「カンタベリー物語」 ジェフリー・チョーサー...the canterbury tales...

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10 18 APR 2019 / No 1082 Great Britons 40 英国にキリスト教を広めた聖アウグスティヌスが眠る、聖アウグス ティヌス修道院跡。歴代の大司教らが埋葬された。カンタベリー市 壁の外にあり、ヘンリー8世による修道院解散令で閉鎖された。 ●グレート・ブリトンズ●取材・写真・執筆/本誌編集部 ジェフリー・チョーサー 「カンタベリー物語」 生み

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Page 1: 「カンタベリー物語」 ジェフリー・チョーサー...The Canterbury Tales )」だ。戯言? 教訓?英国版「アラビアンナイト」 4月のある夜、ロンドンはテムズ河

1018 APR 2019 / No 1082Great Britons

英国には、シェイクスピア誕生よ

り遥か以前に、庶民の言葉で語り、市

井の人々に文学の扉を開いた人物がい

た――。偉大なる詩人・著述家である

ジェフリー・チョーサー(上図)が作

品に込めた、中世の社会・思想、そし

て男女関係とは?

今号では、チョー

サーが歩んだ人生をたどるとともに、

奥深い「カンタベリー物語」の世界に

足を踏み入れてみたい。

世界遺産にも登録された

英国最古の巡礼地

 

水仙や桜が花開き、日を追うごとに

日照時間も長くなり、英国特有の暗く

長い冬が終わるのを感じる、この季

節。心浮き立ち旅に出たくなるのは、

600年以上前も今も同じなのかもし

れない。

 

中世の頃から人々をひきつけてやま

ない土地と言えば、イングランド南東

部ケントにある都市、カンタベリー。

ローマ時代の城壁に囲まれた小さな街

に、多くの観光客が訪れる最大の理由

は、英国国教会の総本山「カンタベ

リー大聖堂」(写真上)にある。「神の

館」「天国への門」とも呼ばれる大聖堂

の起源は、6世紀にローマから約40人

の修道士とともにキリスト教の布教に

英国にキリスト教を広めた聖アウグスティヌスが眠る、聖アウグスティヌス修道院跡。歴代の大司教らが埋葬された。カンタベリー市壁の外にあり、ヘンリー8世による修道院解散令で閉鎖された。

●グレート・ブリトンズ●取材・写真・執筆/本誌編集部

ジェフリー・チョーサー「カンタベリー物語」の生みの親

Page 2: 「カンタベリー物語」 ジェフリー・チョーサー...The Canterbury Tales )」だ。戯言? 教訓?英国版「アラビアンナイト」 4月のある夜、ロンドンはテムズ河

18 APR 2019 / No 108211 Great Britons

やってきた、聖アウグスティヌス(初

代カンタベリー大司教)の教会建立ま

でさかのぼる。その後、二度の火災に

よって再建・増築を重ね、英国最初の

ゴシック建築として知られる現在のも

のに姿を変えた。

 

内部を彩るステンドグラスの数々に

は、キリストやヘンリー2世、そして

ここに訪れる巡礼者の様子などが描

かれており、宗教観の有無を問わず、

人々を放心させるほどの美しさを備え

ている。百年戦争の英雄・エドワード

黒太子(Black Prince

)やヘンリー4

世夫妻が眠る墓など、見所はたっぷり

あるが、何と言っても3本の剣が掲げ

られた一角に注目してほしい。ここは

1170年、当時のカンタベリー大司

教トマス・ベケットがヘンリー2世と

の確執の末、騎士たちに暗殺された忌

まわしき場所。ベケットは大聖堂内の

霊廟に埋葬されたが、彼の墓所のそば

から出る霊水は「治癒力がある」と言

われ、死者が蘇るなど数々の奇跡が起

きたという。それゆえに死後、異例と

も言えるわずか3年で聖人に列せら

れ、以降、英国屈指の巡礼地として

ヨーロッパ中にその名が知られるよう

になった。中世時代のカンタベリーは、

イスラエルのエルサレム、イタリアの

ローマ、スペインのサンティアゴ・デ・

コンポステーラと並ぶ4大巡礼地だっ

たのである。

 

ロンドンからカンタベリーまで、現

在なら電車で1時間半、長距離バスに

揺られても2時間弱と、ひと眠りすれ

ば着いてしまう距離であるだけに、祈

願や懺悔の心を抱え、幾日もかけて旅

した中世時代の人々に思いを馳せるの

は難しいかもしれない。それでも当時

の旅の情緒を少しでも味わいたい

なら、カンタベリーを訪れる前に

ぜひ目を通して欲しい書物があ

る――それは14世紀の偉大なる詩

人、ジェフリー・チョーサーが執

筆した中世文学最大の傑作「カン

タベリー物語(The Canterbury

Tales

)」だ。戯

言?

教訓?

英国版「アラビアンナイト」

 

4月のある夜、ロンドンはテムズ河

の東南岸、サザークの宿「陣羽織亭

(The Tabard Inn

)」。

 

ここに、聖人として崇められている

トマス・ベケットの殉教の地、カンタ

ベリーを目指す30人あまりの巡礼者た

ちが宿を共にしていた。それぞれ身分

も職業も異なる人々だが、宿の主人は

偶然にも同じ目的で集まった彼らに、

退屈しのぎとして粋な提案をする。「巡

礼の途、行きと帰りに1人2話ずつ話

を披露しないか。もっともためになり、

もっとも楽しい話をした者には、宿に

戻った際の夕食をみんなでおごろう

じゃないか」――。

 

こうして始まる「カンタベリー物語」

には、14世紀に実在したであろう聖職

者や庶民の思想、振る舞いなどのヒン

トが散りばめられており、ただの旅物

語に留まらない未知の世界へと我々を

誘ってくれる魅力がある。1066年

の北フランスのノルマンディー公(の

ちのウィリアム1世

)によるイングラ

ンド征服以来、書物に使われる言語と

いえば、宮廷など上流階級の人々が使

用していたフランス語と、書き言葉専

用として用いられていたラテン語が一

般的だった。そうした時代に庶民の話

し言葉である英語で執筆された「カン

タベリー物語」は、「英文学の礎」とも

いうべき重要な作品なのだ。

 

巡礼者らが次々とショートストー

リーを披露するスタイルは、ペルシャ

王に妻が毎夜物語を語り聞かせるとい

う手法で書かれた説話集「アラビアン

ナイト(千夜一夜

物語)」に似てい

る。崇高かつ説教

くさい話もあれ

ば、庶民の間で流

行っているゴシッ

プ、思わず顔をし

かめたくなるよう

な与太話もあり、

中世を舞台にした

多様な芝居を見て

いるかのような気

にさせられる。

 

とくに著者が男

性だからか、女性

や妻に対する愚痴

や理想論はたびた

び登場。5回もの

結婚歴を持ち、色

恋沙汰に関しては

百戦錬磨という

バースに住む女房

が、男性陣に「い

つ寝取られ男にな

るかとびくついて

暮らすほど若く美

しい女を妻にする

か、真心と安心感のある年老いた醜い

女を妻にするか」という究極の選択を

投げかけ、神学生、豪商、近習らが結

婚に対する様々な意見を交わし合う場

面などは、当時の人々が夫・妻に求め

たものや金銭的価値観、対人関係がわ

かり、興味深く読めるだろう。

王族に目をかけられた

順風満々な人生

下の QR コードを読み込むか、YouTube で「英国ぶら歩き カンタベリー」で検索し、編集部

制 作 のシ ョ ート フ ィル ム をご 覧 下さい。

動画へ Go!「トマス・ベケットの暗殺」についてもっと知りたい人は…

カンタベリー大聖堂内にあるエドワード黒太子の墓(左)。墓のそばには身につけていた防具等が展示されている。/大聖堂内陣の様子(右)。カトリックから英国国教会に変わった今も、総本山の地位を維持。ロイヤル・ファミリーの結婚式は、カンタベリー大司教が必ず執り行っている。

19 世紀に描かれた、カンタベリー詣でをする人々(上)。騎士や商人、農夫、尼僧まで様々な人々が、道中の安全のために集団で聖地へ向かった。/ 15 世紀初めの写本「カンタベリー物語」の中から「バースの女房の話」のページ(右)。

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1218 APR 2019 / No 1082Great Britons

 「カンタベリー物語」の中には、

チョーサー自身も登場人物のひとりと

して出てくる。小太りでシャイだった

とされる自分の姿を「腰格好が立派で、

顔つきがぼんやりしている男」と自嘲

気味に描写するなど、少々屈折した面

も見られるが、キリスト教的思想が中

心の社会で、罹患すると死に至るペス

ト(黒死病)が猛威を振るい、圧政と

長期に及ぶ戦争が繰り広げられる中、

いかにして豊かな想像力を得たのだろ

うか。

 

チョーサーの生年は諸説あるが、

1343年頃にロンドンのシティに

代々続く、裕福なワイン商の息子とし

て誕生。庶民の公用語である英語はも

ちろん、初等学校ではラテン語を、家

に帰ればフランス語を耳にするような

(上流階級の顧客が多かったため)、当

時としては恵まれた教育環境の中で

育った。宮廷でも顔の利く父を持った

おかげか、チョーサーは初等教育を修

了すると、当時の国王エドワード3世

の三男で、エドワード黒太子の弟にあ

たる王子、ライオネル・オブ・アント

ワープの妻の小姓となっている。

 

1359年には、フランスとの百年

戦争にライオネル王子とともに出征し

て捕虜となるも、エドワード3世が身

代金の一部を負担し釈放されるという

格別な措置が取られている。ここから

察するに、チョーサーは王族に気に入

られており、詩人としての才能を開花

させる前に、すでに強い後ろ盾を得て

いたように見える。

 

そして1366年、23歳頃にエド

ワード3世妃の侍女であったフィリッ

パと結婚。フィリッパは王の四男であ

る王子、ジョン・オブ・ゴーントと「深

い仲」であったとされ、また彼女の妹

も同じくジョン王子の愛人になったこ

とから(のちに3番目の妻となってい

る)、チョーサーは宮廷人として一目置

かれるようになっていった。ジョン王

子は、やがて詩人として活動を始めた

チョーサーをパトロンとして支えてい

くことになる。

イタリアでの文芸復興

創作への目覚め

 

チョーサーがいつから創作を始めた

のか定かではないが、結婚から数年後、

王の側近を務めていた彼は、宮廷で開

かれる昼・晩餐会にて「物語でもてな

す」という天職に巡りあう。披露する

物語はロマンスから喜劇まで幅広く、

自作のショートストーリーを声高に読

み上げ、宮廷人たちの歓心を得るよう

になった。ちなみに、1369年に

ジョン王子の最初の妻が亡くなった際

に書いた哀悼詩「公爵夫人の書(The

Book of the Duchess

)」が、チョー

サーの最初の作品とされている。

 

やがて外交使節としてたびたび赴い

たイタリアで、ルネサンスを代表する

詩人・人文主義者のペトラルカと親交

を結んだり、同じく詩人のダンテや

ボッカッチョの傑作に触れたりして刺

激を受け、イタリアに興った文芸復興

の力強い息吹をみるみるうちに吸収し

ていった。とくに「カンタベリー物語」

は、「アラビアンナイト」に似ていると

前述したが、実際にはボッカッチョの

短編集「デカメロン」に登場する『十

日物語』(フィレンツェで蔓延したペ

ストから逃れようと街から離れた10人

の男女が、気晴らしに10日間、毎日1

19 世紀の画家、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスが描いた「デカメロン」。暇をもてあました女性たちに、男性が話を語り聞かせている。

「カンタベリー物語」 傑作3選 あらすじを紹介!

美姫をめぐって争う

騎士の話/ アテネの君主テーセウスは、

北東に位置するテーベでの戦い

の末、2人の傷ついた騎士、

アルシーテとパラモンを捕

らえる。彼らは敵の王族出

身だったため、自国に連れ

て帰り、生涯、牢の中で暮

らすことを命ずる。

 牢獄で絶望に暮れる中、

ある日、塔の窓から王妃の妹

の姿を目撃。あまりの美しさ

に一目ぼれした2人は、互いに敵対心を燃やす。や

がて、ひょんなことから出獄の許しを得たアルシー

テは「アテネに一歩でも足を踏み入れれば打ち首に

する」という約束をテーセウスと交わしたにも関わ

らず、素性を隠して宮廷に戻り、姫君の小姓となる。

一方、塔に閉じ込められたままのパラモンは叶わぬ

恋心と悲しみに気も狂わんばかりとなり、ついに脱

獄を図るが…。

騙されて樽の中で暮らす夫

粉ひき屋の話/ 下宿屋を営む年老いた大工には、若く美しい妻が

いた。嫉妬深い大工は、妻に悪い虫がつかないよう

にと日夜、気が気ではないが、彼らの家に下宿して

いたオックスフォード大学の学生は大工の目を盗ん

で若妻にちょっかいを出すようになる。

 やがて意気投合した学生と若妻は、大工に内緒で

一晩をともに過ごすために「神の

お告げ」と称し、大工にとんでも

ない嘘をつく。計画はうまく

言った様に見えたが、そこに

もうひとり、若妻に夢中の教

会書記が現われて…。

 真っ赤な嘘に翻弄

される哀れな老大

工と、恋に狂う「第

3の男」に屈辱の

しっぺ返しをされる学生。

一笑に付すには痛すぎる、

あきれ話。

悪党3人による金儲け

免罪符売りの話/ フランドルに住む大

酒飲みの悪党3人が、

人間に「死」をも

たらす死神退治に

出かけ、大金を発

見する。

 祝宴を開くため

に、一番年下の男に

酒を買いに行かせ、そ

の間、残りの2人は自分

たちだけで大金を山分け

しようと、その男の殺害

を企む。一方、その年下の

男も財宝を独り占めしようと、2人の毒殺を計画し

ていて…。

 教会に寄付をした人に与えられる「免罪符」(死

後天国に行けるという保証書のようなもの)を売る

免罪符売りらしい、欲を出しすぎた人間に下る天罰

についての話。

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18 APR 2019 / No 108213 Great Britons

話ずつ話をするという物語)の影響を

強く受けた作品とされている。チョー

サーはこれを巡礼の旅に変え、自身が

それまでに耳にした噂話や書物から得

た逸話、そしてオリジナルで創ったと

される話などで構成したのである。

 

1374年にはロンドン港における

関税と特別税の検査官となり、衣食住

も給与も申し分のない報酬を受けてい

た時代は1385年まで続く。その

後、イングランド南東部ケントに移っ

た彼は、治安判事に就任。翌年には同

地の議員を1年間務めた。そして、こ

れらの職務の合間に「トロイルスと

クリセイデ(Troilus and Criseyde

)」

や「善女列伝(The Legend of Good

Women

)」の刊行、「カンタベリー物

語」などの執筆を重ね、詩人としての

名声も着実に得ていった。

 

1387年に妻のフィリッパを亡く

すという不幸に見舞われたが、間もな

く王室関連施設の修理工事官に任命さ

れ、ロンドン塔やウエストミンスター

宮殿といった重要建造物を多数手掛け

る。階級制度が明白な時代に、「カンタ

ベリー物語」に登場する上流階級から

下層民まで、個性豊かな登場人物に息

吹を与えることができたのも、生涯を

通じて数多くの職務に就き、そこで出

会った人々があってのことなのかもし

れない。

「取り消しの言葉」にみる

後悔と懺悔

 

イタリアなどヨーロッパを飛び回っ

ていたチョーサーは、妻と過ごす時間

は多くなかったものの、2人の子ども

に恵まれた。権力者のパトロンにも寵

愛され、詩人としても成功し、華やか

な人生を送ったかに思えるが、そんな

彼も「老い」からは逃れられなかった。

 

晩年の10年以上を費やして書かれ

た「カンタベリー物語」は、30人あま

りの巡礼者たちが当初の設定通り、カ

ンタベリーへの行きと帰りに2話ずつ

話をしていれば、全120話にもおよ

ぶ超大作になっていたはずだ。しかし

実際には1人1話ずつ、しかも全員が

話すこともなく、全24話で終わってい

る。執筆半ばにして死を迎え、未完の

まま終わったように見えるため、「未

完の大作」とも呼ばれているが、実は

巻末に、それまでの全著書の執筆を

悔やむ「取り消しの言葉(Chaucer's

Retraction

)」が記されている。

 「これらを読んで何らかの知恵が生

じ、喜ぶべきものを見つけたのなら、

イエス・キリストに感謝を。そうでな

ければ、著者の能力不足のせいにして

ほしい」

 

自分なりに終止符を打っているよう

にも見える「取り消しの言葉」。妻亡き

後、子も巣立ち、男やもめとして年金

生活を送る中で、老いていく自分を実

感していたのだろうか。執筆作業は進

まず、だんだんと悲しみに暮れる詩が

増えていき、生きることに幻滅して創

作意欲をなくしてしまったという説も

ある。「カンタベリー物語」の最後の

ページは、この「取り消しの言葉」で

幕が閉じられており、当時そして今に

伝わる名声とは裏腹に寂しい晩年を感

じさせる。

 

1399年、チョーサーは何かを予

期したかのように、ウエストミンス

ター寺院の庭園内に家を借り、翌年10

月25日に死去。享年56〜57だったとさ

れる。そのまま同寺院に埋葬され、現

在は英文学史における中英語期の最

大の詩人として、詩人の墓所(Poets'

Corner

)で眠りについている。多くの

観光客が日々訪れる同所なら、きっと

寂しさを感じている時はないだろう。

St Margaret's Street, Canterbury, Kent CT1 2TG Tel: 01227 696002www.canterburytales.org.uk

営業時間:4~8月 10:00 ~ 17:009~3月 10:00 ~ 16:00

(11 ~3月は水~日曜のみ営業)

料金 :大人 £10.95子ども £8.95

「 カ ン タ ベ リ ー 物語」の世界を体験で き る ア ト ラ クション。旅の始まりは物語同様、「陣羽織亭」から。ヘッドホン片手に中世の町並みを歩けば、巡礼者のひとりになった気分で物語の世界を堪能できる。日本語ガイドもあるのでご心配なく!

15 世紀初めの写本に描かれた、チョーサーの肖像画。

(2019 年4月 16 日現在) The Canterbury Tales

アクセス電車:カンタベリーには、Canterbury West駅と Canterbury East 駅がある。West の方がロンドンから行くと手前にあるが、中心街に出るにはEastで降りる方が便利だ。ロンドン・ヴィクトリア駅から所要 1 時間半ほど。

長距離バス:ロンドン・ヴィクトリア・コーチ・ステーションから所要1時間 45 分ほど。交通事情にもよるが、電車を利用するのとそれほど時間は変わらない。カンタベリーのバス停は中心街のすぐそばにあるので、かなり便利。

車:A2を南下し、ジャンクション1でM2に入り、ジャンクション7で再びA2に入る。市壁の回りはラウンド・アバウトがいくつも続き、中心部へ入るところを見逃しがちになるので要注意。所要1時間半ほど。

High St

Watling St

Rheims W

ay

St Peter's St

St Pe

ter's

Pl King S

t

Upper Bridge St

St Pe

ter's G

r

Burgate

Sun St

Stour St

Castle St

St George's Pl

● Canterbury Cathedral

● The Canterbury Tales

● Westgate Tower

● Canterbury West Station

● Canterbury East Station

Coach Station

St. Augustine's Abbey ●

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カンタベリーへの行き方