供 養 塔 の 横。いぼ が で き る と 参 り、治ると七色菓子を供える。

    5 廻国供養塔伊勢三郎物見の松の 跡 地 横。行 き 倒れ道者の死を哀れんだ。高さ約1m。

    4 伊勢三郎物見の松現在は五代目の松が植えられている。

    1 歯痛地蔵歯が痛む時にこの地蔵にお祈りをすると効果があると伝えられている。

    13 すばらしい河川景観

    12 佛足跡不動院前。自然石に佛足跡が刻まれ、その下に「経に此相を見れば千劫の重罪を滅すと言へり」とある。足の病に御利益があるとして、わらじがかけられている。

    11 不動院境内奥には不動滝がある。

    10 自然石の道標左手に入る山道の角。「左丹生大師道」「安永6年(1777)」と刻まれている。

    9 道路元標井 内 林 の 集 落 が 切 れ た 辺り。「津田村道路元標」「大正12年3月」と刻まれている。

    8 石碑街 道 左 手「南 无 阿 弥陀仏」と刻まれている。高さ約1.4m。

    7 津田神社

    3 伊勢イモ歴史資料館

    2 小園汲古句碑

    654

    1

    13

    1211

    10

    9

    8

    7

    2

    3

    (5)井内林   (多気町三疋田~鍬形)

  • 37 36

    約 600m

    約 1000m

    櫛田川

    伊勢自動車道

    伊勢自動車道の高架をくぐったらすぐ右へ

    4 廻国供養碑行き倒れ地蔵の横。

    「は せ 迄 十 七 里 □□」と 刻 ま れ て いる。

    3 行き倒れ地蔵道別れ地蔵の横にある。

    2 道別れ地蔵「右はせミち法誉是□□ 左にうミち秀誉円清□」と刻まれている。

    1 道別れ地蔵江戸中期、十字路の東北角「右いせみち 左まつさかみち」と刻まれている。

    14 庚申塔県道から別れ南へ少し進んだところ。貞亨5年(1868)に寄進されたもの。

    13 愛宕常夜燈浅間常夜燈の横。高さ223cmの 自 然 石。天 保10年(1839)に寄進されたもの。

    12 浅間常夜燈茅原神社境内にある。高 さ214cmの自然石。天保14年

    (1843)に 寄 進 されたもの。

    11 六字名号碑昔 の 茅 原 の 船 着 き場。自然石に「南無阿弥陀佛」と刻まれている。

    10 自然石の道標「右さんくう 左まつさか道」と刻まれている。

    9 はかり岩渡しの川中にある。平成22年に復元された。この岩によって水のかさを計った。

    8 津留の渡し

    6 道標丹生へ至る道を挟んだ西角。津留の渡しから来た旅人が見る。昔は、反対の東角に立っていた。高 さ70㎝。「左 い せ道」と 刻 ま れ て いる。

    7 道標道標の横にある。高さ60cm。「右 大 師 道」と刻まれている。

    5 用水池自然湧水を利用。昔旅人は喉を潤した。地元の人は、今でもそこで野良仕事の帰りに野菜を洗っている。

    432

    1

    14

    1312

    111098

    76

    5

    (6)津留 (多気町鍬形~松阪市下茅原)

  • 39 38

    約 1000 m

    約 500 m

    和歌山街道

    櫛田川

    ここから横野まで、和歌山街道と同じルートをたどる

    2 道標三叉路に道標の頭部の残骸が残されている。

    1 常夜燈文政13年 (1830) 集落中心の三叉路から上茅原神社に移設。

    「天 下 太 平  両 大 神宮  五 穀 成 就」と 刻まれている。

    4 北谷池天 保4年(1833) 11月 に 起工、人 夫2万2076人 を 労 して、同6年7月に竣工した。別称親池、鳥羽見池とも呼ばれる。

    3 道標地蔵追分橋のたもと。半肉彫りの石地蔵「右山田六里 観照 左松坂三里辨應」と刻まれていたが、左上部は欠損しており判読できない。

    2

    1

    4

    3

    (7)小片野  (松阪市下茅原~小片野)

  • 41 40

    約 1200 m

    約400m

    約 900 m

    櫛田川

    かつてこの辺りに旅籠が点在していた

    この辺りのなだらかな坂を根尽坂(乞食坂)という

    7 常夜燈大石橋のたもとから不動院西の国道166号沿いに移設。

    「太 神 宮」と 刻 ま れている。

    6 巨石・怪石不動院前の櫛田川の中にある。

    5 不動滝高さが10mにも及ぶ。

    4 不動院本堂弘法大師の創建と伝えられる。八朔の大法会と不動滝で知られる。

    3 地蔵二体炮烙岩の下に馬頭観音と大日如来の二石仏を安置。

    2 炮烙岩国指定天然記念物のムカデラン群落が着生。観音岩とも称される。

    1 根尽坂(乞食坂)小片野公会堂から市立南小学校にかけてのなだらかな上り坂。

    14 道標庚申堂の正面石垣に組み込まれている。「大石宿 これより宮川へ七里 はせよりここまで十五里半」と刻まれている。

    13 庚申堂上出の集落を100m程行った右側にある。

    12 上出を行く街道

    11 連子格子の家なみ

    10 久保田を行く街道

    9 おせん坂下出集落入り口付近。おせん茶屋があったことから名づけられた。

    8 北岡とっくり館

    7

    6

    5

    4

    32

    1

    13

    12

    11

    10

    9

    8

    14

    (8)大石  (松阪市小片野~大石)

  • 43 42

    約 1100 m

    約 800 m

    約 600 m

    横谷川

    櫛田川

    深野川

    和歌山街道

    5 町なみ

    4 道標三叉路の西側から宝積寺境内に移設。正面「みぎにはせみち ひだりき志うよしのみち」右側「ひだりいせみち」左側「天明二壬寅年十一月」と刻まれている。

    2 櫛田川の景観

    12 常夜燈「両宮献燈」と刻まれている。明治初期のもの。

    11 道標10 常夜燈庚申祠の横にある。

    9 庚申祠切妻屋根で前に格子戸がある。中には二体の庚申像が安置してある。

    8 道標地蔵横谷へ入っていく道の左角。正面上部に地蔵菩薩が彫られ、その下 に「右 あ ら ら ぎ よこ谷道 すぐはせへ十五里」と刻まれている。

    7 常夜燈三叉路の西側から柿野神社に移設。3mを越す大きなもの。「大神宮 天下泰平 是ヨリ宮川江七里半」等が刻まれている。

    6 柿野神社拝 殿 と 神 明 造 の 社 殿 が ある。昔からこの境内には南天 が 多 く 自 生 し て い た ため、南天の宮と呼ばれていた。

    3 飯南局舎 和み

    1 松阪市飯南和紙和牛センター

    5

    4

    2

    12

    11109

    8

    7

    1

    6 3

    (9)横野 (松阪市飯南町横野~下仁柿)

  • 45 44

    約 1200 m

    仁柿川

    9 清水岩山から湧き出る清水 を 樋 で 集 め て いる。

    8 常夜燈燈籠の横。高さ1.8m。

    「氏子中」と刻まれ、文久3年(1863)のものである。

    7 燈籠御堂の横。高さ1.5m。

    6 長瀬不動尊の御堂圧砕岩の露出する坂道の途中。妻入りの堂。

    5 弘法大師の御堂長瀬不動尊の御堂の隣。祠の中に二基の一石五輪塔が安置されている。

    4 供養碑右側杉木立の中。自然石 に「南 無 阿 弥 陀 仏」と刻まれている。

    3 鬼瓦昔の両泉寺の鬼瓦が境内に残る。

    2 両泉寺元和年間に創建。境内には、大界外相碑や南無阿弥陀仏などがある。

    1 庚申碑両 泉 寺 前。延 宝4年(1676)のもの。

    15 美しい山村景観

    14 山の神国道左に立つ杉の木の下。

    13 古い屋号の家なみ高福寺を過ぎたあたり。大文字屋、飴屋、藤屋、質置屋等の屋号があった。

    12 道標高福寺の石垣下「右いせ宮川へ九リ」と刻まれている。

    11 子安地蔵子安地蔵の碑から坂を上った平坦な境内地の小堂の中にある。

    10 子安地蔵の碑天保5年(1834)と刻まれている。

    9

    8765

    4

    32

    1

    15

    14

    13

    12

    1110

    (10)長瀬  (松阪市飯南町下仁柿~上仁柿)

  • 47 46

    約 2000 m

    仁柿川

    立川川

    「お伊勢参りしてこわいとこどこか、櫃

    ひっさ か

    坂、飼かいさ か

    坂、鞍くらと り さ か

    取坂…」と恐れられた本街道の難所の一つ

    古坂道

     仁柿住民協議会を中心とした地区内外の人々により平成 23年に復旧された

    橋を渡る

    3 井戸(清水溜まり)勢至菩薩像のすぐ下。昔、旅人の喉を潤した。

    2 勢至菩薩像道の左側にある。合掌する宝冠をかぶった立像。慶応2年(1866)と刻まれている。

    1 道標家並みを過ぎたあたりの道の左側。「左若宮八幡宮参道」 と 刻 ま れ てい る。昭 和 八年四月に建立されたもの。

    9 美しい谷川

    8 不動橋多気不動尊のそば。飯南(松阪市)と美杉(津市)の境界。

    7 多気不動尊祠と石燈籠がある。

    4 櫃坂寛 文 年 間(1661~73)に 改修され、もとの「古坂」と対比して「櫃坂道新坂」と称され た。昭 和 初 期 と 平 成9年にルート変更が行われており、寛文年間の道はほとんどが廃道となっている。

    6 茶屋「村上屋」左側の桜の木の下。現在、廃屋として現存。

    5 杉の美林

    32

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    8 7

    4

    6

    5

    (11)櫃坂峠 (松阪市飯南町坂ノ下~津市美杉町奥立川)

  • 49 48

    立川川

    道の駅美杉3 名水鶯の水街道右側の杉の木の下。湧き水のスポット。

    2 奥立川をいく街道

    1 美しい河川景観

    6 六部供養碑立川から町屋に向かう途中にある。巡礼及び修行僧など多くの人々が通行したのでこれらの人の供養碑と考えられる。元禄13年(1700)と刻まれている。

    5 旅籠車屋文政年間に創業後、明治中頃に廃業されるまで参宮道者で大変賑わった。現在の建物は一部改造されているが、旅籠の風情を残している。

    4 サカムカエ場サカムカエとは本来、村を出て神界に旅するものを送迎する宗教的儀礼のことをいう。代参者による伊勢参宮が盛んになると宗教的儀礼として整備される一方、代参者を神と同格の存在として扱い、出迎えた人々と共同飲食する場となった。後に、宗教的行事よりも飲食の場としての機能に重点がおかれるようになり、この立川のサカムカエでは、あらかじめ酒宴をもうけ代参者を待ち、帰ってくると伊 勢 音 頭 も 高 ら か に 連 れ立 っ て 帰 っ た と さ れ て いる。

    3

    2

    1

    6

    5

    4

    (12)立川 (津市美杉町上多気)

  • 51 50

    約 1500 m

    八手俣川

     国道を

    横断し階段を下る

    道の駅美杉

    10 北畠氏館跡庭園北畠氏館跡で、枯山水のある築山や仁王石・達磨石と名付けられた石組みが庭園美を作りだしている。国指定名勝及び史跡。

    9 北畠神社伊勢国司・北畠顕能をはじめ三卿を祀る。北畠氏館跡

    8 家なみ

    7 水路街道脇を流れる水路。

    6 旅籠「三鬼屋(三木屋)」跡

    5 聖光寺

    4 上多気常夜燈十字路から大橋右の馬場へ移設。「村中安全」と刻まれて い る。元 治2年(1865)のもの。

    3 道標大橋を渡った十字路。「すぐいせ道すぐ は せ 道」と 刻 まれている。嘉永6年

    (1853)のもの。

    2 大橋欄干を木製に復元。

    1 結城屋旅館

    15 首切地蔵腰切地蔵から500m下った檜の根元。首の部分が切られたかの様に割れている。峠越えの際に犠牲となった人達の成仏を願い、供養のために建立したとされる。

    12 飼坂峠伊勢本街道で一番の難所であったといわれる。往時には茶屋があった。14 腰切地蔵大岩の横。腰の部分が

    切られた様に割れている。首も折れてなくなっている。昔、山賊が旅人を襲ったことを物語る。旅人の成仏を願った。

    13 峠道 11 津市美杉ふるさと資料館

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    9

    8 7

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    6

    (13)多気宿 (津市美杉町上多気~飼坂峠)

  • 53 52

    約 1600 m

    JR 名松線伊勢奥津駅

    雲出川

    かぶとや、江戸屋、山中屋、柏屋、尾張屋などの古い屋号の家が軒を連ねている

    5 宮城橋

    4 旧旅籠昭和23年まで営業。街道に面し、建物に旅籠の名残りを残している。

    3 札場跡

    2 常夜燈正念寺近く。軸部に「太一」と彫られ、台座には「諸願成就」と刻まれている。文久4年(1864)建立。

    1 正念寺集落入口右の小高い所 円通山の扁額が掛けられている。

    10 太一常夜燈民家の車庫の横にある。

    9 境橋奥津と石名原の境界。

    8 町なみ7 念仏寺津市指定文化財

    6 八幡神社県指定文化財

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    3

    2

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    10 98

    7

    6

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    (14)奥津宿 (津市美杉町谷口~瀬之原)

  • 55 54

    約 1300 m約900 m

    堀抜橋

    6 観音寺 5 幡須神社

    4 常夜燈道標から100m。石垣 の 中 に あ る。文化11年(1814) と刻まれている。

    3 大洞山の眺め堀抜橋から西の方向に見える。

    2 道標自然石。「右いせみち」と刻まれている。

    1 庚申場板橋を渡り、狭い坂道を登る途中。古いわらじがかかる。

    11 太一常夜燈急 坂 の 途 中、右側 の 石 垣 の 上 にあ る。天 保15年

    (1844)のもの。

    10 自然石の道標国道の三叉路、南西角にある。「左いせみち」と刻まれている。

    9 三多気の桜国道との合流点から約2km程、大洞山の麓に入ったところ。国指定名勝。

    8 道標三 角 柱 の 道 標。「右伊 賀 な ば り  左大 和 は せ」「す ぐ いせ み ち」と 刻 ま れて い る。天 保14年

    (1843)のもの。

    7 常夜燈国道との合流点から150m。払戸(はらいど)の常夜燈と呼ばれている。文政2年(1819)のもの。

    6

    5

    4 32

    111

    10

    9

    8

    7

    (15)石名原 (津市美杉町瀬之原~杉平)