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63 漆が語るアジアの文化 ―ミャンマーの漆文化Ⅰ― Viewing Asian Culture through its Lacquer Crafts Myanmar Lacquer CultureⅠ- 松島さくら子 MATSUSHIMA Sakurako 1.はじめに 漆を使用し造形表現研究を行っている制作者として、ア ジアの国々にはどのような漆や漆製品があり、どのように 使用されているのかと興味を持ち、中国から東南アジア・ インド東北部にかけて、漆の装身具及び漆工芸に関して調 査し、比較研究を行っている。 本稿は、筆者が度々訪れ、調査・交流活動等の現地活動 を行っているミャンマーにおける漆採取方法、及び各漆工 芸産地の現状について述べていきたい。尚、これらの調査 活動は、佐藤美術工芸振興基金による研究助成(1999-2000)、 及びミャンマー伝統工芸学術支援事業による調査・交流活 動(2002~現在) (註1、及び個人的調査研究活動に基づく。 2.ミャンマー漆工芸の背景 漆は、ウルシ科に属する木の幹に傷をつけて出てくる樹液のことである。漆の木は主に日本・韓 国・中国・ベトナム・タイ・ミャンマー・ブータンなどの東アジアから東南アジアにかけて分布す る。日本や中国ではウルシ科ウルシ属のウルシノキ、ベトナムではアンナンウルシ、タイやミャンマ ーにはビルマウルシの木があり、その樹液を塗布した工芸が漆工芸である。 ミャンマーの漆工芸は、人々の生活の中、仏教などの宗教行事において、建築空間における装飾美 術などと関わって発展してきたミャンマーを代表する工芸である。漆工芸がミャンマーに於いていつ 頃現れたのか、どのようにして伝わってきたのか、正確なことはわかっておらず、考古学的な発見も 乏しい (註2漆の木が自生する地域で生活していた人々が、山で見つけた漆樹から流れ出る樹液を身 の回りの生活用具に塗って使用していたということは推測できる。現在でもシャン州やカヤー州など 漆工芸産地分布 漆器生産地、漆樹分布)

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63

漆が語るアジアの文化―ミャンマーの漆文化Ⅰ―

Viewing Asian Culture through its Lacquer Crafts

-Myanmar Lacquer CultureⅠ-

松島さくら子MATSUSHIMA Sakurako

1.はじめに

漆を使用し造形表現研究を行っている制作者として、ア

ジアの国々にはどのような漆や漆製品があり、どのように

使用されているのかと興味を持ち、中国から東南アジア・

インド東北部にかけて、漆の装身具及び漆工芸に関して調

査し、比較研究を行っている。

本稿は、筆者が度々訪れ、調査・交流活動等の現地活動

を行っているミャンマーにおける漆採取方法、及び各漆工

芸産地の現状について述べていきたい。尚、これらの調査

活動は、佐藤美術工芸振興基金による研究助成(1999-2000)、

及びミャンマー伝統工芸学術支援事業による調査・交流活

動(2002~現在)(註1)、及び個人的調査研究活動に基づく。

2.ミャンマー漆工芸の背景

漆は、ウルシ科に属する木の幹に傷をつけて出てくる樹液のことである。漆の木は主に日本・韓

国・中国・ベトナム・タイ・ミャンマー・ブータンなどの東アジアから東南アジアにかけて分布す

る。日本や中国ではウルシ科ウルシ属のウルシノキ、ベトナムではアンナンウルシ、タイやミャンマ

ーにはビルマウルシの木があり、その樹液を塗布した工芸が漆工芸である。

ミャンマーの漆工芸は、人々の生活の中、仏教などの宗教行事において、建築空間における装飾美

術などと関わって発展してきたミャンマーを代表する工芸である。漆工芸がミャンマーに於いていつ

頃現れたのか、どのようにして伝わってきたのか、正確なことはわかっておらず、考古学的な発見も

乏しい(註2) 漆の木が自生する地域で生活していた人々が、山で見つけた漆樹から流れ出る樹液を身

の回りの生活用具に塗って使用していたということは推測できる。現在でもシャン州やカヤー州など

漆工芸産地分布(●漆器生産地、■漆樹分布)

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の山岳地帯の民族が、日常使用する笊や籠などに漆を塗って使っている。また、ミャンマーは、東西

南北5カ国と接しており、中国方面、インド・バングラデシュ方面、タイ・ラオス方面、南のマレー

方面など多様多元な人々の往来があったと推測され、漆工芸に限らず衣食住・信仰など広い領域に渡

り互いに影響しあったであろう。

3.ミャンマーの漆樹の分布と漆掻き

ミャンマー語でミャンマー漆のことをティスィ(thit-si)と

いう。Melanhorrea usitata という木の樹液である。(Glute

usitataともいう)ウルシ科ビルマウルシ属で、日本ではビルマ

ウルシという。タイ北西部からミャンマーのシャン州にかけて

の標高1000メートルくらいのところに多く分布する他、ザガイ

ン管区、パゴー管区、マンダレー管区、さらにカヤー州、カイ

ン州、カチン州など広域にわたっている。

主成分はチチオールで水分・ゴム質含窒素物からなる。ラッカ

ーゼ(酵素)の働きにより空気中の酸素と酸化重合して乾燥する。

乾燥には一定の湿度が必要となる。数日から1週間かかる場合も

ある。いったん乾燥すれば丈夫で艶のある塗面をつくる。漆を科

学する会の「ミャンマー漆調査報告」によると、1998年の公式生産量は32トンで、日本への輸入量は

2.16トンであった。日本では焼き付け用漆として使用されることがある。漆液には等級がつけられてお

り、一番質が高いとされる漆は乾期にとれる黒色で液中の水分量が少ない。二番目は褐色のもので黒

色のよりも水分が多めのもので、三番目は赤色(赤褐色)でさらに水分が多いものに分類されている。

調査で訪れた漆採取地域はいずれもシャン州で以下の四ヶ所である。

シャン州インレー湖北西のタンデ村 1997年3月

シャン州西部 センタウン郊外 2000年1月

シャン州西北部 シポー郊外 2004年1月

シャン州インレー湖北東ガナイントウ村 2005年12月

ここでは、2000年1月に調査したシャン州西部センタウン郊外の漆の採取方法を以下に記す。

センタウンの漆 シャン州西部センタウンはダヌー族、パオー族が多く居住する地域である。調査を

行った2000年当時、40人もの漆掻き職人が山で漆を採取し、10日に1回のペースで集積所に漆を持っ

てくるというシステムとなっていた。集められた漆のほとんどは、仲介業者を通してバガンなどの漆

器生産地へ流通していく。

タイ・ミャンマー漆樹分布

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センタウン郊外には直径約50センチ以上、高さ20メートルにも

及ぶ漆の木が分布している。天然のもので植林ではなく、まだ若

い木から数十年の大木まで様々である。幹は太く、葉の形も日本

や中国の漆の木とは全く異なり、樹皮はゴツゴツとしていて厚い。

葉は大きいもので長さは22~23cmほどで、厚みがあり張りもあ

る。暑季で雨が少ない3月頃には落葉する。12月から3月の乾季

から暑季にかけて白い花を咲かせ、ピンクに変化しプロペラ型の

羽状の萼をつけた種子を飛ばす。

採取時期 1年のうち6月から1月末まで漆を採る。暑期の2~

5月は高温で乾燥しているため漆が出にくいという。冬季(11月

~1月)の漆は水分が少なく黒くて良質の漆が採れる。雨期は水

分が多く混じるためコーヒー色に濁り、質は低く取り扱われる。

50%近くも水分が混じってしまうことがあり、熱をかざし水分を

蒸発させなければならない。

漆掻き センタウンの漆掻き職人は、早朝から一日に10~14本の

木をまわり作業をする。10日間の漆掻き作業で3~4viss(4.5~

6kg)の漆を得る。漆掻きは養生掻きで、漆掻きを行った後は伐

採せず、1年休ませてまた採る。但し、初めて掻く木は2~3年

続けて採れるとのこと。

1回傷つけたら約10日後に漆を集めてまわり、再び傷をつける。

1人180本程度の木を受け持っている。

1.まず「ス」と呼ばれる先端の丸く扁平な刃物を使い、地上

から1.5mほどの幹の表皮にV字型に傷を付ける。表皮の下の

オレンジ色の層の内側黄色い層に僅かに達するようにする。

V字につけた傷下部の樹皮内側に刃物を打ち込み、少し浮か

せるように樹皮と幹の内側に隙間を入れる。

2.下部に竹を斜めに切った竹筒でできたカップを差し込む。

竹筒の大きさは長さ約15cm、直径約3.5cm

3.10日後、中に溜まった漆液を「ゴ」という先が湾曲してい

るへら状の道具でかき集める。表面は少し固まっている。

ミャンマーシャン州の漆の木

漆の木の実

漆の木の葉

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4.1回目のV字傷の上部にさらにV字傷をつけ、1

回目と2回目のV字傷内側部分を剥がす。残ったV

字の下樹皮と幹の内側に刃物にて隙間を作る。1回

目のV字の下に竹筒カップを差し込む。

5.10日後、中の漆液を「ゴ」にて集める。

次に傷をつける部分は、上の別の場所に移動して、

新たに傷を付けていく。竹筒カップの中には10日間

で平均約40ccの漆が溜まっていた。1回目に比べる

と2回目の方が、漆が多く採取できるとのこと。

1カ所に傷は2回しかつけない。2回傷つけた後は、必ず上へ新しく傷を移動させる。大きな木で

は上部15メートル以上の所まで登り1回に15~17カ所の傷をつける。上部は枝にまで及び、足場もな

く枝伝いに登らなければならないため危険を伴い、熟練を要する。漆掻き職人は、森の恵みに感謝し

森の精霊への祈りを欠かさない。

4.ミャンマーにおける漆の利用―その材料・技法

漆の利用

ミャンマーにおいて漆器は「ユン(yun)」と呼ばれ、漆は主に次の場面で使用されている。1・生

活の中で使用される漆、2・宗教行事における漆、3・建築空間における漆 におおよそ分類される。

1・生活の中で使用される漆

キンマ(註3)をいれる筒型の入れ物(kun-it),発酵茶(食べるお茶)(註4)を入れる仕切り付きの入

れ物(lahpet-oak),葉巻入れ(hsei-leik-taung),皿(byat),足つき大皿(daung-lan),盆(linban),

壺(pan-o、yei-o),椀(khwet),箱(sadaik),ティーセット(laphet-yaypwe),バスケット(taung),

2回目の傷 10日後に竹筒に溜まった漆液

漆掻きに使用する用具

1回目の傷

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ザル(zagar),楽器(saung-gauk/竪琴,太鼓),舟の防水塗装 など。

2・宗教行事における漆

奉納のための足つき盆(kalat, daung-lan, daung-baung),供物用蓋付き重ね器(hsun-oak,hsun-

taung),托鉢用・寺院内の僧の鉢(thabeik),花瓶(pan-o、pan-hpala),儀式のためのキンマ入れ

(kun-daung),お経の箱・櫃(sadaik/thitta),経本(kamawa-sa),さらに、乾漆成形による仏像

(man hpaya)や仏像周辺の装飾具に漆が使用されている。

3・建築空間における漆

扉・間仕切り・柱をはじめ、寺院等の建築の内外装飾に漆が使用されている。

漆器の材料

漆器に使用される材料には、漆・素地材料・下地材料の他、多様な加飾技法により材料も多岐にわ

たっている。

漆 漆は各生産地から一斗缶に入れられ流通してくる。布を張った枠の上に、オタマ一杯分程度の漆

をとり、太陽の日差しの下で攪拌しながら水分を蒸発させ、くろめとなやしの作業を行う。くろめは

漆の中の水分を蒸発させ調節することで、なやしは攪拌することにより漆の中の粒子を均一にするこ

とである。さらに布に包み布の両端を引っ張りながら濾過することで塵を取り除き、塗りに使用する。

色漆には顔料を混ぜるが、特に朱漆には発色をよくするためにピーナッツ油を混ぜて使用する。

素地 漆器の素地に最も使用されているのは竹(tin-wa, myin-wa)で、パガンへはザガイン管区から

チンドウィン川を経てエーヤワディー川を通って運ばれる。その他漆器の素地には、木・馬毛・金

属・布などが使われている。

籃胎 薄く割いた竹や籤を編んで成形する。木型に薄く割いた竹を底から放射状に組み、螺旋状に

編み込んで成形する。また3本の籤を撚りながら編んでいく方法もある。

捲胎 薄くテープ状に割いた竹を捲いて、皿や壺やボウルなどの立体的な器を成形する。

馬毛胎 馬毛は特にバガンで用いられている素材である。木型に薄く割いた竹を底から放射状に組

み、馬の毛を螺旋状に編み込んで成形する。

木胎 箱、屏風、テーブル、家具などをつくるのに用いる。板ものの他、旋盤轆轤による成形も行

われている。チークウッド(kyunn)やバイン(baing)と呼ばれる軟質の木材がよく用いられる。

金胎 托鉢の鉢や仏塔の傘蓋などに用いる。鉢は鉄のドラム缶を丸く切り抜き、金槌でたたいて鉢

形に成形する。金胎は主にインワで使用されている。(P8参照)

乾漆(man-yun / man-hpaya 乾漆仏)主に仏像の制作に用いられる他、器にも使われている。粘土

の原型の上に、漆を接着材として布を貼り、漆下地を施し、乾燥後原型の粘土を取りし、表面に塗

り加飾を施した技法。現在では石膏型を使用している工房もある。

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漆下地 チークウッドの木屑や灰、籾殻灰、イラワジ川の土、牛の骨を焼いた灰や牛糞などを調合し

たもので、異なった荒さの下地を順次塗布し、素地の表面の凹凸を埋め、スムースにする。

顔料 朱(hinthabada/辰砂・硫化水銀)主に中国から輸入しておりピーナッツ油と共に漆に混ぜて

使用する。黄(hsei-dan)シャン州でとれる。藍(mae-ne)はインドからの輸入でインド藍からとれ

る。黄の顔料に混ぜて緑色に発色させ使用している。

金箔(shuwei-bya) 主にマンダレー市内で作られている。金の薄い板を竹紙で挟み、金鎚で叩いて

延ばしてつくられている。

加飾技法

漆器の加飾技法には、蒟醤キンマ

、箔絵、下地盛り上げレリーフ、ガラス象嵌、漆絵、根来、変わり塗り、

卵殻などの加飾技法が行われている。ここでは主な技法を以下に記す。

蒟醤キンマ

(kanyit)黒または朱の漆塗りの上に、アカシア属(学名 Acacia farensiana/アラビアゴムの原

料)の木の樹脂(htanaung)を水に溶かしたものを塗り、全体を保護(マスキング)する。角棒の先

端を斜めにした刃物にて浅く彫りを施し、地の色と異なる色の漆を塗り込み、乾燥後塗った樹脂を水

で洗い流すと、彫りを施した部分のみ色が残る。次に同様に樹脂を塗った後彫り、別の色の漆を塗り、

乾燥後水洗いする。色は朱・緑・黄の順番で色を入れる。彫りを入れた部分に樹脂を塗り、摺漆をし

て乾かぬうちに顔料をのせ、乾燥後水洗いする方法もある。蒟醤キン マ

を施した漆器を総称しユン(yun)

と呼ぶこともある。

箔絵(shwei-zawa/金箔絵) 黒漆塗りを施した上に、黄の顔料とニームの木(学名 Azadirachta

indica)の樹脂(tamarkaw)をまぜたもので金箔を施さない部分を塗りつぶしマスキングし、摺漆を

して金箔を貼る。一日ほどおいてまだ完全に乾く前に水の中で洗い、余分な部分の金箔をマスキング

とともに落としてしまう。後に室で十分乾燥させる。文様に奥行きを出させるために線彫りを行う場

合もある。

下地盛り上げレリーフ(thayoe) 籾殻や牛の骨や牛糞などの灰に漆を混ぜ粘土状の塊にしたものを、

平らな台の上で線状に延ばしたり、様々な形に加工して漆器の表面に貼りつけレリーフ状の装飾を施

す技法である。十分に乾燥させ、漆で固めを行った後、金箔を張って仕上げる。この技法は、マンダ

レー、チャウッカ、チャイントンなどで主に行われている。

ガラス象嵌(haman-zi shwei-cha) 色ガラスや雲母の破片を漆器上に貼りつけて、幾何学的な文様

を表す加飾技法。下地盛り上げレリーフ(thayoe)と共に用い、さらに金箔を貼りつけて仕上げる。

漆絵 チャウッカでよく見られる技法で、顔料を混ぜた色漆にて、文字や花などの文様を器に描く加

飾である。

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漆塗り工程

漆塗りの工程は、素地の状態や形状・種類により異なるが、およそ12~15工程あり、数ヶ月から半

年を要する。ここではバガンやチャウッカなどの産地で行われている基本的な漆塗りの工程を記す。

1.漆固め 素地に漆をしみこませ乾燥させる。

2.研ぎ 軽石等にて表面を研ぐ。捲胎の場合は

凸部を刃物で削りスムースにする。この段階で

天日に晒すなどして竹胎の中の水分を充分に乾

燥させる。

3.下地1回目 チークウッドの木粉や牛糞に漆

を混ぜた荒目の下地を塗布する。

4.研ぎ 砥石にて凹凸をなくすよう研ぐ。

5.下地2回目 細かい泥土に漆を混ぜた下地を塗布する。

6.研ぎ 砥石にて水をつけながらスムースになるよう研ぐ。

7.塗り 刷毛は使用せずに手にて3回程度漆塗りを行う。

湿度を高く保った

室(多くは地下に

設置)にて乾燥さ

せる。

漆固めの作業

固め研ぎ

下地の研ぎ 漆塗り作業 漆を乾燥させる室

下地1回目

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5.ミャンマーの主な漆工芸産地

主な漆工芸産地

ミャンマーの漆工芸産地は、中部のマンダレー管区・サガイン管区・シャン州に集中している。マ

ンダレー管区ではマンダレー市内とインワ、バガンに分布し、サガイン管区ではチャウカ、シャン州

ではチャイントンやインレー湖付近にて生産されている。現地調査及び聞き取り調査や文献等の資料

で確認できている主な産地は以下の表の通りである。

その他、シャン州・カヤー州・カイン州等の漆の木が分布す

る地域では、居住する民族による漆の使用が確認されている。

◆マンダレー管区(Mandalay Division)

バガン(Bagan)

ミャンマー最大の漆器生産地であるバガンでは、全国の生産量の90%を占める。2007年8月の漆芸

技術大学での聞き取り調査によると現在813人の職人が漆器制作に従事している。ニャウンウー

(Nyaung-Oo)、ミンカバー(Myinkaba)、ニューバガン(New Bagan)等の地区で生産されている。

漆器販売業者は約100軒、職人20名以上をかかえる漆器制作業者は14軒ある。

バガンは、11世紀~13世紀にバガン王国復興からフビライ・

ハーンの侵攻を受けるまで250年もの間に建立された仏塔や寺

院が立ち並ぶ仏教の聖地であり、国内外の巡礼者や旅行者が訪

れる地である。寺院や仏塔の参道には漆器を売る店が並び、漆

器は土産物として流通している。

産品は、キンマを入れる筒型の入れ物(kun-it)、発酵茶を入

れるしきり付きの入れ物(lahpet-oak)、供物用蓋付き重ね器

(hsun-oak)、箱、皿、椀、盆、ティーセット、キャビネットや

机などの大型の漆器も作られている。素地は籃胎、捲胎、木胎、

そして最も特徴的なのは馬の尻尾の毛を編んだ馬毛胎である。

マンダレー管区 (Mandalay Division)

ザガイン管区 (Sagain Division)

シャン州 (The Shan State)

バガン(Bagan) マンダレー(Mandalay) インワ(Inwa) チャウッカ(Kyaukka) マウンダウン(Maung Daung) チャイントン(Kengtung) レイチャー(Laihka) モネ(Mong Nai) インレー湖(Inle)

ミャンマーの漆工芸山地分布

バガンで生産されている漆器

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下地及び塗りを施し、蒟醤技法(kanyit)、箔絵技法(shwei-zawa)、過去の日本との交流から始まっ

たと言われている変わり塗り、卵の殻を塗面に貼付ける卵殻技法や、近年では黒漆の上に朱漆を重ね

て塗り、研ぎだして下の黒漆を所々見せる根来塗り風の器も制作されている。漆器に描かれる意匠は、

仏陀伝やジャータカ(仏教説話)、ミャンマーの神話の神々や動物、民間伝承、王宮の様子、草花を

モチーフにした連続文様などをデザインしたものなど多様である。

マンダレー(Mandalay)

マンダレーは、ミャンマー第二の都市で、

1885年にイギリスに占領されるまでミャンマー

最後の王朝が置かれていた。日本軍とイギリス

軍の激しい戦火で焼失してしまった王宮は、一

部再建され現在公開されており、王宮で使用さ

れていたとされる漆器等調度品が展示されてい

る。

マンダレー最大の仏塔があるマハムニ・パヤ

ーの寺院から東西南北にのびる参道、及び近辺には多くの

工芸品店が並ぶ。漆器はレリーフ状に装飾を施し金箔を貼

ったタヨー技法(thayoe)によるもの、金箔貼りのガラス

象嵌漆器(haman-zi shwei-cha)、または金箔貼りの仏像や

傘蓋をはじめ仏教用品などが制作・販売されている。

2004年12月、マンダレー市内の漆器工房、ウーミャアウ

ン氏(U Mya Aung)の工房を訪問した。工房では12人の職

人が働いており、仏塔型供物用重ね器(hsun-oak)やタヨ

ー技法による仏像を制作していた。

また、マンダレーには仏像・仏具・漆器等に使用する金

箔を、人力で叩き制作している工房がある他、大理石彫刻、

鋳造、織物、刺繍など数々の工芸品が生産されている。

インワ(Inwa)

マンダレーより南にキロ、14世紀半ば、シャン族の都となり栄えたインワでは、僧の托鉢用の鉢

(thabeik)を制作する工房がある。

インワはエーヤワディー川の支流沿いに位置し、僧院や城壁などの遺跡などが点在している。イン

マンダレー仏像制作の塗り工程

仏像制作下地作業

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ワの托鉢生産は、5つの工房からなり、さらにそれらに属する多く

の家庭工場で成り立っている。中でも、最大のタウンビヌー村のミ

ャンマーヌウェズィン(Myanmar Nwe Sin)という工房を2003年4

月と2004年12月の2度にわたり訪れた。全国の托鉢生産の6割をこ

の工房で占めるという。約40名の職人が托鉢の制作にあたっていた。

托鉢の制作工程は以下の通りである。

1.成形 鉄のドラム缶を円形に切断し、あて金の上で金鎚で叩

き鉢型に成形する。蓋と台には竹を用いた胎を用いる。

2.焼付け 叩いた鉢型に漆を塗り、焼き固める作業を2回行

う。

3.下地 漆を塗ってから籾殻の灰を蒔き、乾燥させる。

4.川泥土と灰に漆を混ぜた下地を塗布する。

5.研ぎ 砥石にてスムースに研ぐ。

6.漆固め 漆を塗りしみ込ませ、室に入れ乾かす。

7.研ぎ 砥石やサンドペーパーにて研ぐ。

8.塗り 黒漆にて2回塗りを施す。

托鉢に向かう僧侶

川泥土と灰に漆を混ぜた下地を塗布する 漆塗り作業

鉄鉢の成形作業

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◆ザガイン管区(Sagain Division)

チャウッカ(Kyaukka)

マンダレーから西へ約160キロの所にあるチンドウィン川

のほとりのモンユア(Monywa)の町から約15キロ北にチャ

ウッカ村がある。1997年3月、2003年3月の2回訪れた。

チャウッカはバガンに次ぐミャンマー第2の漆器生産地で

ある。チャウッカの漆器生産の歴史は、Silvia Fraser-Lu著

の『Burmese Lacquerware』によると、もともとマウンダ

ウン(Maung Daung)で行われていた漆器制作の技術が、

130年ほど前にユワウー(Ywa-U)僧院より伝えられたとの

記述がある。

チャウッカの漆器は装飾のない黒漆塗りの器をはじめ、

人々が日常使うシンプルなものが多い。現在ミャ

ンマーではこのようなシンプルな器を総称して

「Kyaukka Ware」と呼んでいる。竹の捲胎・籃胎

でキンマを入れる筒型の入れ物(kun-it)・発酵

茶の入れ物(lahpet-oak)・お供物用蓋付き重ね

器(hsun-oak)・葉巻入れ・箱・皿・盆・水入れ

などの漆器を作っている。加飾は、黒塗り地に文

字や模様を描くだけのものと、下地盛り上げレリ

ーフ状に盛り上げる技法(thayoe)が多く、蒟醤きん ま

技法(kanyit)を使ったものも若干制作されている。

チャウッカ村は大きく南村と北村に分かれており、南村

では主に竹を編み漆の素地を制作している。約300世帯2000

人のうち15世帯ほどが素地制作に従事している。(2003年調

べ) 訪れた工房では、軒先でお仏塔型の供物用器(hsun-

oak)を作っていた。一人で1日に3個作れるという。竹は

ティンワ(tin-wa)というチンドウィン川やエーヤワディー

川上流方面の節の間隔の長いものを使用している。北村で

は、人口1500人のうち40%が漆の仕事に従事している。

(2003年調べ)南チャウカ村で制作された素地に漆を塗り、

加飾を施す。

チャウッカで作られた代表的な漆器類

素地制作に使用されているティンワ竹

チャウッカ南村の素地制作

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◆シャン州(The Shan State)

多民族国家であるミャンマーには135もの民族が確認されている。(1983年の国勢調査による)うち

シャン州には33の民族が居住している。シャン族の他に、パオー族(PaO)、パラウン族(Palaung)、

ワ族(Wa)、インダー族(Intha)、ダヌー族(Danu),アカ族(Akha),ラフ族(Lahu)、リス族

(Lisu)をはじめ多くの少数民族が居住している。未だ政治的に安定していない地区が多くあり、外

国人の入境できない区域が大部分を占めているため、調査が進んでいない。

主な漆工芸産地は、チャイントン(Kengtung)、インレー湖畔(Inle)、タウンジー(Taunggyi)東

のモネ(Mong Nai)、レイチャー(Laihka)等の地区である。その他、シャン高原には漆の木が多く

分布し漆液の生産地であり、シャン州に居住する民族の独特な漆の利用方法についても多くの時間を

かけて取材した。シャン州の漆文化に関する詳細は次号にて記したい。

おわりに

毎回、日本と異なる漆の利用方法や材料、漆にまつわる独特な生活習慣など、興味深い漆と漆に関

わる人々との出会いがあり、制作者として多くを学び、さらなる創作意欲を突き動かされてきている。

各地での経験を制作に活かし、さらにこれらの調査経験をもとに日本とアジアの漆文化の比較研究を

進めていきたいと考えている。

2008年5月、ミャンマー南部のイラワジデルタとヤンゴンがサイクロン「ナルギス」に襲われた。

国連は150万人以上の方々が被災し、死者も10万人に及んだと推測している。被害にあわれた方々に

お見舞い申し上げるとともに、被災地の一刻も早い復興を願っている。

参考文献

漆の里 第一回海外漆文化調査報告書 タイ・ビルマの漆文化,輪島市,1984年

もっと知りたい ミャンマー 第二版,綾部恒雄・石井米雄編,弘文堂,1998年

ミャンマー生漆調査団参加報告書,林保美,1999,

漆ーその化学と実技,小田圭昭、寺田晁、阿佐見徹、大藪泰編著,理工出版,1999

ミャンマーの漆器,日本貿易振興会 海外経済情報センター,1999年

ミャンマーの漆芸産業の現状と技術交流への期待,日本貿易振興会,2000年

東南アジア山岳地域少数民族の漆と漆装身具,松島さくら子,漆工史 第24号,漆工史学会,2001

Myanmar Lacquerware in Historical and Cultural Perspectives, Regional workshop of Eastern Asia Lacquerware,

Dr.Khin Maung Nyunt, 1996.

Burmese Lacquerware, Sylvia Fraser-Lu, Orchid Press, 2000.

Burma and the Art of Lacquer, Ralph Isaacs and, T. Richard Blurton, The Trustees of British Museum, 2000.

Page 13: 漆が語るアジアの文化 - Utsunomiya University...63 漆が語るアジアの文化 ―ミャンマーの漆文化Ⅰ― Viewing Asian Culture through its Lacquer Crafts -Myanmar

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協力

・P7,P9の写真は2003年より調査に同行した登根円氏の撮影による。

・現地取材に際して、漆芸技術大学(Lacquerware Technology College)より助言・協力をいただいた。また、バ

ガン、チャウッカ、マンダレー、インワの以下の漆器店をはじめとする漆器製造関係者に協力いただいたこと

を感謝する。

Ever Stand, Golden Bagan, Golden Cuckoo, Myat Mon Lacquer Ware, Chan Ther Thu, Tun Handicrafts,

U Ba Nyein., U Mya Aung, Myanmar Nwe Sin 他

(1)ミャンマー伝統工芸学術支援事業は、ミャンマーの漆工芸の現状調査をはじめとする調査活動と、ミャンマ

ー最大の漆器産地であるバガンにある漆芸技術大学(Lacquerware Technology College) にて漆工芸教育交流活

動を通し、両国の文化の相互理解を深め、両国の漆工芸の発展を目指す目的で、ミャンマー協会からの委託研究

として2002年にスタートした事業である。東京芸術大学美術学部漆芸研究室と宇都宮大学教育学部工芸研究室、

さらに民間の漆工芸研究者・技術者によって構成されている。

(2)歴史学者のキンマウンニュ博士(Dr. Khin Maung Nyunt)は、「Myanmar Lacquerware in Historical and

Cultural Perspectives」にて、ミャンマー漆工芸の起源に関する3つの説を紹介している。1番目の説は、漆工芸

の技術は、ビルマ族が現在のミャンマーの地に至る以前の先住族であるピュー族(驃)が、唐の史書に記録され

ていることから、中国との接触により伝わったという説。また、2番目の説では、バガン時代にミャンマーの南

部タートン(Thaton)のモン族を征服したことから、隣接する北タイのチェンマイから漆工芸の技術がタートン

経由でパガンにもたらされたという説。仏教に深く帰依したアノーヤター王(1044-1077)はパガンに数多くの荘

厳な寺院やパゴダを建立した。それには寺院を構成する諸工芸技術職工が必要であったことから、国立工房のシ

ステムを定め造形活動の拠点と諸工芸技術者を育成した。その中に漆工芸技術者も含まれていた。3番目の説は、

16世紀にシャン王朝(現在のラオス)まで征服し統治したナインナウン王(1551-1581)が、チェンマイやアユタ

ヤから漆工芸技術者を含む芸術家・職人を連れて帰ったという説である。

(3)キンマとはコショウ科の植物で、その葉にビンロウジ(檳榔子 ヤシ科の木の実)と石灰を包み、噛む習慣が

東南アジア・インド・台湾などにある。日本においてキンマと呼ぶようになったのは、タイ語で「キン(食べる)」

と「マーク(ビンロウジ)」という言葉から、「ビンロウジを食べる」という言葉からきているという。漆器の表

面に文様を彫り、色漆を充填し研ぎ出し、彫りの部分のみに色漆を残し文様を表す技法を蒟醤(キンマ)と言うが、

この技法を使用した容器にキンマを入れていたことから、技法名を”キンマ”と発音するようになったと言われ

ている。

(4)発酵茶(食べるお茶)は、茶葉を蒸してから竹筒や籠などに入れて発酵させたもので、ラペソーと呼ばれて

いる。ミャンマーからタイの北部山岳地域にかけて食べる習慣がある。客をもてなす時や食事の時などに、ナッ

ツ類やニンニク、ゴマなどを添え、味付けして食べるが、それらの材料を分けていれるための放射状に仕切りの

ついた漆器が使用されている。