化学の量子論 -...
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化学の量子論 (第五版)
平成 30 年度版
基礎量子化学及び物理化学演習用
非売品
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化学の量子論 H28 版 (化学数学及び物理化学演習用)
文責: 鳥取大学 応用化学 早瀬修一
目次
はじめに 4
第 1 章 数学的準備
§1.1. 線型空間の導入 5
§1.2. 内積
§1.3. 完備性
§1.4. 写像(演算子):特に線型写像
§1.5. 線型形式と双対空間
§1.6. ブラ・ケット記法
§1.7. 双対共役
§1.8. 固有値問題(その1)
§1.9. 射影演算子とその性質
§1.10. 線型演算子の行列表示
§1.11. 線型部分空間
§1.12. δ関数
§1.13. 連続固有値の場合の固有ベクトル展開
§1.14. 連続固有値の場合の射影演算子
第 2 章 量子論の古典物理学的背景
§2.1.古典力学
§2.2.古典電磁気学
§2.3.古典物理学の破綻
第 3 章 量子力学の基本仮定 13
§3.1.量子状態の記述 13
§3.2.物理量と演算子 18
§3.3.Born の確率規則(離散固有値の場合) 20
§3.4.Born の確率規則(連続固有値の場合) 26
§3.5.量子状態の時間発展 28
3.5.1 状態の運動方程式 28
3.5.2 エネルギー固有状態の時間発展 29
第 4 章 表示と正準量子化 32
§4.1 基底関数系によるベクトルと演算子の展開と成分表示 32
§4.2 座標表示 34
4.2.1 状態ベクトル 34
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4.2.2 位置演算子 35
4.2.3 一般の演算子 36
4.2.4 内積,ノルム 37
4.2.5 Born の確率規則と物理量の平均値 37
4.2.6 Schrödinger 方程式 39
§4.3 正準量子化 39
4.3.1 量子化条件 39
4.3.2 運動量演算子の座標表示 41
4.3.3 座標表示による計算法 42
第 5 章 厳密解が得られる一自由度問題 44
§5.1 波動関数の満たす条件 44
§5.2 自由粒子 46
5.2.1. 定式化と固有状態の解 46
5.2.2. 状態ψ(x)の時間発展 48
§5.3 de Broglie の関係式 49
§5.4 箱の中の粒子:無限障壁を持つ一次元矩形ポテンシャル 50
5.4.1. 解法 51
5.4.2. エネルギーの量子化 55
付録 56
まえがき(第五版)
前回の改訂では,授業用のテキストとしてなんとか使用できるように第 3 章以降の内容を整備した.しかし,第一章と
第二章の整備が残されたままになっていたので,今回の改訂でその部分の完成と参照以降への接続に齟齬を来さ
ないような改訂を目指した.特に,第三章に埋込んでいた数学の準備部分を第一章へ移し,ごちゃごちゃした印象が
なくなるようにつとめた.また,第二章は,古い量子力学の教科書の伝統を引きずる部分が出てしまうので思い切っ
て削除し,かわりに,量子論および分子運動論で必要になりそうな物理的な背景の復習の章にすることにした.本改
訂により,化学系学生の量子論に対する障壁が下がることを期待している.
2018 年4月
理学博士 早瀬修一
まえがき(第四版)
このテキストは,化学系の学生が量子力学の手法の概観をつかむために編集されたものである.現在の量子力学
の原形は,1925 年から 1930 年頃に完成したものである.それ以来,様々な教科書が作られ,その教育が行われて
きた.かつての量子力学の教科書の多くは,古典物理学の破綻の提示に始まり,Schrödinger 方程式の導入,厳密
解が得られる場合での具体的な Schrödinger 方程式の解法,量子力学の数学的基礎,近似法,対称性,等と続い
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ていく道筋で書かれていた.しかし,この方法では学生たちに,例えば簡単な統計力学や様々な特殊関数に対する
慣れといった極端に多くの予備知識を要求することになってしまう.その理由は,もともとそれらの教科書は理学部・
物理学科のカリキュラムに合わせて作られた物であり,化学系学科の学生を対象とはしていなかったからである.一
方,これまでに化学系の学部学生用に書かれた,特に入門段階での量子力学のテキストの中には,“数学を使わな
い”とか“化学者のための”といった枕言葉が付いたはなはだ不十分な物が少なからずあった.それらはなぜ不十分
なのか?その理由は,そのようなテキストで学んだ学力では,卒業研究あるいは修士課程において研究論文•研究
解説を読んだり,あるいは Gaussian のようなソフトウェアのマニュアルや出力ファイルを理解したりすることが,ほと
んど不可能だからである.このような要求を満たすためには,いくつか出ている上級のテキストを読むしかないのだ
が,従来の化学系学生用の入門テキストと上級テキストの間のレベル差は,独学で克服するにはあまりにも大きか
った.
このテキストは,このような状況下において,化学系の学生に対し,より効率的に,できる限り予備知識(物
理,化学,数学)なしに量子力学の基礎を学んでもらい,本格的な量子力学の教科書(例えば Dirac や Sakurai,
Zabo&Ostrand)を読みこなし,研究現場で計算化学のソフトウェアを使いこなせるようになってもらうことを目標とし
ている.そのために多くの教科書で詳細に述べられている量子力学の生い立ちは割あいし,化学系学生が敬遠しが
ちな波の記述法と Schrödinger 方程式の簡単な解法を説明した後,量子力学の基本概念を出発点にして,理論の
大枠と筋道を理解できるような構成を採用した.
このような構成を可能にするために,公理的なやり方で議論を進めることにした.すなわち必要な事項を
定義としてできる限り書き出し,それのみを使ってツールとしての量子力学を作り上げていくやり方である.このやり
方は,学生たちにとっては難しすぎるという教員の方々もいる.しかし,彼らは現在の化学系学生たちの一部が,高
校時代に数学は履修する一方で,物理を履修しない学生が増えていることに気づいていない.そのような学生に物
理的なイメージを要求する従来の量子力学過程は,かえって解りづらいものとなる.それは,数式の量が多い少ない
の問題ではない.もちろん純粋数学の勉強をする訳ではないので,全てを公理から証明はしない.また,数学者によ
り研究され十分に確立した結果は,そのまま使わせてもらった部分も多い.にもかかわらず上述の公理論的方法を
とる量子力学の課程は,量子力学という数学的道具がどのような論理構造を持ち,どのような自然観を提供している
のかを,学生たちが最もよく理解できる方法であると著者は信じている.
なお,このテキストの校正にあたり,鳥取大学教育センター後藤和夫博士に拙著を読んでいただき,貴重
なコメントをいただいた.この場を借りて感謝の言葉を贈りたい.ただし,本テキスト中に今も残る不備な点に関して
は,全面的にその責任は私個人にあることは言うまでもない.
2013 年 3 月 湖山南にて
理学博士 早瀬修一
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第 1 章 数学的準備 この章の構成は,
§1.1.線型空間の導入 §1.2.内積 §1.3.完備性
§1.4.写像(演算子) §1.5. 線型形式と双対空間 §1.6.ブラ・ケット記法
§1.7.固有値問題その1 §1.8.固有値問題その2
である.この章では量子論を記述するための言葉である数学を学ぶ.ここで必要になるのは,線型代数学と微積分
学の中で語られる,線型空間,ベクトル,線形写像,収束,等の概念である.これらについて,簡単なイメージを持ち,
簡単な計算になれてもらうのが,本章の目的である.おそらく,最初のうちは話が抽象的で「意味不明」と投げ出した
くなるだろうが,実は量子論はその成立当初からそれを作った研究者でさえ「意味不明」といっていた代物である.し
かし,時代が流れ研究が進むにつれて,我々にとっての「意味不明」な理論がミクロの世界の言語であり,それに基
づいて開発されたトランジスタやレーザーは,今や我々の日々の生活のインフラを支えている.我々はもはや量子論
から逃げられないのである.
§ 1.1. 線型空間
線型空間とはある種の性質を持つ集合であり,その元はベクトルと呼ばれ
る.既に読者は,高校時代に向きと大きさを持つ量としてのベクトルについて学
んでいるはずである.ここでは,その概念を拡張し,より一般的な(より広い対象
を扱える)ベクトルを定義する.
定義 1−1:線型空間の公理
Ⅰ.ある集合 V に含まれる任意の元(要素) ∀x, ∀y∈V に対して1),和 x + y∈V
が存在し,以下の規則が成立つ.任意の∀x, ∀y, ∀z∈V に対して
1) (x+y) + z = x + (y+z) (結合則)
2) x+y=y+x (交換則)
3) ある元∃o が存在し,任意の元∀x に対して,o + x = x が成立つ.
(単位元の存在)
4) 任意の元∀x∈Vに対して,逆元と呼ばれる元∃x’∈Vがただ一つ
存在し,x+x’=o が成立つ.(逆元の存在)
Ⅱ.任意の元∀x∈V と複素数体2)K に属する任意の元∀c∈K に対して,スカラー
倍 cx∈V が存在し,任意の元 x, y∈V,任意の複素数 c,c’∈K に対して以下の法
則が成立つ.
5) c(x+y)=cx+cy
6) (c+c’)x=cx+c’x
7) (cc’)x=c(c’x)
8) 1•x=x
1):記号∀及び∃の意味 ∀は,集合の要素のうちの
任意のものを意味する. 一方∃は,ある特定のもの
という意味である.なお,集
合論の記号∈,⊂,∪,∩
やその定義に関しては既知
として遠慮なく使うので,忘
れたもしくは勉強してない人
は,単行本や Wiki で予習を
しておくこと.知るべきことは
ごく少数であり,覚えられな
い者は,それらの定義をメモ
して,本を読む時に手元に
おいて参照すれば,何の問
題もない.
2):体 四則演算ができ,読者が知
っている演算法則が全て成
り立つ集合.有理数,実数,
複素数などの集合がそれに
あたる.線型空間のスカラ
ー倍に使われるスカラー量
の集まりは体の性質を満た
したものを使うが,
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以上述べた公理ⅠとⅡに含まれる8つの規則を満たす集合 V をスカラー体 K(複
素数体)上の線型空間と言う.また V の元をベクトル1)という.
例 1-2.線型空間の例 1:3 項数ベクトル空間
と書く時,集合𝑉 =𝑎!𝑎!𝑎!
𝑎! ∈ ℂ, 𝑖 = 1,2,3 ,ただしℂは複素数の集合は,V の
任 意 の 元 a と a’ に 対 し て , 和 と ス カ ラ ー 倍 を𝒂 + 𝒂! =𝑎! + 𝑎!!
𝑎! + 𝑎!!
𝑎! + 𝑎!!及 び
𝑐𝒂𝒌 =𝑐𝑎!!
𝑐𝑎!!
𝑐𝑎!!と定義する時,V は定義 1-1 の1)から8)までの条件を全て満たし
ている.したがって 3 項数ベクトル空間 V は線型空間であり,その元 a はベクト
ルである.すなわち,読者が高校で習った 3 項数ベクトルの性質は,本来はベク
トルの定義であり,その条件を満たすように和とスカラー倍を定義したものだっ
たのである.
例 1-3.線型空間の例 2:連続関数
収束及び連続の定義を既知とする時,関数の集合
𝑉 = 𝑓 𝑓: 𝑥 → 𝑓 𝑥 , ここで 𝑥 ∈ ℝ, 𝑓 𝑥 ∈ ℝ,かつ 𝑓 は連続.
は,ℝを係数体とする線型空間である.
問1-4.いま,関数の集合𝑉 = 𝑓 𝑓: 𝑥 → 𝑓 𝑥 , ここで 𝑥 ∈ ℝ, 𝑓 𝑥 ∈ ℝ,かつ 𝑓 は連続.
の任意の元 f と g をとる.
(a) この時,連続の定義(微積分学の教科書を参照)をつかって,f + g2)が V
の元であることを示せ.
(b) 任意の実数𝑐 ∈ ℝ(全ての実数の集合)をとる時,任意の f ∈ V に対し
て cf∈V であることを示せ.この場合も,f の連続性の定義を使うこと.
(c) 和の単位元および逆元をうまく定義することにより,V が線型空間の公
理を満たしていることを示せ.
以上のことより,問1-4 の V は線型空間であることがわかる.
線型空間 V の元であるベクトルに関連したいくつかの概念・用語を定義して
おく.また,V の定義 1-1 から直ちに導かれる定理を述べる.
定義 1-5.線型空間 V の加法に関する単位元 o を零ベクトルとよぶ.
定義 1-6.線型空間 V の任意の元 a の逆元 a’(エー・プライムと読む)を a の逆ベ
1):ベクトル ベクトルは通常文字の上に
矢印をつけたり,太文字を使
ったりして表現する. また,高校時代には,ベクト
ルは大きさと向きを持つ量と
か,ノートに書いた矢印とし
て理解していたと思うが,ここ
では,定義 1-1 で示した8つ
の性質を満たせば全てベクト
ルと考える.そんなことしてい
いのか,と考える人には,集
合論の創始者 Cantor の言葉
を贈ろう.「数学の本質はそ
の自由性にある.」
2) f + g および cf の定義に
ついては,基礎数学のテキ
ストで調べてほしい.調べる
のが面倒な人は,担当教員
に質問して下さい.
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クトルとよび, a-1 もしくは–a と書く.
定理 1-7.線形空間 V において,
(1)零ベクトル o はただ一つである.
(2)任意のベクトル a∈V に対して,a の逆ベクトルはただ一つ存在する.
証明:(1) o と o’がともに零ベクトルだとすると,定義 1-1-3)より,
o + o’ = o’, o’ + o = o
が成り立つ.一方,定義 1-1-2)より,
o+o’=o’+o
であるから,o = o’である.したがって,零ベクトル o はただ一つである.
証明:(2) a’と a”を a の逆ベクトルだとすると,定義 1-1-4)より,
a+a’=o および a+a”=o
が成り立つ.よって,
a”+(a+a’)= a”+o=o+a” =a”
一方,定義 1-1-1)および-2)より,
a”+(a+a’)= (a”+a)+a’ = (a+a”)+a’ = o+a’= a’
よって,a’= a”が成り立つ.したがって,零ベクトル o はただ一つである.
定理 1-8(差の定義).線形空間 V の任意の元 a, b に対して,
x + a = b (a)
を満たす元 x∈V がただ一つ存在し,
x = b + (−a)
である.上式の右辺 b + (–a)を a と b の差といい,b – a と書く.
証明:定理 1-7-(2)より∀a∈V に対して,a + a’ = o を満たす元 a’がただ一つ存在
する.よって∀b∈V をとる時,
b + 𝒂! = (𝒙 + 𝒂) + 𝒂! = 𝒙 + (a + a') = 𝒙 + 𝒐 = 𝒙
よって,
𝒙 = b + 𝒂!
は(a)式をみたすただ一つの V の元である.一般には a’を–a とかき,b + (–a)は a
と b の差と呼ばれる.また,b+(–a)は b – a とかく.
§ 1−2. 内積
ベクトルは大きさと向きを持つ量と教えられたと思うが,ここではまだ向きや大き
さは定義されていない1).線型空間の元であるベクトルに向きや大きさ(長さ)を
定義するためには,内積と呼ばれるベクトルの二項演算を定義する必要があ
1):向きとか大きさは直感
的には明らかなのだから,
定義など無意味と考えるの
は早計すぎる.量子力学に
現れるベクトルは目には見
えないし,向きや大きさが
直感的に把握しにくい.こ
の様なベクトルを扱う時に
は,数学的に明確な定義
が必要となる.
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る.
定義 1-9.内積
線型空間 V の任意の元∀a, ∀b∈V に対し,a と b から計算される一つの複素数
(a,b)が決まり,任意の元∀a, ∀b, ∀c∈V 及び任意の複素数∀x∈K に対して以下
の性質,
1)(a,b)=(b,a)* (交換則)
2)(a,b+c)=(a,b)+(a,c) (分配則)
3)(xa,b)=x*(a,b)
4)(a,a)≥0 (等号は a=o の時) (正値性)
が成立つ時,複素数(a,b)をベクトル a と b の内積という.なお,性質 1)と 3)中の*
マークは,共役複素数1)をとれというマークである.
内積が定義された線型空間を計量線型空間という.この内積と呼ばれる量を使
ってノルムと呼ばれる量を定義する.
定義 1-9.ノルム2)
線型空間 V に含まれる任意の元 a(これを∀a∈V と略記する)に対して,
𝒂 = 𝒂,𝒂
となる実数 𝒂 をベクトル a のノルムと言う.
定義 1-9a.距離
線型空間 V に含まれる二つの任意のベクトル∀x(∈V)と∀y(∈V)の間
の距離 d(x,y)を d(x,y)=||x–y||で定義する.3)
例:距離と呼ばれる量とは何か?
定義 1-9a で定義した距離は,距離の公理
を満たしている.
1):共役複素数 内積の定義1)で使った肩付
きの*マークは,共役複素数
をとれというマークである.つ
まり,z=x+iy の時, z*=x-iy が z の共役複素数である.こ
のマークは, (z1+z2)*=z1*+z2* (z1z2)*=z1*•z2* (z1*)*=z1 といった性質を持っている.
2):ノルム 定義 1-9 により定義されたノ
ルムは,ベクトルの長さを一
般化したものである.
3):ベクトルの差 ベクトルの差は,ベクトルの
和とスカラー倍を使って, a1 - a2=a1+(-1)a2 と定義する.従って差は線型
空間 V の元である.定理 1-8を参照せよ.
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§1.3.完備性
定義 1-4.完備性
任意のベクトル列{ an }=a1, a2, a3, •••••, an, •••• ∈V を考える.{ ai }が
‖an−am‖ → 0 (m, n → ∞) (1.1)
の時,an があるベクトル a(∈V)に収束する.すなわち
‖an – a‖ → 0 (n → ∞) (1.2)
が成立ち,しかもその a が
a∈V
である時,線形空間 Vはノルム||•••||に関して完備であるという. ちなみに,(1.2)式に示した収束の定義を大学での数学風に表現すると,ベ
クトル列{an}があるベクトル aに収束するとは,「任意の実数∀ε>0 に対してある
正の整数∃N が決まり1),n > N ならば|| an–a || <εである,」という命題が成り立
つことを意味している.
ここで,(1.1)式の条件を Cauchy の条件,またこれを満たす列を Cauchy 列と
いう.Cauchy の条件はそのベクトル列の収束の定義と同値である.厳密な証明
は数学のテキスト2)に任せる.V が完備性を持っていると,与えられたベクトルを
適当な基本ベクトル(線形空間 Vに含まれる長さが1で互いに直交するベクトル)
の級数展開で表現することが可能になることが知られている.すなわち,任意の
ベクトル∀x が,既知のベクトル列
{a1, a2, a3,•••••, an,••••} (1.3)
と,ある特定の複素数の列(c1, c2, c3, • • • cn, • • •)を使って
x = ciaii=1
∞
∑ (1.4)
の形に書くことができる.ではどのようなベクトル列をとれば(1.4)式のように書け
るのかという疑問がわいてくる.この問題については,§3.5 で再度考えることに
する.以上で Hilbert 空間を定義するための準備が整った. 定義 1-5.Hilbert 空間
内積が定義された完備な線型空間を Hilbert 空間という. 上記の定義 1-5 は,量子系の状態を記述するために使用される.量子力学では,
この Hilbert 空間をケット空間と呼び,その元をケットベクトルと呼ぶ.ケットベクト
ルは,
€
a ,
€
b , • • •のような形に書くのが物理学および化学の慣習になってい
る.
1):ベクトル列の収束 「任意のε>0 に対してある数
N が決まり」というフレーズ
は,n>N の時の|| an–a ||の上
限を表す数εが N の関数ε
=ε(N)として与えられること
を意味している.
2):数学のテキスト 杉浦:解析入門(東大出版会) 小平:解析入門(岩波書店)
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§1.4.写像(演算子):特に線型写像
量子力学では,観測可能量(observable)とよばれる物理量(位置,運動量,エネ
ルギー,などを総称してこう呼ぶ)と演算子に関する公理がある.そのために必
要となる写像(演算子)1)に関する定義をこのセクションで説明する. 定義 1-6 写像(演算子)
集合 V の元 x に対して,V の元 y がただ一つ決まるとする.このとき対応関係
A : x!→! y (2.1)
を写像 Â という.また y を x の像といい,
y = A ⋅ x (2.1a)
とかく.定義 1-6 に続いて,写像に関するいくつかの定義を示す. 定義 1-7:写像の和 Â+Â’
集合 V の元 x に対して,写像 Â および Â’が
Â: x→Â x Â’: x→Â’ x
である時, と Â’の和 Â+Â’を
Â+Â’: x→Â x + Â’ x
で定義する.この定義より x の像[Â+Â’] x は,
[Â+Â’] x = Â x + Â’ x
である. 定義 1-8:写像のスカラー倍αÂ
集合 V の元 x に対して,写像 Â を
Â: x→Â x
と定義する時, のスカラー倍α (例えばα∈C)を
αÂ: x→α( x)
で定義する.この定義より x の像(αÂ)x は,
α A( ) x =α Ax( )
である. 定義 1-9:合成写像
€
ˆ B ⋅ ˆ A
V の元 x(∈V)に対して写像
€
ˆ A を作用させ,続いて
€
ˆ B を作用させる時,対応関係は,
𝑥 → 𝐴𝑥 → 𝐵 𝐴𝑥
となる.このとき,最初と最後の元の対応関係𝑥 → 𝐵 𝐴𝑥 によって,合成写像
€
ˆ B ⋅ ˆ A を定義する.すなわち,
𝐵 • 𝐴: 𝑥 → 𝐵 𝐴𝑥 (2.2)
である.また,
€
ˆ B ⋅ ˆ A による x の像を
1)現代数学(20世紀の数学)
の基礎は集合と写像という二
つの概念によって構築されて
いる.したがって数学を言語と
して使う自然科学は集合と写
像の概念を意識的にのみなら
ず無意識的に使っている場合
がある.
2)集合という用語は特に断ら
ずに使うが,その意味は高校
時代に学習したのと同じであ
る.すなわち、ある元がその集
合に属するか属さないかが一
意的に決まるようなものの集
まりという意味である.また集
合の記述法も高校時代の数
学に準ずる.
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𝐵 • 𝐴 𝑥 = 𝐵 𝐴𝑥 (2.3)
と書く. 定義 1-10:写像の相等(等しいこと):その定義
任意の元∀x に対して写像
€
ˆ A と
€
ˆ B が
A x = B x (2.4)
を満たす時,写像
€
ˆ A と
€
ˆ B は等しいといい,
€
ˆ A =
€
ˆ B とかく. 例) 集合 V={Aeix|A∈C, x∈R}を考える1).ただし C は複素数全体,R は実数全
体の集合である.このとき,微分するという操作𝑑 𝑑𝑥は,以下の様な写像である.
ddx: Aeix → iAeix ∈V
よって V は演算 d/dx について閉じており(𝑑 𝑑𝑥による eix の像が V に含まれてい
る),ddx が定義 2-1 で定義した V から V への写像となる.しかも,後述のように,こ
の写像(微分演算子)は線型である. 定義 1-11.線型写像(線型演算子)
演算子 Â が線型空間 V に含まれる任意のベクトル∀x , ∀x’∈V に対して,任意の
複素数を∀c1, ∀c2 とする時,次の式2)
𝐴 𝑐!𝑥 + 𝑐!𝑥′ = 𝑐!𝐴𝑥 + 𝑐!𝐴𝑥′ (2.5)
が成立つ時, を線型写像(あるいは線型演算子)という.
写像の中には以下に示すような特殊なものがある.それらを定義する. 定義 1-12.恒等写像
1) 任意のベクトル x に対し,
1𝒙 = 𝒙 (2.6a)
を満たす写像
€
ˆ 1 を恒等写像という.
2)
€
ˆ 1 の定数倍 c
€
ˆ 1 を単に c と書く.なぜなら,∀x(∈V)に対して
𝑐1 𝒙 = 𝑐 1𝒙 = 𝑐𝒙 (2.7b)
となり,c
€
ˆ 1 の x に対する効果が,スカラー倍 cの効果と変わらないからである. 定義 1-13.逆写像
写像 Â が Â: x→Â x で定義されている時,
Â-1: Â x → x (2.7)
で定義される写像 Â-1 を Â の逆写像という. 定義 1-6 で定義した写像 Â が,集合 V から同じ集合 V への対応関係である場合,
2)この条件は,
と同値(等価)である.ただし,
a とb は,V に含まれる任意の
ベクトル,αは任意の複素数
とする.
1) 指数関数の微分 ここで,指数関数の微分公式,
と,合成関数の微分公式
を思い出しておいてください.
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この写像を変換と呼ぶ.我々が量子力学において扱う写像は主に線型写像であ
るが,線型空間 V から V への写像のみならず,V から K(複素数)への写像も重
要になってくる. 定義 1-14.エルミート共役演算子(随伴写像)
ある線型演算子  と †が1),任意のベクトル∀a, ∀b(∈V)に対して,
𝐴𝒃,𝒂 = 𝒃,𝐴!𝒂 (2.10)
もしくは,これに同値な関係
𝒂,𝐴𝒃∗= 𝒃,𝐴!𝒂 (2.10a)
を満たす時,†を  の(エルミート)共役演算子と言う. 定義 1-15.自己共役演算子
†= (2.11)
を満たす演算子を「自己共役である」もしくは「エルミート性をもつ」と呼ぶ. 練習問題 1.4.1.
a) 定義 2-1~2 を使って,Â-1•Â=
€
ˆ 1 であることを示せ.
b) a)を使って Â-1: y→Â-1y であることを示せ. 練習問題 1.4.2. 実数 R 上で
€
fk : x ∈ R# → # fk (x) = eikx ∈ C
と定義された関数2)fk を使って定義される集合 V を
V = F F(x) = Ak fk (x)k=1
n
∑ , Ak ∈C, k =1, 2,n#$%
&%
'(%
)%
とする.ただし,Cは複素数体3),kは 1 から n(>0)までの整数とする. このとき,
和とスカラー倍を正しく定義すると,V は C 上の線型空間となることを示せ. 練習問題 1.4.3.関数 F を要素とする複素数体上の線型空間
V = F F(x) =k=1
n
ΣAk fk (x), Ak ∈C, k =1, 2,,n, x ∈ R#$%
&'(
, (2.8)
を考える.ただし,fk(x)=eikx,Cは複素数体,Rは実数体である.この線型空間に
対して微分演算(d/dx)は線型演算子であることを示せ.
(Hint. V の任意の元 F, G に対し,
(d/dx)(F + G)= (d/dx) F +(d/dx)G, (d/dx)(αF)=α(d/dx)F (2.9)
を示せばよい.2))
2):関数 本来は函数と書く.数に対
して数を対応させる写像であ
る. 3):体 四則演算ができ,読者が知
っている演算法則が全て成り
立つ集合.有理数,実数など
の集合がそれにあたる.詳
細は,代数学のテキストを参
照.
1) †は,「エー•ダガー」と読
む . た だ し 鳥 取 弁 で は な
い.
- - 13
§1.5. 線型形式と双対空間
V を複素数体 K 上の線型空間とする.このとき,V から K への線型写像を,
線型形式1)という.線型形式は以下のように定義される.
定義 1-5-1:線型形式
線型空間 V からスカラー体 K(ここでは複素数体を想定する)への写像 f が,x∈
V を使って
𝑓: 𝒙⟶ 𝑓(𝒙)
と定義されている時,f がベクトル∀x, ∀y∈V およびスカラー∀α∈K に対して
€
f (x + y) = f (x) + f (y) (3.1)
€
f (αx) =αf (x) (3.2)
を満たす時,f を V 上の線型形式という. f(x)は f•x とも表記する.
定義 1-17.線型形式の和とスカラー倍
線型形式 f と g,および複素数体 K の元 c(∈K)をとり,f と g の和と f のスカラー
倍を
和:: f + g : x∈V → f(x) + g(x) ∈K (3.3)
スカラー倍:: cf : x∈V → c×f(x) ∈K (3.4)2)
と定義する.またこの定義を
(f + g)(x)= f(x) + g(x) (3.5)
(cf)•(x)=c×f(x) (3.6)2)
とも書く.
定義 1-18:双対そ うつ い
空間
定義 1-16 で定義された V 上の任意の線型形式 f を全て集めた集合に定義 1-17
の様な和とスカラー倍が定義されている時,これを V*と書き V の双対空間とよぶ. 定理 1-19:
V*は,K 上の線型空間である.3)
【証】定義 1-17 より V*は,和とスカラー倍について閉じている.また,複素数の性
質と定義 1-17 により,任意の x に対して,
(f + g)• (x)
= f(x) + g(x)
= g(x) + f(x)
= (g+ f)•(x) (3.7)
である.すなわち,任意の元∀x∈V に対して
定義 1-17 より
複素数の和の交換法則
1) 線形形式の定義から解
るように,線形形式の独立
変数はベクトル x,従属変
数(像)f(x)は数値である. 線型形式は,線型汎関数
とも呼ばれる.
2)定義式中の「×」は,通常
の数値のかけ算を意味す
る.
定義 1-17 より
3) V*を V の双対空間といい,
その元を双対ベクトルという.
- - 14
(f + g)•(x) = (g + f)•(x)
が成り立つ.従って写像の相等の定義 1-10 により
f + g = f + g (3.8)
である.また任意の x に対して,
[(f + g) + h]]•(x) = [f(x) + g(x)]+ h(x)
= f(x) +[g(x) + h(x)] = [f + (g + h)]•(x) (3.9)
であるから,
(f + g) + h = f + (g + h) (3.10)
が成り立つ.次に,零形式 o1)をとると,任意の元∀x∈V に対して,
o(x)=0
より,
(f + o)(x) = f(x) + o(x) = f(x) + 0 = f(x) = f•x (3.11)
である.x は任意なので
f + o= f
が成り立つ.よって単位元(零元)が存在する.また,任意の f に対して f-1= (-1)•f
をとると,
(f + f-1) (x) = f(x) + f-1 (x) = f(x) + (-1)•f (x) = 0 = o(x)
なので,
f + f-1 = o (3.12)
すなわち任意の f に対して逆元 f-1 が存在する2).さらに
[c(f+g)]•x=c[(f+g)•x]= c[f(x)+g(x)]= cf(x)+cg(x)=[cf+cg](x)
であり,x は任意であるから,
c(f+g)= cf+cg
である.(c+c’)f=cf+c’f および(cc’)f=c(c’f)も同様にして証明できる.また,スカラ
ー値 1 は,
(1•f) (x)=1•(f(x))= f(x)
なので,(1•f)(x) = f(x)となり,
1•f = f
が成り立つ.したがって,V*は,線型空間の公理 1)-8)を全て満たしている.■
§1.6.ブラ・ケット記法
第 1 章定義 1-5 で導入した Hilbert 空間 V の元である状態ベクトル a を
a ⇒ |a〉
と書き,ケット(ベクトル)と呼ぶ.ケットのイメージ3)を把握するために,しばしばと
りあげられる例として|a〉が成分 a1 と a2 の二つの数で決まる場合がある.この場
2)左記の逆元 f-1=(-1)•f を–fと書く.
1)特殊な線型形式として全
てのベクトル x を K の元 0 に
対応させる写像は,明らか
に線型形式である.これを
零形式といい,o で表す.(すなわち o(x)=0)
3)あくまでもイメージである.
- - 15
合,|a〉を2項数ベクトルと同一視することにより
a =a1a2
!
"##
$
%&&
のように,列ベクトルで表す.当然この|a〉は,和とスカラー倍を well-defined に定
義することにより,先に述べた Hilbert 空間の公理を全て満たす.では,行ベクト
ルに相当するものはあるのか.それがブラ(ベクトル)である.以下では,ブラの
定義に必要な定義 1)と定理を提示する.
定義 1-6-1:
任意のケットベクトル |a〉, |x〉(∈V)に対して,それらの内積 y が,
| a〉, | x〉( ) = y ∈C (複素数) (1)
であるとする.|a〉を固定したとき,この関係式は,|a〉をパラメータとする
|x〉 → y (2)
で定義される写像(線型形式)を表現していると考えることができる.そこで,(2)
式の写像を F|a〉 とかき,この写像を,
F|a〉 : |x〉 → a , x( )∈C (3)
と定義する.また,(3)式の像,すなわち𝐹|! を|𝑥 に作用させた結果を,
𝐹|! |𝑥 = |𝑎 , |𝑥 (3a)
とかくことにする.
この写像𝐹|! に関して以下の二つの定理が成り立つ.
定理 1-6-2
𝐹|! は,線型写像である.
[証] 内積の定義より
𝐹|! |𝑏! + |𝑏! = |𝑎 , |𝑏! + |𝑏!
= |𝑎 , |𝑏! + |𝑎 , |𝑏! = 𝐹|! |𝑏! + 𝐹|! |𝑏! (4)
また,
𝐹|! 𝛼|𝑏! = |𝑎 ,𝛼|𝑏! = 𝛼 |𝑎 , |𝑏! = 𝛼𝐹|! |𝑏! (5)
である.よって,F|a〉は,線型写像である.■
定理 1-6-3
写像𝐹|! の集合 A
A = Fa F|a〉 b = a , b( )∈C, for ∀ a , ∀ b ∈V{ } (6)
は,線形空間 V の双対空間 V*である.
[証] 写像𝐹|! の和とスカラー倍を
1)量子力学では,双対写像
が内積によって具体的に与
えられた場合が極めて重要
である.
- - 16
𝐹|! + 𝐹|!! |𝑥 = 𝐹|! |𝑥 + 𝐹|!! |𝑥 (6a)
𝛼𝐹|! |𝑥 = 𝛼 𝐹|! |𝑥 (6b)
と定義する.集合 A の定義により𝐹|! |𝑥 = |𝑎 , |𝑥 であるから,
𝐹|! + 𝐹|!! |𝑥 = |𝑎 , |𝑥 + |𝑎′ , |𝑥 ∈ 𝐶 (7)
である.同様に,
€
(αFa ) b =α a , b( )∈ C (8)
𝛼𝐹|! |𝑥 = 𝛼 |𝑎 , |𝑥 ∈ 𝐶
である.よって,和とスカラー倍が集合 A の条件を満たすので,𝐹|! + 𝐹|!! ∈ 𝐴か
つ𝛼𝐹|! ∈ 𝐴となり,確かに A は和とスカラー倍について閉じている.さらに線型
空間の公理 1)-8)が成り立っていることも,内積の性質を使って示すことができる.
したがって,A は線型空間であり,V の双対空間 V*である.■
A の元 Fa はベクトルであり,
€
a の双対ベクトルと呼ばれる.量子力学では,
この双対ベクトルである線型写像 Fa を
€
a と書き,ブラ a もしくはブラベクトル a と
呼ぶ.以上ブラベクトルの定義を次の定義にまとめておく.
定義 1-6-4.ブラベクトルをケットベクトルの双対写像として以下のように定義す
る.
Fa = a (7)
この記法(あるいは定義)を使うと,内積
€
a , b( )は,1)
|𝑎 , |𝑏 = 𝐹|! |𝑏 = 𝑎||𝑏 = 𝑎 𝑏 (8)
と書ける.最後の等号は,二本線を一本に省略しただけである.以後,ケット|a〉
とケット|b〉の内積
€
a , b( )を,ケット|b〉にブラ〈a|を作用させた像
€
a b と同一視する
ことにする.この定義を使うとブラとケットの対応関係に関する以下の定理が成
り立つ.
定理 1-23: 双対写像𝐹|! とブラベクトル 𝑎|の間に以下の関係が成り立つ.
(1)𝐹!|! = 𝛼∗ 𝑎| (3) 𝐹!|! = 𝑎|𝐴!
(2) 𝐹|! !|! = 𝑎| + 𝑏| (4) 𝐹!!|! = 𝑎|𝐵!𝐴!
[(1)の証明] 𝐹|! と内積の定義(p.6)より,任意のケットベクトル∀|b〉に対して,
€
Fα a( ) b = α a , b( ) =α* a , b( ) =α*Fa b (9)
が成り立つ.最右辺は(7)式より,
€
α*Fa b =α* a b (9)
となるので,(9)式は,
€
Fα a( ) b =α* a b (10)
となる.ここで,(10)式は任意の∀|b〉に対して成り立つので,
1):ここでいう内積は,高校時
代に使った
ではない.本テキストにおける
内積の定義は四つの式が成
り立つ演算を意味し,それ以
外の意味は無い.
- - 17
€
Fα a =α* a (11)
である.
[(2)の証明] 省略.
[(3)の証明] 写像𝐹!|! は定義により
€
F ˆ A a : b → F ˆ A a b = ˆ A a , b( ) (12)
となる.†, Fa と
€
a の定義より,
€
F ˆ A a b = ˆ A a , b( ) = a , ˆ A † b( ) = F aˆ A † b[ ] = a ˆ A † b[ ] (13)
この式の最右辺はケット|b〉に †を作用させ続いて〈a|をさせる合成写像の定義
になっている.よって(13)式は,
€
F ˆ A a b = a ˆ A †[ ] b (14)
と書くことができる. |b〉は任意にとれるから(14)式より,
€
F ˆ A a = a ˆ A † (15)
が得られる.
[(4)の証明]
𝐹!!|! |𝑥 = 𝐴𝐵|𝑎 , |𝑥 = 𝐵|𝑎 ,𝐴!|𝑥 = |𝑎 ,𝐵!𝐴!|𝑥
= 𝑎| 𝐵!𝐴!|𝑥 = 𝑎|𝐵!𝐴! |𝑥
この式は,明らかに任意の|𝑥 に対して成り立つ.よって,
𝐹!!|! = 𝑎|𝐵!𝐴!
である.
§1.7.共役関係(双対共役)
〈a|の定義(7)式により,|a〉からつくられる双対ベクトルは,ブラベクトル〈a|である.
そこで,(7)式中の𝐹|! のパラメータ|a〉と〈a|の対応関係
|a〉 〈a| (16)
を双対共役の関係と呼ぶことにする. すると,定理 1-23 より,以下の四つの対
応関係が成り立つ.
α|a〉 〈a| α* (17)
|a〉 + |a’〉 〈a| + 〈a’| (18)
 |a〉 〈a|† (19)
𝐴𝐵|𝑎 𝑎|𝐵!𝐴! (20)
これらの対応関係にあるベクトルは,互いに他方を自分の双対共役ということにする.
共役
- - 18
§1.8.固有値問題(その1)
準備 1.8.1 行列に関する予備知識
数字を縦横に並べて書いてカッコでくくったものを,行列という.縦に並べた数が
m 個,横に並べた数が n 個であるとすると,
𝐴 =𝑎!! ⋯ 𝑎!!⋮ ⋱ ⋮
𝑎!! ⋯ 𝑎!"
あるいは,
𝐴 = 𝑎!" 𝑖 = 1, 2,•••,𝑚; 𝑗 = 1, 2,•••, 𝑛
となる.行列は,以下のように和,スカラー倍,積を定義できる.
行列 𝐴 = 𝑎!" ,𝐵 = 𝑏!" 𝑖 = 1, 2,•••,𝑚; 𝑗 = 1, 2,•••, 𝑛,ベクトル𝒙 = 𝑥! 𝑖 =
1, 2,•••,𝑚,スカラーλ (𝜆 ∈ 𝑅 𝑜𝑟 𝐶)とする時,
(1) 和:𝐴 + 𝐵 = (𝑎!" + 𝑏!") (2) スカラー倍:𝜆𝐴 = (𝜆𝑎!")
(3) 積その1:𝐴𝒙 = 𝑎!" 𝑥! ( 𝑖 = 1, 2,•••,𝑚; 𝑗 = 1, 2,•••, 𝑛)
= 𝑎!"𝑥!!!!! ( 𝑖 = 1, 2,•••,𝑚)
(4) 積その2:𝐴 • 𝐵 = 𝑎!" • 𝑐!" = 𝑎!"𝑐!"!!!! 𝑖 = 1,2 •••,𝑚; 𝑗 = 1,2,•
•• 𝑛, 𝑘 = 1,••• 𝑙
以上の定義をもとにこの節のテーマである固有値問題の一例を提示する.
問題を簡単にするため,二成分ベクトルと二行二列行列を使う場合を考える.行
列 C を
𝐶 =𝑐!! 𝑐!"𝑐!" 𝑐!!
とする時,
𝐶𝒂 = 𝜆𝒂
を満たす列ベクトル a とスカラーλを決める問題を固有値問題という.固有値問
題は,量子力学における状態と物理量を,実測値に結びつけるための鍵になっ
ている.以下では,列ベクトルを Hilbert 空間のベクトルに,行列を V 上の写像に
一般化した固有値問題を議論する.
定義 1.8.2. Hilbert 空間 V 上の写像(演算子)Â に対し,
𝐴𝒂𝝀 = 𝜆𝒂𝝀 (1)
を満たす aλ=0 でない解 1)が V 中に存在する時,λを Â の固有値,aλをλに属
する固有ベクトルとよぶ.また,(5.1)式を固有値方程式,(1)式で与えられた問題
を固有値問題という.
数学系出身の人には,いやがる人が多いのだが,(1)式を
𝐴|𝑎 = 𝜆|𝑎 (1a)
と書くのが数理物理•数理化学分野での習慣になっている.すなわち,(1)式にお
1) |a〉が零ベクトルではな
い解.|a〉=0 の 0 は,数字
のゼロではなく,零ベクト
ルを意味する.これを自明
でない解という.
注:転置行列の記号 t の使
用例.
- - 19
いて,
aλ !→! a (1b)
λ!→! a (1c)
と置き換えるのである.この置き換えは,ケットベクトル|λ〉が,固有値 a の
固有ベクトルであることを,添字を倹約しながら明示するために工夫された
ものであろう.
(1)式のように定義された固有値と固有ベクトルは, が自己共役であるとき
には,著しい性質を持つ.なお,以下に述べる定理 1.8.3 と 1.8.4 は,固有値が離
散的か連続的かに関わらず成り立つ.(証明では固有値の離散性あるいは連続
性を使っていないことに注意!)
定理 1.8.3.自己共役演算子の性質1
自己共役演算子 Â の固有値は実数である.
[証]§1.4-定義 1-14(p.12)のエルミート共役の定義より, は,
€
ˆ A a , b( ) = a , ˆ A † b( ) (2)
を満たす.ここで,†が自己共役(定義 1-15)であることより †=  なので,
€
ˆ A a , b( ) = a , ˆ A b( ) (2a)
である.今
€
b = a とし,これに(1a)式を代入すると,
€
a a , a( ) = a ,a a( ) (3)
である.一方,p.8 の内積の定義より,
€
a* a , a( ) = a a , a( ) (4)
である.さらに,内積の定義より|𝑎 ≠ |0 の時には
€
a , a( ) > 0なので
€
a* = a (5)
である.よって a は実数である.■ 定理 1.8.3 が保証する自己共役演算子の固有値が実数である性質は,物
理量 Â の測定値が実数であることに対応すると考えると都合が良い.それに加
えて,自己共役演算子 Â の固有ベクトルは,以下の性質を持つ. 定理 1.8.4.自己共役演算子の性質2
自己共役演算子 Â の異なる固有値に属する固有ベクトルは直交する. [証]Â の異なる固有値 a, b (a≠b)に属する固有ベクトルをそれぞれ|a〉, |b〉とす
る時,固有値方程式は,
€
ˆ A a = a a (6)
€
ˆ A b = b b (7) である.(6)式の両辺に,左から〈b|をかけると,
€
b ˆ A a = a b a (8)
- - 20
一方,(7)式の両辺の双対共役をとると,
€
b ˆ A † = b* b (9)
ところが, が自己共役であることから,
€
ˆ A † = ˆ A である.一方,定理 1.8.3 より
€
b = b* であるから,(9)式は,
€
b ˆ A = b b (10) となる.この式の右から|a〉をかけると,
€
b ˆ A a = b b a (11) (8)式から(11)式を辺々引くと,
€
(b− a) b a = 0
仮定より b≠a だから,
€
b a = 0
よって,|a〉と|b〉は直交する.■ 定理 1.8.4 では,異なる固有値に属する固有ベクトルは直交することを述べた.では,
同じ固有値に属する一次独立な固有ベクトルが複数個(例えば n 個)ある場合(このよ
うな現象を縮退という)は,どうなるのか.まず,いくつかの言葉の定義を準備する. 定義 1.8.4a1).一次独立(線型独立) n 個のベクトル|𝑎! (i=1,2,3,•••,n)が,
𝑥!|𝑎!
!
!!!
= |0 (12)
を満たすのが xi=0 (i=1,2,•••n)の時のみである時,n 個のベクトル|𝑎! は互いに一
次(線形)独立であるという.また,一次独立でないベクトルを一次従属という.一
次独立の定義は,現実世界の平行でない矢線ベクトルに対応しており,高校数
学の問題演習でも利用されている. 定理 1.8.52).自己共役演算子 Â の固有値 a に縮退がある時,a に属する固有ベ
クトルを|𝑎,𝑚 (m=1,2,3•••••,n)とする時,すなわち,
€
ˆ A a,m = a a,m (13)
とする時,
€
a,i = Cij a, jj=1
n
∑ (13a)
とおき,適当な Cij を選ぶことにより,任意にとった|a,i〉と|a,i'〉(i, i'=1,2,•••n)に関し
て,
€
a,i' a,i = δi ',i (14)
を満たすようにすることができる.
2) この定理は良く知られた
Schmidt の直交化法を使って
証明することができる.
1)通常の記法では,線形独立
(一次独立)とは,n 個のベクト
ル (i=1,2,3,•••,n)が,
を満たすのが xi=0 の時のみで
ある時, は一次(線形)独立
であるという. さらに,上式および(11a)式の
左辺を, (または|ai))の一次
結合とよぶ.
- - 21
証明はしないが,この定理 1.8.5 により,固有値 a に関して縮退がある場合でも,
固有ベクトルを,それらが全て直交するように,取れることが保証される.
定義 1.8.2 で与えられる固有ベクトル|a〉は,そのノルムを 1 に規格化できる.
なぜなら|a〉のスカラー倍は(1)式を満たすからである.具体的には,
|𝑎 ! =1
𝑎 𝑎|𝑎 (15)
で与えられるケット・ベックトル|𝑎 !はノルムが 1 であり,同時に明らかに固有値
方程式(1a)式を満たしている.(代入すれば,左辺と右辺が等しくなる) 定理
1.8.4 と定理 1.8.5 の結果と一緒にしてまとめると,
€
a' ,i' a,i = δa ',aδi ',i (16)
となる.(16)式を固有ベクトルの規格直交性という.また,a と i の組(a, i)を一つ
のベクトルと考え a とかき,(16)式を簡略化して,
𝒂! 𝒂 = 𝛿𝒂!𝒂 (16a)
とかくことにする.この a を使う記法を使うと,定理 1.8.5 は定理 1.8.4 と合体させ
定理 1.8.4b.自己共役演算子の性質2
自己共役演算子 Â の異なる順序対 a=(a, i)に属する固有ベクトル
は直交する.ただし a は Â の固有値である.
と表現することが出来る.なお,以後は簡単の為に順序対 a を単に固有値と呼
ぶことにする. 定理 1.8.6.自己共役演算子の性質3
自己共役演算子 Â の固有ベクトルは,完全系を作る.つまり,
𝐴|𝒂 = 𝑎|𝒂 (17)
を満たす|a〉の集合 VE を
€
VE = a all a satisfying ˆ A a = a a , a ∈ V{ } (18)
と定義すると,V の任意のベクトル|ψ〉は,VE の元である固有ベクトル|a〉と固有
値 a に依存するスカラーψ(a)を使って
|𝜓 = 𝜓(𝒂)|𝒂 (19)𝒂
の形に表すことができる.
[証](16a)式を満たす固有値の番号を振り直し1),𝑎!に属する固有ベクトルを
|𝑎! ( |𝑎! = 1, 𝑎! 𝑎! = 𝛿!",i=1,2,3•••)と書くことにする.これを利用して,任意
のベクトル|𝜓 (∈V)に対して,|𝑎! により以下のような近似ベクトル列 |𝜓! を作
ることが出来る.2)
2 ) こ の ア ル ゴ リ ズ ム は ,
Schmidt の直交化法として知ら
れている.
1) 縮退があり同じ固有値に属
する一次独立な固有ベクトルに
は異なる i を割り振ったと考え
る.異なる値の固有値に関して
は縮退が無い場合と同様に割
り振ればよい.
- - 22
|𝜓! = |𝜓 − |𝑎! 𝑎! 𝜓 (20a)
|𝜓! = |𝜓! − |𝑎! 𝑎! 𝜓! = |𝜓 − |𝑎! 𝑎! 𝜓 − |𝑎! 𝑎! 𝜓 (20b) ⋮
|𝜓! = |𝜓!!! − |𝑎! 𝑎! 𝜓!!! = |𝜓 − |𝑎! 𝑎! 𝜓!!!! (20c)
⋮ 上記のベクトル列 |𝜓! がゼロに収束する時,つまり n→∞の時
|𝜓! 0 (20d)
であるならば,(20c)式の右辺の和(の極限)は V の完備性により V に含まれる.
以上のことをまとめると, の固有ベクトルにより V の任意の元は
|𝜓 = |𝑎!
!
!!!
𝑎! 𝜓 (20e)
の形に展開することができる.固有値 ai は,縮退まで考慮すれば a と書くべきで
ある.したがって, 𝑎! 𝜓 = 𝜓(𝑎!) = 𝜓(𝒂)と書けば,(19)式が得られる.■
定理 1.8.6 は,V の任意の元|ψ〉が,V の部分集合である VE の元|a〉によって展開
できることを主張している.この定理の証明で重要なのは,固有ベクトルの規格
直交性1)を使った(20a-c)式の式変形と,ヒルベルト空間 V の完備性により,(20c)
式の右辺にある部分和の n→∞の時の極限値が必ず V の中にあることが保証さ
れていることであることに注意せよ.この定理の意味は,証明よりも以下の例を
見る方がイメージがわいて分かりやすいかも知れない. 例 1.8.7.定理 1.8.6 の具体例
3 次元空間の位置ベクトル r=(r1, r2, r3)は,右の図 1.8.7 中に記した基底ベクトル
(基本ベクトル)ei(i=1,2,3)を使って,
r = r1e1 + r2e2 + r3e3 (21)
と表せる.(20e)式は,これを拡張したものである.ここでいう「拡張」とは,
1)成分の数は,3以上でもよい.
2)成分を区別するための添字 i は連続な数(実数)でもよい.このとき,ベクト
ル r の第 i 成分 ri は,r=r(i)という実数変数の関数となる.
という意味である. 定理 1.8.6 が成り立つならば,ψ(a)を計算することができる.(20e)式の両辺に左
から〈b|を掛けることにより
€
b ψ = ψ(a) b aa∑ (22)
(16a)式より
€
b a = δb,a
なので,(22)式に代入すると
図 1.8.7 上図が図示する(21)式と(25)式の対応は, ei (i=1, 2, 3) → r → ri →
となる.
1)(16)式または(17)式で表さ
れるベクトルもしくはベクトル
の集合の性質を規格直交性
という.
- - 23
€
b ψ = ψ(a)δb,aa∑ =ψ(b) (23)
よって,a と b を置き換えると
ψ(a) = a ψ (24)
これを(19)式に代入すると,
|𝜓 = |𝒂 𝒂 𝜓𝒂
(25)
となる.(25)式の形は,量子力学においてしばしば使用される展開式の形である.
ここで注目すべきは,(24)式と(25)式である.この二つは基底ベクトルの集合
€
a{ }が与えられた時,ベクトル|ψ〉が決まるとスカラーψ(a)(=〈a|ψ〉)の組が決
まる.逆に,スカラーψ(a)の組が決まるとベクトル|ψ〉が決まることを意味してい
る.すなわち,|ψ〉と t(ψ(a))は,
ψ ← →#tψ(a1),ψ(a2 ),ψ(a3), ⋅ ⋅ ⋅,ψ(an ), ⋅ ⋅ ⋅( )
という形で一対一に対応している.これは図 1.8.7 の中で,位置ベクトル r が決ま
るとその成分 ri(i=1, 2, 3)が決まり,逆に成分 ri が決まるとベクトル r が決まること
に対応している.
ここで,|ψ〉とは別のベクトル|ψ’〉を
!ψ = !a !a !ψ!a∑
と展開する.このとき,内積〈ψ|ψ’〉は,
ψ !ψ = ψ , !ψ( )
= a a ψa∑ , "a "a "ψ
"a∑
#
$%
&
'( = a ψ * a
a∑"
#$
%
&' (a (a (ψ
(a∑
= a ψ * a !a !a !ψ
!a∑
a∑ = a ψ *
δa, !a !a !ψ!a∑
a∑
= a ψ * a !ψ
a∑ (26)
となる.この式は,|ψ〉と|ψ’〉の内積が,〈a|ψ〉*というスカラーと〈a|ψ’〉というス
カラーの,全ての固有値 a にわたる和であることを示している.特に,|ψ’〉=|ψ〉
のときは,
ψ ψ = a ψa∑
∗a ψ = a ψ
2 (27)
となる.(26)式の結果は,位置ベクトルを成分で表示した時にその内積が
€
r • " r = xi* " x i
i=1
3
∑
と表示できることに相当するものである.
実は,(24)式における固有値 a の関数であるスカラー〈a|ψ〉(=ψ(a))は,有
機化学や無機化学のテキストに現れる波動関数である.すなわち,波動関数と
は状態ベクトル|ψ〉の固有ベクトル|a〉方向に関する成分だったのである.化学
- - 24
系の学生が使うことの多い座標の関数としての波動関数ψ(ξ)は,基底ベクト
ルとして位置の演算子
€
ˆ x の座標固有値ξに属する固有ベクトルであるδ関数
δ(x-ξ)を取った時の,ξ軸に関する成分なのである.このことについては,連
続固有値の所で再度取り上げる.
§1.9. 射影演算子とその性質
定義 1-9-1.射影演算子
写像:𝑃|𝒃 𝒂| 𝑃|𝒃 𝒂| ∶ |𝜓 |𝒃 𝒂 𝜓 (1)
を考える.(1)式中の|b〉〈a|ψ〉は,ベクトル|b〉に複素数のスカラー〈a|ψ〉をかけ
たものである.この写像𝑃|𝒃 𝒂|を 𝑃|𝒃 𝒂| = |𝒃 𝒂| (2)
と書き,射影演算子という. このテキストでは, |𝒂 = |𝒃 の場合,すなわち 𝑃|𝒂 𝒂| = |𝒂 𝒂| (2a)
をよく使う.この写像は, 𝑃|𝒂 𝒂|: |𝝍 |𝒂 𝒂|𝜓 (3)
という対応関係を与えるものである.𝑃|𝒂 𝒂|を|𝜓 に作用させたものを
€
ˆ P a a ψ = a aψ (3a)
と書く.(2a)から(3a)式中にでてくる固有値を表すパラメータ a は,順序対(a, j)す
なわち演算子 Â の固有値 a に属する j 番目の状態ベクトル|𝒂 に対応している. 定義 1-9-1a
固有値 a に属する固有ベクトルが縮退し,線型独立1)な n 個のベクトル|a〉すなわ
ち|a, i〉(i=1, 2, ••••, n)が a に属している場合を考える.このとき,演算子 Pa a を,
以下のように定義する.
Pa a =i
n
ΣPa a =i
n
Σ a a =i
n
Σ a, i a, i (3b).
(2a)式の意味を通常の空間ベクトルで考えてみよう(図 1-9-1 参照).今,|a〉を ei,
|ψ〉を r に対応させてみる.内積
(ei, r)=|ei|•|r|cosθi (θi は ei と r のなす角)
の大きさは,ベクトル r を x 軸に射影された影の長さである.ここで(e1, r)は内積
〈a|ψ〉に対応するから,(3a)式の右辺の〈a|ψ〉の大きさは,|a〉に平行な軸に射
影されたベクトル|ψ〉の影の長さに対応している.この影の長さに向きすなわち
正負を考慮したものが正射影である.したがって,写像𝑃|! !|は,|ψ〉を|a〉の方
向への正射影|a〉〈a|ψ〉に対応させるものである.この様なアナロジーにより,
|ψ〉から正射影|a〉〈a|ψ〉を取り出す演算子(=写像) 𝑃|! !|を射影演算子と呼ん
1)再録線型(一次)独立 n 個のベクトル (n=1,2,3,•••,n)が,
を満たすのが xi=0 の時のみで
ある時, は一次(線形)独立で
あるという.
図 1-9-1:位置ベクトルの成分
表示の原理.三次元空間の場
合 , 三 つ の 基 底 ベ ク ト ル
ei(i=1,2,3)が必要.
- - 25
でいるのである.
もし|a〉として演算子 Â の固有ベクトル|a〉をとると, Â|a〉=a|a〉 (4) となるので,
€
ˆ A ˆ P a a ψ[ ] = ˆ A a aψ = a a aψ
€
= a ˆ P a a ψ[ ] (5)
である.よって,|ψ〉の射影
€
ˆ P a a |ψ〉は, の固有値 a に属する固有ベクトルである.
射影演算子の性質を述べるために,§1.8 の(25)式を再び取り上げる.
ψ = a a ψa∑ (6)
この式は
ψ = a aa∑"
#$
%
&' ψ (7)
とも書ける.すると( )の部分が単位演算子
€
ˆ 1 になっていることに気づく.よって,
a aa∑ = 1 (8)
である.逆に,(8)式が成立てば,その両辺を|ψ〉に作用させることにより,(6)式
が得られる.つまり|ψ〉は,必ず固有関数|a〉で展開することができる.この(8)式
は完全性関係または閉包関係と呼ばれている.(8)式は,(2a)式を代入して,
Pa aa∑ = 1 (9)
と書くこともできる.
§1.10.線型演算子の行列表示
先の§では,ベクトルの成分表示と射影演算子の性質について述べた.ここで
は線形演算子の成分表示を試みてみよう. 定理 6.1
任意の線型演算子𝐵は,自己共役演算子𝐴の固有ベクトルから作った正規直交
基底系 |𝒂 を使って,
B = a a B a' a'!a∑
a∑ (1)
と書ける. [証明]
§1.9 の(8)式より直接導かれる.すなわち,
B = 1 ⋅ B ⋅1= a aa∑#
$%
&
'( B a' a'
)a∑#
$%
&
'(= a a
a∑#
$%
&
'( B a' a'
)a∑#
$%
&
'(
- - 26
=a∑"
#$
%
&' a a B a' a'
(a∑"
#$
%
&' = a a B a' a'
!a∑
a∑
(2)■
(1)式中に出てくる a B a' を演算子𝐵の行列要素という.また,(1)式を自己共
役演算子
€
ˆ A に適用すると,その固有ブラ a および固有ケット a を使って,
A = a a A a' a'
!a∑
a∑ = a a a a' a'
!a∑
a∑
= a a a a' a'!a∑
a∑ = a aδaa' a'
!a∑
a∑
= a a a
a∑ = aPa a
a∑ (6.11)
となる.自己共役演算子 Â を(6.11)式の三行目の形に書くことを,スペクトル分解
という.
§1.11.線型部分空間
定義 1.11.1. 線型部分空間
W を K 上の線型空間 V の部分集合(W⊂V)とする.任意の|ψ〉, |φ〉∈W,
任意のα∈K に対し,
(i) |ψ〉 + |φ〉 ∈W
(ii) α|ψ〉 ∈W
をみたすとき,W を V の線型部分空間という. 定義 1.11.2.固有空間
ある固有値 a に属する固有ベクトル|𝒂 の線形結合からなる集合 VE を
𝑉! = 𝜆 𝒂 |𝒂𝒂
|𝒂 は,𝐴|𝒂 = 𝑎|𝒂 を満たす.ただし,λ(𝒂) ∈ 𝐾,|𝒂 ∈ 𝑉
と書き,固有値 a で指定された固有空間とよぶ.言い換えれば,定義より VEの任
意の元は,同一の Â に関する固有値 a を持つ.
固有空間 VE は,線型部分空間である.まず,VE の定義より|x〉∈VE ならば明らか
に|x〉∈V である.従って VE⊂V である1).次に,ある固有値 a に属する固有ベク
トルは,縮退がある場合を含めると2),
A a, i = a a, i (i = 1, 2, •••••, n, •••)
を満たす.今,|a, i〉+|a, j〉に Â を作用させると,
A( a,i + a, j ) = A a,i + A a, j = a a,i + a a, j
= a( a,i + a, j )
1)以後,集合の含む含まれるの
関係を曖昧さ無く認識して欲し
い.集合 A と B があり a を A の
要素とする.A⊂B であることの
必要十分条件とは, 「任意の a に対して a∈A ならば a∈B である.」 が成り立つことである.
2)以前の定義では固有値 a に
属する固有ベクトルを |a〉と書い
た.もし,ある固有値 a に縮退が
あった場合には,a に属する固有
ベクトルは,一次独立なものが
複数個ある.それらを, |a,1〉, |a,2〉, |a,3〉,••|a,n〉,•• と書くことにする.先の記法 |a〉
は, |a,i〉のどれか一つをも含ん
で全ての固有ベクトルを一文字 aで表している.
- - 27
よって,|ai〉+|aj〉∈VE である.同様にしてλ|ai〉∈VE(for ∀λ∈K)である.よって
VE は線型部分空間である.
§1.12.δ関数
§1.8 でも述べたように,我々は状態ベクトルの成分 𝑎 𝜓 を波動関数ψ(a)という形で使うことが多い.本節では
物理量 Â が連続固有値を持つ場合の議論をしておく.そのために,連続固有値をもつ固有ベクトルを使って任意の
状態を展開する時に必要な道具について述べる.また,以後の議論では,話を簡単にするために,縮退はないも
のとする.
定義 1.12.1.
任意の連続関数 f(x)について,
f (x ')δ(x '− x)dx '−∞
∞
∫ = f (x) (1)
となるようなδ(x)を Dirac(ディラック)のデルタ関数1)という.
例 1.12.2. (1)式の特殊な場合.
f(x)=1 の時には,
δ(x '− x)dx '−∞
∞
∫ =1 (2)
(1)式は,被積分関数に含まれる関数 f(x’)に,x’=x を代入した値がそのま
ま積分値になることを示している.つまり左辺の被積分関数は,x’=xの時以外は
積分に寄与していない.ここで f(x’)は任意なので,この条件を満たすためには
x’≠ x ではδ(x’–x)は常に 0 でなければならない.つまり,
€
δ(x'−x) = 0 for x '≠ x (3)
である.その上で(2)式が成り立つためには,x’=x ではδ(x’–x)は図 1.11.1 のように x’=0 において非常に大きな値を
取らなければならない.このような振舞を示す,デルタ関数δ(x’–x)は,普通の意味の関数ではなく,(1)式や(2)式
のように積分の中に現れて初めて意味をもつ.デルタ関数を含む積分が(7.1)式のようになることに注意する限り,
通常の関数のように扱うことができる.逆に言えば,δ関数を扱う時には,まず(1)式を書いておけば,それほどひ
どい間違いをしなくてすむ.(1)式を使うと,以下の公式を導くことができる. 定理 1.12.3.δ(x’-x)の特徴
(a)
€
δ(−x) = δ(x) (b)
€
δ(Kx) =1|K |
δ(x) (c)
€
δ X(x) − X(x ')( ) =1
| X '(x) |δ(x)
ただし,X(x)は x の微分可能な 1 価関数で,その逆関数も一価関数である.また𝑋! 𝑥 = !"(!)!"
である.
問題 1.12.4:定理 1.12.3 の(a)-(c)をδ函数の定義を使って証明せよ.
1)δ関数は,普通の意味での
関数ではない.定義式から解る
ように,関数 f(x)を,数値 f(x’)に対応させる写像である.この様
な写像を汎関数とよぶ.
xx'
図 1.11.1.δ関数δ(x’-x)の模式的グラフ.x'=x で発散的
に大きな値をとる.
- - 28
§1.13.連続固有値の場合の固有ベクトル展開
定義 1.13.1.連続固有値に関する重ね合わせ
自己共役演算子 Â の連続固有値 a に属する固有ベクトルを|𝑎 ,a の複素数
を値域とする連続函数を c(a)とする時,様々な a について|𝑎 を重ね合わせたベ
クトル|𝑏 を,
b = c(a) a∫ da (1)
と定義し,|𝑎 の一次結合 (線形結合)と呼ぶ.この定義が,離散固有値の場合
に出てきた,一次結合の形
|𝜓 = 𝜓(𝒂)|𝒂𝒂
(1a)
と同じものであることは,積分の定義を考えればわかる.
図 1.13a. の連続固有値を変数 a と考えたときの,a の変域[a0, an]と a1, a2, • • •,
ai, • • •, an-1 を境界とするその変域の分割.
いま,定義域を[a0, an](⊂R)とする連続変数固有値 a の複素数値連続函数𝑐(𝑎)
とベクトル値連続函数|𝑎 が定義されているとする.この時,図 1.13a のように Â
の連続固有値 a に関する a0 から an までの一次結合を定義することを考える.そ
の一次結合の近似値として,
Sn =
i=1
n
Σ∆ ai ⋅c( #ai ) #ai
(2)
で表される有限項の和を考える.この和は,固定値 a0 から an までの区間を n 分
割1)し,分割された n 個の小区間 𝑎!!!, 𝑎! ) (i = 1, 2, •••, n)のそれぞれに含まれ
る固有値 a’i に対する(その値で決まる)複素数 c(𝑎!!)とケットベクトル|𝑎!! からつく
ったスカラー倍𝑐(𝑎!!)|𝑎!! に分割された小区間の大きさ∆𝑎!をスカラー倍したもの
を,i に関して足し合わせたものである.すなわち,ベクトル|𝑎!! の一次結合であ
る.(2)式において,n→∞の極限をとったものが,(1)式である.すなわち,
|𝜓 = lim!→!
∆𝑎!𝑐 𝑎!! |𝑎!!!
!!!
= 𝑑𝑎 ∙ 𝑐(𝑎)|𝑎!!
!! (3)
1 ) 下 式 で 表 さ れ る 小 区 間
!𝑎!!!⬚ , 𝑎!⬚)を集めた集合 D 𝐷 = !!𝑎!!!⬚ , 𝑎!⬚)|𝑖 = 1,2,⋯ , 𝑛! を区間[a0, an]の分割という.
- - 29
である.定義 1.13.1において aが離散的な時には和の記号がΣであったのに対し
a∑ → da∫ (4)
のように積分に置き変わっていることに注意せよ.
定義 1.13.1 に従うと,離散固有値の場合の展開式
ψ =aΣ a a ψ (5)
は,
ψ = a∫ a ψ da (5a)
となる.|ψ〉が(5a)式の形に展開できるなら,両辺に〈a’|をかけた,
a ' ψ = a ' a a ψ da∫ (6)
も成立つはずである. (6)式を見ると,左辺の〈a’|ψ〉は,右辺の被積分関数〈a|
ψ〉の独立変数 a に a=a’を代入した形になっている1).したがって,この式が任
意の|ψ〉について成立つためには,
a a ' = δ(a− a ') (6a)
であればよい.(7.9)式は自己共役演算子 Â が持つ「異なる固有値に属する固有
ベクトルが直交する」という性質と矛盾しない.そこで,連続的な固有値に属する
固有ベクトルの規格直交条件として(7.9a)を採用する. 定理 1.13.2.規格直交化条件と状態の固有ベクトル展開
自己共役演算子 Â の固有ベクトル a が,
a a ' = δ(a− a ') (7)
を満たす時,任意の状態ベクトル
€
ψ は固有ベクトル a により
ψ = a∫ a ψ da (7a)
の形に展開できる. この定理 1.13.2 の証明は,離散固有値の時のような初等的な証明2)にはな
らない.そこで定理 1.13.2 については,以下のような解説をつけるにとどめる.
(7)式を仮定すると,内積 a ψ と a a ' を掛けて,すべての a’について足し合
わせる(積分すると)と,
a ' a a ψ da∫ = a ψ δ(a− a ')da∫
= a ' ψ (8)
ここで, (8)式は,
a ' a a ψ da∫"# $%= a ' ψ"# $% (9)
と書くことができる.(9)式は,任意のブラベクトル〈a’|に対して成り立つので, [ ]
内のケットベクトルは等しいはずである.従って
1)〈a’|ψ〉は,p20 の(5.21)式で示し
たように,波動関数ψ(a’)を表して
いたことを思い出して欲しい.つま
り,〈a|ψ〉を, と考える
と,〈a’|ψ〉は a=a’の時のψ(a)の値
に等しく, である.従
って(6)式は,
となる.
2)佐藤の超関数の理論を
使うと可能になる.
- - 30
ψ = a∫ a ψ da (10)
となる.つまり,規格直交条件(7)式を仮定すると,任意の状態ベクトル
€
ψ を固
有ベクトル a で(7a)式の形に展開することができる.逆に,(8)式から(10)式まで
の議論から解るように,(10)式が成り立つなら(7)式が成り立つ.■
ところで(10)式は,
ψ = a∫ a da"#
$%ψ (11)
と書くこともできる.
€
ψ に関わりなく(7.14)式が成り立つためには,
a a da∫ =1 (12)
であればよい.この関係式も,量子力学の理論計算ではしばしば使用される.こ
の(11)式は(12)式と同値な式であり,ベクトル|𝜓 の|𝑎 による展開可能性(完備
性)を示している.以上まとめると,§1.8 で述べた離散固有値の場合の自己共
役演算子の固有値・固有ベクトルに関する性質が連続固有値の場合も成り立っ
ている.
§1.14.連続固有値の場合の射影演算子
離散固有値に属する固有ベクトルには,§1.9 で示したように射影演算子という
ものを定義することが出来る.この射影演算子は,連続固有値の場合にも定義
することが出来る.
定義 1.14.1
演算子 Â が与えられ,その固有値 a に属する固有ベクトルが|𝑎 であるとき,演算
子 ˆP (a−Δ,a+Δ]を
ˆP (a−∆,a+∆]= da ' Pa ' a 'a−∆
a+∆
∫ = da ' a ' a 'a−∆
a+∆
∫ (1)
と定義し射影演算子とよぶ.ただし,区間(𝑎 − ∆, 𝑎 + ∆ は,不等式𝑎 − ∆< 𝑎 ≤
𝑎 + ∆を満たす固有値 a の集合を意味している.
いま±∆の幅を持つ固有値 a の近傍区間(𝑎 − ∆, 𝑎 + ∆ に含まれる固有値を a’と
すると,(1)式で定義された演算子 ˆP (a−Δ,a+Δ]は,a’に属する固有ベクト
ル(ブラおよびケット)を使ってかかれている.そして,(1)式を状態ベクトル|𝜓 に
作用させると,
ˆP (a−∆,a+∆]ψ = da ' a ' a 'a−∆
a+∆
∫ ψ (2)
となる.この式は,演算子 ˆP (a−Δ,a+Δ]が, |𝜓 を固有ベクトル |𝑎′ (𝑎 ∈
(𝑎 − ∆, 𝑎 + ∆ )の一次結合に対応させる写像であることを示している.
- - 31
定理 1.14.2
射影演算子は次の二つの性質を持つ:
1) ˆP (a−∆,a+∆]= ( ˆP (a−∆,a+∆])2 (3) 2) ˆP (a−∆,a+∆]= ˆP †(a−∆,a+∆] (4).
[証明]
1) (3)式は,以下のようにして証明できる.
( ˆP (a−∆,a+∆])2 ψ = ˆP (a−∆,a+∆]⋅ da ' Pa ' a ' ψa−∆
a+∆
∫
= d !!a !!a !!aa−∆
a+∆
∫ ⋅ da ' a ' a ' ψa−∆
a+∆
∫ = d !!aa−∆
a+∆
∫ da '⋅ !!a !!a a ' a ' ψa−∆
a+∆
∫
= d !!aa−∆
a+∆
∫ da '⋅ !!a δ( !!a − !a ) a ' ψa−∆
a+∆
∫ = da '⋅ "a a ' ψa−∆
a+∆
∫
= ˆP (a−∆,a+∆] ψ
よって,
ˆP (a−∆,a+∆]= ( ˆP (a−∆,a+∆])2
が成り立つ.
2) (4)式は,
ψ ˆP †(a−∆,a+∆] ϕ = ψ , ˆP †(a−∆,a+∆] ϕ( )
=ˆP (a−∆,a+∆] ψ , ϕ( ) = da ' Pa ' a '
a−∆
a+∆
∫ ψ , ϕ#
$%
&
'(
= da 'a−∆
a+∆
∫ a ' a ' ψ , ϕ( ) = da 'a−∆
a+∆
∫ a ' ψ * a ' , ϕ( )
= da 'a−∆
a+∆
∫ ψ #a a ' , ϕ( ) = da 'a−∆
a+∆
∫ ψ #a #a ϕ
= ψ da 'a−∆
a+∆
∫ #a #a$
%&
'
() ϕ = ψ ˆP (a−∆,a+∆] ϕ
となり,成り立つ.
- - 32
- - 33
第2章 量子論の古典物理学的背景 §2.1.古典力学による運動の記述 §2.3.古典物理学の破綻
§2.2.古典電磁気学による場の記述 量子力学は,我々の身のまわりでおきる巨視的な現象すなわち原子の質量,運
動量,運動エネルギーに比較すると圧倒的に巨大な質量,運動量,運動エネル
ギーがかかわる現象からは想像できないほどに異質な仮定と論理に基づいて
構築された理論体系である.この章では量子力学を組み立てるために必要な最
低限度の古典物理学(力学と電磁気学)をまとめておく. §2.1.古典力学による運動の記述
2.1.1. 古典力学の一形式としてのニュートンの運動方程式
野球の試合で見ることのできるボールの運動から狂った独裁者が大好きな核ミ
サイルまで我々が直接目で見ることのできる(後者はあまり見たくないのだが)
物体の運動は,17世紀にニュートンが見いだし今日まで発展を続けている,い
わゆる「ニュートン力学」により記述することができる.ここで「」を使ったのは,現
在ニュートン力学と呼ばれている微分方程式をつかう理論形式は,実はニュート
ンが物理現象を解析するのに使った「ニュートンの力学」ではない.ニュートン力
学を現在知られている形に整備し運動の解析に利用したのはスイス出身の数
学者であるオイラーであるといわれている.
現在我々が知っているニュートン力学は,次の方程式に集約される:
𝑚𝑑!𝑥𝑑𝑡!
= 𝐹(𝑥, 𝑥, 𝑡) (2.1)
ただし,x は物体の位置,𝑥 = !"!"
は物体の速度であり,物体の運動状態は時刻 t
における x(t)と x.(t)により決まる.言い換えれば,(2.1)式を解いて x(t)と x
.(t)を t
の関数として書くことができれば運動がきまるということである. 2.1.2. ラグランジュの運動方程式
分子の振動運動を解析するためには原子一個一個の原子座標で記述されたニ
ュートンの運動方程式を解くことは効率が悪い.分子振動の解析に都合がいい
のはニュートン以後のヨーロッパで開発されたラグランジュ形式の運動方程式で
ある.ラグランジュ方程式の特徴は原子のデカルト座標そのものを使わずそれ
らを組合せてつくった一般化座標 q とその時間導関数 q.を独立変数として採用し
運動方程式をつくる点である.その方程式は以下のような形をしている:
𝜕𝐿𝜕𝑞
=𝑑𝑑𝑡
𝜕𝐿𝜕𝑞
(2.2).
ただし,𝐿 = 𝐿(𝑞 𝑡 , 𝑞 𝑡 , 𝑡)である.
- - 34
2.1.3. ハミルトンの運動方程式
着目する物理系を古典的に記述した場合を考える.例えば読者が高校時
代または大学初年時に,物理系の力学的エネルギーEが (力学的エネルギーE)=(運動エネルギー)+(位置エネルギー) (2.3) となることを学んだことを思い出してほしい
1).古典物理学の教えるところでは,
力学的エネルギーE を位置座標 q と運動量 p の関数 Hc として
E=Hc(q,p) (2.4) と書き表し,Hc を含む方程式
€
dqdt
=∂Hc
∂p (2.5a)
€
dpdt
= −∂Hc
∂q (2.5b)
を解いて得られる q と p の時間変化を
q = q(t), p=p(t) (2.6)
という時間の函数として追跡するという形で自然現象を記述する2)
.(1.2)式と
(1.3)式および(1.4)式中に現れる Hc を古典的 Hamiltonian という.ただし,系の
運動を記述する位置座標 q に対応する運動量 p は,一般には自明ではない.正
しく q に対応(正準共役という)する運動量を決めるには,q と q の時間微分
𝑞(= !"!")を独立変数とする Lagrangian L(q, 𝑞)という函数を書き,
𝑝 =𝜕𝐿𝜕𝑞 (2.7)
を q に対応した運動量とするのである.もちろんこの Lagrangian は,(2.2)式を
満たす函数である.
Hc は,L をもとに Legendre(ルジャンドル)変換という手法を使って計算でき
る仕掛けになっている.この授業では,その詳細は必要ないので,理論の流れ
のみを示すにとどめる. 例 2-1.調和振動子
調和振動子の古典的 Hamiltonian は,
𝐻 =𝑝!
2𝑚+𝑘2𝑞! (2.8)
である.この式を(2.5a-b)式に代入すると,
𝑞 = −𝑘𝑞!
𝑝 = 𝑚𝑞
が得られる.これは調和振動子に対するニュートン方程式と運動量の表式にな
っている.
2) この式はあまり馴染みが
無いと思うが,ここでは私の
主張が正しいことを信じてほ
しい.Newton 方程式はこの
形式(Hamilton 形式)の運動
方程式と同値である.
1) 例えば,
という式で表現されていた.
- - 35
§2.2.古典電磁気学による場の記述
古典電磁気学は,Faraday を初めとする実験物理学者の見いだした法則を,
Maxwell,Hertz, Heaviside らにより首尾一貫した理論体系にまとめられたもので
ある.この理論は自然現象を記述する物理量として,場の量と呼ばれる時間変
数 t と空間変数 x=(x,y,z)の函数 E と B を用いる.そして E と B が真空中で満た
すべき運動方程式(Maxwell 方程式)は以下のようなものである:
∇ • 𝑬 𝑡,𝒙 = 𝜌 𝑡,𝒙 𝜀! (2.5)
∇ • 𝑩 𝑡,𝒙 = 0 (2.6)
∇×𝑬 𝑡,𝒙 +𝜕𝑩𝜕𝑡
= 0 (2.7)
∇×𝑩 𝑡,𝒙 − 𝜀!𝜇!𝜕𝑬𝜕𝑡
= 𝜇!𝒋(𝑡,𝒙) (2.8)
ただし,ε0,μ0 は真空に特有の定数である.第一の方程式(2.5)式は,電荷に
関するクーロンの法則を一般化したものである.第二の方程式(2.6)式は,磁気
に関するクーロンの法則である.磁気力をもとに磁荷を定義すると,電気力に関
するクーロンの法則と同じ逆二乗法則が成り立つことが知られている.これを一
般化したものが(2.6)式である.第三の方程式(2.7)式は,磁場が変化した時にど
のような電場が発生するかを記述したファラデーの誘導法則とよばれるものであ
る.最後の方程式(2.8)式は,電流から磁場が発生する様子を記述するアンペー
ルの法則を表したものである.
これら4つの偏微分方程式から,多くの巨視的な電気磁気的現象は全て説
明できる.しかし,いくつかの現象は,これらの方程式を基本とする理論の予想
とは全く異なる結果を与えることが知られている.
§2.3.古典物理学の破綻
1)黒体輻射の問題
黒体とは書いて字のごとく黒い物体であるが,黒いという意味を正し
くとらえる必要がある.黒体とは波長にかかわらず入射した光を
100%吸収する物体のことである.現実にはこのような物体は存在し
ないが,大きな内部容量を持つ小さい穴が,黒体の非常に良い近似
となる.現実にあるこの様な黒い穴の例としては,製鉄所にある熔鉱
炉(高炉)の温度計測用の光取り出し口がそれにあたる.黒体は,そ
の温度が上昇すると,一定の波長分布(とりあえずは色と考えてほし
い)をもつ光を発する.19世紀末には,光が§2.2 の Maxwell 方程式
で記述できる電磁波であることがわかっていた.この波が黒体中すな 図 2.3.1.黒体輻射のスペクトル(放射さ
れる光強度の波長依存性).
- - 36
わち黒い穴を持つ空洞中に閉じ込められ,その閉じ込められた電磁波が漏れて
きたものが黒体輻射だと考え,Maxwell の方程式と当時知られていたエネルギ
ー等分配則を使って黒体輻射のエネルギースペクトルを計算したのが Rayleigh
と Jeans であった.ところが彼らのスペクトル式は,
𝑢 𝑇, 𝜆 = 8𝜋𝑘!𝑇𝜆! (2.9)
であり,λ→0 の時,エネルギー密度が発散的に増大してしまうことがわかった.
これは空洞の中のエネルギーが∞であることを意味するため,現実にはあり得
ない結果となる.
2)光電効果
金属に光を照射するとその表面から電子が飛び出す現象である光電効
果は,1887 年の Hertz(ドイツ)および 1888 年の Hallwachs(ドイツ)により
見いだされた.その後,Lenard により,
(a)電子の放出は、ある一定以上大きな振動数の光でなければ起
こらず、それ以下の振動数の光をいくら当てても電子は飛び出して
こない。
(b)振動数の大きい光を当てると光電子の運動エネルギーは変わ
るが飛び出す電子の数に変化はない
(c)強い光を当てるとたくさんの電子が飛び出すが、電子 1 個あたり
の運動エネルギーに変化はない
という重要な事実が実験により明らかにされた.実は,この結果は,古
典的な Maxwell の電磁気学では決して理解することの出来ない結果で
ある.レナードの結果(b)は,電子一個の運動エネルギーを Ek,仕事関
数と呼ばれる定数 W,光の振動数νとした時,
𝐸! = ℎ𝜈 −𝑊
という関係式で表される.この式は,金属から飛び出した電子一個のエネルギー
が光のエネルギーから一定の金属に特有のエネルギーW を引いたものに等し
いことを示している.ということは,光があたかも一個の粒子のようにふるまい一
個の電子にエネルギーを渡してやると解釈すればこの式を極めて自然に理解す
ることが出来る.
- - 37
第 3 章 量子力学の基本概念
§3.1.量子状態の記述 §3.3.Born の確率規則(その1) §3.5.量子状態の時間発展
§3.2.物理量と演算子 §3.4.Born の確率規則(その2) 量子力学における力学系(ここでは原子,分子,などを意味する)の記述には,ある種のベクトルを使う.それは,た
とえば電子という粒の性質をもつ実在が,波の性質である干渉性を示すという実験結果を説明するために必須のも
のである 1). このような実験事実に基づき築かれた理論体系は,以下に述べる4つの命題から出発している. §3.1.量子状態の記述
第1章§1.3 で述べた Hilbert 空間の定義を使って,量子論の第一の仮定が表現
できる.
公理 1:量子系の状態は,ある Hilbert 空間のベクトルで表される.
量子力学では,この Hilbert 空間をケット空間と呼び,その元をケットベクト
ルと呼ぶ.ケットベクトルは,|𝑎 ,|𝑏 , • • •のような形に書くのが物理学および化
学の慣習になっている.
重要なことは,「状態が Hilbert 空間のベクトルである」という公理1の主張
が,重ね合わせの原理(和とスカラー倍に相当する状態が必ず存在するという
主張)を意味していること,そしてこの主張が実験事実2)と矛盾しないことである.
つまり,公理1は実験事実をもとに作られた仮定と言うことになる.一見抽象的
で現実とはかけ離れたベクトル空間の公理が,実は電子や中性子といった極微
の粒子において現実に起こりうる現象を記述するのに不可欠な道具であるとい
うことである.皆さんがベクトル・行列を学ばなければならない重要な理由
の一つがここにある.
1) 例えば,朝永振一郎・スピ
ンはめぐる,江沢・現代物理学
等を参照のこと.
2) 二重スリットでの干渉実
験:例えば「小出:量子力学 I」を参照すること. 二重スリットの実験による
と , あ る 状 態 |𝑎⟩と |𝑏⟩の 和
|𝑎⟩+|𝑏⟩が単純な算術和では
なく,むしろベクトル和のような
振舞をすることが公理1の主
張の背景にある.
- - 38
§3.2.物理量と演算子
このセクションでは,観測可能量(observable)とよばれる物理量(位置,運動量,
エネルギー,などを総称してこう呼ぶ)と演算子に関する公理を提示する.
量子力学の支配する世界では,ある状態ψにある粒子(一般には力学系
または物理系と呼ばれるが,ここでは具体例として一個の粒子を考える)に対し,
ある物理量 A,例えば粒子の位置座標 q の測定1)を繰り返し行なったとき,
𝜓 𝑞!
𝑃 𝑞!,
𝑞!𝑃 𝑞!
,𝑞!
𝑃 𝑞!,⋯⋯,
𝑞!𝑃 𝑞!
,⋯⋯
のように,可能な位置 qiと,qiが得られる確率 P(qi)が得られる.しかし,同じ状態
ψが与えられてもその状態での粒子の位置座標は qi だとは言えない.なぜなら
次に測定にかかるのが可能な値 qi のうちのどれになるかは神様にも分からない
という立場を取る2)のが量子力学だからである.
そこで,具体的な q の値を力学系の物理量と考えるのはあきらめ,
𝑞: 𝜓 → 𝑞! ,𝑃(𝑞!) の組で表される状態(i = 1,2,3,•••••)}
なる写像𝑞を考え,これを物理量とよぶことにする.上の例では位置座標𝑞である
が,一般の物理量に対しては Â ということにする.このような写像として量子力学
で採用されているのが, Hilbert 空間のベクトルである状態に作用する線型写
像,あるいは線型演算子である.ここでいう線型写像(=演算子)とは,§1.4 で定
義したものである.
第1章定義 1-15 を使って,量子論の第二の公理(仮定)を記述する. 公理2.物理量は V 上で定義される自己共役な線型演算子により表わされる. この公理は,量子力学における物理量の定義を与えるものになっている.
§3.3.Born の確率規則(その1)
§3.2 までの議論により,力学系の状態と物理量に関する公理を提示した.本節
では観測される物理量の値が量子論により与えられる仕組みに言及する.その
ために,第一章で準備した固有値問題を利用する.固有値問題とは,ヒルベルト
空間上で定義された線型演算子 Â が与えられたとき,固有値方程式
𝐴 𝑎 = 𝑎 𝑎 (1)
をみたす固有値 a とそれに対応した固有ベクトル 𝑎 を見いだす問題である.この
問題が,物理量を表す演算子について解けることを前提にして以下の公理を仮
定する.
1) 例として二重スリットの実
験の場合を考える. 測定される物理量は,この
例では,粒子の位置座標 qi と
なる.座標 qi を含む面積∆S の
検出面に粒子が到達する確
率は,P(qi)•∆S と定義すれば
よい.
・粒子の位置 ・その位置に粒子が観
測される確率(密度)
2) このような自然観(立場)を受け入れるために,人類
は長い年月を必要とした.
しかし人類は,粒子が波の
性質を示す実験事実を解
釈するために,この立場を
取らざるを得なかった. この立場とは対照的に,
神様には未来永劫全ての
ことがお見通しであるという
立場を取るのが古典力学
(高校で学んだ Newton 力
学)であるが,古典力学で
は,化学現象の主役である
電子の振舞を理解すること
は,不可能である.
- - 39
公理 3.Born の確率規則
状態|𝜓 について物理量 Â の測定を行った時,その測定値 aψは Â の固有
値のどれかに限られる.このとき,aψが Â の固有値のうちの一つ a になる確率
𝑃 𝑎 は,a に属する固有ベクトル |a〉方向への |ψ〉の射影のノルムの二乗
𝑃|𝒂 𝒂||𝜓!で 与 え られ る.また ,固 有 値 a が 観 測 され た ときの 状 態 は
𝑃|𝒂 𝒂||𝜓 = |𝒂 𝒂|𝜓 となっている.
固有ベクトル|a〉を使うと射影演算子𝑃|𝒂 𝒂|は,
𝑃|𝒂 𝒂| = |𝒂 𝒂| (2)
とかけるから,固有値 a が観測される確率𝑃 𝑎 は,
𝑃 𝑎 = 𝑃|𝒂 𝒂||𝜓!= |𝒂 𝒂|𝜓 ! = |𝒂 𝒂|𝜓 , |𝒂 𝒂|𝜓
= 𝒂|𝜓 ∗ 𝒂|𝜓 |𝒂 , |𝒂 = 𝒂|𝜓 ! (3)
となる.(3)式の 後の表示中のブラケット積 𝒂 𝜓 は,状態ベクトル|𝜓 を固有ベ
クトルで展開した式,
|𝜓 = |𝒂 𝒂 𝜓𝒂 (4)
中の固有ベクトル|𝒂 の項の係数であることに注意せよ.
この公理 3 は,|𝜓 と Â が与えられた時,測定可能な値 a とそれが得られる
確率 P(a)が決まることを主張している.しかし,実際に測定した時,一般には複
数ある固有値のうちのどれが測定されるかについては,何も主張していないこと
に注意せよ.つまり,量子力学では,1 回 1 回の測定で固有値の中のどれが測
定されるかについては予測しないし,予測できないという立場をとるのである.
第一章で,自己共役な線型演算子を定義し,その固有値が実数であること
を学んだ.この性質は,自己共役な線型演算子が物理量を表すと仮定し,この
固有値のうちの一つが観測量になるという公理2と公理3を仮定する上で非常に
都合がいい.逆に言えばそうなるような数学の理論を,物理法則の記述のため
に使用しているということである.
§3.4.Born の確率規則(その2)
連続な確率変数 x がある値をとる確率は,その x がある区間 𝐼 𝑎,∆ = 𝑎 − ∆, 𝑎 + ∆] に含まれる1)確率 P として記述される.具体的には,
€
P(a −Δ,a + Δ] = limN→∞
N
(1) である.この定義自体は,a が離散的であっても通用するので,a’1, a’2, a’3, •••
∈I(a,∆)を満たす(すなわち I(a,∆)に含まれる)離散固有値𝑎!!の出現回数を n(𝑎!!)
とし,出現確率を P(𝑎!!)とすると,
N 回の試行のうち,測定値が に含まれる回数
1) 「含まれる」とは? x が区間 I(a,∆)に含まれる.
すなわち,
は,
と同値である.ただし,a, ∆, xは,すべて実数である.
- - 40
P(a−Δ,a+Δ]= limN→∞
n( %a1)+ n( %a2 )+ n( %a3)+ ⋅ ⋅ ⋅N
= lim
N→∞
n( #a1)N
+ limN→∞
n( #a2 )N
+ limN→∞
n( #a3)N
+ ⋅ ⋅ ⋅
= P( !a1)+P( !a2 )+P( !a3)+ ⋅ ⋅ ⋅
= P( !ai )
i∑ = P( !ai )
!ai∈I (a,∆)∑ (2)
となる.2) 離散固有値を扱った§3.3 の(2)式が,
𝑃 𝑎!! = 𝑎!! 𝜓 ! = 𝑎!! 𝜓 ∗ 𝑎!! 𝜓 = 𝜓 𝑎!! 𝑎!! 𝜓 = 𝜓 𝑃|!!! !!!| 𝜓
と書けることに注意すると,
𝑃 𝑎!! = 𝜓 𝑎!! 𝑎!! 𝜓 = 𝜓 𝑃|!!! !!!| 𝜓
である.これを(2)式に代入すると,
P(a−Δ,a+Δ]= P( #ai )#ai∈I (a,∆)∑ = ψ P #ai #ai
ψ#ai∈I (a,∆)∑
ここで,離散固有値から連続固有値に移行する時の規則§1.13 の(4)式を
使い,
P !ai !ai!ai∈I (a,∆)∑ N→∞& →&& d !a ⋅ P !a !a
a−Δ
a+Δ
∫
と置き換えると,
€
P(a −Δ,a + Δ] = ψ da'⋅ ˆ P a ' a'a−Δ
a +Δ
∫ ψ (2a)
ここで,演算子 ˆP (a−Δ,a+Δ]を定義する. 定義 3.3.1 連続固有値に関する射影演算子を
ˆP (a−∆,a+∆]= da ' Pa ' a 'a−∆
a+∆
∫ = da ' a ' a 'a−∆
a+∆
∫ (3)
と定義する. (3)式を(2a)式に代入すると,
P(a−Δ,a+Δ]= ψ ˆP (a−∆,a+∆] ψ (3a)
となる.
よって,(3a)式は ˆP (a−∆,a+∆]の性質(定理 1.14.2)により,
P(a−Δ,a+Δ]= ψ ˆP †(a−∆,a+∆] ˆP (a−∆,a+∆] ψ
= ˆP (a−∆,a+∆] ψ2
である.そこで,公理3は,固有値が連続な場合,次のように書き直すこと
ができる.
2) ここで,P(a’i)は,
𝑃(𝑎!!) =𝑛(𝑎!!)𝑁
である.
- - 41
公理 3a:連続固有値に対する Born の確率規則
状態|ψ〉について,物理量  の測定を行った時,測定値 aψは, の固有値
の ど れ か 一 つ で あ る . ま た a ψ が 特 定 の 固 有 値 a の 近 傍 区 間 1 )
€
(a −Δ,a + Δ]に含まれる確率
€
P(a −Δ,a + Δ]は,
P(a−Δ,a+Δ]= ˆP (a−∆,a+∆] ψ2
(4)
となる. すなわち,固有値が連続であっても,ある固有値 a の近傍区間に測定値が
現れる確率は,力学系の状態ベクトル|ψ〉の a に属する固有ベクトル方向
への射影ベクトルのノルムの二乗で表される.
公理3及び3a で述べた確率規則は,一見すると読者が知っている波
動関数を使った確率解釈とは異なって見えるが,実は両者は表現方法が
異なるものであることを§4で学ぶことになる.
§3.5.量子状態の時間発展
3.5.1 状態の運動方程式
このセクションでは,量子状態|ψ〉の時間発展を記述する記述するための公理
を述べる.まず,そのための準備からはじめよう.
ある時刻 t における状態をベクトル|ψ(t)〉で記述する.このとき,|ψ(t)〉の時
間微分を次のように定義する.
定義 3.5.1
ddtψ(t) =
Δt→0lim
ψ(t +∆ t) − ψ(t)Δt
(1)
ここで注意したいのは,ある時刻 t = t0 において, |𝜓(𝑡!) と!|!(!!)
!"が与えられて
いる場合には,微小時間∆t 後の状態|ψ(t0+∆t)〉は,テイラーの定理より,
ψ(t0 +∆ t) ≅ ψ(t0 ) +d ψ(t0 )
dt•∆ t (2)
= 1+Δt ⋅ ddt
#
$%&
'(ψ(t0 ) (2a)
という式によって近似できるということである.
ここで(9.2a)式を眺めると,この式の右辺のカッコ [ ] 内の式で表され
た演算子が,状態ベクトル|ψ(t0)〉を|ψ(t0+∆t)〉に変換していると読むことができ
る.そこで我々は,この作用が,∆t→0 の極限において,すべての t に関してある
自己共役2)な線型演算子で表現できると仮定する.すなわち,∆t → 0 の極限で
は,
€
ψ(t + Δt) = 1− i⋅ Δt ⋅ ˆ H
&
' ( )
* + ψ(t) (3)
1) 近傍区間とは? 区間 を点 (値 ) a
の近傍区間と言うことにする.
2) 第一章のエルミート演算
子と自己共役の定義を参照
せよ.
- - 42
を満たす演算子
€
ˆ H を導入する.ただし,h はプランク定数である.(2a)式と(3)式を
比較すると,
ddtψ(t) = − i
H ψ(t) (9.4)
となる.逆に(4)式を認めれば,(3)式が成立ち,ある時刻 t における系の状態 |
ψ(t)〉とその系を特徴づける演算子
€
ˆ H が与えられれば,以後の|ψ(t)〉の時間発
展を追跡することができる.そこで我々は次の公理を採用する. 公理4.
量子系の時刻 t における状態ベクトル|ψ(t)〉の時間発展は,
i ddtψ(t) = H ψ(t) (5)
で記述される.ただし,
€
ˆ H は系の全エネルギーを表す演算子である. 3.5.2 エネルギー固有状態と系の時間発展
3.5.1. の (3) 式 で 定 義 さ れ た 全 エ ネ ル ギ ー 演 算 子𝐻は , ハ ミ ル ト ニ ア ン
(Hamiltonian)と呼ばれる.また,𝐻の固有値を固有エネルギーといい,それに属
する固有ベクトルをエネルギー固有状態という.状態の時間発展が𝐻によって支
配されているため,エネルギー固有状態は特別な役割を果たしている.この節で
は,𝐻が時間にあらわには依存しない枠組み1)における系の時間発展を議論す
る.
𝐻の固有値を En とし,En に属する固有ベクトル(固有状態)を|n〉と書くことに
する.ここでは縮退がなく,一つの En には一つの|n〉が対応する場合を考える.
(もっとも,縮退があっても同様の議論ができる.)このとき,
H n = En n (6)
である.t=0 における状態|ψ(0)〉が,固有値 En に属する状態であるとすると,
€
ψ(0) = n (7)
である.(9.5)式の両辺に〈n|をかけると,
€
n i ddtψ(t) = n ˆ H ψ(t) (8)
(9.6)式の両辺の双対共役をとると,
€
n ˆ H † = En* n
となる.この式は,
€
ˆ H が自己共役( H = H † )であることに注意すると,
€
n ˆ H = En n (9)
となる.よって(9.9)式と,〈n|が時間に依存しないことに注意すると,(8)式は,
i ddt
n ψ(t) = En n ψ(t) (10)
となる.〈n|ψ(t)〉が t のスカラー関数であることに注意すれば,微分方程式(10)
1) これを Schrödinger 描像と
いう.
- - 43
式は,次のようにして解ける.
n ψ(t) = g(t)
とおくと,(10)式は,
i ddtg(t) = Eng(t)
であり.この式の両辺に exp[− En
it]をかけて整理すると,
e− En i( )t "g (t)− En i( )e− En i( )tg(t) = 0
ddt
e− En i( )tg(t)( ) = 0
となるので,左辺の括弧内は t によらない定数になる.よって,
e− En i( )tg(t) =C
g(t) =Ce En i( )t =Ce−i En ( )t
である.ここで,t=0 のとき, g(0) = n ψ(0) なので,g(t)の定義によりC = n ψ(0) で
ある.よって,
g(t) = n ψ(t) = n ψ(0) e−i En ( )t (11)
となる.これで一応解けた訳だが,ここで少しトリックを使う.
€
e−i En ( ) tはスカラー
定数なので,
€
n ψ(t) = n e−i En ( )t ψ(0) (12)
である.ここで,指数関数の定義により
€
ei En ( )t n = 1+11!iEnt ( ) +
12!iEnt ( )2 + ⋅ ⋅ ⋅ ⋅
#
$ % &
' ( n
€
= 1+11!
i ˆ H t ( ) +12!
i ˆ H t ( )2
+ ⋅ ⋅ ⋅ ⋅#
$ % &
' ( n
€
= ei( ˆ H )t n (13)
である.ここで ei(H )t の双対共役は,𝐻が自己共役であることを考慮すると,
€
(ei( ˆ H )t )† = 1+11!
i ˆ H t ( ) +12!
i ˆ H t ( )2
+ ⋅ ⋅ ⋅ ⋅#
$ % &
' (
†
€
= 1† +11!
i ˆ H t ( )†
+12!
i ˆ H t ( )2†
+ ⋅ ⋅ ⋅ ⋅#
$ % &
' (
€
= 1+11!−i ˆ H †t ( ) +
12!−i ˆ H †t ( )
2+ ⋅ ⋅ ⋅ ⋅
$
% & '
( )
€
= 1+11!−i ˆ H t ( ) +
12!−i ˆ H t ( )
2+ ⋅ ⋅ ⋅ ⋅
$
% & '
( )
€
= e−i( ˆ H )t である.したがって,
€
ei(En )t n = ei( ˆ H )t n の両辺の双対共役をとると,
€
n e− i(En )t = n e− i( ˆ H )t (14)
が得られる.この式を(9.12)式の右辺に代入すると,
€
n ψ(t) = n e−i( ˆ H ) t ψ(0) (15) 2)
となる.
€
n は任意にとれるので,(15)式は,全ての n について成立している.
1) 1) 双対共役をとる操作が,無限
級数の和をとる操作と順番を入れ
替えてもよいと仮定している.すな
わち,
であることを仮定している.
2) 指数関数の両側にある縦線
は,絶対値ではなく,ブラとケットの
縦線を表している.
- - 44
すると,
𝜓(𝑡) = 𝑛 𝑛 𝜓(𝑡)!
= 𝑛 𝑛 𝑒!! !/ℏ !|𝜓(0)!
= 𝑒!! !/ℏ ! 𝑛 𝑛 𝜓(0)!
= 𝑒!! !/ℏ !|𝜓(0)
となる.したがって,
𝜓(𝑡) = 𝑒!! !/ℏ !|𝜓(0) (16)
がえられる.(16)式は,t=0 での状態ベクトル
€
ψ(0) に演算子
€
e−i( ˆ H )tを作用
させることにより時刻 t における状態ベクトル
€
ψ(t) が得られることを示して
いる.ここで(7)式を(16)式に代入すると,
€
ψ(t) = e−i( ˆ H )t n
€
= e−i(En )t n (17)
である.(17)式は t=0 のとき,系が
€
ˆ H の一つの固有状態|n〉にある場合には,
€
ˆ H が時間に依存しない限り,ずっと|n〉のスカラー倍のままであり,|n+1〉や
|n+2〉が混じることはないことを示している.これをエネルギー固有状態は
定常状態にあるという.また位相因子 e−i(En )t は,
€
ωn =En
(18)
なるパラメータωn を導入し e−iωnt とかく.このωn を固有(角)振動数という.
定理 3.5.2.
定常状態では,|ψ(t)〉のノルムは,時間的に一定である.
【証明】
(17)式より
€
ψ(t) ψ(t) = ψ(0) ψ(0) (19)
なので明らか.■
このように,状態ベクトルのノルムを変えない変換(ここでは
€
e−i( ˆ H ) tの
こと)を,一般に,ユニタリー変換という.これは,通常の空間ベクトルの世
界では,回転変換に相当するものである.