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281 東京外国語大学論集第 96 (2018) TOKYO UNIVERSITY OF FOREIGN STUDIES, AREA AND CULTURE STUDIES 96(2018) 生命としての美――谷崎潤一郎初期作品をめぐって Beauty as Life――On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Works 柴田 勝二 SHIBATA Shoji 東京外国語大学国際日本学研究院 Institute of Japan Studies, Tokyo University of Foreign Studies 一 刷新される生 二 刺青の美学 三 フェティッシュとしての足 「美しい者」の内実 五 自然としての悪 六 閉鎖的状況と江戸時代 キーワード:生の刷新 美 刺青 フット・フェティシズム Keywordsrenovation of life, beauty, tatoo, foot feticism 【要旨】 谷崎潤一郎は美を主題とし、とくに女性の美への執着を多くの作品に描き出した作家として 眺められがちである。『刺青』『少年』といった作品を送り出した出発時においてすでにそう した評価を得ているが、むしろ谷崎文学を底流するものは自然と連携する生命の力であり、彼 が執着した女性の美も、それによって支えられることではじめて真の価値が与えられる。 処女作の『刺青』はその一つの典型として捉えられる。主人公の清吉は彫り物師で、長年理 想の刺青を施すべき美女を捜しているが、彼がその対象とすることになる女を見出したのは、 顔ではなくその足に引きつけられることによってであった。ここには谷崎文学にしばしば姿を 現すフット・フェティシズムが見られるが、そこにはフロイトが述べるような去勢否認という よりも、自然界の事物に神的な生命の顕現を捉える、より普遍的なフェティシズムの心性がう ごめいている。 こうした生命への渇望の起点にあるものは、それを裏返した生命の枯渇である。自伝的作品 本稿の著作権は著者が所持し、クリエイティブ・コモンズ表示 4.0 国際ライセンス(CC-BY) 下に提供します。 https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/deed.ja

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281 東京外国語大学論集第 96 号 (2018)TOKYO UNIVERSITY OF FOREIGN STUDIES, AREA AND CULTURE STUDIES 96(2018)

1) さっぽろ産業ポータル 2012 年 5 月取材 http://www.sec.jp/genki/?p=7672 (2018 年 5 月 9 日閲覧) 2) VERSION2 HP https://ver2.jp/ (2018 年 5 月 9 日閲覧)

付記

本研究は科学研究費(16K13237「OJAD と総合日本語教科書を用いた体系的な音声指導法の

確立」)の助成を受けた。

参考文献

平野(伊達)宏子・渋谷博子・清水由貴子・大西昭夫 2017「教室外学習用 web 教材の作成と配信―IT 知識・時間がない教師の LMS 利用と協働―」『日本語教育方法研究会誌』 23-Vol.2,pp.84-85.

鈴木智美・清水由貴子・渋谷博子・中村彰・藤村知子 2018「予備教育課程の国費学部留学生の学習ツール

使用状況―2016~2017 年度実施のアンケート調査結果から見えるスマートフォンアプリの使用目的

の多様化と学習スタイルの変化―」『東京外国語大学留学生日本語教育センター論集』44.pp.195-217. 伊達宏子・伊東克洋・渋谷博子・藤村知子 2018「予備教育における理工系専門科目語彙の音声韻律情報付

き補助教材の開発」『2018 年度日本語教育学会春季大会予稿集』pp.231-236. 三浦香苗・岡澤孝雄・深澤のぞみ・ヒルマン小林恭子 2006『アカデミックプレゼンテーション入門』ひつ

じ書房

生命としての美――谷崎潤一郎初期作品をめぐって Beauty as Life――On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Works

柴田 勝二 SHIBATA Shoji

東京外国語大学国際日本学研究院 Institute of Japan Studies, Tokyo University of Foreign Studies

一 刷新される生

二 刺青の美学

三 フェティッシュとしての足

四 「美しい者」の内実

五 自然としての悪

六 閉鎖的状況と江戸時代

キーワード:生の刷新 美 刺青 フット・フェティシズム

Keywords:renovation of life, beauty, tatoo, foot feticism

【要旨】

谷崎潤一郎は美を主題とし、とくに女性の美への執着を多くの作品に描き出した作家として

眺められがちである。『刺青』『少年』といった作品を送り出した出発時においてすでにそう

した評価を得ているが、むしろ谷崎文学を底流するものは自然と連携する生命の力であり、彼

が執着した女性の美も、それによって支えられることではじめて真の価値が与えられる。

処女作の『刺青』はその一つの典型として捉えられる。主人公の清吉は彫り物師で、長年理

想の刺青を施すべき美女を捜しているが、彼がその対象とすることになる女を見出したのは、

顔ではなくその足に引きつけられることによってであった。ここには谷崎文学にしばしば姿を

現すフット・フェティシズムが見られるが、そこにはフロイトが述べるような去勢否認という

よりも、自然界の事物に神的な生命の顕現を捉える、より普遍的なフェティシズムの心性がう

ごめいている。

こうした生命への渇望の起点にあるものは、それを裏返した生命の枯渇である。自伝的作品

本稿の著作権は著者が所持し、クリエイティブ・コモンズ表示 4.0 国際ライセンス(CC-BY) 下に提供します。https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/deed.ja

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生命としての美――谷崎潤一郎初期作品をめぐって:柴田 勝二Beauty as Life――On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Works : SHIBATA Shoji

282

で描かれるように、谷崎自身『刺青』によって出発する前は自己認知を受けられないもどかし

さのなかで衰弱した生を送っていた。また同時に明治末年にあたる当時は、大逆事件などによ

って国家からの抑圧を人々が感じつつ生きていた時代でもある。この自身と社会を覆っていた

生命の衰弱を反転させた地点に、初期作品の世界が成り立っている。

Summary

Tanizaki Junichiro tends to be regarded as an author who was strongly attracted to women’s

beauty and described it variously as the main subject. But what underlies Tanizaki’s literature is

rather the power of life that can cooperate with nature, and women’s beauty he adheres is given

its true value when it is supported by it.

Tanizaki’s first work "Shisei" can be regarded as one of typical examples. Seikichi, the hero,

is an engraving master who has been looking for a beautiful woman whom he should give an

ideal tattoo for many years. However, the criterion by which he finds a target woman is the

beauty of the foot, not of the face. There is an expression of foot-fetishism which often appears in

Tanizaki’s literature. What we can find there is not the denial of castration that Freud stated, but

a more universal fetishism that captures the manifestation of divine life in the things of nature.

What lies at the starting point of such craving for life is its depletion. As depicted by

autobiographical works, Tanizaki himself was living a debilitating life being frustrated for he

could not get the recognition as an author before departing by "Shisei". At the same time, the

period when Tanizaki started to write novels was the time when people were feeling repression

from the state due to the High Treason Incident, etc. In such a period when the weakness was

covering both the author and the society, the world of Tanizaki’s early works is realized as the

antagonism against it.

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283 東京外国語大学論集第 96 号 (2018)TOKYO UNIVERSITY OF FOREIGN STUDIES, AREA AND CULTURE STUDIES 96(2018)

で描かれるように、谷崎自身『刺青』によって出発する前は自己認知を受けられないもどかし

さのなかで衰弱した生を送っていた。また同時に明治末年にあたる当時は、大逆事件などによ

って国家からの抑圧を人々が感じつつ生きていた時代でもある。この自身と社会を覆っていた

生命の衰弱を反転させた地点に、初期作品の世界が成り立っている。

Summary

Tanizaki Junichiro tends to be regarded as an author who was strongly attracted to women’s

beauty and described it variously as the main subject. But what underlies Tanizaki’s literature is

rather the power of life that can cooperate with nature, and women’s beauty he adheres is given

its true value when it is supported by it.

Tanizaki’s first work "Shisei" can be regarded as one of typical examples. Seikichi, the hero,

is an engraving master who has been looking for a beautiful woman whom he should give an

ideal tattoo for many years. However, the criterion by which he finds a target woman is the

beauty of the foot, not of the face. There is an expression of foot-fetishism which often appears in

Tanizaki’s literature. What we can find there is not the denial of castration that Freud stated, but

a more universal fetishism that captures the manifestation of divine life in the things of nature.

What lies at the starting point of such craving for life is its depletion. As depicted by

autobiographical works, Tanizaki himself was living a debilitating life being frustrated for he

could not get the recognition as an author before departing by "Shisei". At the same time, the

period when Tanizaki started to write novels was the time when people were feeling repression

from the state due to the High Treason Incident, etc. In such a period when the weakness was

covering both the author and the society, the world of Tanizaki’s early works is realized as the

antagonism against it.

ある。谷崎における脚ないし足への執着にも、こうした生命力への渇望

が垣間見られるのである。

(7)フロイト『フェティシズム』の引用は『エロス論集』(ちくま学芸文庫、

一九九七、原論文は一九二七)による。

(8)C・D・ブロス『フェティッシュ諸神の崇拝』(杉本隆司訳、法政大学

出版局、二〇〇八、原著は一七六〇)。なおフェティシズム全般への把

握については石塚正英『フェティシズムの思想圏』(世界書院、一九九

一)、田中雅一編『フェティシズム論の系譜と展望』(京都大学学術出

版会、二〇〇九)を参照した。

(9)Fritz Shultze, Feticism

:A Contribution to Antholopology and the History of

Religion(Translated by J. Fitzgerald), The H

unboldt Publishing.

原著の出版

年は不詳だが、内容から一九世紀後半と判断される。なお前項の『フェ

ティシズムの思想圏』『フェティシズム論の系譜と展望』にはいずれも

同書への言及は見られない。ブロスやシュルツェの見解を取った場合、

樹木や岩、滝といった自然物に神性を見出す日本の神道はまぎれもなく

フェティシズムであることになる。むしろそうした捉え方が二〇世紀に

おいて低減していったことが、フェティシズムの概念を狭めることにな

ったともいえよう。

(10)『忠臣蔵後日建前』は『日本戯曲全集』第四十巻(春陽堂、一九三三)、

『聞道女自来也』は『絵本稗史小説』第四集(博文館、一九一八)、『恋

衣縁初桜』は『日本戯曲全集』第二十七巻(春陽堂、一九三三)『増補

女鳴神』は常磐津の同書(坂川平士郎出版、一八九一)をそれぞれ参看

した。なお「女定九郎、女自雷也、女鳴神」を含む先行作品については、

塩崎文雄「〈テクスト評釈〉「刺青」」(『國文學』一九九三・一一)

における言及を参考にした。

(11)千葉俊二は『物語の法則

岡本綺堂と谷崎潤一郎』(青蛙房、二〇一二)

で、ある学生が調査した話として「まず一晩で背一面に刺青をほどこす

ことは不可能で、そんなことをしたら人間は死んでしまう」と述べ、ま

た専門家の証言として、背中だけ彫るのでも半年から一年を要するとい

う情報を紹介している。もちろん千葉が述べるように、谷崎はそうした

設定の非現実性を承知したうえで、作品の叙述をおこなっているはずで

ある。

(12)クモの持つ習性や文化的意義については主に斎藤慎一郎『蜘蛛』(もの

と人間の文化史107、法政大学出版局、二〇〇二)に拠った。

(13)引用は『アウグスティヌス』(山田晶訳、中公バックス世界の名著16

一九七八)による。

(14)引用は『スピノザ・ライプニッツ』(工藤喜作・齋藤博他訳、中公バッ

クス世界の名著30、一九八〇)による。

(15)笠原伸夫『谷崎潤一郎――宿命のエロス』(冬樹社、一九八〇)。また

小泉浩一郎は「谷崎文学の思想――その近代天皇制批判をめぐって」

(『国語と国文学』二〇〇一・三)で、谷崎文学に基底に「近代天皇制

批判」があり、『刺青』の冒頭部の叙述における「「激しく軋み合」う

「今」とは、明らかに大逆事件の進行しつつある明治四十三年秋

、、、、、、、でなけ

ればならない」と述べている。けれども『細雪』に登場するロシア人一

家に天皇への敬意を表させているように、谷崎には天皇制自体への批判

はない。谷崎がおこなおうとしているのは、あくまでもその体制のなか

で展開していった日本の近代社会における生の抑圧への抵抗である。

(16)周知のように九鬼周三は『「いき」の構造』(岩波書店、一九三〇)に

おいて、主に遊里における男女関係を主眼としつつ、遊女との関係に愉

楽を得つつも相手との間に適度な距離を置いてそこにのめり込まない

均衡の感覚に「粋」の価値づけを与え、さらにはその感覚をすべからく

日本人の美意識一般に敷衍する議論を展開している。

谷崎作品の引用はすべて『谷崎潤一郎全集』(中央公論社、二〇一五~

一七)によっている。なおルビは現代仮名遣いで適宜施している。

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生命としての美――谷崎潤一郎初期作品をめぐって:柴田 勝二Beauty as Life――On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Works : SHIBATA Shoji

284

の女師匠に仕え、その美しさが失われるや自身も盲目にすることに躊

躇しないという、やはり愚かしいともいえる情念の主体を中心に描い

ていた。もちろんこうした愚かしさは近代を舞台とした『痴人の愛』

の語り手譲治のナオミへの愛着にも見られるといえるかもしれない。

けれども譲治はナオミに対して基本的に〈教育者〉の立場で関わろう

とするのであり、それが挫折していくこと反比例して彼女の魔的な魅

力に取り込まれていくのだった。そうした屈折は今挙げた諸作や『刺

青』の主人公たちには不在であり、その対比に谷崎が江戸という時代

に求めたものと、それを仮構しがたい時代としての近代に対する認識

を見ることができるのである。

〔註〕

(1)知られるように、荷風はこの批評で「肉体的恐怖から生ずる神秘幽玄」

「全く都会的たる事」「文章の完全なる事」を挙げ、谷崎の資質を賞揚

している。中島国彦の「作家の誕生――荷風との邂逅」(『国文学』一

九八八・八)によれば、『刺青』を収載した明治四四年(一九一一)一

二月に籾山書店より刊行された作品集『刺青』の表題は当初「少年」で

あったが、『刺青』を絶賛する荷風の批評を受けて刊行を遅らせ、この

表題に改められたという。千葉俊二は作品集『刺青』が戯曲の『象』『信

西』を含んでいることが、集全体の印象を雑多なものにしていると述べ

ている(「作品集『刺青』」『国文学

解釈と鑑賞』一九八三・六)。

それはこの二作が「谷崎文学を谷崎文学たらしめたところの官能の発見

がない」からだとされるが、千葉がいう「強烈な色彩と感覚」を内実と

する「官能」が谷崎文学の特質であるとは必ずしもいえない。広南国(ベ

トナム)から献じられた象に人びとが好奇の眼を向けて騒ぎ立てる様子

を描いた『象』では、自然の生命の量感に対する感嘆が基底をなし、ま

た平治の乱の際に地中に隠れて生き延びようとした信西を描く『信西』

は、自身の生への執着を主題として提示している。いずれもここで眺め

たように〈生命〉への憧憬や執着が機軸となっており、むしろ『刺青』

などに顕著な「官能」への傾斜を底流するものを浮かび上がらせている

といえるのである。

(2)野口武彦「『刺青』論――谷崎潤一郎の始発をめぐって」(『現代文学

講座8

明治の文学Ⅲ』至文堂、一九七五)。単行本の『谷崎潤一郎論』

(中央公論社、一九七三)を含めて、野口の谷崎観においては、「美し

い強者」が躊躇なく弱者を踏みにじる「悪」への志向がその起点をなす

とされる。

(3)笹淵友一「「刺青」論」(岡崎義恵・島田謹二編『日本文学と英文学』

教育出版センター、一九七三)。

(4)『嬉遊笑覧』の引用は岩波文庫『嬉遊笑覧』(一、長谷川強他校訂、二

〇〇二)による。

(5)『日本社会事彙』の参照は細江光「『象』・『刺青』の典拠について」

(『甲南国文』39集、一九九二・三)の示唆による。なお刺青の歴史性、

社会性については『日本社会事彙』のほかに松田修『日本刺青論』(前

出)によった。

(6)こうした、美に執着するように見えながら実はその主体がはらんでいる

生命力に強い憧憬を覚える心性は三島由紀夫にもあるもので、とくに初

期の代表作である『仮面の告白』(河出書房、一九四九)にはそれが典

型的な形で認められる。語り手の「私」は一見美しい同性に惹かれるよ

うに見えながら、彼が本当に惹かれているのはしたたかな生命力をはら

んだ人間であり、落第を繰り返す年上の同級生である近江に「私」が惹

かれたのもそうした彼の輪郭ゆえであった。とくに彼が鉄棒で懸垂をす

る場面では、「私」は彼の「生命力、ただ生命力の無益な夥しさ」に瞠

目させられながらも、同時にそれを欠如させた我が身を振り返ることで

強い「嫉妬」を覚えさせられる。そして「私」が幼年期の「最初の記憶」

として語っている「汚穢屋」に魅了されるのも、彼が「大地の象徴」と

しての「糞尿」を容れた肥桶を担ぎながら力強く地面を「踏みわけ」て

進んでいく姿によってであったが、地面を踏みしめる彼の脚はその身体

がはらむ力の収斂地点であると同時に、大地の生命を汲み取る部位でも

Page 5: On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Worksrepository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/92409/1/acs096013... · Tanizaki Junichiro tends to be regarded as an author who was strongly attracted

285 東京外国語大学論集第 96 号 (2018)TOKYO UNIVERSITY OF FOREIGN STUDIES, AREA AND CULTURE STUDIES 96(2018)

遊女との交わりなどを含めてその趣味的な世界への没入によって「粋」

の域を逸脱してしまう。とくに近松は心中物の主人公たちに見られる

ように、情念的な対象にのめり込むことで自身の生を相手ともども破

壊してしまうに至る〈愚かしい〉男たちを繰り返し描いた。『心中天

網島』の治平衛は家庭を持ちながら遊女小春との関係に執着し、妻の

再三の諫めにもかかわらず、結局周囲の配慮をかいくぐるように小春

と心中してしまう。心中物の最初の作品である『曾根崎心中』の徳平

衛は、友人の九平次の裏切りによって金の返済ができなくなって追い

つめられるものの、彼にしても店の主人が勧める縁談を大人しく受諾

していれば何事もなかったにもかかわらず、それを断って遊女お初へ

の情愛にのめり込むために、自身の進路をみずからふさいでしまうの

だった。

女たちにしても、恋人と遭遇した契機である火事を再現することで

彼と再会しようとする『八百屋お七』の主人公のように、後先を顧み

ない愚かしい行動に出てしまう人物は珍しくない。けれどもこうした

自身の趣味や情念にのめり込んでその生を壊してしまうような人物の

姿には、作者の強い共感や愛惜が込められており、またそれを眺める

観客や読み手の同情を喚起するようなある種の美しさが漂わされてい

る。少なくともこうした愚かしい情念に身を委ねてしまう行動を近代

の人物に託しがたいことは事実であろう。多かれ少なかれ国家や社会

と向き合う環境のなかで生きる近代人にとっては、こうした「愚」へ

の耽溺はそれ自体が制御されるからで、谷崎が『刺青』の舞台を当初

の「現代」から江戸時代に移すことになった背後にも、明治期に繰り

返し刺青禁止令が出されることで、刺青が反社会性を強く帯びること

になった事情に加えて、そうした時代への認識があると考えられる。

谷崎にとって江戸時代は、もっぱら自己破壊的な愚かしさをはらん

だ情念的行動に身を委ねることが自然に映る時代であった。出発時以

降の創作において谷崎が江戸時代を舞台とする際には、そうした輪郭

の人物を中心に据えることが目論まれていることが少なくない。『お

艶殺し』(『中央公論』一九一五・一)の主人公新吉は自身の勤める

店の娘であるお艶に惚れ込んで殺人に手を染めるようになるものの、

お艶が彼の意に従ってくれるわけではなく、途中で芸者になることで

多くの男を惹きつけ、その一人であった若い侍に執着するようになっ

た彼女を最後に殺害するに至ってしまう。『お才と巳之介』(『中央

公論』一九一五・九)では、風采の上がらない商家の若旦那である巳

之介が使用人のお才に執着するものの、お才は同じ使用人で色男の卯

三郎と関係しており、巳之介はそのことを卯三郎に入れあげている妹

のお露から知らされる。兄に似て器量の良くないお露は結局卯三郎に

金をだまし取られたあげくに女郎屋に売られる羽目に陥ってしまうの

である。

この両作においては、主人公は当初の執着を完遂することはないも

のの、その姿勢自体には逡巡はなく、実ることのない情念に愚かしく

のめり込んでいく。後年の『春琴抄』(『中央公論』一九三三・六)

にしても、江戸時代の末期を時代的背景として、盲目の美しい三味線

の女師匠に仕え、その美しさが失われるや自身も盲目にすることに躊

躇しないという、やはり愚かしいともいえる情念の主体を中心に描い

ていた。もちろんこうした愚かしさは近代を舞台とした『痴人の愛』

の語り手譲治のナオミへの愛着にも見られるといえるかもしれない。

けれども譲治はナオミに対して基本的に〈教育者〉の立場で関わろう

とするのであり、それが挫折していくこと反比例して彼女の魔的な魅

力に取り込まれていくのだった。そうした屈折は今挙げた諸作や『刺

青』の主人公たちには不在であり、その対比に谷崎が江戸という時代

に求めたものと、それを仮構しがたい時代としての近代に対する認識

を見ることができるのである。

〔註〕

(1)知られるように、荷風はこの批評で「肉体的恐怖から生ずる神秘幽玄」

「全く都会的たる事」「文章の完全なる事」を挙げ、谷崎の資質を賞揚

している。中島国彦の「作家の誕生――荷風との邂逅」(『国文学』一

九八八・八)によれば、『刺青』を収載した明治四四年(一九一一)一

二月に籾山書店より刊行された作品集『刺青』の表題は当初「少年」で

あったが、『刺青』を絶賛する荷風の批評を受けて刊行を遅らせ、この

表題に改められたという。千葉俊二は作品集『刺青』が戯曲の『象』『信

西』を含んでいることが、集全体の印象を雑多なものにしていると述べ

ている(「作品集『刺青』」『国文学

解釈と鑑賞』一九八三・六)。

それはこの二作が「谷崎文学を谷崎文学たらしめたところの官能の発見

がない」からだとされるが、千葉がいう「強烈な色彩と感覚」を内実と

する「官能」が谷崎文学の特質であるとは必ずしもいえない。広南国(ベ

トナム)から献じられた象に人びとが好奇の眼を向けて騒ぎ立てる様子

を描いた『象』では、自然の生命の量感に対する感嘆が基底をなし、ま

た平治の乱の際に地中に隠れて生き延びようとした信西を描く『信西』

は、自身の生への執着を主題として提示している。いずれもここで眺め

たように〈生命〉への憧憬や執着が機軸となっており、むしろ『刺青』

などに顕著な「官能」への傾斜を底流するものを浮かび上がらせている

といえるのである。

(2)野口武彦「『刺青』論――谷崎潤一郎の始発をめぐって」(『現代文学

講座8

明治の文学Ⅲ』至文堂、一九七五)。単行本の『谷崎潤一郎論』

(中央公論社、一九七三)を含めて、野口の谷崎観においては、「美し

い強者」が躊躇なく弱者を踏みにじる「悪」への志向がその起点をなす

とされる。

(3)笹淵友一「「刺青」論」(岡崎義恵・島田謹二編『日本文学と英文学』

教育出版センター、一九七三)。

(4)『嬉遊笑覧』の引用は岩波文庫『嬉遊笑覧』(一、長谷川強他校訂、二

〇〇二)による。

(5)『日本社会事彙』の参照は細江光「『象』・『刺青』の典拠について」

(『甲南国文』39集、一九九二・三)の示唆による。なお刺青の歴史性、

社会性については『日本社会事彙』のほかに松田修『日本刺青論』(前

出)によった。

(6)こうした、美に執着するように見えながら実はその主体がはらんでいる

生命力に強い憧憬を覚える心性は三島由紀夫にもあるもので、とくに初

期の代表作である『仮面の告白』(河出書房、一九四九)にはそれが典

型的な形で認められる。語り手の「私」は一見美しい同性に惹かれるよ

うに見えながら、彼が本当に惹かれているのはしたたかな生命力をはら

んだ人間であり、落第を繰り返す年上の同級生である近江に「私」が惹

かれたのもそうした彼の輪郭ゆえであった。とくに彼が鉄棒で懸垂をす

る場面では、「私」は彼の「生命力、ただ生命力の無益な夥しさ」に瞠

目させられながらも、同時にそれを欠如させた我が身を振り返ることで

強い「嫉妬」を覚えさせられる。そして「私」が幼年期の「最初の記憶」

として語っている「汚穢屋」に魅了されるのも、彼が「大地の象徴」と

しての「糞尿」を容れた肥桶を担ぎながら力強く地面を「踏みわけ」て

進んでいく姿によってであったが、地面を踏みしめる彼の脚はその身体

がはらむ力の収斂地点であると同時に、大地の生命を汲み取る部位でも

Page 6: On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Worksrepository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/92409/1/acs096013... · Tanizaki Junichiro tends to be regarded as an author who was strongly attracted

生命としての美――谷崎潤一郎初期作品をめぐって:柴田 勝二Beauty as Life――On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Works : SHIBATA Shoji

286

あり、それを成就しえないもどかしさが「神経衰弱」をもたらす要因

ともなった。谷崎の『青春時代』に「余談ながら、当時の文学青年の

間では一時神経衰弱症が大流行であった」と記されているように、こ

の症状は明治末期から大正期にかけての多くの文学作品にその事例が

登場する拡がりをもっていた。このエッセイでは志賀直哉の『剃刀』

(『白樺』一九一〇・六)や『濁つた頭』(『白樺』一九一一・四)

に言及され、それらによっても「あの時代の青年の病的さ加減を知る

ことが出来よう」と語られている。この二作や『児を盗む話』(『白

樺』一九一四・四)では、いずれも気分的な抑圧や不機嫌のなかに生

きる人物が、それを晴らそうとして社会の則を超える犯罪的行為に身

を挺してしまう話が語られている。これらの作品を焦点のひとつとす

る山崎正和の『不機嫌の時代』(新潮社、一九七三)でいわれるよう

に、日露戦争後に国家との合一の志向が日本人の間で低下していった

が、そうした時代においては個人の社会的達成が自我充実を測る尺度

となるために、谷崎の『異端者の悲しみ』や志賀の『大津順吉』(『中

央公論』一九一二・九)の主人公がそうであるように、「自己主張の

強烈な欲求」を抱えながら、表現者としての自己を満たしえない青年

たちは、神経症的な抑圧のなかに置かれがちになる。大逆事件におい

て顕在化した国家からの思想的弾圧は、そこに入れ子的にかぶさって

くるさらなる抑圧であった。

『刺青』の登場者たちが担う「「

愚おろか

」と云ふ貴い徳」は、そうし

た個的な自己達成への執着から免れた人びとのあり方として眺められ

る。

自身の皮膚に刺青を施すことは、基本的に不可逆の身体加工であり、

一時の熱中によってそれをおこない、後で取り返しのつかない悔恨に

苛まれることもありえる。けれどもそうした悔恨の可能性を顧慮しな

いことが「愚」であり、いいかえればその折その折の欲求に身を委ね

てしまう〈愚かしさ〉のなかに彼らの生は送られている。またそうし

た生のあり方は江戸時代の文芸や演劇を彩る重要な要素でもある。身

分制が支配的であった社会のなかでは、近代においては珍しくない社

会を横断するような劇的な出世や成功は例外的にしか起こりえず、ほ

とんどの人間は自身の生まれ育った階層での処世を全うすることを第

一義として人生を終えることになる。たとえば西鶴や近松の描いた大

坂の町人たちにとっては、若年から勤め上げた店で地位を上げていき、

手堅い縁談によって娶った妻と家庭を築く一方で、遊里にも馴染みの

遊女を持って時折はそこに通って適当な散財をおこなうような生き方

がひとつの理想であり、その均衡の感覚が「粋」にほかならなかった

(16)

彼らのなかにはもちろん社会や世間一般を慮るような意識はなく、

和辻哲郎が『日本倫理思想史』(岩波書店、一九五二)で「模範的な

町人とは、金銀、、と享楽、、をともに目標とし、それを怜悧に、算用の合う

仕方で、獲得する人である」(傍点原文)と述べるように、生活世界

において物質的な安定を獲得したあとは、自身の私的な趣味に没入す

ることにも後ろめたさはなかった。にもかかわらず、彼らはしばしば

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287 東京外国語大学論集第 96 号 (2018)TOKYO UNIVERSITY OF FOREIGN STUDIES, AREA AND CULTURE STUDIES 96(2018)

定されたことは一節で述べたとおりで、『異端者の悲しみ』ではそれ

が怠惰で自堕落な主人公に向けられる家族の軽視によって強調されて

いた。見逃すことができないのは、生命の停滞や抑圧のなかに生きて

いたのが谷崎個人に限らず、当時の日本社会全般を覆う状況でもあっ

たことだ。すなわち『刺青』の冒頭に記される、「それはまだ人々が

愚おろか

」と云ふ貴い徳を持つてゐて、世の中が今のやうに激しく軋み

合はない時分であつた」という一文は、明らかに当時の世相を踏まえ

て記されている。『刺青』が『新思潮』に発表された明治四十三年(一

九一〇)は、いうまでもなく幸徳秋水ら社会主義者たちが一網打尽に

される大逆事件が起きた年であり、そうした状況に対するアンチテー

ゼとして、自身の皮膚を傷つけて刺青を施すことに熱中する人びとの

様相が語られている。

笠原伸夫はその連関について「この一節はかしましい〈近代〉に対

する倦厭の喚起、という性格もあったろう」と指摘しつつも、「それ

よりは〈愚〉を美徳とする背理のうえに屹立させねばならぬ己れの美

意識の内実を、まずは世俗の常識と対比してみたかっただけなのだ」

と述べ、作者の時代意識を相対化している(15)

。けれども大逆事件は

「世俗の常識」一般に還元される性格のものではなく、石川啄木が述

べたように、日本社会に身を置く人間に「閉塞」の思いを抱かせる契

機であった。周知のように啄木は『時代閉塞の現状』(一九一〇執筆)

で、日露戦争の終焉とともに国家と一体化して生きる理想が喪失した

一方で、「自己主張の強烈な欲求」を抱えた青年たちが、「理想を失

ひ、方向を失ひ、出口を失つた状態に於て、長い間鬱積して来た其自

身の力を独りで持余してゐる」状況のなかで生きている様相を語って

いる。一方谷崎は政治意識の乏しい作家として眺められがちだが、時

代状況に対する鋭敏な感受性を持ち、美的なものへの執着もその感受

性と背中合わせの面があることは、太平洋戦争のさなかに、戦争によ

って失われるかもしれない自国の文化的伝統への愛惜を込めて『細雪』

(中央公論社、一九四六(上巻)、一九四七(中巻)、一九四八(下

巻))を書き継いでいたことにも端的に現れている。

江戸時代末期を時間的舞台とする『刺青』は当然表層的には執筆時

の時代社会への批判を前景化してはいないものの、冒頭に「世の中が

今のやうに激しく軋み合はない時分」という、内容と直接関わりのな

い設定を提示するのは、ここに語られる世界がやはり作者が生きる時

代へのアンチテーゼをなすことをほのめかしている。現に谷崎は後年

のエッセイ(「『刺青』『少年』など

創作余談(その二)」『別冊

文藝春秋』一九五六・一〇)で、この作品について「あれも実は発表

した物は徳川時代に持つて行つてゐるが、最初は徳川時代に持つて行

かないで現代のことにして書いた」と語り、創作の動機が「現代」に

あることを明かしている。

啄木が慨嘆した「時代閉塞」は、青年たちが「自己主張」への欲求

に駆り立てられながら、それに形を与えることを抑圧する状況のこと

であったが、逆にいえば個的な「自己主張」への欲求がそれだけ青年

層の間に強くせり上がっていた時代に彼らが生きていたということで

あり、それを成就しえないもどかしさが「神経衰弱」をもたらす要因

ともなった。谷崎の『青春時代』に「余談ながら、当時の文学青年の

間では一時神経衰弱症が大流行であった」と記されているように、こ

の症状は明治末期から大正期にかけての多くの文学作品にその事例が

登場する拡がりをもっていた。このエッセイでは志賀直哉の『剃刀』

(『白樺』一九一〇・六)や『濁つた頭』(『白樺』一九一一・四)

に言及され、それらによっても「あの時代の青年の病的さ加減を知る

ことが出来よう」と語られている。この二作や『児を盗む話』(『白

樺』一九一四・四)では、いずれも気分的な抑圧や不機嫌のなかに生

きる人物が、それを晴らそうとして社会の則を超える犯罪的行為に身

を挺してしまう話が語られている。これらの作品を焦点のひとつとす

る山崎正和の『不機嫌の時代』(新潮社、一九七三)でいわれるよう

に、日露戦争後に国家との合一の志向が日本人の間で低下していった

が、そうした時代においては個人の社会的達成が自我充実を測る尺度

となるために、谷崎の『異端者の悲しみ』や志賀の『大津順吉』(『中

央公論』一九一二・九)の主人公がそうであるように、「自己主張の

強烈な欲求」を抱えながら、表現者としての自己を満たしえない青年

たちは、神経症的な抑圧のなかに置かれがちになる。大逆事件におい

て顕在化した国家からの思想的弾圧は、そこに入れ子的にかぶさって

くるさらなる抑圧であった。

『刺青』の登場者たちが担う「「

愚おろか

」と云ふ貴い徳」は、そうし

た個的な自己達成への執着から免れた人びとのあり方として眺められ

る。

自身の皮膚に刺青を施すことは、基本的に不可逆の身体加工であり、

一時の熱中によってそれをおこない、後で取り返しのつかない悔恨に

苛まれることもありえる。けれどもそうした悔恨の可能性を顧慮しな

いことが「愚」であり、いいかえればその折その折の欲求に身を委ね

てしまう〈愚かしさ〉のなかに彼らの生は送られている。またそうし

た生のあり方は江戸時代の文芸や演劇を彩る重要な要素でもある。身

分制が支配的であった社会のなかでは、近代においては珍しくない社

会を横断するような劇的な出世や成功は例外的にしか起こりえず、ほ

とんどの人間は自身の生まれ育った階層での処世を全うすることを第

一義として人生を終えることになる。たとえば西鶴や近松の描いた大

坂の町人たちにとっては、若年から勤め上げた店で地位を上げていき、

手堅い縁談によって娶った妻と家庭を築く一方で、遊里にも馴染みの

遊女を持って時折はそこに通って適当な散財をおこなうような生き方

がひとつの理想であり、その均衡の感覚が「粋」にほかならなかった

(16)

彼らのなかにはもちろん社会や世間一般を慮るような意識はなく、

和辻哲郎が『日本倫理思想史』(岩波書店、一九五二)で「模範的な

町人とは、金銀、、と享楽、、をともに目標とし、それを怜悧に、算用の合う

仕方で、獲得する人である」(傍点原文)と述べるように、生活世界

において物質的な安定を獲得したあとは、自身の私的な趣味に没入す

ることにも後ろめたさはなかった。にもかかわらず、彼らはしばしば

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生命としての美――谷崎潤一郎初期作品をめぐって:柴田 勝二Beauty as Life――On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Works : SHIBATA Shoji

288

党」という言葉も必ずしも倫理的な否定性を付与されているわけでは

ない。『平家物語』における景清の挿話は多いとはいえないが、巻十

一の「弓流し」の段で語られる、屋島の合戦で源氏方の武士である美

尾屋十郎を捕らえようとして掴んだ甲の錣を離さず、相手を討ち取れ

なかったものの、その錣を引きちぎってしまったという剛力ぶりは、

謡曲の『景清』でも盲目となって日向の地で過ごす景清の誇らしい記

憶として語られている。『平家物語』では超人的な荒行を易々とこな

し、その「不敵第一の荒聖」としての行いによって後白河法皇を震撼

させて伊豆に流された後も、天下秩序の回復を願って源頼朝に挙兵を

促そうとする文覚上人なども、高尾山神護寺の復興のための勧進の際

に「法衣を飾るといへども、悪行なほ心にたくましうして日夜に作り」

と自身で語るように、不逞の「悪人」としての輪郭を備えているとい

えるだろう。

こうした、横紙破り的な荒々しさをはらんだ力の主体こそが日本文

化における悪の具現者にほかならない。中沢新一は『悪党的思考』(平

凡社、一九八八)のなかで、デュジメルの著作に拠りつつ、「法治す

る王」の「ミトラ」が「魔術王」である「ヴァルナ」を恐れつづける

という対比的な構図によって、「ヴァルナ」に込められた反秩序的な

力を日本の「悪党」に結びつけている。中沢は「「悪」とはこの時代

にあっては、「自然」ときわめてちかい意味をもった言葉であった。

その「自然なるもの」と直接的な結びつきをたもちつづけていた人々

を「悪党」と呼ぶのだ」と述べている。中沢が「悪党」的人物の典型

として挙げるのは楠木正成であり、河内の豊かな自然のなかで生を送

ることによって吸収した力を型破りの振舞いに注ぎ込む、彼をはじめ

とする「悪党」たちは「人間のなかにひめられた自然(ピュシス)の

力を、放埒にふるってみせている」とされる。

この中沢の把握は、日本的な悪が善の欠如体ではなく自然の生命力

を過剰に汲み上げるところに生成する様態であることをよく示唆して

いる。谷崎の世界を貫流する悪への傾斜も、その基底にはこうした「人

間のなかにひめられた自然(ピュシス)の力を、放埒にふる」いうる

者に対する憧憬が存在している。だからこそその憧憬にのめり込む姿

勢がしばしばマゾヒズムの様相を呈することになるのである。もっと

もこうした「放埒」な悪の形象は、出発時の作品においてはそれほど

つきつめた形では人物に込められてはいない。『刺青』においても刺

青を施された女は、清吉をはじめとする男たちを「肥料」とすること

を宣言するものの、それを実行に移すわけではなく、予兆的な段階に

とどめられている。けれどもそこに示唆された悪の内実として想定さ

れる、自然への連繋をはらんだ生命の力への憧憬は、確かに谷崎文学

の起点としての意味をもつのである。

閉鎖的状況と江戸時代

こうした、しばしば悪の形象としても姿を現す生命の力への憧憬の

基底にあるものとして、表現者を志しながらなかなか認知が得られな

いもどかしさのなかに過ごしていた、作者谷崎の停滞感や焦燥感が想

Page 9: On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Worksrepository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/92409/1/acs096013... · Tanizaki Junichiro tends to be regarded as an author who was strongly attracted

289 東京外国語大学論集第 96 号 (2018)TOKYO UNIVERSITY OF FOREIGN STUDIES, AREA AND CULTURE STUDIES 96(2018)

一つの始源的な「悪」の成就、というよりもむしろ「悪」の創成だっ

たのである」と述べ、悪を志向するサタニズムとその悪の毒をみずか

ら浴びようとするマゾヒズムが共在するところに谷崎文学の特質があ

るとしている。もっとも野口は初期の谷崎に与えられることもあった

「悪魔主義」という呼称がその後立ち消えになったことからも、神の

摂理に叛逆する「悪」ないし「悪魔」という概念が日本の風土になじ

まないという留保を伴いながら、「谷崎ほど真摯に「悪」の問題を追

究しつづけた作家は類例が少ない」という評価を下している。この悪

という主題は、『谷崎潤一郎論』(中央公論社、一九七三)でも『刺

青』などの出発時の作品を扱った第一章に「はじめに悪ありき」とい

う表題が付けられて重要視され、悪が悪であるためにはそれを措定す

る善の秩序が求められるという「一つの永遠の存在矛盾」が指摘され

ている。この場合「善」が意味するものは、具体的には市民的な家庭

生活を指し、大正四年(一九一五)に最初の妻を得たことが、逆に谷

崎に悪の感覚を研ぎ澄ませることになったとされるが、反市民性の比

喩として位置づけられる悪は『刺青』をはじめとする出発時の作品群

には該当せず、またそうした含意を谷崎的な悪がもつならば、それが

マゾヒズムに反転する機縁も希薄にならざるをえないといえよう。

ここで野口論にやや詳しく言及したのは、谷崎の世界に悪への傾斜

がそれを反転させたマゾヒズムとともに共在するという構造があり、

それが谷崎文学を強く特徴づけていること自体は否定しがたいからで

ある。ただキリスト教的な倫理観とその内実たる理性主義に対する反

措定として悪が価値付けられる西洋的な観念を前提とする限り、野口

もいうように谷崎の世界はむしろそれが不在であるという見方を招か

ざるをえない。神を善の源泉とし、人間を含む被造物をその善の体現

者として想定するアウグスティヌス的な観点においては、本来悪はあ

るべきではない存在であり、「われわれの恐れるものが存在するか、

それとも、恐れるということ自体が悪なのだ」(山田晶訳)(13)

とい

う判断に導かれる。数学的な思考によって人間の身体と感情の関係性

を探求したスピノザは、善を人間本性の実現とし、それを阻害する力

を悪と見なしている。その限りでは善悪は相対性な価値であることに

なるが、その一方で「人間の本質は、〔前定理の系により〕神の属性

のある様態によって構成されている」(『エティカ』工藤喜作・齋藤

博訳)(14)

とされるのであり、その人間本性自体が「神の属性」を浸

透させたものとして措定されている点では、やはり悪は存在すべきで

はない否定性を帯びている。

こうした、善の源泉としての神の属性を人間をはじめとする被造物

が浸透させているとするキリスト教的な価値観が、悪を積極的に評価

する機縁をもたないのに対して、日本の思想・宗教風土においてはそ

もそも善悪の対比のなかで、善を欠落させた存在として悪を眺めると

いう着想が希薄である。日本の文化伝統のなかでは悪はむしろ既存の

枠組みを揺るがす力の主体として意味づけられることが少なくなく、

『平家物語』に登場する藤原景清すなわち「悪七平衛」景清が、戦場

における振舞いの大胆さによってそう称されたように、「悪人」や「悪

党」という言葉も必ずしも倫理的な否定性を付与されているわけでは

ない。『平家物語』における景清の挿話は多いとはいえないが、巻十

一の「弓流し」の段で語られる、屋島の合戦で源氏方の武士である美

尾屋十郎を捕らえようとして掴んだ甲の錣を離さず、相手を討ち取れ

なかったものの、その錣を引きちぎってしまったという剛力ぶりは、

謡曲の『景清』でも盲目となって日向の地で過ごす景清の誇らしい記

憶として語られている。『平家物語』では超人的な荒行を易々とこな

し、その「不敵第一の荒聖」としての行いによって後白河法皇を震撼

させて伊豆に流された後も、天下秩序の回復を願って源頼朝に挙兵を

促そうとする文覚上人なども、高尾山神護寺の復興のための勧進の際

に「法衣を飾るといへども、悪行なほ心にたくましうして日夜に作り」

と自身で語るように、不逞の「悪人」としての輪郭を備えているとい

えるだろう。

こうした、横紙破り的な荒々しさをはらんだ力の主体こそが日本文

化における悪の具現者にほかならない。中沢新一は『悪党的思考』(平

凡社、一九八八)のなかで、デュジメルの著作に拠りつつ、「法治す

る王」の「ミトラ」が「魔術王」である「ヴァルナ」を恐れつづける

という対比的な構図によって、「ヴァルナ」に込められた反秩序的な

力を日本の「悪党」に結びつけている。中沢は「「悪」とはこの時代

にあっては、「自然」ときわめてちかい意味をもった言葉であった。

その「自然なるもの」と直接的な結びつきをたもちつづけていた人々

を「悪党」と呼ぶのだ」と述べている。中沢が「悪党」的人物の典型

として挙げるのは楠木正成であり、河内の豊かな自然のなかで生を送

ることによって吸収した力を型破りの振舞いに注ぎ込む、彼をはじめ

とする「悪党」たちは「人間のなかにひめられた自然(ピュシス)の

力を、放埒にふるってみせている」とされる。

この中沢の把握は、日本的な悪が善の欠如体ではなく自然の生命力

を過剰に汲み上げるところに生成する様態であることをよく示唆して

いる。谷崎の世界を貫流する悪への傾斜も、その基底にはこうした「人

間のなかにひめられた自然(ピュシス)の力を、放埒にふる」いうる

者に対する憧憬が存在している。だからこそその憧憬にのめり込む姿

勢がしばしばマゾヒズムの様相を呈することになるのである。もっと

もこうした「放埒」な悪の形象は、出発時の作品においてはそれほど

つきつめた形では人物に込められてはいない。『刺青』においても刺

青を施された女は、清吉をはじめとする男たちを「肥料」とすること

を宣言するものの、それを実行に移すわけではなく、予兆的な段階に

とどめられている。けれどもそこに示唆された悪の内実として想定さ

れる、自然への連繋をはらんだ生命の力への憧憬は、確かに谷崎文学

の起点としての意味をもつのである。

閉鎖的状況と江戸時代

こうした、しばしば悪の形象としても姿を現す生命の力への憧憬の

基底にあるものとして、表現者を志しながらなかなか認知が得られな

いもどかしさのなかに過ごしていた、作者谷崎の停滞感や焦燥感が想

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生命としての美――谷崎潤一郎初期作品をめぐって:柴田 勝二Beauty as Life――On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Works : SHIBATA Shoji

290

うことと刺青を施すことの間に明確な因果性が存在するとはいいがた

い。もともと刺青は美を求める心性によっておこなわれたものではな

く、犯罪者への刑罰を別にすれば、古代からそれを彫り込むための痛

みに堪える通過儀礼的な意味合いが強かったが、2節で紹介したよう

にそれによって満たされる「男子のいさましさを示」すといった精神

力の誇示が、美麗な図柄をまとわせる心性を派生させていったと考え

られる。

すなわちここでも、叙述の表層とそこに込められた作者の真意との

間にはいささかのズレがあり、美と刺青との間には、痛みに耐えるこ

とを通過儀礼として刺青を施された女が、図柄が象徴する生命の力を

新たに付与されて再生することが〈美しい〉ということであったこと

が、終盤に至って遡及的に浮かび上がってくるのである。清吉が見出

した女は、「犠牲」になろうとしている男たちを冷然と眺める「暴君

紂王の寵妃、末喜を描いた絵」を見せられることで、「其の絵のやう

な性分」が自身のなかにあるにあることを示唆された後に、清吉に麻

酔をかがされて意識を失っている間に「巨大な女郎蜘蛛」の刺青を背

中に施される。これまでも指摘されているように、こうした刺青の彫

り方はきわめて非現実的で、もしこのやり方を取ろうとすれば相手の

女は死に至らされる可能性が高い(11)

。これだけ大柄の刺青を施すに

は数ヶ月を要するのが通例であるのに対して、ここで非現実的な手順

で清吉が刺青を完成させるのは、いうまでもなく女が新たな生命を吹

き込まれて〈再生〉する展開に劇的な彩りを与えるためである。

女に施された刺青の図柄である「巨大な女郎蜘蛛」にも当然明確な

象徴性が込められている。『古事記』『日本書紀』には神武天皇の軍

勢に「土蜘蛛」族が征伐される話が出てくるが、ここで「土蜘蛛」族

が大和朝廷の支配下に置かれることになる異民族の比喩であること

は、刺青が本来市民社会における他者性の刻印であったことと符合し、

蜘蛛の刺青を施された女がこれ以降ありふれた市民の地平では生きえ

ない外部性を否応なく備えてしまったことを示唆している。また江戸

時代前期の浅井了井による怪異小説集『伽婢子

おとぎぼうこ

』には、鏡に化けて商

人の男をたぶらかし、それを高価な鏡だと思いこんで手に入れようと

近づいた男を殺してしまう話が含まれている。この男をたぶらかして

取って食う巨大な蜘蛛のイメージは、『刺青』にも流入しているとい

えよう。また図柄に選ばれたジョロウグモは、雌が雄を補食すること

の多いクモ全般の習性を踏まえるとともに、「女郎」に込められた娼

婦的な牽引力を示唆しつつ、痛みから回復した女の「親方、私はもう

今迄のやうな臆病な心を、さらりと捨てゝしまひました。――お前さ

んは真先に私の肥料になつたんだねえ」という、男を〈養分〉として

自身の生の活力を高めていくという宣言を導き出しているだろう(1

2)

野口武彦はこうした女の創造に、谷崎文学の起点としての「悪」へ

の傾斜を見ている。先に言及した『刺青』論で、野口は清吉がその針

で女の身体に注ぎ込んだものが「「悪」の想念」にほかならず、「女

の肌に心血を注ぎ込んで完成した蜘蛛の刺青は、この主人公にとって

Page 11: On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Worksrepository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/92409/1/acs096013... · Tanizaki Junichiro tends to be regarded as an author who was strongly attracted

291 東京外国語大学論集第 96 号 (2018)TOKYO UNIVERSITY OF FOREIGN STUDIES, AREA AND CULTURE STUDIES 96(2018)

って特徴づけられている。

一方「女鳴神」はいうまでもなく歌舞伎十八番の『鳴神』の主人公

を女性に変えた翻案物で、数種類の脚本が存在する。原作では雨を降

らせる龍神を封じ込めて地上を渇水させた鳴神を、絶世の美女である

雲の絶間姫の誘惑によってその封印を解かせるという展開だが、江戸

後期の『恋衣縁初桜』では尼僧である女鳴神が花見で若い侍斯波采女

助を見初めるものの、彼は家宝の「七星の鏡」を失った咎で切腹させ

られ、後に霊として彼女と出会う。その鏡は鳴神尼の兄菊池次郎が滝

壺に隠していたのだったが、彼女が采女助のために兄を裏切って鏡を

取り出すと、雷鳴が轟き、地上に豪雨が降り注ぐのである。明治期の

作である福地桜痴の『増補女鳴神』(一八九一)では、織田信長の治

世への恨みから、龍神を封じ込めて地上に雨を降らさない鳴神尼を、

美男の雲の絶間助が誘惑して昵懇になり、秘剣の雷丸を奪い取って封

印の注連縄を切って雨をもたらすという展開になっている。いずれも

女鳴神は自身が美の力を振るうのではなく、逆に尼僧であるにもかか

わらず美男に魅せられるのである(10)

『刺青』の冒頭近くに記された「女定九郎、女自雷也、女鳴神、―

―当時の芝居でも草双紙でも、すべて美しい者は強者であり、醜い者

は弱者であつた」という一文は、初めに列挙された三者がいずれも〈美

の力〉を振るう強者としての女たちであるという含みをもっているは

ずだが、このように眺めると彼女たちはいずれもそれには該当せず、

主題的にはそれにもっとも近接しているといえる「女鳴神」において

も、美の主体である男たちにとくに強者的な輪郭が与えられているわ

けではない。むしろ女定九郎、女自雷也に共通する、盗賊という設定

の方が重みをもっているだろう。彼女たちは〈美しい者〉としての輪

郭が強調されているわけではないが、その行動は総体的に果断で潔く、

男性的な力強さを放っている。ここで見てきたように、谷崎の世界を

底流する生命の力への憧憬が彼女たちい託されているとも見られるの

である。『恋衣縁初桜』の鳴神尼も、滝壺に隠された秘鏡を「女の一

念」によってみずから「秘封の注連

縄打ち切つて」取り出す姿は力強

い印象を与えている。

すなわち「美しい者は強者であり、醜い者は弱者であつた」という

一文は、主述を入れ替えて〈強者は美しい者であり、弱者は醜い者で

あった〉と書き直すことができる趣きがあることが分かる。とくに「強

者」つまり強い生命力を備えた者が「美しい」という構図はこれ以降

の谷崎作品に繰り返し現れるものであり、少なくとも自然への連繋を

はらむ生命の力を欠いた者は真の美の体現者ではないという認識が谷

崎のなかにあることがうかがわれるのである。

自然としての悪

『刺青』ではこの一文につづけて、「誰も彼も挙こ

つて美しからむと

努めた揚句は、天稟の体へ絵の具を注ぎ込む迄になつた。芳烈な、或

は絢爛な、線と色とが其の頃の人々の肌に躍つた」という、刺青を彫

り込むことへの人びとの熱狂が語られている。けれども美の力をまと

うことと刺青を施すことの間に明確な因果性が存在するとはいいがた

い。もともと刺青は美を求める心性によっておこなわれたものではな

く、犯罪者への刑罰を別にすれば、古代からそれを彫り込むための痛

みに堪える通過儀礼的な意味合いが強かったが、2節で紹介したよう

にそれによって満たされる「男子のいさましさを示」すといった精神

力の誇示が、美麗な図柄をまとわせる心性を派生させていったと考え

られる。

すなわちここでも、叙述の表層とそこに込められた作者の真意との

間にはいささかのズレがあり、美と刺青との間には、痛みに耐えるこ

とを通過儀礼として刺青を施された女が、図柄が象徴する生命の力を

新たに付与されて再生することが〈美しい〉ということであったこと

が、終盤に至って遡及的に浮かび上がってくるのである。清吉が見出

した女は、「犠牲」になろうとしている男たちを冷然と眺める「暴君

紂王の寵妃、末喜を描いた絵」を見せられることで、「其の絵のやう

な性分」が自身のなかにあるにあることを示唆された後に、清吉に麻

酔をかがされて意識を失っている間に「巨大な女郎蜘蛛」の刺青を背

中に施される。これまでも指摘されているように、こうした刺青の彫

り方はきわめて非現実的で、もしこのやり方を取ろうとすれば相手の

女は死に至らされる可能性が高い(11)

。これだけ大柄の刺青を施すに

は数ヶ月を要するのが通例であるのに対して、ここで非現実的な手順

で清吉が刺青を完成させるのは、いうまでもなく女が新たな生命を吹

き込まれて〈再生〉する展開に劇的な彩りを与えるためである。

女に施された刺青の図柄である「巨大な女郎蜘蛛」にも当然明確な

象徴性が込められている。『古事記』『日本書紀』には神武天皇の軍

勢に「土蜘蛛」族が征伐される話が出てくるが、ここで「土蜘蛛」族

が大和朝廷の支配下に置かれることになる異民族の比喩であること

は、刺青が本来市民社会における他者性の刻印であったことと符合し、

蜘蛛の刺青を施された女がこれ以降ありふれた市民の地平では生きえ

ない外部性を否応なく備えてしまったことを示唆している。また江戸

時代前期の浅井了井による怪異小説集『伽婢子

おとぎぼうこ

』には、鏡に化けて商

人の男をたぶらかし、それを高価な鏡だと思いこんで手に入れようと

近づいた男を殺してしまう話が含まれている。この男をたぶらかして

取って食う巨大な蜘蛛のイメージは、『刺青』にも流入しているとい

えよう。また図柄に選ばれたジョロウグモは、雌が雄を補食すること

の多いクモ全般の習性を踏まえるとともに、「女郎」に込められた娼

婦的な牽引力を示唆しつつ、痛みから回復した女の「親方、私はもう

今迄のやうな臆病な心を、さらりと捨てゝしまひました。――お前さ

んは真先に私の肥料になつたんだねえ」という、男を〈養分〉として

自身の生の活力を高めていくという宣言を導き出しているだろう(1

2)

野口武彦はこうした女の創造に、谷崎文学の起点としての「悪」へ

の傾斜を見ている。先に言及した『刺青』論で、野口は清吉がその針

で女の身体に注ぎ込んだものが「「悪」の想念」にほかならず、「女

の肌に心血を注ぎ込んで完成した蜘蛛の刺青は、この主人公にとって

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生命としての美――谷崎潤一郎初期作品をめぐって:柴田 勝二Beauty as Life――On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Works : SHIBATA Shoji

292

文芸がそれに相当することになる。

『偐紫田舎源氏』は『源氏物語』を脚色しつつ舞台を室町時代に移

し、足利義政の妾腹の子として設定される光氏の女性遍歴を表層的な

枠組みとしながら、むしろ本筋は彼が計略を駆使して山名宗全の勢力

を制し、将軍の後見役となって栄えるという政治的な趣向を主として

おり、それゆえ幕府の取締まりの対象にされた。ここでは決して美が

強者的な力を振るうという構図が描かれるわけではなく、広く元禄時

代から江戸後期にかけての主要な文芸・演劇作品を眺めても、そうし

た論理に貫かれたものは見当たらない。江戸後期の『春色梅児誉美』

に描かれる、零落した「色男」である主人公丹次郎をめぐって数名の

女たちが張り合う構図は、ある意味では〈美の力〉を示唆しているも

のの、丹次郎が置かれた現実的な条件はむしろその無力を語っている

とも見られるのである。

また『刺青』の冒頭に列挙されている「女定九郎、女自雷也、女鳴

神」の三者も、「美しい者は強者であり、醜い者は弱者であつた」事

例として妥当であるかどうか疑わしい。「女定九郎」は河竹黙阿弥が

慶応元年(一八六五)に『忠臣蔵後日建前』という表題で書き下ろし

た狂言で、表題に示されているように『仮名手本忠臣蔵』を下敷きと

して、その五段目、六段目を翻案したものである。『忠臣蔵』では浅

野内匠頭をモデルとする塩治判官の奥方に仕える腰元のお軽の父親与

市平衛を、彼女の夫である早野勘平が誤って撃ち殺したと思い込んで

自害しようとしたところ、与市平衛を殺害したのは盗賊の定九郎であ

ることが分かるものの、時すでに遅く勘平は絶命に至るという内容が

この部分で展開されていく。『忠臣蔵後日建前』は二人の死後を時間

的設定として、原作にはない「まむしのお市」という毒婦的な役柄を

定九郎の女房として登場させ、彼女が与市平衛の家に乗り込んで妻の

かやから五十両をゆすり取ろうとする。しかし最後に自分がお軽の腹

違いの姉であり、また自分の夫が彼女の父である与市平衛を殺したと

いう事実を認識すると、お市は鉄砲で自分の腹を撃って自害する。「女

定九郎」とはお市を指すが、彼女は明らかに「美しい者」というより

も、毒婦的な設定に示されるようにしたたかで潔い性格によって彩ら

れた人物である。

「自雷也」(「自来也」「児雷也」とも表記)は江戸後期の読本や

歌舞伎に登場する架空の忍者で、現在に至るまで多くのキャラクター

を派生させているが、「女自雷也」はそれを翻案したものである。東

里山人の『聞道女自来也』では鎌倉時代を舞台として、貧困と病に苦

しむ父を助けるために女郎になろうとする娘の若草を、女盗賊の自来

也が遊郭に売られる前に高額の値で買い取り、自分の元に置く。しか

しそれは平清盛の寵愛を受けた白拍子の仏御前の娘である彼女が、源

頼朝を打倒すべく若い娘を生け贄にするためで、やはり平家の侍であ

った若草の父は、娘の死に衝撃を受けながら自来也に協力しようとす

る。しかし結局自来也も若草の父も、頼朝の家臣に討ち取られてしま

うのである。展開はいささか唐突で不自然な印象を残すが、ここでも

「女自来也」は盗賊であり、美よりも意志の強さや行動の果断さによ

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293 東京外国語大学論集第 96 号 (2018)TOKYO UNIVERSITY OF FOREIGN STUDIES, AREA AND CULTURE STUDIES 96(2018)

に支えられている彼女の肢体に対して、「それやちやうど、何物かに

脅かされて将に飛ばうとして居る小鳥が、翼をひし、、と引き締めて、腹

一杯に息を膨らました刹那の感じに似て居ました。さうして、其の足

は甲を弓なりにぴんと衝立ゝて居るのですから、裏側の柔かい肉の畳

まつた有様までが、剰あ

す所なく看取されました。裏から見ると、ちゞ

こまつて居る五本の趾ゆ

の頭が、貝の柱を並べたやうに粒を揃へて居る

のでした」と、「小鳥」や「貝の柱」といった自然物の比喩を用いて

描写されている。

「美しい者」の内実

『富美子の足』における富美子の足とそれを含む身体の描写は、女

性の美への執着が喧伝されてきた谷崎の傾斜の基底にあるものをよく

示唆している。谷崎の人物たちが求めるものは一見瑕疵のない女性の

容貌や肢体であるように見えながら、実は彼女たちが内在させた生命

の力であり、富美子の身体の描写や、後の『痴人の愛』のナオミの位

置づけに見られるようにそれは自然や野生のイメージに連繋していく

ものであった。『刺青』ではそうしたイメージは強調されていないも

のの、2節で引用した「絵の島の海辺で獲れるうすべに色の貝にも劣

らぬ爪の色合ひ」や「清冽な岩間の水が絶えず足下を洗ふかと疑はれ

る皮膚の潤沢」のように自然物の比喩がやはり用いられており、清吉

の真の希求の在り処を示唆している。

もちろん刺青を身体に施すことは人間の自然に対する毀損であると

いうこともできる。けれども谷崎にとって、人間が内在させた自然の

生命はそれ自体として顕在化しているというよりも、何かを契機とし

て引き出されてくるものであり、刺青はそれ自体としては自然に逆行

する人為的な営為である一方で、先にも触れたように描かれた図柄に

込められていた生命の力を分有させることが目指されている点では、

自然への志向と軌を一にしている。そして自然の生命と連携しない表

層的な美は、決してこの作家の世界においては重きを置かれないので

ある。

確かに『刺青』の冒頭部分では「女定九郎、女自雷也、女鳴神、―

―当時の芝居でも草双紙でも、すべて美しい者は強者であり、醜い者

は弱者であつた」と記されている。ここで「当時」として想定される

時代が具体的にいつであるのかについては、清吉が比されている名人

の刺青師として挙げられている「浅草のちやり

、、、文、松島町の奴平、こ、

んこん

、、、次郎」といった人びとが引用されている『日本社会事彙』に、

彼らを紹介する「天保、嘉永の頃は刺青大に行はれ、刺青を専業とし

て華やかに活計を営みし者あり」という記載があることに従えば、天

保、嘉永年間すなわち江戸末期に当たる一九世紀前半から半ばにかけ

てが作品の舞台として想定されていることが分かる。一方草双紙はジ

ャンル的には江戸時代前期に始まる赤本以降の黒本、青本、黄表紙、

合巻などの絵入りの娯楽本全般を指しているが、男女の仲を描く人情

的な内容をもつものとしては、『富美子の足』の富美子が模する女を

登場させている柳亭種彦の『偐紫田舎源氏』を含む、江戸中期以降の

文芸がそれに相当することになる。

『偐紫田舎源氏』は『源氏物語』を脚色しつつ舞台を室町時代に移

し、足利義政の妾腹の子として設定される光氏の女性遍歴を表層的な

枠組みとしながら、むしろ本筋は彼が計略を駆使して山名宗全の勢力

を制し、将軍の後見役となって栄えるという政治的な趣向を主として

おり、それゆえ幕府の取締まりの対象にされた。ここでは決して美が

強者的な力を振るうという構図が描かれるわけではなく、広く元禄時

代から江戸後期にかけての主要な文芸・演劇作品を眺めても、そうし

た論理に貫かれたものは見当たらない。江戸後期の『春色梅児誉美』

に描かれる、零落した「色男」である主人公丹次郎をめぐって数名の

女たちが張り合う構図は、ある意味では〈美の力〉を示唆しているも

のの、丹次郎が置かれた現実的な条件はむしろその無力を語っている

とも見られるのである。

また『刺青』の冒頭に列挙されている「女定九郎、女自雷也、女鳴

神」の三者も、「美しい者は強者であり、醜い者は弱者であつた」事

例として妥当であるかどうか疑わしい。「女定九郎」は河竹黙阿弥が

慶応元年(一八六五)に『忠臣蔵後日建前』という表題で書き下ろし

た狂言で、表題に示されているように『仮名手本忠臣蔵』を下敷きと

して、その五段目、六段目を翻案したものである。『忠臣蔵』では浅

野内匠頭をモデルとする塩治判官の奥方に仕える腰元のお軽の父親与

市平衛を、彼女の夫である早野勘平が誤って撃ち殺したと思い込んで

自害しようとしたところ、与市平衛を殺害したのは盗賊の定九郎であ

ることが分かるものの、時すでに遅く勘平は絶命に至るという内容が

この部分で展開されていく。『忠臣蔵後日建前』は二人の死後を時間

的設定として、原作にはない「まむしのお市」という毒婦的な役柄を

定九郎の女房として登場させ、彼女が与市平衛の家に乗り込んで妻の

かやから五十両をゆすり取ろうとする。しかし最後に自分がお軽の腹

違いの姉であり、また自分の夫が彼女の父である与市平衛を殺したと

いう事実を認識すると、お市は鉄砲で自分の腹を撃って自害する。「女

定九郎」とはお市を指すが、彼女は明らかに「美しい者」というより

も、毒婦的な設定に示されるようにしたたかで潔い性格によって彩ら

れた人物である。

「自雷也」(「自来也」「児雷也」とも表記)は江戸後期の読本や

歌舞伎に登場する架空の忍者で、現在に至るまで多くのキャラクター

を派生させているが、「女自雷也」はそれを翻案したものである。東

里山人の『聞道女自来也』では鎌倉時代を舞台として、貧困と病に苦

しむ父を助けるために女郎になろうとする娘の若草を、女盗賊の自来

也が遊郭に売られる前に高額の値で買い取り、自分の元に置く。しか

しそれは平清盛の寵愛を受けた白拍子の仏御前の娘である彼女が、源

頼朝を打倒すべく若い娘を生け贄にするためで、やはり平家の侍であ

った若草の父は、娘の死に衝撃を受けながら自来也に協力しようとす

る。しかし結局自来也も若草の父も、頼朝の家臣に討ち取られてしま

うのである。展開はいささか唐突で不自然な印象を残すが、ここでも

「女自来也」は盗賊であり、美よりも意志の強さや行動の果断さによ

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生命としての美――谷崎潤一郎初期作品をめぐって:柴田 勝二Beauty as Life――On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Works : SHIBATA Shoji

294

える『瘋癲老人日記』の語り手が不能の老人であるように、フェティ

シストとは本来性的な欲求を持ちながらも、その活力の希薄さを意識

することから、自身の去勢の事態に直面することを回避するべく、女

性性器の近傍に欲求を収斂させる人間のことであるといえよう。

もちろん壮年の刺青師である清吉が自身の性的膂力の低下を意識し

ていたとは見なしがたい。けれども清吉は男女の肌を相手にする普段

の営為において、とくに女性の裸体を前にした場合であっても当然性

的欲求を封じていたはずであり、その姿勢は去勢の比喩をなしている

と見なされる。またこれまで眺めてきたように、谷崎文学を貫流する

生命への志向が、相対的にそれを憧憬する主体の活力を希薄化してい

るという面がある。これはそれ以降の作品においても『痴人の愛』に

おける譲治―ナオミの関係に顕著に現れ、『瘋癲老人日記』では死期

を予感する老人と女盛りの息子の嫁という構図で極限化されている。

その際看過しえないのは、フロイトの理論が決してフェティシズム

を括り取る包括性をもっているわけではないということだ。男性性器

をめぐる理論にほかならないフロイトの言説は、男性性を欠如させた

存在として女性を想定し、自律的な主体としては見なさない傾向が強

い。『フェティシズム』の論考においても、女性は基本的に〈非男性〉

の対象としてしか眺められていない。けれどもフェティシズム論の系

譜を眺めれば、こうした把握は決して支配的な位置を占めているわけ

ではないことが分かる。フェティシズムという語を最初に用いたのは

一八世紀フランスの啓蒙思想家のシャルル・ド・ブロスであるとされ

るが、その著書『フェティッシュ諸神の崇拝』ではアフリカの原住民

の間で存続する「「フェティッシュ」と称される物質的な地上の特定

の対象への崇拝」(杉本隆司訳、以下同じ)を「フェティシズム」と

称すると定義され、エジプトやアフリカ、オリエントなどにおける「野

生民族」が動物や事物を、人びとの生活や運命を左右する超越的な力

をはらむ〈神―フェティッシュ〉として崇拝する事例が列挙されてい

る。たとえばエジプトのある地方では鰐が神として信仰され、古代シ

リア人は魚や鳩を崇拝し、祟りを怖れて魚を食べなかったという。も

ちろん対象が無機物の場合もあり、古代ヘブライ人は枕として使われ

る石を神聖視し、香油を注いで磨きをかけていた(8)

こうした、動物や事物にはらまれているとされる霊的な力には、後

に「マナ」という言葉が充てられて人類学の概念として周知されるよ

うになるが、もともとフェティシズムは人類学的な知見としての側面

が強く、一九世紀後半の著作である「人類学と宗教史への一貢献」と

いう副題のついたフリッツ・シュルツェの『フェティシズム』でも、

当時流行していたスペンサー的な「社会進化論」を反映するように、

キリスト教を知らないアフリカや南太平洋の「野蛮人」が動植物や事

物を神として扱い、それをタブー化することで彼らの生活に支配的な

力を振るう様相が多く記述されている。ここではこうした「野蛮人」

的な信仰が文明化された欧米社会にも遍在することも指摘されてお

り、ヤーコブ・グリムの『神話学』に紹介されている、乗馬靴の片割

れでも見つけると幸運が訪れるとか、クリスマスに生卵を食べると重

い荷物を担ぐことができるといった迷信などもフェティシズムの事例

として言及されている(9)

フロイトのフェティシズム論からはこうした「マナ」的な力が捨象

されているために、フェティッシュの「物神」としての本来的な性格

が見えにくくなっている。フェティシズムがもともと地上世界に遍在

する霊的な生命力に対する崇拝と畏れの混淆した心性であるならば、

谷崎の作品世界にフェティシスト的な人物が姿を現すことは不自然で

はないといえるだろう。これまで眺めてきたように、谷崎のなかにあ

る強い生命志向は、とくに初期作品においては生命力の希薄な人物の

傍らに自然や野生との文脈を持つ女性を配する構図によって、その傾

斜を強く浮かび上がらせることが一再ではないからだ。繰り返される

「足」への執着にしても、その基底にあるものは明らかにフロイト的

な去勢否認ではなく、生命の源泉としての〈大地〉と連続する身体の

部位であることからくる足のフェティッシュ性であり、そこに仮託さ

れる生命力を分有しようとする希求にほかならない。

谷崎にとって足が何よりも人間の生命力が発現する部位にほかなら

ないことは、やや後に書かれた『富美子の足』では一層明瞭に示され

ている。ここで美術学校の学生である語り手の「僕」は、塚越という

隠居の老人に頼まれて、彼の妾である富美子という若い女の絵を描く

ことになるが、塚越は富美子のポーズに細かい注文をつけ、江戸時代

の草双紙に描かれる女と同じ姿を取らせようとする。それは「上半身

をぐつと左の方へ傾か

げ、殆んど倒れかゝりさうに斜めになつた胴体を

か細い

、、、一本の腕にさゝへて、縁側から垂れた左の足の爪先で微かに地

面を踏みながら、右の脚をくの字

、、、に折り曲げつゝ右の手で其の足の裏

を拭いて居る姿勢」(傍点原文)という、現実に取ることの難しいも

のであった。「僕」がその絵に見て取ったものは、女の身体にはらま

れた「鞭のやうな弾力性」であり、それを美しい表象として提示する

ためには「女の手足の一本一本の指の先に至る筋肉にまでも、十分な

生命が籠つて居るやうに描写しなければなりません」という印象を覚

えている。

そして富美子はこの困難なポーズを難なくこなし、その瞬間に彼女

は絵のなかの女と同一化してしまう。おそらく塚越は「僕」が絵の女

から感じ取ったのと同じ「鞭のやうな弾力性」をつとに富美子の身体

に見出していたのであり、このポーズが彼女にとって決して困難では

ないことを知っていたに違いない。後の『瘋癲老人日記』の「私」の

前身にほかならない塚越は、「私」と同様に彼女の足に執着し、それ

に踏まれることを希求するようになる。彼は自身の生命力の低下に対

比させつつ、富美子におけるその充溢をつねづね実感していたはずで、

その眼差しを模倣する形で「僕」も彼女の生命力を自身の画布に写し

取ろうとするのである。

また彼女の身体の示す張りや弾性が、自然の生命と連続するものと

して語られることは見逃せない。塚越の眼差しを内在化させたかのよ

うに富美子の足に惹かれる「僕」が印象づけられるのは、ポーズを取

る彼女が「趾ゆ

の角でぎゆつと土を踏みしめて居る」ことで、その左足

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295 東京外国語大学論集第 96 号 (2018)TOKYO UNIVERSITY OF FOREIGN STUDIES, AREA AND CULTURE STUDIES 96(2018)

える『瘋癲老人日記』の語り手が不能の老人であるように、フェティ

シストとは本来性的な欲求を持ちながらも、その活力の希薄さを意識

することから、自身の去勢の事態に直面することを回避するべく、女

性性器の近傍に欲求を収斂させる人間のことであるといえよう。

もちろん壮年の刺青師である清吉が自身の性的膂力の低下を意識し

ていたとは見なしがたい。けれども清吉は男女の肌を相手にする普段

の営為において、とくに女性の裸体を前にした場合であっても当然性

的欲求を封じていたはずであり、その姿勢は去勢の比喩をなしている

と見なされる。またこれまで眺めてきたように、谷崎文学を貫流する

生命への志向が、相対的にそれを憧憬する主体の活力を希薄化してい

るという面がある。これはそれ以降の作品においても『痴人の愛』に

おける譲治―ナオミの関係に顕著に現れ、『瘋癲老人日記』では死期

を予感する老人と女盛りの息子の嫁という構図で極限化されている。

その際看過しえないのは、フロイトの理論が決してフェティシズム

を括り取る包括性をもっているわけではないということだ。男性性器

をめぐる理論にほかならないフロイトの言説は、男性性を欠如させた

存在として女性を想定し、自律的な主体としては見なさない傾向が強

い。『フェティシズム』の論考においても、女性は基本的に〈非男性〉

の対象としてしか眺められていない。けれどもフェティシズム論の系

譜を眺めれば、こうした把握は決して支配的な位置を占めているわけ

ではないことが分かる。フェティシズムという語を最初に用いたのは

一八世紀フランスの啓蒙思想家のシャルル・ド・ブロスであるとされ

るが、その著書『フェティッシュ諸神の崇拝』ではアフリカの原住民

の間で存続する「「フェティッシュ」と称される物質的な地上の特定

の対象への崇拝」(杉本隆司訳、以下同じ)を「フェティシズム」と

称すると定義され、エジプトやアフリカ、オリエントなどにおける「野

生民族」が動物や事物を、人びとの生活や運命を左右する超越的な力

をはらむ〈神―フェティッシュ〉として崇拝する事例が列挙されてい

る。たとえばエジプトのある地方では鰐が神として信仰され、古代シ

リア人は魚や鳩を崇拝し、祟りを怖れて魚を食べなかったという。も

ちろん対象が無機物の場合もあり、古代ヘブライ人は枕として使われ

る石を神聖視し、香油を注いで磨きをかけていた(8)

こうした、動物や事物にはらまれているとされる霊的な力には、後

に「マナ」という言葉が充てられて人類学の概念として周知されるよ

うになるが、もともとフェティシズムは人類学的な知見としての側面

が強く、一九世紀後半の著作である「人類学と宗教史への一貢献」と

いう副題のついたフリッツ・シュルツェの『フェティシズム』でも、

当時流行していたスペンサー的な「社会進化論」を反映するように、

キリスト教を知らないアフリカや南太平洋の「野蛮人」が動植物や事

物を神として扱い、それをタブー化することで彼らの生活に支配的な

力を振るう様相が多く記述されている。ここではこうした「野蛮人」

的な信仰が文明化された欧米社会にも遍在することも指摘されてお

り、ヤーコブ・グリムの『神話学』に紹介されている、乗馬靴の片割

れでも見つけると幸運が訪れるとか、クリスマスに生卵を食べると重

い荷物を担ぐことができるといった迷信などもフェティシズムの事例

として言及されている(9)

フロイトのフェティシズム論からはこうした「マナ」的な力が捨象

されているために、フェティッシュの「物神」としての本来的な性格

が見えにくくなっている。フェティシズムがもともと地上世界に遍在

する霊的な生命力に対する崇拝と畏れの混淆した心性であるならば、

谷崎の作品世界にフェティシスト的な人物が姿を現すことは不自然で

はないといえるだろう。これまで眺めてきたように、谷崎のなかにあ

る強い生命志向は、とくに初期作品においては生命力の希薄な人物の

傍らに自然や野生との文脈を持つ女性を配する構図によって、その傾

斜を強く浮かび上がらせることが一再ではないからだ。繰り返される

「足」への執着にしても、その基底にあるものは明らかにフロイト的

な去勢否認ではなく、生命の源泉としての〈大地〉と連続する身体の

部位であることからくる足のフェティッシュ性であり、そこに仮託さ

れる生命力を分有しようとする希求にほかならない。

谷崎にとって足が何よりも人間の生命力が発現する部位にほかなら

ないことは、やや後に書かれた『富美子の足』では一層明瞭に示され

ている。ここで美術学校の学生である語り手の「僕」は、塚越という

隠居の老人に頼まれて、彼の妾である富美子という若い女の絵を描く

ことになるが、塚越は富美子のポーズに細かい注文をつけ、江戸時代

の草双紙に描かれる女と同じ姿を取らせようとする。それは「上半身

をぐつと左の方へ傾か

げ、殆んど倒れかゝりさうに斜めになつた胴体を

か細い

、、、一本の腕にさゝへて、縁側から垂れた左の足の爪先で微かに地

面を踏みながら、右の脚をくの字

、、、に折り曲げつゝ右の手で其の足の裏

を拭いて居る姿勢」(傍点原文)という、現実に取ることの難しいも

のであった。「僕」がその絵に見て取ったものは、女の身体にはらま

れた「鞭のやうな弾力性」であり、それを美しい表象として提示する

ためには「女の手足の一本一本の指の先に至る筋肉にまでも、十分な

生命が籠つて居るやうに描写しなければなりません」という印象を覚

えている。

そして富美子はこの困難なポーズを難なくこなし、その瞬間に彼女

は絵のなかの女と同一化してしまう。おそらく塚越は「僕」が絵の女

から感じ取ったのと同じ「鞭のやうな弾力性」をつとに富美子の身体

に見出していたのであり、このポーズが彼女にとって決して困難では

ないことを知っていたに違いない。後の『瘋癲老人日記』の「私」の

前身にほかならない塚越は、「私」と同様に彼女の足に執着し、それ

に踏まれることを希求するようになる。彼は自身の生命力の低下に対

比させつつ、富美子におけるその充溢をつねづね実感していたはずで、

その眼差しを模倣する形で「僕」も彼女の生命力を自身の画布に写し

取ろうとするのである。

また彼女の身体の示す張りや弾性が、自然の生命と連続するものと

して語られることは見逃せない。塚越の眼差しを内在化させたかのよ

うに富美子の足に惹かれる「僕」が印象づけられるのは、ポーズを取

る彼女が「趾ゆ

の角でぎゆつと土を踏みしめて居る」ことで、その左足

Page 16: On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Worksrepository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/92409/1/acs096013... · Tanizaki Junichiro tends to be regarded as an author who was strongly attracted

生命としての美――谷崎潤一郎初期作品をめぐって:柴田 勝二Beauty as Life――On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Works : SHIBATA Shoji

296

り、前者を隠れ蓑として後者に比重がかけられていることも珍しくな

い。初期の代表作である『痴人の愛』(『大阪朝日新聞』一九二四・

三~六、『女性』一九二四・一一~二五・七)もその典型的な例で、

語り手の譲治がその不品行にしばしば愛想をつかしながらも、ナオミ

という奔放な女性から離れることができないのは、女優の春野綺羅子

との対比のなかで「同じ花でもナオミは野に咲き、綺羅子は室に咲い

たものです」(十)と形容される彼女が内在させた、自然の不羈の生

命力に対する憧憬ゆえであるともいえるのである。また冒頭で言及し

たように、とくに出発時の作品において新たな生命や生存の様態の誕

生が主題とされることが多いのも、こうした傾斜の端的な現れであっ

た(6)

女性の肉体に具現される美への執着を語った谷崎の作品が深い興趣

を帯びるのは、こうした二重性が構造にはらまれている時である。そ

れは作品の奥行きを深めるとともに、そこに描かれる人間の内面の複

雑さを示唆することになるからだ。『刺青』にしても、「美女」の肌

に執着する主人公の清吉が、実際には彼女の足に惹き付けられている

のは矛盾した設定にも見えながら、むしろそこにこの作品の個性が見

出される。女性の足に対する偏愛的な執着は、いうまでもなくこの作

品をはじめとして『富美子の足』(『雄弁』一九一九・六~七)、『瘋

癲老人日記』(『中央公論』一九六一・一一~六二・五)など、晩期

に至るまで谷崎の作品世界にたびたび姿を現す主題で、いわゆるフッ

ト・フェティシズムの具体例をなしているようにも捉えられる。

フット・フェティシズムに関するフロイトの周知の理論によれば、

少年が女性にペニスがない、すなわち去勢されているという事実を認

めたくないがために、女性の性器から連続する部位である足や、ある

いはそれを覆う道具である靴に執着するのだとされる。また女性の下

着に執着する男性の例では、下着は「まだ女性にペニスがあると信じ

られていた最後の瞬間を固定する」(『フェティシズム』中山元訳、

以下同じ)物として機能するのだという(7)

フロイトの理論においては、女性の足や靴、あるいは下着に対する

偏愛は、いずれも女性が去勢された存在である事実を否認しようとす

る心性が取った形であるとされる。それはいいかえればペニスに象徴

される男性性の不在からの回避だが、そこで前提される女性にペニス

があってほしいという願望が、男性の普遍的な心性として想定される

ほど一般性をもつとは思いがたい。足に向かう「少年の好奇心」が「下

から、つまり足の方から女性器の方を窺う」のは事実であるとしても、

重要なのはその「好奇心」が性器自体に向かわず、むしろその手前で

止まろうとすることで、下着へのフェティシズムの場合でも、男性は

性器を想起させる事物に執着しながら、同時にその執着によって性器

自体に対して距離を取っているのだと考えることができる。すなわち、

フェティシズムの主体としての男性が否認ないし回避している去勢の

主体は、女性ではなく逆に男性である自分自身である可能性が高い。

常識的にいっても、精力溢れる男性が女性の足や靴や下着に偏執的に

愛着するという構図は描きにくいが、息子の嫁の足に執拗な愛着を覚

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297 東京外国語大学論集第 96 号 (2018)TOKYO UNIVERSITY OF FOREIGN STUDIES, AREA AND CULTURE STUDIES 96(2018)

であり、それによって刺青の図柄とそれを彫り込まれた人間の身体が

互いを際立たせ合って、新しい生命体が誕生することになる。

もっともそうした理想が清吉の普段の仕事において実現されていた

わけではなく、だからこそ彼は「光輝ある美女の肌を得て、それへ己

れの魂を彫り込む事」を「年来の宿願」としつづけているのだった。

こうした主人公の志向が、谷崎が出発時においてすでに「唯美派」と

見なされる所以となった一方で、清吉が「光輝ある美女」を翹望しな

がらも、「啻に美しい顔、美しい肌とのみでは、彼は中々満足する事

が出来なかった。江戸中の色町に名を響かせた女と云ふ女を調べても、

彼の気分に適つた味はひと調子とは容易に見つからなかつた」と述べ

られるように、実際に彼が求めているのは「味はひと調子」という感

覚的な要件なのである。彼が理想の刺青を施すべき相手を見出すのが、

その美貌ではなく「真つ白な女の素足」との出会いを契機としている

のもそれを前提としている。

清吉は深川の料理屋の前を通りかかった時に、その「門口に待つて

ゐる駕籠の簾のかげから、真つ白な女の素足がこぼれてゐる」のに気

づき、それに強く惹き付けられる。彼の眼を釘付けにしたその足は、

つづいて次のように描写されている。

鋭い彼の眼には、人間の足はその顔と同じやうに複雑な表情を持

つて映つた。その女の足は、彼に取つては貴き肉の宝玉であつた。

拇指

おやゆび

から起つて小指に終る繊細な五本の指の整ひ方、絵の島の海辺

で獲れるうすべに色の貝にも劣らぬ爪の色合ひ、珠のやうな

踵きびす

まる味、清冽な岩間の水が絶えず足下を洗ふかと疑はれる皮膚の潤

沢。この足こそは、やがて男の生血に肥え太り、男のむくろを蹈み

つける足であつた。この足を持つ女こそは、彼が永年たずねあぐん

だ、女の中の女であらうと思はれた。

美しい足が美貌を保証するのではない以上、その持ち主が「光輝あ

る美女」であるかどうかは単なる蓋然性にとどまるはずだが、清吉に

とっては両者は有機的な連関をなし、むしろ「貴き肉の宝玉」として

の精彩を備えていない足の女は、どれほど美貌の持ち主であっても清

吉の翹望を叶えることができないかのようなのである。これは彼が本

当に希求していたものが、美しい容貌ではなくその「光輝」を際立た

せるような、みずみずしい生命感を湛えた「足」に仮託される肉体の

力であったことを示唆している。そしてそれは「絵の島の海辺で獲れ

るうすべに色の貝にも劣らぬ爪の色合ひ」や「清冽な岩間の水が絶え

ず足下を洗ふかと疑はれる皮膚の潤沢」といった表現に見られるよう

に、自然の生命と連続し、その比喩によって彩られるものなのである。

フェティッシュとしての足

出発時から唯美派ないし耽美派として括られがちであった谷崎の作

品世界を貫流するのは、こうした生命への志向にほかならない。多く

女性の美への憧憬として表出される傾斜はこの志向と背中合わせであ

り、前者を隠れ蓑として後者に比重がかけられていることも珍しくな

い。初期の代表作である『痴人の愛』(『大阪朝日新聞』一九二四・

三~六、『女性』一九二四・一一~二五・七)もその典型的な例で、

語り手の譲治がその不品行にしばしば愛想をつかしながらも、ナオミ

という奔放な女性から離れることができないのは、女優の春野綺羅子

との対比のなかで「同じ花でもナオミは野に咲き、綺羅子は室に咲い

たものです」(十)と形容される彼女が内在させた、自然の不羈の生

命力に対する憧憬ゆえであるともいえるのである。また冒頭で言及し

たように、とくに出発時の作品において新たな生命や生存の様態の誕

生が主題とされることが多いのも、こうした傾斜の端的な現れであっ

た(6)

女性の肉体に具現される美への執着を語った谷崎の作品が深い興趣

を帯びるのは、こうした二重性が構造にはらまれている時である。そ

れは作品の奥行きを深めるとともに、そこに描かれる人間の内面の複

雑さを示唆することになるからだ。『刺青』にしても、「美女」の肌

に執着する主人公の清吉が、実際には彼女の足に惹き付けられている

のは矛盾した設定にも見えながら、むしろそこにこの作品の個性が見

出される。女性の足に対する偏愛的な執着は、いうまでもなくこの作

品をはじめとして『富美子の足』(『雄弁』一九一九・六~七)、『瘋

癲老人日記』(『中央公論』一九六一・一一~六二・五)など、晩期

に至るまで谷崎の作品世界にたびたび姿を現す主題で、いわゆるフッ

ト・フェティシズムの具体例をなしているようにも捉えられる。

フット・フェティシズムに関するフロイトの周知の理論によれば、

少年が女性にペニスがない、すなわち去勢されているという事実を認

めたくないがために、女性の性器から連続する部位である足や、ある

いはそれを覆う道具である靴に執着するのだとされる。また女性の下

着に執着する男性の例では、下着は「まだ女性にペニスがあると信じ

られていた最後の瞬間を固定する」(『フェティシズム』中山元訳、

以下同じ)物として機能するのだという(7)

フロイトの理論においては、女性の足や靴、あるいは下着に対する

偏愛は、いずれも女性が去勢された存在である事実を否認しようとす

る心性が取った形であるとされる。それはいいかえればペニスに象徴

される男性性の不在からの回避だが、そこで前提される女性にペニス

があってほしいという願望が、男性の普遍的な心性として想定される

ほど一般性をもつとは思いがたい。足に向かう「少年の好奇心」が「下

から、つまり足の方から女性器の方を窺う」のは事実であるとしても、

重要なのはその「好奇心」が性器自体に向かわず、むしろその手前で

止まろうとすることで、下着へのフェティシズムの場合でも、男性は

性器を想起させる事物に執着しながら、同時にその執着によって性器

自体に対して距離を取っているのだと考えることができる。すなわち、

フェティシズムの主体としての男性が否認ないし回避している去勢の

主体は、女性ではなく逆に男性である自分自身である可能性が高い。

常識的にいっても、精力溢れる男性が女性の足や靴や下着に偏執的に

愛着するという構図は描きにくいが、息子の嫁の足に執拗な愛着を覚

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生命としての美――谷崎潤一郎初期作品をめぐって:柴田 勝二Beauty as Life――On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Works : SHIBATA Shoji

298

常的ではなかった。江戸時代の百科事典ともいうべき『嬉遊笑覧』に

も、文身すなわち刺青について「天正・文禄〔=一六世紀末〕のころ、

異様の出立する悪徒多かりしかど、文身のさた聞えず、其後種々の侠

客ありしも、猶そのこと見えざれば、もはら行はれしはいと近きことゝ

みゆ」(4)

と記されている。一七世紀前半以降は刺青は一般社会にも

普及し、図柄や色彩に趣向が凝らされて芸術化していくことになる。

西鶴や近松の作品などにしばしば現れる、遊女と客、あるいは恋人同

士の間で互いの名を刻む挿話は、刺青が容易に消去できず、またそれ

を実現するために互いが苦痛をくぐり抜けることによって、自己と相

手との絆を宿命化しようとする行為でもあった。

この二つの性質は刺青の基底をなすとともに、谷崎が参照した『日

本社会事彙』(経済雑誌社、一九〇一)(5)

に、「凡刺青をなすものゝ

意趣は、大抵男子のいさましさを示し、親方、親分、棟梁、かしらな

どと呼ばるゝを欲するなり。又よく疼痛をこらへて美麗なる刺青をな

せるを示し、人のこれを見て嘆賞せんを欲するなり」という記載があ

るように、皮膚を突く針の痛みをこらえきる「いさましさ」という精

神の張りを、それに見合う図柄によって象徴化する側面が比重を増し

ていった。とりわけ江戸後期には、当時人気を博していた『水滸伝』

や『南総里見八犬伝』に登場する豪傑、英雄たちを彫り込むことが流

行した。今の引用には含まれていないが、任侠者だけでなく大工や鳶、

車引きなど肌を晒すことの多い職業の人間の間でも、刺青を施すこと

が日常化し、図柄の華麗さが競われていた。

刺青師としての清吉の特徴は、こうした豪傑、英雄に憧れる客の要

望に従って図柄を描くのではなく、刺青を彫る行為においてつねに主

導権を握っていることで、客は長時間彼の針の下で苦痛に晒されたあ

げく、自身ではなく清吉が思い描いた図柄が実現されることになる。

その点で清吉は刺青師という職人でありながら芸術家的な性格が強

く、「奇警な構図と妖艶な線とで名を知られた」と紹介される彼の流

儀について、次のように語られている。

もと豊国国貞の風を慕つて、浮世絵師の渡世をして居たゞけに、

刺青師に堕落してからの清吉にもさすがに画工

らしい良心と、鋭感

が残つて居た。彼の心を惹きつける程の皮膚と骨組みとを持つ人で

なければ、彼の刺青を

購あがな

ふ訳には行かなかつた。たま

く描いて

貰へるとしても、一切の構図と費用とを彼の望むまゝにして、其の

上堪へ難い針先の苦痛を、一と月も二た月もこらへねばならなかつ

た。

もともと浮世絵師であったことにもよるこうした芸術家気質は、彼

が神のごとき〈創造者〉として客の身体に新しい生命を吹き込む営為

の前提となっている。「彼の心を惹きつける程の皮膚と骨組みとを持

つ人でなければ」という条件は、単に客の身体が刺青を彫り込む素材

であるにとどまらず、そこに描かれた図柄と一体化してその豊麗さを

立ち上げさせるだけの生命感を備えていなければならないということ

Page 19: On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Worksrepository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/92409/1/acs096013... · Tanizaki Junichiro tends to be regarded as an author who was strongly attracted

299 東京外国語大学論集第 96 号 (2018)TOKYO UNIVERSITY OF FOREIGN STUDIES, AREA AND CULTURE STUDIES 96(2018)

この作品を書いた時点の谷崎は無名の作家志望の青年であり、『万

朝報』の月評欄に数行の評が出たほかには、谷崎が期待したほどの反

響は文壇から得られなかった(『青春物語』)。けれども約一年後の

明治四十四年(一九一一)一一月に、作者の資質の特異さと文体の完

全性を賞揚する永井荷風の有名な批評(「谷崎潤一郎氏の作品」)が

『三田文学』に掲載された前後から、谷崎は有望な新進作家としての

評価を受けるようになる。荷風の批評においては『刺青』が「氏の作

品中第一の傑作」であるとされ、「主人公清吉が刺青に対する狂的な

る芸術的感興を中心にした逸話」として言及されていた(1)

が、やや

遅れて『東京日々新聞』(一九〇二・二・二九)に載った草間俊次郎

の評でも、「美しい女の完全な肉体に一心こめて自分の最上の芸術を

表現しやうと努力する『清吉』の病的な迄に尖つた神経」によって『刺

青』が括られ、美を現出させる「芸術」に対する「病的」ないし「狂

的」なまでへの執着が、この作者を特徴づけているという視点が示さ

れている。大正二年(一九一三)三月の『文章世界』における本間久

雄の「谷崎潤一郎論」では、すでに谷崎は「我国に於て最もよく所謂

唯美主義的傾向乃至は所謂官能派的傾向を代表してゐる」作家として

位置づけられているのである。

こうした、もっぱら女性の肉体を契機とする美的な表象に、自己滅

却的ともいえる異常なまでの熱意を持って没入する人物の姿に、谷崎

の初期作品の特質を見ようとする傾向は戦後の批評にも受け継がれて

おり、野口武彦は『刺青』を論じた批評で、この作品を含む初期作品

における「谷崎の妄想は美しい強者の手で残虐に殺されて横たわる死

骸と自己を同一化することを骨子にしている」と述べていた(2)

。一

方笹淵友一が荷風との比較から「堕落」と「唯美主義」を両者に共通

する要素として挙げているのはこうした論調との連続性を示しなが

ら、それに加えて主人公清吉が単に女性の美しい容貌では満足できず

に「男の生血に肥え太り、男のむくろを踏みつける」ような女を求め、

探し出した相手に刺青を施して、彼女が内在させた資質を開花させる

ことに成功するのが、「新しい人格の創造が彼の目的であった」と述

べている(3)

ことは興味深い。

ここでいわれる「新しい人格」とはいうまでもなく、それまで彼女

が潜ませていた魔的な悪の力の主体ということだが、笹淵はそれを顕

現に導く役割の担い手である点で清吉を「一種の哲学者、教育家」で

もあるとし、その側面を『ドリアン・グレイの肖像』における美的教

育者として美青年ドリアンに影響を与えるヘンリー卿になぞらえてい

る。けれども清吉は快楽主義の哲学を説くヘンリー卿のような饒舌家

ではなく、もっぱら針と絵の具によって男女の肌に図柄を刻みつけ、

その図柄に託された生命と、それを具現する自身の魂を相手に吹き込

もうとする職人である。また「新しい人格の創造」は清吉がめぐり会

った女に対してだけでなく、彼が刺青師であることによって恒常的に

客に対して及ぼそうとしていた職能にほかならない。

刺青は江戸時代においては当初犯罪者に文字や記号を刻印する刑罰

としておこなわれており、一般人が自身の身体に施すことはさほど日

常的ではなかった。江戸時代の百科事典ともいうべき『嬉遊笑覧』に

も、文身すなわち刺青について「天正・文禄〔=一六世紀末〕のころ、

異様の出立する悪徒多かりしかど、文身のさた聞えず、其後種々の侠

客ありしも、猶そのこと見えざれば、もはら行はれしはいと近きことゝ

みゆ」(4)

と記されている。一七世紀前半以降は刺青は一般社会にも

普及し、図柄や色彩に趣向が凝らされて芸術化していくことになる。

西鶴や近松の作品などにしばしば現れる、遊女と客、あるいは恋人同

士の間で互いの名を刻む挿話は、刺青が容易に消去できず、またそれ

を実現するために互いが苦痛をくぐり抜けることによって、自己と相

手との絆を宿命化しようとする行為でもあった。

この二つの性質は刺青の基底をなすとともに、谷崎が参照した『日

本社会事彙』(経済雑誌社、一九〇一)(5)

に、「凡刺青をなすものゝ

意趣は、大抵男子のいさましさを示し、親方、親分、棟梁、かしらな

どと呼ばるゝを欲するなり。又よく疼痛をこらへて美麗なる刺青をな

せるを示し、人のこれを見て嘆賞せんを欲するなり」という記載があ

るように、皮膚を突く針の痛みをこらえきる「いさましさ」という精

神の張りを、それに見合う図柄によって象徴化する側面が比重を増し

ていった。とりわけ江戸後期には、当時人気を博していた『水滸伝』

や『南総里見八犬伝』に登場する豪傑、英雄たちを彫り込むことが流

行した。今の引用には含まれていないが、任侠者だけでなく大工や鳶、

車引きなど肌を晒すことの多い職業の人間の間でも、刺青を施すこと

が日常化し、図柄の華麗さが競われていた。

刺青師としての清吉の特徴は、こうした豪傑、英雄に憧れる客の要

望に従って図柄を描くのではなく、刺青を彫る行為においてつねに主

導権を握っていることで、客は長時間彼の針の下で苦痛に晒されたあ

げく、自身ではなく清吉が思い描いた図柄が実現されることになる。

その点で清吉は刺青師という職人でありながら芸術家的な性格が強

く、「奇警な構図と妖艶な線とで名を知られた」と紹介される彼の流

儀について、次のように語られている。

もと豊国国貞の風を慕つて、浮世絵師の渡世をして居たゞけに、

刺青師に堕落してからの清吉にもさすがに画工

らしい良心と、鋭感

が残つて居た。彼の心を惹きつける程の皮膚と骨組みとを持つ人で

なければ、彼の刺青を

購あがな

ふ訳には行かなかつた。たま

く描いて

貰へるとしても、一切の構図と費用とを彼の望むまゝにして、其の

上堪へ難い針先の苦痛を、一と月も二た月もこらへねばならなかつ

た。

もともと浮世絵師であったことにもよるこうした芸術家気質は、彼

が神のごとき〈創造者〉として客の身体に新しい生命を吹き込む営為

の前提となっている。「彼の心を惹きつける程の皮膚と骨組みとを持

つ人でなければ」という条件は、単に客の身体が刺青を彫り込む素材

であるにとどまらず、そこに描かれた図柄と一体化してその豊麗さを

立ち上げさせるだけの生命感を備えていなければならないということ

Page 20: On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Worksrepository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/92409/1/acs096013... · Tanizaki Junichiro tends to be regarded as an author who was strongly attracted

生命としての美――谷崎潤一郎初期作品をめぐって:柴田 勝二Beauty as Life――On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Works : SHIBATA Shoji

300

ことに秘かな快哉を覚えたりするような怠惰な生活者であり、それに

加えて「神経衰弱」を昂じさせて「己はいつ死ぬか分らない。いつ何

時、頓死するか分らない」という死の予感にも苛まれている。同じく

大学時代を舞台とする自伝的作品である『The Affair of Tw

o

Watches

』(『新思潮』一九一〇・一〇)でも、語り手の「私」は「此

の頃激しいH

ypochondria

に陥り、たつた独りになると獰猛なる強迫

観念に襲はれて、居ても立つても堪らなくなる」状況にあったことが

記されている。ちなみに「H

ypochondria

」は心気症のことで、自身

の身体的、精神的状態を過度に深刻化して捉えることで苦痛に苛まれ

る、神経症的な症状のひとつである。

「神経衰弱」は青年期の谷崎が繰り返し患った症状で、とくに「大

学の二、三年頃」にその症状が烈しかったことが『青春時代』に語ら

れている。作家を志して創作にいそしむものの、自然主義文学が支配

的な時流に合わないこともあってなかなか認知が得られずに悶々とす

る状況のなかで過ごしていたことも、それと近似した状況として受け

取られる。このエッセイによれば、一高から東京帝大に進学する際に

「創作家にならうと云ふ悲壮な覚悟」を決めて英法科から「全く背水

の陣を敷くつもりで文科へ転じた」ものの、その決意に見合う成果を

手にするにはかなりの時間を要した。『誕生』が『帝国文学』に採用

してもらえず、自然主義の牙城であった『早稲田文学』の作風に合わ

せた作品を書くもののやはり掲載には至らないといった不如意がつづ

くなかで、谷崎は「前途が真つ暗であるやうな気」がし、おのずと「焦

燥になり、自暴自棄に陥らざるを得なかつた」のだった。

谷崎自身が経験していたこうした苦闘はやはり比喩的な〈死〉の領

域に彼が置かれていたことを物語っており、それ自体は『異端者の悲

しみ』で語られていないものの、怠惰で自堕落な主人公の姿に、より

生の停滞の色合いを帯びさせる前提とはなったはずである。それによ

って、妹の絶命が語られたのにつづいて「それから二た月程過ぎて、

章三郎は或る短篇の創作を文壇に発表した。彼の書く物は、当時世間

に流行して居る自然主義の小説とは全く傾向を異にしてゐた。それは

彼の頭に発酵する怪しい悪夢を材料にした、甘美にして芳烈なる藝術

であつた」と記される末尾が、彼の新たな〈誕生〉としての色合いを

強く漂わせることになるのである。

刺青の美学

谷崎の初期作品において、新しい生の様態が最後にもたらされる展

開が繰り返し現れる背景には、自身を表現者として出発させるために

自身がくぐり抜けねばならなかったこうした苦闘が揺曳している。そ

れに加えて見逃せないのは、この作家には本来生の昂揚や牽引に対す

る強い憧憬があり、自身の経験を含む様々な〈死〉の比喩的様相がそ

れに対比的にちりばめられるのは、それを際立たせるための戦略でも

あったということだ。従来「耽美派」の代表的な作家として見なされ

がちであった谷崎の根元にある、この生命志向を端的に語った作品と

して眺められるのが、処女作として扱われる『刺青』である。

Page 21: On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Worksrepository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/92409/1/acs096013... · Tanizaki Junichiro tends to be regarded as an author who was strongly attracted

301 東京外国語大学論集第 96 号 (2018)TOKYO UNIVERSITY OF FOREIGN STUDIES, AREA AND CULTURE STUDIES 96(2018)

最初の「肥料」となることを宣言する。一方『異端者の悲しみ』の章

三郎は、自身の才能を信じながらも、「一向その才能を研かうとはせ

ず、暇さへあれば安逸を貪り、昼寝と饒舌と飲酒と漁色とに耽つて居

た」という〈死んだ〉ような日々を送りつづけたあげくに、華麗な芸

術の造り手に変容したことが末尾で告げられる。それに加えてここで

は現実に死へと傾斜していく彼の妹の姿が織り交ぜられ、章三郎の変

容を語る段落の直前で、彼女がついに絶命するに至るのである。

ここに語られた経緯はおおまかには谷崎自身の歩みと照応していな

がら、巧みな事実の変改が施されている。つまり谷崎が『新思潮』に

『誕生』と『刺青』を発表するのは、それぞれ明治四十三年(一九一

〇)の九月、十一月であるのに対して、妹の園(園子)が腸結核のた

めに十六歳で身まかるのはその翌年である明治四十四年(一九一一)

六月であり、彼が表現者として歩み始めてから半年以上後のことなの

である。実際には処女作の発表後に生起した妹の死をその前の段階に

繰り上げて描出するのは、主人公の表現者としての〈誕生〉に、彼女

の死を乗り越えてもたらされたものとしての色合いを加えるためであ

り、それがこの作品に盛り込まれた〈死〉から〈生〉へのサイクルを

多重化している。

表現者として〈誕生〉する前の主人公章三郎の〈死〉の様相は、谷

崎自身の青年期の姿を踏まえて造形され、文壇登場前後の事情を語っ

た自伝エッセイの『青春物語』(『中央公論』一九三二・九~三三・

三)や『親不孝の思ひ出』(『中央公論』一九五七・九~一〇)など

とも符合する事実性を帯びている。とくに後者では『異端者の悲しみ』

の内容と時期的に重なる記述が見られ、当時の谷崎の乱脈な生活ぶり

が写し取られている。『異端者の悲しみ』ではもっぱら主人公の章三

郎は、その怠惰と不器用に対して投げつけられる父母や妹の悪罵のな

かで日々を過ごしているが、『親不孝の思ひ出』でも祖母の存命時代

の挿話が語られる節では、「何のために大学へまで遣つてゐるのか」

「こんな態では学費を出してくれる∧

やま

十じゅう

の伯父さんにだつて申訳が

ない」「どうか料簡を入れ換へて真面目な人間になつておくれ」「潤

一は愚に返つたと、親類ぢゆうの物笑ひになるばかりぢやないか」と

いった祖母の愚痴を青年の谷崎は延々と聞かされている。

ただ『親不孝の思ひ出』では怠惰な暮らしぶりを家族に疎まれ、な

じられる面よりも、ほとんど家に寄り付かない放浪者的な面の方が色

濃く浮上している。実際弟の谷崎精二の回想によれば、それ以前の東

京帝大に在籍していた学生時代でも、「家へは全然姿を見せず、どこ

にいるのか音信不通」で、母が新聞に変死人の記事が出ると潤一郎の

ことではないかと疑った(「潤一郎追憶記」『群像』一九六五・一〇)

という状態だったようである。この放浪者的な輪郭は『異端者の悲し

み』では希釈されているが、それはこうした姿が一面では大胆で動的

な印象を残し、表現者として〈誕生〉する前の停滞感を弱めることに

なるからであろう。この作品の章三郎はもっぱら、蓄音機をかけるこ

とすら満足にできないことを母や妹になじられ、昼寝をむさぼってい

るところを父に足蹴にされ、金を借りた友人が腸チフスで亡くなった

ことに秘かな快哉を覚えたりするような怠惰な生活者であり、それに

加えて「神経衰弱」を昂じさせて「己はいつ死ぬか分らない。いつ何

時、頓死するか分らない」という死の予感にも苛まれている。同じく

大学時代を舞台とする自伝的作品である『The Affair of Tw

o

Watches

』(『新思潮』一九一〇・一〇)でも、語り手の「私」は「此

の頃激しいH

ypochondria

に陥り、たつた独りになると獰猛なる強迫

観念に襲はれて、居ても立つても堪らなくなる」状況にあったことが

記されている。ちなみに「H

ypochondria

」は心気症のことで、自身

の身体的、精神的状態を過度に深刻化して捉えることで苦痛に苛まれ

る、神経症的な症状のひとつである。

「神経衰弱」は青年期の谷崎が繰り返し患った症状で、とくに「大

学の二、三年頃」にその症状が烈しかったことが『青春時代』に語ら

れている。作家を志して創作にいそしむものの、自然主義文学が支配

的な時流に合わないこともあってなかなか認知が得られずに悶々とす

る状況のなかで過ごしていたことも、それと近似した状況として受け

取られる。このエッセイによれば、一高から東京帝大に進学する際に

「創作家にならうと云ふ悲壮な覚悟」を決めて英法科から「全く背水

の陣を敷くつもりで文科へ転じた」ものの、その決意に見合う成果を

手にするにはかなりの時間を要した。『誕生』が『帝国文学』に採用

してもらえず、自然主義の牙城であった『早稲田文学』の作風に合わ

せた作品を書くもののやはり掲載には至らないといった不如意がつづ

くなかで、谷崎は「前途が真つ暗であるやうな気」がし、おのずと「焦

燥になり、自暴自棄に陥らざるを得なかつた」のだった。

谷崎自身が経験していたこうした苦闘はやはり比喩的な〈死〉の領

域に彼が置かれていたことを物語っており、それ自体は『異端者の悲

しみ』で語られていないものの、怠惰で自堕落な主人公の姿に、より

生の停滞の色合いを帯びさせる前提とはなったはずである。それによ

って、妹の絶命が語られたのにつづいて「それから二た月程過ぎて、

章三郎は或る短篇の創作を文壇に発表した。彼の書く物は、当時世間

に流行して居る自然主義の小説とは全く傾向を異にしてゐた。それは

彼の頭に発酵する怪しい悪夢を材料にした、甘美にして芳烈なる藝術

であつた」と記される末尾が、彼の新たな〈誕生〉としての色合いを

強く漂わせることになるのである。

刺青の美学

谷崎の初期作品において、新しい生の様態が最後にもたらされる展

開が繰り返し現れる背景には、自身を表現者として出発させるために

自身がくぐり抜けねばならなかったこうした苦闘が揺曳している。そ

れに加えて見逃せないのは、この作家には本来生の昂揚や牽引に対す

る強い憧憬があり、自身の経験を含む様々な〈死〉の比喩的様相がそ

れに対比的にちりばめられるのは、それを際立たせるための戦略でも

あったということだ。従来「耽美派」の代表的な作家として見なされ

がちであった谷崎の根元にある、この生命志向を端的に語った作品と

して眺められるのが、処女作として扱われる『刺青』である。

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生命としての美――谷崎潤一郎初期作品をめぐって:柴田 勝二Beauty as Life――On Jun-ichiro Tanizaki’s Early Works : SHIBATA Shoji

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生命としての美

――谷崎潤一郎初期作品をめぐって

柴田

勝二

一 刷新される生

谷崎潤一郎の初期作品におけるひとつの特徴は、主人公や彼が関わ

る人物に何らかの新しい生命や様態が付与される帰結によって、展開

が閉じられることが少なくないことである。処女作として扱われる『刺

青』(『新思潮』一九一〇・一一)が、刺青師の主人公が眼をつけた

女に大蜘蛛の刺青を施すことによって、彼女を魔的な女に変容させる

展開をもつことをはじめとして、時期的には『刺青』に先駆けて発表

された戯曲『誕生』(『新思潮』一九一〇・九)では、藤原道長の后

が出産を間近にした状況において、道長に恨みを持つ霊魂たちが物怪

としてよりましの女房たちに依り憑いて后の安産を阻害しようとする

ものの、道長の威勢を凌ぐことができずに無事男児の出生に至る話が

展開されていく。また『秘密』(『中央公論』一九一一・一一)では、

女装して浅草の映画館に繰り返し赴く主人公がそこで旧知の女に邂逅

し、眼隠しをされて彼女の家に連れて行かれる遊びを繰り返すうちに、

彼女の家の在り処を突き止めてしまい、そこで彼女の実像を目撃する

ことでそれまでの遊戯的な関係を終結させ、「もツと色彩の濃い、血

だらけな歓楽」を求める人間として再出発するのだった。

こうした、中心人物の生命や生活に新しい局面がもたらされる展開

が出発時の作品に繰り返し現れるのは、谷崎自身が表現者として歩み

始める経緯と重ね合わされる性格を強く帯びている。自伝的作品の『神

童』(『中央公論』一九一六・一)や『異端者の悲しみ』(『中央公

論』一九一七・七)も、自身を素材として同様の展開を示しており、

前者では零落する家に育った秀才の少年が、はじめ宗教家を志しなが

らやがて自分がそれに適さない人間で、「人間界の美」を讃える仕事

こそが自己を生かす道であることに気づくに至る。その続編的な作品

である後者の主人公章三郎は、家族に疎まれながら自堕落な日々を送

っているが、長く患っていた妹が死んだ約二ヶ月後に「甘美にして芳

烈なる芸術」の作り手として世間に登場することになるのだった。

とりわけ『異端者の悲しみ』の帰結は『刺青』に代表される出発時

の作品の生成と接合するだけでなく、〈死〉をくぐり抜けて〈新しい

生命〉の誕生をもたらすという構造において『刺青』との相似性を示

している。すなわち『刺青』で主人公清吉に刺青を施された女はその

痛みに息も絶え絶えの状態に陥るが、その擬似的な〈死〉を経て、背

中に彫られた大蜘蛛の魔的な力に同一化したかのように、彼が自分の