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14
言語社会 第 13 号  266 90 3 Educable Mentally Retarded White 105︲ 13 4 使Williams 1975 使稿2 African American English Black English 使DeBose 160︲62 ; Smitherman-Donaldson 1

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言語社会 第 13号  266

90

)(3)。とくに本研究が取り扱う一九六〇年代から一九七〇年

代にかけては、白人中産階級の言語、文化に基づいて作成され

たIQテストによって、特殊学級に通学する黒人学生の割合は

白人と比べて異常に高く、教育可能な精神遅滞(Educable

Mentally Retarded

)の学生として扱われていた(W

hite 105︲

13)。言語面でいえば、テストの指示文で用いられる言語、語

彙問題の内容(

4)が、主として白人中産階級の言語使用に準拠し

ており(W

illiams 1975

)、白人の言語を使用してこなかった多

くの黒人学生のテスト結果が、たとえば精神遅滞児としてみな

される七五点(サンフランシスコ学区の場合)を下回ったので

アメリカ社会言語学とリベラリズム

 

本稿のテーマは、今日も都市内部に集住する黒人の大多数が

日常言語として用いる黒人言語(

2)(一般にアフリカ系アメリカ

人英語(A

frican A

merican

English

)あるいは黒人英語

(Black English

)と呼ばれるもの)に対する抑圧の歴史である。

二〇世紀中期以降、黒人と白人の共学が始まると(実際はなか

なか進まなかったが)、黒人の子供たちは、黒人言語の使用を

理由に、あるいはIQテストによって、特殊学級への編入や留

年を強制されてきた(D

eBose 160︲62; Smitherm

an-Donaldson

論説黒

人言語学史にみる人種主義の変遷

リベラリズム・ディスコース(

1)

源邦彦

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267  黒人言語学史にみる人種主義の変遷

カの社会言語学が、黒人言語、ひいては黒人の抑圧の歴史に、

どのような役割を演じてきたのかについて論考する。黒人言語

学は、黒人と白人とを対等に扱おうとする機運がとくに黒人の

あいだで高まり、これまでの白人の地位が脅かされる可能性が

出てくるときに、パラダイムシフトする傾向にあった(源)。

そのパラダイムシフトの時期にしたがい、黒人言語についての

科学的ディスコースの形成過程は、第一期

一八八〇年代〜一

九三〇年代、第二期

一九四〇年代〜一九五〇年代、第三期

一九六〇年代〜一九七〇年代、第四期

一九七〇年代〜現在、

に分けられる(Ibid.

)(6)。本稿は、第三期に新しく生まれたパ

ラダイムの一つ、白人言語学者たちによるリベラリズム・ディ

スコースが、どのように白人優越主義と関連している可能性が

あるのかを、利害一致論(interest

convergence, Bell

1980,

2004

)の観点から論考する。

利害一致論

 

黒人言語についての支配的な言語学ディスコースの発展は、

長きにわたって、白人と黒人の間で執り行われた、「利害一致

(interest convergence

)」(Bell 1980

)の結果である。デリッ

ク・ベル(D

errick Bell)のいう利害一致論は、「人種的平等を

ある(W

hite 105︲13

)。黒人の言語は、心理学や社会学では、

先天的かつ後天的にみて白人言語の「発達不良、非論理的言語

行為」(Bereiter, et al 112︲13

)として描かれたのである(W

il-

liams

&

Rivers)。これらは、黒人の大多数を二級市民に押し

留めるための手段の一つと考えられるが、それと関連して、同

時代にパラダイムシフトした言語学が、黒人に対する人種主義

に一役を買っていたと言えるかもしれない。

 

言語学では、一九世紀末から、黒人言語について数々の著作

(e.g. H

arrison

)が人種主義に加担していたのである。しかし

ながら、一九六〇年代中期以降の黒人解放運動、ブラックナシ

ョナリズムの時代になると、今日の黒人言語学(

5)の主流派に直

結する、それまでの差別的な言語学とは一線を画する社会言語

学が誕生した。この時代は、アジア、アフリカやアメリカの黒

人社会について、アメリカ政府や慈善財団が社会科学に莫大な

投資を行う時期で(Sm

itherman-D

onaldson 81

)、多くの社会

言語学の入門的著書が誕生した(井出・金丸)。一九六〇年代、

一九七〇年代の社会言語学は、学者個々人のレベルでは言語的

平等を達成することを目的としていたかもしれないが、白人優

越主義に迎合する論理を提供していたという点では、人種主義

の非難を免れるものではない。

 

本研究では、一九六〇年代、一九七〇年代に誕生したアメリ

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言語社会 第 13号  268

第三期 

― 

白人言語学者による

      リベラリズム・ディスコース

 

マーティン・ルーサー・キングJrの暗殺で公民権運動が失

速し、かわりにブラックナショナリズムが台頭しだす一九六〇

年代後半は、とりわけ、一人のカリブ出身アフリカ系奴隷子孫

クレオール言語学者ベリル・ロフトマン・ベイリー(Beryl

Loftman Bailey

)を除き、合衆国アフリカ系奴隷子孫の社会言

語学者は一人もいなかったといってよい(

7)。この一九六〇年代

中期以降は、黒人言語学は社会言語学として最初の隆盛を迎え、

官民から莫大な研究資金が、黒人言語研究につぎ込まれ始めた

(Dillard 1973, 265

)。このアメリカ社会言語学が興った同じ時

代には、黒人の識字能力の問題が、教育心理学者や教育社会学

者のあいだで失読症のような欠損や病気として扱われていた

(Labov 1972,

201

)。とりわけ、黒人言語は、論理性に欠けた

白人言語の発達不全として扱われ、多くの黒人の子供たちが特

別クラスへ編入させられたり、精神遅滞児と同じく特殊学級に

入れられることで、社会的上昇への道が閉ざされてしまったの

である(W

hite

)。このような、心理学、社会学における黒人

言語に対する人種主義を論駁すべく生まれたこの時代の黒人言

語学は、黒人言語が文化的欠陥ではなく体系的で文法を持つこ

達成するうえで、黒人の利害が調整されるのは、白人の利害に

一致するときのみである」(523

)という考えに基づく。ただし、

黒人の利益が、白人中産・上流階級あるいは白人の優位を脅か

さない限りにおいてである。利害が一致したときのみ、表面的

かつ漸進的に、黒人の利害が調整される。そして、さまざまな

阻害要因のために本質的な変化は起こらないというのが、この

利害一致ジレンマの考え方である(Bell

2004

)。この利害一致

のシステムは、さまざまな科学的論理をもって正当化され、そ

の論理の一つを提供するのが言語学ということになる。言語学

を含む社会科学においては、「客観的真実は〔……〕存在しな

い。これらの領域では、真実は支配の目的のために作り出され

る社会的構築物である」(D

elgado & Stefancic 104

)。この論

理にしたがえば、支配者側が、諸言語に、異なる科学的定義・

基準・解釈を与え、その定義・基準・解釈に基づいて、諸集団

を、特定の政治経済的地位へと割り当てるのが、この利害一致

のシステムということになる。これまで、この利害一致論は、

法律学や批判的人種理論(Critical Race T

heory

)で活用され

てきた枠組みであるが、この理論を言語学の成立過程の批判的

分析に援用したい。

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269  黒人言語学史にみる人種主義の変遷

先鞭をつけたウィリアム・ラボフ(W

illiam

Labov

)の議論を

取り上げてみよう。ここでは、黒人言語を、固有言語ではなく、

あくまで、標準語の拡張や逸脱として方言を解釈するための、

言語学上の方法論が提示されている。この言語学的手法は、言

語間の類似性を強調するのか、相違性を強調するのかという二

者択一の問題であり、リベラリズム・ディスコースの場合、前

者を選択し言語構造を構築したに過ぎない。この点について、

ラボフは以下のように述べている。

数年前まで、言語学者は世界の諸言語の違いを強調し、互い

の違いがほぼ限りなく存在すると主張したものである。しか

しながら、その反対の流れが今日の言語学では強まっている

―諸言語がいかに類似しているか、それらの言語がいかに

同様の規則で同じ機能を遂行しているのかに関心が高まって

いる。(Labov 1969, 40

このディスコースでは、この動向が言語学内での出来事のよう

に述べられている。しかしながら、このディスコースは、より

大きなコンテクストの中で見る必要がある。すなわち、欧米諸

国が国家建設をひと段落させ、国家内の分離独立(アメリカで

あればブラックナショナリズム)を回避する動きが出てきたと

とを、半世紀以上を経てようやく言語学的に認めたのである。

ただし、その論理は、その使用者に白人社会への平等な全員参

加を保証するものではなかった。一九六〇年代中期以降の、白

人言語学者たちのディスコースには以下のような共通点があっ

た。(

一)黒人言語は文法を持つ体系である(e.g. Baratz 1969;

Fasold & W

olfram; Labov 1972; Shuy

(二)黒人言語は非標準語である(e.g. D

illard 1973; Labov

1972; Loflin; Stewart 1967

(三)社会的成功のためには、非標準語である黒人言語では

なく、標準語が必要である(e.g. Baratz

1970; Peder-

son

(四)黒人言語は、相当なまでに(場合によっては、英語以

外の言語と捉えられるまでに)、標準英語と異なってい

る(e.g. Baratz 1969; D

illard 1967; Fasold & W

olfram;

Labov 1972; Loflin; Stewart 1967

以下、これらの四つのディスコースが各言語学者の発言にどの

ように現れているかを見てゆく。

 

まず、この時代の代表的研究であり、アメリカ社会言語学の

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言語社会 第 13号  270

(Nonstandard N

egro English

)は、一部が極端に標準英語と

異なり、英語のある一般規則がほかの方言内で機能する環境

と頻度をはるかに超えて拡張されてしまっている。これらの

拡張の一部は、基底にあるクレオール化した文法に引き起こ

されたものであるかもしれず、この文法は、複雑な接触状況

から生まれたガラ、トリニダード、ジャマイカ、その他の方

言にも共有されている。あるいは、その一部については、形

態素の簡略化、そして、より分析的な統辞の発達に見られる、

「クレオール化」のプロセスで説明がつくかもしれない。し

かしながら、これらの発達の方向性に対して、どのような歴

史的説明がなされようとも、我々は、英語の方言を扱ってい

るに過ぎず、大局的には、英語内部のほかの発展とはそれほ

ど違わないものである〔……〕標準語と非標準語は表面的に

は明確な差異が認められるが、それらは両者とも、同じ深層

構造に基づいており、同じ深層論理命題を伝達するために用

いられている。(Labov 1969, 1, 14, 16, 41, 46︲7

「英語を外国語として教える」というスローガンは、悪しき

スローガンであるが、それはまた、悪しき理論的原則に則っ

ている。非標準黒人英語は英語にとって外来のものではない。

(Labov et al. 337 )

き、また、アジア、アフリカ、西半球を中心とするディアスポ

ラのコミュニティーが政治的、経済的、文化的主権を求めて戦

い始め、それに対して欧米諸国主導の世界秩序を図ろうという

動きが強まったときに、欧米諸国の言語と何らかの関連性があ

る諸言語の自立性、すなわち、相違性・固有性を弱体化する動

きが言語学において強まったことに注目しなければならない。

この時代に、類似性に視点を変えた言語学に、多額の研究資金

が政府ならびに非政府組織から投じられているのははたして偶

然だろうか。その類似性を限りなく強調したのが、このラボフ

である。この認識に基づいて、黒人言語の言語学的な立ち位置

を、ラボフは以下のように説明する。

我々は、非標準英語を〔……〕以下のように見る〔……〕だ

ろう

―それ自体で独立したものではなく、英語という大社

会言語構造の不可欠な一部をなすものと〔……〕彼ら(黒人

学生)の非標準土着語は、大部分の白人非標準諸方言と比べ

ると、標準英語からはるかに遠い関係にあるようだ〔……〕

非標準英語は諸規則から成る体系で、標準語とは異なり、し

かしながら、コミュニケーションの手段としては必ずしも劣

っているわけではない〔……〕我々は、非標準文法の中に、

簡素化への一般傾向を観察できる〔……〕非標準黒人英語

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271  黒人言語学史にみる人種主義の変遷

が、英語の「方言」として扱われ、合衆国本土の奴隷子孫の用

いる「方言」と同じ連続体上に位置づけられている。すなわち、

それらは最終的に標準語へと向かうべき、標準語を単純化した

「逸脱形」(ラボフは黒人言語を「逸脱」とは明言せず、標準語

の「拡張」「一般化」「進歩」として議論している(Labov

et

al. 337︲8

))として、社会進化論的スケールに置かれているの

である。一方、このディスコースの問題は、まず、基本的に白

人の言語であるものを、政治的中立を装い、「標準語」という

用語で指し示していることにある(Sm

itherman

1972, 85

)。

さらに、使用することばの特徴に関わらず、平等に門戸を開く

ことができていない白人社会に問題があるにもかかわらず、そ

れを「非標準語」の問題へと転嫁している。また、学校におけ

る言語習得が成功するためには、学校外でその言語を用いる機

会が豊富にあることが条件として時々指摘されるが(e.g. Coo-

per 56; Wolfram

& Fasold 143

)、多くの黒人学生が、学校で

接触する白人言語を自然に操れるようになる、とくにその発信

能力を習得することは考えがたい(Baratz

31

)、という側面

に十分に注意が払われていない。すなわち、ラボフのディスコ

ースは、リベラリズム的表現や解釈で溢れており、前代のあか

らさまな人種主義ディスコースを用いてはいないが、大多数の

黒人下層階級の言語をある意味否定するその論理は、本質的に

ラボフの論理は、次のようにまとめられる。(一)黒人言語は

英語の方言である、(二)黒人言語は諸規則を束ねた体系をな

す、(三)これらの諸規則は標準語(白人エリートの言語)に

も共有され、標準語を拡張したものに過ぎない、(四)黒人言

語は、白人大衆の用いるどの言語(非標準方言)よりも、白人

エリートの使う言語(標準語)とかけ離れている(ただし、他

の同時代の学者たちが主張するように外国語に似た存在とは受

け止めていない)、(五)黒人言語の体系の一部は、クレオール

と関連性があるかもしれない、そして、上述の引用には含まれ

ていないが、(六)非標準語としての黒人言語を維持・振興す

るべきかどうかという重要な点については触れず、「学校の基

本的な役割は標準英語の読み書きを教授することである」

(Ibid. 4

)、と主張する。ラボフの議論で最も重要な点は、黒

人言語を体系として認めていることである。すなわち、ことば

としての正当性を認めたという点で、一九五〇年代までの黒人

言語の言語としての正当性を否定する方言学ディスコース、同

時代の黒人言語を認知的欠陥とみなす心理学的、社会学的ディ

スコースとは明らかに一線を画す。その一方で、ガラ語、ジャ

マイカ語など、多くの場合、ヨーロッパ諸語やアフリカ諸語か

ら独立した言語体系、すなわちクレオール語と解釈されるもの

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言語社会 第 13号  272

位置づけられている。社会言語学が主張する、標準方言と非標

準方言を対等な方言とみなす論理がいかに非論理的かがわかる。

そもそも「標準―非標準」という関係自体が平等ではない。そ

こで、非標準白人方言という表現を持ち出す者もいるが、その

不平等な関係性が是正されるには至らない。「標準―非標準」

という関係は、一般社会でこの知識が消費されるときには、非

標準は望ましくないものとして認識されるであろうし、そもそ

もそのような差別的な表現を科学で用いることの不適切性が問

われなければならない。いずれにせよ、文法を備えた言語とし

ての体系性、正当性は認める一方で、非標準言語の使用者とし

て黒人の大多数を二級市民に押し留めておく論理であることに

変わりはない。さらに、スチュワートはラボフと同じように、

クレオール語を英語変種、すなわち英語の方言として解釈し

(cf. Stewart 1964; D

illard 1967

)、すべての黒人言語変種を、

英語という言語連続体上に位置づけ、黒人言語が英語から独立

した固有の体系として成立する道を閉ざしてしまっている。ア

フリカ系奴隷子孫がネーション(民族)として、固有の言語を

有し、政治的に自立する選択肢が奪われてしまっている。一方、

非標準白人方言以上に標準から逸脱した、外国語に例えられる

ような存在として黒人言語を捉えており、科学的基準を柔軟に

調整し、白人言語との相違点を強調すれば、黒人言語が英語以

は、大多数の黒人が白人社会へ参加することを可能にすること

にはならないのである。

 

次に、黒人言語のクレオール起源をより強調した論理が、ウ

ィリアム・スチュワート(W

illiam

Stewart

)によって示され

る。彼は以下のように言う。

一九世紀中期に至るまで、北アメリカのプランテーションの

野外労働者であった黒人奴隷のうち、新世界で生まれた多数

の奴隷でさえも、ある英語変種、実際は本物のクレオール語

―文法構造においてイギリスから直接持ち込まれた諸方言、

そして、初期の白人植民者の子孫によって新世界で改造され

たことばとは著しく異なっている

―を話していた〔……〕

今日のアメリカ黒人の非標準ことばは、そのクレオールの構

造的形跡を留めているようであり、これがおそらく、黒人の

非標準ことばが、部分的に、最も教養のないアメリカ白人の

非標準ことば以上に標準英語から逸脱している所以である

〔……〕多くの点において、非標準方言を抱えて学校に入っ

てくる黒人の子供の苦境は、アメリカの学校に入学する外国

語話者の子供たちの苦境に似ている。(Stew

art 1967, 3, 14

標準語から「逸脱」したことばとして、黒人言語がより明確に

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273  黒人言語学史にみる人種主義の変遷

技術を用いることには大きな意味がある〔……〕

(Dillard

1967, 8

ディラードの論は、以下の五点に絞られる。(一)黒人言語は

脱クレオール語化したものである、(二)黒人言語は、英語の

方言をなす体系である、(三)黒人言語は標準英語とは著しく

異なる、(四)黒人言語は非標準方言、すなわち、標準語の逸

脱である(標準語という用語を用いていること自体がこの解釈

を暗示)、(五)黒人言語は、言語教育上は、第二言語として取

り扱われるべきである、ということになる。黒人言語は、語彙

ではなく文法的観点からすれば「大きく異なる体系が見出され

る」と指摘しているにもかかわらず、決してその絶対的自立性

を認めない、つまり、標準英語の逸脱としてしか見なさないと

いう主張は、他の言語学者たちとも共通する。

 

そして、最後に、黒人言語を英語とは異なる言語だとする解

釈を可能にする最も強い主張を取り上げる。それは、マービ

ン・ロフリン(M

arvin Loflin

)である。ロフリンは言う。

都市言語研究における現在進行中の研究は、非標準黒人英語

が多くの点において標準英語と類似しているという考えを肯

定し続けている。それにもかかわらず、その音韻的、形態音

外の言語であるという解釈を可能にするものであるかもしれな

い。この最後の点においては、ジョエル・ディラード(Joel

Dillard

)も、スチュワートと同様の議論を繰り返す。

(黒人英語を注意深く調査することで、)一七世紀のイギリ

ス人の言語の特徴、よく比較されるアパラチア方言のような

現代の白人諸方言の特徴とは随分異なった深層パターンが見

えてくる。より深く、注意深く分析すればするほど、より大

きな差異が見つかる〔……〕標準英語で見当たらない語彙は

使われていない〔……〕しかしながら、統語分析することで、

大きく異なる体系が見出されるのである〔……〕黒人英語基

層語(basilect

)〔……〕の文法は特定のアフロアメリカン諸

変種によく似ている〔……〕しかしながら、即決の解決策

―奴隷が話したアフリカ諸語から直接の影響を受けたとい

う解釈

―はあまりに単純で、奴隷ディーラーが異なる言語

使用者を混合したという史実からして、あり得ないものであ

る。(D

illard 1973, 40, 73

(黒人の)子供の言語体系が、標準英語とは根本的に異なる

可能性があるために、標準語教育問題を、第二言語の教育問

題として扱い、英語を外国語として教えるために開発された

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言語社会 第 13号  274

言語の発達障害であり非論理的言語行為であるという同時代の

ステータスから、文法を備えた体系として認められたというこ

とが最も大きな点であった。その一方で、白人側の利害として

は、黒人の言語行動が白人の言語行動とある意味平等であるこ

とを認め、それを黒人英語として、白人言語の拡張や派生物と

して、英語(白人言語)という社会言語構造の一部分としての

差異、固有性を認めたのである。これによって、国内外の黒人

と第三世界へアピールすることができたということが考えられ

る(cf.

Dudziak

)。以上のように、白人と黒人の利害が一致す

ることになったが、あとは、白人エリートの優位を保つことが

条件となるので、白人エリートの言語である標準英語に対し、

黒人言語を非標準英語と位置づける、つまり黒人言語を白人言

語の逸脱として位置づけ、黒人言語ではなく白人言語でのみ白

人社会に参加できることを可能にすることで、黒人の多数を二

級市民に押しとどめておくことを同時に成し遂げたのである。

前時代と比べあからさまに人種主義的な、生物学的な表現は用

いられず、より巧妙な言い回しが用いられる新人種主義の時代

が始まったといえよう。この最後の点に関しては、一九七三年、

言語学、心理学、コミュニケーション学を専門とする黒人グル

ープが抗議の声明文を出し、“substandard

“urban Negro dia-

lect

“Negro non-standard English

“Negro dialect

“Black

素的、助動詞的、変形的構造は、特別な教授法

―もっとも

効果的であるためには、外国語の教授法に習うべき教授法を

必要とするくらい十分に異なっていると思われる。実際、非

標準黒人英語の文法を構築しようとする試みから、それと標

準英語のあいだにある類似性は表面的なものであることが示

唆される。現研究段階において、非標準黒人英語をより完全

に記述することで、外国語として扱われるべき文法体系が見

出されることが十分に考えられる。(Loflin 1313

これは、これまでに、主張された中で最も強く、黒人言語の固

有言語説を肯定するものである。外国語として取り扱われるべ

き文法が、黒人言語に見出されるという主張がそうである。も

ちろん、このようなコンテクストにおいても、黒人言語は、標

準英語の逸脱として、非標準英語として議論されるというリベ

ラリズム・ディスコースに変わりはない。

利害一致論からの考察

 

まず黒人側の利害として調整された内容は、言語学における

黒人言語が白人言語の誤りであり独自の文法体系は有しないと

いう一九四〇年代、一九五〇年代のステータス、あるいは白人

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275  黒人言語学史にみる人種主義の変遷

的イデオロギー(語彙のほとんどが英語であるが文法的には大

きく異なる合衆国内の諸言語を、英語との類似性を強調するこ

とで英語の二級方言として解釈する見方)、帝国主義的イデオ

ロギー(語彙のほとんどが英語であるが文法的には大きく異な

る合衆国外の諸言語を、英語との類似性を強調することで英語

の二級方言として解釈する見方)を受け入れていたという点で、

興味深い一致を見せる。彼らは、世界中の例から、方言と呼ば

れることばが、独立した固有言語として扱われる可能性がある

ことを知りながらも、また、おそらくはそのような固有言語と

して認められることが当該言語を用いる集団の人権保護と深く

関係していることを知りながらも、それにあえて言及しなかっ

た。このように、黒人の言語を白人の言語と同じく言語として

の正当性を有すると譲歩しながらも、つまり、表面的な改善は

施されながらも、非標準語として黒人言語を第二級のステータ

スに押しとどめ白人エリートの言語である標準語を上位に置く

というやり方が、そして黒人言語のみを主に用い白人言語の発

信能力には到達しない多数の黒人を第二級市民に押しとどめる

というやり方が、まさに、デリックベルのいう利害一致ではな

いだろうか。

English”という名称を“Ebonics

”に改称し、黒人言語が英語と

は異なるアフリカ系の固有言語であるという主張を行っている

(Minam

oto 208︲11

)。この抗議運動は、その後の黒人言語学で

はほとんど受け入れられることはなく、現在も六〇年代、七〇

年代のリベラリズム・ディスコースが支配的となっている。

 

これと関連して、各研究が黒人言語が外国語と呼べるほど白

人言語と異なっていると言及しながらも、黒人言語を英語以外

の言語とは位置付けなかったことに触れておきたい。万が一、

黒人言語が英語以外の言語として独立した地位を与えられれば、

初等中等教育法第七条二言語使用教育法(Bilingual Education

Act

of 1968

)の適用により、子供たちの母語の維持に加え、

英語の習得も促進されたかもしれない。場合によっては、ブラ

ックナショナリズムを刺激し、自治権要求や分離独立運動、奴

隷制に対する補償運動への一助となっていた可能性がある。こ

れは、白人社会への統合を目指す公民権運動派を擁護し分離独

立を目指すブラックナショナリストを敵視する当時の政府には、

到底受け入れられない結果である。合衆国政府は、殊に非ヨー

ロッパ系のマイノリティーに対しては容赦ない英語同化政策を

採るナショナリストイデオロギー(cf.

Crawford

)を有してい

るが、このリベラル派言語学者たちは、同様のナショナリスト

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言語社会 第 13号  276

(1)本研究は、源(2018

)と同じく、Bell

の利害一致論(interest

convergence

)の枠組みで、黒人言語に関する言語学研究の歴

史を、批判的に再考しようというものである。前研究は、一八

八〇年代から一九五〇年代までのディスコースの変遷を扱って

いる。

(2)本稿では、黒人の大多数が日常言語として用いることばの呼称

として、「黒人言語」を使用する。これは、D

uncan

の用法

“black language

”を翻訳借用したもので、黒人の言語を英語の

方言あるいは英語とは異なる言語とは判断しないための、言い

換えれば、どちらの定義とも解釈できる用法である。

(3)筆者が、二〇一三年の夏、南ロサンゼルスのある学区の特殊学

級の教員にインタビューを行った際、アフリカ系アメリカ人が

特殊学級に編入させられる主な理由は、「スピーチ(speech

)」

と「勉学に取り組む態度(academ

ic attitudes

)」であった。彼

女は、それらの理由について仔細に語ることは無かったが、そ

れら二つのカテゴリーは、ドゥボーズ(D

ebose

)が、その理

由として取り上げる「スピーチ障害(speech

pathology

)」な

らびに「学習障害(learning disorders

)」と興味深い一致を見

せる。これは、現在も以前と同じような理由で黒人学生が特殊

学級に編入させられている可能性を示唆している。この問題が

先鋭化した最近の事象として、カリフォルニア州オークランド

市教育委員会が一九九六年に可決したエボニクス決議がある。

異常な割合の黒人学生が特殊学級に編入させられ、その打開策

の一つとして、黒人学生の第一言語が西アフリカを起源として

持つエボニクスとして定義されたのである。

(4)黒人の子供に“dust

”という語の意味を尋ねると、その黒人の

子供は、黒人の文化的フレームワークで“money

”と回答する。

白人文化に準拠したウェブスターの辞書では“fine,

powdery

particles of the earth

”と定義されており、このIQテストでは

不正解となるが、たとえば、黒人コミュニティーでは“The

dude had

big dust.

”というと、“The

person had

a lot

of m

oney.

”を意味している(W

hite 109

)。このような考え方に基

づき、黒人文化に準拠したIQテストとして、“Black

Intelli-gence T

est of Cultural Hom

ogeneity

(BITCH

)”が、IQテス

トの結果ゆえに大学進学を一度は諦めた(Prof.

Robert W

il-liam

s

)、ワシントン大学(セントルイス)心理学名誉教授ロバ

ート・ウイリアムズによって開発された(cf. W

illiams 1972

)。

(5)黒人言語学とは、“black

linguistics

”の翻訳であり、黒人言語

についての言語学的研究のことを意味する。

(6)各時期のディスコースは、明確な境界線を設定できるものでは

なく、各時期をまたいでグラデーションをなしているといって

よい。

(7)ファニータ・ウィリアムソン(Juanita

William

son

)は、この

時代の合衆国奴隷子孫の言語学者であるが、彼女は方言学の専

門であり、黒人言語という固有の体系の存在を否定している

(cf. William

son

)。

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