「春の鳥」における「烏」の意味 ―独歩と『聊斎志...

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52 「春の鳥」における「烏」の意味 ―独歩と『聊斎志異』の関係を中心に― The Meaning of Raven in Haru no Tori - The Connection between Doppo Kunikida and Liaozhai Zhiyi - 陳潮涯* 大阪大学文学研究科・文化表現論専攻比較文学 D2 要旨 本論の目的は、国木田独歩の「春の鳥」における烏の象徴意味を分析し、 「春の鳥」の主題、また、その中に潜んでいる独歩の自然観、死生観を明らか にすることにある。その際、独歩と『聊斎志異』の関わりを一つの手かがりと して着目する。分析の結果、独歩が描いた烏の表象は、西洋文学からではな く、東洋文学からの援用であり、神ないしは自然に最も近い不死の象徴である ことがわかった。「烏に化身した」という「空想」は自然と合一することによ る人間最終の救済を提示したが、そこから残酷な人間世界に抵抗する独歩の意 欲も窺える。 キーワード:国木田独歩、「春の鳥」、烏、『聊斎志異』 Abstract This research aims to analyze the meaning of raven in Do ppo Kunikida’s short story, Haru no Tori, written in 1904, and Doppo Kunikida’s view of nature, life and death showed in the story. As a clue, the connection Between Doppo Kunikida and Liaozhai Zhiyi , a collection of Classic Chinese strange stories by Pu ____________________________________ * CHEN Chaoya, graduate student, Osaka University e-mail : [email protected]

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「春の鳥」における「烏」の意味

―独歩と『聊斎志異』の関係を中心に―

The Meaning of Raven in Haru no Tori

- The Connection between Doppo Kunikida and Liaozhai Zhiyi -

陳潮涯*

大阪大学文学研究科・文化表現論専攻比較文学D2

要旨

本論の目的は、国木田独歩の「春の鳥」における烏の象徴意味を分析し、

「春の鳥」の主題、また、その中に潜んでいる独歩の自然観、死生観を明らか

にすることにある。その際、独歩と『聊斎志異』の関わりを一つの手かがりと

して着目する。分析の結果、独歩が描いた烏の表象は、西洋文学からではな

く、東洋文学からの援用であり、神ないしは自然に最も近い不死の象徴である

ことがわかった。「烏に化身した」という「空想」は自然と合一することによ

る人間最終の救済を提示したが、そこから残酷な人間世界に抵抗する独歩の意

欲も窺える。

キーワード:国木田独歩、「春の鳥」、烏、『聊斎志異』

Abstract

This research aims to analyze the meaning of raven in Doppo Kunikida’s

short story, Haru no Tori, written in 1904, and Doppo Kunikida’s view of nature,

life and death showed in the story. As a clue, the connection Between Doppo

Kunikida and Liaozhai Zhiyi, a collection of Classic Chinese strange stories by Pu

____________________________________

* CHEN Chaoya, graduate student, Osaka University

e-mail : [email protected]

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Songling in the Qing dynasty, has been focused. The raven Kunikida imaged in the

Haru no Tori, is not from Western literature, but from Oriental Culture, which

considering the raven as a symbol of immortality and divinity. The fantasy of

turning into a raven in Haru no Tori, not only expresses the salvation, which

means uniting human and nature, but also shows Kunikida’s will to resist the

cruelty reality.

Keywords : Doppo Kunikida, Haru no Tori, raven, Liaozhai Zhiyi

1. はじめに

1904年『女学世界』第 4巻第 4号に掲載された国木田独歩の短編小説、

「春の鳥」は地方教師を務めた「私」が語る、「白痴」の少年、六蔵の話であ

る。あらすじは以下の通りである。

数さえ覚えられない六蔵は人々に疎外される白痴の少年である。六蔵は鳥

が好きであるが、どんな鳥を見ても「烏」と呼んだ。自然に親しむ彼の姿

は時々「私」に感動を与えた。三月のある日、六蔵は家に戻らなかった。

捜索したところ、墜落したように見える六蔵の死骸が見つかった。「私」

はワーズワースの詩、『童なりけり』1 を思い出し、彼が鳥の真似をするた

めに石垣から飛んで、死んだのだと推測し、六蔵の母親にそのことを話し

た。

先行研究は、「春の鳥」が独歩の佐伯時代の出来事に基づいて作られた小説

であり、ワーズワースの何首かの詩から発想を得たことなどを指摘している。

1 原題“There was a Boy”。自然に親しみ、梟と交流できる少年は夭折して自然の懐に帰

ったことを語る詩。

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それらはワーズワースからの影響や「白痴教育」2 などの問題に焦点を絞り、

少年賛美ないし「白痴賛美」の観点から論じている。しかし、この作品の題名

は「春の鳥」であるのに、その結末において少年はなぜ「烏」になったのか、

また、そこからどのような意味を読み取ることができるのかについては、依然

として未解決のままである。

本論は、「烏」の象徴性の解明をめぐり、独歩が訳した中国怪奇小説集『聊

斎志異』を一つの手かがりとし、西洋文学に対する深い感銘から生まれた「春

の鳥」に、東洋文学からの影響をも読み取ろうとするものである。その上で、

この作品のもう一つの読み方を提示し、あわせて独歩文学のもう一つの側面を

論じたいと思う。

2. 「白痴」の少年六蔵と烏

「春の鳥」は、独歩が 1893年 10月、大分県佐伯の鶴谷学館教師を就任し

てから 1894年 8月までの十か月間に、実在の人物をモデルにして書いた作品

である。それは独歩自身の言によって証明できる。

(「春の鳥」について)此一編の主人公、白痴の少年は余が豊後佐伯町に

在りし時親しく接近した実在人物で、此少年の身の上話は皆な事実であ

る。しかして此少年が城山で悲惨な最後を遂げた事は余の想である。余は

此少年を非常に気の毒に思ひ、自ら進んで其教育に従事して見た事であ

る。数の観念が全く缺けて居るので如何にもして此缺陥の幾分なりとも補

ひくれんと種々の手段を探った事もある。けれども此等は悉く徒労に帰し

た。そこで余は当時白痴者に就き深い同情と興味を持ち常にこれを念頭に

置いて居た。

2 河内重雄(2004)「白痴文学と教育:「春の鳥」を中心に」九大日文5、九州大学日

本語文学会

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此少年の事を思うて、人間と鳥獣の差別、生物と宇宙の関係など、随分城

山の上で空想に耽ったものである。そして此一編が七八年後に出来たので

ある。3

多くの先行研究4 で言及されているように、「六蔵」のモデルは山田泰雄と

いう佐伯滞在中出会った「白痴」の少年である。ただし、その夭折は独歩の虚

構である。「白痴」の少年と出会った独歩は、最初、「白痴教育」に深い興味

と熱情をもったが、「その情熱もわずか二日にして消失したことを、残された

「可憐児」は物語っている」5。「白痴」に対して独歩が懐いた「哀れ」は、

「人間と鳥獣の差別、生物と宇宙の関係」、即ち「人間存在の本質」「自然と

の関わり」をめぐる独歩の思念と結びついていた。こうした分析は「春の鳥」

理解の基盤をなすものといえる。

「春の鳥」において、「白痴」の少年・六蔵の、数さえわからない知能の低

さなどの特徴は、実在のモデル・山田泰雄から引き継いだものである。それ以

外に、仲間をもたず、人間世界から排除されていることも、独歩が見た「事

実」に基づいた描写だと推測できる。人間社会に入らないなどの表現には、独

歩の「同情」がうかがえる。

しかしながら、自然に親しんでいる六蔵は、普通の人間を超える一側面をも

もつ。一般人に劣る存在と思われる「白痴」は、自然に親しむことによって、

純潔、無邪気、さらには神性をも帯びるように描かれている。この点から見

て、独歩は、自然を人間社会より上層に置いていたと判断できるだろう。人間

世界から排除されているにもかかわらず、六蔵は自然に接し、その接触が密で

3 国木田独歩(1907)「予が作品と事実」、文章世界2巻10号。本文における独歩の

テキストは全て『明治文学全集66 國木田独歩集」(筑摩書房、1974年)に拠る。

4 芦谷信和(1990)「独歩「春の鳥」(一)――虚構と主題」、立命館文学

5 滝藤満義(1986)「「春の鳥」の夢」『国木田独歩論』、塙書房、p.291

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あればあるほど、より大きな神性をもつに至るのである(即ち「天使」にな

る)。

こうした自然観がワーズワースに由来することは、独歩のいくつかの随筆か

ら確認できる。

余が初て短編小説を書いたのは今より十年以前である、それより更に五

六年前余は覚束なき英語教師として豊後国佐伯町に一年間滞在していた

が、当時余は最も熱心なるワーヅワースの信者で、而てワーヅワース信

者に取りては佐伯町は実に満目悉くワーヅワースの詩編其物の感があっ

たのである。(中略)既にワーヅワース信者である限り、余は自然を離

れてただ世間の人間を思ふことは出来なかった。人間と呼応する此神秘

にして美妙なる自然界に於ける人間なんればこそ、平凡境に於ける平凡

人の一生は極めて大なる事実として余に現れたのである。(中略)悠久

にして不可思議なる、生死を吐呑する、此大宇宙、爾が如何にもがきて

飛び出さんとするも能はざる此大自然、事実中の大事実当面の真現象に

就ては何等の感想をも懐かない文人が如何に巧に人間の事実を直写した

からとてそれは一芸当たるに過ぎない。6

また、次のようにもいう。

人間は「自然」を直写し得る者でない。(中略)自然の奥には秘密があ

る。人は今以てこれに突入する事ができないのだ。然る小説家が人間や人

事の最後の秘密に入る事が出来るものか。7

さらに、次のような言及もある。

6 国木田独歩(1908)「「不可思議なる大自然」、早稲田文学27号

7 国木田独歩(1908)「病床雑記」、趣味2巻11号

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少くともワーヅワースは人と自然とを離して見ることは出来なかった。此

不可思議なる大自然と人生とを別々にしては考へなかった。然し今の我国

の自然主義者には人あり人生あり、これ迄世間則ち社会の里に観ることは

しても、人間に取りては最も大なる事実なる自然の懐に観ることは為ない

やうである。8

独歩が佐伯に滞在していた時期、つまり、「白痴」の少年と出会った時期

は、ちょうどワーズワースに夢中になっていた時期である。ワーズワースの信

者となった独歩は、自然の神秘に心ひかれ、人間と自然の関係の中で人間存在

の意味を求め始めていた 9。さらに独歩は、自然をそのまま描いてもその真実

を表現できないと考え、「直写」以外の表現手法を模索しようとしていた。佐

伯に滞在していた頃の彼は、実生活のあらゆることをワーズワースの作品と重

ね合わせようとしていた。

独歩は、また、「白痴」の少年からも「ワーヅワースの詩編其物の感」を受

け取っていた。彼の随筆が述べているように、六蔵の夭折は独歩の「想」、即

ちフィクションではあったが、ただしそのフィクションは、ワーズワースの

『童なりけり』にその発想の起源があった。そのことは、「春の鳥」の本文に

よって証明できる。

英国の有名な詩人の詩に『童なりけり』といふがあります。それは一人

の児童が夕毎に淋しい湖水の畔に立て、両手の指を組み合はして、梟の

啼くまねをすると、湖水の向うの山の梟がこれに返事をする、これを其

8 国木田独歩(1908)「「不可思議なる大自然」、早稲田文学27号

9 「(独歩の場合に)風景の発見とは、本質的には人間の発見、独歩の「天地生存感」

という言葉に示されるように、天地存在としての人間の発見であった。」山田博光

(1991)「独歩の自然観・運命観」、国文学解釈と鑑賞、p.51

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童は楽しみにしていましたが遂に死にまして、静かな墓に葬られ、其霊

は自然の懐に返ったという意を詠じたものであります。

私はこの詩が好きで常に読んでいましたが、六蔵の死を見て、其生涯を

思って、其白痴を思う時は、この詩よりも六蔵のことは更に意味あるよ

うに私は感じました。10

このように、六蔵の夭折はワーズワースの『童なりけり』“There was a Boy”

に起源があった。自然界を人間社会の上層に置く「春の鳥」の場合、人間社会

から排除された六蔵の死亡に、「自然の懐に返った」という「救済のモチー

フ」を読み取ることはもちろん可能である。現に先行研究においては、「春の

鳥」=烏=the blessed spring birdという図式がよく扱われ、烏に化身する六蔵

は「救済」されたのだ、とする観点は定説になっている 11。

ただし独歩は、ワーズワースを徹底的に真似ようとしたのではなく、「春の

鳥」の本文中で「この詩よりも六蔵のことは更に意味あるように私は感じまし

た」と述べていたように、「更に意味ある何か」を求めてもいたのである。そ

の「何か」は第四章の結びにある。

「ね、先生。六は死んだほうが幸福でございますよ、」と言って涙をハ

ラハラとこぼしました。

「そういう事もありませんが、何しろ不慮の災難だからあきらめるより

致し方がありませんよ。」

「けれど何故鳥の真似なんぞしたので御座いましょう。」

10 国木田独歩(1974)「春の鳥」『明治文学全集66』國木田独歩集、筑摩書房

11 ワーズワースの『童なりけり』以外、「春の鳥」とワーズワースの“To the Cuckoo”の

関連性に関する先行研究は、辻橋三郎(1976)「国木田独歩の「春の鳥」論」(論集

22、神戸女学院大学)をご参照。

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「それは私の想像ですよ。六さんがきっと鳥の真似をして死んだのだか解

るものじゃありません。」

「だって先生はそう言ったじゃありませぬか。」と母親は目をすえて私の

顔を見つめました。

(中略)

「ハイ、六は鳥が好きでしたよ。鳥を見ると自分の両手をこう広げて、こ

うして」と母親は鳥の羽ばたきの真似をして「こうしてそこらを飛び歩き

ましたよ。ハイ、そうして烏の啼く真似が上手でした。」

(中略)

城山の森から一羽の烏が翼をゆるやかに、二声三声鳴きながら飛んで、

浜の方へゆくや、白痴の親は急に話を止めて、茫然と我をも忘れて見送

って居ました。

この一羽の烏を六蔵の母親が何と見たでしょう。

最後の一行において、六蔵が一羽の烏に変身したであろうことが母親の視線

によって暗示されている。芦谷信和は、「この六蔵の死によって、この作品の

主題が完結するのであるから、「春の鳥」はこの結び第四章の虚構によっては

じめて成立したことになるのである」12 と述べ、この部分を高く評価したが、

ワーズワースの『童なりけり』は少年と梟の関係を描いているのであり、烏に

化身する話ではない。

「春の鳥」においては、六蔵と烏の関連が強調されているのである。

此の児童は鳥が好きで、鳥さえ見れば眼の色を変えて騒ぐことです。けれ

ども何を見ても烏といい、いくら名を教えても憶えません。『もず』を見

ても『ひよどり』を見ても烏といいます。可笑しいのは或る時白鷺を見て

12 芦谷信和(1990)「独歩「春の鳥」――虚構と主題-1-」立命館文学515、立命館大学

人文学会、p.177

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烏といったことで、鷺を烏に言い黒めるという俗諺が此児だけには当たり

前なのです。(中略)そして白霊鳥の旅たってゆく後茫然と見送る様は、

頗る妙で、この児童には空を自由に飛ぶ鳥が余程不思議らしく思われまし

た。

(中略)

石垣の上に立って見ると、春の鳥は自在に飛んでいます。その一つは六蔵

ではありますまいか。よし六蔵でないにせよ。六蔵は其鳥とどれだけ違っ

ていましたろう。

独歩は、“There was a Boy”における「梟と交流する」少年を、「烏の啼く真

似をする」少年に書き換えている。つまり、「烏」である点に独歩の独創性が

あって、ワーズワースの詩よりも「更に意味ある何か」の核心をなしている、

とも考えられるだろう。独歩は、人間社会から排除された少年が一般の春の鳥

とは違うことをいい、「烏」に変身することにある意図を込めたのではあるま

いか。

「烏」の象徴性をめぐって、山口実男13 は、「春の鳥」が詩的世界を象徴す

るのに対して「烏」が現実の象徴であると論じ、小説の結末が想像世界から現

実世界への転落を意味する、と主張した。その理由は、「烏」が呪われる存在

であり、「春の鳥」と違う「ダーティなイメージの鳥」だからだ、という。し

かし、もしこの論が正しければ、「ダーティなイメージの鳥」を真似し、化身

した六蔵は、「死によって自然の懐に帰り、救済される少年」ではなくなって

しまい、「自然の児」「天使」として描写する前文とも矛盾することになる。

また一方、ワーズワースを含むロマン派の詩人の作品においては、烏は常に

呪いや不潔を象徴し、神に恵まれた鳥ではない。むしろ cuckooや skylarkの

方が、純潔や神聖を象徴する鳥といえるだろう。ではなぜ、ロマン派から深い

13 山口実男(2013)「国木田独歩「春の鳥」私論: 更に意味あるについて」阪神近代文

学研究14、阪神近代文学研究会

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影響を受けた独歩は、六蔵の救済を意味している表象を描く際、あえて「烏」

を選択したのだろうか。

「春の鳥」はワーズワースの詩作から多大な影響を受けて書かれた小説で

ある。にもかかわらず、ワーズワースに着目するだけでは、「烏」の象徴性を

解明することはできない。独歩が「春の鳥」において「更に意味ある何か」を

創造し、六蔵の救済を描いたとするなら、西洋文学以外の何かを手がかりにす

る必要があるだろう。

3. 一つの手かがり――「聊斎志異・竹青」

3.1 独歩と『聊斎志異』

清・蒲松齢『聊斎志異』は、狐や妖怪、精霊などの話を計 470編以上収録

する、清代に怪奇小説ブームを起こした重要な小説集である。この小説集は、

江戸時代にはすでに日本にもたらされ、漢文学者に愛読されただけではなく、

そののち芥川龍之介や太宰治などによって翻訳、ないしは翻案されなど、日本

近代文学にもおおきな影響を与えた作品集である。明治期にはすでに、神田民

衛の『艶情異史 : 聊斎志異抄録』14(明進堂、1887年)、小金井喜美子の文語

体の「皮一重」(原話題名「画皮」、『しがらみ草紙』に掲載、1897年)

が、『聊斎志異』の翻訳小説、翻案小説として登場した。が、この時期の訳者

は『聊斎志異』における男女の恋愛の話だけに注目し、『聊斎志異』を「艶

情」のものとして受容していた。

『聊斎志異』を現代日本語に訳した最初の人は、独歩である。独歩は、矢野

龍渓を通じて『聊斎志異』15 を手に入れ、1903年から、『東洋画報』16 におい

て、みずから訳した『聊斎志異』17 を計 4篇、発表している。1906年、彼が

14 『聊斎志異』の「王桂庵」「細柳」「寄生」「恒娘」「五通」という五篇を擬古文体

で訳した。

15 『聊斎志異』にはさまざまな版本がある。各版本は、題名や文章、さらには収録され

る話までも異なる。独歩は矢野龍渓から貰った『聊斎志異』は、1767年の王金範刻本

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編集に加わった『支那奇談集』が出版された。その中には 54篇の『聊斎志

異』訳が収録され、当時第一の『聊斎志異』の訳書となった。それ以前の翻訳

と違い、『支那奇談集』は男女恋愛以外の話も幅広く収録し、『聊斎志異』の

幻想文学としての面白さを大衆に伝えようとした。

『聊斎志異』について、独歩は次のように評している。

聊斎志異は余の愛読書の一なり。(省略)特に支那の怪談に到りては、

その思想の奇抜にして破天荒なる到底わが国人の及ぶ所にあらず。『聊

斎志異』はその文字の豊富新鮮なる点に於いても、亦他に卓絶す。怪異

譚は、民族空想心を最極度まで発揮せる者なり。又滑稽心を最極度まで

発揮せるものなり。鬼神怪異を語らざる民族は、実相に役々として些の

余裕をも有せざる民族なり。18

(山東省長山県、王金範編集、刻印、総計18巻、275篇、木印。以下「王本」と表

記)と考えられる。その理由は、独歩が、「王本」の中にしか存在しない字句を訳した

のである。しかるに、「竹青」と「王桂庵」の翻訳作業を終えた直後に、彼は青柯亭刻

本(1766年、浙江杭州、趙起杲、鮑廷博等編集、刻印、総計16巻、431篇、木印。)

系統に属する『詳注聊斎志異図詠』(1866年、総計16巻、431篇、石印、中国同文書

局)を入手した。後ほど独歩が編集した『支那奇談集』第1巻の口絵はその『詳注聊斎

志異図詠』の挿絵を襲うものだからである。ほかの考察もあるが、紙幅の都合上、別稿

にしたい。

16 1903年創刊、独歩が編集長を務めたグラフ誌。題名のように、写真、絵画、記事によ

って当時の東アジア情勢を紹介する。また、アジアの珍聞や怪談も載せる。後に『近事

画報』に改題した。日露戦争中『戦時画報』に改題し、戦後元の題名に戻った。

17 「黒衣仙」 (原題「竹青」)「舟の少女」(原題「王桂庵」)「石清虚」(原題と同

じ)「姉と妹」(原題「胡四娘」)。

18 国木田独歩(1978)『定本国木田独歩全集』9、学習社、p.68

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独歩は、「空想」と「滑稽心」が発揮される怪奇譚として『聊斎志異』を評

価していた。自然主義作家として知られる独歩も、「破天荒な」幻想文学に対

する深い興味をもっていたことがうかがえよう。第一章で考察したように、自

然を「直写」することの不可能さを認識した独歩は、幻想文学の表現と作法に

興味を惹かれていたと思われる。

3.2 独歩の「竹青」訳

「春の鳥」が発表される一年前、1903年 5月、独歩は、人間の男と雌の烏

の恋愛を扱った「竹青」という物語を『聊斎志異』の中から選んで翻訳し、そ

れに「黒衣仙」という題名を付けて『東洋画報』第1巻に発表している。「黒

衣仙」は独歩の『聊斎志異』訳の第一作として彼自身に重要視されていたの

か、後年、独歩はそれを『支那奇談集』の第1巻第1編に収録している。その

際に独歩は、『詳注聊斎志異図絵』(1866年、総計 16巻、431篇、石印、中

国同文書局)の「竹青」に付す挿絵を借用し、『支那奇談集』の口絵にしてい

る。

「竹青」(原話)のあらすじは次の通りである。

落第貧書生の魚生は湖南のひとであった。彼は漢江で人事不省に陥り、夢

で水神に招かれ、烏に変身してその使者になったが、竹青という名の雌の

烏と愛し合い、結婚する。ある日、魚は漁師の打った弾を胸に受け、瀕死

状態に陥り、数日後、人間の姿で目を覚ます。それから三年後、魚はよう

やく科挙に及第したが、竹青を恋しく思った。魚の願いは烏によって竹青

のもとにもたらされた。竹青は、美しい人間の姿で魚の前に立ち、自身が

今は漢江の女神になっていることを話す。竹青は漢江から離れたくなかっ

たため、魚に黒い羽衣を与えた。これを羽織ると烏に変身し、自由に飛ぶ

ことが出来たのだ。以来、魚は、黒い羽衣を被って実家(湖南省)と竹青

の家(漢江)を往来して暮らした。魚の人間界の妻、和氏が子供を産め

ず、魚と竹青の息子の漢産を非常に可愛がった。竹青は男子をふたり、女

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子をひとり生んだ後、漢産を和氏に譲った。和氏が死んだ後、魚は長男次

男を人間界に残し、娘を連れて竹青のもとを訪れ、以来、実家には帰らな

かった。

以上のあらすじからも、「竹青」における烏が呪いや不浄の鳥ではないこと

は理解できよう。「竹青」における烏は、神の使者であり、神聖なる鳥なので

ある。「烏」に対する信仰は、古典的な中国世界にあるだけではなく、日本に

もあったと思われ、例えば、熊野三山の「八咫烏」信仰がその好例ではあるま

いか。

また、「竹青」における烏を考える際にもう一つ重要なのは、生と死の境界

を越える鳥と認識されていた点である。主人公の魚生は人事不省の中で水神の

使者になる。ここで水神とは、すなわち死後の世界を司るものである。魚生は

そののちもう一度死に、今度は人間として復活する。生き返ったのち魚生は、

人間でありながら烏となり、烏からまた人間に戻る。黒い羽衣を着て、自由自

在に両方の世界を往来する。つまり、魚生は烏に変身することによって生と死

の境界を超えていくのである。「竹青」における烏は、その意味では、生死両

界を自由に行き来する不死の鳥なのである。

では、独歩は「竹青」を訳す際、この作品における烏の表象をどのように受

け入れたのか。

独歩訳は実は逐字訳ではなく、誤訳の部分も少なくない。また、自身の裁量

によって意訳したり省略したりした箇所もあるため、翻訳というより、実質は

翻案に近いかもしれない。しかし、魚生が烏に変身する場面については、独歩

は多大の興味を寄せ、注意深く訳しているように思われる。紙幅の都合上、こ

こで二例だけ掲げる。

例 1

原文:因潜出黑衣著之,翕然凌空,經兩時許已達漢水。(省略)竹青出,命婢

嫗為緩結,覺毛羽劃然盡脫。

65

拙訳:魚はこっそり黒衣を出してこれを着けると、すみやかに空に飛びたっ

た。四時間ほどもすると、漢江に着いた。(中略)竹青は出てきて、下

女たちに魚の羽衣を脱がせるよう命じた。魚は、羽が体から無くなって

いくのを感じた。

独歩訳:早速黒い衣服を出して着ると、ふわりと身は空中に浮び、何時か生え

た翼を振って、漢江さして飛んで往った。二時間も經ぬ間に漢江に着い

たので、(中略)竹青は出て迎え、先づ女中に命じて羽翼を脱がすと、

見るまに毛が消えて一枚の黒衣となってしまった。

例 2

原文:枕邊一袱,檢視,則女贈衣履并黑衣俱在。

拙訳:枕の傍に一つの袋があった。中を調べると、女が贈った衣服と靴、また

例の黒衣もあった。

独歩訳:見ると枕元に襆包みが置いてある、中を検めると竹青が呉れた黒い衣

服が入って居る。

例 1においては、翼が生えて飛び始める様子や、羽衣が黒衣に戻っていく様な

ど、黒衣の不思議さと変身の過程とを、独歩が比較的丁寧に説明していること

が読み取れるだろう。また例2においては、原文では「服と靴」と述べられて

いないのに、独歩訳はそれを削除し、最も重要な道具である「黒衣」に変えて

訳出しているのである。ここには、変身譚やファンタジーに興味を寄せる独歩

の姿があるといえるだろう。独歩は、少なくとも 1903年(「竹青」を訳して

いた頃)から 1906年(『支那奇談集』の刊行時期)まで間は、ファンタジー

に深い興味を寄せていたと思われるが、そのことは、この「黒衣仙」からもあ

る程度確認出来るのである。

4. 「春の鳥」を読み返す

4.1 「春の鳥」における烏の真意

66

独歩は、「春の鳥」を創作する以前にすでに「竹青」を翻訳していた。した

がって、人間が烏に変身する物語があることを、「春の鳥」の創作以前に独歩

は知っていた。

「春の鳥」は、簡潔で印象深い次の一行によって結ばれる。

この一羽の烏を六蔵の母親が何と見たでしょう。

この一行は、「竹青」の結末に対する次のような独歩訳を連想させる。

「竹青」原文:自此不返。

拙訳:(魚生は)そののち(自身の実家には)二度と帰って来なかった。

独歩訳:魚生の終わりはよく解らない。竹青と共に仙化して仙鳥に隠れて

しまったものらしい。

「竹青」原典の末尾においては、人間社会の中で生きる魚生の暮らし向き

や、妻や子供たちとの経緯が語られた後、和氏の死後は、魚生は竹青の生んだ

むすめを引き連れ竹青のもとへ往き、以来二度と実家には帰らなかった、と結

ばれる。しかるに独歩訳は、それらを大幅に削除し、最後の一句だけを自分の

言葉で敷衍して、「魚生の終わりはよく解らない。竹青と共に仙化して仙鳥に

隠れてしまったものらしい」と意訳したのである。ここにいう「魚生の終わ

り」とは、いうまでもなく「魚生の死」を意味するだろう。独歩は、原典には

全く言及されない「魚生の死」をわざわざ問題にし、それを「よく解らない」

とみずから曖昧にしてみせる。そののちに「仙化」という言葉を使って魚の行

方についての想像を敷衍するのである。原来、「仙化」は道教の用語であり、

人間としての命(肉体)を捨てて仙人になることを意味する。独歩は中学時期

から老荘思想に接触し、そこから、自然との合一によって人も無限の生命を得

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られるとする発想を得ていた19 。独歩がいう「竹青と共に仙化して仙鳥に隠れ

てしまったものらしい」とは、「魚生は竹青とともに不老長生を達成し、鳥と

して永遠の生命を生きている」の意味だろう。独歩は、原典にいう「自此不

返」の意味を正しく伝えるために、「魚生は死んだのではなく、鳥に変身して

永遠の生命を得たのだ」と意訳したのである。

「烏への変身」は「黒衣仙」において、このような意味をもつものとして

扱われていた。これを「春の鳥」の結末に当てはめるならば、六蔵は、人間と

しての肉体は消滅したが、死んだのではなく、烏として永遠の生命を得たこと

になるだろう。六蔵の母親が目で追う鳥は、生と死の境界を超えて不死に羽ば

たいていく「烏」だったのであり、それは六蔵の化身でもあったのだ。

4.2 「空想」による救済

「春の鳥」においては、六蔵が烏に変化したとする想像を、語り手は「空

想」として扱っている。母親の視線の中では六蔵は確かに烏に変化していたの

だが、語り手は理性的に、それを「空想」に帰着させる。辻橋三郎 20 は、母

親が六蔵を見送る結びのシーンを、「竹取物語」の影響から作られたものだと

論じ、親が見送る場面によって、六蔵と月の世界ないし天国を志向するかぐや

姫を同一に見ることができると主張している。

筆者は、辻橋の主張を踏まえ、「春の鳥」の結びにいう「空想」という語

の重大性を論じたい。ここにいう「空想」とは、根拠のない想像の意味であろ

うが、たとえば「黒衣仙」においても、原典では「これ以来、二度と故郷へは

戻らなかった」と断定的に書かれているものを、独歩は「仙化して仙鳥に隠れ

てしまったものらしい」と、推量の形でしか訳していない。「春の鳥」の場

合、六蔵の母親にとって六蔵は確かに救済されて烏に変化したが、語り手にと

っては、それは単なる「空想」にすぎなかった。独歩は、自然をそのまま「直

19 芦谷信和(1982)『国木田独歩―比較文学的研究―』、和泉書院

20 辻橋三郎(1976)「国木田独歩の「春の鳥」論」論集22、神戸女学院大学、p.15

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写」する手法より、「空想」に拠る手法の方が自然の神秘と人間の本質にさら

に近づくことができると考えた。しかし、そのようにして得た自然の神秘を、

独歩は結局「この一羽の烏を六蔵の母親が何と見たでしょう」という曖昧な形

でしか書けなかった。「春の鳥」の発表時期は日露戦争勃発の一か月後であっ

た。独歩は、同年「決闘家」(4月、『文芸倶楽部』)「愛国者」(5月、

『戦争文学』)、「夫婦」(7月、『太陽』)という、現実と深く関わる作品

を計3篇発表した。同時期において詩的な「春の鳥」はやや異色な作品といえ

る。筆者は残酷な戦争時期を「春の鳥」の創作背景として考え、「春の鳥」に

おける「空想」という言葉には、独歩の深い悲しみが託されているように思

う。独歩は六蔵が烏に化身したという「空想」を作り上げた。が、「それは私

の想像ですよ」と主張している語りにより、独歩は「空想」を全部認めるわけ

ではなかった。作品全体を貫いているのは、「空想」に対する憧れと、「空

想」を認められない理性との矛盾である。人間社会に排除された六蔵は夭折

し、「空想」の中でしか救済されなかった。彼の死を悼む六蔵の母親も、

「私」も、さらに、「春の鳥」を読んでいる読者も、現実と相容れない「空

想」から慰めを得ることしかできない。したがって、「春の鳥」の真の主題は

「烏に変身した六蔵の救済」にではなく、救済を「空想」によってしか描けな

い悲しみにあることになるだろう。

5. 結び

今回の考察により、「竹青」を執筆していた際、独歩が「竹青」を意識して

いた可能性が高いと言える。「竹青」における生死の境界を超越する「神烏」

を興味深く訳して受け入れた独歩は、西洋的な春の鳥(The Blessed Spring

Bird)を東洋的神性の烏へ昇華させることによって、自然に回帰する六蔵とい

う「空想」を作り上げた。ここでの「烏」は西洋文学に登場する不吉の鳥では

なく、むしろ、「仙化」によって永遠の生命を得る鳥なのである。それはま

た、自然と合一することによって得られる救済をも意味する。この「空想」に

潜んでいた現実世界に対する断念、天地人生に対する問いなど、名状しがたい

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哀感や詩意は、あまりにも東洋的であろう。それら東洋的な哀感や詩意こそ、

独歩がみずから述べた「この詩よりも六蔵のことは更に意味ある」ものだった

のではあるまいか。

<参考文献>

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芦谷信和(1990)「独歩「春の鳥」――虚構と主題-1-」立命館文学515、立命

館大学人文学会

石田精一(1960)『国木田独歩――佐伯時代の作品と生活』、佐伯独歩会

江頭太助(1991)「「春の鳥」を読む――六蔵の実像と「私」の語りと」国

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中島健蔵(1974)「解題」『明治文学全集 66』國木田独歩集、筑摩書房

山口実男(2013)「国木田独歩「春の鳥」私論: 更に意味あるについて」阪神

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山田博光(1991)「独歩の自然観・運命観」国文学解釈と鑑賞 56、至文堂