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− 33 − 中学生の部 金 賞 私の家の環境を守る活動 太田市立宝泉中学校 1年 粕 谷 有利絵 「うわ、何これ。うそでしょ。」 あまりのひどさに、思わず声を上げてしまった。私は小学校のときの夏休みに、家族で佐 渡へ行った。船に乗っている途中、甲板に行ってみた。すると、海にお菓子の袋や空き缶 などのゴミが落ちていた。さらに、水の色も変色していた。とても驚いた。私たち、人間 のせいでこんなにも海が汚れてしまっていたなんて信じられなかった。 あの日から私は、環境問題について考えた。もしこのまま、同じように生活を送ってい たら地球が壊れてしまうのではないか。このように考えていると、とても怖くなってきた。 また、私の手で少しでもいいから環境を守ることができないのか、汚した私たち人間はき れいにするという責任を持つべきだという考えも浮かんできた。そこで今まで以上に、守 る活動に参加していこうと考えた。その中でも、私がいちばん力を入れているのは、使っ ていない電化製品のコンセントを抜くことだ。このことが私でもできる簡単な活動だと思 ったからだ。最近では、抜くことに慣れてきて、一つでもコンセントがささっていると違 和感を感じるまでにもなった。また、緑のカーテン作りも行っている。今年も、二ヶ所の 地点で作った。夏のとても強い日差しを遮ることができとても涼しい。さらに、実った果 実を食べることができ一石二鳥である。こんなすぐにできることで、環境を守ることがで きる。とても素晴らしいことだと思う。いきなり難しいものからではなく、簡単なものか らやっていくことが活動をやるうえでの大切な第一歩であると思う。 最近、緑のカーテンでもっと驚くことがあった。それは、植物は二酸化炭素を吸って酸 素をはきだし、栄養分を作るという光合成のはたらきだ。このことを理科の授業で習い、 緑のカーテンは一石二鳥どころではなく、一石三鳥であったのかと植物の力の大きさに気 付かされた。 人間は、「環境を守ろう」とは言っているものの、実際には、自分一人ぐらいやらなく ても大丈夫だろう、というふうに人ごとのように考えている人の方が多いと思う。しかし、 一人一人が少しでも活動を行っていけば「ちりも積もれば山となる」というふうに大きな 成果を得ることができる。このことで、環境を守る、そして地球を守ることにもつながっ ていくのではないかと私は思う。

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   中学生の部

 金 賞  私の家の環境を守る活動

太田市立宝泉中学校 1年 粕 谷 有利絵 

 「うわ、何これ。うそでしょ。」あまりのひどさに、思わず声を上げてしまった。私は小学校のときの夏休みに、家族で佐渡へ行った。船に乗っている途中、甲板に行ってみた。すると、海にお菓子の袋や空き缶などのゴミが落ちていた。さらに、水の色も変色していた。とても驚いた。私たち、人間のせいでこんなにも海が汚れてしまっていたなんて信じられなかった。 あの日から私は、環境問題について考えた。もしこのまま、同じように生活を送っていたら地球が壊れてしまうのではないか。このように考えていると、とても怖くなってきた。また、私の手で少しでもいいから環境を守ることができないのか、汚した私たち人間はきれいにするという責任を持つべきだという考えも浮かんできた。そこで今まで以上に、守る活動に参加していこうと考えた。その中でも、私がいちばん力を入れているのは、使っていない電化製品のコンセントを抜くことだ。このことが私でもできる簡単な活動だと思ったからだ。最近では、抜くことに慣れてきて、一つでもコンセントがささっていると違和感を感じるまでにもなった。また、緑のカーテン作りも行っている。今年も、二ヶ所の地点で作った。夏のとても強い日差しを遮ることができとても涼しい。さらに、実った果実を食べることができ一石二鳥である。こんなすぐにできることで、環境を守ることができる。とても素晴らしいことだと思う。いきなり難しいものからではなく、簡単なものからやっていくことが活動をやるうえでの大切な第一歩であると思う。 最近、緑のカーテンでもっと驚くことがあった。それは、植物は二酸化炭素を吸って酸素をはきだし、栄養分を作るという光合成のはたらきだ。このことを理科の授業で習い、緑のカーテンは一石二鳥どころではなく、一石三鳥であったのかと植物の力の大きさに気付かされた。 人間は、「環境を守ろう」とは言っているものの、実際には、自分一人ぐらいやらなくても大丈夫だろう、というふうに人ごとのように考えている人の方が多いと思う。しかし、一人一人が少しでも活動を行っていけば「ちりも積もれば山となる」というふうに大きな成果を得ることができる。このことで、環境を守る、そして地球を守ることにもつながっていくのではないかと私は思う。

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 銀 賞  ISO委員会と資源回収と私

太田市立西中学校 2年 石 川 晴 菜 

 「大変だあ、ISO委員にならなきゃよかった。」私は一年生の時にISO委員会に所属していた。ISO委員は資源回収を行う委員会である。毎週木曜日は、その資源回収を行っていて、朝早くに学校に来て、生徒玄関前で資源回収を行うのである。しかし、私は早起きが苦手で、朝早く学校に行くのが大変だった。でも、毎回休まず資源回収に参加した。資源回収が、環境を良くするために役立つと思ったからだ。 しかし、私が早く学校に行ってもクラスメイトが資源を持ってくることは少なかった。資源はクラス毎に集める。他のクラスはたくさんの資源が集まるのを見ながら、「なんで私のクラスは持ってきてくれないんだろう」とくやしく思った。 みんなに呼び掛けないとだめかなあと思い、短学活で呼び掛けてみた。だが、効果は今一つで、呼び掛ける前とほとんど変わらなかった。私は協力してくれないクラスに苛立ち、自分の無力さを感じた。 しかし、いい事もあった。一つは、長期休業の時は生徒だけでなく保護者も資源を持ってきてくれたことだ。毎週木曜日の資源回収の時よりも遥かに多くの資源が集まった。また、ビンなどの重い物も持ってきてくれる。ある保護者が、

「普段はゴミにしてしまうけど、資源としてリサイクルされるからいいわね。」と言っていた。自分達のしている事が環境を守ることにつながると知り、自信がついた。 二つ目は、全校ではたくさんの資源が集まったことだ。私のクラスで回収される資源は少なかった。しかし、全校ではかなりの量の資源が集まっていた。集まった資源は、換金される。去年だけでも八万円以上の換金となった。 三つ目は、クラスで呼び掛けを続けていたら、みんながだんだん変わってきたことだ。初めはぜんぜん持ってきてくれなかった。しかし、三学期になる頃には、資源を持ってきてくれる子が少しずつ増えてきた。ある子は、

「今日、持ってくるの忘れちゃったから、来週持ってくるね。」と言ってくれた。私は、みんなの変化を見て、呼び掛けを続けることを諦めないでよかったと感じた。

 選 評  海の汚れを目の当たりにした経験から、環境問題について考え、環境を守る活動に取り組み始めた様子が、明確に書かれています。具体的な活動に基づいた意見なので、説得力のある文章です。

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 私は一年間、資源回収を続けてきた。それで、私が思ったことは、一人一人が少しでも資源を持ってくれば、たくさんの資源が集まるということだ。一人の力は弱くても、みんなが力を合わせれば強いチームとなる。それと同じく、環境を守ることも一人では効果が薄くても、たくさんの人が協力すれば大きな力になるということがわかった。 今年、私はISO委員でなくなった。しかし、これからも資源回収に協力していきたい。

 銀 賞  環 境 を 守 ろ う

太田市立旭中学校 2年 篠 原   慶 

 学校の二階の廊下には、ペットボトルのキャップについてのポスターが貼ってあります。いつもは何気なく通り過ぎてしまいますが、この日は、ふとそのポスターの前で立ち止まってしまいました。 「キャップ八百個で一人分のワクチン」そのキャップの数の多さに対して一人のワクチンしか作れない事実に驚きました。そこで、自分にも何か出来る事はないか考えてみる事にしました。 まず、家庭全体でやっていることは、先程言ったペットボトルのキャップを集める事、地域の廃品回収に協力しています。ペットボトルのキャップ集めでは、家庭六人で行っているので、たくさん集まります。そして、集まったキャップを学校に持って行きます。最初は、面倒だと思っていましたが、協力することで、ワクチンが必要な人に少しは、役に立てているのではないかとこのごろ感じています。 次に廃品回収についてです。僕の住んでいる地域では、年に四回行われます。新聞・雑誌・ダンボール・布(綿100パーセント)を集めています。僕の家は、ステーション宅になっています。約三百世帯に三十のステーション宅があり、回収日に廃品物を置いておきます。その後、回収車が来て持っていってくれます。 今、どこでも廃品回収を行っていますが、自分自身が積極的に参加することで、再資源として有効利用しているだけでなく、環境に優しい事をしているのではないかなと思います。 「環境を守る」には、リユース・リデュース・リサイクルという言葉を耳にします。リユースは、繰り返し使う、リデュースは、ゴミを出さない、リサイクルは、資源として別

 選 評  ISO委員に所属し様々な体験をする中で、環境を守るためには協力することが大切だということに気づくことができました。苦労を体験した上での意見なので、とても共感できます。

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利用という意味です。 僕たちが、具体的に行える事は、リユースとリデュースです。 リユースでは、シャンプーやリンス、洗剤を詰め替えを使う事です。安易に捨てない、容器を繰り返し使う事も環境を守る事に役立っているのだと思います。 リデュースでは、食べ残しをしない事です。特に学校給食でいつも言われていますが、残さないで食べる事が大事です。当たり前ですが、中々達成する事が出来ないので、クラス皆で頑張っていきたいです。 リユース・リデュース・リサイクルの三つの言葉を意識することによって、無駄なく資源を活用出来ると思います。 現在、世界では、地球温暖化が叫ばれていますが、一人一人の小さな努力が大きな力となり地球温暖化を救えるのではないかと思います。

 銀 賞  水資源を守るために

太田市立藪塚本町中学校 2年 鳥 嶋 成 能 

 皆さんは、水道水を飲むことができる国が、世界でわずか十三ヶ国しかない事を知っていますか。その国は、日本、ニュージーランド、アイスランド、アイルランド、フィンランド、ドイツ、オーストリア、スロベニア、クロアチア、アラブ首長国連邦、モザンビーク、レソト、南アフリカです。約二百ヶ国ある世界の中で、これだけの国でしか水道水が飲めないのです。しかも、アジアでは日本だけです。日本には、きれいな川や豊富な地下水があり、豊かな自然と清らかな水資源に恵まれた美しい国です。私は、この日本に生まれてきたことに感謝しなければならないと思います。 しかし、かつて日本も昭和三十年代から四十年代前半にかけて、大規模な公害がありました。その影響で、川や海が汚れ、水質汚染が深刻な問題となりました。今ではきれいな東京湾もヘドロだらけで、死の海からは絶対に立ち直れないと言われてきました。しかし日本は、死の海と言われた東京湾を、技術革新により、元通りの美しい海に戻すことに成功しました。 水は人間にとって必要不可欠なものです。日本を含める十三ヶ国は家で手軽に飲めますが、その他の国では水を買わなければなりません。それどころか、水道から出てくる水が

 選 評  一枚のポスターをきっかけに、リユース・リデュース・リサイクルを、意識するようになりました。日常の小さな行動が、地球全体の保全につながるという、視点の広がりが素晴らしいです。

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汚水という国もあります。 その代表的な国が中国です。中国の水道水は、全体の約五十パーセントしか安全基準を満たしていません。つまり、半分の水道からは汚水が出るのです。水道水がこんなに汚れているということは、当然川や海の汚染もひどいはずです。中国の川は、工場などの汚水が大量に流れているため、赤、紫、水色などカラフルな色になってしまっています。さらにその川の水は海に流れるので、魚や貝などの水産物にも影響が出ているということです。中国の水汚染は、人々の生活には欠かせない水を奪っているのです。 私達日本人は、現在水道水を飲めるということがあたり前という国になっています。それは先人達の日々の努力と科学技術の進歩のおかげです。しかし他の国では満足に水が飲めない、水が汚水という状況が未だに続いています。そこで日本は、自分達の科学技術を他の国に提供し、きれいで安全な水をいつでも飲めるよう、アフリカなどの地域では井戸を作ったり、世界有数の浄化技術を使い、人々の命を守っています。私は、そのような日本をとても誇りに思います。日本は今後もさらに、科学技術が発達していくと思います。そして、日本の水資源を守り続けるだけではなく、水汚染が深刻な国々の水資源も守り、世界に誇れるような国になって欲しいと思います。私も日本国民として、国に貢献できる人間になります。

 銅 賞  環境を守る為にできること

太田市立北中学校 2年 森 尻 夏 輝 

 飲み終わったペットボトル。学校で使い終った大量のプリント。スーパーでもらったビニール袋。自分の周りを見回してみると多くのもう使わないであろう物があります。どうしたらこれらのいらない物、すなわち「ゴミ」を減らせるか自分なりに考えてみる事にしました。 僕は飲み終わったペットボトルをそのまま捨ててしまう事がたまにあり、父に

「しっかり分別しろ。」と怒られる事があります。又、裏の白いプリントなども「要らない。」と思って捨ててしまい、後でメモが必要な時に新しい紙を使ってしまう事が多々あります。「使える物はしっかり使う。」これは本来ゴミになる物に「使える物」としての命を与える事だと思います。

 選 評  あたりまえのように口にしている「水道水」に注目し、水資源の大切さや科学技術の素晴らしさについて述べています。世界の現状がよく調査されている、具体性のある作文です。

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無駄な資源を出さない為にも、今自分ができる事をする事が大切な事なのだと思います。 ゴミを全く出さない事は今の時代は絶対に無理だと思います。ただ、ゴミを「減らす」事は、「自分自身の日頃の心構え」でいくらでもできると思います。僕自身も、父に注意されてからはしっかり分別も再利用もできる限りしています。 ゴミを最小限に抑えて、それでも出てしまったゴミは、しっかりゴミ袋に入れて出す事が大切です。でもそれを、道端に捨てたりする事は言語道断だと僕は思います。道を歩いていると平気で空き缶や煙草の吸い殻が落ちている所が少なからずあります。綺麗な街の景観を保つ為、ポイ捨てはあってはならない行為だと思います。 家族で海へ旅行に行った時、そこの砂浜にはゴミが全く無く、白い綺麗な砂浜が広がっていました。ゴミが無ければ安心して走りまわれるし、何より見ていて気持ちが良いです。そこでは「ゴミの持ち帰り運動」が行われていて、自分達も合わせて皆ゴミを持ち帰っていました。何もない砂浜にゴミを捨てる事はある意味「勇気」が要る事だと思います。皆で綺麗に使う事により「ポイ捨てを許さない環境」が自然に作られている事はとても素晴らしい事だと思います。 環境を守る為には、「自分ができる事」を、「確実」に「続ける」事が大切です。僕も今までやってきた事に加えて、新しい事もやってみて、しっかり続けたいと思いました。

 銅 賞  地球環境を守るためにできること

太田市立南中学校 2年 宮 﨑 啓 輔 

 「どうして、こんなところにこんなにたくさん?」家族と車ででかけた時、信号待ちで止まった路側帯を見て、思わず口に出てしまった言葉だ。 路側帯には、空き缶やペットボトル、おにぎりやお菓子などのゴミが、たくさん捨てられていた。その路側帯は本当にゴミ捨て場のようで驚いた。母が

「信号待ちで止まった車から、ゴミを捨てていくんでしょうね。」と、言った。僕は、憤りを感じた。ゴミを捨てていく人は、自分さえよければいいといった考えの人なのだと思う。いったい、誰がこのゴミを片付けるのだろうか。せっかく植えた花の苗は育つのだろうか。

 選 評  環境を守るためには、「自分ができること」を「確実に続ける」ことが大切であるというメッセージが、体験に基づいて書かれています。

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 僕は、太田市のクリーン作戦に参加した時のことを、思い出した。早朝に自分の家の地域のゴミを拾ったり、草取りをしたりする。その時も、やはり田んぼに空き缶やペットボトル、雑誌などが落ちていた。意外と多いのは、タバコの吸いがらであった。 こんなふうに、簡単にゴミを投げ捨てしてしまう人がいることを悲しく思う。自分の家、自分の車の中でなければいいと考えているのだと思う。でも、気付いてほしい。この地球も自分達のものであることを。 僕たちの地球は、僕たちの手で守っていかなければならない。ゴミの投げ捨てや不法投棄は、地球の環境破壊へとなると思う。地球の緑や自然を守っていくことが、僕たちが、快適に生活することに結び付いてくるだろう。 「混ぜればゴミ、分ければ資源」という言葉を初めて聞いた時、ハッとした。投げ捨てのように何でもかんでも一緒に混ぜて捨ててしまえば、全てゴミとなってしまう。でも、分別することにより、また生まれ変わる物もある。僕の家でもできるだけゴミを減らす努力をしている。 今、僕にできることは、できるだけゴミを出さないように、家族みんなで工夫と努力をしていくことだと思う。地域の清掃活動にも積極的に参加していきたい。一人の力は小さいけれど、みんなと手をとり合い大きな力として、僕たちの地球の環境を守っていきたいと思う。

 銅 賞  エコキャップ活動

太田市立休泊中学校 3年 小田木 咲 子 

 私は、エコキャップ活動をしたいと強く思う。 そのように思った理由は、今年、家族でフィリピン旅行をしたことからだ。そこで見た町の様子が忘れられない。 窓や壁がなく、少しの強風でとばされてしまいそうな簡素な家。たくさんの、ノラ犬。ゴミの回収ボックスが見当たらず、周りには、たくさんのゴミが落ちていた。水道の蛇口をひねると、茶色い水が出てくることもあった。そのような環境でウィルスが発生していることを知った。 とても清潔な日本で生活していると、全く気づかないことだった。私はとても驚き、胸

 選 評  路側帯に無造作に捨てられたゴミに憤りを感じ、「自分たちの地球は自分たちの手で守らなければいけない」という、強い決意が述べられています。

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が苦しくなった。 そこで、少しでもウィルスに感染する人を減らすように、私に何かできることはないだろうか、と思い調べると、このエコキャップ活動を、行っていることを知った。 エコキャップ活動とは、不要になったペットボトルキャップを分別回収して、再資源化を促進し、CO2の発生を抑制する。そしてリサイクル業者に売ったお金で、途上国の子供達にワクチンを購入し、寄付する、という取り組みだ。約、四百三十キログラムで十円のワクチン代となる。今までにキャップの提供には、個人、企業、学校などたくさんの人々が参加し、六十万個以上、ワクチン購入代金、九千万円、ワクチン四百五十万人分を寄付している。 現在、回収依頼が殺到し、数が増え続けていることが現状だという。各都道府県で回収できるよう整備し、地域でリサイクルを促進していくことが課題だ。 エコキャップ活動は、誰にでも気軽に参加することができるものだ。少しでもウィルスに感染する途上国の子供達を減らし、幸せに暮らせるように積極的に参加すべきだと思う。 もともとこの活動は、高校生たちの「キャップを捨てるのはもったいない」という思いから始まったそうだ。少人数の思いが今ではたくさんの人々の思いとなり、たくさんの途上国の子供達の命を救っている。これから、もっと、もっと多くの人々が積極的に参加していくことでたくさんの子供の命が救われる。多くの人々が協力することが大切だと思う。 私も少しずつ、積極的に参加し、活動していきたいと思う。子供達がみんな幸せに暮らせるよう、がんばりたい。

    銅 賞  自分のモラルを捨てないで

太田市立尾島中学校 2年 小 林 裕 輝 

 「うわぁ。汚いなぁ。」 ぼくはこの夏、海へ行きました。少し浜辺を散歩をしようと思い、車から降り砂浜へと続く階段を降り始めた瞬間、夢なのか現実なのかわからない程、目の前に広がる光景にショックを受けました。それは、少し前にテレビで放送されていたのと同じような光景でした。ビールやジュースの空き缶、ペットボトル、焦げた花火、バーベキューをした後の炭や肉などが入っていたトレイ、割りばし、スーパーの袋、シャンプー類のプラスチック容

 選 評  ペットボトルのキャップを分別回収し、再資源化を促進することが、環境を守るだけでなく、途上国の子供たちのワクチン購入にもつながるということが、明確な文章で書かれています。

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器等がそこらじゅうに散乱していたのです。持ってきたスーパーの袋でゴミを拾いはじめましたが、すぐにいっぱいになってしまい、きりがないので、途中で諦めて拾うのをやめてしまいました。ぼくは、どうして自分達が出したゴミを持って帰らないのか、とても腹が立ちました。同時に、ゴミを拾いきれなかった自分にも腹が立ちました。 自分の家にゴミを捨てる人はいないと思います。誰も見ていないから、ゴミを捨てていくのは自分だけではないし、みんなやっている事だからと言い訳し、自分さえよければいいのでしょうか。蟻の巣だってゴミの部屋はあるのに、私達人間は、ゴミを捨てる場所を守るそんな誰にでも出来る当たり前の事が出来ていないのです。だから現在、バーベキューが禁止されている場所も多くあります。ポイ捨ては、後から来る人達が不快な気持ちになるだけではありません。海の生き物の命も危険にさらされています。人間が捨てたゴミが海を汚し、エサだと勘違いしてゴミを食べてしまった生き物達が命を落としています。一人一人がきちんとマナーを守り、ゴミを自分の家に持ち帰って分別して捨てていれば、何の罪もない命が奪われる事はなかったはずです。 では、どうすればポイ捨てはなくなるのでしょうか。とても簡単なことだと思います。ゴミを捨てて帰るのではなく、自分が捨てなくても他の人が捨てて帰れば同じだという考え方を捨てる事。それが環境破壊をくい止める一歩だという事を皆さんに知ってもらいたいし、実践してほしいと思います。例え小さな事かもしれませんが、私達がその小さな約束を守れば、世界遺産登録された富士山のように豊かな自然をもっと増やす事は絶対に出来ると思います。 便利な世の中で生活している私達は、自然の大切さを忘れがちです。たくさんの恩恵を受け、時には厳しさを教えてくれる自然。すべての生き物にとって大切な存在である自然を未来へ残していけるよう、今やるべき事、自分が出来る事を皆さんで始めませんか。

 選 評  夏休み中に訪れた海の汚さにショックを受け、その場でゴミ拾いを行った体験から、どうすればゴミのポイ捨てがなくなるのかという提案が書かれています。

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 銅 賞  「私達が守るべきこと。」

太田市立太田中学校 1年 飯 塚 菜 々 

 私たちのまわりは、ポイ捨てが多い。私たちが特に目にすることが多い通学路。通学路の途中には、空き缶やペットボトルがあふれている。見た目も悪いし、嫌な気持ちになる。拾って無くなってくれれば良いのだが、雑草のように後から次々と出現する。 自分の家ではないからいいのだと思い捨ててしまうのか、そんな理由もなく無意識に捨ててしまっているのか。 最近、世界遺産となった富士山のニュースが連日報道されている。ここでも問題になっている事が、ゴミ問題だ。世界遺産になった事で、沢山の人々が登山、観光として訪れているが、マナー違反者、ルールを守らない人が沢山いるという。 私の祖母のふるさとが山梨県なので、毎年一度は、祖母と家族で旅行に行く。途中で富士山が見える。富士山には登った事はないが、遠くから見る富士山の姿はとても美しくすばらしい。でも内面は、こんな状態なのだ。紙くずや、たばこの吸い殻、空き缶、ペットボトルが散乱し、心無い観光客によって、ゴミ山になっている。 私は富士山の環境を守っている方の記事を見た。その中での言葉に、

「肝心なのは、自分が持ち込んだゴミは持ち帰る。たったそれだけのこと。」この言葉にあたり前のことであるこの行いが、できない人が沢山いるということ。だれかに言われなくてはできないという人が多くいることが、とても残念に思う。たったそれだけのことなのに。 私は、小学生の時、行事がある時は必ず先生から、持ち込んだゴミは各自持ち帰ること、そのためにレジ袋の用意と教わってきた。それは私の習慣にもなりました。私のバッグには、いつもレジ袋が入っている。小さなマイゴミ箱として。ゴミ箱がなかったから、きたないから持ち帰りたくないと思った時点で、ポイ捨てをしてしまう行動にでてしまうのだったら、レジ袋を持ち歩く事で、防止になると思う。自分で出したゴミぐらい、自分で処分をしよう。一人一人の心がけで、ゴミは減る。町は、きれいになると思う。あたり前のことができる、人間でありたい。

 選 評  富士山のゴミ問題に関する新聞記事や、バックにレジ袋を入れておくという習慣の大切さなど、様々な角度から環境問題について述べられています。

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 佳 作  青い地球を守りゆくためには

太田市立東中学校 2年 齋 藤 杏 優 

 私達の住んでいる地球は今、深刻な環境問題が取り上げられています。その深刻な問題を私達の身近な視点で感じてみると、実に多くの取り組みがなされていることが見えてきます。その代表として上げられるのが、詰め替え用のパックの販売です。詰め替え用を使うと、空ボトルのごみが少なくなります。今ではさまざまな改良がなされ、より簡単に詰め替えができるように工夫されています。私の家庭でも、詰め替え用の洗剤やシャンプーなどを使用するようにしています。そんなに手間のかかる作業ではないし、まだまだ捨てる必要の無いボトルを捨ててしまうのはもったいないので、詰め替え用を買った方が環境にも良いし、気分も晴れやかになると思います。 また、環境問題への取り組みとして私達に身近なものが、ごみの分別です。私達の毎日の生活の中では、絶えず必要無くなったものが「ごみ」として排出されています。そのごみとして出されるものの中には、利用次第で「資源」となりうるものも含まれています。「ごみ」を、使えるものと使えないものとに分ける。つまり、「資源」と「本当にいらないもの」に分けるのが、ごみの分別です。多くの人がこの「ごみの分別」という言葉を耳にしたことがあると思います。しかし、まだまだごみの分別活動に進んで取り組む人ばかりではないのが現状です。それは、一人一人が、この地球に住んでいる、のではなく、この地球に住まわせてもらっている、貸してもらっている、という意識を持つことで解消されるのではないか、と思います。誰しも、人からの借り物を乱雑に扱う人はいないでしょう。なので、地球からの、宇宙からの借り物を大切に扱う心を一人一人が持てば、自ずと環境も向上していくのではないでしょうか。 「環境保全活動は小さなことから」という言葉をよく耳にしますが、それこそがまさに私達の住む地球に対する意識の持ち方から変えていくことではないか、と感じます。環境問題への取り組みの例として上げた2つの取り組みも、気軽に取り組むことができ、環境保全に貢献することになりますが、それも地球への感謝の心といたわりの気持ちが無いと長続きはしないと思います。長続きしなければ青く美しい地球を守っていくことはできません。環境保全のために皆ができる小さなことは、地球に対して感謝をし、宇宙からの借り物を大切にする、という環境意識から見直すことだと思います。

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 佳 作  これでいいのかな

太田市立強戸中学校 3年 柳   東 生 

 今年の夏は、甲府や館林など各地で40℃超えの超猛暑日が発表され、日本列島大丈夫なのかと不安を持たずにはいられません。 そんなこの夏、私は某水族館でホッキョクグマに会いました。厚いガラスを隔てて、岩の上で愛らしい表情でのんびりくつろぐホッキョクグマを私はしばらく眺めていました。本当に心地よさそうで、観ている私も穏やかな気持ちになりました。もちろん館内はエアコンが心地よく効いていて、きっとガラスの向こうのホッキョクグマの部屋はもっとヒンヤリしていることでしょう。 ホッキョクグマというと思い浮かぶシーンがあります。 数年前、地球温暖化を扱ったテレビ番組なのですが、気温が上昇しホッキョクグマが生き難くなってきていると、小さな氷の上で遠くを見ているホッキョクグマが印象的でした。その番組の最後に「国あるいは大企業が何か大きな対策を取ることではなく、私たち個人が少しずつ小さなことでもしていくことが大切」というようなナレーションが入っていたとおぼろげながら覚えています。 今でこそよく耳にし、目にすることなのですが、自分がその「小さなこと」をしているのか、実際どんなことをしているのか、改めて考えてみました。 まずエアコン。熱中症にならないためにも、エアコンは欠かせませんが、できるだけ午前中はどの部屋も窓を全開にしてエアコンは我慢、午後から設定温度は28℃でエアコンを使うようにしています。 他には、洗濯は風呂の残り湯を使う、エコバックを常に持ち歩く、ゴミの分別など割とこまごまやっているほうではないかと思っています。 しかし、省エネをしているようで、違う面から見ると「これでいいのかな。」と感じるときがあります。例えば、プラスチックゴミの容器を分別するために、洗剤を使い水できれいに洗い流すこともあります。これは、エコ活動である反面、水を無駄にしているのではないか、水を汚し、環境を壊すことにならないのか、とふと疑問に感じるときがあります。それでもやはり、小さなことを続けていく地道な活動が私たちがすべきことなのでしょう。 私たちのこれからの課題は、どのようなエコ活動をしていくかはもちろん、どのようにしたら、無尽蔵にあるわけではないエネルギーをいかに少なく使うかを考えていくことなのではないでしょうか。

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 佳 作  環境を守るために

太田市立毛里田中学校 2年 島 田 千紗都 

 私は、環境について考えました。そして、今年の六月に行った、自然豊かな尾瀬が思いつきました。尾瀬にはゴミ一つ無く、とてもきれいな自然が広がっていました。私達が住んでいる地域もこのくらいきれいならと思いました。でも、そんな緑豊かな自然は、簡単にはつくれません。訪れる人、一人一人が汚さないようにと気をつけているからです。 では、なぜ、私達の住んでいる場所では、ゴミをポイ捨てしてしまう人がいるのでしょうか。私は登下校中に、必ずゴミをみつけます。また、トラックからゴミを捨てる人をみかけたこともあります。ゴミを捨ててしまう人には、罪悪感はないのでしょうか。「ポイ捨て罰金三万円」と書かれた看板をみつけても、他の人もやっている、バレなければ大丈夫と捨ててしまうのでしょうか。私は、出かけ先でゴミがでたら、近くのゴミ箱に捨てるか、持ってかえるかしています。このようなことを、みんながすれば、それだけで周りがきれいになると思います。なので、これからも、この行動を続けたいです。 次に、ゴミのポイ捨てと同じくらい重要な地球温暖化についても調べてみました。車や工場から排出される有害なガスや、家庭、その他の施設での、電化製品の使いすぎが、原因になっているそうです。また、森林破壊も温暖化につながるので、原因の一つとされています。このまま、温暖化が進み続けると、異常気象が多発するおそれがあるそうです。それに、南極の氷がとけはじめているそうなので、将来、世界が水没してしまうおそれもあります。だから、私は、家での省エネを心掛けたいと思います。 この作文を書くにあたって、今の地球環境について、改めて考えることができたので、良かったです。ゴミをゴミ箱に捨てる。電気のつけっぱなしや、エアコンなどの使いすぎに注意する。それだけで、環境維持に少しでもつながると思うと、これからも、ずっと、続けられそうです。私は、「環境を守る」というと、すごく大きなことと、思ってしまいがちですが、たくさんの人が小さなことでも、続けていれば、絶対にできることだと思います。なので、学校や家庭内でも、自分のできることを率先してやろうと思います。

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 佳 作  環 境 を 守 ろ う

太田市立城西中学校 1年 都 丸   聖 

 私は、六月に行われた林間学校で大自然にふれてきました。あのキラキラ光り輝いていた大沼。自然の中で過ごした三日間はとてもすばらしいものでした。しかし、今の世の中では自然破壊が確実に進んでいるのが事実です。そこで、あの林間学校で見た自然をこれ以上壊す事がないよう今の自分に出来る事はないかを考えてみた時、私達が毎日の生活を送る上で様々な事が環境問題とつながっていると思うので自分にとって身近なゴミ問題と水不足について考えたいと思います。 私は、毎日の生活の中でなるべくゴミを出さないように心がけてはいるものの、ペットボトルやトレーなどのリサイクルという事になるとあまり積極的に取り組んでいなかったと思います。そして、リサイクルされた物を次に何かに再生しようとした時に何らかのエネルギーが必要になってくるのではないかと考えました。だから、これからは自分にとって本当に必要な物だけを買う事を心がけていかなければいけないと思うし、みんながこのような考えを持ってくれたならば自然とゴミの減量化につながっていくのではないかと実感しました。 また、ゴミ問題は悪い方向にばかり考えられがちですが、焼却場に集められたゴミを燃やして、そこから出る熱を冷暖房や温水プールに使用しているという話を聞いた事があるし、私も実際に利用した事があります。このように、ゴミもみんなの生活の役にたっていると思うので、これからどんどん有効に利用されてほしいと思いました。 次に水不足についてです。私達が住んでいる国は、比較的水に恵まれていて外国ほど深刻な問題ではないかもしれませんが、夏になり断水などのニュースを耳にするとやはり気にせずにはいられない問題で、節水の大切さを感じ、水には限りがあるという事を実感させられます。そして、もっと視野を広げて考えると、水はどこの国でも飲料水や生活用水として使われているだけではなく、農業などの作物作りにも大きく関わっていて、水不足が深刻になればなるほど食料不足への影響も大きくなると思いました。だから、私達の身勝手な水の無駄使いがこのような事につながってしまうかもしれないので、一人一人がもっと水の大切さを理解すべきだと思いました。 林間学校で過ごした三日間は、普段のくらしよりは便利だとは言えませんでしたが、人間の生活が豊かになればそれだけ環境問題も進んで深刻なものになると思います。だからこの事を少しでもくい止めるには、便利なものに頼るだけではなく、無駄使いをしないなどの心がけが必要なので私も積極的に取り組んでいこうと強く思いました。

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 佳 作  私をとりまく自然と環境

太田市立綿打中学校 2年 茂 木 沙 織 

 私が環境問題について本当の意味で強く意識をするようになったのは、平成二十三年三月十一日の東日本大震災がきっかけでした。 私の家の前は田んぼです。まだ青い色をした、稲の苗がきちんときれいに並んでいます。この田んぼの周りに流れる用水路には、ザリガニが石のすき間にいます。私の弟たちはこのザリガニをとるのが大好きなので、家の前の田んぼの周りに流れる用水路によく虫とり網をもってザリガニをとりに行きます。私がなにげなくザリガニとりに夢中になっている弟たちの姿を目で追うと、その横で農家の人たちが稲の苗を植えているのが見えてきます。私はこの田植えの風景を見るのが好きです。なぜなら、のんびりした気持ちになれるからです。 しかし、私にとっての当たり前の風景が、当たり前でなくなってしまった人たちもこの日本のなかには大勢います。地震発生の瞬間、家や田畑を海から押し寄せた大津波がのみこんでいった時の映像は、はっきりと記憶に残っています。震災による被害は青森県から三重県まで広い範囲におよび、この地震による深刻な被害の跡は、二年以上たった今でも残っています。地震による大津波は青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、千葉県の海岸沿いの農地(水田二万ヘクタール、畑三千五百ヘクタール)を流失、冠水させるという大きな被害をもたらしました。また海水をあびた農地では、これ以降塩害に苦しめられてしまいました。 塩害に苦しむ人たちへの朗報がひとつありました。『大林組が東日本大震災で被害を受けた農地で、被災木材などを使った「除塩」作業を行っている現場。5月には菜の花を咲かせるという』です。これは平成二十五年三月四日の産経新聞の抜粋です。はやく、震災に苦しむ人たちが、菜の花が咲く豊かな自然の風景をゆっくりながめてほっとできるようになってほしいと私は思いました。